2001.06.14演習作業(萩原義雄)

ザウサ【造作】とザウサク【造作】&ザフサク【雜作】

大槻文彦編『大言海

 ザウサゾウサ造作】(名・漢語)

集韻「作、子賀切、音佐」字典「今、方音、作、讀、俗用(サ)」作(サク)の字、去聲となる時は、名詞として、仕業の意となるか(大藏法數、惡道「謂一切衆生、造作惡業、而生其處」作用(サヨウ)、所作(シヨサ)、動作(ドウサ)、坐作(ザサ)進退、など云ふ、皆、同じ)造作、製作が、やがて、手間の意に移れるなり〕

(一)手間(てま)。手數(てかず)。ザウサもない、ザウサないと云へば、たやすし、容易(ヨウイ)なり、の意にて、無ざうさ、と云へば、心を勞せず、力を費さず、の意なり。※孟子抄(文明)一28「權ハ、はかりノおもし、衡ハ、はかりノさをゾ、ソレヲ以テ知レバ、ざうさもない」※、四27「造作もない、文の上で聞えたり」※醒睡笑(元和、安樂庵策傳)五、上戸「酒ヲ飲ム時、云云、口ヘ入レバ、ソノママ喉ヘ、造作もなく、走りコム」※渡邊幸庵對話(寳永、三十輻(みそのや)、四)水門光圀卿ニ對シテ、朱舜水ノ言「御庭之西湖、相違有∨之旨、難ジ、云云、悉ク直シ申候ハ、造作ナル事ニテ候」※傾城色三味線(元禄、自笑)「水風呂ヨリ、湯風呂ガ徳ナレド、コレヲコシラヘルコトヲ、造作ニ思ヒ」。

(二)饗應を謝するに云ふ語。(調理、配膳の手數に云ふなり) 「色色、御(ゴ)ざうさニアツカリマシタ」。《2-0430-3,787a10⇒供応>応対>社交>文化》

 ザウサクゾウ―造作】(名・漢語)

(ざうさ(造作)、及、ざふさく(雜作)を併せ見よ)(一)造(つく)ること。こしらへ、作ること。製作。※易經、繋辭、下傳、疏「包犠法天地八卦」。 (二)家を、建つること。家作(カサク)。建築。工事。※倭名抄、十五5「造作具」(工匠の用具を記せり)。※明月記、天福二年八月五日、京中大火「自翌日皆造作」。※著聞集、十六、興言利口「或上達部、嵯峨邊に、ざうさくせむとて、見ありきけるに」。※下學集、下、態藝門「造作(ゾウサク)、造營」。《2-0431-3,391-32.394-13.611-14.943-01⇒製造・建造>生産>人事.容貌>人事.建物>文化》

 ザフサクゾウ―雜作】(名・漢語)

〔當字(あてジ)に、造作と書く〕(一)家を建てたる後に、床間(とこのま)、戸棚、梯子段など、種種、造り添ふるもの。「造作附貸家」。 (二)俗に、人の顔面の、眉、目、鼻、口。相好(サウガウ)。「顔の造作」。大いに笑ふを、ざふさくをくづすと云ふ。《2-0524-2,611-14.943-01⇒容貌>人事.建物>文化》

 

三省堂『大辞林』第二版からの検索結果 

 ぞうさ ざう― 造作 ざふ― 雑作】(名)スル

(1)手間や費用のかかること。面倒なこと。「なんの―もない」

(2)もてなし。御馳走。「飛んだ御―を頂きます/高野聖(鏡花)」

(3)技巧。装飾。「まさしく―の一もなく、風体心をも求めず/遊楽習道風見」

(4)作り出すこと。「大悟を拈来し、迷を―するか/正法眼蔵」

 ぞうさく ざう― 造作】(名)スル

(1)家を建てたり、手を入れたりすること。「両親の隠居所を―する」

(2)建物の内部の仕上げ工事。天井・床板・建具・棚・階段などを取り付けること。また、そのもの。

(3)顔のつくり。目鼻立ち。「顔の―がまずい」

(4)つくること。また、つくられたもの。「かりそめにも此理に心を注がずして、其人物を―せば/小説神髄(逍遥)」

 

国立国語研究所編、雑誌『太陽』Ver03,1901年版にみる「造作」の語

1、續古事談卷四には最澄の能畫を説き、慈覺大師傳には圓仁の曼荼羅造作を言へり。其他圓珍(智證大師)眞濟等何れも繪畫をものしゝが如し。,1901年02号,P102A09〜P109B10,(歴史地理),「王朝の絵画」,高山樗牛,文語,NDC720(芸術)

2、ごとく、遠淺にして舟を舶するに便ならず、人力車、無造作に海中に引き入れ、舟の傍まで來り、客は直に乘り移る,1901年03号,P118B01〜P133A19,(歴史地理),「鎮西游記」,久保天随,文語,NDC291(歴史)

3、、冷飯草履、頬冠といふ扮裝の男が、片手に油の鑵を無造作に繩搦げにして、町で流行る東雲節を唄ひながら、路を,1901年07号,P102B13〜P105B19,(小説雑俎),「眼前の春光」,川上眉山,口語,NDC913(文学)

4、國の熱帶地方の風に同じきを驚き、切り替へ畑と申す無雜作なる自然力利用の農法に呆れ、牛の牧塲、ならびに煉乳,1901年02号,081A01〜094A11,(小説),「縁の糸」,幸田露伴

5、の人爲の骨折を加へて早熟の野菜など作るより島にて無雜作に作りて舟廻しにするかた遙に利益ありといふ算盤を立,1901年02号,081A01〜094A11,(小説),「縁の糸」,幸田露伴

4の一文表示

さて山(やま)(した)(くん)、舊(きう)(らふ)(その)(ち)(しゆつ)(ぱつ)、まづ大(おほ)(しま)へ渡(わた)られ、女(をんな)の黒(くろ)(も)綿(めん)に花(はな)(ざゝ)の紅(べに)(い)り紋(もん)(つき)を着(き)たる風(ふう)を見(み)て吃驚(びつくり)(いた)され、また水(みづ)(がめ)を頭(かしら)に戴(いたゞ)きて行(ゆ)くこと遠(とほ)き外(ぐわい)(こく)の熱(ねつ)(たい)(ち)(はう)の風(ふう)に同(おな)じきを驚(おどろ)き、切(き)り替(か)へ畑(ばた)と申(まを)(む)(ざう)(さ)なる自(し)然(ぜん)力(りき)利(り)用(よう)の農(のう)法(はふ)に呆(あき)れ、牛(うし)の牧(ぼく)塲(ぢやう)、ならびに煉(れん)乳(にゆう)事(じ)業(げふ)の少(すこ)し規(き)模(ぼ)あるを褒(ほ)め、ぼうけ船(ぶね)、いそつぱり船(ぶね)の作(つく)りかた、用(もち)ゐかた、一尺(しやく)も長(なが)き泛子(うき)を使(つか)ひ、海(かい)草(さう)を餌(ゑ)にしてブダヒを釣(つ)る長閑(のどか)さ加(か)減(げん)などを知(し)り、牛(うし)鴿(はと)の聲(こゑ)を何(なに)かと訝(いぶか)しみなどして、此(こ)處(ゝ)に遠(ゑん)洋(やう)漁(ぎよ)業(げふ)の根(こん)據(きよ)地(ち)を置(お)くべき考(かんが)へ、四國(こく)中(ちゆう)國(ごく)を壓(あつ)倒(たう)すべき自(し)然(ぜん)力(りよく)製(せい)鹽(えん)塲(ぢやう)設(せつ)立(りつ)等(とう)の考(かんが)へを懷(くわい)胎(たい)して、新(にひ)島(じま)へ渡(わた)り、前(まへ)濱(はま)の海(うみ)邊(べ)の白(しろ)砂(すな)にして美(うつく)しく、硝子(びいどろ)石(いし)交(まじ)りなるを、何(なに)にか用(もち)ゐかたあるまじきやと考(かんが)へ、鰹(かつを)鳥(どり)と俗(ぞく)に申(まを)す鳥(とり)の御(ご)馳(ち)走(そう)に鳥肉(とり)か魚肉(うを)かと迷(まど)ひ、椿(つばき)の花(はな)の美(うつく)しきに驚(おどろ)き、女(をんな)の島(しま)田(だ)髷(わげ)を多(おほ)く結(ゆ)ふを見(み)て、埴(はに)輪(は)人(にん)形(ぎやう)の古(こ)俗(ぞく)に照(て)らし考(かんが)へ、此島(こゝ)も大(おほ)島(しま)と同(おな)じく女(をんな)共(ども)の襷(たすき)を何(なん)本(ぼん)と無(な)く有(も)ちて一種(しゆ)の虚飾(みえ)とするを不(ふ)審(しん)し、それより神(かう)津(づ)島(しま)に渡(わた)り、此島(こゝ)も前(まへ)濱(はま)の砂(すな)美(うつく)しく、しかも十勝(かち)石(いし)のやうなる石(いし)、桔梗(きゝやう)箔(ばく)、五色(しき)石(せき)などあるを見(み)て、船(ふね)のばらすに此品(これ)を俵(へう)詰(づめ)にして東(とう)京(けい)へ持(も)ち返(かへ)らせ、いろ〜〜利(り)用(よう)の路(みち)あるべしなどゝ細微(こまか)なところまで勘(かん)考(かう)の由(よし)、島(しま)名(めい)産(さん)の椿(つばき)の油(あぶら)の穿(せん)鑿(さく)を此(こ)處(ゝ)にて根(ね)穿(ほ)り葉(は)穿(ほ)り聞(き)き取(と)り、三宅(やけ)島(じま)を後(あと)廻(まは)しにして八丈(じやう)島(じま)に飛(と)び八丈(じやう)島(じま)の本(ほん)名(みやう)は八郎(らう)島(じま)にして、八郎(らう)は即(すなは)ち爲(ため)朝(とも)のこと、八郎(らう)を八丁(ちやう)といふやうに訛(なま)るは、今(いま)も西(さい)國(こく)の人(ひと)などは常(つね)に爲(す)ることなれば疑(うたが)ふべからずといふことを一寸(ちよつと)雜(ざつ)學(がく)者(しや)めかして考(かんが)へ浮(うき)田(た)秀(ひで)家(いへ)、近(こん)藤(どう)重(ぢゆう)藏(ざう)忰(せがれ)富(とみ)藏(ざう)などの逸(いつ)話(わ)を尋(たづ)ね、宗(そう)福(ふく)寺(じ)を見(み)、又(また)所謂(いはゆる)八丈(じやう)縞(じま)を詮(せん)議(ぎ)し、島(しま)にては之(これ)を丹(たん)後(ご)縞(じま)といふに驚(おどろ)きて製(せい)法(はふ)の傳(でん)來(らい)を稽(かんが)へ、且(かつ)は内(ない)地(ち)にて鳶(とび)色(いろ)といふ色(いろ)を島(しま)にては樺(かば)色(いろ)といふに、成(なる)程(ほど)と合(が)點(てん)するところあり。

住宅や造作にまつわる諺

その他のHPに見える「造作(ゾウサク)」の語

1、造作五逆罪 常念地藏尊 遊戲諸地獄 決定代受苦《『講式造作五逆罪》

2、「ブス」ってのは一体何なんだろうね? それはただ単に、顔の造作に対してのみ当てはまる表現なんだろうか。あたしが思うに、世の中「美人」と「ブス」にわかれるんじゃなくて、ほんとは「好きな顔」と「そうでない顔」にわかれるんじゃないだろうか。

3、ここには、自分が書いた文章がおいてあります。表とか、何やら。造作文章も消したりまた復活させたいと思います。ゆっくりと。

4、一般的に芸能界のタレントさんは目や鼻が大きいようです。つまり顔の大きさに比べて造作が普通の人よりひとまわり大きいと思います。それは豊かな表情や感情を人に強く訴えることができる。そして普通の人より目立つことが最大のポイントと言えます。たとえ演技力が優れていても造作が小さかったら充分に伝わらないので努力はムダになります。

《補遺》ここで、明治中期・大正・昭和初期と幅広い年月のなかで使用されてきた『大言海』と現代の大型国語辞書『大辞林』を比較し、意味の細分化を知る。また、漢字表記「造作」には、「ゾウサ」という読みのほかに、通常「ゾウサク」という読み方があって、その意味を異にする。この識別も振り仮名がない文章に用いられている場合、文脈からその意味を知り、読みを瞬時に還るという国語能力技術が要求されてくるのである。

 その意味から、今回、国立国語研究所《国語辞書編纂室》が試験的に公開している雑誌『太陽』コーパスVer05,1901年版での検索システムはそのひとつの割り出しに寄与するものである。ここで、「造作」を検索してみると、上記三例が抽出でき、この詳細は、第一は、「ゾウサク」と読み第二第三は、「無造作」とあることから「ムゾウサ」と読むことになる。「無造作」については、『大言海』に、「無ざうさ、と云へば、心を勞せず、力を費さず、の意なり」とあって、「造作」の意義説明のなかで収録されているが、この『太陽』抽出の用例とは些少表現ニュアンスがズレてしまうようにも思えてならない。これを現代国語辞書である新明解国語辞典』第五版を繙くと、

むぞうさ ―ザウ―無造作】―な/―に 大変な事とは考えずに気軽にする様子。

とあって、「気軽に」「気楽に」「あっさりと」といった感覚意味表現であり、そのようにものごとを処理する様子をいう意味がここでも的を射ていて、既に近代の文章に表出していることが確認できるのである。また、『大言海』に標記語「雜作」についても同じく検索を試みるに、「無雜作」なる二語が得られ、この表記法は、幸田露伴の小説『縁の糸』に用いられているもので一作家の表記法を示しているものである。この「ムゾウサ」の語を「無雜作」と表記する用例をさらに拡張してみておく必要がある。これを否定形で表現すると、「ゾウサもない」となるが、「ムゾウサ」と「ゾウサもない」では意味を一にしていないことも知れよう。

 次に『大言海』の注記に、「當字(あてジ)に、造作と書く」とある点について触れておきたい。大槻文彦博士は、「雑作」を本字とし、宛字に「造作」が用いられているという見解を示しているのであるが、これを近年の国語学者佐藤喜代治博士は、「造作」が本字で「雑作」を逆に宛字として下記《参考資料》のなかで説明している。

「雑作」は、人にまじって働くという意。『史記』司馬相如伝。

「造作」は、造るという意。『増一阿含經』巻二十七。

      作為・行為という意味。『立世阿毘曇論』巻九

人をもてなすために骨折ること。⇒近松浄瑠璃『薩摩歌』『嵯峨天皇甘露雨』。

中華若木詩抄』巻上の「造作モナイ」と素隠『三体詩抄』巻一の「雑作モナク」。

参考資料佐藤喜代治編『日本の漢語』(角川書店刊)の三二四頁から三二五頁の「雑作&造作」。

―已下継続―