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1998.5.22

流行語(若者ことば)

 

若者ことばの作り手ってどんな人?

 もっと私にはやりたいことが別にあるのではないかと思っている時の方が感性が伸び伸びと開かれている。ことばのアンテナがビンビンに張っているというのか、感受性そのものが実にぴりぴりとしている。こういう時っておもしろいものがキャッチできるのだ。中・高生とか予備校生という若者が作り手のなかでもっともすぐれているようだ。世の中を見る目が、「それってうそくさいのじゃないのか」とおちょくり、と思いつつも“うまうま”と乗せられてしまう「私って何なのさ」といったあたりに鋭い視点があるようだ。

金がかからず、坐ってできるのが「インコラ」(引用してはコラージュするっていうところから)のことば遊びなのだ。そうしたなかでも十六歳以上の若者の感じ方とことば表現が一番笑える。

 

若者ことばのどんなもの?

 自分たちの感覚で喋り、聴かない人は聞かなくたっていいといったふうに相手を選ばないでいい。仲間うちでは、早く伝えるのがモットーで、感覚ことばでパッパラパッパと表現する。感覚的だから概要を掴むのが早いのだが、心に響くことばではないところが味噌なのだ。右から左へとすうッと抜けていってしまう。忘れて去られてしまうことばなのだ。そんな空しさがまっとうなことば表現へと向かわせていくようだ。まっとうさが不足しているときは、イラストで花びらを書いたりお星様を書いたりして心の隙間とでも言うか、ことばの不足を補って表現したりしている。

 

若者ことばの今昔

 深夜放送などを聞いて育った電波世代の若者は、活字で表現するとこんな発想ができるのかと知ったあの喜び……。電波は瞬時〔まばたき〕の世界なのに、活字は色褪せてもずっと残存する世界なのだ。そこに目が行き出した。活字を使っても音感覚で表現してしまう。電子文字によるポケベル、PHS(ピッチ)、携帯電話の使用方法がこの今の若者ことば世界を作り出してきている。電子メールにも顔文字表現があらわれ、いまでは結構な大人までが使いまくり、若者はもう見向きもしないって感じにある。若者は、結構軽薄な次元で使っている。同時代感覚の社会に対して自分たちが何か目標めいたものを開示していく気持ちなどというものは、更々ない。仲間〔まぶだち〕ことばは、一にストレス解消二に情報がずっしりつまっていっぱいだから短く縮めて。(「ばかものことば」などと大人に指差される快感さ、これで自分たちの存在を鼓舞し、気づいて認めてもらう?)三に「なンちゅうことばを使っているんだ、おまえの言っていることばは何を言っているのかさっぱりわからん」と言わせる快感。この三つの要素がまったりと融合していて世代の違いのなかで存在感を与えている。

 

学校内での学生同士での会話の場合

 まともにも喋れば喋ることができるのだけれど、流行語をつくったり、奇抜な言い回しを考えたりしてお互いの意志を確かめ合う。仲良ししている信頼関係を保つバロメーターがこの“若者ことば”なのかもしれない。こうしたことば表現のうちで、後世に残っていく要素もないわけではない。「老人語」「廃語」「死語」と認定されていることばがある反面、突然売れっ子となって復活することも決して不思議ではないのだ。耳からくる語の響き、妙味さ、そして需要性がことばの頻度を高めていく。楽観視するっていえば、それまでだが……。

 若者世代のことばがわからないって空回りしているのが、いつの世も中高年世代なのかもしれない。80年代の流行りことばに「か〜ら〜す、なぜ鳴くの?。カラスのかってでしょ」という表現があり、中高年世代にとって、これは許せる表現。ところが、許せないのが「オジン」「オバン」であったりする。ここに「断絶」を意識したりするとますます深みにはまってしまうのだ。ここは、存在感を鼓舞し、わからんと大人にいわせる瞬きの自己顕示欲といった若者の心を仏様の手のなかで遊ぶ“尊語食う(孫悟空)”で見てやることも中高年には、必要なのではなかろうか。仲間うちことばで語っている間は、社会的存在としてのひとりの人間として生得のことばを持つことはできないからだ。これに気づいた時、若者は若者ことばから「一抜けた、二抜けた」と抜けて出ていくようだ。

 学校でひろった若者ことば

 

1970年代以前の若者ことば

1970年代

 タモリ(森田)さん。笑福亭鶴光さん「オールナイトニッポン」。

 大阪在住時代の歌手北山修さんこと「自切俳人〔ジキルハイド〕」さんがいました。

 ●「シラケる」<どっちらけ・ホワイトキック・シロいね>

遊び語の表現

 ○「話がピーマン」:中身が空っぽ>「話がレタス」:蒼くなるような話>「話がトマト」:真っ赤なウソ>「話がピラフ」:ごちゃまぜ、こんがらがる>

形容詞化

オチ語の表現<ひけらかし>

頭目語による集約の表現

 

1980年代

 勝手・都合の言い立ての「かね」「めし」「うるせえ」が親と子をつなぐ若者の会話形式である。この若者たちが使うことばに、パロディ感覚嗜好な表現が登場した。雑誌「ビックリハウス」に掲載された「あなたのおかけになった電話は現在疲れております。元気な時におかけ直し下さい」。「仲良しおよし」。「老いるショック」「おなか一杯胸おっぱい」「ピンポン暇なし」とやっている。

 語感の異なりもあった。木下順二さんの戯曲『夕鶴』“つう”のセリフ「やめて!」を見て聞いて高校生がドッと笑い出した。辺見マリさんの歌う『経験』の歌いだし「やめて!」を意識したのである。

「やはり」は、「やっぱり」となって、これが「やっぱし」が使われ始めている。「ぴったり」が「ぴったし」、「あんまし」「わりかし」と“り”から“し”へと転化を若者用語は使用している。

1、人名篇(入れ替え型

 ○みっともねえよ:ねもとみつよ(ピンクレディーのミイちゃん)

 ○じけんだわさ:沢田研二

2、挨拶篇

3、応答篇

4、「る」付けの動詞化

いずれも野球選手名だが、歌手では沢田研二の「ジュリる」(気取ること)がある。「る」つけの元祖は、「バドる」:裏切ること(第二次世界大戦終盤近く、ムッソリーニにかわって傀儡政権をたてたバドリオが連合国側と講和したことから)

 

1990年代

携帯電話・ポケベル用語

象徴語

省略(上略)

省略(中略)

省略(下略)

省略(二箇所)

省略(複合語各々上略)

省略(複合語各々下略)

省略(文言)

置換

もじり

語呂合わせ

顛倒

頭目語化

「る」ことば

敬称「くん」と「ちゃん」

挨拶表現

 「バイバイブー」(したっけネ):さようなら。

感情表現

   進行度合いによる使い分け

    めっちゃむかつく>ガンむかつく>おにむかつく

待ち合わせ・遊び場所(札幌編)

その他

補遺編

 ○ 「ガン黒」:がんがんに黒い。

 

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