2005年12月01日から12月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
 
 
 
 
2005年12月31日(土)晴れ。東京→伊豆(河津)
請文(うけぶみ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、「請人(ウケニン)。請取(トル)。請加(クハヘ)。請状(ジヤウ)。請緒(ヲ)(ウツボ)」の六語を収載し、標記語「請文」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

別納直進請文〔至徳三年本〕

別納直進請文〔宝徳三年本〕

別納直進請文〔建部傳内本〕

別納直進請文〔山田俊雄藏本〕

別納(ヘツ  )直進(チキ  )請文〔経覺筆本〕

別納(ヘツナフ)直進(チキシン)請文(ウケフミ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「請文」と表記し、訓みは文明四年本に「うけふみ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「請文」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「請文」の語は未収載にする。また、易林本節用集』及び饅頭屋本節用集』には、

請喜(ウケヨロコフ) ―文(ブン)。―人(ニン)。―手()。―取(トル)〔易林・言辞門84六、天理図書館藏上60オ四〕

請文(ウケブミ) 〔饅頭・言辞門84六〕

とあって、饅頭屋本に標記語「請文」と易林に熟語群でのこの語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、饅頭屋本節用集』に標記語「請文」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

759濟-(−レイ)-納直- 本代官-促別人別納直進ニハ別納也。爲百姓直進也。〔謙堂文庫蔵六四左F〕

とあって、標記語「請文」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

直進(ヂキシンノ)請文(ウケブミ)直進ハ庭中ナリ。〔下42オ三〕

とあって、標記語「請文」の語を収載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

別納(へつのう)直進(じきしん)請文(うけぶミ)別納直進請文別納とハ定式の外に収る物を云。直(しき)ハ高直(かうしき)下直(げじき)直段(ねしめ)の直(しき)にて價(あたい)の事ゆへ直進とハ金納(きんなう)の事也。請文は交取書の事なり〔102オ一・二〕

とあって、この標記語「請文」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

別納(へつなふ)直進(ちきしん)請文(うけぶミ)別納直進請文〔75ウ一〕

別納(べつなう)直進(ぢきしん)請文(うけぶミ)〔135オ五〕

とあって、標記語「請文」の語を収載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vqejo<.l,Vqebumi.ウケブミ(請文) ある尊敬すべき人から返事として来る書状.*請文とは,身分の上の者に対する承諾の返書であって,差出人と受取人との関係が入れ違っている.→Vqejo<.〔邦訳729l〕

とあって、標記語「請文」の語を収載し、意味は「ある尊敬すべき人から返事として来る書状.*請文とは,身分の上の者に対する承諾の返書であって,差出人と受取人との関係が入れ違っている」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うけ-ぶみ〔名〕【請文】命(おふせ)を承りたる由を記せる文書。ウケショ。古今著聞集、二、釋教「領状の請文、書きて奉る」〔一381-1〕

とあって、標記語「うけ-ぶみ請文】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「うけ-ぶみ請文】〔名〕
@文書の受取状。命令、契約、諮問などの文書に対して承服、承認、答申の文言を記す。散状。⇔宛文(あてぶみ)。Aあることを発意して、それを誤りなく履行することを請け合うために差し出す文書。中世、請負を願い出るような場合に多く用いた。請負契約書」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
彼東條御厨事、先日雖被付、御寄進状去年十一月、禰宜等、捧請文〈云云〉《訓み下し》彼ノ東条ノ御厨ノ事ハ、先日御寄進ノ状ヲ付ケラルト雖モ、去年十一月ニ、祢宜等、請文(ウケブミ)ヲ捧グト〈云云〉。《『吾妻鑑』元暦元年五月三日の条》
 
 
2005年12月30日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
直進(ヂキシン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「知」部に、「直奏(ヂキソウ)。直納(ナウ)。直務()。直札(サツ)。直書(シヨ)。直談(ダン)。直傳(テン)。直面(メン)。直報(ホウ)。直(ドツ)。直第(テイ)。直参(サン)。直入(ニウ)。直下()」の語を収載し、標記語「別納」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

別納直進請文〔至徳三年本〕

別納直進請文〔宝徳三年本〕

別納直進請文〔建部傳内本〕

別納直進請文〔山田俊雄藏本〕

別納(ヘツ  )直進(チキ  )請文〔経覺筆本〕

別納(ヘツナフ)直進(チキシン)請文(ウケフミ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「直進」と表記し、訓みは経覺筆本に「チキ(シン)」、文明四年本に「チキシン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「直進」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「直進」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

直進(ヂキシンチヨク・ナヲシ、スヽム)[入・去] 。〔態藝門163七〕

とあって、標記語「直進」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

直進(ヂキシン) ・言語進退門54二〕

直進(チキシン) ―務()。―訴。―入。―奏。―談(ダン)・言語門54三〕

直進(チキシン) ―務。―訴。―入。―奏。―談。―納・言語門48九〕 

直進(ヂキシン) ―務。―訴。―入。―奏。―談・言語門57八〕

とあって、標記語「直進」の語を収載する。易林本節用集』に、

直進(  シン) 〔言語門54四・天理図書館蔵上27ウ四〕

とあって、標記語「直進」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「直進」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

759濟-(−レイ)-- 本代官-促別人別納直進ニハ別納也。爲百姓直進也。〔謙堂文庫蔵六四左F〕

とあって、標記語「直進」の語を収載し、「秋合の錦等を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

直進(ヂキシンノ)請文(ウケブミ)直進ハ庭中ナリ。〔下42オ三〕

とあって、標記語「直進」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

別納(へつのう)直進(じきしん)の請文(うけぶミ)別納直進請文別納とハ定式の外に収る物を云。(しき)ハ高直(かうしき)下直(げじき)直段(ねしめ)の直(しき)にて價(あたい)の事ゆへ直進とハ金納(きんなう)の事也。請文は交取書の事なり。〔102オ一・二〕

とあって、この標記語「直進」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

別納(へつなふ)直進(ちきしん)乃請文(うけぶミ)別納直進請文▲別納直進ハ代官(たいくハん)をさしおき別人を以て納(をさ)むるを云。君(きミ)にとりてハ別納百姓(  しやう)にとりてハ直進也。〔75ウ一、75ウ五・六〕

別納(べつなう)直進(ぢきしん)請文(うけぶミ)▲別納直進ハ代官をさしおき別(べつ)人を以て納(をさ)むるを云。君(きミ)にとりてハ別納百姓(ひやくしやう)にとりてハ直進也。〔135オ五、135ウ五〕

とあって、標記語「直進」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「直進」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版には、「ちょく-しん〔名〕【直進】」しかなく、標記語「()-しん直進】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
諸人官爵事者、家督之仁、存知其宮仕勞、可執申之、於直進款状者、奉行人、不可及披露之由、被仰定之《訓み下し》諸人官爵ノ事ハ、家督ノ仁、其ノ宮仕(官仕)ノ労ヲ存ジ知ツテ、之ヲ執シ申スベシ、直進(ヂキ  )ノ款状ニ於テハ、奉行人、披露ニ及ブベカラザルノ由、之ヲ仰セ定メラル。《『吾妻鑑』建保二年十二月十二日の条》
 
 
2005年12月29日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
別納(ベチナフ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遍」部に、「別駕(ベツカ)權之介唐名。別墅(シヨ)。別紙()。別當(タウ)唐名。別心。別各。別離。別段。別業。別調。別作。別火。別傳。別山。別院。別足 雉事也。三条院御夾野雉取鷹尋鷹逸物合之雉一足也。院曰−−也。左足。庖丁而献之今習」の十六語を収載し、標記語「別納」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

別納直進請文〔至徳三年本〕

別納直進請文〔宝徳三年本〕

別納直進請文〔建部傳内本〕

別納直進請文〔山田俊雄藏本〕

別納(ヘツ  )直進(チキ  )請文〔経覺筆本〕

別納(ヘツナフ)直進(チキシン)請文(ウケフミ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「別納」と表記し、訓みは経覺筆本に「ヘツ(ナフ)」、文明四年本に「ヘツナフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「別納」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「別納」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

別納(ベチナフワカレ、ヲサム)[入・入] 。〔態藝門172四〕

とあって、標記語「別納」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

別儀(ベツギ)(ヘツキヨ)。―離()。―行()。―腹。―納(ナフ)。―段(タン)。―家()・言語門38九〕

別儀(ベツギ)。―離。―行。―腹。―納。―段。―家。―火・言語門35九〕 

とあって、標記語「別納」の語を収載する。易林本節用集』に、標記語「別納」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「別納」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

759濟-(−レイ)-- 本代官-促別人別納直進ニハ別納也。爲百姓直進也。〔謙堂文庫蔵六四左F〕

とあって、標記語「別納」の語を収載し、「秋合の錦等を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

別納(ベチナウ)トハ。名()ニ依テ納物(ヲサメモノ)ノカハル也。〔下42オ三〕

とあって、標記語「別納」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

別納(へつのう)直進(じきしん)の請文(うけぶミ)別納直進請文別納とハ定式の外に収る物を云。直(しき)ハ高直(かうしき)下直(げじき)直段(ねしめ)の直(しき)にて價(あたい)の事ゆへ直進とハ金納(きんなう)の事也。請文は交取書の事なり。〔102オ一・二〕

とあって、この標記語「別納」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

別納(へつなふ)直進(ちきしん)乃請文(うけぶミ)別納直進請文▲別納直進ハ代官(たいくハん)をさしおき別人を以て納(をさ)むるを云。君(きミ)にとりてハ別納百姓(  しやう)にとりてハ直進也。〔75ウ一、75ウ五・六〕

別納(べつなう)直進(ぢきしん)請文(うけぶミ)▲別納直進ハ代官をさしおき別(べつ)人を以て納(をさ)むるを云。君(きミ)にとりてハ別納百姓(ひやくしやう)にとりてハ直進也。〔135オ五、135ウ五〕

とあって、標記語「別納」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「別納」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

べつ-なふ〔名〕【別納】(一)鎌倉時代、名主が地頭の手をからず、年貢を取立て、幕府に納むること。吾妻鏡、二、養和元年五月廿三日「不庄公別納之地、今明日内、可進工匠之旨、被遺安房國在廰等之中(二)別にして納むること。「切手別納郵便」〔717-4〕

とあって、標記語「べつ-なふ別納】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「べち-のう別納】〔名〕(「べち」は「別」の呉音)@寝殿や対(つい)から離れて別に建てた家。物を納めるためのものであるが住居にも用いた。A「べちのうしょ(別納所)」の略。B別の時期、別の方法などで納めること。特に、中世、年貢を普通の手続きとは別の手続きで、徴収・上納したこと。また、その区域。べつのう」とあって、Bの意味として『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
且土用以前、爲被始作事不論庄公別納之地今明日内、可召進工匠之旨、被仰遣安房國在廳等之<云云>《訓み下し》且ハ土用以前ニ、作事ヲ始メラレンガ為ニ、庄公別納ノ地ヲ論ゼズ、今明日ノ内ニ、工匠ヲ召シ進ズベキノ旨、安房ノ国ノ在庁等ノ中ニ仰セ遣ハサルト〈云云〉。《『吾妻鑑』治承五年五月二十三日の条》
 
 
2005年12月28日(水)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
濟例(サイレイ・セイレイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、標記語「濟例」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御服貢絹調進准絹准布濟例〔至徳三年本〕

御服貢絹調進准絹准布濟例〔宝徳三年本〕

御服貢絹調進準絹準布濟例〔建部傳内本〕

御服()絹調進准絹(ジユン  )准布濟例〔山田俊雄藏本〕

御服貢絹調進凖絹(シユンケン)凖布濟例(セイ  )〔経覺筆本〕

御服貢絹(コウケン)調進(テウシン)准絹(シユンケン)准布(シユンフ)濟例(せイレイ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「濟例」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「セイ(レイ)」、文明四年本に「セイレイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「濟例」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「濟例」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「濟例」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

759濟-(−レイ)-納直- 本代官-促別人別納直進ニハ別納也。爲百姓直進也。〔謙堂文庫蔵六四左F〕

とあって、標記語「濟例」の語を収載し、「秋合の錦等を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

御服(コフク)貢絹(コウケン)調進(トヽノヘシンズ)準絹(ジユンケン)準布(ジユンフ)濟例(サイレイ)御服貢絹ハ。納所ノ処ニ綿絹(ワタキヌ)ヲ納(ヲサ)ムル事ナリ。准布(ジユンフ)シ申スナリ。〔下42オ一〕

とあって、標記語「濟例」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

准絹(じゆんけん)准布( ふ)濟例(さいれい)准絹准布濟例御服の絹の次なる品故准絹准布と云。濟例とハ毎年納來りし返り皆納終りたるを云。〔101ウ八〕

とあって、この標記語「濟例」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御服(ごふく)貢絹(こうけん)の調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)濟例(さいれい)御服貢絹調進準絹準布濟例〔75ウ一〕

御服(ごふく)貢絹(こうけん)調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)濟例(さいれい)〔135オ五〕

とあって、標記語「濟例」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「濟例」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さい-れい濟例】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さい-れい済例】〔名〕年貢まどの弁済の先例。~宮雑例集(1202-10頃)「済例。凡絹百六十疋、准米二百八十一石五斗八升」*高野山文書-宝治元年(1247)七月日・造外宮主典頼高言上案(大日本古文書三・八二九)「高野山領紀伊・備後両国神部訴申背建永・嘉禄済例、以文治以往証文妄致対捍無謂事」*庭訓往来(1394-1428頃)「取帳以下文書。済例納法之註文。可被召進也」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
大寺御封毎年三百餘斛事、既為済例、然去年前別当以非横之務、 《『東大寺図書館・未成卷文書』天喜三年九月八日の条、360-3・12/115》
 
 
2005年12月27日(火)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
準布・准布(ジュンフ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「準拠(キヨ)。凖擬()」の二語を収載するが、標記語「准布」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御服貢絹調進准絹准布濟例〔至徳三年本〕

御服貢絹調進准絹准布濟例〔宝徳三年本〕

御服貢絹調進準絹準布濟例〔建部傳内本〕

御服()絹調進准絹(ジユン  )准布濟例〔山田俊雄藏本〕

御服貢絹調進凖絹(シユンケン)凖布濟例(セイ  )〔経覺筆本〕

御服貢絹(コウケン)調進(テウシン)准絹(シユンケン)准布(シユンフ)濟例(せイレイ)〔文明四年本〕

と見え、建部傳内本経覺筆本は「準布」、至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・文明四年本に「准布」と表記し、訓みは文明四年本に「シユンフ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「准布」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「准布」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「准布」の語は未収載にして、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

758調進準(シユン)-- 絹布準擬シテ也。師御服。貢衣裳所也。依是準絹準布天子献也。自諸国云也。〔謙堂文庫蔵六四左E〕

とあって、標記語「准布」の語を収載し、「秋合の錦等を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

御服(コフク)貢絹(コウケン)調進(トヽノヘシンズ)準絹(ジユンケン)準布(ジユンフ)濟例(サイレイ)御服貢絹ハ。納所ノ処ニ綿絹(ワタキヌ)ヲ納(ヲサ)ムル事ナリ。准布(ジユンフ)シ申スナリ。〔下42オ一〕

とあって、標記語「准布」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

准絹(じゆんけん)准布( ふ)の濟例(さいれい)准絹准布濟例御服の絹の次なる品故准絹准布と云。濟例とハ毎年納來りし返り皆納終りたるを云。〔101ウ八〕

とあって、この標記語「准布」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御服(ごふく)貢絹(こうけん)の調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)の濟例(さいれい)御服貢絹調進準絹準布濟例▲準絹準布ハ絹(けん)布に準(なぞら)へて財(ざい)を納(をさ)むる也。〔75オ八、75ウ五〕

御服(ごふく)貢絹(こうけん)調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)濟例(さいれい)▲準絹準布ハ絹布(けんふ)に準(なぞら)へて財(ざい)を納(をさ)むる也。〔135オ四、135ウ五〕

とあって、標記語「準布」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「准布」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じゅん-〔名〕【准布】布の、價に、換算したるもの。賦役令「凡諸國貢獻物、云云、皆價」吾妻鏡、三十三、暦仁二年正月十一日「今日、陸奥國郡郷所當事、有沙汰、是、准布之例、沙汰人百姓等、私忘本進之備、好錢貨、所濟乃貢追年不法之由」同、脱漏、嘉禄二年八月一日「今日止准布、可銅錢之由被仰下、武州殊令沙汰申給、云云」〔1003-1〕

とあって、標記語「じゅん-准布】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じゅん-准布】〔名〕古く、物の価を布の量に換算したこと。また、その布」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
殊有御憐愍、爲修理、以准布二百段、奉加之給《訓み下し》殊ニ御憐愍有テ、修理ノ為ニ、准布(ジユンフ)二百段ヲ以テ、奉加シ給。《『吾妻鑑』建久二年九月十八日の条》
 
 
2005年12月26日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
準絹・准絹(ジュンケン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「準拠。凖擬」の二語を収載し、標記語「准絹準絹」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御服貢絹調進准絹准布濟例〔至徳三年本〕

御服貢絹調進准絹准布濟例〔宝徳三年本〕

御服貢絹調進準絹準布濟例〔建部傳内本〕

御服()絹調進准絹(ジユン  )准布濟例〔山田俊雄藏本〕

御服貢絹調進凖絹(シユンケン)凖布濟例(セイ  )〔経覺筆本〕

御服貢絹(コウケン)調進(テウシン)准絹(シユンケン)准布(シユンフ)濟例(せイレイ)〔文明四年本〕

と見え、経覺筆本に「準絹」、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・文明四年本に「准絹」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ジユン(ケン)」、経覺筆本・文明四年本に「シユンケン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「准絹」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「准絹」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「准絹」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

758調進(シユン)--布 絹布準擬シテ也。師御服。貢衣裳所也。依是準絹準布天子献也。自諸国云也。〔謙堂文庫蔵六四左E〕

とあって、標記語「凖絹」の語を収載し、「絹布に準に擬して銭を納むるなり。師の説は御服。貢は衣裳を上る所なり。是れに依りて準絹・準布は天子に擬し献るなり。諸国より納むるを云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

御服(コフク)貢絹(コウケン)調進(トヽノヘシンズ)準絹(ジユンケン)準布(ジユンフ)濟例(サイレイ)御服貢絹ハ。納所ノ処ニ綿絹(ワタキヌ)ヲ納(ヲサ)ムル事ナリ。准布(ジユンフ)シ申スナリ。〔下42オ一〕

とあって、標記語「準絹」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

准絹(じゆんけん)准布( ふ)の濟例(さいれい)准絹准布濟例御服の絹の次なる品故准絹准布と云。濟例とハ毎年納來りし返り皆納終りたるを云。〔101ウ八〕

とあって、この標記語「准絹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御服(ごふく)貢絹(こうけん)の調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)の濟例(さいれい)御服貢絹調進準絹準布濟例▲準絹準布ハ絹(けん)布に準(なぞら)へて財(ざい)を納(をさ)むる也。〔75オ八、75ウ五〕

御服(ごふく)貢絹(こうけん)調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)濟例(さいれい)▲準絹準布ハ絹布(けんふ)に準(なぞら)へて財(ざい)を納(をさ)むる也。〔135オ四、135ウ五〕

とあって、標記語「凖絹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「准絹」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「じゅん-けん准絹】」の語は未収載にする。依って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
段別見米弐斗并代准絹一疋等由分明也、康和四年三月……有何疑殆哉、又以准絹一疋、充弁見米二斗准米五斗代之條同以焉也 《『東大寺圖書館未成卷文書保安五年閏二月廿三日の条、15・10/62、64
 
 
2005年12月25日(日)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
調進(テウシン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、「調法(テウホウ)。調儀()。調略(リヤク)。調伏(ブク)。調菜(サイ)。調子(テウシ)。調合(ガウ)。調味(テウミ)。調練(レン)。調声(シヤウ)。調談(ダン)。調度()公方様御矢之事」の十二語を収載し、標記語「調進」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御服貢絹調進准絹准布濟例〔至徳三年本〕

御服貢絹調進准絹准布濟例〔宝徳三年本〕

御服貢絹調進準絹準布濟例〔建部傳内本〕

御服()調進准絹(ジユン  )准布濟例〔山田俊雄藏本〕

御服貢絹調進凖絹(シユンケン)凖布濟例(セイ  )〔経覺筆本〕

御服貢絹(コウケン)調進(テウシン)准絹(シユンケン)准布(シユンフ)濟例(せイレイ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「調進」と表記し、訓みは文明四年本に「テウシン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「調進」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「調進」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

調進(テウシン・シラベトヽノフ、スヽム)[平・去] 。〔態藝門732三〕

とあって、標記語「調進」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「調進」の語は未収載にする。易林本節用集』に、

調練(テウレン) ―法(ハフ)。―備()。―伏(ブク)。―味()―進(シン)。―子()。―菜(サイ)。―美()。―聲(シヤウ)。―和()〔言語門166二・天理図書館蔵下16オ二〕

とあって、標記語「調練」の熟語群として「調進」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』に標記語「調進」の語を収載し、また、熟語群としては易林本節用集』に収載があり、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

758調進(シユン)-絹準-布 絹布準擬シテ也。師御服。貢衣裳所也。依是準絹準布天子献也。自諸国云也。〔謙堂文庫蔵六四左E〕

とあって、標記語「調進」の語を収載し、「秋合の錦等を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

御服(コフク)貢絹(コウケン)調進(トヽノヘシンズ)準絹(ジユンケン)準布(ジユンフ)濟例(サイレイ)御服貢絹ハ。納所ノ処ニ綿絹(ワタキヌ)ヲ納(ヲサ)ムル事ナリ。准布(ジユンフ)シ申スナリ。〔下42オ一〕

とあって、標記語「調進」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御服(ごふく)貢絹(こうけん)調進(てうしん)御服貢絹調進。御服貢絹とハ上の御衣服となるミつきものゝよき絹(きぬ)也。調進とハ上へ奉るを云也。〔101ウ六・七〕

とあって、この標記語「調進」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御服(ごふく)貢絹(こうけん)調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)の濟例(さいれい)御服貢絹調進準絹準布濟例▲御服貢絹調進とハ年貢(ねんぐ)に絹(きぬ)を奉(たてまつ)る也。〔75オ八、75ウ五〕

御服(ごふく)貢絹(こうけん)調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)濟例(さいれい)▲御服貢絹調進とハ年貢(ねんぐ)に絹(きぬ)を奉(たてまつ)る也。〔135オ四、135ウ五〕

とあって、標記語「調進」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cho>xin.テウシン(調進) Totonoye xinzuru.(調へ進ずる)ある物を用意し,取り揃えて,それを進上すること,あるいは,捧げること.例,Cho>xin mo<su,l,suru.(調進申す,または,する)〔邦訳128r〕

とあって、標記語「調進」の語を収載し、意味は「」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

てう-しん〔名〕【調進】ととのへて、まゐらすること。注文の品をとりそろへて届くること。調達。太平記、四、妙法院二品親王事「遷幸以前に、先帝をば法皇に可成とて、香染の御衣を、武家より調進したりけれども〔1348-4〕

とあって、標記語「てう-しん調進】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「てう-しん調進】〔名〕ととのへて目上の人にさしあげること。注文に応じて物をつくり、貴人などに納めとどけること。一般に物を作って提供することをていねいにいう。調達」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又可調進綿衣之由、被仰豐嶋右馬允朝經之妻女〈云云〉《訓み下し》又綿衣ヲ調(トヽノ)ヘ進(マイ)ラスベキノ由、豊島ノ右馬ノ允朝経ガ妻女ニ仰セラルト〈云云〉。《『吾妻鑑』治承四年九月三日の条》
 
 
2005年12月24日(土)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
貢絹(コウケン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、標記語「貢絹」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御服貢絹調進准絹准布濟例〔至徳三年本〕

御服貢絹調進准絹准布濟例〔宝徳三年本〕

御服貢絹調進準絹準布濟例〔建部傳内本〕

御服()調進准絹(ジユン  )准布濟例〔山田俊雄藏本〕

御服貢絹調進凖絹(シユンケン)凖布濟例(セイ  )〔経覺筆本〕

御服貢絹(コウケン)調進(テウシン)准絹(シユンケン)准布(シユンフ)濟例(せイレイ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「貢絹」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ク(ケン)」、文明四年本に「コウケン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「貢絹」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「貢絹」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「貢絹」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

757御-貢絹(コウケン) 秋合錦等云也。〔謙堂文庫蔵六四左D〕

とあって、標記語「貢絹」の語を収載し、「秋合の錦等を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

御服(コフク)貢絹(コウケン)調進(トヽノヘシンズ)準絹(ジユンケン)準布(ジユンフ)濟例(サイレイ)御服貢絹ハ。納所ノ処ニ綿絹(ワタキヌ)ヲ納(ヲサ)ムル事ナリ。准布(ジユンフ)シ申スナリ。〔下42オ一〕

とあって、標記語「貢絹」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御服(ごふく)貢絹(こうけん)の調進(てうしん)御服貢絹調進。御服貢絹とハ上の御衣服となるミつきものゝよき絹(きぬ)也。調進とハ上へ奉るを云也。〔101ウ六・七〕

とあって、この標記語「貢絹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御服(ごふく)貢絹(こうけん)の調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)の濟例(さいれい)御服貢絹調進準絹準布濟例▲御服貢絹調進とハ年貢(ねんぐ)に絹(きぬ)を奉(たてまつ)る也。〔75オ八、75ウ五〕

御服(ごふく)貢絹(こうけん)調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)濟例(さいれい)▲御服貢絹調進とハ年貢(ねんぐ)に絹(きぬ)を奉(たてまつ)る也。〔135オ四、135ウ五〕

とあって、標記語「貢絹」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「貢絹」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「こう-けん貢絹】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こう-けん貢絹】〔名〕年貢(ねんぐ)として差し出す絹。みつぎものの絹。庭訓往来(1394−1428頃)「御服貢絹調進」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
 
 
2005年12月23日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
御服(ゴフク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、「御所(ゴシヨ)。御供(クウ)。御幸(カウ)。御器()。御諚(ジヤウ)。御惱(ノウ)。御符(フウ)。御殿(テン)。御亭(テイ)。御祐(ユウ)。御座()。御報(ホウ)。御書(シヨ)。御影(ゴカゲ)ミエイ。御縁(エン)」の十六語を収載し、標記語「御服」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

御服貢絹調進准絹准布濟例〔至徳三年本〕

御服貢絹調進准絹准布濟例〔宝徳三年本〕

御服貢絹調進準絹準布濟例〔建部傳内本〕

御服()絹調進准絹(ジユン  )准布濟例〔山田俊雄藏本〕

御服貢絹調進凖絹(シユンケン)凖布濟例(セイ  )〔経覺筆本〕

御服貢絹(コウケン)調進(テウシン)准絹(シユンケン)准布(シユンフ)濟例(せイレイ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「御服」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「御服」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「御服」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

御服(ゴフクギヨ・ヲサム、キル)[平去・入] 。〔絹布門660七〕

とあって、標記語「御服」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「御服」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「御服」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

757-貢絹(コウケン) 秋合錦等云也。〔謙堂文庫蔵六四左D〕

とあって、標記語「御服」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

御服(コフク)貢絹(コウケン)調進(トヽノヘシンズ)準絹(ジユンケン)準布(ジユンフ)濟例(サイレイ)御服貢絹ハ。納所ノ処ニ綿絹(ワタキヌ)ヲ納(ヲサ)ムル事ナリ。准布(ジユンフ)シ申スナリ。〔下42オ一〕

とあって、標記語「御服」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御服(ごふく)貢絹(こうけん)の調進(てうしん)御服貢絹調進。御服貢絹とハ上の御衣服となるミつきものゝよき絹(きぬ)也。調進とハ上へ奉るを云也。〔101ウ六・七〕

とあって、この標記語「御服」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御服(ごふく)貢絹(こうけん)の調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)の濟例(さいれい)御服貢絹調進準絹準布濟例▲御服貢絹調進とハ年貢(ねんぐ)に絹(きぬ)を奉(たてまつ)る也。〔75オ八、75ウ五〕

御服(ごふく)貢絹(こうけん)調進(てうしん)準絹(じゆんけん)準布(じゆんふ)濟例(さいれい)▲御服貢絹調進とハ年貢(ねんぐ)に絹(きぬ)を奉(たてまつ)る也。〔135オ四、135ウ五〕

とあって、標記語「御服」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「御服」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ふく〔名〕【御服】(一)主上、上皇の御衣服。縫殿寮式に、年中御服として、春夏秋冬の年料の御衣服、絹、綾、布、絲、等の事を細記せり。拾芥抄、中、末、院司「御服所、別當」山槐記、治承四年二月五日「初度御幸、直衣御裝束、自何處調進哉、御服所未定之閨A不審、云云、今度彌、關白被調進宜歟」(二)攝關、大臣の諸家にても、御服所を置きて、服飾の事を掌らしめたり。拾芥抄、中、末、院司「關白家、大臣家、大略、同攝關、云云、御服所、進物所」江戸城内の大奥にも、將軍、御臺所の服裝の事を掌る所を、御服の閧ニ云ひ、其掌る女中の稱ともしたり。(借字に、呉服など、記せり)〔717-4〕

とあって、標記語「-ふく御服】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ふく御服】〔名〕(「ご」は接頭語)@天皇や上皇、また、貴人などを敬ってその衣服をいう語。A「ごふくめん(御服綿)」に同じ。B仏に供える煎茶(せんちゃ)を敬っていう語」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
先々以彼年貢、被用御服、早々可有沙汰《訓み下し》先先彼ノ年貢ヲ以テ、御服(ゴフク)ニ用ヒラル、早早沙汰有ルベシ。《『吾妻鑑』文治二年六月九日の条》
 
 
2005年12月22日(木)曇り風強し。東京→世田谷(駒沢)
證跡(シヤウセキ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

證跡(ゼキ)〔元亀二年本352七〕

證跡〔静嘉堂本424七〕

とあって、標記語「證跡」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「證跡」と表記し、訓みは経覺筆本・文明四年本に「セウセキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「證跡」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・・易林本節用集』には、標記語「證跡」の語は未収載にする。

次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

證跡(シヨウゼキアラワス、アト)[去・入] 。〔態藝門943七〕

とあって、標記語「證跡」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

證跡(セウゼキ) ・言語進退門266七〕

證明(セウミヤウ)。―拠()―跡(ぜキ)・言語門226六〕

證明(セウミヤウ)。―拠。―状。―跡。―人・天地門213三〕 

とあって、弘治二年本に標記語「證跡」の語を収載し、他本は標記語「證明」の熟語群に「證跡」の語を記載する。易林本節用集』に標記語「證跡」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「證跡」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

756臨時之点-- 如昔可成云也。〔謙堂文庫蔵六四左D〕

とあって、標記語「證跡」の語を収載し、語注記に「昔の如く成るべきを云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「證跡」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)證跡(しようせき)名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔101ウ四・五〕

とあって、この標記語「證跡」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)の公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡▲臨時點役證跡ハ不時(ふし)にさし付か課役(くハやく)の先例(せんれい)をいふ也。〔75オ一、75オ七・八〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)▲臨時點役證跡ハ不時(ふじ)にさし付か課役(くハやく)の先例(せんれい)をいふ也。〔134ウ一、135オ四〕

とあって、標記語「證跡」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xo>jeqi.シヤウセキ(證跡) 過去の物事から残っている証拠,あるいは,痕跡.〔邦訳792l〕

とあって、標記語「證跡」の語を収載し、意味は「過去の物事から残っている証拠,あるいは,痕跡」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゃう-せき〔名〕【證跡】證據となる、痕(あと)(かた)「可證跡」〔1008-3〕

とあって、標記語「しゃう-せき證跡】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しゃう-せき證跡證蹟】〔名〕(「しょうぜき」とも)後に、そのことが事実、真実であることを証明する痕跡(こんせき)。証拠となるあとかた」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
其邊々不快之思多ラン物ヲバ、爭不被勘當哉證跡ナド候者、早可被申上將又高橋庄押領武士、任口申ヲバ、爲人不便、可令注申子細也《訓み下し》何様ニ下知セラレンヤ。其ノ辺辺*不快ノ思ヒ多カラン物ヲバ(*不快ニ思タラン物ヲバ)、争カ勘当セラレザランヤ。証跡(シヨウゼキ)ナド候ハ、早ク申シ上ゲラルベシ。《『吾妻鑑文治二年六月九日の条》
 
 
2005年12月21日(水)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
点役(テンヤク)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、「点札。點心(テンシン)。点検(ケン)。點定(テンヂヤウ)」の四語を収載し、標記語「点役」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「點役」と表記し、訓みは経覺筆本に「テンヤク」、を「テン(ヤク)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「点役」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「点役」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「点役」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

756臨時--跡 如昔可成云也。〔謙堂文庫蔵六四左D〕

とあって、標記語「点役」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「點役」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)名主百姓請取返抄臨時點役證跡點役とハあてらるゝ課役(くハやく)。證跡ハ證據(せうこ)といふかことし。〔101ウ五・六〕

とあって、この標記語「點役」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)の公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡▲臨時點役證跡ハ不時(ふし)にさし付か課役(くハやく)の先例(せんれい)をいふ也。〔75オ一、75オ七・八〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)▲臨時點役證跡ハ不時(ふじ)にさし付か課役(くハやく)の先例(せんれい)をいふ也。〔134ウ一、135オ四〕

とあって、標記語「點役」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「点役」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「てん-やく点役】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「てん-やく点役】〔名〕中世、臨時に課せられた雑税。大福寺文書-元徳三年(1331)二月八日・良範等連署寄進状(鎌倉遺文四〇・三一三四七)「於其外天役万雑事者、可停止也」*狩野亨吉氏所蔵文書−延文三年(1358)一一月二〇日・長阿土地売券「此外雖一塵、不万雑公事・臨時天役、但惣庄平均天役等者、任庄例沙汰」*太平記(14C後)一〇・新田義貞謀叛事「近国の庄園に、臨時の天役(ヤク)を被懸ける」*文明本節用集(室町中)「点役 テンヤク」*鎌倉北条九代記(1673)一一、回国使私欲非法「百姓を責虐し賦劒をおもく、点役(テンヤク)を滋くしければ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
 
 
2005年12月20日(火)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
返抄(ヘンセウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「邊」部に、「返報(ホウ)。返札(サツ)。返書(シヨ)。返状(ジヤウ)。返答(タウ)。返入(ニウ)。返滿(マン)。返事()。○。返述(ジユツ)。返曽(ソウ)。返風(フウ)カヘカゼヲ」の十一語を収載し、標記語「返抄」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「返抄」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「返抄」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「返抄」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「返抄」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

755名主百姓-- 々々言自百姓方年貢等悉納地頭書渡シテ上也。〔謙堂文庫蔵六四左C〕

とあって、標記語「返書」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「返抄」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)名主百姓請取返抄臨時點役證跡點役とハあてらるゝ課役(くハやく)也。證跡ハ證據(せうこ)といふかことし。〔101ウ五・六〕

とあって、この標記語「返抄」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)の公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡▲名主百姓請取返抄ハ年貢(ねんく)取渡(とりわた)し乃文書也。〔75オ一、75オ七〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)▲名主百姓請取返抄ハ年貢(ねんぐ)取渡(とりわた)し乃文書也。〔134ウ一、135オ三〕

とあって、標記語「返抄」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「返抄」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

へん-せう〔名〕【返抄】古へ、官府より命令を受けたる下僚の、其令を奉行し終わりたる時、其完了を官府に報告する文書。後には轉じて、諸國よりの納税などに對し、政府より出す受領書の如きものとなる。民部省式、下「凡諸國大帳、正税帳、損益者、主計、主税勘定畢、即可返抄之状申省、省修解進官、但調帳者、待收物訖乃送」主計寮式、下「凡去年勘出調庸物、令當年使咸皆填納、即收返抄安斎隨筆、四「返抄、今世、俗に云ふ受取證文なり、返抄は後日の證據になる物ある故、轉用傍通して、受取にあらざれども、後證文になるべき書き物を、返抄と云ふ事もあり」〔1816-3〕

とあって、標記語「へん-せう返抄】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「へん-しょう返抄】〔名〕@受取状。領収書。奈良・平安時代、官司に文書や帳簿類などを提出した時、それらに誤りがなければ受納され、その際交付される受納証明書を称することが多かった。また、文書や帳簿に物資や金銭の納入が伴う場合には員数の点検も行われたので、物資や金銭の領収書の意味を持ち、のち、次第にこの性質を強くしていった。A証明書。保証書」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
而豫州、奉寄附上人、々々雖辞、依不等閑、領納之後、爲令冨慰民戸、止乃貢、勸百姓、令唱彌陀寳號隨其數反、出返抄、用所濟〈云云〉《訓み下し》而ルニ予州、上人ニ寄附シ奉ル、上人辞スト雖モ(固辞スト雖モ)、等閑ナラザルニ依テ、領納ノ後、民戸ヲ富慰セシメン為ニ、乃貢ヲ止メ、百姓ヲ勧メ、弥陀ノ宝号ヲ唱ヘシメ、其ノ数反ニ随テ、返抄(ヘンセウ)ヲ出ダシ、所済ニ用フト〈云云〉。*日国Aの意味用例《『吾妻鑑』文治二(1186)年三月二十六日の条》
 
 
2005年12月19日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
請取(うけとり)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、

請取(トル)〔元亀二年本180一〕〔天正十七年本中29ウ八〕

請取(ウケドリ)〔静嘉堂本201五〕

とあって、標記語「請取」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「請取」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「請取」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「請取」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

請取(ウケトル・コウせイシユ)[平・上] 。〔態藝門478五〕

とあって、標記語「請取」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

請取(ウケトリ) ・言語進退門152二〕〔・言語門122八〕

請取(ウケトリ) ―乞・言語門112四〕 

請取(ウケトリ) ―乞(ゴウ)・言語門136八〕

とあって、標記語「請取」の語を収載する。易林本節用集』に、

請喜(ウケヨロコフ) ―文(ブミ)。―人(ニン)。―手()―取(トル)〔言辞門119四・天理図書館蔵上60オ四〕

とあって、標記語「請取」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「請取」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

755名主百姓--書 々々言自百姓方年貢等悉納地頭書渡シテ上也。〔謙堂文庫蔵六四左C〕

とあって、標記語「請取」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「請取」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔101ウ四・五〕

とあって、この標記語「請取」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)の公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡▲名主百姓請取返抄ハ年貢(ねんく)取渡(とりわた)し乃文書也。〔75オ一、75オ七〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)▲名主百姓請取返抄ハ年貢(ねんぐ)取渡(とりわた)し乃文書也。〔134ウ一、135オ三〕

とあって、標記語「請取」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vqetori.ウケトリ(請取り) 任務,または,受け持つ事柄.例,Coreua vaga vqetorigia.(これはわが請取りぢや)これは私に該当した事である.私の責任として引き受けた事である.〔邦訳730l〕

とあって、標記語「請取」の語を収載し、意味は「任務,または,受け持つ事柄」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うけ-とり〔名〕【請取】(一)うけとること。「請取に行く」(二)請取りたる由を記せる證書。領票收單〔428-4〕

とあって、標記語「うけ-とり請取】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「うけ-とり請取】〔名〕(「うけどり」とも)@受け取ること。手もとに引き渡されたものを手に入れること。A相手からの金銭、物品などを収めたしるしとして差し出す書き付け。受取証文。領収書。受領書。B引き受けたこと。また、その人。受持ち。担当。担任。C「うけおい(請負)」に同じ。⇔常雇(じょうやとい)。D物事を自分の考えで、こうこうだと認めること。理解。のみこみ。E「うけとりばん(請取番)」の略。F「うけとり(請取)の御献(ぎょこん)」の略」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
羽林、出逢御使、請取御馬〈云云〉《訓み下し》羽林、御使ニ出デ逢ヒ、御馬ヲ請ケ取ラルト〈云云〉。《『吾妻鑑』治承四年九月二十二日の条》
 
 
名主(なぬし)」は、(『庭訓往来註』TXT176)及び「755名主百姓-- 々々言自百姓方年貢等悉納地頭書渡シテ上也。〔謙堂文庫蔵六四左C〕」を参照。
百姓(ヒヤクシヤウ)」は、ことばの溜め池(1999・08.01)(2000.12.19)を参照。
 
2005年12月18日(日)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
充文宛文(あてぶみ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「安」部に、標記語「充文」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、宝徳三年本に「充文」、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「宛文」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「あてふみ」、経覺筆本・文明四年本に「あてぶみ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「充文」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「充文」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「充文」の語は未収載にし、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

754充文(アテ−ミ) ナル田地等?ナト交交書也。又自我已後如何樣義等是交書也。〔謙堂文庫蔵六四左B〕

とあって、標記語「充文」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「宛文」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)徴使給分交分宛文徴ハ召(めす)也。是ハ八月七日乃返状にいえる使節(しせつ)召符(めしふ)召文(めしふミ)の事なるへし。〔101ウ四・五〕

とあって、この標記語「宛文」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)の公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡▲宛文ハ何々(なに/\)を宛行(あておこな)ふなといふ文書也。〔75オ一、75オ七〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)▲宛文ハ何々(なに/\)を宛行(あておこな)ふなどいふ文書也。〔134ウ一、135オ三・四〕

とあって、標記語「充文」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Atebumi.l,atejo<.アテブミまたは,アテジャウ(充文.または,充状) 身分ある人に対して書かれる手紙であるが,彼に対する敬意から,その下位にある人に宛てて出し,その人から手紙の内容を当人に申しあげてもらうようにしたもの.→前条.〔邦訳37l〕

とあって、標記語「充文」の語を収載し、その意味上記の如く記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

あて-ぶみ〔名〕【充文】(一)其人に充てむとて、官より下す公文。北山抄、初任事「初任中少將者、下名之後、待兵部充文帶劔」朝野群載、八「民部省、位田充文(二)鎌倉、室町幕府時代には、多くは、土地を給與し、又は、其管理を任命する文書を云ふ。充行状(あておこなひじやう)とも云へり。吾妻鏡、建久元年六月二十九日「知行八箇國充文、并返抄等、載別目録進之、云云、尋充文候之處、如此所註申候也」、乃貢未進「可充文」〔一-92@〕

とあって、標記語「あて-ぶみ充文】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「あて-ぶみ宛文充文】〔名〕@物資、土地などを官から給与する場合の通達書。A官職などに補任する辞令。B荘園領主が、作人の申請に対し、特定土地の用益を割りあてる文書。←→請け文。C費用を割り当てる文書。割当高を記した文書。配符。D中世、所領をあてがう文書。あておこないじょう。あてがいじょう。E敬意を表するために、書状を受け取るべき人に直接宛てないでその下位の人に宛て、目的の人にその内容が伝わるようにした書状。F論義の課題となった経疏の文章」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
知行八箇國充文、并返抄等載別目録、注進之《訓み下し》知行八箇国ノ充文、并ニ返抄等。別ニ目録ニ載セ、之ヲ注シ進ズ。《『吾妻鑑』建久元年六月二十九日の条》
 
 
2005年12月17日(土)晴れ。東京→立川(高松・国立国語研究所)
交分(カウブン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「交代(カウダイ)」の一語を収載し、標記語「交分」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「交分」と表記し、訓みを山田俊雄藏本に「キヨ(ウブン)」、経覺筆本にカウ(ブン)」、文明四年本に「ケウ(ブン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

交分 ――分。〔黒川本・計部畳字門中99オ七〕

交分 カウフン。〔卷第・〕

とあって、標記語「交分」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「交分」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「交分」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

754充文(アテ−ミ) ナル田地等?ナト交交書也。又自我已後如何樣義等是交書也。〔謙堂文庫蔵六四左B〕

とあって、標記語「交分」の語は未収載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「交分」の語は未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)徴使給分交分宛文徴ハ召(めす)也。是ハ八月七日乃返状にいえる使節(しせつ)召符(めしふ)召文(めしふミ)の事なるへし。〔101ウ四・五〕

とあって、この標記語「交分」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)の公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡▲交文ハ未詳。若(もし)くハ採祿(きりまい)の割賦(わりふ)すへき類をいふにや。〔75オ二、75オ七〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)▲交文ハ未詳。若(もし)くハ採祿(きりまい)の割賦(わりふ)すへき類をいふにや。〔134ウ一、135オ二、三〕

とあって、標記語「交分」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「交分」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』も、標記語「かう-ぶん交分】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かう-ぶん交分】〔名〕まじわり。交際。色葉字類抄(1177-81)「交分 カウブン 交分分」*白居易-与元微之書「上報疾状、次序病心、終論平生交分」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
合査町字名千町 坪付在別紙/御地子段別五斗、本斗定、交分五升、右件田、依有要用、限直銭陸拾貫、永奉沽却于遍智院僧正(成賢)御房畢、於後代、更以不可有他妨、但、本券者、依爲類地、立新券之如如件、 《『醍醐寺文書』承久三年十一月日の条、203-3・1/196》
 
 
2005年12月16日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)→目黒
給分(キウブン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

給分(キウブン)〔元亀二年本283五〕〔静嘉堂本324四〕

とあって、標記語「給分」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「給分」、文明四年本に「回文」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「給分」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「給分」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

給分(キフブンタマワル、ワカツ)[入・平軽] 。〔態藝門826六〕

とあって、標記語「給分」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

給分(  ブン)・言語進退門221五〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「給分」の語を収載し、語注記に「恩」と記載する。易林本節用集』に、

給仕(キフジ) ―恩(オン)―分(ブン)。―田(デン)。―仕()〔言語門190二・天理図書館蔵下28オ二〕

とあって、標記語「給仕」の熟語群として「給分」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』、『運歩色葉集』などに標記語「給分」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

753郷司(カウカ/シ)ハ-引付徴使(テウシ/{ハタリツカトヨム也})定使- 々々本持タル所帯也。〔謙堂文庫蔵六四左A〕

とあって、標記語「給分」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「給分」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

徴使(ちやうし)定使(ちやうし)給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)徴使給分交分宛文徴ハ召(めす)也。是ハ八月七日乃返状にいえる使節(しせつ)召符(めしふ)召文(めしふミ)の事なるへし。〔101ウ四・五〕

とあって、この標記語「給分」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)の公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡▲徴使ハ臨時(りんし)の召使(めしつかひ)〔75オ一、75オ六〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)▲徴使ハ臨時(りんし)の召使(めしつかひ)〔134ウ一、135オ二〕

とあって、標記語「給分」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiu<bun.キュゥブン(給分) 給料,または,賃銀.¶Qiu<bunuo toru,l,das.(給分を取る,または,出す)この賃金を受け取る,または,支給する.〔邦訳510r〕

とあって、標記語「給分」の語を収載し、意味は「給料,または,賃銀」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きふ-ぶん〔名〕【給分】給與の高(たか)。給料。吾妻鏡、三十、嘉禎元年五月十三日「關東御家人給分」、蜷川親元記、寛政六年六月十二日「朝原給分御扶持(註、松井跡)事、被仰出畢」大内家壁書「寺社本所領并諸給分本願等」〔480-3〕

とあって、標記語「きふ-ぶん給分】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きう-ぶん給分】〔名〕一定の奉仕義務に対応して給与される土地、米銭。給与。@中世において、武家の主人が従者に与える給分、荘園領主が荘官に与える給分、本所が手工業者に与える給分など。A江戸時代、下級の役人、中間、小者、また、一般の奉公人に与える給料。BAを受ける身分の者」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
京中數箇所、有空地之由、聞食及之間、於關東御家人給分者、以使者、加巡檢《訓み下し》京中ニ数箇所、空地有ルノ由、聞シ食シ及ブノ間、関東ノ御家人ノ給分(キウブン)ニ於テハ、使者ヲ以テ、巡検ヲ加フ。《『吾妻鑑』文暦二(1235)年五月十三日の条》
 
 
2005年12月15日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
定使(ヂヤウシ・ヂヤウづかい)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

定使(ヅカイ)〔元亀二年本65九〕

定使(ツカイ)〔静嘉堂本77二〕〔天正十七年本上38ウ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「定使」の語を収載し、訓みを「(ヂヤウ)つかい」と記載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、山田俊雄藏本に「定役」、至徳三年本・建部傳内本経覺筆本・文明四年本に「定使」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「(ヂヤウ)ヤク」、経覺筆本に「(ヂヤウ)ツカイ」、文明四年本に「ヂヤウシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「定使」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「定使」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

定使(ヂヤウヅカイ/テイシ)[去・去] 。〔態藝門181六〕

とあって、標記語「定使」の語を収載し、訓みを「ヂヤウづかい」と記載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

定使(ヂヤウツカイ) ・人倫門49一〕

定使(ヂヤウヅカイ) ・言語門50二〕

定使(チヤウシ) ・天地門46一〕 

定使(チヤウツカイ) ・言語門54三〕

とあって、標記語「定使」の語を収載し、尭空本が「ヂヤウシ」他本は「ヂヤウシ」と訓んでいる。易林本節用集』に、

定使(チヤウシ) 〔人倫門48六・天理図書館蔵上24ウ六〕

とあって、標記語「定使」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「定使」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

753郷司(カウカ/シ)ハ-引付徴使(テウシ/{ハタリツカトヨム也})定使-分 々々本持タル所帯也。〔謙堂文庫蔵六四左A〕

とあって、標記語「定使」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「定使」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

徴使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)徴使給分交分宛文徴ハ召(めす)也。是ハ八月七日乃返状にいえる使節(しせつ)召符(めしふ)召文(めしふミ)の事なるへし。〔101ウ四・五〕

とあって、この標記語「定使」の語は未収載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)の公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡▲徴使ハ臨時(りんし)の召使(めしつかひ)〔75オ一、75オ六〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)▲徴使ハ臨時(りんし)の召使(めしつかひ)〔134ウ一、135オ二〕

とあって、標記語「定使」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gio<zzucai.ヂャゥヅカイ(定使) Sadamaritaru tcucai.(定まりたる使)伝言を伝えたり,用足しをしたりなどする特定の人.〔邦訳319r〕

とあって、標記語「定使」の語を収載し、意味は「Sadamaritaru tcucai.(定まりたる使)伝言を伝えたり,用足しをしたりなどする特定の人」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ぢゃう-定使】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じょう-定使】〔名〕中世、荘園・国衙領において、年貢・公事などの督促にあたった者。じょうづかい。*中右記-保安元年(1120)六月一七日「大驚付使庁所尋搦兼元丸也。件兼元先年為小泉庄定使之間、取清衡金馬檀紙等者也」*高野山文書-安貞二年(1228)四月日・高野衆徒置文(大日本古文書七・一五八四)「地頭入庄之剋、追出山上定使、苅取三町余作毛事」*新編追加-文暦二年(1235)七月二三日(中世法制史料集一・追加法八七)「至預所定使者、雖非拠、不別沙汰之間、依恐、国国所務嗷々之間」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
但庄庄所課、雖支配、不能國使之催促、早定使、可令相催庄家也《訓み下し》但シ庄庄ノ所課、支配スト雖モ、国使ノ催促ヲ能ハズ、早ク定使(ヂヤウシ)、庄家ニ相ヒ催サシムベキナリ。《『吾妻鑑』建久元年四月十九日の条》
 
 
2005年12月14日(水)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
徴使(テウシ・はたりのつかひ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部及び「弖」部に、標記語「徴使」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「徴使」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「テウジ」、経覺筆本・文明四年本に「テウシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「徴使」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「徴使」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「徴使」の語は未収載にし、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

753郷司(カウカ/シ)ハ-引付徴使(テウシ/{ハタリツカ(ヒ)トヨム也})定使-分 々々本持タル所帯也。〔謙堂文庫蔵六四左A〕

とあって、標記語「徴使」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「徴使」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)徴使給分交分宛文徴ハ召(めす)也。是ハ八月七日乃返状にいえる使節(しせつ)召符(めしふ)召文(めしふミ)の事なるへし。〔101ウ四・五〕

とあって、この標記語「徴使」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡▲徴使ハ臨時(りんし)の召使(めしつかひ)〔75オ一、75オ六〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)▲徴使ハ臨時(りんし)の召使(めしつかひ)〔134ウ一、135オ二〕

とあって、標記語「徴使」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「徴使」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、はたり-〔名〕【】古へ、郡司の下にて、貢賦を徴(はた)る職。貞觀三年十月十九日、立券文解(ハタリベ)正八位下俵知秦公千門」〔1587-5〕の語を収載するに留まる。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はたり-づかい徴使】〔名〕租税を徴収する使い」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
凡貿易本物、其罪不輕。正贓倍贓、宜急并滿。今勒風雲、發徴使。早速返報、不延廻。 勝寳元年十一月十二日。物所貿易下吏、謹訴貿易人斷官司 廰下《訓み下し》凡そ本物を貿易(まうやく)するは、其の罪輕(かろ)からず。正贓倍贓(しやうざうべいざう)、急(すみや)けく并せ滿(みた)すべし。今風雲に勒(ろく)して、徴使を發遣す。早速(すみやか)に返報して延廻すからず。 勝寳元年十一月十二日。物の貿易せらえし下吏、謹みて貿易の人斷する官司の廰下に訴(うるた)ふ。《『万葉集』卷第十八4128〜4131詞書の条》
 
 
公事(クジ)」は、ことばの溜め池(2001.10.22)を参照。
引付(ひきつけ)」は、ことばの溜め池(2003.05.30)を参照。
 
2005年12月13日(火)晴れ一時曇り。東京→世田谷(駒沢)
郷司(ゴウシ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

郷司〔元亀二年本65六〕

郷司〔静嘉堂本76六〕

郷司〔天正十七年本上38ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「郷司」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔至徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分((文))充分名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔宝徳三年本〕

下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔建部傳内本〕

下司郷司(コウシ)公事引付徴使(テウジ)定役(ヤク)給分(キウ  )交分(キヨ  )宛文(アテフミ)名主百姓請取返抄(  シヨウ)臨時點役證跡〔山田俊雄藏本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事引付徴使(テウシ)定使(  ツカイ)給分(キウ  )交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)〔経覺筆本〕

下司(ゲシ)郷司(カウシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)交分(ケウ  )宛文(アテブミ)名主百姓請取返抄(ヘンシヨ )臨時(リン  )點役(テン  )證跡(せウせキ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「郷司」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「コウシ」、経覺筆本・文明四年本に「カウシ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

郷司 カウシ黒川本・官職門上91ウ三〕

郷司 卷第四・官職門337五〕

とあって、標記語「郷司」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「郷司」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』にのみ標記語「郷司」の語は収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

753郷司(カウカ/シ)ハ-引付徴使(テウシ/{ハタリツカトヨム也})定使-分 々々本持タル所帯也。〔謙堂文庫蔵六四左A〕

とあって、標記語「郷司」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「郷司」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

下司(けし)郷司(かうし)公事(くじ)の引付(ひ つけ)下司郷司公事引付下司郷司ともに代官の類也。公事引付の事前に見へたり。〔101ウ三・四〕

とあって、この標記語「郷司」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

下司(けし)郷司(かうし)の公事(くじ)の引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ちやうし)乃給分(きうふん)交分(かうぶん)宛文(あてふミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやう)の請取(うけとり)返鈔(へんせう)臨時(りんし)點役(てんやく)乃證跡(しようせき)下司郷司公事引付徴使定使給分交分宛文名主百姓請取返抄臨時點役證跡〔75オ一〕

下司(げし)郷司(がうしの)公事(くじの)引付(ひきつけ)徴使(ちやうし)定使(ぢやうしの)給分(きふぶん)交分(かうぶん)宛文(あてぶミ)名主(なぬし)百姓(ひやくしやうの)請取(うけとり)返抄(へんせう)臨時(りんじ)點役(てんやくの)證跡(しようせき)〔134オ六〜134ウ一〕

とあって、標記語「郷司」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「郷司」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

がう-〔名〕【郷司】さとをさ。郷長(ガウチヤウ)に同じ。舊今昔物語集、十一、第三十一語「郡司、郷司等、集て云く」吾妻鏡、二、養和二年五月廿五日「古庄郷司近藤太」〔543-2〕

とあって、標記語「がう-郷司】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ごう-郷司】〔名〕(「ごうじ」とも)平安時代中期以降に置かれた国衙領の管理責任者。郷は、平安期には令制と異なり、郡と並列的な行政単位となる。この再編された郷の行政責任者をいう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍可召進武藏國淺草大工字郷司之旨、被下御書於彼所沙汰人等中《訓み下し》仍テ武蔵ノ国浅草ノ大工字ハ郷司(ガウシ)ヲ召シ進ズベキノ旨、御書ヲ彼ノ所ノ沙汰人等ノ中ニ下サル。《『吾妻鑑』治承五年七月三日の条》
 
 
下司(ゲス)」は、ことばの溜め池(2000.09.30)を参照。
 
2005年12月12日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
廻文(クワイブン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

回文(ブン)廻文(ブン)〔元亀二年本191五〕

回文(ブン)廻文()〔静嘉堂本216一・二〕

回文(フン)〔天正十七年本中37ウ一〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「回文廻文」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

國宰小目代催促廻文〔至徳三年本〕

國宰小目代催促廻文〔宝徳三年本〕

國宰小目代催促廻文〔建部傳内本〕

-宰小目代催促廻文〔山田俊雄藏本〕

國宰( サイ)小目代催促廻文〔経覺筆本〕

国宰(コクサイ)さい目代催促(サイソク)回文(クワイ )〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「廻文」、文明四年本に「回文」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「廻文」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「廻文」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

廻文(クワイブン・ヲモシカヘル・メグル、カザル・フミ)[平・平] 。〔態藝門536四〕

とあって、標記語「廻文」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

廻文(クワイブン)・言語進退門163六〕

とあって、弘治二年本に標記語「廻文」の語を収載し、語注記に「状」と記載する。易林本節用集』に、

回報(クワイホウ) ―章(シヤウ)―文(フン)〔言語門133五・天理図書館蔵上67オ五〕

とあって、標記語「回報」の従語群に「回文」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』、弘治二年本節用集』に標記語「廻文」の語を収載し、易林本節用集』には熟語群に「回文」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

752催促廻文下司 下司字面也。式目ニハ奉行被官有也。〔謙堂文庫蔵六四左A〕

とあって、標記語「廻文」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「廻文」の語を収載し、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

国宰(こくさい)小目代(こもくだい)の催促(さいそく)廻文(くわいぶん)國宰覆勘小目代催促廻文国宰ハ一國の事を預かりさばく人也。目代ハ目付役(めつけやく)也。大小ある故に目代といふ。今の大目付御目付の類なるへし。廻文ハ廻状也。軍勢催促ハ勿論其外の事共の催促にハ廻状を用る故催促の廻文といひしなり〔101ウ一〜三〕

とあって、この標記語「廻文」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

國宰(こくさい)小目代(こもくだい)の催促(さいそく)廻文(くわいぶん)國宰覆勘小目代催促廻文〔74ウ八〕

国宰(こくさい)小目代(こもくだい)催促(さいそく)廻文(くわいぶん)〔134オ五・六〕

とあって、標記語「廻文」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Quaibun.クヮイブン(廻文) Meguraxibumi.(廻らし文) 出来事を知らせるとか,ある事の実行を命じるとかするために,回す書状.→Mauaxi,su.〔邦訳516r〕

とあって、標記語「廻文」の語を収載し、意味は「Meguraxibumi.(廻らし文)出来事を知らせるとか,ある事の実行を命じるとかするために,回す書状」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くゎい-ぶん〔名〕【廻文】めぐらしぶみ。廻状。源平盛衰記、廿、佐殿大場勢汰事「先づ廻文の御教書を以て、御家人を召さるべし」太平記、十九、靈山城事「顯家卿、時を得たりと悦びて、廻文を以て、便宣の輩を催さる」甘露寺權大納言元長卿記、永正五年正月十五日「和歌御會、廻文、云云、尅限、可午一點也〔569-5〕

とあって、標記語「くゎい-ぶん廻文】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かい-ぶん回文廻文】〔名〕@二人以上の宛名人に順次に回覧して用件を伝える文書。諸役に参勤すべきことや訴訟のときに原告、被告に出頭することを命ずるときなどに用いられた。宛名を列記するのが普通であるが、記さないこともある。この状を受けた者は、自分の名の所に、承知の旨あるいは不都合の旨を記して次の者に回した。最後に出したところへ戻る。回状。回文状。回章。まわしぶみ。めぐらしぶみ。A上から読んでも下から読んでも同文、同文句になるように書いたもの。また、回文歌。回文狂歌。回文俳諧などを略していう。→回文詩」とあって、@の意味用例として『庭訓徃來』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
大須賀新左衛門尉、同五郎左衛門尉等間事、右於大須賀新左衛門尉者、被下隨兵御點歟間、催促候之處、所勞之由、押紙于廻文之間、注申此旨候之處、現所勞之間、御免訖《訓み下し》只光泰実俊等ガ詞ヲ以テ、行方ニ属シ、謝シ申スノ条、宜シカルベキカテイレバ、彼ノ状ニ云ク、去年八月ノ放生会ニ、御社参ノ供奉人、問ヒ仰セ下サルル両条、阿曽沼ノ小次郎、随兵ノ役ニ子息ヲ以テ、勤仕セシメ申ス事右所労ノ由、廻文ニ押紙スルノ間、子細ヲ言上スルノ処ニ、光泰実俊ヲ以テ、度度子細ヲ御尋ネ有テ、勤仕セシムベキノ由、仰セ下サレ訖ンヌ。《『吾妻鑑』文応元年七月六日の条》
 
 
催促(サイソク)」は、ことばの溜め池(2002.09.08)を参照。
 
2005年12月11日(日)晴れ。東京→早稲田(会津弥一記念館)
小目代(こモクダイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、標記語「小目代」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

國宰小目代催促廻文〔至徳三年本〕

國宰小目代催促廻文〔宝徳三年本〕

國宰小目代催促廻文〔建部傳内本〕

-小目代催促廻文〔山田俊雄藏本〕

國宰( サイ)小目代催促廻文〔経覺筆本〕

国宰(コクサイ)さい目代催促(サイソク)回文(クワイ )〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「國宰」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「小目代」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「小目代」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「小目代」の語は未収載にし、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

751日-記目-録國-(シヨ)-目代 郷保小目代。本目代下也。國官也。〔謙堂文庫蔵六四左@〕

とあって、標記語「小目代」の語を収載し、語注記に「郷保の小目代を云ふぞ。本目代の下なり。國の官なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「小目代」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

国宰(こくさい)小目代(こもくだい)の催促(さいそく)の廻文(くわいぶん)國宰覆勘小目代催促廻文国宰ハ一國の事を預かりさばく人也。目代ハ目付役(めつけやく)也。大小ある故に目代といふ。今の大目付御目付の類なるへし。廻文ハ廻状也。軍勢催促ハ勿論其外の事共の催促にハ廻状を用る故催促の廻文といひしなり。〔101ウ一〜三〕

とあって、この標記語「小目代」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

國宰(こくさい)小目代(こもくだい)の催促(さいそく)の廻文(くわいぶん)國宰覆勘小目代催促廻文▲小目代ハ目代の下役(したやく)也。〔74ウ八、75オ六・七〕

国宰(こくさい)小目代(こもくだい)催促(さいそく)廻文(くわいぶん)▲小目代ハ目代の下役(したやく)也。〔134オ六、135オ一〕

とあって、標記語「小目代」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「小目代」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-もくだい小目代】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-もくだい小目代】〔名〕平安・鎌倉時代、国守の代官であった目代の下役。目代の代官。→目代。玉葉-文治元年(1185)一一月一四日「梶原代官下向播磨国、追小目代、倉々付封了」*吾妻鏡-文治二年(1186)九月二五日「然而則国申含由緒検非違使所小目代。披陳子細之刻」*太平記(14C後)三二・山名右衛門佐為敵事「伯耆の国に着かれければ、<略>先づ道誉が小目代にて、吉田肥前が出雲の国に有けるを追出し」*庭訓往來(1394-1428頃)「国宰小目代催促廻文。下司郷司公事引付」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
然而則國、申含由緒檢非違所小目代披陳子細之尅、謀計露顯、支度相違、夜中逃去了《訓み下し》然レドモ則国、由緒ヲ検非違所(検非違使所)小目代ニ申シ含メ子細ヲ披陳スルノ剋ミ、謀計露顕シ、支度相違シテ、夜中ニ逃ゲ去リ了ンヌ。《『吾妻鑑』文治二年九月二十五日の条》
 
 
2005年12月10日(土)晴れ。東京→神田→世田谷(駒沢)
國宰(コクサイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、標記語「國宰」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

國宰小目代催促廻文〔至徳三年本〕

國宰小目代催促廻文〔宝徳三年本〕

國宰小目代催促廻文〔建部傳内本〕

-小目代催促廻文〔山田俊雄藏本〕

國宰(  サイ)小目代催促廻文〔経覺筆本〕

国宰(コクサイ)さい目代催促(サイソク)回文(クワイ )〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本に「國宰」、文明四年本に「国宰」と表記し、訓みは経覺筆本に「(コク)サイ」、文明四年本に「コクサイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

國宰 同(吏判部)/コクサイ黒川本・畳字門下9ウ一〕

國宰(サイ) 〃司。〃家。〃庫。〃郡。〃府。〃符。〃造。〃老。〃風。〃邑。〃吏。〃集。〃判。〃裁。〃印。〃忌。〃恩。〃内。〃土。〃勘。〃例。〃解卷第・言語門160三〕

とあって、標記語「國宰」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、標記語「國宰」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

國務(コクム) ―役(ヤク)。―宣(セン)―宰(サイ)。―土()。―司()。―中(チウ)〔言語門159五・天理図書館蔵上12ウ五〕

とあって、標記語「國務」の熟語群として「國宰」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「國宰」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

751日-記目--(シヨ)-目代 郷保小目代。本目代下也。國官也。〔謙堂文庫蔵六四左@〕

とあって、標記語「國宰」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

國宰(カンモン)小目代(  モクタイ)催促(サイソク)廻文(クハイブン)下司(ゲシ)公事(クジノ)引付(ヒキツケ)徴使(テウシ)定使(ヂヤウシ)給分(キウブン)宛文(アテブミ)名主(メイシユ)百姓(ヒヤクシヤウ)請取(ウケトリ)返抄(ヘンカウ)臨時(リンジ)點役(てんやく)證跡(せウせキ)國宰(コクサイ)小目代(  モクタイ)ハ。フレ口(クチ)ヲアテ行(ヲコ)ナフモノナリ。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「國宰」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

国宰(こくさい)小目代(こもくだい)の催促(さいそく)の廻文(くわいぶん)國宰覆勘小目代催促廻文国宰ハ一國の事を預かりさばく人也。目代ハ目付役(めつけやく)也。大小ある故に目代といふ。今の大目付御目付の類なるへし。廻文ハ廻状也。軍勢催促ハ勿論其外の事共の催促にハ廻状を用る故催促の廻文といひしなり。〔101ウ一〜三〕

とあって、この標記語「國宰」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

國宰(こくさい)小目代(こもくだい)の催促(さいそく)の廻文(くわいぶん)國宰覆勘小目代催促廻文▲國宰ハ国守(くにのかミ)の唐名(からな)也。〔74ウ八、75オ五〕

国宰(こくさい)小目代(こもくだい)催促(さいそく)廻文(くわいぶん)▲國宰ハ国守(くにのかミ)の唐名(からな)也。〔134オ五・六、135オ一〕

とあって、標記語「國宰」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cocusai.コクサイ(国宰) ある郡とかある在所とかを支配し治める役職.普通には用いない語.※原文は,comarca〔Gun(郡)の注〕,Inusit.〔Auai(淡い)の注〕〔邦訳137r〕

とあって、標記語「國宰」の語を収載し、意味は「ある郡とかある在所とかを支配し治める役職.普通には用いない語」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

こく-さい〔名〕【國宰】一國の大宰相。國相。春秋繁露「臣明其職、爲國宰源平盛衰記、廿七、頼朝追討廰宣事「宣朝憲、而猶懷梟惡之心、旁企狼戻之謀、或寃國宰之使、或侵奪土民之財」〔660-3〕

とあって、標記語「こく-さい國宰】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こく-さい國宰】〔名〕@「こくし(国司)@」に同じ。A「こくし(国司)A」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
二位家、就諸國宰史事、條々有令申京都給事《訓み下し》二位家、諸国*宰史(*宰吏)ノ事ニ就テ、条条京都ニ申サシメ給フ事有リ云云)《『吾妻鑑』文治二年二月二日の条》
 
 
2005年12月09日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
権頭(ごんのかみ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

権頭(ゴンノカミ)〔元亀二年本233八〕〔静嘉堂本268八〕

権頭(コンノカミ)〔天正十七年本中63オ七〕

とあって、標記語「権頭」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

郡司権守日記目録〔至徳三年本〕

郡司權守日記目録〔宝徳三年本〕

郡司権守日記目録〔建部傳内本〕

郡司日記目録〔山田俊雄藏本〕

郡司(コン)日記目録〔経覺筆本〕

郡司(グンジ)権守(コンノカミ)日記目録〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「権守」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「権頭」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「権頭」の語は未収載にする。また、天正十八年本節用集』に、

権頭(ゴンノカミ) 官名〔人倫門下・11オ八〕

とあって、標記語「権頭」の語を収載し、語注記に「官名」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、天正十八年本節用集』、『運歩色葉集』に標記語「権頭」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本は、「権守」の語を以て収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

750郡司(クンシ)(コン)ノ 奏者官也。〔謙堂文庫蔵六四左@〕

とあって、標記語「権守」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

権頭(ゴンノカミ)日記目録(モクロク)権頭(ゴンノカミ)ハ。公事(クジ)ヲアツカフ処ナリ。〔下40ウ七〕

とあって、標記語「権頭」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

郡司(ぐんじ)(ごん)(かミ)日記(につき)目録(もくろく)郡司日記目録郡司の注前に見へたり。権の守ハかりの国守なり。日記目録ハ其所に政事(せいじ)に預(あつか)りし事共を記せし書物なり。〔101オ七・八〕

とあって、この標記語「権守」の語を収載し、語注記を上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

郡司(ぐんじ)(ごん)(かミ)日記(につき)目録(もくろく)郡司権守日記目録▲権守ハ大国上国にあり。又権介(ごんのすけ)もある也。〔74ウ八、75オ五〕

郡司(ぐんじ)(ごん)(かミ)日記(につき)目録(もくろく)▲権守ハ大国上国にあり。又権介(ごんのすけ)もあるなり。〔134オ五、134ウ六〕

とあって、標記語「権守」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「権頭権守」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ごん--かみ権頭】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ごん】〔名〕」ごんの守(かみ)@令制の四等官制の長官(かみ)の権官(ごんかん)。正官の次位、次官(すけ)の上位。国司の権守の場合には実際に国守を補佐するものと、単に名目上のものがあった。続日本紀、神護景雲元年(767)八月戊戌「従五位下藤原朝臣雄依為備前権守」*枕草子(10C終)一七七・六位の蔵人などは「かうぶり得て、何のごんのかみ、大夫などいふ人の、板屋などの狭き家持たりて」*官職秘抄(1200頃か)下「諸国<略>権守<中下国無権守><略>為参議兼国。此外或為宿官、為他人兼国、又以別進成功者任之」*栂尾明恵上人伝記(1232-50頃)下「高弁は湯浅の権守(ゴンノカミ)が子にて下もなき下臈なり」*職原抄(1340)上「図書<略>権頭一人 諸大夫五位任之諸寮権頭中内藏木工左右馬殊為宜也」運歩色葉集(1548)「権頭 ゴンノカミ」A明治初期官制の官司長官の権官。頭の次位で、これを補佐し、官司の業務を総判する。大蔵省造幣寮、兵部省兵学寮また太政官各省などに見られ、県の権令もこれにあたる。B側室。めかけ。第二夫人。ごんさい」*都新聞-明治二八年(1895)六月三〇日「京都へ着せし後は、大尽の奥様の権妻(ゴンノカミ)の様におえつ様と崇められ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
右馬權頭公佐朝臣、献書状《訓み下し》右馬権頭(ゴンノカミ)公佐朝臣、書状ヲ献ズ。《『吾妻鑑』建久三年九月五日の条》
 
 
2005年12月08日(木)薄晴れ。東京→世田谷(駒沢)
勘文(カンモン)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

勘文(カンモン)〔元亀二年本91八〕〔天正十七年本上55ウ七〕〔西來寺本〕

(カン)〔静嘉堂本113三〕

とあって、標記語「勘文」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

判官代勘文覆勘〔至徳三年本〕

判官代勘文覆勘〔宝徳三年本〕

判官代勘文〔建部傳内本〕

判官代勘文(フク)〔山田俊雄藏本〕

判官代勘文(フク)〔経覺筆本〕

(ハン)官代勘文覆勘(ブクカン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「勘文」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「勘文」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

勘文(カンモン) 暦家之所爲〔態藝門77四〕

とあって、標記語「勘文」の語を収載し、語注記に「暦家の爲す所」と記載する。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

勘文(カンモンカンガウ、ブン・カザル・フミ)[去・平軽] 暦家(レキカ)爲(ナス)。〔態藝門274四〕

とあって、標記語「勘文」の語を収載し、語注記は『下學集』を継承する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

勘文(カンモン) 暦家所爲・言語進退門87三〕

勘氣(カンキ) ―文(モン)暦家所為。―落(ラク)。―判(ハン)。―責(セキ)。―望(バウ)。―合(ガウ)。―辨(ベン)。―發(ホツ)。―定(ヂヤウ)。―略(リヤク)・言語門82六〕

勘當(カンダウ)君父。―落。―判。―責。―望。―通関過書文言義。―氣。―文暦家所為。―定。―合。―弁。―發。―略・言語門75一〕 

勘氣(カンキ) ―文暦家所為。―落。―判。―責。―望。―合。―辨。―發。―定。―略・言語門90三〕

とあって、標記語「勘文」の語を収載する。易林本節用集』に、

勘文(モン) 〔言語門79二・天理図書館蔵上40オ二〕

とあって、標記語「勘文」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「勘文」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。但し、『下學集広本節用集』などにみえる語注記とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

749判官代勘文覆勘(フクカン) 々々言破タル沙汰云也。一説見前也。〔謙堂文庫蔵六四右H〕

とあって、標記語「勘文」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

勘文(カンモン)ハ。カンガユル文也。〔下40ウ六〕

とあって、標記語「勘文」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

勘定(かんでう)書生(しよしやう)判官代(はんぐわんだい)勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)/勘定書生判官代勘文覆勘勘定書生ハ算用書物の事をつかさとる者也。判官代覆勘の注ハ並に前に見へたり。勘文ハ勘定の書面なり。〔101オ六・七〕

とあって、この標記語「勘文」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

公文(くもん)田所(たところ)の結解(けつけ)勘定(かんちやう)書生(しよせい)判官代(はんくハんたい)勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)/公文田所結解勘定書生判官代勘文覆勘▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんしゆ)を泗用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔74ウ七、75オ四〕

公文(くもん)田所(たどころ)結解(けつげ)勘定(かんぢやう)書生(しよせい)判官代(はんぐわんだい)勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんじゆ)を泗用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔13オ四、134ウ四・五〕

とあって、標記語「勘文」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Canmon.カンモン(勘文) 神(Cami)に仕える者が行なう吉凶占いに基づいて,ある事をなすべきであるとか,やめるべきであるとかいう日や月を書きのせた表,または,箇条書き.〔邦訳90r〕

とあって、標記語「勘文」の語を収載し、意味は「神(Cami)に仕える者が行なう吉凶占いに基づいて,ある事をなすべきであるとか,やめるべきであるとかいう日や月を書きのせた表,または,箇条書き」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かん-もん〔名〕【勘文】〔勘文(カモン)と訓()むを、訓例(よみくせ)とすと云ふ、(名目抄、註)垣下(エンガ)、えが。厭舞(エンブ)、えぶ〕かんがへぶみ。又、かもん。事實を勘(かんが)へて、奉る文書。博士、儒家などの、古例、故實に就きて考へ、陰陽寮より天變、地異、日、時、方角の吉凶に就きて考へ申すなどなり。源氏物語、十九、薄雲16「日、月、星、雲の異道道のかんがへ文(諸道の勘文)ども奉れるにも、怪しう、世のなべてならぬ事ども、まじりたり」吾妻鏡、四十九、正元二年三月廿五日、地震「陰陽道之輩、付勘文和泉前司方」〔432-2〕

とあって、標記語「かん-もん勘文】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-もん勘文】〔名〕諸事を考え、調べて、上申する文書。平安時代以後、明法道、陰陽道など諸道の学者や~祇官、外記などが、朝廷や幕府の諮問にこたえて、先例、日時、方角、吉凶などを調べて上申したもの。勘状。かもん。かんがえぶみ。かんぶん」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
同日則有罪状定、前内府父子、并家人等、可被處死罪之由、明法博士章貞、進勘文〈云云〉《訓み下し》同キ日則チ罪状ノ定メ有リ、前ノ内府父子、并ニ家人等、死罪ニ処セラルベキノ由、明法博士章貞、勘文(カモン)ヲ進ズト〈云云〉。《『吾妻鑑』元暦二年四月二十六日の条》
 
 
2005年12月07日(水)薄晴れ。東京→本郷→世田谷(駒沢)
書生(シヨシヤウ・シヨセイ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「書記(シヨキ)禅家官。書院(イン)。書籍(ジヤク)。書札(サツ)。書状(ジヤウ)。書信(シン)」の六語を収載し、標記語「書生」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

公文田所結解勘定書生〔至徳三年本〕

公文田所結解勘定書生〔宝徳三年本〕

公文田所結解勘定書生〔建部傳内本〕

公文田所(タトコロ)結解(ケツケ)勘定書生(せイ)〔山田俊雄藏本〕

公文田所結解勘定書生〔経覺筆本〕

公文(クモ )田所結解(ケツケ)勘定書生(シヤウ)せイ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「書生」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「書生」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「書生」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

書生(シヨせイカク、ウマルヽ)[平軽・平去] 。〔態藝門957八〕

とあって、標記語「書生」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

書生(シヨセイ) ・人倫門238八〕〔・人倫門198八〕〔・人倫門188八〕

とあって、標記語「書生」の語を収載する。易林本節用集』に、

書生(シヨせイ) 〔言語門204六・天理図書館蔵下35オ六〕

とあって、標記語「書生」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「書生」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

748留-文書公文ニハ田所結解勘-書生儒者之類也。只沙汰人也。〔謙堂文庫蔵六四右G〕

とあって、標記語「書生」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

税所(せイソ)留記(ルキ)文書(モンジヨ)公文(クモン)田所(ダトコロ)結解(ケツゲ)勘定(カンヂヤウ)書生(シヨシヤウ)判官代(ハンクハンタイ)税所(せイシヨ)ハ文書ヲ預カルモノナリ。〔下40ウ四〜六〕

とあって、標記語「書生」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

勘定(かんでう)書生(しよしやう)判官代(はんぐわんだい)の勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)/勘定書生判官代勘文覆勘勘定書生ハ算用書物の事をつかさとる者也。判官代覆勘の注ハ並に前に見へたり。勘文ハ勘定の書面なり。〔101オ六・七〕

とあって、この標記語「書生」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

公文(くもん)田所(たところ)の結解(けつけ)勘定(かんちやう)書生(しよせい)判官代(はんくハんたい)の勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)/公文田所結解勘定書生判官代勘文覆勘▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんしゆ)を泗用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔74ウ七、75オ四〕

公文(くもん)田所(たどころ)結解(けつげ)勘定(かんぢやう)書生(しよせい)判官代(はんぐわんだい)勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんじゆ)を泗用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔13オ四、134ウ四・五〕

とあって、標記語「書生」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「書生」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-せい〔名〕【書生】(一)書を、讀み學ぶ人。學業を習ふ者。學生。儒生。後漢書、袁安傳「道隆書生、云云、爲指一處(二)家事を手傳ひ、旁、學問する食客。〔1015-2〕

とあって、標記語「しょ-せい書生】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょ-しょう書生】〔名〕@写経所の写経生。経典を書写する者。ひろく写経を業とする者。A式部・治部・兵部の各省や大宰府・検非違使庁・国司・郡司などの役所の下級官人。文書事務をつかさどる。書記官。書記」と「しょ-せい書生】〔名〕@学業を修める時期にある者。学生。生徒。A他人の家に世話になって、家事を手伝いながら勉学する者。学僕。食客」とあって、いずれにも『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
押取如此公物、充食物、而張行濫惡何况居住在廳書生國侍等之令服仕家中、《訓み下し》此クノ如キノ公物ヲ押シ取リ、食物ニ充テテ、而モ濫悪ヲ張行シテ、何ゾ況ヤ在庁書生国侍等ノ居住シテ(居住ノ在庁書生国侍等ノ)家中ニ服仕セシムル。《『吾妻鑑』文治三年四月二十三日の条》
 
 
2005年12月06日(火)晴れ。東京→神田→世田谷(駒沢)
勘定(カンヂヤウ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

勘定(ヂヤウ)〔元亀二年本91七〕

勘定〔静嘉堂本113三〕

勘定(チヤウ)〔天正十七年本上55ウ七〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「勘定」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

公文田所結解勘定書生〔至徳三年本〕

公文田所結解勘定書生〔宝徳三年本〕

公文田所結解勘定書生〔建部傳内本〕

公文田所(タトコロ)結解(ケツケ)勘定書生(せイ)〔山田俊雄藏本〕

公文田所結解勘定書生〔経覺筆本〕

公文(クモ )田所結解(ケツケ)勘定書生(シヤウ)せイ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「勘定」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「勘定」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

勘定(カンヂヤウ) 〔態藝門75一〕

とあって、標記語「勘定」の語を収載する。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

勘定(カンヂヤウカンガウ、テイ・サダム)[去・入] 。〔態藝門274三〕

とあって、標記語「勘定」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

勘定(カンヂヤウ) ・言語進退門87三〕

勘氣(カンキ) ―文(モン)暦家所為。―落(ラク)。―判(ハン)。―責(セキ)。―望(バウ)。―合(ガウ)。―辨(ベン)。―發(ホツ)。―定(ヂヤウ)。―略(リヤク)・言語門82七〕

勘當(カンダウ)君父。―落。―判。―責。―望。―通関過書文言義。―氣。―文暦家所為―定。―合。―弁。―發。―略・言語門75一〕 

勘氣(カンキ) ―文暦家所為。―落。―判。―責。―望。―合。―辨。―發。―定。―略・言語門90三〕

とあって、弘治二年本が標記語「勘定」の語を収載し、他本は標記語「勘氣」及び「勘當」の熟語群に「勘定」の語を記載する。易林本節用集』に、

勘定(チヤウ) 〔言語門79三・天理図書館蔵上40オ三〕

とあって、標記語「勘定」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「勘定」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

748留-文書公文ニハ田所結解-書生 儒者之類也。只沙汰人也。〔謙堂文庫蔵六四右G〕

とあって、標記語「勘定」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

税所(せイソ)留記(ルキ)文書(モンジヨ)公文(クモン)田所(ダトコロ)結解(ケツゲ)勘定(カンヂヤウ)書生(シヨシヤウ)判官代(ハンクハンタイ)税所(せイシヨ)ハ文書ヲ預カルモノナリ。〔下40ウ四〜六〕

とあって、標記語「勘定」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

勘定(かんでう)書生(しよしやう)判官代(はんぐわんだい)の勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)/勘定書生判官代勘文覆勘勘定書生ハ算用書物の事をつかさとる者也。判官代覆勘の注ハ並に前に見へたり。勘文ハ勘定の書面なり。〔101オ六・七〕

とあって、この標記語「勘定」の語を収載し、語注記上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

公文(くもん)田所(たところ)の結解(けつけ)勘定(かんちやう)書生(しよせい)判官代(はんくハんたい)の勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)/公文田所結解勘定書生判官代勘文覆勘▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんしゆ)を泗用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔74ウ七、75オ四〕

公文(くもん)田所(たどころ)結解(けつげ)勘定(かんぢやう)書生(しよせい)判官代(はんぐわんだい)勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんじゆ)を泗用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔13オ四、134ウ四・五〕

とあって、標記語「勘定」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cangio<.カンヂャゥ(勘定) Cangaye sadamuru.(勘へ定むる)計算すること.例,Cangio<uo toguru.(勘定を遂ぐる)計算する.〔邦訳90l〕

とあって、標記語「勘定」の語を収載し、意味は「Cangaye sadamuru.(勘へ定むる)計算すること」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かん-ぢゃう〔名〕【勘定】(一)かんがへ、さだむること。唐書、王彦威傳「爲勘定兩税使(二)金穀、等の數を、數へ上ぐること。算用。算當。會計。計算。吾妻鏡、八、文治四年六月十四日、乃貢未進「可勘定(三)勘定して拂ふべき代金。?債。「勘定を遣()る」勘定を取る」〔428-4〕

とあって、標記語「かん-ぢゃう勘定】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かん-ぢゃう勘定】〔名〕@(―する)いろいろを考え合わせて判断を下すこと。A(―する)金銭や物の数量を数えること。計算すること。決算。B(―する)代金を支払うこと。また、その代金。C仕事の報酬としての金銭。D(―する)利害、損得などを予測して計算すること。見積もり。予想。E(―する)考えに入れること→勘定に入れる。Fいろいろな事情を考え合わせて出る結論。わけ。活用語の連体形や「…という」形を受けて用いられる。G簿記で、資産・負債・資本、収益・費用について、その増減の記録計算をするために設定する計算上の区分のこと。借方。貸方という形式を用いて増?、変化を記入する。勘定科目、勘定口座の意味にも用いる。Hキリスト教で、~の下した審判。室町時代末期に西洋人によって与えられた訳語。I江戸時代、勘定組頭の支配を受けて勘定所の事務を取り扱った役人のこと。勘定衆。J飲食などをおごらせて帳尻を合わせること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
可被下春近御領乃貢未進注文也早可遂勘定之由〈云云〉《訓み下し》春近御領ノ乃貢未進ノ注文ヲ下サルベキナリ。早ク勘定(カンヂヤウ)ヲ遂グベキノ由ト〈云云〉。《『吾妻鑑』文治四年六月十四日の条》
 
 
2005年12月05日(月)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
結解(ケツゲ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

結解() ――散用。〔元亀二年本214七〕〔天正十七年本中51ウ二〕

結解(ケツケ) ――用。〔静嘉堂本244三〕

とあって、標記語「結解」の語を収載し、語注記に「結解散用」「結解用」と記載する。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

公文田所結解勘定書生〔至徳三年本〕

公文田所結解勘定書生〔宝徳三年本〕

公文田所結解勘定書生〔建部傳内本〕

公文田所(タトコロ)結解(ケツケ)勘定書生(せイ)〔山田俊雄藏本〕

公文田所結解勘定書生〔経覺筆本〕

公文(クモ )田所結解(ケツケ)勘定書生(シヤウ)せイ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「結解」と表記し、訓みは経覺筆本に「ケツケ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「結解」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

結解(ケツケ) 〔態藝門74七〕

とあって、標記語「結解」の語を収載する。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

結解(ケツムスブ、カイ・トク・サトル)[入・上] ――勘定。〔態藝門598三〕

とあって、標記語「結解」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』には、

結解( ゲ) ・言語進退門175七〕

結構(ケツコウ) ―句。―衆(シユ)。―縁(エン)。―解()。―願(グハン)。―番(ハン)・言語門143九〕

結構(ケツコウ) ―句。―衆。―縁/―解。―願。―番・言語門133七〕 

とあって、弘治二年本に標記語「結解」の語を収載し、他本は標記語「結構」の熟語群に「結解」の語を記載する。易林本節用集』に、

結解(ケツケ) ―構(コウ)。―願(グハン)。―縛(バク)。―句()〔言語門147一・天理図書館蔵下6ウ一〕

とあって、標記語「結解」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「結解」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。そのなかで広本節用集』がこの『庭訓徃來』の文言と適合していることが知られる。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

748留-文書公文ニハ田所結解-定書生 儒者之類也。只沙汰人也。〔謙堂文庫蔵六四右G〕

とあって、標記語「結解」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

税所(せイソ)留記(ルキ)文書(モンジヨ)公文(クモン)田所(ダトコロ)結解(ケツゲ)勘定(カンヂヤウ)書生(シヨシヤウ)判官代(ハンクハンタイ)税所(せイシヨ)ハ文書ヲ預カルモノナリ。〔下40ウ四〜六〕

とあって、標記語「結解」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

公文(くもん)田所(たところ)結解(けつげ)/公文田所結解公文ハ公文所也。田所ハ田畑(たはた)の事をあつかふ役所也。結ハむすぶ。解はとくと訓して解持といふに同し事のあつかひをするをいふなり〔100ウ四〜六〕

とあって、この標記語「結解」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

公文(くもん)田所(たところ)結解(けつけ)勘定(かんちやう)書生(しよせい)判官代(はんくハんたい)の勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)/公文田所結解勘定書生判官代勘文覆勘▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんしゆ)を泗用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔74ウ七、75オ四〕

公文(くもん)田所(たどころ)結解(けつげ)勘定(かんぢやう)書生(しよせい)判官代(はんぐわんだい)勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんじゆ)を泗用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔13オ四、134ウ四・五〕

とあって、標記語「結解」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qecqe.ケッケ(結解) 勘定,または,計算.例,Qecqesuru.(結解する)〔邦訳480l〕

とあって、標記語「結解」の語を収載し、意味は「勘定,または,計算」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けつ-〔名〕【結解】〔解は、解由(げゆ)の略なるべし、算用を終ふる意〕勘定のしあげ。決算。庭訓往來、十二月「公文、田所、結解、勘定」運歩色葉集結解(ケツゲ)、算用」〔615-1〕

とあって、標記語「けつ-結解】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「けつ-結解】〔名〕(「げ」は「解」の呉音)@(「けっけ」とも)事物を勘定すること。決算。結計。けげ。けちげ。A仏語。煩悩に束縛された不自由さ(結)と、その束縛から脱すること(解)。B盲人が官金納をつかさどること。また、その職。C結ぶことと解くこと。始めることと終わること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
諸御領乃貢、結解勘定事、奉行人等、於私宅遂其節之由、有風聞之間、甚不可然至今日以後者、於政所、可致沙汰之旨、被仰〈云云〉《訓み下し》諸ノ御領ノ乃貢、結解(ケツ )ノ勘定ノ事、奉行人等、私宅ニ於テ其ノ節ヲ遂グルノ由、風聞有ルノ間、甚ダ然ルベカラズ。今日ヨリ以後ニ至テハ、政所ニ於テ、沙汰ヲ致スベキノ旨、仰セラルト〈云云〉。《『吾妻鑑』建久四年十月二十一日の条》
 
 
2005年12月04日(日)曇り後雨。東京
田所(たどころ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、「田坪(ツホ)。田長(ヲサ)」の二語を収載し、標記語「田所」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

公文田所結解勘定書生〔至徳三年本〕

公文田所結解勘定書生〔宝徳三年本〕

公文田所結解勘定書生〔建部傳内本〕

公文田所(タトコロ)結解(ケツケ)勘定書生(せイ)〔山田俊雄藏本〕

公文田所結解勘定書生〔経覺筆本〕

公文(クモ )田所結解(ケツケ)勘定書生(シヤウ)せイ〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「田所」と表記し、訓みは経覺筆本に「イチ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「田所」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「田所」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「田所」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

748留-文書公文ニハ田所結解勘-定書生 儒者之類也。只沙汰人也。〔謙堂文庫蔵六四右G〕

とあって、標記語「田所」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

税所(せイソ)留記(ルキ)文書(モンジヨ)公文(クモン)田所(ダトコロ)結解(ケツゲ)勘定(カンヂヤウ)書生(シヨシヤウ)判官代(ハンクハンタイ)税所(せイシヨ)ハ文書ヲ預カルモノナリ。〔下40ウ四〜六〕

とあって、標記語「田所」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

公文(くもん)田所(たところ)の結解(けつげ)/公文田所結解公文ハ公文所也。田所ハ田畑(たはた)の事をあつかふ役所也。結ハむすぶ。解はとくと訓して解?といふに同し事のあつかひをするをいふなり。〔100ウ六・七〕

とあって、この標記語「田所」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

公文(くもん)田所(たところ)の結解(けつけ)勘定(かんちやう)書生(しよせい)判官代(はんくハんたい)の勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)/公文田所結解勘定書生判官代勘文覆勘▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんしゆ)を用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔74ウ七、75オ四〕

公文(くもん)田所(たどころ)結解(けつげ)勘定(かんぢやう)書生(しよせい)判官代(はんぐわんだい)勘文(かんもん)覆勘(ふくかん)▲田所結解勘定ハ年貢の員数(いんじゆ)を用(さんよう)して未進(ミしん)を過上(くハじやう)を勘(かんか)へ定(さた)むる也。〔13オ四、134ウ四・五〕

とあって、標記語「田所」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「田所」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-どころ〔名〕【田莊田所】〔田處の義〕(一){莊園(シヤウヱン)の古語。なりどころ。崇峻即位前紀「造四天王寺、分大連奴半與宅、爲大寺奴田莊(タトコロ)孝コ紀、大化二年正月「別、臣、連、伴造、國造、村首所一レ有部曲之民、處處田莊(タドコロ)(二)昔、國司の廰に屬して、田畠のことを取扱ひたる役所。庭訓往來、十二月「公文、田所、結解勘定」〔1227-1〕

とあって、標記語「-どころ田所】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-どころ田荘】〔名〕令制以前の寺院・豪族が私有した農業経営地。なりところ」とあって、標記語「-どころ田所】」とは区分し『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍且返給彼庄内、柴村、并田所職畢《訓み下し》仍テ且彼ノ庄内ノ、柴村、并ニ田所(  トコロ)ノ職ヲ返シ給ハリ畢ンヌ。《『吾妻鑑』治承五年四月三十日の条》
 
 
文書(モンジョ)」は、ことばの溜め池「文書」(2001.04.07)を参照。
公文(クモン)」は、ことばの溜め池「公文所」(2001.40.12)を参照。
 
2005年12月03日(土)曇り一時晴れ。東京→神田→世田谷(駒沢)
留記(ルキ・とめキ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「留」部に、標記語「留記」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

國遵行事大介税所留記文書〔至徳三年本〕

國遵行事大介税所留記文書〔宝徳三年本〕

國之遵行事大介税所留記文書〔建部傳内本〕

(クニ)遵行(ジユン  )事大介(ヲヽイスケ)税所(せイ  )-(ルキ)文書〔山田俊雄藏本〕

國遵行之事大介(ヲヽスケ)(セイ)留記文書〔経覺筆本〕

(クニ)(シユン)事大概(  ガイ)税所(ぜイシヨ)-(ルキ)文書(モンシヨ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「留記」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・文明四年本に「ルキ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「留記」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「留記」の語は未収載にする。次に、広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

留記(ル・ヲモシリウ・トヾム、シルス)[平・去] 。〔態藝門206八〕

とあって、標記語「留記」の語を収載する。また、印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「留記」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「留記」の語を収載し、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

748-文書公文ニハ田所結解勘-定書生 儒者之類也。只沙汰人也。〔謙堂文庫蔵六四右G〕

とあって、標記語「留記」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

税所(せイソ)留記(ルキ)文書(モンジヨ)公文(クモン)田所(ダトコロ)結解(ケツゲ)勘定(カンヂヤウ)書生(シヨシヤウ)判官代(ハンクハンタイ)税所(せイシヨ)ハ文書ヲ預カルモノナリ。〔下40ウ四〜六〕

とあって、標記語「留記」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大介(たいがい)税所(ぜいそ)留記(とめき)文書(もんしよ)/大介税所留記文書大介ハ年貢をあつかふ役人なり。税所ハ年貢をは納る所也。留記文書ハ大介の書留并に税所にある所の書面なり〔101オ三・四〕

とあって、この標記語「留記」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

大介(たいかい)税所(ぜいしよ)留記(るき)文書(もんしよ)/大介税所留記文書▲留記ハ年貢(ねんぐ)の留日記(とめにつき)也。〔74ウ六、75オ三〕

大介(たいかい)税所(ぜいしよ)留記(るき)文書(もんしよ)▲留記ハ年貢( ぐ)の留日記(とめにつき)也。〔133ウ二・三、134ウ四〕

とあって、標記語「留記」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「留記」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【留記】書きとめて置く日記。庭訓往來、十二月「大介税所留記文書」〔2136-5〕

とあって、標記語「-留記】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-留記】〔名〕記録して後に留めておくこと。また、そのもの」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
後宇多院当時の留記をひらきて、叡念をこらしおはしましけるに、《『石山寺縁起』の条》
 
 
2005年12月02日(金)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
税所(ゼイソ・ショ・ところ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、標記語「税所」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

國遵行事大介税所留記文書〔至徳三年本〕

國遵行事大介税所留記文書〔宝徳三年本〕

國之遵行事大介税所留記文書〔建部傳内本〕

(クニ)遵行(ジユン  )事大介(ヲヽイスケ)税所(せイ  )-(ルキ)文書〔山田俊雄藏本〕

國遵行之事大介(ヲヽスケ)(セイ)留記文書〔経覺筆本〕

(クニ)(シユン)事大概(  ガイ)税所(ぜイシヨ)-(ルキ)文書(モンシヨ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本・文明四年本に「税所」と表記し、訓みは山田俊雄藏本・経覺筆本に「ゼイ(シヨ)」、文明四年本に「ゼイシヨ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「税所」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「税所」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「税所」の語は未収載にし、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

747税所(セイ/ヲロス−)ニハ 年貢処|云也。〔謙堂文庫蔵六四右G〕

とあって、標記語「税所」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

税所(せイソ)留記(ルキ)文書(モンジヨ)公文(クモン)田所(ダトコロ)結解(ケツゲ)勘定(カンヂヤウ)書生(シヨシヤウ)判官代(ハンクハンタイ)税所(せイシヨ)ハ文書ヲ預カルモノナリ。〔下40ウ四〜六〕

とあって、標記語「税所」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大介(たいがい)税所(ぜいそ)の留記(とめき)文書(もんしよ)/大介税所留記文書大介ハ年貢をあつかふ役人なり。税所ハ年貢をは納る所也。留記文書ハ大介の書留并に税所にある所の書面なり。〔101オ三・四〕

とあって、この標記語「大介」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

大介(たいがい)税所(ぜいそ)の留記(とめき)文書(もんしよ)/大介税所留記文書▲大介ハ国(くに)の介也。〔74ウ六、75オ三〕

大介(たいかい)税所(ぜいしよ)留記(るき)文書(もんしよ)▲大介ハ国(くに)の介也。〔133ウ二・三、133ウ六〜134ウ三・四〕

とあって、標記語「税所」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「税所」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぜい-しょ〔名〕【税所】年貢を納むる所。庭訓往來、十二月「國遵行之事、大介税所、留記(ルキ)文書」〔1083-5〕

とあって、標記語「ぜい-しょ税所】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぜい-しょ税所】〔名〕→さいしょ(税所)」「さい-しょ税所済所】〔名〕@平安・鎌倉時代の国衙の役所の一つ。また、その職員。その国の租税・官物の収納事務をつかさどった。検校、惣判官代、大判官などの職員があり、はじめ国守によって補任されたが、のちに世襲して土着化し、税所を姓とすることがあった。A~社で所領の年貢公事の収納をつかさどるために設けられた事務所」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
筑紫ノ税所次郎《『吾妻鑑』建暦三年五月六日の条》
 
 
2005年12月01日(木)晴れ。東京→世田谷(駒沢)
大介(タイカイ・おおすけ)
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

大介〔元亀二年本65六〕

大介〔静嘉堂本76六〕

大介〔天正十七年本上38ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「大介」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來十二月三日の状に、

國遵行事大介税所留記文書〔至徳三年本〕

國遵行事大介税所留記文書〔宝徳三年本〕

國之遵行事大介税所留記文書〔建部傳内本〕

(クニ)遵行(ジユン  )大介(ヲヽイスケ)税所(せイ  )-(ルキ)文書〔山田俊雄藏本〕

國遵行之事大介(ヲヽスケ)(セイ)留記文書〔経覺筆本〕

(クニ)(シユン)大概(  ガイ)税所(ぜイシヨ)-(ルキ)文書(モンシヨ)〔文明四年本〕

と見え、文明四年本が「大概」とし、至徳三年本・建部傳内本山田俊雄藏本・経覺筆本には「大介」と表記し、訓みは山田俊雄藏本に「ヲヽイスケ」、経覺筆本に「ヲヽスケ」文明四年本「(タイ)ガイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「大介」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本・尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「大介」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「大介」の語は未収載にし、これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が収載しているのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』十二月三日の状には、

746如國遵行(シユン−)之亊大介 国之介也。〔謙堂文庫蔵六四右F〕

とあって、標記語「大介」の語を収載する。

 古版庭訓徃来註』では、

廰庭(チヤウテイ)經營(ケイヱイ)留守(ルス)結構(ケツコウ)(ナス)(イチ)(ジユン)行事大介(タイカイ)廰庭(チヤウテイ)ノ經營(ケイヱイ)ハ。厨イカニモ奔走(ホンソウ)結構(ケツカウ)ナル事ナリ。〔下40オ八〜40ウ三・四〕

とあって、標記語「大介」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大介(たいがい)税所(ぜいそ)の留記(とめき)文書(もんしよ)/大介税所留記文書大介ハ年貢をあつかふ役人なり。税所ハ年貢をは納る所也。留記文書ハ大介の書留并に税所にある所の書面なり。〔101オ三・四〕

とあって、この標記語「大介」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

大介(たいがい)税所(ぜいそ)の留記(とめき)文書(もんしよ)/大介税所留記文書▲大介ハ国(くに)の介也。〔74ウ六、75オ三〕

大介(たいかい)税所(ぜいしよ)留記(るき)文書(もんしよ)▲大介ハ国(くに)の介也。〔133ウ二・三、133ウ六〜134ウ三・四〕

とあって、標記語「大介」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「大介」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おほ-すけ〔名〕【大介】千葉大介は、前下總介なり、千葉新介は、大介の子にて、常任の下總介なり。其外、三浦大介、大内新介など、皆、同じ。扶桑略記、十五、承平六年六月「勅以從四位下紀朝臣淑仁、補賊地伊豫國大介、令行海賊追捕事」〔314-2〕

とあって、標記語「おほ-すけ大介】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「おお-すけ大介】〔名〕平安時代以後の荘園関係の文書等に多く見られる称で、守、権守、介等に相当する」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
下野國大介職者、伊勢守藤成朝臣以來、至小山出羽前司長村、十六代相傳、敢無申儀絶之處、依大神宮雜掌訴、所被改補也《訓み下し》下野ノ国大介職ハ、伊勢ノ守藤成朝臣ヨリ以来、小山出羽ノ前司長村ニ至ルマデ、十六代相伝シテ、敢テ儀絶ヲ申スコト無キノ処ニ、太神宮雑掌ノ訴ヘニ依テ、改補セラルル所ナリ。《『吾妻鑑』建長二年十二月二十八日の条》
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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