2001,08,15更新 【風姿花伝】  それ、申樂延年の事態、その源を尋ぬるに、あるひは佛在所より起り、あるひは神代より傳はるといへども、時移り、代隔りぬれば、その風を学ぶ力及び難し。近來、萬人のもてあそぶところは、推古天皇の御宇に、秦河勝に仰せて、かつは天下安全のため、かつは諸人快樂のため、六十六番の遊宴をなして、申樂と號せしより以來、代々の、風月の景を假りて、この遊びの媒とせり。その後、かの河勝の遠孫、この藝を相續ぎて、春日・日吉の神事に從ふ事、今に盛んなり。  されば、古きを学び、新しきを賞する中にも、全く風流を邪にすることなかれ。ただ、言葉賤しからずして、姿幽玄ならんを、達人とは申すべきか。先ず、道に至らんと思はん者は、非道を行ずべからず。ただし、歌道は風月延年の飾りなれば、もつともこれを用ふべし。およそ、若年より以來、身聞き及ぶところの稽古の條々、大概注しおくところなり。      一、好色・博奕・大酒、三重戒、これ古人の掟なり。 一、稽古は強かれ、諍識はなかれとなり。           「風姿花傳第一 年來稽古條々 上」       七歳  一、この藝において、大方、七歳をもて初めとす。この比の能の稽古、必ず、その者自然とし出だすことに、得たる風體あるべし。舞・働きの間、音曲、もしくは怒れる事などにてもあれ、ふとし出ださんかかりを、うちまかせて、心のままにせさすべし。さのみ、よき、あしきとはヘふべからず。餘りにいたく諫むれば、童は氣を失ひて、能ものぐさくなり立ちぬれば、やがて能は止まるなり。  ただ、音曲・働き・舞などならでは、せさすべからず。さのみの物まねは、たとひすべくとも、ヘふまじきなり。大場などの脇の申樂には立つべからず。三番・四番の、時分のよからんずるに、得たらん風體をせさすべし。      十二、三より  この年の比よりは、早や、やう/\、聲も調子にかかり、能も心づく比なれば、次第/\に、物數をもヘふべし。先ず、童形なれば、何としたるも幽玄なり。聲も立つ比なり。二つの便りあれば、わろき事は隠れ、よき事はいよ/\花めけり。  大方、兒の申樂に、さのみに細かなる物まねなどは、せさすべからず。當座も似合わず、能も上がらぬ相なり。ただし、堪能になりぬれば、何としたるもよかるべし。兒と云ひ、しかも上手ならば、何かはわろかるべき。  さりながら、この花は、誠の花には非ず。ただ、時分の花なり。されば、この時分の稽古、すべて/\やすきなり。さるほどに、一期の能の定めにはなるまじきなり。この比の稽古、やすき所を花に當てて、態を大事にすべし。働きをも確やかに、音曲をも、文字にさは/\と當り、舞をも、手を定めて、大事にして稽古すべし。      十七、八より  この比は、また、餘りの大事にて、稽古多からず。先ず、聲變りぬれば、第一の花失せたり。體も腰高になれば、かかり失せて、過ぎし比の、聲も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、手立てはたと變りぬれば、氣を失ふ。結局、見物衆もをかしげなる氣色見えぬれば、恥ずかしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。  この比の稽古には、ただ、指をさして人に笑はるるとも、それをば顧みず、内にては、聲の届かん調子にて、宵・暁の聲を使ひ、心中には、願力を起して、一期の堺ここなりと、生涯にかけて能を捨てるより外は、稽古あるべからず。ここに捨つれば、そのまま能は止まるべし。  惣じて、調子は聲によるといへども、黄鐘・盤渉をもて用ふべし。調子にさのみかかれば、身なりに癖出で夾るものなり。また、聲も、年寄りて損ずる相なり。      二十四、五  この比、一期の藝能の定まる初めなり。さるほどに、稽古の堺なり。聲も既に直り、體も定まる時分なり。されば、この道に二つの果報あり。聲と身なりなり。これ二つは、この時分に定まるなり。年盛りに向ふ藝能の生ずる所なり。さるほどに、外目にも、すは上手出で來たりとて、人も目に立つるなり。本、名人などなれども、當座の花に珍しくして、立合勝負にも一旦勝つ時は、主も上手と思ひ初むるなり。これ、返す/\主のため仇なり。これも誠の花には非ず。年の盛りと、見る人の、一旦の心の珍しき花なり。眞の目利きは見分くべし。  この比の花こそ初心と申す比なるを、極めたるやうに主の思ひて、早や、申樂にそばみたる輪説をし、至りたる風體をする事、あさましき事なり。たとひ、人も讚め、名人などに勝つとも、これは、一旦珍しき花なりと思ひ覺りて、いよ/\、物まねをも直にし定め、なほ、得たらん人に事を細かに問ひて、稽古をいや増しにすべし。されば、時分の花を誠の花と知る心が、眞實の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて、花の失するをも知らず。初心と申すはこの比の事なり。  一、公案して思ふべし。我が位のほどをよく/\心得ぬれば、それほどの花は一期失せず。位より上の上手と思へば能、本ありつる位の花も失するなり。よく/\心得べし。      三十四、五  この比の能、盛りの極めなり。ここにて、この條々を極め覺りて、堪能になれば、定めて、天下に許され、名望を得つべし。もし、この時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどもなくば、いかなる上手なりとも、未だ、誠の花を極めぬ爲手と知るべし。もし極めずば、四十より能は下るべし。それ、後の證據なるべし。さるほどに、上るは三十四五までの比、下るは四十以來なり。返す/\、この比、天下の許されを得ずば、能を極めたりと思ふべからず。  ここにて、なほ愼むべし。この比はすぎし方をも覺え、また、行き先の手立をも覺る時分なり。この比極めずば、この後、天下の許されを得ん事、返す/\難かるべし。      四十四、五  この比よりの能の手立、大方變るべし。たとひ、天下に許され、能得法したりとも、それに附けても、よき脇の爲手を持つべし。能は下らねども、力なく、やう/\年ゆけば、身の花も、外目の花も、失するなり。先づ、優れたらん美男は知らず、よきほどの人も、直面の申樂は、年寄りては見られぬものなり。さるほどに、この一方は缺けたり。  この比よりは、さのみに細かなる物まねをばすさまじきなり。大方、似合ひたる風體を、安々と、骨を折らで、脇の爲手に花を持たせて、あひしらひのやうに、少な/\とすべし。たとひ、脇の爲手なからんに附けても、いよ/\、細かに身を砕く能をばすまじきなり。何としても、外目花なし。もし、この比まで失せざらん花こそ、誠の花にてはあるべけれ。  それは、五十近くまで失せざらん花を持ちたる爲手ならば、四十以前に天下の名望を得つべし。たとひ、天下の許されを得たる爲手なりとも、さやうの上手は、殊に我が身を知るべければ、なほ/\、脇の爲手を嗜み、さのみに身を砕きて、難の見ゆべき能をばすまじきなり。かやうに我が身を知る、得たる人の心なるべし。      五十有餘  この比よりは、大方、せぬならでは、手立あるまじ。「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申す事あり。さりながら、誠に得たらん能者ならば、物數はみな/\失せて、善悪見所は少なしとも、花は残るべし。  亡父にて候ひし者は、五十二と五月に死去せしが、その月の四日の日、駿河の國浅間の御前にて法楽仕り、その日の申樂、殊に花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり。およそ、その比、物數をば早や初心に譲りて、やすき所を少な/\と色へてせしかども、花はいや増しに見えしなり。これ、誠に得たりし花なるが故に、能は枝葉も、老木になるまで、花は散らで残りしなり。これ、目のあたり、老骨に残りし花の證據なり。                                 年來稽古以上           「風姿花傳第二 物學條々 中」  物まねの品々、筆に盡し難し。さりながら、この道の肝要なれば、その品々を、いかにも/\嗜むべし。およそ、何事をも、残さず、よく似せんが本意なり。しかれども、また、事によりて、濃き、淡きをしるべし。  先づ、國王・大臣より始め奉りて、公家の御たたずまひ、武家の御進退は、及ぶべき所にあらざれば、十分ならん事難し。さりながら、よく/\、言葉を尋ね、科を求めて、見所の御意見を待つべきか。そのほか、上職の品々、花鳥風月の事態、いかにも/\、細かに似すべし。田夫・野人の事に至りては、さのみに細かに、賤しげなる態をば似すべからず。假令、木樵・草刈・炭焼・鹽汲などの、風情にもなりつべき態をば、細かに似すべきか。それよりなほ奄オからん下職をば、似すまじきなり。このあてがひを、よく/\心得べし。      女  およそ、女かかり、若き爲手の嗜みに似合ふ事なり。さりながら、これ、一大事なり。 先づ、仕立見苦しければ、さらに見所なし。女御・更衣などの似せ事は、たやすくその御振舞を見る事なければ、よく/\伺ふべし。衣・袴の着様、すべて、私ならず。尋ぬべし。ただ、世の常の女かかりは、常に見馴るる事なれば、げにはたやすかるべし。ただ、衣小袖の出立は、大方の體、よしよしとあるまでなり。舞・白拍子、または、物狂ひなどの女かかり、扇にてもあれ、插頭にてもあれ、いかにも/\弱々と、持ち定めずして持つべし。衣・袴などをも長々と踏みくくみて、腰・膝は直に、身はたわやかなるべし。顔の持ち様、仰けば見目わろく見ゆ。俯けば後姿わろし。さて、首持ちを強く持てば、女ににず。いかにも/\、袖の長き物を着て、手先をも見すべからず。帯などをも、弱々とすべし。されば、仕立を嗜めとは、かかりをよく見せんとなり。いづれの物まねなりとも、仕立わろくてはよかるべきなかれども、殊さら、女かかり、仕立をもつて本とす。      老人  老人の物まね、この道の奥儀なり。能の位、やがて外目に現はるる事なれば、これ、第一の大事なり。  およそ、能をよきほど極めたる爲手も、老いたる姿は得ぬ人多し。例へば、木樵・鹽汲の態などの翁形をし寄せぬれば、やがて上手と申す事、これ、誤りたる批判なり。冠・直衣・烏帽子・狩衣の老人の姿、得たらん人ならでは、似合ふべからず。稽古の劫入りて、位上らでは、似合ふべからず。 また、花なくば、面白き所あるまじ。およそ、老人の立ち振舞、老いぬればとて、腰・膝を屈め、身を詰むれば、花失せて、古様に見ゆるるなり。さるほどに、面白き所稀なり。ただ、大方、いかにも/\、そぞろかで、しとやかに立ち振舞ふべし。殊さら、老人の舞かかり、舞上の大事なり。花はありて年寄と見ゆるる公案、委しく口傳あり。習ふべし。ただ、老木に花の咲かんが如し。      直面  これまた、大事なり。およそ、もとより俗の身なれば、やすかりぬべき事なれども、不思議に、能の位上がらねば、直面は見られぬものなり。  先づ、これは、假令、その物/\によりて学ばん事、是非なし。面色をば似すべき道理もなきを、常の顔に變へて、顔気色を繕ふ事あり。さらに見られぬものなり。振舞・風情をば、その物に似すべし。顔気色をば、いかにもいかにも、己なりに、繕はで直に持つべし。      物狂  この道の、第一の面白盡くの藝能なり。物狂ひの品々多ければ、この一道に得たらん達者は、十方へ亙るべし。くり返し/\、公安の入るべき嗜みなり。假令、憑物の品々、神・佛・生霊・死霊の咎めなどは、その憑物の體を学べば、やすく便りあるべし。親に別れ、子を尋ね、夫に捨てられ、妻に後るる、かやうの思ひに狂乱する物狂い、一大事なり。よきほどの爲手も、ここを心に分けずして、ただ一偏に狂ひ働くほどに、見る人の感もなし。思ひ故の物狂いをば、いかにも、物思ふ気色を本位にあてて、狂ふ所を花にあてて、心を入れて狂へば、感も、面白き見所も、定めてあるべし。かやうなる手柄にて、人を泣かする所あらば、無上の上手と知るべし。これを、心底に、よく/\思ひ分くべし。  およそ、物狂ひの出立、似合ひたるやうに出で立つべき事、是非なし。さりながら、とても物狂ひに事寄せて、時によりて、何とも花やかに出で立つべし。時の花を插頭にさすべし。  また云はく、物まねなれども、心得べき事あり。物狂ひは、憑物の本意を狂ふといへども、女物狂ひなどに、あるいは修羅・闘諍・鬼神などの憑く事、これ、何よりも悪きことなり。憑物の本意をせんとて、女姿にて怒りぬれば、見所似合はず。女かかりを本意にすれば、憑物の道理なし。また、男物狂ひに女などの寄らん事も、同じ了簡なるべし。所詮、これ體なる能をばせぬが秘事なり。能を作る人の了簡なき故なり。さりながら、この道に長じたらん書き手の、さやうに合はぬ事を、さのみに書く事はあるまじ。この公案を持つ事、秘事なり。  また、直面の物狂ひ、能を極めてならでは、十分にあるまじきなり。顔気色をそれになさねば、物狂ひに似ず。得たる所なくて、顔気色を變ゆれば、見られぬ所あり。物まねの奥儀とも申しつべし。大事の申樂などには、初心の人、斟酌すべし。直面の一大事、物狂ひの一大事、二色を一心になして、面白き所を花にあてん事、いかほどの大事ぞや。よくよく稽古あるべし。      法師  これは、この道にありながら、稀なれば、さのみの稽古入るべからず。假令、莊嚴、並びに僧綱等は、いかにも威儀を本として、氣高き所を学ぶべし。それ以下の法體、遁世、修行の身に至りては、斗そうを本とすれば、いかにも思ひ入りたる姿かかり、肝要たるべし。ただし、賦物によりて、思ひの外の手数の入る事もあるべし。      修羅  これまた、一體のものなり。よくすれども、面白き所稀なり。さのみにはすさまじきなり。ただし、源平などの、名のある人の事を、花鳥風月に作り寄せて、能よければ、何よりもまた面白し。これ、殊に花やかなる所ありたし。これ體なる修羅の狂ひ、ややもすれば、鬼の振舞になるなり。または、舞の手にもなるなり。それも曲舞がかりあらば、少し、舞がかりの手使ひ、よろしかるべし。弓・胡簗を携へて、打物をもてかざりとす。その持ち様・使い様を、よくよく伺ひて、その本意を働くべし。相構へて相構へて、また、舞の手になる所を用心すべし。      神  およそ、この物まねは、鬼がかりなり。何となく怒れる粧ひあれば、神體によりて、鬼がかりにならんも苦しかるまじ。ただし、はたと變れる本意あり。神は、舞がかりの風情によろし。鬼には、さらに、舞がかりの便りあるまじ。神をば、いかにも、神體によろしきやうに出で立ちて、殊さら、出物にならでは、神と云ふ事はあるまじければ、衣装を飾りて、衣文をつくろひてすべし。      鬼  これ、殊さら、大和のものなり。一大事なり。およそ、怨霊・憑物などの鬼は、面白き便りあればやすし。あひしらひを目がけて、細かに足手を使ひて、物頭を本にして働けば、面白き便りあり。誠の冥途の鬼、よく学べば恐ろしき間、面白き所さらになし。誠は、餘りの大事の態なれば、これを面白くする者稀なるか。先づ、本意は、強く、恐ろしかるべし。強きと恐ろしきは、面白き心には變れり。  そも/\、鬼の物まね、大なる大事あり。よくせんに附けて、面白かるまじき道理あり。恐しき所、本意なり。恐しき心と面白きとは、黒白のひなり。されば、鬼の面白き所あらん爲手は、極めたる上手つも申すべきか。  さりながら、それも、鬼ばかりをよくせん者は、殊さら、花を知らぬ爲手なるべし。若き爲手の鬼は、よくしたりとは見ゆれども、さらに面白からず。鬼ばかりをよくせん者は、鬼も面白かるまじき道理あるべきか。委しく習うべし。たふぁ、鬼の面白からん嗜み、巌に花の咲かんが如し。      唐事  これは、およそ、格別の事なれば、定めて稽古すべき形木もなし。ただ、肝要、出立なるべし。また、面をも、同じ人と申しながら、模様の變りたらんを着て、一體異様したるやうに風體を持つべし。却入りたる爲手に似合ふ物なり。ただ、出立を唐様と云ふ事は、誠に似せたりとも、面白くもあるまじき風體なれば、ただ、一模様心得んまでなり。  この、異様したると申す事など、かりそめながら、諸事に亙る公案なり。何事か、異様してよかるべきかなれども、およそ、唐様をば何とか似すべきなれば、常の振舞に風體變れば、何となく唐びたるやうに外目に見なせば、やがて、それに成るなり。  大方、物まねの條々、以上。この外、細かなる事、紙筆に載せ難し。さりながら、およそ、この條々をよく/\極めたらん人は、おのづから、細かなる事をも心得べし。           「風姿花傳第三 問答條々 下」 問。そも/\、申樂を始むるに、當日に臨んで、先づ、座敷を見て、吉凶を豫て知る事は、いかなる事ぞや。 答。この事、一大事なり。その道に得たらん人ならでは、心得べからず。  先づ、その日の庭を見るに、今日は、能、よく出で来べき、あしく出で来べき、瑞相あるべし。これ、申し難し。しかれども、およその了簡をもつて見るに、神事・貴人の御前などの申樂に、人群集して、座敷未だに静まらず。さるほどに、いかにも/\静めて、見物衆申樂を待ちかねて、数万人の心、一同に、遅しと樂屋を見る所に、時を得ち出でて、一聲をもあぐれば、やがて、座敷も時の調子に移りて、萬人の心、爲手の振舞に和合して、しみ/\となれば、何とするも、その日の申樂は早やよし。  さりながら、申樂は、貴人の御出を本とすれば、もし、はやく御出である時は、やがて始めずしては叶はず。さるほどに、見物衆の座敷未だ定まらず、あるいは、遅ればせなどにて、人の立居しどろにして、萬人の心、未だ能にならず。されば、左右なくしみじみとなる事なし。これ、座敷を静めんためなり。さやうならんに附けても、殊さら、その貴人の御心に合ひたらん風體をすべし。されば、かやうなる時の脇の能、十分によからん事、返す/\あるまじきなり。しかれども、貴人の御意に叶へるまでなれば、これ、肝要なり。何としても、座敷の早や静まりて、おのづからしみたるは、わろき事なし。されば、座敷の競ひ・後れを考えて見る事、その道に長ぜざらん人は、左右なく知るまじきなり。  また云はく。夜の申樂は、はたと變るなり。夜は遅く始まれば、定まりて湿るなり。されば、晝、二番目によき能の體を、夜の脇にすべし。脇の申樂湿り立つぬれば、そのまま能は直らず。いかにも/\、よき能を利かすべし。夜は、人音騒々なれども、一聲にてやがて静まるなり。しかれば、晝の申樂は後がよく、夜の申樂は、指寄よし。指寄湿り立ちぬれば、直る時分左右なくなし。  秘儀に云はく。そも/\、一切は、陰・陽の和する所の堺を、成就とは、知るべし。晝の氣は陽氣なり。されば、いかにも静めて能をせんと思ふ企みは、陰の氣なり。陽氣の時分に陰の氣を生ずる事、陰・陽・和する心なり。これ、能のよく出で來る成就の始めなり。これ、面白しと見る心なり。夜はまた陰なれば、いかにも浮き/\と、やがてよき能をして、人の心花めくは陽なり。これ、夜の陰に、陽氣を和する成就なり。されば、陽の氣に陽とし、陰の氣に陰とせば、和する所あるまじければ、成就もあるまじ。成就なくば、何か面白からん。また、晝の内にても、時によりて、何とやらん、座敷も湿りて、淋しきやうならば、これ、陰の時と心得て、ことありとも、夜の氣の陽にならん事、左右なくあるまじきなり。座敷を豫て見るとは、これなるべし。 問。能に、序破急をば何とか定むべきや。 答。これ、やすき定めなり。一切の事に序破急あれば、申樂もこれ同じ。能の風情をもて定むべし。先づ、脇の申樂には、いかにも、本説正しき事の、しとやかなるが、さのみに細かになく、音曲・働きも大方の風體にて、する/\とやすくすべし。たとひ、能は少し次なりとも、祝言ならば、苦しかるまじ。これ、序なるがゆえなり。二番・三番になりては、得たる風體の、よき能をすべし。殊さら、挙句急なれば、揉み寄せて、手数をいれてすべし。また、後日の脇の申樂には、昨日の脇に變れる風體をすべし。泣き申樂をば、後日などの中ほどに、よき時分を考へてすべし。 問。申樂の勝負の立合の手立ていかに。 答。これ、肝要なり。先づ、能数を持ちて、敵人の能に變りたる風體を、違へてすべし。序に云ふ「歌道をを少し嗜め」とは、これなり。この、藝能の、作者別なれば、いかなる上手も心のままならず。自作なれば、詞・振舞、案の中なり。されば、能をせんほどの者の、和才あらば、申樂を作らん事、やすかるべし。これ、この道の命なり。されば、いかなる上手も、能を持たざらん爲手は、一騎當千の兵なりとも、軍陣にて兵具の無からん、これ同じ。されば、手柄のせいれい、立合に見ゆべし。敵方の色めきたる能をすれば、閑かに、模様替りて、詰所のある能をすべし。かやうに、敵人の申樂に變へてすれば、いかに敵方の申樂よけれども、さのみには負くる事なし。もし、能よく出で来れば、勝つ事は治定あるべし。  しかれば、申樂の當座においても、能に上・中・下の差別あるべし。本説正しく、珍しきが、幽玄にて、面白き所あらんを、よき能とは申すべし。よき能をよくしたらんが、しかも出で来たらんを、第一とすべし。能はそれほどになけれども、本説のままに、咎もなく、よくしたらんが、出で来たらんを、第二とすべし。能はえせ能なれども、本説のわろき所を、なかなか便りにして、骨を折りてよくしたるを、第三とすべし。 問。ここに大いなる不審あり。早や却入りたる爲手の、しかも名人なるに、ただ今の若き爲手の立合に、勝つことあり。これ、不審なり。 答。これこそ、先に申しつる、三十以前の時分の花なれ。古き爲手は早や花失せて、古様なる時分に、珍しき花にて勝ことあり。眞實の目利きは見わくべし。さあらば、目利き・目利かずの、批判の勝負になるべきか。  さりながら、様あり。五十以来まで花の失せざらんほどの爲手には、いかなる若き花なりとも、勝つことはあるまじ。ただ、これ、よきほどの上手の、花の失せたる故に、負くることあり。いかなる名木なりとも、花の咲かぬ時の木をや見ん、犬櫻の一重なりとも、初花色々と咲けるをや見ん。かやうの譬へを思ふ時は、一旦の花なりとも、立合に勝つは理なり。  されば、肝要、この道は、ただ、花が能の命なるを、花の失するをも知らず、本の名望ばかりを頼むこと、古き爲手の、返す/\誤りなり。物数をば似せたりとも、花のあるやうを、知らざらんは、花咲かぬ時の草木を集めて見んが如し。萬木千草において、花の色も皆々異なれども、面白しと見る心は、同じ花なり。物数は少くとも、一方の花を取り極めたらん爲手は、一體の名望は久しかるべし。されば、主の心には、随分花ありと思へども、人の目に見ゆるる公案なからんは、田舎の花・藪梅などの、徒らに咲き匂はんが如し。 また、同じ上手なりとも、その内にて重々あるべし。たとひ、随分極めたる上手・名人なりとも、この花の公案なからん爲手は、上手にては通るとも、花は後まであるまじきなり。公案を極めたらん上手は、たとへ、能は下がるとも、花は残るべし。花だに残らば、面白さは一期あるべし。されば、誠の花の残りたる爲手には、いかなる若き爲手なりとも、勝つ事はあるまじきなり。 問。能に、得手々々とて、殊の外に劣りたる爲手も、一向き、上手に勝りたる所あり。これを上手のせぬは、叶はぬやらん。また、すまじき事にてせぬやらん。 答。一切の事に、得手々々とて、生得、得たる所あるものなり。位は勝りたれども、これは叶はぬ事あり。さりながら、これも、ただ、よきほどの上手の事にての了簡なり。誠に、能と工夫との極まりたらん上手は、などか、いづれの向きをもせざらん。されば、能と工夫とを極めたる爲手、萬人が中に、一人も無き故なり。無きとは、工夫は無くて、慢心ある故なり。そも/\、上手にもわろき所あり。下手にも、よき所必ずあるものなり。これを見る人も無し。主も知らず。上手は、名を頼み、達者に隠されて、わろき所を知らず。下手は、もとより工夫なければ、わろき所をも知らねば、よき所のたま/\あるをも辨へず。されば、上手も、下手も、互ひに人に尋ぬべし。さりながら、能と工夫を極めたらんは、これを知るべし。  いかなるをかしき爲手なりとも、よき所ありと見ば、上手もこれを学ぶべし。これ、第一の手立なり。もし、よき所を見たりとも、我より下手をば似すまじきと思ふ諍識あらば、その心にけ縛せられて、我がわろき所をも、いかさま知るまじきなり。これ、極めぬ心なるべし。また、下手も、上手のわろき所もし見えば、上手だにもわろき所あり、いはんや、初心の我なれば、さこそわろき所多かるらめと思ひて、これを恐れて、人にも尋ね工夫を致さば、いよ/\稽古になりて、能は早く上がるべし。もし、さはなくて、我はあれ體にわろき所をばすまじきものをと慢心あらば、我がよき所をも眞實知らぬ爲手なるべし。よき所を知らねば、わろき所をもよしと思ふなり。さるほどに、年は行けども、能は上らぬなり。これ、下手の心なり。されば、上手にだにも上慢あらば、能は下るべし。いはんや、叶はぬ上慢をや。よく/\公案して思へ。上手は下手の手本、下手は上手の手本なりと工夫すべし。下手のよき所を取りて、上手の物数に入るる事、無上至極の理なり。人のわろき所を見るだにも、我が手本なり。いはんや、よき所をや。「稽古は強かれ、諍識はなかれ」とは、これなるべし。 問。能に位の差別を知る事、如何。 答。これ、目利きの眼には、やすく見ゆるなり。およそ、位の上がるとは能の重々の事なれども、不思議に、十ばかりの能者にも、この位自れと上る風體あり。ただし、稽古なからんは、自れと位ありとも、徒ら事なり。先づ、稽古の却入りて、位のあらんは、常の事なり。また、生得の位とは、長なり。かさと申すは、もの/\しく、勢のある形なり。また云はく、かさは一切に亙る儀なり。位・長は別の物なり。例へば生得幽玄なる所あり。これ、位なり。しかれども、さらに幽玄にはなき爲手の、長のあるもあり。これは、幽玄ならぬ長なり。  また、初心の人、思ふべし。稽古に位を心がけんは、返す/\叶ふまじ。位はいよ/\叶はで、あまつさへ、稽古しつる分も下がるべし。所詮、位・長とは、生得の事にて、得ずしては大方叶ふまじ。また、稽古の却入りて、垢落ちぬれば、この位、自れと出で来る事あり。稽古とは、音曲・舞・働き・物まね、かやうの品々を極むる形木なり。  よく/\公案して思ふに、幽玄の位は生得のものか。長けたる位は却入りたる所か。心中に案を廻らすべし。 問。文字に當る風情とは、何事ぞや。 答。これ、細かなる稽古なり。能にもろ/\の働きとは、これなり。帯佩・身使いと申すも、これなり。例へば、言ひ事の文字に任せて、心を遣るべし。「見る」といふ事には、物を見、「指す」・「引く」などいふには、手を指し引き、「聞く」・「音する」などには、耳を寄せ、あらゆる物に任せて身を使へば、おのづから働きになるなり。第一、身を使ふ事、第二、手を使ふ事、第三、足を使ふ事なり。 節とかかりによりて、身の振舞を了簡すべし。これは筆に見え難し。その時に至りて、見るまま習ふべし。  この文字に當る事を稽古し、極めぬれば、音曲・働き、一心になるべし。所詮、音曲・働き、一心と申す事、これまた、得かある心なり。堪能と申さんも、これなるべし。秘事なり。音曲と働きとは二つの心なるを、一心になるほど達者に極めたらんは、無上第一の上手なるべし。これ、誠に、強き能なるべし。  また、強き・弱き事、多く、人紛らかすものなり。能の品の無きをば強きと心得、弱きをば幽玄なりと批判する事、をかしき事なり。何と見るも見弱りのせぬ爲手あるべし。これ、幽玄なり。されば、この文字に當る道理をし極めたらんは、音曲・働き、一心になり、強き・幽玄の堺、いづれも/\、おのづから極めたる爲手なるべし。 問。常の批判にも、萎れたると申す事あり。いかやうなる所ぞや。 答。これは悉くに記すに及ばす。その風情現はるまじ。さりながら、まさしく、萎れたる風體はあるものなり。これも、ただ、花によりての風情なり。よく/\案じて見るに、稽古にも振舞にも及び難し。花を極めたらば知るべきか。  されば、遍く物まねごとに無しとも、一方の花を極めたらん人は、萎れたる所をも知る事あるべし。しかれば、この萎れたると申す事、花よりもなほ上の事にも申しつべし。花無くては、萎れ所無益なり。それは湿りたるになるべし。花の萎れたらんこそ面白けれ、花咲かぬ草木の萎れたらんは、何か面白かるべき。されば、花をきわめん事一大事なるに、その上とも申すべき事なれば、萎れたる風體、返す/\大事なり。さるほどに、たとへにも申し難し。古歌に云はく、   薄霧の籬の花の朝じめり秋は夕と誰か言ひけんまた云はく、   色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありけるかやうなる風體にてあるべき  。心中に當てて公案すべし。 問。能に花を知る事、この條々を見るに、無上の第一なり。肝要なり。または不審なり。これ、いかにとして心得べきや。 答。この道の奥儀を極むる所なるべし。一大事とも、秘事とも、ただ、この道なり。先づ、大方、稽古・物学の條々に委しく見えたり。時分の花・聲の花・幽玄の花、かやうの條々は人の眼にも見えたれど、その態より出で来る花なれば、咲く花の如くなれば、また、やがて散る時分あり。されば、久しからねば、天下に名望少し。ただ、誠の花は、咲く道理も、散る道理も、心のままなるべし。されば、久しかるべし。  この理を知らん事、いかがすべき。もし、別紙の口伝にあるべきか。ただ、煩はしくは心得まじきなり。先づ、七歳より以来、年来稽古の條々、物まねの品々を、よく/\心中に當てて分かち覺えて、能を盡し、工夫を極めて後、この花の失せぬ所をば知るべし。この物数を極むる心、花の種なるべし。されば、花を知らんと思はば、先づ、種を知るべし。花は心、種は態なるべし。古人云はく   心 地 含 諸 種    普 雨 悉 皆 萌   頓 悟 花 情 己    菩 提 果 自 成 およそ、家を守り、藝を重んずるによて、亡父の申し置きし事どもを、心底に插みて、大概を録する所、世の謗りを忘れて、道の廃れん事を思ふによりて、全く、他人の才覚に及ぼさんとにはあらず。ただ、子孫の庭訓を残すのみなり。  風姿花傳條々以上           「第四 神儀云」  一、申樂、神代の始まりといふは、天照大神、天の岩戸に籠り給ひし時、天下常闇になりしに、八百萬の神達、天の香具山に集り、大神の御心をとらんとて、神楽を奏し、細男を始め給ふ。中にも、天の鈿女の尊、進み出で給ひて、榊の枝に幣を附けて、聲を挙げ、火處焼き、踏み轟かし、神憑りすと、歌ひ、舞ひ、かなで給ふ。その御聲ひそかに聞えければ、大神、岩戸を少し開き給ふ。國土また明白たり。神たちの御面、白かりけり。その時の御遊び、申樂の始めと云々。委しくは口傳にあるべし。  一、佛在所には、須達長者、祇園精舎、を建てて供養の時、釈迦如来、御説法ありしに、題婆、一萬人の外道を伴い、木の枝、篠の葉に幣を附けて、踊り叫めば、御供養宣べ難かりしに、佛、舎利弗に御目を加へ給へば、佛力を受け、御後戸にて、六十六番の物まねをし給へば、外道、笛・鼓の音を聞きて、後戸に集りこれを見て静まりぬ。その隙に、如来、供養を宣べ給へり。それより、天竺にこの道は始まるなり。  一、日本國においては、欽明天皇の御宇に、大和國泊瀬の河に洪水の折節、河上より一つの壺流れ下る。三輪の杉の鳥居の邊にて、雲客、この壺を取る。中にみどり子あり。貌柔和にして、玉の如し。これ、降人なるが故に、内裏に奏聞す。その夜、帝の御夢に、みどり子の云はく、「我はこれ、大國秦始皇の再誕なり。日域に機縁ありて、今現在す」と云ふ。帝、奇特に思し召し、殿上に召さる。成人に従ひて、才智人に越え、年十五にて大臣の位に昇り、秦の姓を下さるる。「秦」と云ふ文字、「はだ」なるが故に、秦河勝これなり。  上宮太子、天下少し障ありし時、神代・佛在所の吉例に任せて、六十六番の物まねを、かの河勝に仰せて、同じく六十六番の面を御作にて、河勝に興へ給ふ。橘の内裏、紫宸殿にて、これを勤ず。天下治まり、國静かなり。上宮太子、末代のため、神楽なりしを、「神」といふ文字の偏を除けて、旁を残し給ふ。これ、日よみの申なるが故に、申樂と名附く。樂を申すによりてなり。または、神楽を分くればなり。  かの河勝、欽明・敏達・用明・崇峻・推古・上宮太子に仕へ奉り、この藝をば子孫に伝へ、化人跡を留めぬによりて、摂津國難波浦より、うつぼ舟に乗りて、風に任せて西海に出づ。播磨國、越坂浦に着く。浦人舟を上げて見れば、形、人に變れり。諸人に憑き祟りて奇瑞をなす。神と崇めて、國豊かなり。大きに荒るると書きて、大荒大明人と名附く。今の世に霊験あらたなり。本地、毘沙門天王にてまします。上宮太子、守屋の逆臣を平げ給ひし時も、かの河浦が神通方便の手にかかりて、守屋は失せぬと云々。  一、平の城にしては、村上天王の御宇に昔の上宮太子の御筆の申樂延年の記を叡覧あるに、先づ、神代、佛在所の始まり、月氏・震旦・日域に伝はる狂言綺語をもて、讃佛轉法輪の因縁を守り、魔縁を退けて、福祐を招く、申樂を紫宸殿にて仕る。その比、紀權守と申す人、才智の人なりけり。これは、かの氏安が妹聟なり。これをも相伴ひて、申樂をす。  今の代の式三番これなり。則ち、法・報・應の三身の如来を象り奉る所なり。式三番の口伝、別紙にあるべし。秦氏安より光太郎、金春まで、二十九代の廟孫なり。これ、大和國圓滿井の座なり。同じく氏安より相傳へたる、聖徳太子の御作の鬼面、春日の御神影・佛舎利、これ三つ、この家に傳ふる所なり。  一、當代において、南都興福寺の維摩會に、講堂にて法味を行ひ給ふ時節、食堂にて舞延年あり。外道を和げ、魔縁を静む。その間に、食堂の前にて、かの御經を講じ給ふ。祇園精舎の吉例なり。しかれば、大和國春日興福寺神事行ひとは、二月二日、同五日、宮寺において、四座の申樂、一年中の御神事始めなり。天下泰平の御祈祷なり。  一、大和國春日御神事に相隨ふ申樂四座    外山  結崎  坂戸  圓滿井  一、江州日吉御神事に相隨ふ申樂三座    山階  下坂  比叡  一、伊勢  主司  二座  又今主司一座  一、法勝寺御修正参勤申樂三座    新座  本座  法成寺                 此三座、同、賀茂・住吉御神事にも相隨ふ           「第五 奥儀讃歎云」  そも/\、風姿花傳の條々、大方、外見の憚り、子孫の庭訓のため注すといへども、ただ望む所の本意とは、當世、この道の輩を見るに、藝の嗜みは疎かにて、非道のみ行じ、たま/\當藝に至るときも、ただ一夕の見證、一旦の名利に染みて、源を忘れて流れを失ふ事、道すでに廃る時節かと、これを歎くのみなり。しかれば、道を、嗜み、藝を重んずる所、私なくば、などかその徳を得ざらん。殊さら、この藝、その風を継ぐといへども、自力より出づる振舞あれば、語にも及び難し。その風を得て、心より心に傳はる花なれば、風姿花傳と名附く。  およそ、この道、和州・江州において、風體變れり。江州には、幽玄の堺を取り立てて、物まねを次にして、かかりを本とす。和州には、先づ、物まねを取り立てて、物数をつくして、しかも、幽玄の風體ならんとなり。しかれども、眞實の上手は、いづれの風體なりとも、漏れたる所あるまじきなり。一方の風體ばかりをせん者は、誠、得ぬ人の態なるべし。されば、和州の風體、物まね、儀理を本として、あるいは長のある粧、あるいは振舞、かくの如くの物数を、得たる所と人も心得、嗜みもこれ専らなれども、亡父の名を得し盛り、静が舞の花、嵯峨の大念佛の女性狂ひの物まね、殊に/\得たりし風體なれば、天下の褒美、名望を得し事、世もて隠れなし。これ、幽玄無上の風體なり。また、田楽の風體、殊に殊に各別の事にて、見所も、申樂の風體には批判にも及ばぬと、皆々思ひなれたども、近代にこの道の聖とも聞えし本座の一忠、殊に/\物数をつくしける中にも、鬼神の物まね、怒れる粧ひ、漏れたる風體なかりけるとこそ承りしか。しかれば、亡父は、常々、一忠が事を、我が風體の師なりと正しく申ししなり。  されば、ただ、人ごとに、あるいは諍識、あるいは得ぬ故に、一方の風體ばかりを得て、十體に亙る所を知らで、他所の風體を嫌ふなり。これは、嫌ふにはあらず、ただ、叶はぬ諍識なり。されば、叶はぬ故に、一體得たるほどの名望を、一旦は得たれども、許されを得んほどの者は、いづれの風體をするとも、面白かるべし。風體・形木は面々各々なれども、面白き所は、いづれにも亙るべし。この面白しと見るは、花なるべし。これ、和州・江州、または田楽の能にも、漏れぬ所なり。されば、漏れぬ所を持ちたる爲手ならでは、天下の許されを得ん事あるべからず。  また云はく、悉く物数を極めずとも、假令、十分に七八分極めたらん上手の、その中に、殊に得たる風體を、我が門弟の形木に極めたらんが、しかも工夫あらば、これまた、天下の名望を得つべし、さりながら、げには、十分に足らぬ所あらば、都鄙上下において、見所の褒貶の沙汰あるべし。 およそ、能の名望を得る事、品々多し。上手は、目利かずの心に相叶ふ事難し。下手は、目利きの眼に合ふ事なし。下手にて目利きの眼に叶はぬは、不審あるべからず。上手の、目利かずの心に合はぬこと、これは、目利かずの眼の及ばぬ所なれども、得たる上手にて、工夫あらん爲手ならならば、また、目利かずの眼にも面白しと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とを極めたらん爲手をば、花を極めたるとや申すべき。されば、この位に至りたらん爲手は、いかに年寄りたりとも、若き花に劣る事あるべからず。されば、この位を得たらん上手こそ、天下にも許され、また、遠國・田舎の人までも、遍く、面白しとは見るべけれ。この工夫を得たらん爲手は、和州へも、江州へも、もしくは田楽の風體までも、人の好み・望みによりて、いづれにも亙る上手なるべし。この嗜みの本意をあらはさんがため、風姿花傳を作するなり。  かやうに申せばたて、我が風體の形木の疎かならんは、殊に/\、能の命あるべからず。これ、弱き爲手なるべし。我が風體の形木を極めてこそ、遍き風體を心にかけんとて、我が形木に入らざらん爲手は、我が風體を知らぬのみならず、他所の風體をも、確かにはまして知るまじきなり。されば、能弱くて、久しく花はあるべからず。久しく花のなからんは、いづれの風體をも知らぬに同じかるべし。しかれば、花傳の花の段に、「物数をつくし、工夫を極めて後、花の失せぬ所をば知るべし」と云へり。  一、この壽福搨キの嗜みと申せばとて、ひたすら、世間の理にかかりて、もし、欲心に住せば、これ、第一、道の廃るべき因縁なり。道のための嗜みには、壽福搨キあるべし。壽福のための嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば、壽福おのづから滅すべし。正直圓明にして、世上萬徳の妙花を開く因縁なりと嗜むべし。  およそ、花傳の中、年来稽古より始めて、この條々を注す所、全く、自力より出づる才覚ならず。 于時應永第九之暦暮春二日馳筆畢  世阿           「花傳第六  花修云」  一、能の本を書くこと、この道の命なり。極めたる才学の力なけれども、ただ、巧みによりて、よき能にはなるものなり。大方の風體、序破急の段に見えたり。  殊さら、脇の申樂、本説正しくて、開口より、その謂はれと、やがて人の知る如くならんずる來歴を書くべし。さのみに細かなる風體をつくさずとも、大方のかかり、直に下りたらんが、指寄花々とあるやうに、脇の申樂をば書くべし。また、番数に至りぬれば、いかにも/\、言葉・風體をつくして、細かに書くべし。假令、名所・舊跡の題目ならば、その所によりたらんずる詩歌の、言葉の耳近らんを、能の詰め所に寄すべし。爲手の言葉にも風情にもかからざらん所には、肝要の言葉をば載すべからず。何としても、見物衆は、見る所も聞く所も、上手をならでは心にかけず。さるほどに、棟梁の面白き言葉・振り、目にさへぎり、心に浮めば、見聞く人、感を催すなり。これ、第一、能を作る手立なり。  ただ、優しくて、理のすなはちに聞ゆるやうならんずる詩歌の言葉を採るべし。優しき言葉を振りに合はすれば、不思議に、おのづから、人體も幽玄の風情になるものなり。こわりたる言葉は、振りに應せず。しかあれども、こわき言葉の耳遠きが、また、よき所あるべし。それは、本木の人體によりて、似合ふべし。漢家・本朝の來歴に従って、心得分くべし。ただ、賤しく俗なる言葉・風體、わるき能になるものなり。  しかれば、よき能と申すは、本説正しく、珍しき風體にて、詰め所ありて、かかり幽玄ならんを、第一とすべし。風體は、珍しからねども、煩はしくもなく、直に下りたるが、面白き所あらんを、第二とすべし。これは、おほよその定めなり。ただ、能は、一風情、上手の手にかかり、便りだにあらば、面白かるべし。番数をつくし、日を重ぬれば、たとひわるき能も、珍しく、し替へし替へ彩れば、面白く見ゆべし。されば、能は、ただ、時分・入れ場なり。わるき能とて、捨つべからず。爲手の心遣ひなるべし。  ただし、ここに様あり。善悪にすまじき能あるべし。いかなる物まねなればとて、假令・老尼・姥・老そうなどの形して、さのみ狂ひ怒ること、あるべからず。また、怒れる人體にて、幽玄の物まね、これ同じ。これを眞のえせ能・きやうさうとは申すべし。この心、二の巻の物狂ひの段に申したり。  また、一切いの事に、相おうなくば成就あるべからず。よき本木の能を、上手のしたらんが、しかも出で來ざらんと、皆人思ひ馴れたれども、不思議に出で來ぬことあるものなり。これを、目利きは見分けて、爲手の咎めもなきことを知れども、ただ大方の人は、能もわるく、爲手もそれほどにはなしと見るなり。そも/\、よき能を上手のせん事、何とて出で來ぬやらんと工夫するに、もし時分の陰陽の和せぬ所か、または、花の公案なき故か。不審なほ残れり。  一、作者の思ひ分くべき事あり。ひたすら静かなる本木の音曲ばかりなると、また、舞・働きのみなることは、一向きなれば、書きよきものなり。音曲にて働く能あるべし。これ、一大事なり。眞實面白しと感をなすは、これなり。聞く所は、耳近に、面白き言葉にて、節のかかりよくて、文字移りの美しく續きたらんが、殊さら、風情を持ちたる詰めを嗜みて書くべし。この数々相応する所にて、諸人一同に感をなすなり。  さるほどに、細かに知るべき事あり。風情を博士にて音曲をする爲手は、初心の所なり。音曲より働きの生ずるは、こふ入りたる故なり。音曲は聞く所、風體は見る所なり。一切の事は、謂はれを道にしてこそ、萬の風情に迷うなり。この二つは、その物の體にあり。例えば、人においては、女御・更衣、または、遊女・好色・美男、草木には花の類ひ、かやうの数々は、その形、幽玄の物なり。また、あるいはぶし・荒夷、あるいは鬼・神、草木にも松・杉、かやうの数々の類ひは、強き物と申すべきか。かやうの萬物の品々を、よくし似せたらんは、幽玄の物まねは幽玄になり、強きはおのづから強かるべし。この分け目をばあてがはずして、ただ幽玄にせんとばかり心得て、物まねおろそかなれば、それににず。似ぬをば知らで幽玄にするぞと思う心、これ弱きなり。されば遊女・美男などの物まねをよく似せたらば、おのづから幽玄なるべし。ただ、似せんとばかり思うべし。また、強き事をも、よく似せたらんは、おのづからつよかるべし。  ただし、心得べき事あり。力なく、この道は見所を本にする業なければ、その當世の風儀にて、幽玄をもてあそぶ見物衆の前にては、強き方をば、少し、物まねに外るるとも、幽玄の方へは遣らせたまふべし。この工夫をもて、作者、また心得べき事あり。いかにも、申樂の本木には、幽玄ならんじんたい、まして、心・言葉をもやさしからんを、嗜みて書くべし。それに偽りなくば、おのづから、幽玄のしてと見ゆべし。幽玄の理を知り極めぬれば、おのれと強き所をも知るべし。されば、一切の似せ事をよく似すれば、余所目に危うき所なし。危ふからぬは強きなり。  しかれば、ちちとある言葉の響きにも「靡き」・「伏す」・「かへる」・「寄る」などいふ言葉は、柔らかなれば、おのづから、余情になるやうなり。  能を知りたる爲手は我が手柄の足らぬ所をも知る故に、大事の能に、叶はぬ事をば斟酌して、得たる風體ばかりえお先立てて、仕立てよければ、見所の褒美必ずあるべし。さて、叶はぬ所をば、小所・片邊の能にし習ふべし。かやうに稽古すれば、叶はぬ所も、こふ入れば、自然に叶ふ時分あるべし。さるほどに、つひには、能にかさも出で来、垢も落ちて、いよいよ、名望も、一座も、繁昌する時は、定めて、年行くまで花は残るべし。これ、初心より能を知る心にて、公案をつくして見れば、花の種を知るべし。しかれども、この両様は、遍く、人々の心にて、勝負をば定め給ふべし。                 花修巳上 この條々、心ざしの藝人より外は、一見をも許すべからず。  世阿           「花傳第七 別紙口傳」  一、この口傳に、花を知る事、先づ、假令、花の咲くを見て、萬に花の喩え始めし理をわきまふべし。  そもそも、花と云ふに、萬木千草において、四季に咲くものなれば、その時を得て珍しき故に、もてあそぶなり。申樂も、人の心に珍しきと、これ三つは、同じ心なり。いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比あれば、珍しきなり。能も住する所なきを、先づ、花と知るべし。住せずして、よの風體に移れば、珍しきなり。 風姿花傳・終 風姿花傳 / 世阿彌作 ; 野上豊一郎, 西尾實校訂<フウシ カデン>. -- (BN00920274) 東京 : 岩波書店, 1958.10 126p ; 15cm. -- (岩波文庫 ; 5096, 黄-52, 青-1-1,青(33)-001-1) ISBN: 4003300114 別タイトル: 風姿花伝 / 世阿弥著 ; 野上豊一郎, 西尾実校訂 著者標目: 世阿弥(1363-1443)<ゼアミ> ; 西尾, 実(1889-1979)<ニシオ, ミノル> ; 野上, 豊一郎(1883-1950)<ノガミ, トヨイチロウ> 分類: NDC8 : 773 入力:吉田 優子 監修:萩原 義雄