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ことばの溜め池
ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。
市(イチ) 。〔元亀二年本20四〕〔静嘉堂本16三〕〔天正十七年本上9オ七〕〔西來寺本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔至徳三年本〕
瀏飯盛物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔宝徳三年本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節之景物雜事厨調種々美物廰庭経営留主所結構如成市〔建部傳内本〕
忰飯(ワウ )盛物積物(ツミ )以下盡シ‖時節ノ景物ヲ|雜亊厨(クリヤ)調ヘ‖種々ノ美物ヲ|廰庭(チヤウテイ)ノ経営留守所ノ結構如シ‖成スカレ市ヲ〔山田俊雄藏本〕
椀飯(ワウハン)盛物(モリ )以下盡‖時節(ジセツ)之(ノ)景物ヲ|雜事厨(クリヤ)調( ヘ)‖種々(シユシユ)ノ美物ヲ|廰庭(チヤウ )経営(ケイエイ)留守(ルス)所ノ結構如レ成スレ市(イチ)ヲ〔経覺筆本〕
瀏飯(ワウハン)盛物(モリ )積物(ツミ )以下盡(ツクシ)レ時節(ジセツ)ノ景物(ケイ )ヲ雜事(サウシ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)レ種々美物(ビ )ヲ|廰庭(チヤウテイ)之(ノ)経営(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成スカレ市ヲ〔文明四年本〕※盡(ツクス)。
と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「市」と表記し、訓みは経覺筆本に「イチ」と記載する。
市(シ) イチ/買賣所也。肆(シ) イチクラ。廛(テン) 同/俗作厘。隧 同。〔黒川本・地祇門上2ウ六〕
市 買賣之所也/イチ/神農始之。肆 買賣之所也。陳也/イチクラ。隧 云遂。已上同/―遣/イチノミチ。〔卷第一・地祇門6二〕
市(イチ/シ)[去] 齊(せイ)ノ桓公(クワンコウ)ノ時(トキ)桓仲初テ立レ之。毎月六度立ルヲ云レ市ト也。異名顋韋(クワンクワイ)。市門垣――。噬嫺(ゼイカウ)。貨遂井(クワスイせイ)。中大路。顛塗(アイト)水路。廣塗大路。〔天地門4七〕
市(イチ) 。〔弘・天地門3五〕〔永・天地門1六〕〔堯・天地門1九〕〔両・天地門2一〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「市」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
746如シ∨成∨市ヲ國遵行(シユン−)之亊大介 国之介也。〔謙堂文庫蔵六四右F〕
とあって、標記語「市」の語を収載する。
廰庭(チヤウテイ)ノ經營(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成(ナス)カレ市(イチ)ヲ國ノ遵(ジユン)行事大介(タイカイ)廰庭(チヤウテイ)ノ經營(ケイヱイ)ハ。厨イカニモ奔走(ホンソウ)結構(ケツカウ)ナル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三・四〕
留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ雜事の厨とは軽き者へふるまひするを云。種々の美物とハ色々のうまき物の事也。是より前状に官使代奏の饗膳厨の儀式示し給ハるへしとあるに善し也。〔100ウ六・七〕
とあって、この標記語「市」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を盡(つく)し雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/゛\)乃美物(びぶつ)を調(とゝの)ヘ廰庭(ちやうてい)の經營(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/椀飯盛リ物積ミ物以下盡シ二時節ノ景物ヲ一雜事厨ハ調ヘ二種々美物ヲ一廰庭ノ経営留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ▲成市とハ人多(おほ)く集(あつ)まる義。〔74ウ二、74ウ五・六〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)盡(つくし)二時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を一雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ調(とゝの)ヘ二種々(しゆ/゛\)の美物(びぶつ)を一廰庭(ちやうてい)の経営(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)如(ごと)しレ成(なす)がレ市(いち)を▲成市とハ人多(おほ)く集(あつ)まる義。〔133ウ三、134オ二〕
Ichi.イチ(市) 市.§Ichiga tatcu.(市が立つ)市が開かれる.§Ichini tacu.(市に立つ)市に行く.§比喩.Qixeb ichiuo nasu.(貴賎市を成す)身分の高い者も低い者もすべて集まる.§Monjenni ichiuo nasu.(門前に市を成す)大勢の人々や馬などが集まる.§また,比喩.盛名が高まり栄える,大勢の人々の訪問を受ける,などの意.⇒Renjacu(連雀);Sugari,u(すがり,る);Tate,tchru..〔邦訳324l〕
いち-〔名〕【市】〔倭訓栞、いち「市を云ふ、五十路(い ぢ)の義なるべし、萬葉集に、八十(やそ)の巷(ちまた)と云へるが如し」四通八達の路なり」〕(一){人の多く來り集(つど)ふ地。唯、集ふことにも云ふ。~代紀、上29「會三八十萬~於二天ノ高市(タケチ)一」(たけちの條を見よ)武烈即位前紀に、大和國、城上(しきのかみ)郡、海柘榴(つばき)市(いち)の巷(ちまた)に、人集りて、歌垣(うたかき)を行ひしこと見ゆ。萬葉集、十二29「紫は、灰さすものぞ、(序なり、紫染には椿灰(つばきばひ)を入る)海柘榴(つばき)市の、八十街(ちまた)に、會へる兒や誰れ」新六帖、六、蓬「世にしあらば、行交(ゆきか)ふ人も、いかばかり、蓬の門に、市をなさまし」孟子、梁惠王、下編「昔者、大王(後の周文王)居霸人曰、仁人也、不レ可レ失也、從之者如レ歸レ市」集註、「歸市、人衆而爭レ先也」呂氏春秋、仲夏「關市無レ索」註「市、人聚也」(二){市と云ふ語は、人の集る地なるに因りて、物を交易し、賣買する所の稱となれり。顯宗即位前紀「旨酒(ウマザケ)、餌香(ニガノ)市ニ不二以レ直(アタヒ)ヲ買一」釋日本紀、十二「私記曰、師説、高麗人、來住餌香市醸二旨酒一、時人競以二高價一買飲ム故ニ云」續日本紀、三十、寳龜元年三月「權任二會賀市ノ司一」(此市は、今の河内國、南河内郡、道明寺村、國府の舊名なりと云ふ)出雲風土記、島根郡、朝酌促戸渡(アサクミノセトノワタリ)「大小雜魚、濱藻家霏(サカリナリ)、市人四集、自然成(ナセリ)?(イチクラ)ヲ矣」(今、八束郡に入る、今も、朝酌村あり)(三){奈良朝に至りて、京城の全市街を、東西に大別して、東市、西市とせられたり。山城の京都も、亦然り。(東(ひがし)の市、西の市の條を見よ)天文本、倭名抄、一、居宅、肆「説文云、市、賣買之所也、以知(イチ)」易經、繋辭、下傳「日中爲レ市、致二天下之民一、聚二天下之貨一、交易而退」(四)後世は、時日を定めて市を行ふ、~社の祭日、佛寺の縁日、盆の草市、年末の歳市(としのいち)、書籍の賣買市などあり、これを市が立つ、市を立てる、と云ふ。(たてるは、始める意)寂蓮法師集、(俊成の姪)「七條の市の立ちける、云云」今、各地に、四日市、八日市、など云ふ地名、存せり。又、米市、魚市、青物市、など云ふは、毎日、時を定めて行ふ、これを市場(いちば)と云ふ。源平盛衰記、十九、佐佐木取レ馬下向事「蒲生郡、小脇の八日市へ行く者也」甲斐圖志、百一「商賣の所會聚、二日市、三日市、四日市、云云」(東京、日本橋、江戸橋の閧ノ、四日市と云ふ地名あり)〔166-4〕
留守(ルス) 。〔元亀二年本76二〕〔静嘉堂本92五〕〔天正十七年本上46オ六〕〔西來寺本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔至徳三年本〕
瀏飯盛物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔宝徳三年本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節之景物雜事厨調種々美物廰庭経営留主所結構如成市〔建部傳内本〕
忰飯(ワウ )盛物積物(ツミ )以下盡シ‖時節ノ景物ヲ|雜亊厨(クリヤ)調ヘ‖種々ノ美物ヲ|廰庭(チヤウテイ)ノ経営留守所ノ結構如シ‖成スカレ市ヲ〔山田俊雄藏本〕
椀飯(ワウハン)盛物(モリ )以下盡‖時節(ジセツ)之(ノ)景物ヲ|雜事厨(クリヤ)調( ヘ)‖種々(シユシユ)ノ美物ヲ|廰庭(チヤウ )経営(ケイエイ)留守(ルス)所ノ結構如レ成スレ市(イチ)ヲ〔経覺筆本〕
瀏飯(ワウハン)盛物(モリ )積物(ツミ )以下盡(ツクシ)レ時節(ジセツ)ノ景物(ケイ )ヲ雜事(サウシ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)レ種々美物(ビ )ヲ|廰庭(チヤウテイ)之(ノ)経営(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成スカレ市ヲ〔文明四年本〕※盡(ツクス)。
と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「留守所」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「ルス(ドコロ)」と記載する。
留守(ルス/リウジユウ・トヾム、マホル)[平・去] 或守作レ主。〔態藝門206七〕
留守( ス) 。〔弘・言語進退門60八〕
留連(ルレン) ―難(ナン)。―守(ス)。〔永・言語門62五〕
留連(ルレン) ―難。―守。〔堯・天地門56七〕
留連(ルレン) ―難。―守(ルス)。〔両・言語門65六〕
留守(ルス) 。〔言語門60五・天理図書館蔵上30ウ五〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「留守」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本では「留守所」として収載しているのである。
745留守所ノ結構(ケツコウ) 留守ハ旧国歟。師之説ニ曰‖簾中ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右F〕
とあって、標記語「留守所」の語を収載し、語注記に「留守は、旧国か。師之説に簾中と曰ふなり」と記載する。
廰庭(チヤウテイ)ノ經營(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成(ナス)カレ市(イチ)ヲ國ノ遵(ジユン)行事大介(タイカイ)廰庭(チヤウテイ)ノ經營(ケイヱイ)ハ。厨イカニモ奔走(ホンソウ)結構(ケツカウ)ナル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三・四〕
留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ留守所とハ奥向(おくむき)の事也。結構ハ事を仕立(したて)る事なり。こゝハ□請するを云。今上(うへ)もなきといふ事を結構といふか如にそ。〔100ウ六・七〕
とあって、この標記語「留守所」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を盡(つく)し雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/゛\)乃美物(びぶつ)を調(とゝの)ヘ廰庭(ちやうてい)の經營(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/椀飯盛リ物積ミ物以下盡シ二時節ノ景物ヲ一雜事厨ハ調ヘ二種々美物ヲ一廰庭ノ経営留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ。▲留守所ハ訴訟(そしやう)の者(もの)の長屋(たまりや)なとをいふにやあらん。〔74ウ一、74ウ五〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)盡(つくし)二時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を一雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ調(とゝの)ヘ二種々(しゆ/゛\)の美物(びぶつ)を一廰庭(ちやうてい)の経営(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)如(ごと)しレ成(なす)がレ市(いち)を▲留守所ハ訴訟(そしやう)の者(もの)の長屋(たまりや)などをいふにやあらん。〔133ウ一、133ウ六〜134オ一・二〕
Rusu.ルス(留守) Todomari mamoru.(留まり守る)家に居ないこと.あるいは,家以外の所に居ること. §Rusuo suru.(留守をする)他の人の不在中,家に残って番をする.§Rusu naru,l,dearu.(留守なる,または,である)よそへ出ている,あるいは,不在である.⇒Mori,u(守り,る).〔邦訳544l〕
るす-どころ〔名〕【留守所】又。るすしょ。古へ國衙に國守在國せざる時、目代が留守して、國政を執行する所。沙汰未練書「留守所者、國國府國衙沙汰所也」〔2137-3〕
美物(ヒブツ) 。〔元亀二年本341二〕
美物(ビフツ) 。〔静嘉堂本408六〕
瀏飯盛物積物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔至徳三年本〕
瀏飯盛物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔宝徳三年本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節之景物雜事厨調種々美物廰庭経営留主所結構如成市〔建部傳内本〕
粥飯(ワウ )盛物積物(ツミ )以下盡シ‖時節ノ景物ヲ|雜亊厨(クリヤ)調ヘ‖種々ノ美物ヲ|廰庭(チヤウテイ)ノ経営留守所ノ結構如シ‖成スカレ市ヲ〔山田俊雄藏本〕
椀飯(ワウハン)盛物(モリ )以下盡‖時節(ジセツ)之(ノ)景物ヲ|雜事厨(クリヤ)調( ヘ)‖種々(シユシユ)ノ美物ヲ|廰庭(チヤウ )経営(ケイエイ)留守(ルス)所ノ結構如レ成スレ市(イチ)ヲ〔経覺筆本〕
瀏飯(ワウハン)盛物(モリ )積物(ツミ )以下盡(ツクシ)レ時節(ジセツ)ノ景物(ケイ )ヲ雜事(サウシ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)レ種々美物(ビ )ヲ|廰庭(チヤウテイ)之(ノ)経営(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成スカレ市ヲ〔文明四年本〕※盡(ツクス)。
と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「美物」と表記し、訓みは文明四年本に「ビ(ブツ)」と記載する。
美物(ビブツ/カホヨシ、モノ)[上・入] 。〔態藝門1040四〕
美物(ビブツ) 日本俗呼二魚肉一曰レ―。〔弘・種々門253五〕
美物(ビブツ) ―食(シヨク)。〔食服門224七・天理図書館蔵下45オ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「美物」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。ここで弘治二年本に見える語注記は、下記の真字注には見えないものであり、『下學集』及び広本『節用集』にも見えない独自の内容である。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯(ワウハム)盛物(モリ―)積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、標記語「美物」の語を収載する。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)|椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖雑事(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
雑事(ざうじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/\)の美物(びぶつ)を調(とゝの)ふ/雜事厨ハ調フ二種々ノ美物ヲ一雜事の厨とは軽き者へふるまひするを云。種々の美物とハ色々のうまき物の事也。是より前状に官使代奏の饗膳厨の儀式示し給ハるへしとあるに善し也。〔100ウ六・七〕
とあって、この標記語「美物」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を盡(つく)し雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/゛\)乃美物(びぶつ)を調(とゝの)ヘ廰庭(ちやうてい)の經營(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/椀飯盛リ物積ミ物以下盡シ二時節ノ景物ヲ一雜事厨ハ調ヘ二種々美物ヲ一廰庭ノ経営留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ。▲雑事厨ハ定(さたま)れる料理(りやうり)の外(ほか)に出す肴(さかな)なとを司(つかさど)る臺所方(だいところかた)なるへし。〔74ウ一、74ウ五〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)盡(つくし)二時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を一雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ調(とゝの)ヘ二種々(しゆ/゛\)の美物(びぶつ)を一廰庭(ちやうてい)の経営(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)如(ごと)しレ成(なす)がレ市(いち)を▲雑事厨ハ定(さたま)れる料理(りやうり)の外(ほか)に出す肴(さかな)なとを司(つかさど)る臺所方(だいところかた)なるべし。〔133ウ一、133ウ六〜134オ一〕
Bibut.ビブツ(美物) Vmaimono.(美い物)おいしい料理,あるいは,食物.殊に魚で作ったものを言う.〔邦訳55r〕
種々(シユ ) 。〔元亀二年本309八〕
種々 。〔静嘉堂本361八〕
瀏飯盛物積物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔至徳三年本〕
瀏飯盛物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔宝徳三年本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節之景物雜事厨調種々美物廰庭経営留主所結構如成市〔建部傳内本〕
粥飯(ワウ )盛物積物(ツミ )以下盡シ‖時節ノ景物ヲ|雜亊厨(クリヤ)調ヘ‖種々ノ美物ヲ|廰庭(チヤウテイ)ノ経営留守所ノ結構如シ‖成スカレ市ヲ〔山田俊雄藏本〕
椀飯(ワウハン)盛物(モリ )以下盡‖時節(ジセツ)之(ノ)景物ヲ|雜事厨(クリヤ)調( ヘ)‖種々(シユシユ)ノ美物ヲ|廰庭(チヤウ )経営(ケイエイ)留守(ルス)所ノ結構如レ成スレ市(イチ)ヲ〔経覺筆本〕
瀏飯(ワウハン)盛物(モリ )積物(ツミ )以下盡(ツクシ)レ時節(ジセツ)ノ景物(ケイ )ヲ雜事(サウシ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)レ種々美物(ビ )ヲ|廰庭(チヤウテイ)之(ノ)経営(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成スカレ市ヲ〔文明四年本〕※盡(ツクス)。
と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「種々」と表記し、訓みは経覺筆本に「シユシユ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』に標記語「種々」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯(ワウハム)盛物(モリ―)積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、標記語「種々」の語を収載する。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)|椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖雑事(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
雑事(ざうじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/\)の美物(びぶつ)を調(とゝの)ふ/雜事厨ハ調フ二種々ノ美物ヲ一雜事の厨とは軽き者へふるまひするを云。種々の美物とハ色々のうまき物の事也。是より前状に官使代奏の饗膳厨の儀式示し給ハるへしとあるに善し也。〔100ウ六・七〕
とあって、この標記語「種々」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を盡(つく)し雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/゛\)乃美物(びぶつ)を調(とゝの)ヘ廰庭(ちやうてい)の經營(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/椀飯盛リ物積ミ物以下盡シ二時節ノ景物ヲ一雜事厨ハ調ヘ二種々美物ヲ一廰庭ノ経営留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ。▲雑事厨ハ定(さたま)れる料理(りやうり)の外(ほか)に出す肴(さかな)なとを司(つかさど)る臺所方(だいところかた)なるへし。〔74ウ一、74ウ五〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)盡(つくし)二時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を一雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ調(とゝの)ヘ二種々(しゆ/゛\)の美物(びぶつ)を一廰庭(ちやうてい)の経営(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)如(ごと)しレ成(なす)がレ市(いち)を▲雑事厨ハ定(さたま)れる料理(りやうり)の外(ほか)に出す肴(さかな)なとを司(つかさど)る臺所方(だいところかた)なるべし。〔133ウ一、133ウ六〜134オ一〕
Xuju.シユジユ(種々) 例,Xuju samazama.(種々様々)多くの様式や種類.〔邦訳801l〕
しュ-じュ〔名〕【種種】くさぐさ。さまざま。いろいろ。陸遊詩「老來初心種種非」保元物語、一、法皇熊野御參詣事「諸人、目を澄まして見る處に、權現、既に下りさせ給ひけるにや、種種の~變を現じて後、巫、法皇に向ひ進らせて」〔994-5〕
雜事( ジ) 。〔元亀二年本269六〕〔静嘉堂本307一〕
瀏飯盛物積物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔至徳三年本〕
瀏飯盛物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔宝徳三年本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節之景物雜事厨調種々美物廰庭経営留主所結構如成市〔建部傳内本〕
粥飯(ワウ )盛物積物(ツミ )以下盡シ‖時節ノ景物ヲ|雜亊厨(クリヤ)調ヘ‖種々ノ美物ヲ|廰庭(チヤウテイ)ノ経営留守所ノ結構如シ‖成スカレ市ヲ〔山田俊雄藏本〕
椀飯(ワウハン)盛物(モリ )以下盡‖時節(ジセツ)之(ノ)景物ヲ|雜事厨(クリヤ)調( ヘ)‖種々(シユシユ)ノ美物ヲ|廰庭(チヤウ )経営(ケイエイ)留守(ルス)所ノ結構如レ成スレ市(イチ)ヲ〔経覺筆本〕
瀏飯(ワウハン)盛物(モリ )積物(ツミ )以下盡(ツクシ)レ時節(ジセツ)ノ景物(ケイ )ヲ雜事(サウシ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)レ種々美物(ビ )ヲ|廰庭(チヤウテイ)之(ノ)経営(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成スカレ市ヲ〔文明四年本〕※盡(ツクス)。
と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「雜事」と表記し、訓みは文明四年本に「サウシ」と記載する。
雜事(ザフジ/マシヱ、コト・ワザ)[入・去] ―厨。〔態藝門785五〕
雜談(ザフタン) ―行(ギヤウ)。―作(サ)。―役(ヤク)。―説(せツ)。―乱(ラン)。―物(モツ)/―事(ジ)。―用(ヨウ)。―意(イ)。―務(ム)。―書(シヨ)。―具(グ)。―言(ゴン)。―心(シム)。―訴(ソ)。―掌(シヤウ)。〔言辞門181一・二天理図書館蔵上26ウ一・二〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』、『運歩色葉集』に標記語「雜事」の語を収載し、熟語群では易林本『節用集』に収載され、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯(ワウハム)盛物(モリ―)積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、標記語「雑事」の語を収載する。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)|椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖雑事(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
雑事(ざうじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/\)の美物(びぶつ)を調(とゝの)ふ/雜事厨ハ調フ二種々ノ美物ヲ一雜事の厨とは軽き者へふるまひするを云。種々の美物とハ色々のうまき物の事也。是より前状に官使代奏の饗膳厨の儀式示し給ハるへしとあるに善し也。〔100ウ六・七〕
とあって、この標記語「雑事」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を盡(つく)し雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/゛\)乃美物(びぶつ)を調(とゝの)ヘ廰庭(ちやうてい)の經營(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/椀飯盛リ物積ミ物以下盡シ二時節ノ景物ヲ一雜事厨ハ調ヘ二種々美物ヲ一廰庭ノ経営留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ。▲雑事厨ハ定(さたま)れる料理(りやうり)の外(ほか)に出す肴(さかな)なとを司(つかさど)る臺所方(だいところかた)なるへし。〔74ウ一、74ウ五〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)盡(つくし)二時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を一雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ調(とゝの)ヘ二種々(しゆ/゛\)の美物(びぶつ)を一廰庭(ちやうてい)の経営(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)如(ごと)しレ成(なす)がレ市(いち)を▲雑事厨ハ定(さたま)れる料理(りやうり)の外(ほか)に出す肴(さかな)なとを司(つかさど)る臺所方(だいところかた)なるべし。〔133ウ一、133ウ六〜134オ一〕
ざつ-じ〔名〕【雑事】(一)些細なる、種種の事柄。李謠、嵩岳寺碑「今昔紛、雜事夥多」(二)ざふ(ぞう)じ(雜事)の(一)、及、ざふ(ぞう)じせん(雜事錢)を見よ。源平盛衰記、十七、祇王祇女佛前事「筑後守家貞に仰て、衣裳、絹布の類を送進すのみに非ず、毎月に、時料、雜事を運入る」〔812-2〕
時節(せツ) 。〔元亀二年本307六〕〔静嘉堂本358五〕
瀏飯盛物積物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔至徳三年本〕
瀏飯盛物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔宝徳三年本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節之景物雜事厨調種々美物廰庭経営留主所結構如成市〔建部傳内本〕
粥飯(ワウ )盛物積物(ツミ )以下盡シ‖時節ノ景物ヲ|雜亊厨(クリヤ)調ヘ‖種々ノ美物ヲ|廰庭(チヤウテイ)ノ経営留守所ノ結構如シ‖成スカレ市ヲ〔山田俊雄藏本〕
椀飯(ワウハン)盛物(モリ )以下盡‖時節(ジセツ)之(ノ)景物ヲ|雜事厨(クリヤ)調( ヘ)‖種々(シユシユ)ノ美物ヲ|廰庭(チヤウ )経営(ケイエイ)留守(ルス)所ノ結構如レ成スレ市(イチ)ヲ〔経覺筆本〕
瀏飯(ワウハン)盛物(モリ )積物(ツミ )以下盡(ツクシ)レ時節(ジセツ)ノ景物(ケイ )ヲ雜事(サウシ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)レ種々美物(ビ )ヲ|廰庭(チヤウテイ)之(ノ)経営(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成スカレ市ヲ〔文明四年本〕※盡(ツクス)。
と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「時節」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「ジセツ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「時節」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯(ワウハム)盛物(モリ―)積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、真字註だけが標記語「時節」でなく和語「時(とき)」の語を以て収載する。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)|椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖時節(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を盡(つく)し/盡シ‖時節ノ景物ヲ|時にあたりて賞翫(しやうかん)の物をこと/\く用ひたるを云。〔100ウ五・六〕
とあって、この標記語「時節」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を盡(つく)し雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/゛\)乃美物(びぶつ)を調(とゝの)ヘ廰庭(ちやうてい)の經營(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/椀飯盛リ物積ミ物以下盡シ二時節ノ景物ヲ一雜事厨ハ調ヘ二種々美物ヲ一廰庭ノ経営留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ。〔74ウ一〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)盡(つくし)二時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を一雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ調(とゝの)ヘ二種々(しゆ/゛\)の美物(びぶつ)を一廰庭(ちやうてい)の経営(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)如(ごと)しレ成(なす)がレ市(いち)を。〔133ウ一〕
Iixet.ジセツ(時節) Toqi toqi.(時節)時.例,Iixet to<rai suru.(時節到来する)その時刻,あるいは,その時期が近づく,または,来る.〔邦訳366l〕
じ-せつ〔名〕【時節】(一)時候。「緩和の時節」晴明の時節」(二)ときよ。とき。時代。をり。時機。國語、晉語「夫コ廣遠而有二時節一」凱陣八島(貞享、近松作)二「先づ、奥州に下だり、秀衡を頼み、時節を伺ひ見ん」〔895-3〕
瀏飯盛物積物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔至徳三年本〕
瀏飯盛物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔宝徳三年本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節之景物雜事厨調種々美物廰庭経営留主所結構如成市〔建部傳内本〕
粥飯(ワウ )盛物積物(ツミ )以下盡シ‖時節ノ景物ヲ|雜亊厨(クリヤ)調ヘ‖種々ノ美物ヲ|廰庭(チヤウテイ)ノ経営留守所ノ結構如シ‖成スカレ市ヲ〔山田俊雄藏本〕
椀飯(ワウハン)盛物(モリ )以下盡‖時節(ジセツ)之(ノ)景物ヲ|雜事厨(クリヤ)調( ヘ)‖種々(シユシユ)ノ美物ヲ|廰庭(チヤウ )経営(ケイエイ)留守(ルス)所ノ結構如レ成スレ市(イチ)ヲ〔経覺筆本〕
瀏飯(ワウハン)盛物(モリ )積物(ツミ )以下盡(ツクシ)レ時節(ジセツ)ノ景物(ケイ )ヲ雜事(サウシ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)レ種々美物(ビ )ヲ|廰庭(チヤウテイ)之(ノ)経営(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成スカレ市ヲ〔文明四年本〕※盡(ツクス)。
と見え、至徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「積物」と表記し、訓みは「」記載する。
積物(ツミモノ/シヤクブツ)[去入・入] 。〔態藝門417六〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』に標記語「積物」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯(ワウハム)盛物(モリ―)積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、標記語「積物」の語を収載する。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)|椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖時節(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)/椀飯盛物積物以下椀飯ハわうはんふるまいとてわき人にふるまいする事也。盛物積物ハ弛臺の品也。以下の字義ハ前に見へたり。〔100ウ三〜五〕
とあって、この標記語「積物」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を盡(つく)し雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/゛\)乃美物(びぶつ)を調(とゝの)ヘ廰庭(ちやうてい)の經營(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/椀飯盛リ物積ミ物以下盡シ二時節ノ景物ヲ一雜事厨ハ調ヘ二種々美物ヲ一廰庭ノ経営留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ。▲盛物積物ハ共に饗應(ふれまひ)の品(しな)也。〔74オ八、74ウ四・五〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)盡(つくし)二時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を一雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ調(とゝの)ヘ二種々(しゆ/゛\)の美物(びぶつ)を一廰庭(ちやうてい)の経営(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)如(ごと)しレ成(なす)がレ市(いち)を▲盛物積物ハ共に饗應(ふれまひ)のなり。〔133ウ一、133ウ六〜134オ一〕
つみ-もの〔名〕【積物】祭禮の飾、又は、芝居興行の時、役者へ贈物として、酒樽、餅、菓子、蒸籠などを、路傍に高く積立つるもの。(二)すべて、積みかさねたるもの。〔1331-5〕
椀飯(ワウバン) 正月武家ノ出仕。〔元亀本88D〕
椀飯(ワウバン) 正月武家ノ出仕。〔静嘉堂本109@〕
瀏飯(ワウハン) 正月武家出仕。〔天正十七年本上54オ@〕
粥飯(ワウバン) 正月武家之出仕。〔西来寺本157@〕
瀏飯盛物積物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔至徳三年本〕
瀏飯盛物以下盡時節景物雜事厨調種々美物廰庭経営留守所結構如成市〔宝徳三年本〕
瀏飯盛物積物以下盡時節之景物雜事厨調種々美物廰庭経営留主所結構如成市〔建部傳内本〕
粥飯(ワウ )盛物積物(ツミ )以下盡シ‖時節ノ景物ヲ|雜事厨(クリヤ)調ヘ‖種々ノ美物ヲ|廰庭(チヤウテイ)ノ経営留守所ノ結構如シ‖成スカレ市ヲ〔山田俊雄藏本〕
椀飯(ワウハン)盛物(モリ )以下盡‖時節(ジセツ)之(ノ)景物ヲ|雜事厨(クリヤ)調( ヘ)‖種々(シユシユ)ノ美物ヲ|廰庭(チヤウ )経営(ケイエイ)留守(ルス)所ノ結構如レ成スレ市(イチ)ヲ〔経覺筆本〕
瀏飯(ワウハン)盛物(モリ )積物(ツミ )以下盡(ツクシ)レ時節(ジセツ)ノ景物(ケイ )ヲ雜事(サウシ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)レ種々美物(ビ )ヲ|廰庭(チヤウテイ)之(ノ)経営(ケイヱイ)留守(ルス)所ノ結構(ケツコウ)如シレ成スカレ市ヲ〔文明四年本〕※盡(ツクス)。
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・文明四年本は「瀏飯」、山田俊雄藏本は「粥飯(ワウ )」、経覺筆本に「椀飯」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ワウ(ハン)」、経覺筆本・文明四年本に「ワウハン」と記載する。
瀏飯 飲食部/ワウハン。〔黒川本・畳字門上72ウ四〕
瀏飯 ワウハン。〔卷第三・飲食門上119五〕
椀飯(ワウバン) 正月ニ武家ノ出仕。〔態藝門79五〕
椀飯(ワウハン/ワン、イヽ) 正月武家ノ出仕ノ義也。〔態藝門241五〕
椀飯(同(ワウバン)) 正月武家之出仕義。〔弘・時節70C〕
椀飯(ワウバン) 正月武家之出仕之義也。〔永・天地70B〕
椀飯(ワウハン) 正月武家之出仕之義也。〔尭・天地64B〕
椀飯(ワウバン) 正月武家之出仕之義也。〔両・天地75F〕
椀飯(クワウイン) 。〔言語門52七・天理図書館蔵上26ウ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「椀飯」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯(ワウハム)盛物(モリ―)積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、標記語「椀飯」の語を収載する。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)|椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖時節(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)/椀飯盛物積物以下椀飯ハわうはんふるまいとてわき人にふるまいする事也。盛物積物ハ弛臺の品也。以下の字義ハ前に見へたり。〔100ウ三〜五〕
とあって、この標記語「椀飯」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を盡(つく)し雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ種々(しゆ/゛\)乃美物(びぶつ)を調(とゝの)ヘ廰庭(ちやうてい)の經營(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)市(いち)を成(なす)が如(ごと)し/椀飯盛リ物積ミ物以下盡シ二時節ノ景物ヲ一雜事厨ハ調ヘ二種々美物ヲ一廰庭ノ経営留守所ノ結構如シレ成スカレ市ヲ。▲椀飯ハ三月の進状に見ゆ。〔74オ八、74ウ四〕
椀飯(わうはん)盛物(もりもの)積物(つミもの)以下(いげ)盡(つくし)二時節(じせつ)の景物(けいぶつ)を一雑事(ざふじ)の厨(くりや)ハ調(とゝの)ヘ二種々(しゆ/゛\)の美物(びぶつ)を一廰庭(ちやうてい)の経営(けいえい)留守所(るすどころ)の結構(けつこう)如(ごと)しレ成(なす)がレ市(いち)を▲椀飯ハ三月の進状に見ゆ。〔133ウ一、133ウ六〕
Vo<ban.ワゥバン(椀飯・瀏飯) 正月(Xo<guachi),内裏(Dairi),あるいは,ある屋形(Yacata)に,あらゆる種類の狩や漁などの獲物を携えて行って催される宴会.〔邦訳696l〕
わう-ばん〔名〕【椀飯・牘飯・瀏飯】〔わうハわぬの音便、瀏ハ牘の訛、強飯(常飯)の姫飯(ひめいひ)となり、粘りて土器に盛られざれば、木椀に盛るより名とす〕(一){姫飯(ひめいひ)の膳部。食膳。字類抄「瀏飯、ワウハン」江家次第、一、供御藥「陪膳女房、調二瀏飯一、居二其盤一」源氏物語、四十八、寄生80「屯食(トンジキ)五十具、碁手(ごて)の錢、わうばんなどはよのつねのやうにて、云云」(二)酒食の盛大なる饗宴。鎌倉、室町幕府の頃は、臣下より將軍に獻じたり。大饗應。盛饗。吾妻鏡、八、文治四年正月六日「上總介義兼獻二瀏飯一、相二副馬五疋一」(三)椀飯振舞の略。江戸時代には、正月、家の主人、家族、親族を集めて、饗應すること。新年第一の祝儀としたり。〔2159-1〕
恒例(ゴウレイ) 。〔元亀二年本232六〕
恒例(コウレイ) 。〔静嘉堂本267三〕〔天正十七年本中62ウ二〕〔西來寺本〕
在廳人等日並出仕恒例奉行無等閑〔至徳三年本〕
在廳人等日並出仕恒例奉行無等閑〔宝徳三年本〕
在廳人等日次之出仕恒例奉行無等閑〔建部傳内本〕
在廳(テウ)人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行人等無シ二等閑一〔山田俊雄藏本〕
在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕(シ)恒例(コウレイ)ノ奉行人无シ二等閑一〔経覺筆本〕
在廳(チヤウ)人等(ラ)日並(ヒナミ)ノ出仕恒例(コウレイ)ノ奉行人無シ二等閑(トウカン)一〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「恒例」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「コウレイ」と記載する。
恒例(ゴウレイ) 。〔言辭門151一〕
恒例(コウレイ/ツネ、タグイ・ナラブ)[平・去] 。〔態藝門680三〕
恒例(ゴウレイ) 嘉例義。〔弘・言語進退門190二〕
恒例(ゴウレイ) 嘉例之義。〔永・言語門155六〕
恒例(コウレイ) 嘉―義。〔堯・言語門145六〕
恒例(ゴウレイ) ―式(シキ)。〔言語門159二・天理図書館蔵上12ウ二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「恒例」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯盛(ワウハムモリ)物積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、標記語「恒例」の語を収載する。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖時節(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
恒例(ごうれい)の奉行(ぶぎやう)/恒例ノ奉行恒例ハ定式(ちやうしき)なり。奉行とハ上の下知(げぢ)を交て事を取行(とりおこな)ふをいふなり。役名の奉行にハあらす。〔100ウ一・二〕
とあって、この標記語「恒例」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
在廳人(さいちやうにん)等(とう)日並(ひなミ)に出仕(しゆつし)して恒例(ごうれい)奉行(ぶぎやう)等閑(とうかん)無(な)し/在廳人等日並出仕シテ恒例奉行無シ二等閑一▲恒例ハ政事(せいじ)の恒(つね)に定(さた)めとする例(おほむき)也。〔74オ七、74ウ四〕
在廳人(さいちやうにん)等(とう)日並(ひなミに)出仕(しゆつし)して恒例(ごうれい)奉行(ぶぎやう)無(なし)二等閑(とうかん)一▲恒例ハ政事(せいじ)の恒(つね)に定(さた)めとする例(おほむき)也。〔133オ六、133ウ五・六〕
Go>rei.ゴウレイ(恒例) Tcuneno tamexi.(恒の例)不文律のような,通常の慣例.〔邦訳308r〕
こう-れい〔名〕【恒例】公事(くじ)、儀式など、常例として行はるもの。定例(臨時に對す)。源平盛衰記、三、澄憲祈レ雨事「清凉殿にして、恒例の最勝講、行はる」古今著聞集、三、公事「恒例、臨時の大小事」〔652-4〕
在廳人等日並出仕恒例奉行無等閑〔至徳三年本〕
在廳人等日並出仕恒例奉行無等閑〔宝徳三年本〕
在廳人等日次之出仕恒例奉行無等閑〔建部傳内本〕
在廳(テウ)人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行人等無シ二等閑一〔山田俊雄藏本〕
在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕(シ)恒例(コウレイ)ノ奉行人无シ二等閑一〔経覺筆本〕
在廳(チヤウ)人等(ラ)日並(ヒナミ)ノ出仕恒例(コウレイ)ノ奉行人無シ二等閑(トウカン)一〔文明四年本〕
と見え、建部傳内本は「日次」、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「日並」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「(ひ)なみ」、文明四年本に「ひなみ」と記載する。
日次(ヒナミ・ジチシ・ツイデ)[入・去] ―。〔態藝門1046四〕
日數(ヒカズ) ―並(ナミ)。―比(ゴロ)。〔言語門226四・天理図書館蔵下46オ四〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「日並」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯盛(ワウハムモリ)物積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、標記語「日並」の語を収載し、語注記は未記載にする。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖時節(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
日並(ひなミ)の出仕(しゆつし)/日並ノ出仕出仕ハ公所へ出勤する事也。〔100ウ一〕
とあって、この標記語「日並」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
在廳人(さいちやうにん)等(とう)日並(ひなミ)に出仕(しゆつし)して恒例(ごうれい)奉行(ぶぎやう)等閑(とうかん)無(な)し/在廳人等日並出仕シテ恒例奉行無シ二等閑一。▲日並ニ出仕シテハ役人(やくにん)毎日(まいにち)出勤(しゆつきん)する也。但し日並ハ日次(ひなミ)に作て可ならん。〔74オ七、74ウ三・四〕
在廳人(さいちやうにん)等(とう)日並(ひなミに)出仕(しゆつし)して恒例(ごうれい)奉行(ぶぎやう)無(なし)二等閑(とうかん)一。▲日並ニ出仕シテハ役人(やくにん)毎日(まいにち)出勤(しゆつきん)する也。但し日並ハ日次(ひなミ)に作て可(か)ならん。〔133オ六、133ウ五〕
Finami.ヒナミ(日並) 日々の連続.¶Finamino renga.(日並の連歌)毎日引き続いて作られる歌〔連歌〕.¶Finamiga yoi,l,varui.(日並が良い,または,悪い)このごろは,良い日,すなわち,天気のよい日が続いている,または,悪い日,すなわち,天気の悪い日が続いている.→Tcuqinami.〔邦訳233r〕
ひ-なみ〔名〕【日次】〔日竝の義〕(一)日記などに記す朔日、二日、三日などと日の次第。日日の次第。(二)日毎にものすること。夫木抄、十八、鷹狩「今日いくか、日なみの御狩、かりくらし、かた野のを野を、ゆきかへるらん」「日次紀事(延寳、黒川道祐)」(三)日のよしあし。日がら。狂言記、薩摩守「今日はひなみもようござる程に、定めて乗りても御座らう」好色一代男(天和、西)三「其夜は辻堂にあかして、明日の日次を待ちしに」〔1685-4〕
着府吏務法儀無殊子細〔至徳三年本〕
着符((府))吏務法儀無殊子細〔宝徳三年本〕
着府吏務法儀無殊子細〔建部傳内本〕
着府ノ吏務(リ )之(ノ)法儀無ト‖殊ナル子細|〔山田俊雄藏本〕
着府(チヤクフ)之(ノ)吏務(リム)ノ法儀无(ナシ)‖殊ナル子細|〔経覺筆本〕
着府(チヤクフ)。吏務(リム)ノ法儀(ハウギ)。無(ナシ)レ殊(コト)子細|。〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「法儀」と表記し、訓みは文明四年本に「ハウギ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「法儀」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯盛(ワウハムモリ)物積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、標記語「法儀」の語を収載し、その後に「在原」と記載し、茲に「在原業平」と『伊勢物語』について詳細な注記を記載しているのである。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖時節(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
着府(ちやくふ)吏務(りむ)の法儀(ほうぎ)/着府ノ吏務法儀着府の注前に見へたり。吏務ハ役所のつとめなり。吏ハ役人の事也。法ハ法式(しき)。儀ハ儀式也。〔100オ六・七〕
とあって、この標記語「法儀」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
着府(ちやくふ)吏務(りむ)の法儀(ほうぎ)/着府ノ吏務法儀▲法儀ハ法度(はつと)儀則(きそく)也。〔74オ七、74ウ三〕
着府(ちやくふ)吏務(りむ)之(の)法儀(ほふぎ)▲法儀ハ法度(はつと)儀則(きそく)也。〔132オ四・五、133ウ四〕
†Fo<gui.ホウギ(法儀) 国々,または,全国の法律.※原文はreyno,ou republica.諸侯の国とそれを包括する全国とを意味する.〔邦訳258l〕
着府吏務法儀無殊子細〔至徳三年本〕
着符((府))吏務法儀無殊子細〔宝徳三年本〕
着府吏務法儀無殊子細〔建部傳内本〕
着府ノ吏務(リ )之(ノ)法儀無ト‖殊ナル子細|〔山田俊雄藏本〕
着府(チヤクフ)之(ノ)吏務(リム)ノ法儀无(ナシ)‖殊ナル子細|〔経覺筆本〕
着府(チヤクフ)。吏務(リム)ノ法儀(ハウギ)。無(ナシ)レ殊(コト)子細|。〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「吏務」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「吏務」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
744着府ノ吏務(リム)法儀无‖殊ナル子細|在廳人等日_並(ナミ)ノ出仕恒例ノ奉行无ン‖等閑椀飯盛(ワウハムモリ)物積ミ物以下尽シ‖時ノ景物雜亊厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種々ノ美物ヲ|廳庭(チヤウ−)ノ経営 政所之屋曰‖廳庭ト|也。〔謙堂文庫蔵六四右C〕
とあって、標記語「吏務」の語を収載し、その後に「在原」と記載し、茲に「在原業平」と『伊勢物語』について詳細な注記を記載しているのである。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖時節(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
着府(ちやくふ)吏務(りむ)の法儀(ほうぎ)/着府ノ吏務法儀着府の注前に見へたり。吏務ハ役所のつとめなり。吏ハ役人の事也。法ハ法式(しき)。儀ハ儀式也。〔100オ六・七〕
とあって、この標記語「吏務」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
着府(ちやくふ)吏務(りむ)の法儀(ほうぎ)/着府ノ吏務法儀▲吏務ハ役人(やくにん)の国政(こくせい)を取(とり)さばく務(つとめ)かた也。〔74オ七、74ウ三〕
着府(ちやくふ)吏務(りむ)之(の)法儀(ほふぎ)▲吏務ハ役人(やくにん)の国政(こくせい)を取(とり)さばく務(つとめ)かた也。〔132オ四・五、133ウ四〕
り-む〔名〕【吏務】役人のつとめ。又國司の執る事務。台記、仁平元年二月四日「近江國、云云、件國本禪閣掌二吏務一、云云」〔2125-3〕
入境着任儀式〔至徳三年本〕
入境着任儀式〔宝徳三年本〕
入境着任之儀式〔建部傳内本〕
入境(ニツケイ)着任ノ儀式〔山田俊雄藏本〕
入境(ケイ)着任(チヤクニン)之(ノ)儀式〔経覺筆本〕
入境(ジツキヤウ)着任( ニン)ノ儀式〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「入境」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ニツケイ」、経覺筆本に「(ニツ)ケイ」、文明四年本に「ジツキヤウ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「入境」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「入境」の語を収載する。
入境(ジユケイ)著任(ヂヤクニン)之儀式(キシキ)著府(チヤクフ)吏務(リム)之(ノ)法儀(ホウギ)無シ‖異(コト)ナル子細(シサイ)|在廳(サイチヤウ)人等日并(ヒナミ)出仕(シユツシ)恒例(ゴウレイ)奉行(ブギヤウ)無シ‖等閑(ナヲザリ)椀飯(ワウハン)盛物(モリモノ)積物(ツミモノ)以下(イゲ)盡(ツクシ)‖時節(ジセツ)ノ景物(ケイブツ)ヲ|雜亊(ザウジ)厨(クリヤ)調(トヽノヘ)‖種種(シユジユ)美物(ブフツ)ヲ|入境(ジユケイ)著任(チヤクニン)ト云事サカヒニ入國從(メク)ル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三〕
入境(じゆきやう)着任(ちやくにん)之(の)儀式(ぎしき)/入境着任ノ儀式此句より下ハ任国中の事をいえるなり。入境とハ其国さかひに着入せし也。着任の注前に見へたり。〔100オ五・六〕
とあって、この標記語「入境」の語を収載し、語注記は、上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
入境(じゆけい)着任(ちやくにん)の儀式(ぎしき)/入境着任ノ儀式▲入境ハ任国(にんこく)の境(さかい)に入る也。〔74オ六、74ウ二〕
入境(じゆきやう)着任(ちやくにん)之(の)儀式(ぎしき)▲入境ハ任国(にんこく)の境(さかい)に入る也。〔132オ四、133ウ四〕
恩問(モン) 。〔元亀二年本77二〕〔静嘉堂本94二〕〔天正十七年本上46ウ七〕〔西來寺本〕
何時謝之便可啓案内之処路次之疲労長途之窮屈只忙然之外无他依恩問所被驚也〔至徳三年本〕
何時謝之便可啓案内之処路次之疲労長途之窮屈只忙然之外无他依恩問所被驚也〔宝徳三年本〕
何時謝之便可啓案内之処路次之疲労長途之窮屈只忙然之外无他依恩問所被驚也〔建部傳内本〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔山田俊雄藏本〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔経覺筆本〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「恩問」と記載する。
恩問(ヲンモン/イツクシ・ネンゴロ、ブン・トウ)[平軽・去] 。〔態藝門215六〕
音問(ヲンモン/インブン・コヱ、トウ)[平・去] 。〔態藝門217四〕
恩問(ヲンモン) 。〔弘・言語進退門69二〕
恩波(ヲンハ) ―慈(ジ)。―顧(コ)。―言(ゴン)。―賞(シヤウ)。―顔(ガン)。―惠(ケイ)。―許(キヨ)。―愛(アイ)。―免(メン)。―給(キウ)。―簡(カン)/―札(サツ)。―コ(ドク)。―情(シヤウ)。―問(モン)。―賜(シ)。―容(ヨウ)。―恕(ジヨ)。―告(カウ)。―借(シヤク)。―領(リヤウ)。〔永・言語門66二〕
恩波(ヲンハ) ―慈。―顧。―言。―賞。―顔。―惠。―許。―愛。―免。―給。―簡/―札。―コ。―情。―問。―賜。―容。―恕。―告。―借。―領。―扶持。〔堯・天地門60五〕
恩波(ヲンハ) ―慈。―顧。―言。―賞。―顔。―惠/―許。―愛。―コ。―借。―領。―問。〔両・言語門71二〕
恩問( モン) 。〔言語門62七・天理図書館蔵上31ウ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「恩問」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「恩問」の語を収載する。
遼遠(レウヱン)之國輙(タヤスク)依テ∨難キニ∨通シ‖音信ヲ|乍ラ∨思ヒ馳(ハス)‖光陰(クワウイン)ヲ|遺恨(イコン)深重(ジンヂウ)也。何ノ時カ謝せン∨之ヲ。即チ可キノ∨啓ス‖案内(アンナイ)ヲ|之處ノ路次(ロシ)ノ疲労(ビラウ)長途(テウト)ノ窮屈(キウクツ)只(タヽ)忙然(ハウゼン)之外(ホカ)無シ∨他(タ)依テ‖恩問(ヲンモン)ニ|所ロ被(ルヽ)∨驚(ヲトロカ)也遠遼(ヱンレウ)ノ国トハハルカニトヲキ國ノ事ナリ。〔下40オ五〜八〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也/何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔99オ七〕
とあって、この標記語「恩問」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也/何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。〔73ウ四〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。〔132オ三〕
†Vonmon.ヲンモン(恩問) Voni touaruru.(恩に問はるる)すなわち,Nengorona fumi.(念比な文)好意的な,愛情のあらわれた書状.VoniあるいはVoniの誤り.〔邦訳714r〕
おん-もん〔名〕【音問】おとづれ。たより。陶潜詩「?襟或遼、音問其先」〔322-5〕
おん-もん〔名〕【恩問】前條の語の敬語。庭訓往來、二月「欲レ自二是令一レ申候之處、遮而預二恩問一」〔322-5〕
惘然(バウぜン) 。茫然(バウぜン) 。〔元亀二年本28六〕
惘然(バウせン) 。茫然(ハウ ) 。〔静嘉堂本27七〕
惘然(ハウせン) 。茫然(同) 。〔天正十七年本上14ウ八〕〔西來寺本〕
何時謝之便可啓案内之処路次之疲労長途之窮屈只忙然之外无他依恩問所被驚也〔至徳三年本〕
何時謝之便可啓案内之処路次之疲労長途之窮屈只忙然之外无他依恩問所被驚也〔宝徳三年本〕
何時謝之便可啓案内之処路次之疲労長途之窮屈只忙然之外无他依恩問所被驚也〔建部傳内本〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔山田俊雄藏本〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔経覺筆本〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「忙然」と記載する。
忙然(バウぜン/イソカハシ、シカリ)[平・平] 。茫然(バウぜン)[○・平] 。惘然(ハウせン/イタム、シカリ)[上・平] 。〔態藝門82一〕
惘然(バウせン) 又云忘然(同)。〔弘・言語進退門26三〕
忘家(バウカ) ―筌(せン)。―却(キヤク)。―失。―然(ぜン)。 惘ホルヽ然(バウせン)。〔永・言語門22一・八〕
惘然(ハウせン) 忘家(ハウカ) ―筌。―却。―失。―然。〔堯・天地門20三・19九〕
忘然(バウぜン) 。〔両・言語門24三〕
惘然(バウせン) 。〔言語門52七・天理図書館蔵上11ウ七〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』に標記語「忙然」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「忙然」の語を収載している。
遼遠(レウヱン)之國輙(タヤスク)依テ∨難キニ∨通シ‖音信ヲ|乍ラ∨思ヒ馳(ハス)‖光陰(クワウイン)ヲ|遺恨(イコン)深重(ジンヂウ)也。何ノ時カ謝せン∨之ヲ。即チ可キノ∨啓ス‖案内(アンナイ)ヲ|之處ノ路次(ロシ)ノ疲労(ビラウ)長途(テウト)ノ窮屈(キウクツ)只(タヽ)忙然(ハウゼン)之外(ホカ)無シ∨他(タ)依テ‖恩問(ヲンモン)ニ|所ロ被(ルヽ)∨驚(ヲトロカ)也遠遼(ヱンレウ)ノ国トハハルカニトヲキ國ノ事ナリ。〔下40オ五〜八〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也/何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔99オ七〕
とあって、この標記語「忙然」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也/何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。〔73ウ四〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。〔132オ三〕
Bo<jen.バウゼン(惘然) 気抜けしてぼんやりしていること,あるいは,呆然自失していること.§Bo<jento aqirefatete iru.(惘然と惘れ果てて居る)同上..〔邦訳60l〕
ばう-ぜん〔名〕【芒然・忙然】據る所なき状、又は、呆(あき)れて思案なき状などに云ふ語。あっけにとらる。きぬけする。呆然。惘然。史記、魏世家「唐?到、入見二秦王一、秦王曰、丈人芒然、乃遠至レ此、甚苦矣、夫魏之來、求レ救數矣、寡人知二魏之急一已」莊子、大宗師篇「芒然彷二徨乎塵垢之外一」杜甫詩「斯遊恐不レ遂、把レ酒意芒然」〔1559-3〕
何(イヅレ) 。〔元亀二年本20八〕 時(トキ) 。〔元亀二年本62三〕
何(イヅレ) 。〔静嘉堂本16八〕 時(トキ) 。〔静嘉堂本71五〕
何(イツレ) 。〔天正十七年本上9ウ四〕 × 。〔天正十七年本上38ウ二〕〔西來寺本〕
何時謝之便可啓案内之処路次之疲労長途之窮屈只忙然之外无他依恩問所被驚也〔至徳三年本〕
何時謝之便可啓案内之処路次之疲労長途之窮屈只忙然之外无他依恩問所被驚也〔宝徳三年本〕
何時謝之便可啓案内之処路次之疲労長途之窮屈只忙然之外无他依恩問所被驚也〔建部傳内本〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔山田俊雄藏本〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔経覺筆本〕
何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「何時」と記載する。
何(イヅレ/カ)[平] 。孰(同/シユク・タレ)[入] 。〔態藝門42四〕
時(トキ/シ)[平軽] 。芸(トキ)[○] 時字ノ古文(コモン)。〔時節門126三〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「何」と「時」の語を以て収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「何時」の語を収載する。
遼遠(レウヱン)之國輙(タヤスク)依テ∨難キニ∨通シ‖音信ヲ|乍ラ∨思ヒ馳(ハス)‖光陰(クワウイン)ヲ|遺恨(イコン)深重(ジンヂウ)也。何ノ時カ謝せン∨之ヲ。即チ可キノ∨啓ス‖案内(アンナイ)ヲ|之處ノ路次(ロシ)ノ疲労(ビラウ)長途(テウト)ノ窮屈(キウクツ)只(タヽ)忙然(ハウゼン)之外(ホカ)無シ∨他(タ)依テ‖恩問(ヲンモン)ニ|所ロ被(ルヽ)∨驚(ヲトロカ)也遠遼(ヱンレウ)ノ国トハハルカニトヲキ國ノ事ナリ。〔下40オ五〜八〕
何(いつ)れの時(とき)か之(これ)を謝(しやせ)ん/何レノ時カ謝セン∨之ヲ。是まてハ在国中無音したるをわびしなり。〔99オ八〕
とあって、この標記語「何時」の語を収載し、語注記上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
何(いづれ)の時(とき)か之(これ)を謝(しや)せん即(すなハち)案内(あんない)を啓(けい)す可(べ)き之(の)處(ところ)路次(ろじ)の疲労(ひらう)長途(ちやうど)の窮屈(きうくつ)只(たゞ)忙然(ばうぜん)之(の)外(ほか)他(た)無(な)し恩問(おんもん)に依(よつ)て驚(おどろ)か被(る)ゝ所(ところ)也(なり)/何ノ時カ謝セン∨之ヲ。即可キ∨啓ス‖案内ヲ|之處。路次ノ疲労。長途ノ窮屈。只忙然之外無シ∨他。依テ‖恩問ニ|所∨被ル∨驚カ也。〔74オ三〜五〕
何(いづれ)の時(とき)か謝(しや)せん∨之(これ)を。即(すなハち)可(べ)き∨啓(けい)す‖案内(あんない)を|之(の)處(ところ)。路次(ろじ)の疲労(ひらう)。長途(ちやうと)の窮屈(きうくつ)。只(たゞ)忙然(ばうぜん)之(の)外(ほか)無(な)し∨他(た)。依(よつ)て‖恩問(おんもん)に|所(ところ)∨被(る)ゝ∨驚(おどろ)か也(なり)。〔132ウ五〜133オ二〕
いづれ〔代〕【何】〔これ(是)の語原を見よ〕不定の事物に用ゐる代名詞。いづら。いづく。いづこ。どこ。どこら。どちら。どれ。萬葉集、十五6「大伴の、三津に舩乘り、漕ぎ出ては、伊都禮(イヅレ)の島に、いほりせむ我れ」同、卷33「逢はむ日を、其の日と知らず、常闇に、伊豆禮(イヅレ)の日まで、吾れ戀ひ居らむ」〔193-4〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔至徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔宝徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔建部傳内本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔山田俊雄藏本〕
抑遼遠(リヤウヱン)之(ノ)國(クニ)輙(タヤスク)依∨難通シ‖音信ヲ|乍∨思馳(ハせ)‖光陰ヲ|遺恨深重(シンテウ)也〔経覺筆本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤスク)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「深重」と記載し、訓みは経覺筆本に「シンテウ」と記載する。
深重(ジンチヨウ・ヲモシ/フカシ、シゲシ・カサナル)[平去・平軽去] 。〔態藝門953五〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「深重」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「深重」の語を収載する。
遼遠(レウヱン)之國輙(タヤスク)依テ∨難キニ∨通シ‖音信ヲ|乍ラ∨思ヒ馳(ハス)‖光陰(クワウイン)ヲ|遺恨(イコン)深重(ジンヂウ)也。何ノ時カ謝せン∨之ヲ。即チ可キノ∨啓ス‖案内(アンナイ)ヲ|之處ノ路次(ロシ)ノ疲労(ビラウ)長途(テウト)ノ窮屈(キウクツ)只(タヽ)忙然(ハウゼン)之外(ホカ)無シ∨他(タ)依テ‖恩問(ヲンモン)ニ|所ロ被(ルヽ)∨驚(ヲトロカ)也遠遼(ヱンレウ)ノ国トハハルカニトヲキ國ノ事ナリ。〔下40オ五〜八〕
遺恨(いこん)剩重(しんちう)也/遺恨深重也深ハふかし。重ハおもしと訓す。こゝに云こゝろハ遠路(ゑんろ)をへたてゝ音信しかたきゆへ空(むな)しく月日を送りて無音(ぶいん)したる事の心外(しんかい)なるハ少くらひとなり。〔99オ七・八〕
とあって、この標記語「深重」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)音信(ゐんしん)を通(つう)じ難(かた)きに依(よつ)て思(おも)ひ乍(ながら)光陰(くわうゐん)を馳(は)す遺恨(いこん)剩重(しんぢう)也(なり)/抑遼遠之國ニ輙ク依テ∨難キニ通シ二音信ヲ一。乍レ思ヒ馳ス二光陰ヲ一。遺恨深重也。〔74オ一・二〕
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)依(よつ)てレ難(かたき)に通(つう)じ二音信(いんしん)を一乍(ながら)レ思(おもひ)馳(はす)二光陰(くわういん)を一遺恨(ゐこん)深重(しんぢう)也(なり)。〔132ウ三〜五〕
Iingiu>.ジンヂュゥ(深重) Fuco< casanaru.(深う重なる)非常に増加すること,または,非常に累積すること.→次条.〔邦訳363l〕
‡Iingiu>.*ジンヂュゥ(深重) ¶また,深遠なこと,または,深く.〔邦訳363l〕
しん-ちョう〔名〕【深重】おちつきて、おもおもしきこと。深湛。「態度、深重」〔948-2〕
光隠(イン) 。〔元亀二年本191六〕
光陰(イン) 。〔静嘉堂本216三〕〔天正十七年本中37ウ二〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔至徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔宝徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔建部傳内本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔山田俊雄藏本〕
抑遼遠(リヤウヱン)之(ノ)國(クニ)輙(タヤスク)依∨難通シ‖音信ヲ|乍∨思馳(ハせ)‖光陰ヲ|遺恨深重(シンテウ)也〔経覺筆本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤスク)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「光陰」と記載する。
光陰(クワウイン/ヒカリ、カゲ)[平・平] 光?(ヱイ)モ同。〔時節門499一〕
光陰(クワウイン) 。〔弘・時節門156六〕〔堯・時節門116九〕〔両・時節門141七〕
光陰(クハウイン) 。〔永・時節門128一〕 ※また、言語門にも収載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「光陰」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「光陰」の語を収載する。
遼遠(レウヱン)之國輙(タヤスク)依テ∨難キニ∨通シ‖音信ヲ|乍ラ∨思ヒ馳(ハス)‖光陰(クワウイン)ヲ|遺恨(イコン)深重(ジンヂウ)也。何ノ時カ謝せン∨之ヲ。即チ可キノ∨啓ス‖案内(アンナイ)ヲ|之處ノ路次(ロシ)ノ疲労(ビラウ)長途(テウト)ノ窮屈(キウクツ)只(タヽ)忙然(ハウゼン)之外(ホカ)無シ∨他(タ)依テ‖恩問(ヲンモン)ニ|所ロ被(ルヽ)∨驚(ヲトロカ)也遠遼(ヱンレウ)ノ国トハハルカニトヲキ國ノ事ナリ。〔下40オ五〜八〕
輙(たやすく)音信(ゐんしん)を通(つう)し難(かたき)に依(よつ)て思(おも)ひ乍(なが)ら光陰(くハういん)を馳(はす)/輙ク依テ∨難通シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|思ひなからとハ心にハ忘れさるをいふ。光陰を馳スとハ月日を送り暮らすを云也。〔99ウ五・六〕
とあって、この標記語「光陰」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)音信(ゐんしん)を通(つう)じ難(かた)きに依(よつ)て思(おも)ひ乍(ながら)光陰(くわうゐん)を馳(は)す遺恨(いこん)剩重(しんぢう)也(なり)/抑遼遠之國ニ輙ク依テ∨難キニ通シ二音信ヲ一。乍レ思ヒ馳ス二光陰ヲ一。遺恨深重也▲馳二光陰一ハ月日を過ごすをいふ。〔74オ一・二、74オ五・六〕
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)依(よつ)てレ難(かたき)に通(つう)じ二音信(いんしん)を一乍(ながら)レ思(おもひ)馳(はす)二光陰(くわういん)を一遺恨(ゐこん)深重(しんぢう)也(なり)。▲馳二光陰一ハ月日を過ごすをいふ。〔132ウ三〜五、133オ三〕
Quo<-in.クヮゥイン(光陰) Ficarino cague.(光の陰).第一の原動力によって流れる時間.¶Quo<in yanogotoxi.(光陰矢の如し)時はあたかも一本の矢のようである.¶Quo<inuo voquru.(光陰を送る)生涯を過ごす.※原文はo primeiro mouel.昔の天文学において,地球を取り巻く層の最も外側にあるとされ,すべての天界運動の原動力をなすと想像された天の層.第十天.Primum mobile. 天草版金句集,P.547. 本書の一般表記法ではvocuru. →Fitcujino ayumi.〔邦訳522l〕
くヮう-いん〔名〕【光陰】〔日の陰の義と云ふ〕ひま。とき。月日。歳月(としつき)。顔氏家訓「光陰可レ惜、譬二諸逝水一」朱熹詩「少年易レ老學難レ成」太平記、廿三、依直義病惱光嚴上皇御願書事「點二七日之光陰一、課二彌天之蹟才一、令レ講二讃妙法偈一、可レ勤二修尊勝供一」古今和歌集、二、春、下「梓弓、春立ちしより、年月の、射るが如くも、おもほゆるかな」(光陰、矢の如し)〔570-4〕
通(トヲル) 。透(同) 。〔元亀二年本61八〕〔静嘉堂本70八〕
通(トヲル) 。透(同) 。徹(同) 。達(同) 。〔天正十七年本上38ウ二〕〔西來寺本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔至徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔宝徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔建部傳内本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔山田俊雄藏本〕
抑遼遠(リヤウヱン)之(ノ)國(クニ)輙(タヤスク)依∨難通シ‖音信ヲ|乍∨思馳(ハせ)‖光陰ヲ|遺恨深重(シンテウ)也〔経覺筆本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤスク)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「難通」と表記し、訓みは山田俊雄藏本と文明四年本に「とをし(かた)し」と記載する。
觸透(フレトヲス/ソクトウ)[入・去] 通。〔態藝門647四〕
透(トホル) 。通(同) 。徹(同) 。〔言語門46六・天理図書館蔵上23ウ六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「難レ通」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「難通」の語を収載している。
遼遠(レウヱン)之國輙(タヤスク)依テ∨難キニ∨通シ‖音信ヲ|乍ラ∨思ヒ馳(ハス)‖光陰(クワウイン)ヲ|遺恨(イコン)深重(ジンヂウ)也。何ノ時カ謝せン∨之ヲ。即チ可キノ∨啓ス‖案内(アンナイ)ヲ|之處ノ路次(ロシ)ノ疲労(ビラウ)長途(テウト)ノ窮屈(キウクツ)只(タヽ)忙然(ハウゼン)之外(ホカ)無シ∨他(タ)依テ‖恩問(ヲンモン)ニ|所ロ被(ルヽ)∨驚(ヲトロカ)也遠遼(ヱンレウ)ノ国トハハルカニトヲキ國ノ事ナリ。〔下40オ五〜八〕
輙(たやすく)音信(ゐんしん)を通(つう)し難(かたき)に依(よつ)て思(おも)ひ乍(なが)ら光陰(くハういん)を馳(はす)/輙ク依テ∨難通シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|思ひなからとハ心にハ忘れさるをいふ。光陰を馳スとハ月日を送り暮らすを云也。〔99ウ五・六〕
とあって、この標記語「難通」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)音信(ゐんしん)を通(つう)じ難(かた)きに依(よつ)て思(おも)ひ乍(ながら)光陰(くわうゐん)を馳(は)す遺恨(いこん)剩重(しんぢう)也(なり)/抑遼遠之國ニ輙ク依テ∨難キニ通シ二音信ヲ一。乍レ思ヒ馳ス二光陰ヲ一。遺恨深重也。〔74オ一・二〕
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)依(よつ)てレ難(かたき)に通(つう)じ二音信(いんしん)を一乍(ながら)レ思(おもひ)馳(はす)二光陰(くわういん)を一遺恨(ゐこん)深重(しんぢう)也(なり)。。〔132ウ三〜五〕
Touoxi,su,oita.トヲシ,ス,イタ(通・徹し,す,いた) ある物を通す.または,通るにまかせる,あるいは,通過させる.例,Nacauo aqete touosu.(中をあけて通す)人に道のまん中をあけてやる.¶Iqidouoriuo touosu.(憤りを通す)怨恨をもち続ける.¶Nozomiuo touosu.(望みを通す)望みを抱いて,それをやり遂げるまで進む.¶Muneuo touosuyo<na itami.(胸を徹すような痛み)胸,あるいは,心臓をつき通すかと思われるほどの痛み.→Farino mimi;Mi〜;Qiqi〜;Tabane;Yomi〜.〔邦訳672l〕
輙(タヤスク) 。〔元亀二年本147十〕〔静嘉堂本159七〕〔天正十七年本中12オ五〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔至徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔宝徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔建部傳内本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔山田俊雄藏本〕
抑遼遠(リヤウヱン)之(ノ)國(クニ)輙(タヤスク)依∨難通シ‖音信ヲ|乍∨思馳(ハせ)‖光陰ヲ|遺恨深重(シンテウ)也〔経覺筆本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤスク)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「輙」と表記し、訓は文明四年本に「たやすく」と記載する。
輙 タヤスシ。駐聊輟接易已上同。〔黒川本・辞字門中8ウ六〕
輙 タヤスシ。駐聊輟接易已上タヤスシ。〔卷第四・辞字門436四〕
輙(タヤスク/テフ)[去] 。〔態藝門372七〕
容易(タヤスク/ヨウイ、ユルス・カタチ、ヤスシ)[○・去入] 或作輙(タヤスク)。〔態藝門366五〕
輙(タヤスク) 。〔弘・言語進退門106五〕
輙(タヤスク)テウ。〔永・言語門96五〕〔両・言語門106三〕
輙(タヤスシ) 。〔堯・言語門148四〕
輙(タヤスシ) 。〔言語門96二・天理図書館蔵上48ウ二〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「輙」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「輙」の語を収載する。
遼遠(レウヱン)之國輙(タヤスク)依テ∨難キニ∨通シ‖音信ヲ|乍ラ∨思ヒ馳(ハス)‖光陰(クワウイン)ヲ|遺恨(イコン)深重(ジンヂウ)也。何ノ時カ謝せン∨之ヲ。即チ可キノ∨啓ス‖案内(アンナイ)ヲ|之處ノ路次(ロシ)ノ疲労(ビラウ)長途(テウト)ノ窮屈(キウクツ)只(タヽ)忙然(ハウゼン)之外(ホカ)無シ∨他(タ)依テ‖恩問(ヲンモン)ニ|所ロ被(ルヽ)∨驚(ヲトロカ)也遠遼(ヱンレウ)ノ国トハハルカニトヲキ國ノ事ナリ。〔下40オ五〜八〕
輙(たやすく)音信(ゐんしん)を通(つう)し難(かたき)に依(よつ)て思(おも)ひ乍(なが)ら光陰(くハういん)を馳(はす)/輙ク依テ∨難通シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|思ひなからとハ心にハ忘れさるをいふ。光陰を馳スとハ月日を送り暮らすを云也。〔99ウ五・六〕
とあって、この標記語「輙」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)音信(ゐんしん)を通(つう)じ難(かた)きに依(よつ)て思(おも)ひ乍(ながら)光陰(くわうゐん)を馳(は)す遺恨(いこん)剩重(しんぢう)也(なり)/抑遼遠之國ニ輙ク依テ∨難キニ通シ二音信ヲ一。乍レ思ヒ馳ス二光陰ヲ一。遺恨深重也。〔74オ一・二〕
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)依(よつ)てレ難(かたき)に通(つう)じ二音信(いんしん)を一乍(ながら)レ思(おもひ)馳(はす)二光陰(くわういん)を一遺恨(ゐこん)深重(しんぢう)也(なり)。〔132ウ三〜五〕
Tayasui.タヤスイ(輙) 容易な(こと).Tayasu<.(輙う)副詞.Tayasusa(輙さ)→San(産).〔邦訳619r〕
たやす-く〔副〕【輙】〔たやすしの副詞法〕憚るべき事を憚らず。輕輕しく。易く。難きことなく。容易に。欽明紀、元年九月「新羅怨曠積年、不レ可二輕爾(タヤスク)而伐一」續日本紀、廿五、天平寳字八年九月、詔「己師(ヲノレガシ)乎夜(ヲヤ)、多夜須久(タヤスク)退(シリゾケ)、未都良武止(マツラムト)、念(ヲモヒ)天(テ)在(アリ)都(ツ)」〔1251-5〕
遼遠(レウエン) 。〔元亀二年本149十〕
遼遠(レイヱン) 。〔静嘉堂本163四〕
遼遠(レウヲン) 。〔天正十七年本中13ウ四〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔至徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔宝徳三年本〕
抑遼遠國輙依難通音信乍思馳光陰遺恨深重也〔建部傳内本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔山田俊雄藏本〕
抑遼遠(リヤウヱン)之(ノ)國(クニ)輙(タヤスク)依∨難通シ‖音信ヲ|乍∨思馳(ハせ)‖光陰ヲ|遺恨深重(シンテウ)也〔経覺筆本〕
抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤスク)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「遼遠」と記載し、訓みは経覺筆本に「リヤウヱン」、山田俊雄藏本・文明四年本に「レウ(ヱン)」と記載する。
遼遠 地部/レウヱン/遠近部。〔黒川本・畳字門中14ウ二〕
遼遠 〃廊。〔卷第四・畳字門515四〕
遼遠(レウヱン/ハルカナリ、トヲシ)[平・上] 。〔態藝門381五〕
遼遠(レウエン) 。〔弘・言語進退門116八〕
とあって、弘治二年本に標記語「遼遠」の語を収載する。易林本『節用集』に、
遼遠(レウヱン) 。〔言辞門98六・天理図書館蔵上49ウ六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「遼遠」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「遼遠」の語を収載する。
遼遠(レウヱン)之國輙(タヤスク)依テ∨難キニ∨通シ‖音信ヲ|乍ラ∨思ヒ馳(ハス)‖光陰(クワウイン)ヲ|遺恨(イコン)深重(ジンヂウ)也。何ノ時カ謝せン∨之ヲ。即チ可キノ∨啓ス‖案内(アンナイ)ヲ|之處ノ路次(ロシ)ノ疲労(ビラウ)長途(テウト)ノ窮屈(キウクツ)只(タヽ)忙然(ハウゼン)之外(ホカ)無シ∨他(タ)依テ‖恩問(ヲンモン)ニ|所ロ被(ルヽ)∨驚(ヲトロカ)也遠遼(ヱンレウ)ノ国トハハルカニトヲキ國ノ事ナリ。〔下40オ五〜八〕
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)/抑遼遠之國遼も遠もとをしと訓す。〔99ウ四・五〕
とあって、この標記語「遼遠」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)音信(ゐんしん)を通(つう)じ難(かた)きに依(よつ)て思(おも)ひ乍(ながら)光陰(くわうゐん)を馳(は)す遺恨(いこん)剩重(しんぢう)也(なり)/抑遼遠之國ニ輙ク依テ∨難キニ通シ二音信ヲ一。乍レ思ヒ馳ス二光陰ヲ一。遺恨深重也▲遼遠之国ハ任(にん)に赴(おもむ)きたる国のはるかに遠(とを)き也。〔74オ一・二、74オ五〕
抑(そも/\)遼遠(れうゑん)之(の)國(くに)輙(たやすく)依(よつ)てレ難(かたき)に通(つう)じ二音信(いんしん)を一乍(ながら)レ思(おもひ)馳(はす)二光陰(くわういん)を一遺恨(ゐこん)深重(しんぢう)也(なり)。▲遼遠之国ハ任(にん)に赴(おもむ)きたる国のはるかに遠(とを)き也。〔132ウ三〜五、133オ二・三〕
Reo>yen.レウエン(遼遠) Farucani touoi.(遼に遠い)非常に遠い距離,例,Reo>yenno cuni.(遼遠の国)非常に離れた国,あるいは,遠方の国.〔邦訳530r〕
れう-ゑん〔副〕【遼遠】はるかにとほき状に云語。悠遠。迢遠。楚辭、九章篇、抽思「惟郢路之遼遠兮、魂一夕而九逝」〔2143-5〕
甚如玉珠非参拝者難謝之〔至徳三年本〕
甚如仰玉珠非參拝者難謝之〔宝徳三年本〕
甚如得玉珠非參拝者難謝之〔建部傳内本〕
甚タ如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非ン‖参拝ニ|者難∨謝∨之ヲ〔山田俊雄藏本〕
甚タ如シ∨得カ‖玉珠ヲ|非ンバ‖参拝|者(ハ)難∨謝∨之ヲ〔経覺筆本〕
甚如∨得(エタルカ)‖玉珠(キヨクシユ)ヲ|非‖参拝ニ|者更(サラニ)難(カタシ)∨謝(シヤシ)∨之ヲ〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「玉珠」と記載し、訓みは文明四年本に「キヨクシユ」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「玉珠」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
743甚如シ∨得(ウル)カ‖玉珠|非レハ‖参拝ニ|者難∨謝∨之。抑遼遠(レウー)ノ國輙(タヤス)ク依テ∨難通(トヲ)シ‖音信ヲ|乍∨思馳‖光陰ヲ|遺恨深重也。何時カ謝ン∨之ヲ。便可∨啓‖案内|之処ニ路次之疲労(ヒー)長途(チヤウー)之窮屈只忙然之外无∨他依テ‖恩問ニ|所被(サル)∨驚也。入ツ境(ケイ)着任ノ儀式 着任云、守護也。〔謙堂文庫蔵六三左H〕
とあって、標記語「玉珠」の語を収載する。
披閲(ヒヱツ)珍重(チンテウ)珍重(チンテウ)甚(ハナハダ)如∨得カ‖玉珠(シユ)ヲ|非ンハ‖参拝(サンハイ)ニ|者難(カタシ)∨謝(シヤ)シ∨之ヲ抑(ソモ/\)。披閲ト書テヒラキヒログルトヨムナリ。〔下40オ三・四〕
珎重(ちんてう)々々(/\)甚(はなハ)た玉珠を得(ゑ)たるか如(こと)し/珎重々々甚如シ∨得タルカ‖玉珠ヲ|。〔99ウ二・三〕
とあって、この標記語「玉珠」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
珎重(ちんてう)珍重甚(はなハだ)玉珠(ぎよくしゆ)を得(う)るが如(ごと)し参拝(さんばい)に非(あら)ずん者(ハ)之(これ)を謝(しや)し難(かた)し/珎重々々甚如シ∨得ルガ‖玉珠ヲ|非ズン‖参拝ニ|者難シ∨謝シ∨之ヲ。〔73ウ八〜74オ一〕
珎重(ちんちよう)々々(/\)甚(はなハた)如(ごとし)∨得(うるが)‖玉珠(ぎよくしゆ)を|非(あらず)んハ‖参拝(さんはい)に|者(ば)難(がたし)∨謝(しやし)∨之(これ)を。〔132ウ二・三〕
Guiocuxu.ギョクシュ(玉珠) Tama tama.(玉珠) 宝石.〔邦訳300r〕
隼人(ハヤト) 唐名布護(ホコ)。〔元亀二年本65七〕
隼人(ハヤト) 唐名布護。〔静嘉堂本29四〕
隼人 唐名布護。〔天正十七年本上15ウ五〕〔西來寺本〕
十二月三日 隼人佐〔至徳三年本〕
十二月三日 隼人佐〔宝徳三年本〕
十二月三日 隼人佐〔建部傳内本〕
十二月三日 隼人佑〔山田俊雄藏本〕
十二月三日 隼人佐(ハイトウノスケ)在原〔経覺筆本〕
十二月三日 隼人佐〔文明四年本〕
と見え、山田俊雄藏本に「隼人佐」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・経覺筆本・文明四年本に「隼人佑」と記載する。
隼人正(ハヤトノカミ) 布護(ホコ)將軍。〔官位門43六〕
隼人司(ハヤトノ ノツカサ/シユンジンシ) 唐名布護署(ホゴシヨ)。正一人相當正六位下唐名布護將軍。佑(せウ)唐名布護少尹。令史(サクワン)唐名布護生簿。〔官位門56七〕
隼人正(ハヤトノカミ) 布護將軍。〔永・官名門20八〕〔堯・官名門16三〕〔両・官名門19八〕
隼人正(ハイトフノカミ) 布護。〔官位門14六・天理図書館蔵上7ウ六〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「隼人佑」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
741隼人佑在原 偖モ彼伊勢物語ト申ハ業平ノ中將ノ一生涯ヲ語也。彼業平ト申ハ平生天王ニ第四ノ王子阿保親王ニ第五ノ王子、御母ハ桓武天皇ノ御娘伊豆ノ内親王ノ御子也。天長二年丁ノ巳年生レ給フ。淳和天王ノ御時ニ童ハ七歳ニテ天上成セ給イ梟リ。深草ノ御門ノ時、三笠山ノ臨時之役ニ被レサセ∨指給テ内裡ヨリ蝶ノ姿ニ出立透額ノ冠ヲ召シ忍摺ノ於祢衣ヲ被∨召、角白ト申午ヲ被セ∨給々テ、五節ノ伶人ニ立シ故ニ五節ノ中將ト申ナリ。其後、承和十四年乙卯歳、在原ノ姓ヲ給リ在原ノ中將トモ申也。其後ニ業平娑婆ノ芳札尽給テ、大和国布流ノク布原寺ト云寺ニ御名残サセ給ヘリ。其レ迄テハ業平ノ一生涯ヲ語也。然ニ彼伊勢物語ヲ當宮ノ御所ニテ被レケルニ∨作、冬サレク色ノ衣ヌ着タル男一人来、此物語ヲ作給フ者哉。其モ哥ノ二首入ント有リシ時、自ノ‖四方御使ソト問ケレハ、其ノ返亊云。不シテ∨及神風ヤ伊勢ノM荻折敷テ旅寢ヤスラン荒M辺ニ。思フ亊云テヤ只ニ休カマシ我ト等キ人シ无ケレハ。加様ニ詠シテ立皈ントシ給フ時、佐モアレ自‖四方|何ツ方ヘ御通リ有ソト問ケレハ、是ハ自ト‖伊勢|斗ニテ如ニ∨消ルカ失給。佐テハ無‖疑処|伊勢大神宮ノ御使也トテ心謂伊勢物語ト申也。〔謙堂文庫蔵六三右H〕
とあって、標記語「隼人佑」の語を収載し、その後に「在原」と記載し、茲に「在原業平」と『伊勢物語』について詳細な注記を記載しているのである。※この注記については、ことばの溜め池「業平」(2000.07.11)を参照。
十二月三日 隼人佐(ハヤトノスケ)。〔下39ウ七〕
十二月三日 隼人佐(はやとのすけ)/十二月三日 隼人佐。〔99オ七〕
とあって、この標記語「隼人佐」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
十二月三日 隼人(はいと)の佐(すけ)在原(ありハら)/十二月三日 隼人ノ佐在原〔73ウ四〕
十二月(じふにくわつ)三日(ミつか) 隼人佐(はいとのすけ)在原(ありはら)。〔132オ三〕
はや-と〔名〕【隼人】(一)はやびと(隼人)の略。其條を見よ。隼人正の職名より轉じて、多くは人名に稱す。又、ハイト。清寧記、四年八月「天皇親録二囚徒一、是日蝦夷、隼人、竝内附」(二)東(あづま)百官(ヒヤククワン)の一。〔1631-3〕
謹上 越前守殿〔至徳三年本〕
謹上 越前守殿〔宝徳三年本〕
謹上 越前守殿〔建部傳内本〕
謹上 越前守殿〔山田俊雄藏本〕
謹上 越前守殿〔経覺筆本〕
謹上 越前守殿〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「越前守」と記載する。
越前(ヱチぜン/コユル、マヱ)[入・平] 越州六郡。水田。二万三千五百七十六町。敦賀(ツルガ)丹生(ニブ)府今立(イマタチ)足羽(アスハ)大野(ヲホノ)坂井(サカイ)。〔天地門698二〕
越前(エチゼン) 越э\二郡大野(ヲヽノ) 吉田(タ) 今南東 今南西 今北東 内ノ郡 敦賀(ツルカ) 足羽北(アスハキタ) 足羽南(アスハミナミ) 坂井(サカイ) 坂南 丹生 田数二万三千五百六十六町。〔弘・北陸道291六〕
越前 越(エツ)六。〔永・北陸道(ホクロクタウ)263四〕
越前 上越州六群。敦(ツル)賀 丹生(ニフ) 今立(イマタチ) 足羽 大野 坂井。〔堯・天地門233八〕
越前越(ヱツ)州 大管十二郡 南北三日半山當リレ南ニ帶フ二北海ヲ一五穀(コク)不レ熟(ジク)せ桑麻多シ或本五穀万倍大上〃圀也。敦賀(ツルガ)丹生(ニフ)府今立(イマタチ)足羽(アシハ)大野(オホノ)坂井(サカ井)K田(クロダ)池上(イケガミ)榊田(サカキダ)吉田(ヨシダ)坂北(サカキタ)南條(ナンデウ)。〔北陸道268C〜E・天理図書館蔵、北陸道下67オC〜E〕
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「越前」の語を以て収載し、「越前守」の語は未収載にある。これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
740謹上 越前守殿〔謙堂文庫蔵六三右H〕
とあって、標記語「越前守」の語を収載する。
謹言 越前守(エチゼンノカミ)殿(ドノ)。〔下39ウ八〕
謹上(きんしやう) 越前守(えちぜんのかミ)殿(どの)/謹上 越前守殿。〔99オ四・五〕
とあって、この標記語「越前守」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
謹上(きんしやう) 越前守(えちぜんのかミ)殿(どの)/謹上 越前守殿▲越前守ハ越前の国司(くにつかさ)也。国司ハ徃古(いにしへ)にいふ國造(くにのミやつこ)也。後(のち)改(あらた)めて守(かミ)といふ。大畧(たいりやく)五位以下に相當(さうたう)す。唐名(からな)ハ刺史(しし)といふ。〔73オ五、六〕
謹上 越前守殿▲越前守ハ越前の国司(くにつかさ)也。国司ハ徃古(いにしへ)にいふ國造(くにのミやつこ)也。後(のち)改(あらた)めて守(かミ)といふ。大略(たいりやく)五位以下に相當(さうたう)す。唐名(からな)ハ刺史(しし)といふ。〔132オ四、五〕
十二月三日 隼人佐〔至徳三年本〕
十二月三日 隼人佐〔宝徳三年本〕
十二月三日 隼人佐〔建部傳内本〕
十二月三日 隼人佑〔山田俊雄藏本〕
十二月三日 隼人佐(ハイトウノスケ)在原〔経覺筆本〕
十二月三日 隼人佐〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「十二月三日」と記載する。
このように、上記当代の古辞書においては、標記語「十二月晦日」の語は未収載にあって、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
739十二月晦日 金谷曰、爲陰氣時絶陽氣来。陰陽相激化爲疾病之鬼爲人家作病。黄帝使防相氏黄金四日{目}、身著朱衣、手把欹楯、口儺々之声、以駈疾病之鬼、至今歳除夜爲∨之。尺素曰、寒更ノ紅糟ハ臘八ノ佛具皆是一時一會之景物也。〔謙堂文庫蔵六三右E〕
とあって、古写本及びその他の注釈書が「十二月三日」としているところを「十二月晦日」の語として収載し、宋石孝友撰『金谷遺音』及び『尺素徃來』を引用し、今で言う「大晦日」について詳細なる注記を茲に記載する。
十二月三日 隼人佐(ハヤトノスケ)。〔下39ウ七〕
十二月三日 隼人佐(はやとのすけ)/十二月三日 隼人佐。〔99オ七〕
とあって、この標記語「十二月三日」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
十二月三日 隼人(はいと)の佐(すけ)在原(ありハら)/十二月三日 隼人ノ佐在原〔73ウ四〕
十二月(じふにくわつ)三日(ミつか) 隼人佐(はいとのすけ)在原(ありはら)。〔132オ三〕
Misoca.ミソカ(晦日) 詩歌語.月の最後の日.〔邦訳410l〕
じふ-に-ぐゎつ〔名〕【十二月】年の、第十二の月。年の、終りの月。しはす。極月(ごくげつ)。臈月。臘月。癒月。大呂。〔924-5〕
みそ-か〔名〕【三十日】月の第三十の日。陰暦にて、つごもり。盡日。大盡。晦。陰暦、小(せう)の月の、二十九日にて終るものを、九日(くにち)みそかと云ふ。小盡。十二月なるを、おほみそか(大晦日)、おほつごもり(大晦)と云ふ。後撰集、四、夏、水無月二つありける年「たなばたは、天の河原を、ななかへり、後のみそかを、みそぎにはせよ」「三十日蕎麥」〔1925-2〕
啓達(タツ) 。〔元亀二年本215一〕〔天正十七年本中51ウ七〕
啓達(ケイタツ) 。〔静嘉堂本244七〕
爲稽古巨細承度候也何樣遂面謁心事可啓承也恐々謹言〔至徳三年本〕
爲稽古巨細奉度候也何樣遂面謁心事可啓承也恐々謹言〔宝徳三年本〕
爲稽古巨細承度候也何樣遂面謁心事可啓奉也恐々謹言〔建部傳内本〕
爲二稽古ノ一巨細承リ二度候何樣遂ケ二面謁ヲ一心事可二啓達ス一也恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
爲ニ二稽古ノ一巨細承リ度ク候何樣遂ケ二面謁ヲ一心事可二啓承ワル一也恐々謹言〔経覺筆本〕
爲ニレ稽古(ケイコ)ノ一巨細承度候也何(イカ)樣遂(トケ)レ面謁(メンエツ)ヲ一心( ン)事可キ二啓承(ケイせウ){マウシ}一也恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、建部傳内本は、「啓奉」、山田俊雄藏本は「啓達」、至徳三年本・宝徳三年本・経覺筆本・文明四年本は、「啓承」と表記し、訓みは文明四年本に「ケイセウ」と記載する。
啓達(ケイタツ/ヒラク、イタル)[上・入] 。〔態藝門599八〕
啓達(ケイタツ) ―上(シヤウ)。―白(ビヤク)。〔言辞門147一・天理図書館蔵下6ウ一〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』、『運歩色葉集』、易林本『節用集』標記語「啓達」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』が収載しているのである。
738沙弥{汰カ}爲‖才覚ノ|可‖示給也爲‖稽古ノ|巨細承度候何樣遂‖面謁|心亊可‖啓(―)シ承|候恐々謹言〔謙堂文庫蔵六三右B〕
とあって、標記語「啓承」の語を収載する。
巨細(コサイ)承度(ウケタマハリタク)候也何樣(ナニサマ)遂(トケ)‖面謁(メンエツ)ヲ|心事(シンジ)可(ベク)‖啓達(ケイダツ)ス|候也巨細(コサイ)ハ。前ニ註(シル)ス。〔下39ウ五・六〕
何樣(なにさま)面謁(めんゑつ)を遂(とけ)心事(しんじ)啓達(けいたつ)す可(へき)也/何樣遂二面謁ヲ一心事可二啓達ス一也何樣とハいつれどのやなどゝいふかことし。面謁の注前に見へたり。啓達ハ申入るゝ事也。〔99オ五・六〕
とあって、この標記語「啓達」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
才覚(さいかく)の爲(ため)示(しめ)し給(たま)ふ可(へ)き也(なり)稽古(けいこ)の為(ため)巨細(こさい)承(うけたまハ)り度(た)く候(さぶら)ふ何樣(なにさま)面謁(めんゑつ)を遂(と)げ心事(しんじ)啓達(けいたつ)す可き也(なり)恐々(きやう/\)謹言(きんけん)/爲二才覚一可キ二示給フ一也爲二稽古ノ一巨細承テ二度ク候フ何樣遂ケ二面謁ヲ一心事可キ二啓達ス一也恐々謹言▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔73オ六〕
為(ため)二才覚(さいかく)の一可(べき)二示給(しめしたま)ふ一也(なり)為(ため)二稽古(けいこ)の一巨細(こさい)承(うけたまハり)度(たく)候(さふら)ふ何樣(なにさま)遂(とげ)二面謁(めんえつ)を一心事(しんじ)可(べき)二啓達(けいたつ)す一也(なり)恐々(きよう/\)謹言(きんけん)▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔131ウ二〕
Qeitat.ケイタツ(啓達) 書状を与えること,または,送ること.例,Vazato qeitat xexime soro.(態と啓達せしめ候)わざわざこの書状を送ります.〔邦訳483l〕
けい-たつ〔名〕【啓達】申し入るること。庭訓往來、十二月「何樣遂二面謁一、心中可二啓達一也」〔599-1〕
承(ウケタマハル) 。奉(同) 。〔元亀二年本185三〕〔静嘉堂本208五〕
承(ウケタマワル) 。奉(同) 。〔天正十七年本中33オ八〕〔西來寺本〕
爲稽古巨細承度候也何樣遂面謁心事可啓承也恐々謹言〔至徳三年本〕
爲稽古巨細奉度候也何樣遂面謁心事可啓承也恐々謹言〔宝徳三年本〕
爲稽古巨細承度候也何樣遂面謁心事可啓奉也恐々謹言〔建部傳内本〕
爲二稽古ノ一巨細承リ二度候何樣遂ケ二面謁ヲ一心事可二啓達ス一也恐々謹言〔山田俊雄藏本〕
爲ニ二稽古ノ一巨細承リ度ク候何樣遂ケ二面謁ヲ一心事可二啓承ワル一也恐々謹言〔経覺筆本〕
爲ニレ稽古(ケイコ)ノ一巨細承度候也何(イカ)樣遂(トケ)レ面謁(メンエツ)ヲ一心( ン)事可キ二啓承(ケイせウ){マウシ}一也恐々謹言〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「承度」と記載する。
承 ウケタマハル。奉聽共請 已上同。〔黒川本・辞字門中53オ八〕
奉 ウケタマハル。聽。共。請 已上同。〔卷第五・辞字門187二・三〕
承度(ウケタマワリタク・ノリ/シヨウ・タビ・ハカル)[平・去] 。〔態藝門480六〕
承(ウケタマハル) 。〔弘・言語進退門151一〕
奉(ウケタマハル) 。承(同) 。〔永・言語門123四〕
奉(ウケタマハル)承。〔両・言語門137五〕
奉(ウケタマハル) 。承(同) 。〔言語門120三・天理図書館蔵上60ウ三〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』に標記語「承度」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
738沙弥{汰カ}爲‖才覚ノ|可‖示給也爲‖稽古ノ|巨細承度候何樣遂‖面謁|心亊可‖啓(―)シ承|候恐々謹言〔謙堂文庫蔵六三右B〕
とあって、標記語「承度」の語を収載する。
巨細(コサイ)承度(ウケタマハリタク)候也何樣(ナニサマ)遂(トケ)‖面謁(メンエツ)ヲ|心事(シンジ)可(ベク)‖啓達(ケイダツ)ス|候也巨細(コサイ)ハ。前ニ註(シル)ス。〔下39ウ五・六〕
巨細(こさい)承(うけゐ)り度(たく)候也/巨細承度候也上の句と意味一様なり。但し上の句ハ彼か教ん事を願ひ此句ハ己に更るをいえり。稽古巨細の注皆前に出す。〔99オ四・五〕
とあって、この標記語「承度」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
才覚(さいかく)の爲(ため)示(しめ)し給(たま)ふ可(へ)き也(なり)稽古(けいこ)の為(ため)巨細(こさい)承(うけたまハ)り度(た)く候(さぶら)ふ何樣(なにさま)面謁(めんゑつ)を遂(と)げ心事(しんじ)啓達(けいたつ)す可き也(なり)恐々(きやう/\)謹言(きんけん)/爲二才覚一可キ二示給フ一也爲二稽古ノ一巨細承テ二度ク候フ何樣遂ケ二面謁ヲ一心事可キ二啓達ス一也恐々謹言▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔73オ六〕
為(ため)二才覚(さいかく)の一可(べき)二示給(しめしたま)ふ一也(なり)為(ため)二稽古(けいこ)の一巨細(こさい)承(うけたまハり)度(たく)候(さふら)ふ何樣(なにさま)遂(とげ)二面謁(めんえつ)を一心事(しんじ)可(べき)二啓達(けいたつ)す一也(なり)恐々(きよう/\)謹言(きんけん)▲府邊ハ府中(ふちう)と云に同じ。府ハ將軍(しやうぐん)の幕府(ばくふ)也。〔131ウ二〕
Vqetamauari,ru,atta.ウケタマハリ,ル,ッタ(承り,る,ッた) “聞く”という意味であって,話す相手を尊敬して言う語.→次条.〔邦訳730l〕
†Vqetamauari,ru,atta.*ウケタマハリ,ル,ッタ(承り,る,ッた) ¶また,尊敬すべき人に関することを聞く.→Men(面);Vqetamo<ri,ru.〔邦訳730l〕
うけたまは・る・ル・レ・ラ・リ・レ〔他動、四〕【承】〔受け賜はるの義〕(一)受くの敬語。奉承。~武紀、八「祇承(ウケタマハリ)二夢訓一、依以將レ行」崇~紀、四年十月「朕奉二承(ウケタマハリ)大運一、愛二育黎元一」(二)轉じて、聴くの敬語。拝聞。~功攝政前紀、註「願欲レ知(ウケタマハラム)二其名一」雄略紀、元年三月「臣聞(ウケタマハル)」〔227-5〕
判官(ハウグワン) 唐名廷尉(テイイ)。〔元亀二年本25四〕
判官 廷尉ノ下司。〔静嘉堂本23一〕
判官(ハウクワン) 廷尉ノ下司。〔天正十七年本上12ウ四〕〔西來寺本〕
且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕
且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕
且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕
且ハ任國(ニン )ノ之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行ノ府邊(フヘン)ノ被官ノ輩景勢着任(チヤクワウ)着府ノ儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)之(ノ)饗膳(キヨウぜン)厨(クリヤ)ノ規式兩樣ノ納法郡司判官代等ノ沙汰爲ニ二才覚ノ一可示シ給一也〔山田俊雄藏本〕
且ハ任國(ニン )之間在廳( チヤウ)ノ官人(クワン )等ノ所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)ノ輩ノ氣勢着任(チヤクニン)着府ノ儀式官使( シ)大奏ノ饗膳厨ノ規式兩樣ノ納法郡司( シ)判官代等ノ沙汰為ニ二才覚ノ一可キ二示(シメシ)給ル一也〔経覺筆本〕
旦任国(ニンコク)之(ノ)際。在廳(サイチヤウ)官人(クワン )等ノ所行(シヨキヤウ)。府邊(フヘン)。被官(ヒクワン)ノ輩(トモカラ)景勢(ケイセイ)。着任(チヤクニン)。着府(チヤクフ)ノ儀式(キシキ)。官使(クワンジ)大奏( ソウ)之(ノ)饗膳(キヤウせン)。厨(クリヤ)ノ規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)。納法(ナツハウ)。郡司(グンシ)。判官代(ハウクワン )等ノ沙汰。爲(タメ)ニレ才覚(サイカク)ノ一可レ示(シメシ)給一也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「判官代」と表記し、訓みは文明四年本に「ハウクワン(ダイ)」と記載する。
判官代(ハウグワンタイ) 司直(シチヨク)。〔官位門14六・天理図書館蔵上7ウ六〕
このように、上記当代の古辞書においては、易林本『節用集』に標記語「判官代」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
737納法郡司判官代等(トウ) 代ハ丞殿也。扶(タスケ)テ云心也。〔謙堂文庫蔵六三右B〕
とあって、標記語「判官代」の語を収載する。
兩樣納法(ナツハフ)ノ郡司(グンシ)判官代(ハンクハンダイ)等ノ沙汰(サタ)爲(タメ)ニ二才覚(サイカク)ノ一可キ二示シ給(タマハ)ル也爲(タメ)ニ二稽古(ケイコ)ノ一兩樣納法ハ。米銭(コメせニ)ノ納(ヲサ)メ口也。〔下39ウ四・五〕
郡司(ぐんじ)判官(はんくわん)代(たい)等(とう)の沙汰(さた)/郡司判官代等ノ沙汰郡司ハ一部の代官也。判官代ハ事の判断する役也。明法道の少奉(せうふ)是に任す。沙汰の注七月晦日の書状に見へたり。〔98ウ8〜99オ一〕
とあって、この標記語「判官代」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
且(かつ)住國(ぢうこく)之(の)(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)等(ら)の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)厨(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納烹(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)代(だい)等(とう)の沙汰(さた)/且住國之間。在廳ノ官人等所行府邊被官ノ輩ノ形勢。着任着府儀式。官使大奏之ノ饗膳。厨規式。兩樣ノ納法。郡司判官代等ノ沙汰▲判官代ハ長官(ちやうくわん)次官(しくわん)に代りて廰内(ちやうだい)を糺判(きうはん)する義。但(たゞ)し爰(こゝ)にいふ所ハ年貢(ねんぐ)の勘定方(かんぢやうかた)を指(さ)せる也。〔73オ一、73オ五〕
且(かつ)住國(ぢうこく)之(の)間(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)等(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)の輩(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)の饗膳(きやうぜん)厨(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)代(だい)等(とう)の沙汰(さた)▲判官代ハ長官(ちやうくわん)次官(じくわん)に代(かハ)りて廰内(ちやうだい)を糺判(きうはん)する義。但(たゞ)し爰(こゝ)にいふ所ハ年貢(ねんぐ)の勘定方(かんぢやうかた)を指(さ)せるなり。〔130ウ六、131オ五・六〕
Fabacari.ハンクヮンダイ(判官代) .〔邦訳r〕
はんぐゎん-だい〔名〕【判官代】院(ゐん)の廰の官名。はうくゎんだい(判官代)の條の(一)に同じ。〔1621-5〕
はうぐゎん-だい〔名〕【判官代】(一)院廰に奉仕する判官の稱。名目抄「判官代(ハウグワンダイ)、五位」日本紀略、後編、三、天暦二年二月五日「於院、定二判官代一」榮花物語、三、樣樣悦「ここらのとしごろ、なれつかうまつりつるそうぞく、殿上人、判官代、涙をながしまどひたる、云はんかたなし」(二)中古、國衙、庄園にて、專ら田政の事を掌らしめたる職。保元物語、一、新院被レ召二爲義一事「近江國伊庭庄、美濃國青柳庄二箇所を賜って、即ち判官代に補して、上北面に候すべき由」〔1555-3〕
群(郡)司(ジ) 。〔元亀二年本189六〕
郡司(シ) 。〔静嘉堂本213三〕〔天正十七年本中36オ三〕
且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着府儀式官使大奏之饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示賜也〔至徳三年本〕
且任國之際在廳官人等所行府邊被官輩景勢着任着符((府))儀式官使大奏之饗膳厨現((規))式兩樣納法郡司判官代等沙汰爲才覺可示給也〔宝徳三年本〕
且任國之際在廳官人等所行府邊被官之輩景勢着任着府儀式官使大奏饗膳厨規式兩樣納法郡司判官代等沙汰為才覚可示給也〔建部傳内本〕
且ハ任國(ニン )ノ之間在廳(ザイチヤウ)官人等所行ノ府邊(フヘン)ノ被官ノ輩景勢着任(チヤクワウ)着府ノ儀式官使( ヂウ)大奏( さウ)之(ノ)饗膳(キヨウぜン)厨(クリヤ)ノ規式兩樣ノ納法郡司判官代等ノ沙汰爲ニ二才覚ノ一可示シ給一也〔山田俊雄藏本〕
且ハ任國(ニン )之間在廳( チヤウ)ノ官人(クワン )等ノ所行府邊(フヘン)被官(ヒクワン)ノ輩ノ氣勢着任(チヤクニン)着府ノ儀式官使( シ)大奏ノ饗膳厨ノ規式兩樣ノ納法郡司( シ)判官代等ノ沙汰為ニ二才覚ノ一可キ二示(シメシ)給ル一也〔経覺筆本〕
旦任国(ニンコク)之(ノ)際。在廳(サイチヤウ)官人(クワン )等ノ所行(シヨキヤウ)。府邊(フヘン)。被官(ヒクワン)ノ輩(トモカラ)景勢(ケイセイ)。着任(チヤクニン)。着府(チヤクフ)ノ儀式(キシキ)。官使(クワンジ)大奏( ソウ)之(ノ)饗膳(キヤウせン)。厨(クリヤ)ノ規式(ギ )兩樣(リヤウヤウ)。納法(ナツハウ)。郡司(グンシ)。判官代(ハウクワン )等ノ沙汰。爲(タメ)ニレ才覚(サイカク)ノ一可レ示(シメシ)給一也〔文明四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「郡司」と表記し、訓みは経覺筆本に「(グン)シ」、文明四年本に「グンシ」と記載する。
郡司 クンシ。〔黒川本・官職門中82オ一〕
郡司 。〔卷第六・官職門492三〕
郡司(グンシ/コホリ、ツカサ)[去・平] 。〔態藝門501二〕
このように、上記当代の古辞書においては、広本『節用集』・『運歩色葉集』に標記語「郡司」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。
737納法郡司判官代等(トウ) 代ハ丞殿也。扶(タスケ)テ云心也。〔謙堂文庫蔵六三右B〕
とあって、標記語「郡司」の語を収載する。
兩樣納法(ナツハフ)ノ郡司(グンシ)判官代(ハンクハンダイ)等ノ沙汰(サタ)爲(タメ)ニ二才覚(サイカク)ノ一可キ二示シ給(タマハ)ル也爲(タメ)ニ二稽古(ケイコ)ノ一兩樣納法ハ。米銭(コメせニ)ノ納(ヲサ)メ口也。〔下39ウ四・五〕
郡司(ぐんじ)判官(はんくわん)代(だい)等(とう)の沙汰(さた)/郡司判官代等ノ沙汰郡司ハ一郡の代官也。判官代ハ事の判断(はんたん)する役也。明法道(めうほうたう)の少奉(せうふ)是に任す。沙汰の注七月晦日の書状に見へたり。〔98ウ八〜99オ一〕
とあって、この標記語「郡司」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
且(かつ)住國(ぢうこく)之(の)(あいだ)在廳(ざいちやう)の官人(くハんにん)等(ら)の所行(しよぎやう)府邊(ふべん)被官(ひくハん)乃輩(ともがら)の形勢(ぎやうせい)着任(ちやくにん)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くハんし)大奏(だいそう)の饗膳(きやうぜん)厨(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)乃納烹(なつぼふ)郡司(ぐんし)判官(はんくハん)代(だい)等(とう)の沙汰(さた)/且住國之間。在廳ノ官人等所行府邊被官ノ輩ノ形勢。着任着府儀式。官使大奏之ノ饗膳。厨規式。兩樣ノ納法。郡司判官代等ノ沙汰▲郡司ハ郡縣(こほりあがた)を司(つかさど)る官也。〔73オ一、73オ五〕
且(かつ)住國(ぢうこく)之(の)間(あひだ)在廳(ざいちやう)官人(くわんにん)等(らの)所行(しよぎやう)府邊(ふへん)被官(ひくわん)の輩(ともがら)形勢(ぎやうせい)着府(ちやくふ)の儀式(ぎしき)官使(くわんし)大奏(たいそう)の饗膳(きやうぜん)厨(くりや)の規式(きしき)兩樣(りやうやう)納法(なつほふ)郡司(ぐんし)判官(はんくわん)代(だい)等(とう)の沙汰(さた)▲郡司ハ郡縣(こほりあがた)を司(つかさど)る官也。〔130ウ六、131オ五〕
Gunxi.グンシ(郡司) Couorino tcucasa.(郡の司)国の中の一地区〔郡をさす〕の首長.〔邦訳312r〕
ぐん-じ〔名〕【郡司】(一)こほりのつかさ。古へ、一郡を統治する官。其政廰を、郡家(グウケ)と云ふ。(元の郡長、郡役所、の如し)四等の官は、大領(かみ)、少領(すけ)、主政(ジヨウ)、主帳(サクワン)、なり、大郡、上郡、中郡、下郡、小郡、にて、人員に差あり。郡司を選任する時は、國司、先づ、候補者を立てて、上申し、式部省にて試問し、及第したる者を任ず、これを、擬郡司(ぎぐんじ)と云ふ。大領(ダイリヤウ)を、おほいこほりのみやつこと云ひ、少領(セウリヤウ)を、すけのみやつこと云ふ。續日本紀、一、文武天皇二年三月「筑前國宗形(むなかた)、出雲國意宇(おう)、二郡司、云云、任二諸國郡司一、因詔、諸國司等、銓二擬郡司一、勿レ有二偏黨一、云云」(二)專ら、大領(ダイリヤウ)の稱。宇治拾遺物語、九、第一條「郡の司に宿を取れり、主の郡司は、云云」〔548-1〕
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