『きのふはけふの物語』 上卷 1 むかし天下を治め給ふ人の御内に、傍若なる者どもあつて、禁中へ参、「陣にとらう」といひて、槍の石突をもつて御門をたゝく。 御局たち出あひ給ひて、「是は内裏様とて、下々のたやすく参るところにてはないぞ。 はやはや何方へも参れ」と仰せければ、「此家を陣にとらせぬといふ理屈のあらば、亭主罷り出て、きつと断を申せ」といふた。 2 織田の信長公、時々興に團子をきこしめす。 よくまひるとて、京わらんべ共、上様團子と申。 是を一段とそこつ成小性、御前ちかき所にて、ちかぢかと申。 これを聞給ひて御腹立なされ、すでに御勘氣をかうぶらんとせしを、一渓道三おりふし御前にありて、「御もつともの儀にては候へ共、世上にさやうに申事、返て御譽にて御座候。其故は、昔天子粽を御らんじて、一段をもしろきよし勅諚あれば、それよりして京わらむべども、内裏粽と申ならはし候」と申されければ、信長御きげんなをり、右の御赦免なさる。 そうじて上々の御そばにこれあらむ人は、萬事にきづかひいたさうぢや。 3 ある人、瓢箪から駒の出でたる繪をみて、「これは何としたるいはれぞ」と人に問ふ。 「それさへ御存知なきか。そふじてまき駒と申すは、山に山椒をまひて、馬になし申」といふ。 「それほど重寶なる物を、何とてこゝもとには作らぬぞ」と云。 「こゝもとでは、人が盗むゆへに、むかしより作られぬ」といへば、「おろかなことぢや。よき馬一疋にても、大分の金をとる事ぢやに、いか程番をしても、くるしからぬ事ぢや。善惡、此春作らふ」とて、上々の山椒十石ほど買ひとり、山を掘らせ、ことごとく蒔ひて、四五日して、「やうやう生え時分ぢやが、遅ひ」とて、つれの人に問へば、「それはいつ比御まき候」「此四五日さきにまいたる」といえば、「生ゑぬが道理よ。天火、地火に物種をまいては、生へぬが不思議でもなひ」と云。 「げにも、其やうな子細があらふと存た。さては暦など疑う事ではない」といはれた。 4 「不思議な事がある」「何事ぞ」「いや、御公家は、よふ草木の名をつかせらるゝ事ぢや。 まづ、薄殿、松の木殿、竹の内殿、藪殿、葉室殿、柳原殿、菊亭殿、竹屋殿、この分ぢや」「いや、まだある」「たれぞ」「とうさんせう」。 5 ある者、近衛殿へつゝじの花を持てまいりければ、「さても見事な躑躅や」と御ほめあれば、彼ものこれを聞きて、「よひことを聞た。どこぞで言わう」と思ふて、こゝかしこ歩く程に、南禪寺へ行た。 案のごとく、つゝじを眺めて和尚の御座る。 「でかひた所ぢや」と思ふて、「さても見事なてきてきで御座る。かやうのてきてきは近年見申さぬ」とくわせた。 6 紫野の和尚を夜ばなしに申入、御前で田樂をあぶらんとて、「はやく鐵灸もてこひ」といふた。 わきより不文字のさしで者、非難をくわせた。 「和尚さまの御前ぢやと思ふて、いらぬ亭主の高言。たゞ火ふき竹でおきたひ」といふた。 7 草履取をおかうとて、六角堂へ行き尋ねければ、若き男まかりいで、「奉公いたさう」といふ。 「今までは何方にゐたるぞ」と問へば、「下のをならやにゐた」と云。 「をならやとは、人うつけにするか。臭ひことを云」と言ゑば、「ゐ所を御たづね候ほどに、申事ぢや」。 8 有人、寺へ參る。 長老御らんじて、「さてさて奇特の御參詣」とて請じ給ひて、「まづまづ御茶進上申せ。もみじにてたてゝ参らせよ」と仰せらるゝ。 此人聞きて不審して、色々案じても合點ゆかず。 「いやいや、問うは一度の恥」と思ひ、長老様にとひ申せば、「こうよふたてよ、と申て候」と仰せらる。 「もつ共」と感じて歸るさに、人の所へ立より、此事いふべしとて、「小性衆、御茶一ぷく給はれ。紅葉にたてゝ御意にかけられよ」といふ。 亭主も小性もがてんゆかず、「いか成謂ぞ」と尋ねければ、「こくよくと云義理ぢや」といはれた。 聞えてこそ。 9 「風呂屋に、孝行風呂といふがあり。是はいか成謂やらん」といえば、「不孝に及ばぬ、といふ心か」といわれし。 「もつとも面白し」とて、後によそにて語出しければ、人々、「いかなる因縁ぞ」と問いけるに、「吹くに及ばぬ」とかたるほどに、いささかおもしろしげもあってこそ。 10 山寺法師、さる御ちごにほれて、色々縁をもつて申ければ、さすが御形ちに似たる御心やさしくましまして、ある夜しのびにて御こしなされ、「これはありがたき事」とてひしめけ共、貧僧にて、何も御ふる舞をせうやうもなし。 せめて是なりとも御なぐさみにとて、大唐米の飯を出しければ、御ちごたち御らんじて、「是はうつくしき色や」と仰せられた。 その時三位まかりいで、申やうは、「たまさかの御こし、まことに身にあまりかたじけなく存て、せめての御馳走にとて、染めさせ申たる」といへば、ちご聞しめされ、「げにも、さう見えて、大唐飯のやうな」と仰せられた。 11 物ごとに心をつくる日との申されしは、「當代、法度なきとて、竹の子を根引にしてたくさんにもてあつかう事、惜しき事ぢや。三年目には、見事の竹になるに」と申されければ、みなみな聞きて、「これは仰せのごとく惜しきことぢや」と いはれける。 又そばなる人のいふ、「そうじて松茸なども、むさと食ぶるはいらざることぢや。二三年おいたらば、大木にならふ物を」と申された。 12 ゐ中よりはじめて京へ上りたる人、三條あたりに宿をとり、東山へ見物に出るとて、下人をよび、「京は家づくり同様にて、見知りにくいぞ。何にても心じるしをして、よく覺えよ」といひつくる。 「心得申たる」とうけごうて、さて方々見物して歸り、「洗足とれ」とて先へつかひければ、案のごとく忘れて、ここかしこを尋ねあるく。 さればこそと思ひ、「しるしは」と問へば、「異な事ぢや、見えぬ」といふ。 「何をしるしぞ」と重ねて問ふ。 「いや、たしかに門柱に唾にて書付をしておきたる」といふ。 「沙汰のかぎり、それが役にたつ物か」とてさんざんに叱れば、「まだしるしがある」「何ぞ」「屋ねに鳶がとまりていたが、はやこれもおらぬよ」。 13 不斷光院とて、近衛殿の太閤御ねんごろの長老あり。 そうじて長老分はあしうちにて參りけれ共、此長老連歌ずきにて、せつせつ御曾にまかりいでらるゝ故、其日ばかり公卿を御免と仰せ出さるゝ。 長老御言葉にあまへ、「常住下され候やうに」と御のぞみあれば、太閤御笑ひなされ、とりあえず、  くぎやうをば時々なりとすはれかし不斷くわうはいはれざりけり   14 むかし、近衛殿を、何のしさいやらん、秀吉公の御時薩摩の坊津へ御ながしなさるゝ。 配所は鹿児島へうつらせ給ふ。 そのとき、  大臣の車にはあらであはれにも乗するかごしまになふばうの津   15 よろづの道に心をかくる人は、いづれの事もすぐれずとみえたり。 何にもよくさし出もの、紹巴の曾にまじはり、連歌するとて、  さやけじは有明方の月ならしと云句に、  山ほゝとぎすさそひがほなるとつけた。 紹巴のいはく、「一段おもしろひ。めいよ小鼓に手をうつところぢや」とほめられた。 16 定家の卿の弟きやう坊、事の外不辨、其年のくれに定家の卿へ讀つかはれける。   きやうがくが師走のはてのからいんじ年うちこさん石ひとつたべ返し、  定家が力のほどを見せんとて石を二つにわりてこそやれ此れ返歌に、米一俵そへて、つかはれけるとぞ。 17 秀句っすきたる人あり。 珍しき秀句を思ひいだせば、色々珍物をとゝのへ、ふるまひをして、其座にていひ出だして、興ずる人あり。 有とき、下人を白朮ほにやり、その内に人々をよびあつべて、さまざまふるまひをこしらへて出だし、此もの歸りたらば、座敷へまかりいでて、いかにも高々と、白朮ほりて参りたるよし申せと、くれぐれいひ付て、何さまきたらば、「そちにをけら」といふべしと、心うれしく待つ所へ、案のごとく、時分をはかりてまかりいで、「をけらほりて参りたる」といへば、「そちに白朮」といふた。 18 法花宗の一致と勝劣と法問をして、勝負はしらず、さんざんつかみあふて、へのこをしめられ、難儀千萬するをみて、  法花經のその勝劣はしらねどもきんをしめられいつち迷惑 19 ある人にわかに數寄に行とて、「額を剃りたきが、たれかかれか」とひしめく所へ、檀那坊主來る。 「よき所へ、御こしにて候。」はゞかり千萬成申事にて候へ共、にはかに數寄に参り候。 中剃りをたのみ申したい」とて、髪を洗ひ剃らする。 その坊主、つねに出家の髪ばかり剃りならひ、いつものごとくに思ひ、片小鬢をすらすらと剃り落とす。 此人、肝をつぶし、「是は是は」といへ共かなはず。 「さてさて言語道断、迷惑ぢや」とて腹をたつる。坊主、赤面して、「怪我と申ながら、面目も御座ない。御免なされよ。そうじて倅より山寺にすみ、つねに坊主頭を剃りつけて、たまたま男の髪なれば、沐浴つかまつるとばかり存たる」といへば、「それは、いよいよ調伏か」とて腹をたつれ共、片小鬢剃られて、今さらなをらばこそ。 「この分ではすむまひ。不承ながら法體つかまつらふ」といへば、坊主聞きて、「一段の事。さらば戒名を付申さう」といはれた。 20 「世にあぶなひ事が多ひ。まづ、脚氣臑の焙烙うり、高荷付たる馬の岸の細道つたふ、目くらの下り坂、若き姑と婿のよき、やもめ男の嫁とむつまじきも、若後家のしげき寺参り、この分ぢや」よいえば、そこつなる坊主の聞きて、「まことに、これはいづれもあぶないものぢや。我らの寺へも、若き後家の参らるゝが、あぶなひ」といふて、やがて口をかゝへた。 21 ある人、寺へまいり、「長老様は」よいえば、「御留守ぢや」と申。 「はるばる参たるに御殘りおほひ事ぢや」とて、しばらくやすらひけるに、おりふし竹の子の時分ぢやとて、藪をのぞきまわれば、長老様、見事成雁の毛をぬいて御座ある。 此人、そろりとそばへ寄り、御見舞にまいりたるよし申せば、長老、仰天して、「さてさて此鳥の毛を枕に入候へば、通風の薬ぢやと申ほどに、かやうにいたすが、何としても、手なれぬ事はならぬ物ぢや」と仰せらるゝ。 檀那きゝて、「其は易ひ事で御座候。 是へ下されよ」とて、くるくるとひきむしり、毛をばをしよせて、「此身はこなたにいらざる物よ」とて、やがてとつて歸り、賞翫した。 22 又、さる寺へ参りければ、長老ふためいていづるとて、衣の裾に乾鮭の大なるをひつかけていでて、かくす事はならず。 敗亡して、「さてさて、これを愚僧が食ぶるかと思し召さん事、かへすがえす無念に候。是は女共が薬つかひにする」といはれた。 23 ある比丘尼所、御知行へ御遊山に御こしなさるゝ。 百姓ども御馳走に石風呂をたき、入れ申。 新藏主御遊山でなされ、「ちと手水粉を参らせよ」と仰せらるゝ。 山家のことにて、手水粉といふ物をしらず。 にわかに寄合をして、たれかれといへども、しらぬといふ。 「とかくおそなはりては大事」と言ふ中にも、年寄たるものゝ申やう、「きつと思ひ出だしたる事の候」とまかり出、「手水粉は先年の一亂に、みな退轉つかまつりたる」と申。 新藏主聞し召し、「さてもうつゝなひ事や」と仰せければ、「そのうつゝなひも一度に失せたる」といふた。 24 光源院殿の御時、有上人、一段と御意に入給ひ、毎日御出仕なさるゝ。 御念比のあまりに、「楽堕」と御出仕ださるゝ。 上人聞き給ひて、「御諚はかたじけなふ候へ共、五つ六つより出家の姿に身をなし、今五十あまりて上人號まで授かり、今更、何事に落堕つかまつり候べき」と、返す々御斟酌あれば、みなみなもつともと感じ給ふ。 將軍是を聞召し、「もつともの事にて候へ共、心やすく話し申たきとの事にて候」と、再三御意あれば、「此上はちから及ばず」とて、御落堕し給ふ。 「とかく立佛を居佛にも檀那ばからひにして、外聞をもふりすて、さてさて御恥かしう候。さりながら、是程なる御念ごろの御つゐでに、御のぞみのある」よし、申上げられければ、「何事にても御かなへあらうずる」と仰せらるゝ。 「其儀にて御座あらば、子にて候物をも御目見え申させたとき」とて、三十ばかりなる男をつれ出て、「これは愚僧が十六袈裟がけの年まうけた子にて候」と申上げられければ、上様をはじめ御前の人々、御簾も几帳もさゞめき、大笑あつてあきれ給ふ。 25 醫師の所へ、お乳の人、子をつれて行、「昨日の御薬にて一段とおなか心もよく候。その御かげんになされ下され候へ」といふ。 醫師聞きて、「それは目出度ひ事。さらばまた合せて参らせう」とて、薬箱を取り出す。 何としてか、お乳の前を出だされた。 此醫者、これに見とれて、持ちたる匙を置き忘れて、ひたもの尋ねらるゝ。 「何を御たづねなさるゝぞ」といへば、「今まであつたお乳のものが見えぬ」といはれた。 26 さる寺の蓮池にて、編笠ふかぶかときて、月夜に泥鰌をふむ。 行堂の圓齋これをみて、「何物なれば、この殺生禁断の所にて狼藉をふるまうぞ」とて、白木の弓に矢をはげ、しきりにとがむる。 此もの赤面して、「是は正眞の俗人ぢや。少しも御かまひあるまひ」と云う。 よくよくみれば、方丈のとふ藏主ぢや。 27 關白秀次公の御時、塗師屋の盛阿彌所へ、出頭衆二三人數寄に申入、茶過ぎてのち、しよゑんにてゆるゆると御あそびなさるる所に、ひる時分に盛阿彌、重箱をもつてまかりいで、「をのをの様ゆるりと御はなし、滿足つかまり候。少夜食を料理いたし候。參らぬか」といふて、ふたをあけたるを見れば、砂糖餅ぢや。 28 物事にこばしだてなる人、歴々夜ばなしの座敷にて、夜中の鐘を聞て、「皆々おたちなされよ。はや遠寺の晩鐘が聞こうるに」と云た。 29 ある人の所へ、西國へ下とて、暇乞にたちよりければ、「さてさて御大儀や。さて、じひろにお下りか、たゞしあなたからのまかないか」といふ。 「いや伏見ま思考で迎ひ舟が参たる」といへば、「それはしやりき」と申、「かたがたよき御しあはせぢや。やがて歸朝なされよ。さらばさらば」。 30 有夜、秀吉公、夜食に蕎麦掻を御このみなされ、御相伴衆へも下されける。 折ふし長岡源旨登城なさるゝ。 すなはち、蕎麦掻を据わり、ふたを明、とりあえず、  薄墨に作りしまゆのそばかほをよくよく見れば帝なりけり 31 小ちご、里より御數りありて、其まゝこ座敷へ腹をかゝへて入給う。 大ちご笑止顔にてたちより、「何と、御心あしきか」と仰せければ、「いや、道にて餅をしいられて、胸がやくる事、なにとも迷惑ぢや」と仰せければ、「さてさて、その類火にあひたや。火元はいずくやらん」と申された。 32 有長老の談義に、「一見卒塔婆、永離三悪道、何況造立者、必生安樂國」、此文をくり返しくり返し説き給ふ。 「此文の心は、一たび卒塔婆を見るものは、永く三悪道をのがるゝ」と説かれたり。 ある人是を聴聞して不審する。 「いかに上人きこしめせ。我等は念佛を申さずとも、佛にはならふと存ずる。その故は、一たび卒塔婆を見る物は、永く三悪道をはなるゝ。いはんや、造立せば安樂國に生るゝと候へば、此年まで、いかほどの卒塔婆をたて若、見もしたる事、數をしらず。今も千も萬もみて参りたる」といへば、上人聞き給ひて、「その義にあらず。幅一間の卒塔婆の事にて候。其をつくるまでは、念佛申給へ」とのべられた。 33 ある人、子を寺へあげ、「經をよめ、学門に精を入れよ」と教訓すれども、一ゑん承引せぬ「くせ事」とて叱れば、上人聞召して、「經をよまぬはくる しうもなひぞ。よき法花宗の下地ぢや。跡を譲らふぞ。情がこわうて氣の薬ぢや」。 34 秉拂に、西國の僧、東國僧に問うて云、「上野、下野有て、中野のなきはいかに」「筑前、筑後あつて、筑中なきがごとし」。 35 ある人、以外にわづらひ、存命不定の時、女房をちかづけて、「此分ならば、二三日中に身まかり候べし。あら御名残をしく候。いかなる人にか添ひ給はんと思へば、これのみ心にかゝる」といふ。 女房聞きて、「それは心やすく思し召せ。自然の事もあらば、髪を剃り、後生一遍にして、あとを弔ひ申べし」といふ。 男の云、「それは満足にて候。さりながら、髪は剃りてもはゆる物なれば、同じくは、わが息のかよふうちに、そもじの鼻を剃ひで見せられ候へ。さあらば、跡式、家蔵、其外財寶、一つも残さず参らすべし」と云。 「それはやすき事」とて、自ら鼻を削ひで見せける。 「この上は心にかゝる事もなし」とて、書置などをこまごまとして女房にわたし、死ぬるをまつばかりなるが、この二三日、ちと食がすゝむ、心もかるひなどゝいふうちに、やがて本復して、「さてさてめでたひ事」とてひしめく所に、男つくづく思へば、此鼻削を朝夕見る事は、何としてもなるるまいと思ひ、ある時、女をちかづけ申けるは、「近比、面目なきことにて候へ共、御身の鼻をみれば、生きのびてうらめしく候。とかく申かねて候へ共、そもじは隠居して給はれ」といふて、。 女房聞きて、「是は思ひもよらぬ事を仰せ候。生れつきたる鼻なりとも、此年月のなさけはあるべし。まして、そなたのしわざなれば、さほど見ぐるしく思はゞ、わ殿出よ」とて、なかなか不興千萬なり。 男きゝて、「もつとも、理非はまがう事なく候。たゞ今までのなさけに是非とも隠居」といへば、女腹にすゑかね、所の守護へ申上ければ、やがて召し出だし、御尋ねなさるゝ。 其時、男まかり出、申けるは、「最前女ども申上たる所、一々偽りこれなく候。 しかれども我ら若き物にて候へば、あのごとくなるものを、朝夕見候はん事も迷惑に存候。 まづ隠居仕候やうにとの申分にて候間、仰付られて下され候へ」と申せば、奉行衆聞き給ひて、しばらく分別して、「かの男の鼻を剃げ」と仰せつけらるゝ。 此男、怪顛して逃げんとするを、とらへて、ずんと削ひでかの女にとらせて、「この上はたがひのうらみもあるまじきか」とて、追立てられ、すごすごと歸りけるが、男、心に思ふやう、「いやいや、このなりにては、よき女をまうくる事はなるまじき」と思ひ、たゞ、「もとの妻に仲人なし」とて、鼻削二人手を引きて歸り、それより五百八十年。 36 物を書くには、句のきりやうが専ぢや。 下京に目くすし有。 たれ布に、「金こ目くすりや」とあり。 三いろまで賣り物あるとて、人々買ひにくれども、このうち一いろもなし。 迷惑して、のちには、  かねこ   めぐすり屋此ごとくなをしける。 37 三井寺の法印、雨中の御つれづれにとて、「二度物思ふ」と云題をいだし、「是にて一首づゝよみ給へ」とて、二人のちごに仰けえば、  大ちご 春は花秋は紅葉をちさじと年に二たびもの思ふなり  小ちご 朝めしと又夕めしにはづれじと日々に二たびものこそ思へ 38 ちご、法師よりあひ、田樂をあぶり、「何にても、三はねたる事をいふて賞翫せう」といふて、「雲林院」の、「南蠻人」の、「煎茶瓶」の、「紳泉苑」などいふて、みな一串づゝとられけるに、小ちご、「昆元丹」とて二つ参る。 「これは」といへば、「一つはこげたるを秀句にて食ふ」と仰らるゝ。 新發意は一つもゑ食はず。 はやり残りすくなになる。 思ひ出したる體にて、「ちやんうんすん」といひざまに、十ばかりひつたくりて、やがて賞翫いたす。 39 又、ある夜、田樂をして、秀句にて賞翫するに、  大ちご 清盛の長刀    なんぞ               いつくしま  新發意 佛のつぶり    なぞなぞ               三くし  小ちご 醫者の本尊    なぞなぞ               八くし 40 「平の大將入道殿の御馬の尾に、一夜の間に鼠が巣をかけ、子をうみたると、平家物語にあるが、昔はかやうの不思議がさまざまあつたと聞えたるが、今時はさやうの事がない」といふ。 有人聞て、「これはさのみ不思議でもなひ」「何故に」「我らせがれの髪には、たゞ今ことごとく梳き操浴しても、一時に蟲の子がある」といふた。 41 もの忌みする人、下人をよびよせ、「明日は元日ぢや。なんぢ若水をむかへよ」とて、色色呪文共をしへける。 さて、早天に起きて、彼となえごとを忘れ、案ずるをみて、しばし勘忍しけるが、こらへかねて、枕をとつてぶちつくる。 此もの腹たて、「人の物思ふ所へなげきをさせらるゝ」といふた。 42 「御ちごさまは、大上戸ぢや」と申ければ、「いや其程にもないが、そふじて、乳房にも酒をぬらねば飲みつかなんだと、乳がいふ」。 43 さる知識の御内に、久しくめしつかはれたる六十あまりの沙彌、あるとき、長老さまへ御訴訟申けるは、「我等久しくめしつかはれ、この年になり候へども、 つゐに御しめしをも受けず。あまりにあさましき御事にて候。おほそれながら一則御授け候へかし」と申。 長老聞し召し、「それはやさしき事。こなたへ」と召上げられて、生死一大事の話を授け給ふ。 「かたじけなき」とてまかり立ちけるが、しばらくしてまかり出で、「はや参じ申て候。しやうじ一大事、味噌で御座候。味噌がわるければ、生じのしたてはならぬ」と申た。 さてさて是ほどなるあたりは、達磨もいかゞ。 44 「今日は親の日ぢや」とて、寺へ参ければ、御坊の留守とみえて、玄関が明ぬとて、庫裏から目蔵へつつと行く。 折ふし坊主は、鮑の腸和の料理をなさるゝが、檀那に見られ、かくす間はなし、前にきつとかまへ、「さてさて奇特の御参詣、内々今日は御親父さまの命日にて候ほどに、さだめて御参りなされうと存、酒は用意仕候へ共、精進にて酒がのまれぬと、つねづね仰候ほどに、ゑんとりをして、是を調へたる」と申されける。 檀那聞きて、「其は御心にかけられ過分には候へども、仰せらるゝごとく、今日は親の日にて候。 御免なされよ」といへば、その時うろたへ、「まことに失念いたし候。さてさて不調法や。是をとて子もちにくわせよ。なまみだ」といはれた。 45 又、ある寺に鮑料理のさい中に、檀那ふつと来る。 坊主仰天して、「此貝は、目の薬ぢやと申が、目がしらにさし候か、目じりにさすか」といふ。 檀那聞きて、にくき事と思ひ、「それは目により候。我ら見てさひて進ぜう」とて、あをのきに寝させて、酢に鹽の入たる腸を、大はまぐり程入れければ、まなこの玉がぬくるとて、五體をなげておめきける。 其間に鮑をみなみな賞翫して、「我ら眼には、口からさしたるがふさうた」とて、やがてしまうた。 46 又、坊主のすゞ鉢にて、膾をあゆる所へ人の来る。 俄にかくす事はならず、頭の上にきつといたゞひて、「まづ此なりに頭巾をこしらへ申が、何と御座らふ」といふた。 47 ゐ中より初めて上りたる人、まづ誓願寺へ参、御前なる額を見て、「さてさて見事なる手跡や。書ひたり誓の字の筆勢は、多分、子昂が石摺であらふ」とほめられた。 48 東の人の物がたりに、「信濃国そのはら山にて、旅人草鞋をふみきり、木賊にてつくり、はきければ、ひたもの足の裏がみがゝれて、やがて足首ばかりになりたる」といふ。 筑紫の人これを聞て、「もつ共さやうの事もあらう。筑紫でも、安樂寺の建盞の天目を、夜ごとに鼠がきりしけるが、天目はかたし、鼠の歯がひたものちびて、このほどは尾ばかりになりたる」といふた。 49 「昨日、日吉大夫勸進能に隅田川をして、芝居中を泣かせた。さりとては名人ぢや」といふ。 ある人、これを聞、あくる日見物に行て、まづ千歳ぶ、翁舞もすぎて、三番叟の半ばに、此仁さめざめと泣く。 あたりなる人不審して、「これは何事ぞ」と問へば、「あのすみだがほ殿があはれさに、物もいはれぬ」。 50 「御ちごさまのお里が不辨さに、晴れがましき時は、何もかも借り物ぢや。借らせられぬ物はしゞばかりぢや。あら笑止や」と三位が申せば、ちご聞し召し、「まことに口惜しや。しゞもわが物ではない」「なぜに」「見る程の人が、馬の物ぢやと云程に」。 51 吉野にて、ある若き男山中にて山の芋を掘りけるが、ふかく根へいりければ、腰より上を穴の中へ入て尻つき出だし掘る。 折ふしかけでの山伏通りけるが、無理にたしなませて通る。 此男迷惑して、ぎゞめけ共かなはず。 やうやう穴より起きあがる所へ、友達の来りければ、「さてさて不思議や。たゞ今我尻からあれなる山伏が出て行が、何としたる事ぞ。あとが損じたるか、みてくれよ」といへば、さしうつぶきしばし見るに、ことこと鳴るを聞きて、「いやいや、まだ子山伏が出るやら、奥に法螺貝の音がするぞ。だまれだまれ」。 52 天龍寺の策彦和尚へ、信長公御たづね候は、「何とて世間に、大ちごを鈍に、小ちごをば利根にいならはし候や。小ちごの成上りこそ大ちごなれ。ちいさき時さへ利根成に、成人にしたがひ、いよいよ利根になるべきが、いかゞ。不審ぢや」と仰ければ、策彦聞き給ひて、「もつともの御不審にて候。我等も左様に存候。しかしながら、小ちごの間は、いまだ里心御座候ゆへ、武家の利發身につきそうて御座候が、次第に寺じみ、後には、長袖のぬるき立ちふるまひを見なれて、をのづから心おとり申か」と仰ければ、信長事のそと御機嫌にて、「一段もつとも御返す答や」と思し召しければ、みな人々も感ぜられける。 53 「ともばやしとは不思議ぢや。ともばかりですむに、はやしがいる物ぢや」といへば、ある草履取が申けるは、「それこそは聞て候へ。主の召さるゝ時は、「やあ」といふてはやすほどに」。 54 ある人、久しきつれあひにはなれて愁嘆する所へ、さる知識御こしなされ、「御なげきはもつともなれ共、「會ふは別れのもとゐ」にて候。 思召しきり給ひて、跡跡を念比に御弔ひ候へ」と教訓あれば、「御意のごとく我らも存候へども、あの娘共が、まだ廿にもならひで、あのやうなる體をみれば、親よ子ながらも煩悩がおこりて、身のおき所も御座ない」と申された。 55 ある人さんざんに煩ひ、医者をよび、脈を見すれば、「これは大事の煩ひにて候。一儀を御つゝしみなくば、御薬進ずることなるまひ」と申されければ、「その段は御きづかひなされそ。はや二三年もそのかたは思ひもよらぬ」といふ。 「さらば、まづ薬を一服参らせ、此かげんを見て御左右仰候へ」といふ。 「御つゐでに、女どもの脈をもおそれ申せ」とて呼び出だす。 醫師「此脈は懐妊の心持御座有。これはくるしうもおりなひが、亭主のその気色にて、あのやうでは、中中寮治がなるまひ」と申さるゝ。 亭主赤面して、「それは我らが子では御座あるまい」といはれた。 56 むかし下京に道無といふ者あり。 よき娘をもつ。 ある人、「よき所へ肝いりやらふ」といへば、「いか程の身代ぞ」と問う。 「前かどは四国をとられたるが、今は浪人ぢや」といふ。 道無事のほか腹を立て、「さてさて十石とる人のほしがるさへやらぬに」とて、中中聞きも入れなんだ。 57 有もの婿入するとて、まづ案内のために女房をやりける。 舅満足して、「さらば用意せよ」とて、さまざまこしらへける。 さて娘をちかづけ、「そちのは何ぞ藝があるか」といへば、「太鼓が上手ぢやとて、みな鉦をもつてならひにくる」といふ。 「それは奇特な事ぢや。さらば役者をあつべよ」とて、方方よりあつまる。 さてやがて婿来りて、獻々過ぎて、舅まかり出、「婿殿の太鼓聞き及びて候。御なぐさみに一番あそばせ」とて、太鼓を出だす。 「たべ醉い候へども、御所望を仕らねば慮外にて候程に、そといたさう」とて、大肩ぬぎ、撥おつて、「南無阿彌陀南無阿彌陀」と六斎念佛高々といたしければ、座中興をさましける。 58 ある人、若衆の御たづねを得て、「これは夢かうつゝか、かたじけない事や」とて、いろいろの御馳走申。 「御さかなも御座なけれ共、せめて御酒なりとも参らせたひ」とて、さまざますゝめ申せば、草履取の三八がまかり出て、「左様に酒な御しいなされそ。今朝もお里で、さけのみをまいりて、いまにお顔が赤ひ」と申た。 59 有若衆に貧僧がうちこうで、文の通ひ數もしらず。 又、其内にさる大名のほられた。 やがて定家卿の色紙を、御手本にとて進ぜらるゝ。 坊主はこれを聞きて、負けじと思ひて、弦法大師の心經のきれを三くだりばかり求め出しておくられた。 又、大名の方から刀、脇差を、かねてたくさんに付て、いかにも結構なるこしらへにて進ぜらるゝ。 貧僧是を聞きてあきれ、此返答に剃刀などにてすむべからずとて、やがて思ひきる。 何事も人にまけじと思へども黄金刀で手をぞつきぬる此歌をよみてをくり、やがて思ひつきた。 60 二郎といふ子、寺から清書して歸り、親共に見すれば、「さてさてうれしや、よき手にならふ」とてさあなかしくじらふ、とあるほどに」。 61 山寺の沙彌が御ちご様へ、「おそれながら御無心申たき」といふ。 ちご聞し召し、「さてもやさしき事や、さだめて情かけよとの望み」と思し召し、「やすき事よ、今なり共そち次第」と仰せければ、沙彌うけたまはり、「さてさてかたじけない。いつにても法印さま御留守に申上げう」とて、有時、法印下山の時分、大なる重箱をもつてかゝり、「御約束のごとく、是に一ぱひ眠藏にある味噌を御盗みて候て下されよ」と申た。 62 小ちごの御願ひごとに、「餅や饅頭に核があらばよかろう」と仰せらるゝ。 大ちごの云、「餅も饅頭も、核のなきゆへにこそ奔走すれ」と仰せければ、小ちご聞こし召し、「其はまたい、そちやたりうりう。まことがあらば、植へならべて花見して遊びたひ」といはれた。 63 そこつなる若衆、餅をまいるとて、もの數を心がけ、あまりふためいて、咽につまる。 人々笑止がり、藥を参らせても通らず。 何かと云うちに、天下一のまじなひてをよびければ、やがてまじなふて、其まゝりうこのごとくになつて、三間ばかりさきへとんで出る。 みなみな、「めでたひ事ぢや。さりとては天下一程ある」といへば、若衆聞給ひ、「名人ではなひ。あつたら物を、内へ入やうにしてこそ上手なれ。天下二でもない」といはれた。 64 有若衆の念者と寝て、暁方に、身を唾にてぬらし、「さてさて夢をみて汗をかひたる」といはれた。 「それはなに夢ぞ」といへば、「我等に、そなたから大なる熨斗付をこしらえて、これをさせと仰せらゝ。いやといふてかへせば、又無理にとらへて帯にさゝせらるゝ。何とぞして是を返したいと思ふて、くたびれたる」と語られた。 念者聞て、「そうじて春の夢はあはぬ物ぢや。きづかひなされそ」といふた。 65 尾張の名古屋へ、西國より大名衆御見まひとして御下りの時、さまざまの御馳走、中中言語にのべがし。 下々をば町中よりしだしに仕れとて、獻立をいださるゝ。 一 本膳は   にんじん汁  一 なます   鮒などとてさまざま也。 町人どもこれをみて、「いづれも調へ申べきが、かやうに大勢の事に、人参を十片ではなるまひ。 いかやうにも此儀御わびごと申さん」とて、御奉行衆へ訴訟申ければ、奉行衆笑ひ給ひて、「訴訟聞し召しわけられらり。さあらば大根汁にて御ゆるしなさるゝぞ」と仰ければ、「よく御訴訟申たる物哉。そうじて此殿さまほど御慈悲ぶかき事は、天下に又もあるまい」とてよろこびけるとぞ。 66 顔色をとろへ、いかにもらうもらうとしたる人、竹田法眼へ参、「ちときこんの落つる御藥を申うけたき」よし申せば、法眼不審に思ひ、「見かけにちがうたる御のぞみぢや」と申されければ、「御意のごとく、我らが用では用では御ざらぬ。女どもにあたへ候」と申た。 67 ある人、十二三なる子を寵愛して、つねに謠を教へけるが、「せつかく習へ、やがて十月十三日になるぞ。百はたご食いにつれてゆくぞ。よく覚えて其時うたへ」といふ。程なく御命講ぢやとて、寺より案内ある。 「いつものごとく必ず」とふれらるゝ。 さて後、子をよびいだし、「明日は寺へ連れて参るぞ。謠を忘れな。よき時分に父がにらまうぞ。其時かしこまり、扇をとりなをし謠へ」とねんごろにいひふくむる。 さて十三に親子連にて参り、方々のつきあひにて次第次第になをる。 「まづ幼ひ衆へ」とて膳を据へければ、かの息子につこと笑ひ、「なふ父、百はたごとはこの事か」といふ。 親迷惑して、きつとにらみければ、よき時分ぞと思ひ、かしこまり、「松がねの岩まをつたふこけむしろ」とたかだかと謠うた。 (拾遺) 1 又ある者やう、「公家衆は、鳥けだものゝ名をつかせらるゝ」といふ。 「なぜに」「先、烏丸殿、鷲の尾殿、鷹司殿、猪熊殿、此分じや」「いや、まだある」「たれぞ」「までのこうぢ殿よ」。 2 嵯峨の大學寺殿へ、遠國の順禮が参り、「これは何と申所ぞ」といふ。「これは御門跡」と答へければ、「三文にまけて見物はなるまいか」とて、いろいろ申た。 「五文の關」とおもひし事、口惜しき次第也。 3 中むかしの事にや、信濃國にて、ある人、主人を申入んとて、尾張の熱田へ、生鯛をとゝのへに遣うはしけるが、此使のもの、鯛といふ物を知らず。 やうやう熱田につきて、魚屋是を聞て、「これほど多き鯛を買はずして、鯛買お買おといふは、さだめて、遠國の者よ」と心得、鯛と名付て、いかにも大きなる螺を売る。 此者急ぎ歸るほどに、殿の御出なさるゝ朝、参り着く。 亭主、これを見て、「是は鯛にてはないぞ、まどひきという物じゃ」といふて、使の者をさんざんに叱る。包丁人是を見て、「これは鯛にてもなし、又、まどひきにてもない。是はおにのきこぶしと云うものじゃ」といふ。 又、ある侍の申さるゝは、「沙汰のかぎり、みなみなは是を御存じなきか。これは、へふぐりといふ物じゃ」と云。 まどひきの、おにのきこぶしの、へふぐりなどゝいひて、色々詮議まちまちする所へ、殿の御出である。 亭主御むかひに寵出、「今日の御越しかたじけなき」よし申上る。 又、「御馳走のために、尾張へ、最前より鯛をととのへに遣はして候が、鯛にては御座ないかと存る。いろいろの名をつけたる」よし申上る。 「さらばそれを見う」と仰せられければ、やがて御目にかくる。 主人御らんじて、「みなみなは遠国にすみ候とて、是ほどの魚の名を知らぬか。是は、まどひきにてもなし。おにのきこぶしでもなし。又へふぐりにてもない。是は、にかわときといふものじや」と申された。 4 ある人、にはかに醫師心がけ、醫書をあつめ、そろそろよみて、合點のゆかぬ所に付紙を付る。 女房是を見て、「その紙は、なぜに付させらるゝ」と問へば、おとこ聞て、「是は不審紙とて、合點のゆかぬ所に付て、後に師匠に問ふためにつける。それによりて、不審紙と云」。 女房聞て、「なかなかの事じや。おれも不審がある」とて、紙をすこし引裂きて、唾をつけ、おとこの鼻のさきに、ひたと付る。 「是は何事の不審ぞ。我等が鼻に、不審はあるまい」と云。 女房聞て、「其事じや。世上に申ならはし候は、おとこの鼻の大きなるは、かならず、かの物が大きなるといふが、そなたの鼻はおおきなれども、かのやつは小さい。これが不審じゃ」。 おとこ聞て、尤じや。又我らも不審がある」とて、女房の頬さきに、紙をひたと付る。 「是は何の不審ぞ」と云。 おとこ聞て、「世上にいたの頬は白けれぞ、へゝがくさい」といふた。 5 あるもの、火事にあひけるを、見舞に行きければ、其女房申けるは、「何にても惜しきものは御座ないが、古今、萬葉、伊勢物語、是三いろを焼きたるが何よりも惜しき」といふたるよしを、友だちの所にてかたり出し、「さてさてやさしき事かな。さほどなる身上にてもなかつてが、さだめて、いにしへよき人の娘が、又は名ある人のかくれた物共にてあらふ」と、此女房を事のほかに譽めければ、此友だちの女房、つくづくと聞て、我も家を焼きて譽められんとて、あやまちのよしにて、其夜、家に火をつけ、ことごとく焼く。 扨、翌る日、知人、諸親集りて、「扨さて、にがにがしき事かな」といひければ、この女房いひけるは、「何にても、別に惜しきと思ふものはないが、小杵、窓菰、伊勢摺鉢、是三色が惜しい事じや」とて、泣いた。 6 ある比丘尼、寄合ひて、色々の物がたりをしてあそばれたる所へ、わやくなる者行て、戸の節穴より、わたくし物を、いかにも見事にしたてゝ、によつと出す。 主の比丘尼是を見つめて、「やれやれ、こゝへ何やら知らぬ、蟲めが出た。そこな金火箸を、焼いておこさい。取りて捨てふ」といふ。 金火箸のくる音を聞て、かの物をひきければ、比丘尼うろたへて、「今までこゝにあつたまらがない」といはれた。 7 又ある比丘尼、三人つれて、通りけるが、道ばたに、馬めが、かの物をおやしてをりけるを、比丘尼共しりめにかけて、さらぬ顔にて通りけるが、さきなる比丘尼こらへかね申けるは、「今の物は、さても見事や。いざめんいざめんに、名をつけう」と申。 あとなる二人の比丘尼申けるは、「さてさて、よく御心がついた。先々さきより名をつけさせられよ」といふ。 「さらば我ら、申出した事じやほどに、つけ申さうが、よからうかしらぬ」とて、「九こん」と付られた。 「其いはれば」ととへば、「酒は晝飲みても夜飲みても、飲みさへすれば、心がいさみて、面白ひ。其上、酒は三三九度とて、獻數はさだまりて、九度が本じや。それより上は、あなたのきこん次第じや。是ほどよい名はあるまい」とふた。 中なる比丘尼申けるは、「梅法師」と付る。 「其謂は」と問へば、「見る度ごとに、つがひかるゝ」といふ。 あとなる比丘尼、「鼻毛抜」と付る。 「なぜに」といへば、「ぬく度に、涙落つる」といふた。 8 ある女房、河へ洗濯せんとて、行けるが、何としてか、女のさねを、大きなる蟹がはさみて、何としても離さず。 女房迷惑して、先々家に歸り、物に寄りかゝり、色青くなりてをりけるが、おとこ、他所より歸りて、「是はあやまちをしたる、又はくらんげか」といへば、女房聞て、ありのまゝにいふ。 「それはいまだ離さぬか」とて、女房の前をひき開けて見れば、したゝかなる蟹爰をせんと挟みてをりけるが、おとこいろいろさまざまの才覺をすれ共、此蟹すこしもくつろげず。 あたりの人の申けるは、「穴を望みてつきたる、生霊にてにて候程に、祈檮をさせて見よ」と申ければ、「尤」とて、あたりに山伏の有けるを呼びにつかはして、女の前をひろげて祈る。 此蟹、錫杖の音に驚きて、なおなお締むる。 「いかゞせん」と、詮議まちまちしけるが、山伏申やう、「わたくし是まで参り、むなしく歸り候まじ。所詮此蟹を噛みわりて、捨てん」とて、大口あきて、股ぐらへさし入、噛みつかんとしければ、かたかたのはさみにて、山伏の頬さきを、しかと挟みける。 色々才覺すれども、兩方ながら離さず。 女房ひけるは、「蟹のつらに、しゝをしかけて見ん」とて、したゝかにしけるが、山伏の顔にかゝる事、ひとへに、瀧にうたるゝごとくなり。 おとこ是を見て、「女どものさねの事は、挟み切り候共、いまだよけいが有ほどに、苦しうも御座ないが、お山伏の顔にしゝのかゝりたるが、何より迷惑いたいた」といへば、山伏聞て、「しゝのかゝつたも、蟹の挟みたるも苦しうも御内義さまの、へゝの臭いで、鼻がもげていぬる」といふた。 9 ある人の女房、腹を、さいさい痛がりければ、つねづね、鍼立を呼びて立てさせける。 ある時、又鍼を立てんとて、女房を、あふのけに寝させて、「今日はどこらが痛う御座る」と、問ひければ、「帶しより下が痛い」といふ。 「心得申」とて、臍の下に立てんとて、そろそろ探りける所へ、まだら猫来りけるを、鍼立是を見て、「さてもさてもよい毛や。これほどな毛はあるまい」と猫をほめければ、そばにて、おとこ聞て、我女房の、へゝの毛の事と思ひて、鍼立をよせなんだ。 10 地震ゆり候明くる日、門跡さまへ御見舞に、かたことひ二人、つれだちて参りけるに、すなはち、御目にかゝる時、兩人の内一人申さるゝは、「さてさてつふべは、大づすんがゆりまして御座る」といふ。 今一人、申やうは、「まことに、大なゆがゆりまして、御肝がつぶれう」と申。 門跡おかしく思召、御返答に、「なゆやら、づすんやら、世がねつするかと面思ふた」と仰られた。 11 大ちご小ちご、富士の山に雪の有を御覽じ大ちごの申さるゝは、「いかに小ちご、これほどなる飯は、なるまいか」と申されければ、小ちご聞て、「何とあらふぞ。とろゝじるならば、ねらふて見う」と申された。 12 ある人、申されけるは、「童を風の子と申は、なにとしたる事ぞ」と不審しければ、こざかしき者申やうは、「夫婦のあひだの子なれば、風の子といふ」と答へた。 よき返答の。 13 むかし、嵯峨の天皇の時、「無惡善」といふ落書をたてた。御不審なされ、あるほどの物識をよせて、御読ませ候へども、さらにこれをさらにこれをあかすものなし。 爰に小野篁と申者まかり出て、「無惡善」とみた。 其時、御門、逆鱗なさるゝは、「篁よりはるか物識さへ、え読まぬ物を、是者読み申たるは、さだめて、其篁がたてつらん」と、すでに流罪におおびける時、篁申けるは、「物を識り候へば、結句、罪科に行はるゝ事、迷惑」のよし申ければ、「物を識りたらば、さらば何にても、むつかしく、読まれぬ事をたくみて、読ませ候へ」と、物識どもに、仰付られければ、子の字を六つ書て、御読ませ候へば、篁、難なく読みけるほどに、「さては物識」と仰られて、流罪を、御赦しなされた。 子  子  子  子  子  子 14 ある人、いかにもうつけたる若黨を、よそへ使ひにやり、歸りて、返事を申上た。 「さて、振舞にあふたか」と問はれければ、「色々けつかうの振舞にあひたる」と申。 さて、獻立を問はれければ、菜ども、みなみな語る。 「汁は」とたづね申されければ、かなうつけ者、いひかねて顏赤めた。 「何とて申さぬぞ」ととがめ申ければ、「はゞかりに御座候程に、申されぬ」といふ。 「汁に何のはゞかりのあるべき。いそぎ申せ」と有ければ、其時ふるひふるひ、「蕨の御汁にて御座候」と申。 主人きゝて、「其汁に、なにのはゞかりの有ぞ」とて、笑はれければ、其時かの者やう、「わは、わこさまのわ、らは殿様のら、びは神様へさしあひ申」といふた。 さてもこまかに氣をつけたの。 15 關白秀次公の、御咄の衆に、曾呂利と申者、あまりよく話を仕候ゆへ、ある時、話につまり候やうにと思し召して、朝のねおきにいまだ顏をも洗はず、目をするする、取亂したるていにてありけるに、「何か話し一つ」と仰せられければ、俄につまりて、夢物語をかたり出しけるは、「さてもこよひ、夢を見て御座候が、ある所へ行き候へば、道に黄金がおびたゞしく落ちて御座候ほどに、「扨もうれしき事かな」と存、おもふ存分に拾ひ申、歸る所へ、落したる主來りて、「取返さん」と追ひかけ候ほどに、汗水になりて、逃げ候へども、すでに追付きさうに御座候時、あまり迷惑いたし、はこをたれて御座候が、目さめて、かの金をさぐりて見れ共、金はあとかたちもなくて、はこはしたゝかれてあつた」と申上げた。 16 ある大分限者、祈祷のために連歌をせんとて、連歌師をあつめ申された。 又、その向隣に、いかにもすりきりたる、連歌の上手あり。 それも其日の連衆に加はりた。 さて宗匠申されけるは、「御祈祷の事に御座候程に、亭主より、發句御出し候へ」と申されければ、其時亭主、  朝曇り又しこてろどて人だます  と發句を出した。 座中興をさまして、あきれられた。 その時、かの向の連歌師笑止がりて、句をなをしければ、亭主腹をたて、「わが句をなをさうよりも、まづをのれが家の屋根をふけ」といはれた。 いかい腹立の。 17 ある夫婦のもの、一儀をするたびたびに女房にいふやうは、「そちが物はさがりて、下につきてしにくい」といひけるを、隣の者、たち聞にさいさい聞きた。 ある時かの男、よそへ行きて留守の時、かの隣のたち聞したるおとこ、留守の女房の所へ行きて申けるは、「われわれは、ちとよそへ参り候程に、あとを頼む」と申ければ、「なに事に、いづ方へ行給ふぞ」と問ひれば、「其事じや。よそに、牛のへゝがさがりたる程に、あげてくれよといふ程に、あげに行く」といふ。 かの下につきたる女房、なのめに喜び、申やうは、「人のはなをり申まいか」といふ。「牛さへなをし候ほどに、人のは、猶猶やすく候」と申ければ、「恥かしき申事にて候へども、われらが物がさがり候とて、これのが、つねづね嫌はれ候ほどに、あげて給はり候へ」と申ければ、「心得候」とて、尻に小枕をさせて、したゝかにくわせた。 さても賢いやつの。 18 ある者、晝一儀をくわだてんと思へども、子供二人ありければ、ならず候程に、なにとかして、子供を使にやり候はんと、分別して申やうは、「此鐵輪を、兄弟して、中擔ふて、川へゆきて洗へ」と申ければ、「心得候」とて、洗ひに行。 くはだてゝ、しみたる最中に、子供二人ながら歸りた。 親どもうろたへて申やう、「何とて鐵輪をば洗ひ候はで、歸りたるぞ」と、叱りければ、兄むすこ申けるは、「よそにも、晝つびがはやるやら、川に、鐵輪洗がつかへて、洗はれぬほどに、歸りた」といふた。 19 ある女房、十ばかりなる子を、抱いて寝た。 さて、子が寝入りたるかと思ふて、男の所へ行きた。男いふやうは、「かめ女が、眼があかうが、なにとしてきた」といひければ、「そつとぬけてきた」といふ。 さて一儀をくはだてゝ、しみたる最中に、かめ女、そばへよりければ、母親申けるは、「われはなにとてきた」といひければ、かめ女申けるは、「おれもそつとぬけてきた」といふた。 20 ある分限者、娘をもちけるが、姉は十八、妹は十五になる。 此家の祈祷坊主、比叡の山の座主にてつねづね祈祷に呼びけるが、ある時、父親申されけるは、「我はなにゝても思ふ事はなきが、息子をもたぬが、何より迷惑にて候が、もし御坊さまの御祈祷の力にて、あの娘どもを、男子に御なし候事は、なるまいか」と申されければ、座主申されければ、座主申されけるは、「それはやすき事にて候。御經にも、變成男子の法とて御座候。御娘御二人ながら、下の坊まで給はり候へ。いづれなりとも、器用のかたを、男になし申さん」と申されければ、夫婦ながら、なのめならず喜び、娘共をつかはしける。 さて、座主、姉妹の娘を、別々に置き、思ふほどたくりて、飽き候時、「何と祈り候ても、男のは、成申さず候まゝ、その方の因果と思し召せ」とて里へ歸された。 其時親ども、娘にいふやうは、「なにと祈られた。又、さもなかりけるか」と申されければ、妹申やうは、「御坊さまも、いろいろ奄出し、夜晝、しゞを植へ給へども、生へつかなんだ」といひければ、姉娘申やうは、「生へつかぬも道理じや、さかさまに植へられたほどに」といふた。 21 吉田殿の山に、松茸がはへ候へども、松茸の有よし、よそへ聞え候へば、むつかしきとて、ふかく穏密なさるゝ。 さりながら、長岡幽齎へは、少し遣はさるゝとて、「これは、我らが山に生え候へども、世上へは、穏密いたし候へども、世上へは、穏密いたし候へども、其方へは進じ候。よそへ御かくし候へ」とて、遣はされければ、幽齎、狂歌をあそばされた。 松茸のおゆるをかくす吉田殿わたくし物と人やいふらん 22 ある人、わづらひさんざんなりければ、醫師来り、一脈とりて、藥を與へ、いろいろの毒断を書付けけるに、一儀の事は親類も見る事ありとて、書き付けざれば、苦しからずとて、慎まざるゆへ、以てのほか再發す。 醫師来りて、「沙汰のかぎり」と叱りければ、  毒断のうちならばこそ悪しからめそゝはなにかは苦しかるべき 23 わかき物共、寄合ひて、中にも年ごろの男申さるゝは、「此ごろ一ゑん暇なきゆへ、かのあそびもならず、せんずりばかりにて暮す」と語るを、隣の太かみ是を聞、せんずりといふ事をしらず、不審して嫁に問うが、いやいや心やすく息子に問はんとて、問われければ、息子返答に、「それは人の不辧したる事を左様に申」といはれた。 ある時客人に、大かみ申さるゝは、「いにしゑはともこうも致し候へども、これのがすぎられてのち、子共も我らもせんずりばかりかき申候ゆへ、何の御そうも申さず、御はづかしい」と申された。 24 さるわかき後家、娘に聟をとる。其後親子して此聟を論じける。 有時、奉行ゑ上がる。 親の申さるゝは、「我身若後家なれば、入聟を取候へと、あたりの衆も申さるゝより、斟酌には存じ候へ共、みな様の御意見につき、夫をもうけて候へば、いたずらもののあの女が、我が男にて候と申上ぐる事、何とも迷惑に存じ候。聞し召しわけられ下され候へ」と申上げれば、娘腹をたて、「大人げなき親をもち、御はもじに御座候へども、この上は真直に申べき。父親遺言にて、あのゑもん太郎殿を、われわれと一つになし候へと、かたく母様に御申をき候ゆへ、一つになし候てから」と申上る。 奉行聞し召し、親子詮議は無u、む子を呼び出し、「親の方ゑか、娘の方ゑか」と御たづねあれば、ゑもん大郎申やう、「其御事にて御座候。我らはどち共なしにむ子を仕たる」と申た。 二股膏藥とはこの事か。 25 有人、石山寺ゑ參詣して縁起聽聞す。 其文言にいはく、「そもそも此石山寺と申は、前に湖水あり、後にある峰に堂あり、谷に塔あり、二王門あり」。 是を聞、「これは飛鳥井殿御寺か」といふ。 「なぜに」といへば、「何にもかにも、ありありとあるほどに、さうかと思ふた」。 26 此ほど上京に、にわかに分限になりたる者あり。 今焼の壺をへ出す。 ある數寄者、格子の内をのぞき、この壺を見て、「扨扨異風物かな。口がひろくば、だひ壺によからふ」といひて、手を入て見れば、入からこの手がぬけず、迷惑してまづ代を問ふ。 内よりこの手もとお見て、「千貫ならば売らふ」といへば、これを聞て肝を消し、「さてさて左様にする物ではないぞ。百貫に」と値ぎる。 「中々さやうにはならぬ」といふ。 二百貫、三百貫まで値ぎる。 「いや、こなたへ」とてひく。 次第にはれてぬけず。 「さらば五百貫に買わう」といいゑば、もしぬけぬさきにとて、まけて金受取。 さて歸りてぬかふと思へば、又、格子にせかれて出でず。 「ついでに格子をも買わう」とて、また百貫添ゑ、六百貫とり、今長者と申なり。 27 わたしましの連歌に、春の日や軒ばにつけてめぐるらん とした。 宗匠、迷惑して、「何と、なをるまいか」といへば、「はやまつKにすみになりたる」といふ。 「大事か、又わきにつけうまでよ」といはれた。 28 うつけたる物のより相、「そなたの屋根にわ星もない」といふ。 「何ほどあつてもみな糠星で役にたゝぬ」といふた。 29 氣の短き者のよりあひて、「此脇差売らふ」といふ。 「値寸は」と問ふ。 「三百八寸ぢや」と答へた。 30 東山南禪に佛事あり。 いづくともしらぬ敗僧、禪僧の衣を借着して、五山衆にうちまじりていづる。 ゐづれも寺々の衆、座配ありてそれぞれになおり給ふ。 これをば知らで、かの坊主うろたへ、かなたこなたとやすらふ。 座敷奉行これを見て、「そなたの名は何と申ぞ」と問へば、坊主廢忘して、「これは大徳の治部卿」と答へた。 「扨扨禪僧には珍しき名ぢや」とて、やがて引たてた。 31 時宗の僧、禪僧にあふて申るゝ、「禪宗はようきんの字をつかはるゝことぢや」「なぜに」「まづ、大唐にて兩きん山寺、さて金藏主、茶巾、布巾、淨巾の、つきむの、頭巾」と色色いひたつる。 禪僧のいはく、「みなはようつ字を使はせらるゝ。先、南無阿彌陀佛、踊つ、はねつ、鉦を叩いつ、何やらしつ」。 32 上京小川に、いがらし日蓮宗の信者あり。 此人、大徳寺三玄院の、國師の御師しが、つねづね國師ゑ教訓申されけるは、「是非とも法花衆に御成り候て經御いたゞき候はゞ、我らにをゐて、別して満足仕べし」と申された。 33 又ある人、下人をよび、右のごとく次第をいひ教ゑ、「構いて、「茶をたてた」などゝいふな。「大福御い候へ」と申せ」とねんごろにいひつくる。    此大福をわすれて、「を茶湯がわきましたが、を枕はあがらぬか」といふた。 34 「今日は彼岸の中日ぢや。慈悲心ざしこそせずとも、せめて寺參りなり共せう」とて參る。 折ふし御坊は、見事なる鯉を庖丁して御座ある。 檀那、庫裏ゑはいりければ、坊主肝をつぶし、うろたゑて、「此鯉は何と申鯉で御座ある」といわれた。 35 ある者、む子入するとて、所の年寄りたる人に式次第をならう。 「其方舅の所は山家にて候程に、振舞に蟹をいださう。構いて褌おはづしてまいれ」云。 「委細心得申」とうけあふ。 案のごとく蟹お出す。 此む子、箸をからりとすてゝ、下帯をはづして引むすび、膳の脇に置きければ、「此作法でこそあるらふ」とて、みなみな座中見苦しき褌をはづしける。 36 主の後室え御見舞に参り、「扨々殿の御座らねば、御屋形あれて、所所修理にむかいて候。御笑止や」と申せ。 「其事よ、是のがむさとし廣げてをかれて、今俄にすべうとしてもすべられぬ」と申された。 37 又、ある人、秋の前に、野宮の森のこがらし秋ふけぬ とつけた。 「ぬどまりか、ならぬ」といふ。 「さらば、ふけて」とをなす。 宗匠きゝ、「とてもの事に、じやうをさいてをかせられい」と申された。 38 連歌師のあたりに、夜る少便しければ、内より、「夜分に居所へきたつて水邊をはなつものは,人倫か生類か」と、とがめた。 39 ある人、子を寺へあげ、久しくあはぬとて迎ひ行、連れて歸る。 寺内にて、ゆき相程の人、「すばり、里へか。さらばさらば」といふ。 親これを聞て、「すばりとは、名をかへたるか」と不審する。 「寺のならひにて、下戸を、すばりと申す」と述べた。 扨、五三日過ぎて、又同道してまいる。 法印、出相給て、「松千代ははやう、兵衛殿奇特に」とて、御酒をしいさせらるゝ。 「一圓に我らも、倅と同じ事にて、すばりで、下されぬ」といへば、「ざれ事ばかりいはずと、一つ参れ。みなの一門は、ちとなるかと思ふが、たゞし、思ふ忘れて候か。是非一つ」と仰せければ、「法印様の御覚えも、惡う御座らぬ。松千代と、私こそすばりで御座候へ。あれが、姉母は、すばりで御座なひ」と申た。 40 ある人の御内儀、大事に御わづらひにて、醫療さまざまなり。 とかく御祈念しかるべきとて、山門の法印へ、御迎馬を上せらるゝ。 やがて法印、馬に召しけるが、「あまり此馬はやうて、中々乗られぬ」と仰せければ、舎人が申やう、「手綱をしめて、召させられよ」と申。 「心得たる」とて、ひたもの下帶をしめたまひて、「これほどに、息のはづむ程しめても、はやうて、役にたゝぬ。とかく下りて、あのようだがましぢや」と仰せられた。 41 連歌すきたる醫者の所へ、藥取りにゆく。 おりふし、一順を見てゐられたが、「心得た」とて、藥を合はせ銘を書くとて、 一包に、水天目に、一杯ながら入、生薑三折に、歸るかりがね と書かれた。 ある人、紹巴所へ行、「我らあまりに、無能に候ほどに、なににても心掛け申たきと存ずる。 醫師か連歌を望みにて候。御談合申、御意次第にいたさう」といふ。 紹巴聞て、「それは、よき心掛にて候。二つのうちにては、連歌がましであらふか」と申された。 それより、連歌をすきける。 42 ある人、紹巴所へゆき、「さてさて、いばらやの無心は、貴老、御談合にて、連歌仕よし申候が、何と思し召して、御意見なされ候ぞ」と不審する。 巴の曰く、「其事にて候。あれほど、ぶ作にて、醫師をいたされ候はゞ、人種があるまい。せめて連歌にては、人を殺すまいと存じて」と申された。 43 ある者、淨瑠璃をすきて、明暮語る。 「花のやうなる御姿」の、「迦陵頻迦の御聲」のと、さまざま結構にいふを、女房つねづね妬ましく思ふ。 あるとき女房に、「かたびらの綻を縫へ」といひつくれば、「御身のいつもほむる淨瑠璃めに、縫はせよ」といふ。 隣の者申やう、「それは五百年さきの事なるに、いらざる悋氣ぢや」といへば、「千年でも、言ふ筋なら、言ふ筋なら、言はで堪へまい」。 44 有人、女ばかりすき、一圓に若衆のかたを知らず。 傍輩ども申やう、「貴所は田夫野人ぢや。さだめていままで、若衆のおこないやうをも知るまい」とて笑ひければ、「その事ぢや。つゐに知らぬ。さりながら、人のするを見てあるが、不思議な事がある。何やら、ひたものとつて食うたが、何とも合點がすまぬ」といはれた。 45 ゐ中へ、ものゝ本売りに下りて、いろいろの物売りける。 又ある人、枕草子を買うとて、「もし文字の違ひたる事があらば、かへさうぞ。此ほどの、買うた中にも、惡しきことがある」と申されければ、「これは、要法寺の上人、せいわう坊の、校合なされた程に、少しも違ひは御座有まい」と申た。 46 ある人のいはく、「「奉公をするに、日夜に心のひまなき事、いつまでかくあるべし」と思ひ、ある時、作り病をして、かくれ家にてみづから食物を調へけるに、立居すること七十度にあまれり。今まで人に使はるゝとのみ思ひければ、をのが身に仕ふるものをと分別して、それより心をゆるさず、主の御前に仕ふまつりければ、ほどなく出頭者といはれ、七珍萬寶みちみちて、をのづから心安き事もあり」と語られし。 たゞ迷ひの眼に地獄も餓鬼も敵もみえ、悟れる眼には極楽も寂光の顏もかくみゆると思ふべし。 47 ある人、下人に、「内裏ちまきを買ふてまいれ」といひつけたれば、「心得申」とて内裏様へ参り、御門番の御前うちあけ、「ちまき買はふ」といふ。 番衆おかしく思ひて、「いか程にて買ふぞ」と問へば、「百文にて」といふ。 御番の人々申さるるは、「これは内裏ちまきとて、一貫文より下にては売らぬぞ」といへば、「げにも、此家づくりのていにては、さうあらふ事なり」とて、宿へ歸り、しかじかといふた。 物ごとに不案内にては、恥をかくべき事なり。 48 むかし天子御不例の時、ある御醫者參内ある。 「くろとりは御毒か」と仰せられた。 この醫者、「くろとりといふ事存ぜず候。上々の御言葉、下々うけたまはりしらず。何にて御座候ぞ」と申上られた。「わらびの事」仰せられた。 49 同じく三條殿へ、山崎の宗鑑を同道にて、宗長御見舞に伺候ある。 かゝるところへ、參河の國より、牡若の縁とて、いかにもかすかなる花一もと、御文箱にそふて、何方からやらん参つた。 すなわちこれを題にて御發句、  あれをみよ花のすがたもかきつばた   飲まんとすれば夏のさわみづ   くちなはれていづち歸るらん  これにて百韻遊ばされた。 是を俳諧の手本にするぞ。 50 むかし、三好家より、御即位御執行の御沙汰あいながら、調いかねければ、何者のしわざやらん、一首、  やせ公家のの麥飯をだにも食ひわびて續飯だてこそ無uなりけれ  この時に堂上堂下うちよらせ給ひて、「さてさて憎い落首の立やうかな」とて、  たがいふぞ麥飯續飯にならぬとは命をだにもつげばつがるゝ又京わらんべ、事たらぬねやしもてこし御則位をおこしておこなふ君が代もがな  其時分は、落首中々毎日、數へられぬほど立ければ、これを三好家にも無念とや思ひけん、急ぎとり行われけども、やうやうかたぎばかりにてありければ、又何者やらん、 いにしへのはゞ程もなきそくいかな 51 さもなき人、外聞に、「御公家方へ御歌の會に昨日参た」と、歴々のなかにて語る。 これを人々をかしがりて、「其をもむきは」と問へば、「珍しき題にて候。まづ一つは、「子の日」ぢや」。 是は「子の日」をいふた。 「又、一は「松若」ぢや」。 是は「杜若」をいふた。 是を座中のものおかしがり、たれ共なく一首、  知りてさへ知らず顏する人もあるに知らで知るふり行末の恥 52  禁中にて、月舟和尚、東坡講釋あり。 一段とおもしろく思し召すゆへに、なかさたちまちめいねうす。 つねづね下腹氣にて腹くせあしきゆへぞ。 しかる間たゝみながら御しらすへかきいだす。 あまりに笑止さに、御前に三條殿ましましけるが、俳諧の發句をいだし給ふ。 月の舟へさきに出るうらみかな  御製、  一花薫九重   月舟の道具を一華と申ゆへ  この御兩句、田舎の人、紹巴へ不審す。 「月の御發句、花の御脇、あふそれながら珍重。しかはあれど、季が違ふた。御發句は秋、御脇は春なり。これはかく候や」。 紹巴答えていわく、「總別、御製などに、なにかと申事、そらおそろしき御事なり。しかしながら御發句と御脇と、季の違ふたことは、あげて數ふべからず。その外、季のない事も、筆にはいかでつくすべき。證據は、先耳近き事に申べし。平家物語に、源三位頼正鵺射し時、宇治の右大臣殿、  ほとゝぎす名をも雲井に上るかな  と遊ばしければ、頼政承て、  弓はり月のいるにまかせて  かくのごとく、御發句は夏、脇は秋ぞ」。 又問ふ、「季のない證據はいかゞそうろう」。 「次の平家に、大炊の御門公能公、  五月やみ名をあらわせる今夜かな 頼政うけたまわり、  たそがれ時もすぎぬとおもふに これこそ季のないためしよ」と申されたれば、田舎の人、「さてさて」と紹巴を拝しけり。 53 むかし、松木殿と申御公家を、將軍ことのほか御寵愛のあまりに、高官にと思し召しけれども、三大臣は、はやふさがりぬ。 儀同にすゝめられるゝ時、 權門にひきまはされてめでたやな松は茶臼の新儀同殿  これは、たゞにはあらぬ作意と沙汰あり。 御所は萬松院殿とかや。 54 南帝(なんてい)の御とき、京方にも天子御座あり、將軍あり、管領あり。 吉野にも天子御座あり、將軍あり、管領あり。 このときの落首、  王二人管領二人御所二人むたりとしたる京のありさま 55 陽光院さま、御不例の時、通仙御脈御とりちがへのおり、 通仙は將棋も下手と見えにけり王のつまるをしらぬあわれさ 56 俊成卿は、九十一にてみまかり給ふよし承て候。 八十一の時の御歌とて人の語られ候は、 いにしへの鶴の林の煙にも立おくれぬるみこそつけられ 尼入道はなしの事 57 ある若き人、例ならぬ心地ありて、不慮に身まかりぬ。 惡事はみにおりおり、善事は少もなさず。 「やれやれ地獄におもむいて、かゝる苦しみにあふと思はゞ、後世菩提も願ふべきものを」と後悔すれども、先にたたず。 しかれども、頼み入たる出家あり。 此人、「来れかし」といふ聲を聞て、地獄のうちより出家の聲として、「さてさて、これへ御いでなり、我々この釜の中に候。これへ御入りあれ。すなはち、愚僧が扇をふまへ給へ。入りざまに、目をふみつぶいてたもるな」。 58 さるかたに比丘尼風呂御焚かせ候。御寺領の百姓集まり、これを焚く。 まづ試みにとて、庄屋の一番入りて倨るところへ、方丈様御いでと聞て、叱られては大事と心得て、顏を兩の手にてかくし上る。 方丈さま御覽じて、「なふおろしや、あれはたれぞ」。 かう藏主聞て、「顏はかくして候ほどに、誰とも知れ候はねども、まらは、門前のまご太郎がものぢや」と仰せられた。 さてさて能しられた事ぢや。 59 時宗の坊主、比丘尼と一ところにて、雨の中寂しさに、一番と思ひ、夜一人の小者をば酒を買いにやる。 あとにてやがてくわだつる。 比丘のいわく、「なふ死ぬる死ぬる」と聲をたてられたれば、坊主も、「そなたの御死にあれば、おれも死ぬるよなふ」と、ろんぎに聲をたつる。 しかるところに、小者は酒屋へは行かずして、これを聞きいたり。 さて、ことすぎて後、「酒は」と問へば、「いまだ買いに参らぬ」といふ。 「なぜに」といへば、「おびんさまも御坊様も、二人ながら、死ぬる死ぬると仰せられたほどに、死なせられたらば、酒代はたがなし参らせうぞとおもふて参らぬ」といふた。 60 美しき坊主、伊勢參りする。みや川にて、川渡に手をひかれて渡る。 川渡、一段と不浄なるものにて、これを比丘尼かとおもひ、川中にて、むずと手をやりてさぐる。 坊主、「これは」と言われた。 このときに川渡うろたいて、「いや、こゝなへゝは大にらぢや」といふた。 たがいに笑ふてはたいた。 61 ある小比丘尼、師匠の御つかいとて、里はなれた野をひとりゆくに、こゝをおりふし不浄なる若者の通り合せて、比丘尼にことばをかくる。 「少御無心申たい」。 尼のいはく、「何事ぞ、無心といふ事、不案内、さらさら知らぬ」。 若者聞て、「お知りなくは教へ申さう」「なふ、きやうこつや」とて逃ぐる。 男追いつき、ひきころばかす。 さて鼻紙をとりだし、枕にさせ、さて、「湯具を下にしき給へ」といへば、比丘尼のいへば、「なぜに土にてしたり、よごれう」といへば、「いや心安く思し召せ。尻はしたにおくまい」といわれた。 さてさて一ばんに不案内なといふたに、いかう違ふた。 62 さる人、「念佛まうしはいかぬるい」といわれた。 「K谷に熊谷がいらるゝ。それもぬるいか」。 63 「天台宗はぬない」といふ人あり。 「西塔のかたはらに、武蔵坊辧慶もいるげにす」。 64「聖道宗(しやうだうしう)は、ようあて字あそばず」「修道も修道によろう。弘法大師、あて字は少しもないげにす」。 65 足利にて、新發意衆、訪問す。 「一つから九つ迄、つの字ありて、十につの字のそはぬは如何」。 答えて日はく、「もつとも道理かな。五つゝにつの字を過剰した程にぞ」。 これも一段と頓作ぢやぞ。 これらのちに學校になられたといふ。 66 惡道なる新發意、師匠の氣をとり失ふときに、「醫師のところへ、氣付を取りに走れ」といひ付られたれば、道にて、碁を見ていた。 67 物書くには、句の切りやうが大事ぢや。 京に柄杓さしの上手あり。 元來は大津の者にてありけるが、都に家をもち、すなはち、表の暖簾に、「天下一大つひしやくや」とかきつくる。 これをわらんべ、大つび借家とよふだ。 「さてさて手柄なへゝをもちたことぢや。天下一の大つびが借家してゐる程に、いざいざ見物に行かん」とて、かの家の門前に、貴賎群集をなす。 もとは、 天下一  大つひしやくや      いまは、  天下一  大つのひしやくや    かくのごとく、のゝ字をいれて書く。 「尤ぢや。はじめよりその念はありたい事ぢや」と、人ごとにいふ。 68 大ちご  小茎 こらへよし   世間みな なれかしと思    小ちご  大茎 中こせすひほどに 69 わが手とゞかぬ山ざくら  大ちご    のぼらばや  若むらさきの原のうへ   小ちご     ふもとはかすむ峰の月   新發意   小ちごの作文出きた。 70 大飯に、そのまゝ汁をかけて、いくたびもまひる。 後見がこれを見てにらむ。 ちご仰せられ候やうは、「三位、おれをにらまうより、とろゝのをつけをにらまいよ」といひながら、むずむずと、いかほどもまいつた。 71 よく悋気(りんき)する女房、若衆の痛がるを障子越しにみて、「さてさて、あのよがるつらは、なふ、にくや」といふて腹をたてた。 72 御ちごさま、はじめて御登山に、痔をさんざんに御わづらひにて、正體なき御姿とて、法院、三位を召して、もつての外御折檻。 「あのやうにしやぶるものか、さてさてくせ事ぢや」。 三位申やうは、「日本國の大小の神、別しては山王大師も御照覽候へ。しやぶりはいたさぬ、ぬき様にやぶられた」。 73 大ちごの尻毛を、小ちごに抜かせらるゝところに、屁をひられたれば、小ちごの日へ、しゝをふきいれた。 涙をながさるゝを法印御覽じて、「小ちごの涙は何事にて侍るぞ」。 小ちごしかじかと告げられた。 法院このよし聞し召して、大ちごも小ちごをもさんざんに叱られた。 「おれが毛つびと楽しむものを、さし出た事をして」と仰せられた。 74 惡道なるちごの木へのぼるをみて、 さるちごとみるよりはやく木へのぼる  ちご、ことのほか腹をたてゝつけられた、 犬のやうなる法師きたれば  一段よい作文ぢや。 しかしながら、句作なをあるべき事也。 75 新發意かたへ、師匠お御留守に、去方より餅到来したぞ。 これをちごにかくすを見給ひて、 望月の木がくれしたる今夜かな  返し  たゝみのへりを山の端にして 76 ある坊主、渇食におもふ様ほれて、何をがな進上申さうと、いろいろさまざま、とりかへひきかへ愛らしきものを御目にかけ申せども、目をも御やりなされぬ。 「こゝに横川の御ふでさんていし、所持つかまつり候と、さうてんも御一筆にて候。若御用には御座ないか」と申。喝食聞し召して、「それはなつかしい。ちと見たい事ぢや」「さらばとに參はん」と。 生國和泉の國の者なり、いそぎ取りに下る。 そのあひだに吉日良辰あるによつて、髪をおろさせられた。 そのゝち、泉州より歸りて、新發意にならせられた姿をみたれば、戀がさめた。 「さて、先度の三ていしは」と仰せられたれば、「中々、取りて參りては候へども、かりほんにて候」と紛らかいた。 77 ある修行者に、路次にて鷹野の大名、「あ僧いづくへ」と仰られた。 「愚僧も存ぜぬ」「一段好いた返答ぢや。戸齎を申さう。あの森のうちにて、そんぢやうその家へ行てお參れ」との給ふた。 「愚僧ばかり參りては、いかが候はん」と申されたれば、裏差をぬいて、しるしに御やり候。 これをもちて行き、思ひのまゝ齎を食うて、一首書きていでられた。 こゝにきし   かゝるおもひか   たびの身に   なさけある身を   たてみてぞゆく さて、殿屋形へ御歸りありて、様子御たづねあれば、この短冊を御目にかけ申た。 能々思案して御覽ずれば、「小がたなしかにおく」といふ、義理こもれり。 歌の品に、沓冠の風情といふは、これなるべし。 きのふはけふの物語 下 1 秀忠公より 禁中さま御作事のとき、國々の人夫ども、築地まはりの植木の枝に、面桶をひしとかけてをひたるを、柳原殿御らむじて、  見わたせばやなぎさくらにごきかけて都は春のこしきなりけり 2 関東の事なるに、今井殿といふ人の娘を、春日殿へ嫁にとられしが、やがてあくる日に送り歸されし。 いかなる事にや、おぼつかなし。 此時市川肥前の守、  末とげてとてもいまいの娘御に一夜の宿もかすがどんなり 3 織田の信長、事のほか内裏さまを大切に思し召し、村井春長(しゆんちやう)を奉行につけられて、禁中のことごとく御修理をなさるゝ。 是を、うつけたる者の申やうは、「村井殿、内裏さまの御念者か」といふ。 「なぜに」といへば、「今日も内裏さまのみしりをしにいかせらるゝとて、日に日に御出あるほどに、さうかと思ふた」。 4 今程世間に手鑑はやる。 色々さまざまの古筆をあつべ、奔走する中にも、杉近衛殿手跡ほどなるはあるまひと沙汰する。又、文盲なる人申やう、「それほどなるよき御手を、何とて勅筆とは申さぬぞ」といふた。 5 ある出家、五六歳なる捨子をひろふて、養い育て、七つ八つより法花經そのほかのよみ物共、奄いれ教へられ候へども、一圓おぼえず。 あまつさへ、師匠の申さるゝ事を承引せず。 「言語道断、憎い事や。をのれめは五つ六つの時より拾ひ、養育して、やうやう人になし、經陀羅尼を教へけれども、あともなふ忘れて、惡行ばかりに身をなして、我らにすねはまること、いはれなし。やうやう杖柱にもなる時分に、さやうに振舞う事、沙汰のかぎり。愚僧が今にも死たらば、跡式をもとらせうずるに」とて、思ふまゝに叱られければ、其時彼新發意申ける、「御坊の仰ら分、一つも我ら心中かなはず。そのごとくなる無理ばかり仰せ候とも、少しも御意に従うまひ。此申分、御心にあたり候はゞ、所の代官へ成共御上げ候へ。理非は聞き知る人が御座らう」とて、いよいよすねける。 坊主腹をすへかねて、奉行所にて右の段々申さるければ、やがて新發意を召して、「御坊存分、念比に聞きてあり。其方覚悟、沙汰のかぎりぞ。今よりは老僧次第にして、孝行が肝要ぞ」と仰わたされければ、「御意かしこまり承候。我らにもさやうに申され、迷惑仕候。それがし一向もつともと存ず。いかにと申に、まづ、養ひ育て人になしたるなどゝて、無理なる事を申され候。それが馬の子牛でも候を人になされ候へば、恩とも存じ候はんが、はじめから人の子にて候。又、經など教えたるとて、事々しく申されても、一字も覚え候はねば、みな返したる同然。また死んだら跡をくるゝと申され候。是も、1日なりとも世に有うちに寺をもわたされ候へば、満足いたし候が、死なれてあとは、我らより外に取り手がなく候間、これもつて恩にならず。其上、木竹のきれのやうに、杖にならぬ、柱にならぬと、朝夕申され、何より何より迷惑仕候。さては、何か一つも師匠のどうりたるべし。よくよく聞し召しわけられ、眞直に仰せつけられ候へ」と申ければ、奉行衆も、此惡道者にいひふせられて、あきれて返答にも及ばれなんだ。 6 ある寺に、名作の大黒有よしを聞及、さる檀那まいり、「一目拝み申たい」とて所望する。 坊主きゝて、「それは師匠の時こそ。今はおりない。人が申共、まことになされそ」といふ。 檀那きゝ、「我らよふ存ぢて候。余の人とはかはり、久しき檀那にて候。是非とも」といへば、「その儀ならばお目にかけう。構ひて人に御語り候な」とて、美しき女房をよび出だす。 「いやいや、此事では御座なひ。本のお大黒を」といへば、「さてさてよく御存ぢや。かならず沙汰のなきやうに頼み入候。内々方丈さまほしきよし、色々仰らるゝゆへに、深くかくし申せ共、此上ぢやほどに御目にかけふ」とて、又、天人のやう成を出された。 7 ある人、舞を一段自慢して、月夜に一條の辻にて舞うた。よき舞かと思ひ、たちよりて聞けるが、一人づゝみな歸る。 八九十なる姥が一人殘りて、さめざめと泣く。 あたりなる者申やう、「あれほど下手の舞が、なにとあはれにて泣くぞ」とて笑ひければ、「いや、あはれにはないが、我らが草履を借りて尻にしかれたるが、はやうとり返し去にたい」といふた。 8 さる寺へ参りけるに、美しき禿の居けるを見て、「さてさて美しき御若衆かな。どなたから御越しぞ」と問ふ。 「あれは大坂浪人ぢや」といふ。 「さう見えた。よひ子ぢや。さりながら、とてもの事にへゝをつけてほしや」といへば、新發意きゝて、「長老さまもさやうに仰らるゝ」といふた。 9 ちご、御里にひさびさ御遊びなさるゝ。 法印さまより御見舞として、御文を三位につかはさるゝ。 その文色々さまざまの御思ひぶりの文體の中に、「そもじ、ながなが其地に御逗留にて、此ごろはおにやけに飢え申」と、くり返しくり返しあそばす。この文を脇明の袖から落ちたるを、ちごの母拾うて見て、右の文言を不審に思ひ、父に問へどもしらずして、「ちごに問ひ、何にても持せ進上申せ」といふ。 さらばとて問ひければ、ちご赤面して、「其事にて候。山のならひにて、酒をさやうに申ならはし候」とのべられた。 「それこそやすきことよ」とて樽をとりよせ、母の手にて、「上おにやけ、おなら」と書付けて進上する。 「さて、三位殿、御辛労や。ちとおにやけを参れ」とて、ひたものに酒をしいらるゝ。少もたべぬ。「一圓の下戸ぢや」といへば、「それはあまり残りおほき事や。さらば、おにやけの身をなりとも参れ」といはれた。 10 「若衆さま、御姿と申、御心遣と申、まことに残るところも御座ない。されども、よそへ御出であつて、人の刀、脇差、鼓、大鼓によらず、よく値ざしをなさるゝ。これ一つが玉に疵ぢや。よくよく向後は御たしなみ候へ」といふ。 若衆聞し召し、「さてさて過分な御意見ぢや。ずいぶんたしなみ申さう。まことにまことに此やうなるかたじけなき御意見は、百貫でも買はれまひ」と、はやくわせた。 11 山寺の坊主、親しき人にあふて、「この程久しく若衆に飢ゑて迷惑をいたす」と語る。 此人きゝて、「もつとも、お道理や。何とぞ思案して、おにやけの張形を仕、進じ申さう」といへば、坊主満足して、「それはなによりの御心ざしで御座らう。善惡頼み入候。たゞし、とてもの事に好みがある」と申さるゝ。「いかやうの御このみぞ」と問へば、「味をばへゝの味になされてくだされよ」といはれた。 12 無道なる者、さる若衆を無理に押し付、たしなませて、あとを指にてひた物くじる。 「これは何事ぞ、狼籍なるしかたぢや、言語道断の事」とて腹立てければ、「是ほど味のよひは不思議ぢや。中に毛つびがあらふ」と云うた。 13 かん松、熊野を爲損じければ、  宗盛のさこそ無念におぼすらんかんまつ大ゆふに熊野をしられて   14 聚樂にて、金剛大夫、勸進能に芝居銭三十文づゝとりければ、  金剛は二束三文する物を三十とるは雪駄大夫か 15 若衆の御姿を見て、「さてさて残る所も御座ない」とて、しみじみとほむれば、そばなる坊主たちこれを聞き、「仰のごとく、御かたちは天下一、おにやけは守護不入ぢや」といはれければ、又、そば成新發意の申やうは、「守護不入るでも御座らぬ」といふ。 「なぜに」「さいさいふちやうが出る程に」。 16 長岡幽齋公、鶴の庖丁を人に御教へ候時、白鷺を板にのせ出しければ、當座に、 白鷺か何ぞと人の問ひし時鶴とこたへへて食いなましものを   17 奈良の伊勢屋といふ酒屋、安き酒には水を入れて売りければ、ある人是を買ひ、さんざんあしきとて、狂歌をよみける、  酒の名も所によりてかはりけり伊勢屋の酒はよそなどぶろく  伊勢屋返し、  よしあしといふは難波のひとやらんをあしをそへてよきをめされよ 18 有若衆、念者と寝て、とりはづひてけがをして、さらぬていにて、「さてさて、なれなじみの中ほどありがたき事はなひ。いまのやうなるけがをしては、腹を切りてもあかねども、なじみゆへになに共存ぜぬ」と仰せければ、念者うけ給、「さてさてかたじけない。さやうに思し召し候へば、生々世々忘れがたひ」と申もはてぬに、又、地ひびきのする程なるをせられた。 念者、鼻をふさぎて、「かさねがさね過分にはあれども、もはや御無用無用」。 19 さる若衆、これもとりはづしてずいとやり、何共此にほひをさるべきやうはなし。 いろいろ物語しかけて、「さて、山王祭を御覽じ候か」「いや、まだ見申さぬ」といふ。 「さらば拍子をふんできかせもうさう」とて、「大宮のはし殿はのんのやのんのや、山王祭すこすこすこすこや」。 この拍子にてくだんのいきをふるひ出だす。 念者聞て、「さてもおもしろき事かな、聞及たるよりよき拍子ぢや。さりながら、まねさへ是ほど臭いに、正眞は中々あたりへ寄られまひ」。 20 高野聖、若衆にほれて、色々くどく。 されども此若衆つれなふて、つゐに同心なければ聖かさねて申やう、「毎年、二季に心づけいたさうが、それでもいやか」とぬかいた。 21 長老様へ、與六大夫殿おかた、御見舞に坐禪豆をもつて御越しある。 新發意、長老さまへ、「與六大夫殿おかた様、御音信にこれをもつて御参り候」とて、指にてかのものを作り、御目にかくる。 長老これを見て事のほか腹をたて、「時にこそよれ。客のあるに、さやうなる事をするものか。沙汰のかぎり、くせ事ぢや。いまよりして弟子とも思はぬ、師匠とも思ふな。はやはやまかりたてよ」といふまゝに、降魔の利劒をもつて追出し給ふ。 檀那衆これを聞きて、御詫言申とて、まづ新發意に問へば、「いさゝかお腹のたつほどの事では御座らぬ。これをしたとて、ことごとしう叱らるゝ」とて、又くだんの手もとをして見せければ、檀那衆是を見て、「中々のことぢや。其儀ならば、いか程申とも御同心あるまい」とて、頓着せなんだ。 22 有人、他國より女房をよふで、久しく添ひけるが、心ならず此女房ををくりけるとて、「飽き飽かれたる中でも候はねば、御恨みもあるまじく候。縁盡きず候はゞ、又、迎ひいたし。何なりとも惜しくほしき物を取りて歸り候給へ」と、さまざま積みければ、女房きゝて、「仰のごとく、飽かれて出候とも、何か恨みの候べし。まして故有御事なれば、御ことはりにも及ばず候。又、この寶のうちに、欲しき物はなく候。我々身にかへても惜しき物の候」といふ。 「此上は何なり共御望み候へ。かなへ申さん」とて、誓文をたてきかせければ、「さては偽りではなひ。さらば御共申。惜しき物は、見よ」とて、馬に抱き乗する。 誓文の上なれば、理につめられ是非に及ばず、それより五百八十年契りける。 「女にもかやうに知恵のふかうてやさしきものゝあり」とて、人みな感じけり。 23 きく屋の與三カ、亭主の留守に、「おそれながら、お方さまへ申度事が御座ある。かなへさせられば申さう」といふ。 お方腹をたて、「うすじほや、そのつれな事いふか」とて、さんざんに叱る。與三カ聞きて、「我ら申かけて御同心なくは是非におよばぬ。堪忍まかりならぬ」といふ。 お方これを聞き、恐ろしさに、「それほどに思はゞいつ成とも」といはれた。 「さらば、たゞ今」といふ。 「それはあまり急な」といへば、「いやいや、人のなひとき申さう」とて、耳にさゝやきて、「朝夕の御飯が食いたらぬ。ちとおしつけて下されよ」と申た。 24 おちごさまへ申、「法印さまは御留守か」「いや、持佛堂にかきして御座る」「かきとは何事ぞ」「ひだるさに、看とも經共はねられてこそ」。 25 あるちご、存の外に餅を聞し召し、にわかに煩熱して迷惑なさる。 「ちと、うちのくつろぐやうに御藥を参らせう」といひければ、「藥や湯が口へ入るほどならば、また一つも餅をこそ食わふずれ」。 26 延暦寺の小法師、御齋すぎて、山へ木の葉掻きに行とて、御ちごさまの中食を膳棚に上げをき、其下に小法師が晝飯も置いた。 さて、山より歸りて見るに、御ちごさまの御膳もあがり、我が飯もなし。 不思議なる事と思ひ御ちごさまに問へば、「まことに、お汁かと思ふて、あこが飯に打かけて食うた」と仰られた。 27 叡山の小法師ばら、山へ行さまに、「御ちごさま、こゝに御晝が御座りまするぞ。九つをうつたらば、こしめせ」と申置いて出、やがて山より歸けるに、やうやう四時分に、はや参りたるあとあり。いかにと尋ね申せば、「いや九つ過ぎたる」と仰らるゝ。 「たゞいま四つをうちたるに」と申せば、「さればこそ、今朝五つと今四つとは、九つでないか」と仰せられた。 さてさて、よき算用や」とて、あきれもせなんだ。 28 西洞院外カ所に鞠を蹴るとて、何とかして懸より外へついと越へ、大道へおつる。折ふし遠國の侍、人あまたつれて通られけるが、「これは何物ぞ」とひしめく所へ、ふらめいておつる。 「心得たり」といふまゝに、槍の石づきにて、つとんといはせた。 主が是をみて、「心がけはよけれども、人の飼鳥と見えて、鳥家までしてあるに、殺すまひものを」といはれた。 29 ある若衆、もつてのほか御患ひにて、いまを限りとみゆる。 念者、嘆き悲しむ態、まことによその袂もぬらしける。 「とかく此分ならば程もあるまひ」とて、葬禮の用意する。 念者申やう、「來世まで御供申さう」とて、棺を大きにこしらへた。 さて程なく若衆果て給ふ。 念者の親類共、いろいろ意見すれども、「中中、是ほど人もしらぬさきこそ、今さら我らとり亂し候とも、御叱り候てこそ満足なれ」とて、聞きもいれず。 さて、我と棺へ入り、鳥邊野へ送り、引道もすぎて、火をかけければ、棺の中より高聲に申やう、「蓋をあけてたべ、申たき事有。まづ火を消して給はれ。思ひきりたる事なれば、命は露塵共思はぬが、煙くさい。まづ小便してから、心静かに遣言せう」とぬかひた。 30 へうたん屋の四郎三郎、盗人が戸をあくるを聞付て、手槍をもつて待ち構へ、「なにさま、たゞ中をぐさりと突くべし」と思ふ所へ、つぬとはいりければ、彼槍をばとりなおしもせず、口にて、「ぐつさり」といふた。 31 さる寺にて、順禮と鉢開と寝物語するをきゝければ、順禮申やう、「さてさて、いかなる因果にて、我らはかやうにあさましき事や。せめて天下を三日しりたひ。さあらば、國々の辻堂の板敷をたかだかと作らせ、縁の下にて、其方たちとゆるゆると話したひ」といふ。 鉢開が聞きて、「貴所はそれほど鈍なゆへに、諸國をめぐる事ぢや。その身に應じたる願ひをしたがよひ。たゞ我らは、京の國を一日なりともしりたひ」「なぜに」「町中の犬どもをみなうち殺させて、ゆるゆると鉢を聞きたい」といふた。 32 ある人、「辨慶は判官殿の若衆ぢやか」といふ。「なぜに」といへば、「判官むさしを召され、と舞うほどに、さうかと思ふた」。 33 さる上臈衆、長老さまへ申さるゝは、「罪業ふかき身にて、後生一大事をもしらず、月よ花よの遊びにてくらし候事、あまりそら恐しく候。ちと御示し候て下され候へ」と申されければ、長老聞き給ひて、「それは奇特なる御望みにて候。あらあら申入れ候べし。そもそも女人成佛の法と申は、彌陀の御誓願に如く事なし。何をもつてかくいふなれば、まづ女は、つび深くして浮みがたし」と仰ければ、こらへかねて、くつくつと笑ひ給へば、長老腹をたて給ひて、「愚僧が歯のぬけて舌内のあしきは、年寄のならひぢやに、それはお上臈衆の氣のやりやうがわるい」と仰られた。 34 昔公方さま、持佛堂へ御参りなされけるに、おりふし阿彌陀の名號落ちさせ給ふを、じゆん阿彌といふ同朋まかりたつてかけ奉れば、やがて落ち給ふ。 そのときの御詠歌、梶原とじゆん阿彌だぶが二度のかけそれは功名これは名號 35 「御若衆さま、弓矢八幡命がつれなふて、かやうに物を思ひ候。露ばかり御情」と、いろいろに言葉をつくし申ければ、若衆聞し召し、「我も岩木ならねば、御心中思ひやり候へども、とかく念者がきつうて心にまかせず候。さ程に思し召し候はゞ、永き契りとなり申べし。いざや一所に身を投げて、同じ蓮の縁となるべき」よし仰せければ、「さてさてかたじけない事かな。さらば御供申さう」とて、川のほとりへゆきて若衆仰せけるは、「いざ手をとりくみて、死出三途をも越さん」と仰せければ、「我らが事は何と果て候てもくるしからず候。まづまづ御急ぎ候へ。御成候やうを見とゞけ参らせて、やがて追つき申べし」と、ふかく契約申せば、「其儀ならば、六道の辻にて待ち申さん」とて、いたはしや、いまだ二八ばかりと見え給ひけるが、花のやうなる御姿を、浪の藻屑となし給ふ。さて、念者心静かに十念して、一首かくつらねし。 南無といふ聲のうちより身を投げて阿彌陀は水のこそあれ とはよみたれ共、「思へばいらぬ事ぢや。たゞ生残りて、後世を弔ひ申てこそ、眞實の心ざしにてあれ」とて、我と我身に意見して、一文字にかけもどる。 かの若衆も、何とかしてやがてあがり、さきにて行きあひ、幽靈かと思ひ肝をけし、剃刀をぬいて八双に構へ、「いかに亡霊、たしかに聞け。あとを弔ひてとらする。其がしを恨みて不覺するな」といひ捨て、あとも見ず逃げた。 36 津の國の中島に、大百性の比丘尼あり。 毎年中津川の堤がきるゝゆへに、隣郷の百姓共よつて、かの比丘尼が田の前を築く。 しかれば、嘉例として、人足どもの畫食の汁をば、此尼がとり行ふ。 ある年、又いつものごとく普請するに、尼何と思ふてやらん、汁を出ださぬ。 せつせつ使をたつれども頓着せぬ。 くせ事とて、その時代官へ訴訟すれば、やがて召し出だし、「毎年の儀を、何とて當年おこり申ぞ」と仰ければ、「その事にて候。いつもは我々が前を築かせらるゝ故に、汁を出だし候。當年は、我等田地より下の方きれ申て、隣の家の上を築かせらるゝに、何とてわきから汁を出し候はんや。思し召しわけられ候へ」と申ければ、上下おお笑になりはてた。 37 有出家、思ひよらず傾城町を通れば、やがて衣の袖をひかれ、是非に及ばず祝言をつとめて、出でさまに、布施にとりたる物を、「是しきなれを」といへば、傾城これを見て、「はやく、今日は我ら親の日にて候ほどに、それまでも御座らぬ」とて返しければ、出家きゝて、「それは何よりの御心ざし、ありがたう候。さあらば、袈裟をかけていたさう物を」といはれた。 38 又、ある法師、これもひき入られて、事すぎて禮物を出だせば、「今日は心ざし御候。御忘れなくは、毎月御越し候へ」といへば、「それこそ出家の望みにて候へ。来月はお逮夜から参ろう」といふた。 39 六条の門跡に能の有時、芝居へ饅頭をまかるゝ。若侍、力にまかせて打けるほどに、築地をうち越えて大道へ落つる。 山家よりはじめて來る者是を拾ふて、「さても不思議なる物かな」とて、色々詮議するうちにも、老いたる者の申やう、「とかく、これは天人のたま子にてあるべし」といへば、「もつともぢや。たゞ今生れたるとみえて、温かなるぞ」「さらば、温めて卵をわらせよ」といふて、綿に包み、懐に入れ、あたゝむる。 次第に青くなりて毛が生ゆる。「これは中々天人の子ではないぞ。むくりこくりが卵よ。疑ひもなひいぞ。卵をわらせてはあしかりなん。たゞ射殺せよ」とて、大雁股にて、ずんと射切つて、「さればこそもうさぬか。中にK血のかたまりがあるは」といふた。 40 ある長老、御患ひもつてのほかにて、今を限りと見ゆる。 弟子、檀那あつまつて、「さても笑止成御事や。比段にて何毒断もいらぬぞ」とて、酒と盃、枕もとに置き、「これこれ目をひらきて御覽候へ。いつもの御好きのもとにて候」といへば、「へゝかと思ふた」といはれた。 41ある人、美しき喝食(かしき)にほれて、歌を讀おくる。 君をのみ戀ひこがれつる手すさみにかどてに出て根芹をぞ摘む「いで、歌得て、詩、聯句にて返してもいかゞ」と思し召せども、歌の道はおぼつかなしとて、さる人に談合し給へば、「御邉は詩、聯句をなされ候ほどに、歌もなり申さう。 作意は同じ心にて御座候」と申さるゝ。 「さては別の事もない」と思し召して、返歌、  我しらみ鮒あぶり鷺足もぢりせどの畠で牛蒡ひきぬく  君をのみに、我しらりとつけられ、こひこがれつるに、ふなあぶりさぎ、と比ごとく對をなされし事、談合人の不念か。 42 近江の横渡にて、諸國のものども舟に乗り、いろいろ物語する中に、若き者の申けるは、「まことや、女の前の臭き物が香の物を漬けたるは、臭うて食われぬと云はまことか」といへば、舟中のもの共われも、「證據こそあれ、臭いが定ぢや」と、めんめんにいへば、船頭これを聞きて、舟をこぎもどして我が家の浦へ付、女房をよび出だし、「今朝の瓜をまづ漬けな」といへば、「はや漬けたる」と云。 船頭櫓櫂をすてゝ「南無三賓、瓜百すてた」といふた。 「さこそ臭からるらん」とみなみな笑ひき。 43 肥前の國神崎の郷に、南無の二字を額にうちたる比丘尼寺あり。 即ち二字寺といふ。此尼ども、つねに麻の絲を縒りて売る。 又、あたりに東妙寺といふ寺あり。 此坊主共、絲を買ひに行ていにて、さいさいものとしたとて、やがて門に、  二字寺もいまは六字になりにけり東妙寺より四字をいるれば   44 有人、酒を人のかたへ送りけるとて、遠來のよしさまざまいひて、少なき樽をつかひければ、文の返事に、  あまの酒ふりさけみればますかあるみかさものまばやがてつきなん 45 ある出家、師、弟子つれて齋に行、歸るさに傾城町を通るとて、新發意申けるは、「よきつゐでにて御座有。少し御寄り候へ」とゝむる。 師匠聞て「中々沙汰に及ばぬ事。 我らがやうな尊き知識などが、何とて、むさとしたる所へ寄るものか。ことに今日は布施もとらぬに」と申された。 46 ある人、絲柳を祕藏して植へおく。 これを案内なしにほつて行。 亭主とがめれば、「柳は見取ぢや」といふ。 一句につまり無念成事と思ひ、鼻柱をひしとくわせて血が滴る。 「是は何事ぞ」「鼻は紅よ」とて、やがて持つてまいつた。 47 圓n宸フ法師とさる所にて色々物語して、「さて、圓n宸フゑんは何にて候ぞ」と問ひければ、「簀子縁にて候」と答ふ。 「いや、何と書き申ぞ」といへば、「蕨縄にて書き申たる」と云。 「いや、その事では御座ない。字をたづね申」といへば、「地は赤土まじりの砂地ぢや」と答へた。 48 麹賣、金閣寺の塔頭を売りまはり、門外へ出づるを、門番の法師が引きとゞめて、「好事門を出でず」といへば、「僧は敲く月下の門」とて、はうときせた。 49 ある人、子に教訓するやうは、「汝を母が産みおとしてより此かた、あらき風にもあてじとして、ぬれたる所に我は寝て、かはきたる上に和殿を寝させて、十九や廿になし、高き山深き海とも思ふに、親のいふ事承引もせず、そのごとく我意にまかせて振舞う。くせ事ぢや」とて叱りけば、息子きゝて、「仰候段仰候段、一つもそれがしもつともと存ぜぬ。まづ養育なされ候とて、恩に御きせ候へ共、総じて、人の親の子を育つる事、珍しからず。我もやがて子持候はゞ、人が頼まずとも育て申さう。是もつて家なみにて候。そのうへ、我らを是非とも出世のためにても候はず。をのをの様をもしろずくのつゐでをもつてまかり出で候間、是又、何の御恩にても御座あるまひ。さりながら、げにげにさやうに思し召し候はゞ、もとの道からまかり歸り候べし」とて、母の内股へかゝつた。 50 ある女房、若き男にはなれ、嘆きのあまりに寺へ参り、「最期に仰られしは、まことに戀しき時は、香花もいらぬぞわらは前を手向けよ」との給ひし物をとて、前を開きて、「南無幽霊、出離生死、頓證菩提。これこれ、よくよく受け給へ」とゐ向するを、長老物かげより御覽じて、「ありがたき御心ざしにて候。こなたへ御入り候へ」とて、眠藏(めんざう)へひき入給ふ。 「こはなにぞ」といへば、「佛の御あとは出家の懐中詮索なし」と申されければ、是非に及ばず。 しばらくして出でさまに長老の申さるゝは、「御遺言にまかせられ、毎月御參詣候へ」と申されければ、女房きゝて、「御齋非時は申に及ばず、御布施にもいまのや。 51「御喝食様(かつしきさま)へ何がな進上申たひと思へ共、刀、脇差はいらざる御身なり。扇などはいかめしからず」とて、色々に案じすまひて、とかく正月のおなぐさみ、玉ぶり玉ぶりを銀、金のまるうちにして参らする。これを褐食御覽じて、「一段美しけれ共、重うて振られはせず、いらぬ物ぢや。」とて捨てさせられた。 「それは惜しや。どこへ」「眠藏のまん中へ。 52 貞安の談義に、「今日は彼岸もみてゝ候。此ほど奇特に上藤衆もお参りなされた。しかれば、彌陀如來の御誓願に、女人成佛の沙汰を申さうたゞし、念比に申せば談義が長うなる。又あらまし申せば、ちと耳遠き事なり。何とせうぞ。かたがたの望み次第にいたさう」と仰せけれども、談義の事なれば返事するひともなし。 貞安の云、「上藤衆は長ひがすきか、短ひがよひか」と仰ければ、女房衆一度に笑ひ給へば、長老きつとにらみつけて、「かたがたの氣のやりやうが、そでない」と申された。 53 西の岡の左衛門二郎が息子、牛のへゝをしたとて、所の物ども寄合て、「かやうなる物を其まゝ置けば、七里あるゝと申候。 急ぎ此在所を追ひ出だすべき」よし詮議する。 親此よしを聞き、まかりいで申やう、「なにとも迷惑仕候。これは人の申なしで候はん。中々牛のは熱うてしらるゝ事では御座なひ」と云。「さては親めもしたるぞ」とて、親子ながら追いはられた。 54 おごうさま、お乳の人を召して、「なふ乳母、きかしめ。殿のしゞの跡に、何やらんぶらめくが、あれは何ぞ」といはるゝ。「あれはお供の衆ぢや」い云。 「お供なれば、ちと呼び入れて振舞ひたひ」と仰られた。 「いや、御呼び候ても、うちへは参らぬ」といへば、「しかとその分か。うそをつき、そちへ呼ふだら、かゝ様にいふて、おんをひかへるぞ」。 55 ゐ中衆、久しく在京して國へ下るとて、山崎にとまり、「さてさて、此間は主命とて、長々の在京に、珍しき事もなくまかり下る事、無念に存ずる。せめてこゝもとで成共、一遊びせう」とて、亭主を頼ければ、「今ほど、さやうの者法度にて候へ共、ずいぶん人の嫁、娘などを才覺いたさう。我らにまかせられよ」といふ。 「其こそ一段望みなれ。急ぎ頼み入」「心得申」とて、たつてしばらくして歸り、「大かた契約仕候。一人足り申さぬが、さる人の後家、此程尼の御なり候。これはいかゞ候はん」といふ。 「それこそ日本一の事なれ」といふ。 「さ候はゞ、忍びやかに火を消して、籤取になされ、一人づゝ御出候へ。めんめんに渡し申さう」とて、夜ふけ、くだんごとくにくだす。 まづ髪をさぐりて、「さても無念や、尼にとりあたりたる」と思へど、是非に及ばず、だまりける。 さて、三番四番めもみなこの分にて寝て、さて、「夜明けては人目もつゝまし」などいふて、こそこそみな歸る。 亭主かたり付、思ふさま錢をとりける。 よくよく聞けば、風呂屋の火たきや、隣郷の乞食共を、麥一升づゝにてやとひて、金儲けして喜びける。 56 ある人、子をまふけて、「さてさてめでたひ事ぢや。ことによひ子や、髪が黒ひ、色が白ひ」のと喜ぶ所へ、隣のおめうさい、腰をかゞめよろぼひきて、「やれやれめでたひ」とて、上がらふとしても、縁が高さに上がりかねて、「これのは小縁がないほどに、あがられてこそ」といわれた。 57 あるちご、花見に行とて、白箸を一膳腰にさゝれた。 後見の法師がこれを見て、「沙汰のかぎりや」とて、目に角をたてゝにらむ。 ちごの曰く、「そなたの何と御にらみ候ても、あこが心には吉光の脇差よりもたのもしひ」。 58 ある出家、傾城町を通る。 上臈袖にとりつく。 「是は何事ぞ。此僧は五つや六つより佛の體に身をなして、女人のてから物をもとりかはさぬに、離し給へ」と、あらなげに申されける。 傾城聞て、「御もつともにて候。さりながら、無理なる事は申まい。まづ御出家は若衆をもちひ給ふよし、聞き及びて候。我らにもおにやけを御用にたち申べし」といふ。 坊主聞て、「それは耳よりに候。さて、お布施はいかほどぞ」と問へば、「その事にて候。表向きは我我もすきの道にて候へば、いかやうにも御意次第にて候。搦手は無理にたしなみ申ゆへ、ちと高直に御座候」と云。 坊主の曰く、「御覽候ごとく、貧僧と申、老體にて、搦手の難所、不案内にてはかなひ申まじ。たゞ大手にて一槍まひらう」とて、やがてものせられた。 59 「其方、女房を人が盗むをしらぬか。さてさてうつけぢや。よそへゆくていにて、かくれて居て見付て、打殺せ」の「叩け」のと、色々いひふくむる。 「心得たる」とて、二階にかくれて待つ所へ、案のごとく間男きたり、さまざまちけいのあまりに、女申やう、「眞實思へば、前をねぶる物ぢやが、そもじは我々をさほど思し召さぬ」と曰く、「一命をかけて此ごとく参るに、御疑ひなされ候。今なりともねぶらふ」とてひきむくるが、あまり臭さに鼻にてなづる。 女房よくおぼえて、「いまのは鼻ぢや」云。 「いや舌ぢや」といふ。詮議まちまちするを、此男、節穴からのぞき、よく見て、「どちの贔屓でもないがいまのは鼻ぢや鼻ぢや」といふた。 60 ある物、右のごとく間男來り、さまざまちけいのあまりに、「ねぶらずばさせまひ」と云。 「さらば」とて指にてくじり、その指をばのけて、別のをねぶる。 彼うつけ物是を見て、「女どもぬかるな。指にぬきがあるぞ」といふた。 61 山家よりはじめて婿の來るとて、色々さまざまの振舞をする。後段に切麥を出しければ、山家にてつゐにみたる事もなし。 一段と味のおもしろき物ぞと思ひ、酌をとる女に、「何といふぞ」といへば、我名の事と思ひ、「こいとゝ申」といへば、よくよく覚えて、後に禮文をやりけるとて、  先度は、はじめて参り、色々の御もてなし、ことに夜もすがら、こいと御ふる舞、忘れがたき味にて候。とてもの御事に、此方へ少給候はゞ、いよいよ満足たるべき。 とて書て遣ひければ、舅もつてのほか腹を立、「沙汰のかぎり成事ぢや。かさねて寄せな」とて、やがて娘をとり返しける。 62 有もの、よき女房をまうけて自慢するを、さるいたづら者の云、「貴殿のお内儀、方のごとくすぐれたるが玉に疵ぢや」「なにぞ」といへば、「まづ女の目には鈴をはれ、と昔から云傳へたるに、目の細きが難ぢや。あれをさて當世の南蠻療治にてなをしたらば、天下に有まひ」といへば、男聞て、「其はさて、誰が上手ぞ」といふ。 「いや、目尻を剃刀にて切りひろげて、我らが名誉の膏藥を申うけたひ」とて、急ぎ歸り、女房をとらへて瞼をすかと切り、彼膏藥を付て二三日してみれば、ひた物たゞれ、後、やがてあげくに盲にないた。 63 ある人、晝事くわだつるに、七つばかり成息子、やゝもすれば來て、のぞきのぞきする。 やがて鬼の面をかけてする。 彼惡道者がきつと見て、「やいやい、皆こひこひ。うちの納戸に鬼がへゝするぞ。ちやとこひこひ」。 64 博奕にうちまけたる者、寒いの中に丸はぎにあふて、内へ歸る事はならず、辻堂の縁の下にかゞみ居たる。 折ふしゑのころ一疋來るをとらへて抱き、是にて少腹をあたゝめてゐける所へ、又一人赤裸にて來、「其は何ぞ」と問ふ。 「されば、是にて少腹をぬくぬて息をつく。是にこりて、采を手にとりてもせまひ」といふ。 一人の者、「ちと借りたい」といへ共貸さず。 「さらばその犬かけに、一番參らふ」とて、髪の分け目から采をとり出し、やがてうつて、ひつたくつた。 65 御ちごさまへ念者から、「何にても進上申たひ」とて、色々さまざまの物を御目にかくれ共、つゐに御氣にいらず。 「あまり曲も御座なひ事ぢや。せめて短冊硯をこしらへ進上申さう。蒔繪は五十嵐に物數寄にまかせ、水入は丹阿彌れうがに銀と金とにて、そぎつきに雀を作らせけるが、とて物ことに御目にかけて、比を御このみ候やう」に御相口をもつて伺ひ申ければ、「雀のころは嚢程ながよかろう」と仰られた。 さてさて前廉の斟酌とちがうて、念者もあくびぢや。 66 紹巴の所へ、九州より連歌執心の人上洛。あう時、紹巴へ申やう、「國もとへの外聞にて候ほどに、三條西殿へ御體申度」よしをいひければ、「やすき事」とて、やがて同道してゆかれけるが、道にて紹巴申さるゝは、「御公家衆は、物ごとに御念入、ねどひをなさるゝぞ。貴所の宿は三條にて候ほどに、左様の氣づかひ肝要」と申されければ、「まことに御心づけかたじけなひ。其所はまかせをかれよ」と申。 さて御對面にて御盃くだされ、さまざま御念比にて、「向後は、上國の砌は、さいさい待ち入」などと仰られ、さて案内のごとく、「こゝもとにて宿は」と御尋ねなさるゝ。 かの人、何と心得てか、「二條の下」と申。 「二條の下は」と仰せければ、又、「四條の上」と申。 「四條の上とは」と仰ければ、その時かの人うろたへて、「三條西のつらのきたなき家に居まいらする」と申上げられた。 歸るさに紹巴に叱られて、「いはれざる御心づけにて」と、返て恨みられた。 67 上京に、平林といふ人あり。 此人の所へ、ゐ中より文より文をことづかる。 此者ひらばやしと云名をわすれて、人によませければ、「たいらりん」とよむ。 「そのやう成名でない」とて、又餘の人に見せければ、「これはひらりん殿」とよみける。 「是でもなひ」とて、またさる者に見すれば、「一八十木木」とよむ。 「此うちは外れじ」とて、後にはこの文を笹の葉に結び付て、羯鼓を腰につけて、「たひらりんかひらりんか、一八十にぼくぼく、ひやうりやりや」と囃し事をして、やがて尋ねあふた。 ある男、朝起きて、帶をときながら、私物を出して、火にあたる。 五つばかりの子、そばへよりければ、かの私物をかくす。子は是を何ぞと思ひ、「父の、なにやらん、かくいてみしらぬ。見たい見たい」とて、しきりに泣く。 親聞て、「をのれをこね出した、これ棒よ」といへば、母聞て、「朝泣きすれば一日泣くに、一こねこねて、見せさしませ」と云た。 ある人の所へ、傍輩一兩入つれだちて話しにゆく。亭主出合て話し、振舞をして出す。膳半に、きゃく人申さるゝ、「火のはたに何ぞくばりたるか、惡しきかざがする」といふ。 亭主聞て、人をよび、「火のはたに、何ぞ有か見よ。何やらわるい香がするぞ」といひ付ければ、此者、内所へ行て、火のまはりよくよく見れども、左様の物はなし。 さて、座敷へまかり出で、三つ指つきて申けるは、「火のはたをよく見て御座けれども、何も御ざらぬが、御方さまの、火にあたりて御座る」と申た。 ある人、よそへ使者をつかはしけるが、この人罷り歸、夫婦御座る所にて、御返事をこまごまと申上る。主人の申さるゝは、「盃は出なんだか、振舞はなかつたか」と申されければ、「御振舞こそ、御座あつた」といふ。 「献立は、何であつた」といふ。 「先御汁は、うづで御座あつた」と云。 「うづとは、何の事ぞ」といへば、「らの御汁で御座あつた」といふた。 すぐに鶉といひ度事じや。 ある侍、馬にのりて、川を渡りけるが、冬の事にや有けん、さきに渡る若當共申けるは、「扨もつめたい事じや。へのこがうめぼしになるぞ」といふ。 主是を聞て、「やれやれ、ないふそ、つがひかるゝ」といはれた。 それより、河原へ上り、行きければ、錢が一文落ちて有けるを、馬より飛んでおりて、是を拾ひて見れば、柿の蔕にて有。内の者共に恥づかしく思ひ、「何時も、か様の物をば、取て捨てよ、馬が驚くに」とて、捨てられた。 ある長老、町を通られけるに、わやくなる女房、走り出、衣の裾に取つき、さめざめと泣く。 長老御覽じて、「これは何事ぞ」といふ。 女房申様、「扨扨御情ない事や。われわれに、飯米をあてがひなく、さもなくば、塵を成とも結びて、御暇とて給はらば、顏にしるの有時に、似合にありつき候はんに、打すてゝおかせらるゝ事、數々恨み深く候」とまことしく言ひて泣く。 長老もとより夢にも知らぬ事なれば、色々陳じけれ共、はなさず。 見物の者共申けるは、「是は長老さまのが無理じや」といへば、いよいよ、女勝に乗り、はなさず。 「とかく爰にて、水掛合に申たり共、すむまい」とて、長老を引立てゝ、所の奉行へゆき、先女より申上、扨長老申さるゝは、「それがしは御覽候ごとく出家の事、さやうの義、ゆめゆめ御座ない。其上私は、喝食の時、らやくをわづらひ、みなみなおちて、やうやう株が一寸ほど御座る」と申さるゝ。 女申けるは、「其一寸ばかりの株にてさせらるゝ」といひければ、奉行聞給ひて、「所詮、御坊の物を見ん」と有ければ、「恥をかくせば、理が聞えぬ」とて、「女もよく見よ」とて、出されしを見れば、八寸ばかりなるを見せられた。 長老の才覺よかつた。 ある鹽売、寺の前を売りけるに、すなはちよび入て、先鹽をば買はずして、「さてさてそなたは、鹽などを売りさうな人にてはない。見どころがある」と誉むれば、鹽売り申やう、「さてさてよい目や。そこな折敷を、一枚下されい」とて、鹽を三升はかりて、さし出す。「是は」といへば、「今日は、伯父の頼朝の日じや」といふた。 ある若衆、熨斗付を欲しゝと思ひ、有夜、念者と寝ていふやうは、「そなたの腹の上に、物書かうが、讀ませられいや」といひて、「のし」と書ければ、はやさとりて、「あゝこそばいこそばい」とて、「つけ」までは、ねんもなう、書かせなんだ。 ある者、久々添ひたる女房を、にはかにいやがり、何とぞして、諍出して、追出さんとたくみけれ共、此女房、男に少しもたがふ事なし。 ある時、男の申けるは、「近比、申かね候へども、そなたを見れば、胸が惡い。合點づくにて、去んでたもれ」といふ。 女房聞て、「是非に及ばぬ。さほどに思し召さば、歸らふ」とて、いにしへ、嫁入の時に着たる衣裳を取出して着るまゝに、髪に油をつけ、齒を黒め、出立ければ、男つづくと見て、もとのあらばちの姿有。 なにとぞして、去なせまいと思へども、一度云出したる事なれば、止むるに及ばず。 折ふし、去ぬる道に川の有ければ、此男川のはたまで送り、我舟に乗せて、向の岸に着きければ、女房舟より上がりて、「さらばさらば」といふて去ぬる。 男是を聞て、「舟賃を出せ」といふ。 女房聞て、「そなたと我らが間にて、舟賃には及ぶまい」といへば、「それは夫婦の時の事、もはや暇を出してからは、他人じやほどに、舟賃がすまずは去なせまい。戻れ」とて、連れて歸り、五百八十年添ふた。 ある者、成人の子を三人もつ。 ある時、母の後の腰に、灸を男の三郎にすへさせけるが、三郎、母の腰元をほとほととたゝきて、「此あなたが、おゆかしい」といふ。 父親聞て三郎をにらみ、さんざんに叱りければ、中息子の次郎がいふやうは、「それは、父の悋氣じや」といふ。 兄の大カこれを聞て、「それは次郎がいふが、聞えぬぞ」「なぜに」「父のためには、女房じやほどに」。 八十ばかりなる婆、市にたつ。此若衆、婆を目も放たず、あなたこなたへつきまはりて、よく見る。 此婆思ふやう、「我に惚れられた、と見えた。一夜なびかふ」と思ふて、「いかにお若衆さま、我等に御用があらば仰られい。何事成ともかなへ申さう」といふ。 此若衆申さるゝは、「何も用はおりないが、我らは瓦師の息子じやが、其方の顏が、鬼瓦の本によいと思ふて見る」といふ。 婆聞て、「あの役にたゝずめが」といふた。 御所方の御乳の人、町へ魚買いに、下女をつれ御出なさるゝ。 下女、魚取上げ、嗅いで、「あらくさや」といふ。 魚売腹を立て、「おのしが主の、お乳の人の物がくさからふ」といふ。 下女きいて、「さても慮外をいふ物かな。しかとくさいといふか。さらばかゞせう」といふ時、お乳の人、「やれ下女、逃げい。非公事じや」とれた。 「四條に、玉葛が能をする。いざ見物に」と、誘う。 「それはみたい事ぢやが、中々ならぬ」といふ。 是非ともとて、誘ひければ、「いや、男のなら行かうが、女のは見ることがなるぬ」「なぜに」「これの山の~が、荒れてからたまらぬ」といふ。 「それはかくさうまでよ。是非」といへば、「いや、よこめがあつて、貴所たちにも心は許されぬ」といふた。 播磨の國、赤松又右衛門といふ人、美濃國、「はやしのかた、しゝのかは百枚、求めて下されよ」とて、文をやらるゝ。その返事に、 御状拝見致し候。次に、しゝのかは御用の由、仰せこされ候へ共、こゝもとにも、かりよりさきには、かは一圓御座なく候。 さりながら、もとすをたづね、あとよりとゝのへ、進ずべく候。 此返状を見て、赤松不興のよし聞き及び、急ぎ、播州へ下り、いひわけして歸り、とかく、侍たるものゝ、文盲なるは、口惜しき事とて、六十三にて、寺入せられた。 有人、大黒を常に信じ、まもり佛と頼み、萬のものゝ初穂をさゝげ尊みける。 しかれども、ついに身上おとろへて、住み所を去り、足にまかせてたどり行ほどに、一村のさし入に高札あり。 たち寄り見れば、「貴賎をゑらばず、望み成るものを聟のとるべし」とあり。 是日本一の事と思ひ、やがて、此札をとり、宿所にたづねゆく。 奏者をもつて、かの札をさし出す。 うちより心得て請じ入れ、美しき娘をいだし、盃とりかはす。 やうやう暮すぎて奥の間へ入、枕を並べけるが、今までよろづの初穂さゝげ申にとて、かの大黒を玉門の口へさしよせければ、女房は玉莽かと思ひ、こらへかねて、しきりにもちあげて玉門のうちへいれ、「これはもつたいなし」とて、ちやくととつて御厨子の棚に納め申、心しづかに語らひ、比翼連理と契りければ、やうやう明けすぎて手水にむかひ、かの大黒を清め申さんとて、たづぬれども見えず。 介添女に問へば、それは細き蛇のとりつきゐたる間、あれなる草の中へ捨てたるよし申。 やがてたづねいだし見れば、まことに蛇あり。 此事不思議に思ひ、あたりの人によそながらくわしく問ひければ、「今までに聟をとる事七十人にあまりたり。しかれども二日もゐず歸る。それをいかにといへば、「此娘かたちは美人なれ共、一夜そへば恐ろしき事あり」といひ傳へて、聟にならんといふ人なし」と語る。 扨は此女房は大黒の方便にて、われに與へ給ふぞと思ひ、いよいよ尊みけり。 有徳なる者、にはかに病づき、五六日すぎてさんざん弱り、目をまわす。 親類共迷惑して醫師を呼びて、まづ氣付を與へければ、病人、口に手をあて飲むまじきていを致しければ、みなみな、「笑止や、何の不足があつて参らぬぞ。もつたひなや」と、こがれければ、女房つねの心を知つて、「此藥は自らがおぢの御ふるまいにて候」といへば、そのとき口をひらきける。 有人、不辧して家をすて浪人するとて、門柱に、「黄帝の臣下」と書きつけてをく。 見る人不審しければ、さる人これをみて、尤と感じける。 「心はいかに」といへば、「過はその身の敵にあらずや。總じて人わそのほどほどにかまへざらんは、つゐにはたれも黄帝の臣下たるべし」といわれし。 ある人鼓すき、こしかしこに~事能などあればさし出て、日々に遊山のみにて暮しければ、程なく親の得させたる寶共をみな失ひ、俄に狂亂して人に喧嘩をしかけてさんざんてを負ひ、かの鼓をうつ事もならず。 をのづから内にのみ居て、営みをはげみければ、ふたび富みさかへけり。 たゞ及ばざる事に心をかくるは、我身の敵をもとむるにたり。 ある人文盲にて、過分の所領を代官するに、竹をきざみ、十石をば竹の大にて、いかほどの算用おもすましけれども、少もちがふ事なし。 その子、親のまねをして、竹ぎれを集めてきざみをすれば、親がこれを見て、「千松よ、手習するか。手をきるな」といふた。 ある人、歴々參會の中へ、下人が状持ちて來たりければ、さかさまにとつて、よみたる顏にてくるくると巻ひて、「此ほどすぢけにて物書く事がならぬ」とて、人を頼み、書かせ、文言を好む。 「いかにも、あけてあそばせ」とて、先度之御文御拝見申され候。 ちとちと御ひまに御きやう侍入候 かしく と書かせて下人にわたし、さてもとの座になをり、又右のおり紙をさかさまにとりなをし、つくづくとみて、「當世は文の口に判をする事がはやりものぢや」といわれた。 ある人、虚労してさんざん顏色おとろへ、醫者にあふ。 やがて脈をとりて、「これは大事の御煩ひぢや。一儀をあまり御すごし候ゆへと存ずる。たゞし、今からも藥を参りて、ちとよきとて油断なされな。毒断が専ぢや」とて、ひたもの藥を與へ、ちと脈がなをりたるとて、醫者も滿足して、いよいよ奄いだして、さいさい見舞申されければ、あるとき、晝事をしてゐられた。 醫師是を見て、「沙汰のかぎりぢや。これほどにしてたるに、いらざる辛労した」とて、以ての外腹を立つる。 病人聞て、「尤の仰せにて候へども、あまり口があじなさに」。 四十五になる娘をはじめて嫁入さするとて、親の教訓に、「かまいて、家でのやうに大聲にて物言ふな。嫁すみなどは、いかにも尋常に鶯の初音のやうに、ほそぼそとしたる聲せよ」とて、くれぐれいひふくむる。 さて、嫁入して明けの日宵に食ふたる菜漬けの味の甘味を忘れかねて、舅聞て、「さてさて一興ものぢや」と思ふて、長々としたるものを据へければ、又、鶯のとび鳴きに、「きゝき、きつてきつて」といふ。 口もとしほらしき事、思ひやられた。 K谷から京へ、毎月に出る坊主あり。 正月十日に、かな屋長春所にて大酒をして、歸りに道にて田の中へ轉び、袈裟、衣、小袖ことごとく汚し、やうやう下人の肩にかゝりて歸り、醉さめてから、「扨扨よしなき酒をしいられて、このごとく損をする」とて、事のほかうらむる。 扨、ほどなく二月に又酒をしいらるゝ。その時、かの供のまかり出、「先の月も御酒がすぎて、道にて轉ばせられ、御衣裳共、みな御汚しなされて候。さのみ御無用」と申せば、「其儀ならば申まひ」とて、納めとる。 さて、歸りざま、前の所にてまた轉び、供にひき起こされて、「汝よく聞け。正月には醉うて轉ぶ。今日は醉はねど轉ぶ。これみな前世の定まり事なり。向後は、そばから酒の斟酌は無用」と申された。 『きのふはけふの物語』終 2001.03.03 江戸笑話集 / 小高敏郎校注<エド ショウワシュウ>. -- (BN01073628) 東京 : 岩波書店, 1966.7 589p, 図版1枚 ; 22cm. -- (日本古典文學大系 ; 100) 内容: きのふはけふの物語 ; 鹿の巻筆 ; 軽口露がはなし ; 軽口御前男 ; 鹿の子餅 ; 聞上手 ; 鯛の味噌津 ; 無事志有意 注記: 監修: 高木市之助[ほか] ISBN: 4000601008 著者標目: 小高 敏郎<オダカ トシロウ> 分類: NDC8 : 918 入力:阪根 嘉代 監修:萩原 義雄