"○祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。","83@",,"巻第一","祇園精舎" "○娑羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。","83@",,"巻第一","祇園精舎" "○おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。","83A","13B","巻第一","祇園精舎" "○たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。","83B",,"巻第一","祇園精舎" "○遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱〓〔己廾〕、唐の禄山、是等は皆舊主先皇の政にもしたがはず、樂しみをきはめ、諌をもおもひいれず、天下のみだれむ事をさとらずして、民間の愁る所をしらざしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。","83E","  ","巻第一","祇園精舎" "○近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申し人のありさま、傳承るこそ心も詞も及ばれぬ。","83H",,"巻第一","祇園精舎" "○其先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、行部卿忠盛朝臣の嫡男なり。","84@",,"巻第一","祇園精舎" "○彼親王の御子高見の王、無官無位にしてうせ給ひぬ。","84A",,"巻第一","祇園精舎" "○其御子高望の王の時、始て平の姓を給て、上総介になり給しより、忽に王氏を出て人臣につらなる。","84B",,"巻第一","祇園精舎" "○其子鎮守府将軍良望、後には國香とあらたむ。","84C",,"巻第一","祇園精舎" "○國香より正盛にいたるまで、六代は諸國の受領たりしかども、殿上の仙籍をばいまだゆるされず。","84D",,"巻第一","祇園精舎" "○雲の上人是を猜み、同じき年の十一月廿三日、五節豊明の節会の夜、忠盛を闇討にせむとぞ擬せられける。","84J","15A","巻第一","殿上闇討" "○忠盛是を傳聞て、「われ右筆の身にあらず、武勇の家にむまれて、今不慮の恥にあはむ事、家の為、身の為、こゝろうかるべし。せむずる所、身を全して君に仕といふ本文あり」とて、兼て用意をいたす。","85@","  ","巻第一","殿上闇討" "○貫首以下あやしみをなし、「うつほ柱よりうち、鈴の綱のへんに、布衣の者の候は何者ぞ、浪籍なり、罷出でよ」と、六位をもッていはせければ、家貞申しけるは、「相伝の主、備前守殿、今夜闇討にせられ給ふべき由承り候あひだ、其ならむ様を見むとてかくて候。えこそ罷出ずまじけれ」とて、畏まつて候ひければ、是等をよしなしとや思はれけん、其夜の闇うちなかりけり。","85K","16A","巻第一","殿上闇討" "○其国の器に事よせて、伊勢平氏ととぞ申ける。","85O",,"巻第一","殿上闇討" "○いかにすべき樣もなくして、御遊もいまだをはらざるに、偸に罷出らるゝとて、よこだへさゝれたりける刀をば、紫宸殿の御後にして、かたえの殿上人のみられける所に、主殿司をめしてあづけをきてぞ出られける。","86C","  ","巻第一","殿上闇討" "○「別の事もなし。」とぞ答られける。","86F",,"巻第一","殿上闇討" "○五節には、「白薄様、こぜむじの紙、巻上の筆、ともゑかいたる筆の軸」なむど、さまざま面白事をのみこそうたひまはるるに、中比太宰権師季仲卿といふ人ありけり。","86G",,"巻第一","殿上闇討" "○なんどさまざま面白き事をのみこそうたひたまはるるに、中比太宰権帥季仲卿といふ人ありけり。","86H",,"巻第一","殿上闇討" "○あまりに色の黒かりければ、みる人黒師とぞ申ける。","86I",,"巻第一","殿上闇討" "○其人いまだ蔵人頭なりし時、五節にまはれければ、それも拍子をかへて、「あなくろぐろ、くろき頭かな。いかなる人のうるしぬりけむ」とぞはやされける。","86J",,"巻第一","殿上闇討" "○上古には加様にありしかども事いでこず。","87@",,"巻第一","殿上闇討" "○事既に重畳せり。","87F",,"巻第一","殿上闇討" "○年来の家人、事をつたへきくかによて其恥をたすけむが為に、忠盛にしられずして竊に参候の条力及ざる次第なり。","87J",,"巻第一","殿上闇討" "○次に刀の事、主殿司に預け置をはぬ。","87L",,"巻第一","殿上闇討" "○しかるべしとて、其刀を召出して叡覧あれば、うへは鞘巻の黒くなりたりけるが、なかは木刀に銀薄をぞおしたりける。","87N",,"巻第一","殿上闇討" "○其子ども諸衛の佐になる。","88F",,"巻第一","鱸" "○昇殿せしに、殿上のまじはりを人きらふには及ばず。","88F",,"巻第一","鱸" "○其比忠盛、備前國より都へのぼりたるけるに、鳥羽院「明石浦はいかに」と尋ありければ、あり明の月も明石の浦風に浪ばかりこそよるとみえしかと申たりければ、御感ありけり。","88G",,"巻第一","鱸" "○此歌は金葉集にぞ入られける。","88K",,"巻第一","鱸" "◎其故にや吉事のみうちつづいて太政大臣まできはめ給へり。","90E",,"巻第一","鱸" "○人のしたがひつく事、吹風の草木をなびかすが如し。","90L",,"巻第一","禿髪" "○世のあまねく仰げる事、ふる雨の国土をうるほすに同じ。","90M",,"巻第一","禿髪" "○衣文のかきやう烏帽子のため様よりはじめて何事も六波羅様といひてければ、一天四海の人皆是をまなぶ。","91B",,"巻第一","禿髪" "○又いかなる賢王賢主の御政も、攝政關白の御成敗も、世にあまされたるいたづら者などの、人のきかぬ所にて、なにとなうそしり傾け申事はつねの習なれども、此禪門世ざかりのほどは、聊いるかせにも申者なし。","91E","  ","巻第一","禿髪" "○人のきかぬ處にてなにとなうそしり傾け申事は常の習なれども、","91E",,"巻第一","禿髪" "○自ら平家の事あしざまに申者あれば、一人きゝ出さぬほどこそありけれ。","91I",,"巻第一","禿髪" "○兄弟左右に相並事僅に三四箇度なり。","92E",,"巻第一","吾身栄花" "○大臣大將になて、兄弟、左右に相並事、末代とはいひながら不思議なりし事どもなり。","92L",,"巻第一","吾身栄花" "○抑この重教卿を桜町の中納言と申ける事はすぐれて心数奇給へる人にて、","93C",,"巻第一","吾身栄花" "○七珍万宝一つとして闕たる事なし。","94D",,"巻第一","吾身栄花" "○人の嘲りをもかへり見ず、不思議の事をのみし給へり。","94G",,"巻第一","祇王" "○是によつて妹の祇女をも世の人もてなす事なのめならず。","94J",,"巻第一","祇王" "○けないふつき(家内富貴)してたのしい事なのめならず。","94L",,"巻第一","祇王" "○抑我朝にしら拍子のはじまりける事は、むかし鳥羽院の御宇にしま(島)のせんざい(千歳)、わか(和歌)のまひ(前)とて、これら二人がまひ(舞)だしたりけるなり。","95@",,"巻第一","祇王" "○はじめはすいかんにたて烏帽子、白ざやまきをさいてまひければ、おとこまひとぞ申ける。","95B",,"巻第一","祇王" "○かかるまひは、いまだ見ず。」とて京中の上下もてなす事なのめならず。","96@",,"巻第一","祇王" "○当時さしもめでたうさかえさせ給ふ平家太政の入道殿へめされぬ事こそほい(本意)なけれ。","96A",,"巻第一","祇王" "○人まいつて、「當時都にきこえ候仏御前こそまいつて候へ」と申ければ、入道「なんでう、さやうのあそびものは人のめしにしたがふてこそ參れ、さう(左右)なふすいさん(推参)するやうある。〔其上〕祇王があらん所へは、神ともいへ、ほとけともいへ、かなふまじきぞ。とふ/\罷出よ」とぞの給ひける。","96E","  ","巻第一","祇王" "○其上年もいまだをさなふさぶらふなるが、適々さぶらふを、すげなふ仰られてかへさせ給はん事こそ不便なれ。","96J",,"巻第一","祇王" "○入道、「いで/\、我御前があまりにいふ事なれば見参してかへさむ。」とてつかひをたててめされけり。","96O",,"巻第一","祇王" "○仏御前是を見て、あまりにあはれに思ひければ、「あれはいかに、日比召されぬところでもさぶらはばこそ、是へ召されさぶらへかし。","97M","  ","巻第一","祇王" "○佛御前「こはさればなに事さぶらふぞや。","97O",,"巻第一","祇王" "○佛御前「それ又いかでさる御事さぶらふべき。","98D",,"巻第一","祇王" "○をのづから後迄わすれぬ御事ならば、めされて又はまいるとも、けふは暇をたまはらむ」とぞ申ける。","98G",,"巻第一","祇王" "○まして此三とせが間住なれし所なれば、名殘もおしうかなしくて、かひなきなみだぞこぼれける。","98N","  ","巻第一","祇王" "○扨〔さて〕もあるべき事ならねば、祇王すでに、いまはかうとて、出けるが、なからん跡のわすれがたみにもとやおもひけむ、しやうじに(障子)になくなく(泣々)一首の歌をぞかきつける。","98O",,"巻第一","祇王" "○さて車に乗て宿所に帰り、障子のうちにたを(倒)れ臥し、唯な(泣)くより外の事ぞなき。","99C",,"巻第一","祇王" "○とかくの返事にも及ばず。","99D",,"巻第一","祇王" "○倶したる女に尋ねてぞ、さる事ありともしりてんげる。","99E",,"巻第一","祇王" "○祇王さればとて、今更人に對面してあそびたはぶるべきにもあらねば、文をとりいるゝ事もなく、まして使にあひしらふ迄もなかりけり。","99J",,"巻第一","祇王" "○「いかに其後何事かある。","99M",,"巻第一","祇王" "○「天が下にすまん程は、ともかうも入道殿の仰をば背くまじき事にてあるぞとよ。","100J",,"巻第一","祇王" "○男女のえんしゆくせ(縁宿世)、今にはじめぬ事ぞかし。","100K",,"巻第一","祇王" "○白地〔あからさま〕とは思へども、存生〔ながらへ〕果〔はつ〕る事もあり。","100L",,"巻第一","祇王" "○世に定〔さだめ〕なき事、おとこ女のならひなり。","100L",,"巻第一","祇王" "○縦〔たとひ〕都を出さるとも、わごぜたちは年若〔わか〕ければ、いかならん岩木〔いはき〕のはざまにてもすごさん事やすかるべし。","101@",,"巻第一","祇王" "○祇王「こは、されば、なに事さぶらふぞや、我身に過つ事はなけれ共、すてられたてまつるだにあるに、座敷〔ざしき〕をさへ下げらるゝ事の心うさよ。","101H",,"巻第一","祇王" "○さきざきめされける所へはいれられず、遥にさがりたる所にざしきしつらふてをかれたり。","101L","  ","巻第一","祇王" "○「いかに、其後何事かはある。","101O",,"巻第一","祇王" "○さては舞〔まひ〕も見たけれども、けふはまぎるゝ事いできたり。","102H",,"巻第一","祇王" "●「親のめい(命)をそむかじと、つらきみちにおもむいて、二たびうきめを見つることの心うさよ。","102L",,"巻第一","祇王" "○さやうの事あるべしとも知らずして、けうくん(教訓)してまいらせつる事の心うさよ。","103@",,"巻第一","祇王" "○いまだ死期〔しご〕も来らぬおやに身を投げさせん事、五逆罪にやあらんずらむ。","103D",,"巻第一","祇王" "○今生でこそあらめ、後生でだにあくだう(悪道)へおもむかんずる事のかなしさよ。」と、さめざめとかきくどきければ、","103F",,"巻第一","祇王" "○かくて春過ぎ夏闌〔たけ〕ぬ、秋〔あき〕の初風〔はつかぜ〕吹〔ふき〕ぬれば、星合〔ほしあい〕の空〔そら〕をながめつゝ、あまのとわたるかぢの葉〔は〕におもふ事かく比〔ころ〕なれや。","104B",,"巻第一","祇王" "○夕日のかげの西の山のはにかくるるを見ても、日の入給ふ所は西方浄土にてあんなり、いつかわれらもかしこに生まれて、物をおもはですぐさむずらんと、かかるにつけても過にしかたのうき事共おもひつずけて、唯つきせぬ物は涙なり。","104C","  ","巻第一","祇王" "○いつかわれらもかしこに生〔むま〕れて、物をおもはですぐさむずらんと、かゝるにつけても過〔すぎ〕にしかたのうき事共おもひつゞけて、唯〔たゞ〕つきせぬ物は涙〔なみだ〕なり。","104E",,"巻第一","祇王" "○そかれ時も過ぬれば、竹のあみ戸をとぢふさぎ、灯かすかにかきたてて、親子三人念仏してゐたる処に、竹のあみ戸をほと/\とうちたゝもの出来たり。","104F","  ","巻第一","祇王" "○昼だにも人もとひこぬ山里の、柴の庵の内なれば、夜ふけて誰かは尋ぬべき。","104I","39H","巻第一","祇王" "○わづかの竹のあみ戸なれば、あけずともおしやぶらん事やすかるべし。","104J",,"巻第一","祇王" "○「か様の事申せば、事あたらしうさぶらへ共、申さずは、又思ひしらぬ身ともなりぬべければ、はじめよりして申なり。","105A",,"巻第一","祇王" "●女のはかなきこと、わが身を心にまかせずして、おしとゞめられまいらせし事、心ううこそさぶらひしが、いつぞや又めされまいらせて、いまやう(今様)うたひ給ひしにも、思しられてこそさぶらへ。","105D",,"巻第一","祇王" "○其後はざいしょを焉ともしりまいらせざりつるに、かやうにさまをかへて、ひと所にとうけ給はつてのちは、あまりに浦山しくて、つねは暇を申しかども、入道殿さらに御もちいましまさず。","105J","  ","巻第一","祇王" "○此度〔このたび〕ないり(泥梨)にしづみなば、たしやうくはうごう(多生曠劫)をばへだ(隔)つとも、うかびあがらん事かたし。","105N",,"巻第一","祇王" "●一旦の楽にほこつて、後生〔ごしやう〕をしらざらん事のかなしさに、けさ(今朝)まぎれ出て、かくなつてこそまいりたれ。」とて、かづきたるきぬをうちのけたるをみれば、あまになつてぞ出來る。","106@",,"巻第一","祇王" "○ともすれば、わごぜ(和御前)の事のみうらめしくて、徃生〔わうじやう〕のそくはい(素懐)をとげん事かなふべしともおぼえず。","106H",,"巻第一","祇王" "●我等が尼になりしをこそ、世にためしなき事のやうに、人もいひ、我身〔わがみ〕にも又思ひしが、それは世をうらみ身を恨みてなりしかば、さまをかふるもことはりなり。","106M",,"巻第一","祇王" "○いまわごぜ(和御前)の出家にくらぶれば、事のかずにもあらざりけり。","106O",,"巻第一","祇王" "○あはれなりし事どもなり。","107F",,"巻第一","祇王" "○いかならむ末の代までも何事かあらむとぞみえし。","107K",,"巻第一","二代后" "○主上上皇、父子の御あひだには、何事の御へだてかあるべきなれども、思のほかの事どもありけり。","108C",,"巻第一","二代后" "●是も世澆季〔げうき〕に及で、人梟惡〔けうあく〕をさきとする故也。","108D","30C","巻第一","二代后" "○主上、院の仰をつねに申かへさせおはしましけるなかにも、人耳目〔じぼく〕を驚かし、世をもて大にかたぶけ申事ありけり。","108F",,"巻第一","二代后" "○さきのきさいの宮にて、幽なる御ありさまにてわたらせ給しが、永暦のころほひは、御年廿二三にもやならせ給けむ、御さかりもすこし過させおはしますほどなり。","108I","30H","巻第一","二代后" "○此事天下にをいてことなる勝事〔せうし〕なれば、公卿〔くぎやう〕僉議〔せんぎ〕あり。","108N",,"巻第一","二代后" "○大宗崩御の後、高宗の后にたち給へる事あり。","109A",,"巻第一","二代后" "○是〔これ〕は異朝〔いてう〕の先規〔せんぎ〕たるうへ、別段〔べちだん〕の事なり。","109B",,"巻第一","二代后" "○是ほどの事、などか叡慮〔ゑいりよ〕にまかせざるべき」とて、やがて御入内〔ごじゆだい〕の日、宣下せられけるうへは、力及ばせ給はず。","109E",,"巻第一","二代后" "○子細を申すにところなし。","109L","  ","巻第一","二代后" "○はるかに夜もふけ、さ夜もなかばになッて後、御車にたすけ乗せられ給ひけり。","110F","47@","巻第一","二代后" "○其間の御なからへ、いひしらず哀にやさしかりし御事也。","111A",,"巻第一","二代后" "○さるほどに、永萬元年の春の比より、主上御不豫の御事ときこえさせ給しかば、夏のはじまえになりしかば、事のほかにおもらせ給ふ。","111B",,"巻第一","額打論" "○是によッて大蔵大輔伊吉兼盛が娘の腹に、今上一宮のニ歳にならせ給ふべしと、聞えしほどに、同六月廿五日、俄に親王の宣旨下されて、やがて其夜受禅ありしかば、天下なにとなうあわてたる様なり。","111F","48E","巻第一","額打論" "○やがて其夜香隆寺のうしとら、蓮台野の奥、船岡山にをさめ奉る。","112B","49B","巻第一","額打論" "○御葬送の時、延暦・興福兩寺の大衆、額うち論と云事しいだして、互に狼籍に及ぶ。","112C",,"巻第一","額打論" "○一天の君崩御なて後、御墓所〔みはかどころ〕へわたし奉る時の作法は、南北二京〔けい〕の大衆悉く供奉して、御墓所のめぐりにわが寺々の額をうつ事あり。","112E",,"巻第一","額打論" "○しかるを、山門の大衆いかゞおもひけむ、先例を背て、東大寺の次、興福寺のうえに、延暦寺の額をうつあひだ、南都の大衆、とやせまし、かうやせましと僉議する所に、興福寺の西金堂衆、観音房・勢至房とてきこえたる大悪僧二人ありけり。","112J","  ","巻第一","額打論" "○観音房は黒糸縅の腹巻に、しら柄の長刀くきみじかにとり、勢至房は萌黄縅の腹巻に、黒漆の大太刀もつて二人つと走出、延暦寺の額を切つておとし、散々に打わり、「うれしや水、なるは瀧の水、日はてるともたえずとうたへ」とはやしつつ、南都の衆徒のなかへぞ入にける。","112K",,"巻第一","額打論" "○山門の大衆、狼籍をいたさば手むかへすべき所に、ふかうねらう方もやありけむ、ひと詞もいださず。","113@","  ","巻第一","清水寺炎上" "○同廿九日の午剋斗〔むまのこくばかり〕、山門の大衆飫〔おびたゝし〕う下落すときこえしかば、武士検非違使、西坂下〔にしざかもと〕に馳向て防けれどの、事ともせず、をしやぶて乱入す。","113D",,"巻第一","清水寺炎上" "○小松殿「なにによてか只今さる事あるべき」としづめられけれども、上下〔じやうげ〕のゝしりさはぐ事飫〔おびたゝ〕し。","113I",,"巻第一","清水寺炎上" "○是はさんぬる御葬送の夜の、会稽の恥を雪めんが為とぞ聞えし。","113K","51E","巻第一","清水寺炎上" "○此事ゆめ/\御けしきにも、御詞にも出させ給べからず。","114F",,"巻第一","清水寺炎上" "○人に心づけがほに、中々あしき御事也。","114G",,"巻第一","清水寺炎上" "○一院還御の後、御前にうとからぬ近習者達あまた候はれけるに、「さてもふし議の事を申出したるものかな。露も思食〔おぼしめし〕よらぬものを」と仰ければ、院中〔ゐんぢう〕のきりものに西光法師といふ者あり。","114L",,"巻第一","清水寺炎上" "○人々「此事よしなし。壁に耳あり。おそろし/\」とぞ、申あはれける。","114O",,"巻第一","清水寺炎上" "○法皇も内々仰なりけるは、「昔より代々の朝敵をたいらぐる者おほしといへども、いまだ加様の事なし。","116K",,"巻第一","殿下乗合" "○貞盛・秀郷が将門をうち、頼義が貞任・宗任をほろぼし、義家が武衡をせめたりしも、勧賞おこなはれし事、受領にはすぎざりき。","117@",,"巻第一","殿下乗合" "○平家も又別して、朝家を恨奉る事もなかりしほどに、世のみだれそめける根本は、去じ嘉應二年十月十六日、小松殿の次男新三位中将資盛郷、其時はいまだ越前守とて十三になられるが、雪ははだれにふったけり、枯野のけしき誠に面白かりければ、わかき侍ども卅騎斗めし具して、蓮臺野や紫野、右近馬場にうち出て、鷹どもあまたすへさせ、鶉雲雀をおたて/\、終日かり暮し、薄暮に及びて六波羅へこそ歸られけれ。","117B",,"巻第一","殿下乗合" "○かゝる事よりして、人にあざむかるゝぞ。","118D",,"巻第一","殿下乗合" "○此事おもひしらせたてまつらでは、えこそあるまじけれ。","118E",,"巻第一","殿下乗合" "○重盛が子どもとて候はんずる者の、殿の御出にまいり逢て、のりものよりおり候はぬこそ尾篭に候へ」とて、其時事にあふたる侍どもめしよせ「自今以後も、汝等能々心うべし。","118I",,"巻第一","殿下乗合" "○其後入道相國、小松殿には仰られもあはせず、片田舎の侍どもの、こはらかにて入道殿の仰より外は、又おそろしき事なしと思ふ者ども、難波・瀬尾をはじめとして、都合六十餘人召よせ、「來廿一日、主上御元服のさだめの為に、殿下御出あるべかむなり。","118M",,"巻第一","殿下乗合" "○大識冠・淡海公の御事はあげて申に及ず、忠仁公・昭宣公より以降、攝政關白のかゝる御目にあはせ給ふ事、いまだ、承及ず。","119O",,"巻第一","殿下乗合" "○其比、妙音院殿の太政のおほいどの、内大臣の左大将にてまし/\けるが、大将を辞し申させ給ふ事ありけり。","121D",,"巻第一","鹿谷" "○新大納言是におそれをもいたされず、昼は人目のしげければ、夜な/\歩行にて、中御門烏丸の宿所より賀茂の上の社ヘ、七夜つづけて参られけり。","121N","60J","巻第一","鹿の谷" "○七夜に満ずる夜、宿所に下向して、苦しさにうちふし、ちッとまどろみ給へる夢に、賀茂の上の社へ参りたるとおぼしくて、御宝殿の御戸おしひらき、ゆゆしくけたかげなる御声にて、さくら花賀茂の河風うらむなよ散るをばえこそとどめざりけれ 新大納言、猶おそれをもいたされず、賀茂の上の社にある聖をこめて、御宝殿の御うしろなる杉の洞に壇をたてて、拏吉尼の法を百日おこなはせられけるほどに、彼大椙に雷おちかかり、電火緩しうもえあがッて、宮中既にあやふくみえけるを、宮人どもおほく走りあつまッて、是をうち消つ。","121N","60L","巻第一","鹿の谷" "○是も万づおもふさまるがいたす所なり。","123F","  ","巻第一","鹿谷" "○しかるに其恩をわすれて、外人もなき所に兵具をとゝのへ、軍兵をかたらひをき、其営みの外は他事なし。","123L","  ","巻第一","鹿谷" "○東山のふもと鹿の谷と云所は、うしろは三井寺につゞいてゆゝしき城郭にてぞありける。","123N","  ","巻第一","鹿谷" "○其夜の酒宴に、此由を静憲法印に仰せあはせられければ、「あなあさまし。人あまた承り候ひぬ。唯今もれきこえて、天下の大事に及び候ひなんず」と、大きにさわぎ申しければ、新大納言けしきかはりて、ざッとたたれけるが、御前に候ひける瓶子を、狩衣の袖にかけて、引倒されたりけるを、法皇、「あれはいかに」と仰せければ、大納言立帰つて、「平氏たはれ候ひぬ」とぞ申されける。","124A","63M","巻第一","鹿の谷" "○返々もおそろしかりし事どもなり。","124K",,"巻第一","鹿谷" "○新大納言成親卿は、多田藏人行綱をようで、「御へんをば一方の大將に〓〔憑-大タノム〕なり。此事しおほせつるものならば、國をも庄をも所望によるべし。まづ弓袋の料に」とて、白布五十端送られけり。","125G",,"巻第一","俊寛沙汰鵜川軍" "○信西が事にあひし時、二人ともに出家して、左衛門入道西光・右衛門入道西敬とて、是は出家の後も院の御倉あづかりにてぞありける。","126J",,"巻第一","俊寛沙汰鵜川軍" "○國務ををこなふ間、非法非例を張行し、神社佛寺、權門勢家の庄領を沒倒し、散々の事どもにてぞありける。","126O",,"巻第一","俊寛沙汰鵜川軍" "○寺僧いかりをなして、「昔より、此所は國方の者入部する事なし。","127D",,"巻第一","俊寛沙汰鵜川軍" "○目代かなはじとや思ひけむ、夜に入ッて、引退く。","127J","68B","巻第一","俊寛沙汰鵜川軍" "○此事うたへんとてすゝむ老僧誰々ぞ。","127L",,"巻第一","俊寛沙汰鵜川軍" "○白雪くだりて地をうづみ、山上洛中おしなべて、常葉に山の梢まで皆白妙に成にけり。","128G",,"巻第一","俊寛沙汰鵜川軍" "○白雪くだりて地をうづみ、山上洛中おしなべて、常葉に山の梢まで皆白妙に成にけり。","128G",,"巻第一","俊寛沙汰鵜川軍" "○先沙汰の成否はしらず、生前の御悦、只此事にあり。","128J",,"巻第一","願立" "○時々剋々の法施祈念、言語道断の事どもなり。","129@",,"巻第一","願立" "○况や師高などは事の數にやはあるべきに、子細にや及べき」と申あはれけれども、「大臣は祿を重じて諌めず、小臣は罪に恐れて申さず」と云事なれば、をの/\口をとぢ給へり。","129E",,"巻第一","願立" "○やがて其夜不思議の事あり。","130J","72A","巻第一","願立" "○やがて山王の御とがめとて、後二条の関白殿、重き御病をうけさせ給ひしかば、母うへ大殿の北の政所大きになげかせ給ひつつ、御様をやつし、いやしき下臈のまねをして、日吉社に御参篭あッて、七日七夜が間、祈り申させ給ひけり。","131@","72G","巻第一","願立" "○御心のうちの事なれば、人いかでかしり奉るべき。","131C",,"巻第一","願立" "○それに不思議なりし事は、七日に満ずる夜、八王子の御社にいくらもありける参人共の中に、陸奥よりはる/\゛とのぼりたりける童神子、夜半計にはかにたえ入りにけり。","131D","72K","巻第一","願立" "○大殿の北の政所にて、世を世ともおぼしめさですごさせ給ふ御心に、子を思ふ道にまよひぬれば、いぶせき事もわすられて、あさましげなるかたはうどにまじはて、一千日が間、朝夕みやづかひ申さむと仰らるゝこそ、誠に哀におぼしめせ。","131M",,"巻第一","願立" "○但、今度の訴訟は無下にやすかりぬべき事にてありつるを、御裁許なくして、神人宮仕射ころされ、疵を蒙り、泣々まいて訴へ申事の餘に心うくて、いかならむ世までも忘るべしともおぼえず。","132E",,"巻第一","願立" "○其上かれ等があたる所の箭は、しかしながら和光垂跡の御膚にたたるなり。","132G","  ","巻第一","願立" "○「是が餘に心うければ、いかに申とも始終の事はかなふまじ。","132J",,"巻第一","願立" "○母うへは御立願の事人にもかたらせ給はねば、誰もらしつらむと、すこしもうたがう方もましまさず。","132L",,"巻第一","願立" "○御心の内の事共をありのまゝまに御詫宣ありければ、心肝にそうて、ことにたとくおぼしめし、泣々申させ給けるは、「縦ひと日かた時にてさぶらふとも、ありがたうこそさぶらふべきに、まして三とせが命をのべて給らむ事、しかるべうさぶらふ」とて、泣々御下向あり。","132M",,"巻第一","願立" "○いそぎ都へいらせ給て、殿下の御領紀伊國に田中庄と云所を、八王子の御社へ寄進ぜらる。","133A","  ","巻第一","願立" "○御心のたけさ、理のつよさ、さしもゆゝしき人にてまし/\けれども、まめやかに事のきうになりしかば、御命を惜ませ給ける也。","133I",,"巻第一","願立" "○所はひろし勢は少し、まばらにこそみえたりけれ。","134K","  ","巻第一","御興振" "○唱、其日はきちんの直垂に、小櫻を黄にかへいたる鎧きて、赤銅づくりの太刀をはき、白羽の矢おひ、しげどうの弓脇にはさみ、甲をばぬぎ、たかひもにかけ、神輿の御前に畏て申けるは、「衆徒の御中へ源三位殿の申せと候。今度山門の御訴訟、理運の条勿論に候。御成敗遅々こそ、よそにても遺恨に覚候へ。さては神輿入奉らむ事、子細に及候はず。但頼政無勢候。其上あけて入奉る陣よりいらせ給て候はゞ、山門の大衆は目だりがほしけりな(ン)ど、京童部が申候はむ事、後日の難にや候はんずらむ。神輿を入奉らば、宣旨を背くに似たり。又ふせき奉らば、年來醫王山王に首をかたぶけ奉て候身が、けふより後弓箭の道にわかれ候なむず。かれといひ是といひ、かたがた難治の樣に候。東の陣は小松殿大勢でかためられて候。其陣よりいらせ給べうや候らむ」といひ送りたりければ、唱がかく申にふせかれて、神人宮仕しばらくゆらへたり。","135B",,"巻第一","御興振" "○神興にたつ所の箭をば、神人して是をぬかせらる。","137C","  ","巻第一","内裏炎上" "○是によて大衆の申所、御ぱからひあるべしときこえしかば、山門の上綱等、子細を衆徒にふれんとて登山しけるを、大衆おこて西坂本より皆おかへす。","138A","  ","巻第一","内裏炎上" "○同十八日、太政大臣以下の公卿十三人参内して、陣の座につき、先の座主、罪科の事儀定あり。","142A","66B","巻第二","座主流" "○還俗遠流をなだめらるべきか」と、はゞかる所もなう申されば、當座の公卿みな長方の義に同ずと申あはれけれども、法皇の御いきどをりふかかりしかば、猶遠流に定らる。","142G","  ","巻第二","座主流" "○しろい布にてつつまれたり。","143C",,"巻第二","座主流" "○我名のある所までみて、それより奥をば見ず、もとのごとくにまき返してをかるゝならひ也。","143E","  ","巻第二","座主流" "○山門には、せんずる所、我等が敵は西光父子に過たる者なしとて、彼等親子が名字をかいて、根本中堂におはします十二神將の内、金毘羅大將の左の御足の下にふませ奉り、「十二神將・七千夜叉、時刻をめぐらさず西光父子が命をめしとり給へや」と、おめきさけんで咒咀しけるこそ聞くもおそろしけれ。","143L","  ","巻第二","座主流" "○さばかんの法務の大僧正程の人を、追立の鬱使がさきにけたてさせ、けふを限りに都を出て関の東へおもむかれけん心のうち、おしはかられて哀也。","144B","68C","巻第二","座主流" "○倩事の心をあむずるに、延暦の比ほひ、皇帝は帝都をたて、大師は當山によぢのぼて四明の教法を此所にひろめ給しよりこのかた、五障の女人跡たえて、三千の淨侶居をしめたり。","145@","  ","巻第二","座主流" "○代々の賢王智臣、此所に壇場をしむ。","145C","  ","巻第二","座主流" "○たけ七尺ばかり有けるが、黒革威の鎧の大荒目にかねまぜたるを、草摺長にきなして、甲をばぬぎ、法師原にもたせつつ、白柄の大長刀杖につき、「あけらえ候へ」とて、大衆の中をし分分、前座主のおはしける所へつと参り、大の眼をいからかし、しばしにらまえ奉り、「その御心でこそかかる御目にもあはせ給へ。とうとうめさるべう候」と申ければ、おそろしさにいそぎのり給。","147J",,"巻第二","座主流" "○たけ七尺ばかり有けるが、黒革威の鎧の大荒目にかねまぜたるを、草摺長にきなして、甲をばぬぎ、法師原にもたせつゝ、白柄の大長刀杖につき、「あけられ候へ」とて、大衆の中ををし分/\、前座主のおはしける所へつと参り、大の眼をいからし、しばしにらまへ奉り、「その御目にもあはせ給へ。","147L","  ","巻第二","一行阿闍梨之沙汰" "○戒浄房ノ阿闍梨、又先のごとくにすゝみ出て僉議しけるは、「夫当山は、日本無双の霊地、鎮護国家の道場、山王の御威光盛にして、仏法・王法牛角也。","148F","72I","巻第二","一行阿闍梨之沙汰" "○詮ずる所、祐慶張本に處せられて、禁獄流罪もせられ、かうべを刎られん事、今生の面目、冥途の思出なるべし」とて、双眼より涙をはら/\とながす。","148L","  ","巻第二","一行阿闍梨之沙汰" "○七日七夜が間、月日の光をみずして行く道なり。","149F","96L","巻第二","一行阿闍梨之沙汰" "○他人の口より洩れぬ先に返り忠して命いかうど思ふ心ぞつきにける。","151C","75H","巻第二","西光被斬" "○同五月廿九日のさ夜ふけがたに、多田蔵人行綱、入道相国の西八条の亭に参ッて、「行綱こそ申すべき事候間、参ッて候へ」といはせければ、入道、「常にも参らぬ者が参じたるは、何事ぞ。あれ聞け」とて、主馬判官盛国をいだされたり。","151D","99B","巻第二","西光被斬" "○「夜ははるかにふけならむ。ただ今いかに、何事ぞや。」と宣へば、「昼は人目のしげう候間、夜にまぎれて参ッて候。此程院中の人々の、兵具をととのへ、軍兵を召され候をば、何とかきこしめされ候。」","151H","99F","巻第二","西光被斬" "○其夜のうちに、西八条には、兵共六七千騎もあるらむとこそ見えたりけれ。","152G","100J","巻第二","西光被斬" "○入道相國簾中より見出して、「有べうもなし」との給へば、武士共十四五人、前後左右に立かこみ、縁の上にひきのぼせて、ひとま[なる]所にをしこめてげり。","154A","  ","巻第二","西光被斬" "○他人の前はしらず、西光がきかん所にさやうの事をば、えこその給ふまじけれ。","155E","  ","巻第二","西光被斬" "○なじかは過分なるべき」と、はゞかる所もうなう申ければ、入道あまりにいかて物もの給はず。","155N","  ","巻第二","西光被斬" "○新大納言、ひとまなる所にをしこめられ、あせ水になりつゝ、「あはれ、これは日來のあらまし事のもれきこえけるにこそ。","156I","  ","巻第二","小教訓" "○素絹の衣のみじからかなるに、白き大口ふみくくみ、ひじりづかの刀をしくつろげてさすままに、以他いかれるけしきにて、大納言をしばしにらまへ、「抑御辺は平治にもすでにちうせらるばかりしを、内府が身にかへて申なだめ、首をつぎたてましはいかに。……(省)","157B",,"巻第二","小教訓" "○車よりおり給所に、貞能つと参て、「などこれ程の御大事に、軍兵共をばめしぐせられ候はぬぞ」と申せば、「大事とは天下の大事をこそいへ。","159C","  ","巻第二","小教訓" "○「そも大納言をばいづくにをかれたるやらん」とて、こゝかしこの障子引あけ引あけ見給へば、ある障子のうえに、蜘手ゆふたる所あり。","159H","  ","巻第二","小教訓" "○御栄花残る所なければ、覚しめす事有まじければ、子々孫々までも繁昌こそあらまほしう候へ。","161H","  ","巻第二","小教訓" "○「さても經遠・兼康がけさ大納言に情なうあたりける事、返々も奇怪也。","162A","  ","巻第二","小教訓" "○「既に武士のむかひ候。少将殿をはじめ参らせて、君達も皆とられさせ給ふべしとこそ聞え候へ。いそぎいづ方へもしのばせ給へ」と申しければ、「今は是程の身になって、残りとどまる身とても、安穏にて何にかはせん。ただ同じ一夜の露とも消えん事こそ、本意なれ。さても今朝をかぎりと知らざりけるかなしさよ」とて、ふしまろびてぞ泣かれける。","162H","113J","巻第二","小教訓" "○夜明くれば馬車門にたちなみ、賓客座につらなッて、あそびたはぶれ、舞ひをどり、世を世とも思ひ給はず、ちかきあたりの人は、物をだにたかくいはず、おぢおそれてこそ昨日までもありしに、夜の間にかはる有様、盛者必衰の理は、目の前にこそ顕れけれ。","163C","114G","巻第二","小教訓" "○丹波少将成経、其夜しも院の御所法住寺殿に上臥して、いまだ出でられざりけるに、大納言の侍共、いそぎ御所へ馳せ参ッて、少将殿をよび出し奉り、此由申すに、「などやしん宰相の許より、今まで知らせざるらん」と宣ひもはてねば、宰相殿よりとて使あり。","163H","115@","巻第二","少将乞請" "○太政入道は、かやうに人々あまたいましめをいても、猶心ゆかずや思はれけん、既赤地の錦の直垂に、黒糸威の腹巻の白がな物うたるむな板せめて、先年安芸守たりし時、神拝の次に、霊夢を蒙て、厳嶋の大明神よりうつつに給はられたりし銀のひる巻したる小長刀、常の枕をはなたず立てられたりしを脇にはさみ、中門の廊へぞ出られける。","169A",,"巻第二","教訓状" "○一宮の御事は、故刑部卿殿の養君にてましまいしかば、かたがた見はなちまいらせがたかッしか共、故院の御遺誡に任て、みかたにて先をかけたりき。","169I","94C","巻第二","教訓状" "○大に諌ばや」とこそ思はれけめども、さすが子ながらも、内には五戒をたもッて慈悲を先とし、外には五常をみだらす礼儀をたゞしうし給ふ人なれば、あのすがたに、腹巻を着て向はむ事、おもばゆうはづかしうや思はれけむ、障子をすこし引立てて、素絹の衣を腹巻の上にあはて着に着給ひたりけるが、むないたの金物のすこしはづれて見えけるをかくさうど、頻に衣のむねを引ちがへ/\ぞし給ひける。","171E","95N","巻第二","教訓状" "○まづ世に四恩候。天地の恩、國王の恩、父母の恩、衆生の恩是也。<大系上172G>","172G",,"巻第二","教訓状" "○然ば君のおぼしめし立ところ、道理なかばなきにあらず。","173@","  ","巻第二","教訓状" "○申うくるところ[の]詮は、たゞ重盛が頚をめされ候へ。","174I","  ","巻第二","烽火之沙汰" "○舟に乗らぬ先に言ひをくべき事あり。","179N","104F","巻第二","大納言流罪" "○福原の御使、やがて今夜鳥羽まで出させ給ふべきよし申しければ、「幾程ものびざらむ物ゆへに、こよひばかりは都のうちにてあかさばや」との給へ共、頻に申せば、其夜鳥羽へ出られける。","184E",,"巻第二","阿古屋之松" "○兼康は宰相のかへり聞給はん所をおそれて、道すがらもやう/\にいたはりなぐさめ奉る。","184H","  ","巻第二","阿古屋之松" "●よるひるたゞ佛〔ほとけ〕の御名をのみ唱て、父の事をぞ歎れける。","184J",,"巻第二","阿古屋之松" "○備中の瀬尾と有木の別所の間は、纔五十町にたらぬ所なれば、丹波少將、そなたの風もさすがなつかしうやおもはれけむ。","184N","  ","巻第二","阿古屋之松" "○されば寛方中將、奥州へながされたりける時、此國の名所にあこやの松と云所を見ばやとて、國のうちを尋ありきけるが、尋かねて帰りける道に、老翁の一人逢たりければ、「やゝ、御邊はふるい人とこそ見奉れ。","185F","  ","巻第二","阿古屋之松" "○當國の名所にあこやの松と云所やしりたる」ととふに、「またく當國にや候らん」。","185H","  ","巻第二","阿古屋之松" "○近きをとをう申は、大納言殿の御渡あんなる所を、成經にしらせじとてこそ申らめ」とて、其後は戀しけれ共とひ給はず。","186C","  ","巻第二","阿古屋之松" "○彼嶋は、都を出てはるばると波路をしのいで行所也。","186G","  ","巻第二","大納言死去" "○色黒うして牛の如し。","186H",,"巻第二","大納言死去" "○食する物もなければ、只殺生をのみ先とす。","186J","111E","巻第二","大納言死去" "○さらぬだに住みなれる所は物うきに、いとゞしのばれければ、過行月日もあかしかね、くらしわづらふさまなりけり。","187H","  ","巻第二","大納言死去" "○大納言入道殿は、只今も都の事をの給ひだし、歎きしづんでおはしける処に、「京より信俊がまいて候」と申入たりければ、「ゆめかや」とて、きゝもあへずおきなをり、「是へ/\」とめされければ、信俊まいて見奉るに、ましな御すまふの心をさもる事にて、墨染の御袂を見奉るにぞ、信俊目もくれ心もきえてる覚ゆる。","188H","  ","巻第二","大納言死去" "○さるほどに、大納言入道殿をば、同八月九日、備前・備中兩國の堺、にはせの郷吉備の中山と云所にて、つゐにうしなひ奉る。","189M","  ","巻第二","大納言死去" "○諸事に心えたる人にて、ある月の夜、實定卿南面の御格子あげさせ、只ひとり月に嘯ておはしける處に、なぐさめまいらせんとやおもひけん、藤藏人まいりたり。","190L","  ","巻第二","徳大之沙汰" "○諸事に心えたる人にて、ある月の夜、實卿南面の御格子あげさせ、只ひとり月に嘯ておはしける處に、なぐさめまいらせんとやおもひけん、藤藏人まいりたり。","190L",,"巻第二","徳大寺之沙汰" "○七日七夜の間に、舞樂も三度までありけり。","192G",,"巻第二","徳大寺之沙汰" "●七日參籠せられけるに、よるひるつきそひ奉り、もてなす事かぎりなし。","192G",,"巻第二","徳大寺之沙汰" "○夜の月灯をかゝげて、簷のひまよりもり、暁の露珠を垂て、蓮座の粧をそふとかや。","196E",,"巻第二","山門滅亡" "○我朝にも、南都の七大寺荒はてて、八宗九宗も跡たえ、愛宕護・高雄も、昔は堂塔軒をならべたりしか共、一夜のうちに荒にしかば、天狗の棲となりはてぬ。","196M",,"巻第二","山門滅亡" "○同三年三月上旬に、信濃國の住人おうみの本太義光と云物、都へのぼりたりけるが、彼如來に逢奉りたりけるに、やがていざなひまいらせて、ひるは義光、如來ををい奉り、夜は義光、如來におはれたてまッて、信濃國へ下り、みのちの郡に安置したてまッしよりこのかた、星霜既に五百八十余歳、炎上の例はこれはじめとぞ承る。","198D",,"巻第二","善光寺炎上" "○二人はおなじ心に、もし熊野に似たる所やあると、嶋のうちを尋まはるに、或林塘の妙なるあり、紅錦繍の粧しなじなに。","199F","  ","巻第二","康頼祝言" "○日數つもりてたちかふべき淨衣もなれければ、麻の衣を身のまとひ、澤邊の水をこりにかいては、岩田河のきよきながれと思ひやり、高き所にのぼっては、發心門とぞ觀じける。","200B","  ","巻第二","康頼祝言" "○或時二人通夜して、夜もすがらいまやうをぞうたひける。","202@",,"巻第二","卒都滅亡" "○暁がたに、康頼入道ちとまどろみたる夢に、おきより白い帆かけたる小船を一艘こぎよせて、舟のうちより紅の袴きたる女房達二三十人あがり、鼓をうち、こゑを調て、  よろづの佛の願よりも  千手の誓ぞたのもしき  枯たる草木も忽に  花さき実なるとこそきけ  と、三べんうたひすまして、かきけつやうにぞうせにける。","202A",,"巻第二","卒都滅亡" "○又或夜二人通夜して、おなじうまどろみたりける夢に、おきより吹くる風の、二人が袂に木の葉をふたつふきかけたるを、何となうとて見ければ、御熊野の南木の葉にてぞ有ける。","202I",,"巻第二","卒都滅亡" "♪千はやぶる神にいのりのしげければなどか都へ帰らざるべき","202M",,"巻第二","卒都滅亡" "○康頼入道、故郷の戀しきまゝに、せめてのはかりことに、千本の卒塔婆を作り、ア字の梵字・年号・月日、假名〔けみやう〕實名〔じつみやう〕、二首の歌をぞかいたりける。","202N",,"巻第二","卒都滅亡" "♪さつまがたおきのこじまに我ありとおやにはつげよやへ(八重)のしほかぜ","203@",,"巻第二","卒都滅亡" "♪おもひやれしばしとおもふ旅だにもなをふるさとはこひしきものを","203A",,"巻第二","卒都滅亡" "○塩引ぬれば、夏の夜なれど、御まへのしら洲に霜ぞをく。","204A",,"巻第二","卒都滅亡" "○「あぶなしき」とて、これを取り笈のかたにさし、都へのぼり、康頼が老母の尼妻子共が、一條の北、紫野と云所に忍つゝすみけるに、見せたりければ、「さらば、此卒都婆がもろこしのかたへもゆられゆかで、なにしにこれまでつたひ來て、今更物をおもはすらん」とぞかなしみける。","204G","  ","巻第二","卒都婆流" "○柿本人丸は嶋がくれゆく船を思ひ、山邊の赤人はあしべのたづをながめ給ふ。","204M",,"巻第二","卒都婆流" "○醫家藥をつくし、陰陽術をきはめ、大法秘法一として残る處なう修せられけり。","210@","  ","巻第三","赦文" "○それに所しもこそ多けれ、わが山荘鹿の谷に城〓〔土郭〕をかまへて、事にふれて奇恠のふるまひ共が有けんなれば、俊寛をば思ひもよらず」と[ぞ]の給ける。","212H","  ","巻第三","赦文" "○よるを晝にしていそぎ下たりしか共、心にまかせぬ海路なれば、浪風をしのいで行く程に、都をば七月下旬に出たれ共、長月廿日比にぞ、鬼界の嶋には着にける。","213B",,"巻第三","赦文" "○抑われら三人は罪もおなじ罪、配所も一所也。","214J","  ","巻第三","足摺" "○少將のよるの衾、康頼入道が形見には一部の法花經をぞとゞめける。","215K",,"巻第三","足摺" "○いまだ遠からぬふねなれ共、涙に暮てみえざりければ、僧都たかき所あがり、澳の方をぞまねきける。","216E","  ","巻第三","足摺" "○浪に足うちあらはせて、露にしほれて、其夜はそこにぞあかされける。","216G",,"巻第三","足摺" "○仁和寺の御室は天台座主覚快法親王は七佛藥師の法、寺の長吏圓惠法親王は金剛童子の法、其外五大虚空蔵・六觀音、一字金輪・五壇法、六字加輪・八字文殊、普賢延命にいたるまで、残る處なう修せられけり。","218J","  ","巻第三","御産" "○就中にいまあらはるゝ處の怨靈共は、みなわが朝恩によて人となし物共ぞかし。","219I","  ","巻第三","御産" "○入道相國あまりのうれしさに、聲をあげてぞなかれける。","220C",,"巻第三","御産" "○悦〔よろこび〕なきとは是をいふべきにや。","220D",,"巻第三","御産" "○小松殿、中宮の御方にまいらせ給ひて、金銭九十九文、皇子の御枕にをき、「天をもて父とし、地をもて母とさだめ給へ。御命は方士東方朔が齡をたもち、御心には天照大神入かはらせ給へ」とて、桑の弓・蓬の矢にて、天地四方を射させらる。","220D",,"巻第三","御産" "○今度の御産に勝事〔しやうし〕あまたあり。","221@",,"巻第三","公卿揃" "○まづ法皇〔ほうわう〕の御驗者〔ごげんじや〕。","221@",,"巻第三","公卿揃" "○次に后御産の時、御殿の棟より甑〔こしき〕をまろばかす事あり。","221@",,"巻第三","公卿揃" "○餘〔あまり〕に人まいりつどひ、たかんなをこみ、稲麻竹葦〔タウマチクイ〕のごとし。","221H",,"巻第三","公卿揃" "○此老僧の居給へる所ひ異香すなはち薫じたり。","224@","  ","巻第三","大塔建立" "○それより父大納言殿のすみ給ける所を尋いりてみ給ふに、竹の柱、ふりたる障子なんどにかきをかれたる筆のすさみをみ給て、「人の形見には手跡に過たる物ぞなき。","227I","  ","巻第三","小將都歸" "○土のすこしたかき所に小將袖かきあはせ、いきたる人に物を申やうに、泣々申されるは、「遠き御まもりとならせおはしまして候事をば、嶋にてかすかに成經彼嶋へながされて、二とせををくてめしかへさるゝうれしさは、さる事にて候へ共、この世にわたらせ給ふをも見まいらせて候ばこそ、命のながきかひもあらめ。","228E","  ","巻第三","小將都歸" "○其夜は夜もすがら、康頼入道と二人、墓のまはりを行道して念佛申、明ぬればあたらしう壇つき、くぎぬきせさせ、まへに假屋つくり、七日七夜念佛申經書て、結願には大なる卒兜婆をたてて、「過去聖靈、出離生死、證大菩提」とかいて、年号月日の下には、「孝子成經」と書れたらば、しず山がつの心なきも、子に過たる寳なしとて、泪をながし袖をしぼらぬはなかりけり。","228N",,"巻第三","少將都歸" "○暮る程とは待れけれ共、あまりに名残おしくて、夜ふくるまでこそおはしけれ。","230E",,"巻第三","少將都歸" "○六条はつきせぬ物おもひに、黒かりし髪もみなしろくなり、北方さしも花やかにうつくしうおはせしか共、いつしかやせおとろへて、其人共みえ給はず。","231D",,"巻第三","少將都歸" "○僧都の御むすめのしのびておはしける所へまいて、「このせにももれさせ給て、御のぼりも候はず。","232H","  ","巻第三","有王" "○そのせに身をもなげむとせしを、よしなき小將の「今一度都の音づれをもまてかし」など、なぐさめをきしを、をろそかにもしやとたのみつゝ、ながらへんとはせしか共、此嶋には人のくい物たえてなき所なれば、身に力のありし程は、山にのぼて湯黄と云物をほり、九國よりかよふ商人にあひ、くい物にかへなどせしか共、日にそへてよはりゆけば、いまはその態もせず。","235H","  ","巻第三","有王" "○僧都一期の間、身にもちゐる處、大伽藍の寺物佛物にあらずと云事なし。","236E","  ","巻第三","有王" "○僧都の御むすめのおはしける所にまいて、有し様、始よりこまごまと申。","239G","  ","巻第三","僧都死去" "○本宮證誠殿の御まへにて、夜もすがら敬白せられけるは、「親父入道相國の躰をみるに、惡逆無道にして、やゝもすれば君をなやまし奉る。重盛長子として、頻に諌をいたすといへども、身不肖の間、かれもッて服膺せず。そのふるまひをみるに、一期の榮花猶あやうし。枝葉連續して、親を顕し名を揚げむ事かたし。此時に當て、重盛いやしうも思へり。なまじいに列して世に浮沈せむ事、敢て良臣孝子の法にあらず。しかじ、名を逃れ身を退て、今生の名望をな抛て、來世の菩提を求めむには。但凡夫薄地、是非にまどへるが故に、猶心ざしを恣にせず。南無權現金剛童子、願くは子孫繁栄たえずして、仕て朝廷にまじはるべくは、入道の惡心を和げて、天下の安全を得しめ給へ。榮耀又一期を限って、後混の恥におよぶべくば、重盛が運命をつゞめて、來世の九輪を助け給へ。兩ヶの求願、ひとへに冥助を仰ぐ」と、肝膽を摧て、祈念せられけるに、燈篭の火のやうなる物の、おとゞの御身より出て、ばッと消るが如くして失にけり。","241A",,"巻第三","醫師問答" "○榮耀又一期を限(ツ)て、後昆(コウコン)の恥(はぢ)におよぶべく(ン)ば、重盛が運命をつゞめて、來世の苦輪を助け給へ。","241H",,"巻第三","醫師問答" "○「いかに、何事ぞ」との給へば、「只いま不思議の事候て、夜の明候はんがをそう覚候間、申さむが為にまいッて候。御まへの人をのけられ候へ」と申ければ、おとゞ人を遥にのけて御對面あり。","246G",,"巻第三","無文" "○「この盃をば、先少将にこそとらせたけれ共、親より先にはよものみ給はじなれば、重盛まづ取あげて少将にさゝん」とて、三度うけて少将にぞさゝれける。","247A","175C","巻第三","無文" "○「あはれ、是は家に傳はれる小鳥といふ太刀やらむ」など、よにうれしげに思ひて見給ふ處に、さはなくして、大臣葬の時もちゐる無文の太刀にてぞ有ける。","247E","  ","巻第三","無文" "○誠に来迎引攝の願もこの所に影向をたれ、攝取不拾の光も此大臣を照し給ふらむとぞみえし。","248F","  ","巻第三","燈爐之沙汰" "○同十一月七日の夜戌剋ばかり、大地おびたゝしう動てやゝ久し。","250A",,"巻第三","法印問答" "○喚かへいて、「やゝ法印期御房、浄海が申處は僻事か。","252A","  ","巻第三","法印問答" "○かゝらむ世には、とてもかくてもありなん。とて、鳥羽の邊ふる川といふ所にて御出家あり。","255D","  ","巻第三","大臣流罪" "○遠流に人の道にて出家しつるをば、約束の國へはつかはさぬ事である間、始は日向國へと定られたりしか共、御出家の間、備前國府の邊、井ばさまといふ処に留め奉る。","255H","  ","巻第三","大臣流罪" "○その夜神明法樂のために、琵琶引、朗詠し給ふに、所もとより無智の境名れば、情けをしれるものなし。","257G","  ","巻第三","大臣流罪" "○彼大江山や、いく野の道にかゝりつゝ、丹波國村雲と云所にぞ、しばしは","258I","  ","巻第三","大臣流罪" "○日本國に、平家の庄園ならぬ所やある。","259C","  ","巻第三","行隆之沙汰" "○とてものがれざらむ物ゆへに、年來住なれたる所を人にみせむも恥がましかるべし。","259D","  ","巻第三","行隆之沙汰" "○抑か様に上下多く亡損ずる事をいかにと言ふに、当時関白にならせ給へる二位中将殿と、前の殿の御子三位中将殿と、中納言御相論の故と申す。","259K","187M","巻第三","行隆之沙汰" "○行隆手の舞足の踏むところも覚えず。内にやおはすらん」と、ひかへ/\ききゝけれ共、琴ひく所もなかれけり。","261@","  ","巻第三","行隆之沙汰" "○「去七日の夜の大地震も、かゝるべかりける先表にて、十六洛叉の底までもこたへ、乾牢地神の驚きさはぎ給ひけんも理かな」とぞ、人申ける。","262J",,"巻第三","法皇被流" "○「いかにや法印御房、君は昨日のあした、法住寺にて供御きこしめされて後は、よべも今朝もきこしめしも入ず。長夜すがら御瀋もならず。御命も既にあやうくこそ見えさせ御はしませ」との給へば、法印涙をおさへて申されけるは、「何事も限りある事で候へば、平家とのしみさかへて廿餘年、され共惡行法に過て、既に亡び候なんず。","263M",,"巻第三","法皇被流" "○御惱とて常はよるのおとゞにのみぞいらせ給ける。","264G",,"巻第三","法皇被流" "○法皇鳥羽殿に押篭られさせ給て後は、内裏には臨時の御神事と手、主上夜ごとに清凉殿の石灰壇にて、伊勢大神宮をぞ御拜ありける。","264H",,"巻第三","法皇被流" "○百行の中には、孝行をもッて先とす。","265@","193A","巻第三","城南之離宮" "○よる霜に寒き砧のひゞき、かすかに御枕につたひ、曉氷をきしる車のあと、遥に門前によこだはれり。","267I",,"巻第三","城南之離宮" "●「宮門をまもる蠻夷のよるひる警衞をつとむるも、先の世のいかなる契にて今縁をむすぶらむ」と仰の有りけるぞ忝なき。","267K",,"巻第三","城南之離宮" "○宮門をまもる蛮夷の、夜・昼警衛をつとむるも、先の世のいかなる契にて今縁を結ぶらんと仰なりけるぞ忝なき。","267L","195L","巻第三","城南之離宮" "○さるまゝにはかの折々の御遊覧、ところどころの御参詣、御賀のめでたかりし事共、おぼしめしつゞけて、懐舊の御泪をさへがたし。","267N","  ","巻第三","城南之離宮" "○陰陽頭安倍康親、いそぎ内裏へ馳まいて、「今度の地震、占文のさす所、其愼みかろからず。","250C","  ","巻第三  中止法","法印問答" "○詮ずるところ、此趣をこそ披露仕候はめ」とてられければ、いくらもなみ居たる人々、「あなおそろし。","254K","  ","巻第三  中止法","法印問答" "○これは入道相國よろづおもふさまなるが致すところなり。","269F","  ","巻第四","嚴嶋御幸" "○同十九日、大宮大納言隆季卿、いまだ夜ふかうまいッて、御幸もよほされけり。","273@",,"巻第四","嚴嶋御幸" "○いまだ夜のうちに鳥羽殿へ御幸なる。","273D",,"巻第四","嚴嶋御幸" "○大宮・客人をはじめまいらせて、社々所々へみな御幸なる。","274L","  ","巻第四","還御" "○このところはさんぬる應保のころおひ、一院御幸の時、國司藤原の為成がつくたる御所のありけるを、入道相國、御まうけにしつらはれたりしか共、皇それへはあがらせ給はず。","275K","  ","巻第四  係助詞","還御" "○其後御前に人々あまた候はせ給ひて、御たはぶれごとのありしに、上皇しろききぬきたる内侍が、邦綱卿に心をかけたるな」とて、わらはせをはしましければ、大納言にあらがい申さるゝところに、ふみたる便女がまいて、「五条大納言どのへ」とて、さしあげたり。","276G","  ","巻第四","還御" "○六日は供奉の人々、いま一日も宮こへとくといそがれけれ共、新院御逗留あて、福原のところどころ歴覧ありけり。","277C","  ","巻第四","還御" "○太政官の廳にておこなはるべしとさだめられたりけるを、其時の九条殿申させ給けるは、「太政官の廳は、凡人家にとらば公文所ていのところ也。","277M","  ","巻第四  断定助動詞でまるで終わっているの","還御" "○其比近衞河原に候ける源三位入道頼政、或夜ひそかに此宮の御所にまいッて、申ける事こそおそろしけれ。","279E",,"巻第四","源氏揃" "○いかばかりか心うく候らん。君もしおぼしめしたゝせ給て、令旨をたうずる物ならば、夜をついで馳のぼり、平家をほろぼさん事、時日をめぐらすべからず。","281B",,"巻第四","源氏揃" "○「白河なるところへ」といひければ、それへたづねゆき、泰親にあふて勅定のおもむき仰すれば、やがて勘状をまいらせけり。","283E","  ","巻第四","鼠由之沙汰" "○かゝりけるところに、熊野別當湛増飛脚をもッて、高倉宮の御謀反のよし宮こへ申たりければ、前右大將宗盛卿大にさはいで、入道相國おりふし福原におはしけるに、此よし申されたりければ、きゝもあへず。やがて宮こへはせのぼり、「是非に及べからず。","284A","  ","巻第四","鼠由之沙汰" "○「こはいかゞせん」とて、さはがせおはしますところに、宮の侍長兵衛尉信連といふ物あり。","285C","  ","巻第四","信連" "○信連が此御所に候とは、上下みなしられたる事にて候に、今夜候はざらんは、それも其夜は逃げたりけりなどいはれん事、弓矢とる身は、かりにも名こそおしう候へ。","286D",,"巻第四","信連" "○源大夫判官兼鋼、出羽判光長、都合其勢三百餘騎、十五日の夜の子の剋に、宮の御所へぞ押寄たる。","286J",,"巻第四","信連" "○太刀のさき三寸ばかりうちをッて、腹をきちんと腰をさぐれば、鞘巻おちてなかりけり。","287O","218D","巻第四","信連" "○地からおよばず、大手をひろげて、高倉面の小問よりはしりいでんとするところに、大長刀もたる男一人よりあひたり。","288B","  ","巻第四","信連" "○せむずるところ、糺問してよく/\事の子細をたづねとひ、其後河原にひきいだいて、かうべをはね候へ」とぞの給ひける。","288H","  ","巻第四  中止法","信連" "○信連すこしもさはがず、あざわらて申けるは、「このほどよな/\あの御所を、物がうかゞい候時に、なに事のあるべきと存て、用心も仕候はぬところに、よろうたる物共がうち入て候を、「なに物ぞ」ととひ候へば、宣旨の御使」となりの候。山賊・海賊・強盗など申やつ原は、或は「公達のいらせ給ふぞ」或は「宣旨の御使」などなのり候と、かね/\うけ給て候へば、「宣旨とはなんぞ」とて、きた候。","288L","  ","巻第四","信連" "○いくらもなみゐたりける平家のさぶらい共、「あぱれかうの物かな。あたらおのこをきられんずらんむざんさよ」と申あへり。其なかにある人の申けるは「あれは先年ところにありし時も、大番衆がとゞめかねたりし強盗六人、只一人おかゝて、四人きりふせ、二人いけどりにして、其時なされたる左兵衛尉ぞかし。","289F","  ","巻第四","信連" "○しらぬ山路を夜もすがらわけいらせ給ふに、いつならはしの御事なれば、御あしよりいずる血は、いさごをそめて紅の如し。","290C",,"巻第四","競" "○夏草のしげみがなかの露けさも、さこそはところせうおぼしめされけめ。","290E","  ","巻第四  中止法","競" "○同十六日の夜に入ッて、源三位入道頼政、嫡子伊豆守仲鋼、次男源大夫判火かけやきあげて、三井寺へこそまいられけり。","293M",,"巻第四","競" "○伊豆守なのめならず悦て、やがて尾髪をきり、かなやきして、次の夜六波羅へつかはし、夜半ばかり門のうちへぞおひいれたる。","296G",,"巻第四","競" "○牒奏のところに、などかくみせざるべき」と、一味同心に僉議して、山へも奈良へも牒状をこそおくりけれ。","297E","  ","巻第四","山門牒状" "○愁歎無極ところに、去る十五日の夜、一院第二の王子、ひそかに入寺せしめ給ふ。","297J","  ","巻第四","山門牒状" "○爰に入道前太政大臣平朝臣清盛公、法名浄海、ほしいまゝに國威をひそかにし、朝政をみだり、内につけ、恨をなし歎をなす間、今月十五日の夜、一院第二の王子、不慮の難をのがれんがために、にはかに入寺せしめ給ふ。","299K",,"巻第四","南都牒状" "○就中に延暦・園城両寺は、門跡二に分かるといへども、学するところは是圓頓一味の教門におなじ。","298@","  ","巻第四  係助詞","山門牒状" "○反逆の甚しい事、誠に古今に絶たり。其時我等、すべからく賊衆にゆき向て其罪を問べしといへ共、或は神慮にあひゞかり、或は綸言と稱するによて、鬱陶をおさへ光陰を送るあひだ、かさねて軍兵をおこして、一院第二の親王宮をうちかこむところに、八幡三所春日の大明神、ひそかに影向をたれ、仙蹕をさゝげたてまつり、貴寺におくりつけて、新羅のとぼそにあづけたてまつる。","302A","  ","巻第四","南都牒状" "○我等遠域にあて、そのなさけを感ずるところに、清盛入道尚胸気をおこして、貴寺に入らんとするよし、ほのかに承及をも兼て用意をいたす。","302E","  ","巻第四","南都牒状" "○十八日辰一點に大衆ををこし、諸寺に牒奏し、末寺に下知し、軍士をゑて後、案内を達せんとするところに、青鳥飛來てはうかんをなげたり。數日の鬱念一時に解散す。","302H","  ","巻第四","南都牒状" "○圓滿院大輔源覚、すゝみいでて申けるは、「僉議はしおほし。夜のふくるに、いそげやすゝめ」とぞ申ける。","304K",,"巻第四","永僉議" "○堂衆には、筒井の浄妙明秀・小蔵尊月・尊永・慈慶・楽住・かなこぶしの玄永、武士には、渡辺省播磨次郎・授薩摩兵衛・長七唱・競滝口・与の右馬允・続源太・清・勧を先として、都合其勢一千五百余人、三井寺をこそうッたちけれ。","305K","236H","巻第四","大衆揃" "○伊豆守の給ひけるは、「こゝで鳥ないては、六波羅は白昼にこそよせんずれ。いかゞせん」とのたまへば、円満院大輔源覚、又さきのごとくすゝみいでて僉議しけるは、「昔秦の昭王のとき、孟嘗君召しいましめられたりしに、きさきの御たすけによッて、兵物三千人をひきぐしてにげまぬかれけるに、函谷関にいたれり。","306@","236L","巻第四","大衆揃" "○彼鶏鳴たかきところにははしりあがり、にはとりのなくまねをしたりければ、關路のおにはとりきゝつたへてみななきぬ。","306E","  ","巻第四","大衆前" "○若大衆ども「これは一如房阿闍梨がなが僉議にこそ夜はあけたれ。おしよせて其坊きれ」とて、坊をさん/\゛にきる。","306L",,"巻第四","大衆揃" "○せふくところの弟子、同宿數十人うたれぬ。","306M","  ","巻第四  準体","大衆前" "○これはさんぬる夜、御寝のならざりしゆへなりとて、宇治橋三間ひきはずし、平等院にいれたてまッて、しばらく御休息ありけり。","308H",,"巻第四","橋合戰" "○おッかけて討ちたてまつれ」とて、大将軍には、左兵衛督知盛・頭中将重衡・左馬頭行盛・薩摩守忠教、侍大将には、上総守忠清・其子上総太朗判官忠綱・飛弾守景家・其子飛弾太郎判官景高・高橋判官長綱・河内判官秀国・武蔵三郎左衛門有国・越中次郎兵衛尉盛継・上総五郎兵衛忠光・悪七兵衛景清を先として、都合其勢二万八千余騎、木幡山うち越えてね宇治橋のつめにぞおしよせたる。","309A","239G","巻第四","橋合戦" "○橋をひいたぞ、あやまちすな」とどよみけれども、後陣はこれを聞きつけず、われさきにとすゝむほどに、先陣二百余騎、をしおとされ、水におぼれて流れけり。","309E","240B","巻第四","橋合戦" "○嫡子伊豆守仲綱は、赤地の錦の直垂に、黒糸威の鎧也。","309J",,"巻第四","橋合戦" "○覚明体たらく、かちの直垂に黒革威の鎧きて、黒漆の太刀をはき、廿四さいたるくろぼろの矢おい、ぬりごめ藤の弓、脇にはさみ、甲をばぬぎ、たかひもにかけ、えびらより小硯たたう紙とり出し、木曾殿の御前に畏て願書をかく。","310B",,"巻第四","橋合戦" "○堂衆のなかに、つつ井の浄妙明秀は、かちの垂直に黒革縅の鎧きて、五枚甲の緒をしめ、黒漆の太刀をはき、廿四さいたるくろぼろの矢おひ、ぬりこめどうの弓に、このむ白柄の大長刀とりそへて、橋のうへにぞすすんだる。","310B",,"巻第四","橋合戦" "○たのむところは腰刀、ひとへに死なんとぞくるいける。","311@","  ","巻第四","橋合戰" "○淨妙房はう/\かへて、平等院の門のまへなる芝のうえに、物ぐぬぎすて、鎧にたたる矢めをかぞへたりければ六十三、うらかく矢五所、されども大事の手ならねば、ところどころに灸治して、かしらからげ、淨衣きて、弓うちきり杖につき、ひらあしだはき、阿弥陀佛申て、奈良の方へぞまかりける。","311H","  ","巻第四","橋合戦" "○河内路へやまはり候べき」と申ところに、下野國住人足利叉太郎忠綱、すゝみいで申けるは、「淀・いもあらい・河内路をば、天竺、震旦の武士をめしてむけられ候はんずるか。","312A","  ","巻第四","橋合戰" "○足利は朽葉の直垂に、赤皮威の鎧きて、たか角うたる甲のをしめ、こがねづくりの太刀をはき、きりうの矢おひ、しげどう弓もつて、連銭葦毛なる馬に、柏木に耳づくうつたる黄覆輪の鞍おひてぞのつたりける。","313J",,"巻第四","橋合戰" "○萌黄・火威・赤威、いろいろの鎧のうきぬしづみぬゆられけるは、神なび山の紅葉ばの、嶺の嵐にさそはれて、龍田河の秋の暮、いせきにかかつてながれもやらぬにことならず。","314M",,"巻第四","橋合戰" "○黒田後平八郎、日野十郎、乙部弥七と言ふものなり。","315B",,"巻第四","橋合戰" "○上總太郎判官がゐける矢に、兼綱うち甲をゐさせてひるむところに上總守が童次郎丸をいふしたゝか物、おしならべひくで、どうどおつ。","315M","  ","巻第四","宮御最期" "○源大夫判官はうち甲もいた手なれ共、きこゆる大ぢからなりければ、童をとておさへて頸をかき、たちあがらんとするところに、平家の兵物ども十四五騎、ひし/\とおちかさなて、つゐに兼綱をばうてげり。","316@","  ","巻第四","宮御最期" "○埋木のはなさく事もなかりしに身のなるはてぞかなしかりける これを最後の詞にて、太刀のさきを腹につき立て、うつぶッさまにつらぬかッてぞ失せられける。","316L","247I","巻第四","宮御最期" "○その頸をば唱取て、なく/\石にくゝりあはせ、かたきのなかをまぎれいでて、宇治河のふかきところにしづめけり。","316O","  ","巻第四","宮御最期" "○競の滝口をば、平家の侍共、いかにもしていけどりにせんとうかゞひけれども、競もさきに心えて、さんざんに戦い、大事の手負ひ、腹かききッてぞ死にける。","317B","247M","巻第四","宮御最期" "○圓滿院大輔源覚、いまは宮もはるかにのびさせ給ぬらんとやおもひけん、大太刀大長刀左右にもて、敵のなかうちやぶり、宇治河へとんでいり、物の具一もすてず、水の底をくゞて、むかへの岸にわたりつき、たかきところに上り上がり、大音聲をあげて、「いかに平家の君達、これまでは御大事かよう」とて、三井寺へこそかゑりけれ。","317F","  ","巻第四","宮御最期" "○平家の人ゝは、宮并に三位入道の一族、三井寺の衆徒、都合五百余人が頚、太刀・長刀のさきにつらぬき、たかくさしあげ、夕に及て六波羅へかへり入る。","319A","250@","巻第四","若宮出家" "○其なかに源三位入道の頸は、長七唱がとて宇治河のふかきところにしづめてげれば、それは見えざりけり。","319C","  ","巻第四","若宮出家" "○保元の合戦の時、御方にて先を懸けたりしか共、させる賞にもあづからず。","324A","254I","巻第四","鵺" "○井の早太つとより、おつるところをとておさへて、つゞけさまに九かたなぞさいたりける。","326G","  ","巻第四","鵺" "○宇治の左大臣殿是を給はりついで、頼政にたばんとて、御前〔の〕きざはしをなからばかりおりさせ給へるところに、比は卯月十日あまりの事なれば、雲井に郭公二聲三こゑ音でれてぞとほりける。","326L","  ","巻第四","鵺" "○ふせくところ大衆以下の法師原、三百餘人までうたれにけり。夜いくさになて、くらさはくらし、官軍寺にせめ入て、火をはなつ。","329A","  ","巻第四","三井寺炎" "○夜いくさになッて、くらさはくらし、官軍寺にせめ入て、火をはなつ。","329A",,"巻第四","三井寺炎上" "○やくるところ、本覚院、常喜院・眞如院・花園院・普賢堂・大寶院・清瀧院、教待和尚本坊ならびに本尊等、八間四面の大講堂、鐘樓・經藏・灌頂堂、護法善神の社壇、新熊野の御寶殿、惣て堂社塔廟六百三十七宇、大津の在家一千八百五十三宇、智證のわたし給へる一切經七千餘巻、佛像二千餘躰、忽に煙となるこそかなしけれ。","329B","  ","巻第四","三井寺炎上" "○大師このところを傅法灌頂の靈跡として、ゐけすいの三をむすび給しゆへにこそ、三井寺とは名づけたれ。","329M","  ","巻第四","三井寺炎上" "○「去る安元よりこのかた、おほくの卿相雲客、或はながし、或はうしなひ、關白ながし奉り、わが聟を關白になし、法王を城南の離宮にうつし奉り、第二","332L","  ","巻第五","都遷" "○異國のいくさをしづめさせ給ひて後、筑前國三笠郡にして皇子御誕生、其所をばうみの宮とぞ申たる。","333K","  ","巻第五","都遷" "○「昔より代々の帝王、國々ところどころにおほくの都をたてられしかども、かくのごとくの勝地はなし。」","335A","  ","巻第五","都遷" "○同六月九日、新都の事はじめあるべしとて、上卿〔には〕徳大寺左大將實定の卿、土御門の宰相將通親の卿、奉行の弁には藏人左少辨行隆、官人共、めしぐして、和田の松原の西の野を點じて、九城の地をわられけるに、一条よりしも五条までは其所にあて、五条よりしもはなかりけり。","336M","  ","巻第五","都遷" "○もと〔こ〕のところにすむ物は、地をうしなてうれへ、いまうつる人々は土木のわづらひをなげきあへり。","337A","  ","巻第五","都遷      巻第五" "○大將その御所にまいて、まづ隨身に惣門をたゝかせらるゝに、うちより女の聲して、「たそや、蓬生の露うちはらふ人もなき所に、ととがむれば、「福原より大將殿の御まいり候」と申。","339B","  ","巻第五","月見" "○南面の御格子あげさせて、御琵琶あそばされけるところに、大將まいられたりければ、「いかに、夢かやうつゝか、これへ/\」とぞ仰ける。","339E","  ","巻第五","月見" "○源氏の宇治の卷には、うばそくの宮の御むすめ、秋の名残ををしみ、琵琶をしらめて夜もすがら心をすまし給ひしに、在明の月のいでけるを、猶たえずやおぼしけん、撥にてまねき給ひけんも、いまこそおもひしられけれ。","339H",,"巻第五","月見" "○大將かの女房よびいだし、昔いまの物語して、さ夜もやう/\ふけ行ば、ふるきみやこのあれゆくを、いま様にこそうたはれけれ。","339O",,"巻第五","月見" "○さる程に夜もあけければ、大將いとま申て、福原へこそかへられけれ。","340E",,"巻第五","月見" "○或夜入道のふし給へるところに、ひと間にはゞかる程の物の面いできて、のぞきたてまつる。","341A","  ","巻第五","物怪之沙汰" "○岡の御所と申すはあたらしうつくられたれば、しかるべき大木もなかりけるに、或夜おほ木のたふるゝ音して、人ならば二廿人が聲して、どッとわらふことありけり。","341D",,"巻第五","物怪之沙汰" "○是はいかさまにも天狗の所為といふ沙汰にて、ひきめの當番となずけて、よる百人ひる五十人の番衆をそろへて、ひきめをゐさせらるゝに、天狗のある方へむいてゐたる時は音もせず、ない方へむいてゐたる時は、はッとわらひなどしけり。","341F",,"巻第五","物怪之沙汰" "○くろき馬の額しろかりけり。","342J",,"巻第五","物怪之沙汰" "○たとへば、大内の神祇官とおぼしきところに、束帯たゞしき上臈たちあまたおはして、議定の様なる事のありしに、末座なる人の、平家のかたうどするとおぼしきを、その中よりおたてらる。","342O","  ","巻第五","物怪之沙汰" "○其後土肥・土屋・岡崎をはじめとして三百餘騎、石橋山に立籠て候ところに、景親御方に心ざしを存ずるものども一千餘騎を引率して、おしよせせめ候程に、兵衛佐七八騎にうちはなされ、おほ童にたゝかいなて、土肥の椙山へにげこもり候ぬ。","345B","  ","巻第五","早馬" "○始皇帝あざわらて、「なんぢにいとまをたばん事は、馬に角おひ、烏の頭白くならん時を待べし」。","348B",,"巻第五","咸陽宮" "○燕丹天にあふぎ地に臥て、「願は、馬に角をひ、烏の頭のしろくなしたべ。故郷にかへて今一度母をみん」とぞ祈ける。","348C",,"巻第五","咸陽宮" "○みやうけんの三寶孝行の心ざしをあはれみ給ふ事なれば、馬に角をひて宮中に来り、烏の頭白くなて庭前の木にすめりけり。","348F",,"巻第五","咸陽宮" "○兵をこそかたらふてまいらせめ」とてかへらむとするところに、荊軻「この事あなかしこ、人にひろふすな」といふ。","349F","  ","巻第五","咸陽宮" "○荊軻これをきゝ、樊於期がもとにゆひて、「われきく。なんぢがかうべ五百斤の金にほうぜらる。なんぢが首われにかせ。取て始皇帝にたてまつらん。よろこんで叡覽へられん時、つるぎをぬき、胸をさゝんにやすかりなん」といひければ、樊於期おどりあがり、大いきついて、申しけるは、「われおや・おぢ・兄弟を始皇のためにほろぼされて、よるひる是をおもふに、骨髄にとをて忍がたし。げにも始皇帝をほろぼすべくは、首をあたへんこと、塵あくたよりもなをやすし」とて、手づから首を切てぞ死にける。","350A",,"巻第五","咸陽宮" "●よろこんで叡覽へられん時、つるぎをぬき、胸をさゝんにやすかりなん」といひければ、樊於期おどりあがり、大いきついて申けるは、「われおや・おぢ・兄弟を始皇のためにほろぼされて、よるひる是をおもふに、骨髄にとをッて忍がたし。","350A",,"巻第五","咸陽宮" "○これを、秦の都の案内者にかたらうて、ぐしてゆく程に、ある片山のほとりに宿したりける夜、其邊ちかき里に管絃をするをきいて、調子をもッて本意の事をうらなふに、かたきの方は水なり、我方は火なり。","350G",,"巻第五","咸陽宮" "○長生殿・不老門あり、金もて日をつくり、銀をもて月をゆくれたり。","351@",,"巻第五","咸陽宮" "○四方にはたかさ四十丈の鉄の築地をつき、殿の上にも同く鉄の網をぞ張りたりける。","351B",,"巻第五","咸陽宮" "○燕の指圖ならびに樊於期が首げざんにいるゝところに、指圖の入たる櫃のそこに、氷の様なるつるぎの見えければ、始皇帝これをみて、やがてにげんとし給ふ。","351O","  ","巻第五","咸陽宮" "○比は十二月十日あまりの事なれば、雪ふりつもりつららゐて、谷の小河も音もせず、嶺の風ふきほこり、瀧のしら糸垂氷となり、まな白妙にをしなべて、よもの梢も見えわかず。","354H",,"巻第五","文覺荒行" "○かくて三七日の大願つゐにとげにければ、那智に千日こもり、大峯三度、葛城二度、高野・粉河・金峯山、白山、立山、富士の嵩、信濃戸隱、出羽羽黒、すべて日本國のこる所なくおこなひまはて、さすが尚ふる里や戀しかりけん、宮こへのぼりたりければ、凡とぶ鳥も祈おとすほどのやいばの驗者とぞきこえし。","356C","  ","巻第五","文覺荒行" "○文覚よろこでかゝる所を、きてはあしかりなんとやおもひけん、太刀のみねをとりなをし、文覺がからなもたるかいなをしたゝかにうつ。","360A","  ","巻第五","文覺被流" "○うたれてちとひるむところに、太刀をすてて、「えたりをう」とてくむだりけり。","360C","  ","巻第五","文覺被流" "○互におとらぬ大ぢからなりければ、うへになりしたになり、のろびあふところに、かしこがほに上下よて、文覚がはたらくところのぢゃうをがうしてげり。","360F","  ","巻第五","文覚被流" "○文覚かさねて申けるは、「天のあたふるをとらざれば、かへて其とがをうく。時いたておこなはざれば、かへて其わざはひをうくといふ本文あり。かう申せば、御辺の心をみんとて申などおもひ給か。御辺に心ざしふかい色を見給へかし」とて、ふところよりしろいぬのにつつむだる髑髏をひとつとりだす。","364B",,"巻第五","文覚被流" "○兵衛佐「あつぱれ、この聖御房は、まなじゐによしなき事申いだして、頼朝叉いかなるうき目にかあはんずらん」と、おもはじ事なうあんじつゞけておはしけるところに、八日といふ午剋ばかりくだりついて「すは院宣よ」とたてまつる。","365K","  ","巻第五","福原院宣" "○さる程に、福原には、勢のつかぬ先に急ぎ打手をくだすべしと、公卿僉議あッて、大将軍には小松権亮少将維盛、副将軍には薩摩守忠教、都合其勢三万余騎、九月十八日に都をたッて、十九日には旧都につき、やがて廿日東国へこそうッたゝれけれ。","366I","301I","巻第五","富士川" "○路打ちには、あか地の錦の直垂に、萌黄おどしの鎧きて、連銭葦毛なる馬に、黄覆輪の鞍をいて乗給へり。","367B",,"巻第五","富士川" "○副将軍薩摩守忠度は、紺地の錦のひたたれに、ひおどしの鎧きて、黒き馬のふとうたくましゐに、いかけ地の鞍をいてのり給へり。","367C",,"巻第五","富士川" "○さよもはるかにふけゆくまでに、まらうとかへり給はず。","367H",,"巻第五","富士川" "○今一日も先に打手をくださせ給たらば、足柄の山こえて八ケ国へ御出候ば、畠山が一族、大庭兄弟、などか参らで候べき。","372E","307F","巻第五","富士川" "○あすは源平富士河にて矢合とさだめたりけるに、夜に入りて、平家の方より源氏の陣を見わたせば、伊豆・駿河[の]人民・百姓等がいくさにおそれて、或船にとりのッて海河にうかび、いとなみの火のみえけるを、平家の兵ども、「あなおびたゝしの源氏の陣のとを火のおほさよ。げにもまことに野も山も海も河もみなかたきでありけり。いかゞせん」とぞあはてける。","373J",,"巻第五","富士川" "○その夜の夜半ばかり、富士の沼にいくらもむれゐたりける水鳥どもが、なににかおどろきたりけん、たゞ一どにばッと立ける羽音野、大風いかずちなどの様にきこえければ、平家の兵共、「すはや源氏の大ぜいのよするは。齋藤別當が申つる様に、定て挧手もまはるらん。とりこめられてはかなうまじ。こゝをばひいて尾張河洲俣をふせけや」とて、とる物もとりあへず、我さきにとぞ落ゆきける。","373N",,"巻第五","富士川" "○こゝをばひいて、尾張河、洲俣をふせけや」とて、とる物もとりあへず、我さきにとぞ落ゆきける。","374C","309D","巻第五","富士川" "○駿河國清見が關に宿したりける夜、かの滋藤漫々たる海上を遠見して、漁舟火影寒焼浪、驛路鈴聲夜過山」といふから歌をたからかに口ずさみ給へば、忠文いふにおぼえて感涙をぞながされける。","377@",,"巻第五","五節之沙汰" "○九條右丞相師輔公の申させ給ひけるは、「坂東へ打手はむかふたりといへども、將門たやすうほろびがたきところに、この人共仰をかうむて關の東へおもむく時、朝敵すでにほろびたり。","377G","  ","巻第五","五節沙汰" "○しかるを、この福原の新都には大極殿もなければ、大礼おこなふべきところもなし。","378F","  ","巻第五","五節沙汰" "○五節はこれ清御原のそのかみ、吉野の宮にして、月しろく嵐はげしかりし夜、御心をすましつゝ、琴をひき給ひしに、神女あまくだり、五たび袖をひるがへす。","378I",,"巻第五","五節之沙汰" "○浪の音つねはかまびすしく、塩風はげしき所也。","379C","  ","巻第五","都帰" "○入道相国をはじめとして、平家一門の公卿・殿上人、われさきにとぞのぼられける。","379F","314G","巻第五","都帰" "○官軍は馬にてかけまはしかけまはし、あそここゝにおかけ/\、さしつめさん/\にゐければ、ふせくところの大衆、かずをつくゐてうたれにけり。","382A","  ","巻第五","奈良炎上" "○夜に入て奈良坂・般若寺二ヶ所の城槨ともにやぶれぬ。","382B",,"巻第五","奈良炎上" "○もえぎ威の腹巻のうへに、黒糸威の鎧をかさねてぞきたりける。","382E",,"巻第五","奈良炎上" "○されども官軍は大勢にて、いれかへ/\せめければ、永覚が前後左右にふせく所の同宿みなうたれぬ。永覚たゞひとりたけけれど、うしをあらはになりければ南をさいておちぞゆく。","382J","  ","巻第五","奈良炎上" "○夜いくさになッて、くらさはくらし、大將軍頭中將、般若寺の門の前にうッたッて、「火をいだせ」との給ふほどこそありけれ、平家のせいのなかに、潘磨國住人福井庄下司、二郎大夫友方といふもの、たてをわりたい松にして、在家に火をぞかけたりける。","382L",,"巻第五","奈良炎上" "○十二月廿八日の夜なりければ、風ははげしし、ほもとはひとつなりけれ共、ふきまよふ風に、おほくの伽藍に吹かけたり。","382O",,"巻第五","奈良炎上" "○あゆみもえぬ老僧や、尋常なる修学者、児ども、女童部は、大仏殿の二階のうへ、山階寺のうちへわれさきにとぞにげゆきける。","383D","318H","巻第五","奈良炎上" "○やがて其夜東山の麓、清閑寺へうつしたてまつり、ゆふべのけぶりとたぐへ、春の霞とのぼらせ給ひぬ。","388C",,"巻第六","新院崩御" "○しかるをある夜、野分はしたなうふひて、紅葉みな吹ちらし、落葉頗る狼藉なり。","389G",,"巻第六","紅葉" "○奉行の蔵人、行幸より先にと急ぎゆひて見るに跡かたなし。","389K","326K","巻第六","紅葉" "○しらず、なんぢ等只今禁獄流罪にも及び、わが身もいかなる逆鱗にかあづからんずらん」となげくところに、主上ゞしくよるのおとゞを出させ給ひもあへず、かしこへ行幸なて紅葉を叡覧なるに、なかりければ、「いかに」と御たづね有に、藏人奏すべき方はなし。","390A","  ","巻第六","紅葉" "○藏人大におどろき、「あなあさまし。君の差しも執しおぼしめされつる紅葉を、か様にしけるあさましさよ。しらず、なんぢ等只今禁獄流罪にも及び、わが身もいかなる逆鱗にかあづからんずらん」となげくところに、主上いとゞしくよるのおとゞを出させ給ひもあへず、かしこへ行幸なッて紅葉を叡覽なるに、なかりければ、「いかに」と御たづね有に、藏人奏すべき方はなし。","390A",,"巻第六","紅葉" "○况やさゆる霜夜のはげしきに、延喜の聖代、國土の民どもいかにさむかるらんとて、夜るのおとゞにして御衣をぬがせ給ける事などまでも、おぼしめし出して、わが帝徳のいたらぬ事をぞ御歎有ける。","390J",,"巻第六","紅葉" "○その御方へ、「さやうのいろしたる御衣や候」と仰ければ、さきのよりはるかにうつくしきが参りたりけるを、くだんのめのわらはにぞたまはせける。","391K","328L","巻第六","紅葉" "○「いまだ夜ふかし。又さるめにもやあふ」とて、上日のものをつけて、しうの女房のつぼねまでをくらせまし/\けるぞかたじけなき。","391L",,"巻第六","紅葉" "○されば御ながめがちにて、よるのおとゞにのみぞいらせ給ふ。","392J",,"巻第六","葵前" "○此御手習を、冷泉少将隆房給はりつゐで、件の葵の前に給はせたれば、かほうちあかめ、「例ならぬ心ち出きたり」とて、里へ帰り、うち臥す事五六日して、ついにはなくなりにける。","393G",,"巻第六","葵前" "○ひるはよるのおとゞにいらせ給ひて、御涙にのみむせび、夜るは南殿に出御なッて、月の光を御覽じてぞなぐさませ給ひける。","395H",,"巻第六","小督" "○彈正少弼仲國、其夜しもまいッて、はるかにとをう候が、「仲國」と御いらへ申たれば、「ちかうまいれ。仰下さるべき事あり」。","396A",,"巻第六","小督" "○片折戸したる屋を見つけては、「此内にやおはすらん」と、ひかへ/\ききゝけれ共、琴ひく所もなかれけり。","397D","  ","巻第六","小督" "○やゝあて、内より人の出る音のしければ、うれしうおもひて待ところに、じやうをはづし、門をほそめにあけ、いたひけしたる小女房、かほばかりさしいだひて、「門たがへてぞさぶうらん。」","398D","  ","巻第六","小督" "○是には内裏より御使など給はるべき所にてもさぶらはず。」と申せば、中々返事して、門たてられ、じやうさゝれてはあしかりなんとおもひて、おしあけてぞ入にける。","398F","  ","巻第六","小督" "○妻戸のきはのゑんゐて、「いかに、かやうの所には御わたり候やらん。","398I","  ","巻第六","小督" "○「それにもきかせ給ひつらん、入道相國のあまりにおそろしき事をのみ申ときゝしかば、あさましさに、内裏をばにげ出て、此程はかゝるすまひなれば、琴などひく事もなかりつれ共、さてもあるべきならねば、あすより大原のおくにおもひたつ事のさぶらへば、あるじの女房の、こよひばかりの名残をおしうで、「今は夜もふけぬ。たちきく人もあらじ」などすゝむれば、さぞなむかしの名残もさすがゆかしくて、手なれし琴をひく程に、やすうもきゝ出されけりな」とて、涙もせきあへ給はねば、仲國も袖をぞぬらしける。","399G",,"巻第六","小督" "○東に〔出〕西に流、只瞻望を曉の月に寄す」と、うちながめさせ給ふ所に、仲國つとまいりたり。","400C","  ","巻第六","小督" "○君なのめならず御感なて、「なんぢゃがてよさり具してまいれ」と抑ければ、入道相國のかへりきゝ給はんところはおそろしけれ共、これ又倫言なれば、雑色・牛・車きよげに沙汰して、さがへ行むかひ、まいるまじきよしやう/\にの給へども、さまざまにこしらへて、車にとりのせたてまつり、内裏へまいりたりければ、幽なる所にしのばせて、よか/\めされける程に、姫宮一所出来させ給いけり。","400H","  ","巻第六","小督" "○義仲も東山・北陸両道を従へて、今一日も先に平家攻め落し、たとへば日本国二人の将軍と言はればや」とほのめかしければ、中三兼遠大にかしこまり悦で、「其にこそ君をば今まで養育し奉れ。","403A","340E","巻第六","廻文" "○城内には武蔵権守入道義基・子息判官代義兼を先として、其勢百騎ばかりには過ぎざりけり。","405@","342C","巻第六","飛脚到来" "○額入道西寂、河野四郎清をうて後、四國の狼藉をしづめ、今年正月十五日に備後のともへおしわたり、遊君遊女共めしあつめて、あそびたはぶれさかもりけるが、先後もしらず醉ふしたる處に、河野四郎おもひきたるもの共百余人あひ語て、ばとおしよす。","406B","  ","巻第六","飛脚到來" "○ひし給へる所四五間が内へ入ものは、あつさたへがたし。たゞの給ふ事とては、「あた/\」とばかりなり。","407I","  ","巻第六","入道死去" "○をのづからあたる水はほむらとなてもえければ、くろけぶり殿中にみちみちて、炎うづまひてあがりけり。","407O",,"巻第六","入道死去" "○くろがねの門の内へさし入ば、流星などの如くに、ほのを空へたちあがり、多百由旬に及けんも、今こそおもひしられけれ。","408A",,"巻第六","入道死去" "○車のまへには、無といふ文字ばかり見えたる鉄の札をぞ立たりける。","408G",,"巻第六","入道死去" "○今生の望一事ものこる虎なし。","409G","  ","巻第六","入道死去    巻第六" "○やがて、葬送の夜、ふしぎの事あまたあり。","410K",,"巻第六","築嶋" "○玉をみがき金銀をちりばめて作られたりし西八条殿、其夜にはかにやけぬ。","410L",,"巻第六","築嶋" "○又其夜六波羅の南にあたッて、人ならば二三十人が聲して、「うれしや水、なるは瀧の水」といふ拍子を出してまひおどり、どッとわらう聲しけり。","411A",,"巻第六","築嶋" "○この二三年院もわたらせ給はず、御所あずかり備前前司基宗といふものあり、彼基宗があひ知たる物共二三十人、夜にまぎれて來り集り、酒をのみけるが、はじめはかゝる折ふしにをとなせそとてのむ程に、次第にのみ醉て、か様に舞おどりけるなり。","411H",,"巻第六","築嶋" "○去る承安二年十二月廿二日の夜、脇息によりかゝり、法花經よみたてまつりけるに、丑剋ばかり、夢ともなくうつゝ共なく、年五十斗なる男の、浄衣に立烏帽子きて、わらづはゞきしたるが、立文をもッて來れり。","413B",,"巻第六","慈心房" "○丑剋ばかりに、又先のごとくに浄衣裝束なる男二人来ッて、「はや/\参らるべし」とすゝむるあひだ、閻王宣を辞せんとすれば、甚其恐あり、参詣せんとすれば、更に衣鉢なし。","414@","351H","巻第六","慈心房" "○高廣金色にして、凡夫のほむるところにあらず。","414H","  ","巻第六","慈心房" "○かしらはしろかねのはりをにがきたてたるやうにきらめき、左右の手とおぼしきをさしあげたるが、片手にはつちのやうなるものをもち、片手には光る物をぞもたりける。","417A",,"巻第六","祇園女御" "○いかゞせん」とさはがせおはしますところに、忠盛其比はいまだ北面の下臈で供奉したりけるをめして、「此中には何血ぞあるらん。","417E","  ","巻第六","祇園女御" "○此事奏聞せんとうかゞひけれ共、しかるべき便宜もなかりにけるに、ある時白河院、熊野へ御幸なりけるが、紀伊國いとが坂といふ所に御輿かきすゑせ、しばらく御休息有けり。","418J","  ","巻第六","祇園女御" "○あきれてたゝせをはしましたるところに、此邦綱要輿をかゝせてまいり、「か様の時は、かゝる御輿にこそめされ候へ」と奏しければ、主上是にめして出御あり。","420B","  ","巻第六","祇園女御" "○今かの所を見るなれば、岸の竹は斑にてたてり。","422G","  ","巻第六","祇園女御" "○此人大納言まではおもひもよらざりしを、母うへ賀茂大明神に歩をはこび、「ねがはくは我子の邦綱一日でもさぶらへ、藏人頭へさせ給へ」と、百日肝耽をくだいて祈申されけるが、ある夜の夢に、びりやうの車をゐて來て、我家の車よせにたつといふ夢を見て、是人にかたり給へば、「それは公卿の北方にならせ給ふべきにこそ」とあはせたりければ、「我年すでに闌たり。今更さ様のふるまひあるべし共おぼえず」との給ひけるが、御子の邦綱、藏人頭は事もよろし、正二位大納言にあがり給ふこそ目出けれ。","422M",,"巻第六","祇園女御" "○同十六の夜半ばかり、源氏の勢六千余騎川をわたいて、平家三万余騎が中へおめひてかけ入、明れば十七日、寅の剋より矢合して、夜の明までたゝかうに、平家のかたにはちともさはがず。","424L",,"巻第六","祇園女御" "○信濃源氏、井上九郎光盛がはかり事〔に〕、にはかに赤旗を七ながれつくり、三千余騎を七手にわかち、あそこの峯、こゝの洞より、あかはたども手々にさしあげてよせれば、城の四郎是を見て、「あはや、此國にも平家のかたうどする人ありけりと、ちからつきぬ」とて、いさみのゝしるところに、次第〔に〕ちかうなりければ、あひ圖をさだめて、七手がひとつになり、一度に時をどとぞ作ける。","430G","  ","巻第六","横田河原合戰" "○木曽という所は、信濃にとても南のはし、美濃ざかひなりければ、都も無下に程ちかし。","404@","  ","巻第六  係助詞の中止形","飛脚到來" "○内々おもひけるは、「此もの、さしもたけき物とは見ず。きつねたぬきな(ン)どにてぞ有らん。是をゐもころし、きりもころしたらんは、無下に念なかるべし。いけどりにせん。」とおも(ツ)てあゆみよる。","417H",,"巻第六  係助詞の中止形","祇園女御" "○とばかりあ(ツ)てはさ(ツ)とひかり、二三度しけるを、忠盛はしりよ(ツ)て、むずとくむ。","417J",,"巻第六  係助詞の中止形","祇園女御" "○舜の御門かくれ給ひて、彼蒼梧の野べへをくりたてまつり、煙となし奉る時、二人のきさきを名殘をおしみ奉り、湘浦といふ所までしたひつゝなきかなしみ給ひしに、その涙岸の竹にかゝて、まだらにぞそみたりける。","422E","  ","巻第六  限定助詞","祇園女御" "○さる程に、大將軍十郎藏人行家、三河國にうちこえて、やはぎ川の橋をひき、かひだてかひて待かけたり。","425E",,"巻第六  限定助詞","祇園女御" "○黒雲一むら立来て、助長がうへにおほふとこそ見えけれ、俄に身すくみ心ほれて落馬してげり。","426I",,"巻第六  限定助詞","祇園女御" "○九月一日、純友追討の例とて、くろがねの鎧甲を伊勢大神宮へまいらせらる。","428@",,"巻第六  限定助詞","祇園女御" "○寿永二年三月上旬に、兵衛佐と木曽冠者義仲不快の事ありけり。","61@",,"巻第七","清水冠者" "○義仲も東山・北陸両道を従へて、今一日もさきに平家を攻落さむとする事でこそあれ。","61F","5F","巻第七","清水冠者" "○但十郎藏人殿こそ御辺をうらむる事ありとて、義仲が許へおはしたるを、義仲さへすげなうもてなし申さん事、いかんぞや候へば、うちつれ申たり。","61H",,"巻第七","清水冠者" "○それにはよるべからず」とて、土肥・梶原をさきとして、既に討手をさしむけらるゝ由聞えしかば、木曾、真実意趣なき由をあらはさむがために、嫡子清水冠者義重とて、生年十一歳になる小冠者に、海野・望月・諏方・藤沢なンどいふ聞ゆる兵共をつけて、兵衛佐の許へつかはす。","62C","6B","巻第七","清水冠者" "○大将軍には、小松三位中将維盛・越前三位通盛・但馬守経正・薩摩守忠教・三河守知教・淡路守清房、侍大将には越中前司盛俊・上総大夫判官忠綱・飛弾大夫判官景高・高橋判官長綱・河内判官秀国・武蔵三郎左衛門有国・越中次郎兵衛盛嗣・上総五郎兵衛忠光・悪七兵衛景清をさきとして、以上大将軍六人、しかるべき侍三百四十余人、都合其勢十万余騎、寿永二年四月十七日、辰一点に、都を立ツて北国へこそおもむきけれ。 ","63F","7G","巻第七","北国下向" "○「げにさる事あり。","64E",,"巻第七","竹生嶋詣" "○比は卯月中の八日の事なれば、緑にみゆる梢には春のなさけをのこすかとおぼえ、澗谷の鷲舌聲老て、初音ゆかしき郭公、おりしりがほにつげわたる。","64G",,"巻第七","竹生嶋詣" "○彼秦皇、漢武、或童男丱女をつかはし、或方士をして不死の藥を尋給ひしに、「蓬莱をみずは、いなや歸らじ」といって、徒に船のうちにて老、天水茫々として、求事をえざりけんん蓬莱洞の有様も、かくやありけんんとぞみえし。","64L",,"巻第七","竹生嶋詣" "○天女すむ所」といへり。","64N","  ","巻第七","竹生嶋詣" "○則此嶋の事也。","64N",,"巻第七","竹生嶋詣" "○たのもしうこそ候へ」とて、しばらく法施まいらせ給ふに、やう/\日暮、ゐ待の月さし出て、海上も照わたり、社壇も弥かゝやきて、まことにおもしろかりければ、常住の僧共「きこゆる御事也」とて、御琵琶をまいらせたりければ、經正是をひき給ふに、上玄石上の祕曲には、宮のうちもすみわたり、明神感應にたへずして、經正の袖のうへに白龍現じてみえ給へり。","65D",,"巻第七","竹生嶋詣" "○千はふる神にいのりのかなへばやしるくも色のあらはれにけるされば怨敵を目前にたひらげ、凶徒を只今せめおとさん事の、疑なしと悦で、又船にとりのって、竹生嶋をぞ出られける。","65I",,"巻第七","竹生嶋詣" "○影南山を浸して青して晃やうたり。","66E",,"巻第七","竹生嶋詣" "○「彼水うみは往古の淵にあらず。一旦山河をせきあげて侯。夜に入足がろ共をつかはして、しがらみをきりおとさせ給ヘ。水は程なくおつべし。馬の足きゝよい所で侯へば、いそぎわたさせ給へ。うしろ矢は射てまいらせん。是は平泉寺の長吏齋明威儀師が申状」とぞかひたりける。","66L",,"巻第七","火打合戰" "○馬の足きゝよい所で候へば、いそぎわたさせ給へ。","66N","  ","巻第七","火打合戦" "○ちかき宿々より飛脚をたてて、此由都へ申たりければ、大臣殿以下残りとゞまり給ふ一門の人々いさみ悦事なのめならず。","67H",,"巻第七","火打合戦" "○搦手の大将軍は薩摩守忠教・参河守知教、侍大将には武蔵三郎左衛門を先として、都合其勢三万余騎、能登・越中の境なる志保の山へぞかゝられける。","67M","12B","巻第七","火打合戦" "○一万余騎をば砥浪山の口、黒坂のすそ、松長の柳原、ぐみの木林にひきかくす。","68B",,"巻第七","願書" "○但かけあひのいくさは勢の多少による事也。","68H",,"巻第七","願書" "○其時義仲しばしあひしらふやふにもてなして、日をまちくらし、平家の大勢をくりからが谷へ追おとさうど思ふなり」とて、まづ白旗三十ながれ先だてて、黒坂のうへにぞうたてたる。","69A",,"巻第七","願書" "○しばしおりゐて馬やすめん」とて、砥浪山の山中、猿の馬場といふ所にぞおりゐたる。","69F","  ","巻第七","願書" "○やがて此所は八幡の御領で候」と申。","69I","  ","巻第七","願書" "○覚明が躰たらく、かちの直垂に黒革威の鎧きて、黒漆の太刀をはき、廿四さいたるくろぼろの矢おい、ぬりごめ藤の弓、脇にはさみ、甲をばぬぎ、たかひもにかけ、えびらより小硯たたう紙とり出し、木曾殿の御前に畏て願書をかく。","69O",,"巻第七","願書" "○しかるを闘戰兩家の陣をあはすといへ供仕卒いまだ一致の勇をえざる間、區の心おそれたる處に、今一陣旗あぐる戦場にして、忽に三所和光の社壇を拜す。","71B","  ","巻第七","願書" "○中就、曾祖父前陸奥守義家朝臣、身を宗廟の氏族荷歸附して、名を八幡太郎と号せしよりこのかた、門葉たる者歸敬せずといふ事なし。","71E",,"巻第七","願書" "○今此大功を發す事、たとへば嬰兒の貝をもて巨海を量り、蟷螂の斧をいからかして隆車に向が如し。","71F",,"巻第七","願書" "○憑哉、悦哉。伏願くは、冥顕威をくはへ、靈神力をあはせて、勝事を一時に決し、怨を四方に退給へ。","71J",,"巻第七","願書" "○まツさきにすゝむだる者が見えねば、此谷の底に道のあるにこそとて、親落せば子も落し、兄落せば弟もつゞく。","73O","18I","巻第七","倶利迦羅落" "○案のごとく、平家、次第にくらうはなる、前後より敵はせめ來る、「きたなしや、かへせかへせ」といふやからおほかりけれ共、大勢の傾たちぬるは、左右なうとてかへす事らたければ、倶梨迦羅が谷へわれ先にとぞおとしける。","73O",,"巻第七","倶梨迦羅落" "○木曽殿の給ふけるは、「今は思ふ事なし。","74M",,"巻第七","倶梨迦羅落" "○案のごとく十郎藏人行家、さんざんにかけなされ、ひき退いて馬の息休る處に、木曾殿「さればこそ」とて、荒手二万余騎が中へおめいてかけ入、もみにもうで出る程にぞ攻たりける。","75C","  ","巻第七","倶梨迦羅落" "○次日又浮巣三郎がもとによりあひたりける時、斎藤別當「さても昨日申し事はいかに、をの/\」。","76F",,"巻第七","篠原合戦" "○そのなかに俣野五郎すゝみ出て申けるは、「我等はさすが東國では皆、人にしられて名ある者でこそあれ、吉についてあなたへまいり、こなたへまいらふ事も見ぐるしかるべし。","76I",,"巻第七","篠原合戦" "○たゞ一騎落て行ところに、越中國の住人入善の小太郎行重、よい敵と目をかけ、鞭あぶみをあはせて馳來り、おしならべてむずとくむ。","77N","  ","巻第七","篠原合戦" "○入善「われをばたすけたれ共、あぱれ敵や、いかにもしてうたばや」と思ひたる處に、高橋うちとけて物語しけり。","78E","  ","巻第七","篠原合戦" "○存ずるむねありければ、赤地の錦の直垂に、もよぎおどしの鎧きて、くはがたうたる甲のをしめ、こがねづくりの太刀をはき、きりうの矢おひ、しげどう弓もつて、連銭葦毛なる馬に、柏木に耳づくうつたる黄覆輪の鞍おひてぞのつたりける。","79A",,"巻第七","篠原合戦" "○よれくまう手塚」とておしならぶるところに、手塚が郎等をくれ馳にはせ來て、主をうたせじとなかにへだゝり、齊藤別當にむずとくむ。","79I","  ","巻第七","實盛" "○手塚太郎、郎等がうたるゝをみて、弓手にまはりあひ、鎧の草摺ひきあげて二万さし、よはる處にくんでおつ。","80@","  ","巻第七","實盛" "○いまは定て白髪にこそなりぬらんに、びんぴげのくろいこそあやしけれ。","80H",,"巻第七","實盛" "○木曾殿「それならば今は七十にもあまり、白髪にこそなりぬらんびんぴげのくろいのはいかに」との給へば、樋口次郎涙をはらはらとながいて、「さ候へばそのやうを申あげうど仕候が、あまり哀で不覚の涙のこぼれ候ぞや。","80K",,"巻第七","實盛" "○弓矢とりはいさゝかの所でも思ひでの詞をば、かねてつがゐをくべきで候ける物かな。","80M","  ","巻第七","實盛" "○「六十にあまていくさの陣へむかはん時は、びんぴげをくろう染てわかやがうどおもふなり。","80O",,"巻第七","實盛" "○錦の直垂をきたりける事は、斎藤別當、最後のいとま申に大臣殿へまいて申けるは、「実盛が身ひとつの事では候はね共、一年東國へむかひ候し時、水鳥の羽音におどろいて、矢ひとつだにもいずして、駿河のかん原よりにげのぼて候し事、老後の恥辱たゞ此事候。","81D",,"巻第七","實盛" "○事の喩候ぞかし。","81I",,"巻第七","實盛" "○古郷へは錦をきて歸れといふ事の候。","81I",,"巻第七","實盛" "○これをはじめておやは子におくれ、婦は夫のわかれ、凡遠國近國もさこそありけめ、京中には家々に門戸を閉て、聲々に念仏申おめきさけぶ事おびたゝし。","82D",,"巻第七","還亡" "○その亡靈あれて、おそろしき事共おはかりけるなかに、天平十六年六月十八日、筑前國見かさの郡太宰府観世音寺、供養ぜられける導師には、玄房僧正とぞ聞こえし。","83E",,"巻第七","還亡" "○いかさまにも歸朝の後事にあふべき人也」と相したりけるとかや。","83L",,"巻第七","還亡" "○同天平十九年六月十八日、しやれかうべに玄房といふ銘をかいて、興福寺の庭におとし、虚空に入ならば、千人ばかりが聲で、どとわらふ事ありけり。","83N",,"巻第七","還亡" "○是則廣嗣が靈の致すところ也。","84@","  ","巻第七","還亡" "○「抑義仲近江國をへてこそ都へはいらむずるに、例の山僧どもは防事もやあらんずらん。","84H",,"巻第七","木曽山門牒状" "○かけ破てとをらん事はやすけれども、平家こそ當時は仏法共いはず、寺をほろぼし、僧をうしなひ、惡行をばいたせ、それを守護のために上落せんものが、平家とひとつになればとて、山門の大衆にむかていくさせん事、すかしもたがはぬ二の舞なるべし。","84I",,"巻第七","木曽山門牒状" "○必ず一味同心なる事は候はず、皆思々心々に候也。","85A",,"巻第七","木曽山門牒状" "○事のよう返牒にみえ候はんずらん」と申ければ、「此儀尤もしかるべし。","85B",,"巻第七","木曽山門牒状" "○こに帝子非分の害をのがれぬがために、ひそかに園城寺へ入御の時、義仲先日に令旨を給るによて、鞭をあげんとほする處に、怨敵巷にみちて預参道をうしなふ。","85N","  ","巻第七","木曾山門牒状" "○越州・賀州・砥波・黒坂・塩坂・篠原以下の城郭にして数々度合戦す。","86H",,"巻第七","木曾山門牒状" "○策を惟幕の内にめぐらして、勝事を咫尺のもとにえたり。","86I",,"巻第七","木曽山門牒状" "○悲哉、平氏宸襟を惱し、仏法をほろぼす間、惡逆をしづめんがために義兵を發す處に、忽に三千の衆徒に向て不慮の合戦を致ん事を。","87@","  ","巻第七","木曾山門牒状" "○みだりがはしく進退に迷て案内を啓する所也。","87C","  ","巻第七","木曾山門牒状" "○痛哉、醫王山に、憚奉て、行程に遲留せしめば、朝廷緩怠の臣として武略瑕瑾のそしりをのこさん事を。","87C",,"巻第七","木曽山門牒状" "○老僧共僉議しけるは、「詮る所、我等もぱら金輪聖主天長地久と祈奉る。","87K","  ","巻第七","返牒" "○六月十日の牒状、同十六日到來、披閲のところ數日の鬱念一時に解散す。","88F","  ","巻第七","返牒" "○事人口にあり、異失するにあたはず。","88G",,"巻第七","返牒" "○かくの如くならば則山上の精祈むなしからざる事を悦び、海内の恵護おこたりなき事をしんぬ。","88O",,"巻第七","返牒" "○自寺他寺、常住の仏法、本社末社、祭奠の神明、定て教法の二たびさかへん事を悦び、崇敬のふるきに服せん事を随喜し給ふらん。","89@",,"巻第七","返牒" "○敬白、延暦寺をもて氏に准じ、日吉の社をもて氏社として、一向天台の仏法を仰べきこと。","90@",,"巻第七","平家山門連署" "○右當家一族の輩、殊に祈誓する事あり。","90A",,"巻第七","平家山門連署" "○旨趣如何者、叡山は是桓武天皇の御宇、傳教大使唐歸朝の後、天台の仏法を此所にひろね、遮那の大戒を其内に傳てよりこのかた、專仏法繁昌の靈崛として、填護國家の道場にそなふ。","90B","  ","巻第七","平家山門連署" "○大衆まことに事の躰をば憐みけれ共、「既に源氏に同心の返牒ををくる。","92G",,"巻第七","平家山門連署" "○是によッて一門にはあたまれて平家にへつらひけるが、其夜の夜半ばかり、六波羅に馳まいッて申けるは、「木曾既に北國より五萬余騎でせめのぼり、比叡山東坂本にみち/\て候。郎等に楯の六郎親忠、手書に大夫房覺明、六千余騎で天台山にきをひのぼり、三千の衆徒皆同心して只今都へ攻入」よし申たりける故也。","93E",,"巻第七","主上都落" "○帝都名利地、鷄鳴て安き事なし。","94A",,"巻第七","主上都落" "○同七月廿四日のさ夜ふけがたに、前内大臣宗盛公、建礼門院のわたらせ給ふ六波羅殿へまいッて申されけるは、「此世の中のあり様、さりともと存侯つるに、いまはかうにこそ侯めれ。たゞ都のうちでいかにもならんと、人々は申あはれ侯へども、まのあたりうき目を見せまいらせんも口惜侯へば、院をも内をもとり奉て、西國の方へ御幸行幸をもなしまいらせてみばやとこそ思ひなッて侯へ」と申されければ、女院「今はたゞともかうも、そこのはからひにてあらんずらめ」とて、御衣の御袂にあまる御涙せきあへさせ給はず。","94E",,"巻第七","主上都落" "○其夜法皇をば内々平家のとり奉て、都の外へ落行べしといふ事をきこしめされてやありけん、按察大納言質堅卿の子息、右馬頭質時斗御供にて、ひそかに御所を出させ給ひ、鞍馬へ御幸なる。","94M",,"巻第七","主上都落" "○其夜しも法住寺殿に御とのゐして侯けるに、つねの御所のかた、よにさはがしうざゞめきあひて、女房達しのびねになきなどし給へば、何事やらんと聞程に、「法皇の俄にみえさせ給はぬは。いず方へ御幸やらん」といふ聲にきゝなしつ。","95A",,"巻第七","主上都落" "○夢にだにかかる事はみず。","96I",,"巻第七","主上都落" "○雲東嶺にたなびき、あけがたの月しろくさえて、鶏鳴又いそがはし。","96I",,"巻第七","主上都落" "○春の日とかいてはかすがとよめば、法相擁護の春日大明神、大織冠の御末をまもらせ給ひけりと、たのもしうおぼめすところに、件の童子の聲とおぼしくて、いかにせん藤のすゑ葉のかれゆくをたゞ春の日にまかせてみやん","96O","  ","巻第七","主上都落" "○いづくまでも具し奉るべけれ共、道にも敵待なれば、心やすうとおらん事も有りがたし。","98A",,"巻第七","維盛都落" "○たといわれうたれたりと聞給ふ共、さまなどかへ給ふ事はゆめ/\あるべからず。","98B",,"巻第七","維盛都落" "○いずくまでもともなひ奉り、同じ野原の露ともきえ、ひとつ底のみくずともならんとこそ契しに、さればさ夜のね覚のむつごとは、皆偽になりにけり。","98J",,"巻第七","維盛都落" "○三位中將の御馬野左右のみづゝきにとりつき、いづくまでも御供仕るべき由申せば、三位中將の給ひけるは、「をのれらが父斎藤別當北國へくだし時、汝等が頻に供せうどいひしか共、「存るむねがあるぞ」とて、汝等をとゞめをき、北國へくだて遂に討死したりけるは、かゝるべかりける事を、ふるい者でかねて知りたりけるにこそ。","100C",,"巻第七","維盛都落" "○余炎の及所、在々所々數十町也。","101D","  ","巻第七","聖主臨幸" "○去治承四年七月、大番のために上落したりける畠山庄司重能・小山田別當有重・宇津宮左衛門朝綱、寿永までめしこめられたりしが、其時既にきらべかりしを、新中納言知盛卿申せれけるは、「御運だにつきさせ給ひなば、これら百人千人が頚をきらせ給ひたり共、世をとらせ給はん事難かるべし。","102@",,"巻第七","聖主臨幸" "○三位殿に申べき事あて、忠度がかへりまいて候。","103A",,"巻第七","忠度都落" "○門をひらかれず共、此きはまで立よらせ給へ」との給へば、俊成卿「さる事あるらん。","103B",,"巻第七","忠度都落" "○事の躰何となう哀也。","103C",,"巻第七","忠度都落" "○薩摩守の給ひけるは、「年來申承はて後、をろかならぬ御事におもひまいらせ候へども、この二三年は、京都のさはぎ、國々のみだれ、併當家の身の上の事に候間、そらくを存ぜずといへ共、つねにまいりよる事も候はず。","103D",,"巻第七","忠度都落" "○さても只今の御わたりこそ、情もすぐれてふかう、哀も殊におもひしられて、感涙おさへがたう候へ」との給へば、薩摩守悦て、「今は西海の浪の底にしづまば沈め、山野にかばねをさらさばさらせ、浮世におもひをく事候はず。","104C",,"巻第七","忠度都落" "○さゞなみや志賀の都はあれにしながらの山ざくらかな其身朝敵となりし上は、子細にをよばずといひながら、うらめしかりし事共也。","104M",,"巻第七","忠度都落" "○うき世におもひのこす事とては、たゞ君の御名残ばかり也。","105C",,"巻第七","經正都落" "○八歳の時まいりはじめて候て、十三で元服仕候はざりしに、あひいたはる事の候はん外は、あからさまにも御前を立さる事も候はざりしに、けふより後、西海千里の浪におもむいて、又いづれの時歸りまいるべしともおぼえぬこそ、口惜く候へ。","105E",,"巻第七","經正都落" "○赤地の錦の袋に入たる御琵琶もつてまいりたり。","106A",,"巻第七","經正都落" "○あまりに名残はおしう候へ共、さしもの名物を田舎の塵になさん事、口惜う候。","106C",,"巻第七","經正都落" "○若不思議に運命ひらけて、又都へ立歸る事候はば、其時こそ猶下しあづかり候はめ」と泣々申されければ、御室哀におごしめし、一首の御詠をあそばひてくだされけり。","106D",,"巻第七","經正都落" "○さてまいてもたせられたる赤旗ざつとさしあげたり。","107C",,"巻第七","青山之沙汰" "○此經正十七の年、宇左の勅使を承はてくだられけるに、其時青山を給はて、宇左へまいり、御殿にむかひ奉り秘曲をひき給ひしかば、いつ聞なれたる事はなけれ共、ともの宮人をしなべて、緑衣の袖をぞしぼりける。","107H",,"巻第七","青山之沙汰" "○目出かりし事共也。","107I",,"巻第七","青山之沙汰" "○村上の聖代應和のころおひ、三五夜中新月白くさえ、涼風颯々たりし夜なか半に、御門清涼殿にして玄象をぞあそばされける時に、影の如くなるもの御前に參じて、ゆうにけがたき聲にてしやうがをめでたう仕る。","108B",,"巻第七","青山乃沙汰" "○今御琵琶の御撥音たへにきこえ侍る間、参入仕ところ也。","108G","  ","巻第七","青山之沙汰" "○其後は君も臣もおそれさせ給ひて、此御琵琶をあそばしひく事もせさせ給はず。","108J",,"巻第七","青山之沙汰" "○池の大納言頼盛卿も池殿に火をかけて出られけるが、鳥羽の南の門にひかへつゝ、「わすれたる事あり」とて、赤じるし切捨て、其勢三百余騎、都へとてかへされけり。","109A",,"巻第七","一門都落" "○抑池殿のとゞまり給ふ事をいかにといふに、兵衛佐つねは頼盛に情をかけて、「御かたをばまたくをろかにおもひまいらせ候はず。","109L",,"巻第七","一門都落" "○「自然の事候者、頼盛かまへてたすけさせ給へ」と申されけれ共、女院「今は世の世にてもあらばこそ」とて、たのもし氣もなうぞ仰ける。","110F",,"巻第七","一門都落" "○前内大臣宗盛広・平大納言時忠・平中納言教盛・新中納言知盛・修理大夫經盛・右衛門督清宗・本三位中將重衡・小松三位中將維盛・越前三位通盛、殿上人には内藏頭信基・讃岐中將時實・左中將清經・小松小將有盛・丹後疑侍従忠房・皇后宮亮經正・左馬頭行盛・薩摩守忠度・能登守教經・武藏守知章・備中守師盛・淡路守清房・尾張守清定・若狹守經俊・藏人大夫業盛・大夫敦盛・僧には二位僧都全眞・法勝寺執行能圓・中納言律師仲快、經誦坊阿闍梨祐圓、侍には受領・検非違使・衛府・諸司百十人、都合其勢七千余騎、是は東國北國度のいくさに度々のいくさに、此二三ヶ年が間討もらされて、纔に残るところ也。","111I","  ","巻第七","一門都落" "○西國へくだらせ給ひたらば、おち人とてあそここゝにてうちちらされ、うき名をながさせ給はん事こそ口惜候へ。","112G",,"巻第七","一門都落" "○樂盡て悲來る」といにしへより書をきたる事にて候へ共、まのあたりかゝるうき事候はず。","113F",,"巻第七","一門都落" "○君はかやうの事をまづさとらせ給ひて、兼て佛神三寛に御祈誓あて、御世をはやうさせまし/\けるにこそ。","113F",,"巻第七","一門都落" "○廿余年の間妻子をはぐゝみ所従をかへりみる事、しかしながら君の御恩ならずといふ事なし。","115G",,"巻第七","福原落" "○海人のたく藻の夕煙、尾上の鹿の暁のこゑ、渚々によする浪の音、袖に宿かる月の影、千草にすだく蟋蟀きりぎりす、すべて目に見え耳にふるゝ事、一として哀をもよほし、心をいたましめずといふ事なし。","116H",,"巻第七","福原落" "○浪の上に白き鳥のむれゐるをみ給ひては、かれならん、在原のなにがしの、すみ田川にてこととひけん、名もむつまじき都鳥にやと哀也。","116N",,"巻第七","福原落" "○開闢よりこのかた、かゝる事あるべしともおぼえず。","118I",,"巻第八","山門御幸" "●聖徳太子の未來記にも、けふのことこそゆかしけれ。","119@",,"巻第八","山門御幸" "○この廿餘年見えざりつる白旗の、けふはじめて宮にへいる、めずらしかりし事どもなり。","119I",,"巻第八","山門御幸" "○木曾は赤地の錦の直垂に、唐綾威の鎧きて、いか物づくりの太刀をはき、きりうの矢をひ、しげどう弓脇にはさみ、甲をばぬぎたかひもにかけて候。","119N",,"巻第八","山門御幸" "●法皇は主上外戚の平家にとらはれさせ給て、西海野浪の上にたゞよはせ給ふことを、御歎きあて、主上并に三種神器宮こへ返し入奉るべきよし、西國へ院宣を下されたりけれ共、平家もちゐたてまつらず。","120F",,"巻第八","山門御幸" "●かゝるわすれがたみを今まで見ざりけることよ」とて、御涙せきあへさせ給はず。","121C",,"巻第八","山門御幸" "○信隆卿御娘あまたおはしければ、いかにもして女御后にもなしたてまつらばやとねがはれけるに、人のしろい鷄の白いを千そろへてかはれたりける故にや、此御娘皇子あまたうみまいらせ給へり。","121L",,"巻第八","山門御幸" "○信隆卿内々うれしう思はれけれども、平家にもはゞかり、中宮にもおそれ、あいらせて、まてなし奉る事もおはせざりしを、入道相國の北の方、八条の二位殿「くるしかるまじ。","121O",,"巻第八","山門御幸" "○法印平家に具されて、西國へ落し時、あまりにあはてさはひひで、北方をも宮をも京都にすてをきまいらせて、下られたりしが、西國よりいそぎ人をのぼせて、「女房・宮具しまいらせて、とく/\くだり給べし」と申さたりければ、北方なのめならず悦、宮いざなひまいらせて、西七条なる所まで出られたりしを、女房のせうと紀伊守範光、「是は物のつゐてくるひ給か。","122F","  ","巻第八","山門御幸" "○何事もしかるべき事と申ながら、四の宮の御ためには、紀伊守範光奉公の人とぞ見えたりける。","122I",,"巻第八","山門御幸" "○一門公卿列してもてなし奉り給ひしかば、是も又さしをきがたき御事也。","125A",,"巻第八","名虎" "○とみに事ゆきがたうやあらんずらん」と、人々さゝやきあへり。","125E",,"巻第八","名虎" "○「抑臣等がおもむばかりをもてゑらびて位につけ奉らん事、用捨私あるににたり。","125G",,"巻第八","名虎" "○こゝに王公卿相、花の袂をよそほひ、玉のくつばみをならべ、雲のごとくにかさなり、星のごとくにたうらなり給ひしかば、此事希代の勝事、天下の荘観、日來心をよせ奉し月卿雲客兩方に引きわかて、手をにぎり心をくだき給へり。","125L",,"巻第八","名虎" "○いかゞせむ」と仰ければ、恵亮和尚大威徳の法を修せられけるが、「こは心うき事にこそ」とて獨鈷をもてなづきをたうきくだき、乳和して護摩にたき、黒煙をたててひともみもまれたりければ、能雄すまうにかちにけり。","126M",,"巻第八","名虎" "○それよりしてこそ山門には、いさゝかの事にも、恵亮悩をくだきしかば、二帝位につき給ひ、尊意智剣を振しかば、管丞納受し給ふとも傅へたれ。","127@",,"巻第八","名虎" "○太政天皇の、伊勢へ公卿の勅使をたてらるゝ事は、朱雀・白河・鳥羽三代の蹤跡ありといへども、是みな護出家以前なり。","128@",,"巻第八","名虎" "○九月十三夜は名をえたる月なれども、其夜は宮こを思ひいずる涙に、我からくもりてさやかならず。","129F",,"巻第八","緒環" "○九重の雲のうへ、久方の月におもひをのべしたぐひも、今の様におぼえて、薩摩守忠度月を見しこぞのこよひの友のみや宮こにわれをおもひいずらむ修理大夫經盛戀しとよこぞのこよひの夜もすがらちぎりし人のおもひ出られて皇后宮亮經正わけてこし野邊の露ともきえずしておもはぬ里の月を見るかな豊後國は刑部卿三位頼資卿の國なりけり。","129J",,"巻第八","緒環" "○なに程の事かわたらせ給ふべき。","132G",,"巻第八","太宰府落" "○東國・北國の凶徒等が頼朝・義仲等にかたらはされて、しおほせたらば國をあづけう、庄をたばんといふをまこととおもひて、其鼻豐後が下知にしたがはむ事しかるべからず」とぞの給ひける。","133C",,"巻第八","太宰府落" "○いつならはしの御事なれば、御足よりいずる血は沙をそめ、紅の袴は色をまし、白袴はすそ紅にぞなりにける。","134D",,"巻第八","太宰府落" "○山賀へも敵よすと聞えしかば、小舟どもにめして、夜もすがら豊前國柳が浦へぞわたり給ふ。","134K",,"巻第八","太宰府落" "○小松殿の三男左の中將清經は、もとより何事もおもひいれたる人なれば、「宮こをば源氏がたにおせめおとされ、鎭西をば維義がために追出さる。","134N",,"巻第八","太宰府落" "○大臣殿以下の卿相・雲客、海士の篷屋に日ををくり、しずがふしどに夜をかさね、龍頭鷁首を海中にうかべ、浪のうへの行宮はしずかなる時なし。","135I",,"巻第八","太宰府落" "○遠松に白鷺のむれゐるを見ては、源氏の旗をあぐるかとうたがひ、野鴈の遼海になくを聞ては、兵どもの夜もすがら舟をこぐかとおどろかる。","135N",,"巻第八","太宰府落" "○三浦の介が其日の装束には、かちの直垂に、黒糸威の鎧きて、いか物づくりの大太刀はき、廿四さいたる大中黒の矢をひ、しげどうの弓脇にはさみ、甲をぬぎ高ひもにかけ、腰をかがめて院宣をうけとる。","137D",,"巻第八","太宰府落" "○紺藍摺白布千端をつめり。","137M",,"巻第八","太宰府落" "○萌黄の糸威の腹巻一両、しろうつくたる太刀一振、しげどうの弓、野矢そへてたぶ。","138N",,"巻第八","太宰府落" "●ことはりかな、二歳より信濃國木曽といふ山里に、三十まですみなれたりしかば、争かしるべき。","139F",,"巻第八","猫間" "●或時猫間中納言光高卿といふ人、木曽にの給ひあはすべきことあておはしたりけり。","139I",,"巻第八","猫間" "○郎等ども「猫間殿の見参にいり申べき事ありとて、いらせ給ひて候」と申ければ、木曽大にわらて、「猫は人にげんざうするか」。","139J",,"巻第八","猫間" "○中納言かやうの事興さめて、のたまひあはすべきことも一言もいださず、軈いそぎ歸られけり。","140J",,"巻第八","猫間" "○木曽は、官加階したるものの、直垂で出仕せん事あるべうもなかりけりとて、はじめて布衣とり、装束烏帽子ぎはより指貫のすそまで、まことにかたくななり。","140L",,"巻第八","猫間" "●其外おかしきこと共おほかりけれども、おそれて是を申さず。","141N",,"巻第八","猫間" "○木曽左馬頭是をきゝ、やすからぬ事なりとて、やがてうつてをさしつかはす。","142A",,"巻第八","水嶋合戦" "○木曽の左馬頭是をきゝ、やすらかぬ事也とて、一万騎で山陽道へ馳下る。","143H",,"巻第八","妹尾最期" "○とをく異國に付る事は、昔の人のかなしめりし處也といへり。","144A","  ","巻第八","妹尾最期" "○夜るはいぬる事なく、晝は終日につかへ、木をきり草をからずといふばかりに隨ひつゝ、いかにもして敵をうかゞひ打て、いま一度菖主を見たて奉らんと思ひける兼康が心の程こそおそろしけれ。","144C",,"巻第八","妹尾最期" "○兼康が知行仕候し備中の妹尾は、馬の草飼よひ所で候。","144I","  ","巻第八","妹尾最期" "○木曽殿「神妙の事申ごさんなれ。","144J",,"巻第八","妹尾最期" "○其夜もすがら悦のさかもりしけるに、あずかりの武士倉光の三郎、所從ともに廿余人、しゐふせておこしもたてず、一々に皆さしころしてげり。","145A",,"巻第八","妹尾最期" "○備前國に十郎藏のをかれたれし代官、妹尾にうたれて、其下人共がにげて京へ上る程に、播磨と備前のさかひふなさかといふ所にて、木曽殿にまいりあふ。","145N","  ","巻第八","妹尾最期" "○「思ふに何程の事かあるべき。","146B",,"巻第八","妹尾最期" "○或は左右の深田に打おれて、馬のくさわき・むながいづくし・ふと腹などにたつ所を事ともせず、むらめかいてよせ、或は谷ふけをも嫌はず、懸いり/\一日戦暮しけり。","146M",,"巻第八","妹尾最期" "○夜にいりて妹尾が催しあつめたるかり武者共、皆せめおとされて、たすかる者はすくなう、うたるゝ者ぞおほかりける。","146N",,"巻第八","妹尾最期" "○妹尾太郎たゞ主従三騎にうちなされ、板倉川のはたにつゐて、みどろ山のかたへ落行程に、北國で妹尾いけどりにしたりし倉光次郎成澄、おとゝはうたれぬ、「やすからぬ事なり。","147E",,"巻第八","妹尾最期" "○たとひ兼康命いきて、ふたゝび平家の御方へまいりたりとも、どうれいども「兼康いまは六十にあまりたる者の、いく程の命をおしうで、たゞひとりある子を捨ておちけるやらん」といはれん事こそはづかしけれ」。","148D",,"巻第八","妹尾最期" "○「なむぢがえおつかねば、一所で打死せうどて歸たるは、いかに」といへば、小太郎涙をはら/\とながいて、「此身こそ無器量の者で候へば、自害をも仕候べきに、我ゆへに御命をうしなひまいらせむ事、五逆罪にや候はんずらん。","148I",,"巻第八","妹尾最期" "○たゞとう/\のびさせ給へ」と申せども、「思ひきたるうへは」とて、やすむ處に、今井の四郎まさきかけて、其勢五十騎ばかりおめいて追かけたり。","148K","  ","巻第八","妹尾最期" "○其間の都の留守にをかれたる樋口次郎兼光、使者をたてて、「十郎藏人殿こそ殿のましまさぬ間に、院のきり人して、やう/\に纔奏せられ侯なれ。西國の軍をば暫さしをかせ給ひて、いそぎのぼらせ給へ」と申ければ、木曾「さらば」とて、夜を日につゐで馳上る。","149H",,"巻第八","室山" "○賀茂・八幡の御領ともいはず、青田を刈てま草にす。","151F",,"巻第八","室山" "○甲をぬぎ弓をはづゐて、降人にまいらせ給へ」と申ば、木曾大にいかつて、「われ信濃を出し時、をみ・あひだのいくさよりはじめて、北国には、砥浪山・黒坂・塩坂・篠原、西国には福隆寺縄手・ささのせまり・板倉が城を責しかども、いまだ敵にうしろを見せず、たとひたとひ十善帝王にてましますとも、甲をぬぎ、弓をはづいて降人にはえこそまいるまじけれ。","152L",,"巻第八","室山" "○頼朝が歸きかむ處もあり、軍ようせよ。者ども」とてうたちけり。","153D","  ","巻第八","皷判官" "○木曾法住寺殿の西門にをしよせて見れば、つつみはんぐわん知康軍の行事うけ給つて、赤地の錦の直垂に鎧はわざと着ざりけり。","153K",,"巻第八","皷判官" "○かねて軍いぜんより「落人あらむずるをば、用意してうちころせ」と、御所より披露せられたりければ、在路の者共、やねいに楯をつき、おそへの石をとりあつめて、待懸たるところに、攝津國源氏におちけるを「あはや落人よ」とて、石をひろいかけ、さんざんに打ければ、「これは院がたぞ、あやまち仕るな」といへども、「さないはせそ。","154O","  ","巻第八","皷判官" "○「明經道の博士、甲胃をよろふ事しかるべからず」とぞ人申ける。","155G",,"巻第八","皷判官" "○天台座主明雲大僧正、寺の長吏園慶法親王も、御所にまいりこもらせ給ひたりけるが、黒煙既にをかしけければ、御馬にめして、いそぎ川原へいでさせ給ふ。","155M",,"巻第八","皷判官" "○其中間法師軍見んとて河原へいでたりけるが、三位のはだかでたたれたるに見あふて、「あなあさまし」とてはしりより、此法師は白小袖二つに衣きたりけるが、さらば小袖をもぬいできせたてまつれかし、さはなくて、衣をひぬいでなげかけり。","156F",,"巻第八","皷判官" "○院方に候ける近江守仲兼、其勢五十騎ばかりで、法住寺殿の西の門をかためてふせく處に、近江源氏山本冠者義高馳來たり、「いかにをの/\は、誰をかばはんとて軍をばし給ふぞ。","157G","  ","巻第八","法住寺合戦" "○「この馬があまりひあひで、乗たまべしともおばえ候はず」と申ければ、蔵人、「いでさらばわが馬に乗かへよ」とて、栗毛なる馬のしたおしろいに乗かへて、根井の小野太が二百騎でささへたる川原坂の勢の中へ、おめいて懸いり、そこにて八騎が五騎はうたれぬ。","158A",,"巻第八","法住寺合戦" "○敵にをしへだてられて、蔵人のゆくゑをしらず、栗毛なる馬のしたおしろいがはしりいでたるを見て、下人をよび、「ここなる馬は源蔵人の馬こそみれ。はやうたれけるにこそ。死なば一所で死なんとこそ契しに、所々でうたれむことこそかなしけれ。どの勢の中へかいると見つる」。","158F",,"巻第八","法住寺合戦" "●死なば一所で死なんんとこそ契しに、所々でうたれむことこそかなしけれ。","158H",,"巻第八","法住寺合戦" "○あくる廿日、木曽左馬頭六条川原にうたて、昨日きるところの頚ども、かけならべてしるひたりければ、六百册余人也。","159F","  ","巻第八","法住寺合戦" "●是えお見る人涙をながさずといふことなし。","159H",,"巻第八","鼓判官" "○故少納言入道信西の子息宰相長教、法皇のわたらせ給五条の内裏にまいて、「是は君に奏すべき事があるぞ。","159L",,"巻第八","鼓判官" "○御前へまいて、今度うたれ給へるむねとの人々の事どもつぶさに奏聞しければ、法皇御涙をはら/\とながさせ給ふて、「明雲は非業の死にすべきものとはおごしめさざりつる物を。","159O",,"巻第八","鼓判官" "○是より關東へ子細を申さむとて、尾張國熱田大群司が許におはしけるに、此事うたへんとて、北面に候ける宮内判官公朝・藤内左衛門時成、尾張國に馳下り、此由一々次第にうたへければ、九郎御曹司「是は宮内判官の關東へ下らるべきにて候ぞ。               ","161D",,"巻第八","鼓判官" "○關東にまひッて此よし申ければ、兵衞佐大におどろき、「まづ皷判官知康が不思議[の]事申いだして、御所をもやかせ、高[僧]貴[僧]をもほろぼしたてまたるこそ奇怪なれ。知康においては既に違勅の者なり。めしつかはせ給はば、かさねて御大事いでき侯なむず」と、宮こへ早馬をもッて申されければ、皷判官陳ぜんとて、夜を日についで馳下る。","161L",,"巻第八","法住寺合戰" "●ひとついなて東國せめむ」と申たれば、大臣殿はよろこばれけれども、平大納言・新中納言「さこそ世すゑにて候とも、義仲にかたらはれて宮こへ歸りいらせ給はむこと、しかるべうも候はず。","162B",,"巻第八","鼓判官" "○惡行ばかりで世をたもつ事はなき物を。","162G",,"巻第八","鼓判官" "○平家は讃岐國八嶋の磯におくりむかへて、元旦元三の儀式事よろしからず。","164C",,"巻第九","生ずきするすみ" "○東岸西岸の柳遲速をまじへ、南枝北枝梅開落己に異にして、花の朝月の夜、詩歌・管絃・鞠・子弓・扇合・繪合・草ずくし・虫ずくし、さま/\゛興ありし事ども、おもひいでかたりつゞけて、永日をくらしかね給ふぞ哀なる。","164I",,"巻第九","生ずきの沙汰" "○いけずきをば梶原源太景季しきりに望み申けれども、鎌倉殿「自然の事のあらん時、物の具して頼朝がのるべき馬なり。","165M",,"巻第九","生ずきするすみ" "○おの/\鎌倉をたて、足柄をへて行もあり、箱根にかゝる人もあり、思ひ/\にのぼるほどに、駿河國浮嶋が原ひて、梶原源太景季たかき所にうちあがり、しばしひかへておほくの馬共を見ければ、おもひ/\の鞍をいて、色々の鞦かけ、或はもろ口にひかせ、いく千万といふかずえをしらず。","166H","  ","巻第九","生ずきの沙汰" "○引とほし/\しける中にも、景季[が]給たるする墨にまさる馬こそなかりけれと、うれしうおもひみるところに、いけずきとおぼしき馬こそいできたれ。","166L","  ","巻第九","生ずきの沙汰" "○黄覆輪の鞍をいて、こぶさのしりがひかけ、しらあはかませ、とねりあまたつゐたりけれども、なをひきもためず、おどらせて出きたり。","166M",,"巻第九","生ずきの沙汰" "○「いかに佐々木殿、いけずき給はらせ給てさうな」といひければ、佐々木、「あッぱれ、此仁も内々所望するときゝし物を」と、きッとおもひいだして、「さ侯へばこそ。此御大事にのぼりさうが、定て宇治・勢田の橋をばひいて侯らん、乗ッて河わたすべき馬はなし、いけずきを申さばやとはおもへども、梶原殿の申されけるにも、御ゆるされないとうけ給る間、まして高綱が申ともよも給はらじとおもひつゝ、後日にはいかなる御勘當もあらばあれと存て、暁たゝんとての夜、とねりに心をあはせて、さしも御祕藏侯いけずきをぬすみすまいてのぼりさうはいかに」といひければ、梶原この詞に腹がゐて、「ねッたい、さらば景季もぬすむべかりける物を」とて、どッわらッてのきにけり。","167L",,"巻第九","生ずきの沙汰" "○佐々木四郎が給はたる御馬は、黒栗毛なる馬の、きはめてふとうたくましゐが、馬をも人をもあたりをはらてくひければ、いけずきとつけられたり。","168@",,"巻第九","生ずきの沙汰" "○梶原が給はたるする墨も、きはめてふとうたくましきが、まことに黒かりければ、する墨とつけられたり。","168C",,"巻第九","生ずきの沙汰" "○比はむ月廿日あまりの事なれば、比良のたかね、志賀の山、むかしながらの雪もきえ、谷々の氷うちとけて、水は折ふしまさりたり。","169@",,"巻第九","宇治川先陣" "○夜はすでにほの/\゛とあけゆけど、河霧ふかく立こめて、馬の毛もさだかならず。","169B",,"巻第九","宇治川先陣" "○治承に合戦に、足利又太郎忠綱は、鬼神でわたしけるか、重忠瀬ぶみ仕らん」とて、丹の黨をむねとして、五百餘騎ひし/\とくつばみをならぶるところに、平等院の丑寅、橘の小嶋が崎より武者二騎ひかけ/\いできたり。","169K","  ","巻第九","宇治川先陣" "○岩波甲の手さきへざとおしあげけれども、事ともせず、水のそこをくゞて、むかへの岸へぞつきにける。","170M",,"巻第九","宇治川先陣" "○魚綾の直垂に火威の鎧きて、連銭葦毛なる馬に黄覆輪の鞍をいてのつたる敵の、ま(ッ)さきにすゝんだるを、「こゝにかくるはいかなる人ぞ。なのれや」といひければ、「木曾殿の家の子に、長瀬判官代重綱」となのる。畠山「けふのいくさ神いはゝん」とて、をしならべてむずとと(ッ)て引おとし、頸ねぢき(ッ)て、本田次郎が鞍のと(ッ)つけにこそつけさせけれ。","171G",,"巻第九","宇治川先陣" "○六条高倉なるところに、はじめて見そめたる女房のおはしければ、それへうちいり最後の名ごりおしまんとて、とみにいでもやらざりけり。","172H","  ","巻第九","河原合戦" "○御所には大膳大夫成忠、御所の東のつい垣のうへにのぼつて、わななくくみまはせば、しら旗ざつとさしあげ、武士ども五六騎のけかぶとにたたかいなて、ゐむけの袖ふきなびかせ、くろ煙たててはせまおる。","173L",,"巻第九","河原合戦" "○九郎義経其日の装束には、赤地の錦の直垂に、紫すそごの鎧きて、くはがたうたる甲のをしめ、こがねづくりの太刀をはき、きりうの矢おひ、しげどう弓のとりうちを、紙をひろさ一寸ばかりにきて、左まきにぞまいたりける。","174E",,"巻第九","河原合戦" "○大膳大夫成忠仰を承て、九郎義經を大床のきはへめして、合戦の次第をくはしく御尋あれば、義經かしこまて申けるは、「義仲が謀叛の事、頼朝大におどろき、範頼・義經をはじめとして、むねとの兵物卅餘人、其勢六万餘騎をまいらせ候。","174N",,"巻第九","河原合戦" "○義仲は河原をのぼりにおち候つるゐ、兵物共におはせ候つれば今は定てうとり候ぬらん」と、いと事もなげにぞ申たる。","175B",,"巻第九","河原合戦" "○木曽はもしの事あらば、法皇をとりまいらせて西國へ落くだり、平家とひとつにならんとて、力者廿人そろへてもたりけれども、御所には九郎義經はせまいて守護したてまつる由聞えしかば、さらばとて、數万騎の大勢のなかへおめいてかけいる。","175F",,"巻第九","河原合戦" "○すでにうたれんとする事度々に及といへども、かけやぶり/\とほけおる。","175I",,"巻第九","河原合戦" "○幼少馬の昔より、死なば一所で死なんとこそ契しに、ところどころでうたれん事こそかなしけれ。","175L","  ","巻第九","河原合戦" "○幼少竹馬の昔より、死なば一所で死なんんとこそ契しに、ところどころでうたれん事こそなしけれ。","175L",,"巻第九","河原合戦" "○中にもとまゑはいろしろく髪ながく、容顔まことにすぐれたり。","176C",,"巻第九","河原合戦" "○木曾左馬頭、其日の装束には、赤地の錦の直垂に、唐綾威の鎧きて、くはがたうたる甲のをしめ、いか物づくりのおは太刀はき、石うち矢の、其日のいくさにいて少々のこつたるを、かしらだかにおいなし、しげどう弓もつて、きこゆる木曾の鬼葦毛といふ馬の、きはめてふとうたくましゐに、黄覆輪の鞍おひてぞのつたりける。","178@",,"巻第九","木曽最期" "○女をぐせられたりけりなどいはれん事もしかるべからず」との給いけれ共、猶おちもゆかざりけるが、あまりにいはれ奉て、「あばれ、よからうかたきがな。","179A",,"巻第九","木曽最期" "○最後のいくさしてみせ奉らん」とて、ひかへたるところに、武藏國に、聞えたる大ぢがら、をん田の八郎師重、册騎ばかりで出きたり。","179C","  ","巻第九","木曽最期" "○敵にをしへだてられ、いふかひなき人郎等にくみおとされさせ給て、うたれさせ給なば、「さばかり日本國にきこえさせ給ふつる木曽殿をば、それがしが郎等のうちたてまたる」など申さん事こそ口惜う候へ。","180G",,"巻第九","木曽最期" "○木曽殿は只一騎、粟津の松原へかけ給ふが、正月廿一日入あひばかりの事なるに、うす氷ははたりけり、ふか田ありともしらずして、馬をざとうち入たれば、馬のかしらも見えざりけり。","181C",,"巻第九","木曽最期" "○いた手なれば、まかうを馬のかしらにあててうつぶし給へる處に、石田が郎等二人落あふて、つゐに木曽殿の頚をばとてげり。","181H","  ","巻第九","木曽最期" "○光廣が子供二人、信濃國に候が、「あぱれわが父はようてや死にたるらん、あしうてや死にたるらん」となげかん處に、おとゝの七郎がまへて打死してね子供にたしかにきかせんと思ためなり。","183D","  ","巻第九","樋口被討罰" "○樋口次郎は兒玉にむすぼほれたりければ、兒玉の人共寄合て、「弓矢とるならひ、我も人もひろい中へ入らんとするは、自然の事のあらん時、ひとまどのいきをもやすめ、しばしの命をもつがんおもふため也。","183I",,"巻第九","樋口被討罰" "○つてにきく、虎狼の國衰へて、諸侯蜂のごとく起し時、沛公先に咸陽宮に入といへども、項羽が後に來らん事を恐て、妻は美人をもおかさず、金銀珠玉をも掠めず、徒に凾谷の關を守て、漸々にかたきをほろぼして、天下を治する事を得たりき。","185@",,"巻第九","樋口被討罰" "○其内福原・兵庫・板屋ど・須磨にこもる勢、これは山陽道八ヶ國、南海道六ヶ國、都合十四ヶ國をうちしたがへてめさるゝところの軍兵也。","185G","  ","巻第九","樋口被討罰" "○光廣が子供三人、信濃國に候が、「あぱれわが父はようてや死にたるらん、あしうてや死にたるらん」となげかん處に、おとゝの七郎がまへで打死して、子供にたしかにきかせんと思ため也。","185J","  ","巻第九","樋口被討罰" "○たかきところには赤旗おほくうちたてたれば、春風にふかれて天に飜るは、火炎のもえあがるにことならず。","185O","  ","巻第九","樋口被討罰" "○故六条判官為義が末子、賀茂冠者義嗣・淡路冠者義久と聞えしを、四國の兵共、大將にたのんで、城を構て待ところに、能登殿やがてをしよせ責給へば、一日たゝかひ、賀茂冠者打死す。","187A","  ","巻第九","六ヶ度軍" "○河野が身にかへて思ひける郎等を、讃岐七郎をしならべてくでおち、とておさへて頚をかゝんとすう處に、河野四郎とてかへし、郎等がうへなる讃岐七郎が頚かき切て、ふか田へなげいれ、大音聲をあげて、「河野四郎越智道信、生年廿一、かうこそいくさをばずれ。","188B","  ","巻第九","六ヶ度軍" "○世の世にてあらましかば、いかなる起立塔婆のくはたて、供佛施僧のいとなみもあるべかりしか共、たゞ男女の君達さしつどひて、なくより外の事ぞなき。","190H",,"巻第九","三草勢揃" "○平氏すでに福原までせめのぼて、都へかへり入べきよしきこえしかば、故郷にのこりとゞまる人々いさみよろこぶ事なのめならず。","191E",,"巻第九","三草勢揃" "○さるほどに、小松の三位中將維盛卿は年へだゝり日かさなるに隨ひて、ふるさとにとゞめをき給し北方、おさなき人々の事をのみなげきかなしみ給ひけり。","191L",,"巻第九","三草勢揃" "○商人のたよりに、をのずから文などのかよふにも、北方の官この御ありさま、心ぐるしうきゝ給ふに、さらばむかへとて一ところでいかにもならばやとは思へども、人のためいたはしくてなどおぼしめし、しのびてあかしくらし給ふにこそ、SWめての心ざしのふかさの程もあらはれけれ。","191N","  ","巻第九","三草勢揃" "○其夜の戌の剋ばかり、九郎御曹司、土肥次郎をめして、「平家は是より三里へだてて、三草の山の西の山口に大勢でひかへたんなるは。今夜夜討によすべきか、あすのいくさか」との給へば、田代冠者すゝみいでて申けるは、「あすのいくさとのべられなば、平家勢つき侯なんず。平家は三千餘騎、御方の御勢は一万餘騎、はるかの理に侯。夜うちよかんぬと覚侯」と申ければ、土肥次郎「いしう申させ給ふ田代殿かな。さらばやがてよせさせ給へ」とてうたちけり。","193L",,"巻第九","三草勢揃" "○土肥次郎「さる事候」とて、小野原の在家に火をぞかけたりける。","194F",,"巻第九","三草合戦" "○平家の方には其夜夜うちによせんずるをばしらずして、「いくさはさだめてあすのいくさでぞあらんずらん。いくさにもねぶたいは大事のことぞ。ようねていくさせよ」とて、先陣はをのずから用心するもありけれども、後陣のもの共、或は甲を枕にし、或は鎧の袖・ゑびらなどを枕にして、前後もしらずぞふしたりける。","194M",,"巻第九","三草合戰" "○いくさにもねぶたいは大事のことぞ。","194N",,"巻第九","三草合戦" "○能登殿のもとへ「たび/\の事で候へども、御へんむかはれ候なんにゃ」との給ひつかはされたりければ、能登殿の返事には、「いくさをばわが身ひとつの大事ぞとおもふてこそよう候へ。","195L",,"巻第九","老馬" "○かりすなどりなどのように、足だちのよからう方へはむかん、あしからう方へはむかはじなど候はんには、いくさに勝事よも候はじ。","196B",,"巻第九","老馬" "○御曹司「やさしうも申たる物かな。「雪は野原をうづめども、老たる馬ぞ道はしる」と云ためしあり」とて、白葦毛なる老馬にかがみぐらをき、しろぐつははげ、手綱むすんでうちかけ、さきにおたたいて、いまだしらぬ深山へこそいり給へ。","198E",,"巻第九","老馬" "○比はきさらぎはじめの事なれば、嶺の雪むらぎえて、花かとみゆる所もあり。","198G","  ","巻第九","老馬" "○谷の鴬をとづれて、霞にまよふところもあり。","198H","  ","巻第九","老馬" "○卅丈の谷、十五丈の岩さきなど申ところは、人のかよふべき様候はず。","198O","  ","巻第九","老馬" "○「さてさ様の所は鹿はかよふか」。","199A","  ","巻第九","老馬" "○鹿のかよはう所を馬のかよはぬ様やある。","199D","  ","巻第九","老馬" "○熊谷次郎、子息の小次郎をようでいひけるは、「此手は、惡所をおとさんずる時に、誰さきといふ事もあるまじ。","199L",,"巻第九","一二之懸" "○熊谷はかちのひたたれに、あか皮おどしの鎧きて、紅のほろをかけ、ごんだ栗毛といふきこゆる名馬にぞのつたりける。","200I",,"巻第九","一二之懸" "○旗さしはきぢんの直垂に、小桜を黄にかへいたる鎧きて、黄河原毛なる馬にぞのつたりける。","200L",,"巻第九","一二之懸" "○旗さしはきぢんの直垂に、小桜を黄にかへいたる鎧きて、黄河原毛なる馬にぞのつたりける。","200M",,"巻第九","一二之懸" "○一谷ちかく塩屋といふ所に、いまだ夜ふかかりければ、土肥次郎實平、七千餘騎でひかへたり。","200O","  ","巻第九","一二之懸" "○熊谷は波うちきはより、夜にまぎれて、そこをつッとうちとほり、一谷の西の木戸口にぞおしよせたる。","201A",,"巻第九","一二乃懸" "○熊谷次郎子息小次郎をようでいひけるは、「我も/\と、先に心をかけたる人々はおほかるらん。心せばう直実ばかりとは思ふべからず。すでによせたれども、いまだ夜のあくるを相待て、此邊にもひかへたるらん、いざなのらう」どて、かいだてのきはにあゆませより、大音聲をあげて、「武藏國住人、熊谷次郎直寛、子息小次郎直家、一谷先陣ぞや」とぞ名のッたる。","201E",,"巻第九","一二之懸" "○只一騎大勢の中にかけいて、うたれたらんは、なんの詮かあらんずるぞ」とせいするあひだ、げにもと思ひ、小坂のあるをさきにうちのぼせ、馬のかしらをくだりさまにひたてて、御方の勢をまつところに、成田もつゞゐて出きたり。","202C","  ","巻第九","一二之懸" "○是をきいて、「いざや、夜もすがらなのる熊谷おや子ひッさげてこん」とて、すゝむ平家の侍たれ/\ぞ、越中次郎兵衞盛嗣・上総五郎兵衞忠光・惡七兵衞景清・[後]藤内定經、これをはじめてむねとの兵もの廿餘騎、木戸をひらいてかけ出たり。","202O",,"巻第九","一二之懸" "○旗さしは黒かは威の鎧に、甲ゐくびにきないて、さび月毛なる馬にぞのたりける。","203C",,"巻第九","一二之懸" "○是をきいて、越中次郎兵衛、このむ装束なれば、こむらごの、直垂にあか皮おどしの鎧きて、白葦毛なる馬にのり、熊谷に目をかけてあゆませよる。","204E",,"巻第九","一二之懸" "○平家の方には馬にのたる武者はすくなし、矢倉のうへの兵共、矢さきをそろへて、雨のふる様にゐけれども、敵はすくなし、みかたはおほし、勢にまぎれて矢にもあたらず、「たゞおしならべてくめやくめ」と下知しけれ共、平家の馬はのる事はしげく、かう事はまれなり、船にはひさしうたてたりよりきたる様なりけり。","205B",,"巻第九","一二之懸" "○されば千万が一もいきてかへらん事ありがとし。","206C",,"巻第九","二度之懸" "○わ殿はのこりとゞまて、後のし證人にたて」といひければ、河原次郎泪えおはら/\とながいて、「口惜い事えおものたまふ物かな。","206D",,"巻第九","二度之懸" "○所々でうたれんよりも、ひとところでこそいかにもならめ」とて、下人どもよびよせ、最後のありさま妻子のもとへいひつかはし、馬にもこらずげゞをはき、弓杖をつゐて、生田森のさかも木をのぼりこえ、城のうちへぞ入たりける。","206G","  ","巻第九","二度之懸" "○是程の大勢のなかにへたゞ二人いたらば、何程の事をかしいだすべき。","206M",,"巻第九","二度之懸" "○河原太郎が鎧のむないたうしろへつとゐぬかれて、弓杖にすがり、すくむところを、弟の次郎はしりよって是をかたにひかけ、さかも木をのぼりこえんとしけるが、眞名邊が二の矢に鎧の草摺のはずれをゐさせて、おなじ枕にふしにけり。","207C","  ","巻第九","一二之懸" "○いかさまにもうへの山より源氏おとすにこそ」とさはぐところに、伊豫國住人、武知の武者所清教、すゝみ出て、「なんでまれ、敵の方より出きたらん物をのがすべき様なし」とて、大鹿二ついとゞめて、妻鹿をばゐでぞとをしける。","210H","  ","巻第九","坂落" "○小石まじりのすなごなれば、ながれおとしに二町ばかりざとおといて、壇なるところにひかへたり。","211D","  ","巻第九","坂落" "○兵共こゝぞ最後と申てあきれてひかへたるところに、佐原十郎義連すゝみ出て申けるは、「三浦の方で我等は鳥ひとつたても、朝ゆふかやうの所をこそはせありけり。","211G","  ","巻第九","坂落" "○おりふし風ははげしし、くろ煙おしかくれば、平氏の軍兵共余にあはてさはいで、若やたすかると前の海へぞおほく馳いりける。","211N",,"巻第九","坂落" "○かくする事とはしるながら、のせじとする船にとりつぃき、つかみつき、或はうでうちきられ、或はひぢうちおとされて、一谷の汀にあけになてぞなみふしたる。","212C",,"巻第九","坂落" "○新中納言は東にむかてたゝかい給ふところに、山のそはよりよせける兒玉黨使者をたてまて、「君は武藏國司までし/\候し間、是は兒玉の者共が申候。","212J","  ","巻第九","越中前司最期" "○新中納言以下の人々、うしろをかへりみ給へば、くろ煙おしかけたり。","213@",,"巻第九","越中前司最期" "○越中前司盛俊は、山の手の侍大將にて有けるが、今はおつともかなはじとや思けん、ひかへて敵を待ところみに、猪俣小平六則綱、よい敵と目をかけ、鞭あぶみをあはせて馳來り、おしならべむずとくうでどうどおつ。","213C","  ","巻第九","越中前司最期" "○しばしあて、黒革威の鎧きて月毛なる馬にのたる武者一騎はせ来る。","214L",,"巻第九","越中前司最期" "○くるしう候まじ」といひながら、あれがちかずいたらん時に、越中前司にくんだらば、さり共おちあはんずらんと思ひて待ところに、一段ばかり近づいた。","215@","  ","巻第九","越中前司最期" "○おきあがらんとする所に、猪俣うへにむずろのえいかゝり、やがて越中前司が腰の刀をぬき、鎧の草摺ひきあげて、つかもこぶしもろおれ/\と三刀さいて頸をとる。","215D","  ","巻第九","越中前司最期" "○か様の時は論ずる事もありとおもひ、太刀のさきにつらぬき、たかくさしあげ、大音聲をあげて、「此日來鬼神と聞えつる平家の侍越中前司盛俊をば、猪俣小平六則綱がうたるぞや」となのて、其日の高名の一の筆にぞ付ける。","215F",,"巻第九","越中前司最期" "○薩摩守忠度は、一谷の西手の大将軍にておはしけるが、紺地の錦の直垂に黒糸おどしの鎧きて、黒馬のふとうたくましきに、ゐかけ地の鞍をいて乗給へり。","215K",,"巻第九","越中前司最期" "○みかたぞといはばいはせよかし」とて、熊野そだち大ぢからのはやわざにておはしければ、やがて刀をぬき、六野太を馬の上で二刀、おちつく所で一刀、三刀までぞつかれたる。","216G","  ","巻第九","忠度最期" "○二刀は鎧のうへなればとをらず、一刀はうち甲へつき入られたれ共、うすてなればしなざりけるをとておさへて、頸をかゝんとし給ふところに、六野太が童をくればせに馳來て、打刀をぬき、薩摩守の右のかないを、ひぢのもとよりふつときりおとす。","216J","  ","巻第九","忠度最期" "○究章の名馬にはのり給へり、もみふせたる馬共おつくべしともおぼえず、たゞのびにのびければ、梶原源太景季、あぶみふばり立あがり、もしやと遠矢によぴいてゐたりけるに、三位中將馬のさうづをのぶにかにゐさせて、よはるところに、後藤兵衛盛長、わが馬めされなんずとや思ひけん、鞭をあげてぞ落行ける。","218G","  ","巻第九","重衡生捕" "○三位中將是をみて、「いかに盛長、年來日ごろさはちぎらざりしものを。我を捨ていづくへゆくぞ」との給へ共、空きかずして、鎧につけたるあかじるしかなぐりすて、たゞにげにこそ逃げりけれ。","218J",,"巻第九","重衡生捕" "○三位中將敵は近づく、馬はよはし、海へうちいれ給ひたりけれ共、そこしもとをあさにしてしづむべきやうもなかりければ、馬よりおり、鎧のうは帶きり、たかひもはづし、物具ぬぎすて、 腹をきらんとし給ふところに、梶原よりさきに庄四郎高家、鞭あぶみをあはせて馳來り、いそぎ馬より飛おり、「まさなう候、いづくまでも御共仕らん」とて、我馬にかきのせたてまつり、鞍のまへわにしめつけ、わが身はのりかへに乗てぞかへりける。","218M","  ","巻第九","重衡生捕" "○あはれ、よからう大將軍にくまばや」とて、磯の方へあゆまするところに、ねりぬきに鶴ぬうたる直垂に、萌黄の匂の鎧きて、くはがたうたる甲の緒しめ、こがねづくりの太刀をはき、きりうの矢おひ、しげ藤の弓もて、連錢葦毛なる馬に黄覆輪の鞍をいてのたる武者一騎、沖なる舟にめをかけて、海へざとうちいれ、五六段ばかえいおよがせたるを、熊谷「あれは大將軍とこそ見まいらせ候へ。","219J","  ","巻第九","敦盛最期" "○汀にうちあがらむとするところに、おしならべてむずとくんでどうどおち、とておさへて頸をかゝんと甲をおしあふのけて見れば、年十六七ばかりなるが、うすげしやうしてかねぐろ也。","220C","  ","巻第九","敦盛最期" "●又うちたてまつらず共、勝べきいくさにまくることよもあらじ。","220L",,"巻第九","敦盛最期" "○熊谷あまりにいとおしくて、いづくに刀をたつべしともおぼえず、めもくれ心もきえはてて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべき事ならねば、泣々頚をぞかいてげる。","221E",,"巻第九","敦盛最期" "○上臈は猶もやさしかりけり」とて、九郎御曹司の見參に入たりければ、是をみる人涙をながさずといふ事なし。","221M",,"巻第九","敦盛最期" "○そのなかの大將とおぼしきもの、新中納言にくみ奉らんと馳ならべけるを、御子武蔵守知章中にへだゝり、おしならべてむずとくんでどうどおち、とておさへて頸をかき、たちあがらんとし給ふところに、敵が童おちあふて、武蔵守の頸をうつ。","223B","  ","巻第九","知章最期" "○小松殿の末子、備中守師盛は、主従七人小舟にのておち給ふ所に、新中納言の侍清衛門公長といふ者馳來て、「あれは備中守殿の御舟とこそみまいらせ候へ。」","225B","  ","巻第九","落足" "○越前三位通盛卿は山手の大将軍にておはしけるが、その日の装束には、あか地の錦の直垂に、唐綾おどしの鎧きて、黄河原毛なる馬に白覆輪の鞍をいて乗給へり。","225I",,"巻第九","落足" "○うち甲をゐさせて、敵におしへだてられ、おとゝ能登殿にははなたれ給ひぬ、しづかならん所にて自害せんとて東にむかて落給ふ程に、近江國住人佐々木木村三郎成綱、武蔵國住人玉井四郎資景、かれこれ七騎が中にとりこめられて、遂にうたれ給ひぬ。","225L","  ","巻第九","落足" "○或は淡路のせとを漕とをり、繪嶋が磯にたゞよへば、波路かすかに鳴わたり、友まよはせるさ夜千鳥、是もわが身のたぐひかな。","227@",,"巻第九","落足" "○國をしたがふる事も十四ヶ國、勢のつくことも十万餘騎、都へちかづく事も纔に一日の道なれば、今度はさり共とのもしう思はれけるに、一谷をも責おとされて、人々みな心ぼそうぞなられける。","227C",,"巻第九","落足" "○時員も一所でいかにもなり、最後の御供つかまつるべう候へども、かねてよりおほせ候ひしは、「通盛いかになるとも、なんぢはいのちをすつべからず。","227J","  ","巻第九","小宰相身投" "○一ぢやううたれぬときゝたまへども、もしひが事にてもやあるらん、いきてかへらるゝ事もやと、二三日はあからさまに出たる人をまつ心ちしておはしけるが、四五日も過しかば、もしやのたのみもよはりはてて、いとど心ぼそうぞなられける。","228C",,"巻第九","小宰相身投" "○かくときこえし七日のひの暮ほどより、廿三日の夜までは、おきもあがりたまはず。","228G",,"巻第九","小宰相身投" "○あすうちいでんとての夜、あからさまなるところにてゆきあひたりしかば、いつもより心ぼそげにうちなげきて、「明日のいくさには、一ぢやうたれなんずとおぼゆるはとよ。","228M","  ","巻第九","小宰相身投" "○我いかにもなりばんのち、人はいかゞし給ふべき」なんんどいひしかども、いくさはいつもの事なれば、一ぢやうさるべしとおもはざりける事のくやしさよ。","229@",,"巻第九","小宰相身投" "○たゞならず成たる事をも、日ごろはかくしていはざりしかども、心づよふおもはれじとて、いひいだしたりしかば、なのめならずうれしげにて、「通盛すでに三十になるまで、子といふもののなかりつるに、あはれなんしにてあれかし。","229C",,"巻第九","小宰相身投" "○しづかにみみとなつてのち、おさなきものをもそだてて、なき人のかたみにもみばやとはおもへども、おさなきものをみんたびごとには、むかしの人のみこひしくて、おもひの數はつもるとも、なぐさむ事はよもあらじ。","229M",,"巻第九","小宰相身投" "○そこにひとりとゞまつて、なげかんずる事こそ心ぐるしけれども、われらがしやうぞくのあるをば取て、いかならん僧にもとらせ、なき人の御ぼだいをもとぶらひ、われはが後生をもたすけたまへ。","230B",,"巻第九","小宰相身投" "●されば御身ひとつのこととおぼしめすべからず。","230I",,"巻第九","小宰相身投" "○其上都の事なんどをば、たれみつぎまいらせよとてかやうにはおほせさぶらふやらん。","230N",,"巻第九","小宰相身投" "○ゆきあはせ給はんん事も不定ならば、御身をなげてもよしなき事也。","230N",,"巻第九","小宰相身投" "○うちめしうもうけたまはる物かな」とさめざめとかきくどきければ、北の方此事あしうもきかれぬとやおもはけん、「それは心にかはりてもをしはかりたまふべし。","231@",,"巻第九","小宰相身投" "○大かたの世のうらめしさにも、身をなげんなどいう事はつねのならひ也。","231B",,"巻第九","小宰相身投" "○夜もふけぬ、いざやねんとのたまへば、めのとの女房、この四五日はゆみずをだにはか/\゛しう御らんじいれたまはぬ人の、かやうに仰らるゝは、まことにおもひたちたまへるにこそと悲しくて、「相かまへて思召たつならば、ちいろの底までもひきこそ具せさせ給はめ。おくれまいらせてのち、かた時もながらふべしともおぼえさぶらはず。","231C",,"巻第九","小宰相身投" "○一の谷よりやしまへをしわたる夜半ばかりの事なれば、船の中しづまりて、人是をしらざりけり。","232@",,"巻第九","小宰相身投" "○人あまたおりて、とりあげ奉らんとしけれども、さらぬだに春の夜はならひにかすむ物なるに、四方の村雲うかれきて、かずけどもかずけども、月おぼろにてみえざりけり。","232E",,"巻第九","小宰相身投" "○ねりぬきのふたつぎぬにしろきはかまを着たまへり。","232H",,"巻第九","小宰相身投" "○さる程に、春の夜の月も雲井にかたぶき、かすめる空も明ゆけば、名残はつきせずおもへども、さてしもあるべき事ならねば、うきもやあがりたまふと故三位殿のきせながの一兩のこりたりけるにひきまとひ奉り、ついに海にぞしずめける。","232N",,"巻第九","小宰相身投" "○忠臣は二君につかへず、貞女は二夫にまみえずとも、かやうの事をや申べき。","233G",,"巻第九","小宰相身投" "○此女房十六と申し安元の春のころ、女院法勝寺へ花見の御幸ありしに、通盛の卿其時はいまだ中宮の亮にて供奉せらりたりけるが、此女房をたゞ一めみて、あはれと思ひそめけるより、そのおもかげのみ身にひしとたちそひて、わするゝひまもなかりければ、はじめは歌をよみ文をつくしたまへ共、玉づさのかずのみつもりて、とりいれ給ふ事もなし。","233M",,"巻第九","小宰相身投" "○つかひむなしうかへりまいらん事のほいなさに、御車のそばをつとはしりとをるやうにて、みちもりのきやうの文を小宰相殿の車のすだれの中へぞなげいれける。","234A",,"巻第九","小宰相身投" "○さて宮づかへ〔し〕たまふるほどに、所しもこそおほけれ、御前に文をおとされたり。","234F","  ","巻第九","小宰相身投" "○その中に小宰相殿はかほうちあかめて、物も申されず。","234J",,"巻第九","小宰相身投" "○中比小野小町とて、みめかたち世にすぐれ、なさけのみちありがたかりしかば、みる人きくもの肝たましゐをいたましめずといふ事なし。","235B",,"巻第九","小宰相身投" "○或女房のいできて申けるは、「三位中將殿と申は、これの御事にてはさぶらはず。","237G",,"巻第十","首渡" "○本三位中將殿の御事なり」と申ければ、「さては頚どものなかにこそあるらめ」とて、なを心やすうもおもひ給はず。","237G",,"巻第十","首渡" "○五人の公卿申されけるは、「昔より卿相の位にのぼる物の頚、大路をわたさるゝ事先例なし。","238C",,"巻第十","首渡" "○巷にかうべをわたさるゝ今は、あはれみかなしまずといふ事なし。","238M",,"巻第十","首渡" "○「さて小松三位中將殿の御事はいかに」ととひ候つれば、「それはいくさ以前より大事の御いたはりとて、八嶋に御渡候あひだ、このたびはむかはせ給候はず」と、こまごまとこそ申候つれ」と申ければ、「それもわれらが事をあまりにおもひなげき給ふが、病となりたるにこそ。","239M",,"巻第十","首渡" "○これへむかへたてまて、ひとところでいかにもならばやとはおもへども、我身こそあらめ、御ため心ぐるしくて」などこまごまとかきつゞけ、おくに一首の歌ぞありける。","240K","  ","巻第十","首渡" "○いくらもまします君達のなかに、かくなり給ふ事よ。","242D",,"巻第十","内裏女房" "○入道殿にも二位殿にも、おぼえほ御子にてましまひしかば、御一家の人々もおもく事におもひたてまつり給ひしぞかし。","242E",,"巻第十","内裏女房" "○院へも内へもまひり給ひし時は、老たるも若も、ところををき、もてなしたてまつり給ひし物を。","242F","  ","巻第十","内裏女房" "○さは候へどもP、居ながら院宣をかへしまいらん事、其おそれも候へば、申おくてこそみ候はめ」とぞ申される。","243B",,"巻第十","内裏女房" "○させる弓矢とる身で候はねば、いくさ合戦の御供を仕たる事も候はず、たゞあさゆふ祗候せしばかりで候き。","244@",,"巻第十","内裏女房" "○さりながら、猶おぼつかなうおぼしめし候者、腰の刀をめしおかれて、まげて御ゆるされを蒙候ばや」と申せば、土肥次郎なさけあるおのこにて、「御一身ばかりは何事か候べき。","244C",,"巻第十","内裏女房" "○三位中將もこれを御らんじて、夢に夢みる心地して、とかうの事ものたまはず。","244G",,"巻第十","内裏女房" "○たゞなくより外の事ぞなき。","244H",,"巻第十","内裏女房" "○「西國へくだりし時、ふみをもやらず、いひおく事だになかりしを、世々の契はみないつはりにてありけりとおもふらんこそはうかしけれ。","244J",,"巻第十","内裏女房" "○智時もて内裏へまいりたりけれども、ひるは人めしげければ、そのへんちかき小屋に立入て日をくらし、局の下口へんにたゝずできけば、この人のこゑとおぼしくて、「いくらもある人のなかに、三位中將しもいけどりにせられて、大路をわたさるゝ事よ。","245C",,"巻第十","内裏女房" "○涙河うき名をながす身なりともいま一たびの逢せともがな女房これをみ給いて、とかうの事もの給はず、ふみをふところにひき入て、たゞなくより外の事ぞなき。","245N",,"巻第十","内裏女房" "◎やゝ久しうあて、さてもあるべきならねば、御かへり事あり。","246@",,"巻第十","内裏女房" "○三位中將これをみて、いよ/\思ひやまさり給ひけん、土肥次郎にの給ひれるは、「年來あひぐしたりし女房に、今一度對して、申たき事のあるはいかゞすべき」との給へば、実平なさけあるおのこにて、「まことに女房などの御事にてわたらせ給候はんは、なじかはくるしう候べき」とてゆるしたてまつる。","246F",,"巻第十","内裏女房" "○ゑんに車をやりよせて、かくと申せば、中將車よせにいでむかひ給ひ、「武士どものみたてまつるに、おりさせ給べからず」とて、車の簾をうちかづき、手に手をとりくみ、かほにかほをおしあてて、しばしは物もの給はず、たゞなくより外の事ぞきな。","246M",,"巻第十","内裏女房" "○かくてさ夜もなか半になりければ、「この比は大路の浪籍に候に、とう/\」とてかへしたてまつる。","247D",,"巻第十","内裏女房" "●車やりいだせば、中將別の涙ををさへて、なく/\袖をひかへつゝ、逢ことも露の命ももろともにこよひばかりやかぎりなるらん女房なみだををさへつゝかぎりとてたちわかるれば露の身の君よりさきにきえぬべきかなさて女房は内裏へまいり給ひぬ。","247G",,"巻第十","内裏女房" "○「いま一度御らんぜんとおぼしめし候あば、内侍所お御事を大臣殿いよく/\申させをはしませ。","249B",,"巻第十","請文" "○二位殿はこれをみ給いて、とかうの事もの給はず、ふみをふところにひきいれて、うつぶしにぞなられける。","249D",,"巻第十","請文" "○二位殿は中將のふみをかほにおしあてて、人々のなみゐたまへるうしろの障子をひきあけて、大臣殿の御まへにたをれふし、なく/\の給ひけるは、「あの中將が京よりいひをこしたる事のむざんさよ。","249I",,"巻第十","請文" "○げにも心のうちにいかばかりの事を思ひゐたるらん。","249J",,"巻第十","請文" "○且は頼朝がおもはん事もはずかしう候へば、左右なう内侍所をかへし入たてまつる事はかなひ候まじ。","249M",,"巻第十","請文" "○其うへ、帝王の世をたもたせ給ふ御事は、ひとへに内侍所の御ゆへ也。","250@",,"巻第十","請文" "○且は中將一人に、餘の子ども、したしゐ人々をば、さておぼしめしかへさせ給べき歟」と申されければ、二位殿かさねてのたまひけるは、「故入道におくれて後は、かた時も命いきてあるべしともおもはざりしかども、主上かやうにいつとなく旅だゝせ給ひたる御事の御心ぐるしさ、又君をも御代にあらせまいらせばやなどおもふゆへいこそ、いままでもまがらへてありつれ。","250D",,"巻第十","請文" "○新中納言知盛の意見に申されけるは、「三種の神器を都へかへし入たてまたりとも、重衡をかへし給はらん事ありがたし。","250N",,"巻第十","請文" "○北方大納言佐殿は、たゞなくより外の事なくて、つや/\御かへり事もしたまはず。","251B",,"巻第十","請文" "○今月十四日の院宣、同八日讃岐國八嶋の磯に到来。謹以來承るところ","251J","  ","巻第十","請文" "○夫我君は、故高倉院の御譲をうけさせ給ひて、御在位すでに四ケ年、政と舜の古風をとぶらふところに東夷狄黨をむすび、群をなして入浴のあひだ、且は幼帝母后の御なげきもふかく、且外戚近臣のいきどをりあさからざるによて、しばらく九國に幸ず。","251O","  ","巻第十","請文" "○就中彼頼朝は、去平治元年十二月、父左馬頭頼朝が謀反によて、頻に誅罰せらるべきよし仰くださるといへども、故入道相國慈悲のあまり申なだめられしところ也。","252K","  ","巻第十","請文" "○至愚のはなはだしき事申てあまりあり。","252M",,"巻第十","請文" "●夫日月は一物の為にそのあきらかなることをくらうせず。","252N",,"巻第十","請文" "○一惡をもて其善をすてず、小瑕をもて其功をおゝふ事なかれ。","253@",,"巻第十","請文" "○「さらば年ごろ契たりし聖に、今一度對面して、後生の事を申談ぜばやとおもふはいかゞすべき」との給へば、「聖をば誰と申候やらん」。","254F",,"巻第十","戒文" "○『黒谷の法然房と申人なり。」","254G",,"巻第十","戒文" "○中就に南都炎上の事、王命といひ、武命といひ、君につかへ、世にしたがふはうのがれがたくして、衆徒の惡行をあひづめんがためにまかりむかて候し程に、不慮に伽藍の滅亡に及候し事、力及ばぬ次第にて候へども、時の大將軍にて候し上は、せめ一人に歸すとかや申候なれば、重衡一人が罪業にこそなり候ぬらめと覚え候。","254O",,"巻第十","戒文" "○良久しうあて、「誠に受難き人身を受ながら、むなしう三途にかへり給はん事、かなしんでも猶あまりあり。","255L",,"巻第十","戒文" "○しかるをいま穢土をいとひ、浄土をねがはんに、惡心をすてて善心を發しまさん事、三世の諸仏もさだめて随喜し給ふべし。","255N",,"巻第十","戒文" "○若このおしへをふかく信じて、行住坐臥時處諸縁をきらはず、三業四威儀において、心念口稱をわすれ給はずは、畢命を期として、この苦域の界をいでて、彼不退の土に往生し給はん事、何の疑かあらにゃ」と教化し給ひければ、中將なのめならず悦て、「このつゐでに戒をたもたばやと存候は、出家仕候はではかなひ候まじや」と申されければ、「出家せぬ人も、戒をたもつ事は世のつねのならひ也」とて、額にかうぞりをあてて、そるまねをして、十戒をさづけられければ、中將随喜の涙をながひて、これをうけたもち給ふ。","256K",,"巻第十","戒文" "○御布施とおぼしくて、年ごろつねにおはしてあそばれけるさぶらひのもとにあづけをかれたりける御硯を、知時してめしよせて、上人にたてまつり、「これをば人にたび候はで、つねに御目のかゝり候はんところにおかれ候て、それがしが物そかしと御らんぜられ候はんたびごとに、おぼしめしならずらへて、御念仏候べし。","257C","  ","巻第十","請文" "○四宮河原になりぬれば、こゝはむかし、延喜第四の王子蝉丸の關の嵐に心をすまし、琵琶をひき給ひしに、博雅の三位と云し人、風のふく日もふかぬ日も、雨のふる夜もふらぬ夜も、三とせがあひだ、あゆみをはこび、たちきゝて、彼の三曲をつたへけんわら屋のとこのいにしへも、おもひやられてあはれ也。","258D",,"巻第十","海道下" "○彼宿の長者ゆやがむすめ、侍從がもとに其夜は宿せられけり。","258M",,"巻第十","海道下" "○侍從、三位中將を見たてまて、「昔はつてにだにおもひよらざりしに、けふはかゝるところにいらせ給ふ不思議よ」とて、一首の歌をたてまつる。","258N","  ","巻第十","海道下" "○遠山の花は残の雪かとみおえて、浦々嶋々かすみわたり、こし方行末の事どもおもひつゞけ給ふに、「さればこれはいかなる宿業のうたてさぞ」との給ひて、たゞつきせぬ物は涙なり。","259K",,"巻第十","海道下" "○御子の一人もおはせぬ事を、母の二位殿もなげき、北方大納言佐殿もほいなきことにして、よろづの神ほとけにおのり申されけれども、そのしるしなし。","259M",,"巻第十","海道下" "○子だにあらましかば、いかに心ぐるしからん」との給ひけるこそせめての事なれ。","259O",,"巻第十","海道下" "○とへば甲斐のしら根といふ。","260C",,"巻第十","海道下" "○「戀(こひ)せばやせぬべし、戀せずもありけり」と、明神(みやうじん)のうたひはじめ給ひける足柄(あしがら)の山(やま)をもうちこえて、こゆるぎの森(もり)、まりこ河(がは)、小磯(こいそ)、大磯(おほいそ)の浦々(うらうら)、やつまと、とがみが原(はら)、御輿(みこし)が崎(さき)をもうちすぎて、いそがぬ旅(たび)とおもへども、日数(ひかず)やう/\かさなれば、鎌倉(かまくら)へこそいり給へ。」","260G",,"巻第十","海道下" "○抑南都をほろぼさせ給ふける事は、故太政入道殿の仰にて候しか、又時にとての御ばからひにて候けるか。","261B",,"巻第十","千手前" "○もての外の罪業にてこそ候なれ」と申されければ、三位中將の給ひけるは、「まづ南都炎上の事、故入道の成敗にもあらず、重衡が愚意の發起にもあらず。","261E",,"巻第十","千手前" "○衆徒の惡行をしづめんが為にまかりむかて候し程に、不慮に伽藍滅亡に及候し事、力及ばぬ次第也。","261G",,"巻第十","千手前" "○昔は源平左右にあらそひて、朝家の御まもりたりしかども、近比源氏の運かたぶきたりし事は、事あたらしう初めて申べきあらず。","261H",,"巻第十","千手前" "○それについて、帝王の御かたいをうてるものは、七代まで朝恩うせずと申事は、きはめたるひが事にて候けり。","261M",,"巻第十","千手前" "○まのあたり故入道は、君の御ためにすでに命をうしなはんとする事度々に及ぶ。","261N",,"巻第十","千手前" "○弓矢をとるならひ、敵の手にかゝて命をうしなふ事、またく恥にて恥ならず。","262D",,"巻第十","千手前" "○兵衛佐も、「平家を別して私のかたきとおもひたてまつる事、ゆめ/\候はず。","262G",,"巻第十","千手前" "○みちがらのあせいぶせかりつれば、身をきよめてうしなはんずるにこそと思はれけるに、よはひ廿ばかりなる女房の、色しろうきよげにて、まことにゆうにうつくしきが、めゆいのかたびらにそめつけのゆまきして、ゆどののとをおしあけてまいりたり。","262O",,"巻第十","千手前" "○「なに事でもおぼしめさん御事をばうけ給はて申せ」とこそ兵衛佐殿は仰られ候つれ」。","263F",,"巻第十","千手前" "◎中將「いまは是程の身になて、何事をか申すべき。","263G",,"巻第十","千手前" "○たゞおもふ事とては出家ぞしたき」との給ひければ、かへりまいてこのよしを申す。","263H",,"巻第十","千手前" "◎何事でも申てすゝめまいらさせ給へ」と申ければ、千手酌をさしおいて、「羅綺の重衣たる、情ない事を奇婦に妬」といふ郎詠を一兩反したりければ、三位中將の給いけるは、「この郎詠せん人をば、北野天神一日に三度かけてまぼらんとちかはせ給ふ也。","264E",,"巻第十","千手前" "○罪障からみぬべき事ならばしたがふべし」との給ひければ、千手前やがて、「十惡といへども引攝す」といふ郎命をして、「極樂ねがはん人はみな、弥陀の名号となふべし」といふ今様を四五反うたひすましたりければ、其時坏をかたぶけらる。","264J",,"巻第十","千手前" "○夜やう/\ふけて、よろづ心のすむまゝに、「あら、おもはずや、あずまにもこれほどゆうなる人のありけるよ。何事にても今ひと聲」との給ひければ、千手前又「一樹のかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶも、みなこれ先世の契」といふ白拍子を、まことにおもしろくかぞへすましたりければ、中將も「燈闇しては、數行虞氏の涙」といふ朗詠をぞせられける。","265@",,"巻第十","千手前" "◎何事にても今ひと聲」との給ひければ、千手前又「一樹のかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶも、みなこれ先世の契」といふ白拍子を、まことにおもしろくかぞへすましたりければ、中將も「燈闇しては、數行虞氏の涙」といふ郎詠をぞせられける。","265B",,"巻第十","千手前" "○たとへばこの郎詠の心は、昔もろこしに、漢高祖と楚項羽と位をあらそひて、合戦する事七十二度、たゝかいごとに項羽かちにけり。","265F",,"巻第十","千手前" "○敵のおそふは事のかずならず、この后に別なんん事のかなしさよ」とて、夜もすがらなげきかなしみ給ひけり。","265J",,"巻第十","千手前" "○項羽涙をながいて、「わが威勢すでにすたれたり。いまはのがるべきかたなし。敵のおそふは事のかずならず、この后に別なん事のかなしさよ」とて、夜もすがらなげきかなしみ給ひけり。","265K",,"巻第十","千手前" "○夜ふくるまゝに軍兵四面に時をつくる。","265L",,"巻第十","千手前" "○さる程に夜もあけければ、武士どもいとま申てまかりいず。","265O",,"巻第十","千手前" "○其朝兵衛佐殿、境節持佛堂に法花經ようでをはしけるところへ、千手前まいりたり。","266@","  ","巻第十","千手前" "○佐殿うちゑみ隆ひて、千手に「中人は面白うしたる物を」との給へば、斎院次官親義、おりふし御前に物かいて候けるが、「何事で候けるやらん」と申。","266B",,"巻第十","千手前" "○「あの平家の人々は、弓箭の外は他事なしとこそ日ごろはおもひたれば、この三位中將の琵琶のばちをと、口ずさみ、夜もすがらたちきいて候に、ゆうにわりなき人にてをはしけり」。","266D",,"巻第十","千手前" "○親義申けるは、「たれも夜部うけ給はるべう候しが、おりふしいたはる事候て、うけ給はらず候。","266F",,"巻第十","千手前" "○先年此人々を花にたとへ候しに、此三位中將をば牡丹の花にたとへて候しぞかし」と申されければ、「誠にゆうなる人にてありけり」とて、琵琶の撥音、郎詠のやう、後までも有難き事にぞの給ひける。","266I",,"巻第十","千手前" "○「これより山づたひに宮こへのぼて、戀しき人々をいま一度みもしみえばやとはおもへども、本三位中將のいけどりにせられて、大路をわたされ、京・鎌倉、恥をさらすだに口おしきに、この身さへとらはれて、父のかばねに血をあやさん事も心うし」とて、千たび心はすゝめども、心に心をからかひて、高野の御山にもいられけり。","267J",,"巻第十","横笛" "○そのうちに身のさかんなる事はわずかに廿餘年也。","268F",,"巻第十","横笛" "○横笛これをつたへきいて、「われをこそすてめ、さまをさへかへけん事のうらめしさよ。","268J",,"巻第十","横笛" "○ころはきさらぎ十日あまりの事なれば、梅津の里の春風に、よそのにほひもなつかしく、大井河の月影も、霞にこめておぼろ也。","268M",,"巻第十","横笛" "○瀧口入道、同宿の僧にあふて申けるは、「これもよにしづかにて、念仏の障碍は候はねども、あかで別し女に此すまひをみえて候へば、たとひ一度は心つよくとも、又もしたふ事あらば、心もはたらき候ぬべし。","269J",,"巻第十","横笛" "○瀧口入道、か様の事をつたへきゝ、いよ/\ふかくおこなひすましてゐたりければ、父も不考をゆるしけり。","270A",,"巻第十","横笛" "○いかにもして山うたひに都へのぼて、戀しき物どもを今一度見もしみえばやとはおもへども、本三位中將の事口惜ければ、それもかなはず。","271D",,"巻第十","高野巻" "○御入定は承和二年三月廿日、寅の一點の事なれば、すぎにし方も三百餘歳、行末も猶五十六億七千万歳の後、慈尊出世會の曉をまたせ給らんこそ久しけれ。","272O",,"巻第十","高野巻" "○塩風にくろみ、つきせぬ物思ひにやせおとろへて、その人とはみえ給はねども、猶よの人にはすぐれ給へり。","273B",,"巻第十","維盛出家" "○其夜は瀧口入道が庵室にかえッて、よもすがら昔今の物がたりをぞし給ひける。","273C",,"巻第十","維盛出家" "○あはれをかくべきしたしい物一人も候はざりしかども、故大臣殿、「あれはわが命にかはりたりし物の子なれば」とて、御まへにてそだてられまいらせ、生年九と申し時、君の御元服候し夜、かしらをとりあげられまいらせて、かたじけなく、「盛の字は家字なれば五代につく。重の字を松王に」と仰候て、重景とはつけられまいらせて候也。","274G",,"巻第十","維盛出家" "○されば御臨終の御時も、此世の事をばおぼしめしすてて、一事も仰候はざりしかども、重景御まへちかうめされて、「あなむざんや。","274K",,"巻第十","維盛出家" "○さればこの日ごろは、いかなる御事も候はんには、みすてまいらせて落べき物とおぼしめし候けるか。","275@",,"巻第十","維盛出家" "◎これにすぎたる善知識、なに事か候べき」とて、手づからもとゞりきて、なく/\瀧口入道にそらせけり。","275E",,"巻第十","維盛出家" "○「あはれ、かはらぬすがたを戀しき物どもに今一度みえもし、見て後かくもならば、おもふ事あらじ」との給ひけるこそ罪ふかけれ。","275L",,"巻第十","維盛出家" "○いずれも/\たのもしからずといふ事なし。","278D",,"巻第十","熊野參詣" "○夜ふけ人しずまッて、啓白し給ふに、父のおとゞのこの御前にて、「命をめして後世をたすけ給へ」と申されける事までも、おぼしめしいでて哀也。","278D",,"巻第十","熊野參詣" "○うき世をいとひ、まことの道に入給へども、妄執は猶つきずとおごえて哀なりし事共也。","278I",,"巻第十","熊野參詣" "○抑權現當山に跡を垂させまし/\てよりこのかた、我朝の貴賎上下歩をはこび、こうべをかたむけ、たな心をあはせて、利生にあづからずといふ事なし。","279A",,"巻第十","熊野參詣" "○うつればかはる世のならひとはいひながら、哀なる御事かな」とて、袖をかほにおしあててさめざめとなきければ、いくらもなみゐたりける那智ごもりの僧どもも、みなうち衣の袖をぞぬらしける。","280D",,"巻第十","熊野參詣" "○はるかのおきに山なりの嶋といふ所あり。","280H","  ","巻第十","維盛入水" "○思きりたる道なれども、今はの時になりぬれば、心ぼそうかなしからずといふ事なし。","281@",,"巻第十","維盛入水" "○比は三月廿八日の事なれば、海路はるかにかすみわたり、あはれをもよほすたぐひ也。","281@",,"巻第十","維盛入水" "○たゞ大方の春だにも、くれ行空は物うきに、况やけふをかぎりの事なれば、さこそは心ぼそかりけめ。","281B",,"巻第十","維盛入水" "◎「さればこは何事ぞ。","281F",,"巻第十","維盛入水" "○かやうの事を心中にのこせば、罪ふかからんなるあひだ、懺悔する也」とぞのたまひける。","281M",,"巻第十","維盛入水" "○たかきもいやしきも、恩愛の道はちからおよばぬ事也。","282A",,"巻第十","維盛入水" "○たとひ又百年のよわひをたもち給ふとも、この御恨はたゞおなじ事とおぼしめさるべし。","282I",,"巻第十","維盛入水" "○第六天の魔王といふ外道は、欲界の六天をわがものと領じて、なかにも此界の衆生の生死をはなるゝ事をおしみ、或は妻となり、或は夫となて、これをさまたぐるに、三世の諸佛は一切衆生を一子の如におぼしめして、極樂浄土の不退の土にすゝめいれんとし給ふに、妻子といふものが、無始曠劫よりこのかた生死に流轉するきづななるがゆへに、佛はおもういましめ給ふ也。","282K",,"巻第十","維盛入水" "○源氏の先祖伊豫入道頼義は、勅命によて奥州のゑびす貞任・宗任をせめんとて、十二年があひだに人の頚をきる事一万六千人、山野の獸、江河の鱗、其いのちをたつ事いく千万といふかずをしらず。","283@",,"巻第十","維盛入水" "○たとひ人あて七寳の塔をたてん事、たかさ卅三天にいたるとも、一日の出家の功徳には及べからず。","283D",,"巻第十","維盛入水" "○はじめ三惡趣の願より、おはり得三寶忍の願にいたるまで、一々の誓願、衆生化度の願ならすといふ事なし。","283I",,"巻第十","維盛入水" "○成仏得脱してさとりをひらき給ひなば、娑婆の故郷にたちかへて妻子を道びき給はん事、還來穢國度人天、すこしも疑あるべからず」とて、かねうちならしてすゝめたてまつる。","284B",,"巻第十","維盛入水" "○今はたゞ後世をとぶらひたてまつれ」と、なく/\教訓しけれども、おくれたてまつるかなしさに、後の御考養の事もおぼRず、ふなぞこにふしまろび、おめきさけびけるありさまは、むかし悉達太子の檀特山に入せ給ひし時、しやのくとねりがこんでい駒を給はて、王宮にかへりしかなしみも、これにはすぎじとぞみえし。","284J",,"巻第十","三日平氏" "○さればひきぐして一所にも沈み給はで、ところどころにふさん事こそかなしけれ。","285K",,"巻第十","三日平氏" "○御詞にて仰らるゝ事はなかりしか」ととひ給へば、「申せと候しは「西國にて左の中將殿うせさせ給候ぬ。","285K",,"巻第十","三日平氏" "○唐皮・小烏の事までもこもごもと申たりければ、「今は我とてもながらふべしとも不覚」とて、袖をかほにをしあててさめざめとなき給ふぞ、まことに事はりとおぼえて哀なる。","285N",,"巻第十","三日平氏" "○さぶらひどもはさしつどひて、只なくより外の事ぞなき。","286B",,"巻第十","三日平氏" "○故尼御前の御恩をば大納言殿に報じたてまつらん」とたび/\誓状をもて申されければ、一門をもひきわかれておちとゞまり給ひたりけるが、「兵衛佐ばかりこそかうはおもはれけれどもいかゞあらんずらん」と、肝たましひをけすより外の事なくておはしけるが、鎌倉より「故尼御前をみたてまつると存で、とく/\げざんに入候はん」と申されたりければ、大納言くだり給ひけり。","287@",,"巻第十","三日平氏" "○其ゆへは、君こそかくてわたらせ給へども、御一家の君達の、西海の浪のうへにたゞよはせ給ふ御事の心うくおぼえて、いまだ安堵しても存候はねば、心すこしおとしすゑて、おさまにまいり候べし」とぞ申ける。","287E",,"巻第十","三日平氏" "○大納言にが/\しうはづかしうおもひ給ひて、「一門をひきわかれてのこりとゞまたる事は、我身ながらいみじとはおもはねども、さすが身もすてがたう命もをしければ、なまじゐにとゞまりにき。","287G",,"巻第十","三日平氏" "○「其事など今にわすれず」とうけ給候へば、さだめて御ともにまかり下て候者、ひきで物、饗應などもし候はんずらん。","288@",,"巻第十","三日平氏" "○西國にわたらせ給ふ君達、もしは侍どものかへりきかん事、返々はづかしう候へば、まげて今度ばかりはまかりとゞまるべう候。","288C",,"巻第十","三日平氏" "○はるかの旅におもむかせ給ふ事は、まことにおぼつかなうおもひまいらせ候へども、敵をもせめに御くだり候者、一陣にこそ候べけれどの、これはまいらずとも、更に御事かけ候まじ。","288E",,"巻第十","三日平氏" "○兵衛佐たずね申され候者、「あひ勞る事あて」と仰候べし」と申ければ、心ある侍どもはこれをきいて、みな涙をぞながしける。","288H",,"巻第十","三日平氏" "○兵衛佐いそぎ見參して、まづ、「宗清は御ともして候か」と申されければ、「おりふし勞はる事候て、くだり候はず」との給へば、「いかに、なにをいたはり候けるやらん。","288L",,"巻第十","三日平氏" "○むかし宗清がもとに候しに、事にふれてありがたうあたり候し事、今にわすれ候はねば、さだめて御ともに罷下候はんずらん、とく見參せばやなど戀しう存て候に、うらめしうもくだり候はぬ物かな」とて、下文あまたなしまうけ、馬鞍・物具以下、やう/\の物どもたばんとせられければ、しかるべき大みゃうども、われも/\とひきでものども用意したりけるに、くだらざりければ、上下ほひなき事におもひてぞありける。","288N",,"巻第十","三日平氏" "○平家重代相傳の家人にて、昔のよしみをわすれぬ事はあはれなれども、おもひたつこそおほけなけれ。","289N",,"巻第十","三日平氏" "○さる程に、小松の三位中將維盛卿の北方は、風のたよりの事つても、たえて久しくなりければ、なにとなりぬる事やらんと、心ぐるしうぞおもはれける。","290A",,"巻第十","三日平氏" "○北方「さていかにやいかに」ととひ給へば、「すぎ候し三月十五日の曉、八嶋を御いで候て、高野へまいらせ給ひて候せるが、高野にて御ぐしおろし、それより熊野へまいらせをはしまし、後世の事をよく/\申させ給ひ、那智の奥にて御身をなげさせ給ひて候」とこそ、御とも申たりけるとねり武里はかたり申候つれ」と申ければ、北方「さればこそ。","290H",,"巻第十","三日平氏" "○日ごろよりおぼしめしまうけたる御事也。","290M",,"巻第十","三日平氏" "○本三位中將殿のやうにいけどりにせられて、宮こへかへらせ給ひたらば、いかばかり心うかるべきに、高野にて御ぐしおろし、熊野へまいらせ給ひ、後世の事よく/\申させおはしまし、臨終正念にてうせさせ給ひける御事、なげきのなかの御よろこび也されば御心やすき事にこそおぼしめすべけれ。","290O",,"巻第十","三日平氏" "○小松の内府の事は、おろかにおもひたてまつらず。","291F",,"巻第十","藤戸" "○かれをきゝ是をきくにも、たゞ耳ををどろかし、きも魂をけすより外の事ぞなき。","292A",,"巻第十","藤戸" "○女房達はさしつどひて、たゞなくより外の事ぞなき。","292E",,"巻第十","藤戸" "○程はくめづりきにけり」とて、あさましうあはたゞしかり事どもの給ひいだして、なきぬわらひぬぞし給ひける。","292F",,"巻第十","藤戸" "○源氏「やすからぬ事也。いかゞせん」といふところに、同廿五日の夜に入て、佐々木三郎盛綱、浦の男をひとりかたらッて、しろい小袖・大口・しろざやまきなどとらせ、すかしおほせて、「この海に馬にてわたしぬべきところやある」ととひければ、男申けるは、「浦の物どもおほう候へども、案内したるはまれに候。このおとここそよく存知して候へ。たとへば河の瀬のやうなるところの候が、月がしらには東に候、月じりには西に候。兩方の瀬のあはひ、海のをもて十町ばかりは候らん。この瀬は御馬にてはたやすうわたせ給ふべし」と申ければ、佐々木なのめならず悦で、わが家子朗等にもしらせず、かの男とたゞ二人まぎれいで、はだかになり、件の瀬のやうなるところをわたッてみるに、げにもいたくふかうはなかりけり。、よに","294E",,"巻第十","藤戸" "○たとへば河の瀬のやうなるところの候が、月がしらには東に候、月じりには西に候。","294I","  ","巻第十","藤戸" "○この瀬は御馬にてはたやすうわたせ給ふべし」と申ければ、佐々木なのめならず悦で、わが家子郎等にもしらせず、かの男とたゞ二人まぎれいで、はだかになり、件の瀬にやうなるところをわたてみるに、げにもいたくふかうはなかりけり。","294M","  ","巻第十","藤戸" "○ひざ・こし・肩にたつところもあり。","294N","  ","巻第十","藤戸" "○鬢のぬるゝところもあり。","294N","  ","巻第十","藤戸" "○ふかきところをばおよいであさきところにおよぎつく。","294O","  ","巻第十","藤戸" "○敵、矢さきをそろへて待ところに、はだかにてはかなはせ給まじ。","295@","  ","巻第十","藤戸" "○佐々木三郎、案内はかねてしたり、しげめゆいの直垂に黒糸威の鎧きて、しら葦毛なる馬にのり、家子郎等七騎、ざとうちいれしてわたしけり。","295F",,"巻第十","藤戸" "○馬のくさわき、むながいづくし、と腹につくところもあり、鞍つぼこすふ所もあり。","295L","  ","巻第十","藤戸" "○ふかきところはおよがせ、あさきところにうちあがる。","295M","  ","巻第十","藤戸" "○馬のくさわき、むながいづくし、ふと腹につくところもあり、鞍つぼこす所もあり。","295M","  ","巻第十","藤戸" "○源氏のつは物どもこれを事ともせず、甲のしころをかたむけ、平家の舟にのりうつり/\、おめきさけんでせめてゝかふ。","296A",,"巻第十","藤戸" "○一日たゝかひくらして夜に入りければ、平家の舟はおきにうかぶ。","296D",,"巻第十","藤戸" "○昔より今にいたるまで、馬にて河をわたすつは物はありといへども、馬にて海をわたす事、天竺・震旦はしらず、我朝には希代のためしなり」とて、備前の児嶋を佐々木に給はりける。","296H",,"巻第十","藤戸" "○いかにしてか様の大礼もおこなはるべきなれども、さたしもあるべき事ならねば、かたのごとくぞとげられける。","297I",,"巻第十","藤戸" "○東國の大名小名おほしといへども、大將軍の下知にしたがふ事なれば力及ばず。","297M",,"巻第十","藤戸" "○夜るは夭鬼走散て、火をともす事ほしににたり。","299@",,"巻第十","高野御幸" "○河をわたりては河原過では川をわたる事、八々日が間に六日卅六度也。","299A",,"巻第十","高野御幸" "○「さればさがの天王の御時、清凉殿にして四箇の大乗宗のせきとくをあつられて、けんんみつの法文論談をいたす事まし/\き。","299J",,"巻第十","高野御幸" "○臣下卿相(しんかけいしやう)かぶりのこじをかたぶけ、南都六宗の賓、地(ち)にひざまづゐて敬恪す。","300N",,"巻第十","高野御幸" "○上皇仰られけるは、「かほどの事をいままでおぼしめしょらざりけるよ」とて、やがて明日御幸あるべきよしおほせられければ、匡房申されけるは、「明日の御幸もあまり卒爾に存候。","301D",,"巻第十","高野御幸" "○火かずおほく見えば、かたきおそれて用心してんず」とて、夜もすがらはしる程に、三日にわたる處をゞ三時ばかりにわたりけり。","306J","  ","巻第十","逆櫓" "○よるになれども裝束もくつろげ給はず、袖をかたしゐてふし給ひたりけるが、御子右衞門督に御袖をうちきせ給ふをまもりたてまつる源八兵衞・江田源三・熊井太郎これをみて、「あはれたかきもいやしきも、恩愛の道程かなしかりける事はなし。御袖をきせ奉りたらば、いく程の事あるべきぞ。せめての御心ざしのふかさかな」とて、たけき物のふどももみな涙をぞながしける。","353@",,"巻第十","一門大路渡" "○是なんぐのおもひをこらし、しをいたし給ふ所也。","301I","  ","巻第十一","高野御幸" "○しかるを此三箇年があひだ、せめおとさずして、おほくの國々をふさげらるゝ事、口惜候へば、今度義經にをいては、鬼界・高麗・天竺・震旦までも、平家をせめおとさざらんかぎりは、王城へかへるべからず」とたのもしげに申されば、法皇おはきに御感あて、「相構て、夜を日につぎて勝負を決すべし」と仰下さる。","302C",,"巻第十一","逆櫓" "○元暦二年正月十日、九郎大夫判官義經、院の御所んへまいッて大藏卿秦經朝臣をもッて奏聞しけるは、「平家は神明にもはなたれ奉り、君にもすてられまいらせて、帝都をいで、浪のうへにたゞよふおちうととなれり。しかるを此三箇年があひだ、せめおとさずして、おほくの國々をふさげらるゝ事、口惜候へば、今度義經にをいては、奇界・高麗・天竺・震旦までも、平家をせめおとさざらんかぎりは、王城へかへるべからず」とたのもしげに申ければ、法皇おほきに御感あッ、「相構て、夜を日につぎてショウブを決すべし」と仰下さる。","302F",,"巻第十一","逆櫓" "○かれをきゝ、是を聞にも、たゞ耳を驚かし、きも魂をけすより外の事ぞなき。","303F",,"巻第十一","逆櫓" "○いかなるうき事をかきかんずらん」となげきあひ、かなしみあへり。","303G",,"巻第十一","逆櫓" "○まして西國とても、さこそはあらんずらめと思ひしかば、都にていかにもならむとおもひし物を、わが身ひとつの事ならねば、心よはうあくがれ出て、けふはかゝるうき目を見る口惜さよ」とぞの給ける。","303K",,"巻第十一","逆櫓" "○義経はもとのろで候はん」との給へば、梶原申けるは、「よき大將軍と申は、かくべき所をばかけ、ひくべき處をばひいて、身をまたうして敵をほろぼすをもてよき大將軍とはする候。","305@","  ","巻第十一","逆櫓" "○やう/\日くれ夜に入ければ、判官の給ひけるは、「舟の修理してあたらしうなたるに、をの/\一種一瓶していはひ給へ、殿原」とて。","305G",,"巻第十一","逆櫓" "○舟仕らずは一々に射ころさんずるぞ」といひければ、水手梶取是をきゝ、「射ころされんもおなじ事、風こはくは、たゞはせじににしねや、物共」とて、二百餘艘の舟のなかに、たゞご艘いでてぞはしりける。","306A",,"巻第十一","逆櫓" "○火かずおほく見えば、かたきおそれて用心してんず」とて、夜もすがらはしる程に、三日にわたる處をたゞ三時ばかりにわたりけり。","306J",,"巻第十一","逆櫓" "○夜すでにあけければ、なぎさに赤旗少々ひらめいたり。","307@",,"巻第十一","勝浦付大坂越" "○たづぬべき事あり」との給へば、義盛畏てうけ給はり、只一騎かたきのなかへかけいり、なにとかいひたりけん、とし四十ばかりなる男の、黒皮威の鎧きたるを、甲をぬがせ、弓の弦はづさせて、具してまいりたり。","307J",,"巻第十一","勝浦付大阪越" "○源氏兵是を事ともせず、甲のしころをかたぶけ、おめきさけんでせめ入ければ、櫻間の介かなはじとやおもひけん、家子郎等にふせきやゐさせ、我身は究竟の馬をもたりければ、うちのて希有にして落にけり。","308H",,"巻第十一","勝浦付大阪越" "○「さらば敵のきかぬさきによせよや」とて、かけ足になッつ、あゆませつ、はせつ、ひかへつ、阿波と讃岐とのさかゐなる大坂ごえといふ山を、夜もすがらこそ起られけれ。","309C",,"巻第十一","勝浦付大坂越" "○夜半ばかり、判官たてぶみもッたる男にゆきつられて、物語し給ふ。","309E",,"巻第十一","勝浦付大阪越" "○この男よるの事ではあち、かたきとは夢にもしらず、もかたの兵共八嶋へまいるとおもひけるやらん、うちとけてかまごまと物語をぞ申ける。","309F",,"巻第十一","勝浦付大阪越" "○「なに事なるらん」との給へば、「別の事はよも候はじ。","309I",,"巻第十一","勝浦付大阪越" "◎「なに事なるらん」との給へば、「別の事はよも候はじ。","309I",,"巻第十一","勝浦付大阪越" "○あくる十八日の寅の剋に、讃岐國ひけ田といふ所にうちおりて、人馬のいきをぞやすめける。","310D","  ","巻第十一","勝浦付大坂越" "○「内裏にて賊首の実檢せれん事然るべからず」とて、大臣殿の宿所にて実檢せらる。","310M",,"巻第十一","勝浦付大阪越" "○頚ども実験しける處に、物共、「高松のかたに火いできたり」とてひしめきあへり。","310N","  ","巻第十一","勝浦付大坂越" "○塩干がたの、おりふし塩ひるさかりなれば、馬のからすがしら、ふと原にたつ處もあり。","311G","  ","巻第十一","勝浦付大坂越" "○それよりあさき處あり。","311G","  ","巻第十一","勝浦付大坂越" "○九郎大夫判官、其日の装束には、赤地の錦の直垂に、紫すそごの鎧きて、こがねづくりの太刀をはき、きりうの矢おひ、しげどう弓のまんなかとつて、舟のかたをにらまへ、大音聲をあげて、「一院の御使、検非違使五位尉源義經」となのる。","311K",,"巻第十一","勝浦付大坂越" "○なかにとりこめてうたずして、あはてて船にのて、内裏をやかせつる事こそやすからね。","312M",,"巻第十一","嗣信最期" "●伊勢の三郎義盛あゆませいでて申けるは、「こともおろかや、清和天皇十代の御末、鎌倉殿の御弟、九郎大夫判官殿ぞかし」。","313C",,"巻第十一","嗣信最期" "○盛嗣「さる事あり。","313D",,"巻第十一","嗣信最期" "○一とせ平治の合戦に、父うたれてみなし子にてありしが、鞍馬の兒して、後にはこがね商人の所従になり、粮料せをうて奥州へおちまどひし小冠者が事か」都ぞ申たる。","313F",,"巻第十一","嗣信最期" "○義盛「舌のやはらかなるまゝに、君の御事な申そ。","313G",,"巻第十一","嗣信最期" "○去年の春、一の谷で、武蔵・相模の若殿原の手なみの程は見てん物を」と申處〔に〕おとゝの与一そばにありけるが、いはせもはてず、十二束二ぶせ、よぴいてやうどはなつ。","313N","  ","巻第十一","嗣倍最期" "○王城一のつよ弓せい兵にておはせしかば、矢さきにまはる物、いとをされずといふ事なし。","314D",,"巻第十一","嗣信最期" "○「おもひをく事はなきか」殿九へば、「なに事をかおもひをき候べき。","315G",,"巻第十一","嗣信最期" "○君の御世にわたらせ九はんを見まいらせで、死に候はん事こそ口惜覚候へ。","315H",,"巻第十一","嗣信最期" "○さ候はでは、弓矢とる物の、敵の矢にあたてしなん事、もとより期する處で候也。","315I",,"巻第十一","嗣信最期" "○中就に「源平の御合戦に、奥州の佐藤三郎兵衛嗣信といひける物、讃岐國八嶋のいそにて、しうの御命にかはりたてまてうたれにけり」と、末代の物語に申されん事こそ、弓矢とる身は今生の面目、冥途の思官涙をはら/\とながし、「此辺にたとき僧やある」とて、たづねいだし、「手負のたゞいまおちいるに、一日經かいてとぶらへ」とて、黒き馬のふとうたくましゐに、きぶくりんの鞍馬をいて、かの僧にたびにけり。","315L",,"巻第十一","嗣信最期" "○「手負のただいまおちいるに、一日経かいてとぶらへ」とて、黒き馬のふとうたくましゐに、きぶくりんの鞍をいて、かの僧にたびにけり。","315O",,"巻第十一","嗣信最期" "○弟の四郎兵衛をはじめとして、是を見る兵ども皆涙をながし、「此君の御ために命をう品判事、またく露塵程もおしからず」とぞ申ける。","316C",,"巻第十一","嗣信最期" "○「けふは日くれぬね勝負を決すべからず」とて引退く處に、おきの方より尋常にかざたる小舟一艚、みぎはへむいてこぎよせけり。","316G","  ","巻第十一","那須与一" "○かちに、あか地の錦をもつておほくびはた袖いろえたる直垂に、萌黄おどしの鎧きて、足じろの太刀をはき、きりうの矢の、其日のいくさにいて少々のこつたりけるを、かしらだかにおいなし、うすぎりふに鷹の羽はぎまぜたるぬた目のかぶらをぞさしそへたる。","317F",,"巻第十一","那須与一" "○与一畏て申けるは、「ゐおほせ候判事は不定に候。","317L",,"巻第十一","那須与一" "○与一かさねて辞せばあしかりなんとや思ひけん、「はずれんはしり候はず、御定で候へばつかまてこそみ候はめ」とて、御まへを罷立、黒き馬のふとうたくましゐに、小さげのかけ、まろぼやすたる鞍をいてぞのたりける。","318A",,"巻第十一","那須与一" "○比は二月十八日の酉の剋ばかりの事なるに、おりふし北風はげしくて、磯うつ浪もたかかりけり。","318H",,"巻第十一","那須与一" "○いずれも/\晴ならずといふ事ぞなき。","318K",,"巻第十一","那須与一" "○あまりの面白さに、感にたへざるにやとおぼしくて、舟のうちよりとし五十ばかりなる男の、黒革おどしの鎧きて、白柄の長刀もたるが、扇たてたりける處にたて舞しめたり。","319J","  ","巻第十一","弓流" "○楯のかげよりにりのにくろぼろはいだる大の矢をもて、まさきにすすんだるみをのやの十郎が馬の左のむながいづくしを、ひやうづばとゐて、はずののかくるる程ぞゐこうだる。","320G",,"巻第十一","弓流" "○長刀でながんずるかと見る處に、さはなくして、長刀をば左の脇にかいばさみ、右の手をさしのべて、みおの屋の十郎が甲のしころをとかまんとす。","320L","  ","巻第十一","弓流" "○判官是を見て、「やすからぬ事なり」とて、後藤兵衛父子、金子兄弟をさきにたて、奥州の佐藤四郎兵衛・伊勢三郎を馬手にたて、田代冠者をうしろにたてて、八十餘騎おめいてかけ給へば、平家の兵ども馬にはのらず、大略かち武者にてありければ、馬にあてられじとひきしりぞひて、もな船へぞのりにかる。","321G",,"巻第十一","弓流" "○おとなどもつまはじきをして、「口惜き御事候かな、たとひ千疋万疋にかへさせ給べき御たらしなりとも、争か御命にかへさせ給べき」と申せば、判官「弓のおしさにとらばこそ。","322B",,"巻第十一","弓流" "○おとゝひ渡邊・福嶋をいずるとて、其夜大浪にゆられてまどろまず。","322J",,"巻第十一","弓流" "○昨日阿波國勝浦にていくさして、夜もすがらなか山こえ、けふ又一日たゝかひくらしたりければ、みなつかれはてて、或は鎧の袖、ゑびらなど枕にして、前後もしらずぞふしたりける。","322K",,"巻第十一","弓流" "○判官はたかきところにのぼりあがて、敵やよすると遠見し給へば、伊勢三郎はくぼき處にかくれゐて、かたきよせば、まづ馬の腹ゐんとてまちかけたり。","322N","  ","巻第十一","弓流" "○平家の方には、能登守を大將にて、其勢五百餘騎、夜討にせんとしたくしたりけれども、越中次郎兵衞盛嗣と海老次郎盛方と先陣をあらそふ程に、其夜はむなしうあけにけり。","323A",,"巻第十一","弓流" "○白旗、赤旗、二町ばかりをへだててゆらへたり。","324G",,"巻第十一","弓流" "○伊勢三朗義盛、使者をたてて申けるは、「是は源氏大將軍九郎大夫判官殿の御内に、伊勢三朗義盛と申物で候が、大將に申べき事あて、是までまかりぬかて候。","324I",,"巻第十一","志度合戦" "○御辺のちゝ、阿波民部殿は降人にまいらせ給ひて候を、義盛があづかりたてまて候が、「あはれ、田内佐衛門が是をば夢にもしらで、あすはいくさしてうたれまいらせんずるむざんさよ」と、夜もすがらなげき給ふがあまりにいとをしくて、此事しらせたてまつらむとて、是までまかりむかて候。","325D",,"巻第十一","志度合戦" "○そのうへは、いくさしてうちじにせんとお、降人にまいて父をいま一度見たてまつらんとも、ともかうも御へんかはからひぞ」といひければ、田内佐衛門きこゆる兵なれども、運やつきにけむ、「かつきく事にすこしもたがはず」とて、甲をぬぎ弓の弦をはづいて、郎等にもたす。","325H",,"巻第十一","志度合戦" "○住吉の大明神の御事也。","326J",,"巻第十一","志度合戦" "○昔の征戎の事をおぼしめしわすれず、いまも朝の怨敵をほろぼし給べきにやと、君も臣もたのもしうぞおぼしめされける。","326K",,"巻第十一","志度合戦" "○白旗につけ仰けるを、猶うたがひをなして、白い鶏七つ赤き鶏七つ、是をもて権現の御まへにて勝負をさせす。","327E",,"巻第十一","志度合戦" "○赤きとり一もかたず。","327G",,"巻第十一","志度合戦" "○元暦二年三月廿四日の卯剋に、門司赤間の関にて源平矢合とぞさだめける。","328B",,"巻第十一","鷄合檀浦合戦" "○其日判官都梶原とすでにどしいくさせんとする事あり。","328C",,"巻第十一","鷄合檀浦合戦" "○義經は奉行をうけ給たる身なれば、たゞ殿原とおなじ事ぞ」殿給へば、梶原、先陣を所望しかねて、「天性この殿は侍の主にはなり難し」とぞつぶやきける。","328F",,"巻第十一","鷄合檀浦合戦" "○就中鎌倉殿のかへりきかせ給はん處こそ穩便ならず候へ」と申せば、判官しづまり給ふ。","329@","  ","巻第十一","鶏合壇浦合戰" "○門司・赤間・壇ノ浦はたぎつておつる塩なれば、源氏の舟は塩にむふて、心ならず押し落さる。","329D",,"巻第十一","鶏合壇浦合戰" "○おきは塩のはやければ、みぎはについて、梶原敵の舟のゆきちがふ處に熊手をうちかけて、おや子主従十四五人のりうつり、うち物むいて、ともへにさん/\にないでまはる。","329F","  ","巻第十一","鶏合壇浦合戰" "○是のみぞおもふ事」との給へば、飛騨三朗左衛門景經御へに候けるが、「是うけ給はれ、侍ども」とぞ下知しける。","329N",,"巻第十一","鷄合檀浦合戦" "○越中次郎兵衛申けるは、「おなじくは大将軍の源九郎にくん給へ。九郎は色しろうせちいさきが、むかばのことにさしいでてしるかんなるぞ。ただし直垂と鎧をつねにきかふなれば、きと見分けがたかん也」とぞ申ける。","330C",,"巻第十一","鷄合檀浦合戦" "○上總惡七兵申けるは「心こそたけくとも、其小冠者、なに程の事かあるべき。","330F",,"巻第十一","鷄合檀浦合戦" "○かうべをはね候ばや」と申されければ、大臣殿「見えたる事もなうて、いかゞ頚をばきるべき。","330I",,"巻第十一","鷄合檀浦合戦" "○源氏は三千餘艘の船なれば、せいのかずさこそおほかりけめども、處々よりゐければ、いずくに勢兵ありともおぼえず。","331F","  ","巻第十一","鶏合壇浦合戦" "○和田小太郎是をきゝ「やすからぬ事也」とて、小船にのてこぎいださせ、平家のせいのなかをさしつめさんざんにゐければ、おほくの物どもゐころされ、手負にけり。","332I",,"巻第十一","遠矢" "○「給て見候はん」とて、つまよて「是はすこしよはう候。矢づかもちとみじかう候。おなじうは義成が具足にてつかまつり候はん」とて、ぬりごめ藤の弓の九尺ばかりあるに、ぬりのにくろぼろはいだる矢の、わが大手にをしにぎて、十五束ありけるをうちくはせ、よぴいてひやうどはなつ。","333E",,"巻第十一","遠矢" "○大臣殿これを御らんじて、小博士晴信をめして、「いるかはつねにおほけれども、いまだかやうの事なし。","334C",,"巻第十一","遠矢" "○二位殿はこの有様を御らんじて、日ごろおぼしめしまうけたる事なれは、にぶ色のふたつぎぬうちかづき、ねりばかまのそばたかくはさみ、神璽をわきにはさみ、寶劒を腰にさし、主上をいだきたてまいるなり。","336A",,"巻第十一","先帝身投" "○御ぐしくろうゆらゆらとして、御せなかすぎさせ給へり。","336G",,"巻第十一","先帝身投" "○この國は心うきさかゐにてさぶらへば、極楽浄土とてめでたき處へぐしまいらせさぶらふぞ」と、なく/\申させ給ひければ、山鳩色の御衣にびんづらゆはせ給て、御涙におぼれ、ちいさくうつしき御手をあはせ、まづ東をふしをがみ、伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ、其後西にむかはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがていだき奉り、「浪のしたにも都のさぶらうぞ」となぐさめたてまて、ちいろの底へぞいり給ふ。","336O","  ","巻第十一","先帝身投" "○凡夫は見たてまつらぬ事ぞ」殿給へば、兵どもみなのきにけり。","338G",,"巻第十一","能登殿最期" "○景經うち甲をゐさせてひるむ處に、堀矢太郎のりうつて、三郎左衛門にくんでふす。","339L","  ","巻第十一","能登殿最期" "○矢だねのある程ゐつくして、けふを最後とやおもはれけん、赤地の錦の直垂に、唐綾おどしの鎧きて、いかものづくりの大太刀ぬき、白柄の大長刀のさやをはづし、左右にもつてなぎまはり給ふに、おもてをあはする物ぞなき。","340C",,"巻第十一","能登殿最期" "○新中納言「見るべき程の事は見つ、いまは自害せん」とて、めのと子の伊賀平内左衛門家長をめして、「いかに、約束はたがうまじきか」との給へば、「子細にや及候」と、中納言に鎧二領きせ奉り、我身も鎧二領きて、手をとりくで海へぞ入にける。","342@",,"巻第十一","内侍所都入" "○海上には赤旗赤印なげすて、かなぐりすてたりければ、龍田川の紅葉ばを嵐の吹きちらしたるがごとし。","342F",,"巻第十一","内侍所都入" "○國母官女は東夷西戎の手にしたがひ、臣下卿相は數万の軍旅にとらはされて、舊里に歸り給ひしに、或は朱買臣が錦をきざる事をなげき、或は王昭君が胡國におおむきし恨もかくやとぞかなしみ給ひける。","343D",,"巻第十一","内侍所都入" "○同四月三日、九郎大夫判官義經、源八廣綱をも(ッ)て、院御所へ奏聞しけるは、去三月廿四日、豐前國田の浦、門司關、長門國壇浦、赤間關にて平家をせめおとし、三種神器事ゆへなく返し入奉るよし申たりければ、院中の上下騒動す。","343G",,"巻第十一","内侍所都入" "●帥のすけ殿つくづく月をながめ給ひ、いとおもひのこすこともおはせざりければ、涙にとこもうくばかりにて、かうぞおもひつゞけ給ふ。","344A",,"巻第十一","内侍所都入" "○其夜の子の剋に、内侍所しるしの御箱太政官の廳へいらせ給ふ。","344M",,"巻第十一","内侍所都入" "○この劒の由来を申せば、昔素戔鳥の尊、出雲國曾我のさとに宮づくりし給ひしに、そのところに八いろの雲常にたちければ、尊これを御らんじて、かくぞ、詠じ給ひける。","345E","  ","巻第十一","劒" "○八雲たつ出雲八へがきつまごめにやへがきつくるその八重がきを是を三十一字のはじめとす。","345H",,"巻第十一","劒" "○いま一人のこるところの少女、又のまれんとす。","346@","  ","巻第十一","劒" "○いく千年をへたりといふ事をしらず。まなこは日月の光のごとし。","346C",,"巻第十一","劒" "○あまの村雲の劒は、崇神天皇より景行天皇までは三代は、天照大神の社檀にあがめをかれたりけるを、景行天皇の御宇四十年六月に、東夷反逆のあひだ、御子日本武尊御心もかうに、御力も人にすぐれておはしければ、精選にあたてあづまへくだり給ひし時、天照大神へまいて御いとま申させ給ひけるに、御いもうといつきの尊をもて、「謹でおこたる事なかれ」とて、靈劒を尊にさづけ申給ふ。","347H",,"巻第十一","劒" "○さて駿河國にくだり給ひたりしかば、其ところの賊徒等「この國は鹿のおほう候。","347I","  ","巻第十一","劒" "○尊猶へいて、三箇年があひだところどころの賊徒をうちたいらげ、國々の凶黨をせめしたがへてのぼらせ給ひけるが、道より御悩つかせ給ひて、御年卅と七月に、尾張國熱田のへんにてつゐにかくれさせ給ひぬ。","347O","  ","巻第十一","劒" "○其たましゐはしろき鳥となて天にあがりけるこそふしぎなれ。","348B",,"巻第十一","劒" "○陽成院長病にをかされまし/\て、靈劔をぬかせ給ひければ、夜るのおとゞひら/\として電光にことならず。","348I",,"巻第十一","劔" "○末代澆季なりとも、帝運のきはまる程の御事はあらじかし」と申されければ、其中にある博士のかんがへ申けるは、「むかし出雲國ひの川上にて、素戔烏の尊にきりころされたてまつし大蛇、靈劒をおしむ心ざしふかくして、八のかしら八の尾を表事として、人王八十代の後、八歳の帝となて靈劒をとりかへして、海底に沈み給ふぬこそ」と申す。","349B",,"巻第十一","劒" "○御心ならず平家にとられさせ給ひて、西海の上にたゞよはせ給ひ、三とせをすごさせ給ひしかば、御母儀も御めのと持明院の宰相も御心ぐるしき事におもはれけるに、別の御事なくかへりのぼらせ給ひたりしかば、さしつどひてみな悦びなきどもせられけり。","349K",,"巻第十一","一門大路渡" "○右衛門督はしろき直垂にて、車のしりにぞのられたる。","350B",,"巻第十一","一門大路渡" "○人は顧る事をえず。","350K",,"巻第十一","一門大路渡" "○車は輪をめぐらす事あたはず。","350L",,"巻第十一","一門大路渡" "○都をいでて中一年、無下にまじかき程なれば、めでたかりし事もわすれず。","350N",,"巻第十一","一門大路渡" "○ましてなれちかづきける人々の、いかばりの事をかおもひけん。","351A",,"巻第十一","一門大路渡" "○おなじく壇の浦にていけどりにせられたりし侍ども廿余人しろき直垂きて、馬のうへにしめつけてぞわたされける。","352K",,"巻第十一","一門大路渡" "○其夜の子剋に、内侍所、太政官の廳より榲明殿へいらせ給ふ。","353I",,"巻第十一","鏡" "○主上行幸なッて、三か夜臨時の御神樂あり。","353J",,"巻第十一","鏡" "○さて天照大神、天の岩戸にとぢこもらせ給ひて、天下くらやみとな(ッ)つぁりしに、八百万代の神たち神あつまりにあつま(ッ)て、岩戸の口にて御神樂をし給ひければ、天照大神感にたえさせ給はず、岩戸わほそめにひらき見給ふに、互にかほのしろく見えけるより面白といふ詞ははじまりおけるとぞうけ給はる。","354J",,"巻第十一","鏡" "○如法夜半の事なれば、内侍も女官もまいりあはずして、かしこ所をいだし奉るにも及ばず。","355B",,"巻第十一","鏡" "○いかゞせんずる」との給へば、中將申されけるは、「判官はおほ方もなさけある物にて候なるうへ、女房などのうちたへなげく事をば、いかなる大事をももてはなれぬとうけ給はり候。","356E",,"巻第十一","文之沙汰" "○なみ/\の人に見せんとはかけてもおもはざりし物を」とてなかれければ、中將「今は其事ゆめ/\おぼしめしよらせ給ふべからず。","356J",,"巻第十一","文之沙汰" "○たふほくの姫君の十八になり給ふを」と申せれけれども、大納言それをば猶かなしき事におぼして、さけの腹の姫君の廿三になり給ふをぞ、判官には見せられける。","356L",,"巻第十一","文之沙汰" "○さて女房件のふみの事をの給ひいだしたりければ、判官あまさへ封をもとかず、いそぎ時忠卿もとへをくられけり。","357B",,"巻第十一","文之沙汰" "○鎌倉の源二位何事をかしいだしたる。","357G",,"巻第十一","文之沙汰" "○世は一向判官のまゝにてあらばや」などいふ事を、源二位もれきいて、「こはいかに、頼朝がよくはからひて兵をさしのぼすればこそ、平家はたやすうほろびたれ。","357H",,"巻第十一","文之沙汰" "○恩愛の道はおもひきられぬ事にて候也。","358B",,"巻第十一","副將被斬" "○今一度見候ばや」とのたまひつかはされたりければ、判官の返事には、「誰も恩愛はおもひきられぬ事にて候へば、誠にさこそおぼしめされ候らめ」とて、河越小太郎重房があづかりたてまたりけるを、大臣殿の[許へ]若君いれたてまつるべきよしの給ひけれは、人に車かてのせたてまつり、女房二人つきたてまつりしも、ひとつ車にのりぐして、大臣殿へぞまいられける。","358D",,"巻第十一","副將被斬" "●さしはなて、めのとなどのもとへつかはすな」といひしことが不便さに、あの右衛門督をば、朝敵をたいらげん時は大將軍せさせんずればとて、名を副將とつけたりしかば、なのめならずうれしげにおもひて、すでにかぎりの時までも名をよびなどしてあひせしが、なぬかといふにはかなくなりてあるぞとよ。","359A",,"巻第十一","副將被斬" "○此子を見るたびごとには、その事がわすれがたくおぼゆるなり」とて涙もせきあへ給はねば、守護の武士どももみな袖をぞしぼりける。","359E",,"巻第十一","副將被斬" "○さてしもあるべき事ならねば、めのとの女房いだきとて、御車にのせ奉り、二人の女房どもも袖を皃にをしあてて、泣々いとま申つゝ、ともにのてぞいでにける。","359L",,"巻第十一","副將被斬" "○大臣殿はうしろをはるかに御覧じをくて、「日来の戀しさは事のかずならず」とぞかなしみ給ふ。","359O",,"巻第十一","副將被斬" "○やう/\おいたち給ふまゝに、みめかたちうつくしく、心ざまゆうにおはしければ、大臣殿もかなしういとをしき事におばして、西海の旅の空、浪のうへ船のうちのすきまひにも、かた時もはなれ給はず。","360C",,"巻第十一","副將被斬" "○重房が郎等太刀をひきそばめて、左の方より御うしろに立まはり、すでにきりたてまつらんとしけるを、わか公見つけ給て、いく程のがるべき事のやうに、いそぎめのとのふところのうちへぞ入給ふ。","361C",,"巻第十一","副將被斬" "○其後五六日して、桂川に女房二人身をなげたる事ありけり。","362@",,"巻第十一","副將被斬" "○梶原さきだて鎌倉殿に申しけるは、「日本國は今のこるところなうしたがひたてまつり候。","363C","  ","巻第十一","腰越" "○二本國をしづむる事、義仲・義經・がしわざにあらずや。","364G",,"巻第十一","腰越" "◎さればこは何事ぞ。","364G",,"巻第十一","腰越" "○謝するところをしらず」とつぶやかれけれども、またく不忠なきよし、たび/\起精文をもて申されけれども、景時が懺言によて、鎌倉殿もちゐ給はねば、憔官泣々一通の状をかいて、廣基野もとへとかはす。","364J","  ","巻第十一","腰越" "○勳賞おこなはるべき處に、虎口の讒言によてむなしく紅涙にしづむ。","364O","  ","巻第十一","腰越" "○事あたらしき申状、述懐に似たりといへども、義經身躰髪膚を父母にうけて、いくばくの時節をへず故守殿御他界の間、みなし子となり、母の懐のうちにいだかれて、大和國宇多郡におもむきしよりこのかた、いまだ一日片時安堵のおもひに住せず。","365E",,"巻第十一","腰越" "○しかれども高慶忽に純熟して、平家の一族追討のために上洛せしむる手あはせに、木曽義仲を誅戮の後、平氏をかたむけんがために、或時は峨々たる巖石に駿馬に鞭うて、敵のために命をほろぼさん事を顧ず或時は漫々たる大海に風波の難をしのぎ、海底にしずまん事をいたまずして、かばねを鯨鯢の鰓にかく。","365M",,"巻第十一","腰越" "○あまさへ義經五位尉に補任の条、當家の重職何事か是にしかん。","366A",,"巻第十一","腰越" "○馮處他にあらず。","366E","  ","巻第十一","腰越" "○おはしける〔所〕、庭をひとつへだててむかへなる屋にすへたてまつり、簾のうちより見いだし、比企藤四郎能員を使者で申されけるは、「平家の人々に別の異趣おもひたてまつる事、努々候はず。","367@","  ","巻第十一","大臣殿被斬" "○流罪になだめられし事、ひとへに入道殿の御恩也。","367D",,"巻第十一","大臣殿被斬" "○檻井のうちにあるに及で、尾を動かして食をもとむとて、たけひ虎のふかい山にある時は、もゝのけだ物おぢをそるといへども、とておりの中にこめられぬる時は、尾をふて人にむかふらにゃうに、いかにたけき大將軍なれども、加様になて後は心かはる事なれば大臣殿もかくおはずるにこそ」と申ける人もありけるとかや。","368A",,"巻第十一","大臣殿被斬" "○大臣殿はいますこしも日數ののぶるをうれしき事におもはれけり。","368F",,"巻第十一","大臣殿被斬" "○尾張國うつみといふ處あり。","368H","  ","巻第十一","大臣殿被斬" "○こゝは故左馬頭義朝が誅せられし所なれば、これにてぞ一定とおもはれけれどもそれをもすぎしかば、大臣殿すこしたのもしき心いできて、「さては命のいきんずるやらん」との給ひけるこそはかなけれ。","368H","  ","巻第十一","大臣殿被斬" "○昨日まではおや子一所におはしけるをけさよりひきはなて、別の所にすへたてまつりければ、「さてはけふを最後にてあるやらん」と、いとゞ心ぼそうぞおもはれける。","369A","  ","巻第十一","大臣殿被斬" "○手をとりくんでもをはり、たとひ頚はおつとも、むくろはひとつ席にふさんとこそおもひつるに、いきながらわかれぬる事こそかなしけれ。","369E",,"巻第十一","大臣殿被斬" "○十七年が間、一日片時もはなるゝ事なし。","369E",,"巻第十一","大臣殿被斬" "○今生の御榮花一時ものこるところなし。","369K","  ","巻第十一","大臣殿被斬" "○されば佛も「我心自空、罪福無主、觀ずるが、まさしく佛の御心にあひかなふ事にて候也。","370E",,"巻第十一","大臣殿被斬" "○いかなれば弥陀如来は、五劫が間思惟して、發がたき願を發しましますに、いかなる我等なれば、億々万劫が間生死に輪廻して、寳の山に入て手を空うせん事、恨のなかの恨、愚なるなかの口惜い事に候はずや。","370G",,"巻第十一","大臣殿被斬" "○大臣殿しかるべき善知識かなとおぼしめし、忽に妄念ひるがへして、西にむかいひ手をあはせ、高聲に念佛し給ふ處に、橘右馬允公長、太刀をひきそばめて、左の方より御うしろにたちまはり、すでにきりたてまつらんとしければ大臣殿念佛をとゞめて「右衛門督もすでにか」との給ひけるこそ哀れなれ。","370J","  ","巻第十一","大臣殿被斬" "○御心やすうおぼしめされ候へ」と申されければ、涙をながし悦て、「今はおもふ事なし。","371E",,"巻第十一","大臣殿被斬" "○三位以上の人の頚、大路をわたして獄門にかけらるゝ事、異國には其例もやあるらん、吾朝にはいまだ先蹤をきかず。","371K",,"巻第十一","大臣殿被斬" "○三位中將一谷でいけどりにせられ給ひし後も、先帝につきまいらせおはせしが、壇の浦にて海にいらせ給しかば、ものゝふのあけらけなきにとらはれて、舊里に帰り、姉の大夫三位に同宿して、日野といふ所におはしけり。","372I","  ","巻第十一","重衡被斬" "○中將の露の命、草葉の末にかゝてきえやらぬときゝ給へば、夢ならずして今一度見もし見えもする事もやとおもはれけれども、それもかなはねば、なくより外のなぐさめなくて、あかしくらし給ひけり。","372J",,"巻第十一","重衡被斬" "○三位中將守護の武士にの給ひけるは、「此程事にふれてなさけふかう芳心おはしつるこそありがたううれしけれ。","372L",,"巻第十一","重衡被斬" "○同くは最後に芳恩かぶりたき事あり。","373A",,"巻第十一","重衡被斬" "○我は一人の子なければ、この世におもひをく事なきに、年来あひぐしたりし女房の、日野といふところにありときく。","373A",,"巻第十一","重衡被斬" "○いま一度對面して、後生の事を申をかばやとおもふなり」とて、片時のいとまをこはれけり。","373C",,"巻第十一","重衡被斬" "○中将なのめならず悦て、「大納言佐殿の御局はこれにわたらせ給候やらん。本三位中将殿の只今奈良へ御とをり候が、立ながら見参に入ばやと仰候」と、人をいれていはせければ、北方聞もあらず「いづらいづら」とてはしりいでて見給へば、藍摺の直垂に折烏帽子きたる男の、やせくろみたるが、縁によりゐたえうぞなりける。","373I",,"巻第十一","重衡被斬" "○いかにもして今一度御すがたをみたてまつらばやとおもひつるに、いまは露ばかりもおもひをく事なし。","374@",,"巻第十一","重衡被斬" "○出家して形見にかみをもたてまつらばやとおもへども、ゆるされなければ力及ばず」とて、ひたゐのかみをすこしひきわけて、口のよぶところをくひきて、「是を形見に御らんぜよ」","374B","  ","巻第十一","重衡被斬" "○いままでのびつるは、「もしや」とおもふたのみもありつる物を」とて、昔いまの事どもの給ひかはすにつけても、たゞつきせぬ物は涙也。","374I",,"巻第十一","重衡被斬" "○北方「それもさる事にてさぶらへども、はかなき筆の跡こそながき世のかたみにてさぶらへ」とて、御硯をいだされたりければ、中將なく/\一首の歌をぞかゝれける。","374M",,"巻第十一","重衡被斬" "○又こん世にてこそ見たてまつらめ」とていで給へども、まことに此世にてあひ見ん事は、是ぞかぎりとおもはれければ、今一度たちかへりたくおぼしけれども、心よはくてはかなはじと、おもひきてぞいでられける。","375H",,"巻第十一","重衡被斬" "○すでに只今きりたてまつらんとする處にはせつゐて、千万立かこうだる人の中をかきわけ/\、三位中將のおはしける御そばちかうまいりたり。","376H","  ","巻第十一","重衡被斬" "○いま重衡が逆罪をおかす事、またく愚意の發起にあらず、只世に隨ふことはりを存斗也。","377D",,"巻第十一","重衡被斬" "○かれといひ、是といひ、辞するに所なし。","377F","  ","巻第十一","重衡被斬" "○日来の惡行はさる事なれども、いまのありさまも見たてまつるに、數千人の大衆も守護の武士も、みな涙をぞながしける。","377K",,"巻第十一","重衡被斬" "○さてもあるべきならねば、其邊に法界寺といふ處にて、さるべき僧どもあまたかたらひて、孝養あり。","378D","  ","巻第十一","重衡被斬" "○但故中納言のおもひいずるところどころのあるは、さにこそ」とてなかれけるにこそ、伊賀大夫の頚共人してげれ。","419K","  ","巻第十一","六代被斬" "○こはいかにしつる事ぞやとて、上下遣戸障子をたて、天のなり地のうごくたびごとには、只今ぞしぬるとて、こゑごゑに念佛申おめきさけぶおびたゝし。","380D",,"巻第十二","大地震" "○七八十・九十の者も世の滅するなどいふ事は、さすがけふあすとはおもはずとて、大に驚さはぎければ、おさなきもの共も是をきいて、泣かなしむ事限りなし。","380G",,"巻第十二","大地震" "○其は上代の事なれば申にをよばず。","381B",,"巻第十二","大地震" "○今度の事は是より後もたぐひあるべしともおぼえず。","381B",,"巻第十二","大地震" "○昔より今に至るまで、怨靈はおそろしき事なれば、世もいかゞあらんずらむとて、心ある人の歎かなしまぬはなかりける。","381D",,"巻第十二","大地震" "○去治承四年のころとりいだしてたてまたりけるは、まことの左馬頭のかうべにはあらず、謀反をすゝめ奉らんためのはかり事に、そゞろなるふるいかうべをしろい布につゝんでたてまたりけるに、謀反をおこし世をうちとて、一向父の頸と信ぜられけるところへ、又尋出してくだりけり。","381K","  ","巻第十二","紺掻之沙汰" "○是は年ごろ義朝の不便にしてめしつかはれける紺かきの男、年来獄門にかけられて、後世とぶらふ人もなかりし事をかなしんで、時の大理にあひ奉り、申給はりとりおろして、「兵衞佐殿流人でおはすれども、すゑたのもしき人なり、もし世に出てたずねらるゝ事もこそあれ」とて、東山圓覚寺といふところにふかうおさめてをきたりけるを、文覚聞出して、かの紺かき男ともにあひ具して下りけるとかや。","382@",,"巻第十二","紺掻之沙汰" "○是を見る大名小名、みな涙をながさずといふ事なし。","382G",,"巻第十二","紺掻之沙汰" "○公家にもかやうの事をあはれと思食て、故左馬頭義朝の墓へ内大臣二位を贈らる。","382I",,"巻第十二","紺掻之沙汰" "○そのなかに、平大納言は建礼門院の吉田にわたらせ給ふところにまいて、「時忠こそせめおもうして、けふ既に配所へおもむき候へ。","383E","  ","巻第十二","平大納言被流" "○おなじみやこの内に候て、御あたりの御事共うけ給はらまほしう候つるに、つゐにいかなる御ありさまにてわたらせ給候はんずらむと思をきまいらせ候にこそ、ゆく空もおぼゆまじう候へ」と、なく/\申されければ、女院、「げにもむかしの名残とては、そこばかりこそおはしつれ。","383G",,"巻第十二","平大納言被流" "●かへりこむことはかた田にひくあみの目にもたまらぬわがなみだかな昨日は西海の波の上にたゞよひて、怨僧懷苦の恨を扁舟の内につみ、けふは北國の雪のつたに埋れて、愛別離苦のかなしみを故郷の雲にかさねたり。","384O",,"巻第十二","平大納言被流" "○勧賞おこなはるべき處、いかなる子細あてかかゝる聞えあるらむと、かみ一人をはじめ奉り、しも万民に至るまで、不審をなす。","385F","  ","巻第十二","土佐房被斬" "○此事は、去春、攝津國渡辺よりふなぞろへして八嶋へわたり給ひしとく、逆櫓たてうたてじの論をして、大きにあざむかれたりしを、梶原遺恨におもひて常は議言しけるによてなり。","385G",,"巻第十二","土佐房被斬" "○御詞にて申せと候しは、『「當時まで都に別の子細なく候事、さて御渡候ゆへとお〓ぼえ候。","386E",,"巻第十二","土佐房被斬" "○和僧のぼせて物詣する様にてたばかてうて」とぞ仰付られたるらんな」との給へば、昌俊大に驚て、「何によてか只今さる事の候べき。","386J",,"巻第十二","土佐房被斬" "○見参をだにし給はで、おひのぼせらるゝ事はいかに」。","386L",,"巻第十二","土佐房被斬" "○昌俊「其事はいかゞ候らん、身にをいてはまたく御腹ぐろ候はず。","386L",,"巻第十二","土佐房被斬" "○昌俊一旦の害をのがれんがために、居ながら七枚の起請文をかいて、或やいてのみ、或社に納などして、ゆりてかへり、大番衆にふれめぐらして其夜やがてよせんとす。","387A",,"巻第十二","土佐房被斬" "○しづかもかたはらを立さる事なし。","387C",,"巻第十二","土佐房被斬" "○是に打乗て、「門をあけよ」とて門あけさせ、今や/\と待給ふ處に、しばしあてひた甲四五十騎門の前におしよせて、時をどとぞつくりける。","387O","  ","巻第十二","土佐房被斬" "○僧正が谷といふ所二かくれゐたりけるとかや。","388J","  ","巻第十二","土佐房被斬" "○土佐房すこしもさはがず、居なをり、あざわらて申けるは、「ある事にかいて候へば、うてて候ぞかし」と申。","388M",,"巻第十二","土佐房被斬" "○昌俊がきらるゝをみて、新三郎夜を日についで馳下り、鎌倉殿に此由申ければ、舎弟參河守範頼を討手にのぼせ給ふべきよし仰られけり。","389H",,"巻第十二","判官都落" "○全不忠なきよし、一日に十枚ずづゝの起請を、晝はかき、夜は御坪の内にて讀あげ/\、百日に千枚の起請を書てまいらせられたりけれども、かなはずして終にうたれ給ひけり。","389L",,"巻第十二","判官都落" "○其後北条四郎時政を大將として、討手のぼると聞えしかば、判官殿鎭西のかたへ落ばやとおもひたち給ふ處に、緒方三郎維義は、平家を九國の内へも入奉らず、追出すほどの威勢のものなりければ、判官「我にたのまれよ」とぞの給ひける。","390B","  ","巻第十二","判官都落" "○同十一月二日、九郎大夫判官院御所へまいて、大蔵卿泰經朝臣をもて奏聞しけるは、「義經君の御為に奉公の忠を致事、ことあたらしう初て申上にをよび候はず。","390I",,"巻第十二","判官都落" "○院廳の御下文を一通下預候ばや」と申ければ、法皇「此條頼朝がかへりきかん事いかゞあるべからむ」とて、諸卿に仰合られければ、「義經都に候て、關東の大勢みだれ入候ば、京都〔の〕狼藉たえ候べからず。","390L",,"巻第十二","判官都落" "○攝津國源氏太田太郎頼基「わが門の前をとをしながら、矢一射かけであるべきか」とて、河原津といふ所におついてせめたゝかふ。","391D","  ","巻第十二","判官都落" "○忽に西のかぜふきける事も、平家の怨靈のゆへとぞおぼえける。","391O",,"巻第十二","判官都落" "○朝の怨敵をほろぼしたるものは、半國を給はるといふ事、無量義經に見えたり。","392G",,"巻第十二","吉田大納言の沙汰" "○「是は過分の申状なり」と、法皇仰なりけれ共、公卿僉議あて、「頼朝卿の申さるゝ所、道理なかばなり」とて、御ゆるされありけるとかや。","392I","  ","巻第十二","吉田大納言の沙汰" "○鎌倉殿かやうの事人おほしといへ共、吉田大納言經房卿をもて奏聞せられけり。","392L",,"巻第十二","吉田大納言の沙汰" "○げらうの子なれども、いろしろう見めよきをばめしいだいて、「是はなんの中将殿の若君、彼少将殿の君達」と申せば、父母なきかなしめども、「あれは介惜が申候」。","394@",,"巻第十二","吉田大納言の沙汰" "○いかにもしてとり奉らむとて、手をわけてもとめられけれども、尋かねて、既に下らんとせられける處に、ある女房の六波羅に出て申けるは、「是より西、遍照寺のおく、大覺寺と申山寺の北のかた、菖浦谷と申所にこそ、小松三位中將殿の北方・若君・姫公おはしませ」と申せば、時政頓て人をつけて、そのあたりをうかゞはせける程に、或坊に、女房達おさなき人あまた、ゆゝしくしのびたるていにてすまゐけり。","394H","  ","巻第十二","六代" "○まがきのひまよりおのぞきければ、白いゑのこの走出たるをとらんとて、うつくしげなる若公の出給へば、めのとの女房とおぼしくて、「あなあさまし。人もこそ見まいらすれ」とて、いそぎひき入奉る。","394M",,"巻第十二","六代" "○やゝあてかさねて申されけるは、「世もいまだしづまり候はねば、しどけなき事もぞ候とて、御ぬかへにまいて候。","395J",,"巻第十二","六代" "○さてもあるべきならねば、母うへなくなく御ぐしかきなで、ものきせ奉り、既に出し奉らむとしたまひけるが、黒木のずずのちいさううつくしいをとりいだして、「是にていかにもならんまで、念仏申て極楽へまいれよ」とて奉り給へば、若君是をとて、「母御前にはなれまいらせなんず。今はいかにもして、父のおはしまさん所へぞまいりたき」との給ひけるこそ哀れなれ。","396B",,"巻第十二","六代" "○今はいかにもして、父のおはしまさん所へぞまいりたき」との給ひけるこそ哀れなれ。","396E","  ","巻第十二","六代" "○人の子はめのとなどのもとにをきて、時々見る事もあり。","397B",,"巻第十二","六代" "○此三とせが間、よるひろきも心をけしつゝ、おもひまうけつる事なれども、さすが昨日今日とはおもひよらず。","397G",,"巻第十二","六代" "○年ごろは長谷の観音をこそふかうたのみ奉りつるに、終にとられぬる事のかなしさよ。","397I",,"巻第十二","六代" "○只今もやうしなひつらん」とかきくどき、泣より外の事ぞなき。","397J",,"巻第十二","六代" "○さ夜もふけけれどむねせきあぐる心ちして、露もまどろみ給はぬが、めのとの女房にの給ひけるは、「たゞいまちとうちまどろみたりつる夢に、此子がしろい馬にのりて來りつるが、「あまりに戀しうおもひまいらせ侯へば、しばしのいとまこうてまいりて侯」とて、そばについゐて、何とやらん、よにうらめしげに思ひて、さめ/\゛と泣つるが、程なくうちおどろかれて、もしやとかたはらをさぐれども人もなし。","397J",,"巻第十二","六代" "○夢なり共しばしもあらで、さめぬる事のかなしさよ」とぞかたり給ふ。","398@",,"巻第十二","六代" "○長夜もいとゞ明しかねて、涙に床も浮ばかり也。","398@",,"巻第十二","六代" "○限あれば、鷄人曉をとなへて夜も明ぬ。","398B",,"巻第十二","六代" "○只今までは別の事も候はず。","398E",,"巻第十二","六代" "○母うへ是を見給ひて、とかうの事もの給ず。","398F",,"巻第十二","六代" "○その聖文覺房と申人こそ、鎌倉殿にゆゝしき大事の人におもはれまいらせておはしますが、上臈の御子を御弟子にせんとてほしがらるなれ」と申ければ、うれしき事をきゝぬと思ひて、母うへにかく共申さず、たゞ一人高雄に尋入り、聖にむかひ奉て、「ちのなかよりおほしたてまいらせて、ことし十二にならせ給ひつる若君を、昨日武士にとられてさぶらふ。","398O",,"巻第十二","六代" "○聖むざんにおぼえければ事の子細をとひ給ふ。","399D",,"巻第十二","六代" "○此詞をたのむべきにはあらね共、聖のかくいへば、今すこし人の心ちいできて、大覺寺へかへりまいり、母うへにかくと申せば、「身をなげに出ぬるやらんとおもひて、我もいかならん渊河にも身をなげんと思ひたれば」とて、事の子細をとひ給ふ。","399K",,"巻第十二","六代" "○聖六波羅にゆきむかて、事の子細をとひ給ふ。","399N",,"巻第十二","六代" "○いかにも尋いだして失ふべし」と仰せを蒙て候しが、此程すゑ/\のおさなき人々をば少々取奉て候つれ共、此若公は在所をし奉らで、尋かねて既むなしう罷ざる外、一昨日聞出して、昨日むかへ下らむとし候つるが、おもは奉て候へども、なのめならずうるくしうおはする間、あまりにいとおしくて、いまだともかうもし奉らでをきまいらせて候」と申せば、聖、「いでさらば見奉らむ」とて、若公のおはしける所へまいて見まいらせ給へば、ふたへおりものの1直垂に、黒木の數珠手にぬき入ておはします。","400F","  ","巻第十二","六代" "○たとひ末の世に、いかなるあた敵になるともいかゞ是を失ひ奉るべきとかなしうおぼえければ、北条にの給ひけるは、「此若君を見奉るに、先世の事にや候らん、あまりにいとおしうおもひ奉り候。","400M",,"巻第十二","六代" "●聖鎌倉殿を世にあらせ奉らむとて、我身も流人でありながら、院宣うかゞふて奉らんとて、京へ上るに、案内もしらぬ富士川の尻によるわたりかゝッて、既におしながされんとしたりし事、高市の山にてひッぱぎにあひ、手をすッて命ばかりいき、福原の籠の御所へまいり、前右兵衞督光能卿につき奉て、院宣申いだいて奉しときのやくそくには、「いかなる大事をも申せ。聖が申さむ事をば、頼朝が一期の間はかなへん」とこその給ひしか。","401@",,"巻第十二","六代" "○聖が申さむ事をば、頼朝が一期の間はかなへん」とこその給ひしか。","401D",,"巻第十二","六代" "○其後もたび/\の奉公、かつは見給ひし事なれば、事あたらしうはじめて申べきにあらず。","401E",,"巻第十二","六代" "○「何となりぬる事やらん」と、なか/\心ぐるしうて、今更またもだえこがれ給ひけり。","401O",,"巻第十二","六代" "○「あはれおとなしやまならむものの、聖の行あはん所まで六代をぐせよといへかし。」","402F","  ","巻第十二","六代" "○齋藤五・齋藤六涙にくれてゆくさきもみえぬ共、最期の所までとおもひつゝ、泣々御供にまいりけり。","403G","  ","巻第十二","六代" "○北条四郎若君の御まゑちかうまいて申けるは、「是まで具しまいらせ候つるは、別の事候はず。","404C",,"巻第十二","六代" "○「さらばあれきれ、これきれ」とて、切手をえらぶ處に、墨染の衣袴きて月毛なる馬にのたる僧一人、鞭をあげてぞ馳たりける。","405D","  ","巻第十二","六代" "○既に只今切り奉らむとする處に、馳ついて、いそぎ馬より飛おり、しばらくいきを休て、「若公ゆるさせ給ひて候。","405E","  ","巻第十二","六代" "○聖若公を請とり奉て、夜を日についで馳のぼる程に、尾張國熱田の邊にて、今年も既に暮ぬ。","406K",,"巻第十二","泊瀬六代" "○明る正月五日の夜に入て、都へのぼりつく。","406L",,"巻第十二","泊瀬六代" "○二條猪熊なる所に文覺房の宿所ありければ、それに入奉て、しばらくやすめ奉り、夜半ばかり大覺寺へぞおはしける。","406M","  ","巻第十二","泊瀬六代" "○築地のくづれより若公のかひ給ひけるしろいゑのこのはしり出て、尾をふてむかひけるに、「母うへはいづくにましますぞ」ととはれけるこそせめて事なれ。","407B",,"巻第十二","泊瀬六代" "○ちかう人の住たる所とも見えず。","407C","  ","巻第十二","泊瀬六代" "○「いかにもしてかひなき命をいかばやと思ひしも、戀しき人々を今一度見ばやとおもふため也。こはされば何ちなり給ひけるぞや」とて、夜もすがら泣かなしみ給ふぞまことにことはりと覺て哀なる。","407E",,"巻第十二","泊瀬六代" "○夜を待あかして近里の者に尋給へば、「年のうちに大佛まいりとこそうけ給侯しか。正月の程は長谷寺に御こもりと聞え侯しが、其後は御宿所へ人の通ふとも見侯はず」と申ければ、齋藤五いそぎ馳まいッて尋あひ奉り、此よし申ければ、母うへ・めのとの女房つや/\うつつともおぼえ給はず、「是はさらば夢か」とぞの給ひける。","407F",,"巻第十二","泊瀬六代" "○観音の大慈大悲は、つみあるもつみなきをもたすけ給へば、昔もかゝるためし多しといへども、ありがたかりし事共なり。","407O",,"巻第十二","泊瀬六代" "○さうなうからむる事はいかに。","408I",,"巻第十二","泊瀬六代" "○十郎藏人の宿は二所あり。","408K","  ","巻第十二","泊瀬六代" "○俄に落ぬる事なれば、たれにもしらせじなれども、具して京へぞのぼりける。","409@",,"巻第十二","泊瀬六代" "○藏人は熊野の方へ落けるが、只一人ついたりける侍、足をやみければ、和泉國八木郷といふ所に逗留してこそゐたりけれ。","409C","  ","巻第十二","泊瀬六代" "○彼家主の男、藏人を見しッて夜もすがら京へ馳もぼり、北条平六につげたりければ、「天王寺の手の者はいまだのぼらず。誰をかやるべき」とて、大源次宗春といふ朗等をとうで、「汝が宮たてたりし山僧はいまだあるか。」","409C",,"巻第十二","泊瀬六代" "○常陸房大路にたて見れば、百姓の妻とおぼしくて、おとなしき女のとをりけるをとらへて、「此邊にあやしばうだる旅人のとゞまたる所やある。","409M","  ","巻第十二","泊瀬六代" "○うへになり下になり、ころびあふ處に、大源次つといできたり。","41014","  ","巻第十二","泊瀬六代" "○あれに見えさぶらふおほやにこそいまはさぶらふなれ」といひければ、常陸房黒革威の腹巻の袖つけたるに、大だちはいて彼家に走入てみれば、歳五十ばかりなる男の、かちの直垂におり烏帽子きて、唐瓶小菓子などとりさばくり、銚子どももて酒すすめむとする処に、物具したる法師のうち入をみて、かいふいてにげければ、やがてつづいておかけたり。","410@",,"巻第十二","泊瀬六代" "○唐瓶子菓子などとりさばくり、銚子どももて酒すゝめむとする處に、物具したる法師のうち入をみて、かいふいてにげければ、やがてつゞいておかけたり。","410C","  ","巻第十二","泊瀬六代" "○蔵人「あの僧。や、それはあらぬぞ。行家はここにあり」との給へば、はしり帰て見るに、白い小袖に大口ばかりきて、左の手には金作の小太刀をもち、右の手には野太刀のおほきなるをもたれたり。","410E",,"巻第十二","泊瀬六代" "○手なみの程はいかゞおもひつる」との給へば、「山上にておほくの事にあふて候に、いまだ是ほど手ごはき事にあひ候はず。","411I",,"巻第十二","泊瀬六代" "○「その太刀とりよせよ」とて見給へば、藏人の太刀は一所もきれず、常陸房が太刀は四十二所きれたりけり。","411L","  ","巻第十二","泊瀬六代" "○やがて傳馬たてさせ、のせ奉ッてのぼる程に、其夜は江口の長者がもとにとゞまッて、夜もすがら使をはしらかす。","411M",,"巻第十二","泊瀬六代" "○母うへ是を御覽じて、「あはれ世の世にてあらましかば、當時は近衞司にてあらんずるものを」との給ひけるこそあまりの事なれ。","413D",,"巻第十二","六代被斬" "○渚に一夜とうりうして、念佛申經よみ、ゆびのさきにて砂に佛のかたちをかきあらはして、あけければ貴き僧を請じて、父の御ためと供養じて、作善の功徳さながら聖靈に廻向して、亡者にいとま申つゝ、泣々都へ上られけり。","414I",,"巻第十二","六代被軌" "○熊野別當、鎌倉殿へ飛脚を奉て、「當國湯浅の合戦の事、両三月が間に八々度よせて攻戦。","415D",,"巻第十二","六代被斬" "○たてごもる所の凶徒は定て海山の盗人にてぞあるらん。","415H","  ","巻第十二","六代被斬" "○かたほとりにおもひあてまいらする事候」とて、すかし上せ奉り、おさまに人をのぼせて勢田の橋の辺にて切てげり。","415N",,"巻第十二","六代被斬" "○鎌倉殿より尋らるゝ事は候はね共、世におそれておい出されて候。","416F",,"巻第十二","六代被斬" "○「それもなをおそろしうおぼしめさば、鎌倉へ申て、げにもつみふかかるべくはいづくへもつかはせ」との給ひければ、聖いとおしくおもひ奉て、出家せさせ奉り、東大寺の油倉といふ所にしばらくをき奉て、關東へ此より申されけり。","416J","  ","巻第十二","六代被斬" "○足柄こえて關本と云所にてつゐにうせ給ひぬ。","416M","  ","巻第十二","六代被斬" "○御歳六十六、兪伽振鈴の響は其夜をかぎり、一乗案誦の御聲は其曉におはりぬ。","417D",,"巻第十二","六代被軌" "○平家都を落しとき、三歳にてすてをかれたりしを、めのとの紀伊次郎兵衛為教やしない奉て、こゝかしこにかくれありきけるが、備後國太田といふ所にしのびつゝゐたりけり。","418B","  ","巻第十二","六代被斬" "○やう/\成人し給へば、郡郷の地頭守護あやしみける程に、都へのぼり法性寺の一の橋なる所にしのんでおはしけり。","418D","  ","巻第十二","六代被斬" "○愛は祖父入道相國「自然の事のあらん時城郭にもせむ」とて堀をふたへにほて、四方に竹をうへられたり。","418D",,"巻第十二","六代被斬" "○さかも木ひいて、晝は人音もせず、よるになれば尋常なるともがらおほく集ッて、詩作り歌よみ、管絃などして遊ける程に、何としてかれも聞えたりけむ。","418F",,"巻第十二","六代被軌" "○され共錐袋にたまらぬ風情にて、よるになればしうとが馬ひきいだいてはせひきしたり、海の底十四五町、廿町くゞりなどしければ、地頭守護あやしみける程に、何としてかもれ聞えたりけん、鎌倉殿御教書を下されけり。","419O",,"巻第十二","六代被軌" "○され共衆力に強力かなはぬ事なれば、二三十人ばとよて、太刀のみね長刀のゐにてうちなやしてからめとり、やがて關東へまいらせたりければ、御まへにひすゑさせて、事の子細をめしとはる。","420G",,"巻第十二","六代被斬" "○上の好に下は随ふ間、世のあやうき事をかなしんで、心ある人々は歎あへり。","421E",,"巻第十二","六代被斬" "○こゝに文覺もとよりおそろしき聖にて、いろうまじき事にいろいけり。","421F",,"巻第十二","六代被斬" "○建礼門院は、東山の麓、吉田の邊なる所にぞ立いらせ給ひける。","423@","  ","巻第十二","女院出家" "○女院は十五にて女御の宣旨をくだされ、十六にて后妃の位に備り、君王の傍に侯はせ給ひて、朝には朝政をすゝめ、よるは夜を専にし給へり。","424J",,"巻第十二","女院出家" "○入道相國の御娘なるうへ、天下の國母にてまし/\ければ、世のおもうし奉る事なのめならず。","424M",,"巻第十二","女院出家" "○五月の短夜なれども、あかしかねさせ給ひつゝをのづからもうちまどろませ給はねば、昔の事は夢にだにも御らんずる。","425D",,"巻第十二","女院出家" "○壁にそむける殘の燈の影かすかに、夜もすがら窓うつくらき雨の音ぞさびしかりける。","425E",,"巻第十二","女院出家" "○昔をしのぶつまとなれとてうあ、もとのあるじのうつしうへたりけむはな橘の、簷ちかく風なつかしうかほりけるに、郭公二こゑ三こゑをとおづれければ、女院ふるき事なれ共おぼしめし出て、御硯のふたにかうぞあそばされける。","425I",,"巻第十二","女院出家" "○夜もやう/\ながくなれば、いとゞ御ね覚がちにて明しかねさせ給ひけり。","426E",,"巻第十二","女院出家" "○何事もかはりはてぬる浮世なれば、をのづからあはれをかけ奉るべき草のたよりさへかれはてて、誰はぐゝみ奉るべしとも見え給はず。","426G",,"巻第十二","女院出家" "○此御すまゐも都猶ちかく、玉ぼこの道ゆき人の人目もしげくて、露の御命風を待ん程は、うき事きかぬふかき山の奥のおくへも入なばやとはおぼしけれども、さるべきたよりもましまさず。","427B",,"巻第十二","大原入" "○ある女房のまいて申けるは、「大原山のおく、寂光院と申所こそ閑にさぶらへ」と申ければ、「山里は物のさびしき事こそあるなれども、世のうきよりはすみよかんなる物を」とて、おぼしめしたゝせ給ひけり。","427D",,"巻第十二","大原入" "○岩に苔むしてさびたる所なりければ、すままほしうぞおぼしめす。","427M","  ","巻第十二","大原入     " "○さて寂光院のかたはらに方文なる御庵室をむすんで、一間を御寝所にしつらひ、一間をば佛所に定、書夜朝夕の御つとめ、長時不断の御念佛、おこたる事なくて月日を送らせ給ひけり。","428D",,"巻第十二","大原入" "○かくて神無月中の五日の暮がたに、庭に散しく樽の葉をふみならして聞えければ、女院「世をいとふところになにもののとひくるやらむ。","428F","  ","巻第十二","大原入" "○かゝる御つれづれのなかにおぼしめしなぞらふる事共は、つらき中にもあまたあり。","428K",,"巻第十二","大原入" "○春すぎ夏きたッて北まつりも過しかば、法皇夜をこめて大原の奥へぞ御幸なる。","429E",,"巻第十二","大原御幸" "○青葉に見ゆる梢には、春の名残ぞおしまるる。","429I",,"巻第十二","大原御幸" "○比は卯月廿日あまりに事なれば、夏草のしげみが末を分いらせ給ふに、はじめたる御幸なれば、御覽じなれたるかたもなし。","429J",,"巻第十二","大原御幸" "○ふるう作りなせる前水木だち、よしあるさまの所なり。","430A","  ","巻第十二","大原御幸    " "○「甍やぶれては霧不斷の香をたき、樞おちては月常住の鎧をかゝぐ」とも、かやうの所をや申べき。","430B","  ","巻第十二","大原御幸" "○庭の若草しげりあひ、青柳の糸をみだりつつ、池のうきくさなみにただよひ、錦をさらすかとあやまたる。","430C",,"巻第十二","大原御幸" "○中嶋の松にかかれる藤なみの、うら紫にさける色、青葉まじりのをそ桜、初花よりもめづらしく、岸のやまぶきさきみだれ、八重たつ雲のたえ間より、山ほととぎすの一声も、君の御幸をまちがほなり。","430D",,"巻第十二","大原御幸" "○ふりける岩のたえ聞より、おちくる水の音さへ、ゆへびよしある所なり。","430I","  ","巻第十二","大原御幸" "○うしろは山、前は野邊、いさゝをざゝに風さはぎ、世にたゝぬ身のならひとて、うきふししげき竹柱、都の方のことづては、まどをにゆへるませ垣や、わづかにこととふものとては、峯に木づたふ猿のこゑ、しづがつま木のおのの音、これらが音信ならでは、まさ木のかづら青つゞら、くる人まれなる所なり。","431A","  ","巻第十二","大原御幸" "○うしろは山、前は野邊、いさゝをざゝに風さはぎ、世にたゝぬ身のならひとて、うきふししげき竹柱、都の方のことづては、まどをにゆへるませ垣や、わづかにこととふものとては、峯に木づたふ猿のこゑ、しづがつま木のおのの音、これらが音信ならでは、まさ木のかづら青つゞら、くる人まれなる所なり。","431B",,"巻第十二","大原御幸" "○「さやうの事につかへ奉るべき人もなきにや。","431F",,"巻第十二","大原御幸" "○「あのあり様にてもかやうの事申すふしぎさよ」とおぼしめし、「抑汝はいかなるものぞ」と仰ければ、さめざめとないて、しばしは御返事にも及ばず。","431O",,"巻第十二","大原御幸" "○供奉の公卿殿上人もをの/\見まいらせし事なれば、今のやうに覚て、皆袖をぞしぼられける。","433G",,"巻第十二","大原御幸" "○消もうせばや」とおぼしせめどもかぞなき。よひ/\ごとのあかの水、結ぶたもともしほるゝに、曉をきの袖の上、山路の露もしげくして、しぼりやかねさせ給ひけん、山へも帰らせ給はず、御庵室へもいらせ給はず、御涙にむせばせ給ひ、あきれてたゝせまし/\たる所に、内侍の尼まいりつゝ、花がたみをば給はりけり。","434C","  ","巻第十二","大原御幸" "○何事につけてもさこそ古おぼしめしいで候らめ」と仰ければ「いづかたよりをとづるゝ事もさぶらはず。","435@",,"巻第十二","六道之沙汰" "○隆房・信隆の北方より、たえだえ申送る事こそさぶらへ。","435B",,"巻第十二","六道之沙汰" "○女院御涙ををさへて申させ給ひけるは、「かゝる身になる事は一旦の歎申にをよび候はねども、後生菩提の為には、悦とおぼえさぶらふなり。","435E",,"巻第十二","六道之沙汰" "○たゞ恩愛の道ほどかなしかりける事はなし。","435J",,"巻第十二","六道之沙汰" "○されば彼菩提にために、あさゆふのつとめおこたる事さぶらはず。","435K",,"巻第十二","六道之沙汰" "○是もしかるべき善知識とこそ覚へさぶらへ」と申させ給ひければ、法皇仰なりけるは、「此國は粟散辺土なりといへども、忝く十善の餘薫に答へて、万乗のあるじとなり、随分一として心にかなはずといふ事なし。","435N",,"巻第十二","六道之沙汰" "○清涼紫宸の床の上、玉の簾のうちにてもてなされ、春は南殿の櫻に心をとめて日をくらし、九夏三伏のあつき日は、泉をむすびて心をなぐさめ、秋は雲の上の月をひとり見む事をゆるされず。","436G",,"巻第十二","六道之沙汰" "○玄冬素雪のさむき夜は、妻を重ねてあたゝかにす。","436H",,"巻第十二","六道乃沙汰" "○あけてもくれても楽さかへし事、天上の果報も是には過じとこそおぼえさぶらひしか。","436I",,"巻第十二","六道之沙汰" "○長生不老の術をねがひ、蓬莱不死の藥を尋ても、たゞ久しからむ事をのみおもへり。","436I",,"巻第十二","六道之沙汰" "○それに壽永の秋のはじめ、木曽義仲とかやにおそれて、一門の人々住なれし都をば雲井のよそに顧て、ふる里を焼野の原とうちながめ、古は名をのみきゝし須磨より赤石の浦づたひ、さすが哀に覚て、晝は慢々たる浪路を分て袖をぬらし、夜は洲崎の千鳥と共になきあかし、浦々嶋々よしある所を見しかども、ふる里の事はわすれず。","436M",,"巻第十二","六道之沙汰" "○人間の事は愛別離苦、怨僧層苦、共に我身にしられて侍らふ。","437@",,"巻第十二","六道之沙汰" "○さても筑前國太宰府といふ所にて、維義とかやに九國の内をも追出され、山野廣といへども、立よりやすむべき所もなし。","437B","  ","巻第十二","六道之沙汰" "○ながらへはつべき身にもあらず」とて、海にしづみ侍ひしぞ、心うき事のはじめにてさぶらひし。","437G",,"巻第十二","六道之沙汰" "○浪の上にて日をくらし、船の内にて夜をあかし、みつぎものもなかりしかば、供御を備ふる人もなし。","437H",,"巻第十二","六道乃沙汰" "○大海にうかぶといへども、うしほなればのむ事もなし。","437J",,"巻第十二","六道之沙汰" "○かくて室山・水嶋、ところどころのたゝかひに勝しかば、人々すこし色なをて見えさぶらひし程に、一の谷といふ所にて一門おほくほろびし後は、直衣束帯をひきかへて、くろがねのべて身にまとひ、明ても暮れてもいくさよばひのこゑたえざりし事、修羅の闘諍、帝釋の諍も、かくやとこそおぼえさぶらひしか。","437K","  ","巻第十二","六道之沙汰" "○さても門司・赤間の關にて、いくさはけふを限と見えしかば、二位の尼申をく事さぶらひき。","438B",,"巻第十二","六道之沙汰" "○「男のいき残む事は千万が一もありがたし。","438B",,"巻第十二","六道之沙汰" "○設又遠きゆかりはをのづからいきのこりといふとも、我等が御世をとぶらはむ事もありがたし。","438D",,"巻第十二","六道之沙汰" "○此國は心うき境にてさぶらへば、極楽浄土とてめでたき所へ具しまいらせ侍らふぞ」と泣々申さぶらひしかば、山鳩色の御衣にびでらいはせ給ひて、御涙におぼれ、ちいさううつくしい御手をあはせ、まづ東をふしおがみ、伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ、其後西にむかはせ給ひて、御念佛ありしかば、二位尼やがていだき奉て、海に沈し御面影、目もくれ、心も消えはてて、わすれんとすれども忘られず、忍ばむとすれどもしのばれず、殘とゞまる人のおめきさけびし聲、叫喚大叫喚のほのおの底の罪人も、これには過じとこそおぼえさぶらひしか。","438O","  ","巻第十二","六道之沙汰   " "○さて武共にとらはれてのぼりさぶらひし時、播磨國明石浦について、ちとうちまどろみてさぶらひし夢に、昔の内裏にはるかにまさりたる所に、先帝をはじめ奉て、一門の公卿殿上人みなゆゝしげなる礼儀にて侍ひしを、都を出て後かゝる所はいまだ見ざりつるに、「是はいづくぞ」ととひ侍ひしかば、二位の尼を覚て、「竜宮城」と答侍ひし時、「めでたかりける所かな。","439H","  ","巻第十二","六道之沙汰" "○このごろはいつならひてかわがこゝろ大みや人のこひしかるらむいにしへも夢になりにし事なれば柴のあみ戸もひさしからじな御幸の御供に候はれける徳大寺左大臣實定公、御庵室の柱にかきつけられけるとかや。","441@",,"巻第十二","女院死去" "○いにしへは月にたとへし君なれどそのひかりなきみ山辺のさたこしかた行末の事共おぼしめしつゞけて、御涙にむせばせ給ふ折しも、山郭公音信ければ、女院いざさらばなみだくらべむ郭公われもうき世にねをのみぞなく抑壇浦にていきながらとられし人々は、大路をわたして、かうべをはねられ、妻子にはなれて遠流せられる。","441D",,"巻第十二","女院死去" "○父祖の罪業は子孫にむくふといふ事疑なしとぞ見えたりける。","442@",,"巻第十二","女院死去" "○是はたゞ入道相國、一天四海を掌ににぎて、上は一人をもおそれず、下は万民をも顧ず、死罪流刑、おもふさまに行ひ、世をも人をも憚かられざりしがいたす所なり。","442@","  ","巻第十二","女院死去"