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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
2005年8月31日(水)曇り。東京→世田谷(駒沢)
散動(サンドウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「散」部に、「散乱(サンラン)。散藥(ヤク)。散田(テン)。散在(サイ)。散用(ユウ)。散失(シツ)。散具(ク)。散米(マイ)」の八語を収載し、標記語「散動」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「散動」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「サンドウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「散動」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本堯空本両足院本節用集』には、標記語「散動」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

散用(サンヨウ) ―乱(ラン)―動(ドウ)。―失(シツ)。―機(キ)。―善(ぜン)〔言辞門180五・天理図書館蔵下23オ五〕

とあって、標記語「散用」の熟語群として「散動」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に「散動」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

723睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作辛苦 疲気也。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

とあって、標記語「散動」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

行儀(ギ)散動(サンドウ)食物(シヨクブツ)飽滿(バウマン)ハ。荒(アラ)ク。ハタラキテ身ヲ狂(クル)ハせテ血(チ)ヲ乱(ミタ)ス事第一ノ毒也。〔下38オ七・八〕

とあって、標記語「散動」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)行儀散動行儀ハ身のふるまい也。散ハちる。動ハうこくと訓す。気血(きけつ)のくるふほと大に骨折(ほねおり)つかるゝをいふなり。 〔96オ三・四〕

とあって、この標記語「散動」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲行儀散動ハ身(ミ)の立居(たちゐ)ふるまひをあらくする也。〔71オ五、71ウ四〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲行儀散動ハ身(ミ)の立居(たちゐ)ふるまひをあらくする也。〔127ウ六、128ウ三〕

とあって、標記語「散動」の語をもって収載し、その語注記は、「行儀散動は、身(ミ)の立居(たちゐ)ふるまひをあらくするなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「散動」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さん-どう散動】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-どう散動】〔名〕あちらこちら、まとまりなく動くこと。また、心が混乱すること。混乱して取り乱したふるまいをすること。淨土真要鈔(1324)末「如来方便して三福を顕開して散動の根機に応ずとなり」*庭訓往来(1394-1428頃)「睡眠昏沈。行儀散動史記抄(1477)一四・扁鵲倉公列伝「髄脳なんとの散動するを搦へて置く様な心歟」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
雪情澄神章一巻 摂論十種散動疏一巻 菩薩地十法章一巻用紙《天平勝宝元年の条・3/312》
爾時耳識且不得起。意識亦爲種種散動餘識所間。若與如理作意相應生時。《『攝大乘論本』卷上(大正新脩大藏經 第三十一册 No. 1594)T31n1594_p0136b20
在大菩薩衆會聞説無量契經。臨命終時心不散動三昧現前。《『藥師如來觀行儀軌法』一卷》
 
 
2005年8月30日(火)晴れ夜雨。東京→世田谷(駒沢)
形儀(ギヤウギ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

行儀(ギ)〔元亀二年本283十〕

行儀(キヤウキ)〔静嘉堂本325四〕

とあって、標記語「行儀」の語を以て収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「形儀」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「ギヤウギ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「形儀」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「形儀」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

形儀(ギヤウケイ・カタチ、ヨソヲイ)[平・○] ――進退。〔態藝門852四〕

とあって、標記語「形儀」の語を収載し、語注記に「行儀進退」と四字熟語を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、標記語「形儀」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

行道(ギヤウダウ) ―儀(ギ)。―法(ボフ)。―證(シヨウ)。―水(ズイ)。―業(ゴフ)。―幸(ガウ)。―歩(ブ)。―力(リキ)。―用(ヨウ)。―状(ジヤウ)〔言辞門190五・天理図書館蔵下28オ五〕

とあって、標記語「行道」熟語群として「行儀」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』のみに標記語「形儀」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

723睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作辛苦 疲気也。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

とあって、標記語「形儀」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

行儀(ギ)散動(サンドウ)食物(シヨクブツ)飽滿(バウマン)ハ。荒(アラ)ク。ハタラキテ身ヲ狂(クル)ハせテ血(チ)ヲ乱(ミタ)ス事第一ノ毒也。〔下38オ七・八〕

とあって、標記語「行儀」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)行儀散動行儀ハ身のふるまい也。散ハちる。動ハうこくと訓す。気血(きけつ)のくるふほと大に骨折(ほねおり)つかるゝをいふなり。 〔96オ三・四〕

とあって、この標記語「行儀」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲行儀散動ハ身(ミ)の立居(たちゐ)ふるまひをあらくする也。〔71オ五、71ウ四〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲行儀散動ハ身(ミ)の立居(たちゐ)ふるまひをあらくする也。〔127ウ六、128ウ三〕

とあって、標記語「行儀」の語をもって収載し、その語注記は、「行儀散動は、身(ミ)の立居(たちゐ)ふるまひをあらくするなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Guio<gui.ギャウギ(行儀) 生活のしかた,あるいは,所行.例,Guio<guino tadaxij,l,yoi fito.(行儀の正しい,または,良い人)正しい有徳の人,または行状のよい人.→Aratame,uru.〔邦訳301l〕

とあって、標記語「形儀」の語の意味は「生活のしかた,あるいは,所行」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぎャう-〔名〕【行儀】行跡の威儀。起居(たちゐ)、動作(ふるまひ)の作法。史記、張湯傳「甲所以責行義過失、亦有烈士風庭訓往來、十一月「行儀散動、云云、所作辛苦、云云、皆以、禁忌之事候」〔491-5〕 ※江戸期以降の古版庭訓徃来註』以下の『庭訓往來』本文資料に依拠しているため、「行儀」の語を以て収載する。

標記語「ぎャう-行儀】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぎょう-形儀】〔名〕@行為や動作の作法。たちいふるまいの規則。mたは行事の儀式。A行為。行状。仕業(しわざ)。B(形動)手本とすべき姿、形。また則(のり)とすべき行為をすること。また、そのさま。C(―する)制裁を加えること」とあって、@の用例として『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一 或友上下興遊雑人、或加酒宴狂酔之濫倫、現無窮之異躰、以放埓之形儀、不論書夜、不可往反寺中院外事、《『東大寺百合文書・へ』応永七(1400)年九月日の条、104・3/1》
 
 
2005年8月29日(月)晴れ。東京→
昏沈(コンチン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、標記語「昏沈」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「昏沈」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「コンチン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「昏沈」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「昏沈」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「昏沈」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

723睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作辛苦 疲気也。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

とあって、標記語「昏沈」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)トハ。クラキ処ニ入テヒルネヲスル事ワルシ。〔下38オ七〕

とあって、標記語「昏沈」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)睡眠昏沈睡眠ハ皆ねむる。昏ハくらし。沈ハしつむと訓す。心うと/\する程あくまてねむるを云なり 〔96オ二・三〕

とあって、この標記語「昏沈」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲睡眠昏沈ハねふ(ム)り過(すご)して気(き)(くら)ミうつとりなるをいふ。〔71オ五、71ウ三・四〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲睡眠昏沈ハねふり過(すご)して気(き)(くら)ミうつとりなるをいふ。〔127ウ五、128ウ二・三〕

とあって、標記語「昏沈」の語をもって収載し、その語注記は、「睡眠昏沈は、ねふり過(すご)して気(き)(くら)みうつとりなるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「昏沈」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』に、標記語「昏沈」の語は未収載にする。現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「こん-じん昏沈】〔名〕仏語。身心を沈みこませ、積極的な活動をさせなくする心のはたらき。法相二卷抄(1242か)上「?沈と者(は)、しずみほれたる心なり。掉挙は、うごきさわぎする心なり」*雑談集(1305)四・養性事「坐禅の時、若(もし)昏沈(コンチン)厚重ならば、起(た)て行道し*遠羅天釜(1747)答鍋島攝州侯近侍書「総じて参学は妄念情量と戦ひ、昏沈・睡魔と戦ひ」」の語を収載する。『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
放之自然、體無去住、任性合道、逍遙絶惱、繋念乖眞、昏沈不好、不好勞、何用疎親、欲趣一乘、勿惡六塵、六塵不惡、還同正覺、智者無爲《訓み下し》之を放てば自然なり、體に去住無し、性に任ずれば道に合う、逍遙として惱を絶す、繋念は眞に乖く、昏沈は不好なり、不好なればを勞す、何ぞ疎親することを用いん、一乘に趣かんと欲せば、六塵を惡むこと勿れ、六塵惡まざれば、還て正覺に同じ、智者は無爲なり、《三祖鑑智禅師(?〜606)『信心銘』の条》
 
 
2005年8月28日(日)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
睡眠(スイメン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

×〔元亀二年本は脱落語〕

睡眠(スイメン)〔静嘉堂本439七〕

とあって、標記語「睡眠」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「睡眠」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「スイメン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「睡眠」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「睡眠」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

睡眠(スイメンネムル、ネムル)[去・平] 。〔態藝門1128四〕

とあって、標記語「睡眠」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

睡眠(スイメン) ・言語進退門271六〕

睡眠(スイメン)(チウ)。〔・言語門231七〕

睡眠(スイミン) ―中。〔・言語門217六〕

とあって、標記語「睡眠」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

醉眠(スイメン) ―狂(キヤウ)。―吟(キン)〔言語門241二・天理図書館蔵下53ウ二〕

とあって、標記語「醉眠」の語という同音異語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「睡眠」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

723睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作辛苦 疲気也。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

とあって、標記語「睡眠」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)トハ。クラキ処ニ入テヒルネヲスル事ワルシ。〔下38オ七〕

とあって、標記語「睡眠」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

睡眠(すゐめん)の昏沈(こんちん)睡眠昏沈睡眠ハ皆ねむる。昏ハくらし。沈ハしつむと訓す。心うと/\する程あくまてねむるを云なり。 〔96オ二・三〕

とあって、この標記語「睡眠」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲睡眠昏沈ハねふ(ム)り過(すご)して気(き)(くら)ミうつとりなるをいふ。〔71オ五、71ウ三・四〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲睡眠昏沈ハねふり過(すご)して気(き)(くら)ミうつとりなるをいふ。〔127ウ五、128ウ二・三〕

とあって、標記語「睡眠」の語をもって収載し、その語注記は、「睡眠昏沈は、ねふり過(すご)して気(き)(くら)みうつとりなるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Suimen.スイメン(睡眠) Nemuri,u.(眠り,る)眠ること.例,Suimen suru.(睡眠する)〔邦訳585r〕

とあって、標記語「睡眠」の語の意味は「Nemuri,u.(眠り,る)眠ること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すゐ-めん〔名〕【睡眠】すゐみん(睡眠)に同じ。古今著聞集、二、釋教、大原良忍上人「日夜不斷に稱念して、いまだ睡眠(スヰメン)せず」謡曲、三井寺「少し睡眠(スヰメン)の中に、顯著(あらた)なる靈夢を蒙りて候ふは、如何(いかに)」〔3-945-1〕

標記語「すゐ-めん睡眠】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「すい-めん睡眠】〔名〕(「めん」は「眠」の呉音)「すいみん(睡眠)@」に同じ」とあって、『庭訓徃來』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
(裏書)「従去夜頗重気御也、夜半許告傍人云、不断念佛声我已聞、人々聞哉、如何、看病人々已不聞此声、是往生之相歟、十三日卯時許御身更無苦痛気、手持随求陀羅尼、口唱念佛取五色糸如睡眠入滅給了、定知決定往生之人歟 《『中右記』康和五(1103)年三月十三日の条、5/43・68-0》
 
 
2005年8月27日(土)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
醉酊(スイテイ)」→ことばの溜め池「酩酊」(1999.09.20)を参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、「醉狂(スイキヤウ)。酔中(チウ)」の二語を収載するだけで、標記語「醉酊」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本は「醉酊」、建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は、「酩酊」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「メイテイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「醉酊」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「醉酊」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「醉酊」の語は未収載にあって、同じく上記古写本四本の『庭訓徃來』及び下記真字本も未収載しているのである。その意味でも至徳三年本・宝徳三年本「醉酊」の語は特殊なものといえよう。
 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

722濁酒酩酊 江南在有虫。似熟柿鼻目。人酔則似故云ナリ。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

※「酩酊ハ古人云燕宴是沈毒人間卆晢時多」〔国会図書館藏左貫註頭冠書込〕

とあって、標記語「酩酊」の語を収載し、この語における語注記は上記の如く記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ヲヨソ)(バウ)過度(クハド)濁酒(タク )酩酊(メイテイ)ハ。嫌(キラ)ヒ物ノ事房内(ハウナイ)ノ過度(クハト)トハ日夜ノ女グルイ。房内(バウナイ)ハ女ノ惣名(ソウミヤウ)。過度(クハト)ハ。タビヲ過(スコ)ストヨメリ。此本ノ注ヲ以テ外別ノ事ヲ書付候房内(バウナイ)ト云ル文字ノ心少シキモナシ。〔下38オ四〜六〕

とあって、標記語「酩酊」の語を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)濁酒酩酊酩酊ハ大に酒に酔(ゑい)たる事也。 〔96オ一・二〕

とあって、この標記語「酩酊」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲濁酒酩酊、濁酒ハ麁酒(あらきさけ)をいふなれど爰(こゝ)にハたゞ酒にいたく醉(ゑ)ふをいふ。〔71オ五、71ウ三〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲濁酒酩酊、濁酒ハ麁酒(あらきさけ)をいふなれど爰(こゝ)にハたゞ酒にいたく醉(ゑ)ふをいふ。〔127ウ五、128ウ二〕

とあって、標記語「酩酊」の語をもって収載し、その語注記は、「濁酒酩酊、濁酒ハ麁酒(あらきさけ)をいふなれど爰(こゝ)にハたゞ酒にいたく醉(ゑ)ふをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「醉酊」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』・『日本国語大辞典』第二版には、標記語「すい-てい醉酊】」の語は未収載にする。依って『庭訓徃來』のこの語用例は未記載となる。
[ことばの実際]
 
 
2005年8月26日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
濁酒(ダクシユ・ヂヨクシユ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

(シユ)〔元亀二年本68六〕

濁酒〔静嘉堂本81一〕

濁酒(シユ)〔天正十七年本上40ウ五〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「濁酒」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「濁酒」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「タク(シユ)」、文明四年本に「チヨクシユ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「濁酒」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「濁酒」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

濁酒(ヂヨクシユ) ・食物門50二〕〔・食物門52五〕

濁酒(チヨクシユ) 。〔・食物門47七〕〔・食物門56七〕

とあって、標記語「濁酒」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

濁酒(ヂヨクシユ) 悪酒〔食服門50四・天理図書館蔵上25ウ四〕

とあって、標記語「濁酒」の語を収載し、語注記に「悪酒」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』に標記語「濁酒」の語を収載し、いずれも「チ」部で「ヂヨクシユ」と訓読する。これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

722濁酒酩酊 江南在有虫。似熟柿鼻目。人酔則似彼故云ナリ。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

とあって、標記語「濁酒」の語を収載し、この「濁酒酩酊」の語における語注記は「江南に在りて虫有り。熟柿に似て鼻目无く彼を泥と名づく。人酔ふて則ち彼に似たる故に云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ヲヨソ)(バウ)過度(クハド)濁酒(タク )酩酊(メイテイ)ハ。嫌(キラ)ヒ物ノ事房内(ハウナイ)ノ過度(クハト)トハ日夜ノ女グルイ。房内(バウナイ)ハ女ノ惣名(ソウミヤウ)。過度(クハト)ハ。タビヲ過(スコ)ストヨメリ。此本ノ注ヲ以テ外別ノ事ヲ書付候房内(バウナイ)ト云ル文字ノ心少シキモナシ。〔下38オ四〜六〕

とあって、標記語「濁酒」の語を収載し、上記の如く語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)濁酒酩酊酩酊ハ大に酒に酔(ゑい)たる事也。 〔96オ一・二〕

とあって、この標記語「濁酒」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲房内過度は男女(なんによ)の交合(まじハり)を過(すご)す也。〔71オ五、71ウ三〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)形儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲房内過度は男女(なんによ)の交合(まじハり)を過(すご)す也。〔127ウ五、128ウ一・二〕

とあって、標記語「濁酒」の語をもって収載し、その語注記は、「房内過度は、男女(なんによ)の交合(まじハり)を過(すご)すなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Giocuxu.ヂョクシュ(濁酒) Nigori saqe.(濁り酒)日本酒の一種で,白く濁った酒.〔邦訳318r〕

とあって、標記語「濁酒」の語の意味は「Nigori saqe.(濁り酒)日本酒の一種で,白く濁った酒」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

だく-しゅ〔名〕【濁酒】〔清酒に對す〕にごりざけ。どぶろく。白馬。耶律楚材詩「清茶佳果餞行路、遠勝濁酒駝蹄」〔1206-4〕

とあって、標記語「だく-しゅ濁酒】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「だく-しゅ濁酒】〔名〕にごりざけ。日本酒の一種で、製造原料は清酒と同じであるが、漉(こ)さないので白くにごっている。どぶろく。《季・秋》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
今有一片枯魚。數舛濁酒。諸賢並集。唯少公。故遣走。即希従就。停盃引望。勿遲々。《正倉院北倉藏『杜家立成雜書要略』07喚知故飲書》
所々申次事、兼能々相語了、刻限又相触了、対一樽之濁酒、忘憂了、入夜結構連哥、臨暁更休息了 《『民経記』天福元(1233)年二月十二日の条、6/24・42-0 》
 
 
2005年8月25日(木)雨→薄曇り。東京→京都
過度(クヮド)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「過怠(クワタイ)。過貸(同)。…。過當(タウ)。過分(ブン)。過言(ゴン)。過書(シヨ)。過上(シヤウ)。過去(コ)」の八語を収載し、標記語「過度」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「過度」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(クワ)ト」、文明四年本に「クワド」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「過度」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

過度(クワド) 〔言辭門149五〕

とあって、標記語「過度」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

過度(クワド・ノリスギル、タビ)[去・去入] 。〔態藝門537八〕

とあって、標記語「過度」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

過度(クワド) ・言語進退門161六〕

過度(クハト) 二義用之。〔・言語門132八〕

過度(クハト) 二之義用之。〔・言語門121九〕

過度(クハト) 二之義用之。〔・言語門148三〕

とあって、標記語「過度」の語を収載し、語注記に「二の義にこれを用ゆ」と記載する。また、易林本節用集』に、

過當(クワタウ) ―現(ゲン)。―書(シヨ)。―伴(ハン)。―失(シツ)。―上(シヤウ)。―錢(せン)。―分(ブン)。―怠(タイ)。―去(コ)。―料(レウ)〔言辭門133四・天理図書館蔵上67オ四〕

とあって、標記語「過度」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「過度」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

721無指衰病凡房内過度 夫婦之和合也。〔謙堂文庫蔵六二右@〕

とあって、標記語「過度」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ヲヨソ)(バウ)過度(クハド)濁酒(タク )酩酊(メイテイ)ハ。嫌(キラ)ヒ物ノ事房内(ハウナイ)ノ過度(クハト)トハ日夜ノ女グルイ。房内(バウナイ)ハ女ノ惣名(ソウミヤウ)。過度(クハト)ハ。タビヲ過(スコ)ストヨメリ。此本ノ注ヲ以テ外別ノ事ヲ書付候房内(バウナイ)ト云ル文字ノ心少シキモナシ。〔下38オ四〜六〕

とあって、標記語「過度」の語を収載し、上記の如く「房内の過度」として語注記を記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)房内過度此句より下ハ禁物をいふ。房ハ婦人(ふじん)の居(お)る部屋(へや)也。過度ハ分(ぶん)に過たる也。男女交接(かうせつ)の節(せつ)に過るを云也。 〔95ウ八〜96オ一〕

とあって、この標記語「過度」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲房内過度は男女(なんによ)の交合(まじハり)を過(すご)す也。〔71オ五、71ウ三〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)形儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲房内過度は男女(なんによ)の交合(まじハり)を過(すご)す也。〔127ウ五、128ウ一・二〕

とあって、標記語「過度」の語をもって収載し、その語注記は、「房内過度は、男女(なんによ)の交合(まじハり)を過(すご)すなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Quado.クヮド(過度) 例,Bo<naino quado.(房内の過度)夫婦が,その交わりを頻繁に行うことによって犯すあやまち,あるいは,不節制.〔邦訳516l〕

とあって、標記語「過度」の語の意味は「例,Bo<naino quado.(房内の過度)夫婦が,その交わりを頻繁に行うことによって犯すあやまち,あるいは,不節制」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くヮ-〔名〕【過度】度に過(すご)すこと。程合の、過ぎたること。史記、高祖紀「宮闕壯甚、云云、何治宮室過度也」庭訓往來、十一月「房内過度過度の勉強」〔580-2〕

標記語「くゎ-過度】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-過度】〔名〕@(形動)普通の程度を超えていること。また、そのさま。なみはずれ。A(―する)仏語。生死の海を渡って悟りの彼岸に到ること。度」とあって、@の用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
光{先イ}例或時者尊者被物後取馬綱、而雖不拝之、掌{牽}而出、而今夜酔気過度、直以退出。《『九暦』天暦七(953)年一月四日の条、1/42・255-0》
 
 
2005年8月24日(水)曇り。東京→世田谷(駒沢)
房内(バウナイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

房内(ナイ)〔元亀二年本28五〕〔静嘉堂本27五〕

房内(ハウナイ)〔天正十七年本上14ウ八〕

とあって、標記語「房内」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・経覺筆本に「」、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・文明四年本には、「房内」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ボウ(ナイ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

房内 云開中也/ハウナイ〔黒川本・畳字門上26オ四〕

房室過度〔黒川本・畳字門上27オ八〕

房室 〃内〔卷第一・畳字門215三〕

とあって、標記語「房内」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「房内」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

房内(バウナイフサ・ネヤ、ダイ)[平・去] 。〔態藝門70一〕

とあって、標記語「房内」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

房内(ナイ) ・言語進退門26三〕

房内(バウナイ) 。〔・言語門22八〕

房室(バウシツ) ―内。〔・言語門20三〕

とあって、弘治二年本永祿二年本に標記語「房内」の語を収載する。また、易林本節用集』に標記語「房内」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「房内」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

721無指衰病房内過度 夫婦之和合也。〔謙堂文庫蔵六二右@〕

(サせル)(ツイエ)房内過度 夫婦之和合也。〔天理図書館蔵『庭訓往來註』〕として、「房内」の語は未記載とする。

とあって、標記語「房内」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ヲヨソ)(バウ)過度(クハド)濁酒(タク )酩酊(メイテイ)ハ。嫌(キラ)ヒ物ノ事房内(ハウナイ)ノ過度(クハト)トハ日夜ノ女グルイ。房内(バウナイ)ハ女ノ惣名(ソウミヤウ)。過度(クハト)ハ。タビヲ過(スコ)ストヨメリ。此本ノ注ヲ以テ外別ノ事ヲ書付候房内(バウナイ)ト云ル文字ノ心少シキモナシ。〔下38オ四〜六〕

とあって、標記語「房内」の語を収載し、語注記に「房内(バウナイ)は女の惣名(ソウミヤウ)」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くわど)房内過度此句より下ハ禁物をいふ。房ハ婦人(ふじん)の居(お)る部屋(へや)也。過度ハ分(ぶん)に過たる也。男女交接(かうせつ)の節(せつ)に過るを云也。 〔95ウ八〜96オ一〕

とあって、この標記語「房内」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲房内過度は男女(なんによ)の交合(まじハり)を過(すご)す也。〔71オ五、71ウ三〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)形儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲房内過度は男女(なんによ)の交合(まじハり)を過(すご)す也。〔127ウ五、128ウ一・二〕

とあって、標記語「房内」の語をもって収載し、その語注記は、「房内過度は、男女(なんによ)の交合(まじハり)を過(すご)すなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Bo<nai.バウナイ(房内) Tcubonenouchi.(つぼねの内)ある人の家や私室の内.→Quado.〔邦訳60r〕

とあって、標記語「房内」の語の意味は「Tcubonenouchi.(つぼねの内)ある人の家や私室の内」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ばう-ない房内】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぼう-ない房内】〔名〕@部屋のうち。室内。令義解(868)賦役・仕丁條「跡云。女丁充助丁事。不見文。但免房内雑?」*日葡辞書(1603-04)「Bo<nai(バウナイ)。ツボネノ ウチ<訳>屋内、あるいはある人の私室」西国立志編(1870-71)<中村正直訳>五・三四「房内に入りて遠鏡を持し、又還て笛を弄す」*漢書-郊祀志・下「夏有芝生甘泉殿房内A閨房(けいぼう)のうち。また、そこでのいとなみ。房事。江談抄(1111頃)三「与御休所房内之事」*貴嶺問答(1185-90頃)「又有男子。生年十二歳云々。父生頻勧房内之術B受刑者を入れる監房の内。三とせの春は過ぎやすし(1973)<杉浦明平>六「ヤスリも棒も房内のどこかに隠してあって」C女陰の内部のことか。色葉字類抄(1177-81)「房内 云開中也 ハウナイ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年8月23日(火)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
衰病(すいびやう)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、「衰弊(スイヘイ)。衰微(スイビ)。衰日(スイニチ)コ日事」の三語を収載し、標記語「衰病」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状〔至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本〕に、標記語衰病」の語は未収載にする。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「衰病」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・易林本節用集』には、標記語「衰病」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

衰病(ヘイ) ・言語進退門272一〕

とあって、弘治二年本に標記語「衰病(スイヘイ)」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、弘治二年本節用集』に標記語「衰病」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

721無指衰病凡房内過度 夫婦之和合也。〔謙堂文庫蔵六二右@〕

※国会図書館藏左貫註は、「無セル衰病大切也。凡房内過度」と「衰病」の語を収載し、書込注記に「天人五衰也」と記載している。

(サせル)(ツイエ)房内過度 夫婦之和合也。〔天理図書館蔵『庭訓往來註』〕として、「衰病」の語は未記載とする。

とあって、唯一標記語「衰病」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、標記語「衰病」の語は未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)・頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈にも、標記語「衰病」の語は未収載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「衰病」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「すゐ-びゃう衰病】」の語
は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「すい-びゃう衰病】〔名〕体力がおとろえ病気になること。衰弱する病気。田氏家集(892頃)中・自勧閑居「衰病豈無閑退是閑居」*駿台雑話(1732)五・壬士試筆の詞「衰病(スヰビャウ)日に侵して、黄金の術成がたし」*西国立志編(1870-71)<中村正直訳>一〇・五「衰病に由り工事を作すこと能はざるときは」*孟浩然-宴張別駕新齋詩「士元多賞激衰病無能」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年8月22日(月)曇り時々晴れ。東京→世田谷(駒沢)
(させるつゐへ)」→ことばの溜め池「費」(2003.08.17)を参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、「指(サス)」の語は見えるが標記語「指費」の語の「させる」の訓みは未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

五木八草之湯治風爐温泉等無指費〔至徳三年本〕

五木八草之湯治風爐温泉等無指費〔宝徳三年本〕

五木八草之湯治風呂温泉等無〔建部傳内本〕

五木八草之湯治風呂温泉等(サセル)(ツイエ)〔山田俊雄藏本〕

五木八草之(ノ)湯治風爐温泉(テユ)等者无セル(ツイヘ)〔経覺筆本〕

五木八草之(ノ)湯治風-(ロ)温泉(ウンせン)等無(サせル)(ツイヘ)〔文明四年本〕

と見え、建部傳内本は「差費」とし、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本は「指費」と表記し、訓みは経覺筆本に「(さ)せるついへ」、山田俊雄藏本「させるついえ」、文明四年本に「させるついへ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「指費」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「指費」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「せる」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

721無衰病□房内過度 夫婦之和合也。〔謙堂文庫蔵六二右@〕

とあって、標記語「指費」の語を収載し、この語における語注記は「温泉は秦の始皇、天女、古の事なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

五木八草之(ノ)湯治風爐温泉(テユ)等者无セル(ツイヘ)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「指費」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さ)せる費(つゐへ)(なく)セル(ツイヘ)さしたる物入もなしと也。 〔95ウ六・七〕

とあって、この標記語「指費」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

五木(ごもく)八草(はつさう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)温泉(おんせん)(とう)(させる)(つひえ)(なく)(さふら)五木八草之湯治風呂温泉等セル(ツイヘ)▲。〔71オ三、71オ四〕

五木(ごもく)八草(はつさう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)温泉(おんせん)(とう)(なく)(させる)(つひえ)(さふらふ)▲。〔127ウ二、127ウ四・五〕

とあって、標記語「指費」の語をもって収載し、その語注記は、「」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

させる〔連体〕【】〔指せりの連體形、指すの完了なり〕(一)さしたるの(一)に同じ。和泉式部集、二「我れもさぞ、思ひやりつる、夜もすがら、させるつまなき、宿は如何にと」(二)さしたるの(二)に同じ。させる才學は無けれども、コ望ある人なり」〔808-2〕

とあって、標記語「させる】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「させ-】〔連体〕(動詞「指す」の命令形に完了の助動詞「り」の連体形の付いた「指せる」が連体詞化したもの)@(下に打消の語をともなって)特にこれというほどの。これといった。たいした。さしたる。A特にこれと定めた。特にこれこれの。[語誌](1)平安時代には、歌合の判詞や公家の日記に例を多数見る。例外として、@の挙例「源氏-若菜上」があるが、これは、男性である明石入道の手紙の中で用いられている。中世以降「させる」は「さしたる」へと語形が交代していく。(2)「小右記」−永観二年(984)一二月一日」の「無指所職、雖堪責為之如可」「御堂関白記-寛弘七年(1010)八月二一日」の「無指誤」など古記録などに見られる「指」は「させる」とも「さしたる」とも読め、定めがたい」とあって、@の用例として『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今兩人、雖非大名、久經者、故左典厩御時、殊有功《訓み下し》今ノ両人、指セル大名ニ非ズト雖モ、久経ハ、故左典厩ノ御時、殊ニ功有リ。《『吾妻鏡』元暦二年二月五日の条》
 
 
2005年8月21日(日)晴れ。東京
温泉(ヲンセン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、

温泉(せン)〔元亀二年本181三〕〔静嘉堂本203一〕〔天正十七年本中30ウ七〕

とあって、標記語「温泉」の語を収載し、訓みは「(ウン)セン」と記載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

五木八草之湯治風爐温泉等無指費〔至徳三年本〕

五木八草之湯治風爐温泉等無指費〔宝徳三年本〕

五木八草之湯治風呂温泉等無差費〔建部傳内本〕

五木八草之湯治風呂温泉(サセル)(ツイエ)〔山田俊雄藏本〕

五木八草之(ノ)湯治風爐温泉(テユ)等者无セル(ツイヘ)〔経覺筆本〕

五木八草之(ノ)湯治風-(ロ)温泉(ウンせン)等無(サせル)(ツイヘ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「温泉」と表記し、訓みは経覺筆本に「でゆ」、文明四年本に「ウンセン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「温泉」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・易林本節用集』には、標記語「温泉」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

伊豫豫э\四郡 温泉(せン) ・日本六十余州名数・南海道六ケ國295四〕

とあって、弘治二年本に標記語「伊豫」の郡名である「温泉」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』に標記語「温泉」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

720之湯治風呂温泉等者 風呂相國寺也。温泉秦始皇、天女古事也。〔謙堂文庫蔵六一左H〕

とあって、標記語「温泉」の語を収載し、この語における語注記は「温泉は秦の始皇、天女、古の事なり」と記載する。そして、この注記内容は古辞書には見えていない。

 古版庭訓徃来註』では、

五木八草之(ノ)湯治風爐温泉(テユ)等者无セル(ツイヘ)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「温泉」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

温泉(おんせん)(とう)温泉山より自然(しぜん)にわき出る湯なり。諸國あるといへとも攝州(せつしう)の有馬山(ありまやま)、和(わ)州の十津川(とつかわ)、上(じやう)州の伊香保(いかほ)、相(さう)州の熱海(あたミ)、信(しん)州の草津(くさつ)、餘(よ)рフ道後(たうご)を名勝(めいしよう)とす。多(おほく)ハ硫黄(いわう)の薬あり。有馬の湯にハ塩(しほ)の気あり。 〔95ウ六・七〕

とあって、この標記語「温泉」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

五木(ごもく)八草(はつさう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)温泉(おんせん)(とう)ハ指(させる)(つひえ)(なく)(さふら)五木八草之湯治風呂温泉セル(ツイヘ)▲温泉ハ地(ち)よりおのづから涌出(わきいづ)る湯(ゆ)也。攝州(つのくに)有馬(ありま)の湯餘州(よしう)道後(だうご)の湯等乃類なり。〔71オ三、71オ四〕

五木(ごもく)八草(はつさう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)温泉(おんせん)(とう)(なく)(させる)(つひえ)(さふらふ)▲温泉ハ地(ち)よりおのづから涌出(わきいづ)る湯(ゆ)也。攝州(つのくに)有馬(ありま)の湯(ゆ)餘州(よしう)道後(だうご)の湯(ゆ)等乃類(るゐ)なり。〔127ウ二、127ウ四・五〕

とあって、標記語「温泉」の語をもって収載し、その語注記は、「温泉は、地(ち)よりおのづから涌出(わきいづ)る湯(ゆ)なり。攝州(つのくに)有馬(ありま)の湯(ゆ)餘州(よしう)道後(だうご)の湯(ゆ)等の類(るゐ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vonxen.ヲンセン(温泉) Atatacana izzumi.(温かな泉)入浴場,または,温泉.〔邦訳715r〕

とあって、標記語「温泉」の語の意味は「Atatacana izzumi.(温かな泉)入浴場,または,温泉」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

をん-せん〔名〕【温泉】古言、ゆ。いでゆ。泉の熱氣あるもの。諸國に涌出す。多少鐵物の氣あれば、其質に因りて、人、常に浴して、病を醫す。晉書、紀瞻傳「今有温泉、而無寒火、其故何也」天武紀、下、十三年十月「大地震、云云、伊豫温泉没而不出」〔2208-5〕

標記語「をん-せん温泉】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おん-せん温泉】[一]〔名〕自然に湧出し、または人工的に汲み出したとき、その地域の平均気温よりも高い水温をもつ地下水。わが国では、火山地域の高い地熱によって地下水があたためられたものと考えられる場合が多い。場所によって年平均気温が異なるため、わが国では摂氏二五度以上と決められている。また、その湯に入浴する施設のあるところ。いでゆ。温泉場。温湯(おんとう)。[二]愛媛県の北部の郡。高縄半島基部と忽那(くつな)諸島を占める。かつては松山市、北条市も郡域に含まれていた」とあって、@の用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
謹言從地出謂之温泉未知其由來《應永十一年書冩本『東山徃來拾遺』の条28オ一》
温泉以味可別若熱シテ熱苦地獄分。《應永十一年書冩本『東山徃來拾遺』の条28ウ二》
 
 
風呂・風爐(フロ)」ことばの溜め池(2000.10.01)を参照。
《補遺》明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【風呂風爐】〔湯室(ゆむろ)の略轉、又、一説に、むろの轉、土窟、石窟の義と(新村出の説)〕(一)浴(ゆあみ)する湯を沸かす槽(ふね)。ゆぶね。浴槽。(二)湯殿。風呂場。今物語「板風呂と云ふものをして、人人入りけるに、云云、風呂の前に脇戸のありけるに、風呂と心得て」海人藻芥(應永)、上「於湯屋風呂進退事、云云、入風呂時可戸二三度、是禮也、於湯屋雜談、不然事也」下學集、上、家屋門「風呂、湯殿也、日本之俗、呂作爐、大誤、又曰、爐火器也、風呂温室義同也」愚記(宣胤卿記)文明十二年三月廿五日「參一條殿入風呂守武千句(慶安)「風呂に人、いりては垢を、かきつばた」(三)湯屋。風呂屋。(四)塗師の、漆器を乾かすために、入れおく穴藏。即ち、(むろ)の内にて、箱(とこ)の内に水を注ぐ、其状、風呂の如くなればふろと云へど、實はむろの轉なるべし。今、箱の中に納れて乾かす。これ塗師(ぬし)の床(とこ)なり。(五)室町時代には饗應。(下の出典を見よ)俗語考(橘守部)「貞彌の日記(世に花營三代記と云ふ)、春日亭へ風呂御成といふ事、年年あり、云云、案に、此ごろは、風俗に、人をまねきて、燕樂する事を風呂と稱したるものなり、又東國紀行に、湯風呂、石風呂よなど、ねんごろに人をもてなす、云云、なども皆おなじ、こは、湯にいれてのちに、酒宴などする業よりいへるなるべし」〔3-255-1・2〕

標記語「-風呂】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-風呂】〔名〕@入浴のための場所。湯殿。浴室。江戸時代初期までは蒸風呂形式のものであったのが、のち浴槽をもつ戸棚風呂や水風呂も生まれ、さらに中期には柘榴口(ざくろぐち)をつけた風呂が一般化した。のちには蒸風呂形式はすたれ、現在のように浴槽で入浴する風習となった。A客を招いて風呂を馳走すること。また、その時の酒宴。B風呂屋。C塗りあげた漆器をかわかすための穴蔵。D鍬(くわ)や鋤(すき)などの柄の先端と金具の間の木製の部分。E「ふろやもの(風呂屋者)」の略。F刑務所・留置場をいう、犯罪者仲間の隠語。〔隠語輯覧(1915)〕G→ふろ(風炉)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
 
八草(ハツサウ)」→ことばの溜め池(2000.07.13)を参照。
《補遺》 江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

五木(ごぼく)八草(はつそう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)五木八草之湯治風呂五木ハ桑(くハ)(ゑんじゆ)(もゝ)(かぢ)(やなぎ)也。八草ハ蓬(よもき)石菖(せきしやう)牛膝(ごしつ)車前草(しやせんそう)繁?(はこへ)蓮葉(はすのは)薔薇(しやうひ)ばべん草也。五木八草の薬湯(くすりゆ)を風呂にわかして浴(あび)るなり等。 〔95ウ四・五、95ウ五・六〕

とあって、この標記語「八草」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

五木(ごもく)八草(はつさう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)温泉(おんせん)(とう)ハ指(させる)(つひえ)(なく)(さふら)五木八草之湯治風呂温泉等セル(ツイヘ)▲八草ハ菖蒲(しやうぶ)艾葉(よもき)車前(おほばこ)荷葉(はすのは)蒼耳(をなもミ)忍冬(すいかつら)馬鞭(うまづら)?(はこべ)をいふ。〔71オ二、71オ三・四〕

五木(ごもく)八草(はつさう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)温泉(おんせん)(とう)(なく)(させる)(つひえ)(さふらふ)▲八草ハ菖蒲(しやうぶ)艾葉(よもき)車前(おほばこ)荷葉(はすのは)蒼耳(をなもミ)忍冬(すいかつら)馬鞭(うまづら)?(はこべ)をいふ。〔127ウ二、127ウ三・四〕

とあって、標記語「八草」の語をもって収載し、その語注記は、「八草は、菖蒲(しやうぶ)艾葉(よもき)車前(おほばこ)荷葉(はすのは)蒼耳(をなもミ)忍冬(すいかつら)馬鞭(うまづら)?(はこべ)をいふ」と記載する。
 明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「はッ-さう八草】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はち-そう八草】〔名〕八種の薬草。一般に菖蒲(しょうぶ)・艾(よもぎ)・大葉子(おおばこ)・蓮(はす)・耳(おなもみ)・忍冬(にんどう)・熊(くまつづら)・繁縷(はこべ)をいうが異説もある。庭訓往来(1394-1428頃)「五木・八草之湯治」運歩色葉集(1548)「八草 菖蒲・蓬・胡麻・?・羊負木・結柄・芥子・荷葉・又者、荷葉・枸杞・菖蒲・白朮・芍薬・石菖・車前草」譬喩尽(1786)一「八艸(ハッサウ)五木八草薬湯浴治病是也。下可見合八草菖蒲・艾葉・荷葉・蒼耳・忍冬・馬鞭草・?以上八也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
 
 
2005年8月20日(土)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
五木(ゴモク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

五木(モク) 梅。桃。柳。桑。杉。又除杉入合歓木。〔元亀二年本239十〕

五木(モク) 梅。柳。桃。桑。杉。又杉入ルヽ合歓木〔静嘉堂本276六〕

五木 梅。桃。柳。桑。杉。又除杉入合歓木。〔天正十七年本中67ウ五〕

とあって、標記語「五木」の語を収載し、語注記に「梅・柳・桃・桑・杉。又は、杉を除き合歓木を入るる」と記載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

五木八草之湯治風爐温泉等無指費〔至徳三年本〕

五木八草之湯治風爐温泉等無指費〔宝徳三年本〕

五木八草之湯治風呂温泉等無差費〔建部傳内本〕

五木八草之湯治風呂温泉等(サセル)(ツイエ)〔山田俊雄藏本〕

五木八草之(ノ)湯治風爐温泉(テユ)等者无セル(ツイヘ)〔経覺筆本〕

五木八草之(ノ)湯治風-(ロ)温泉(ウンせン)等無(サせル)(ツイヘ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「五木」と表記する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「五木」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「五木」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「五木」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

718大薬秘薬者斟酌之亊候和薬者可参也五木 梅桃柳桑杉也。師説歡木也。〔謙堂文庫蔵六一左F〕

とあって、標記語「五木」の語を収載し、この語における語注記は「梅・桃・柳・桑・杉なり。師説に杉を除き歡木を入被るなり」と記載し、上記『運歩色葉集』の語注記と共通する。但し、「師説」にという典拠記載が『運歩色葉集』には未記載となっている点が異なっている。

 古版庭訓徃来註』では、

五木八草之(ノ)湯治風爐温泉(テユ)等者无セル(ツイヘ)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「五木」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

五木(ごぼく)八草(はつそう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)五木八草之湯治風呂五木ハ桑(くハ)(ゑんじゆ)(もゝ)(かぢ)(やなぎ)也。八草ハ蓬(よもき)石菖(せきしやう)牛膝(ごしつ)車前草(しやせんそう)繁?(はこへ)蓮葉(はすのは)薔薇(しやうひ)ばべん草也。五木八草の薬湯(くすりゆ)を風呂にわかして浴(あび)るなり等。 〔95ウ四・五、95ウ五・六〕

とあって、この標記語「五木」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

五木(ごもく)八草(はつさう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)温泉(おんせん)(とう)ハ指(させる)(つひえ)(なく)(さふら)五木八草之湯治風呂温泉等セル(ツイヘ)▲五木ハ桑(くハ)(ゑんじゆ)(かぢ)(にれ)(やなぎ)也。又桑(くハ)(ゑんじゆ)(きり)(あふち)(ほう)をもいふ。〔71オ二、71オ三〕

五木(ごもく)八草(はつさう)(の)湯治(たうぢ)風呂(ふろ)温泉(おんせん)(とう)(なく)(させる)(つひえ)(さふらふ)▲五木ハ桑(くハ)(えんじゆ)(かぢ)(にれ)(やなぎ)也。又桑(くハ)(えんじゆ)(きり)(あふち)(ほう)をもいふ。〔127ウ二、127ウ三〕

とあって、標記語「五木」の語をもって収載し、その語注記は、「五木は、桑(くハ)・槐(えんじゆ)・楮(かぢ)・楡(にれ)・柳(やなぎ)なり。また、桑(くハ)・槐(えんじゆ)・桐(きり)・樗(あふち)・朴(ほう)をもいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gomocuyu.ゴモクユ(五木湯) 薬用になる五種類の木で作る,洗滌用,あるいは,内服用の薬湯.〔邦訳307l〕

とあって、標記語「五木湯」の語の意味は「薬用になる五種類の木で作る,洗滌用,あるいは,内服用の薬湯」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ぼく〔名〕【五木】ごもく(五木)の條を見よ。孔子家語五木伐、不於市」〔720-4〕

-もく〔名〕【五木】槐、柳、桃、桑、楮、の稱。倭名抄、十二14藥名類、湯藥「五木湯、煮槐、柳、桃、桑、穀(カヂ)五木、治脚氣」(説文「穀、楮也」)珠嚢隱訣「正月一日、取五木、煎湯以浴、令人至老髪K」(佩文韻府)庭訓徃來、十一月「五木、八草之湯治」和訓栞、後編、ごもく「五木湯と云ふは、桑、槐、桃、楮、柳、なり、云云、和名抄には、煮と云へば、外の湯藥の如く服するにや」(浴するなり)〔739-2〕

標記語「-もく五木】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-もく五木】〔名〕(「もく」は「木」の呉音)@「ごぼく(五木)@」に同じ。A「ごもくゆ(五木湯)」の略」→「-ぼく五木】〔名〕@五種の木。特に江戸時代、領主が伐採を禁じた有用樹(保護樹)。中には七木、九木を禁木に指定した藩もあるが、尾張藩の木曾山では、檜、椹(さわら)、明檜(あすひ)、子(ねずこ)、高野槇(こうやまき)の五木を停止木(ちょうじぼく)として厳しく取締まった。「県令須知」には、桑、槐、楡(にれ)、柳、楮(こうぞ)を五木としているが、これは木性に毒のない樹木を指す。ごもく。A博打(ばくち)も一つ。樗蒲(かりうち)で用いる五子(ごし)。転じて、ばくちをいう」とあって、@の用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
2005年8月19日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
和藥(ワヤク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「和」部に、

倭藥(ヤク)〔元亀二年本87四〕

倭藥〔静嘉堂本107五〕

倭藥(ワヤク)〔天正十七年本上53オ五〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「倭藥」の語を収載し、これは広本節用集』の標記語と共通する。但し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

被用和薬者可令参也〔至徳三年本〕

被用和藥者可令參也〔宝徳三年本〕

被用和薬者可令参也〔建部傳内本〕

和薬者可参也〔山田俊雄藏本〕

レハ和薬者可参也〔経覺筆本〕

レハ和薬(ワヤク)者可(シム)(サン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「和藥」と表記し、訓みは文明四年本に「ワヤク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「和藥」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「和藥の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

倭藥(ワヤクヤマト、クスリ)[平・入] 日本藥也。〔態藝門237一〕

とあって、標記語「和藥」の語を収載し、語注記に「日本の藥なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

和藥(ワヤク) 日本之藥。〔草木門70六

和藥(ワヤク) 日本藥。〔財宝門71五〕〔財宝門65三

和藥(ワヤク) 。〔財寳門77四

とあって、標記語「和藥」の語を収載し、語注記に「日本之藥」&「日本藥」と記載する。また、易林本節用集』に、

和藥(ワヤク) 。〔草木門66四・天理図書館蔵上33ウ四〕

とあって、標記語「和藥」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「和藥」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。但し、広本節用集』及び印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』に見える語注記「日本の薬なり」は未記載にあり、別文献資料からの引用語であることを示唆すべきものであろう。ここで、表記「倭」は「和」に變遷する形態は印度本『節用集』のなかで、両足院本にその異なりが見えている。そして、その注記も省かれているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

718大薬秘薬者斟酌之亊候和薬者可参也五木 梅桃柳桑杉也。師説歡木也。〔謙堂文庫蔵六一左F〕

とあって、標記語「和藥」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可キ∨(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「和藥」の語は未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

和藥(わやく)を用(もち)ひ被ハ和薬和藥ハ日本にて出来(でき)る薬をいふ。 〔95ウ三〕

とあって、この標記語「和藥」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し渡唐(とたう)(の)(ふね)中絶(ちうぜつ)に依(よつ)て藥種(やくしゆ)高直(かうちき)(の)(あいだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(じんしやく)の事(こと)に候(さふら)和藥(わやく)を用(もち)ひら被(れ)(バ)(さん)ぜ令(し)む可(べ)き也(なり)渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌ヒテ和藥者可▲和藥ハ日本(につほん)の地(ち)に産(さん)する薬種(やくしゆ)也。〔70ウ七、71オ二〕

(たゞし)渡唐(とたう)(の)(ふね)(よつて)中絶(ちうせつに)藥種(やくしゆ)高直(かうぢき)(の)(あひだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(しんしやく)(こと)(さふら)(れ)(もち)ひら和藥(わやく)(バ)(へき)(しむ)(さん)(なり)▲和藥ハ日本(につほん)の地(ち)に産(さん)する薬種(やくしゆ)也。〔127オ四、127ウ一〕

とあって、標記語「和藥」の語をもって収載し、その語注記は、「和藥は、日本(につほん)の地(ち)に産(さん)する薬種(やくしゆ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vayacu.ワヤク(和藥) 日本の薬.→To<mot.〔邦訳682l〕

とあって、標記語「和藥」の語の意味は「日本の薬」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-やく〔名〕【和藥】〔漢藥、洋藥に對す〕日本の醫術に用ゐる藥。和製の藥。尺素徃來「硫黄、并甘等之和藥者御所持之閨A云云」〔2173-4〕

とあって、標記語「-やく和藥】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-やく和藥】〔名〕日本で古くから伝えられている薬品。日本製の薬剤。」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
この をん わづらいの びゃぅしゃぅにわ たぅもツも , わやくも もちゆるに たらぬ .《天草版『伊曾保物語』狼と狐の事・467- 09》
 
 
斟酌(シンシャク)は、ことばの溜め池(2000.10.27)を参照。
 
2005年8月18日(木)晴れ。東京→神保町→世田谷(駒沢)
秘藥(ヒヤク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

秘藥(ヤク)〔元亀二年本339九〕

秘藥〔静嘉堂本407五〕

とあって、標記語「秘藥」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

但渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌事候〔至徳三年本〕

但渡唐之船依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔宝徳三年本〕

但渡唐之舩依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌候〔建部傳内本〕

但渡唐(トトウ)舩久中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔山田俊雄藏本〕

渡唐(ト )(ノ)舟依中絶藥種(シユ)高直候之間大藥秘藥(ハ)斟酌(シンシヤク)〔経覺筆本〕

但渡唐(トタウ)舩依中絶(チウせツ)藥種高直(カウチキ)候之間大藥秘藥斟酌之(ノ)事候〔文明四年本〕 ※斟酌(シンシヤク)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「秘藥」と表記し、訓みは文明四年本に「トタウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「秘藥」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「秘藥」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

秘藥(ヒヤクヒソカ・カクス、クスリ)[去・入] 。〔態藝門1039一〕

とあって、標記語「秘藥」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

秘蔵(ヒサウ) ―計(ケイ)。―術(ジユツ)。―亊(ジ)―薬(ヤク)。―密(ミツ)。―法。―曲(キヨク)。〔・言語門218五〕

秘蔵 ―計。―術。―亊。―曲。―薬。―蜜。―法。〔・言語門203七〕

とあって、弘治二年本永祿二年本に標記語「秘蔵」の熟語群として「秘薬」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

秘密 ―計(ケイ)。―要(ヨウ)。―傳(デン)。―術(ジユツ)。―曲(キヨク)。―書(シヨ)。―事(ジ)。―藏(サウ)。〔言辞門226三・天理図書館蔵下46オ三〕

とあって、標記語「秘藥」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・『運歩色葉集』に標記語「秘藥」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

718大薬秘薬者斟酌之亊候和薬者可参也五木 梅桃柳桑杉也。師説歡木也。〔謙堂文庫蔵六一左F〕

とあって、標記語「秘藥」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可キ∨(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「秘藥」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大藥(たいやく)秘藥(ひやく)(ハ)大藥秘藥是ハ貴(たつと)き唐藥(とうやく)を云。 〔95ウ一・二〕

とあって、この標記語「秘藥」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し渡唐(とたう)(の)(ふね)中絶(ちうぜつ)に依(よつ)て藥種(やくしゆ)高直(かうちき)(の)(あいだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(じんしやく)の事(こと)に候(さふら)ふ和藥(わやく)を用(もち)ひら被(れ)(バ)(さん)ぜ令(し)む可(べ)き也(なり)渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌ヒテ和藥者可▲秘薬ハ製方(せいはう)組方(くみはう)に秘事(びじ)ある薬(くすり)をいふ。但(たゞ)し爰(こゝ)ハ唐薬(たうやく)を指(さ)せると見て可(か)なるべし。〔70ウ七、71オ一・二〕

(たゞし)渡唐(とたう)(の)(ふね)(よつて)中絶(ちうせつに)藥種(やくしゆ)高直(かうぢき)(の)(あひだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(しんしやく)(こと)(さふら)(れ)(もち)ひら和藥(わやく)(バ)(へき)(しむ)(さん)(なり)▲秘薬ハ製方(せいはう)組方(くみはう)に秘事(ひじ)ある薬(くすり)をいふ。但(たゞ)し爰(こゝ)ハ唐薬(たうやく)を指(さ)せると見て可(か)なるべし。〔127オ四、127ウ一〕

とあって、標記語「秘藥」の語をもって収載し、その語注記は、「秘薬は、製方(せいはう)組方(くみはう)に秘事(びじ)ある薬(くすり)をいふ。但(たゞ)し爰(こゝ)は、唐薬(たうやく)を指(さ)せると見て可(か)なるべし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fiyacu.ヒヤク(秘藥) すぐに効き目を現わす,非常に貴重な,秘密にしている薬.¶また,ある場合には,微細な少量の薬の意に用いる.〔邦訳253l〕

とあって、標記語「秘藥」の語の意味は「すぐに効き目を現わす、非常に貴重な、秘密にしている薬」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-やく秘藥】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-やく秘藥】〔名〕その処方などを秘密にして知らせない薬。秘法の妙薬。庭訓往来(1394-1428頃)「薬種高直之間、大薬秘薬者、斟酌之事候」師郷記-嘉吉三年(1443)七月一七日「室町殿被茂成朝臣秘薬聊有効験云々」*歌舞伎・名歌徳三舛玉垣(1801)三立「巳の年月日時揃いし女の生血、是に秘薬を混じて用ゆる時は」*水中都市(1952)<安部公房>「私ども家伝の秘薬でこしらえましたアメリカ製の念珠でございます」*韓愈-故太常博士李君墓誌「我得秘薬、不独不一レ死、今遺子一器」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
2005年8月17日(水)晴れ。東京→文京(本郷)
大藥(タイヤク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「大藥」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

但渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌事候〔至徳三年本〕

但渡唐之船依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔宝徳三年本〕

但渡唐之舩依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌候〔建部傳内本〕

但渡唐(トトウ)舩久中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔山田俊雄藏本〕

渡唐(ト )(ノ)舟依中絶藥種(シユ)高直候之間大藥秘藥者(ハ)斟酌(シンシヤク)〔経覺筆本〕

但渡唐(トタウ)舩依中絶(チウせツ)藥種高直(カウチキ)候之間大藥秘藥斟酌之(ノ)事候〔文明四年本〕 ※斟酌(シンシヤク)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「大藥」と表記する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「大藥」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「大藥」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「大藥」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

718大薬秘薬者斟酌之亊候和薬者可参也五木 梅桃柳桑杉也。師説歡木也。〔謙堂文庫蔵六一左F〕

とあって、標記語「大藥」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可キ∨(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「大藥」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大藥(たいやく)秘藥(ひやく)(ハ)大藥秘藥者是ハ貴(たつと)き唐藥(とうやく)を云。 〔95ウ一・二〕

とあって、この標記語「大藥」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し渡唐(とたう)(の)(ふね)中絶(ちうぜつ)に依(よつ)て藥種(やくしゆ)高直(かうちき)(の)(あいだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(じんしやく)の事(こと)に候(さふら)ふ和藥(わやく)を用(もち)ひら被(れ)(バ)(さん)ぜ令(し)む可(べ)き也(なり)渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌ヒテ和藥者可▲大薬未考。〔70ウ七、71オ一〕

(たゞし)渡唐(とたう)(の)(ふね)(よつて)中絶(ちうせつに)藥種(やくしゆ)高直(かうぢき)(の)(あひだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(しんしやく)(こと)(さふら)(れ)(もち)ひら和藥(わやく)(バ)(へき)(しむ)(さん)(なり)▲大薬未考。〔127オ四、127オ六〕

とあって、標記語「大藥」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Taiyacu.タイヤク(大藥) すなわち,Tacai cusuri.(高い薬)高価な,上等の薬.〔邦訳606r〕

とあって、標記語「大藥」の語の意味は「すなわち,Tacai cusuri.(高い薬)高価な,上等の薬」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「たい-やく大藥】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たい-やく大藥】〔名〕(「だいやく」とも)きわめて高価な薬。功能のいちじるしい薬。太平記(14C後)二五・宮方怨霊会六本杉事「そぞろなる御労(いたは)りとて、大薬を合せし医師は皆面目を失て」*庭訓往来(1394-1428頃)「藥種高直之間、大薬、秘薬者、尉酌之事候」*大乗院寺社雑事記-長禄二年(1458)六月七日「願専大薬一裏進之」*日葡辞書(1603-04)「Taiyacu(タイヤク)すなわち、タカイ クスリ」江戸繁昌記(1832-36)初、?芋「玉山の禾(くゎ)、瑤池(えうち)の桃の如くならしめば、人之を以て不死の大薬と為さん」*杜甫-贈李白詩「苦大薬、山林跡如掃」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
薩修行成就儀軌一巻〈不空〉大薬叉女歓喜母并愛子成就法一巻〈不空〉 《『入唐新求聖教目録』承和14年の条4455・8/3348》
 
 
2005年8月16日(火)小雨後晴れ。東京→世田谷(駒沢)
高直(カウヂキ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

高直(チキ)〔元亀二年本91二〕

高直(カウチキ)〔静嘉堂本112五〕

高直(シキ)〔天正十二年本上55ウ二〕

とあって、標記語「高直」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

但渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌事候〔至徳三年本〕

但渡唐之船依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔宝徳三年本〕

但渡唐之舩依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌候〔建部傳内本〕

但渡唐(トトウ)舩久中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔山田俊雄藏本〕

渡唐(ト )(ノ)舟依中絶藥種(シユ)高直候之間大藥秘藥者(ハ)斟酌(シンシヤク)〔経覺筆本〕

但渡唐(トタウ)舩依中絶(チウせツ)藥種高直(カウチキ)候之間大藥秘藥斟酌之(ノ)事候〔文明四年本〕 ※斟酌(シンシヤク)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「高直」と表記し、訓みは文明四年本に「カウチキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

高直 カウチキ/同(資用部)/商賈分〔黒川本・畳字門上89ウ一〕

とあって、三卷本に標記語「高直」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「高直」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

高直(カウヂキタカシ、チヨク・ナヲシ・アタイ)[平・入](シロ)。〔態藝門275五〕

とあって、標記語「高直」の語を収載し、語注記に「代(しろ)」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

高直 代也・言語進退門86七〕

高名(カウミヤウ) ―聞(フン)。―覧(ラン)。―察(サツ)。―声(シヤウ)―直(ヂキ)。―運(ウン)。〔・言語門82五〕

高名(カウミヤウ) ―卑。―家。―下。―聞。―覧。―察。―声。―直。―運。〔・言語門74九〕高名(カウミヤウ) ―聞。―覧。―察。―声。―直。―運。〔・言語門90一〕

とあって、弘治二年本に標記語「高直」の語を収載し、語注記は広本節用集』を継承して「代なり」と記載する。他本は標記語「高名」の熟語群に「高直」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

高直(ヂキ) 言語門77四・天理図書館蔵上39オ四

とあって、標記語「高直」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「高直」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

717但渡唐舩依中絶ニ|藥種高直之間 唐舩昔自日本毎年於太唐-上官物。其官貢使遣唐使。舩進亊貢舩ト、官勘合勅書ヲ|。官物ニハ馬・太刀・扇子也。扇子三本也。書一本ニハ冨士山ヲ|。一本ニハ志賀唐崎一ツ松ヲ|。一本ニハ博多箱崎松原体ヲ。又舟之幕少貮家之幕用也。寄_垣(ヨセ−)ノ之紋也云々。〔謙堂文庫蔵六一左C〕

とあって、標記語「高直」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可キ∨(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「高直」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

藥種(やくしゆ)高直(かうじき)(の)(あいだ)藥種高直之間唐へ便(たよ)りの舟もなきゆへ薬種の來らさるにより払底(ふつてい)にして直段(ねだん)高しと也。 〔95オ八〜95ウ一〕

とあって、この標記語「高直」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し渡唐(とたう)(の)(ふね)中絶(ちうぜつ)に依(よつ)て藥種(やくしゆ)高直(かうちき)(の)(あいだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(じんしやく)の事(こと)に候(さふら)ふ和藥(わやく)を用(もち)ひら被(れ)(バ)(さん)ぜ令(し)む可(べ)き也(なり)渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌ヒテ和藥者可。〔70ウ七〕

(たゞし)渡唐(とたう)(の)(ふね)(よつて)中絶(ちうせつに)藥種(やくしゆ)高直(かうぢき)(の)(あひだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(しんしやく)(こと)(さふら)(れ)(もち)ひら和藥(わやく)(バ)(へき)(しむ)(さん)(なり)〔127オ四〕

とあって、標記語「高直」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Co<giqi.カゥヂキ(高直) 高価.¶Co<giqina coto.(高直な事)費用の多くかかる事,または,高価な事.〔邦訳141r〕

とあって、標記語「高直」の語の意味は「高価」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かう-ぢき〔名〕【高直】〔高直(たかね)の字を音讀したる語〕たかね。直段(ねだん)の、低(やす)からぬこと。高價庭訓徃來、十一月「渡唐之船依中絶藥種高直之閨v〔2-575-4〕

とあって、標記語「かう-ぢき高直】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かう-じき高直】〔名〕@ねだんが高いこと。また、そのさま。たかね。高価。A貴くて得がたいこと。また、そのさま」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
件雜物近年高直過法可下知商人者《訓み下し》件ノ雑物近年高直( ヂキ)ニシテ法ヲ過グ。商人ニ下知スベキ者ナリ。《『吾妻鏡建長五年十月十一日の条》
 
 
2005年8月15日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
薬種(ヤクシユ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、

藥種(シユ)〔元亀二年本201四〕

藥種(ヤクシユ)〔静嘉堂本227五〕

※天正十七年本は此の語を未収載にする。

とあって、標記語「藥種」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

但渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌事候〔至徳三年本〕

但渡唐之船依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔宝徳三年本〕

但渡唐之舩依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌候〔建部傳内本〕

但渡唐(トトウ)舩久中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔山田俊雄藏本〕

渡唐(ト )(ノ)舟依中絶藥種(シユ)高直候之間大藥秘藥者(ハ)斟酌(シンシヤク)〔経覺筆本〕

但渡唐(トタウ)舩依中絶(チウせツ)藥種高直(カウチキ)候之間大藥秘藥斟酌之(ノ)事候〔文明四年本〕 ※斟酌(シンシヤク)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「藥種」と表記し、訓みは経覺筆本に「(ヤク)シユ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「藥種」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「藥種」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

藥種(ヤクシユ) 器財門137七・天理図書館蔵下一ウ七

とあって、標記語「藥種」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』及び易林本節用集』に標記語「藥種」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

717但渡唐舩依中絶ニ|藥種高直之間 唐舩昔自日本毎年於太唐-上官物。其官貢使遣唐使。舩進亊貢舩ト、官勘合勅書ヲ|。官物ニハ馬・太刀・扇子也。扇子三本也。書一本ニハ冨士山ヲ|。一本ニハ志賀唐崎一ツ松ヲ|。一本ニハ博多箱崎松原体ヲ。又舟之幕少貮家之幕用也。寄_垣(ヨセ−)ノ之紋也云々。〔謙堂文庫蔵六一左C〕

とあって、標記語「藥種」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可キ∨(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「藥種」の語を収載する。注記については、前段716注「神農の『本草』には、薬種三百六十五種なり。其の内、或は君藥百廿種、臣藥百廿種、佐使藥百五種なり。然るに上藥百廿種、君と為して養性を主とす。以って天に応じて毒を无くす。或は、中藥百廿種を臣と為す。命の養ひを主とす。以って人に應じて毒有り、毒无し。下藥百弐十五種佐使と為して病を治るを主とす。以って地に応じて毒多きなり。都合、三品に三百六十五種なり」と記載する時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

藥種(やくしゆ)高直(かうじき)(の)(あいだ)藥種高直之間唐へ便(たよ)りの舟もなきゆへ薬種の來らさるにより払底(ふつてい)にして直段(ねだん)高しと也。 〔95オ八〜95ウ一〕

とあって、この標記語「藥種」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し渡唐(とたう)(の)(ふね)中絶(ちうぜつ)に依(よつ)藥種(やくしゆ)高直(かうちき)(の)(あいだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(じんしやく)の事(こと)に候(さふら)ふ和藥(わやく)を用(もち)ひら被(れ)(バ)(さん)ぜ令(し)む可(べ)き也(なり)渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌ヒテ和藥者可。〔70ウ七〕

(たゞし)渡唐(とたう)(の)(ふね)(よつて)中絶(ちうせつに)藥種(やくしゆ)高直(かうぢき)(の)(あひだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(しんしやく)(こと)(さふら)(れ)(もち)ひら和藥(わやく)(バ)(へき)(しむ)(さん)(なり)〔127オ四〕

但渡唐舟依中絶藥種高直之間大藥秘藥者可令参也。〔126ウ六〕

とあって、標記語「藥種」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yacuxu.ヤクシユ(藥種) 薬の原料〔邦訳806r〕

とあって、標記語「藥種」の語の意味は「薬の原料」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

やく-しゅ〔名〕【藥種】薬用の料の物。きぐすり。藥材。庭訓徃來、十一月「渡唐之船依中絶藥種高直之閨A大藥秘藥者斟酌之事候」〔4-656-4〕

とあって、標記語「やく-しゅ藥種】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「やく-しゅ藥種】〔名〕薬の材料。調剤前の薬品。主として、漢方薬の原料。きぐすり」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
一 蔵人方〈名香・薬種等事、御衣渡事、〉《『民経記』文暦元年(1234)一月十二日の条7/190・209-0》
 
 
2005年8月14日(日)晴れ。東京→東伊豆(河津)
中絶(チウゼツ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

中絶(ゼツ)ハテ――(チウセツスルヲ)(ツイヘト云)也。曽子。〔元亀二年本64一〕

中絶 ――費。曽子。〔静嘉堂本74四・五〕

中絶(せツ) 久交――費。曽子。〔天正十七年本上37ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「中絶」の語を収載し、語注記に「久しく交りて――(チウセツ)するを費(ツイヘ)と云ふなり。『曽子』」と記載する。この語注記内容は、真名注そして他古辞書にも未収載であることからして、『運歩色葉集』だけが特出する独自の語注記といえよう。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

但渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌事候〔至徳三年本〕

但渡唐之船依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔宝徳三年本〕

但渡唐之舩依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌候〔建部傳内本〕

但渡唐(トトウ)舩久中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔山田俊雄藏本〕

渡唐(ト )(ノ)舟依中絶藥種(シユ)高直候之間大藥秘藥者(ハ)斟酌(シンシヤク)〔経覺筆本〕

但渡唐(トタウ)舩依中絶(チウせツ)藥種高直(カウチキ)候之間大藥秘藥斟酌之(ノ)事候〔文明四年本〕 ※斟酌(シンシヤク)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「中絶」と表記し、訓みは文明四年本に「チウセツ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「中絶」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「中絶」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

中絶(チウせツ・アタルナカ、タヱル)[平・入] 。〔態藝門166一〕

とあって、標記語「中絶」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

中絶(ゼツ) ・言語進退門51八〕

中間(チウゲン) ―門(チウモン)。―興(コウ)。―。―媒(バイ)。―夭(ヨウ)。―戸(コ)。―分(フン)。―古(コト)。―庸(ヨウ)―絶(ゼツ)。〔・言語門52七〕

中間(チウケン) ―門。―興。―。―媒。―夭。―戸。―分。―古。―庸。―絶。〔・言語門47九〕

とあって、弘治二年本に標記語「中絶」の語を収載し、他本は標記語「中間」の熟語群に「中絶」の語を記載する。また、易林本節用集』に、

中絶(―ぜツ) 〔言語門52五・天理図書館蔵上26ウ五〕

とあって、標記語「中絶」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「中絶」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

717但渡唐舩依中絶ニ|藥種高直之間 唐舩昔自日本毎年於太唐-上官物。其官貢使遣唐使。舩進亊貢舩ト、官勘合勅書ヲ|。官物ニハ馬・太刀・扇子也。扇子三本也。書一本ニハ冨士山ヲ|。一本ニハ志賀唐崎一ツ松ヲ|。一本ニハ博多箱崎松原体ヲ。又舟之幕少貮家之幕用也。寄_垣(ヨセ−)ノ之紋也云々。〔謙堂文庫蔵六一左C〕

とあって、標記語「中絶」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可キ∨(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「中絶」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たゝ)し渡唐(ととう)(の)(ふね)中絶(ちうぜつ)に依(よつ)渡唐之舩依中絶渡唐とハ唐(から)へ行事也。中絶ハなかころたへたると讀 〔95オ七・八〕

とあって、この標記語「中絶」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し渡唐(とたう)(の)(ふね)中絶(ちうぜつ)に依(よつ)て藥種(やくしゆ)高直(かうちき)(の)(あいだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(じんしやく)の事(こと)に候(さふら)ふ和藥(わやく)を用(もち)ひら被(れ)(バ)(さん)ぜ令(し)む可(べ)き也(なり)/渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌ヒテ和藥者可。〔70ウ七〕

(たゞし)渡唐(とたう)(の)(ふね)(よつて)中絶(ちうせつに)藥種(やくしゆ)高直(かうぢき)(の)(あひだ)大藥(だいやく)秘藥(ひやく)(ハ)斟酌(しんしやく)(こと)(さふら)(れ)(もち)ひら和藥(わやく)(バ)(へき)(しむ)(さん)(なり)〔127オ四〕

とあって、標記語「中絶」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chu'jet.チュウゼツ(中絶) Naca tayuru.(中絶ゆる)物事を中止すること,あるいは,中断すること.¶また,友情の破綻.〔邦訳130r〕

とあって、標記語「中絶」の語の意味は「Naca tayuru.(中絶ゆる)物事を中止すること,あるいは,中断すること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちュう-ぜつ〔名〕【中絶】なかほどにてたゆること。半途に止むこと。張衡、南都賦「或豁爾而中絶醒睡笑(元和、安樂庵策傳)二「久しく交りて中絶す」〔3-360-1〕

標記語「ちュう-ぜつ中絶】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゅう-ぜつ中絶】〔名〕@中途で絶ること。中程でなくなってしまうこと。A中途でやめてしまうこと。また、一時中絶すること。B人との関係や交際が中途で切れること。不仲になること。C妊娠中絶をいう」とあって、Aの意味用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
秀郷朝臣、天慶三年、更賜官府之後、十三代、數百歳、奉行之間、無片時中絶之例《訓み下し》秀郷朝臣、天慶三年ニ、更ニ官符ヲ賜ハルノ後、十三代、数百歳、奉行スルノ間、片時モ中絶(ゼツ)ノ例無シ。《『吾妻鏡』承元三年十二月十五日の条》
 
 
2005年8月13日(土)曇り一時晴れ。東京→世田谷(駒沢)
渡唐(トタウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

渡唐(タウ)〔元亀二年本56一〕

渡唐(トタウ)〔静嘉堂本63一〕

渡唐〔天正十七年本上32オ八〕

とあって、標記語「渡唐」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

渡唐之舩依中絶藥種高直之間大藥秘藥者斟酌事候〔至徳三年本〕

渡唐之船依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔宝徳三年本〕

渡唐之舩依中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌候〔建部傳内本〕

渡唐(トトウ)舩久中絶藥種高直候之間大藥秘藥者斟酌事候〔山田俊雄藏本〕

渡唐(ト )(ノ)舟依中絶藥種(シユ)高直候之間大藥秘藥者(ハ)斟酌(シンシヤク)〔経覺筆本〕

渡唐(トタウ)舩依中絶(チウせツ)藥種高直(カウチキ)候之間大藥秘藥斟酌之(ノ)事候〔文明四年本〕 ※斟酌(シンシヤク)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「渡唐」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「トトウ」、経覺筆本に「ト(タウ)」、文明四年本に「トタウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「渡唐」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「渡唐」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

渡唐(――ワタル、カラ)[○・○] 。〔態藝門144三〕

とあって、標記語「渡唐」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年尭空本両足院本節用集』には、

渡唐(トタウ) ・言語進退門46三〕〔・言語門49八〕

渡海(トカイ) ―唐(タウ)―御(トキヨ)。〔・言語門45二〕

渡海(トカイ) ―唐(タウ)―御(トキヨ)世也。〔・言語門41七〕

とあって、弘治二年本両足院本に標記語「渡唐」の語を収載し、他本は標記語「渡海」の熟語群として記載する。また、易林本節用集』に、

渡唐(トタウ) 〔言語門44一・天理図書館蔵上22ウ一〕

とあって、標記語「渡唐」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「渡唐」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

717但渡唐舩依中絶ニ|藥種高直之間 唐舩昔自日本毎年於太唐-上官物。其官貢使遣唐使。舩進亊貢舩ト、官勘合勅書ヲ|。官物ニハ馬・太刀・扇子也。扇子三本也。書一本ニハ冨士山ヲ|。一本ニハ志賀唐崎一ツ松ヲ|。一本ニハ博多箱崎松原体ヲ。又舟之幕少貮家之幕用也。寄_垣(ヨセ−)ノ之紋也云々。〔謙堂文庫蔵六一左C〕

とあって、標記語「渡唐」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「渡唐」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たゝ)し渡唐(ととう)(の)(ふね)中絶(ちうぜつ)に依(よつ)渡唐之舩依中絶渡唐とハ唐(から)へ行事也。中絶ハなかころたへたると讀 〔95オ七・八〕

とあって、この標記語「渡唐」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し渡唐(とたう)(の)(ふね)中絶(ちうぜつ)に依(よつ)渡唐之舩依中絶〔70ウ七〕

(たゞし)渡唐(とたう)(の)(ふね)(よつて)中絶(ちうせつに)。〔127オ四〕

とあって、標記語「渡唐」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Toto<.トタゥ(渡唐) Taito<ni vataru.(大唐に渡る)シナへ渡ること.〔邦訳670r〕

とあって、標記語「渡唐」の語の意味は「Taito<ni vataru.(大唐に渡る)シナへ渡ること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-たう〔名〕【渡唐】唐土(もろこし)へ渡り行くこと。入唐。帝王編年紀、十一「吉備眞吉備、云云、入唐留學十八年、靈龜二年渡唐、天平七年歸朝」大乘院寺社雜事記、文明五年六月十七日「渡唐船巡風樣、天竺人西忍入道説者、兩度渡唐之閨A巨細存知」〔3-555-3〕

標記語「-たう渡唐】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-とう渡唐】〔名〕唐土(中国)へ渡ること。中国と貿易すること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
將軍家、爲拜先生御住所醫王山給、可令渡唐御之由、依思食立、可修造唐舩之由、仰宋人和卿《訓み下し》将軍家、先生ノ御住所医王山ヲ拝シ給ハン為ニ、唐ニ渡ラシメ御フベキノ由、思シ食シ立ツニ依テ、唐船ヲ修造スベキノ由、宋人和卿ニ仰セラル。《『吾妻鏡』建保四年十一月二十四日の条》
 
 
2005年8月12日(金)小雨後曇り、夜半雷雨。東京→世田谷(駒沢)
拔群(バツクン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

(ハツクン)〔元亀二年本25六〕

拔群(グン)〔静嘉堂本23四〕

拔群(ハツクン)〔天正十七年本上12ウ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「拔群」の語を収載する。但し、元亀二年本は「抜郡」と記載し、「群」の字を「郡」に誤り作っている。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

療養共名譽達者拔群〔至徳三年本〕

療養共名譽達者抜群〔宝徳三年本〕

療養共名誉達者拔群〔建部傳内本〕

療養共名誉達者-(バツ クン)(ノ)〔山田俊雄藏本〕

療養共名誉(メイヨ)達者(タツシヤ)抜群(ハツクン)〔経覺筆本〕

療養(レウヤウ)名誉(ヨ)(ノ)(タツ)--(ハツクン)(ノ)〔文明四年本〕 ※名譽(メイヨ)。※拔群(ハツクン)。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「拔群」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「バツクン」、経覺筆本・文明四年本に「ハツクン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(人―ツクンニ) 同(才智部)/ハツクン〔黒川本・畳字門上26ウ二〕

―粋。〃出。〃頭。〃済。〃刺。〔卷第一・畳字門210五〕

とあって、標記語「}」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

拔群(バツクン) 〔言辞門149三〕

とあって、標記語「拔群」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

拔群(ハツクンヌク、ムラガル)[入・○] 。〔態藝門78一〕

とあって、標記語「拔群」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

拔群(バツグン) 勝人義・言語進退門25三〕

拔禊(ハツケイ)石名 ―萃(スイ)利根也―群(クン)―刀(タウ)。〔・言語門21八〕

拔禊(ハツケイ) ―萃利根也―群―刀。〔・言語門19六〕

とあって、弘治二年本に標記語「拔群」の語を収載し、語注記に「勝る人の義」と記載する。他本は標記語「拔禊」の熟語群として「拔群」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

拔羣(バツクン) 〔言語門22七・天理図書館蔵上11ウ七〕

とあって、標記語「拔群」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「拔群」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。語注記は唯一、弘治二年本に見えているが、真名注にはその記載は見えていない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

716誦-シテ/シ一流之書籍療養共名誉之達者-候 風寒暑湿四氣、風寒湿暑燥熱六淫、喜怒憂悲思恐驚七情、外(ハツルヽ)病無之能達脈論神農本草ニハ薬種三百六十五種也。其内或君藥百廿種、臣藥百廿種、佐使藥百五種也。然ルニ上藥百廿種、為養-性以応シテ毒。或中藥百廿種為臣。主以應シテ毒无毒。下藥百弐十五種為佐使主治病以応毒也。都合三品三百六十五種也。莫彼藥鍛錬一流一篇之仁云也。〔謙堂文庫蔵六一右G〕

とあって、標記語「拔群」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可キ∨(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「拔群」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

療養(りやうやう)(とも)名譽(めいよ)の達者(たつしや)拔群(ばつくん)(の)(じん)療養共名誉之達者-療ハ療治病ひを治(ぢ)し去(さ)るを云。養ハ養生氣を養ひ立るを云なり。名譽ハ名ありほまれある也。抜群ハ衆人にすくれたる也。候とハあると云事也。 〔95オ六・七〕

とあって、この標記語「拔群」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

療養(りやうやう)(とも)名譽(めいよ)の達者(たつしや)拔群(ばつくん)(の)(じん)(さふら)療養共名誉達者-▲拔群ハ衆人(しゆにん)に勝(すぐ)るゝなり。〔70ウ四、70ウ七〕

療養(れうやう)(とも)名誉(めいよ)達者(たつしや)拔群(ばつくん)(の)(じん)(さふらふ)▲拔群ハ衆人(しゆにん)に勝(すぐれ)るなり。〔126ウ六、127オ四〕

とあって、標記語「拔群」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Baccun.バツクン(拔群) 副詞.非常に,一段と,または,すぐれて.例,Toxino fodoyorimo baccun votonaxu<miyuru.(年の程よりも拔群大人しう見ゆる)実際の年の程にまさった思慮分別と知識とをもっているように見える.〔邦訳46l〕

とあって、標記語「拔群」の語の意味は「副詞.非常に,一段と,または,すぐれて」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ばつ-くん〔名〕【拔群】又、ばつぐん。多くの羣(むれ)より、一人、拔け出でたること。出羣。梁書、劉顯傳「聰明特達、出十訓抄、上、第三、第十條「形體拔羣、勇力人に軼(す)ぎたり、鬼王の形をあらはし、力士のたちまちに來るかとおぼゆ」太平記、十七、山門攻事「縱令さきざき、拔羣の忠ありと云ふとも、無に處して本領を没收し」信長記、二、六條合戰「母衣かけたる武者一人、手槍提ぐ、諸卒を拔羣はなれて、進んだるに」〔2-741-1〕

標記語「ばつ-くん拔群】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ばつ-ぐん抜群】(古くは「ばっくん」)[一]〔名〕(形動)@多くのものの中で特にすぐれていること。とびぬけてすぐれていること。また、そのさま。Aはなはだしいこと。また、そのさま。[二]〔副〕はなはだしく。大変。非常に。とても」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
雖未口外、偏依恃汝、被仰合之由、毎人被竭慇懃御詞之間、皆喜一身抜群之御芳志、面々欲勵勇敢《訓み下し》未ダ口外セズト雖モ、偏ニ汝ヲ恃ムニ依テ、仰セ合サルルノ由、人毎ニ慇懃ノ御詞ヲ竭サルルノ間、皆一身抜群(バツグン)ノ御芳志ヲ喜ンデ、面面ニ勇敢ヲ励マサント欲ス。《『吾妻鏡』治承四年八月六日の条》
 
 
2005年8月11日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)→上野
達者(タツシヤ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

達者(タツジヤ)〔元亀二年本138二〕

(タツ)〔静嘉堂本146五〕

達者(タツシヤ) 天正十七年本中5オ五

とあって、標記語「達者」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

療養共名譽達者拔群〔至徳三年本〕

療養共名譽達者抜群之〔宝徳三年本〕

療養共名誉達者拔群之〔建部傳内本〕

療養共名誉達者-(バツ クン)(ノ)〔山田俊雄藏本〕

療養共名誉(メイヨ)達者(タツシヤ)抜群(ハツクン)〔経覺筆本〕

療養(レウヤウ)名誉(ヨ)(ノ)(タツ)--(ハツクン)(ノ)〔文明四年本〕 ※名譽(メイヨ)。※拔群(ハツクン)。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「達者」と表記し、訓みは経覺筆本に「タツシヤ」、文明四年本に「タツ(シヤ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

達者 同(才智部)/タツシヤ〔黒川本・畳字門中10オ七〕

達者 〃士。〃親〔卷第四・畳字門450五〕

とあって、標記語「達者」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

宗匠(ソウシヤウ) 先達義也。日本俗或シテ歌道達者宗匠〔態藝門88六〕

とあって、標記語「宗匠」の語注記に「達者」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

達者(タツシヤイタル、モノ)[入・上] 。〔態藝門357三〕

とあって、標記語「達者」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

達者(タツシヤ) ・言語進退門110二〕

とあって、弘治二年本に標記語「達者」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

達者(タツシヤ) 〔言語門94三・天理図書館蔵上47ウ三〕

とあって、標記語「達者」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「達者」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

716誦-シテ/シ一流之書籍療養共名誉達者-群之候 風寒暑湿四氣、風寒湿暑燥熱六淫、喜怒憂悲思恐驚七情、外(ハツルヽ)病無之能達脈論神農本草ニハ薬種三百六十五種也。其内或君藥百廿種、臣藥百廿種、佐使藥百五種也。然ルニ上藥百廿種、為養-性以応シテ毒。或中藥百廿種為臣。主以應シテ毒无毒。下藥百弐十五種為佐使主治病以応毒也。都合三品三百六十五種也。莫彼藥鍛錬一流一篇之仁云也。〔謙堂文庫蔵六一右G〕

とあって、標記語「達者」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可キ∨(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「達者」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

療養(りやうやう)(とも)名譽(めいよ)達者(たつしや)拔群(ばつくん)(の)(じん)療養共名誉達者-群之療ハ療治病ひを治(ぢ)し去(さ)るを云。養ハ養生氣を養ひ立るを云なり。名譽ハ名ありほまれある也。抜群ハ衆人にすくれたる也。候とハあると云事也。 〔95オ六・七〕

とあって、この標記語「達者」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

療養(りやうやう)(とも)名譽(めいよ)達者(たつしや)拔群(ばつくん)(の)(じん)(さふら)療養共名誉達者-群之▲療ハ病(やまひ)を治(ぢ)し去(さ)る也。▲養は生気(せいき)を養(やしな)ふ也。〔70ウ四、70ウ六・七〕

療養(れうやう)(とも)名誉(めいよ)達者(たつしや)拔群(ばつくん)(の)(じん)(さふらふ)▲療ハ病(やまひ)を治(ぢ)し去(さ)る也。▲養は生気(せいき)を養(やしな)ふ也。〔126ウ六、127オ三〕

とあって、標記語「達者」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Foyacu.タツシャ(達者) Taxxita fito.(達した人)ある物事に熟達した人.例,Taxxa vomomuqiyo qirauazu.(達者趣を嫌はず)熟達した人は上等の道具を求めず,多くの器財をも求めない.§Michino taxxa.(道の達者)ある技芸に堪能な人,あるいは,完璧な人.※毛吹草,二.⇒Ichido<(一道);Ido<;Reo>yo<..〔邦訳619r〕

とあって、標記語「達者」の語の意味は「Taxxita fito.(達した人)ある物事に熟達した人」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たつ-しャ〔名〕【達者】(一)才學藝能の達人。左傳、昭公七年「吾聞將有達者、曰孔丘、聖人之後也」吾妻鏡、一、治承四年十二月十九日「爲弓馬達者之士、臨戰場廻智謀勝人」、十一、建久二年八月一日「鎭西八郎者、吾朝無雙弓矢達者也」(二)專ら、歩行に勝れたること。健脚。健歩參考保元物語、二、白河殿攻落事「鎭西そだちの者なれば、歩行立ちハ定めて達者にぞあらむ」(三)轉じて、身のすこやかなること、ヂャウブ。壯健狂言記、梟「日比、達者な者であったが」(四)よどみ無くして、疾(はや)きこと。「口が達者」文章が達者〔3-246-4〕

標記語「たつ-しャ達者】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「たつ-しゃ達者】〔名〕@学術や技芸の道に熟達した人。その道をきわめたすぐれた人。達人。A(形動)ある分野での能力がすぐれていること。また、そのさま。B(形動)あまりまともでない方面や事柄に長じていること。したたか者であるさま。多く軽蔑の意を込め、また「お達者」という形で、その意をあらわに表わすこともある。C(形動)心身、あるいはからだのある部分が丈夫でしっかりしていること。また、そのさま。健全。D(形動)特に足の丈夫なこと、足の速いことをいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爲弓馬達者之上、臨戰場、廻智謀、勝人之故《訓み下し》弓馬ノ達者(タツシヤ)タルノ上、戦場ニ臨ンデ、智謀ヲ廻ラスコト、人ニ勝ルルガ故ナリ。《『吾妻鏡』治承四年十二月十九日の条》
 
 
2005年8月10日(水)曇り。東京→埼玉(西川口)
療養(レウヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「禮」部に、

療養(ヤウ)〔元亀二年本149十〕〔天正十七年本中13ウ四〕

療養(レウヤウ)〔静嘉堂本163五〕

とあって、標記語「療養」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

療養名譽達者拔群〔至徳三年本〕

療養名譽達者抜群之〔宝徳三年本〕

療養名誉達者拔群之〔建部傳内本〕

療養名誉達者抜-(バツ クン)(ノ)〔山田俊雄藏本〕

療養名誉(メイヨ)達者(タツシヤ)抜群(ハツクン)〔経覺筆本〕

療養(レウヤウ)名誉(ヨ)(ノ)(タツ)-者抜-(ハツクン)(ノ)〔文明四年本〕 ※名譽(メイヨ)。※拔群(ハツクン)。

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「療養」と表記し、訓みは文明四年本に「レウヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「療養」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

療養(リヨウヨウ) 同ニ(ヲ)態藝門92一〕

とあって、標記語「療養」の語を収載し、語注記に「上に同じ(病を治す)」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

療養(リヨウヤウイヱル、ヤシナウ)[去・上] 。〔態藝門195六〕

とあって、標記語「療養」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

療養(レウヤウ) ・言語進退門116八〕

療治(レウヂ) ―養(ヤウ)。〔・言語門99二〕〔・言語門89九〕

療治(レウヂ) 。〔・言語門109三〕

とあって、弘治二年本に標記語「療養」の語を収載し、他本は標記語「療治」の熟語群として記載する。また、易林本節用集』に、

療養(レウヤウ) ―治(ヂ)〔言辞門98五・天理図書館蔵上49ウ五〕

とあって、標記語「療養」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「療養」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

716誦-シテ/シ一流之書籍療養名誉之達者抜-群之候 風寒暑湿四氣、風寒湿暑燥熱六淫、喜怒憂悲思恐驚七情、外(ハツルヽ)病無之能達脈論神農本草ニハ薬種三百六十五種也。其内或君藥百廿種、臣藥百廿種、佐使藥百五種也。然ルニ上藥百廿種、為養-性以応シテ毒。或中藥百廿種為臣。主以應シテ毒无毒。下藥百弐十五種為佐使主治病以応毒也。都合三品三百六十五種也。莫彼藥鍛錬一流一篇之仁云也。〔謙堂文庫蔵六一右G〕

とあって、標記語「療養」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

療養(レウヤウ)(トモ)名譽(メイヨ)達者(タツシヤ)拔群(ハツクン)候但(タヽシ)渡唐(トタウ)(フネ)中絶(チウゼツ)藥種(シユ)高直(カウジキ)之間(アヒタ)大藥(タイヤク)秘藥(ヒヤク)者可キ∨(サン)療養トハ。療ハ。藥(クスリ)ニテナヲス事。養ハ病人ヲアツカフ事也。起臥(ヲキフシ)(キヤウ)儀食(シヨク)事ノ寒熱(カンネツ)ヲ能(ヨク)(ヲシヘ)テアツカフヲ養トハ云フナリ。〔下37ウ八〜下38オ三〕

とあって、標記語「療養」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

療養(りやうやう)(とも)名譽(めいよ)の達者(たつしや)拔群(ばつくん)(の)(じん)療養名誉之達者抜-群之療ハ療治病ひを治(ぢ)し去(さ)るを云。養ハ養生氣を養ひ立るを云なり。名譽ハ名ありほまれある也。抜群ハ衆人にすくれたる也。候とハあると云事也。 〔95オ六・七〕

とあって、この標記語「療養」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

療養(りやうやう)(とも)名譽(めいよ)の達者(たつしや)拔群(ばつくん)(の)(じん)(さふら)療養名誉達者-群之▲療ハ病(やまひ)を治(ぢ)し去(さ)る也。▲養は生気(せいき)を養(やしな)ふ也。〔70ウ四、70ウ六・七〕

療養(れうやう)(とも)名誉(めいよ)達者(たつしや)拔群(ばつくん)(の)(じん)(さふらふ)▲療ハ病(やまひ)を治(ぢ)し去(さ)る也。▲養は生気(せいき)を養(やしな)ふ也。〔126ウ六、127オ三〕

とあって、標記語「療養」の語をもって収載し、その語注記は「療は、病(やまひ)を治(ぢ)し去(さ)るなり。養は、生気(せいき)を養(やしな)ふなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Reo>yo<.レウヤウ(療養) 病気を治療すること,自分の健康について配慮すること.¶Reo>yo< tomoni meiyo no tayxa.(療養共に名誉の達者)病気の治療と,それにあわせた健康の維持とについて練達で有名な医者である.※庭訓往来,十一月返状.なお,taxaは字音の入声を表記した形になっているが,一般には促音化するので,taxxaと綴るのが普通である.別条にTaxxaがある.〔邦訳530r〕

とあって、標記語「療養」の語の意味は「病気を治療すること,自分の健康について配慮すること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

れう-やう〔名〕【療養】療冶と、養生と。又、病氣の保養。庭訓往來、十一月「讀明一流之書籍、療養共、名譽達者、拔羣之仁候」〔2-741-1〕

標記語「れう-やう療養】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「りょう-よう療養】〔他マ下一〕病気やけがの手当をし、からだを休めて健康の回復をはかること。治療と養生」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
佐々木三郎盛綱、持來大幕、纏景廉、懐持退去、則歸宿所、加療養(レウヤウ)依此事《訓み下し》佐佐木ノ三郎盛綱、大幕ヲ持チ来リ、景廉ヲ纒ヒ、懐キ持ツテ退去シテ、則チ宿所ニ帰リ、療養(レウヤウ)ヲ加フ。《『吾妻鏡』寿永元年六月七日の条》
 
 
2005年8月9日(火)曇り。東京→世田谷(駒沢)
書籍(シヨジヤク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

書籍(ジヤク) 。〔元亀二年本311九〕

書籍(シヤク) 。〔静嘉堂本365一〕

とあって、標記語「書籍」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

権侍醫邊讀明一流書籍〔至徳三年本〕

侍權醫邊讀明一流書籍〔宝徳三年本〕

権侍醫邊讀明一流之書籍〔建部傳内本〕

(カリニ)(シ)--一流書籍〔山田俊雄藏本〕

(カリニ)(ハンへツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)-(アカス)一流(リウ)書籍(シヨシヤク)〔経覺筆本〕

(カリニ)(ハンへツテ)醫邊( ヘン)(ヨミ)-一流(イチリウ)書籍( シヤク)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「書籍」と表記し、訓みは経覺筆本に「シヨシヤク」、文明四年本に「(シヨ)シヤク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「書籍」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「書籍」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

文庫(ブンコフミ、クラ)[平・去] 書籍(シヨジヤク)藏(クラ)也。〔家屋門618三〕

とあって、標記語「文庫」の語注記に「書籍」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本節用集』には、

書籍(シヨジヤク) ・財宝門241六〕〔・言語門207五〕

とあって、弘治二年本永祿二年本に標記語「書籍」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

書籍(シヨジヤク) 〔器財門209二・天理図書館蔵下37ウ二〕

とあって、標記語「書籍」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本節用集』、易林本節用集』に標記語「書籍」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

716誦-シテ/シ一流之書籍療養共名誉之達者抜-群之候 風寒暑湿四氣、風寒湿暑燥熱六淫、喜怒憂悲思恐驚七情、外(ハツルヽ)病無之能達脈論神農本草ニハ薬種三百六十五種也。其内或君藥百廿種、臣藥百廿種、佐使藥百五種也。然ルニ上藥百廿種、為養-性以応シテ毒。或中藥百廿種為臣。主以應シテ毒无毒。下藥百弐十五種為佐使主治病以応毒也。都合三品三百六十五種也。莫彼藥鍛錬一流一篇之仁云也。〔謙堂文庫蔵六一右G〕

とあって、標記語「書籍」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

一流(リウ)書籍(シヨジヤク) トハ。カクラタト讀也。醫藥一道ノ事ヲ記(シル)シタル書ナリ。〔下37ウ八〕

とあって、標記語「書籍」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

一流(いちりう)書籍(しよじやく)を讀明(よみあか)-一流書籍。讀明とハ熟読(しゆくとく)した其義理に通したる也。一流ハ一家の流義(りうき)也。和氣丹波の類を云。書籍ハ書物の事なり。 〔95オ四・五〕

とあって、この標記語「書籍」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

一流(いちりう)書籍(しよじやく)を讀明(よみあきら)-一流書籍。〔70ウ三〕

(よミ)-(あきら)一流(いちりう)書籍(しよじやく)。〔126ウ四〕

とあって、標記語「書籍」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xojacu.ショジヤク(書籍) 書物〔邦訳792l〕

とあって、標記語「書籍」の語の意味は「書物」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しョ-じャく〔名〕【書籍】しょもつ(書物)に同じ。支那の古へには、竹を炙りて、青色を去り、漆にて字を書き、革にて編む、漢の世に、紙、出來て、墨にて書き、卷物にす、數ふるに、卷(クワン)、又、まきと云ふ。書卷。唐の世に、綴本となる。書册册子後漢書、馬融傳「小臣螻蟻、不區區、職在書籍、謹依舊文、重述蒐狩之義」〔3-844-1〕

標記語「しョ-じャく書籍】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょ-じゃく書籍】〔名〕(「じゃく」は「藉」の呉音)書物。本。図書。しょせき」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
將軍家御讀書〈孝經〉始相摸權守、爲御侍讀、此僧儒依無殊文章、雖無才名之譽好集書籍(シヨジヤク)詳通百家九流〈云云〉御讀合之後、賜砂金五十兩御劔一腰於中章《訓み下し》将軍家御読書〈孝経〉始相模ノ権ノ守、御侍読タリ、此ノ僧儒殊ナル文章無キニ依テ、才名ノ誉レ無シト雖モ好ムデ書籍(シヨジヤク)ヲ集メ詳ニ百家九流ニ通ズト〈云云〉。御読合ノ後、砂金五十両、剣一腰ヲ中章ニ賜ハル。《『吾妻鏡』建仁四年正月十二日の条》
 
 
2005年8月8日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
一流(イチリウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

一流(リウ) 。〔元亀二年本19五〕〔天正十七年本上9オ一〕〔西來寺本〕

一流〔静嘉堂本15二〕

とあって、標記語「一流」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

権侍醫邊讀明一流書籍〔至徳三年本〕

侍權醫邊讀明一流書籍〔宝徳三年本〕

権侍醫邊讀明一流之書籍〔建部傳内本〕

(カリニ)(シ)--一流書籍〔山田俊雄藏本〕

(カリニ)(ハンへツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)-(アカス)一流(リウ)書籍(シヨシヤク)〔経覺筆本〕

(カリニ)(ハンへツテ)醫邊( ヘン)(ヨミ)-一流(イチリウ)書籍( シヤク)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「一流」と表記し、訓みは経覺筆本に「(イチ)リウ」、文明四年本に「イチリウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一流」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「一流」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

一流(イツリウ―、ナガルヽ)[入・平] 。〔態藝門37二〕

とあって、標記語「一流」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

一流(リウ) ・言語数量門7六〕〔・言語進退門5二〕

一位 ―種。《畧》―見。―流。―覽。《畧》―笑。〔・言語門5五〕

一位 ―種(シユ)。《畧》―見(ケン)。―流(リウ)。―覽(ラン)。《畧》―落索(ラクサク)大里昼在之。〔・言語門6五〕

とあって、弘治二年本永祿二年本に標記語「一流」の語を収載し、他本は標記語「一位」の熟語群として記載する。また、易林本節用集』に、

一流(リウ) 〔言語門6四・天理図書館蔵上3ウ四〕

とあって、標記語「一流」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「一流」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

716誦-シテ/シ一流之書籍療養共名誉之達者抜-群之候 風寒暑湿四氣、風寒湿暑燥熱六淫、喜怒憂悲思恐驚七情、外(ハツルヽ)病無之能達脈論神農本草ニハ薬種三百六十五種也。其内或君藥百廿種、臣藥百廿種、佐使藥百五種也。然ルニ上藥百廿種、為養-性以応シテ毒。或中藥百廿種為臣。主以應シテ毒无毒。下藥百弐十五種為佐使主治病以応毒也。都合三品三百六十五種也。莫彼藥鍛錬一流一篇之仁云也。〔謙堂文庫蔵六一右G〕

とあって、標記語「一流」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

一流(リウ)書籍(シヨジヤク) トハ。カクラタト讀也。醫藥一道ノ事ヲ記(シル)シタル書ナリ。〔下37ウ八〕

とあって、標記語「一流」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

一流(いちりう)の書籍(しよじやく)を讀明(よみあか)-一流書籍。讀明とハ熟読(しゆくとく)した其義理に通したる也。一流ハ一家の流義(りうき)也。和氣丹波の類を云。書籍ハ書物の事なり。 〔95オ四・五〕

とあって、この標記語「一流」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

一流(いちりう)の書籍(しよじやく)を讀明(よみあきら)-一流書籍。〔70ウ三〕

(よミ)-(あきら)一流(いちりう)書籍(しよじやく)。〔126ウ四〕

とあって、標記語「一流」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Ichiriu<.イチリュウ(一流) 宗派・流派を数える言い方.〔邦訳328l〕

とあって、標記語「一流」の語の意味は「宗派・流派を数える言い方」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いち-りう〔名〕【一流】(一)技術の一派。漢書、藝文志「儒家流、道家流、陰陽家流、云云、各有從(ヨリテ)出(イヅル)庭訓徃來(元弘)十一月「權(カリニ)醫邊、讀一流書籍辨慶物語(足利時代)「法華經一部讀誦スル、固ヨリ音曲一流、極ハメタレバ、聞クニ心モタヘガタシ」(二)事物の一等。人物志一流之人、能識一流之善、二流之人、能識二流之美」「一流の旅館」〔1-298-3〕

とあって、標記語「いち-りう〔名〕【一流】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いち-りゅう一流】〔名〕@ひとつの血統。一族。ある一族。同じ一族。Aひとつの流儀、流派、宗派、学派。ある流派。同じ流派。Bある方面での第一等の地位。または、その地位を占めている者。第一流。一人者。⇔二流。Cある人、物または流派に限られて他にないやり方。特別。独特。D(「一流」とも)旗、幟(のぼり)など一本。ひとながれ。」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
亦小山與足利、雖有一流之好依爲一國之兩虎、爭權威之處、去年夏之比、可誅滅平相國一族之旨、高倉宮、被下令旨於諸國畢小山《訓み下し》亦小山ト足利ト、一流ノ好有リト雖モ、一国ノ両虎タルニ依テ、権威ヲ争フノ処ニ、去年ノ夏ノ比、平相国ノ一族誅滅スベキノ旨、高倉ノ宮、令旨ヲ諸国ニ下サレ畢ンヌ。《寛永版傍訓付『吾妻鏡』治承五年閏二月二十三日の条》
 
 
2005年8月7日(日)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
讀明(よみあかし・よみあからめ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「与」部に、標記語「讀明」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

権侍醫邊讀明一流書籍〔至徳三年本〕

侍權醫邊讀明一流書籍〔宝徳三年本〕

権侍醫邊讀明一流之書籍〔建部傳内本〕

(カリニ)(シ)--一流書籍〔山田俊雄藏本〕

(カリニ)(ハンへツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)-(アカス)一流(リウ)書籍(シヨシヤク)〔経覺筆本〕

(カリニ)(ハンへツテ)醫邊( ヘン)(ヨミ)-一流(イチリウ)書籍( シヤク)〔文明四年本〕 

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「讀明」と表記し、訓みは経覺筆本に「ヨミアカス」、文明四年本に「ヨミ(アカラ)メ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「讀明」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「讀明」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「讀明」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

716-シテ/シ一流之書籍療養共名誉之達者抜-群之候 風寒暑湿四氣、風寒湿暑燥熱六淫、喜怒憂悲思恐驚七情、外(ハツルヽ)病無之能達脈論神農本草ニハ薬種三百六十五種也。其内或君藥百廿種、臣藥百廿種、佐使藥百五種也。然ルニ上藥百廿種、為養-性以応シテ毒。或中藥百廿種為臣。主以應シテ毒无毒。下藥百弐十五種為佐使主治病以応毒也。都合三品三百六十五種也。莫彼藥鍛錬一流一篇之仁云也。〔謙堂文庫蔵六一右G〕

とあって、標記語「」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

名醫(メイイ)(ハ)奔走(ホンソウ)(カリニ)(ハンベツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)‖- トハ。名ヲ得タル醫師(クスシ)也。〔下37ウ七〕

とあって、標記語「讀明」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

一流(いちりう)の書籍(しよじやく)讀明(よみあか)-一流書籍。讀明とハ熟読(しゆくとく)した其義理に通したる也。一流ハ一家の流義(りうき)也。和氣丹波の類を云。書籍ハ書物の事なり。 〔95オ四・五〕

とあって、この標記語「讀明」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

一流(いちりう)の書籍(しよじやく)讀明(よみあきら)-一流書籍。〔70ウ三〕

(よミ)-(あきら)一流(いちりう)書籍(しよじやく)。〔126ウ四〕

とあって、標記語「讀明」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Yomiaqirame,uru,eta.ヨミアキラメ,ムル,メタ.(讀明) 読んで,その読んだことをよく理解する.〔邦訳827l〕

とあって、標記語「讀明」の語の意味は「読んで,その読んだことをよく理解する」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「よみ-あか讀明】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「よみ-あきらめる読明】〔他マ下一〕[文]よみあきら・む〔他マ下二〕読んで十分に理解する。日葡辞書(1603-04)「Yomiaqirame,uru,eta(ヨミアキラムル)<訳>読んで内容をよく理解する」古道大意(1813)上「それは其の著されたる書どもを読明らむれば、能く知れることで」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
次取紀伝勘文読申、如例、次読明経勘文、二通不略之歟、其後勘文等拠勘之所許可読之由《『民経記』弘長元年二月廿日の条・9/126・185-0》
 
 
2005年8月6日(土)晴れ。東京→上野(国立博物館)
醫邊(イヘン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、「醫師(イシ)。醫骨(イコツ)。醫書(イシヨ)。醫學(イガク)。醫者(シヤ)。醫術(ジユツ)」の六語を収載し、標記語「醫邊」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

権侍醫邊讀明一流書籍〔至徳三年本〕

侍權醫邊讀明一流書籍〔宝徳三年本〕

権侍醫邊讀明一流之書籍〔建部傳内本〕

(カリニ)(シ)--一流書籍〔山田俊雄藏本〕

(カリニ)(ハンへツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)-(アカス)一流(リウ)書籍(シヨシヤク)〔経覺筆本〕

(カリニ)(ハンへツテ)醫邊( ヘン)(ヨミ)-一流(イチリウ)書籍( シヤク)〔文明四年本〕 

と見え、山田俊雄藏本は、「侍醫道」とし、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本には、「醫邊」と表記し、訓みは経覺筆本に「イヘン」、文明四年本に「(イ)ヘン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「醫邊」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「醫邊」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

醫邊(イヘンクスシ、ホトリ)[平・平] 。〔態藝門20一〕

とあって、標記語「醫邊」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「醫邊」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「醫邊」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

715披玉章厳旨御用望既分明也仰當道(タウ)之當道者可奔走(カリニマカセ/コンチ)ノ 権侍――内裡雖十二人醫者逢天子御氣色輩一人也。二人歟。其人有指_合参内。則唯一人別在也。醫辺マテ也。師曰、権侍醫辺於茂登(ヲモト)藥師讀也。十二人ニテモ取分自典薬撰出シテ置也。半昇殿人也。故用歟。旁辺心也。薬佐使君臣差別佐使其験極急也。君臣其験漸々。〔謙堂文庫蔵六一右C〕

とあって、標記語「醫邊」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

名醫(メイイ)(ハ)奔走(ホンソウ)(カリニ)(ハンベツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)‖- トハ。名ヲ得タル醫師(クスシ)也。〔下37ウ七〕

とあって、標記語「醫邊」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(かり)医邊(いへん)に侍(はんべつ)醫邊。権侍とハ医学(いがく)のためしはらく此所に来て居すを云。施薬院ハ医師集り居る所ゆへ医辺と云也。 〔95オ三・四〕

とあって、この標記語「醫邊」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

権侍(ごんぢい)(へん)に/権侍▲権侍醫ハ皆醫道(いとう)の五位(ゐ)六位是(これ)に任(にん)ず。其侍醫(ちゐ)と称(しやう)する者ハ相當(さうだう)正六位下常(つね)に禁中(きんちう)に候(こう)して天脈(てんミやく)を診(うかゝ)ふ。〔70ウ三、70ウ六〕

権侍(ごんじい)(へん)▲権侍醫ハ皆醫道(いだう)の五位(ゐ)六位是(これ)に任(にん)ず。其侍醫(ちゐ)と称(しよう)する者ハ相當(さうだう)正六位下常(つね)に禁中(きんちう)に候(かう)して天脈(てんミやく)を診(うかゝ)ふ。〔126ウ五、127オ二・三〕

とあって、標記語「醫邊」の語をもって収載し、その語注記は「醫邊ハ醫道(いだう)を指(さ)して典藥寮(てんやくれう)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「醫邊」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』・現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「-へん〔名〕【醫邊】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年8月5日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
(かりに)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

侍醫邊讀明〔至徳三年本〕

侍醫邊讀明〔宝徳三年本〕

侍醫邊讀明〔建部傳内本〕

(カリニ)(ハンベツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)‖-〔山田俊雄藏本〕

(カリニ)(ハンベツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)‖-〔経覺筆本〕

(カリニ)(ハンベツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)‖-〔文明四年本〕 ※奔走(ホンソウ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「」と表記し、訓みは経覺筆本に「バン(タン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

(カリニ) () 〔言語門82六・天理図書館蔵上41ウ六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

715披玉章厳旨御用望既分明也仰當道(タウ)之當道者可奔走(カリニマカセ/コンチ)ノ 権侍――内裡雖十二人醫者逢天子御氣色輩一人也。二人歟。其人有指_合参内。則唯一人別在也。醫辺マテ也。師曰、権侍醫辺於茂登(ヲモト)藥師讀也。十二人ニテモ取分自典薬撰出シテ置也。半昇殿人也。故用歟。旁辺心也。薬佐使君臣差別佐使其験極急也。君臣其験漸々。〔謙堂文庫蔵六一右C〕

とあって、標記語「」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

名醫(メイイ)(ハ)奔走(ホンソウ)(カリニ)(ハンベツテ)醫邊(イヘン)(ヨミ)‖- トハ。名ヲ得タル醫師(クスシ)也。〔下37ウ七〕

とあって、標記語「」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(かり)医邊(いへん)に侍(はんべつ)醫邊権侍とハ医学(いがく)のためしはらく此所に来て居るを云。施薬院ハ医師集り居る所ゆへ医辺と云し也。 〔95オ三〜四〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

侍醫(ごんじい)の邊(へん)に一流(いちりう)の書籍(しよじやく)を讀(よミ)(あきら)め療養(りやうやう)(とも)に名譽(めいよ)の達者(たつしや)抜群(ばつくん)(の)(じん)(さふら)侍醫ニ。-一流書籍|。療養共名譽達者抜群之仁候▲権侍醫ハ醫道(いとう)の五位(ゐ)六位是(これ)に任(にん)ず。其侍醫(ぢゐ)と稱(しよう)する者はハ相當(さうたう)正六位下常(つね)に禁中(きんちう)に候(こう)して天脈(てんミやく)を診(うかゞ)ふ。〔70ウ三、70ウ六〕

侍醫(ごんじいの)(へん)(よミ)-(あきらめ)一流(いちりうの)書籍(しよじやく)療養(れうやう)(ともに)名譽(めいよの)達者(たつしや)抜群(ばつくん)(の)(じん)(さふらふ)▲権侍醫ハ醫道(いだう)の五位(ゐ)六位是(これ)に任(にん)ず。其侍醫(ぢい)と稱(しよう)する者はハ相當(さうたう)正六位下常(つね)に禁中(きんちう)に候(かう)して天脈(てんミやく)を診(うかゞ)ふ。〔126ウ五、127オ二・三〕

とあって、標記語「侍醫」の語をもって収載し、その語注記は「権侍醫は、醫道(いとう)の五位(ゐ)六位是(これ)に任(にん)ず。其侍醫(ぢゐ)と稱(しよう)する者は、相當(さうたう)正六位の下常(つね)に禁中(きんちう)に候(こう)して天脈(てんミやく)を診(うかゞ)ふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Carini.カリニ(仮に) 仮に,かりそめに,または,ついちょっとの間,などの意.※本条は,原本では,本篇のCareyedaとCari(狩)との間に配列されていて,その位置が順当でない.そのために,次条と重複する結果になっている.〔邦訳103l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「仮に,かりそめに,または,ついちょっとの間,などの意」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かり-〔副〕【假】確(しか)と定めずして。暫しのこととして。〔2-741-1〕

とあって、標記語「かり-〔副〕【假】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かり-【仮―】〔副〕(形容動詞「かりなり」の連用形から。→仮(かり))@ほんの一時的に。まにあわせとして。しばらく。臨時に。A実意もなく。いいかげんに。気軽に。かりそめに。B仮定条件句の中で、現実でない事柄を前提とするときに用いる。イ後に順接の語を伴って用いる。もしも。ロ後に逆接の語を伴って用いる。たとえ」とあって、@の意味用例として『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
是レ虚邪世尊ノ弁才ヲ具足シテ、(カリ)此ノ理ヲ説キタマフトヤ為ム《『守護國界主陀羅尼經平安中期點』(1000頃)の条》
 音拳[平] 和五ン ハカリノオモシ[平上平平○○○]、ハカル[平平上]、タハカル[上上濁上平]カリニ、ツラ宜ヽ、タノム[平平上]、イツハル、ツカム/秉ヽ、變ヽ、重ヽ、ハカリコト、平ヽ、ハカリ、カリソメ、ヒラナリ、カラ、ハシメ、カヽル/イヤシ[上上○]、アサク、ヤスシ、シハラク[平上濁○○]、オホイナリ/ツクス、ヤウヤク、イキホイ(ヒ)[平平平平]、直ヽ字イ、捲字ヽ。《観智院本『類聚名義抄』佛下夲40一》
 
 
奔走(ホンサウ)」は、ことばの溜め池(2002.03.31)を参照。
名醫(メイイ)」は、ことばの溜め池(2005.07.15)を参照。
 
2005年8月4日(木)曇り後晴れ。東京→世田谷(駒沢)
當道(タウダウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、「當座()。當(テキ)。當世(せイ)。當(シヨク)。當代(タイ)。當時()。當住(ヂウ)。當今(ギン)。當權(ケン)。當方(ハウ)。當塲()。當学(ガク)。當流(リウ)。當番(バン)。當庄(シヤウ)。當城(ジヤウ)。當宗(シウ)。當寺()。當山(ザン)。當殿(デン)。當腹(ボク)。當分(ブン)。當季()。當来(ライ)。當院(イン)。當家()。當皈()。當保(ホウ)。當陳(ヂン)。當年(ネン)。當月(クワツ)。當日(ニチ)。當納(ナウ)。當坊(ハウ)。當律(リツ)。當寮(リヤウ)」の三十六語を収載するが、標記語「當道」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

如仰當道名醫者可有奔走也〔至徳三年本〕

如仰當道名醫者可有奔走也〔宝徳三年本〕

如仰當道之名醫者可有奔走也〔建部傳内本〕

當道名醫者(ハ)奔走〔山田俊雄藏本〕

當道之名醫(イ)(ハ)奔走〔経覺筆本〕

(ヲヽせノ)當道之名醫(メイイ)(ハ)尤可奔走也〔文明四年本〕 ※奔走(ホンソウ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「當道」と表記記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「當道」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

當道(タウダウ) 諸藝(ゲイ)之道也。〔態藝門85三〕

とあって、標記語「當道」の語を収載し、語注記に「諸藝(ゲイ)の道なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

當道(タウダウアタル、ミチ)[去・上] 諸藝。〔態藝門348四〕

とあって、標記語「當道」の語を収載し、語注記に「諸藝にこれ言ふ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

當道(タウダウ) 諸藝(ゲイ)在之・言語進退門110五〕

當職(タウシヨク) ―世―道諸藝云道―座即席―流―分―腹。〔・言語門95二〕

當職(タウシヨク) ―世―道諸藝道―座―流―分―服。〔・言語門86九〕

當職(タウシヨク) ―世―道―座(ザ)―流(リウ)―分(ブン)―服(ブク)。〔・言語門105四〕

とあって、弘治二年本に標記語「當道」の語を収載し、他本は標記語「當職」の熟語群に「當道」語を収載する。また、易林本節用集』に、

當時(タウジ) ―代(ダイ)―道(ダウ)―流(リウ)―腹(ブク)―院(井ン)―世(せイ)―座(ザ)―罰(バツ)―番(バン)―機(キ)―學(カク)―用(ヨウ)―家(ケ)―山(サン)―國(コク)―所(シヨ)―來(ライ)―季(キ)―分(ブン)〔言語門93一・天理図書館蔵上47オ一〕

とあって、標記語「當職」の熟語群に「當道」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書に標記語「當道」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。ただし、『下學集』・広本節用集』などに見える語注記は未記載にある。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

715披玉章厳旨御用望既分明也當道(タウ)之名醫者可奔走(カリニマカセ/コンチ)ノ 権侍――内裡雖十二人醫者逢天子御氣色輩一人也。二人歟。其人有指_合参内。則唯一人別在也。醫辺マテ也。師曰、権侍醫辺於茂登(ヲモト)藥師讀也。十二人ニテモ取分自典薬撰出シテ置也。半昇殿人也。故用歟。旁辺心也。薬佐使君臣差別佐使其験極急也。君臣其験漸々。〔謙堂文庫蔵六一右C〕

とあって、標記語「當道」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ヒライテ)玉章(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)御用望(  マウ)(ステ)分明也(ヲホセ)當道 嚴旨トハイツクシキ詞(コトハ)也。〔下37ウ四〕

とあって、標記語「當道」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(おほせ)の如(ごと)當道(たう/゛\)乃名醫(めいゐ)(ハ)。奔走(ほんさう)(あ)る可(べ)き也(なり)/當道名醫者可奔走。當道ハ當表(たうおもて)といふかことし。施薬院をさして云也。奔走ハ賞翫する事也。前の奔走とハ意味同しからす。云こゝろは申さるゝ通り施薬院の医師ハ世の賞翫なりとそ。 〔95オ一〜三〕

とあって、この標記語「當道」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おほせ)の如(ごと)當道(たう/゛\)乃名医(めいい)(ハ)。奔走(ほんそう)(あ)る可(へき)當道名醫者奔走▲當道ハ醫道(いたう)を指(さ)して典藥寮(てんやく )をいふ。〔70ウ三、70ウ五・六〕

(ごと)(おほせ)當道(たう/゛\)名醫(めいい)(ハ)(べき)(ある)奔走(ほんさう)(なり)▲當道ハ醫道(いだう)を指(さ)して典藥寮(てんやくれう)をいふ。〔126ウ四、127オ一・二〕

とあって、標記語「當道」の語をもって収載し、その語注記は「當道ハ醫道(いだう)を指(さ)して典藥寮(てんやくれう)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

To<do<.タウダウ(當道) Ataru michi.(当る道) ある一族に属していて,それ以外の人は何人も公然と教授することのできない,その一族の技芸.¶To<do<no mei-i.(当道の名医)ある医術,あるいは,療法にける著名な医師.※如仰当道之名医可有奔走(庭訓往来十一月返状).〔邦訳655l〕

とあって、標記語「當道」の語の意味は「Ataru michi.(当る道) ある一族に属していて,それ以外の人は何人も公然と教授することのできない,その一族の技芸」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たう-どう〔名〕【當道】(一)この道。我が學ぶ道。(二)醫家に、内科の稱。太平記、廿四、天龍寺供養事「中にも荒序(クワウジヨ)は當道の深秘にて、容易雖之」京よりは誰人の御許より、屋島の何れの方へぞと問へば、いや只と云ひて、いと當道ならず」〔4-232-3〕

とあって、標記語「たう-どう〔名〕【當道】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とう-どう當道】〔名〕@この道。その道。それぞれの道。また、自分の学ぶ道。A中世以後、幕府の公認で盲人により組織された琵琶、鍼灸、導引、箏曲、三弦などの団体。盲人の位をつかさどり、その職業を保護、専有化した」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
是左金吾多年雖令好當道給、依未令知其奥旨給、北面等中、此藝達者一人、可被下之由、令申請仙洞處、可被差下便宜仁之由、勅許之間、於携之輩累調練功、爲交上足也《訓み下し》是レ左金吾多年当道(タウダウ)ヲ好マシメ給フト雖モ、未ダ其ノ奥旨ヲ知ラシメ給ハザルニ依テ、北面等ノ中、此ノ芸ノ達者一人、下サルベキノ由、仙洞ニ申シ請ケシムル処ニ(仙洞ニ申シ請ケシメ給フ処ニ)、便宜ノ仁ヲ差シ下サルベキノ由、勅許ノ間、之ニ携ワル輩ニ於テハ調練ノ功ヲ累ネ、上足ニ交ハラン為ナリ。《『吾妻鏡』建仁元年七月六日の条》
 
 
2005年8月3日(水)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
分明(フンミヤウ・ブンミヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、

分明(フンミヤウ) 。〔元亀二年本223八〕

分明〔静嘉堂本256三〕〔天正十七年本中57オ六〕

とあって、標記語「分明」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月十二日の状に、

披玉章厳旨御用望既分明〔至徳三年本〕

披玉章嚴旨御用望既分明〔宝徳三年本〕

披玉章厳旨御用望既分明〔建部傳内本〕

玉章厳旨御用望既分明〔山田俊雄藏本〕

玉章フニ(ケン)御用望既(ステ)分明〔経覺筆本〕

(ヒライテ)玉章(キヨクシヤウ)(ウカヽウ)厳旨(ケンシ)御用望(ヨウマウ)(ステ)分明〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「分明」と表記する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

分明 法家部/フンミヤウ/發免分〔黒川本・畳字門中107オ一〕

分明 〃配。〃法。〃附。〃別。〃毫。〃散。〃憂。〃付。〃作。〃怒。〃竹。〃給〔卷第七・畳字門81三〕

とあって、標記語「分明」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「分明」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

分明(ブンミヤウワカツ、メイ・アキラカ)[平去・平] 。〔態藝門635七〕

とあって、標記語「分明」の語を収載し、訓みを「ブンミヤウ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

分明(ミヤウ) ・言語進退門182八〕

分限(ブンゲン) ―際(ザイ)―明(ミヤウ)―衛(エイ)―捕(トリ)(ベツ)。〔・言語門149八〕

分限(ブンケン) ―際―明―衛―捕。〔・言語門139五〕

とあって、弘治二年本永祿二年本に標記語「分明」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

分際(ブンザイ) ―限(ゲン)。―劑(ザイ)。―捕(ドリ)。―量(リヤウ)。―位(井)。―兩(リヤウ)。―別(ヘツ)。―明(ミヤウ)〔言辞門151四・天理図書館蔵下8ウ四〕

とあって、標記語「分明」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「分明」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

715披玉章厳旨御用望既分明仰當道(タウ)之名醫者可奔走(カリニマカセ/コンチ)ノ 権侍――内裡雖十二人醫者逢天子御氣色輩一人也。二人歟。其人有指_合参内。則唯一人別在也。醫辺マテ也。師曰、権侍醫辺於茂登(ヲモト)藥師讀也。十二人ニテモ取分自典薬撰出シテ置也。半昇殿人也。故用歟。旁辺心也。薬佐使君臣差別佐使其験極急也。君臣其験漸々。〔謙堂文庫蔵六一右C〕

とあって、標記語「分明」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ヒライテ)玉章ヲ|(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)ヲ|御用望(  マウ)(ステ)分明ク∨(ヲホセ)當道 嚴旨トハイツクシキ詞(コトハ)也。〔下37ウ四〕

とあって、標記語「分明」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

玉章(ぎよくしやう)を披(ひら)き嚴旨(げんし)(うかゞ)御用望(ごようはう)(すで)分明(ふんミやう)(ヒライテ)玉章ヲ|(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)ヲ|御用望(  マウ)(ステ)分明。玉章の注前に見へたり。嚴旨ハ尊意(そんい)貴命(きめい)なとといふに同し。仰(おほ)せの趣(おもむき)といふこゝろなり。〔94ウ六・七〕

とあって、この標記語「分明」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

玉章(ぎよくしやう)を披(ひら)き嚴旨(げんし)(うかゞ)御用望(ごようはう)(すでに)分明(ふんミやう)(なり)/(ヒライテ)玉章ヲ|(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)ヲ|御用望(  マウ)(ステ)分明。〔70ウ二〕

(ひらき)玉章(ぎよくしやう)を|(うかゝひ)嚴旨(げんし)を|御用望(ごようばう)(すで)分明(ふんミやう)(なり)。〔126ウ三〕

とあって、標記語「分明」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Funmio<.フンミャウ(分明) 明瞭なこと.⇒Chocu(直);Qiocuchocu;Texxo.〔邦訳278r〕

とあって、標記語「分明」の語の意味は「明瞭なこと」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ふんみゃう-〔副〕【分明】少しも疑ひなき状に云ふ語。あきらかに。さだかに。はきと。ブンミャウに。ブンメイに。明白に。源平盛衰記、四十二、六條北政所使逢義經事「京よりは誰人の御許より、屋島の何れの方へぞと問へば、いや只と云ひて、いと分明ならず」〔4-232-3〕

とあって、標記語「ふん-みゃう〔名〕【分明】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ふん-みゃう分明】〔名〕(形動)(「ぶんみょう」とも)「ぶんめい(分明)に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
然而于今、斷未蒙分明之院宣《訓み下し》然レドモ今ニ、断ヘテ未ダ分明ノ院宣ヲ蒙ラズ(未ダ断ヘズ。未ダ)。《『吾妻鏡』寿永三年二月二十日の条》
 
 
2005年8月2日(火)晴れ一時曇り。東京→世田谷(駒沢)
用望(ヨウマウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「与」部に、「用心(ヨウジン)。用意(ヨウイ)。用捨(シヤ)。用水(スイ)。用途(ト)」の五語を収載し、標記語「用望」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月十二日の状に、

披玉章厳旨御用望既分明也〔至徳三年本〕

披玉章嚴旨御用望既分明也〔宝徳三年本〕

披玉章厳旨御用望既分明也〔建部傳内本〕

玉章厳旨用望分明也〔山田俊雄藏本〕

玉章フニ(ケン)用望(ステ)分明也〔経覺筆本〕

(ヒライテ)玉章(キヨクシヤウ)(ウカヽウ)厳旨(ケンシ)用望(ヨウマウ)(ステ)分明也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「用望」と表記し、訓みは文明四年本に「ヨウマウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「用望」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「用望」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

用望(ヨウノゾミモチイル、ノゾム)[去・○] 。〔態藝門317八〕

とあって、標記語「用望」の語を収載し、訓みを「ヨウのぞみ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「用望」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』・『塵芥』(上67三)に標記語「用望」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

715披玉章厳旨用望分明也仰當道(タウ)之名醫者可奔走(カリニマカセ/コンチ)ノ 権侍――内裡雖十二人醫者逢天子御氣色輩一人也。二人歟。其人有指_合参内。則唯一人別在也。醫辺マテ也。師曰、権侍醫辺於茂登(ヲモト)藥師讀也。十二人ニテモ取分自典薬撰出シテ置也。半昇殿人也。故用歟。旁辺心也。薬佐使君臣差別佐使其験極急也。君臣其験漸々。〔謙堂文庫蔵六一右C〕

とあって、標記語「用望」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ヒライテ)玉章ヲ|(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)ヲ|用望(  マウ)(ステ)分明也ク∨(ヲホセ)當道 嚴旨トハイツクシキ詞(コトハ)也。〔下37ウ四〕

とあって、標記語「用望」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

玉章(ぎよくしやう)を披(ひら)き嚴旨(げんし)(うかゞ)用望(ごようはう)(すで)に分明(ふんミやう)(ヒライテ)玉章ヲ|(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)ヲ|用望(  マウ)(ステ)分明也。前の状に万端筆を馳難しと書て文言短(ミしか)く用事(ようじ)の旨分(わか)り難(かたか)らんとの意味(いみ)を含(ふくミ)てしるしたるゆへ御返状にかく云し也。こゝにいふこゝろハ御状をひらき申越れし趣を見たりしに用事のわけも能知れたりと也。〔94ウ七〜95オ一〕

とあって、この標記語「用望」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

玉章(ぎよくしやう)を披(ひら)き嚴旨(げんし)(うかゞ)用望(ごようはう)(すでに)分明(ふんミやう)(なり)/(ヒライテ)玉章ヲ|(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)ヲ|用望(  マウ)(ステ)分明也。〔70ウ二〕

(ひらき)玉章(ぎよくしやう)を|(うかゝひ)嚴旨(げんし)を|用望(ごようばう)(すで)分明(ふんミやう)(なり)。〔126ウ三〕

とあって、標記語「用望」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「用望」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「よう-まう〔名〕【用望】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「よう-ぼう用望】〔名〕入用があって所望すること。庭訓往来(1394-1428頃)「披玉章嚴旨用望既分明也」塵芥(1510-50頃)上「用望 ヨウハウ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
大藏卿阿闍梨御房(異筆5)「為器用望申者、恩補不可有予義歟」《 『東大寺百合文書へ』年月日未詳の条41・2/756》
 
 
2005年8月1日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
嚴旨(ゲンシ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、「厳重。厳密。嚴科」の三語を収載し、標記語「嚴旨」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月廿日の状に、

披玉章厳旨御用望既分明也〔至徳三年本〕

披玉章嚴旨御用望既分明也〔宝徳三年本〕

披玉章厳旨御用望既分明也〔建部傳内本〕

玉章厳旨御用望既分明也〔山田俊雄藏本〕

玉章フニ(ケン)御用望既(ステ)分明也〔経覺筆本〕

(ヒライテ)玉章(キヨクシヤウ)(ウカヽウ)厳旨(ケンシ)御用望(ヨウマウ)(ステ)分明也〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「嚴旨」と表記し、訓みは経覺筆本に「(ゲン)シ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「嚴旨」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「嚴旨」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

嚴旨(ゲンシイツクシム、ムネ)[上・平] 。〔態藝門594四〕

とあって、標記語「嚴旨」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、標記語「嚴旨」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

嚴札(ゲンサツ) ―重(デウ)。―命(メイ)。―旨()。―密(ミツ)〔言辞門146四・天理図書館蔵下6オ四〕

とあって、標記語「嚴札」の熟語群として「嚴旨」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』、易林本節用集』に「嚴旨」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月十二日の状には、

715披玉章厳旨御用望既分明也仰當道(タウ)之名醫者可奔走(カリニマカセ/コンチ)ノ 権侍――内裡雖十二人醫者逢天子御氣色輩一人也。二人歟。其人有指_合参内。則唯一人別在也。醫辺マテ也。師曰、権侍醫辺於茂登(ヲモト)藥師讀也。十二人ニテモ取分自典薬撰出シテ置也。半昇殿人也。故用歟。旁辺心也。薬佐使君臣差別佐使其験極急也。君臣其験漸々。〔謙堂文庫蔵六一右C〕

とあって、標記語「嚴旨」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ヒライテ)玉章ヲ|(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)ヲ|御用望(  マウ)(ステ)分明也ク∨(ヲホセ)當道 嚴旨トハイツクシキ詞(コトハ)也。〔下37ウ四〕

とあって、標記語「嚴旨」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

玉章(ぎよくしやう)を披(ひら)き嚴旨(げんし)(うかゞ)御用望(ごようはう)(すで)に分明(ふんミやう)(ヒライテ)玉章ヲ|(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)ヲ|御用望(  マウ)(ステ)分明也。玉章の注前に見へたり。嚴旨ハ尊意(そんい)貴命(きめい)なとといふに同し。仰(おほ)せの趣(おもむき)といふこゝろなり。〔94ウ六・七〕

とあって、この標記語「嚴旨」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

玉章(ぎよくしやう)を披(ひら)き嚴旨(げんし)(うかゞ)御用望(ごようはう)(すでに)分明(ふんミやう)(なり)/(ヒライテ)玉章ヲ|(ウカヽヒ)嚴旨(ゲンシ)ヲ|御用望(  マウ)(ステ)分明也▲嚴旨ハ仰(おほせ)せの趣(おもむき)といふ意也。貴命(きめい)御意(ぎよい)などいふと同じ。〔70ウ二、70ウ五〕

(ひらき)玉章(ぎよくしやう)を|(うかゝひ)嚴旨(げんし)を|御用望(ごようばう)(すで)分明(ふんミやう)(なり)▲嚴旨ハ仰(おほせ)せの趣(おもむき)といふ意也。貴命(きめい)御意(ぎよい)などいふと同じ。〔126ウ三、127オ一〕

とあって、標記語「嚴旨」の語をもって収載し、その語注記は「嚴旨は、仰(おほせ)せの趣(おもむき)といふ意なり。貴命(きめい)御意(ぎよい)などいふと同じ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「嚴旨」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「げん-〔名〕【嚴旨】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「げん-嚴旨】〔名〕@きびしい命令。また、その趣旨。明衡往来(11C中か)中末「右別納租穀已無用残。然而為嚴旨弁済侍」*兵範記-久安五年(1149)一〇月二〇日「当時嚴旨尤可後代規模云々」A相手を敬って、その手紙の趣旨をいう語。明衡往来(11C中か)上本「伏奉嚴旨。鬱陶已散。如青天」*庭訓往来(1394-1428頃)「被玉章嚴旨。御用望既分明也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
朝光傳嚴旨者、當寺爲平相國回禄、空殘礎石、悉爲灰燼、衆徒尤可悲歎事歟《訓み下し》朝光厳旨(ゲンシ)ヲ伝フ者(厳旨(ゲンシ)ヲ伝ヘテ云ク)、当寺平相国ノ為ニ回禄シ、空ク礎石ヲ残シ、悉ク灰燼トナル、衆徒ノ尤モ悲歎スベキ事カ。《『吾妻鏡』建久六年三月十二日の条》
 
 
 
 

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