2005年09月01日から09月30日迄

 BACK(「ことばの溜め池」表紙へ)

 MAIN MENU

ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
2005年9月30日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
押移推移(ヲシウツル)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、「押板(ヲシイタ)。押籠(コミ)。押並(ナラヘ)。押(モチル)。押買(ガイ)。押着(ツケ)」の六語と「推手(ヲシテ)。推量(スイハカル)リヤウ。推壓(ヘス)」の三語を収載し、標記語「推移」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔至徳三年本〕

御任國之後烏兎押移遙不遂面拝候間頗如忘往日之昵近〔宝徳三年本〕

御任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔建部傳内本〕

御任國之後烏兎(ウド)押移(ヲシウツテ)面拝候間頗ルヽカ往日(ジツ)〔山田俊雄藏本〕

御任(ニン)國之後烏兎(ウト)推移(オシウツヽテ)面拝之條頗(スコフル)ルガ往日昵近(ヂツキン)〔経覺筆本〕

御任(ニン)之後烏兎(ウト)押移(ヲシウツテ)(ハルカ)面拝間頗(スコフ)(ワスルヽカ)ワスレタルカ往日之(ノ)昵近(チツキン)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・文明四年本に「押移」、経覺筆本に「推移」と表記し、訓みは経覺筆本に「ヲシウツツテ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「ヲシウツテ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「推移」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「推移」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

推移(ヲシウツルスイイ)[○・平] 。〔態藝門220六〕

とあって、標記語「推移」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』に、標記語「推移」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』にだけ、標記語「推移」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

729御任国之後烏兎推移面拝候間 烏日也。兎月也。尭時卞日並出命シテ使ルニ之。即射落烏也。又昔釈迦菩薩砌、鳥類草木マテ仰心アリ。中ニモ菓子。狐川魚。兎无調法ニシテルコト一物。其時集草木。帝尺シテ、天月出也。故尓也云々。〔謙堂文庫蔵六二左A〕

とあって、標記語「推移」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

烏兎(ウト)押移(ヲシウツリテ)(ハルカニ)(トゲ)(メン)之間(アヒタ)(スコブル)(ワスル)ヽカ徃日(ワウジツ)(ノ)(チツキン)(シタカツ)(テ)(ゴ)上洛(シヤウラク)之處(トコロ)ルノ(アツカラ)(イン)(テウ)烏兎押移ルト云事深キ心得有宜ク外典ニ見ヘタリ。月ノ内ニ三眼(ゲン)六足ノ兎(ウサキ)有。日ノ内ニ三足ノ烏有。是ヲ烏兎(ウト)推移(ヲシウツ)ルト云也。月日ノ立ヲ加様ニ云也。押移ト云事月宮殿ニハ十五人ノ童子アリ。一日ヨリ十五日マデ白裝束ニテ月宮殿ニ入リ給フ也。押ト云事。大事也。彼(カノ)童子達ノ宮殿ヲ照(テラ)ス也。十六日ヨリ。黒(クロキ)裝束(シヤウゾク)ニテ入テ遊戯(ユゲ)スルナリ。〔下39オ二〜六〕

とあって、標記語「押移」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

烏兎(うと)押移(おしうつ)烏兎押移。月日のたつを云也。外典(けてん)に日輪(にちりん)の内に三足(さんぞく)乃烏(からす)あり。月輪(くわちりん)の内に六足の兎(うさき)ありといえるによりて日月の事を烏兎といふなり。 〔97オ七・八〕

とあって、この標記語「押移」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何。〔71オ六〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。〔129ウ三〕

とあって、標記語「押移」の語は未収載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Voxivtcuri,u.ヲシウツリ,ル(推し移り,る)→Vto.〔本邦727r〕

とあって、標記語「推移」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おし-うつル・レ・ラ・リ・レ〔自動、四〕【推移】移りかはる。過ぎ行く。(世事に、年月に)榮花物語、四、見果てぬ夢「淺ましう、よこがましかりつる御有樣の、おしうつりたりし程を」〔293-1〕

とあって、標記語「おし-うつ推移】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おし-うつ推移】〔自ラ五(四)〕(「おし」は接頭語)時間、時勢、境遇、考え、感情などが変化していく。他の状態に移り変わる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
依此儀式、時尅推移兮、及未二點、御出于西廊召前大膳亮泰貞朝臣、〈衣冠〉故可勤反閉之旨、被仰、泰貞、無官之由、頻雖辭申之、被用畢《訓み下し》此ノ儀式ニ依テ、時剋推シ移ツテ、未ノ二点ニ及ンデ、西廊ニ御出デ、前ノ大膳ノ亮泰貞朝臣〈衣冠〉ヲ召ス、故反閉ヲ勤ムベキノ旨、仰セラレ、泰貞ハ、無官ノ由、頻ニ之ヲ辞シ申スト雖モ、用ヒラレ畢ンヌ。《『吾妻鑑』寛喜四年三月三日の条》
 
 
烏兎(ウト)は、ことばの溜め池(2000.09.29)を参照。
《補遺》 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vto.ウト(烏兎) すなわち,Fi,tcuqi.(日,月)日と月の意であるが,それだけ単独には用いられない.例,Vto voxivtcuri mo<xi soro.(烏兎推し移り申候)Fisaxu< fedatatta(久しう隔たった)などというのに同じ.長らくあなたの便りを聞いていません.または,お互いに長い間往き来しておりません.〔本邦736r〕

とあって、標記語「烏兎」の語を収載する。
 
2005年9月29日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
任国(ニンコク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「仁」部に、「任運(ニンウン)。任着(ジヤク)」の二語を収載し、標記語「任国」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔至徳三年本〕

任國之後烏兎押移遙不遂面拝候間頗如忘往日之昵近〔宝徳三年本〕

任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔建部傳内本〕

任國之後烏兎(ウド)押移(ヲシウツテ)面拝候間頗ルヽカ往日(ジツ)〔山田俊雄藏本〕

(ニン)之後烏兎(ウト)推移(オシウツヽテ)面拝之條頗(スコフル)ルガ往日昵近(ヂツキン)〔経覺筆本〕

(ニン)之後烏兎(ウト)押移(ヲシウツテ)(ハルカ)面拝間頗(スコフ)(ワスルヽカ)ワスレタルカ往日(ノ)昵近(チツキン)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「任国」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「ニン(コク)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「任国」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「任国」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

任国(ニンコク・マカスジン・タヘタリ、クニ)[去・入] 。〔態藝門91四〕

とあって、標記語「任国」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』は、標記語「任国」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「任国」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

729御任国之後烏兎推移不面拝候間 烏日也。兎月也。尭時卞日並出命シテ使ルニ之。即射落烏也。又昔釈迦菩薩砌、鳥類草木マテ仰心アリ。中ニモ菓子。狐川魚。兎无調法ニシテルコト一物。其時集草木。帝尺シテ、天月出也。故尓也云々。〔謙堂文庫蔵六二左A〕

とあって、標記語「任国」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

()任國(ニンゴク)之後(ノチ)トハ。国ヲ進退(シンタイ)スル事ナリ。〔下39オ二〕

とあって、標記語「任国」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ご)任国(にんこく)(の)(のち)任國之後。任国とハ国主の職に任せられたるなり。住国(ぢうこく)之後とある本ハあやまりなり。 〔97オ六〕

とあって、この標記語「任国」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何。▲任國とハ国(くに)の守(かミ)に任(にん)ぜられ其國(そのくに)に下(くだ)りて国政(こくせい)を聴(き)くをいふ。〔71オ六・71ウ二〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。▲任國とハ国(くに)の守(かミ)に任(にん)ぜられ其國(そのくに)に下(くだ)りて国政(こくせい)を聴(き)くをいふ。〔129ウ三・130オ二〕

とあって、標記語「任国」の語注記は、「任國とは、国(くに)の守(かミ)に任(にん)ぜられ其國(そのくに)に下(くだ)りて国政(こくせい)を聴(き)くをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「任国」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

にん-こく〔名〕【任国】國司の任。又、國司ノ任ぜられたる國。受領(ジユリヤウ)源平盛衰記、廿七、資永中風死去事「軍兵を催すといへども、資永任國の越後は、木曾押領の閨A不國務」〔1504-3〕

とあって、標記語「にん-こく任国】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「にん-こく任国】〔名〕(「にんごく」とも)@国司として任命された国。また、その国に赴任すること。A大公使。領事として赴任する国」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
日向守廣房、在任國可被任之。《訓み下し》日向ノ守広房、(ニン)ニ在リ。之ヲ任ゼラルベシ。《『吾妻鑑』文治元年十二月六日の条》
 
 
2005年9月28日(水)薄晴れ。東京→世田谷(駒沢)
主税(ちから)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

主税(チカラノカミ)〔元亀二年本69六〕〔静嘉堂本82六〕〔天正十七年本上41オ七〕

とあって、標記語「主税」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

進上 宮内殿御返事〔至徳三年本〕

進上 宮内殿御返事〔宝徳三年本〕

進上 宮内少輔殿〔建部傳内本〕

進上 宮内少輔殿〔山田俊雄藏本〕

進上 宮内殿御返事〔経覺筆本〕

進上 宮内殿御返事〔文明四年本〕

と見え、建部傳内本山田俊雄藏本は、「宮内少輔殿」とし、至徳三年本・宝徳三年本・経覺筆本・文明四年本は、「宮内殿御返事」と記載する。古写本には、「主税」の語は見えていない。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「主税」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

主税(チカラノカミ) 倉部(サウホウ)郎中也。〔官位門43五〕

とあって、標記語「主税」の語を収載し、語注記に「倉部(サウホウ)郎中なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

主税寮(チカラノレウシユせイ)[○・去・上] 唐名倉部又兌田頭助允属同主計。〔官位門161三〕

とあって、標記語「主税寮」の語を収載し、「唐名は倉部。また兌田。頭・助・允・属、主計に同じ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

主税(チカラノカミ) 倉部郎中・人倫門49四〕〔・官名門51三〕〔・官名門46七〕〔・官名門55二〕

とあって、標記語「主税」の語を収載し、語注記は『下學集』に遵う。また、易林本節用集』には、標記語「主税」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「主税{寮}」の語を収載し、これを下記真字本は、「主税介」として収載する。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

728謹上主税介殿〔謙堂文庫蔵六二左@〕※天理図書館藏『庭訓往來註』は、「謹上宮内―主税介殿少輔殿」とし、冠頭注記に「宮―――相當従五位下、唐名工部員外郎」と記載する。

とあって、標記語「主税」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

進上 宮内少輔(ホ)殿。〔下39オ一〕

とあって、標記語「主税」の語は未収載にし、「宮内」の語を以て記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

進上 宮内(くない)少輔(せうゆふ)殿(との)御返事(おんへんじ)進上 宮内少輔(ホ)殿御返事 〔96オ五〕

とあって、この標記語「主税」の語は未収載にし、「宮内」の語を以て記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

進上(しんじやう) 主税(ちから)の助(すけ)殿(どの)進上主税殿。〔72オ五〕

進上(しんじやう) 主税(ちからの)(すけ)殿(どの)。〔129ウ二〕

とあって、標記語「主税」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「主税」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語(官職名)「ちから主税】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちから主税】〔名〕主税寮(ちからりょう)のこと。また、そこの官人。しゅぜいりょう。しゅぜい」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
(これ)が出(いで)たちなば、主計頭(かずへのかみ)、主税頭(ちからのかみ)、助、大夫史には、異(こと)人はきしろふべきやうもなかんめり。《『宇治拾遺物語』小槻(をづき)當平(まさひら)事一〇・九》
右大將家御拜賀也主税頭在宣朝臣、献日時勘文是依院宣也《訓み下し》右大将家御拝賀ナリ。主税(チカラ)ノ頭在宣朝臣、日時ノ勘文ヲ献ズ。是レ院宣ニ依テナリ。《『吾妻鏡』建久元年十二月一日の条》
 
 
2005年9月27日(火)曇り。東京→世田谷(駒沢)
礒部(イソベ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、標記語「礒部」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

礒部〔至徳三年本〕

礒部〔宝徳三年本〕

礒部〔建部傳内本〕

礒部(イソベ)〔山田俊雄藏本〕

礒部(イソベ)〔経覺筆本〕

礒部〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「礒部」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「イソベ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「礒部」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「礒部」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「礒部」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

727主計頭礒部 彼氏内裡-者スル薬師也。〔謙堂文庫蔵六二右H〕

※天理図書館藏『庭訓往來註』は、「礒部(イソベ)―主計頭イ某 彼氏内裡-者薬師也」と記載。

とあって、標記語「礒部」の語を収載し、この語における語注記は「彼の氏は、内裡に於ける薬師の奏者するなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

礒部(イソベ)(ソレガシ)。〔下38ウ八〕

とあって、標記語「礒部」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

礒部(いそべ)(それかし)礒部某 〔97オ四〕

とあって、この標記語「礒部」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

十一月(しふいちぐハつ)の日(ひ)。主計(かずへ)乃頭(かミ)十一月日 主計。〔71オ四〕

十一月(しふいちぐハつ)(ひ)主計(かずへ)(かミ)。〔129ウ一〕

とあって、標記語「礒部」の語は未収載にし、唐名「主計頭」の語を記載する。注釈本では、「礒部氏」についての注記の記載は真名註のみに見えるものである。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「礒部」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語(姓名)「いそ-礒部】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いそ-磯部磯辺】〔名〕姓氏の一つ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
去月五日、到著于西念之住所上野國礒部郷《訓み下し》去月ノ五日ニ、西念ガ住所上野ノ国礒部ノ郷ニ到著ス。《『吾妻鑑』建仁元年五月十四日の条》※此処では地名の「礒部」として記載する。
 
 
御意(ギヨイ)ことばの溜め池(2000.10.08)ことばの溜め池(2003.02.18)
 
養生(ヤウジヤウ)ことばの溜め池「養性=養生」(2000.12.6)
 
恐々謹言(キヤウキヤウキンゲン)ことばの溜め池(2000.10.05)
 
2005年9月26日(月)薄晴れ。東京→世田谷(駒沢)
禁忌(キンキ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

禁忌(バウ)〔元亀二年本282十〕※「忘」の字体と「忌」の字体相似による訓み違え。

禁忌(キ)〔静嘉堂本323七〕

とあって、標記語「禁忌」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「禁忌」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「キン(キ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

禁忌 雜部/キンキ〔黒川本・畳字門下51ウ八〕

禁制 〃色シキ。〃断。〃遏。〃裏。〃?井/内裏也。〃苑ヱン/帝也〃忌。〃正。〃固〔卷第八・畳字門520一〕

とあって、標記語「禁忌」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「禁忌」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

禁忌(キンキイマシメ、イム)[平去・去] 。〔態藝門827八〕

とあって、標記語「禁忌」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

禁忌(キンキ) ・言語進退門222八〕

禁忌(キンギ) ―獄(ゴク)。―戒(カイ)。―足(ソク)/―断(ダン)。―制(ぜイ)。〔・言語門185二〕

禁忌(キンキ) ―獄。―戒。―足/―断。―制。〔・言語門174五〕

とあって、標記語「禁忌」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

禁制(キンぜイ) ―断(ダン)。―物(モツ)。―札(サツ)。―獄(ゴク)。―戒(カイ)―忌(キ)。―足(ソク)。―好物(カウモツ)。―止(ジ)〔言辞門189三・天理図書館蔵下27ウ三〕

とあって、標記語「禁制」の熟語群として「禁忌」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「禁忌」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

725塩噌飲水浅味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌之亊候有御意得養性恐々謹言〔謙堂文庫蔵六二右F〕

とあって、標記語「禁忌」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

淺味(せンミ)熱湯(ネツタウ)寒氣(カンキ)薄衣(ハクヱ)炎天(ヱンテン)重服(ヂウブク)(ミナ)禁忌(キンキ)候有御意得(エ)(ラル)養性(ヤウジヤウ)淺味(せンミ)ノ熱湯(ネツタウ)ハ。(シホ)モナク淡(アワシ)キ物ヲ食(クウ)テ熱(アツ)キ湯ヲ飲ム事是毒(トク)ナリ。残(ノコ)リハ。大(カイ)文章ノ字面ニテ聞(キコ)ユルナリ。〔下38ウ五〜七〕

とあって、標記語「禁忌」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(の)(こと)に候ふ也皆以禁忌之亊候也禁も忌も皆いむと訓す。房内の過度といふより炎天の重服といふを十八ケ条の事皆身心をつからかし血氣(けつき)をやふる不養生(ふやうしやう)の事ゆへ第一乃禁物なり。 〔96ウ八〜97オ一〕

とあって、この標記語「禁忌」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌。〔71ウ二〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)。〔128オ六〕

とあって、標記語「禁忌」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qinqi.キンキ(禁忌) 禁じられている物,または,ある人が自分の胃や健康に害があるために避けている物.〔邦訳499r〕

とあって、標記語「禁忌」の語の意味は「禁じられている物,または,ある人が自分の胃や健康に害があるために避けている物」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きん-〔名〕【禁忌】忌みて、禁むること。醫家に、病人の食物などに云ふ。禁物。漢書、藝文志、「牽禁忌于小衝」(月日、方位などに)源平盛衰記、三、諒闇事「天子の、親に別れ奉ぬれば、四海の内、一天下、皆禁忌なれば、諒闇と云也」〔483-3〕

とあって、標記語「きん-禁忌】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きん-禁忌】〔名〕@さわりのあるものとして忌みはばかられる物事への接近・接触を禁ずること。病気・出産・死などの状態に関するもの、食べ物、方角、日時に関するものなどさまざまな形のものがあり、一般に、違反者は超自然的な制裁を蒙るものとされる。さわり。タブー。Aある薬剤ないしは治療を試みる場合、病気を悪化させるなど、人体に何らかの悪影響を与えるとしてそれらの方法は用いるべきでないということ。薬物学、外科、レントゲン、精神療法上に用いられる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
日向守廣房、在任國可被任之隆職、成追討宣旨、天下草創之時、禁忌可候也仍可被停廢《訓み下し》日向ノ守広房、任国ニ在リ。之ヲ任ゼラルベシ。隆職、追討ノ宣旨ヲ成ス、天下草創ノ時、禁忌(キンキ)候フベキナリ。仍テ停廃セラルベシ。《『吾妻鏡』文治元年十二月六日の条》
 
 
2005年9月25日(日)曇り北西風。東京→世田谷(玉川→駒沢)
重服(ヂウフク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

重服(ブク)〔元亀二年本65六〕

(チウ)〔静嘉堂本76六〕

重服(チウフク)〔天正十七年本上38ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「重服」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「重服」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「デウ(フク)」、文明四年本に「チウフク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

重服 チウフク〔黒川本・畳字門中上56ウ四〕

重寳 〃職。〃物。〃書。〃屋。〃。〃涯。〃城。〃宵。〃譯。〃溟。〃冷ニケム。〃山。〃疊。〃林子。〃罪。〃門。〃軒。〃事。〃陽。〃雲。〃霧。〃蓆。〃江。〃坏。〃色。〃舌病也。〃幄。〃夏。〃途。〃道。〃路。〃叙。〃輪。〃服〔卷第二・言語進退門469五〕

とあって、標記語「重服」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「重服」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

重服(チヨウフク・ヲモシカサナル、キル)[平去・入] 。〔態藝門172四〕

とあって、標記語「重服」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「重服」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

重服(ヂウブク) 〔言語門52七・天理図書館蔵上26ウ七〕

とあって、標記語「重服」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「重服」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

725塩噌飲水浅味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌之亊候有御意得養性恐々謹言〔謙堂文庫蔵六二右F〕

とあって、標記語「重服」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

淺味(せンミ)熱湯(ネツタウ)寒氣(カンキ)薄衣(ハクヱ)炎天(ヱンテン)重服(ヂウブク)(ミナ)禁忌(キンキ)候有御意得(エ)(ラル)養性(ヤウジヤウ)淺味(せンミ)ノ熱湯(ネツタウ)ハ。(シホ)モナク淡(アワシ)キ物ヲ食(クウ)テ熱(アツ)キ湯ヲ飲ム事是毒(トク)ナリ。残(ノコ)リハ。大(カイ)文章ノ字面ニテ聞(キコ)ユルナリ。〔下38ウ五〜七〕

とあって、標記語「重服」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

炎天(ゑんてん)重服(ぢうふく)炎天重服夏の暑さを忍ひて厚着(あつぎ)するをいふなり。 〔96ウ七〕

とあって、この標記語「重服」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲炎天重服ハ暑気(あつさ)を忍(しの)びて重着(かさねぎ)するなり。〔71ウ一、71ウ八〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲炎天重服ハ暑気(あつさ)を忍(しの)びて重着(かさねぎ)するなり。〔128オ四、129オ三〕

とあって、標記語「重服」の語をもって収載し、その語注記は、「炎天の重服は、暑気(あつさ)を忍(しの)びて重着(かさねぎ)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Giu<bucu.ヂュウフク(重服) Casane qiru.(重ね服る)着物の上に着物を重ねて着ること,または,裏をつけた綿入れの着物.→次条.〔邦訳320l〕

†Giu<bucu.ヂュウフク(重服) Casanuru qirumono.(重ぬる服る物)寒さのために,着物の上にさらに着物を重ねて着ること.〔邦訳320l〕

Giu<bucu.ヂュウフク(重服) 父,あるいは,親戚が死んで間もない頃,〔喪に服する〕礼法により,または,物忌みによって外出しないこと.〔邦訳320l〕

とあって、標記語「重服」の語の意味は「Casanuru qirumono.(重ぬる服る物)寒さのために,着物の上にさらに着物を重ねて着ること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぢュう-ぶく〔名〕【重服】(一)喪に輕重の二あり、重服は其一にして、父母の忌服(きぶく)を云ひ、これに對して、其餘の服を輕服(きやうぶく)と云ふ。名目抄(藤原實X)「重服(ヂウフク)、父母、夫、主君」天武紀、下、七年十月重服(オヤノウレヘ)軍防令義解「凡衞士、云云、其上番年、雖有重服」(謂父母喪也)不下限(二)忌服中に、又、更に、忌服のかかること。保元物語、三、謀叛人各遠流事「兄弟四人、各重服の裝束にて」〔1292-2〕

とあって、標記語「ぢュう-ふく重服】」の語を収載するが、意味は異なっている。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぢう-ふく重服】〔名〕@重い喪。その喪に服すること。また、おもい忌服。父母の死の際の忌服。重喪(じゅうも)。⇔軽服(きょうぶく)。A寒さを防ぐため、着物を重ねて着ること。また、その着物」とあって、Aの用例として『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年9月24日(土)小雨。東京
炎天(エンテン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「衛」部に、

炎天(エンテン)〔元亀二年本335九〕

炎天(ヱンテン)〔静嘉堂本401二〕

とあって、標記語「炎天」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「炎天」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ヱン(テン)」、経覺筆本に「エンテン」、文明四年本に「エン(テン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「炎天」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「炎天」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

(ヱンテンホノヲ、ソラ)[去・平] 。〔態藝門707六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

炎天(エンテン)・時節門193一〕

炎天(エンテン)。―旱・言語門161一〕

炎天(ヱンテン) ―旱。―・天地門148四〕 炎天。―旱・言語門150二〕

とあって、標記語「炎天」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

炎天(エンテン) 夏天〔乾坤門161六・天理図書館蔵下13ウ六〕

とあって、標記語「炎天」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「炎天」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

725塩噌飲水浅味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌之亊候有御意得養性恐々謹言〔謙堂文庫蔵六二右F〕

とあって、標記語「炎天」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

淺味(せンミ)熱湯(ネツタウ)寒氣(カンキ)薄衣(ハクヱ)炎天(ヱンテン)重服(ヂウブク)(ミナ)禁忌(キンキ)候有御意得(エ)(ラル)養性(ヤウジヤウ)淺味(せンミ)ノ熱湯(ネツタウ)ハ。(シホ)モナク淡(アワシ)キ物ヲ食(クウ)テ熱(アツ)キ湯ヲ飲ム事是毒(トク)ナリ。残(ノコ)リハ。大(カイ)文章ノ字面ニテ聞(キコ)ユルナリ。〔下38ウ五〜七〕

とあって、標記語「炎天」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

炎天(ゑんてん)の重服(ぢうふく)炎天重服夏の暑さを忍ひて厚着(あつぎ)するをいふなり。 〔96ウ七〕

とあって、この標記語「炎天」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(ゑんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲炎天重服ハ暑気(あつさ)を忍(しの)びて重着(かさねぎ)するなり。〔71ウ一、71ウ八〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲炎天重服ハ暑気(あつさ)を忍(しの)びて重着(かさねぎ)するなり。〔128オ四、129オ三〕

とあって、標記語「炎天」の語をもって収載し、その語注記は、「炎天の重服は、暑気(あつさ)を忍(しの)びて重着(かさねぎ)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yenten.エンテン(炎天) Atcuqi sora.(炎き天) 暑くて焼けつくような天候.¶Yentenuo xinogu.(炎天を凌ぐ)非常な暑さをきりぬける.〔邦訳820l〕

とあって、標記語「炎天」の語の意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

えん-てん〔名〕【炎天】暑中の、もゆるが如き天(そら)孔融詩「巖巖鍾山首、赫赫炎天路」小町踊、夏、雲嶺「富士山や、炎天に見る、雲の峰」〔280-4〕

とあって、標記語「えん-てん炎天】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「えん-てん炎天】〔名〕@(「えんでん」とも)仏語。欲界の第三重天。夜摩天(やまてん)。A燃えるように暑い盛夏の空。また、その天気。炎日。《季・夏》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
夏日閑居要炎天暑服愛蕉紗《『田氏家集』中・夏日納涼の条》
 
 
2005年9月23日(金)晴れ。奈良(王寺町)→東京
薄衣(ハクエ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

薄衣(ハクエ)〔元亀二年本26六〕

薄衣(ハクヱ)〔静嘉堂本24八〕〔天正十七年本上13ウ三〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「薄衣」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「薄衣」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ハクヱ」、経覺筆本に「ハクイ」、文明四年本に「(ハク)ヱ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「薄衣」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「薄衣」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

薄衣(ハクヱ・キルウスシ、・コロモ)[入・去] 。〔態藝門65三〕

とあって、標記語「薄衣」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「薄衣」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』『運歩色葉集』に標記語「薄衣」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

725塩噌飲水浅味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌之亊候有御意得養性恐々謹言〔謙堂文庫蔵六二右F〕

とあって、標記語「薄衣」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

淺味(せンミ)熱湯(ネツタウ)寒氣(カンキ)薄衣(ハクヱ)炎天(ヱンテン)重服(ヂウブク)(ミナ)禁忌(キンキ)候有御意得(エ)(ラル)養性(ヤウジヤウ)淺味(せンミ)ノ熱湯(ネツタウ)ハ。(シホ)モナク淡(アワシ)キ物ヲ食(クウ)テ熱(アツ)キ湯ヲ飲ム事是毒(トク)ナリ。残(ノコ)リハ。大(カイ)文章ノ字面ニテ聞(キコ)ユルナリ。〔下38ウ五〜七〕

とあって、標記語「薄衣」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

寒氣(かんき)薄衣(はくゑ)寒氣薄衣冬の寒さを忍ひて薄着するをいふなり。 〔96ウ六・七〕

とあって、この標記語「薄衣」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲寒気薄衣ハ寒気(さむき)を堪(こら)へて薄着(うすぎ)する也。〔71ウ一、71ウ八〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲寒気薄衣ハ寒気(さむき)を堪(こら)へて薄着(うすぎ)する也。〔128オ五、129オ二〕

とあって、標記語「薄衣」の語をもって収載し、その語注記は、「寒気の薄衣は、寒気(さむき)を堪(こら)へて薄着(うすぎ)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Facuye.ハクエ(薄衣) Vsuguinu(薄衣)に同じ.絹の薄い織物.〔邦訳195r〕

とあって、標記語「薄衣」の語の意味は「Vsuguinu(薄衣)に同じ.絹の薄い織物」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「はく-薄衣】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はく-薄衣】〔名〕「はくい(薄衣)」に同じ。《季・夏》太平記(14C後)一七・北国下向勢凍死事「元より薄衣(ハクエ)なる人、飼事無りし馬共、此や彼に凍死で」*地藏菩薩靈驗記(16C後)九・二「薄衣(ハクエ)麁食尤も乏きとせず」*日葡辞書(1603-04)「Facuye(ハクエ)。ウスイ キルモノ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年9月22日(木)曇り。東京→世田谷(駒沢)→奈良(王寺町・第13回やわらぎ杯24時間耐久リレーマラソン)
寒氣(カンキ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「寒食(カンシヨク)冬一百五日目也」の一語を収載し、この標記語「寒氣」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「寒氣」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(カン)キ」、文明四年本に「カンキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「寒氣」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「寒氣」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「寒氣」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

725塩噌飲水浅味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌之亊候有御意得養性恐々謹言〔謙堂文庫蔵六二右F〕

とあって、標記語「寒氣」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

淺味(せンミ)熱湯(ネツタウ)寒氣(カンキ)薄衣(ハクヱ)炎天(ヱンテン)重服(ヂウブク)(ミナ)禁忌(キンキ)候有御意得(エ)(ラル)養性(ヤウジヤウ)淺味(せンミ)ノ熱湯(ネツタウ)ハ。(シホ)モナク淡(アワシ)キ物ヲ食(クウ)テ熱(アツ)キ湯ヲ飲ム事是毒(トク)ナリ。残(ノコ)リハ。大(カイ)文章ノ字面ニテ聞(キコ)ユルナリ。〔下38ウ五〜七〕

とあって、標記語「寒氣」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

寒氣(かんき)の薄衣(はくゑ)寒氣薄衣冬の寒さを忍ひて薄着するをいふなり。 〔96ウ六・七〕

とあって、この標記語「寒氣」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲寒気薄衣ハ寒気(さむき)を堪(こら)へて薄着(うすぎ)する也。〔71ウ一、71ウ八〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲寒気薄衣ハ寒気(さむき)を堪(こら)へて薄着(うすぎ)する也。〔128オ五、129オ二〕

とあって、標記語「寒氣」の語をもって収載し、その語注記は、「寒気の薄衣は、寒気(さむき)を堪(こら)へて薄着(うすぎ)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Foyacu.カンキ(寒氣) .〔邦訳r〕

とあって、標記語「寒氣」の語の意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かん-〔名〕【寒氣】寒き程(ほど)。さむさ。禮記、月令篇「季春行冬令則寒氣時發、草木皆肅、國有大恐太平記、十二、~泉苑事「寒氣膚を侵し、五體に水を灑が如し」〔423-3〕

とあって、標記語「かん-寒氣】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-寒氣】〔名〕寒く感じられる気配。また、寒さの程度。寒さ。寒け。《季・冬》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爲追討木曽冠者義仲主、所發向北陸道、平氏軍兵等、悉以歸京都已屬寒氣、在國難治之由、雖成披露眞實之體、怖義仲之武略之故〈云云〉《訓み下し》木曽ノ冠者義仲主ヲ追討センガ為ニ、北陸道ニ発向スル所ノ、平氏ノ軍兵等、悉ク以テ京都ニ帰ル。已ニ寒気(カンキ)ニ属シ、在国シテ難治ノ由、披露ヲ成スト雖モ、真実ノ体ハ、義仲ガ武略ヲ怖ルルガ*故ト(*故ナリト)〈云云〉。《『吾妻鏡』寿永元年九月十五日の条》
 
 
2005年9月21日(水)曇り。東京→世田谷(駒沢)→北千住(シアター1010・オペラじょうるり)
熱湯(ネツタウ・アツユ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「禰」部に、

熱湯(タウ)〔元亀二年本163八〕〔静嘉堂本181一〕

(タウ)〔天正十七年本中21ウ一〕

とあって、標記語「熱湯」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「熱湯」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ネツトウ」、文明四年本に「ネツタウ/あつゆ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「熱湯」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「熱湯」の語は未収載にする。次に、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

熱湯(ネツタウ) ・言語進退門135三〕

とあって、弘治二年本にのみ標記語「熱湯」の語を収載する。また、易林本節用集』には、標記語「熱湯」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』、弘治二年本節用集』に標記語「熱湯」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

725塩噌飲水浅味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌之亊候有御意得養性恐々謹言〔謙堂文庫蔵六二右F〕

とあって、標記語「熱湯」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

淺味(せンミ)熱湯(ネツタウ)寒氣(カンキ)薄衣(ハクヱ)炎天(ヱンテン)重服(ヂウブク)(ミナ)禁忌(キンキ)候有御意得(エ)(ラル)養性(ヤウジヤウ)淺味(せンミ)ノ熱湯(ネツタウ)ハ。(シホ)モナク淡(アワシ)キ物ヲ食(クウ)テ熱(アツ)キ湯ヲ飲ム事是毒(トク)ナリ。残(ノコ)リハ。大(カイ)文章ノ字面ニテ聞(キコ)ユルナリ。〔下38ウ五〜七〕

とあって、標記語「熱湯」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)浅味熱湯味あわき物を食してあつき白湯(さゆ)を飲を云也。 〔96ウ五・六〕

とあって、この標記語「熱湯」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲淺味熱湯たぎりたる素湯(さゆ)などを多(おほ)くのむ也。〔71ウ一、71ウ七・八〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲淺味熱湯ハたぎりたる素湯(さゆ)などを多(おほ)くのむ也。〔128オ四、129オ二〕

とあって、標記語「熱湯」の語をもって収載し、その語注記は、「飲水の熱湯は、たぎりたる素湯(さゆ)などを多(おほ)くのむなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Atcuyu.アツユ(熱湯) すなわち,Atcuiyu.(熱い湯)熱湯.〔邦訳37l〕

Netto<.ネツタウ(熱湯) 極度に熱い湯.または,沸き立っている風呂.〔邦訳460l〕

とあって、標記語「熱湯」の語の意味は「極度に熱い湯.または,沸き立っている風呂」「すなわち,Atcuiyu.(熱い湯)熱湯」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ねッ-たう〔名〕【熱湯】にえゆ。沸きたちたる湯。禮記、月令篇「季夏之月、云云、土潤暑、大雨時行、燒薙行水、利以殺一レ草、如熱湯太平記、廿六、正行參吉野事「將軍左兵衞督の周章、唯熱湯にて手を濯ふが如し」〔1524-3〕

とあって、標記語「ねッ-たう熱湯】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ねっ-とう熱湯】〔名〕煮えたっている湯。煮え湯」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。また、標記語「あつ-熱湯】〔名〕熱い湯。煮え湯。また、高温の風呂場」とある。
[ことばの実際]
況復治淫水而有功。掬熱湯而無傷。《『本朝文粹』(1060頃)十二、鉄槌傳<羅泰>の条》
 
 
2005年9月20日(火)曇り夜俄雨。東京→本郷三丁目→世田谷(駒沢)
淺味(センミ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、標記語「淺味」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「淺味」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「セン(ミ)」、経覺筆本・文明四年本に「センミ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「淺味」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「淺味」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

浅味(せンアサシ、・アヂワイ)[平去・去] 。〔態藝門1105一〕

とあって、標記語「淺味」の語を収載し、訓みは「センミ」または「センビ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「淺味」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「浅味」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

725塩噌飲水浅味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌之亊候有御意得養性恐々謹言〔謙堂文庫蔵六二右F〕

とあって、標記語「淺味」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

淺味(せンミ)熱湯(ネツタウ)寒氣(カンキ)薄衣(ハクヱ)炎天(ヱンテン)重服(ヂウブク)(ミナ)禁忌(キンキ)候有御意得(エ)(ラル)養性(ヤウジヤウ)淺味(せンミ)ノ熱湯(ネツタウ)ハ。(シホ)モナク淡(アワシ)キ物ヲ食(クウ)テ熱(アツ)キ湯ヲ飲ム事是毒(トク)ナリ。残(ノコ)リハ。大(カイ)文章ノ字面ニテ聞(キコ)ユルナリ。〔下38ウ五〜七〕

とあって、標記語「淺味」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

淺味(せんミ)の熱湯(ねつたう)浅味熱湯味あわき物を食してあつき白湯(さゆ)を飲を云也。 〔96ウ五・六〕

とあって、この標記語「淺味」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲淺味熱湯たぎりたる素湯(さゆ)などを多(おほ)くのむ也。〔71ウ一、71ウ七・八〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲淺味熱湯ハたぎりたる素湯(さゆ)などを多(おほ)くのむ也。〔128オ四、129オ二〕

とあって、標記語「淺味」の語をもって収載し、その語注記は、「淺味の熱湯は、たぎりたる素湯(さゆ)などを多(おほ)くのむなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「浅味」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「せん-仙味】」の語を収載するだけで、標記語「せん-淺味】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「せん-仙味】〔名〕」「せん-鮮味】〔名〕を収載するが、やはり標記語「せん-浅味】〔名〕」の語は未収載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年9月19日(月)晴れ。東京(敬老の日)
飲水(インスイ・ヲンスイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部と「遠」部に、標記語「飲水」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、建部傳内本は「身傷」、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「飲水」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「インスイ」、経覺筆本・文明四年本に「ヲンスイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「飲水」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「飲水」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「飲水」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

725塩噌飲水浅味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌之亊候有御意得養性恐々謹言〔謙堂文庫蔵六二右F〕

とあって、標記語「飲水」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

闕乏(ケツホク)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食(ヤシヨク)五更(ゴカウ)空腹(クウフク)(エンソウ)飲水(インスイ)闕乏(ケツボク)ノ失食トハ。物ヲクウツクハデ有ツ蟲(ムシ)ヲ飢(ウヤ)シタリナンドスル事ナリ。〔下38ウ三〜五〕

とあって、標記語「飲水」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

塩増(えんそう)飲水(いんすい)塩増飲水塩からき物を食して後水を呑をいふ也。〔96ウ五〕

とあって、この標記語「飲水」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲闕乏失食ハ食物(しよくもつ)闕乏(かけとほし)くして食ハさるをいふ。〔71オ八、71ウ六・七〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲闕乏失食ハ食物(しよくもつ)闕乏(かけとぼし)くして食(くら)ハざるをいふ。〔128オ三、128ウ六〜129オ一〕

とあって、標記語「飲水」の語をもって収載し、その語注記は、「闕乏の失食は、食物(しよくもつ)闕乏(かけとぼし)くして食(くら)ハざるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Insui.インスイ(飲水) Nomu mizzu.(飲む水)飲料水.〔邦訳336r〕

Vonsui.ヲンスイ(飲水) むしろ,Vonzui(飲水)と言う方がまさる.Mizzuo nomu.(水を飲む)水を飲むこと.文書語.〔邦訳715l〕

とあって、標記語「飲水」の語の意味は「Nomu mizzu.(飲む水)飲料水」「むしろ,Vonzui(飲水)と言う方がまさる.Mizzuo nomu.(水を飲む)水を飲むこと.文書語」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いん-すゐ〔名〕【飲水】のみみづ。飲料水。謡曲、大原御幸「海に臨めども、潮なれば飲水せず」〔212五〕

とあって、標記語「いん-すゐ飲水】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いん-すい飲水】〔名〕@(―する)水を飲むこと。また、その水。A「いんすいびょう(飲水病)」の略」、標記語「おん-ずい飲水】〔名〕(「おんすい」とも)水を飲むこと。また、その水。いんすい」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
大殿、日來有御飲水之氣又令煩御陰給《訓み下し》大殿、日来御飲水ノ気有リ。又御陰ヲ煩ハシメ給フ。《『吾妻鏡』寛元三年二月十日の条》
飲水をんすい。《『落葉集』(1598年)》
 
 
2005年9月18日(日)晴れ。東京→世田谷(玉川→駒沢)
塩増(エンゾウ)→(エンソ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「衛」部に、「(エンヤ)(バイ)(ソ)」の三語を収載し、

(ソ)〔元亀二年本337一〕

塩噌(ソ)〔静嘉堂本371六〕

と標記語「塩増」の語は未収載にするが、真名註が記載する「(ソ)」「塩噌(ソ)」を収載しているのである。訓みは「(エン)ソ」とする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明十四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本は「塩○」、宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明十四年本には、「塩増」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ヱン(ゾウ)」、経覺筆本に「エン(ゾウ)」、文明十四年本に「エンゾウ」と記載する。この文明十四年本が「エンソ」でなく「エンゾウ」と表記するところに訓みの混用が見て取れよう。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「塩増」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「塩増」の語は未収載にする。ただし、易林本節用集』には、「塩酢(エンソ)」の語が見える。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「塩増」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

725塩噌飲水浅味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌之亊候有御意得養性恐々謹言〔謙堂文庫蔵六二右F〕

※国会図書館藏『左貫註』は、「塩増(エンソウ)」、天理図書館藏『庭訓往來註』は「(ヱンソウ)」と表記する。

とあって、標記語「塩噌」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

闕乏(ケツホク)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食(ヤシヨク)五更(ゴカウ)空腹(クウフク)(エンソウ)飲水(インスイ)闕乏(ケツボク)ノ失食トハ。物ヲクウツクハデ有ツ蟲(ムシ)ヲ飢(ウヤ)シタリナンドスル事ナリ。〔下38ウ三〜五〕

とあって、標記語「塩増」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

塩増(えんそう)の飲水(いんすい)塩増飲水塩からき物を食して後水を呑をいふ也。〔96ウ五〕

とあって、この標記語「塩増」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲塩増飲水ハ塩気(しほけ)つよき飲水(のミもの)を過(すご)す也。〔71オ八〜ウ一、71ウ七〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲塩増飲水ハ塩気(しほけ)つよき飲水(のミもの)を過(すご)す也。〔128オ四、128ウ六〜129オ一・二〕

とあって、標記語「塩増」の語をもって収載し、その語注記は、「塩増の飲水は、塩気(しほけ)つよき飲水(のミもの)を過(すご)すなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「塩増(エンゾウ)」の語は未収載にするが、「Yenso.エンソ(塩噌)塩と味噌(Miso)と.」〔邦訳820l〕の語を収載している。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』・現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「えん-ぞう塩増】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
たとえば今の十疋の布施物(ふせもツ)()申し受くれば、當座に戻って半錢にては鹽噌(えんそ)(たきぎ)を調(とゝの)え、半錢にては座禪衾(ざぜんぶすま)の破()れを繕(つくろ)い、來()し方(かた)()く末(すえ)のことを悟ろうことならば何かござろう。〔『狂言記』「布施無經」大系下275頁J〕
 
 
2005年9月17日(土)晴れ。東京→新宿(霞ヶ丘)日本青年館
空腹(クウフク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、標記語「空腹」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、建部傳内本は「身傷」、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「空腹」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「クウブク」、経覺筆本に「(クウ)フク」、文明四年本に「クウフク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「空腹」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「空腹」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

空腹(クウフクムナシ、ミチ・ハラ)[平・入] 。〔態藝門549八〜550一〕

とあって、標記語「空腹」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「空腹」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、廣本節用集』だけに標記語「空腹」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「空腹」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

闕乏(ケツホク)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食(ヤシヨク)五更(ゴカウ)空腹(クウフク)(エンソウ)飲水(インスイ)闕乏(ケツボク)ノ失食トハ。物ヲクウツクハデ有ツ蟲(ムシ)ヲ飢(ウヤ)シタリナンドスル事ナリ。〔下38ウ三〜五〕

とあって、標記語「空腹」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

五更(ごかう)空腹(くうふく)五更空腹五更ハ丑(うし)の時(とき)也。深更の夜食毒(とく)なればして夜ふけて飢(うへ)たるを忍(しの)ふも又毒なり。 〔96ウ二・三〕

とあって、この標記語「空腹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲五更空腹五更ハ寅(とら)の時暁(あけ)七ッをいふ。其頃(そのころ)に腹(はら)の空(す)きたる也。〔71オ八、71ウ六・七〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲五更空腹五更ハ寅(とら)の時暁(あけ)七ッをいふ。其比(そのころ)に腹(はら)の空(す)きたる也。〔128オ四、129オ一〕

とあって、標記語「空腹」の語をもって収載し、その語注記は、「五更の空腹、五更は、寅(とら)の時暁(あけ)七ッをいふ。其頃(そのころ)に腹(はら)の空(す)きたるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cu'bucu.クウブク(空腹) Munaxij fara.(空しい腹)すなわち,Suqi fara.(空腹)からっぽの腹,すなわち,何も食べないでいること.〔邦訳159r〕

とあって、標記語「空腹」の語の意味は「Munaxij fara.(空しい腹)すなわち,Suqi fara.(空腹)からっぽの腹,すなわち,何も食べないでいること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くう-ふく〔名〕【空腹】はらの、へること。食に飢ゑたること。すきはら。白居易詩「卯時十分空腹杯」本草綱目、酒「一人飲酒、一人飽食、一人空腹庭訓往來、十一月「五更空腹」〔514-1〕

とあって、標記語「くう-ふく空腹】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「くう-ふく空腹】〔名〕(形動)(古くは「くうぶく」とも)腹がへること。また、すいている腹。すきばら。くふく」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
去夜右仗酒肴依無将監不勧、権大納言行成卿為上首、以外記為手長前例不覚、仍待召空腹参上、巳剋許権大納言送宰相書云、去夕両事将監不参、可申案内於大将殿(実資)、将曹正方(紀)欲羞肴物之事奇念侍、《『小右記万壽元年一月十五日の条、7/7・7-0
 
 
2005年9月16日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
五更(ゴカウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、標記語「五更」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「五更」と表記し、訓みは文明四年本に「(ゴ)カウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「五更」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、標記語「五更」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

五更(ゴカウ) ―夜(ヤ)〔乾坤門152七・天理図書館蔵下9オ七〕

とあって、標記語「五更」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「五更」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「五更」の語を収載し、この語における語注記は、「『顔氏家訓』に、或は問ふ、一夜、何の故ぞ、五更とす。更何の訓ずる所ぞや。答(て)曰く、漢魏より以来、甲夜・乙夜・丙夜・丁夜・戌夜を五更に為り曰ふ。更なり。{暦なり}、経るなり。『西都府』に曰く、夕より旦に至るなり。冬夏の(かげ){}、長短参差と雖も盈るに六を尽きざるを縮るに四に至らざるに、退きて五時の間に在り。故に五更と云ふ」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

闕乏(ケツホク)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食(ヤシヨク)五更(ゴカウ)空腹(クウフク)(エンソウ)飲水(インスイ)闕乏(ケツボク)ノ失食トハ。物ヲクウツクハデ有ツ蟲(ムシ)ヲ飢(ウヤ)シタリナンドスル事ナリ。〔下38ウ三〜五〕

とあって、標記語「五更」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

五更(ごかう)の空腹(くうふく)五更空腹五更ハ丑(うし)の時(とき)也。深更の夜食毒(とく)なればして夜ふけて飢(うへ)たるを忍(しの)ふも又毒なり。 〔96ウ二・三〕

とあって、この標記語「五更」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲五更空腹五更ハ寅(とら)の時暁(あけ)七ッをいふ。其頃(そのころ)に腹(はら)の空(す)きたる也。〔71オ八、71ウ六・七〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲五更空腹五更ハ寅(とら)の時暁(あけ)七ッをいふ。其比(そのころ)に腹(はら)の空(す)きたる也。〔128オ四、129オ一〕

とあって、標記語「五更」の語をもって収載し、その語注記は、「五更の空腹、五更は、寅(とら)の時暁(あけ)七ッをいふ。其頃(そのころ)に腹(はら)の空(す)きたるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Goco<.ゴカウ(五更) 暁または夜明けの頃,時.¶Goco<no ten.(五更の天) 同上.〔邦訳304r〕

とあって、標記語「五更」の語の意味は「暁または夜明けの頃,時」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-かう〔名〕【五更】〔かう(更)を見よ〕午前四時より六時までの閨Bとらのとき。五夜。戊夜。韓愈詩「鶏三號更五點」太平記、七、先帝船上臨幸事「時打つ鼓の聲を聞けば、夜はまだ、五更の初なり」浄瑠璃物語(室町時代)御座うつり「五更の天も過ぎゆけば、人目や夢をさますらむ」〔654-1〕

標記語「-かう五更】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-かう五更】〔名〕@一夜を五分した時刻の名称。初更(甲夜)、二更(乙夜)、三更(丙夜)、四更(丁夜)、五更(戊夜)の五つに分ける。季節によって相違する。午後五時すぎないし七時半から、順次おおよそ二時間ずつに区切った時刻に相当する。A一夜を五分した最後の時刻。現在の時刻で、春は午前三時頃から五時頃まで、夏は午前二時頃から四時頃まで、秋は午前二時半すぎから五時頃まで、冬は午前三時二〇分すぎから六時頃まで。寅の刻。戊夜(ぼや)。五声」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
廿九日己酉、五更令出酒勾宿給酉剋、著御鎌倉〈云云〉《訓み下し》二十九日。己酉。五更酒勾ノ宿ヲ出デシメ給フ。酉ノ剋ニ、鎌倉ニ著御シタマフト〈云云〉。《『吾妻鏡』建久元年十二月二十九日の条》
 
 
2005年9月15日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
夜食(ヤシヨク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、

夜食(シヨク)〔元亀二年本201三〕〔静嘉堂本227四〕〔天正十七年本中43ウ四〕

とあって、標記語「夜食」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「夜食」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「夜食」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「夜食」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』にだけ標記語「夜食」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「夜食」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

闕乏(ケツホク)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食(ヤシヨク)五更(ゴカウ)空腹(クウフク)(エンソウ)飲水(インスイ)闕乏(ケツボク)ノ失食トハ。物ヲクウツクハデ有ツ蟲(ムシ)ヲ飢(ウヤ)シタリナンドスル事ナリ。〔下38ウ三〜五〕

とあって、標記語「夜食」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

深更(しんかう)夜食(やしよく)深更夜食夜ふけて食事するをいふなり。 〔96ウ三・四〕

とあって、この標記語「夜食」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲深更夜食ハ夜更(よふけ)て食事(しよくし)する也。〔71オ八、71ウ七〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲深更夜食ハ夜更(よふけ)て食事(しよくし)する也。〔128オ三・四、129オ一〕

とあって、標記語「夜食」の語をもって収載し、その語注記は、「深更夜食は、夜更(よふけ)て食事(しよくし)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yaxocu.ヤショク(夜食) Yoru xocu suru.(夜食する)夜,食事をすること.〔邦訳814l〕

とあって、標記語「夜食」の語の意味は「Yoru xocu suru.(夜食する)夜,食事をすること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しょく〔名〕【夜食】(一){昔、一日二食なりし時、夜に入りて別に設くる食事。心中重井筒(寛永、近松作)上「道なら些と送って、それ言ひ立に、夜食喰ふといふ事か」(二)今は、夜の食事。夕飯。ばんめし。晩餐〔2036-4〕

とあって、標記語「-しょく夜食】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-しょく夜食】〔名〕@夜、食事をすること。また、夜なべをした時などにとる簡単な食事。《季・秋》A特に、一日二食であった頃、夜間、別にとった食事の称。一日二食の頃には、午後四時から五時頃に夕食をとり、、夜の八時から一〇時頃に別に簡単な食事をする習慣があった。B夕飯。ばんめし。一日三食の時代になって、Aを転用していったもの。C男女の交合」とあって、@の用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
關白秀次公の御時、塗師屋の盛阿彌所へ、出頭衆二三人數寄に申入、茶過ぎてのち、しよゑんにてゆるゆると御あそびなさるる所に、ひる時分に盛阿彌、重箱をもつてまかりいで、「をのをの様ゆるりと御はなし、滿足つかまり候。少夜食を料理いたし候。參らぬか」といふて、ふたをあけたるを見れば、砂糖餅ぢや。物事にこばしだてなる人、歴々夜ばなしの座敷にて、夜中の鐘を聞て、「皆々おたちなされよ。はや遠寺の晩鐘が聞こうるに」と云た。《『きのふはけふの物語』の条》
こゝは彌次郎兵衞、喜多八が、とぼとぼ/\と鳥居峠を越すと、日も西の山の端に傾きければ、兩側の旅籠屋より、女ども立出で、もし/\お泊りぢやござんしないか、お風呂も湧いて居づに、お泊りな/\――喜多八が、まだ少し早いけれど――彌次郎、もう泊つてもよからう、なう姐さん――女、お泊りなさんし、お夜食はお飯でも、蕎麥でも、お蕎麥でよかあ、おはたご安くして上げませづ。《泉鏡花『眉かくしの靈』一の条》
 
 
2005年9月14日(水)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
深更(シンカウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

深更(ガウ)〔元亀二年本306四〕

深更(カウ)〔静嘉堂本356七〕

とあって、標記語「深更」の語を収載し、訓みは「(シン)ガウ」と「(シン)カウ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「深更」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「シンコウ」、経覺筆本・文明四年本に「シンカウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

深更 同(天文部)〔黒川本・畳字門下76ウ八〕

深夜 〃厚。〃妙。〃遠。〃重。〃更。〃漏。〃草。〃山。〃浅。〃林。〃誡カイ。〃谷〔卷第九・畳字門196六〕

とあって、三卷本に標記語「深更」の語を収載する。十巻本は、標記語「深夜」の熟語群として収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「深更」の語は未収載にする。また、饅頭屋本節用集』に、

深更(シンカウ) 〔時節門148三〕

とあって、標記語「深更」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』・饅頭屋本節用集』に標記語「深更」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「深更」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

闕乏(ケツホク)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食(ヤシヨク)五更(ゴカウ)空腹(クウフク)(エンソウ)飲水(インスイ)闕乏(ケツボク)ノ失食トハ。物ヲクウツクハデ有ツ蟲(ムシ)ヲ飢(ウヤ)シタリナンドスル事ナリ。〔下38ウ三〜五〕

とあって、標記語「深更」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

深更(しんかう)の夜食(やしよく)深更夜食夜ふけて食事するをいふなり。 〔96ウ三・四〕

とあって、この標記語「深更」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲深更夜食ハ夜更(よふけ)て食事(しよくし)する也。〔71オ八、71ウ七〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲深更夜食ハ夜更(よふけ)て食事(しよくし)する也。〔128オ三・四、129オ一〕

とあって、標記語「深更」の語をもって収載し、その語注記は、「深更の夜食は、夜更(よふけ)て食事(しよくし)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xioco<.シンガウ(深更) すなわち,Yono fuquru koto.(夜の更くること)深夜.例,Xinco<ni voyobu.(深更に及ぶ)深夜になる.文書語.〔邦訳769l〕

とあって、標記語「深更」の語の意味は「すなわち,Yono fuquru koto.(夜の更くること)深夜」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しん-かう〔名〕【深更】夜の、深(ふ)けたること。よふけ。(更(カウ)の條を見よ)曹伯啓詩「樓辨深更源平盛衰記、三十九、重衡酒宴事「夜は、深更になりぬ、人は鳴を鎭たりければ」〔937-1〕

標記語「しん-かう深更】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しん-こう深更】〔名〕@夜のふけわたるころ。よふけ。真夜中。深夜。A(小豆(あずき)を「赤」というところから、「赤付き」と同音の「暁(あかつき)」に掛けて)餅の上に小豆をのせたものをいう女房詞」とあって、@の用例として『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
深更感激、空戀慕之袂《『新撰類聚徃來』(1492-1521頃)中の条》
 
 
2005年9月13日(火)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
失食(シチジキ・シツジキ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

失食(ジキ)〔元亀二年本310六〕

失食(シツジキ)〔静嘉堂本363一〕

とあって、標記語「失食」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「失食」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「シチ(シヨク・シキ)」、経覺筆本に「シツシヨク」、文明四年本に「シチシキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「失食」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「失食」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

失食(シチジキウシナウ、クラウ)[入・入] 。〔態藝門962八〕

とあって、標記語「失食」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

失食(ジキ) ・言語進退門245七〕

失墜(シツツイ) ―脚。―錯(シヤク)。―念/―食(ジキ)。―礼・言語門210一〕

失墜(シツツイ) ―脚。―錯。―念/―食。―礼・言語門194二〕

とあって、弘治二年本に標記語「失食」の語を収載し、他本は標記語「失墜」の熟語群に記載する。また、易林本節用集』に、

失墜(シツツイ) ―却(キヤク)。―念(ネン)〔言辞門216六・天理図書館蔵下41オ六〕

とあって、標記語及び熟語群に「失食」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「失食」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。但し、経覺筆本及び下記注釈本の訓み「シツシヨク」は、古辞書に見えていない。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「失食」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

闕乏(ケツホク)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食(ヤシヨク)五更(ゴカウ)空腹(クウフク)(エンソウ)飲水(インスイ)闕乏(ケツボク)ノ失食トハ。物ヲクウツクハデ有ツ蟲(ムシ)ヲ飢(ウヤ)シタリナンドスル事ナリ。〔下38ウ三〜五〕

とあって、標記語「失食」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

闕乏(けつぼく)失食(しつしよく)闕乏失食闕ハかける。乏ハとほしと訓す。物をくひつくはて腹をうゆすをいふなり。 〔96ウ二・三〕

とあって、この標記語「失食」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲闕乏失食ハ食物(しよくもつ)闕乏(かけとほし)くして食ハさるをいふ。〔71オ八、71ウ六・七〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲闕乏失食ハ食物(しよくもつ)闕乏(かけとぼし)くして食(くら)ハざるをいふ。〔128オ三、128ウ六〜129オ一〕

とあって、標記語「失食」の語をもって収載し、その語注記は、「闕乏の失食は、食物(しよくもつ)闕乏(かけとぼし)くして食(くら)ハざるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xitjiqi.シッショク(失食) 欠食すること.¶Xitjiqiga ita.(失食がいた)ある人が食べる物を持たない.〔邦訳782r〕

とあって、標記語「失食」の語の意味は「欠食すること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しっ-しょくしち-しき失食】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しち-しき失食】」「しち-しょく失食】」「しっ-しょく失食】」は未収載にし、標記語「しつ-じき失食】」に「しつ-じき失食】〔名〕食事がとれないこと。欠食すること。また、飢えた人。天正本節用集(1590)「失食 シツジキ」日葡辞書(1603-04)「Xitjiqi(シツジキ)<訳>食物が不足すること。Xitjiqiga(シツジキガ)イタ」仮名草子・浮世物語(1665頃)一・七「借銭の淵に首だけ漬(つか)りて、失食(シツジキ)のゆく家多し」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年9月12日(月)晴れ。東京→早稲田→世田谷(駒沢)
闕乏(ケツボク・ケツホウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

闕乏(ケツボク)〔元亀二年本216六〕〔静嘉堂本246六〕

闕乏(ケツホク)〔天正十七年本中52ウ四〕

とあって、標記語「闕乏」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「闕乏」と表記し、訓みは経覺筆本に「ケツホウ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「ケツボク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「闕乏」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「闕乏」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

闕乏(ケツボク/タカトノ・カク、トボシ)[入・入] 。〔態藝門596五〕

とあって、標記語「闕乏」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

闕乏(ケツボク) ・言語進退門175六〕

闕所(ケツシヨ) ―分(ブン)。―請(ジヤウ)―乏(ボク)。―怠(タイ)。―減(ゲン)。―如(ジヨ)。―官(クハン)・言語門144一〕

闕所(ケツシヨ) ―分。―請。―乏。―怠/―減。―如。―官・言語門133八〕

とあって、弘治二年本に標記語「闕乏」の語を収載し、他本は標記語「闕所」の熟語群に収載する。また、易林本節用集』に、

闕所(ケツシヨ) ―如(ジヨ)―乏(ボク)〔言辞門147二・天理図書館蔵下6ウ二〕

とあって、標記語「闕所」の熟語群として「闕乏」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「闕乏」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「闕乏」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

闕乏(ケツホク)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食(ヤシヨク)五更(ゴカウ)空腹(クウフク)(エンソウ)飲水(インスイ)闕乏(ケツボク)ノ失食トハ。物ヲクウツクハデ有ツ蟲(ムシ)ヲ飢(ウヤ)シタリナンドスル事ナリ。〔下38ウ三〜五〕

とあって、標記語「闕乏」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

闕乏(けつぼく)の失食(しつしよく)闕乏失食闕ハかける。乏ハとほしと訓す。物をくひつくはて腹をうゆすをいふなり。 〔96ウ二・三〕

とあって、この標記語「闕乏」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲闕乏失食ハ食物(しよくもつ)闕乏(かけとほし)くして食ハさるをいふ。〔71オ八、71ウ六・七〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲闕乏失食ハ食物(しよくもつ)闕乏(かけとぼし)くして食(くら)ハざるをいふ。〔128オ三、128ウ六〜129オ一〕

とあって、標記語「闕乏」の語をもって収載し、その語注記は、「闕乏の失食は、食物(しよくもつ)闕乏(かけとぼし)くして食(くら)ハざるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qetbocu.ケツボク(闕乏) Caquru,toboxij.(闕くる,乏しい)必需品の欠乏.¶Fio<ro<ga qetbocu xita.(兵糧が闕乏した)食糧が不足した.〔邦訳490l〕

とあって、標記語「闕乏」の語の意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けつ-ばふ〔名〕【?乏闕乏】物の、?(か)けて、乏しきこと。減りて、少なくなること。五代史、孔謙傳「晉興梁相拒河上十餘年、大小百餘戰、謙、調發供給、未?乏金史、高汝礪傳「章宗時用甚多、而得闕乏者、蓋先朝有以遺一レ之也」庭訓往來、十一月「愁歎勞傷、闕乏失食」〔617-2〕

とあって、標記語「けつ-ばう闕乏】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けつ-ぼう闕乏】〔名〕不足すること。たりないこと。けつぼく。[補注]古くは「けつぼく」。近世初期から「けつぼう」というようになったか」、そして標記語「けつ-ぼく闕乏】〔名〕「けつぼう(欠乏)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而彼所司神人等、寄事於騒動、又號有兵粮米之責、所當神税上分等依令難濟、任先例、遣宮使、令加催促之處、辨濟既少對捍甚多因之、色々神役闕乏《訓み下し》而ルニ彼ノ所司神人等、事ヲ騒動ニ寄セ、又兵糧米ノ責メ有リト号シテ、所当ノ神税ノ上分等、難済セシムルニ依テ、先例ニ任セ、宮使ヲ遣ハシ、催促ヲ加ヘシムルノ処ニ、弁済既ニ少ク、対捍甚ダ多シ。之ニ因テ、色色ノ神役闕乏(ケツボウ)ス。《『吾妻鏡』寿永元年五月二十九日の条》
 
 
2005年9月11日(日)曇り午後雷雨。東京→世田谷(駒沢)
勞傷(ラウシヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「羅」部に、「労(ラウサイ)。労煩(ハン)」の二語を収載するが、標記語「勞傷」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、建部傳内本は「労傷」、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「勞傷」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(ラウ)せウ」、文明四年本に「ラウシヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「勞傷」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本・両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「勞傷」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「勞傷」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「勞傷」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

長途(チヤウド)窮屈(キウクツ)旅所(レヨシヨノ)疲勞(ヒラウ)閑居(カンキヨノ)朦氣(モウキ)愁歎(シユウタンノ)勞傷(ラウシヤウ)長途(チヤウト)ノ窮屈(キウクツ)トハ。遠(トヲ)ク旅(タビ)ヘ出デ家路(イヘヂ)ノ事夢(ユメ)ニモ見ザル程。行ノビテ辛苦スル也。漸々帰テクタビレタル事ナリ。〔下38ウ二・三〕

とあって、標記語「勞傷」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)愁嘆勞傷愁ハうれい。嘆ハなけく。なけきかなしむ事の甚しくて心気をやふるをいふなり。 〔96ウ一・二〕

とあって、この標記語「勞傷」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲愁歎勞傷ハ深(ふか)く愁歎(うれひなけき)に沈(しづ)ミて心気(しんき)を傷(やぶ)るをいふ。〔71オ七、71ウ六〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲愁歎勞傷ハ深(ふか)く愁歎(うれひなけき)に沈(しづ)ミて心気(しんき)を傷(やぶ)るをいふ。〔128オ三、128ウ六〕

とあって、標記語「勞傷」の語をもって収載し、その語注記は、「愁歎の勞傷は、深(ふか)く愁歎(うれひなけき)に沈(しづ)みて心気(しんき)を傷(やぶ)るをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Ro<xo<.ラゥシャウ(勞傷) 労働による衰弱と疲労.〔邦訳543l〕

とあって、標記語「勞傷」の語の意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

らう-しャう〔名〕【勞傷】苦勞して、心を傷(いた)むること。庭訓往來、十一月「閑居朦氣、愁歎勞傷、闕乏失食、深更夜食」〔2107-5〕

とあって、標記語「らう-しャう勞傷】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ろう-しょう労傷】〔名〕苦労したために身心をきずつけること。また、その負ったきず」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
酸棗湯方 酸棗仁二升 甘草一両 知母二両 茯苓二両 川弓二両,右五味、以水八升、煮酸棗仁得六升、内諸薬煮取三升、分温三服。(粱師有生姜二両)血痺,五労虚極、羸痩腹満、不能飲食、食傷、憂傷、飲傷、房室傷、飢傷、労傷、経絡栄衛気傷、内有乾血、肌膚甲錯、両目黯黒、緩中補虚、大黄び虫丸主之。《張仲景『傷寒論』(一〇六五年)》
 
 
2005年9月10日(土)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
愁歎(シウタン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

愁歎(せウタン)〔元亀二年本310十〕

愁歎(タン)〔静嘉堂本363五〕

とあって、標記語「愁歎」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、宝徳三年本・山田俊雄藏本に「愁嘆」、至徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本には、「愁歎」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「シユウタン」、経覺筆本に「(シウ)タン」、文明四年本に「シウタン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「愁歎」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「愁歎」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

愁歎(シウタンウレイ、ナゲク)[平・平去] 。〔態藝門953七〕

とあって、標記語「愁歎」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

愁歎(タン) ・言語進退門246八〕

愁訴(シウソ) ―鬱―歎・言語門210一〕〔・言語門194三〕

とあって、弘治二年本に標記語「愁歎」の語を収載し、他本は標記語「愁訴」の熟語群に記載する。また、易林本節用集』に、

愁傷(シウシヤウ) ―歎(タン)―訴(ソ)―鬱(ウツ)〔言辞門215二・天理図書館蔵下40ウ二〕

とあって、標記語「愁傷」の熟語群として「愁歎」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「愁歎」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「愁歎」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

長途(チヤウド)窮屈(キウクツ)旅所(レヨシヨノ)疲勞(ヒラウ)閑居(カンキヨノ)朦氣(モウキ)愁歎(シユウタンノ)勞傷(ラウシヤウ)長途(チヤウト)ノ窮屈(キウクツ)トハ。遠(トヲ)ク旅(タビ)ヘ出デ家路(イヘヂ)ノ事夢(ユメ)ニモ見ザル程。行ノビテ辛苦スル也。漸々帰テクタビレタル事ナリ。〔下38ウ二・三〕

とあって、標記語「愁歎」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)愁嘆勞傷愁ハうれい。嘆ハなけく。なけきかなしむ事の甚しくて心気をやふるをいふなり。 〔96ウ一・二〕

とあって、この標記語「愁嘆」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲愁歎勞傷ハ深(ふか)く愁歎(うれひなけき)に沈(しづ)ミて心気(しんき)を傷(やぶ)るをいふ。〔71オ七、71ウ六〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲愁歎勞傷ハ深(ふか)く愁歎(うれひなけき)に沈(しづ)ミて心気(しんき)を傷(やぶ)るをいふ。〔128オ三、128ウ六〕

とあって、標記語「愁嘆」の語をもって収載し、その語注記は、「愁歎の勞傷は、深(ふか)く愁歎(うれひなけき)に沈(しづ)みて心気(しんき)を傷(やぶ)るをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xu<tan.シウタン(愁歎) Vrei naguequ.(愁ひ歎く)悲しみ,あるいは,悲嘆.〔邦訳803l〕

とあって、標記語「愁歎」の語の意味は「Vrei naguequ.(愁ひ歎く)悲しみ,あるいは,悲嘆」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しう-たん〔名〕【愁歎】うれへ、なげくこと。沈怜期詩「妾心君未察、愁歎繁星源平盛衰記四十五、重衡向南都斬事「五逆伴黨輕し、外を求むべからず、衆徒多別亡し、君臣大に愁歎す」〔876-2〕

とあって、標記語「しう-たん愁歎】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゅう-たん愁嘆愁歎】〔名〕@(―する)つらく思ってなげくこと。泣き悲しむこと。A「しゅうたんば(愁嘆場)」の略。B(形動)なさけないさま」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
此事雖爲密儀、姫公、已令漏聞之給、愁歎(シウタン)之餘、令斷漿水給《訓み下し》此ノ事密儀タリト雖モ、姫公、已ニ之ヲ漏レ聞カシメ給ヒ、愁歎(シウタン)ノ余リニ、漿水ヲ断タシメ給フ。《『吾妻鏡』元暦元年四月二十六日の条》
 
 
2005年9月9日(金)曇り。東京→世田谷(駒沢)
朦氣(モウキ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部に、

濛氣(キ)〔元亀二年本348七〕〔静嘉堂本419四〕

とあって、標記語「濛氣」の語を以て収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「朦氣」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「モウキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「朦氣」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「朦氣」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

蒙機(モウキカウムル、ハタモノ)[平・平] 或作朦氣(キ)。〔態藝門1072七・八〕

とあって、標記語「蒙機」の語を収載し、語注記に「或は朦氣と作す」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

蒙氣(キ) ―機・言語進退門260八〕

蒙昧(モウマイ) 無智。―鬱(ウツ)―機(キ)又気。――――(モウ/\)・言語門222二〕

蒙昧(モウマイ) 无智。―鬱。―機又気。――・言語門208五〕

とあって、標記語「朦氣」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

蒙求(モウギウ)名。―昧(マイ)。―愚(グ)/―霧(ブ)。―鬱(ウツ)―氣〔言辞門231四・天理図書館蔵下48ウ四〕

とあって、標記語「蒙求」の熟語群として「蒙氣」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語ではないが、広本節用集』の語注記中に「朦氣」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「朦氣」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

長途(チヤウド)窮屈(キウクツ)旅所(レヨシヨノ)疲勞(ヒラウ)閑居(カンキヨノ)朦氣(モウキ)愁歎(シユウタンノ)勞傷(ラウシヤウ)長途(チヤウト)ノ窮屈(キウクツ)トハ。遠(トヲ)ク旅(タビ)ヘ出デ家路(イヘヂ)ノ事夢(ユメ)ニモ見ザル程。行ノビテ辛苦スル也。漸々帰テクタビレタル事ナリ。〔下38ウ二・三〕

とあって、標記語「朦氣」の語を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

閑居(かんきよ)朦氣(もうき)閑居朦氣閑ハひまともしつかなり共訓す。手に取(とる)(わさ)もなくくらして鬱陶(うつとう)として気の朽(くち)るをいふ也。 〔96オ八〜96ウ一〕

とあって、この標記語「朦氣」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲閑居蒙氣ハ閑(しづか)に淋(さひし)き所に籠(こも)り居(ゐ)て気(き)の鬱陶(うつとう)するをいふ。〔71オ七、71ウ六〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲閑居蒙氣ハ閑(しづか)に淋(さびし)き所に籠(こも)り居(ゐ)て気(き)の鬱陶(うつとう)するをいふ。〔128オ二、128ウ五・六〕

とあって、標記語「閑居」の語をもって収載し、その語注記は、「閑居の蒙氣は、閑(しづか)に淋(さひし)き所に籠(こも)り居(ゐ)て気(き)の鬱陶(うつとう)するをいふ」と記載する。

する也。〔127ウ六、128ウ三〕

とあって、標記語「朦氣」の語をもって収載し、その語注記は、「行儀散動は、身(ミ)の立居(たちゐ)ふるまひをあらくするなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mo>qi.モウキ(朦気) 父とか子どもとかに死なれて憂鬱であること,または,その悲しみ.¶また,病気.例,Gomo>qi degozaru.(御朦気でござる)ある尊敬すべき人が病気している.〔邦訳422r〕

とあって、標記語「朦気」の語の意味は「父とか子どもとかに死なれて憂鬱であること、または、その悲しみ」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

もう-〔名〕【朦氣濛氣蒙氣】(一)もうもうと立ちこむる氣。漢書、京房傳「辛酉以來蒙氣衰去、太陽精明、臣獨欣然」(二)心氣、鬱して、爽快ならざること。庭訓徃來、十一月「旅所疲勞、閑居朦氣、愁歎勞傷」太平記、廿、結城入道墜地獄事「常に死人の首を目に見ねば、心地の朦氣(蒙氣)するとて、僧俗男女をいはず、云云」〔1998-3〕

とあって、標記語「もう-朦氣】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「もう-濛気朦気】〔名〕@濛々と立ちこめる気。A(―する)気のふさがること。心気の鬱陶すること。また、気持のぼんやりすること。B病気。C「も(喪)@」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
「中納言殿へ 元」朦気如何候哉覧、八専故候哉、我身なとも何ともよからす、腹中打そへ候てむさ/\と煩候。 《『醍醐寺文書』元阿書状(天文七年頃?)の条、1872・8/203》
 
 
2005年9月8日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
閑居(カンキヨ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

閑居(カンキヨ)〔元亀二年本97一〕〔天正十七年本上59ウ三〕〔西來寺本〕

閑居〔静嘉堂本121二〕

とあって、標記語「閑居」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁歎勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「閑居」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(カン)キヨ」、文明四年本に「カンキヨ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

閑居 同(居處部)/名/カンキヨ/請老〔黒川本・畳字門上89オ四〕

とあって、三卷本に標記語「閑居」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「閑居」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

閑居(カンキヨシヅカ、イル)[平・平] 三人曰燕居。一人曰閑居。又義。大勢曰燕居。一人曰閑居。〔態藝門280一〕

とあって、標記語「閑居」の語を収載し、語注記に「三人を燕居と曰ふ。一人を閑居と曰ふ。またの義。大勢を燕居と曰ふ。一人を閑居と曰ふ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

閑居(カンキヨ) ・言語進退門86八〕

閑居(カンキヨ) ―談(タン)。―素(ソ)・言語門82五〕

閑居(カンギヨ) ―談。―素・言語門74九〕

閑居(カンキヨ) ―談。―素・言語門90一〕

とあって、標記語「閑居」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

閑居(キヨ) 〔言語門75一・天理図書館蔵上40オ一〕

とあって、標記語「閑居」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「閑居」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。上記古辞書中、広本節用集』の語注記は、他の古辞書及び真名註には未収載の内容となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「閑居」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

長途(チヤウド)窮屈(キウクツ)旅所(レヨシヨノ)疲勞(ヒラウ)閑居(カンキヨノ)朦氣(モウキ)愁歎(シユウタンノ)勞傷(ラウシヤウ)長途(チヤウト)ノ窮屈(キウクツ)トハ。遠(トヲ)ク旅(タビ)ヘ出デ家路(イヘヂ)ノ事夢(ユメ)ニモ見ザル程。行ノビテ辛苦スル也。漸々帰テクタビレタル事ナリ。〔下38ウ二・三〕

とあって、標記語「閑居」の語を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

閑居(かんきよ)朦氣(もうき)閑居朦氣閑ハひまともしつかなり共訓す。手に取(とる)(わさ)もなくくらして鬱陶(うつとう)として気の朽(くち)るをいふ也。 〔96オ八〜96ウ一〕

とあって、この標記語「閑居」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲閑居蒙氣ハ閑(しづか)に淋(さひし)き所に籠(こも)り居(ゐ)て気(き)の鬱陶(うつとう)するをいふ。〔71オ七、71ウ六〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲閑居蒙氣ハ閑(しづか)に淋(さびし)き所に籠(こも)り居(ゐ)て気(き)の鬱陶(うつとう)するをいふ。〔128オ二、128ウ五・六〕

とあって、標記語「閑居」の語をもって収載し、その語注記は、「閑居の蒙氣は、閑(しづか)に淋(さひし)き所に籠(こも)り居(ゐ)て気(き)の鬱陶(うつとう)するをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Canqio.カンキョ(閑居) Xizzucani iru.(閑かに居る)人里離れた所など静かな所に引き込んでいること.〔邦訳91r〕

とあって、標記語「閑居」の語の意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かん-きょ〔名〕【閑居】閑(しづ)かなる地の住居。幽居。幽棲。後漢書、梁竦傳「大丈夫居世、云云、如其不然、閑居以養一レ志」方丈記閑居の氣味も、亦かくの如し、住まずして誰れか覺らん」〔423-5〕

標記語「かん-きょ閑居】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-きょ閑居間居】〔名〕@閑静なところに住むこと。世間との交わりをやめ、わずらわされることなく、心静かに住むこと。また、そうしたすまい。A何もすることがなく、いたずらに日を送ること。B現職から退くこと。また、その人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
此兩三日爲小恙蓬戸面談之故。《『明衡徃來』上本》
毛呂太郎季綱、蒙勸賞〈武藏國、泉勝田〉御閑居于豆州之時、下部等有不堪事牢篭于季綱邊殊成恐憚之思、加扶持、送進豆州之間、單孤之今、此勞者、可必報謝之由、被思食〈云云〉《訓み下し》毛呂ノ太郎季綱、勧賞ヲ蒙ル。〈武蔵ノ国、泉勝田。〉豆州ニ御閑居ノ時、下部等不堪ノ事有テ、季綱ガ辺ニ牢篭ス。《『吾妻鏡』建久四年二月十日の条》
 
 
疲労(ヒラウ)」は、ことばの溜め池(2003.06.08)を参照。
 
2005年9月7日(水)風雨後晴れ。東京
旅所(リヨシヨ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「利」部に、

旅所(シヨ) 。〔元亀二年本72一〕〔静嘉堂本86五〕

旅所〔天正十七年本上43オ八〕〔西來寺夲〕

とあって、標記語「旅所」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、建部傳内本は「旅之」、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「旅所」と表記し、訓みは文明四年本に「レヨ(シヨ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「旅所」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「旅所」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

旅所(リヨシヨタビ、トコロ)[○・上] 。〔態藝門198六〕

とあって、標記語「旅所」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

旅所(リヨシヨ) ―宿(シユク)。―行(カウ)。―粮(リヤウ)・言語門59二〕

旅所(リヨシヨ) ―宿。―行。―粮・言語門53六〕

旅所(リヨシヨ) ・言語門61八〕

とあって、標記語「旅所」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

旅所(シヨ) 〔言語門58三・天理図書館蔵上29ウ三〕

とあって、標記語「旅所」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「旅所」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「旅所」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

長途(チヤウド)窮屈(キウクツ)旅所(レヨシヨノ)疲勞(ヒラウ)閑居(カンキヨノ)朦氣(モウキ)愁歎(シユウタンノ)勞傷(ラウシヤウ)長途(チヤウト)ノ窮屈(キウクツ)トハ。遠(トヲ)ク旅(タビ)ヘ出デ家路(イヘヂ)ノ事夢(ユメ)ニモ見ザル程。行ノビテ辛苦スル也。漸々帰テクタビレタル事ナリ。〔下38ウ二・三〕

とあって、標記語「旅所」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

旅所(りよしよ)の疲労(ひろう)旅所疲労旅ハたび。疲も労もつかるゝと訓す。強(しい)て長旅(ながたび)をして身も心もつかれはつるをいふ也。 〔96オ七・八〕

とあって、この標記語「旅所」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲旅所疲労ハ長旅(ながたび)に屈(くつ)して身の疲(つか)るゝ也。〔71オ七、71ウ五・六〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲旅所疲労ハ長旅(ながたび)に屈(くつ)して身の疲(つか)るゝ也。〔128オ二、128ウ四・五〕

とあって、標記語「旅所」の語をもって収載し、その語注記は、「旅所の疲労は、長旅(ながたび)に屈(くつ)して身の疲(つか)るゝなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Reoxo.リョショ(旅所) 人が自分の家以外に居る所.〔邦訳530r〕

とあって、標記語「旅所」の語の意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

りょ-しょ〔名〕【旅所】りょかう(旅行)に同じ。易林節用集、上、言辭門「旅所、リヨシヨ」〔2136-2〕

標記語「りょ-しょ旅所】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「りょ-しょ旅所】〔名〕旅の宿所。たびどころ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
恒例御志悦存候、抑筥崎間事粗承及候、為其氏者今度争不励死力候哉、長治先例粗覚悟候、当時旅所候之間、記録等未引勘候也、 《『石清水文書・田中』(建保六年)九月八日の条、665・2/469》
 
 
窮屈・窮崛(キウクツ)は、ことばの溜め池(2003.09.13)を参照。
 
2005年9月6日(火)雨。東京→世田谷(駒沢)
長途(チヤウト)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、「長老(チヤウラウ)。長者(ジヤ)。長吏(リ)。長絹(ケン)。長座(サ)。長久(キウ)。長陣(チン)。長日。長秋(セウ)中宮之唐名。長短(タン)」の十語を収載し、標記語「長途」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「長途」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「(チヤウ)ト」、文明四年本に「チヤウト」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「長途」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「長途」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

長途(チヤウト・ヲサ、―ナガシ、ミチ)[平去・平]遠路。〔態藝門175二〕

とあって、標記語「長途」の語を収載し、語注記に「遠路を云ふなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

長途(チヤウト) ・言語進退門52四〕

長遠(ヲン) ―途(チヤウト)。―生。―日(ジツ)。―講。―短(タン)。―久(キウ)・言語門53一〕

長遠(ヲン) ―途。―生。―日。―講。―命。―短。―久。―大息。―座・言語門48三〕

とあって、弘治二年本に標記語「長途」の語を収載し、他本は標記語「長遠」の熟語群に記載する。また、易林本節用集』に、

長途(ト) 〔言語門53三・天理図書館蔵上27オ三〕

とあって、標記語「長途」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「長途」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「長途」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

長途(チヤウド)窮屈(キウクツ)旅所(レヨシヨノ)疲勞(ヒラウ)閑居(カンキヨノ)朦氣(モウキ)愁歎(シユウタンノ)勞傷(ラウシヤウ)長途(チヤウト)ノ窮屈(キウクツ)トハ。遠(トヲ)ク旅(タビ)ヘ出デ家路(イヘヂ)ノ事夢(ユメ)ニモ見ザル程。行ノビテ辛苦スル也。漸々帰テクタビレタル事ナリ。〔下38ウ二・三〕

とあって、標記語「長途」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

長途(ちやうと)の窮屈(きうくつ)長途窮屈長途ハ遠き道也。窮ハきわまる、屈ハかゝまると訓す。身にたへさる道のりを歩行(あるき)て殊(こと)の外につかるゝを云也。 〔96オ六・七〕

とあって、この標記語「長途」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲長途窮屈ハ身(ミ)に堪(た)へぬ遠路(とをミち)を歩(あゆ)ミて気(き)の屈(かゞ)まる也。〔71オ六、71ウ五〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)長途窮屈ハ身(ミ)に堪(た)へぬ遠路(とをミち)を歩(あゆ)ミて気(き)の屈(かゞ)まる也。〔128オ一・二、128ウ四・五〕

とあって、標記語「長途」の語をもって収載し、その語注記は、「長途の窮屈は、身(ミ)に堪(た)へぬ遠路(とをミち)を歩(あゆ)ミて気(き)の屈(かゞ)まるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「長途」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちゃう-〔名〕【長途】ながき道のり。遠き旅路。ながち。史記、司馬相如傳「輦道〓屬、歩周流、長途中宿」太平記、五、大塔宮熊野落事「華軒、香車の外を出でさせ給はぬ御事なれば、御歩行の長途は、定めて叶はせ給はじ」「長途の疲れ」〔1282-2〕

とあって、標記語「ちゃう-長途】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃう-長途】〔名〕(「ちょうど」とも)長い旅路。遠い道のり」とあって、『庭訓徃來』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
如卿相、爲御使、被凌長途之條、尤可慎之由、被申之〈云云〉《訓み下し》卿相ノ如キ、御使トシテ、長途(ト)ヲ凌ガルルノ条、尤モ慎ムベキノ由、之ヲ申サルト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治元年十二月二十三日の条》
 
 
2005年9月5日(月)雨。東京→世田谷(駒沢)
戀慕(レンボ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「礼」部に、

恋慕(ホ)(ホ)〔元亀二年本149七〕

(レンボ)〔静嘉堂本163二〕

戀慕(レンホ)〔天正十七年本中13ウ一〕

とあって、標記語「恋慕」「戀暮」「戀慕」の語をそれぞれ収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「戀慕」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「レンボ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

同(民俗分)/レンホ〔黒川本・畳字門中14ウ六〕

戀慕 〃菓。〃舌〔卷第四・畳字門516四〕

とあって、標記語「戀慕」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

戀慕(レンボ) 〔畳字門159五〕

とあって、標記語「戀慕」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、標記語「戀慕」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

恋慕(レンボ) ・言語進退門116八〕〔・言語門99五〕〔・言語門109六〕

戀慕(レンボ) ・言語門90三〕

とあって、標記語「戀慕」「恋慕」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

戀慕(レンボ) 〔言辞門98六・天理図書館蔵上49ウ六〕

とあって、標記語「戀慕」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「戀慕」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

724恋慕辛苦長途窮屈旅所疲労閑居朦気愁歎労傷(シヤウ)闕乏(ケツ―)失食深更夜食五更空服 顔氏家訓或問一夜何。五更トス々何ソヤ訓。答曰漢魏ヨリ以来曰甲夜乙夜丙夜丁夜戌夜。為五更々□也。経也。西都府ニ曰、自夕至也。雖冬夏咎長短参差ルニルニ退五時之間。故五更。〔謙堂文庫蔵六二右B〕

とあって、標記語「戀慕」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

戀慕(レンボ)辛苦(シンク)ノ事。人ヲコイ人ヲシタフニ。餘多()アリ。何(イヅレ)モ/\心ヲ盡(ツク)シ物ヲクハズ夜ヲ寐()ズ明暮(アケクレ)辛苦(シンク)スル事命(イノチ)ノ短(ツヽ)マル大毒(トク)ナリ。〔下38ウ一〜二〕

とあって、標記語「戀慕」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

戀慕(れんぼ)の辛苦(しんく)戀慕辛苦辛ハからし。労ハつかると訓す。事をなして心気をつからするをいふ也。 〔96オ五・六〕

とあって、この標記語「戀慕」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲戀慕辛苦ハ人を慕(した)ふ情(しやう)のいたく苦(くるし)きをいふ。〔71オ六、71ウ五〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲戀慕辛苦ハ人を慕(した)ふ情(しやう)のいたく苦(くるし)きをいふ。〔128オ一、128ウ四〕

とあって、標記語「戀慕」の語をもって収載し、その語注記は、「戀慕の辛苦は、人を慕(した)ふ情(しやう)のいたく苦(くるし)きをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Renbo.レンボ(戀慕) Coi xito<(恋ひ慕ふ)みだらな,あるいは,肉欲の愛.例,Fitouo renbo suru.(人を恋慕する)肉欲の情から人を愛する.※男女間の愛をこのように説明しているのは,宗教的立場から加えたもの.〔Coi(恋)の注〕〔邦訳528r〕

とあって、標記語「戀慕」の語の意味は「Coi xito<(恋ひ慕ふ)みだらな,あるいは,肉欲の愛」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

れん-〔名〕【戀慕】(一)こひしたふこと。三國志、魏志、滿龍傳「兵民戀慕、大小相率、奔魔道路、不禁止平家物語、三、少將都歸事「盡き難きは、戀慕の今の涙なり」古今著聞集、二、釋教「戀慕のやすみ難きに堪へず」(二)元禄頃、流行したる小唄の名。もと一節切(ひとよぎり)の戀慕と云ふ曲より出でしものと云ふ。小唄總まくり「夕べ夕べに身は淺草の、露を踏み分けあの吉原に、しどろもどろと君故たどる、れんぼ、れれれつれ」〔2148-1〕

とあって、標記語「れん-戀慕】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「れん-恋慕】[一]〔名〕@(―する)異性を恋い慕うこと。恋い焦がれること。A世阿彌の能楽論で、能の音曲の曲趣を分類したうちの一つ。柔和なうちにあわれを含んだ曲趣で、紅葉にたとえられる。B「れんぼ(恋慕)の合方(あいかた)の略。[二]尺八の曲名。→鈴慕(れいぼ)」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
無兄弟親眤、多年沈孤獨之恨、漸長大之今、戀慕切之故、爲知彼存亡、始慣當道、而赴東路〈云云〉《訓み下し》兄弟親昵無クシテ、多年孤独ノ恨ニ沈ミ、漸ク長大ノ今、恋慕(レンボ)切ナルガ故ニ、彼ノ存亡ヲ知ラン為ニ、始メテ当道ヲ慣ラツテ、東路ニ赴クト〈云云〉。《『吾妻鏡』建仁二年三月八日の条》
 
 
2005年9月4日(日)曇り一時晴れ夜雷雨。東京→世田谷(駒沢)
辛苦(シンク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

辛労(シンラウ)辛苦(ク)〔元亀二年本306三〕

辛労(シンラウ)辛苦(シンク)〔静嘉堂本371六〕

とあって、標記語「辛労・辛苦」の語を収載し、「身苦」「労苦」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)辛苦(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本に「勞苦」、山田俊雄藏本に「身勞」、建部傳内本・経覺筆本・文明四年本に「辛苦」と表記し、古写本の表記にあって四種の異なりを有している。訓みは山田俊雄藏本に「シンロウ」、文明四年本に「シンク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

辛苦 ――分/シンク〔黒川本・畳字門下78オ八〕

辛苦 〃芥。〃菜。〃勤〔卷第九・畳字門216一〕

とあって、標記語「辛苦」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「辛苦」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

辛苦(シンク・ネンゴロカノト・カラシ、クルシム)[平・去] ―勞(ラウツカルヽ)[平・平]〔態藝門962四〕

勞苦(ラウクネキラウ・イタワル、クルシム)[平・上去] 。〔態藝門456二〕

とあって、標記語「辛苦」「辛勞」「勞苦」の三語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

辛苦(シンク) 辛労(ラウ) ・言語進退門249四〕

辛苦(シンク) ―労・言語門210二〕〔・言語門194三〕

とあって、弘治二年本永祿二年本に標記語「辛苦辛労」の語を収載し、「勞苦」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

辛勞(シンラウ) ―苦(ク)〔言辞門216三・天理図書館蔵下41オ三〕

とあって、標記語「辛勞」及び熟語群として「辛苦」の語を収載する。「勞苦」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「辛苦」「辛勞」「勞苦」の三語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本「辛苦」で収載しているのである。ただし、至コ本の「身苦」の語はいずれも未収載にある。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

723睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作辛苦 疲気也。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

とあって、標記語「辛苦」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

所作(シヨサ)(ノ)辛勞(シンラウ)トハ。日々ニナスワザヲ間(マ)モナク営(イトナ)ミ心ヲ屈(クツ)シ日ヲ尽シ骨(ホネ)ヲ碎(クタク)事是毒也。〔下38オ八〜38ウ一〕

とあって、標記語「辛勞」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

所作(しよさ)辛労(しんらう)所作辛労辛ハからし。労ハつかると訓す。事をなして心氣(しんき)をつからするをいふ也。 〔96オ四・五〕

とあって、この標記語「辛労」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲所作辛労ハ萬(よろづ)所作(しよさ)の身(ミ)に過(すぎ)て辛(から)く心気(しんき)を疲労(つから)すをいふ。〔71オ六、71ウ四・五〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲所作辛労ハ萬(よろつ)所作(しよさ)の身(ミ)に過(すぎ)て辛(から)く心気(しんき)を疲労(つから)すをいふ。〔128オ一、128ウ三・四〕

とあって、標記語「辛労」「辛苦」の語をもって収載し、その語注記は、「所作の辛労は、萬(よろづ)所作(しよさ)の身(ミ)に過(すぎ)て辛(から)く心気(しんき)を疲労(つから)すをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xincu.シンク(辛苦) Caraqi curuximi.(辛き苦しみ)苦しみ,あるいは,難儀.〔邦訳769l〕

Xinro<.シンラゥ(辛労) 難儀.例,Xinro<uo yasumuru.(辛労を休むる)骨折りを休め,休息する.¶Xinro<uo corayuru,lxinogu.(辛労を堪ゆる,または,凌ぐ)苦難を堪え忍ぶ,または,きりぬける.〔邦訳773l〕

Ro<cu.ラウク(労苦) Xinro< curuximi.(辛労苦しみ)骨折り,苦しみ,また,疲れ.〔邦訳539l〕

とあって、標記語「辛苦」の語の意味は「Caraqi curuximi.(辛き苦しみ)苦しみ,あるいは,難儀」標記語「辛労」は「難儀.例,Xinro<uo yasumuru.(辛労を休むる)骨折りを休め,休息する」標記語「労苦」は「Xinro< curuximi.(辛労苦しみ)骨折り,苦しみ,また,疲れ」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しん-〔名〕【辛苦】〔書經、洪範篇、正義「辛苦之味入口、猶困阨之事在一レ身故、殃厄勞役事、爲辛苦」〕辛き目に遇ひて、甚しく心身を使ふこと。苦辛。困苦。史記、呉太伯世家「勾踐爲人能辛苦」〔938-5〕

しん-らう〔名〕【辛勞】ほねをり。苦勞。辛苦。甲陽軍鑑、十四、品第四十、下「辛勞して仕る高名は、首級(しるし)一つにても、ちと、くたびれ候」〔953-3〕

らう-〔名〕【勞苦】ほねをり。苦勞。勞。又いたづき。荀子、王霸篇「必自爲之、然後可、則勞苦焉」〔2107-1〕

とあって、標記語「しん-辛苦】」「しん-らう辛勞】」「らう-勞苦】」の三語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、

しん-辛苦】〔名〕(形動)(古くは「しんぐ」)@つらいめにあって苦しむこと。また、そのさま。つらい苦しみ。艱難。困苦。A辛味と苦味。辛く苦いこと。また、そのさま」

しん-らう辛勞】〔名〕ほねを折ること。つらい苦労をすること。また、そのさま。辛苦」

らう-勞苦】〔名〕からだや心が、疲れたり苦しい思いをしたりすること。骨折ったり心配したりすること。苦労」

とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
新田四郎忠常、病惱太辛苦、已欲及死門仍二品、渡御彼宅、令訪之給〈云云〉《訓み下し》新田ノ四郎忠常、病悩。太ダ辛苦(シンク)ニシテ、已ニ死門ニ及バント欲ス。仍テ二品、彼ノ宅ニ渡御セラレ、之ヲ訪ハシメ給フト〈云云〉《『吾妻鏡』文治三年正月十八日の条》
幕府小侍宿直奉公、辛勞之類等今日多以浴新恩凡於勤厚之輩者、不論年臘、《訓み下し》幕府ノ小侍宿直ノ奉公、辛労(ラウ)ノ類等今日多ク以テ新恩ヲ浴ス。凡ソ勤厚ノ輩ニ於テハ、年臘ヲ論ゼズ。《『吾妻鏡』建長二年十二月十五日の条》
天朝宣諭倭将。爾今害朝鮮。棲身於叢林峻嶺。昼夜労苦。食用不敷。且爾家中。田地都邑。蕩然尽奪。子女又為所質。《『島津家文書』萬暦弐拾陸(1598)年七月廿五日、1239・3/105》
 
 
2005年9月3日(土)晴れ。二俣川→世田谷(駒沢)
所作(シヨサ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「所領(リヤウ)。世帶(ダイ)。所行(ギヤウ)。所用(ユウ)。所務(ム)。所労(ラウ)。所望(マウ)。所存(ゾン)。所詮(せン)。所當(タウ)。所々(シヨ/\)。所爲(イ)」の十二語を収載し、標記語「所作」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「所作」と表記し、訓みは文明四年本に「シヨサ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「所作」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

所作(シヨサ) 。〔態藝門85六〕

とあって、標記語「所作」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「所作」の語は未収載にする。ただし、標記語「耕桑」と「農桑」の語注記に、

耕桑(カウサウタガヱス、クワ)[○・平](ヲトコ)所作(シヨサ)。桑蚕桑。〔態藝門282八〕

農桑(ノウサウナリワイ・タツクリ、クワ)[平・平](ヲトコ)所作(シヨサ)。桑(ウム)(ヲル)。〔態藝門493一〕

とあって、「所作」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

所望(シヨマウ) ―行(ギヤウ)。―職(シヨク)。―為(イ)。―課(クワ)。―勘(カン)。―務(ム)年貢。―帯(タイ)。―領(リヤウ)。―役(ヤク)。―當(タウ)。―労(ラウ)―作(サク)。―詮(セン)・言語進退門245二〕

所職(シヨシヨク) ―行。―為。―課。―望。―勘。―務(ム)。―役。―當。―労。―詮―帯。―作。〔・言語門210四〕

所職(シヨシヨク) ―行。―為。―課。―務。―役。―労。―望。―勘。―領。―當。―詮―帯。―作。―持。―存。―用。〔・言語門194五〕

とあって、標記語「所望」乃至「所職」の熟語群として「所作」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

所得(シヨトク) ―謂(イ)。―詮(セン)。―犯(ホン)。―知(チ)。―役(ヤク)―作(サ)。―願(グワン)。―辨(ベン)。―用(ヨウ)。―縁(エン)。―期(ゴ)。―領(リヤウ)。―職(シヨク)。―望(マウ)。―爲(ヰ)。―帯(タイ)。―學(ガク)。―存(ゾン)〔言辭門214四・天理図書館蔵下40オ四〕

とあって、標記語「所得」の熟語群として「所作」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『下學集』に標記語「所作」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

723睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作辛苦 疲気也。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

とあって、標記語「所作」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

所作(シヨサ)(ノ)辛勞(シンラウ)トハ。日々ニナスワザヲ間(マ)モナク営(イトナ)ミ心ヲ屈(クツ)シ日ヲ尽シ骨(ホネ)ヲ碎(クタク)事是毒也。〔下38オ八〜38ウ一〕

とあって、標記語「所作」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

所作(しよさ)の辛労(しんらう)所作辛労辛ハからし。労ハつかると訓す。事をなして心氣(しんき)をつからするをいふ也。 〔96オ四・五〕

とあって、この標記語「所作」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲所作辛労ハ萬(よろづ)所作(しよさ)の身(ミ)に過(すぎ)て辛(から)く心気(しんき)を疲労(つから)すをいふ。〔71オ六、71ウ四・五〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲所作辛労ハ萬(よろつ)所作(しよさ)の身(ミ)に過(すぎ)て辛(から)く心気(しんき)を疲労(つから)すをいふ。〔128オ一、128ウ三・四〕

とあって、標記語「所作」の語をもって収載し、その語注記は、「所作の辛労は、萬(よろづ)所作(しよさ)の身(ミ)に過(すぎ)て辛(から)く心気(しんき)を疲労(つから)すをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xosa.ショサ(所作) Nasu tokoro.(作す所)しわざ.〔邦訳795r〕

とあって、標記語「所作」の語の意味は「Nasu tokoro.(作す所)しわざ」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-〔名〕【所作】(一)爲(な)すところ。しわざ。おこなひ。ふるまひ。所爲。新婆娑論「欲、皆先思惟」榮花物語、三十、鶴林「日日の所作に、大佛頂をこそ、七遍讀み給ひけれ」古今著聞集、四、文學「古人の所作、仰而可信歟」(二)所作事(手振)、振事(身振)、等のしかた。體のこなし。(舞踊に云ふ)〔1013-4〕

とあって、標記語「しょ-所作】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょ-所作】〔名〕(「作」は「なす」の意)@おこない。ふるまい。しわざ。所為。所行。特に、古くは読経、礼拝など神仏に対するおこない、日々の日課をいうことが多い。A仕事。生業。職業。B(梵karma羯磨の訳語)仏語。身・口・意の三業が発動して造作する具体的な行為。能作に対していう。また受戒・懺悔などの作法をいう。C身のこなし。身ぶり。しぐさ。動作。D演芸での身のこなし。演技。また、歌舞音曲などを演ずること。E「しょさごと(所作事)」の略」とあって、Aの用例として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
仍可被仰付日々御所作於件禪尼之旨、御臺所、令申之給、即被遣目録《訓み下し》仍テ日日ノ御所作ヲ件ノ禅尼ニ仰セ付ケラルベキノ旨、御台所、之ヲ申サシメ給ヒ、即チ目録ヲ遣ハサル。《『吾妻鏡』治承四年八月十八日の条》
 
 
2005年9月2日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)→二俣川
飽満(バウマン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

飽満(バウマン)〔元亀二年本27二〕

飽滿(バウマン)〔静嘉堂本25七〕〔天正十七年本上14オ一〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「飽満」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「飽満」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「バウマン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

飽滿 同(飲食部)樂詞/ハウマン〔黒川本・畳字門上26ウ五〕

飽滿 〔卷第一・畳字門217一〕

とあって、標記語「飽満」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

飽満(バウマン) 〔言辭門149五〕

とあって、標記語「飽満」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

飽満(バウマンアク、ミテル)[上・平上] 。〔態藝門82三〕

とあって、標記語「飽満」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集』には、

飽満(バウマン) ・言語進退門25三〕

飽滿(バウマン) ・言語門23二〕

飽満(バウマン) ―食・言語門20八〕

飽満(ハウマン) ・言語門25一〕

とあって、標記語「飽満」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

飽滿(バウマン) 〔言語門21三・天理図書館蔵上11オ三〕

とあって、標記語「飽満」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「飽満」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

723睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作辛苦 疲気也。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

とあって、標記語「飽満」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

行儀(ギ)散動(サンドウ)食物(シヨクブツ)飽滿(バウマン)ハ。荒(アラ)ク。ハタラキテ身ヲ狂(クル)ハせテ血(チ)ヲ乱(ミタ)ス事第一ノ毒也。〔下38オ七・八〕

とあって、標記語「飽満」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)食物飽満飽ハあく。満ハミつると訓す。あくまて大食するをいふ也。 〔96オ四〕

とあって、この標記語「飽満」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲食物飽満ハ飽(あく)まで大食(たいしよく)する也。〔71オ六、71ウ四〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲食物飽満ハ飽(あく)まで大食(たいしよく)する也。〔127ウ六、128ウ三〕

とあって、標記語「飽満」の語をもって収載し、その語注記は、「食物の飽満は、飽(あく)まで大食(たいしよく)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Bo<man.バウマン(飽満) Aqimitcuru.(飽き満つる)もうこれ以上は食えないほど食い飽きて嫌気がさすこと.¶Bo<man suru.(飽満する)それ以上は食えないほどに満腹する.→Qibo<(飢飽).〔邦訳60r〕

とあって、標記語「飽満」の語の意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ばう-まん〔名〕【飽滿】飽くまで食ひて、腹に滿つること。腹一杯に食ふこと。飽食。易林本節用集(慶長)上、言辭門「飽滿、バウマン」書言字考節用集、六、服食門「飽滿、バウマン」庭訓徃來、十一月「食物飽滿、所作勞苦」〔1562-1〕

標記語「ばう-まん飽滿】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はう-まん飽満】〔名〕(形動)(「ぼうまん」とも)あきるほど飲んだり食べたりして腹一杯になること。また、あきあきするほど満ちたりていること。また、そのさま。飽食。満腹」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
五百商人及ビ若干ノ牛馬、此ノ水ヲ飲テ飽満シテ、命ヲ助ケテケリ。《鈴鹿本『今昔物語集』卷第五の五百人商人、通山餓水語第十一、364》
 
 
2005年9月1日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
食物(シヨクモツ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

食物(モツ)〔元亀二年本313一〕

食物(シヨクモツ)〔静嘉堂本366六〕

とあって、標記語「食物」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十一月日の状に、

内過度濁酒酔酊睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲閑居朦氣愁勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌候也〔至徳三年本〕

房内過度濁酒醉酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作勞苦戀慕辛苦長途窮崛旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事也〔宝徳三年本〕

凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈形儀散動食物飽満所作之辛苦戀慕辛長途窮屈旅之疲労閑居朦氣愁歎傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天之重服皆以禁忌事候也〔建部傳内本〕

凡房(ボウ)過度(ド)(タク)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメンノ)昏沈(コンチン)形儀(ギヤウキ)散動(サンドウ)食物飽満(バウマン)所作辛勞(シンロウ)戀慕(レンボ)労苦長途(ト)窮屈旅所疲勞(ヒラウ)閑居(キヨ)朦氣愁嘆(シユウタン)勞傷(せウ)闕乏(ケツボク)(シチ)食深更(シンコウ)夜食五更空腹(クウブク)(ヱン)飲水(インスイ)(せン)熱湯(ネツトウ)寒氣薄衣(ハクヱ)(ヱン)(デウ)服皆以禁忌(キ)事候也〔山田俊雄藏本〕

過度濁酒酩酊(メイテイ)睡眠昏沈(コンチン)形儀散動食物飽満所作辛苦戀慕辛長途(ト)窮屈旅(レヨ)(ヒ)労閑居朦氣(モウキ)愁歎(タン)勞傷闕乏(ケツホウ)失食(シツシヨク)深更(シンカウ)夜食五更空腹(フク)(エン)飲水(ヲンスイ)淺味(センミ)熱湯寒氣(キ)薄衣(ハクイ)炎天(エンテン)重服皆以禁忌事也〔経覺筆本〕

(ヲヨソ)房内過度(クワド)濁酒(チヨクシユ)酩酊(メイテイ)睡眠(スイメン)之昏沈(コンチン)形儀(ギヤウギ)散動(サンドウ)食物(クツク)飽満(バウマン)所作(シヨサノ)(シンク)戀慕(レンホノ)辛苦(シンク)長途(チヤウト)窮屈(キウクツ)旅所之(ノ)疲労(ヒラウ)閑居(カンキヨ)朦氣(モウキ)愁歎(シウタン)之勞傷(ラウシヤウ)闕乏(ケツボク)失食(シチシキ)深更(シンカウ)夜食五更(カウ)之空腹(クウフク)塩増(エンゾウ)(ノ)飲水(ヲンスイ)淺味(せンミノ)熱湯(ネツタウ)アツユ寒氣(カンキノ)薄衣(ヱ)(エン)天重服(チウフク)(ミナ)禁忌(キノ)事候也〔文明四年本〕※熱(ネツ)。寒(カン)。温(ウン)。重服(ジウフク)。愁歎(シウタン)。朦氣(モウキ)。闕乏(ケツホク)。禁忌(キンキ)

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本には、「食物」と表記し、訓みは文明四年本に「クツク」と記載する。この和訓が不明である。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「食物」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「食物」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

食物(シヨクブツクラウ、モノ)[入・入] 。〔態藝門954七〕

とあって、標記語「食物」の語を収載し、訓みは「ショクブツ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本堯空本節用集』には、標記語「食物」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

食耽(シヨクタン) ―物(モツ)。―後(ゴ)。―時(シ)。―事(ジ)〔言辞門217二・天理図書館蔵下41ウ二〕

とあって、標記語「食耽」の熟語群として「食物」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に「シヨクブツ」、『運歩色葉集』と易林本節用集』(熟語群)に「シヨクモツ」の訓みで、標記語「食物」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十一月日の状には、

723睡眠昏沈形儀散動食物飽滿所作辛苦 疲気也。〔謙堂文庫蔵六二右A〕

とあって、標記語「食物」の語を収載し、この語における語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

行儀(ギ)散動(サンドウ)食物(シヨクブツ)飽滿(バウマン)ハ。荒(アラ)ク。ハタラキテ身ヲ狂(クル)ハせテ血(チ)ヲ乱(ミタ)ス事第一ノ毒也。〔下38オ七・八〕

とあって、標記語「食物」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)食物飽満飽ハあく。満ハミつると訓す。あくまて大食するをいふ也。 〔96オ四〕

とあって、この標記語「食物」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(およそ)房内(ばうない)の過度(くハど)濁酒(だくしゆ)の酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)乃昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動(さんどう)食物(しよくもつ)の飽満(ばうまん)所作(しよさ)の辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)乃辛苦(しんく)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)の疲労(ひらう)閑居(かんきよ)乃朦氣(もうき)愁嘆(しうたん)の勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)の失食(しつしよく)(しんかう)の夜食(やしよく)五更(ごかう)の空腹(くうふく)鹽増(えんぞう)乃飲水(ゐんすい)淺味(せんミ)の熱湯(ねつとう)寒氣(かんき)の薄衣(はくえ)炎天(えんてん)の重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)て禁忌(きんき)(の)(こと)に候(さふら)ふ也(なり)凡房内過度濁酒酩酊睡眠昏沈行儀散動食物飽満所作辛労戀慕辛苦長途窮屈旅所疲勞閑居朦氣愁嘆勞傷闕乏失食深更夜食五更空腹塩増飲水淺味熱湯寒氣薄衣炎天重服皆以禁忌事▲食物飽満ハ飽(あく)まで大食(たいしよく)する也。〔71オ六、71ウ四〕

(およそ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めいてい)睡眠(すゐめん)昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)散動(さんどう)食物(しよくもつ)飽満(ばうまん)所作(しよさ)辛労(しんらう)戀慕(れんぼ)辛苦(しんく)長途(ちやうと)窮屈(きうくつ)旅所(りよしよ)疲労(ひらう)閑居(かんきよ)朦氣(まうき)愁嘆(しうたん)勞傷(らうしやう)闕乏(けつぼふ)失食(しつしよく)深更(しんかう)夜食(やしよく)五更(ごかう)空腹(くうふく)塩増(えんぞう)飲水(いんすゐ)淺味(せんミ)熱湯(ねつたう)寒氣(かんき)薄衣(はくえ)炎天(えんてん)重服(ぢうふく)(ミな)(もつ)禁忌(きんき)(こと)(さふら)(なり)▲食物飽満ハ飽(あく)まで大食(たいしよく)する也。〔127ウ六、128ウ三〕

とあって、標記語「食物」の語をもって収載し、その語注記は、「食物の飽満は、飽(あく)まで大食(たいしよく)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iiqimot.ジキモッ(食物) Cuimono.(食ひ物)食物.〔邦訳364r〕

Xocubut.ショクブツ(食物) Cuimono.(食ひ物)食事,または,食物.〔邦訳789l〕

とあって、標記語「食物」の語の意味は「Cuimono.(食ひ物)食事,または,食物」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しョく-もつ〔名〕【食物】じきもの。又、くひもの。食ふべき物。食料。くひもの。史記、匈奴傳「得食物、皆去之、以示酪之便美也」古今著聞集、二、釋教、高辨上人「晝つ方、番匠が、食物を並み据ゑたる時」〔1012-4〕

標記語「しョく-もつ食物】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょく-もつ食物】〔名〕たべもの。広くは飲み物をも含めていう。じきもつ。しょくぶつ。[語誌](1)「史記」「漢書」など漢籍に見られ、日本でも記録体系統の語として一般化していたが、その読み方は明らかでない。「日葡辞書」に見られる呉音のジキモツが古い形を残すものか。漢音のショクブツも「文明本節用集」「日葡辞書」に見られ、中世末にはジキモツ同様に一般的になっていったらしい。一方、上を漢音、下を呉音で読むショクモツの形も、「易林本節用集」などの辞書類に見られ、後にはこれが一般化する。(2)近世には、「西鶴諸国はなし」にジキモツの例があるが、一般にはショクモツの方が多用された。「和英語林集成(初版)」(一八六七)にもショクモツしか挙げられておらず、漢音呉音の混成した形が日常化したまま、現代に至っている」とあって、『庭訓徃來』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
押取如此公物、充食物、而張行濫惡何况居住在廳書生國侍等之令服仕家中、《訓み下し》此クノ如キノ公物ヲ押シ取リ、食物ニ充テテ、而モ濫悪ヲ張行シテ、何ゾ況ヤ在庁書生国侍等ノ居住シテ(居住ノ在庁書生国侍等ノ)家中ニ服仕セシムル。《寛永版『吾妻鏡』文治三年四月二十三日の条》
 
 
 
 

UP(「ことばの溜め池」最上部へ)

BACK(「ことばの溜め池」表紙へ)

BACK(「言葉の泉」へ)

MAIN MENU(情報言語学研究室へ)