2005年10月01日から10月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
2005年10月31日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
兩樣(リヤウヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「利」部に、

兩樣(ヤウ)〔元亀二年本72五〕〔天正十七年本上43ウ四〕〔西來寺本〕

兩樣〔静嘉堂本87一〕

とあって、標記語「兩樣」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「兩樣」と表記し、訓みは文明四年本に「リヤウヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「兩樣」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「兩樣」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

兩樣(リヤウヤウフタツ、サマ)[上去・去] 。〔態藝門197八〕

とあって、標記語「兩樣」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集

兩樣(リヤウヤウ) ・言語進退門58六〕

兩條(テウ) ―段(ダン)。―馬()。―言(ゲン)/―舌(ぜツ)―樣(ヤウ)・言語門58五〕

兩條(リヤウデウ) ―舌。―樣/―輪。―段・言語門61六〕 

とあって、弘治二年本に標記語「兩樣」の語を収載し、他本は標記語「兩條」の熟語群に記載する。易林本節用集』に、

兩樣(リヤウヤウ) 〔言語門57六・天理図書館蔵上29オ六〕

とあって、標記語「兩樣」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「兩樣」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

736被官輩形勢(アリサマ)着府儀式官使大奏之饗(キヤウ)膳厨(クリヤ)規式兩樣 饗膳厨二也。年貢与饗也。〔謙堂文庫蔵六三右A〕

とあって、標記語「兩樣」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

兩樣納法(ナツハフ)郡司(グンシ)判官代(ハンクハンダイ)沙汰(サタ)(タメ)才覚(サイカク)(タマハ)也爲(タメ)稽古(ケイコ)兩樣納法ハ。米銭(コメせニ)ノ納(ヲサ)メ口也。〔下39ウ四・五〕

とあって、標記語「兩樣」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

兩樣(りやうよふ)乃納法(なつほう)兩樣納法納法の注ハ前に見へたり。兩樣といえるハ此返状に云所の収納徴納の事なるにや。〔98ウ七・八〕

とあって、この標記語「兩樣」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲兩樣納法ハ或説(あるせつ)に此返状にいへる収納(しゆなう)徴納(ちょうなう)の事なるにやと云々。納法ハ三月の返状に見ゆ。〔72ウ八、73オ四・五〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲兩樣納法ハ或説(あるせつ)に此返状にいへる収納(しゆなう)徴納(ちょうなう)の事なるにやと云々。納法ハ三月の返状に見ゆ。〔130ウ三、131オ四・五〕

とあって、標記語「兩樣」の語を収載し、語注記は、「兩樣納法は、或説(あるせつ)に此返状にいへる収納(しゆなう)徴納(ちょうなう)の事なるにやと云々。納法は、三月の返状に見ゆ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「兩樣」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

りャう-やう〔名〕【兩樣】ふたつの容子(さま)。ふたいろ。ふたみち。ふたつ。楊萬里、嘗桃詩「香味比來無兩樣、人情畢竟愛親裁」〔2131-2〕

とあって、標記語「りャう-やう兩樣】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「りょう-よう兩樣】〔名〕二つの様式。ふたとおり」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
將又範頼、義經、爲果私宿意、所申請、非無道理歟兩樣之間、難決叡慮、宜計申之由〈云云〉《訓読文》将又範頼、義経ガ、私ノ宿意ヲ果サンガ為ニ、申シ請クル所、道理無キニ非ザルカ。両様ノ間、叡慮ヲ決シ難シ、宜シク計ラヒ申スベキノ由ト〈云云〉。《『吾妻鑑』寿永三年二月十一日の条》
 
 
(くりや)」は、ことばの溜め池(2001.04.05)を参照
規式(キシキ)」は、ことばの溜め池(2002.09.02)を参照
 
2005年10月30日(日)曇り。東京→世田谷(駒沢)
饗膳(キヤウゼン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、標記語「饗膳」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「饗膳」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「キヨウゼン」、文明四年本に「キヤウセン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「饗膳」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「饗膳」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「饗膳」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

736被官輩形勢(アリサマ)着府儀式官使大奏之(キヤウ)(クリヤ)規式兩樣ノ 饗膳厨二也。年貢与饗也。〔謙堂文庫蔵六三右A〕

とあって、標記語「饗膳」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「饗膳」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

官使(くハんし)大奏(だいそう)饗膳(きやうぜん)官使大奏之饗膳官使ハ上の御使也。代奏ハおのれか名代として上へ事を申上る者也。饗膳ハそれへ馳走のせんぶ也。〔98ウ五・六〕

とあって、この標記語「饗膳」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰。〔72ウ八〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)。〔130ウ三〕

とあって、標記語「饗膳」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Qio<jen.キャウゼン(饗膳) Qio<(饗)と呼ばれる飯を載せる食卓〔膳〕.Qio<(饗)の条を見よ.〔邦訳502l〕

とあって、標記語「饗膳」の語を収載し、意味は「Qio<(饗)と呼ばれる飯を載せる食卓〔膳〕」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きャう-ぜん〔名〕【饗膳】饗應の膳部。馳走の酒肴。徒然草、六十段「盛親僧都、云云、出仕して、饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑ渡すを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがて獨うち食ひて」〔493-5〕

とあって、標記語「きャう-ぜん饗膳】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きャう-ぜん饗膳】〔名〕もてなしのための膳にそろえた食べ物。ごちそうの酒のさかな。饗饌(きょうせん)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
禪僧ノ饗膳ヲヒジトナヅク《『名語記』六の条》
 
 
2005年10月29日(土)曇り後雨。東京→大手町→神保町→世田谷(駒沢)
大奏(タイソウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「大奏」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「大奏」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(タイ)ソウ」、文明四年本に「(タイ)ソウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「大奏」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「大奏」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「大奏」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

736被官輩形勢(アリサマ)着府儀式官使大奏之饗(キヤウ)膳厨(クリヤ)規式兩樣ノ 饗膳厨二也。年貢与饗也。〔謙堂文庫蔵六三右A〕

とあって、標記語「大奏」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「大奏」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)官使大奏饗膳官使ハ上の御使也。代奏ハおのれか名代として上へ事を申上る者也。饗膳ハそれへ馳走のせんぶ也。〔98ウ五・六〕

とあって、この標記語「大奏」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲官使大奏饗膳ハ或説(あるせつ)に官使ハ新任(しんにん)の国司(くにつかさ)を指()す。在廳人(さいちやうにん)より国司を請待(しやうだい)して饗應(きやうおう)する事と云々。〔72ウ八、73オ三・四〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲官使大奏饗膳ハ或説(あるせつ)に官使ハ新任(しんにん)の国司(くにつかさ)を指()す。在廳人(さいちやうにん)より国司を請待(しやうだい)して饗應(きやうおう)する事と云々。〔130ウ五、131オ三・四〕

とあって、標記語「大奏」の語を収載し、語注記は、「官使大奏饗膳は、或説(あるせつ)に官使は、新任(しんにん)の国司(くにつかさ)を指()す。在廳人(さいちやうにん)より国司を請待(しやうだい)して饗應(きやうおう)する事と云々」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「大奏」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「たい-そう大奏】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載となる。
[ことばの実際]
 
 
2005年10月28日(金)晴れ後曇り。東京→世田谷(駒沢)
官使(クハンシ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「官途()。官爵(ジヤク)―司/―位。官銭(せン)。官人(ニン)。官女(ヂヨ)。官位()」の語を収録し、標記語「官使」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「官使」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(クワン)チウ」、経覺筆本に「(クワン)シ」、文明四年本に「クワンジ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「官使」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「官使」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「官使」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

736被官輩形勢(アリサマ)着府儀式官使大奏之饗(キヤウ)膳厨(クリヤ)規式兩樣ノ 饗膳厨二也。年貢与饗也。〔謙堂文庫蔵六三右A〕

とあって、標記語「官使」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「官使」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)官使大奏之饗膳官使ハ上の御使也。代奏ハおのれか名代として上へ事を申上る者也。饗膳ハそれへ馳走のせんぶ也。〔98ウ五・六〕

とあって、この標記語「官使」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲官使大奏饗膳ハ或説(あるせつ)に官使ハ新任(しんにん)の国司(くにつかさ)を指()す。在廳人(さいちやうにん)より国司を請待(しやうだい)して饗應(きやうおう)する事と云々。〔72ウ八、73オ三・四〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲官使大奏饗膳ハ或説(あるせつ)に官使ハ新任(しんにん)の国司(くにつかさ)を指()す。在廳人(さいちやうにん)より国司を請待(しやうだい)して饗應(きやうおう)する事と云々。〔130ウ五、131オ三・四〕

とあって、標記語「官使」の語を収載し、語注記は、「官使大奏饗膳は、或説(あるせつ)に官使は、新任(しんにん)の国司(くにつかさ)を指()す。在廳人(さいちやうにん)より国司を請待(しやうだい)して饗應(きやうおう)する事と云々」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「官使」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くヮん-〔名〕【官使】人を、官に任じて、使ふこと。漢書、薫仲舒傳「天下之士、可得而官使也」〔585-1〕

くヮん-〔名〕【官使】太政官の使。類聚三代格、七、天長二年、太政官府、定詔使官使事「賑給檢損田地溝疫死等使、猶爲官使保元物語、一、内府意見事「召しまゐらすべき由の宣旨を、官使に持たせて、宇治に行き向かひて」〔585-1〕

とあって、標記語「くヮん-官使】」の語を収載し、上記の意とする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-官使】〔名〕@太政官の使い。官府や官宣旨を伝える使者。A~祇官と宣教使。B(―する)人を官に任じて使うこと」とあって、Bの意味として『庭訓徃來』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
貞能、爲平家使者、此間在鎮西、而申下官使、相副數輩私使、稱兵粮、廻國郡、成水火之責庶民悉以爲之費《訓み下し》貞能、平家ノ使者トシテ、此ノ間鎮西ニ在リテ、官使(クワンシ)ヲ申シ下シ、数輩ノ私使ヲ相ヒ副ヘ、兵糧ト称ジ(兵糧米)、国郡ヲ廻リ、水火ノ責ヲ成ス。庶民悉ク以テ之ガ為ニ費ユ。《『吾妻鑑』養和二年四月十一日の条》
 
 
2005年10月27日(木)小雨後晴れ。東京→竹橋〔宮内庁書陵部〕→世田谷(駒沢)
着府(チヤクフ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

着府()〔元亀二年本66四〕〔静嘉堂本77八〕〔天正十七年本上39オ五〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「着府」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「着府」と表記し、訓みは文明四年本に「チヤクフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「着府」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「着府」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

着府(チヤクフ・アラワスキル・ツク、コウ)[去・上] 。〔態藝門174二〕

とあって、標記語「着府」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』に、

着府(チヤクフ) ・時節門53七〕

着裳(シヤウ)(クハ)。―陣(チヤクヂン)。―岸(ガン)。―述(チヨジユツ)詩歌之――。―任(チヤクニン)―府()。―到(タウ)人数云記之。―姓・言語門53七〕

(チヤク)。―陣。―岸。―述詩歌――。―任/―姓。―府。―到軍時――・天地門48八〕 

とあって、弘治二年本が標記語「着府」の語を収載し、他本は標記語「着裳・着」の熟語群に「着府」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「着府」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「着府」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

736被官輩形勢(アリサマ)着府儀式官使大奏之饗(キヤウ)膳厨(クリヤ)規式兩樣ノ 饗膳厨二也。年貢与饗也。〔謙堂文庫蔵六三右A〕

とあって、標記語「着府」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「着府」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)着任着府儀式着任ハ上より任せられたる職(しよく)に附(つく)事也。着府ハ役所に附事也。着任着府の時いろ/\式(しき)あるゆへ義式といへる也。〔98ウ四・五〕

とあって、この標記語「着府」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔72ウ八、73オ二〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔130ウ三、131オ一〕

とあって、標記語「着府」の語を収載し、語注記は、「着府は、府中(ふちう)と云ふに同じ。府は、將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Chacufu.チャクフ(着府) Cunino funi tcuqu.(国の府に着く)その国の首府に到着すること.たとえば,豊後(Bungo)の国であれば,府内(Funai)に到着するなど.〔邦訳117l〕

とあって、標記語「着府」の語を収載し、意味は「Cunino funi tcuqu.(国の府に着く)その国の首府に到着すること.たとえば,豊後(Bungo)の国であれば,府内(Funai)に到着するなど」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ちャく-着府】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃく-着府】〔名〕首府や国府などに到着すること。明衡往来(11C中か)下末「入境着府之内。明日可令釈也」運歩色葉集(1548)「着府 チヤクフ」*日葡辞書(1603-04)「Chacufu(チャクフ)。クニノフニツク<訳>ブンゴであればフナイのように、ある領国の首府に着くこと」近世紀聞(1875-81)<染崎延房>二・二「領卿着府(チャクフ)せられて勅旨を演説せらるるやう」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
左府大饗日自右府後内府着府〔座〕、如今日、可就北座人経参議座未、着北座也 《『小右記』正暦四年一月二十六日の条、1/258・1117-0》
 
 
2005年10月26日(水)曇り後小雨。東京→世田谷(駒沢)
着任(チヤクニン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、「着到(タウ)。着座()。着陣(チン)。着岸(カン)。着谷(コク)。着國(コク)。着府()。着日(シツ)。着時()。着衣(ヂヤクエ)。着語()。着帯(ジヤクタイ)懐胎之時。着述(チヨジユツ)アラハシノフル」の語を収録するが、標記語「着任」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「着任」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「チヤクワウ」、経覺筆本・文明四年本に「チヤクニン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

着任同(判史部)。チヤクニン 。〔黒川本・畳字門上56オ一〕

着到 〃任。〃府。〃座。〃衣。〃〓。〃鞄。〃用。〃駄。〃陳。〔卷第二・畳字門472二〕

とあって、標記語「着任」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「着任」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

着任(チヤクニン・アラワス、マカスキル・ツク、ジン・タヘタリ)[去・平] 。〔態藝門174三〕

とあって、標記語「着任」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

着任(チヤクニン) ・時節門53七〕

着裳(シヤウ)(クハ)。―陣(チヤクヂン)。―岸(ガン)。―述(チヨジユツ)詩歌之―――任(チヤクニン)。―府()。―到(タウ)人数云記之。―姓・言語門53七〕

(チヤク)。―陣。―岸。―述詩歌―――任/―姓。―府。―到軍時――・天地門48八〕 

とあって、弘治二年本が標記語「着任」の語を収載し、他本は標記語「着裳・着」の熟語群として「着任」の語を記載する。易林本節用集』に、

著任(  ニン) 〔言語門54三・天理図書館蔵上27ウ三〕

とあって、標記語「着任」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「着任」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

736被官輩形勢(アリサマ)着府儀式官使大奏之饗(キヤウ)膳厨(クリヤ)規式兩樣ノ 饗膳厨二也。年貢与饗也。〔謙堂文庫蔵六三右A〕

とあって、標記語「着任」の語を脱落未収載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「着任」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)着任着府儀式着任ハ上より任せられたる職(しよく)に附(つく)事也。着府ハ役所に附事也。着任着府の時いろ/\式(しき)あるゆへ義式といへる也。〔98ウ四・五〕

とあって、この標記語「着任」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲着任ハ上の仰(あふせ)を蒙(かうふ)つて任(にん)に着()くをいふ。〔72ウ八、73オ三〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲着任ハ上の仰(あふせ)を蒙(かうふ)つて任(にん)に着()くをいふ。〔130ウ三、131オ二・三〕

とあって、標記語「着任」の語を収載し、語注記は、「着任は、上の仰(あふせ)を蒙(かうふ)つて任(にん)に着()くをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「着任」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ちャく-にん着任】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちゃく-にん着任】〔名〕任地へ着くこと。任命された職務に就くこと。色葉字類抄(1177-81)「着任刺史部 チヤクニン」*庭訓往来(1394-1428頃)「入境着任した駅長の挨拶があった」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
私申入趣と、今度之段相違之旨、三郎右衛尉申候、然着任望申之、可被下四郎兵衛尉候哉 《『蜷川文書』(年未詳)五月十三日の条、344・2/126》
 
 
2005年10月25日(火)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
形勢(ケイセイ・ありさま)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

形勢(ケイセイ)〔元亀二年本217四〕〔静嘉堂本246六〕

形勢(ケハイ)〔天正十七年本中54ウ三〕

とあって、標記語「形勢」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本は「氣勢」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・文明四年本に「景勢」と表記し、訓みは文明四年本に「ケイセイ」と記載する。※「景勢」は、ことばの溜め池(2004.01.16)を参照。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「形勢」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「形勢」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

行状(アリサマ、アン・ヲコナウユク、ジヤウ)[平去・去] 或作消息/形勢(アリサマ)。有樣。〔態藝門754一〕

とあって、標記語「行状」の語注記に「形勢」の語を収載し、訓みを「ありさま」と記載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「形勢」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「形勢」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

736被官形勢(アリサマ)着府儀式官使大奏之饗(キヤウ)膳厨(クリヤ)規式兩樣ノ 饗膳厨二也。年貢与饗也。〔謙堂文庫蔵六三右A〕

とあって、標記語「形勢」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「形勢」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

府邊(ふへん)被官(ひくわん)の輩(ともから)景勢(けいせい)府邊被官景勢府ハ役所の事也。被官ハ家人(けにん)なり。景勢の注前に見へたり。役所近辺に住(すま)ひ居る家人等の有様といふ事なり。〔98ウ二〜四〕

とあって、この標記語「景勢」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲形勢ハ景勢(けいせい)とも書()くも同じ。八月十三日の状に見ゆ。〔72ウ八、73オ三〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲形勢ハ景勢(けいせい)とも書()くも同じ。八月十三日の状に見ゆ。〔130ウ三、131オ二〕

とあって、標記語「形勢」の語を収載し、語注記は、「形勢は、景勢(けいせい)とも書()くも同じ。八月十三日の状に見ゆ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「形勢」の語は未収載とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けい-せい〔名〕【形勢】ありさま。ありかた。史記、劉敬傳「非其コ簿也、而形勢弱也」運歩色葉集形勢(ケイセイ)「世の形勢」「天下の形勢」「國の形勢」〔598-2〕

とあって、標記語「けい-せい形勢】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けい-せい形勢景勢】〔名〕《上記、「景勢」に記載のため省略》」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
而今夜、勇士等群集殿中之儀、不相似先々形勢、定加推量歟之由、依有御思慮如此〈云云〉《訓み下し》而ルニ今夜、勇士等殿中ニ群集スルノ儀、先先ノ形勢ニ相ヒ似ラズ、定メテ推量ヲ加ヘンカノ由、御思慮ニ有ルニ依テ此ノ如シト〈云云〉。《『吾妻鑑』治承四年八月十七日の条》
 
 
2005年10月24日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
被官(ヒクハン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

被官(ヒクワン)〔元亀二年本342四〕

被官〔静嘉堂本410五〕

とあって、標記語「被官」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「被官」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「ヒクワン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

被管 ヒクワン黒川本・畳字門下94オ七〕

被管 〃盗。〃服/〃衾卷第十・畳字門368六〕

とあって、標記語「被管」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「被官」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

被官(ヒクハンカウフル、ツカサ)[上去・平] 。〔態藝門1032三〕

とあって、標記語「被官」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』に、

被官(ヒクワン) ・人倫門251八〕

被官(ヒクハン) ・人倫門215六〕

(ヒクワン) ・人倫門200九〕 

とあって、標記語「被官」の語を収載する。易林本節用集』に、

被官(ヒクワン) 〔人倫門222四・天理図書館蔵下44オ四〕

とあって、標記語「被官」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「被官」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

736被官輩形勢(アリサマ)着府儀式官使大奏之饗(キヤウ)膳厨(クリヤ)規式兩樣ノ 饗膳厨二也。年貢与饗也。〔謙堂文庫蔵六三右A〕

とあって、標記語「被官」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「被官」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

府邊(ふへん)被官(ひくわん)の輩(ともから)の景勢(けいせい)府邊被官景勢府ハ役所の事也。被官ハ家人(けにん)なり。景勢の注前に見へたり。役所近辺に住(すま)ひ居る家人等の有様といふ事なり。〔98ウ二〜四〕

とあって、この標記語「被官」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔72ウ八、73オ二〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔130ウ三、131オ一〕

とあって、標記語「被官」の語を収載し、語注記は、「被官は、府中(ふちう)と云ふに同じ。府は、將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fiquan.ヒクハン(被官) 家来.〔邦訳241r〕

とあって、標記語「被官」の語を収載し、意味は「家来」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-くヮん〔名〕【被管被官】〔被官は、被管の誤〕(一)附屬の官。支配下。省(シヤウ)の下に管せらるる寮(レウ)、司()等の稱。太政官式「凡被管諸司解由、及不興解由状、官押署進之」職原抄、上「凡八省被官諸寮(一本作司)助者、内藏、陰陽、玄蕃、諸陵、典藥等者、所任已有其道(二)武家時代に、大小名の家臣の稱。陪臣の武士。白河文書(興國二年十二月カ)、親房卿事書「當城(常陸關城)下妻(城)事正員(城主)は、共に幼少、就中、下妻は被管輩、面面不和、去比も數輩引分、出城中了」諺草、「被官は職原に附屬の官を云ふ、其人に附て官職を被る義なり、武家の組子、與力の如し」〔1656-5〕

とあって、標記語「-くヮん被管被官】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-くはん被管被官】〔名〕@管轄をうけること。特に令制で、上級の官庁に直属する下級官庁のこと。また、その官人。中務省の管轄下の図書寮などの類。A貴族・武士・神官・寺僧・官人などの階層を主人とする、比較的隷属関係の深い従者をいうよび名。被管人。被管衆。B中世・近世、地頭に隷属する百姓。また地方によって地頭以外の地主に隷属する百姓もいい、名子・門屋・水呑などいろいろな呼び名がある。被管百姓。C近世、町家の下男、下女のこと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
此輩皆關東被官士也《訓み下し》此ノ輩ハ皆関東被官(ヒクワン)ノ士ナリ。《『吾妻鑑』承久三年七月二日の条》
 
 
2005年10月23日(日)快晴(冨士山遠望)。東京→世田谷(玉川→駒沢)
府邊(フヘン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、「府中(フチウ)。府内(ナイ)」の二語を収録し、標記語「府邊」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「府邊」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「フヘン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「府邊」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「府邊」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「府邊」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

735所行府邊 府中之義也。〔謙堂文庫蔵六三右@〕

とあって、標記語「府邊」の語を収載し、語注記に「府中の義なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「府邊」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

府邊(ふへん)被官(ひくわん)の輩(ともから)の景勢(けいせい)府邊被官景勢府ハ役所の事也。被官ハ家人(けにん)なり。景勢の注前に見へたり。役所近辺に住(すま)ひ居る家人等の有様といふ事なり。〔98ウ二〜四〕

とあって、この標記語「府邊」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔72ウ八、73オ二〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔130ウ三、131オ一〕

とあって、標記語「府邊」の語を収載し、語注記は、「府邊は、府中(ふちう)と云ふに同じ。府は、將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「府邊」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「-へん府邊】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
八月上旬比、大早魃之境節、為晩田用水、被落井之間、府辺公人愁之、井行事頻歎申之間、為地頭之身、一旦加其誡之処、為少事之間、黙止了《『東寺百合文書・ほ』寛元元年十一月廿五日の条17・2/505》
 
 
2005年10月22日(土)曇り後小雨。東京→世田谷(駒沢)
所行(シヨギヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

所行(ギヤウ)〔元亀二年本309六〕

所行〔静嘉堂本361五〕

とあって、標記語「所行」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「所行」と表記し、訓みは文明四年本に「シヨキヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「所行」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「所行」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

所行(シヨギヤウ・ヲモシトコロ、カウ・ユク)[上・平] 。〔態藝門932六〕

とあって、標記語「所行」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

所望(シヨマウ) ―行(ギヤウ)。―職(シヨク)。―為()。―課(クワ)。―勘(カン)。―務()年貢。―帯(タイ)/―領(リヤウ)。―役(ヤク)。―當(タウ)。―労(ラウ)。―作(サク)。―詮(セン)・言語進退門245二〕

所職(シヨシヨク) ―行。―為。―課。―望。―勘。―領。―務()/―役。―當。―労。―詮。―帯。―作・言語門210四〕

所職(シヨシヨク) ―行。―為。―課。―務。―役。―労。―望。―勘/―領。―當。―詮。―帯。―作。―持。―存。―用・言語門194五〕 

とあって、標記語「所望/所職」の熟語群として「所行」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「所行」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「所行」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

735所行府邊 府中之義也。〔謙堂文庫蔵六三右@〕

とあって、標記語「所行」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「所行」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

在廳(ざいちやう)の官人(くわんにん)(とう)所行(しよぎやう)在廳官人等所行在廳ハ役所(やくしよ)にあるなり。官人ハ役人也。所行とハ其行跡(ぎやうせき)ふるまひをいふなり。〔98ウ一・二〕

とあって、この標記語「所行」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲廰ハまんどころと訓(くん)ず。国政(こくせい)を行(おこな)ふ役所(やくしよ)也。〔72ウ八、73オ二〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲廰ハまんどころと訓(くん)ず。国政(こくせい)を行(おこな)ふ役所(やくしよ)也。〔130ウ三、131オ一〕

とあって、標記語「所行」の語を収載し、語注記は、「廰は、まんどころと訓(くん)ず。国政(こくせい)を行(おこな)ふ役所(やくしよ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xoguio<.ショギャウ(所行) Vocono< tocoro.(行ふ所)すなわち,Vaza.(業)いろいろな道徳的な行ない.例,Cono vazauaino deqita cotoua cano fitono xoguio< gia.(この禍の出来たことはかの人の所行ぢや)この災厄は,あの人の行ないによって生じた.〔邦訳791l〕

とあって、標記語「所行」の語を収載し、意味は「Vocono< tocoro.(行ふ所)すなわち,Vaza.(業)いろいろな道徳的な行ない」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-ぎゃう〔名〕【所行】おこなひ。ふるまひ。しわざ。所爲。行爲法苑珠林(釋道世)「所行惡事」源平盛衰記、三十四、公朝時成關東下向事「壹岐判官が所行、返す返す、不思議に候」〔1011-1〕

とあって、標記語「しょ-ぎゃう所行】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょ-ぎゃう所行】〔名〕行なう事柄。多く、好ましくない行為にいう。しわざ。所業」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
然而所行之旨、已過先輩、燒落禪定法皇之仙洞、殺害天台兩門之貫首事、絶常篇、例在非常《訓み下し》然レドモ所行ノ旨、已ニ先輩ニ過ギ、禅定法皇ノ仙洞ヲ焼キ落トシ、天台両門ノ貫首ヲ殺害スル事、常篇ニ絶ヘ、例非常ニ在リ。《『吾妻鑑』元暦元年十一月二十三日の条》
 
 
2005年10月21日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
官人(クワンニン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

官人(ニン)〔元亀二年本190一〕〔静嘉堂本214二〕〔天正十七年本中36ウ二〕

とあって、標記語「官人」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「官人」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「クワン(ニン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「官人」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「官人」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

官人(クハンニンツカサ、シン・ヒト)[平・平] 。〔態藝門500八〕

とあって、標記語「官人」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』標記語「官人」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

官人(クワンニン) ―僧〔人倫門29二・天理図書館蔵上65オ二〕

とあって、標記語「官人」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「官人」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

734兼日被示者可他行旦任国之際在廳人等 京都下居政所人也。言任国廳。〔謙堂文庫蔵六二左H〕

とあって、標記語「官人」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「官人」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(とう)の所行(しよぎやう)在廳官人所行在廳ハ役所(やくしよ)にあるなり。官人ハ役人也。所行とハ其行跡(ぎやうせき)ふるまひをいふなり。〔98ウ一・二〕

とあって、この標記語「官人」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲廰ハまんどころと訓(くん)ず。国政(こくせい)を行(おこな)ふ役所(やくしよ)也。〔72ウ八、73オ二〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲廰ハまんどころと訓(くん)ず。国政(こくせい)を行(おこな)ふ役所(やくしよ)也。〔130ウ三、131オ一〕

とあって、標記語「官人」の語を収載し、語注記は、「廰は、まんどころと訓(くん)ず。国政(こくせい)を行(おこな)ふ役所(やくしよ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Quannin.クヮンニン(官人) すなわち,Teiuo<no xinca.(帝王の臣下) 国王の家来.〔邦訳519l〕

とあって、標記語「官人」の語を収載し、意味は「すなわち,Teiuo<no xinca.(帝王の臣下)国王の家来」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くヮん-にん〔名〕【官人】(一)つかさびと。官に仕ふる人。官員。官吏。有司。役人。後漢書、和帝紀「惟官人、不於下謡曲、天鼓「いづくか王地ならねば、官人を以て探し出だし」(二)令(りやう)には、特に、初位以上、六位以下、官位ある人の稱とす。大祓詞「親王、諸王、諸臣、百官人」〔589-1〕

とあって、標記語「くヮん-にん官人】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-にん官人】〔名〕@官吏。役人。A諸司の主典(さかん)以上の役人。B近衛將監以下および院司の庁官などの総称。C検非違使庁の佐と尉の役人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
《『吾妻鑑』》上記参照
 
 
2005年10月20日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
在廳(ザイチヤウ)→在廳官人(ザイチヤウクワンニン)→在廳人(ザイチヤウニン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、「在洛(サイラク)。在京(キヤウ)。在府()。在判(ハン)。在谷(タニ)。在所(シヨ)。在庄(シヤウ)。在國(コク)。在律(リツ)。在寺()。在浦()。在郡(クン)」の十二語を収載するが、標記語「在廳」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

旦任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「在廳」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ザイチヤウ」、経覺筆本に「(サイ)チヤウ」、文明四年本に「サイチヤウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「在廳」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「在廳」の語は未収載にする。次に易林本節用集』に、

在廳人(ザイチヤウニン) 〔官位門177一・天理図書館蔵下21ウ一〕

とあって、標記語「在廳人」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、易林本節用集』に標記語「在廳人」の語を収載し、これを下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

734兼日被示者可他行旦任国之際在廳人等 京都下居政所人也。言任国廳。〔謙堂文庫蔵六二左H〕

とあって、標記語「在廳」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

在廳(ザイチヤウ)官人(クハンニン)(トウ)所行府邊(フヘン)被官(ヒクハン)(トモガラ)形勢(ケイせイ)着任( ヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(ギシキ)官使(クハンシ)大奏(タイソウ)饗膳(キヤウぜン)(クリヤ)規式(キシキ)在廳(サイテウ)人ハ奉公(ホウコウ)せズ国ノ長(ヲト)ナシキ人ナリ。〔下39ウ二・三〕

とあって、標記語「在廳」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

在廳(ざいちやう)の官人(くわんにん)(とう)の所行(しよぎやう)在廳官人等所行在廳ハ役所(やくしよ)にあるなり。官人ハ役人也。所行とハ其行跡(ぎやうせき)ふるまひをいふなり。〔98ウ一・二〕

とあって、この標記語「在廳」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)且住國之間在廳官人所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰▲廰ハまんどころと訓(くん)ず。国政(こくせい)を行(おこな)ふ役所(やくしよ)也。〔72ウ八、73オ二〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)▲廰ハまんどころと訓(くん)ず。国政(こくせい)を行(おこな)ふ役所(やくしよ)也。〔130ウ三、131オ一〕

とあって、標記語「在廳」の語を収載し、語注記は、「廰は、まんどころと訓(くん)ず。国政(こくせい)を行(おこな)ふ役所(やくしよ)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Zaicho<nin.ザイチャウニン(在庁人) 官職につかないで,自分の領地の在所に閑居している領主や貴族など.〔邦訳840l〕

とあって、標記語「在廳」の語を収載し、意味は「官職につかないで,自分の領地の在所に閑居している領主や貴族など」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ざい-ちャう〔名〕【在廳】次條を見よ。庭訓往來、十二月「御上洛之處、不音信候條、密契無其甲斐在廳之至」〔496-2〕

ざいちャう-くヮんにん〔名〕【在廳官人】古へ、國司の廰に在勤して、事務を執り行へる官人、多くは略にして、在廳人、又、單に、在廳とも云ひき。中古以來、國司は、京に居て、赴任せず、目代以下、在廳の官人に、國務を執らしめたり。これを留守所とも云ひ、下僚に至るまで、多くは、世襲したりき。(留守所の條を見よ)吾妻鏡、一、治承四年十月「武藏國諸雜事等、仰在廳官人、并、諸郡司等、可沙汰」同、十、文治六年十月「御目代不下向之閨A隨留守家景、并、在廳之下知、可沙汰」(此留守は、鎌倉幕府の留守職なり)平家物語、一、鵜川合戰事「師光は、阿波の國の在廳、云云、宿根賤しき下臈なり」太平記、十六、船坂合戰事「備前國、一宮の在廳に、美濃權介佐重と云ひける者、云云」〔760-1〕

とあって、標記語「ざい-ちャう在廳】」→「ざいちャう-くヮんにん〔名〕【在廳官人】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ざい-ちょう在庁】〔名〕@国府などの官庁に在勤すること。また、その職員。介・掾などの官人に対し、地方豪族で文書行政の実務を担当する惣大判官代などを指す。A「ざいちょうかんにん(在庁官人)」の略。B平安中期以降、僧綱所や寺院で、長官(法務・別当)が他寺にあって不在化したため、留守官として事務を取扱った者。僧綱所の場合、その指揮者として総在庁があった」→「ざいちょう-かんにん在庁官人】〔名〕(「ざいちょうかんじん」とも)平安中期から鎌倉時代、国守の命に従って諸国国衙で実務を執った地方役人。平安以後、国守は地方に赴任しないで在京し代理人(目代=もくだい)を派遣するようになったが、この目代と在庁官人の在勤する役所を留守所(るすどころ)という。在庁官人の多くは土着の地方豪族で、この職を世襲し、次第に武士化して、鎌倉時代には御家人(ごけにん)となって目代と対立するようになった。在庁官。在庁人。在庁」→「ざいちょう-にん在庁人】〔名〕「ざいちょうかんにん」に同じ」とあって、最後の「在庁人」の語用例として『庭訓徃來』を記載する。
[ことばの実際]
大宰府并管内諸在廰官人等可早任從二位源卿使中原久經藤原國平等下知、令停止武士妨、諸國諸庄、委附國司領家事《訓み下し》大宰府并ニ管内*諸(*諸国)在庁(ザイチヤウ)ノ官人等。早ク従二位源ノ卿ノ使中原ノ久経藤原ノ国平等ガ下知ニ任セ、武士ノ妨ゲヲ停止セシメ、諸国諸庄、国司領家ニ委附スベキ事。《『吾妻鑑』元暦二年八月十三日の条》
早停止旁濫妨、云國衙、云庄薗、如元可令委附國司領家之状、所仰如件、太宰府、及以官内諸國在廰人等、宜承知、敢勿違失故下《訓み下し》早ク旁ノ濫妨ヲ停止シ、国衙ト云ヒ、庄園ト云ヒ、元ノ如ク国司領家ニ委附セシムベキノ状、仰セノ所件ノ如シ、大宰府、及ビ以テ官内諸国ノ在庁人等、宜シク承知スベシ、敢テ違失スルコト勿カレ故ニ下ス《『吾妻鑑』元暦二年八月十三日の条》
 
 
2005年10月19日(水)曇りのち晴れ。東京→世田谷(駒沢)
住国(ヂウコク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、「住人(ヂウニン)。住持()。住侶(リヨ)。住宅(タク)。住居(キヨ)」の五語を収載し、標記語「住国」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本にいずれも「住国」とせず、「任国」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「ニン(コク)」、文明四年本に「ニンコク」と記載する。※ニンコク【任国】は、ことばの溜め池(2005.09.29)を参照。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「住国」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「住国」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「住国」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

734兼日被示者可他行任国之際在廳人等 京都下居政所人也。言任国廳。〔謙堂文庫蔵六二左H〕

とあって、標記語「任国」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

旅籠(ハタコ)(ブルヒ)等云(イヒ)(カレ)(イヒ)(コレ)(テン)何比(イツコロ)哉兼日(ケンジツ)(ラレ)(シメシ)者可(ヤム)他行(タキヤウ)任國(コク)()(アヒタ)旅篭振舞(マイ)事也。〔下39ウ一〜二〕

とあって、標記語「住国」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(かつ)住国(ぢうこく)()(あいた)住国之間住国ハ己か国に居るを云。任国(にんこく)之間と書たる本ハあやまりなり。是より下ハ在国中(さいこくちう)の事を尋る也。〔98オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「住国」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰。〔72ウ四〜六〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)。〔130オ五〜130ウ三〕

とあって、標記語「住國」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Giu<cocu.ヂュウコク(住国) Cunini sumu.(国に住む) 国に落ちついて居ること.〔邦訳320l〕

とあって、標記語「住国」の語を収載し、意味は「Cunini sumu.(国に住む) 国に落ちついて居ること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ぢュう-こく住国】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じゅう-こく住国】〔名〕住んでいる国。また、国に住むこと。平家物語(13C前)一・殿上闇討「中比は都のすまひもうとうとしく、地下にのみ振舞なって、いせの国に住国ふかかりしかば」*上杉家文書-天文二二年(1553)後奈良天皇綸旨写(大日本古文書一・四五九)「平景虎於住国并隣国挿?心之輩、所被治罸也」*日葡辞書(1603-04)「Giu<cocu(ヂュウコク)。クニニ スム<訳>王国に落ちついていること」ロドリゲス日本大文典(1604-08)「ニッポンニ giu<cocu(ヂュウコク)スル」*太閤記(1625)七・古今各知行割之事「旧功之臣に被割興、即住国あらしめ給ひし也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武衛御誕生之初、被召于御乳付之青女、〈今日者尼、號摩摩〉住國相摸早河庄、依召于御憐愍《訓み下し》武衛御誕生ノ初メ、御乳付ニ召サルルノ青女、〈*今日ハ尼(*今ハ尼)、摩摩ト号ス。〉相模ノ早河ノ庄ニ住国(ヂウコク)ス、*召シニ依テ御憐愍ヲ于ル(*御憐愍有ルニ依テ)。《『吾妻鑑』治承五年閏二月七日の条》
 
 
2005年10月18日(火)雨のち小やみ。東京→世田谷(駒沢)→外苑前
(かつ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、標記語「」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕

任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕

任國(ニン )之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行府邊(フヘン)被官輩景勢着任(チヤクワウ)着府儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)()饗膳(キヨウぜン)(クリヤ)規式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覚可示〔山田俊雄藏本〕

任國(ニン )之間在廳(  チヤウ)官人(クワン  )所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)氣勢着任(チヤクニン)着府儀式官使( シ)大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司( シ)判官代等沙汰為才覚(シメシ)〔経覺筆本〕

任国(ニンコク)()在廳(サイチヤウ)官人(クワン  )所行(シヨキヤウ)府邊(フヘン)被官(ヒクワン)(トモカラ)景勢(ケイセイ)着任(チヤクニン)着府(チヤクフ)儀式(キシキ)官使(クワンジ)大奏( ソウ)()饗膳(キヤウせン)(クリヤ)規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)納法(ナツハウ)郡司(グンシ)判官代(ハウクワン  )沙汰(タメ)才覚(サイカク)(シメシ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「」と表記する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

(シバラク/シヤカツ)[上] (同/・シウトメ)[平] 。〔態藝門1024二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、名乗字に見えるにすぎない。易林本節用集』には、

(カツ)(サク) 且〃(カツ/\)。―以(モテ)〔言語門83六・天理図書館蔵上42オ六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

734兼日被示者可他行任国之際在廳人等 京都下居政所人也。言任国廳。〔謙堂文庫蔵六二左H〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

旅籠(ハタコ)(ブルヒ)等云(イヒ)(カレ)(イヒ)(コレ)(テン)何比(イツコロ)哉兼日(ケンジツ)(ラレ)(シメシ)者可(ヤム)他行(タキヤウ)任國(コク)()(アヒタ)旅篭振舞(マイ)等ハ常ノ事也。〔下39ウ一〜二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(かつ)住国(ぢうこく)()(あいた)住国之間住国ハ己か国に居るを云。任国(にんこく)之間と書たる本ハあやまりなり。是より下ハ在国中(さいこくちう)の事を尋る也。〔98オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(かつ)住國(ぢうこく)()(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)()の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)(だい)(とう)沙汰(さた)住國之間在廳官人等所行府邊被官形勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰。〔72ウ四〜六〕

(かつ)住國(ぢうこく)()(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)饗膳(きやうぜん)(くりや)規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)(だい)(とう)沙汰(さた)。〔130オ五〜130ウ三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fabacari.カツ(且) .〔邦訳r〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かつ〔副〕【】〔片(かた)と通ず、(寵(カタマ)、かつみ。熱海(あつみ)、あたみ)對(むか)ひたるもの片方の意(鐘の響、中)〕片一方(かたいつぱう)より。~代紀、下3「且喜、且働」古今集、序「かつハ人の耳に恐り、かつは歌の心に恥ぢ思へど」(此用法、かつうはともなる、其條を見よ)同、二、春、下「うつせみの、世にも似たるか、花櫻、咲くと見し聞に、かつ散りにけり」同、五、秋、下「霜の經(たて)、露の緯(ぬき)こそ、弱からし、山の錦の織ればかつ散る」千載集、六、冬、「駒の痕は、かつ降る雪に、うづもれて、おくるる人や、路惑ふらむ」かつがつ―重ねて云ふ時は、片の又片となり、いよいよちぢまりて、わづかにの意となる。はつはつ。拾遺集、五、賀「君が歴()む、八百萬代を、數ふれば、かつがつ今日ぞ、七日なりける」源氏物語、十三、明石23「思ふこと、かつがつかなひぬる心地して」「かつがつ閧ノ合ふ」〔386-3〕

とあって、標記語「かつ】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かつ-】[一]〔副〕@ある行為や心情が、他の行為や心情と並んで存在する関係にあることを表わす。イ「かつ」が一方にだけ用いられる場合。ロ「かつ」が両方に用いられる場合。Aある行為や心情が、他の行為や心情に(特にしばしばこれと矛盾するような行為や心情)に、直ちに移ることを表わす。…する間もなく。…するとすぐ。たちまち。すぐに。Bある行為や心情が、本格的でない形で、短時間だけ、またはかりそめに成り立つことを表わす。とりあえず。ついちょっと。わずかに。Cある行為や心情が、他の行為や心情に先立って成り立つことを表わす。あらかじめ。前もって。事前に。先に。以前に。[二]〔接〕先行の事柄に、後行の事柄が並列添加される関係にあることを示す。それとともに。同時に。その上に。加えて。かつうは」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
然間爲國敵、令插意趣給之故、先試可被誅兼隆也《訓み下し》然ル間、(カツ)ハ国敵タリ、(カツ)意趣ヲ挿マシメ(私ノ意趣)給フノ故ニ、先ヅ試ミニ兼隆ヲ誅セラルベシトナリ。《『吾妻鑑』治承四年八月四日の条》
 
 
2005年10月17日(月)雨。東京→世田谷(駒沢)
(やむ・とどむ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、

(ヤム)()()()―耕。〔元亀二年本205四〕〔静嘉堂本232八〕

(ヤム)()()()耕。〔天正十七年本中45ウ七〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

然而國土産旅籠振等云袷恰點日何比乎兼日被示者可他行〔至徳三年本〕

然而國土産旅籠振等云袷云恰點日何比畢(乎カ)兼日被示者可他行〔宝徳三年本〕

然而國土産旅籠振等云袷云恰點日何比候乎兼日被示者可他行〔建部傳内本〕

レトモ而國土産旅籠(ハタコ)(フルマイ)等云(カレ)(コレ)レノ()兼日シハ示者可(ヤム)他行〔山田俊雄藏本〕

ルニ(クニ)土産(トサン)旅籠振(ハタコフルイ)等云(カレ)(コレ)比候()兼日被()(ヤム)他行〔経覺筆本〕

(シカレトモ)シカウ(クニ)(トサン)旅籠(ハタコ)(フルマイ)フルイ等云(イヒ)(カ )(コレ)(テン)何比(イツコロ)(ソヤ)兼日(シメ)者可(トヽム)ヤム他行〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「やむ」と記載する。ただし、文明四年本には「とどむ」の訓も記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

(ヤムル/ハイ)[上](同/キウ)[平](同/、トヾマル)[上] 。〔態藝門565六〕

(トヾムル/リウ)[平](同/ジン)[去](同/チウ)[去](同/)[上](同/トウ)[去](同/テイ)[平]。〔態藝門151三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みは「やむる・とどまる」「とどむる」とする。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

(ヤム)()・言語進退門167三〕

とあって、弘治二年本に標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(ヤム) 風雨()()(ヤスム)ヤム()()(ヤム)〔言辞門138六・天理図書館蔵下2オ六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

734兼日被示者可他行旦任国之際在廳人等 京都下居政所人也。言任国廳。〔謙堂文庫蔵六二左H〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

旅籠(ハタコ)(ブルヒ)等云(イヒ)(カレ)(イヒ)(コレ)(テン)何比(イツコロ)哉兼日(ケンジツ)(ラレ)(シメシ)者可(ヤム)他行(タキヤウ)任國(コク)()(アヒタ)旅篭振舞(マイ)等ハ常ノ事也。〔下39ウ一〜二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

兼日(けんじつ)(しめ)し給(たまは)()()他行(たぎやう)(やむ)(べし)兼日被示者可他行日限を前廣に知らせ玉ハゝくり合せて宿に居らんと也。兼日他行の注前に見へたり。 〔98オ七・八〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(しか)ふ而(して)(くに)の土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)ひ等(とう)(かれ)と云()ひ恰(これ)と云()ひ日()を點(てん)すること何比(いつごろ)ぞ乎()兼日(けんじつ)(しめ)し給(たま)は被()()他行(たぎやう)()()然而國土産旅籠振等云何比候乎兼日被示者可他行。〔72ウ四〜六〕

然而(しかうして)(くに)土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)(とう)(いひ)(かれ)(いひ)(これ)(てん)ずること()何比(いつごろ)()兼日(けんじつ)()(しめし)(たまハ)()(べし)(やむ)他行(たぎやう)。〔130オ五〜130ウ三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yame,uru,eta.ヤメ,ムル,メタ(止め,むる,めた) 物事を中止させる,または,するのをやめる.¶Togauo yamuru.(科を止むる)罪悪をやめる.→Cat;Cugai;Nicujiqu;Tanqi.〔邦訳809r〕

Todomari,u.トドメ,ムル,メタ(止・留・停め,むる,めた) 中止させる,または,引き留める.¶Todomeuo sasu.(止むを刺す)のど笛だけを切るか,首を全体切り離すかして,首を刎ねる.→Matcudai;Namida;Taqeri,u.〔邦訳655r〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味は「物事を中止させる,または,するのをやめる」「中止させる,または,引き留める」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

・ムル・ムレ・メ・メ・メヨ〔他動、下二〕【】(一){とどむ。やめる。絶つ。廢()つ。安康即位前紀「大前、小前宿禰が、かなとかげ、かく立ち寄らね、雨たち夜梅む」(二)癒す。治(なほ)す。落窪物語、二「醫師なり、御病もふとやめ奉りてん」〔2057-5〕

とど・ムル・ムレ・メ・メ・メヨ〔他動、下二〕【】〔取り止める意か〕(一){抑へて遣らず。行かしめず。止む。萬葉集、十八6「いかにせる、ふせの浦ぞも、ここだくに、君が見せむと、吾を等登牟流(二){着くる。注意する。源氏物語、二、帚木34「思あがれる氣色に、ききおき給へるむすめなれば、ゆかしくて、耳とどめ給へるに」伊勢物語、四十四段「この歌は、あるがなかに、おもしろければ、心とどめてよまずば、はらにふかきあぢはひもいでこじ」「氣をとどむ」「目をとどむ」(三){後に遺(のこ)す。留。遣。竹取物語、下「かぐや姫をとどめて、歸り給はむことを、あかず口惜しく思しければ」源氏物語、二、帚木12「忍ばるべきかたみをとどめて、深き山里、世ばなれたるうみづらなどに、はひかくれぬかし」(四)止(とど)めを刺す。しとむ。曾我物語、八、源太重保鹿論事「鹿は保重が矢一つにて留めたる鹿を、誰人が主あるべき」〔1412-2〕

とあって、標記語「-】」と標記語「とど-】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-】〔他マ下一〕@続いてきた、ある動作、作用、状態を途絶えさせる。A特に、就いていた職・地位などを退く。また、職業などから手を引く。Bこれからしようとしていたことを中止する。C病気や癖などをなおす。D雨などが降り終わるのを待つ」とし、標記語「とど-】〔他マ下一〕@行くことができないようにする。その場から去らないようにする。A制する。抑止する。さしとめる。おさえる。B中止する。やめる。省く。略する。C(気持や注意を動かさず)一つものに集中する。注ぐ。離れないようにする。つく。注意する。Dその場から移動しないようにさせる。つける。とめる。宿泊させる。滞在させる。Eあとに残す。遺留する。死後に残す。残して置く。残す。F滅びないようにする。生きながらえさせる。保持する。G殺す。とどめを刺す。けりをつける。H最高のものと決める。Iそれ以上に及ぼさないようにする。その範囲から出ないようにする。それだけにする」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而今可被追討源氏由事、依爲殊重事相語康清〈稱所勞出仕〉所著進也〈云云〉《訓み下し》而ルニ今源氏ヲ追討セラルベキ由ノ事、殊ナル重事タルニ依テ、康清ヲ相ヒ語ラヒ(弟康清)〈所労ト称シテ。出仕ヲ止ム〉、著ケ進ズル所ナリト(差シ進ズル)〈云云〉。《『吾妻鑑』治承四年六月十九日の条》
 
 
兼日(ケンジツ)」は、ことばの溜め池(2004.07.12)を参照。
他行(タギヤウ)」は、ことばの溜め池(2003.12.23)を参照。
 
2005年10月16日(日)小雨のち曇り。東京→世田谷(玉川→駒沢)
何比(いつころ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、「何如(イカン)ガヽ。何許(イカバカリ)。○。何鹿(イツカシカ)。何為(イカヽせン)」の四語を収載し、標記語「何比」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

然而國土産旅籠振等云袷恰點日何比乎兼日被示者可止他行〔至徳三年本〕

然而國土産旅籠振等云袷云恰點日何比(乎カ)兼日被示者可止他行〔宝徳三年本〕

然而國土産旅籠振等云袷云恰點日何比候乎兼日被示者可止他行〔建部傳内本〕

レトモ而國土産旅籠(ハタコ)(フルマイ)等云(カレ)(コレ)レノ()兼日シハ示者可(ヤム)他行〔山田俊雄藏本〕

ルニ(クニ)土産(トサン)旅籠振(ハタコフルイ)等云(カレ)(コレ)()兼日被()(ヤム)他行〔経覺筆本〕

(シカレトモ)シカウ(クニ)(トサン)旅籠(ハタコ)(フルマイ)フルイ等云(イヒ)(カ )(コレ)(テン)何比(イツコロ)(ソヤ)兼日(シメ)者可(トヽム)ヤム他行〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「何比」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(いつ)れの(ころ)」、経覺筆本に「(いつ)の(ころ)」、文明四年本に「いつころ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「何比」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「何比」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

何比(イツゴロカ、ヒ・ナニ、ナラブ・タクイ)[○・去] 。〔態藝門26四〕

とあって、標記語「何比」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

何比(イツコロ) ・時節門4五〕

何比(イツコロ) ・言語進退門8七〕

何鹿(イツシカ) ―篇。又作辺。―体。―比。―迄・言語門6八〕 

何鹿(イツシカ)(イカテイ)―比(イツコロ)。何為(イカヽせン)/―迄(イツマテ)・言語門8五〕

とあって、標記語「何比」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「何比」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「何比」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

733云(カレ)ト(コレ)ト点日何比哉 点日言指日也。〔謙堂文庫蔵六二左G〕

とあって、標記語「何比」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

旅籠(ハタコ)(ブルヒ)等云(イヒ)(カレ)(イヒ)(コレ)(テン)何比(イツコロ)哉兼日(ケンジツ)(ラレ)(シメシ)者可(ヤム)他行(タキヤウ)任國(コク)()(アヒタ)旅篭振舞(マイ)等ハ常ノ事也。〔下39ウ一〜二〕

とあって、標記語「何比」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(かれ)と云()ひ恰(これ)と云()ひ日()を點(てん)すること何比(いつごろ)(そや)何比ソヤ日を點すとハ何時(いつ)/\ハ隙(ひま)入りあり幾日(いくか)にせんと日を定るを云。こゝに云こゝろハミやけなとを所々にくはり又旅籠ふるまひなと彼是(あれこれ)の隙入を除(のぞ)きて何比我等方へ来りて物語りせられんやとなり。 〔98オ五〜七〕

とあって、この標記語「何比」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(しか)ふ而(して)(くに)の土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)ひ等(とう)(かれ)と云()ひ恰(これ)と云()ひ日()を點(てん)すること何比(いつごろ)ぞ乎()兼日(けんじつ)(しめ)し給(たま)は被()()他行(たぎやう)を止()む可()然而國土産旅籠振等云何比乎兼日被示者可他行。〔72ウ四〜六〕

然而(しかうして)(くに)土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)(とう)(いひ)(かれ)(いひ)(これ)(てん)ずること()何比(いつごろ)()兼日(けんじつ)()(しめし)(たまハ)()(べし)(やむ)他行(たぎやう)。〔130オ五〜130ウ三〕

とあって、標記語「何比」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Itcugoro.イツゴロ(何時ごろ) いつ,あるいは,どの時期に.〔邦訳345r〕

とあって、標記語「何比」の語を収載し、意味は「いつ,あるいは,どの時期に」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いつ-ごろ〔副〕【何時頃】いつばかり(何時許)に同じ。〔184-3〕

とあって、標記語「いつ-ころ何時頃】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いつ-ごろ何時頃】〔名〕ある幅をおおよその時を表わす。だいたいいつ。いつじぶん」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
且又發向一定何比乎《訓み下し》且ハ又発向スルコト一定何比(イツゴロ)ゾヤ。《『吾妻鑑』文治五年四月二十二日の条》
 
 
2005年10月15日(土)晴れ夜雨。東京
(ひをテンずる)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、標記語「點日」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

然而國土産旅籠振等云袷點日何比乎兼日被示者可止他行〔至徳三年本〕

然而國土産旅籠振等云袷云恰點日何比畢(乎カ)兼日被示者可止他行〔宝徳三年本〕

然而國土産旅籠振等云袷云恰點日何比候乎兼日被示者可止他行〔建部傳内本〕

レトモ而國土産旅籠(ハタコ)(フルマイ)等云(カレ)(コレ)レノ()兼日シハ示者可(ヤム)他行〔山田俊雄藏本〕

ルニ(クニ)土産(トサン)旅籠振(ハタコフルイ)等云(カレ)(コレ)比候()兼日被()(ヤム)他行〔経覺筆本〕

(シカレトモ)シカウ(クニ)(トサン)旅籠(ハタコ)(フルマイ)フルイ等云(イヒ)(カ )(コレ)(テン)何比(イツコロ)(ソヤ)兼日(シメ)者可(トヽム)ヤム他行〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「點日」と表記し、訓みは文明四年本に「(ひ)をテンず」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「點日」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「點日」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「點日」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

733云(カレ)ト(コレ)ト点日何比哉 点日指日也。〔謙堂文庫蔵六二左G〕

とあって、標記語「點日」の語を収載し、語注記に「点日と言は、猶日の指すのごときなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

旅籠(ハタコ)(ブルヒ)等云(イヒ)(カレ)(イヒ)(コレ)(テン)何比(イツコロ)哉兼日(ケンジツ)(ラレ)(シメシ)者可(ヤム)他行(タキヤウ)任國(コク)()(アヒタ)旅篭振舞(マイ)等ハ常ノ事也。〔下39ウ一〜二〕

とあって、標記語「點日」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(かれ)と云()ひ恰(これ)と云()()を點(てん)すること何比(いつごろ)(そや)何比ソヤ日を點すとハ何時(いつ)/\ハ隙(ひま)入りあり幾日(いくか)にせんと日を定るを云。こゝに云こゝろハミやけなとを所々にくはり又旅籠ふるまひなと彼是(あれこれ)の隙入を除(のぞ)きて何比我等方へ来りて物語りせられんやとなり。 〔98オ五〜七〕

とあって、この標記語「點日」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(しか)ふ而(して)(くに)の土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)ひ等(とう)(かれ)と云()ひ恰(これ)と云()()を點(てん)すること何比(いつごろ)ぞ乎()兼日(けんじつ)(しめ)し給(たま)は被()()他行(たぎやう)を止()む可()然而國土産旅籠振等云何比候乎兼日被示者可他行。〔72ウ四〜六〕

然而(しかうして)(くに)土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)(とう)(いひ)(かれ)(いひ)(これ)(てん)ずること()何比(いつごろ)()兼日(けんじつ)()(しめし)(たまハ)()(べし)(やむ)他行(たぎやう)。〔130オ五〜130ウ三〕

とあって、標記語「點日」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「點日」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「--てんず點日】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「--てんず点日】」「--さす点日】」の語は未収載にし、依って『庭訓徃來』のこの語用例は未記載となる。
[ことばの実際]
 
 
2005年10月14日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
(かれ)と云ひ(これ)と云ふ
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

(カレ)(コレ)〔元亀二年本102七〕

(カレトイヽ)(コレトイヽ)〔静嘉堂本129一〕

(ユイ)(カレ)(ユイ)(コレ)。〔天正十七年本上63オ七〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「云」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

然而國土産旅籠振等點日何比乎兼日被示者可止他行〔至徳三年本〕

然而國土産旅籠振等點日何比畢(乎カ)兼日被示者可止他行〔宝徳三年本〕

然而國土産旅籠振等點日何比候乎兼日被示者可止他行〔建部傳内本〕

レトモ而國土産旅籠(ハタコ)(フルマイ)(カレ)(コレ)レノ()兼日シハ示者可(ヤム)他行〔山田俊雄藏本〕

ルニ(クニ)土産(トサン)旅籠振(ハタコフルイ)(カレ)(コレ)比候()兼日被()(ヤム)他行〔経覺筆本〕

(シカレトモ)シカウ(クニ)(トサン)旅籠(ハタコ)(フルマイ)フルイ(イヒ)(カ )(コレ)(テン)何比(イツコロ)(ソヤ)兼日(シメ)者可(トヽム)ヤム他行〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「云」と表記し、訓みは山田俊雄藏本「かれと(いひ)これ(いひ)」、経覺筆本に「かれと(い)いこれ(い)い」、文明四年本に「カ(れ)と(いひ)これ(いひ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「云」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「云」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

(イヒ、カレト。イフ、コレトウンカウ―カウ)[○・入・○・入] 。〔態藝門281一〕

彼此(カレコレヒシ) 又作袷恰(カレコレ)。〔態藝門281一〕

とあって、標記語「云」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

(ユイ)(カレ)(コレ)・言語進退門88六〕

(イヽ)(カレ)(イヽ)(コレ)・言語門85八〕〔・言語門93八〕

とあって、標記語「云」の語を収載する。易林本節用集』に、

(イヒ)(カレ)(イヒ)(コレ)〔言語門84一・天理図書館蔵上42ウ一〕

とあって、標記語「云」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「云」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

733云(カレ)ト(コレ)ト点日何比哉 点日言指日也。〔謙堂文庫蔵六二左G〕

とあって、標記語「云」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

旅籠(ハタコ)(ブルヒ)(イヒ)(カレ)(イヒ)(コレ)(テン)何比(イツコロ)哉兼日(ケンジツ)(ラレ)(シメシ)者可(ヤム)他行(タキヤウ)任國(コク)()(アヒタ)旅篭振舞(マイ)等ハ常ノ事也。〔下39ウ一〜二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(かれ)と云()(これ)と云()ひ日()を點(てん)すること何比(いつごろ)(そや)何比ソヤ日を點すとハ何時(いつ)/\ハ隙(ひま)入りあり幾日(いくか)にせんと日を定るを云。こゝに云こゝろハミやけなとを所々にくはり又旅籠ふるまひなと彼是(あれこれ)の隙入を除(のぞ)きて何比我等方へ来りて物語りせられんやとなり。 〔98オ五〜七〕

とあって、この標記語「云」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(しか)ふ而(して)(くに)の土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)ひ等(とう)(かれ)と云()ひ恰(これ)と云()ひ日()を點(てん)すること何比(いつごろ)ぞ乎()兼日(けんじつ)(しめ)し給(たま)は被()()他行(たぎやう)を止()む可()然而國土産旅籠振等何比候乎兼日被示者可他行。〔72ウ四〜六〕

然而(しかうして)(くに)土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)(とう)(いひ)(かれ)(いひ)(これ)(てん)ずること()何比(いつごろ)()兼日(けんじつ)()(しめし)(たまハ)()(べし)(やむ)他行(たぎやう)。〔130オ五〜130ウ三〕

とあって、標記語「云」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Carecore.カレコレ(彼此) 一つの事と他の事,これとあれ,などの意.〔邦訳102l〕

とあって、標記語「彼此」の語を収載し、意味は「一つの事と他の事,これとあれ,などの意」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かれ-これ]〔代名〕【彼此】(一){彼(かれ)と、此(これ)と。これかれ。古今集、序「よめる歌、多く聞こえねば、かれこれを通はして、よく知らず」(二){彼人、此人。たれかれ。人人。土左日記、十二月廿一日「かれこれ、知る知らぬ、送りす」(土佐の守、任滿ちて、京へ出發せむとすなり)(三)彼事、此事。かれこれして居る内に、時刻過ぎたり」かれこれ、むづかしく言ふ」〔448-3〕

とあって、標記語「かれ-これ彼此】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かれ-これ彼此】〔代名〕他称。@あの事とこの事。あのものと、このもの。あれやこれや。Aあの人とこの人。だれやかれや。[]〔名〕@納得せずに、なんのかのと文句をいうこと。ごたごた。Aおよそ同じ程度。相当の値打。[]〔副〕[一]いろいろな物事にかかわる意。「と」を伴うことがある。@とやかく。なんやかや。なんのかの。A(「かれこれする」の形で)いろいろなもの事に注意を散らして。うかうかと。B(「かれこれ言う」の形で)なんのかのとうわさして。いろいろ評判して。なんのかのと文句をつけて。苦情をいろいろと。Cあれもこれも。いづれにつけても。何にしても。[二]彼と此と合わせる意。あとに数詞を伴う。@あれこれと合わせて。全部で。合計。Aおよそ。大体。ほぼ。ほとんど。ぼつぼつ。あとに概数を伴って用いる。あとに、経過した時間、年月など、また時刻、年齢などを表わす語や時分を示す語を伴って用いる」とあって、『庭訓徃來』の標記語「云(かれと云ひこれと云ひ)」の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
彼此計會、殊思食煩《訓み下し》彼此(カレコレ)ノ計会、殊ニ思シ食シ煩フ。《『吾妻鑑』治承五年閏二月二十日の条》
 
 
2005年10月13日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
旅籠(はたご)」→「旅籠振(はたごふるひ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、標記語「旅籠」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

然而國土産旅籠振等云袷恰點日何比乎兼日被示者可止他行〔至徳三年本〕

然而國土産旅籠振等云袷云恰點日何比畢(乎カ)兼日被示者可止他行〔宝徳三年本〕

然而國土産旅籠振云袷云恰點日何比候乎兼日被示者可止他行〔建部傳内本〕

レトモ而國土産旅籠(ハタコ)(フルマイ)(カレ)(コレ)レノ()兼日シハ示者可(ヤム)他行〔山田俊雄藏本〕

ルニ(クニ)土産(トサン)旅籠振(ハタコフルイ)(カレ)(コレ)比候()兼日被()(ヤム)他行〔経覺筆本〕

(シカレトモ)シカウ(クニ)(トサン)旅籠(ハタコ)(フルマイ)フルイ(イヒ)(カ )(コレ)(テン)何比(イツコロ)(ソヤ)兼日(シメ)者可(トヽム)ヤム他行〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「旅籠振」と表記し、訓みは経覺筆本に「はたこふるい」、山田俊雄藏本・文明四年本に「はたこふるまい」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(トウ)ハタコ馬籠旅籠 俗用也黒川本・雜物門上22オ六〕

ハタコ馬籠旅籠已上同 俗用之・言語門150二〕

とあって、標記語「旅籠」の語を収載するが、意味は異なる。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

旅籠(ハタコ) 〔態藝門80七〕

とあって、標記語「旅籠」の語を収載する。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

旅籠(ハタゴリヨロウ・タビ、コムル)[○・上] 旅宿食也。〔飲食門58四〕

とあって、標記語「旅籠」の語を収載し、語注記に「旅宿の食なり」と記載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

旅籠(ハタゴ) 旅食・財宝門21五〕 (ハタゴ) 俗用旅篭・財宝門24二〕

旅篭(ハタゴ) 旅食・財宝門19三〕〔・財宝門17六〕〔・言語門21七〕

とあって、標記語「旅籠」「旅篭」の語を収載し、語注記に「旅食」と記載する。易林本節用集』に、標記語「旅籠」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「旅籠」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

732旅籠(ハタコ)ルイ等 ルノ旅之義歟。〔謙堂文庫蔵六二左G〕

とあって、標記語「旅籠」の語を収載し、語注記に「言(いふこゝろ)は、旅より皈るの義か」と記載する。そして、古辞書の語注記とは異なっている。

 古版庭訓徃来註』では、

旅籠(ハタコ)(ブルヒ)(イヒ)(カレ)(イヒ)(コレ)(テン)何比(イツコロ)哉兼日(ケンジツ)(ラレ)(シメシ)者可(ヤム)他行(タキヤウ)任國(コク)()(アヒタ)旅篭振舞(マイ)等ハ常ノ事也。〔下39ウ一〜二〕

とあって、標記語「旅籠」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

旅籠(はたご)(ふるひ)(とう)旅籠振等舊注(ふるきちう)に云はたこふるひハはたこふるまいの事也。 〔98オ四・五〕

とあって、この標記語「旅籠」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(しか)ふ而(して)(くに)の土産(とさん)旅籠(はたごぶる)ひ等(とう)(かれ)と云()ひ恰(これ)と云()ひ日()を點(てん)すること何比(いつごろ)ぞ乎()兼日(けんじつ)(しめ)し給(たま)は被()()他行(たぎやう)を止()む可()然而國土産旅籠振等何比候哉兼日被示者可他行。〔72ウ四〜六〕

然而(しかうして)(くに)土産(とさん)旅籠(はたごぶる)(とう)(いひ)(かれ)(いひ)(これ)(てん)ずること()何比(いつごろ)()兼日(けんじつ)()(しめし)(たまハ)()(べし)(やむ)他行(たぎやう)。〔130オ五〜130ウ三〕

とあって、標記語「旅籠」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fatago.ハタゴ(旅篭) 旅宿の食事・食物.¶Fatagouo cu<.(旅籠を食ふ)旅宿で食事をする.〔邦訳211l〕

とあって、標記語「旅籠」の語を収載し、意味は「旅宿の食事・食物」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はた-〔名〕【旅籠】〔泊籠(はてこ)の轉〕(一){食物を入るる籠。竹の皮(はた)にて編める籠。馬糧籠。倭名抄、十四18、行旅具「、波太古、俗用旅籠二字、飼馬籠」宇津保物語、吹上、下42「しろがねのはたごうまは左大將に」今昔物語集、廿八、第三十八語「旅籠に繩を長く付て」萬葉集、二31「八多籠(はたごうま)(馬)家()(我)夜晝と云はず、行く路を、吾はことごと、宮ぢにぞする」蜻蛉日記、上、下16「はたごどころとおぼしき方より、切大根(きりおほね)、柚()の汁()なして、あへしらひて、まづ出したり」夫木抄、廿七、馬「旅人の、はたごの馬の、行きずりに、夏野の草を、すさめやはせぬ」宇治拾遺物語、七、第五條「近く水やあると、はしりさわぎ求むれども水もなし、こはいかがせんずる、云云御はたご馬など參りたらんに、物など食ひてまかれと云へば、承りぬとゐたるほどに、はたご馬、革籠馬など來つきたり、などかく遙におくれては參るぞ、御はたご馬などは、常にさきだつこそよけれ、頓の事などあるに、かく後るるはよき事かは等云ひて」兼盛集、旅人の行くあひだに、盜人にあひたり「旅人は、(すり)もはたごも、空しきを、早く往ましね、山のとねたち」(二)旅人の食物を入るる器。止宿に用ゐる容器(いれもの)宇津保物語、吹上、下30「はたごふた掛に、路の程の物入れて、好き馬に負せたり」今昔物語集、廿六、第十九語「宿をかり、はたご開きて物など食ひ」(三)旅の茶屋にて飯食ふこと。轉じて、今、はたご錢と云ふは、旅中の食料の錢なり。旅館の賃食。旅人の食を取りまかなひ、宿せしむること。昨日は今日の物語(天正)「やがて十月十三日(會式)になるぞ、百はたご食ひに連れて行くぞ」(百文の布施にて、寺の齋(とき)につくこと)丹波與作(寳永、近松作)中「帳面は忘れぬ旅籠が六()かたけ、酒が四升五合十文、もりが七十杯、芋とくじら煮賣が八十五杯、くらひもくらふた蒟蒻の田樂を百五十串」(四)次條、及、次次條の語の略。〔1585-2〕

とあって、標記語「はた-旅籠】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はた-旅籠】〔名〕@馬の飼料を入れて持ち運ぶ旅行用の籠。A旅行中に食物・手回り品などを入れて持ち歩く籠。また、それに入れた食物。B旅館の食事。C「はたごや(旅籠屋)@」に同じ。D「はたごせん(旅籠銭)」の略」E浮浪者などが仮泊するところ」とあり、さらに標記語「はたご-ぶるい旅籠振】〔名〕(旅を終えて、余った旅籠の食糧をすべて人々に供する意)旅を無事に終えた時に催す祝宴。旅籠振舞」あって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。さらに標記語「はたご-ぶるまい旅籠振舞】〔名〕「はたごぶるい(旅籠振)」に同じ」も所載している。
[ことばの実際]
まいて、日など白くなれば、窓に向ひて、光の見ゆるかぎり讀み、冬は雪をまろがして、そが光にあてて、眼のうつるまで學問をし「幾許齋はれ給フ〈師〉、學問の力に、恥救ひ、願滿て給へ」と、心の中に祈り申シつゝ、身の沈む事を歎きつゝあるに、院よりいでたる人の〈丹後守ニナレルガ出立タントテ〉、旅篭ぶるひの饗する日、曹司ニ雜色を使にて「今日、座に奉れ。たうをさにマかりつきたる日なり」といはす《『宇津保物語』祭の使の条》
旅篭(ハタゴ)振舞(フルマヒ)。《『伊京集』5ウ五》
 
 
土産(トサン・みやげ)」は、ことばの溜め池(2000.12.14)を参照。
 
2005年10月12日(水)曇り後晴れ。東京→世田谷(駒沢)→水天宮
(くに)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

(クニ) ()()。〔元亀二年本198五〕

()()。〔静嘉堂本225三〕

(クニ) ()()。〔天正十七年本中42オ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而土産〔至徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而土産〔宝徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而土産〔建部傳内本〕

(キヤク)心之()至雖推望(スイバウ)御氣色如何然レトモ土産〔山田俊雄藏本〕

隔心(キヤクシン)()(ハヽカリ)(スイ)御氣色(キシヨク)如何( ン)ルニ(クニ)土産(トサン)〔経覺筆本〕

隔心之至スト(ハヽカリ)(コヽロミ)推望(スイハウ)御氣色(キソク)如何(イカン)(シカレトモ)シカウシテ(クニ)土産(トサン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「」、文明四年本には「国」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「くに」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

(クニハウ)[○] (同シユウ)[平] (同コク)[入] 。〔天地門497三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

(クニ) 国。圀/同()()・天地門156二〕

(クニ) 。圀/同()()・天地門127四〕

(クニ) 国。圀州/邦。郡・天地門116四〕 

(クニ)国。州/邦。郡・天地門141一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(クニ) ()()()〔乾坤門128三・天理図書館蔵上64ウ三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

731隔心之至推望御氣色如何然ルニ土産 和_讀土産(ツト)也。〔謙堂文庫蔵六二左F〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

密契(ミツケイ)其甲斐(カイ)隔心(キヤクシン)之至(イタリ)トモズト(ハヾカリ)(コヽロミ)推望(スイバウ)()氣色(キシヨク)如何(イカヽ)(シカル)(クニ)土産(トサン)密契トハ。隱(カク)シテ契(チギ)ル詞(コトバ)ナリ。〔下39オ六〜八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

然而(しかふして)(くに)()土産(とさん)然而之土産土産とハ元其の土地より出る品を云。今其所より来りたるか。帰りたる時其所のといえるかことし。氣ハ志氣(しき)。色ハ顔色(かんしよく)なり。人憂(うれ)ひ煩(わつら)ふ事あれハ氣おとろへて顔色あしく悦(よろこ)ひ勇(いさ)む事あれハ気盛(さか)んにして顔色うるハし。一身(いつしん)の盈虚(ゑいきよ)皆この二ツあらハるゞゆへ氣()と色(いろ)とをあげて樣躰と云義になる也。此二句ハ越中守の安否(あんひ)をたつねたるなり。 〔97ウ八〜98オ二〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(しか)ふ而(して)(くに)の土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)ひ等(とう)(かれ)と云()ひ恰(これ)と云()ひ日()を點(てん)すること何比(いつごろ)ぞ乎()兼日(けんじつ)(しめ)し給(たま)は被()()他行(たぎやう)を止()む可()然而土産旅籠振スルコト何比兼日被他行。〔72ウ四〜五〕

然而(しかうして)(くに)土産(とさん)旅籠振(はたごぶる)(とう)(いひ)(かれ)(いひ)(これ)(てん)ずること()何比(いつころ)()兼日(けんじつ)()(しめ)(たま)()()()他行(たぎやう)。〔130オ五〜130ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cuni.クニ(国) 国.¶Cuniuo tairaguru.(国を平ぐる)国を打ち滅ぼす.¶Cuniuo nabicasu.(国を靡かす)国を自分の意に従わせる.または,自分の方へ味方させる.¶Cuniga xizzumaru.(国が鎮まる)国が平穏になる.¶Cuniuo araso>.(国を争ふ)二人,または,それ以上の人々が国を奪い合う.¶Cuniuo motcu.(国を持つ)国を領する.または,国を統治する.→Catamuqe,uru;Catamuqu,u;Curui,u.〔邦訳167l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味は「国」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【】(一){大小、廣狹、に拘はらず、境を立てて、人の住む地の稱。古事記、上5「熊曾(クマソノ)國」繼體紀、七年九月、長歌「春日(カスガ)(クニ)萬葉集、一18長歌「吉野ノ」同、十三24長歌「泊瀬(ハツセ)倭姫命世記「鈴鹿ノ~武紀3「吉備(キビノ)景行紀、四十年十月「越(コシノ)(二){孝コ天皇、日本全國を區劃したまひて、次第に、畿内、七道、を立てられ、又、其内を區劃して、國司をして治めしめたまひし、其一地方の稱。分合、?なりしが、嵯峨天皇の御代に、六十六國、二島(壹岐、對馬)と定まりぬ、山城國、伊勢國、武藏國、陸奥國、近江國、丹波國、など云ふ、是れなり、明治に至りて、陸奥國、出羽國を分ちて、七國となされ、蝦夷島を北海道と建て、十一國に分たれ、全國、畿内、八道、八十五國となる。(三){轉じて、國衙、國府、の稱となり、又、國司の任、國司の政令の意となる。續日本紀、三十四、寳龜七年五月「出羽(國司申ス)志波村(陸奥)賊、叛逆、與(國衙ノ兵)相戰、官軍不利」竹取物語くに(國司)に告げたれば、の司(つかさ)、參(まう)で訪(とぶら)ふ」宇津保物語、藤原君31「くに一ツ賜はらむと申す、云云、美濃のを賜ひつ」(國司に任ぜられる)倭名抄、五5「和泉郡、(クニ)(ワカチテ)泉南郡」(國司、使を量りて分置し、朝制に拘はらぬなり)陸奥話記、陸奥守頼義「康平五年七月廿六日發(陸奥國府)八月九日到栗原郡盛岡宇治拾遺物語、三、十四條「尾張守、云云、尾張に下りて、行ひけるに」(四){國司の、都より、地方に赴任するを、縣(あがた)の任と云ひ、ゐなかわたらひなど云ふより、國は、地方、田舎、の意となる。萬葉集、十三19長歌「大君の、任(まけ)のまにまに、雛離(ひなさか)る、治めにと、むらどりの、朝立ち行けば」「人」(くにぶり)の絹」侍」訛」(五){地方より、都へ出でて居る者の、其生地を指して云ふ語となり、又、故郷の意となる。郷國古事記、下(仁コ)3「摩佐豆子(まさづこ)吾妹(わぎも)玖邇(くに)へ下らす」(吉備國の婦人の、難波の都より、生國へ歸るなり)仁コ紀、三十年九月、皇后の御長歌「吾が見が欲し區珥(くに)は、葛城(かつらぎ)高宮、吾家(わぎへ)のあたり」(御本郷の遠望)萬葉集、十九9「燕(つばめ)來る、時になりぬと、雁(かりがね)は、本郷(くに)(しぬ)びつつ、雲隱(くもがく)り鳴く(六)大名などの、江戸に居て、其領地を稱する語。封國表」詞」替」〔537-1〕

とあって、標記語「-】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-】〔名〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
文治元年三月二十四日、於長門門司浦、没入海水〈八歳〉《訓み下し》文治元年三月二十四日ニ、長門ノ*門司浦(*門司関)ニ於テ、海水ニ没入シタマフ〈八歳〉。《『吾妻鑑』庚子治承四年四月九日以来の条》
 
 
2005年10月11日(火)曇り。東京→世田谷(駒沢)
如何(イカン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

何如(イカン)〔元亀二年本12七〕

何如(イカヽ)〔静嘉堂本4八〕〔天正十七年本上4ウ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「如何」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔至徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔宝徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔建部傳内本〕

(キヤク)心之()至雖推望(スイバウ)御氣色如何レトモ而國土産〔山田俊雄藏本〕

隔心(キヤクシン)()(ハヽカリ)(スイ)御氣色(キシヨク)如何( ン)ルニ(クニ)土産(トサン)〔経覺筆本〕

隔心之至スト(ハヽカリ)(コヽロミ)推望(スイハウ)御氣色(キソク)如何(イカン)(シカレトモ)シカウシテ而国(クニ)土産(トサン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「如何」と表記し、訓みは経覺筆本に「イカ(ン)」、文明四年本に「イカン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

如何イカン 云何 奈何 其奈 〔黒川本・畳字門上11ウ四〕

如何イカン 云何 奈何 其奈已上同 〔巻第一・畳字門71六〜72一〕

とあって、標記語「如何」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「如何」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

如何(イカン/ジヨ・ゴトシ、・ナニ)[○・平] 若何。何如。奈何。〔態藝門26六〕

とあって、標記語「如何」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

如何(イカン) ・言語進退門14一〕〔・言語門9一〕〔・言語門8五〕

如何(イカン) ――樣・言語門6八〕 

とあって、標記語「如何」の語を収載する。易林本節用集』に、

如何(イカン) 奈何() 〔言語門8七・天理図書館蔵上4ウ七〕

とあって、標記語「如何」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「如何」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

731隔心之至推望御氣色如何ルニ土産 和_讀土産(ツト)也。〔謙堂文庫蔵六二左F〕

とあって、標記語「如何」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

密契(ミツケイ)其甲斐(カイ)隔心(キヤクシン)之至(イタリ)トモズト(ハヾカリ)(コヽロミ)推望(スイバウ)()氣色(キシヨク)如何(イカヽ)(シカル)(クニ)土産(トサン)密契トハ。隱(カク)シテ契(チギ)ル詞(コトバ)ナリ。〔下39オ六〜八〕

とあって、標記語「如何」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ご)氣色(きしよく)如何(いかゞ)御氣色如何氣色とハ樣躰(やうたい)といえるかことし。氣ハ志氣(しき)。色ハ顔色(かんしよく)なり。人憂(うれ)ひ煩(わつら)ふ事あれハ氣おとろへて顔色あしく悦(よろこ)ひ勇(いさ)む事あれハ気盛(さか)んにして顔色うるハし。一身(いつしん)の盈虚(ゑいきよ)皆この二ツあらハるゞゆへ氣()と色(いろ)とをあげて樣躰と云義になる也。此二句ハ越中守の安否(あんひ)をたつねたるなり。 〔97ウ八〜98オ二〕

とあって、この標記語「如何」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何。〔72オ八〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。〔129ウ三〕

とあって、標記語「如何」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Icaga.イカガ(如何) どんなに,または,どのように,例,Icaga aro<zuru?(如何あらうずる)どのようで,または,どんなふうであるだろうか.〔邦訳322l〕

Ican.イカン(如何) どんな具合にして,または,どうして.文書語.¶Icanto nareba.(如何となれば)すなわち,Najenito yu<ni.(何故にと言ふに)このことの意味は…である.〔邦訳322l〕

とあって、標記語「如何」の語を収載し、意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-かん〔副〕【如何】いかにの音便。名義抄「何、イカム」「いかんとす」〔136-1〕

-かが〔副〕【如何】〔いかにかの音便、いかんがの約〕(一)疑ひ、又、危ぶみ思ふ意を云ふ語。何(なん)と。どのやうに。いかに。天治字鏡、十二26「何作、伊加加世牟」「いかがあらむ」(二)疑ひ問ふ意を云ふ語。いかが思へる」(三)いかで。いかでか。源氏物語、二、帚木8「はかなく爲出でたる言業(コトワザ)も、故なからず見えたらむ片かどにても、いかが思ひの外に、をかしからざらむ」〔133-1〕

とあって、標記語「-かん如何】」「-かが如何】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-かん如何】〔副〕(「いかに」の変化した語)@(多く文末に用いる)事がらの内容、状態、原因、理由などを疑い問う意を表わす。どのよう。どうであるか。どうか。A事がらの内容、状態、原因、理由を不定のままにいう意を表わす。どうこう。B「いかん(如何)せん」に同じ」、標記語「-かが如何奈何】[一]〔副〕(「いかに」に助詞「か」の付いた「いかにか」が変化したもの)→いかがは。@(心の中で疑い危ぶむ意を表わす)どう。どのように。どうして。どんなに。A(反語の意を表わす)どのようにまあ…か。どうしてまあ…か。(そんなはずはない、できないの意となる)B(軽く尋ねて相手の意向を確かめたり、呼びかけてすすめたりする意を表わす)どう。どうか。どうです。C(物事の程度や状態が、はっきり限定できないほどはなはだしい意を表わす強調辞)(はっきり言えないが)どんなにまあ。どれほど。[二]〔形動〕@どのような。どうして。A(あとに「なり」「で」などの指定辞を伴って用いることが多い)どうかと思われるさま。考えものであること→いかがしい」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍轉讀分八百部、故欲啓白佛陀、如何者覺淵申云、雖不滿一千部、被啓白條、不可背冥慮者則供香花於佛前、啓白其旨趣《訓み下し》仍テ転読分八百部、故ニ仏陀ニ啓白セント欲ス、如何(イカン)、テイレバ覚淵申シテ云ク、一千部ニ満タズト雖モ、啓白セラレンノ条、冥慮ニ背クベカラズ、テイレバ、則チ香花ヲ仏前ニ供ケ、其ノ旨趣ヲ啓白ス。《『吾妻鑑』治承四年七月五日の条》
 
 
2005年10月10日(月)雨。東京→神田→世田谷(駒沢)
氣色(ケシキ&キシヨク・キソク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

氣色(シキ)〔元亀二年本213七〕〔静嘉堂本242八〕〔天正十七年本中50ウ八〕

とあって、標記語「氣色」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔至徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔宝徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔建部傳内本〕

(キヤク)心之()至雖推望(スイバウ)氣色如何然レトモ而國土産〔山田俊雄藏本〕

隔心(キヤクシン)()(ハヽカリ)(スイ)氣色(キシヨク)如何( ン)ルニ(クニ)土産(トサン)〔経覺筆本〕

隔心之至スト(ハヽカリ)(コヽロミ)推望(スイハウ)氣色(キソク)如何(イカン)(シカレトモ)シカウシテ而国(クニ)土産(トサン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「氣色」と表記し、訓みは経覺筆本に「キシヨク」、文明四年本に「キソク」と記載する。この古写本には、下記に示す『日国』の語誌にいう漢文体古訓が用いられている。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

氣色 人躰部/キソク〔黒川本・畳字門下51オ一〕

氣色 人躰部/ケシキ〔黒川本・畳字門中99オ三〕

氣色 〃調。〃味。〃序。〃力。〃假。〃驗〔巻第八・畳字門527二〕

氣色 〃分。〃力。〃上。〃装〔巻第七・畳字門22一〕

とあって、標記語「氣色」の語を「キソク」「ケシキ」の訓みで収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「氣色」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

氣色(キシヨクイキ、イロ)[去・入] 。〔態藝門818七〕

とあって、標記語「氣色」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

氣色(キシヨク) ・支体門218四〕 氣色(シヨク) ・言語進退門221五〕

氣力(キリヨク)(ガイ)()(シヨク)シキ・言語門185一〕

氣力(キリヨク)(カイ)―色・天地門174四〕 

とあって、標記語「氣色」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「氣色」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「氣色」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

731隔心之至推望氣色如何然ルニ土産 和_讀土産(ツト)也。〔謙堂文庫蔵六二左F〕

とあって、標記語「氣色」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

密契(ミツケイ)其甲斐(カイ)隔心(キヤクシン)之至(イタリ)トモズト(ハヾカリ)(コヽロミ)推望(スイバウ)()氣色(キシヨク)如何(イカヽ)(シカル)(クニ)土産(トサン)密契トハ。隱(カク)シテ契(チギ)ル詞(コトバ)ナリ。〔下39オ六〜八〕

とあって、標記語「氣色」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ご)氣色(きしよく)如何(いかゞ)氣色如何氣色とハ樣躰(やうたい)といえるかことし。氣ハ志氣(しき)。色ハ顔色(かんしよく)なり。人憂(うれ)ひ煩(わつら)ふ事あれハ氣おとろへて顔色あしく悦(よろこ)ひ勇(いさ)む事あれハ気盛(さか)んにして顔色うるハし。一身(いつしん)の盈虚(ゑいきよ)皆この二ツあらハるゞゆへ氣()と色(いろ)とをあげて樣躰と云義になる也。此二句ハ越中守の安否(あんひ)をたつねたるなり。 〔97ウ八〜98オ二〕

とあって、この標記語「氣色」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望氣色如何。〔72オ八〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。〔129ウ三〕

とあって、標記語「氣色」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qexiqi.ケシキ(氣色) 顔つき.例,Tcuuamonodo-mo firumu qexiqini miyetari qeru.(兵ども怯む気色に見えたりける)Taif.(太平記)巻三十二.兵士らは恐れる様子を見せていた.¶Qexiqiga cauaru.(気色が変る)顔つきが変わる.※太平記,三十二,~南合戦事.ただし,原本文には“兵共進兼テ少シ白ウデゾ…”とある.→Iromeqi,u.〔邦訳491l〕

Qixocu.キショク(氣色) 顔色・表情.¶Goqixocuga yoi,l,varui.(御気色が良い,または,悪い)ある尊敬すべき人が,気分の良い,あるいは,悪い顔色をしている.¶Qixocuuo tcucuro>.(気色をつくろふ)ある人を喜ばせ,歓心を得るように努める.〔邦訳513r〕

とあって、標記語「氣色」の語を収載し、意味は「顔つき」と「顔色・表情」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しき〔名〕【氣色】〔けはひに、氣色(キシヨク)の字を充てて、氣色(ケシキ)と讀む語〕(一)けはひ。きざし。みえ。ありさま。やうす。竹取物語「なほ、物思へるけしきなり」後撰和歌集、十二、戀、四「人の娘に、いと忍びて通ひ侍りけるに、けしきを見て、親の守りければ」枕草子、八、八十三段、心もとなきもの「子生むべき人の、程過ぐるまで、さるけしきのなき」玉葉集、四、秋、上「秋のけしきに、世はなりにけり」(二)顔のけはひ。かほいろ。顔色。源氏物語、廿一、少女6「時に從ふ世の人の、心(した)には鼻まじろぎをしつつ、追從し、けしき取りつつ從ふほどに」同(源氏物語)、四十九、東屋6「しかじかなむと、申しけるに、けしき惡しうなりぬ」顔色を正しくするにも云ふ。平治物語、一、光頼參内事「衣文(エモン)つくろひ、笏取りなほし、氣色して」(三)心のけはひ。氣色(キシヨク)。機嫌。(好きにも、惡しきにも云ふ)伊勢物語、百十四段「おほやけ(帝)の御けしき惡しかりけり」保元物語、一、新院御謀叛露顯事「被無双深祕法事、尤~妙之由、御氣色候也」源平盛衰記、十七、謀反不素懷事「入道の氣色に入らむとて、時の才人共申しけるは、云云」吾妻鏡、三、壽永三年三月六日「蒲冠者蒙氣色事免許、日來頻依申之也」」(四)こころもち。意中落窪物語、三、「越前守、殿に參りて、御けしきたまはりつれば、しかじかなむ仰せられつる」源平盛衰記、十一、靜憲熊野詣事「右衞門佐と申す女房、云云、法皇、近く召仕はせましましければ、臣下も、君の御氣色に依て、尼御前と、かしづき呼ばれける」〔609-2〕

-しょく〔名〕【氣色】(一)けはひ。おももち。意向(こころばせ)の、面色に現るること。氣色(キソク)。氣色(けしき)。顔色。太平記、二、長崎新左衞門意見事「以の外に、氣色を損じて」「氣色を伺ふ」(二)轉じて、ここち。こころもち。狂言記、料理聟「氣色がわるいと云うて、唯、梅漬ばかり食はれます」〔466-1〕

-そく〔名〕【氣色】きしょく(氣色)に同じ。續古今和歌集、七、~祇「白河院の御時、あらざる外の事によりて、御きそく心よからず侍りける時」〔468-2〕

とあって、標記語「-しき氣色】」「-しょく氣色】」「-そく〔名〕【氣色】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-しき気色】〔名〕[一]物の外面の様子、有様。また、外見から受ける感じ。@自然界の有様。目にうつる情景から感じられるけはい。物の様子。A顔にあらわれた表情。顔色。顔つき。また、人の容姿、態度、そぶりなどついてもいう。B物事があらわれるけはい。きざし。兆候。特に出産の兆候をいうことが多い。Cすこしであるさま。わずかであるさま。いささか。→けしきばかり。Dいっぷう変わった趣。興味をそそるようなありさま。風流なさま。また、風流心。通常、「けしきあり」の形で使われる。Eあやしげな様子。ぶきみな感じのするさま。通常、「けしきあり」の形で使われる。[二]外から観察することのできる、心の内面の様子、有様。@外からうかがうことのできる、感情の起伏。きげん。気分。A心中にいだく考えを内々に示すこと。また、その考え。意中。意向。B特別に目をかけること。寵愛。おぼえ。補注]中古以前の漢文体の資料はどう読んでいたか明らかではないが「続日本紀」の例は参考のため、「きしょく」の項と重複してあげた。→きしょく。[語誌](1)「気色」の呉音読みによる語。和文中では、はやく平安初期から用いられているが、自然界の有様や人の様子や気持を表わす語として和語化していった。(2)類義の「けはひ(けわい)」が雰囲気によって感じられる心情や品性といった内面的なものの現われを表わすことに傾くのに対し、「けしき」は顔色や言動といった一時的な外面を表わすことにその重心がある。(3)鎌倉時代以降、人の気分や気持を表わす意は漢音読みの「きそく」「きしょく」に譲り、「けしき」は現在のようにもっぱら自然界の様子を表わすようになった。それによって表記も近世になって「景色」があてられるようになる。→けしき(景色)」、標記語「-しょく〔名〕【気色】[一]物の外面にあらわれた様子、有様。外形の表情。きそく。@物の外面の様子。有様。物の姿。A風や雲のたたずまいにあらわれた前兆。風や雲の動きに見える物のきざし。B顔面にあらわれた表情。顔色。Cひとに対する態度。D(―する)様子をつくろうこと。改まった顔つきをすること。また、その様子や顔つき。[二]表にあらわれた心の内面の様子。有様。きそく。@感情の状態。気分。機嫌。気持。Aある事柄に対する意向。要望。内意。貴人について「御気色」(ごきしょく)」の形でいうことが多い。きそく。B他人(多く目下のもの)に対する気分。特に「御気色」の形で、気持を受ける側から、おぼえ、寵愛(ちょうあい)の意。C(―する)怒りや不快などの強い感情をおもてに表わすこと。また、その心。憤慨。怒気。D病気など、身体的不調によって乱された気分。また、気分のすぐれないこと。きそく。やまい。病気。E(―する)合図すること。自分の意志を人に伝えること。語誌](1)「気色」は、呉音「けしき」と、漢音「きしょく」及びその直音化の「きそく」の三とおりの読みがなされる。「きそく」は平安末期以降用いられ、さらにやや遅れて「きしょく」が中世以降盛んに使用されたが、「きしょく」の多用に伴い、「きそく」は徐々に用いられなくなっていった。(2)中世以降、[二]の用法で「けしき」と「きしょく」(「きそく」は「きしょく」よりさらに意味が限定される)が併用されるが、「けしき」は中古の仮名文学に多用されたため、和語のように意識され、外面から観察される心の様子について用いられる傾向があるのに対し、「きしょく」は漢語的な性質をもち、人の内面の状態そのものを表わすことが多いというおおよその違いがある」、標記語「-そく〔名〕【気色】@(―する)外面に現われた様子。また、様子をつくろうこと。きしょく。A心の状態。気分。機嫌。きしょく。B他に対する気持や意向、要望。内意。きしょく。C気分のすぐれないこと。病気。きしょく。語誌]漢語「気色」の漢音読み「きしょく」が直音化したもの。同様に「気色」から派生した「けしき」が平安初期から自然と人間の両方にわたって広く用いられたのに対し、「きそく」は平安中期を過ぎて、特に心内の気分や意向として用いられたが、鎌倉時代以降「きしょく」が一般化するにつれて衰えた」とあって、いずれも『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
然者得此數萬合力、可被感悦歟之由、思儲之處、有被咎遅參之氣色、殆叶人主之體也《訓み下し》然レバ此ノ数万ノ合力ヲ得テ、感悦セラルベキカノ由、思ヒ儲クルノ処ニ、遅参ヲ咎メラルルノ気色(キシヨク)有リ、殆ド人主ノ体ニ叶ヘルナリ。《『吾妻鑑』治承四年九月十九日の条》
 
 
2005年10月9日(日)雨。東京→世田谷(玉川→駒沢)
推望(スイバウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、「推量(スイリヤウ)、推覧(ラン)、推参(サン)、推察(サツ)」の四語を収録し、標記語「推望」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔至徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔宝徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔建部傳内本〕

(キヤク)心之()至雖推望(スイバウ)御氣色如何然レトモ而國土産〔山田俊雄藏本〕

隔心(キヤクシン)()(ハヽカリ)(スイ)御氣色(キシヨク)如何( ン)ルニ(クニ)土産(トサン)〔経覺筆本〕

隔心之至スト(ハヽカリ)(コヽロミ)推望(スイハウ)御氣色(キソク)如何(イカン)(シカレトモ)シカウシテ而国(クニ)土産(トサン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「推望」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「スイバウ」、経覺筆本に「スイ(バウ)」、文明四年本に「スイハウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「推望」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「推望」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「推望」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

731隔心之至推望御氣色如何然ルニ土産 和_讀土産(ツト)也。〔謙堂文庫蔵六二左F〕

とあって、標記語「推望」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

密契(ミツケイ)其甲斐(カイ)隔心(キヤクシン)之至(イタリ)トモズト(ハヾカリ)(コヽロミ)推望(スイバウ)()氣色(キシヨク)如何(イカヽ)(シカル)(クニ)土産(トサン)密契トハ。隱(カク)シテ契(チギ)ル詞(コトバ)ナリ。〔下39オ六〜八〕

とあって、標記語「推望」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こゝろミ)推量(すいりやう)に及(およ)推量推量ハいからしてあるやと心に思ひはかりて忘れさるこゝろ也。 〔97ウ七・八〕

とあって、この標記語「推量」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何▲推望ハ推(をし)かけに向(むか)ひ望(のぞ)む也。〔72オ八、72ウ三〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)▲推望ハ推(をし)かけに向(むか)ひ望(のぞ)む也。〔129ウ三〕

とあって、標記語「推望」の語を収載し、語注記は、「推望は、推(をし)かけに向(むか)ひ望(のぞ)むなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「推望」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「すい-ばう推望】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年10月8日(土)曇り一時雨。東京→香川(高松)日本語学会・中国四国支部[香川大学]
(こゝろみ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

(コヽロムル)〔元亀二年本242一〕〔静嘉堂本279二〕

× 欠語。〔天正十七年本〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みは「こゝろむる」と動詞訓で記載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

隔心之至雖存憚及推望御氣色如何然而國土産〔至徳三年本〕

隔心之至雖存憚及推望御氣色如何然而國土産〔宝徳三年本〕

隔心之至雖存憚及推望御氣色如何然而國土産〔建部傳内本〕

(キヤク)心之()至雖推望(スイバウ)御氣色如何然レトモ而國土産〔山田俊雄藏本〕

隔心(キヤクシン)()(ハヽカリ)(スイ)御氣色(キシヨク)如何( ン)ルニ(クニ)土産(トサン)〔経覺筆本〕

隔心之至スト(ハヽカリ)(コヽロミ)推望(スイハウ)御氣色(キソク)如何(イカン)(シカレトモ)シカウシテ而国(クニ)土産(トサン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「」と表記し、訓みは文明四年本に「こゝろみ-に」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

(コヽロム/)[去] 。〔態藝門696二〕

とあって、標記語「」の語を「こゝろ・む」の動詞訓で収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

(コヽロム) ・言語進退門189一〕〔・言語門156八〕〔・天地門146三〕

とあって、広本節用集』と同じく標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(コヽロム) 〔言語門160七・天理図書館蔵下13オ七〕

とあって、広本節用集』と同じく標記語「」の語を収載する。但し、天正十八年本『節用集』には、「こころみ」の名詞訓で記載が見られる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

731隔心之至推望御氣色如何然ルニ土産 和_讀土産(ツト)也。〔謙堂文庫蔵六二左F〕

とあって、標記語「」とせずに、字形相似の「」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

密契(ミツケイ)其甲斐(カイ)隔心(キヤクシン)之至(イタリ)トモズト(ハヾカリ)(コヽロミ)推望(スイバウ)()氣色(キシヨク)如何(イカヽ)(シカル)(クニ)土産(トサン)密契トハ。隱(カク)シテ契(チギ)ル詞(コトバ)ナリ。〔下39オ六〜八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(こゝろミ)に推量(すいりやう)に及(およ)推量推量ハいからしてあるやと心に思ひはかりて忘れさるこゝろ也。 〔97ウ七・八〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズト推望御氣色如何。〔72オ八〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。〔129ウ三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cocoromi,uru.コヽロミ,ムル,ミタ(試み,むる,みた) 実験する,または,ためす,やってみる.¶また,食物などの味をみる.※iruの誤りではない.当時上一段活用形に並んで,上二段活用に転じた例も存する.“サラバトテチツトコヽロムルソ”(史記抄,八,12).羅葡日のAttentoその他の条にも見える.→Agiuai,uo<;Fiqi〜;Meacu.〔邦訳136l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味は「実験する,または,ためす,やってみる.¶また,食物などの味をみる」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

こころみ〔名〕【】(一)こころみること。ためし。古今集、十二、戀、二「死ぬる命、生きもやすると、心みに、たまのをばかり、逢はむと言はなむ」和泉式部日記こころみに、雨も降らなむ、宿過ぎて、空行く月の、影やとまると」名義抄「嘗、試、ココロミニ」(二)試驗。明經道、經書直講の試、五節、舞姫、帳臺の試などあり。宇津保物語、吹上、上13「こころみの題、賜はりて」枕草子、八、七十九段「五節のこころみ」〔675-3〕

とあって、標記語「こころみ】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こころ-】〔名〕(動詞「こころみる(試)」の連用形の名詞化)@こころみること。ためし。試験。A雅楽を予習のために演ずること。試楽。B食事をすること。また、その飲食物。C試飲、試食をすること。また、そのもの。D計画。はかりごと。E信仰の決心や固さをためす試練」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
然間且爲國敵、且令插意趣給之故、先可被誅兼隆也《訓み下し》然ル間、且ハ国敵タリ、且ハ意趣ヲ挿マシメ(私ノ意趣)給フノ故ニ、先ヅ(コヽロ)ミニ兼隆ヲ誅セラルベシトナリ。《『吾妻鑑』治承四年八月四日の条》
 
 
2005年10月7日(金)晴れ時折曇り。東京→世田谷(駒沢)
(はばかり)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「葉」部に、

(ハヾカル)〔元亀二年本36一〕

(ハヽカリ)〔静嘉堂本38五〕

(ハヽカル)〔天正十七年本上20オ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載する。うち、静嘉堂本は「はばかり」と名詞化に訓む。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

隔心之至雖存試及推望御氣色如何然而國土産〔至徳三年本〕

隔心之至雖存試及推望御氣色如何然而國土産〔宝徳三年本〕

隔心之至雖存試及推望御氣色如何然而國土産〔建部傳内本〕

(キヤク)心之()至雖推望(スイバウ)御氣色如何然レトモ而國土産〔山田俊雄藏本〕

隔心(キヤクシン)()(ハヽカリ)(スイ)御氣色(キシヨク)如何( ン)ルニ(クニ)土産(トサン)〔経覺筆本〕

隔心之至スト(ハヽカリ)(コヽロミ)推望(スイハウ)御氣色(キソク)如何(イカン)(シカレトモ)シカウシテ而国(クニ)土産(トサン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「はゝかり」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

(ソノ、ハヾカリ/タン)[入・去] 。〔態藝門390四〕

(ハヾカリ・ソンズルタン―)[去・平] 。〔態藝門77一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・両足院本節用集

(ハヽカル) ・言語進退門22四〕 所難(ハヽカル) ・言語進退門26五〕

所難(ハヽカル) () ・言語門23九〕〔・言語門27三〕

とあって、標記語「」の語を動詞「はばか・る」として収載する。易林本節用集』に、

(ハヾカル) 〔言語門23六・天理図書館蔵上12オ六〕

とあって、標記語「」の語を動詞「はばか・る」として収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

731隔心之至推望御氣色如何然ルニ土産 和_讀土産(ツト)也。〔謙堂文庫蔵六二左F〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

密契(ミツケイ)其甲斐(カイ)隔心(キヤクシン)之至(イタリ)トモズト(ハヾカリ)(コヽロミ)推望(スイバウ)()氣色(キシヨク)如何(イカヽ)(シカル)(クニ)土産(トサン)密契トハ。隱(カク)シテ契(チギ)ル詞(コトバ)ナリ。〔下39オ六〜八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(はゞかり)(そん)ずと雖(いへと)ストこゝまてハ越中守か上洛してありなから隼人佐へおとつれさるを少しく恨(うらミ)て云る也。 〔97ウ七〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何。〔72オ八〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。〔129ウ三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fabacari.ハヾカリ(憚) 気おくれ.羞恥,畏敬.〔邦訳191r〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はばかり〔名〕【】{はばかること。畏れ愼むこと。源氏物語、十二、須磨6「にごりなき心にまかせて、つれなく過し侍らんも、いとおほく」(二)東京婦人の語に、人目を憚る意より、廁に上ることの隱語。上廁〔1611-1〕

とあって、標記語「はばかり】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はばかり】〔名〕(動詞「はばかる(憚)」の連用形の名詞化)@恐れつつしむこと。差し控えること。恐縮。遠慮。Aさしつかえがあること。さしさわり。支障。B(形動)(「はばかりさま(憚樣)」の略)相手に世話になったり、ちょっとしたことを頼んだりするときにいう挨拶のことば。ありがとう。おそれいります。C(人目をはばかるところの意)便所。はばかりじょ。はばかりば」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
重國、乍喜、世上之聽、招于庫倉之内、密密羞膳動《訓み下し》重国、喜ビナガラ、世上ノ聴ヲ(ハヾカ)、庫倉ノ内ニ招キテ、密密ニ膳ヲ羞メ動フ。《『吾妻鑑』治承四年八月二十六日の条》
 
 
2005年10月6日(木)小雨後曇り。東京→世田谷(駒沢)
隔心(キャクシン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

× 脱落語。〔元亀二年本〕

隔心(キヤクシン)〔静嘉堂本327二〕

とあって、標記語「隔心」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔至徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔宝徳三年本〕

隔心之至雖存憚試及推望御氣色如何然而國土産〔建部傳内本〕

(キヤク)()至雖推望(スイバウ)御氣色如何然レトモ而國土産〔山田俊雄藏本〕

隔心(キヤクシン)()(ハヽカリ)(スイ)御氣色(キシヨク)如何( ン)ルニ(クニ)土産(トサン)〔経覺筆本〕

隔心之至スト(ハヽカリ)(コヽロミ)推望(スイハウ)御氣色(キソク)如何(イカン)(シカレトモ)シカウシテ而国(クニ)土産(トサン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「隔心」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「キヤク(シン)」、経覺筆本に「キヤクシン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「隔心」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

隔心(キヤクシン) 。〔態藝門87七〕

とあって、標記語「隔心」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

隔心(キヤクシンヘダテ、コヽロ)[入・平] 。〔態藝門834八〕

とあって、標記語「隔心」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

隔心(キヤクシン) ・言語進退門222三〕〔・言語門185六〕〔・言語門174八〕 

とあって、標記語「隔心」の語を収載する。易林本節用集』には、標記語「隔心」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「隔心」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

731隔心之至推望御氣色如何然ルニ土産 和_讀土産(ツト)也。〔謙堂文庫蔵六二左F〕

とあって、標記語「隔心」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

密契(ミツケイ)其甲斐(カイ)隔心(キヤクシン)之至(イタリ)トモズト(ハヾカリ)(コヽロミ)推望(スイバウ)()氣色(キシヨク)如何(イカヽ)(シカル)(クニ)土産(トサン)密契トハ。隱(カク)シテ契(チギ)ル詞(コトバ)ナリ。〔下39オ六〜八〕

とあって、標記語「隔心」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(なく)密契無甲斐密契ハ朋友(ほうゆう)の好身(よしミ)をゑてしたしく結(むす)ひたるをいふ。 〔97ウ五・六〕

とあって、この標記語「隔心」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何。〔72オ八〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。〔129ウ三〕

とあって、標記語「隔心」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiacuxin.キャクシン(隔心) Fedataru cocoro.(隔たる心)多少よそよそしくて,親しみの薄い心.¶Qiacuxinni zonzuru.(隔心に存ずる)心中に幾分かよそよそしい気持ちを抱く.¶Qiacuxingamaxij iy yo<.(隔心がましい言ひ樣)多少よそよそしくて,しっくりしない話し方.〔邦訳492r〕

とあって、標記語「隔心」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きャく-しん〔名〕【隔心】へだつるこころ。打解けぬ心。交わりの中に、障のあること。隔意(カクイ)庭訓往來、十二月「御上洛之處、不音信候條、密契無其甲斐隔心之至」〔496-2〕

とあって、標記語「きャく-しん隔心】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きゃく-しん隔心】〔名〕(「きゃく」は「隔」の呉音)「かくしん(隔心)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
風聞之趣如此、者依之、於武田、非無御隔心被尋《訓み下し》風聞ノ趣此ノ如シテイレバ、之ニ依テ、武田ニ於テハ、御隔心(ゴキヤクシン)無キニ非ズ。《『吾妻鑑』治承五年三月七日の条》
 
 
2005年10月5日(水)雨。東京→世田谷(駒沢)
甲斐(カヒ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

甲斐(カイ)〔元亀二年本98三〕〔静嘉堂本123一〕

とあって、標記語「甲斐」の語を収載するが、すぐ下に「甲州(カウセウ)、甲賀()近江」の語を排列しているところから、これも国名と見る方が好かろう。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

随而御上洛之處不預御音信候条密契無其甲斐〔至徳三年本〕

隨而御上洛之處不預音信候條密契無其甲斐〔宝徳三年本〕

随而御上洛之處不預御音信候之条密契無其甲斐〔建部傳内本〕

随而()御上洛之()処不御音信候之條密契(ミツケイ)甲斐〔山田俊雄藏本〕

随而御上洛之()音信之条密契(ケイ)甲斐〔経覺筆本〕

随而()御上洛之處音信候条密契(ミツケイ)(ナシ)二レ甲斐〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「甲斐」を記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

甲斐 カイナシ黒川本・畳字門上90オ八〕

甲斐 巻第三・畳字門272一〕

とあって、標記語「甲斐」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「甲斐」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

甲斐(ナシ、カイ、――) 。〔態藝門286五〕

とあって、標記語「無甲斐」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

甲斐(カイ)(カウ)州四郡、山梨(ヤマナシ)、八代(ヤツシロ)、巨摩(コマ)。都留(ツル)・東海道289一〕

甲斐(カイ)(カウ)州四〔・東海道262七〕

甲斐 上甲州山梨(ヤマ )、八代(ヤツシロ)、四郡、巨摩(コマ)。都留(ツル)・天地門232二〕 

とあって、標記語「甲斐」の語は国名としてのみ収載する。易林本節用集』に、

(ナシ)甲斐(カイ) 〔言語門84五・天理図書館蔵上42ウ五〕

とあって、標記語「無甲斐」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「無甲斐」の語をもって収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本は「無其甲斐」として収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

730如往日之昵近随而御上洛之処不音信候条密契无甲斐 々々神代辞也。分則非也。言反云心也。只无曲之義也。神代東海道甲斐用要害。故云爾也。〔謙堂文庫蔵六二左C〕

○日本鬼王。神。甲斐国集。鬼王戦也。神甲ヲヌカズ鬼王戦ヨリ甲斐ト云也。神ハ鹿島ヨリ起。又祝常陸筑波山。神之住処也。〔国会図書館藏『左貫注』冠頭書込〕

とあって、標記語「甲斐」の語を収載し、語注記に「甲斐ハ自神代起ル辞也。分ル斐ヲ則非反ニ也。言ハ甲ヲ非反云心也。只无曲之義也。神代ニ東海道甲斐ノ国ヲ用要害ニ。故云爾也」と記載する。また、甲斐国の名称起源譚については上記に示した『左貫注』冠頭書込がある。

 古版庭訓徃来註』では、

密契(ミツケイ)甲斐(カイ)隔心(キヤクシン)之至(イタリ)トモズト(ハヾカリ)(コヽロミ)推望(スイバウ)()氣色(キシヨク)如何(イカヽ)(シカル)(クニ)土産(トサン)密契トハ。隱(カク)シテ契(チギ)ル詞(コトバ)ナリ。〔下39オ六〜八〕

とあって、標記語「甲斐」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(なく)密契無甲斐密契ハ朋友(ほうゆう)の好身(よしミ)をゑてしたしく結(むす)ひたるをいふ。 〔97ウ五・六〕

とあって、この標記語「甲斐」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何。〔72オ八〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。〔129ウ三〕

とあって、標記語「甲斐」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cai.カヒ(甲斐) 利益・有用,または,よくする手だて.例,Iqite caimo nai.(生きて甲斐もない)たとい生きていても,それが何の役に立とうか.¶Mo<xita caiga nai.(申した甲斐がない)たとい私が彼にそのことをどんなに申したとしても、何ともしかたのないことである.〔邦訳79r〕

とあって、標記語「甲斐」の語を収載し、その意味は「利益・有用,または,よくする手だて」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【甲斐】物事のききめ。しるし。詮(セン)。効驗。竹取物語「彼の家に行きて、ただずみありきけれども。かひあるべくもあらず」宇津保物語、忠杜33「かくおもほさん人は、よろづの事思ふとも、かひもあらじとて」〔403-3〕

とあって、標記語「-甲斐】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-甲斐】〔名〕(四段動詞「かう(代)」の連用形の名詞化したもので、代わりとなるべき事、物の意から。→がい〔語素〕)@ある行為に値するだけのしるし。ききめ。効果。また、ある行為をしたことに対する、自身の心の満足。Aある行為と代わり得る価値があること。また、そのもの。代価。代償。また一般的に、価値、値打」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
事新申状、雖似述懐、義經、受身體髪膚於父母、不経幾時節、故頭殿御他界之間、成孤被抱母之懐中赴大和國宇多郡龍門之牧以來、一日片時不住安堵之思、雖存無甲斐之命、京都之経廻難治之間、令流行諸國、隠身於在々所々、爲栖邊土遠國、被服仕土民百姓等《訓み下し》事新シキ申状、述懐ニ似タリト雖モ、義経、身体髪膚ヲ父母ニ受ケ、幾時節ヲ経ズ、故頭殿御他界ノ間、孤ト成リ、母ノ懐ノ中ニ抱カレ、大和ノ国宇多ノ郡竜門ノ牧ニ赴キシヨリ以来、一日片時モ安堵ノ思ヒニ住セズ、甲斐無キノ*命(*命許リ)ヲ存フト雖モ、京都ノ経廻難治ノ間、諸国ニ流行セシメ、身ヲ在在所所ニ隠シ、辺土遠国ヲ栖トシテ、土民百姓等ニ服仕セラル。《『吾妻鑑』元暦二年五月二十四日の条》
 
 
2005年10月4日(火)曇り。東京→渋谷→世田谷(駒沢)
密契(ミツケイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「見」部に、

密契(ケイ)〔元亀二年本300九〕〔静嘉堂本350二〕

とあって、標記語「密契」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

随而御上洛之處不預御音信候条密契無其甲斐〔至徳三年本〕

隨而御上洛之處不預音信候條密契無其甲斐〔宝徳三年本〕

随而御上洛之處不預御音信候之条密契無其甲斐〔建部傳内本〕

随而()御上洛之()処不御音信候之條密契(ミツケイ)其甲斐〔山田俊雄藏本〕

随而御上洛之()音信之条密契(ケイ)其甲斐〔経覺筆本〕

随而()御上洛之處音信候条密契(ミツケイ)(ナシ)二レ其甲斐〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「密契」と表記し、訓みは経覺筆本に「(ミツ)ケイ」、山田俊雄藏本・文明四年本に「ミツケイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「密契」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「密契」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

密契(ミツケイヒソカ、チギル)[入・去] 。〔態藝門894三〕

とあって、標記語「密契」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には標記語「密契」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「密契」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

730如往日之昵近随而御上洛之処不音信候条密契其甲斐 々々神代辞也。分則非也。言反云心也。只无曲之義也。神代東海道甲斐用要害。故云爾也。〔謙堂文庫蔵六二左C〕

とあって、標記語「密契」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

密契(ミツケイ)其甲斐(カイ)隔心(キヤクシン)之至(イタリ)トモズト(ハヾカリ)(コヽロミ)推望(スイバウ)()氣色(キシヨク)如何(イカヽ)(シカル)(クニ)土産(トサン)密契トハ。隱(カク)シテ契(チギ)ル詞(コトバ)ナリ。〔下39オ六〜八〕

とあって、標記語「密契」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)密契甲斐密契ハ朋友(ほうゆう)の好身(よしミ)を至てしたしく結(むす)ひたるをいふ。 〔97ウ五・六〕

とあって、この標記語「密契」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)/御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何▲密契ハこま/゛\と契(ちぎ)りうらなく語(かた)らふ意()也。〔72オ八、72ウ三〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)▲密契ハこま/゛\と契(ちぎ)りうらなく語(かた)らふ意()也。〔129ウ三〕

とあって、標記語「密契」の語を収載し、語注記に「密契は、こま/゛\と契(ちぎ)りうらなく語(かた)らふ意()なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Micqei.ミッケイ(密契) Fisocani chiguiru.(密かに契る)友好関係やその他の事に関する秘密の契約.文書語.〔邦訳402r〕

とあって、標記語「密契」の語を収載し、意味を「Fisocani chiguiru.(密かに契る)友好関係やその他の事に関する秘密の契約.文書語」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

みッ-けい〔名〕【密契】人に知らさず、互にちぎること。書言字考節用集、九、言辭門「密契、ミツケイ」庭訓徃來、十二月「不音信候條、密契其甲斐、隔心之至」〔1934-2〕

とあって、標記語「みッ-けい密契】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「みっ-けい密契】〔名〕内々のちぎり。秘密の約束。密約」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
夫れ叢林の密契の徒、毎歳、必ず星節を以て合歓の夕と為す。蓋し西牛・東女遇合の時を取るなり。《建仁寺の僧、三益永因(生没年未詳、1520年頃没か)詩文集『三益艶詞』(続群書類従巻三四五)の条513頁》
 
 
2005年10月3日(月)曇り。東京→世田谷(駒沢)
昵近(ジツキン・ヂツキン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、

昵近(ヂツキン)〔元亀二年本67六〕

(ヂツキン)〔静嘉堂本79六〕

昵近(チツキン)〔天正十七年本上39オ四〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「昵近」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔至徳三年本〕

御任國之後烏兎押移遙不遂面拝候間頗如忘往日之昵近〔宝徳三年本〕

御任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔建部傳内本〕

御任國之後烏兎(ウド)押移(ヲシウツテ)面拝候間頗ルヽカ往日(ジツ)〔山田俊雄藏本〕

御任(ニン)國之後烏兎(ウト)推移(オシウツヽテ)面拝之條頗(スコフル)ルガ往日昵近(ヂツキン)〔経覺筆本〕

御任(ニン)之後烏兎(ウト)押移(ヲシウツテ)(ハルカ)面拝間頗(スコフ)(ワスルヽカ)ワスレタルカ往日之(ノ)昵近(チツキン)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「押移」、に「昵近」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ジツ(キン)」、経覺筆本に「ヂツキン」、文明四年本に「チツキン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

昵近 近習分/チツキン黒川本・畳字門上56オ二

昵近 巻第二・畳字門478四

とあって、標記語「昵近」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

昵近(ヂツキン) 〔態藝門74四〕

とあって、標記語「昵近」の語を収載する。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には標記語「昵近」の語を未収載にする。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

昵近(ヂツキン) 近習奉公・人倫門49三〕〔・言語進退門54六〕〔・天地門49四〕〔・言語門58五〕

昵近(チツキン) 近習(キンシウ)奉公・言語門54九〕

とあって、標記語「昵近」の語を収載し、語注記に「近習奉公」と記載する。易林本節用集』に、

昵近(ヂツキン) 〔言語門54六・天理図書館蔵上27ウ六〕

とあって、標記語「昵近」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「昵近」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

730如往日之昵近随而御上洛之処不音信候条密契无其甲斐 々々神代辞也。分則非也。言反云心也。只无曲之義也。神代東海道甲斐用要害。故云爾也。〔謙堂文庫蔵六二左C〕

とあって、標記語「昵近」の語は未収載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

烏兎(ウト)押移(ヲシウツリテ)(ハルカニ)(トゲ)(メン)之間(アヒタ)(スコブル)(ワスル)ヽカ徃日(ワウジツ)(ノ)(チツキン)(シタカツ)(テ)(ゴ)上洛(シヤウラク)之處(トコロ)ルノ(アツカラ)(イン)(テウ)烏兎押移ルト云事深キ心得有宜ク外典ニ見ヘタリ。月ノ内ニ三眼(ゲン)六足ノ兎(ウサキ)有。日ノ内ニ三足ノ烏有。是ヲ烏兎(ウト)推移(ヲシウツ)ルト云也。月日ノ立ヲ加様ニ云也。押移ト云事月宮殿ニハ十五人ノ童子アリ。一日ヨリ十五日マデ白裝束ニテ月宮殿ニ入リ給フ也。押ト云事。大事也。彼(カノ)童子達ノ宮殿ヲ照(テラ)ス也。十六日ヨリ。黒(クロキ)裝束(シヤウゾク)ニテ入テ遊戯(ユゲ)スルナリ。〔下39オ二〜六〕

とあって、標記語「昵近」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(すこふ)る往日(わうじつ)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるか如(こと)頗如ルヽガ往日之徃日ハ過し日也。昵近ハ至て親(した)しき事也。こゝに云こゝろハ其元越中(ゑつちう)の国主(こくしゆ)に任せられたる後ハ遠路(ゑんろ)ゆへ空(むな)しく月日を送りて相見る事も打絶たるゆへ日頃の親(した)しミをも忘れたる故に思ハるゝと也。是ハ至て相見さる事をなげきたる詞也。〔97ウ一〜三〕

とあって、この標記語「昵近」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何▲昵近ハむつびちかづくと訓(くん)ず。至(いたつ)て親(したし)きをいふ。〔72オ七、72ウ二・三〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)▲昵近ハむつびちかづくと訓(くん)ず。至(いたつ)て親(したし)きをいふ。〔129ウ五、130オ三・四〕

とあって、標記語「昵近」の語を収載し、語注記に「昵近はむつびちかづくと訓(くん)ず。至(いたつ)て親(したし)きをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gicqin.ヂッキン(眤近) Mutcumaxu< chicaxi.(昵ましう近し)すなわち,Qimino sobani iru fito.(君の傍に居る人)主君の気に入りの人,または,いつもその御前にいる人.〔邦訳315r〕

とあって、標記語「昵近」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぢッ-きん〔名〕【昵近】したしみ、ちかづくこと。なれしたしむこと。なじむこと。又其人。韓非子「伊尹身執鼎俎、爲庖宰昵近習親」北齊書、安コ王傳「殺昵近九人」〔1269-5〕

とあって、標記語「ぢッ-きん昵近】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じっ-きん昵近】〔名〕@(―する)なれ親しむこと。多く、貴人に親しみ近づくこと。また、なれ親しんでいる相手の人。A「じっきんしゅう(昵近衆)」の略」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爰安房國住人、安西三郎景益者、御幼稚之當初、殊奉昵近者也《訓み下し》爰ニ安房ノ国ノ住人、安西三郎景益トイフ者、御幼稚ノ当初、殊ニ昵近(ヂツキン)奉ル者ナリ。《『吾妻鑑』治承四年九月一日の条》
 
 
2005年10月2日(日)快晴。東京→世田谷(玉川→駒沢)
不遂(とげざる)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、

(トグル)〔元亀二年本62一〕〔静嘉堂本71四〕

(トクル)〔天正十七年本上36オ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔至徳三年本〕

御任國之後烏兎押移遙不遂面拝候間頗如忘往日之昵近〔宝徳三年本〕

御任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔建部傳内本〕

御任國之後烏兎(ウド)押移(ヲシウツテ)面拝候間頗ルヽカ往日(ジツ)〔山田俊雄藏本〕

御任(ニン)國之後烏兎(ウト)推移(オシウツヽテ)面拝之條頗(スコフル)ルガ往日昵近(ヂツキン)〔経覺筆本〕

御任(ニン)之後烏兎(ウト)押移(ヲシウツテ)(ハルカ)面拝間頗(スコフ)(ワスルヽカ)ワスレタルカ往日之(ノ)昵近(チツキン)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・文明四年本に「押移」、経覺筆本に「不遂」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「ヲシウツス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「不遂」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「不遂」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

(トグル/スイ)[去] 。〔態藝門151四〕

五者(イツヽノモノ)(ズンバ)(トゲ)(ワザワイ)(ヲヨボサン)於親(シン)(アヱテ)(ザラム)(ケイ)(ヤ)礼記。〔態藝門401一〕

とあって、標記語「」「不遂」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

(トグル) ・言語進退門44七〕

(トグ) 果。極。究。盡/。思也・言語門46四〕〔・言語門43三〕

(トグ) ・言語門51四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(トグル) 〔言語門47一・天理図書館蔵上24オ一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」「不遂」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

729御任国之後烏兎推移面拝候間 烏日也。兎月也。尭時卞日並出命シテ使ルニ之。即射落烏也。又昔釈迦菩薩砌、鳥類草木マテ仰心アリ。中ニモ菓子。狐川魚。兎无調法ニシテルコト一物。其時集草木。帝尺シテ、天月出也。故尓也云々。〔謙堂文庫蔵六二左A〕

とあって、標記語「不遂」の語は未収載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

烏兎(ウト)押移(ヲシウツリテ)(ハルカニ)(トゲ)(メン)之間(アヒタ)(スコブル)(ワスル)ヽカ徃日(ワウジツ)(ノ)(チツキン)(シタカツ)(テ)(ゴ)上洛(シヤウラク)之處(トコロ)ルノ(アツカラ)(イン)(テウ)烏兎押移ルト云事深キ心得有宜ク外典ニ見ヘタリ。月ノ内ニ三眼(ゲン)六足ノ兎(ウサキ)有。日ノ内ニ三足ノ烏有。是ヲ烏兎(ウト)推移(ヲシウツ)ルト云也。月日ノ立ヲ加様ニ云也。押移ト云事月宮殿ニハ十五人ノ童子アリ。一日ヨリ十五日マデ白裝束ニテ月宮殿ニ入リ給フ也。押ト云事。大事也。彼(カノ)童子達ノ宮殿ヲ照(テラ)ス也。十六日ヨリ。黒(クロキ)裝束(シヤウゾク)ニテ入テ遊戯(ユゲ)スルナリ。〔下39オ二〜六〕

とあって、標記語「不遂」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(はるか)に面拝(めんはい)(と)げ不(ざ)(の)(あいだ)面拝之間遙とハへたたりたる也。面拝の注前に見えたり。 〔97オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「不遂」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)り遙(はるか)に面拝(めんはい)(と)げ不(ざ)(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何。〔71オ六〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。〔129ウ三〕

とあって、標記語「不遂」の語は未収載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「不遂」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

・グル・グレ・ゲ・ゲ・ゲヨ〔他動、下二〕【】成し果(はた)す。行ひ終ふ。成就せさす。萬葉集、四、33「なかなかに、黙もあらましを、何すとか、相見そめけむ、遂ぐとはなしに」源氏物語、十七、繪合3「其の御心ざしをも、とげ給ふべきほどに」後拾遺集、廿、釋教「常ならぬ、わが身は水の、月なれば、世を住みとげん、こともおぼえず」〔1395-5〕

とあって、標記語「】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「げる】〔他ガ下一〕文と・ぐ〔他ガ下二〕しようと思っていたことを成し果たす。なしおえる。成就させる。完遂する。また、最終的に、ある結果に行きつく」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
汝等遅參、(ズ)(トゲ)今暁合戰、遺恨萬端之由、被仰《訓み下し》汝等遅参ニ依テ、今暁ノ合戦ヲ遂ゲズ、遺恨万端ノ由、仰セラル。《『吾妻鑑』治承四年八月十七日の条》
 
 
2005年10月1日(土)曇り。東京→世田谷(駒沢)
(はるかに)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、

(ハルカ也)(同)(同)。遼(同)。杳(同)。〔元亀二年本35七〕〔静嘉堂本38一〕

(同)(同)。遼(同)。杳(同)。〔天正十七年本上19ウ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔至徳三年本〕

御任國之後烏兎押移遙不遂面拝候間頗如忘往日之昵近〔宝徳三年本〕

御任國之後烏菟押移遙不遂面拝之間頗如忘徃日之昵近〔建部傳内本〕

御任國之後烏兎(ウド)押移(ヲシウツテ)面拝候間頗ルヽカ往日(ジツ)〔山田俊雄藏本〕

御任(ニン)國之後烏兎(ウト)推移(オシウツヽテ)面拝之條頗(スコフル)ルガ往日昵近(ヂツキン)〔経覺筆本〕

御任(ニン)之後烏兎(ウト)押移(ヲシウツテ)(ハルカ)面拝間頗(スコフ)(ワスルヽカ)ワスレタルカ往日之(ノ)昵近(チツキン)。〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・文明四年本に「押移」、経覺筆本に「」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「ヲシウツス」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ハルカ/ハルカ也曠懸遼(レウ)創燭晶徃迅梢昭迫希(シヤ)廻冥迩綿已上遙〔黒川本・辞字門上24オ三〜五〕

ハルカナリ/ハカルナリ晴燭悠緬玄寂也幽遠也閑涌反曠達懸創晶幽達娠相昭迫希虚迩綿已上同〔巻第一・言語門195二〜196六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)

(ハルカ/ヨウ)(同/ケイ)(同/ケイ)[上](ハルカ/ユウ)(同/メン)[上] 。〔態藝門83八〕

とあって、標記語「」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集

(ハルカ)(同)。遠(同)。眇(同)。幽(同)/悠(同)。緬(同)(同)・言語進退門23二〕

(ハルカ) 玄。遠。眇。幽/悠。緬。・言語門24六〕

(ハルカ) 玄。遠。眇/悠。緬。幽。・言語門21七〕 

とあって、標記語「」の語を収載する。易林本節用集』に、

(ハルカナリ) (同) (同) 〔言語門24四・天理図書館蔵上12ウ四〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

729御任国之後烏兎推移不面拝候間 烏日也。兎月也。尭時卞日並出命シテ使ルニ之。即射落烏也。又昔釈迦菩薩砌、鳥類草木マテ仰心アリ。中ニモ菓子。狐川魚。兎无調法ニシテルコト一物。其時集草木。帝尺シテ、天月出也。故尓也云々。〔謙堂文庫蔵六二左A〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

烏兎(ウト)押移(ヲシウツリテ)(ハルカニ)(トゲ)(メン)之間(アヒタ)(スコブル)(ワスル)ヽカ徃日(ワウジツ)(ノ)(チツキン)(シタカツ)(テ)(ゴ)上洛(シヤウラク)之處(トコロ)ルノ(アツカラ)(イン)(テウ)烏兎押移ルト云事深キ心得有宜ク外典ニ見ヘタリ。月ノ内ニ三眼(ゲン)六足ノ兎(ウサキ)有。日ノ内ニ三足ノ烏有。是ヲ烏兎(ウト)推移(ヲシウツ)ルト云也。月日ノ立ヲ加様ニ云也。押移ト云事月宮殿ニハ十五人ノ童子アリ。一日ヨリ十五日マデ白裝束ニテ月宮殿ニ入リ給フ也。押ト云事。大事也。彼(カノ)童子達ノ宮殿ヲ照(テラ)ス也。十六日ヨリ。黒(クロキ)裝束(シヤウゾク)ニテ入テ遊戯(ユゲ)スルナリ。〔下39オ二〜六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(はるか)に面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)面拝之間遙とハへたたりたる也。面拝の注前に見えたり。 〔97オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)。烏兎(うと)押移(おしうつ)(はるか)面拝(めんはい)を遂(と)げ不(ざ)る之(の)(あいだ)(すこぶる)往日(わうじつ)(の)眤近(ぢつきん)を忘(わす)るるが如(ごと)し。随(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)音信(いんしん)に預(あづか)ら不(ず)(さふら)ふ條(てう)密契(ミつけい)(その)甲斐(かひ)(な)く隔心(ぎやくしん)の至(いた)り憚(はゞかり)(ぞん)ずと雖(ゐへども)(こゝろミ)に推望(すいばう)に及(およ)ぶ。御(ご)氣色(けしき)如何(いかん)御任國之後烏兎押面拝候間頗如ルヽガ往日之随而御上洛之處不音信密契無其甲斐隔心之至ズトミニ推望御氣色如何。〔71オ六〕

(ご)任國(にんこく)(の)(のち)烏兎(うと)押移(おしうつり)(はるか)(ざる)(とげ)面拝(めんはい)(の)(あひだ)(すこぶる)(ごとし)(わする)るゝが往日(わうじつ)(の)(ぢつきん)(したがつ)(て)(ご)上洛(じやうらく)(の)(ところ)(ず)(あつから)音信(いんしん)(さふらふ)(でう)密契(ミつけい)(なく)(その)甲斐(かひ)隔心(ぎやくしん)(の)(いたり)(いへども)(はゞかり)(そんず)(こゝろミ)(をよぶ)推望(すゐばう)(ご)氣色(けしき)如何(いかん)。〔129ウ三〕

とあって、標記語「」の語は未収載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はる--〔副〕【】〔はるかハ開處(はるか)の義〕(一){距離、遠く隔りて。甚だ離れて。はるに。字鏡17「悠、長也、也、波留加爾千載集、十、賀「白雲に、羽うちかけて、飛ぶ鶴の、はるかに千世の、思ほゆるかな」續拾遺集、四、秋、上「伏見山、麓の霧の、絶え閧謔閨Aはるかに見ゆる、宇治の川浪」玉葉集、四、秋、上「色色に、ほむけの風を、吹きかへて、はるかにつづく、秋の小山田」「遠し」隔つ」(二)時、甚だ過ぎて。久しく。太平記、二、阿新殿事「はるかに御湯も召され候はぬに、御行水候へ」平家物語、七、一門都落事「泣泣掻口説き、骨をば高野へ送り」「時遙に過ぎて」(三)甚だ違ひて。勝る」劣る」善し」〔1639-3〕

とあって、標記語「はる-】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はる-―・―】(「か」は接尾語)[一]〔形動〕@空間的に遠く隔たっているさま。[二]時間的に遠く隔たっているさま。また、時間的に長いさま。[三]心理的にいちじるしく隔たってさま。差異のはなはだしいさま。@近づきがたく隔たっているさま。奥行のあるさま。深遠。A縁遠いさま。また、あえて遠ざけるさま。B心が進まず、自分に関係のないものと思うさま。C程度がはなはだしいさま。[二]〔副〕」@空間的に遠いさまを表わす語。ずっと遠くに。A時間的に遠いさま。また、時間的に長いさま、また、時間的に長いさまを表わす語。長い間ずっと。B程度がはなはだしいさまを表わす語。ずっと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
於是武則拝皇城。誓天地言。臣既発子弟。應将軍命。《『陸奥話記』の条》
 
 
 
 
 
 
 

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