落窪物語                 巻一 今は昔、中納言なる人の、むすめあまた持たまへるおはしき。 大君、中の君には婿取りして、西の対、東の対に、はなばなとして住ませたてまつりたまふに、三、四の君に裳着せたてまつりたまはむとて、かしづきそしたまふ。 また、時々通ひたまひけるわかうどほり腹の君とて、母もなき御むすめおはす。 北の方、心やいかがおはしけむ、仕うまつる御達の数にだに思さず、寝殿の放出の、また一間なる落窪なる所の、ニ間なるになむ住ませたまひける。 君達とも言はず、御方とは、まして言はせたまはむべくもあらず。 名をつけむとすれば、さすがに、おとどの思す心あるべしと、つつみたまひて、「落窪の君と言へ」と宣へば、人々も、さ言ふ。 おとども、ちごよりらうたくや思しつかずなりにけむ、まして北の方の御ままにて、はかなきこと多かりけり。 はかばかしき人もなく、乳母もなかりけり。 ただ、親のおはしける時より使ひつけたる童のされたる女ぞ、後見とつけて使ひたまひける。 あはれに思ひかはして、片時離れず。 さるは、この君のかたちは、かくかしづきたまふ御むすめなどにも劣るまじけれど、出で交らふことなくて、あるものとも知る人なし。  やうやう物思ひ知るままに、世の中あはれに心憂きことをのみ思されければ、かくのぞみうち嘆く。     日にそへて憂さのみまさる世の中に心づくしの身をいかにせむ と言ひて、いたう物思ひ知りたるさまにて、大方の心様さとくて、琴なども、習はす人あらば、いとよくしつべけれど、誰かは教へむ。 母君の、六つ七つばかりにておはしけるに、習はし置いたまひけるままに、箏の琴をよにをかしく弾きたまひければ、嫡妻腹の三郎君、十ばかりなるに、琴、心に入れたりとて、「これに習はせ」と北の方宣へば、時々教ふ。つくづくと暇のあるままに物縫ふことを習ひければ、いとをかしげにひねり逢ひたまひければ、「いとよかめり。ことなるかほかたちなき人は、ものまめやかに習ひたるぞよき」とて、二人の婿の装束、いささかなる隙なく、かきあひ縫はせたまへば、しばしこそ物いそがしかりしか、夜も寝もねず縫はす。いささかおそき時は、「かばかりのことをだにものうげにしたまふは。何を役にせむとならむ」と、責めたまへば、うち嘆きて、「いかでなほ消えうせぬるわざもがな」と嘆く。  三の君に御裳着せたてまつりたまひて、いたはりたまふこと限りなし。落窪の君、まして暇なく苦しきことまさる。若くめでたき人は、多くかやうのまめわざする人や少なかりけむ、あなづりやすくて、いとわびしければ、うち泣きて縫ふままに、     世の中にいかであらじと思へどもかなはぬものは憂き身なりけり  後見といふは、髪長くをかしげなれば、三の君のかたに、ただ召しに召し出づ。後見いと本意なく悲しと思ひて、「わが君に仕うまつらむと思ひてこそ、親しき人の迎ふるにもまからざりつれ。何のよしにか、こと君取りはしたてまつらむ」と泣けば、君「なにか。同じ所に住まむ限りは、同じことと見てむ。衣などの見苦しかりつるに、なかなかうれしとなむ見る」と宣ふ。げにいたはりたまふことにてはべりければ、あはれに心細げにておはするを、まもらへ習ひて、いと心苦しければ、常に入り居れば、さいなむこと限りなし。「落窪の君も、これを今さへ呼びこめたまふこと」と、腹立たれたまへば、心のどかに物語もせず。後見といふ名、いと便なしとて、あこきとつけたまふ。  かかるほどに、蔵人の少将の御方なる小帯刀とて、いとされたる者、このあこきに文通はして、年経て、いみじう思ひて住む。かたみに隔てなく物語しけるついでに、この若君の御事を語りて、北の方の御心のあやしうて、あはれにて住ませたてまつりたまふこと、さるは、御心ばへ、御かたちのおはしますやうなど語る。うち泣きつつ、「いかで思ふやうならむ人に盗ませたてまつらむ」と、明け暮れ「あたらもの」と言ひ思ふ。  この帯刀の女親は、左大将と聞えける御むすこ、右近の少将にておはしけるをなむ、養ひたてまつりける。まだ妻もおはせで、よき人のむすめなど、人に語らせて、人に問ひ聞きたまふついでに、帯刀、落窪の君の上を語りきこえければ、少将耳とまりて、静かなる人間に、こまかに語らせて、「あはれ、いかに思ふらむ。さるは、わかうどほり腹ななりかし。われに、かれ、みそかに逢はせよ」と宣へば、「ただ今は、よにも思しかけたまはじ。今、かくなむと、ものしはべらむ」と申せば、「入れに入れよかし。離れてはた住むなれば」と宣ふ。  帯刀、あこきに、かくなむと語れば、「今は、さやうのこと、かけても思したらぬうちに、いみじき色好みと聞きたてまつりしものを」と、もてはなれていらふるを、帯刀怨むれば、「よし、今御けしき見む」と言ふ。  この御方のつづきなる廂二間、曹司には得たりければ、同じやうなる所はかたじけなしとて、落窪一間をいつらひてなむ臥しける。  八月朔日ごろなるべし、君ひとり臥して寝も寝られぬままに、「母君、われを迎へたまへ。いとわびし」と言ひつつ、     われにつゆあはれをかけば立ちかへりともにを消えよ憂き離れなむ 心慰めに、いとかひなし。  つとめて、物語してのついでに、「これが、かく申すは、いかがしはべらむ。かくのみは、いかがはし果てさせたまはむ」と言ふに、いらへもせず。言ひわづらひてゐたるほどに、三の君の御手水参るとて、召さるれば、立ちぬ。 心のうちには、とありともかかりとも、よきことはありなむや、女親のおはせぬに、さいはひなき身やと知りて、いかで死なむと思ふ心深し。尼になりても殿のうち離るまじければ、ただ消え失せなむわざもがなと思ほす。  帯刀、大将殿に参りたれば、「いかにぞ。かのことは」、「言ひはべりしかば、しかじかなむ申す。まことにいと遙けげなり。かやうの筋は、親ある人は、それこそともかくも急げ、おとども、北の方に取りこめられて、よもしたまはじ」と申せば、「さればこそ、入れに入れよとは言へ。婿取らるるも、いとはしたなき心ちすべし。らうたうなほおぼえば、ここに迎へてむ」と、「さらずは、あなかまとても止みなむかし」と宣へば、「そのほどの御定め、よく承りてなむ、仕うまつるべかめる」と言へば、少将、「見てこそは定むべかなれ。そらにはいかでかは。まめやかには、なほたばかれ。よにふとは忘れじ」と宣へば、帯刀「『ふと』ぞ、あぢきなき文字ななる」と申せば、君うち笑ひたまひて、「『長く』と言はむとしつるを、言ひたがへられぬるぞや」など、うち笑ひたまひて、「これを」とて御文賜へば、しぶしぶに取りて、あこきに、「御文」とて引き出でたれば、「あな見苦し。何しにぞとよ。よしないことは聞えで」と言えば、「なほ御返りせさせたまへかし。よに悪しきことにはあらじ」と言えば、取りて参りて、「かの、聞えはべりし御文」とて引き出でたれば、「あな見苦し。何しにぞとよ。よしないことはえ聞えで」と言へば、「なほ御返りせさせたまへかし。よに悪しきことにはあらじ」と言へば、取りて参りて、「かの、聞えはべりし御文」とて、奉れば、「何しに。上も、聞いたまひては、よしとは宣ひてむや」と宣ふ。「さてあらぬ時は、よくや聞えたまへる。 上の御心なつつみきこえたまひそ」と言へど、いらへもしたまはず。 あこき、御文を紙燭さして見れば、ただかくのみあり。     君ありと聞くに心を筑波ねのみねど恋しきなげきをぞする 「をかしの御手や」と、ひとりごちゐたれど、かひなげなる御けしきなれば、おし巻きて御櫛の箱に入れて立ちぬ。  帯刀「いかにぞ。御覧じつや」、「いで、まだいらへをだにせさせたまはざりつれば、置きて立ちぬ」と言へば、「いでや、かくておはしますよりは、よからむ。我等がためにも思ふやうにて」と言へば、「いでや、御心の頼もしげにおはせば、などかはさも」と言ふ。  つとめて、おとど、樋殿におはしけるを、落窪をさしのぞいて見たまへば、なりのいと悪しくて、さすがに髪のいとうつくしげにてかかりてゐたるを、あはれとや見たまひけむ、「身なり、いと悪し。あはれと見たてまつれど、まづ、やむごとなき子どものことをするほどに、え心知らぬなり。よかるべきことあらば、心ともしたまへ。かくてのみいまするが、いとほしや」と宣へど、恥づかしくて物も申されず。  帰りたまひて、北の方に「落窪をさしのぞきたりつれば、いと頼み少なげなる。白き袷一つをこそ着てゐたりつれ。子どもの古衣やある。着せたまへ。夜いかに寒からむ」と宣へば、北の方、「常に着せたてまつれど、はふらかしたまふにや、あくばかりもえ着つきたまはぬ」と申したまへば、「あなうたてのことや。親に疾くおくれて、心もはかばかしからずぞあらむかし」といらへたまふ。  婿の少将の君の表の袴、縫はせにおこせたまふとて、「これは、いつよりもよく縫はれよ。禄に衣着せたてまつらむ」と宣へるを聞くに、いみじきこと限りなし。 いと疾く清げに縫ひ出でたまへれば、北の方、よしと思ひて、おのが着たる綾の張綿の萎えたるを着せさせたまへば、風はただはやになるままに、いかにせましと思ふに、すこしうれしと思ふぞ、心ちの屈し過ぎたるにや。  この婿の君は、悪しきことをもかそがましく言ひ、良きことをばけちえんに誉むる心ざまなれば、「この装束ども、いとよし。よく縫ひおほせたり」と誉むれば、御達、北の方に、かくなむと聞ゆれば、「あなかま。落窪の君に聞かすな。心おごりせむものぞ。かやうの者は、屈せさせてあるぞよき。それをさいはひにて、人にも用ひられむものぞ」と宣へば、御達「いといみじげにも宣ふかな。あたら君を」と、忍びて言ふもありかし。  かくて、少将言ひそめたまひてければ、また御文、薄にさしてあり。     ほにいでていふかひあらば花薄よそとも風にうちなびかなむ 御返りなし。  時雨いたくする日、「さも聞きたてまつりしほどよりは、物思し知らざりける」とて、     雲間なきしぐれの雨は人恋ふる心のうちもかきくらしけり 御返りもなし。また、     天の川雲のかけはしいかにしてふみみるばかりわたし続けむ  日々にあらねど、絶えず言ひわたりたまへど、絶えて御返りなし。「いみじう物のつつましきうちに、かやうの文もまだ見知らざりければ、いかに言ふとも知らぬにやあらむ。物思ひ知りげに聞くを、などかははかなき返りごとをだに絶えてなき」と帯刀に宣へば、「知らず。北の方の、いみじく心悪しくて、『わが許さざらむこと、つゆにても、しいでば、いみじからむ』と、明け暮れ思いたるに、おぢつつみはべるとなむ聞きはべる」と申せば、「われを、みそかに」と言ひわたりたまへば、わが君の御言を否びがたくやありけむ、いかでと見ありく。  十日ばかり音づれたまはで、思ひ出でて宣へり。「日ごろは、     かき絶えてやみやしなましつらさのみいとど益田の池の水くき 思うたまへ忍びつれど、さてもえあるまじかりければ、人知れず人わろく」とあれば、帯刀「このたびだに御返り聞えたまへ。しかじかなむ宣ひて、『心に入れぬぞ』とさいなむ」と言へば、あこき「『まだ言ふらむやうも知らず』とて、いと難げに思ほしたるものを」とて、参りて見たてまつれど、中の君の御夫の右小弁、とみにて出でたまふ、袍縫ひたまふほどにて、御返事なし。  少将、げに言ひ知らぬにやあらむと思へど、いと心深き御心も聞きしみにければ、さる心ざまふさはしかりけむ、「帯刀、おそしおそし」と責めたまへど、御方々住みたまひて、いと人騒がしきほどなれば、さるべき折もなくて、思ひありくほどに、この殿、古き御願はたしに石山に詣でたまふに、御供に慕ひきこゆるままに率ておはすれば、おんなさへとどまらむことを恥と思ひて詣づるに、落窪の君、数へのうちにだにも入らねば、弁の御方、「落窪の君、率ておはせ。ひとりとまりたまはむが、いとほしきこと」と申したまへば、「さて、それがいつか歩きしたる。旅にては縫物やあらむとする」と、「なほ歩かせそめじ。うちはめて置きたるぞよき」とて、思ひかけで、止みたまひぬ。  あこきは三の御方人にて、いとニなくさうぞかせて率ておはするに、おのが君のただひとりおはするに、いみじく思ひて、「にはかに、けがれはべりぬ」と申して、とまれば、「よにさもあらじ。かの落窪の君のひとりおはするを思ひて、言ふなめり」と腹立てば、「いとわりなきことも。よくはべなり。さぶらへとあらば参らむ。かくをかしきことを、見じと思ふ人はありなむや。おんなだに慕ひ参る道にこそあめれ」と言へば、げにさや思ひけむ、はした童のあるにさうぞきかへさせて、とどめたまふ。  ののしりて出でたまひぬれば、かいすみて心ぼそげなれど、わが君とうち語らひてゐたるほどに、帯刀がもとより、「御供に参りたまはずと聞くは、まことか。さらば参らむ」と言ひたれば、「御方のなやましげにおはして、とどまらせたまひぬれば、何しにかは。いとつれづれなるをなむ慰めつべくておはせ。ありと宣ひし絵、かならず持ておはせ」と言ひたるは、「女御殿の御方にこそ、いみじく多くさぶらへ。君おはし通はば見たまひてむかし」と言へるなりけり。帯刀、この文をやがて少将の君に見たてまつれば、「これや惟成が妻の手。いたうこそ書きたれ。よき折にこそはありけれ。行きてたばかれ」と宣ふ。「絵一巻おろしたまはらむ」と申せば、君の「かの言ひけむやうならむ折こそ見せめ」と宣へば、「さも侍りぬべき折こそは侍るめれ」と申す。うち笑ひたまひて、御方におはして、白き色紙に、小指さして口すくめたるかたを書きたまひて、「召しつれば、     つれなきを憂しと思へる人はよにゑみせじとこそ思ひ顔なれ をさな」と書いたまへれば、出づとて、親に、「をかしきさまなるくだもの一餌袋して置いたまへれ。今ただ今取りに奉らむ」と言ひおきて往ぬ。  あこき呼び出でたれば、「いづこ、絵は」と言へば、「くは、この御文見せたてまつりたまへ」、「いで、そらごとにこそあらめ」と言へど、取りて往ぬ。君いとつれづれなる折にて、見たまうて、「絵や聞えつる」と宣へば、「帯刀がもとに、しかじか言ひてはべりつるを、御覧じつけけるにこそはべるめれ」と言へば、「うたて、心無しと見しられたるやうにこそ。人に知られぬ人は無心なるこそよけれ」とて、ものしげに思ほしたり。  帯刀呼べば、出でぬ。物語して、「誰々かとまりたまへる」と、さりげなくて案内問ふ。「いとさうざうしうや。をんなどもの御許に、くだもの取りにやらむ」とて、「何もあらむ物賜へ」と、言ひにやりたれば、餌袋ニつして、をかしきさまにして入れたり。今一つの大きやかなるには、さまざまのくだもの、いろいろの餅、薄き濃き入れて、紙隔てて焼米入れて、「ここにてだにあやしく、あわただしき口つきなれば、旅にてさへいかに見たまふらむ。恥づかしう。この焼米はつゆといふらむ人にものしたまへ」と言へり。さうざうしげなるけしきを見て、いかではかなき志を見せむと思ひて、したるなりけり。女見て、「いで、あやし。まめくだものや。けしからず。そこにしたまへるにこそあめれ」と怨ずれば、帯刀うち笑ひて、「知らず。まろはかやうに見苦しげにはしてむや。をんなどものさかしらなめり。つゆ、これ取り隠してよ」とて、やりつ。二人臥して、かたみに君の御心ばへどもを語る。今宵雨降れば、よもおはせじとて、うちたゆみて比したり。  女君、人なき折にて、琴いとをかしうなつかしう弾き臥したまへり。帯刀、をかしと聞きて、「かかるわざしたまひけるは」と言へば、「さかし。故上の、六歳におはせし時より教へたてまつりたまへるぞ」と言ふほどに、少将、いと忍びておはしにけり。人を入れたまひて、「聞ゆべきことありてなむ。帯刀出でたまへ」と言はすれば、帯刀心得て、おはしにけると思ひて、心あわただしくて、「ただ今対面す」とて、出でて往ぬれば、あこき、御前に参りぬ。  少将、「いかに。かかる雨に来たるを、いたづらにて帰すな」と宣へば、帯刀「まづ御消息を賜はせて。音なくてもおはしけるかな。人の御心も知らず、いとかたきことにぞはべる」と申せば、少将、「いといたくなすぐだちそ」とて、しとと打ちたまへば、「さはれ、おりさせたまへ」とて、もろともに入りたまふ。御車は、「まだ暗きに来」とて、返しつ。  わが曹司の遣戸口にしばし居て、あるべきことを聞ゆ。人少ななる折なれば、心やすしとて、「まづ、かいまみせさせよ」と宣へば、「しばし。心おとりもぞせさせたまふ。物忌の姫君のやうならば」と聞ゆれば、「笠も取りあへで、袖をかづきて帰るばかり」と笑ひたまふ。  格子のはざまに入れたてまつりて、留守の宿直人や見つくると、おのれもしばし簀子にをる。君の見たまへば、消えぬべく火ともしたり。几帳、屏風ことになければ、よく見ゆ。向ひゐたるは、あこきなめりと見ゆる、容体、かしらつき、をかしげにて、白き衣、上につややかなるかい練の衵着たり。添ひ臥したる人あり。君なるべし。白き衣の萎えたると見ゆる着て、かい練の張綿なるべし、腰よりしもに引きかけて、側みてあれば、顔は見えず。かしらつき、髪のかかりば、いとをかしげなりと見るほどに、火消えぬ。くちをしと思ほしけれど、つひにはと思しなす。「あな暗のわざや。人ありと言ひつるを、はや往ね」と言ふ声も、いといみじくあてはかなり。「人に会ひにまかりぬるうちに、御前にさぶらはむ。大方に人なければ、恐ろしくおはしまさむものぞ」と言へば、「なほ、はや。恐ろしさは目なれたれば」と言ふ。君出でたまへれば、「いかが。御送り仕うまつるべき。御笠は」と言へば、「妻を思へば、いたく方びく」と笑ひたまふ。  心のうちには、衣どもぞ萎えためる、恥づかしと思はむものぞと思ほしけれど、「はや、その人呼び出でて寝よ」と宣へば、曹司にゆきて呼ばすれば、「今宵は御前にさぶらふ。早うさぶらひにまれおはしね」と言へば、「ただ今人の言ひつること聞えむ。ただあからさまに出でたまへ」と聞さへすれば、「何事ぞとよ。かしがましや」とて、遣戸を押しあけて、さし出でたれば、帯刀とらへて、「『雨降る夜なめり。ひとりな寝そ』と言ひつれば、いざたまへ」と言へば、女笑ひて、「そよ。事なかり」と言へど、強ひて率てゆきて臥しぬ。ものも言はで、寝入りたるさまを作りて、臥せり。  女君、なほ寝入らねば、琴を臥しながらまさぐりて、     なべて世の憂くなる時は身隠さむいはほの中の住みか求めて と言ひて、たみに寝入るまじければ、また人はなしと思ひて、格子を木の端にていとよう放ちて、押し上げて入りぬるに、いと恐ろしくて起き上がるほどに、ふと寄りてとらへたまふ。あこき、格子を上げらるる音を聞きて、いかならむと驚きまどひて、起くれば、帯刀さらに起さず。「こはなぞ。御格子の鳴りつるを、なぞと見む」と言えば、「犬ならむ、鼠ならむ」と「驚きたまひそ」と言えば、「なでふことぞ。したるやうのあれば言ふか」と言へば、「何わざかせむ。寝なむ」と、抱きて臥したれば、「あなわびし。あなうたて」と、いとほしくて、腹立てど、動きもせず抱きこめられて、かひもなし。  少将、とらへながら装束ときて臥したまひぬ。女、恐ろしう、わびしくて、わななきたまひて泣く。少将「いと心憂く思したるに、世の中のあはれなることも聞えむ、巌の中求めて奉らむ、とてこそ」と宣へば、誰ならむと思ふよりも、衣どものいとあやしう、袴いとわろび過ぎたる思ふに、ただ今も死ぬるものにもがなと泣くさま、いといみじげなるけしきなれば、わづらはしくおぼえて、物も言はで臥いたり。  あこきが臥したる所も近ければ、泣いたまふ声もほのかに聞ゆれば、さればよと思ひて、まどひ起くるも、さらに起きさせねば、「わが君をいかにしなしたてまつりて、かくはするぞや。あやしとは思ひつ。いとあいぎやうなかりける心持たりけるものかな」とて、腹立ち、かなぐりて起くれば、帯刀笑ふ。「ことこまかに知らぬことも、ただ負せに負せたまふこそ。うへに、この時、盗人入らむやは。男にこそおはすれ。今は参りたまひても、かひあらじ」と言へば、「いで、なほ、物つれなく言ひそ。誰とだに言へ。いといみじきわざかな。いかに思ほしまどふらむ」とて泣けば、「あな童げや」と笑ふ。ねたきこと添ひて、「あひ思さざりける人に見えけること」と、いとつらしと思ひたれば、心苦しうて、「まことに、少将の君なむ、物宣はむとておはしたりつるを、いかならむことならむ。あなかま。とてもかくても、御宿世ぞあらむ」と言ふを、「いと憂し。けしきをだに知らねど、君は心合はせたりと思さむがわびしきこと。何しに今宵ここに来つらむ」と怨むれば、「知らぬけしきをだに見たまはずやある。腹立ち怨みたまふ」と、腹立ちたせもあへず、たはぶれしたり。  男君、「いとかうしもおぼいたるは、いかなるにか。人数にはあらねど、また、かうまでは嘆いたまふほどにはあらずとおぼゆる。たびたびの御文、見つとだに宣はざりしに、便なきことと見て、さ聞えでもあらばやと思ひしかども、聞えそめたてまつりてのち、いとあはれにおぼえたまひしかば。かく憎まれたてまつるべき宿世のあるなりけりと思うたまへらるれば、憂きも憂からずのみなむ」とかい抱きたてまつりて、臥したまへれば、女死ぬべき心ちしたまふ。単衣はなく、袴一つ着て、所々あらはに、身につきたるを思ふに、いといみじくとはおろかなり。涙よりも汗にしとどなり。男君も、そのけしきを、ふと見たまひて、いとほしうあはれに思ほす。よろづ多く宣へど、御いらへあるべくおぼえず、恥づかしきに、あこきを、いとつらしと思ふ。  からうじて明けにけり。鶏の鳴く声すれば、男君、     「君がかくなきあかすだに悲しきにいとうらめしき鶏の声かな いらへ、時々はしたまへ。御声聞かずは、いとど世づかぬ心ちすべし」と宣へば、からうじて、あるにもあらずいらふ。     人ごころ憂きには鶏にたぐへつつなくよりほかの声は聞かせじ と言ふ声、いとらうたければ、少将の君、なほざりに思ひしを、まめやかに思ひたまふ。「御車率て参りたり」と言ふを聞きて、帯刀、あこきに、「参りて申したまへ」と言へば、「昨夜は参らで、今朝参らむ、げにまろが知りたることとこそ思ほさめ。腹ぎたなく人にうとませたてまつらすこと」と怨ずる、いはけなきものから、をかしければ、帯刀、うち笑ひて、「君うとみたまはば、まろ思はむかし」と言ひて、格子のもとに寄りて、声作れば、少将起きたまふに、女の衣を引き着せたまふに、単もなくて、いとつめたければ、単を脱ぎすべして起きて出でたまふ。女君、いと恥づかしきこと限りなし。  あこき、あいなくいとほしけれど、さてもはいりゐたらねば、参りて見る。まだ臥したまへり。いかで言ひ出でむと思ふほどに、帯刀のも君のもあり。帯刀のには、「夜一夜、知らぬことによりうちひきたまひつるこそ、いとわりなかりつれ。御ために少しにてもおろかならむ時は、参らじ。まいていかなる目見せたまはむ。かねて恐ろしき御心ばせかな。御前にも、いかによくもあらざりけるものかなと、思し宣はすらむと思ふたまふれば、この宮づかひ、いとわづらはしくはべれど。御文侍るめり。御返り聞え出でたまへ。この世の中は、さるべきぞや。何か思ほす」と言へり。  持て参りて、「ここに御文侍るめり。昨夜いとあやしく思ひかけずて臥しはべりしほどに、はかなく明けはべりにけり。聞えさすとも、あらがふとぞおしはからせたまふらむ」と、おしはかりはことわりなれど、「このけしきをだに見てはべらば」と、よろづに誓ひゐたれど、いらへもせず、起きも上がりたまはねば、「なほ知りてはべりと思ほすにこそはべるめれ。心憂く、ここらの年ごろ仕うまつりはべりて、かくうしろめたきことははしはべりなむや。ひとりおはしまさむを思うたまへて、をかしき御供にも参りはべらずなりにしかひなく、かかることわりを聞かせたまはず、かひなき御けしきならば、さぶらはむも、いといとほしうはべり。いづちもいづちもまかりなむ」とて、うち泣けば、君いといとほしうて、「そこに知りたらむとも、おはす、いとあさましう、思ひもかけぬことなれば、いと心憂く思ふうちに、いといみじげなる袴ありさまにて見えぬるこそ、いと言はむ方なくわびしけれ。故上おはせましかば、何事につけても、かく憂き目見せましやは」とて、いみじう泣きたまへば、「げにことわりにはべれど、いみじきまま母といへど、北の方、御心のいみじうあさましきよしは、さきざき聞かせたまへば、さこそは思すらめ。ただ御心だに頼みたてまつりぬべくは、いかにうれしからまし」、「それこそは、まして。かく異やうにあらむ人を見て、心とまりて思ふ人はありなむや。物の聞えあらば、北の方いかに宣はむ。『わが言はざらむ人のことをだにしたらば、ここにも置いたらじ』と宣ひしものを」とて、いみじと思ひたまへれば、「されば、なかなか思ひ離れたてまつりたらむがよからむ。かくて言はれおはしますは、いづくの世に、もしよくもならせたまはむ。かくても世におはしまさじ。かくて籠めすゑたてまつりたまひて、使ひたてまつりたまはむの心いと深くて、あらせきこえたまふにはあらずや」と、いとおとなしう言ひゐたり。  「御返りごとは」と問へば、「はやう御文も御覧ぜよ。今は思し嘆くとも、かひあらじ」とて、御文ひろげて奉れば、うつぶしながら見たまへば、ただかくのみあり。     いかなれや昔思ひしほどよりは今のま思ふことのまさるは とありけれど、「いと心ち悪し」とて、御返りごとなし。  あこき、返りごと書く。「いでや。心づきなく。こは何事ぞ。昨夜の心は限りなくあいなく、心づきなく腹ぎたなしと見てしかば、今ゆくさきも、いと頼もしげなくなむ。御前には、いとなやましげにて、まだ起きさせたまはざめれば、御文もさながらなむ。いとこそ心苦しけれ、御けしきを見れば」と言へり。少将の君に、「かくなむ」と聞ゆれば、われをいとものしと思はむやは、ただかの衣どもを、いといみじと思ひたりつるなごりならむと、あはれに思す。  昼間に、また御文書きたまふ。「などか、今だに、いとわりなげなる御けしきの、いとほしさは、まさりたる。 恋しくもおもほゆるかな蜘蛛のいととけずのみ見ゆるけしきに ことわりな」とあり。帯刀が文「このたびだに御返りなくは、便なかりなむ。今はただあひ思せかし。御心はいと長げなむ見たてまつり、宣はする」と言へり。あこき「なほ、こたみは」と言へども、いかに思ひ出でたまふらむと思ふに、恥づかしう、つつましく、わびしくて、返りごと書くべくもおぼえねば、ただ衣を引きかづきて臥したり。聞えわづらひて、あこき、返りごと書く。「御文は御覧じつれど、まめやかに苦しげなる御けしきにてなむ、御返りごとも。さて、いと長げにはなどか。いとのほどにかは短さも見えたまはむ。また、頼もしげなくとも、うしろやすく宣ふらむ」と、書きてやりつ。帯刀、見せたてまつりたれば、「いみじくされて、物よく言ふべき者かな。むげに恥づかしと思ひたりつるに、気ののぼりたらむ」と、ほほゑみて宣ふ。  させ、あこき、ただひとりして、言ひ合はすべき人もなれば、心一つを千々になして、立ち居つる。おまし所の塵払ひ、そそくりて、屏風、几帳なければ、しつらひなさむ方もなし。いとわりなけれど、君は物もおぼえで臥したまへるを、おまし直さむと引き起したてまつれば、おもて赤みて、げに苦しげなるまで御目も泣き腫れたまへり。いとほしうあはれにて、「御髪かきくだしたまへ」と、おとなおとなしうつくろへど、「心ち悪し」とて、ただ臥しに臥しぬ。この君は、いささか、よき御調度持たまへりける。母君の御物なりけり。鏡などもなむ、まめやかに美しげなりける。「これをだにも持たまへらざらましかば」と言ひて、かきのごひて、枕がみに置く。かく大人になり、童になり、ひとりいそぎ暮しつ。  今はおはしぬらむとて、「かたじけなくとも、まだいたう身にも馴れはべらず。いとほしう、昨夜をだに、さて見えたてまつりたまひけむを」とて、おのが袴の、ニたびばかり着て、いと清げなる宿直物一つを持たりけるを、いと忍びて奉るとても、「いと馴れ馴れしうはべれども、また見知る人の侍らばこそあらめ。いかがはせむ」と言へば、かつは、恥づかしけれど、今宵さへ同じやうにて見えむことを、わりなく思ひつるに、あはれにて、着たまひつ。「薫物は、この御裳着に賜はせたりしも、ゆめばかり包み置きてはべり」とて、いとかうばしう薫きにほはす。三尺の御几帳一つはいるべかめる、いかがせむ、誰に借らまし、御宿直物もいと薄きを、思ひまはして、叔母の殿ばら、宮仕へしけるが、今は和泉の守の妻にてゐたりけるがり、文やる。「とみなることにて、とどめはべりぬ。恥づかしき人の、方違へに曹司にものしたまふべきに、几帳一つ、さては宿直物に、人かうものする、便なきはえ出だしはべらじと思ひはべりてなむ。さるべきや侍る。賜はせてむや。折々は、あやしきことなれど、とみにてなむ」と、はしり書きてやりたれば、「音づれたまはぬこそ、いと心憂く思ひたまふれ。何も何も、なほ宣はむと宣へれば、よろづとどめつ。いとあやしけれど、おのが着むとて、したりつるなり。さはしも、ものしたまふらむ。几帳奉る」とて、紫苑色の張綿など、おこせたり。いとうれしきこと限りなし。取り出でて見せたてまつる。  几帳の紐とこおろすほどに、君おはしたれば、入れたてまつりぬ。女、臥したるが、うたておぼゆれば、起くれば、「苦しうおぼえたまはむに、何か起きたまふや」とて、とく臥したまひぬ。今宵は時々御いらへしたまふ。いと世になう、あるまじうおぼえたまひて、よろづに語らひたまふほどに、夜も明けぬ。  「御車率いて参りたり」と申せば、「今雨やめて。しばし待て」とて臥したまへれば、あこき、御手水、粥いかで参らむと思ひて、御厨子にや語らはましと思へど、大方にもおはしまさねば、御粥もよにせじと思へど、行きて語らふ。「帯刀の友だちなむ、昨夜もの言はむとて来たりしを、雨にとまりてまだ帰らぬに、粥食はせむと思ふをなむ、なくて。土器少し賜へ。さては引干などや残りたる。少し賜へ」と言へば、「あないとほし。心いそぎを、かうしてしたまふがいとほしさ。帰らせたまはむ料に、今少しあらむ」と言へば、「帰りたまはむには、御としみをぞしたまはむ」とて、けしきよろしと見て、かたはらなる瓶子をあけて、ただ取りに取るを、「少しは残したまへ」と言へば、「さよさよ」と言ひて、紙に取り分けて、炭とりに入れて、ひき隠して持て行きて、つゆに「御粥いとよくして持て来よ」とて、をかしげなる御台求め歩く。御手水参らむと求め歩きて、「御方には、いづくの半插、盥かあらむ。三の御方のを取り持て来て御前に参らむ」とて、頭かいくだしなどしてゐたり。  女君は、わりなう苦しと思ひ臥したまへり。あこき、いと清げに装束きて、いと清げにさうぞくして、帯ゆるるかにかけて参る後姿、髪丈に三尺ばかり余りて、いとをかしげなりと、帯刀も見送る。「この御格子は参らでやあらむずる」と、ひとりごとして参るを、少将の君もゆかしうて、「『いと暗し。上げよ』と宣ふめり」と宣へば、物踏み立てて上げつ。男君起きたまひて、御装束したまひて、「車はありや」と問ひたまふ。「御門に侍り」と申せば、出でたまひなむとするに、いと清げにて御粥参りたり。御手水取り具して参りたり。「あやしう。便なしと聞きしほどよりは」と思す。女君は、「いとあやしう、いかで」と思ひたまへり。  雨少しよろしうなれば、人騒がしうあらねば、やをら出でたまひなむとす。女君の御方を見たまへば、まめやかにいと美しければ、いとど限りなく思ほしまさりて、いとあはれと思す。粥など少し参りて、出でたまひぬ。  夜さりは、三日の夜なれば、いかさまにせむ、今宵餅いかで参るわざもがなと思ふに、また言ふべき方もなければ、和泉殿へ文書く。「いとうれしう、聞えさせたりし物を賜はせたりしなむ、喜びきこえさする。またあやしとは思さるべけれど、今宵、餅なむ、いとあやしきさまにて用侍る。取りまずべきくだものなど、侍りぬべくは少し賜はせよ。まらうどなむ、しばしと思ひはべりしを、四十五日の方違ふるになむ侍りける。されば、この物どもは、しばし侍るべきを、いかが。盥、半插の清げならむと、しばし賜はらむ。取り集めて、いとかたはらいたけれど、頼みきこえさするままに」とて、やりつ。  少将のもとより、「ただ今、よそにてはなほわが恋をます鏡添へる影とはいかでならまし」 とあれば、今日なむ御返り、     身をさらぬ影と見えてはます鏡はかなくうつることぞ悲しき いとをかしげに書きたれば、いとをかしげに見たまへるけしきも、志あり顔なる。  あこきがもとには、和泉が家より、「昔の人の御代りは、あはれに思ひきこえて、女子も侍らねば、むすめにしたてまつらむ、身一つは、いと安らかにうちかしづきて据ゑたてまつらむ、と思ひて、さきざきも御迎へすれども、渡りたまはぬこそ怨みきこゆれ。物どもは、いとよかなり。いかにもいかにも使ひたまへ。盥、半插奉る。あな異様、宮づかへする人は、かやうの物、必ず持たるは。なきが、今までは頼まざりつる。身になきは、いと見苦しきを、いとあやしきこと。奉らむ。餅は、いとやすきこと、今ただ今して奉る。物の具、餅など召すは、御婿取りしたまひて、三日の設けしたまふか。まめやかに、いかで対面もがな。いと恋しくなむ。何事もなほ宣へ。時の受領は世に徳あるものと言へば、ただ今そのほどなめれば、つかまつらむ」と、いと頼もしげにはべり。見るに、いとうれし。君に見せたてまつれば、「餅は何の料に乞ひつるぞ」と宣へば、うちゑみて、「なほ、あるやうありてなむ」と聞ゆ。台のいとをかしげなる、盥、半插、いと清げなり。大きなる餌袋に白米入れて、紙を隔てて、くだもの、干物包みて、いとはしくなむおこせたりける。今宵はただをかしきさまにて餅を参らむと思ひて、取りて、よろづに、くだもの、栗など、つくろひゐたり。  日やうやう暮るるほどに、少しやみたる雨、降ること限りなし。餅や得ざらむと思ふほどに、男、大傘ささせて、朴の櫃二つおこせたり。うれしきこと、物に似ず。見れば、いつのまにしたるにかあらむ、草餅ふたくさ、例の餅ふたくさ、ちひさやかにをかしうて、さまざまなり。文には、「にはかに宣へりつれば、急ぎて。思ふさまにやあらざらむ。志くちをし」と言へり。雨いたう降るとて、急げば、酒ばかり飲ます。返りごと、「すべて、聞えさすれば、世の常なり」と、喜びやりつ。しそしつとて、うれし。物の蓋に少し入れて、君に参る。  暗うなるままに、雨いとあやにくに、頭さし出づべくもあらず。少将、帯刀に語らひたまふ、「くちをしう、かしこにはえ行くまじかめり。この雨よ」と宣へば、「ほどなく、いとほしくぞ侍らむかし。さ侍れど、あやにくなる雨は、いかがはせむ。心のおこりたりならばこそあらめ。さる御文をだに物せさせたまへ」とて、けしきいと苦しげなり。「さかし」とて、書いたまふ。「いつしか参り来むとしつるほどに、かうわりなかめれければなむ。心の罪にあらねど。あろかに思ほすな」とて、帯刀も、「ただ今参らむ。君おはしまさむとしつるほどに、かかる雨なれば、くちをしと嘆かせたまふ」と言へり。  かかれば、いみじうくちをしと思ひて、帯刀が返りごとに、「いでや、降るともと言ふこともあるを、いとどしき御心ざまにこそあめれ。さらに聞えさすべきにもあらず。御みづからは、何の心ちのよきにか、来むとだにあるぞ。かかるあやまちしいでて、かかるやうありや。さても世の人は、今宵来ざらむとか言ふなるを。おはしまさざらむよ」と書けり。  君の御返りには、ただ、     世にふるを憂き身と思ふわが袖の濡れはじめける宵の雨かな 「とあり」とて、待て参りたるほど、戌の時過ぎぬべし。燈のもとにて見たまひて、君はいとあはれと思ほしたり。帯刀がもとなる文を見たまひて、「いみじうくねりためるは。げに今宵は三日の夜なりけるを、物のはじめに、もの悪しう思ふらむ。いといとほし。」雨はいやまさりにまされば、思ひわびて、頬杖つきて、しばし寄り居たまへり。帯刀、わりなしと思へり。うち嘆きて立てば、少将、「しばし居たれ。いかにぞや。行きやせむとする」、「徒歩からまかりて、言ひ慰めはべらむ」と申せば、君「さらば、われも行かむ」と宣ふ。うれしと思ひて、「いとようはべるなり」と申せば、「大傘一つ設けよ。衣ぬぎて来む」とて入りたまひぬ。帯刀、傘求めに歩く。  あこき、かく出で立ちたまふも知らで、いといみじと嘆く。かかるままに、「あいぎやうなの雨や」と腹立てば、君恥づかしけれど、「などかくは言ふぞ」と宣へば、「なほよろしう降れかし。折憎くもはべるかな」と言へば、「降りぞまされる」と忍びやかに言はれてぞ、いかに思ふらむと、むつかしうて、添ひ臥したまへり。  男君はただ白き御衣一かさねを着たまひて、いともの憂げに引き連れて、帯刀とただ二人出でたまひて、大傘を二人さして、門をみそかにあけさせたまひて、いと忍びて出でたまひぬ。つつ闇にて、わぶわぶ、道の悪しきをよろぼひおはするほどに、前おひて、あまた火ともさせて、小路ぎりに、辻にさしあひぬ。いとせばき小路なれば、え歩み隠れず。片そばみて、傘を垂れかけてゆけば、雑色ども、「このまかる者ども、しばしまかりとまれ。かばかり雨もよに、夜中に、ただ二人行くは、けしきあり。捕へよ」と言へば、わびしくて、しばし歩みとまりて立てれば、火をうち振りて、「人々、足どもいと白し。盗人にはあらぬなめり」と言へば、「まことの小盗人は足白くこそはべらめ」と、行き過ぐるままに、「かく立てるは、なぞ。居はべれ」とて、傘をほうほうと打てば、屎のいと多かる上にかがまり居る。また、うちはやりたる人、「強ひてこの傘をさし隠して顔を隠すは、なぞ」とて、行き過ぐるままに、大傘を引きかたぶけて、傘につきて屎の上にを居たる、火をうちふきて、見て、「指貫着たりける。身貧しき人の、思ふ女のがり行くにこそ」など、口々に言ひて、おはしぬれば、立ちて、「衛門の督のおはするなめり。われを嫌疑の者と思ひてや捕ふると思ひつるにこそ死にたりつれ。われ、足白き盗人とつけたりつるこそ、をかしかりつれ」など、ただ二人語らひて、笑ひたまふ。「あはれ、これより帰りなむ。屎つきにたり。いとくさくて、行きたらば、なかなかうとまれなむ」と宣へば、帯刀、笑ふ笑ふ、「かかる雨に、かくておはしましたらば、御志を思さむ人は、麝香の香にも嗅ぎなしたてまつりたまひてむ。殿はいと遠くなりぬ。ゆく先、いと近し。なほおはしましなむ」と言へば、かばかり志深きさまにており立ちて、いたづらにやなさむと思して、おはしぬ。門からうじてあけさせて、入りたまひぬ。  帯刀が曹司にて、まづ、「水」とて、御足すまさす。また帯刀も洗ひて、「暁には、いみじく疾く起きよ。まだ暗からむに帰りなむ。とどまりてあるべきにもあらず。いとことやうなる姿なるべし」と宣うて、格子忍びやかに叩いたまふ。女君、今宵来ぬをつらしと思ふにはあらで、大方聞え出でば、いかに北の方宣はむ、世の中のすべて憂きこと思ひ乱れて、うち泣きて臥したまへり。あこき、思ひ設けけるかひなげに思ひて、御前に寄り臥したれば、ふと起きて、「など、御格子の鳴る」とて、寄りたれば、「上げよ」と宣ふ声に驚きて、引き上げたれば、入りおはしたるさま、しぼるばかりなり。徒歩よりおはしたるめりと思ふに、めでたくあはれなること、二つなくて、「いかでかくは濡れさせたまへるぞ」と聞ゆれば、「惟成が、勘当重しとわびつるが苦しさに、くくりを脛に上げて来つるに、倒れて土つきたり」とて、脱ぎたまへば、女君の御衣を取りて着せたてまつりて、「干しはべらむ」と聞ゆれば、脱ぎたまひつ。女臥したまへる所に寄りたまひて、「かくばかりあはれにて来たりとて、ふとかき抱きたまはばこそあらめ」とて、かいさぐりたまふに、袖の少し濡れたるを、男君、来ざりつるを思ひけるも、あはれにて、     なにごとを思へるさまの袖ならむ と宣へば、女君、     身を知る雨のしづくなるべし と宣へば、「今宵は、身を知るならば、いとかばかりにこそ」とて臥したまひぬ。  あこき、この餅を箱の蓋にをかしう取りなして参りて、「これ、いかで」と言へば、君「いとねぶたし」とて起きたまはねば、「なほ今宵御覧ぜよ」とて聞ゆれば、「なぞ」とて、頭もたげて見上げたまふ。餅ををかしうしたれば、少将、誰かくをかしうしたらむ、かくて待ちけると思ふも、されてをかしう、「餅にこそあめれ。食ふやうありとか。いかがする」と宣へば、あこき「まだやは知らせたまはぬ」と申せば、「いかが。ひとりあるには食ふわざかは」と宣へば、聞きて、「三つとこそは」と申す。「まさなくぞあなる。女は幾つ」と宣へば、「それは御心にこそは」とて笑ふ。「これ参れ」と女君に宣へば、恥ぢて参らず。いと実法に三つ食ひて、「蔵人の少将もかくや食ひし」と宣へば、「さこそは」と言ひてゐたり。夜更けぬれば、寝たまひぬ。  帯刀がり行きたれば、まだしとどに、かいかがまりてゐたり。「傘はなくやありつらむ、かく濡れたるは」と言へば、忍びて道のほどのこと言ひて笑ふ。「かばかりの御志は、今も昔もあらじ。たぐひなしとは思ひたまはぬにや」と言へば、「少しよろしかりなんど、なほあかね」「それを少しよろしきはと。女はおほけなきこそ憎けれ。いみじくつらき御心の続くとも、三十度ばかりは今宵に許しきこえたまうてむ」など言へば、「例の、おのが方ざまに物言ふ」など言ひて寝ぬ。「まめやかに、今宵おはせざらましかば、いみじからまし」など言ひ、寝に寝ぬ。  夜さへ更けぬれば、いととく明け過ぎぬ。「いかでか帰らむとする。人静かなりや」など、言ひ臥したまへるほどに、あこき、いといとほしきわざかな、石山よりも今日は帰りおはしぬらむ、人もこそふと来れ、と思ふも、静心なくて、御粥、御手水など思ふに、急ぎ歩けば、帯刀「などかく静心なくは歩きたまふ」と言へば、「いかがは。ほどもなき所に人を据ゑたてまつりたれば、人やふと来るとて、騒ぎ歩くぞかし」といらふ。「車取りにやれ。やをら、ふと出でなむ」と宣ふほどに、石山の人ののしりて帰りおはしぬ。「不用なめり」とて、出でたまはずなりぬ。  女、かく隠れもなき所に、人もこそ来れ、いかにせむ、と胸つぶれて、いと恐ろし。あこきも、いとあわただしくおぼゆ。御台いと清げにて、粥参りたり。御手水参り、いそぎ歩くが心もとなければ、今人ひとりもがなと思ふに、いととく車より降りたまふ。「遅き」とて、北の方「あこき」とて呼びののしりたまへば、隔ての障子をあけて出づれば、閉すべき心ちもおぼえず、格子のはざまたてに参りたれば、「げこうしたる人は、苦しければ、うち休むに、このごろ休みをりつらむ、降るる所に来ぬは、なぞ。すべて人ばかり腹立たしくよしなきものなし。いかでこれ返し申してむ」と宣へば、心ちには、いとうれしきことと思ひながら、「きたなきもの着かへはべりつるほどなり」と聞ゆれば、「早う御手水参れ」と宣ふ。立ちて歩く空もなし。御ものも出で来にければ、御厨子所に来て、「あが君、あが君」と言ひて、かの白き米多くに代へて、御台参りに来ぬ。物のくさはひ並びたれば、少将の君、便なしとのみ聞きしに、いと心憎く思す。女君、いかならむと思す。男君もをさをさ参らず、女君はた起き居たまはねば、御まがりして、帯刀に、いと清げにして食はせたれば、言ふやう、「ここらの日ごろさぶらひつれど、かくおろしなどや見えつる。なほ、わが君のおはします故なりけり」と言へば、「うれしき御心見えむと、馬のはなむけ」と言ふ。「あな恐ろしのことや」とて、誰も誰も笑ふ。  かうて昼までニ所臥いたまへるほどに、例はさしものぞきたまはぬ北の方、中隔ての障子をあけたまふに、固ければ、「これあけよ」と宣ふに、あこきも君も、「いかにせむ」とわびたまへば、「さはれ、あけたまへ。几帳上げたまへらば、物ひきかづきて臥いたらむ」と宣へば、さしもこそのぞきたまへと、わりなけれど、やるべき方もなければ、几帳づらに押し寄せて、女君居たまへり。北の方、「など遅くはあけつるぞ」と問ひたまへば、「今日明日、御物忌にはべり」といらふれば、「あな事々し。なでふ、わが家などなき所にてか物忌侍る」と宣へば、「あが君、なほあけよ」とてあけさすれば、荒らかにおしあけて入りまして、つい居て見れば、例ならず清げにしつらひて、几帳立て、君もいとをかしげに取りつくろひて、大方いとかうばしければ、あやしくなりて、「などここの様も身様も例ならぬ。もしわがなかりつるほどに事やありつる」と宣へば、面うち赤みて、「何事か侍らむ」といらへたまふ。少将、いかがあると、ゆかしうて、几帳のほころびより、臥しながら見たまへば、白き綾、かい練など、よからねど、かさね着て、面ひららかにて、北の方と見えたり。口つき愛敬づきて、少しにほひたる気つきたり。清げなりけり。ただ眉のほどにぞ、およずけ、あしげさも少し出でゐたると見る。 「参りたるやうは、今日ここに買ひたる鏡のをかしげなるに、この御箱入りぬべく見えし、しばし賜へと聞えむとてなむ」、「ようはべなり」と宣へば、「いとかう心安くものしたまへば、いとよくなむ。さは賜へ」とて、引き寄せ、取りたまへり。うち移して、わが持たまへる、入れたまへり。げに入りたれば、「かしこき物をも買ひてけるかな。この箱のやうに、今の世の蒔絵こそ、さらに、かくせね」とて、かき撫でたまへば、あこき、いと憎しと見て、「この御鏡の箱もなくてや」と言へば、「今また求めて奉らむ」とて立ちたまふ。いと心ゆきたるさまにて、「かの几帳はいづこのぞ。いと清げなり。例に似ぬ物もあり。なほけしきづきにけり」と宣へば、女君、いかに聞くらむと、恥づかし。「なくて悪しければ、取りにやりはべりつ」と聞ゆ。なほ、けしきを疑はしく思ひたまひぬる。  のちに、あこき、「まめやかには、をかしくこそはべれ。奉りたまはむことこそなからめ、持たせたまへる御調度を、かくのみ取らせたまへるよ。さきざきの御婿取りには、『しかへて。ただしばし』と屏風よりはじめて、取りたまひて、ただわが物の具のやうにて立て散らしておはします。御ごきをだに、ここに聞え取りたまひてき。今、殿にも、いかでまうで来なむ。この御方の物は、ただ見るままに、御方々の物にのみなり果てぬ。かく心広くおはしませども、人の御志やは見ゆる」と腹立ちゐたれば、女君をかしくて、「さはれ、いづれもいづれも、用果てなば賜びてむ」といらふれば、まことに聞きたまふ。几帳おしやりて出でて、女君引き入れて、「まだ若うものしたまひけるは。娘ども、これにや似たる」と宣へば、「さもあらず。皆をかしげになむおはしあふめる。あやしう、見苦しうても見えたまへるかな。聞きつけて、いかに宣はむ」と言ふ。少しうちとけたるを見るままに、いとをかしげなれば、なほ、あらじにて思ひやみなましかば、と思ふ。  鏡の箱の代り、このあこ君といふ童女しておこせたり。黒塗の箱の九寸ばかりなるが深さは三寸ばかりにて、古めきまどひて、所々はげたるを、「これ、黒けれど、漆つきていと清げなり」と宣へれば、「をかし」と笑ひて、御鏡入れてみるに、こよなければ、「いで、あな見苦し。なかなか入れで持たせたまへれ。いとうたてげにはべり」と聞ゆれば、「さはれ、な言ひそ。賜はりぬ。げにいとようはべり」とて、使やりつ。少将、取り寄せて見たまひて、「いかでかかる古代の物を見出でたまひつらむ。置いたまふめるものは、さる姿にて、世になきものも、かしこしかし」と笑ひたまふ。明けぬれば出でたまひぬ。  女君起きたまひて、「いかにしてかく恥隠すことはしつるぞ。几帳こそいとうれしけれ」と宣ふ。あこき、「しかしてはべりし」など語りきこゆ。幼き心ちにも、思ひよらぬことしいでけると、あはれにらうたくて、げに後見もつけしかひありと思ふ。帯刀が語りしことどもを語りて、いとあはれにて、「御心長くは、ねたく思ひ落したる世に、いとうれしからむ」と言ふ。  その夜は内裏に参りたまひて、えおはせず。つとめて御文あり。「昨夜は内裏に参りてなむ、え参り来ずなりにし。いかにあこき、惟成に勘当しはべりけむと思ひやりしも、をかしうこそ。さがなさは、誰がを習ひたるにかと思ふにも、恐ろしうなむ。今宵は、昔は物を、となむ。 さらでこそそのいにしへも過ぎにしをひと夜経にけることぞ悲しき つつましきことのみ多う思されためる世は、離れたまひぬべしや。心安き所求めてむ」と、こまやかに聞えたまへり。 「御返り、はや」とて、「持て参らむ」と帯刀聞ゆ。御文をあこき見て笑ふ。「語り申してけり。言ふべき人のなきままにこそ。いざ、参れ」と言ふ。 「昨夜は、まだきしぐるる。 ひとすぢに思う心はなかりけりいとど憂き身のわくかたぞなき まことに、憂き世は門させりともと言ふやうに、出でがたくなむ。あこきは、罪あらむ人はおぢたまひぬべかめり」とあるを持ちて出づるほどに、蔵人の少将まづ召すと言ふめれば、え置きあへで、懐にさし入れて参りたり。御鬢参らせたまはむとてなりけり。御うしろを参るとて、君もうつぶし、われもうつぶしたるほどに、懐なる文の落ちぬるも、え知らず。少将見つけたまひて、ふと取りたまひつ。御鬢掻き果てて、入りたまふに、いとをかしければ、三の君に「これ見たまへ。惟成が落したりつるぞ」とて奉りたまふ。「手こそ、いとをかしけれ」と宣ふ。「落窪の君の手にこそ」と宣ふ。少将「とは誰をか言ふ。あやしの人の名や」。「さ言ふ人あり。物縫ふ人ぞ」とてやみぬ。三の君は文を取りたまひて、あやしと思ひゐたまへり。  帯刀、御ゆるすの調度など取り置きて、立つとて、かいさぐるに、なし。心騒ぎて、立ち居ふるひ、紐解きて求むれど、たえてなければ、いかになりぬらむと思ひて、顔赤めてゐたり。ここよりほかに歩かねば、落つとも、ここにこそあらめ、とて、おましをまづ取り上げ、ふるへども、いづこにかあらむ。人や取りつらむ、いかなること出で来む、と思ひ嘆きて、頬杖をつきて、ほれてゐたるを、少将出づとて見たまひて、「など惟成はいたうしめやぎたる。物や失ひたる」とて笑ひたまふに、この君取り隠したまへるなめり、と思ふに、死ぬる心ちす。いとわりなげなるけしきにて、「いかで賜はりはべらむ」と申せば、「われは知らず。姫君こそ『末の松山』と言ひつめれば」とて出でたまひぬ。  言はむ方なくて、あな若と思はむこと恥づかしけれど、いかがせむとて、あこきがもとに行きて、「ありつる御返り、みづから参らむに、持て参らむとて、出でつるほどに、しか召して御鬢掻かせたまへるほどに、 かうして取られたてまつりぬ。いといみじうこそ」と、あれにもあらぬけしきにて言へば、あこき「いといみじきことかな。いかなるののしり、出で来むとすらむ。いとどしくこの御方けしきありと疑ひたまふものを、いかに騒がれたまはむとすらむ」と、二人汗になりて、いとほしがる。  三の君、この文を北の方に「しかじかしてありつる」とて見せたてまつりたまへば、「さればよ。けしきありと見つ。誰ならむ。帯刀が住むにやあらむ、そが持たりつらむは。迎へむと言ひたるにこそあめれ、出でがたしと言へるは。男あはせじとしつるものを、いと口をしきわざかな。男出で来なば、かうて世にあらじ。迎へてむ。なくては大事なり。よき我子たちの使ひ人と見置きたりつるものを。いかなる盗人のかかるわざをし出でつらむ。まだきに言はば、隠しまどはむものぞ」。この文も出ださせで、けしきを見るに、人も言ひ騒がねば、あやしう思ふ。 女君には、「御文は、かうかうしはべりにけり。おもて恥づかしきやうなれど、侍りつるやうに御文書かせたまひて、賜はらむ」と言へば、君、いとわびしと思ひたまへり、とはおろかなる。北の方も見たまひつらむと思ふに、心ちもいとわびしうて、「またもえ聞ゆまじ」と嘆きたまふこと限りなし。帯刀もいとほしくて、少将の君の御前にもえ参らず、籠りゐたり。  暮れぬれば、おはしぬ。「御返りは、など賜はざりつる」と宣へば、「北の方のおはしつるほどに」と宣うて、御殿ごもりぬ。ほどなく明けつれば、出でたまふに、明け過ぎて、人々騒がしければ、え出でたまはで、帰り入りたまひて臥したまひぬ。あこき、例の、御台、けいめいし歩く。  少将の君、静かに臥したまひて、物語したまひて、「四の君は、いくら大きさにか成りたまひぬる」と宣へば、「十三、四のほどにて、をかしげなり」と言へば、少将「まことにやあらむ、『まろにあはせむ』など、中納言宣ふなるとぞ。乳母なる人を知りて。御文ゐて来て『北の方も、いかでとなむ宣ふ』とて、乳母なる人こそ、にはかに責めしか。『かかると聞えたまへ』と言はむよ。いかが思す」と宣へば、「心憂しとこそは思はめ」と宣ふ。ここしければ、らうたしと思ひて、「ここは、いみじう参り来るも人げなき心ちするを、渡したてまつらむ所におはしなむや」と宣へば、「御心にこそは」と宣へば、「さらばよ」など宣ひて臥したまへり。  ほどは十一月二十三日なり。三の君の夫、蔵人の少将、にはかに臨時の祭の舞人に指されたまひければ、北の方、手まどひしたまふ。あこき、論なう御縫ひ物持て来なむものぞと、胸つぶるるもしるく、表の袴裁ちて、「これ、ただ今、縫はせたまへ。御縫ひ物出で来なむとなむ聞えたまふ」と言ふ。君は几帳の内に臥したまへれば、あこきぞいらふる。「いかなるにか、昨夜よりなやませたまひて、うち休ませたまへり。今起きさせたまひなむ時に聞えさせむ」と言へば、使帰りぬ。女君、縫はむとて起きたまふ。「まろひとりは、いかでつくづくと臥いたらむ」とて、起したてまつりたまはず。  北の方「いかに。縫ひたまひつや」と問ひたまへば、「さもあらず。『まだ御殿ごもりたり』と、あこきが申しつるは」と言へば、北の方、「なぞの御殿ごもりぞ。物言ひ知らず。何われらと一つ口に。なぞ。言ふは聞きにくし。あな若々しの昼寝や。しが身のほど知らぬこそ、いと心憂けれ」とて、うちあざ笑ひたまふ。  下襲裁ちて、持ていましたれば、驚きて几帳の外に出でぬ。見れば、表の袴も縫はで置きたり。けしき悪しうなりて、「手をだに触れざりけるは。今は出で来ぬらむとこそ思ひつれ。あやしう、おのが言ふことこそあなづられたれ。このごろ御心そり出でて、けさうばやりたりとは見ゆや」と宣へば、女いとわびしう、いかに聞きたまはむと、我にもあらぬ心ちして、「なやましうはべりつれば、しばしためらひて」とて、「これはただ今出で来なむものを」とて、引き寄すれば、「驚き馬のやうに手な触れたまひそ。人だねの絶えたるぞかし、かう受けがてなる人にのみ言ふは。この下襲も、ただ今縫ひたまはずは、ここにもなおはしそ」とて、腹立ちて、投げかけて、立ちたまふに、少将の直衣の、あとの方より出でたるを、ふと見つけて、「いで、この直衣は、いづこのぞ」と、立ちどまりて宣へば、あこき、いとわびしと思ひて、「人の縫はせに奉りたまへる」と申せば、「まづほかの物をしたまひて、ここのをおろかに思ひたまへる。もはらかくておはするに、かひなし。あなしらじらしの世や」と、うちむつかりて行くうしろで、子多く生みたるに落ちて、わづかに十筋ばかりにて、痛げなり。うちふくれて、いとをこがましと、少将つくづくとかいまみ臥したり。  女、あれにもあらで物折る。少将、衣の裾をとらへて、「まづ、おはせ」と、引き責むれば、わづらひて入りぬ。「憎し。な縫ひたまひそ。今少し腹立て、まどはしたまへ。このことばは、なぞ。この年ごろは、かうや聞えつる。いかで堪へたまへる」と、宣へば、女、「山なしにてこそは」と言ふ。  暗うなりぬれば、格子おろさせて、燈台に火ともさせて、いかで縫ひ出でむと思ふほどに、北の方、縫ふやと見に、みそかにいましにけり。見たまへば、縫ひ物はうち散らして、火はともして、人もなし。入り臥しにけりと思ふに、大きに腹立ちて、「おとどこそ。この落窪の君、心あいぎやうなく、見わづらひぬれ。これ、いまして宣へ。かくばかり急ぐものを。いづこなりし几帳にやあらむ、持ち知らぬ物設けて、つい立て、入り臥し入り臥しすることよ」と宣へば、おとどは「近くおはして、宣へ」と、宣へば、いらへ遠くなりぬれば、残りのことばは聞えず。少将、落窪の君とは聞かざりければ、「何の名ぞ、落窪な」と言へば、女いみじう恥づかしくて、「いさ」と、いらふ。「人の名に、いかに付けたるぞ。論なう屈したる人の名ならむ。きらきらしからぬ人の名なり。北の方、さいなみだちにけり。さがなくぞおはしますべき」と言ひ臥したまひけり。  袍裁ちておこせたり。また遅くもぞ縫ふと思して、よろづのこと、おとどに聞えて、「行きて、宣へかし」と責められて、おはして、遣戸を引きあけたまふより宣ふやう、「いなや、この落窪の君の、あなたぬに宣ふことに従はず、悪しかんなるは、なぞ。親なかんめれば、いかでよろしく思はれにしがなとこそ思はめ。かばかり急ぐに、ほかの物に手を触れざらむや何の心ぞ。夜のうちに縫ひたてずは、子とも見じ」と宣へば、女、いらへもせで、つぶつぶと泣きぬ。おとど、さ言ひかけて、帰りたまひぬ。  人の聞くに恥づかしく、恥の限り言はれつる名を我と聞かれぬること、と思ふに、ただ今死ぬるものにもがなと、縫ひ物はしばしおしやりて、火の暗き方に向きて、いみじう泣けば、少将、あはれに、ことわりにて、いかにげに恥づかしと思ふらむと、われもうち泣きて、「しばし入りて臥したまへれ」とて、せめて引き入れたまひて、よろづに言ひ慰めたまふ。「落窪の君」とは、この人の名を言ひけるなりけり、わが言ひつること、いかに恥づかしと思ふらむと、いとほし。継母こそあらめ、中納言さへ憎く言ひつるかな、いといみじう思ひたるにこそあめれ、いかでよくて見せてしがな、と心のうちに思ほす。  北の方、多くの物どもを、一人はあり、腹立たしからむ、えひとりは縫ひ出でじ、と思ひて、少納言、火影にいと清げなり。よき物こそありけれと見たまふ。女君をうち見おこせたれば、いといたう泣きつやめきたるを見て、あはれとや思ひけむ、言ふやう、「聞えさすえれば、言よきやうにはべり。さりとて、聞えさせねば、さる心ばへありとだに知らせたまはじと、くちをしさになむ。えさらずさぶらひはべる御方よりも、この年ごろ御心ばへも見参らするに、仕まつえらまほしうはべれど、世の中のうたてわづらはしうはべえれば、つつましうてなむ、人知れぬ宮仕へも、え仕うまつらぬ」と聞ゆれば、女君「さるべき人も、ことにまごころなるけしきも見えぬに、うれしくも思ひたまひけるかな」といらへたまへば、少納言「げにこそ、あやしうは侍れ。上のあやしうおはせむは例のこと、御はらからの君達さへ、みづから聞えたまはざめるこそ、いと心づきなけれ。あたら御さまを、かくてつくづくとおはしますこそ、あいなけれ。四の君もまた御婿取りしたまはむと設けたまふめり。北の方の御心にまかせて、のべしじめしたまふ」。「めでたきや。誰をか取りたまふ」と宣へば、「左大将殿の左近の少将とか。かたちはいと清げにおはするうちに、ただ今なり出でたまひなむと人々誉む。帝も時めかし思す。御妻はなし。いとよき人の御婿なり。『いかでこのわたりにもがなと思ふ。おとども常に宣ふ』とて、北の方、いそぎたまうて、四の君の御乳母、かの殿なりける人を知りたりけるを、喜びたまひて、さざめき騒ぎたまひて、文やらせたまふめり」と言へば、をかしう、うれしくて、「さて」と言ひて、いとよくほほゑみたるまみ、口つき、火の明きに映えて、にほひたるものから、恥づかしけなり。「少将の君は、いかが言ふ」と君宣へば、「知らず。『よかなり』とや宣ふらむ。人知れずいそぎたまふ」と言ふに、少将「そらごと」といらへまほしけれど、念じ返して臥したまへり。  少納言、「まらうどのまた添ひたまはば、御前の御身、いと苦しげにおはしますべかる。よきこともあえらば、せさせたまへかし」と言へば、「なでふ、かかる見苦しき人がさることは思ひかくる」と言へば、「いで、あなけしからずや。などかくは仰せらるる。このかしづかれたまふ御方々は、なかなか」と言ひさして、「まこと、この世の中に恥づかしきものとおぼえたまへる弁の少将の君、世人は交野の少将と申すめるを、その殿に、かの男君の御方に少将と申すは、少納言がいとこにはべり。殿の局にまかりはべりしかば、かの君も、この殿の人と知りて、心使ひしたまへりき。御かたちのなまめかしさは、げにたぐひあらじとこそ見はべりしか。『御むすめ多かりと聞きしかば。いかが』とて、大君よりはじめて、くはしく問ひきこえたまひしかば、片端づつ聞えはべりしに、御前の御上を申しはべりしかばなむ、いといたうあはれがりきこえたまひて、『わがいと思ふさまにおはすなるを、必ず御文伝へてむや』と宣ひしかば、『かくいとあまたおはしますうちに、御母君などおはしまさねば、心細げに思して、かかる筋のこと、思しかけず』と申しはべりしかば、『その御母おはせぬこそは、いと心苦しく、あはれまさらめ。わが本意には、いと花やかならざらむ女の物思ひ知りたらむが、かたちをかしげならむこそ、唐土、新羅まで求めると思ふ。ここにおはする御息所はなちたてまつりては、わたくしものにて、我が所にすませたてまつらむ』など、いとこまやかになむ、夜更くるまで宣はせたりしかど、『折悪しくて。今御覧ぜさせむ』と申しし」と言へど、いらへもしたまはずなりぬるほどに、曹司より人たづね来て、「とみのこと聞えむ」と言へば、出でたり。  「人おはして。まづ出でたまへ。聞ゆべきことなむある」と言へば、「しばし待て。御消息聞えさせむ」とて、入りぬ。「御あへづらひ仕まつりはべらむと思ひたまへはべりつるを、とみのこととて人まうで来たればなむ。聞えさせつることの残りも、まだいと多かり。艶にをかしうてはべりし、まめやかに聞えさせはべらむ。上に、かくおりはべりぬと、な聞えさせたまひそ。驚きさいなまむものぞ。さりぬべくは、まうのぼらむ」とて、おりぬ。  少将、几帳おしやりて、「をかしく物聞きよく言ひつる人かな。かたちも清げなりと見つるほどに、交野の少将を、かたちよしと誉め聞かせたてまつるにこそ、見ま憂くなりぬれ。さもえいらへたまはで、こなたを見おこせたまひて、心もとなげに、口づくろひしたまへるかな。侍らざらましかば、かひある御いらへどもあらまし。文だに持て来そめなば、限りぞ。かれは、いとあやしき人の癖にて、文一くだりやりつるが、はづるるやうなければ、人の妻、帝の御妻も、持たるぞかし。さて身いたづらになりたるやうなるぞかし。そがうちに、わたくしものと聞ゆなれば、いとおぼえ異におはするは」と、いとあいなく、ものしげに思して、宣へば、女、いとあやしと思して、物も宣はず。「など物も宣はぬ。をかしう思ひたまへることを、ものしう聞ゆるが、いらへにくく思さるるか。京のうちに女といふ限りは、交野の少将めでまどはぬなきこそ、いといらやましけれ」と宣へば、女君「その数ならねばにやあらむ」と忍びやかに宣へば、少将「この筋はいとやむごとなければ、中宮ばかりにはなりたまひなむをや」と宣へど、をさをささもえ知らぬことなれば、いらへもせず物縫ひゐたまへる手つき、いと白うをかしげなり。  あこきは少納言ありと思ひて、帯刀が心ち悪しうしければ、しばしと思ひて入りにけり。下襲は縫ひ出でて、袍折らむとて、「いかで、あこき起さむ」と宣へば、少将「控へむ」と宣ふ。女君「見苦しからむ」と宣へど、几帳を戸もかたに立てて起きゐて、「なほ控へさせたまへ。いきじきもの師ぞ、まろは」とて、向ひて折らせたまふ。いとつきなげなるものから、心そらひの用意過ぎて、いとさかしらなり。女笑ふ笑ふ折る。「四の君のことはまことにこそありけれ」と宣へば、「おほん許されあるを知らず顔なりや」と宣ひ、「物ぐるほし。交野の少将のわたくしもの設けむ時は、もしおほやけして取られむ」と笑ふ。  「夜いたう更けぬ。多し。寝たまひね」と責むれば、「今少しなめり。早う寝たまひね。縫ひ果ててむよ」と言へば、「ひとり起きたまはぬほどに、北の方、縫はで寝やしぬらむとて、うしろめたうて、寝静まりたる心ちに、例のかいまみの穴うよりのぞけば、少納言はなし。こなたに几帳立てたれど、そばのかたより見入るえれば、女、こなたのかたちにうしろを向けて、持たる物を折る。向ひてひかへたる男あり。なまねぶたかりつる目も覚め、驚きて見れば、白き袿のいと清げなる、掻練のいとつややかなる一襲、山吹なる、また衣のあるは、女の裳着たるやうに、腰よりしもに引きかけたり。燈のいと明き火影に、いと見まほしう清げに、あいぎやうづき、をかしげなり。またなく思ひいたはる蔵人の少将よりもまさりて、いと清げなれば、心まどひぬ。「男したるけしきは見れど、よろしき者にはあらじとこそ思ひつれ。さらにこれはただ者にはあらず。かくばり添ひゐて、女々しくもろともにするは、おぼろけの志にはあらじ。いといみじきわざかな。よくなりて、わが次第にはかなふまじきなめり」など思ふに、物縫ひのこともおぼえず、ねたうて、なほしばし立てれば、「知らぬわざして、まろも困じにたり。そこにもねぶたげに思ほしためり。なほ縫ひさして臥したまひて、北の方、例の腹立てたまへ」と言へば、「腹立ちたまふを見るが、いと苦しきなり」とて、なほ縫ふに、あやにくがりて、燈をあふぎ消ちつ。女君「いとわりなきわざかな。取りだに置かで」と、いと苦しがれば、「ただ几帳に掛けたまへ」とて、手づから輪組み掛けて、かき抱きて臥しぬ。  北の方、聞き果てて、いとねたしと思ふ。「例の腹立てよ」と言ひつるは、さきざきわが腹立つを聞きたるにやあらむ、語りけるにやあらむ、いとねたし。つくづくと臥して思ふに、ゆき方なければ、なほおとどにや申してましてと思ふへど、かたちはよし、さきざき直衣など見るに、よき人ならば、持て出でやしたまはむと、あやふくて、「なほ帯刀に逢ひたると言ひなして。放ち据ゑたれば、かかるぞ。部屋に籠めたらむほどに男は思ひ忘れなむ。わが伯父なるが、ここに曹司して、典薬の助にて身貧しきが六十ばかりなる、さすがいたはしきに、かがみまはせて置きたらむ」と、夜一夜思ひ明すも、知らで、少将いとあはれにうち語らひて、明けぬれば、出でたまひぬ。  やがて急ぎ縫ひかけつるほどに、北の方起きて、「縫ひさすと見しを、まだしくは、血あゆばかりいみじくのらむ」と思して、「縫ひ物賜へ。出で来ぬらむ」と言はせたまへれば、いとうつくしげにしかさねて出だしたれば、本意なき心ちして、くちをしく、「いかに出で来にけむ」とて、やみぬ。  少将の御もとより御文あり。「いかにぞ。昨夜の縫ひさし物は。腹まだ立ち出でずや。いと聞かまほしくこそ。さて笛忘れて来にけり。取りて賜へ。ただ今、内裏の御遊びに参るなり」とあり。げにいとかうばしき笛あり。包みてやる。「腹は、けしけらず。人もこそ聞け。かうな思し出でそ。いとよう笑みてなむあめる。笛奉る。これをさへ忘れたまひければ、 これもなほあだにぞ見ゆる笛竹の手なるるふしを忘ると思へば」 とあれば、少将、いとほしと思ひて、     あだなりと思ひけるかな笛竹の千代も音たえむふしはあらじを となむありける。  この少将出でぬるしなはち、北の方、おとどに申したまふ。「さることはありはむやと思ふもしるく、この落窪の君の、やさしくいみじきことをし出でたりけるが、いみじさ。さすがに、さし離れたる人ならば、ともかくもすべきに、いとこそ難いことなかれ」と宣へば、おとど驚きまどひて、「何事ぞ」と問ひたまへば、「この蔵人の少将の方なる帯刀といふは、この月ごろ、あこきに住むと聞き思ひつるは、はやう正身に立ちかかりにけり。文の返りごとを、痴れたる者にて、懐に入れてゐたりけるを、この少将の君の前に落したりければ、見つけたまひて、くはしき心つきたる君にて、『誰がぞ』と帯刀に問ひ責めたまひければ、かくまで、しかじかと申しければ、『いと清げなる相婿取りたまひてけりな。あな名立たし。人の見聞かむも、いといみじ。これな住ませたまひそ』と、いと恥づかしげに宣ひける」と、くはしく申したまひてければ、老いたまへるほどよりは爪弾きをいと力々しうしたまひて、「いといふかひなきことをもしたるかな。かくてをれば、皆人は子の数と知りたるに、六位といへど蔵人にだにあらず、地下の帯刀の、歳二十ばかり、丈は一寸ばかりなる、かかることはし出づべしや。さるべき受領あらば、知らず顔にて、くれてやらむとしつるものを」。北の方「そがいとくちをしきこと。おのが思ふやうは、あまねく人知らぬ先に、部屋に籠めて守らせむ。女思ひたれば、出であひなむず。さてほど過ぎて、ともかくもしたまへ」と申したまへば、「いとよかなり。ただ今追ひもて行きて、北の部屋に籠めてを、物なくれそ、しをり殺してよ」と、老いほけて物のおぼえぬままに宣へば、北の方、いとうれしと思ひて、衣高らかに引き上げて、落窪にいまして、つい居たまひて、「いといふかひなきわざをなむ、したまひたる。子どもの面伏せにとて、おとどのいみじく腹立ちたまひて、『こなたに、な住ませそ。とく籠め置きたれ。われ守らむ。ただ今追ひもて来』となむど宣へる。いざたまへ」と言ふに、女、あさましくわびしう悲しうて、ただ泣きに泣かれて、いかに聞きたまひたるならむ、いみじとは、おろかなり。  あこき、まどひ出でて、「いかなることを聞こしめしたるぞ。さらに、しあやまちせさせたまへることおはしまさざめるものを」と申せば、「いで、この汐先をかりて。なさくじりそ。いかにしたりつることにかあらむ、われには隠し隔てたまへど、おとどの宣ふことあり」とて、衣の肩を引き立てて立ちたまへば、あこき泣くこといみじ。君また、さらに我にもあらず。物もちらしながら、逃ぐる者からむやうに袖をとらへ、先におし立てておはす。紫苑色の綾のなよよかなる、白き、またかの少将のぬぎ置きし綾の単着て、髪は、このごろしもつくろひければ、いと美しげにて丈に五寸ばかり余りてゆらめき行く後姿、いといみじくをかしけなる、あこき見送りて、いかにしなしたてまつりたまはむとするにかあらむと思ふに、目くるる心ちして、足ずりして、泣かるる心ちを思ひ静めて、うち散らしたまへる物ども取りしたたむ。  君は、あれにもあらず、おとどの御前に引き出で来て、はくりと突い据ゑられて、「からうじて。足づから行かずは、今少し駆りけむ」と宣へば、「はや籠めたまへ。われは見じ」と宣へば、また引き立てて、籠めたまふ。女の心にもあらずもの宣ひけるかな。恐ろしかりけむけしきに、なからは死にけむ。枢戸の廂二間ある部屋の、酢、酒、魚などまさなくしたる部屋の、ただ畳一枚、口のもとにうち敷きて、「わが心を心とする者は、かかる目見るぞよ」とて、いと荒らかに押し入れて、手づからついさして、鎖しつ。よくさして往ぬ。  君、よろづに物の香くさくにほひたるがわびしければ、いとあさましきには、涙も出でやみにけり。かく罪したまふことぞ。そのこととも聞かず、おぼつかなくあやし。あこきにだに、いかで会はむと思へど、見えず。いたう心憂かりけると身を思ひて、泣く泣くうつぶし臥したり。  北の方、落窪におはして、「いづら、櫛の箱のありつるは。あこきといふさくじり居りて、はやう取り隠してけり」と宣ふもしるく、「ここに取り置きてはべる」と言へば、さすがにえ乞ひ取らず。「こなた、わがあけざらむ限りは、あくな」とて、鎖し固めておはしぬ。しつと思ひて、いつしかのこと、典薬の助に語らむと思ひて、人間を待つ。  あこき、鎖し出だされて、いみじく悲しければ、なぞや、出でて往なましと思へど、君のなり果てたまはむ様体も見むとて、いかなるさまにておはすらむと、ゆかしければ、この君の御もとに、「ひとへにうち頼みたてまつる」と、「いともあさましく、知りはべらぬことにより、さいなみて、『まかでね』と宣へれば、宮仕へをしさしはべりぬることと、いと悲しくなむ。いかでなほ今ひとたびだに見たてまつりはべらむ。なほ上によきさまに聞えさせたまひて、このたびの勘事許させたまへ。小さくてこそ仕うまつりしか、今は、あかれ、異なりにてはべれば、この落窪の君の御事、まほに知りはべらず。いとわびしくなむ、あはれに召し使ひ、仕うまつりはべりぬる御手を、まかではべれば」など、言よく契りて、みそかに奉りたれば、三の君、まことと思ひて、あはれにて、母北の方に、「あこきをさへ何しにさいなむ。使ひつけてはべれば、なきは、いと悪し。召してむ」と宣へば、「あやしく相思ひたてまつりたる童なめり。盗人がましき童にて、くやつがよくなさむとて、したるにこそあめれ。落窪は、よに心とはせむと思はじ。男心は見えざりつる」と宣へば、三の君「なほ、こたびは許したまへ。らうたくわびおこせてはべりつ」と申したまへば、「ともかくも御心。さて使ひよしとはしも、な宣ひそ。いと疾れがまし」と心ゆかず宣へば、さすがにわづらはしくて、えふとも呼ばで、「しばし念ぜよ。今よく申す」と宣へり。  あこき、思へど思へど尽きもせず。部屋に籠りたまへる君、ただ物もおぼえたまはず。あこき、はた思ひ寄らぬことなく嘆く。御台をだに参らで籠めたてまつる、をこのやつは、よも参らせじ、さばかりらいたげなりつる御さまを、引き出でたてまつりつるほどのけしき思ひ出づるに、いみじく悲し。わが身ただ今、人と等しくてもがな、報いせむ、と思ふも胸はしる。君や、夜さりおはせむとすらむ。いかに思ほさむずらむ。事しも亡くなりたらむ人を言はむやうに、ゆゆしう悲しうて、起き臥し泣き焦らるれば、使ふ人も安からず見る。  女君は、ほど経るままに、物くさき部屋に臥して、死なば少将にまたもの言はずなりなむこと、長くのみ言ひ契りしものを、と、いと悲しく、昨夜物ひかへたりしのみ思ひ出でられて、あはれなれば、いかなる罪を作りて、かかる目を見るらむ、継母の憎むは例のことに人も語るたぐひありて聞く、おとどの御心さへかかるを、いといみじう思ふ。  かの少将聞きて、まばゆく、いかに女君の思すらむ、とてもかくてもわれ故にかかることを見たまふことと、限りなく嘆く。「人間によりて、かくなむとも聞えよ」とて、「いつしかと参り来たる折、あさましとは世の常に、夢のやうなることどもを承るに、物もおぼえでなむ。いかなる心ちしたまふらむと、思ひやりきこゆるも、思すらむにまさりてなむ。対面は、いかでかあらむとすると、いとわびしくなむ」と宣へり。  あこき、鳴る衣どもを脱ぎ置きて、袴引き上げて、下廂よりめぐりて行く。人も寝静まりにければ、「やや」と、みそかに、寄りて、打ち叩く。音もしたまはず。「御殿ごもりにけるか。あこきにはべる」と言ふ、ほのかに聞ゆれば、君やをら寄りて、「いかに来たるぞ」と泣く泣く、「いみじうこそあれ。いかにることにて、かくはしたまふにかあらむ」とも言ひやりたまはで、泣きたまへば、あこき泣く泣く、「今朝より、この部屋のあたりを駆けづりはべれど、えなむさぶらはざりつれば。いみじくもさぶらひつるものかな。しかじかのこと、言ひ出でたるなるなりけり」と申せば、いとど泣きまさりたまふ。「少将の君おはしたり。かくなむと聞かせたまひて、ただ泣きたまふ。かうかうなむ侍りつる」と申せば、いとあはれと思して、「さらに物もおぼえぬほどにて、え聞えず。対面は、 消えかへりあるにもあらぬわが身にて君をまた見むことかたきかな と聞えよ。臭き物どもの並びゐたる、いみじうみだりがんはしく苦しうてなむ。生きたれば、かかる目も見るなりけり」とて、泣きたまふとは世の常なりけり。あこきが心ちも、ただ思ひやるべし。人や驚かむと、みそかに帰りぬ。  聞ゆれば、少将、いと悲しく思ひまさりて、いといたう泣かるれば、直衣の袖を顔に押しあてて居たまへれば、あこき、いみじと思ふ。しばしためらひて、「なほ今一たび聞えよ。あが君や、さらにえ聞えぬものになむ。 あふことのかたくなりぬと聞く宵はあさを待つべき心こそせね かうは思ひ聞えじ」宣へば、また参る。道にて、心にもあらず物の鳴りければ、北の方、ふと驚きて、「この部屋の方に物の足音のするは、なぞ」と言へば、あこき泣く泣く、「疾くまかりなむ」と申せば、女君、「ここにも、 みじかしと人の心をうたがひしわが心こそまづは消えけれ」 と宣ふも、え聞あへず。「しかじか、驚きて宣ふめれば、よろづもえ承らずなりぬ」と言へば、少将、ただ今もはひ入りて、北の方を打ち殺さばやと思ふ。  誰も嘆き明して、明けぬれば、出でたまふとて、「いで、率て出でたてまつらむ折を告げよ。いかに苦しう思すらむ」と、おろかならず言ひ置きて、出でたまひぬ。帯刀、かくまばゆきことを、おとども聞きたまふらむに、ここにあらむことも便なければ、御車の後に乗りて往ぬ。  あこき、いかで物参らむ、いかに御心ち悪しからむ、と思ひまはして、強飯を、さりげなくかまへて、いかでと思へど、せむ方なければ、この語らふ小さき子に、「かの君の、かくておはしますをば、いかが思す。いとほしう思すや」と言へば、「いかがは」と言ふ。「さらば、人にけしき見せで、この御文奉るわざしたまへ」と言へば、「いで」とて取りて、あやにくに、かの部屋に行きて、「これ、あけむあけむ、いかでいかで」と言へば、北の方いみじうさいなみて、「何しにあくべきぞ」と宣へば、「沓をこれに置きて。取らむ」と、ののしりて、うちこほめかしてののしれば、おとど、末子にて、かなしうしたまへば、「おごり歩かむと思ふにこそあらめ。早うあけさせたまへ」と宣へば、いみじく宣ひて、「今しばしありて、あけむついでに」と宣ふに、おそばへて、「あれ押しこぼちてむ」と腹立ちののしれば、おとど、手づから、いましてあけて入れたまへれば、沓も取らで、「いづら」とて、ついかがまりて、さし取らせて、「あやし。なかりける」とて出でぬれば、「まさにさかしきことせむや」とて、走り打ちたまふ。  かの文を、はざまより日の光の当りたるより見れば、あこきがよろづのこと書きて、はかなきさまにして、おこせたるなりけり。されども、物食はむともおぼえで、置きつ。  北の方、さすがに、日に一たび物食はせむ、物縫ひにより命は殺さじと思ひて、典薬の助を人間に呼びて、「かうかうなむ、しかじかのことあれば籠め置きたるを、さる心思ひたまへ」と語らひたまへば、いともいともうれし、いみじ、と思ひて、口は耳もとまで笑みまけてゐたり。「夜さり、かの居たる部屋のおはせ」など、契り頼めたまふに、人来れば、去りぬ。  あこきがもとに、少将の御文あり。「いかに。その部屋はあくやと、いみじくなむ。なほ便宜あらば告げられよ。さりぬべくは、必ず必ず奉りたまひて。御返りあらば、慰むべき。いとあはれなることを思ふに」とあり。正身におろかならずいみじきことを書きたまひて、「いと心ぼそげなりし御消息を思ひ出づるに、いとわりなくなむ。     いのちだにあらばと頼む逢ふことを絶えぬといふぞいと心憂き わが君、心強く思し慰めよ。もろともにだに籠めなむ」と書きたまへり。  帯刀も「さらに、このことを思ふに、心ちもいと悪しくてなむ臥してはべる。いかに思ほすらむと、かたはらいたく、いとほしきに、法師にもなりぬべくなむ」と書きておこせたり。  あこき、御返り、「かしこまりてなむ。いかでか御覧ぜさせはべらむ。戸はいまだあきはべらず。さらにいとかたくなむ。いかにしはべらむ。御文もいかでか御覧ぜさせはべらむとすらむ。御返りは、これよりも聞えさせはべらむ」と聞ゆ。帯刀がもとにも、同じさまに、いみじきことをなむ、言へりける。  ニの巻にぞことごともあべかめるとぞある。                   巻ニ  あこき、いかでこの文奉らむと、握り持ちて思ひ歩くに、さらに部屋の戸あかず、わびしと思ふ。少将と帯刀とは、ただ盗み出でむとたばかりたまふ。われゆゑに、かかる目も見るぞと思ふに、いとあなれにて、いかでこれ盗み出でてのちに、北の方に、心惑はすばかりに、ねたき目を見せむと思ふ。ほとほと執念く心深くなむおはしける。  かの語らひし少納言、交野の少将の文持て来たるに、かく籠りたれば、あさましく、くちをしう、あはれにて、あこきと、「いかに思すらむ。などかかる世ならむ」とうち語らひて、忍びて泣く。  日の暮るるままに、いかで奉らむと思ふ。少将の笛の袋縫はするに、取り降れむ人のなきままに、いみに手も触れぬほどに、北の方、部屋の戸をあけて入りおはして、「これ、ただ今縫ひたまへ」と言へば、まことにさもしてむとわびしくて、あれにもあらず、苦しけれど、起き上がりて縫ふ。  あこき、部屋の戸あきたりと見て、例の三郎君呼びて、「いとうれしく宣ひしかばなむ。これ、北の方の見たまはざらむ間に、奉りたまへ。ゆめゆめ、けしき見えたてまつりたまふな」と言へば、「よかなり」とて、取りついで、かたはらに居て、笛取りて見など遊びゐて、衣の下にさし入れつ。いかで見むと思ふに、袋縫ひ果てて、見せに持ていきたるほど、からうじて見て、あはれと思ふこと限りなし。硯、筆もなかりければ、あるままに針の先して、ただかく書きたり。     「人知れず思ふころもいはでさは露とはかなく消えぬべきかな と、思ひたまふるこそ」とて持たり。北の方いまして、「ありつる袋は、いとよく縫ひたりや。『戸あけたり』とて、おとどさいなむ」とて、引きたてて鎖ささむとすれば、「いかで、『あなたに侍りし箱取りて』と、あこきに告げはべらむ」と言へば、たてさして、「あの櫛の箱得むとあめり」と、宣へば、まどひ持て来て、さし入るる手に入れたれば、引き隠して立ちぬ。「からうじて、御笛の袋縫はせたてまつりたまふとて、あけたまひけるになむ」と言ふ。少将、いとどあはれと思へること限りなし。  暮れぬれば、典薬の助、いつしかと心懸想し歩きて、あこきが居たる所に寄りて、いと心づきなげに笑みて、「あこきは、今は翁を思ひたまはむずらむな」と言へば、あこき、いとぬくつけく思ひて、「などか、さあるべき」と言へば、「落窪の君を、おのれに賜へれば、この御方の人にはあらずや」と言ふに、驚きなどひて、ゆゆしく思ふに、涙もつつみあへず出づれど、つれなくもてにして、「男君おはせで、つれづれなりつるに、頼もしの御事や。さても、おとどの許しきこえたまへるか、北の方はまして」と、いとうれしと思へり。あこき、よろづのことよりも、いかさまにせむ、いかでかくとだに告げたてまつらむ、と思ふに、静心なくて、「さて、いつか」と言へば、「今宵ぞかし」と言ふ。「今日は御忌日なるものを。なにか疑ひあらむ」と言へば、「されど、人持たまへるなれば、あやふしとてなむ」と言ひて立ちぬ。  あこき、わびしきこと限りなし。北の方、殿の御台参るほどに、はひ寄りて打ちたたく。「誰そ」と言へば、「かうかうのこと侍るなり。さる用意せさせて。御忌日となむ申しつる。いみじくこそあれ。いかがせさせたまはむ」とも、え言ひやらで立ちぬ。女君、聞くに胸つぶれて、さらにせむ方なし。さきざき思ひつること、物にもあらずおぼえて、わびしきに、避け隠るべき方はなし、いかでただ今死なむ、と思ひ入るに、胸痛ければ、おさへて、うつぶし臥して、泣くこといみじ。  燈などともしてければ、おとどは夕まどひしたまひて臥したまひぬ。北の方は、かの典薬の助のことにより、起きまして、部屋の戸引きあけて見たまふに、うつぶし臥して、いみじく泣く。「いといたく病む。などかくは宣ふにか」と言へば、「胸の痛くはべれば」と息のしたに言ふ、「あないとほし。物の罪かとも。典薬のぬし、医師なり。かいさぐらせたまへ」と言ふに、たぐひなく憎し。「何か。風にこそ侍らめ。医師いるべき心ちしはべらず」と言へば、「さりとも、胸はいと恐ろしきものを」と言ふほどに、典薬さわたれば、「うち、いませ」と呼びたまへば、ふと寄りたる。「ここに胸病みたまふめり。物の罪かと。かいさぐり参らせたまへ」とて、やがてあけて立ちぬれば、「医師なり。御病も、ふとやめたてまつりて。今宵よりは一向にあひ頼みたまへ」とて、胸かいさぐりて、手触るれば、女、おどろおどろしう泣きまどへど、言ひ制すべき人もなし。こしらへかねて、せめてわびしきままに、思ひて、泣く泣く、「いと頼もしきことなれど、ただ今、さらに物なむおぼえぬ」といらふれば、「さや。などてか思すらむ。今は御代りに翁こそ病まめ」とて、抱へてをり。  北の方は、典薬ありと思ひ頼みて、例のやうに鎖などもさし固めで寝にけり。  あこき、典薬の入りぬらむと、まどひ来て見るに、遣戸、細めにあきたり。胸つぶるるものから、うれしくて、引きあけて入りたれば、典薬かがまりをり。入りにけりと、心ちもなくて、「今日は御忌日と申しつるものを、心憂くも入りたまひにけるかな」と言へば、「何か。近々しくあらばこそあらめ。御胸まじなへと、上のあづけたてまつりたまうつるなり」とて、まだ装束も解かでをり。君は、いといたう悩みたまふに添へて、泣きたまふこと限りなし。あこき、とりわきて、などしも物をかくいみじく思して、かかるぞ、いかにるべきにか、と思ひて、心ぼそく悲し。「御焼石あてさせたまはんや」と聞ゆれば、「よかなり」と宣へば、あこき、典薬に、「ぬしこそ今は頼みきこえめ。御焼石求めて奉りたまへ。皆人も寝静まりて、あこきが言はむに、よも取たせじ。これにてこそ、志、ありなし、見えはじめたまはめ」と言へば、典薬うち笑ひ、「さななり。残りの齢少なくとも、一筋に頼みたまはば、仕うまつらむ。岩山をもと思へば、まして焼石は、いとやすし。思ひにさし焼きてむ」と言へば、「同じくは疾く」、責められてぞ、いににける。さは、入りたちたるやうなれど、いとやすし、志、情を見えむ、とて、石求むとて立ちぬ。  あこき「この年ごろいみじくはべりつることの中に、わびしくもいみじうこそはべりけれ。いかがせさせたまはむずる。何の罪にて、かかる目を見たまふらむ。さても、何の身にならむとて、かかるわざをしたまふらむ」と言へば、君「さらになむ物もおぼえぬ。今まで死なぬことの心憂き。心ちは、いと悪し。この翁の近づき来るになむ、いとわびしき。その遣戸かけこめて、な入れそ」と宣へば、「さては腹立ちなむ。なほ、なごめさせおはしませ。頼む方のあらばこそ、今宵はたてこめて、明日はその人に言はむとも思ひはべらめ。少将の君、嘆きわびたまへど、いかでかは。ただ今あたりにだに思し寄らむことかたくなむ。御心のうちも、仏神を念ぜさせたまへ」と言へば、君、げに頼む方なく、はらからとて相思ひたることなし、はしたなげにのみあれば、その人といふべきこともおぼえず。いみじう悲しくて、ただ頼むこととては、涙とあこきとぞ心にかなひたるものにて、さらにここに今宵はあれば、誰も誰も泣くほどに、翁、焼石包みて持て来たるを、わびて手づから取る心ち、恐ろしう、わびしくおぼゆ。  翁、装束解きて、臥して、かき寄すれば、女「あが君、かくなしたまひそ。いみじく痛きほどは、起きておさへたるなむ、少し安まる心ちする。後を思さば、今宵はただに臥したまへれ」と言ふ。いとわびしくて、いたう病む。あこき「今宵ばかりにてこそあれ。御忌日なれば、なほただ臥したまへれ」と言へば、さもあることとや思ひけむ、「さらば、これに寄りかかりたまへ」とて、前に寄り臥せば、わびしく、おしかかりて泣きゐたり。あこきも、いで憎けれど、うれしき翁の御徳に、御あたりに今宵参りたること、と思ふ。  ほどなく寝入りて、くづち臥せり。女、少将の君のけはひ思ひあはせられて、いとどあいなく憎し。あこき、いかにして出でなむのたばかりをす。翁のうち驚く時は、いとどいたく苦しがり病みたまへば、「あないとほし。翁の侍る夜しも、かう病みたまふがわびしき」とては、また寝入りぬ。  明けぬれば、いとうれしと誰も誰も思ふ。翁を突き驚かして、「いと明くなりぬ。出でたまひね。しばしは人の知らせじ。長く思ひたまはば、宣はむことに従ひたまへ」と言へば、「さかし。われも、さ思ふ」と、ねぶたかりければ、目くそ閉ぢあひたる、払ひあけて、腰はうちかがまりて、出でて往ぬ。  あこき、遣戸引き閉てて、ここにありけりと見えたてまつらじと思ひて、急ぎて曹司に行きたれば、帯刀が文あり。見れば、「からうじて参りたりしかど、御門さして、さらにあけざりしかば、わびしくてなむ帰りまうで来にしや。おろかにぞ思すらむ。少将の君の思したるけしきを見はべるに、心の暇なくなむ。これは御文なり。いかで夜さりだに参らむ」と言へり。御文奉らむよき隙なりと、急ぎ行きて見れば、北の方に、「ここに典薬のぬしの文あり。いかで奉らむ」と言へり。御文奉らむよき隙なりと、急ぎ行きて見れば、北の方、部屋さしたまふ。あなくちをしと思ひて帰る道に、典薬ゆきあひて、文くれたるを取りて、走り返りて、北の方に、「ここに典薬のぬしの文あり。いかで奉らむ」と言へば、北の方、うち笑みて、「心ちまどにたまへるか。いとよし。まめやかにあひ思ひたるぞよき」とて、さし固めし戸口を引きあけたれば、いとをかしうて、少将の君の文取り添へて、さし入れたり。  少将の君の文見たまへば、「いかが。日の重なるままに、いみじくなむ。 君がうへ思ふやりつつなげくとは濡るる袖こそまづは知りけれ いかにぢべき世にかあらむ」とあり。女、いとあはれと思ふこと限りなし。「思しやるだにさあんなり。 嘆くことひまなく落つる涙河うき身ながらもあるぞ悲しき」 と書きて、翁の文見むことのゆゆしうて、「あこき、返りごとせよ」と、書きつけて、さし出でたれば、ふと取りて立ちぬ。  あこき、翁の文を見れば、「いともいとも、いとほしく夜一夜なやみたまひけるをなむ、翁の物の悪しき心ちしはべる。あが君あが君、 老木ぞと人は見るともいかでなほ花咲き出でて君にみなれむ なほなほ、な憎ませたまひそ」と言へり。あこき、いとあいなしと思ふ思ふ書く。「いと悩ましくせさせたまひて、御みづからは、え聞えたまはず、 枯れ果てて今は限りの老木にはいつかうれしき花は咲くべき」 と書きて、腹立ちやせむと恐ろしけれど、おぼゆるままに、取らせたれば、翁うち笑みて取りつ。  帯刀が返りごと書く。「昨夜は、ここにも、いふかたなきことを聞えてだに慰めばやと、思ひきこえしに、かひなくてなむ。御文からうじてなむ。いといみじきことどもも出で来て。対面になむ」とて、やりつ。  北の方は、典薬にあづけつと思ひて、いとありしやうにも遣戸さし固めさせむねば、あこき、うれしと思ふ。暮れゆくままに、いかにせむと思ふ。内ざしにさしこもらむと思ひて、よろづにあくまじきやうに構ふ。翁「あこき、いかにぞ、御心ちは」と言へば、「いみじく悩みたまふ」、「と言ふは、いかにおはせむずらむ」と、北の方は念じをるを、あこき聞きて、いとうれしき隙あるべかなりと、胸うちつぶれて思ふ。今宵だに逃れたまひなばと思ひて、遣戸のしりさすべき物を求めて、脇にはさみて、歩く。「御殿油参れ」など言ふまぎれにはひ寄りて、遣戸の片の樋に添へて、え探らすまじく、さして去りぬ。内なる君は、いかにせむと思ひて、大きなる杉唐櫃のありけるを、あとをかきて、遣戸口に置きて、とかうして押さへ、わななき居て、「これあけさせたまふな」と願をたつ。  北の方、鍵を典薬に取らせて、「人の寝静まりたらむ時に入りたまへ」とて寝たまひぬ。  皆人々静まりぬる折に、典薬、鍵を取りて来て、さしたる戸あく。いかならむと胸つぶる。鎖あけて遣戸あくるに、いと固ければ、立ち居ひろろぐほどに、あこき聞きて、少し遠隠れて、見立てるに、上下探れど、さしたるほどを探り当てず。「あやしあやし。戸、内にさしたるか。翁をかく苦しめたまふにこそありけれ。人も皆許したまへる身なれば、え逃れたまはじものを」と言へど、誰かはいらへむ。打ちたたき、押し引けど、内外につめてければ、揺ぎだにせず。今や今やと、夜更くるまで板の上に居て、冬の夜なれば、身もすくむ心ちす。そのころ、腹そこなひたる上に、衣いと薄し。板の冷え、のぼりて、腹ごほごほと鳴れば、翁、「あなさがな。冷えこそ過ぎにけれ」と言ふに、強ひてごほめきて、ひちひちと聞ゆるは、いかなるにかあらむと疑はし。かい探りて、出でやするとて、尻をかかへて、惑ひ出づる心ちに、鎖をついさして、鍵をば取りて往ぬ。あこき、鍵置かずなりぬるよと、あいなく憎く思へど、あかずなりぬるを、限りなくうれしく、遣戸のもとに寄りて、「ひりかけして往ぬれば、よもまうで来じ。大殿籠りね。曹司に帯刀まうで来たれるを、君の御返りごとも聞えはべらむ」と言ひかけて、下におりぬ。  帯刀、「など今まではおりたまはぬぞ。世の中いかがあると。いまだ出だしたてまつらずや。いみじくこそおぼつかなけれ。君の思し嘆くこと、いみじくなむ。『夜など、みそかに盗み出でたてまつりむべしや。そのこと、案内して来』と宣はつる」と言へば、「さらにいとどぞいみじき。日に一度なむ御台参りにあけたまふ。かくて構ふるやうは、北の方の御伯父にて、いみじき翁のあるになむ、あはせたてまつらむとて、今宵も『部屋に入れ』とて、鍵を取らせたまへれど、内外にしかじか固めたれば、立ち居、ひろろきあけつるに、冷えて、かうかうして往ぬ。君は、かなこと聞きたまひしより、御胸をなむいみじく病みたまひし」と、泣きつつ言ふ。帯刀、きみじきことにあはせて、ひりかけのほど、え念ぜで笑ふ。「『いつしか盗み出でたてまつりて、この北の方の当せむ』となむ、君は宣ふ」と言へば、「明日、祭見に出でたまひぬべかめり。その隙におはしませ」と言へば、帯刀「いとうれしき隙にもあなるかな。いつしか夜もあけなむ」と、心もとなく言ひ明かす。  翁は、袴にいと多くしかけてければ、懸想の心ちも忘れて、まづとかくかれ洗ひしほどに、うつぶし臥しにけり。  明けぬれば、帯刀、急ぎ参りぬ。少将「いかが言ひつる」と宣へば、「しかじかなむ、あこきが言ひし」と申すに、典薬の助のことを、あさまし、ねたし、げにいかにわびしからむ、と思ひやるも、いとあはれなり。「ここには、しばし住まじ。二条の殿に住まむ。行きて格子上げさせよ。清めせよ」とて、帯刀遣はしつ。胸うち騒ぎて、うれしきこと限りなし。  あこき、人知れず心ち騒ぎて、せむやうを構へ歩く。午の時ばかりに、車二つ三つ、三、四の君、われやなど乗りて出でたまふ騒ぎにあはせ、北の方、典薬がもとに鍵持ちて乗りたまひぬることを、いみじく憎しと、あこき思ふ。おとども、婿出だし立てて、ゆかしがりて、出でたまひぬ。皆ののしりて、ささとして出でたまふすなはち、あこき告げに走らせやりたれば、少将、心ちたがひて、例乗りたまふ車にはあらぬに、朽葉の下簾かけて、をのこども多くて、おはしぬ。帯刀、馬にて先立ちて、おこせたまへり。中納言殿には、婿の御供に、おとど、北の方の御供人、ひとかたにをのこども分ち参りて、人もなし。御門にしばし立ちて、帯刀、隠れより入りて、「御車あり。いづくにか寄せむ」と言へば、「ただ、この北面に寄せよ」と言ふ。引き入れて寄するを、からうじてこのをのこ一人出で来て、「あらず。御達の参りたまふぞ」と言ひて、ただ寄せに寄す。御達のとまりたりけるも、皆下におりて、人もなきほどなり。あこき「早うおりたまへ」と言へば、少将おり走りたまふ。部屋には鎖しさしたり。これにぞ籠りけると見るに、胸つぶれて、いみじ。はひ寄りて、鎖ひねり見たまふに、さらに動かねば、帯刀を呼び入れたまひて、うちたてを二人してうち放ちて、遣戸の戸を引き放ちつれば、帯刀は出でぬ。いともらうたげににて居るを、あはれにて、かき抱きて、車に乗りたまひぬ。「あこきも乗れ」と宣ふに、かの典薬が近々しくやありけむと、北の方思ひたまはむ、ねたういみじうて、かのおこせたりし文、ニたびながら、おし巻きて、ふと見つくべく置きて、御櫛の箱ひきさげて乗りぬれば、をかしげにて、飛ぶやうにして出でたまひぬ。誰も誰も、いとうれし。門だに引き出でてければ、をのこども多くて、二条殿におはしぬ。  人もなければ、いと心安しとて、おろしたてまつりたまひて、臥したまひぬ。日ごろのことども、かたみに聞えたまひて、泣きみ笑ひみしたまふ。かのひりかけのことをぞ、いみじく笑ひたまひける。「不覚なりける御懸想人かな。北の方、いかにあさましと思ひたまはむ」と、うち解けて、言ひ臥したまへり。帯刀、あこきと臥して、今は思ふこともなきよしを言ふ。暮れぬれば、御台参りなどして、帯刀あるじだちて、しありく。  かの殿には、物見たまひて、御車よりおりたまふままに見たまへば、部屋の戸うち倒して、うちたても、うち散らしければ、誰も誰も驚き惑ひて見れば、部屋には人もなし。いとあさましく、「こはいかにしつることぞ」と、騒ぎ満ちてののしる。「この家には、むげに人はなかりつるか。かく寝る所まで入り立ちて、打ちわり引き放ちつらむを、とがめざりつらむは」と、腹立ちて、「誰かとまりたりつらむ」と尋ねののしる。北の方、いはむ方なき心ちして、ねたくいみじきこと限りなし。あこきを尋ね求むれど、いづくにかあらむ。落窪をあけて見たまへば、ありと見し几帳、屏風、一つもなし。北の方「あこきといふ盗人の、かく人もなき折を見つけて、したるなり。やがて追ひうたむと思ひしものを、使ひよしと宣ひて、かく負けぬること」と、「心肝もなく、相思ひたてまつらざりしものを、強ひて使ひたまひて」と、三の君を、いみじく申したまふ。おとど、とまりたりけるをのこ一人尋ね出でて問ひたまへば、「さらに知りはべらず。ただいと清げなる網代車の、下簾かけたりし、出でさせたまひてすなはち入りまうで来て、ふと出でじ。をのこのしたるなめり。何ばかりの者なれば、かくわが家を、あかひる入り立ちて、かくして出でぬらむ」と、ねたがり惑ひたまへど、かひもなし。  北の方、この置きたる文を見たまひて、まだ寝ざりけりと思ふに、ねたさまさりて、典薬を呼び据ゑたまひて、「かうかうして逃げにけり。ぬしにあづけしかひもなく、かく逃したまへる。近々しくは物したまはざりけるか」と宣ひて、「置きたるそこの文ども見れば」と言へば、典薬がいらへ「いとわりなき仰せなりや。その胸病みたまひし夜は、いみじう惑ひて、御あたりにも寄せたまはず、あこきも、つと添ひて、『御忌日なり。今宵過ぎして』と、正身も宣ひて、いみじく惑ひたまひしかば、やをらただ寄り臥しにき。のちの夜、責めそさむと思ひて、まうで来てあくるに、内ざしにして、さらにあけぬを、板の上に夜中まで立ち居、ありはべりしほどに、風引きて、腹ごほごほと申ししを、一ニ度は聞過ぐして、なほ執念くあけむとしはべりしほどに、乱れがはしきことの出でまうで来にしかば、物もおぼえで、まづまかり出でて、し包みたりし物を洗ひしほどに、夜は明けにけり。翁の怠りならず」と述べ申して居たるに、腹立ち叱りながら、笑はれぬ。まして、ほの聞く若き人は、死に返り笑ふ。「いでや。よしよし。立ちたまひぬ。いとかひなく、ねたし。異人にこそあづべくかりけれ」と宣ふに、典薬、腹立ちて、「わりなきこと宣ふ。心には、いかでいかでと思へど、老いのつたなかりけることは、あやまちやすくて、ふとひちかけらるるをば、いかがせむ。翁なればこそ、あけむあけむとはせしか」と、腹立ち言ひて、立ちて行けば、いとど人笑ひ死ぬべし。  童なる子の言ふやう、「すべて上の悪しくしたまへるぞ。何しに、部屋に籠めたまひて、かくをかなる者にあはせむとしたまひしぞ。いかにわびしく思しけむ。御むすめども多く、まろらも行くとも、よくありなむや。行きあふとも、われらが子ども、いかがせむ」と、いらへたまふ。をのこ三人ぞ持たまへりける。太郎は越前の守にて国に、二郎は法師、三郎ぞこの童なりける。かく言ひ騒げど、かひなければ、皆臥しぬ。  二条には、御殿油参りて、少将の君臥したまひて、あこきに、「日ごろのこと、よく語れ。ここには、さらに宣はず」と宣へば、あこき、北の方の心を、ありのままに言へば、君、あさましかりけることかな、と思し臥したまへり。「人ずくなにて、いとあしかめり」、あこき「『人求めよ』と宣ふなる」、「人々も聞えむと思へども、ゆかしげなき。あこき、大人になりね。いと心およずけためり」と、言ひ臥したまへれば。  かくうれしく宣はせて、明けぬれば、いとのどかなる心ちして、巳、午の時まで臥し、昼つ方、殿に参りたまふとて、帯刀に、「近く居たれ。ただ今来む」とて、出でたまひぬ。あこき、叔母のもとへ文やる。「急ぐこと侍りてなむ、昨日今日聞えざりつる。今日明日のほどに、清げならむ童、大人求め出でたまへ。そこにも、よき童あらば、一人二人しばし賜へ。あるやうは対面に聞えむ。あからさまにおはせよ」と、言ひやりつ。   少将の君、殿におはしたれば、かの中納言殿の四の君のこと言ふ人出で来て、「ものけたまはる。かのこと、一日も宣へりき。『年返らぬ先にしてむと思ふやうなむある。御文聞えて』と、いみじく責めはべり」と言へば、殿の北の方「さかさまにも言ふなるかな。強ひてかう言ふことを、聞きてよかし。人のために、はしたなきやうなり。今までひとりある、見苦し」と宣へば、少将「さ思はば、早うて取りてよかし。文は今やらむ。今様はことに文通はし、さても、しつなり」とて、笑みて立ちたまひぬ。  わが御方におはして、常に使ひたまふ調度ども、厨子など、かしこにやりたまふ。御文「今の問いかに。うしろめたうこそ。内に参りて、ただ今帰り出ではべりなむ。 唐衣きてみることもうれしさをつつまば袖ぞほころびぬべき なかなかつつましとなむ、今日の心ちは」とあり。御返り「ここには、 憂きことを嘆きしほどに唐衣袖は朽ちにき何につつまむ」 と聞えたまへるを、あはれに思す。  帯刀、心しらひ仕うまつること、ねんごろなり。和泉の守の返りごと「おぼつかなさに、これより昨日聞えたりしかば、『はやう、すさまじきわざして逃げたまひにき』とて、使ひをも、ほとほと打たれぬべかりけるを、からうじてなむ逃げて来たりしかば、いかならむと思うたまへ嘆きつるに、うれしく、たひらかに物したまへること。人は今案内して聞えむ。ここにはかばかしき者なし。この守の従妹にて、ここにおはするこそ、さやうに物しつべけれ」と言へり。  暮るれば、君おはしたり。「かの四の君のことこそ、しかじか言ひつれ。われと言ひて、人求めてあはせむ」と宣へば、女君「いとけしからず。否と思さば、おいらかにこそしたまはめ。本意なく、いかにいみじと思さむ」と宣ふ。少将「かの北の方に、いかでねたき目見せむと思へばなり」と宣へば、少将「いと心弱くおはしけり。人の憎きふし、思し置くまじかりけり。いと心安し」と宣ひて、立ちたまひぬ。  かの中納言殿には、「『よかなり』となむ宣ふ」と言ひやりたれば、喜びて設けし、ののしるにつけては、「落窪といふ者のあらば、うちあづけて縫はせまし。いかによからまし。仏、これ生けらば、来るやうしたまへ」。蔵人の少将の君も、御衣どもわろしとて、出づと入ると、むつかりて、着たまはずなどある時は、わびしうて、物せむ人もがなとて、ここかしこ手を分ちて求めたまふ。「『よかめり』と宣ふ時に取りてむ。思ひもぞかへる」とて、おとど、居立ち、いそぎたまふ。十二月のついたち五日と定めたるほどは、十一月のつごもりばかりより、いそぎたまふ。御婿の少将「誰を取りたまふぞ」と問ひければ、「左大将殿の左近の少将殿とかと宣へる」、「いとをかしき君ぞかし。うち語らひて出で入りせむに、いとよきことかな」と許しければ、北の方、はえありてうれしと思ふ。かの少将は、北の方の、いとねたく憎くて、いかで、これにわびしと思はせむと思ひしみにければ、心の内に思ひたばかるやうありて、「よかなり」と言ふなりけり。  かくて、二条殿には、十日ばかりになりぬれば、今参りども十余人ばかり参りて、いと今めかしうをかし。和泉の守の従妹なる、かうかうと聞きて、参らせて、兵庫といふ。あこきは、大人になりて、衛門といふ。小さくをかしげなる若人にて、思ふことなげにて、ありく。男も女もたぐひなく思したる、ことわりぞかし。  少将の君の母北の方、「二条殿に人据ゑたりと聞くは、まことか。さらば、中納言には、よかなりとは宣ふか。」少将「御消息聞えてと思うたまへしかど、人も住みたまはぬうちに、ただしばしと思うたまへてなむ。問はせたまへ。中納言は、中にもさ言ふと聞きはべりしかば。をのこは、一人にてやは侍る。うち語らひて侍れかし」と笑ひたまへば、北の方「いで、あな憎。人あまた持たるは嘆き負ふなり、身も苦しげなり。な物したまひそ。その据ゑたまへらむに思しつかば、さてやみたまひね。今とぶらひきこえむ」とて、のちは、をかしき物奉りたまひて、聞えかはしたまふ。「この人、よげに物したまふめり。御文書き、手つき、いとをかしかめり。誰がむすめぞ。これにて定まりたまひね。女子持たれば、人の思さむことも、いとほしう、心苦しうなむおぼゆる」と、少将に申したまへば、ほほゑみたまひて、「これも、よも忘れはべらじ。またもゆかしうはべり」と申したまへば、「いかでか。かしからず。さらに思ひきこゆまじき御心なめり」と笑ひたまふ。御心なむ、いとよく、かたりも美しうおはしましける。  かくて、月立ちて、「あさてなむ。さは知りたまへりや」と、いとほしく思したれば、「かくなむ」と申せば、「よかなり。参らむ」と、いらへたまひて、心の内には、いとをかし。思しけるやう、北の方の御叔父にて、世の中にひがみ痴れたる者に思はれて、治部卿なる、交らふこともなき人の太郎、兵部の少輔といふ人ありけり。少将おはして、「少輔はここにか」と宣へば、「曹司の方に侍らむ。人笑ふとて、え出で立ちもしはべらず。君達御顧みありて、これ交らひつけさせたまへ。おのれも、しか侍りにき。笑ひ立てられたるほどだに過ぎぬれば、宮仕へしつきぬるものなり」と申せば、少将、うち笑ひて、「いかが、ようなしはべらむ」とて、曹司におはして見たまへば、まだ臥したまへり。また痴れがましうをかしうて、「やや、起きたまへ。聞ゆべきことありてなむ、まうでき」と宣へば、足手あはせて、いとよく伸び伸びして、からうじて起き出で、手洗ひゐたり。少将「うとき所ならばこそ、恥づかしからめ」とて、「君は、妻はなどて今まで持たまへらぬぞ。やまめ臥ししては、いと苦しきものを」と宣へば、少輔のいらへは、「あはする人なきうちに、ひとり臥してはべるも、さらに苦しくも侍らず」と言へば、少将「さは、苦しからずとて、妻も設けでやみたまひなむや」。少輔「あはする人や侍るとて、いとよき人あり」と宣へば、さすがに笑みたる顔、色は雪の白さにて、首いと長うて、顔つき、ただ駒のやうに、鼻のいららぎたること限りなし。いうといななきて、引き離れて往ぬべき顔したり。向ひゐたらむ人は、げに笑はでは、えあるまじ。「いとうれしきことに侍るなり。誰がむすめぞ」と言へば、少将「源中納言の四の君なり。まろにあはせむと思ひて。あさてとなむ定めたる。用意したまへ」。少輔のいらへ、「本意なしとて、笑ひもこそすれ」と言へけれど、つれなくて、「よも笑はじ。宣はむやうは、『おのれなむ、忍びてこの秋より通ふを、少将取りたまふと聞きて、おのれに離れぬ人なれば、かうかうなり、いかで得たまふぞ、と怨みしかば、いとことわりなり、さらば不用にこそは、かの親達知りたまはねば、まろならぬ人も取りたまひてむも、をこなり、このたび、あらはれたまひね、と言ひしかばなむ』と、いらへたまへ。さらばなでふことか言はむ。よも笑はじ。さておはし通ひなば、人も覚えありて思ひなむ」と言へば、「さらなり」と、うなづき居たり。「さらば、あさて、夜うちふかしておせ」と言ひ置きたまひて、出でたまひぬ。女いかが思はむと思へども、まさりて憎しと思しおきてければなりけり。  二条におはしたれば、雪の降るを見出だして、火桶に押しかかりて、灰まさぐりて居たまへる、居とをかしければ、向ひ居たまへるに、     はかなくて消えなましかば思ふとも と書くを、あはれに見たまふ。まことにと思して、男君、     いはでをこひに身はこがれまし とて、やがて、また男君、     埋火のいきてうれしと思ふにはわがふところにいだきてぞ寝る とて、かきいだきて臥したまひぬ。女君「いとをかしきことなり」とて笑ひたまふ。  中納言殿には、その日になりて、しつらひたまふこと限りなし。今日といへば、少将、兵部のもとへ、「かの聞えしことは、今宵なり。戌の時ばかりにおはせよ」と宣へば、「ここにも、しか思ひはべり」と言へり。父に、かうかうと言ひければ、ひが痴れ人、便なからむとも思はで、「労ありて人に誉められたまふことは、よも悪しからじ。早う行け」とて、装束のこといそぎ、出だし立てたりければ、うちさうぞきて往にけり。  人々さうぞきそして待つに、「おはしたり」と言へば、入れたてまつりつ。その夜は痴れも見えで、火のほの暗きに、様体ほそやかにあてなりければ、御達は、人に誉められたまふ君ぞかしと思ふに、うちつけに、「ほしやかに、なまめきても入りたまひぬるかな」と言ひあへるを聞きたまひて、北の方、笑みまけて、「かしこくも取りつる。われは、さいはひありかし。思ふやうなる婿どもを取るかな。ただ今、この君、大臣がね」と吹き散らしたまへば、人々「げに」と聞ゆ。女、かかる痴れ者とも知らで臥したまひにけり。  明けぬれば出でぬ。  少将、いかならむと思ひやられて、をかしければ、「女君、中納言殿には、昨夜婿取りしたまへひにけり」、「誰ぞ」と宣へば、「まろが叔父にて治部卿なる人の子、兵部の少輔、かたちよく、鼻いとをかしけなるを、婿取りたまへる」と宣へば、女君「ことに人の取り次ぎて誉めぬ所よ」とて笑ひたまへば、「中にすぐれてをかしげなる所を聞ゆるぞかし。今見たまひてむ」とて、侍に出でたまひて、少輔のがり文やりたまふ。「いかにぞ。文やりたまふや。まだしくは、かう書きてやりたまへ。いとをかしきことぞ」とて、書きてやりたまふ。     「世の人のかふのけさには恋すとか聞きしにたがふ心地こそすれ たままくくずの」と書きてやりたまへれば、少輔、文やらむとて歌をよみをるほどに、かくて賜へれば、よきことと思ひて、急ぎ書きてやりつ。少将の返りごとには、「昨夜は事成りにき。笑はずなりにしかば、うれしくなむ。詳しくは対面に。文はまだしくはべりつるほどに、喜びながら、これをなむ遣はしつる」と言へば、少将、いとをかしく、女に恥を見するぞ、など思へども、疾くいかでこれが報いせむと思ひしほどに、遂げてのちに、引きかへて顧みむと、思すこと深くてなりけり。女君は、なほ思ひわびたるけしき、いとほしうて、聞かせたまはず。心ひとつにをかしければ、帯刀になむ語りて笑ひたまひければ、帯刀「いとうれしうせさせたまひたり」と喜ぶ。  かの殿には、御文待つほどに、持て来たれば、いつしか取り入れて奉りつる、見たまふに、かかれば、いみじう恥づかしうて、えうちも置きたまはず、すくみたまやうにて居たまへり。北の方、「御手はいかがある」とて見たまふに、死ぬる心ちすべし。北の方、うち見て、あやしう、さきざきの婿取りの文見る中に、かかれば、いかならむと胸つぶれぬ。おとど、おし放ち、引き寄せて見たまへど、え見たまはで、「色好みの、いと薄く書きたまひけるかな。これ読みたまへ」と宣へば、ふと取りて、蔵人の少将のつとめての文の覚えけるを、うち読みて、「『堪へぬは人の』となむ書きたまへる」と言へば、おとど、うち笑ひて、「すき者なれば、いひ知りためり。はや御返りごと、をかしくしたまへ」とて立ちたまふを、聞くに、四の君かたはらいたく、わびしくおぼえ、臥しぬ。  北の方、三の君と、「いかに宣へるならむ」と嘆けば、女の御方、「いみじく思ふとも、かう言はむやは。なほ、おしなべて、『今日は恋し』など言はむことの古めきたれば、様変へてと思ひたまへるにや。心得ず、あやしくもあるかな」と宣ふ。北の方「さななり。色好みは、人のせぬやうをせむとなむ。思ふなるべし」と言ひて、「はや返りごとしたまへ」と申したまへど、親はらから居立ちて、かくあやしがり嘆きたまふを聞くに、さらに起き上がるべき心ちもあらで、臥したまへれば、「われ書かむ」とて、北の方、書きたまふ。     「老いの世に恋もし知らぬ人はさぞけふのけさをも思ひわかれじ くちをしうとなむ、女は思ひきこゆる」とて、使に物かづけてやりつ。四の君は起き上がらで、臥し暮しつ。  暮れぬれば、いと疾くおはしぬ。北の方、「さればよ。物しく思さましかば、遅くぞおはせまし。げに様変へて宣へるなりけり」とて、喜びて入れたてまつりたまひつ。四の君、恥づかしけれど、いかがせむにて、出でたまひにけり。物うち言ひたる声、けはひ、ほれぼれしくおくれたれば、女君、蔵人の少将などに聞き合はするに、あやしげなれば、我こそ「恋ひざらめ」と、言はまほしけれ、と思す。夜深く出でぬ。  三日の設け、いかめしうしたまふ。侍の居るべき所、雑色所など、さまざまに物据ゑなどして、待ちたまふ。御婿の少将まで出でたまひて、いそぎたまふ。ただ今の御代、覚えのたぐひなき君なれば、もてはやさむとて、おとども出で居て待ちたまふに、「まづ、こなたに入りたまへ」と呼ばすれば、ゆくりもなくのぼりて居ぬ。燈のいと明きに見れば、首よりはじめて、細く小さくて、おもては白粉つけ化粧したるやうにて白う、鼻をいららがして、仰ぎて居たるを、人々あさましうてまもるに、この兵部の少輔に見なしては念ぜず、ほほと笑ふ中にも、蔵人の少将ははなばなと物笑ひする心にて、笑ひたまふこと限りなし。「面白の駒なり」と扇をたたきて笑ひて立ちぬ。殿上にても、者よりことに、「面白の駒、離れて来たり」とて笑ふなりけり。「かれは、いで。こはいかなることぞ」とも言ひやらず笑ふ。おとどは、あきれて、え物も言はれず、人の謀りたりけるなめりと思すに、ただ腹立ちに腹立たれたまへど、いと人多く見ると思し静めて、「こは、いかでかくおぼえなく物したまへるにか。いとあやしく」と宣へば、かの少将の教へしままに、ほれて、言ひゐたれば、いふかひなしとて、盃もささで入りたまひぬ。供の人々、かく笑はるるを知らで、据ゑたる所どもにつきて食ひののしりて、座に居並みたり。人一人もなくて、立ちぬれば、少輔、はしたなくて、例の方より入りぬ。北の方、聞きて、さらに物もおぼえず、あきれ惑ふ。おとどは「老の上にいみじき恥見つる世かな」と、爪弾きをし入りてゐたまへり。四の君は、帳のうちに据ゑたりけるに、ふと入り来て臥しにければ、え逃げず。御達は、いとほしがりあへり。なかだちしたる人とても、仇にもあらず、四の君の乳母なれば、いふべき方なし。誰も誰も嘆き明すに、四日よりはとまると言ひしと思ひて、無期に臥せり。  蔵人の少将の君「世に人こそ多かれ、かかる面白の駒をば、いかで引き寄せたまひしぞ。いといふかひなかりけるわざかな。かかる者と出で入りむこそ、わびしけれ。殿上の駒とつけて、頭もえさし出でぬ痴れ者の、いかで寄り来にけむ。そこたちの見はかりてしたまへるならむ」とて笑ひ嘲弄したまへば、三の君、さらに知らぬよしを言ひて、いとほしがり嘆きたまふ。かかるひが者なれば、世づかぬ文書き出だしたるなりけりと、人知れず思ひて、いみじくいとほし。北の方の心ち、ただ思ひやるべし。巳、午の時まで手も洗はせず、粥も食はせで、ありとある限り、その御方にとて多かりし人人も、誰かその痴れ者に使はれむとて、出で来にしも、出で来ず。  つくづくと、臥したりに、四の君見るに、顔の見苦しう、鼻の穴よりは人通りぬべく、吹きいららげて、臥したるに、心づきなく、あいぎやうなくなりて、やをら物するやうにて起きて出でたるを、北の方待ち受けて、宣ふこと限りなし。「おいらかに初めよりかうかうしたりと言はましかば、忍びてもあらましを。露顕をさへして、かくののしりて、われも人も、ゆゆしき恥を見ること。誰が仲人してし始めしぞ」と、「言へ」と責むれば、四の君、あさましう、いみじうなりて、ただ泣きに泣く。われ、かかる者あらむとも知らぬに、つきづきしく言ひければ、あらがふべき方なし。蔵人の少将いかに思ひたまふらむと、女の身は心憂きものにこそありけれと、思ひて泣けど、いふかひなし。  少輔、いつとなく臥したりければ、おとど「いとほし。彼に手洗はせよ。物くれよ。かかる者に捨てられぬと言はむは、またたぐひもなくいみじかるべし。宿世や、さしもありけむ。今は泣きののしるとも、事の清まはらばこそあらめ」と宣へば、北の方「あたらあが子を、何のよしにてか、さる者にくれては見む」と惑ひたまへば、「あこきことな宣ひそ。かかる者に捨てられぬと言へれむは、いかがいみじけるべき」。北の方「来ずならむ時や、さも思はむ。ただ今、さもせまほしくぞある」と宣へば、未の時まで人も目見入れねば、少輔、苦しうて出でて往にけり。  ようさり来たるに、四の君泣きて、さらに出でたまなねば、おとど腹立ちたまひて、「かくおぼえたまひけむ者をば、何しにかは忍びて呼び寄せたまひし。人の知りぬるからに、かく言ふは、親はらからに、二方に恥を見せたまはむとや」と、添ひゐて責めたまへば、いみじうわびしながら、泣く泣く出でぬ。少輔、泣きたまふを、あやしと思ひけれど、物も言はで臥しぬ。  かく女もわびしと思ひわび、北の方も、取り放ちてむと惑ひたまへど、おとどのかく宣ふにつつみて、出でたまふ夜、出でたまはぬ夜ありけるに、宿世心憂かりけることは、いつしかと、つはりたまへば、「いかでと、生ませむと思ふ少将の君の子は出で来で、この痴れ者のひろごること」と宣ふを、四の君ことわりにて、いかで死なむと思ふ。蔵人の少将思ひしもしるく、殿上の君達、「面白の駒はいかに。このごろ年返らば、御引きにて白馬に出だしたまへ。君とあれと、いづれをか思ひましたる」とて笑ふに、塵もつかじと思ふ心に、いと苦しとおぼゆ。もとよりも、いと思ふやうにはおぼえざりしかど、いみじういたはらるるにかかりてありつるを、これにことづけて捨てむと思ひなりて、やうやう来ぬ夜のみ多かれば、三の君、物思す。  かの二条には、日々にあらまほしくなりまさり、男君のもてかしづきたまふこと限りなし。「人は、いくらも参らせたまへ。女房多かる所なむ、心にくく花やかにも聞ゆる」とて、これかれにつきつつ、引き引きに参れば、ニ十余人ばかりさぶらふ。男君も女君も御様のどやかに、よくおはすれば、仕うまつりよし。参りまかで、さうぞきかへつつ、今めかしきこと、多かり。衛門を第一の者にしたまへり。帯刀、面白の駒のことを妻に語りければ、下心には、いみじうねたかりし当すばかりの身にもがなと思ひししるしにやと、うれしけれど、「あないとほしや。北の方いかに思すらむ」と、「さいなまるる人多からむかし」と宣ふ。  かくて、つごもりになりぬ。大将殿よりは、「少将の君の御装束、今は疾くしたまへ。ここには、内裏の御事に暇なくなむ」とて、よき絹、糸、綾、茜、蘇枋、紅など多く奉りたまへれば、もとよりよくしたてまつりけることなれば、いそがせたまふ。さて、少将の君に付きたてまつりて右馬の允になりたる田舎の人の徳ある、絹五十参らせたれば、人々にさまざま賜はす。衛門、取り配りし掟つるにも、めやすく見ゆ。  この二条殿は、北の方の御殿なり。むすめニ所、大君は女御、男、太郎はこの少将、二郎は侍従にて、遊びをのみしたまふ。三郎は童にて殿上したまふ。児におはしけるより、この少将を、世になく愛しうしたてつりたまふに、人に誉められ、帝もよき人に思し召したれば、まして、いまならむことをしたまへりとも、宣ふまじ。かの御事になれば、おとど笑みまけたまへれば、殿に仕うまつる人、雑色、牛飼まで、この少将殿になびきたてまつらぬなし。  かくて、年返りて、一日の御装束、色よりはじめて、いと清らにし出でたまへれば、いとよしと思して、着て歩きたまふ。御母北の方、見たまひて、「あな美し。いとよくしたまふ人にこそ物したまひけれ。内裏の御方などの御大事あらむには、聞えつべかめり。針目などの、いと思ふやうにあり」と、誉めたまふ。  司召に中将になりたまひて、三位したまひて、覚えまさりたまふべし。  三の君の蔵人の少将、かの中の君を聞えたまふを、「いとよき人ぞ。ただ人と思さば、これを取りたまへ。見るやうあり」と常に申したまふ。かの北の方、これをいみじき宝に思ひて、これがことにつけて、わが妻を懲ぜしぞかしと思ふに、いと捨てさせまほしきぞかし。中将かく言ふを、見るやうぞあらむとて、時々返りごとせさせたまふに頼みをかけて、三の君をただ離れに離れゆく。よしと誉めし装束も、すぢかひ、あやしげにし出づれば、いとどかこつけて腹を立ちて、しかけたる衣どもも着で、「こは何わざしたるぞ。いとよく縫ひし人は、いづち往にしぞ」と腹立てば、三の君「男につきて往にしぞ」といらへたまへば、「なにの男につくべきぞ。ただにぞ出でにけむ。ここには、よろしき者ありなむや」と宣へば、三の君「されば、ことなることなき人もなかるべきにこそあめれ、御心を見れば」と言へば、「さ侍り。面白の駒侍るめり。かうめでたき人も参りけりと心にくく思ふ」など、まれまれ来ては、ねたましかけて往ぬれば、いみじうねたみ嘆けど、かひなし。北の方、落窪のなきを、ねたう、いみじう、いかで、くやつのために、まはししきくせんと、惑ひたまふ。われは、さいはひあり、よき婿取る、と言ひしかひなく、面起しに思ひし君は、ただあくがれにあくがる。よきわざとて、いそぎしたるは、世の笑はれぐさなれば、病ひ人になりぬべく嘆く。  正月つごもりに、よき日ありけるに、物詣でする人ぞよかなる、とて、三、四の君、北の方などして、車一つして忍びて清水に詣づ。折りしもそこあれ、三位の中将の北の方、男君も詣でたまふに、中納言殿の車は疾く詣でたまひければ、先立ちゆく。忍びたりとて、ことに御前もなし。かいすみたり。中納言殿は、男女おはしければ、御前いと多くて、先追ひ散らして、いと猛にて詣でたまふ。先なる車は後早に越されて、人々わびにたり。割松の透影に、人のあまた乗りたればにやあらむ、牛苦しげにて、えのぼらねば、後の御車ども、せかれて留まりがちなれば、雑色どもむつかる。中将の、人を呼びて、「誰か車ぞ」と問はすれば、「中納言殿の北の方の、忍びて詣でたまへる」と言ふに、中将、うれしく詣であひにけりと、したにはをかしくおぼえて、「をのこども『先なる車、疾くやれ』と言へ。さるまじうは、かたはらに引きやらせよ」と宣へば、御前の人々「牛弱げにはべらば、え先にのぼりはべらじ。かたはらに引きやりて、この御車を過ぐせ」と言へば、中将「牛弱くは、面白の駒にかけたまへ」と宣ふ声、いとあいぎやうづきてよしあり。車にほの聞きて、「あなわびし。誰ならむ」と、わびまどふ。なほ、先に立ちてやれば、中将殿の人々「え引きやらぬ、なぞ」とて、手礫を投ぐれば、中納言殿の人々、腹立ちて、「ことと言へば大将殿ばらのやうに。中納言殿の御車ぞ。早う打てかし」と言ふに、この御供の雑色ども「中納言殿にも、おづる人あらむ」とて、手礫を雨の降るやうに車に投げかけて、かた様に集まりて押しやりつ。御車ども先立ちて、御前よりはじめて、人いと多くて、打ちあふべくもあらねば、方輪を堀におしつめられて、物も言はである。「なかなか無徳なるわざかな」と、いらへしたるをのこども、言ふ。乗りたる北の方をはじめて、ねたがりまどひて、「誰が詣でたまふぞ」と言へば、「左大将殿の三位の中将殿の詣でたまふなり。ただ今の一の人にて、悪しくいらへたなり」と言ふを聞くに、北の方「何の仇にて、とにかくに恥を見せたまふらむ。この兵部の少輔のことも、これがしたるぞかし。おいらかに『いな』と言はましかば、さてもやみなまし。よそ人も、かくかたきのやうなる人こそありけれ。何者ならむ」とて、北の方手をもみたまふ。  いと深き堀にて、とみにえ引き上げて、とかく持て騒ぐほどに、輪すこし折れぬ。いみじきわざかなとて、になひあげて、縄求めて来て、結ひなどして、「覆らむやは」とて、やうやうのぼる。中将殿の御車どもは、梯殿に引き立てて、無期に立ちたまへるに、やや久しうありて、からうじてよろぼひ来ぬ。いとたけかりつる輪、折れにけり。やがて、また笑ふ。  よき日にて、梯殿にに隙もなければ、隠れの方よりおりむと思ひて、過ぎてゆく。中将、帯刀を呼びて、「この車のおり所見て、告げよ。そこに居む」宣へば、走り来てみれば、知りたる法師呼びて、「いと疾く詣でつるを、三位の中将とかいふ者、詣であひて、しかじかして車の輪折れて、今まで侍りつる。局ありや。おりなむ。いと苦し」と言へば、「いと不便なりけることかな。さらに、御堂の間なむ、かねて仰せられはべりしかば、取り置きてはべる。かの中将殿も、いづこにかさぶらひたまはむずらむ。論なう、えせ者に局おそひ領かれむかし。あはれ、いと不便なる夜なめりかし」と言へば、「さは、疾くおりなむ。人なき局とて取られなむ」とて急げば、男一人、御局見おかむとて行く後につきて、帯刀見おきて、走り返りて、「かうかうなむ申しつる。かれが行かぬさきに」とて、おろす。御几帳さして、男君離れたまはず、かしづきたまふこと限りなし。  中納言殿の北の方、中将殿のおりぬさきにとて、皆あゆびのぼるに、これはた、いと儀式ことに、そよそよ、はらはらと沓すりて、帯刀、先に立ちて、道なる人々払ふ。車の人々騒ぎ立ちあゆめば、道をふたぎて、さらにやたねば、はしたなくて、しばしかい郡れて立ちたるを見て、「後生ひなる御物語詣でなめりや。常に先立ちたまはんとのみ思いためれども、遅れたまふは」とのみ笑へば、誰も誰もいとねたしと思ふ。とみにもえ歩み寄らず、からうじて局に歩み行きぬ。法師童子一人ありけるは、かの局あるじのおはすると思ひて、出でて往ぬ。皆入りたまひて、中将、帯刀を呼びて、「かの人人笑はせよ」と、ささめきたまふをも知らで、わが局と頼みて、来て、入らむとするに、「あらはなり。中将殿おはします」と言ふに、あきれて立てれば、人々笑ふ。「いとあやしや。やしかに案内せさせてこそ、おりさせたまはましか」。「かくうはの空に御局あるまじかめるものを。いといとほしきわざかな」。「仁王堂の行ひをせさせたまへ。それに、所は広かなる」と、そら知らずして、帯刀は、われと知られむは、いとほしく、若うはやれる者をはやして、言はせて、笑ふに、はしたなきこと限りなし。帰らむにも、はしたに、わびしといふは、おろかなり。しばし立てるに、人騒がしく、突い倒しつべく、歩きつがへば、わびしく歩み帰る心ちも、ただ思ひやるべし。いきほひまさりたらば、いさかひ返しても往ぬべし。いとせむ方なし。足をそらに踏みて、車に帰り乗りて、ねたういみじう思ふこと限りなし。「なほ、ただに思はむ人、かくはせじ。おとどをや、悪しう思うたまふらむ。いかなることに当りたまふらむ」と集まりて嘆く中に、四の君、面白の駒言はれて、いといみじと思ふ。  大徳呼びて、「かうかうして取られぬ。いみじき恥にこそあれ。また局ありぬべしや」と言へば、大徳「さらに今は、いづこのかあらむ。入り居たるをだに、殿ばらの君達は、おし居させたまふに、遅くおりさせたまへるが、まして悪しきなり。いかがせむ。御車ながら明させたまふべきなり。よろしき人ならばこそ、もしやと言ひはべたらめ、ただ今の一の者、太政大臣も、この君にあへば、音もせぬ君ぞや。御妹、限りなく時めきたまふを持たまへり。わが御覚えばかりと思すらむ人、うちあふべくもあらず」など言ひて往ぬれば、かひなし。おりなむと思ひて、六人まで乗りたりければ、いと狭くて、身じろきもせず、苦しきこと、落窪の部屋に籠りたまへりしにも、まさるべし。  からうじて明けぬ。「あいぎやうなしの出でぬさきに、疾く帰りなむ」と、急ぎたまへど、御車の輪結ふほどに、中将殿は御車に乗りたまひぬ。例の便はかめれば、中納言殿の御車おくれむとて立てれば、中将殿、後にも思ひあはせよ、むげにしるしなくは、かひなし、とや思ひけむ。小舎人童を呼びて、「かの車の口に寄りて、『懲りぬや』と言ひて来」と宣ひて、ただ寄りに寄りて、かく言へば、「誰が宣ふぞ」と言ふ。ただ「かの御車より」と言ふに、「さればよ。なほ思ふことありてするにこそありけれ」と、ささめき、あやしがりて、北の方の、「まだし」と言ひ出だしたりければ、童「かくなむ」と申せば、「さがな者、ねたういらへたなり。かくておはすとも知らじかし」と笑ひたまひて、「まだ死にせぬ御身なれば、またも見たまはむ」と言はせたれば、北の方、「いらへなせそ。めざまし」と制せられて、せさせねば、帰りたまひぬ。  女君「いと心憂く。けしからずはおはせしと、おとど後に聞きたまはむこともあり。かくな宣ひそ」と制したまひけれど、「これには、おとどやは乗りたまへる」と宣へば、「君達おはすれば、同じこと」と宣ふを、「今うち返し仕うまつらむに、御心はゆきなむ。思ひおきしことたがへじ」と宣ふ。  北の方、帰りたまひて、中納言に申したまふ。「この大将殿の中将は、おとどをや、悪しくしたまふ」とあれば、「さもあらず。内裏などにても、用意ありてこそ見ゆれ」と宣ふ。「あやしきことかな。しかじかこそありつれ。またなう、ねたくいみじきことこそなかりつれ。出づとて、言ひおこせたりつる消息よ。いかで、これに当せむ」と、もだえたまへば、中納言「われは老い癈ひて、覚えもなくなりうゆく。かの君は、ただ今、大臣になりぬべきいきほひなれば、いとど当しがたし。さべうこそあらめ。名立たしう、わが妻子どもとて、さる恥を見、笑はれけむことよ」とて、爪弾きをして、また弾きたまふ。  かかるほどに、六月になりぬ。中将せめて言ひそそのかして、蔵人の少将を中の君にあはせたまへば、中納言殿に、聞きて、焦られ、死ぬばかり思ふ。「かくせむとて、われをばすかしおきにこそありけれ」とて、「いかでか、いきすだまにも入りてしがな」とて、手がらみをし入りたまふ。  二条殿には、思ひかしづきたまひしものを、いかに思すらむ、と思ひやりて、いとほしがる。三日の夜、御装束をば、裳のよくしたまふとて、この殿になむ奉りたまひければ、女君、急ぎ染めさせ、裁ち縫ひしたまふにも、昔思ひ出でられて、あはれなれば、     着る人のかはらぬ身には唐衣たちはなれにしをりぞ忘れぬ とぞ言はれたまひける。いと清げに縫ひ重ねて奉らせたまへれば、大殿の北の方、限りなく喜びたまふ。中将も、いと思ふやうにしつと思ひたまふ。さて、少将に会ひて、「いと恐ろしき人持たまへりと、おぢきこえたまへしかど、間近くて聞え語らはむの本意ありてなむ、しひてそそのかしきこえたるを、わりなくとも、ゆめ、もと一つに思すな」と聞えたまへば、少将「あなゆゆし。よし、聞きたまへ。文をだに物しはべりてむや。御用意ありと承りしよりなむ、限りなく頼みきこえし」と宣ひて、げに顧みもしたまふべくもあらず。覚えも、女君も、こよなくまさりたれば、何しにかは通はむ。かかるままに、北の方、焦られ惑ひて、物もやすく食はでなむ嘆きける。  中将殿に、よき若人ども参り集まりたる、いたはりたまふと聞きて、かの中納言殿の少納言、かく落窪の君とも知らで、弁の君が引きにて参り、女君見たまふ。少納言なれば、あはれにをかしうて、衛門を出だして、「こと人かとこそ思ひつれ。昔はさらに忘れずながら、つつましきことのみ多くて、えかくなむとも物せで、おぼつかなく思ひつるに、いとうれしくもあるかな。早うこなたに物したまへ」と言はせたれば、少納言あさましくなりて、扇さし隠したりつるも、うち置きて、ゐざり出づる心ちもたがひて、「いかなることぞ。誰か宣ふぞ」と言へば、「ただ、かくてさぶらふに、思し出でよ。その世には落窪の御方と聞えしよ。わたくしにも、いとこそうれしけれ。昔見たてまつりし人は、一人もいなくて、変りたる心ちのしはべりけるに」と言へば、少納言「いで、あなうれしや。わが君のおはしますにこそありけれ。よに忘れず恋しくのみおぼえさせたまへるに、仏の導きたまへるにこそありけれ」と喜びながら、御前に参りたり。見るに、かの部屋に居たまへりしほど、まづ思ひ出でらる。君は、まづ、ねびまさりて、いとめれたうて居たまへれば、いみじくさいはひおはしけると、おぼゆ。そよそよとさうぞき、汗衫着たる人、いと若う清げなる、十余人ばかり物語して、いとなまめかしげなり。「いと疾く御前許されたまふ人、いかならむ」「われらこそ、さもなかりしか」と、うらやみあへれば、「さかし。こは、さるべき人ぞかし」と笑ひたまふ様も、いとをかしげなり。かかれば、父母の立ち居かしづきたまひし御はらからどもには、こよなくまさりたまへるぞかしと、人の聞くほどは、うれしきよしを言ひて、人立ちぬるほどには、少納言、中納言殿の物語を、くはしくす。かの典薬がいらへしこと語れば、衛門もいみじく笑ふ。「北の方、このたびの御婿取りの恥ぢがましきことと、腹立ちたまふ。宿世にやおはしけむ、いつしかとやうに孕みたまへれば、心ちよげに見えたまふかし。北の方も思ひまつはれてなむ、いみじう誉めたまふめるものを。鼻こそ中にをかしげにてあるとこそ、言はるめれ」と宣へば、少納言「嘲弄し聞えさせたまへるなり。御鼻なむ、中にすぐれて見苦しうおはする。鼻うち仰ぎ、いららぎて、穴の大きなることは、左右に対建て、寝殿も造りつべく」など言へば、「いといみじきことかな。げに、いかにいみじうおぼえたまふらむ」など語らひたまふほどに、中将の君、内裏より、いといたう酔ひて、まかでたまへり。いと赤らかに清げにておはす。「御遊びに召されて、これかれに強ひられつるに、いとこそ苦しかりつれ。文仕うまつりて、御衣かづきはべり」とて、持ておはしたり。聴色の、いみじく香ばしきを、「女にうちかづけたてまつる」とて、女君にうち掛けたまへば、「何の禄ならむ」とて笑ひたまふ。少納言を見つけて、「これは、かのわたりに見えし人にはあらずや」、「さなめり」、「いかで参りつるぞ。交野の少将の、艶になまめかしかりこと、残りいかで聞きはべらむ」と宣へば、少納言、言ひしこと忘れて、何事ならむ、あやし、と思ひて、かしこまり居たり。「いと苦し。臥したらむ」とて、御帳の内にニ所ながら入りたまひぬ。少納言、めでたく清げにおはしける君かな、いみじく言ひきこえたまへるにこそあめれ、さいはひある人は、めでたきものなりけり、と思ひゐたり。  さるほどに、右大臣にておはしける人の御ひとりむすめ、「内裏に奉らむと思へど、われなからむ世など、うしろめたなし。この三位の中将、交らひのほどなどに心見るに、物頼もしげありて、人の後見しつべき心あり。これあはせむ。わざとの人のむすめにはあらで、はかばかしき人の妻もなかなり。年ごろ、かく思ひて、心とどめて見るに、思ふやうなる人なり。ただ今なりもて出でなむ」と宣ひて、知りたる便ありて、男君の御乳母のもとに、かうかうなむ思ふ、と言はせたまへれば、御乳母「かくなむ侍る。いとやむごとなく、よきことにこそ侍なれ」と言へば、中将「ひとり侍るほどならましかば、いとかしこき仰せならましを、今はかくて通ふ所あるやうに、ほのめかしたまへ」とて立ちたまひぬれば、御乳母の思ふやう、この御妻は父母もなきやうにて、ただ君にのみこそかかりたまひためれ、花やかにかしづかれたまへらば、よからむかし、と思ひて、君の宣ふやうには、言はで、「いとうれしきことなり。今よき日して御文も取りて奉らむ」と言ひやりたりければ、この殿には、よしと思して、急ぎてと言はば、四月にも取らむ、と思して、御調度、あるよりもいかめしうし変へて、若き人求め、けいめいしたまふ。  「君は右大臣殿の婿になりたまふべかなり。この殿に知りたまへりや」と言へば、衛門、あさましと思ひて、「まださるけしきも聞えず。たしかなることか」と言へば、「まことに、この四月とて急ぎたまふものを」と告ぐる人ありければ、女君に、「かうかうこそ侍るなれ。さは知ろしめしたるにや」と申せば、まことにやあらむと、あさましく思ひながら、「まださることも宣はず。誰が言ふぞ」と宣へば、「かの殿なる人の、たしかに知る便ありて、月をさへ定めて申しはべる」と言へば、心のうちには、この母北の方して宣ふにやあらむ、さやうなる人のおしたてて宣はば、聞かではあらじ、と人知れず思して、心づきぬれど、つれなくて、宣ひやすると待てど、かけても言ひ出でたまはず。  女、心憂しと思ひたるけしきや、なほ少し見えけむ、中将「思すことやある。御けしきにこそ、さりげなれ。まづは、世の人のやうに、『思ふぞや、死ぬや、恋しや』なども聞えず、ただ、いかで物思はせたてまつらじとなむ、初めより思へど、わづらはしきけしきの、このほど見ゆるは、いと苦し。心憂しとや思さむとて、初めも、さいみじかりし雨に、わりなくて参りしを、足白の盗人とは興ぜられし。そほどおのが思ひし。なほ宣へ」と宣へば、女「何事をか思はむ」、「いさ。されど、御けしき、いと苦し。思ひこそ隔てたまひけれ」と宣へば、女、     へだてける人の心をみ熊野の浦のはまゆふいくへなるらむ 男君「あな心憂。さればよな。なほ思すことありけり。 真野の浦に生ふるはまゆふかさねなでひとへに君をわれぞ思へる 心ならでや物しきことも聞きたまはむ。なほ、宣へ」と聞えたまへり。確かならぬことにもこそあれ、と思ひて、物も言はでやむぬ。  明けぬれば、帯刀に衛門が言ふ、「しかじかのことあるべかなるを、心憂くも言はぬにこそ。つひに隠れあるべきことかは」と言へば、「さらにさること聞かず」と言ふ。「されど、ほかの人さへ聞きて、人々のもとに、いとほしがり、とぶらふものを、知らぬやうはありなむや」と言へば、「あやしきことかな。君の御けしき、今見む」と言ふ。  中将、殿に参りて見れば、春の庭を見出だしておはす。いとおもしろき梅のありけるを折りて、「これ見たまへ。世の常になむ似ぬ。花の色あひを御覧じて、これに慰みたまへ」と宣へば、女君、ただかく聞えたまふ。     憂きふしにあひ見ることはなけれども人の心の花はなほ憂し とてなむ、花につけて返したまへれば、中将、いとあはれにをかしと思す。なほ、あれ異心ありと聞きたるにやと苦しうて、たち返り、「さればよ。思ほし疑ふことこそありけれ。さらに罪なしとなむ、ただ今は思ひたまふるを、まろが心のほどは、まほ見たまへ」とて、     憂きことに色はかはらぬ梅の花散るばかりなる嵐なりけり と、「おしはかりたまへ」と宣へれば、女、     「誘ふなる風に散りなば梅の花われや憂きみになりはてぬべき とのみぞあはれに」とあるを、いかなることを聞きたるにかあらむ、と思ひたまへるほどに、御乳母、出で来て言ふやう、「かの右の大殿のことは、宣ひしやうに物しはべりしに、『わざとやむごとなき妻に物したまはざりなり。時々通ひて物したまへかし。殿に聞えて、四月となむ思ふ』といそがせたまふなり。さる心したまへ」と聞ゆれば、いと恥づかしげに笑みて、「なでふ、をのこの否と思ふことを強ひてするやうかはある。世の人に似ず、世を見むにもあらねば、さ宣ふ人もあらじ。かかることなまねびたまひそ。かたはなり、わざとの妻にもあらぬを」と宣へば、乳母「あなわりな。もとも、しかと思し立ちて、いそぎたまふものを。よし御覧ぜよ。やむごとなき人の強ひて宣はむことを、いかがはせさせたまはむ。何かは。君達は、花やかに、御妻方のさしあひてもてかしづきたまふこそ、今めかしけれ。思す人あり、さても、それをぼさるものにて、御文など奉りたまへ。かの君も、思ふ時は、上達部のむすめにはあんなれど、落窪の君とつけられて、中の劣りにて、うちはめられてありけるものを、かく類なく思しかしづくこそ、あやしけれ。人は、かたへは父母居立ちてかしづかるるこそ、心にくけれ」と言ふに、中将、面うち赤めて、「古めかしき心なればにやあらむ、今めかしく好もしきことも欲しからず、覚えも欲しからず、父母具したらむをともおぼえず。落窪にもあれ、上り窪にもあれ、忘れじと思はむをば、いかがはせむ。人の言はむことわり、そこにさへ、かく宣ふこそ心憂けれ。ただ御ために志なきに思すとも、今かれも仕うまつるやうありけむ」とて、いと頼もしげなるけしきにて、立ちたまふめるを、帯刀、つくづくと聞きて、爪弾きを、はたはたとして、「なでふかかること申したまふ。君と申したまふ。君と申しながらも、恥づかしげにおはすとは見たてまつらずや。ただ今の御仲は、人放ちげにもあらぬものを。かの宣ひつるやうに、志たがはす花やかなる方にやりたてまつりて、御徳見むと思したるか。あな心憂。少しよろしき人の、さる心持たるやはある。なでふ御名立ての落窪ぞ。老い僻みたまひにけり。これをかのあたりに聞きたまひて、いかが思すべき。今よりかかること宣ふな。君の思したること、いと恥づかしく、いとほし。御妻のいとはり、かうやいと得まほしくおはする。さらずとも惟成ら侍らば、御見一つは仕うまつりてむものを。かやうの御心持たる人は、いと罪深かなり。また聞えたまはば、惟成、法師になりなむと、いといとほし。なほ、人の思ふ仲さくるは、大事にはあらずや」と言へば、おとど「いらへもせさせず言ひなすかな。誰かは、ただ今『去りたまへ』『捨てたまへ』と聞ゆる」、「さて、さはあらずや、妻あはせたてまつりたまふは」、「いで、あなかしがまし。取り出でても、様あしからむか。などあどろおどろしうは言ふべからむ。かたへは妻を思ふなめり」と、いとほしと思ひながら、口んじふたげに言へば、帯刀笑ひて、「よしよし、なほ申しそそのかさむと思し召したり。ただ、惟成、法師になりはべりなむ。御罪いといとほし。親の世をば、いかでか知らざらむ」とて、剃刀、脇にはさみて持たり。「また言ひ出でたまはむ折、ふとかきそらむ」とて立てば、おとど、一人子なりければ、かく言ふを、いといみじと思ひて、「口から、いとゆゆしきことをも聞くかな。はさみたらむ剃刀や、打ちや折らぬと試みよ」と言へば、帯刀、みそかに笑ふ。君は、さらに動じたまふべきにもあらず、わが子のかく言ふ、と思ひて、不用なるよし聞えたてまつらむ、と思ふ。  中将の君は、女君の例のやうならず思ひたるは、このこと聞きたるなめりと思しぬ。二条におはして、「御心のゆかぬ罪を聞き明らむつるこそ、うれしけれ」、女君「何事ぞ」、「右の大殿のことなりけりな」と宣へば、女「そらごと」とて、ほほゑみて居たまへれば、「物ぐるほし。帝の御むすめ賜ふとも、よも得はべらじ。初めも聞えしを、ただつらしと思はれきこえじ、となむ思へば、女の思ふことは、また人設くることこそ嘆くなれと聞きしかば、その筋は絶えにたり。人々とかう聞ゆれども、よもあらじと思せ」と宣へば、「さ思はむも、下くづれたるにや」と言へば、「『思ひきこゆ』と聞えばこそ、あやしとも宣はめ、『ただつらき目見せたてまつらじ』と聞ゆれば、志のあるかは」など聞えたまふ。  帯刀、衛門に会ひて、「さらに、な思ひたまうそ。この世には、御心憂かるべきにあらず」と言ふ。御乳母、いといとほしく言はれて、またもうち出でず。かの殿には、かくおはし通ふ所ありけりと聞えて、思し絶えにけり。  かく思ふやうにのどかに思ひかはして住みたまふほどに、はらみたまひにければ、ましておろかならず。四月、大将殿の北の方、宮達、桟敷にて物見たまふに、中将の君に、「二条に物見せきこえたまへ。わかく物したまふ人は、物見まほしくたまふものを。おのれも、今まで対面せぬ、心もとなきに、かかるついでにとなむ思ふ」と聞えたまへば、中将、いとうれしと思ひたまへるけしきにて、「いかなるにか侍らむ、人のやうに物ゆかしうもしはべらざめり。今そそのかして参らせむ」と聞えたまひて、二条におはして、「上はかくなむ宣ふぞ」と聞えたまへば、「心ちの悩ましうて、あやしげにはりたるも思ひ知られて。物見に出でたらば、われ見えたらむに、いとわりなからむ」とて物憂げはれば、中将「誰か見む。上、中の君こそは。それ、まろが見たてまつる同じこと」とて、強ひてそそのかし聞えたまへば、「御心」と聞えたまふ。北の方、御文にも、「なほ渡りたまへ。をかしき見物も、今はもろともにとなむ思ひたまふる」と聞えたまへり。見たまふにつけても、かの石山詣での折、ひとり選り捨てたまひしも思ひ出でられて、心憂し。  一条の大路に檜皮の桟敷いといかめしうて、御前に皆砂子敷かせ、前栽植ゑさせ、久しう住みたまふべきやうに、しつらひたまふ。暁に渡りたまひぬ。衛門、少納言、一仏浄土に生まれたるにやあらむと、おぼゆ。この君にいささか心寄せあらむ人をば、ねたきものに言ひののしりしを見ならひたるに、台の御方の人とて、いたはり用意したまふさま、いとめでたし、と思ふ。乳母のおとど、さこそわびしか、出で来て、心しらひ仕うまつりて、「いづれか惟成があるじの君」と問ひありきて、若き人々に笑はる。女君は、「何か疎々しくは思ひきこえむ。思ふべき仲は、むつまじくなりぬるのみなむ、後もうしろやすく心やすき」とて、上や中の君などおはする所に入れたてまつりたまふ。見たまふに、わがむすめ、姫宮にも劣らずをかしげにて見ゆ。紅の綾の打袷一襲、ニ藍の織物の袿、薄物の濃きニ藍の小袿着たまひて、恥づかしと思ひたまへる、いとをかしうにほへり。姫宮は、げにただの人ならずあてに気高くて、十ニばかりにおはしませば、まだいと若う、いはけなう、をかしけなり。中の君は若き御心に、をかしと思して、こまやかに語らひきこえたまふ。物見てぬれば、御車寄せて帰りたまふ。  中将の君、やがて二条にと思せど、北の方「騒がしうて、思ふこと聞えずなりぬ。いざ給へ。一ニ日も心のどかに語らひきこえむ。中将の物騒がしきやうに聞ゆるは、なぞ。おのが聞えむことに従ひたまへ。中将は、いと憎き心ある人ぞ。な思ひたまひそ」とて、笑ひたまひて、ゐたまへり。  御車寄せたれば、口には宮、中の君、後には嫁の君とわれと乗りたまふ。次々に皆乗りたまひて、中将殿、皆乗りて、引き続きて大将殿におはしぬ。寝殿の西の方を、にはかにしつらひて、おろしたてまつりたまひつ。御達の居所には、中将の住みたまひし西の対のつまをしたり。いみじくいたはりたまふ。大将殿も、いみじく思ふ子の御ゆかりなれば、御達に至るまで、いたはり騒ぎたまふ。四五日おはして、「いと悩ましきほど過して、のどやかに参らむ」とて帰りたまひぬ。まして、対面したまひて後は、あはれなる者に思ひきこえたまへり。  かく、たとしへなく思ひかしづききこえたまふ。君の御心を今はと見たまひてければ、中将の君に聞えたまふ、「今は、いかで殿に知られたてまつらむ。老いたまへれば、夜中、暁のことも知らぬを、見たてまつらでや止みなむと、心ぼそくなむ」、中将殿も「さ、思すべけれど、なほ、しばし念じて、な知られたてまつりたまひそ。知られて後は、いとほしくて、え北の方懲ぜじ。今少し懲ぜむと思ふ心あり。また、まろも今少し人々しくなりて。中納言は、よにとみに死にたまはじ」とのみ、言ひ渡りたまふに、つつみてのみ過ぐしたまふに、なかなくて年返りて、正月十三日、いと平らかに男子生みたまへれば、いとうれしと思して、若き人の限りして、うしろめたしとて、男君の御乳母仰へたまひて、「上などのしたまひけむやうに、よろづ仕うまつれ」とて、あづけたてまつりたまふ。御湯殿などしゐたり。女君のうちとけたまへるを見て、むべなりけり、君のあだわざをしたまはぬは、と思ふ。  御産養、われもとしたまへれど、くはしく書かず。思ひやるべし。ただ銀をのみ、よろづにしたりける。遊びののしる。  かくめでたきままに、衛門、いかで北の方に知らせばやと思ふ。御乳母は、少納言、子生みあはせたりければ、せさせたまふ。これを、うつくしがり、かしづきものにしたまふ。  司召に、引き越え中納言になりたまひぬ。蔵人の少将、中将になりたまひぬ。大将殿は、かけながら大臣になりたまひぬ。右のおとどの宣ふ、「かく子の生まれたるに、祖父、父、よろこびする、かしこき子なり」と申したまふ。今は、まして、覚えはことに花やぎまさりたまふ。衛門の督さへかけたまひつ。中将は宰相になりたまひぬ。中納言は、かく少将なりあがりたまふにつけても、三の君、北の方、など名残ありてだに、時々来まじきと、いみじくねたがれども、かひあるべくもあらず。衛門の督、覚えのまさり、わが身の時になりたまふままに、中納言殿を、吹く風につけてあなづり懲じたまふことしも多かれど、同じことのやうなれば、書かず。  またの年の秋、また男君、うつくしう生みたまへれば、右の大殿の北の方「御産屋に、うつくしう、いそがしうも取り続きたまへるかな。このたびは、ここにあづかりたてまつらむ」。御乳母具して、仰へたてまつりたまふ。帯刀は、左衛門の尉にて蔵人す。かく思ふやうにて、めでたくおはすれど、中納言にまだ知られたてまつりたまはぬことを、あかす思す。  中納言殿は、老いほけたまへる上に、物思ひのみして、をさをさ出でまじらひたまへりける家、三条なる所にて、いとをかしかりける、「落窪の君になむ取らせたりけるを、今は世になくなりにたれば、われこそ領ぜめ」と宣へば、北の方「さらなること。世に生きたりとも、さばかりの家、領ずばかりにはあらざらまし。よき我子たち、我らが住まむに、いと広うよし」と言ひて、二年出で来る荘の物を尽して、築土よりはじめて、新しく築きまはして、古き一つまじらず、これを大事にて造らせたまふ。  かくて、「今年の賀茂の祭、いとをかしからむ」と言へば、衛門の督の殿「さうざうしきに、御達、物見せむ」とて、かねてより御車新しく調じ、人々の装束ども賜びて、「よろしうせよ」と宣ひて、いそぎて、その日になりて、一条の大路の打杭打たせたまへれば、今はと言へども、誰ばかりかは取らむと思して、のどかに出でたまふ。御車五つばかり、大人二十人、ニつは童四人、下仕四人乗りたり。男君具したまへれば、御前、四位、五位、いと多かり。弟の、侍従なりし、今は少将、童におはせしは兵衛の佐、「もろともに見む」と聞えたまひければ、皆おはしたりける車どもしへ添はりたれば、ニ十あまり引き続きて、皆次第どもに立ちにけりと見おはするに、わが杭したる所の向ひに、古めかしき檳榔毛一つ、網代一つ立てり。御車立つるに、「男車の交らひも、疎き人にはあらで、親しう立て合はせて、見渡しの北南に立てよ」と宣へば、「この向ひなる車、少し引きやらせよ。御車立てさせむ」と言ふに、執念がりて聞かぬに、「誰が車ぞ」と問はせたまふに、「源中納言殿」と申せば、君「中納言のにもあれ、大納言にてもあれ、かばかり多かる所に、いかで、この打杭ありと見ながらは立てつるぞ。少し引きやらせよ」と宣はすれば、雑色ども寄りて車に手をかくれば、車の人出で来て、「など、また、真人たちのかうする。いたうはやる雑色かな。豪家だつるわが殿も、中納言におはしますや。一条の大路も、皆領じたまふべきか。がうほうす」と笑ふ。「西、東、斉院もおぢて、避き道しておはすべかなるは」と、口悪しきをのこ、また言へば、「同じものと、殿を一つ口にな言ひそ」など、いさかひて、えとみに引きやらねば、男君達の御車ども、まだえ立てず。君、御前の人、左衛門の蔵人を召して、「かれ、おこなひて、少し遠くなせ」と宣へば、近く寄りて、ただ引きに引きやらず。をのこども少なくて、えふと引きとどめず。御前三四人ありけれど、「益なし、このたび。いさかひしつべかめり。ただ今の太政大臣の尻は蹴るとも、この殿の牛飼に手触れてむや」と言ひて、人の家の門に入りて立てり。目をはつかに見出だして見る。少し早う、恐ろしきものに世に思はれたまへれど、実の御心は、いとなつかしう、のどかになむおはしける。  「いと無徳なるわざかな」、「今はいかがいらふべき」など、さだむるに、この典薬の助といふ疾れ者翁ありければ、「いかでか、心に任せては、引きやらせむ」と言ひて、歩み出でて、「今日のことは、もはら情なくはせらるまじ。打杭打ちたる方に立てたらばこそ、さもしたまはめ。向ひに立てたる車を、かくするは、なぞ。後のこと思ひてせよ。またせむ」と、疾れ者言へば、衛門の尉、典薬と見て、年ごろ、くやつに会はむと思ふに、うれし、と思ふ。君もまた典薬と見たまひて、「惟成、それは、いかに言はするぞ」と宣へば、心得て、はやる雑色どもに目をくはすれば、走り寄るに、「『後のことを思ひてせよ』と翁の言ふに、殿をば、いかにしたてまつらむぞ」とて、長扇をさしやりて、冠を、はたと打ち落しつ。髻は塵ばかりにて、額ははげ入りて、つやつやと見ゆれば、物見る人にやすりて笑はる。翁、袖をかづきて、惑ひ入るに、さと寄りて、一足づつ蹴る。「後のこといかでぞある、いかでぞある」と、心の限りはしつ。「翁の知りぬべかなり。言へ」と責むれば、息音もせず。君「まなまな」とそら制止をかたまふ。いといみきげに踏み伏せて、車にかけて引きやるに、をのこども見懲りて、おぢわななきて、え車に付かず。よそ人のやうに、さすがに添ひて、ほかの小路に引きも来て、道なかにうち捨てて往ぬる時にぞ、からうじて、をのこども寄り来て、轅もたげたるけしき、いと悪しげなり。  北の方よりはじめて、乗りたる人、「物も見じ。帰りなむ」牛かけて、はやめ追ひ惑ひ帰れば、いさかひしけるほどに、一の車のとこしばりを、ふつふつと切りてければ、大路なかに、はくと引き落しつ。下臈の、物見むと、わななき騒ぎ笑ふこと限りなし。車のをのこども、足をそらにて惑ひ倒れて、えふともかかげず。「出でたまふまじきにやありけむ。かくいみじき恥の限りを見ること」と、爪弾きをしつつ惑ふ。乗りたる人の心ち、ただ思ひやるべし。皆泣きにけり。中にも、北の方、むすめどもは口の方に乗せて、われは後の方に乗りたりければ、こよなき横がみより引き落しけるに、轅ばかり出でたりける。からうじて、はひ乗りにけれど、かひなつきそこなひて、「おいおい」と泣きたまふ。「いかなる物の報いに、かかる目見るらむ」と、惑ひたまへば、御むすめども、「あなかま、あなかま」と宣ふ。  からうじて、御前の人々、尋ね来て見るに、かかれば、いみじと思ひて、「どうかき据ゑよ」とおこなひ出でたるに、皆人々、「いと無徳にある御車のぬし達かな」と笑ふ。いと恥づかしうて、さはやかにも言はぬに、面を見かはして立てり。からうじて、かい据ゑてやるに、北の方「あらあら」と、惑ひたまへば、練りつつやる。  からうじて、殿におはしたり。御車寄せたれば、北の方、人にかかりて、ただ時のまに泣き腫れて、おりたまふを、「なぞ、なぞ」と驚きたまへば、かうかう、しかありつるよしを語り申す。中納言いみじと思したること限りなし。「いみじき恥なり。われ、法師になりなむ」と宣へども、かつは、いといとほしうて、えなりたまはず。  世の中に、このことを言ひ笑ひののしれば、右のおとど聞きたまひて、「まことにや、しかじかはせし、女車を情なくしたりと言ふなる。そのうちに、かの二条の者と聞きしは、いかに思ひてせしぞ」と宣へば、衛門の督「情なしと人の言ふばかりのこともはべらず。打杭打ち立てはべりし所に、車立てはべりし。をのこども、『所こそ多かれ、ここにしも』と言ひはべりしを、やがてただ言ひに言ひあがりて、車のとこしばりをなむ、切りてはべりける。さて人打ちけるは、それはなめげに言ひたりしを憎さに、冠をなむ打ち落して、をのこども引きふれはべりし。おのづから少将、兵衛の佐も見はべりき。いと人ものしといふばかりのことも、しはべらざりき」と宣へば、「人のそしりな負ひたまひそ。さ思ふやうあり」と宣ふ。  女君は、いとほしがり嘆きたまへば、衛門「さはれ、いたくな思しそ。あいなし。おとどのおはせばこそあらめ。典薬が打たれしは、かのしるしや」と言へば、女君いとむつかりける。「わが人にはあらで、君の人になりぬ。それこそ、かく物は執念く思ひ言へ」と宣へば、「さらば、衛門、わが君には仕うまつらむ。衛門が思ひし限りのことをせさせたまへば、げに、御前よりも、宝の君となむ思ひたてまつる」と言ふ。あの北の方は、いみじう病みふしけり。御子ども集まりて、願立てなどして、やむたてまつりてけり。                    巻三  かかる物思ひに添へて、三条いとめでたく造り立てて、「六月に渡りなむ。ここにて、かくいみじき目を見るは、ここの悪しきかと、こころみむ」とて、御むすめども引き具していそぎたまふ。衛門聞きて、男君の臥したまへるほどに申す、「三条殿は、いとめでたく造り立てて、皆ひきゐて渡りたまふべかなり。故上の『ここ失はで住みたまへ。故大宮の、いとをかしうて住みたまひし所なれば、いとあはれになむおぼゆる』と、返す返す聞えおきたまひしものを、かく目に見す見す領じたまふよ。いかで領ぜさせ果てじ」と言へば、男君「券はありや」と宣へば、「いとたしかにてさぶらふ」。「さては、いとよく言ひつべかなり。渡らむ日を、たしかに案内してよ」と宣へば、女君「また、いかなることを、し出だしたまはむ。衛門こそけしからずなりにたれ。ただ言ひはやすやうに、いみじき御心を、言ふ」と怨みたまへば、衛門「何かけしからず侍らむ。道理なきことにも侍らばこそあらめ」と言へば、男君「物な申しそ。ここには心もおはせず、御なめあしき人は、『いとあはれなり』と宣へば」、「わが身さいなまるる。よし」とて笑ひたまへば、衛門心得て、「いかがは申すべき」とて立ちぬ。  月立ちぬれば、さりげなくて、衛門「いつか渡りたまふべき」と案内せさせければ、この月十九日と聞きて、「さなむ」と男君に申せば、「その日、ここにし渡したてまつらむ。さる心して、若き人人、今少し求め設けよ。かの中納言のもとに、よろしき者はありや。それも、とかくも言はで呼び取れ。後にねたがらせむ」と宣はへば、衛門「いとよくはべりなむ」と言ふ。かく宣ふを、いとうれしと思へるけしきのしるければ、男君も、わが心に似て、聞かせじ、と思ひて、ささめきありきたまふ。女君に申したまふ、「人の、いとよき所得させたるを、この十九日に渡らむ。人々の装束したまへ。ここも修理せさせむ。疾く渡りなむ。いそぎたまへ」とて、紅絹、茜、染草ども出だしたまへれば、ひとへに、かく構へたまふことも知りたまはで、いそがせたまふ。  衛門、たよりを作り出でて、かの中納言殿に清げなりと見し人々呼ばす。上の御方に、侍従の君とて、いと清げなる、一の人におぼえたる、三の君の御方に、典侍の君、大輔のおもと、下仕まろやとて、いと清げなる者、よしありてと見おきしを、と構へ、かう構へ、人をやりつつ、「かうかうして、ただ今の時の所なる、人々いたはりたまふこと限りなし」と言はせたれば、若き者どもにて、おのが君のしひ惑ひたまへるは、くちをしう思ひて、いづちか行かましを思ひいそぐほどに、かういとよげに言へば、ただ今の世にののしる殿ぞかし、など思ひて、承け引きて、参らむといそぎつつ里に出づ。落窪の君とゆめ知らず、また、一所に参りつどはむことも、ゆめ知らで、皆おのおの隠し、ささめきなむしける。  人々して、車つかはして、片端より迎へさせたまふに、皆参る。いみじう人多かる殿にて、化粧したること限りなし。一つ所に参りぬ。同じ所におろしたれば、かたみに見つけて、いとをかしと思ひたりけるに、聞きしもしるく、清げなる若き人二十人ばかり、白張の単襲、ニ藍の裳、濃き袴着て、五六人、赤らかなる袴にて綾の単襲引き掛けたる、薄色の衵の、裳、綾など同じやうにさうぞきつつ、かう群れかい群れて、出で来つつ、人々の見るに、わびぬべし。女君は、暑気にや、悩ましうて見たまはねば、男君「われ見む」とて出でおはす。いとつつましうて、うつぶしつつ見あひたり。いと濃き紅の御袴、白き生絹の御単、薄物の直衣を着て、出で居たまへるさま、いみじうなまめかしう清げにおはす。まづ、男君思ふやうにおはすめり、と見あへり。殿、ことごとく、うち見たまひて、「けしうはあらぬ者どもなめるに、衛門が導きなれば、足らはぬことありと、言ふべきにあらず」と、うち宣へば、「いと覚え強しや」と笑ひたまふ。衛門「足らはぬことありとは、御覧じ知らぬにこそ。御前にさぶらひつるほどに、えかきならでても御覧ぜさせぬなり。かやうのことは、かかればこそ」とて、出で来る人を見れば、あこきなり。「かはいかに。この殿には、かくめでたき覚えにてはさぶらひたまひけるぞ」と驚きぬ。衛門、今しも見つくるやうにて、「あやしう、見たてまつりし心ちするかな」と言ふに、「ここにも同じ心に見たてまつるに、うれしうも」と言ふ。「年ごろは対面なくて、なりもてゆくも、あはれに思ひたまへつるを」とて、昔物語などするほどに、また、いと白ううつくしげなる君の三つばかりなるを見れば、少納言なり。「あやしう昔心ちして」「あはれなる御声どもかな」とて、言ひゐたることどもは、書かじ、うるさし。かたみに、うれしきよしをぞ言ひける。昔見し人々、用意なれば、やよりあり、よし、と思ひあへり。  かくて、明日渡るべしとて、中納言殿には、御方々の物運び、簾掛け、すつらふ。人々の物さへ運ぶと聞きたまひて、衛門の督の殿の、家司なる但馬の守、下野の守、政所の別当なる衛門の佐、雑色などの、きらきらしきを召して、「しかじかある所の三条なる家、領ずるを、渡らむと思ふほどに、源中納言、いかにすることにかあらむ、そこを領じて造ると聞きつるを、さりとも消息して、あるやう言ひてむと待ちて、物も言はざりつるに、明日渡るとなむ聞く。まかりて、『いかなることぞ、ここに領るべき所を、音もせで渡るは、いかなることぞ』。そこに物運びたらむも、な取らせそ。ここにも、明日渡らむと思ふ。をのこども、雑色所さだめて。ただいま居よ」と宣へば、皆、承りて、いきて、げに見れば、造りざま、いとあらまほしう、砂子敷かせ、簾掛けさせなどす。いと猛に引きつれて来ぬ。人々驚きて、「いづこの人ぞ」と問へば、右衛門の督の殿の家司、職事どもなり。「この殿は、殿のしろしめすべき所なるを、いかにして、御消息をもせず渡りたまふべかなるぞ。『しばしな渡しそ』と仰せらるれば」とて、入り立ちて、「ここは雑色所ぞ」など定めて、「ここもとは、とかくせよ」などおこなひて直さす。  人々、あきれ惑ひて、殿に走りて、「かうかうのこと侍る。家司、職事にきゐてまうで来て、さらに下衆どもえ出で入りせさせはべらず。『殿も、明日なむ渡りたまふべき』とて、雑色所、政所など定めて、所々など、しなほさせはべる」など申すに、中納言殿、老い心ちに惑ひたまひぬ。「いといみじきことかな。かの家は、わが手の子、世にあると聞きはべらばこそ、それがするならむとも思はめ。いかなることにかあらむ。打ち合ひいさかふべきことにもあらず。父おとどに申さむ」とて、出で立ちもしたまはぬ心ちに、装束もしあへず、急ぎ惑ひて、右の大殿にまうでたまひて、「殿に御けしき賜はるべきことありてなむ参りたる」と聞えたまへば、おとど、対面したまひて、「何事にか」と申したまへば、「年ごろわが領じはべる所、三条に侍るを、この月ごろつくろはせはべりて、明日まかり渡らむとて、侍ども皆物ども運ばせはべるほどに、衛門の督の殿の家司と申す者まうで来て、『殿のしろしめすべき所なり。いかで御消息もなくては渡るべき。殿も、明日なむ渡らせたまふべき』とて、まうで来居て、下人ども通はしはべらず、妨ぐることの侍れば、驚きてなむ。この家は、さらにほかに人領るべからずとなむ思ひはべる。いかなることにかはべらむ。券やさぶらふらむ」と、いたう嘆きたるさまにて申したまへば、おとど「さらに知らぬことなれば、ともかくも聞え申すべからず。宣ふやうにては、衛門の督の無道なるやうなれど、さりとも、あるやう侍らむ。今、かの衛門の督に言びて、あるやう聞きてなむ、くはしくは聞ゆべき。初めより知らぬことなれば、ここには、いかが聞えむ」と、いと粗相に、心入れぬけしきにて、いらへたまへば、中納言、また聞ゆべき方なくて、いといたう嘆きはがら出でたまひぬ。  「殿に申しつれば、しかじかなむ宣ふ。いかなるべきことにか。ここらの年ごろ、ひとへに造りて、人笑はれにやなりなむとすらむ」と嘆きたまふとは、世の常なり。  衛門の督、内裏より殿にまかでたまへれば、「中納言のいまして、しかじかのこと宣へるは、まことか。きかなることぞ」と申したまへば、「しか。まことにはべり。ここに、年ごろ渡りはべらむとて、さるべき所修理せさせはべらむとて、人つかはしたりしに、『にはかにかの中納言、渡らむとなむしはべる』と聞えはべりつれば、あやしさに、まことかと聞かせに、をのこどもつかはして、案内せさせはべるなり」と聞えたまへば、「かの中納言は、『われよりほかに領ずべき人なき家を、かくすることは、いと非道なること』とこそ宣ふなりしか。そこには、いつより領じたまふぞ。券やある。誰が取らせしぞ」と宣へば、「かしこに侍る人の家にはべり。母方の祖父なりける宮の家なりける、伝はりてはべるを、かの中納言は、ほけて、妻にのみ従ひて、情なくものしき心のみ侍りしかば、憎さに、この家も取らせはべらじとてなむ。券いとたしかに侍り。券領らで造りて、『われよりほかに領る人あらじ』と侍るこそ、をこがましけれ」と宣へば、「さらに言ふべきことにもあらざなり。早くその券見せたまへ。いと嘆かしと思ひたまへり」と聞えたまへば、「今見せはべらむ」とて、二条におはして、明日の御前の人々召し、また、出車は人々に当てさせたまふ。  中納言、夜一夜嘆き明かして、まだつとめて、太郎越前の守を殿に参らす。「みづから参らむとするを、まかり帰りしままに乱り心ち悪しくてなむ。御けしき賜はりしことは、いかが侍らむ」と申したまへば、「衛門の督に、すなはち言ひしかば、しかじかなむ言ふめりしを、また、あの督に会ひて問へ。ここには知らぬことなれば、定めがたくなむ。さやうに券なくて領じたまふが、をこなるやうになむ」と言ひ出だしたまへれば、衛門の督殿に参りたれば、御直衣ばかり着たまひて、簾のもとに居たまへれば、越前の守は、かしこまりて居たり。女君も御前なれば、見出だしたまひて、あはれと思す。衛門、少納言「いかなりし折、恐ろしと思ひて、御心あやまたじと思ひけむ」と笑ふ。  越前の守「殿に参りて御けしき賜はりつれば、しかじかなむ仰せられつる。券は、まことにやさぶらふらむ。それをくはしく承り定めむ。また、年ごろ殿領ろしめすと、かけても承らましかば、かくまで誰も誰も仰せられ聞えさせましや。この家造りはべること、二年なり。そのほどまでは音なくはべりて、かく妨げさせたまへば、いと安からずなむ嘆き申したまふ」と申せば、「年ごろは、券のここにあれば、家といふもの、券持たる人よりほかに領る人なきと聞きしかば、おだしう思ひて、わが家とも名のらでありつるは。かうしたまふ時こそ、かかることもありけりとも言はめ。さてもさても券持たまへるか」と、いとなまめかしういらへて、いと白ううつくしげなる子の三つばかりなるを膝に据ゑて、うつくしがりゐたまへれば、大事と思ひて申すに、いと腹立たしくわびしけれど、思ひ静めて、「この家の券失ひはべりて、尋ねさせはべれど、いまだ聞き出ではべらで。もしそれを人の売り申してはべるにやあらむ。ただその疑ひのみ侍る。さて、この家領ずべき人なむ侍らぬ」と申せば、「券を盗みて売りたるを買ひたるにもあらず。道理にまかせて、おのれよりほかに領ずべき人なむなきとおぼゆれば、さるやうこそあらめと、思ひやみたまひねかし。中納言には『今しめやかに、券もみづから見せたてまつらむ』と申したまへ」とて、子かき抱きて入りたまひぬれば、越前の守、いふかひなくて、いたく嘆きて立ちぬ。  女君、つくづくと聞き見たまひて、「この渡らむとしたまふ所は、三条にこそありけれ。また、まろと聞えむものを。年ごろ造りて、渡らむとしたまふらむに、妨げたらむには、いかに思すらむ。親の嘆きたまふらむは、罪いと恐ろしく。仕うまつる人だにこそあれ、かくしたまふことを妨げたまへば、嘆かせたてまつるが心憂きこと。衛門がすることぞ」と、いとほしと思したるけしきにて宣へば、「天下の親にて、おのが家おし取らるる人やある。嘆きたまふらむ罪は、のちにもいとよく仕うまつり直したまへ。渡らじと思すとも、まづ子たち具して渡りなむ。かく言ひたちて、とどまりたらむ、いとをこならむ。かの家奉らむと思さば、知られたてまつりてのちに奉りたまへ」と申したまへば、いふかひなくて、またも聞えたまはず。  越前の守は、帰り来て、殿に申す、「さらに今は不用。取られたてまつりぬるを恥にて、止みぬばかりなめり。大事と思ひて、申すに、事にもあらず思して、いとうつくしげなる子を膝に据ゑてうつくしがりて、申すこと耳にも聞き入れたまはず。さては、かう言ひて入りたまひぬる。右大臣殿は『われは知らず。衛門の督が持たる方こそ強くはすなれ』と宣ふに、さらにかひなく。などかは券をば尋ね取りたまはずはなりにし。今宵渡りたまはむとて、出車のこと、御供の人々のことなど、整は騒ぎつる」と言へば、さらに物もおぼえず、いみじと思ひたまへり。「落窪の君の母の死ぬとて、かの子に取らせおきしを、われも忘れて乞ひ取らざりしほどに、かく失せたるぞ。何か、それが売りたるを買ひて、かくしたるぞ。いみじう人笑はれなるわざかな。公に申すとも、この殿の御世なれば、誰か定めむとする。多くの物を尽して造りてけるが、いみじきこと。時にあひたまはず、物あしき人、いみじきものなりけり」と、空を仰ぎて、ほれてゐたまへり。  衛門の督の殿には、渡りたまはむとて、女房に装束一具づつして賜へば、ほどなく今めかしう、うれしと思ひけり。中納言殿には、物をだに運び返しに人やりたまへど、「さらに入れだに入れず」など言へば、北の方、手を打ち、ねたがる。「いかばかりの仇敵にて衛門の督あれば、わが肝心も惑はすらむ」と、まどふ。越前の守「今はかひなし。『物だに運び返さむ』と申せば、『早うそれは取られよ』とは、なだらかに宣はど、人々さらに入れねば。いさかふべきことにしあらぬば」。たけきこととは、集まりて、のろふ。  戌の時ばかり渡りたまふ。車十して、儀式めでたし。おりて見たまへば、げに寝殿は皆しつらひたり。屏風、几帳立て、みな畳敷きたり。見たまふに、げにいかに思ふらむと、いとほしけれど、北の方ねたしと思ひ知れとなりけり。女君は、おとどの思すらむことを、おしはかりたまふに、物の興もなく、いとほしきことを思ほす。男君は、「運びたらむ物、失ふな。たしかに返さむ」と宣ふ。  かくめでたくののしる。中納言殿には、渡りぬやと、見せたまふに、「かうかう、めでたくして渡りたまひぬ」と語り申せば、「今は力なし」と、集まりて嘆くをも知らで、遊びののしる。衛門、かくしたまふを、思ふやうにめでたしと、男君を思ふ。  つとめて、越前の守「運びはべりし物ども、運び返しはべらむ」とて参りたれば、「三日は、ここの物、はかへは持ていくまじ。今、今日明日ぐして取りに物せよ。いとたしかにありや」と宣ひて、ことに聞き入れねば、思ひ惑ふこと限りなし。三日がほど、遊びののしりて、いと今めかしうをかし。  四日のつとめて、越前の守参りて、「今日だに賜はらむ。人々の櫛の箱などやうの物こめて、いとあしくなむ」と、わび申せば、いとをかしがりて、皆目録して返したまふ。男君「かの昔の古蓋の鏡の箱はありや。これに添へて返したまへかし。北の方、宝と思ひためりき」と宣へば、衛門、興じ喜びて、「衛門がもとに侍り」とていとただならむよりはとて、「しるしばかり物書きつけたまへ」と申したまへば、女君「いで、いさや。いとぼしきついでに知られたてまつらむこそ。苦しき」と宣へば、「なほなほ」と申したまへば、鏡の敷をおし返して書きたまふ。     あしくれは憂きこと見えします鏡さすがに影ぞ恋しかりける と書きたまへり。色紙一重に包みて、物の枝につけて、「越前の守呼びて取らせよ」とて、衛門に取らせて、越前の守召して、「いかにあやしう思すらむと思へど、御消息もせで渡りたまふと聞きしかば、あやしうてなむ。このいとほしかりかしこまりも、みづから聞えはべらむ。この券もたしかに御覧ぜさせ、聞ゆべきことも侍り。『今日明日のほどに必ず立ち寄らせたまへ』と、おとどに聞えさせたまへ。そこたちも、ただ今、便なきやうに思ふらむ。つひにここにぞ言ひ語らはむ」と宣ふ。御けしき、いとよし。越前の守、いとあやしと思ふ。「おとど必ず立ち寄りたまはば、やがて御供に、そんこにも物したまへ」と宣へば、承りて、歩み出づるに、衛門、妻戸のもとにて、「ここに立ち寄りたまへ」と言はすれば、いと覚えなくあやしと思ひながら寄りたり。袖口いと清げにさし出だして、「これ、北の方に奉らせたまへ。昔いとやむごとなき物に思かたりし物なれば、今まで失はせたまはざりけるは。この御物どもの返り参るにつけて、思し出でさせたまひてなむ」と言へば、いとあやしと思ひて、「誰が御消息とか物しはべらむ」、「ただおのづから思ひ出できこえたまひてむ。私にも、声ばかりこそとは聞き知りたまはずや」と言ふ。あこきなりけり、この殿にこそありけれ、と思ひて、「布留の都をば忘れたまひけるなめれば、何かは知りげにも聞えはべらむ。まめやかには、この殿に参りはべらむ時には、知る人に尋ねきこえむ」と言ふに、「さても、またもさぶらふは」とて、さし出でたり。少納言なり。あやしうも集まりたるかなと思ふに、また奥の方に、「目並ぶと言ふなれば、まろは驚かしきこえじ」と言ふ声を聞けば、中の君の御もとなりし侍従の君なり。越前の守の思ひて時々住みける。かくのみかしこの人の声にて言ひかくれば、心ちもあわてて、いかなることならむと、あやしうて、えいらへやらず。衛門「三郎君と聞えしは、今は何にてかおはすらむ。御冠やしたまへる」、「しかじか、この春なむ大夫といふめる」といらふれば、「『必ず参りたまへ。対面に聞ゆべきことなむ積りて』と聞えたまへ」と言へば、「いと安きこと」とて、この包みたる物いとゆかしうて、急ぎ出でたまひぬ。  道々かの殿のさま思ふに、いとあやしく、落窪の君の、この妻にてあるにやあらむ、あこきといひしが、けしき、いとやかなり、また、あつらへたるやうに、かしこの人の集まりたるは。思ふによそ人のあらむよりは、さりともと、いとうれしき。さるは、北の方の懲ぜじさまも、国にのみありて、見ぬなりけり。  中納言殿に来て、おとどに「かうかうなむ宣へる」とて、この包める物を北の方に奉れば、「あやしう、覚えなう」とて引きあけて見るに、おのが箱なり。落窪の君に取らせしにこそあめれと見るに、いかなることならむと思ひ、肝心も騒ぐに、まして底に書けりける物を見るに、むげに落窪の君の手なれば、目も口も、はだかりぬ。この年ごろは、いみじき恥をのみ見せつるは、くやつのするなりけりと思ふに、ねたう、いみじきこと、二つなしとは世の常なり。一殿の内、ゆすり満ちて、ののしる。  おとど、家取られて、いみじき仇敵と思ひし心ち、わが子のしたるなりけりと思ふに、罪なく、さきざきの恥も思ひ消えて、「子どもの中に、さいはひありけるものを、何しにおろかに思ひけむ。かの家は、この人の母の家にて、ことわりなりけり」と、言ひいます。  かかれば、北の方、ねたく、いみじくて、けしき我にもあらで、「かの所をこそ、さも領ぜられめ、この年ごろ造りつる草木を、物入れて。それ運び取りたまへ。家買ひたまふ価にこそは渡したまはめ」と言へば、越前の守「こはなでふことぞ。さらむ、よそ人のやうに物したまふかな。おのづから、この族に、はかばかしき人なくて、見つくる人に『面白の駒は、いかにいかに』と笑はるるが、はしたなきに、同じ殿ばらといへど、ただ今の覚えのたぐひなき人にいふ得て、ねんごろになりぬるこそ頼もしくうれしけれ」と言へば、大夫「いでや、それはことか。この君の、懲ぜられたまひし」と問へば、「いかばかりか、うたてありしこと」とて、片端よりつぶつぶと語りて、「いかにあこきなど言ひつらむ。見えたてまつらむにつけてこそ、恥づかしけれ」と言へば、越前の守、爪弾きをして、「あないみじ。おのれは国にのみ侍りて、知らざりけり。あさましきわざをこそは、したまひけれ。この衛門の督は、思ひおきたまひて、かく恥を見するやうに、したまふなりけり。われらを、いかに思ひたまふらむ。すべて交らひもせずやあらまし」と恥ぢまどへば、北の方「あなかしがまし。今は取り返すべきことにもあらず。な言ひそ。憎くおぼえしままに、せしぞかし」と言ふに、かひなし。  「少納言、侍従なども、かしこにこそありけれ」と言ふを、御達聞きて、「われら、などて今まで参らで、癈ひたる世を見つらむ」とて、うらやましう、いみじうて、「今だに参らむ。御心は、めでたかりしかば、寄せたまひてむ」と、若き者どもは、言ふ。  はらからの君達、あさましと思ふなかに、三の君は、わが夫取りたる人の類なれば、近うて聞きかよなむを、ねたしと思ふ。四の君は、われをはかりて、かう憂き身になしたる君なれば、異人よりも、見むにつけて、いみじく心憂かるべきを思ふ。かのいつしか孕みし子は三つにて持たり。父にも似ず、いとをかしげなる女君なりけり。わが身、心憂し、尻になりなむ、と思ひけれど、この児の、いと愛しうおぼえければ、ほだしにて、え思ひ離れであるなりけり。少輔は、いと憎き者に思ひしみて、すげなくのみもてなしければ、来わづらひてなむありける。  中納言、つらきことは思ひやみて、わが身の覚えなく、癈ひ、人にもあなづられつるを嘆くに、面立しきことありと、いとうれしくて、まうでむと出で立ちたまふに、「今日は日暮れぬ。明日」と宣ふに、北の方、わが子どもよりも、ありさま、いかにめづらかに見えむと、胸痛し。三、四の君「かかれば、清水にては『懲りぬや』と言はせたりしにこそありけれ。かくつひには聞えたまふべかりけるものを、多くの恥を見せたまひしかな。かいつらね人々出でにしは、さは、この君の寄せたまふなりけり。年ごろ、便なげにて据ゑたてまつりたまひしを、ねたしと思ひしまたまへるなりけり」、北の方「そがいと胸痛う。かくさまざまに、ねたき当をせられぬることを、いかでしてしがな」と言へば、むすめども「さはれ、今は、な思ほしそ。御婿ども多かり。なほ御心使ひたまへ。典薬の助を、いみじく打たせたりしは、思ひおきたるにこそありけれ。男君領りてぞしたまひけむ」と、口々言ひ明しつ。  つとめて、「衛門の督殿より」とて御文あり。中納言、取り入れさせて見たまへば、「昨日、越前の守も」とありければ、御車の後にて来たり。「中納言参りたまへり」と聞ゆれば、督の殿「これへ」と聞えたまへば、入りたまへり。  南の母屋の廂にて、対面したまへり。女君は帳の内に居たまへり。「御前なる人、北面へ」と宣へば、皆往ぬ。さし向ひて対面したまひて、「この家のかしこまりも聞ゆべくはべるを、ここにまた人知れず、嘆かるる人も侍るめるを、かかるついでに聞えさせよとなむ。この領じ造らせたまひけむ、一つには道理なれども、券のさまを見はべれば、ここにこそは、御前よりも領りまさるべくなべれ、と思ひたまへしに、遠からぬほどに、御消息もなくて渡らせたまへば、人数にも思されぬなめりと見たまへしに、などか、さしも思しおとすべき、と心づきてなむ、かくにはかに渡りはべりつる。『年ごろ、つくろひ御心入りたりけるに、かく抜けたるやうにて渡したる、いと物し。なほ、ここは奉りてよかし』と嘆きはべるめるに、同じくは、たしかに領ぜさせたまへ、券奉らむ、とてなむ、御消息聞えはべりつる」と宣へば、中納言「いともかしこき仰せなり。年ごろ、あやしく失せはべりにし後、よに人にも聞えはべらざりつれば、世になきなめり、忠頼、若うはべらばこそ、ゆきめぐりあひ見むとも思ひはべらめ、老い衰へて、今日明日とも知らぬ、うち捨てて、影形も聞えぬは、なほ世に失せけるなめり、と悲しう嘆きはべりつるに、この家は、かれ侍らばこそ領じはべらめ、今はいかがせむ、ここに領るべきにこそ侍れ、とて、いたうあばれぬさきに、つくろにはべりつる。督の殿にさぶらふらむと承らざりつ。いとめでたう、思ふやうに、とは、おろかなるやうにこそさぶらにけれ。今まで、かくなむとも知られはべらざりけるは、忠頼を便なしと思ひおきたるにやあらむ。また、面伏せなり、これが子と知られじ、と思ひてはべるにやあらむ。二つの疑ひ、恥づかしくも。券、何か賜はらむ。またも参らせまほしくなむ。今まで死にはべらぬことを、あやしと思ひはべりつるは、この人の顔を見むとてなりけり。今なむ、あはれにはべる」とて、うちしほたれたまへば、督の君、さすがにあはれにて、「ここには、すなはちより、『御夜中、暁のことも知らでや』と嘆きはべりしかど、道頼が思ふ心侍りて、『しばし』と制しはべりしなり。その上は西の方に住みはべりしより、時々忍びてまかり通ひて見はべりしに、御けしきも異御子どもよりも、こよなく思しおとされたりき。また、北の方の御心ばへ、憂くあさましく、使ひたまへる人よりも劣りにさいなみしを見聞きはべりしかば、『世にありと聞えたてまつるとも、よしと思さじ。少し人なみなみになりて、仕うまつりぬべからむほどに知られたてまつれ』と聞えはべりし。部屋に籠めて典薬の助ひ許させたまへりける、いと心憂く思ひたまへしかば、世になきさまに御覧ぜらるるとも、何とも思さじと思ひたまへて。道頼はつらし憂しと思ひおきつることの忘れはべらねば、殿をば便なしとも思ひきこえざりしかども、北の方の情なくおぼえたまひしかば。祭など見はべりしに、『殿の御車』と言ひはべりしを、なめげなるさまに。をのこども、かつはいかにと見知るさまにて。いととくと御覧ぜさせずやとおぼえはべりしも、便なく思ひたまふれど、あけくれ異御子どものやうに見たまふことも難げなりしかど、まづ、夜昼、見たてまつらぬことを申すめれば、人の御親子の中はあはれなりけりと見たまふれば、いかで仕うまつらむとなむ思ひたまへなりにたるを、幼き人々もおよずけまさるめるを、見せたてまつらでやなど、思ひたまへてなむ」と、片端よりつぶつぶと聞えたまふに、中納言、いと恥づかしうて、このことどもを聞きたまひて、思しおきたりけることと、限りなくいとほしくて、えいらへ、はかばかしからず。  「異子どもより思ふままに曲げられて、げにいとほしきことも侍りけむ。されば、いとことわりなり。述べ聞えさすべきことも侍らず。典薬は、いとゆゆしきこと。さる者には、いかなる者か許しはべらむ。部屋に籠めはべりしことも、思ふやうならぬことをしたりと聞きはべりしかば、ねたくくちをしくてなむ。何事よりも、若君達をまづ見たてまつらむ。いづら、今だに」と宣へば、男君、前に立てたる几帳おしやりて、「ここに侍るめり。出でて対面したまへ」と申したまへば、恥づかしけれど、ゐざり出でたまふ。おとど見たまへば、いみじく清げに、ものものしくねびまさりて、いと白く清げなる綾の単襲、ニ藍の織物の袿着たまひて、居たまへり。見るに、これよりはよしと思ひかしづきしむすめどもにまさりたれば、かかりけるものを、うち籠めておきたりしを、げに、いかに思ひたまひけむ、と、恥づかしうて、「つらき者に思ひおきて、今まで知られたまはざりける。対面しぬるは、限りなくなむ心のびてうれしく」と宣へば、女君「ここには、さらにさ思ひきこえぬを、この君の、さいなみしをりを、おはしあひて聞きたまひて、なほ便なきものに思しおきたるなめかし。『しばしな知られたまひそ』とのみ侍るめるに、つつみてなむ。心には、さらに知りはべらぬなめげさも、御覧ぜられつることをなむ、いかがと限りなく思ひたまへつる」と宣へば、「そのをりに、いみじき恥なり、何事に、思しつめて、かくはしたまふならむ、と思ひたまへしを、今日聞けば、君をおろかに思ひきこえたりとて、勘当したまふなりけり、と承りあはすれば、なかなかいとうれしくなむ」と、うち笑ひたまへば、女君、いとあはれと思して、「さてしもこそ、かしこけれ」と申したまふほどに、督の君、いとうつくしげなる男君を抱きて、「くは御覧ぜよ。心なむ、いとうつくしくはべる。天下に、北の方も憎みたまはじとなむ思ひたまふる」と宣へば、「そもけしからぬことを」と、かたはらいたがりたまふ。中納言は、見るに、老い心ちに、いと愛しうらうたう、ただおぼえにおぼえて、笑みまけて、「こちこち」と宣へば、さる翁におぢて、首にかかりて抱かるれば、「げにや、天下の鬼心の人も、え憎みたてまつらじ」とて、「いといと大きにおはするは、いくつぞ」、「三つになむなりはべりぬる」となむ、父君申したまへば、「またや物したまふ」、「この弟は殿になむ召されにし。また女子侍れど、今日はつつしむこと侍り。のちに御覧ぜさせむ」など申したまひて、御台参り、御供の人にも、わざとの設けにはあらで、牛飼までに、いと清げにあるじしたまふ。  男君「衛門、少納言、その越前の守呼び入れて、ものせよ」と宣へば、衛門、台盤所の方に呼び入るるにつけても、いと恥づかしけれども、わがしたることか、と思ひ入りぬ。三間ばかりあるに、畳清げに敷きて、整はたるやうに、劣らず見ゆる御達ニ十人ばかり居並みたり。御前にありけるが、「立て」と宣ひければ、来つどにたるが居たるなりけり。越前の守、色なる人にて、いと興あり、うれし、と思ひて、目を配りて見渡す。物も言はれず。知りたる人だに五六人ありけり。これもしかにこそありけれとのみ見ゆ。衛門「殿の『酔はしたてまつれ』と宣ふに、青く出でたまはば便なし。若人たち、盃参りたまへ」とて、代り代り強ふるに、酔ひ惑ひぬ。「衛門の君、助けたまへ。しか人げなく懲じたまふな」と言ふに、逃げむとする、いと若く清げなる人のをかしう言ひて、囲みて、逃ぐべくもあらず。わびて、うつぶし倒れ臥したり。  中納言も督の君も、御盃たびたびになりて、酔ひたまひて、よろづの物語をしたまふ。「今は身に堪へむことは仕うまつらむとなむ思ひたまふるを、思さむことは、なほ宣はむなむ、うれしかるべき」と申したまへば、中納言、いとうれしと思ひたること限りなし。  暮れぬれば、帰りたまふままに、おとどには、衣箱一よろひに、片つ方には、ただ直衣装束、今片つ方には、日の装束一領入れて、世に名高き帯なむ添へたりける。越前の守には、女の装束一具に綾の単襲添ひて、被けたまふ。中納言、酔ひて出でたまふとて、「世に今まで侍りつるが心憂かりつるに、うれしき契りに」など宣ふ。御供人多くもあらねば、五位に一襲、六位に袴一具、雑色に腰差、せさせたまふ。よろしからぬ御仲と見つるを、いかならむ、とあやしく思ふ。  帰りたまひて、北の方に衛門の督の宣へることども、片端より、「典薬の助には、もことにや、あはせむとしたまひし。恥づかしげに宣へるに、面赤む心ちしてなむありつる。児のうつくしげなりつること限りなし。人々のありさま、いみじうさいはひありけるかな」と宣へば、北の方、いとねたしとはおろかなるに、「いで、あな聞きにく。そのかみ、ものとやは思ひたまへりし。『部屋に籠めよ』とは、おのれこそおこなひたまひしか。『われは知らじ。ともかくもせよ』と放ちたまひしかばこそ、典薬も何もかかぐり寄りたりけめ。今、人のものめかしたまふに、わがせしことを人のせむやうに宣ふは、なんぞ。あまり花やかなることは長からず」と言ふ。  越前の守いみじう酔ひて寄り臥しながら、いみじうめでたかりつることを語り臥せり。「三十人の女房達の中に籠りて。おほくこそ強ひにたれ。三の君の御方のそれ、四の君の御方の何の君、かのおもと、まろやさへなむさぶらひつる。花を折りてさうぞきて、いとよしと思へる」と言ふを、三、四の君は一所に臥して聞きて、「世の中は、あはれなるものにこそありけれ。かの君の、落窪に住みて、部屋に籠りたまひし時は、まろらにまさりて人使ひ取られむとやは思ひし。父母の思さむこと、恥づかしくもあるかな。なぞや。尼にやなりなまし」と、うち語らひて三の君もうち泣きて、「そが、恥づかしきこと。かく憂き宿世も知りたまはで、上の懸隔に思しかしづきしを、いかに人思ひあはせむ。まろら、このごろ憂きこと出で来にしをりぞ、尼になりはべりなむと思ひはべりしを、いつしか身の成りはべりにしかば、えならで。これ出で来にしのちより、はた、人の心なりけること。これ物の心知るまで見むと覚えなりて、今まで侍りつること」。二人語らひて、うち泣きて、四の君、     人のうへとむかしは見しをあり経れば今はわが身の憂き世なりけり 三の君「げに」とて、     憂きことの淵瀬にかはる世のなかは飛鳥の川の心ちこそすれ 言ひ明したまへり。  つとめて、贈物見たまひて、「色よりはじめて、翁の身には余りたり。この御帯は、いと名高き帯を、何しに贈はらむ。返したてまつらむ」と宣ふほどに、「衛門の殿より御文あり」と言へば、急ぎ取り入るる人多かり。「昨日は、暮れゆく、惜しくもはべりしかな。急がせたまひしかば、年ごろの御物語も聞えさせずなりにし。今よりだに時々立ち寄らせたまはずは、心憂くなむ。これは、などか忘れさせたまひにし。なほ、はや渡らせたまひね。さらずは、なほ便なきさまに思したると、限りなく思ひたまへ嘆くべくなむ」とあり。四の君の御もとに文あり。「年ごろ、いとおぼつかなく思ひたまへつつ、かくなむと聞えまほしながら、つつましきこと多くて。忘れやしたまひたらむ。 わすれにし常盤の山の岩つつじいはねどわれに恋はまさらじ と思ひたまふるにこそ、いと心憂けれ。上にも御方々にも、今は対面にと思ひたまふれば、うれしくなむと聞えたまへ」とあり。はらから四人並み居たるほどに、取り交はしつつ見たまひて、姉君たち、「わがもとにも宣へかし」と、今は語らはまほしきぞ、いみじきや。落窪に居たりしほどは、いかにと問ふ人なかりしものを、と思ふ。  おとどの御返り「やがて昨日はさぶらはむと思ひたまへしかど、方のふたがりてはべりしかばなむ。今よりは、いとうれしく明け暮れもさぶらひぬべしと思ひたまへしを、命のびてなむ。さて賜はせたる券は賜はるまじきよしを聞えはべりしを、なほかうせさせたまふ、御勘当の深きなめりと、かしこまり思ひたまふる。御帯も、さらに、かかる翁の身には闇の夜にはべるければ、返し参らせむと思ひたまふれど、御志のほど、過ぐしてとなむ思ひさぶらふ」とあり。四の君の御返り「年ごろは、杉のしるしもなきやうにて、尋ねきこえさすべき方なくなむ思ひたまふるに、いともいともうれしくてなむ。『人はよも』とは、心憂くもはしはからせたまひけるかな。 うち捨てて別れし人をそことだに知らでまどひし恋はまされり」 と聞えたまへり。  かくてのちは、心しらひ仕うまつりたまふこと限りなし。おとどは、たとしへなきまで訪ねおはす。越前の守、大夫など、ただ今の時の所なれば、恥を捨てて参り仕うまつる。女君は、うれしきものに思して、いかでとしたまふなかに、大夫をば御子のごと思したり。「いかで今は北の方、君達にも対面せむ。こなたにも渡りたまへ。母君には小さくておくれたてまつりて後、見馴れたてまつりしままに、親となむ思ひきこゆる。いかで仕うまつらむと思ふに、この年ごろ思しや疎みにたらむ。君達へも同じ心に聞えたまへ」と宣ふを、越前の守「さなむ宣ふ。われを思したるこのぞ限りなき」と語れば、北の方「いとど徳つきにしかば、さも思ふらむ。われにも、いみじくおぢたり。懲せしを思ひおかば、この子どもをぞ便なく思はまし。男君の思しおきたるにこそありけれ。まこと、かの物縫ひし夜、にかへたりけるは、この君なりけり」と、思ひ弱ることありて、やうやう文はよはして、言ひつく。  かかるほどに、衛門の督、女君と語らひたまふ、「あはれ、中納言こそ、いたく老いにけれ。世人は、老いたる親のためにする喪こそ、いと孝ありと思ふこと。七十や六十なる年、賀といひて、遊び、楽をして見せたまふ、また若菜参るとて、年の始めにすること、さては八講といひて経、仏かき供養することこそはあめれ。さまざまめづらしきやうにせむ」とて、「いかなることをせむ。生きながら四十九日する人はあれど、子のするにては便なかるべし。これらがなかに、宣へ。せむと思さむこと、せさせたてまつらむ」と申したまへば、女君、いとうれしと思して、「楽は、げにおもしろくをかしきことにこそあれど、後の世まで御身につく益なし。四十九日は、げにゆゆしかるべし。八講なむ、この世もいと尊く、後のためも、めでたくあるべければ、して聞かせたてまるらまほしきこと」と宣へば、男君「いとよく思したり。ここにも、さなむ思ひつる。さらば、年の内にしたまへよ。いと頼もしげなく見えたまふ」とて、明くる日より、いそぎたまふ。八月のほどにせむとて、経書かせ、仏師よそはせて、仏、経、あるべくと、男君、女君、心に入れたまへり。国々の絹、糸、銀、金など求めて、御心に、心もとなしと思すことなし。  かかるほど、にはかに帝、御心ち悩み重くて、おりたまひて、春宮位につかせたまひぬ。この男君の御妹の女御の御腹の一の宮になむおはしける。その弟のニの宮、坊にゐさせたまひぬ。御母の女御、后に立ちたまひぬ。衛門の督、大納言になりたまひぬ。中納言は三の君の御夫、宰相には大納言の御弟の中将なりたまひぬ。すべてこの御ゆかりの御よろこびしたまへる、いとめでたく、この御代にのむなり果てぬ。大納言の御覚え、いみじく、かかるままに、舅の中納言、いと面立しく、うれしと思へり。  七月のうちには、おほやけごと、いとあわただし。暇なきうちに、この御八講のこと、たゆみたまはず。八月ニ十日にとなむ定めける。わが御殿にてしたまはむと思せど、継母、君達、たはやすく渡らじと思して、中納言殿に渡りたまふべし、と定めたまふ。中納言殿を、いみじう修理せさせ、砂子敷かせたまふ。新しう御簾、畳など用意せさせたまふ。中の君の御夫の左少弁、越前の守なども皆この殿の家司かけたれば、やがてそれらを行事に指して行はせたまふ。寝殿を払ひ、しつらひて、大納言殿の御局は北の廂かけたり。君達、北の方の御局には塗籠の西の端をしたり。あす事始めむとて、夜さり渡したてまつりたまひつ。「せばからむを」とて、人々はとどめたまひて、車六つ七つして渡りたまひぬ。このたびぞ、北の方、君達などにも対面ありける。濃き綾の袿、をみなへし色の細長着たまへり。色よりはじめて、めでたければ、かの縫ひ物の禄に得たまひし衣のをりを思ひ出づる人あるべし。主の北の方、三、四の君、事の中に物語したまふ。昔、落窪といひし時も、衰へずをかしげなりと見しを、今はものものしく北の方とさへねびて、けはひ異に、すぐれて聞えし君達の着たまへる物、こよなく劣りて見ゆ。北の方、いかがはせむと思ひなりて、物語して、「まだ幼くて、おのがもとに渡りたまひにしかば、わが子となむ思ひきこえし。おのがもとに渡りtまひにしかば、わが子となむ思ひきこえし。おのが心本性に立ち腹に侍りて、思ひやりなく物言ふことも成りはべるを、さやうにてもや、もしものそきさまに御覧ぜられけむと、限りなくいとほしくなむ」と言へば、君は、したには少しをかしく思ふことあれど、「何か。さらにものしきことやは侍りける」と、「思ひおくこと侍らず。ただ、いかで思ふさまに志を見えたてまつりにしがなと、思ひおくこととて侍りしことなむ」と宣へば、北の方「うれしくも侍るかな。よからぬ者ども多く侍るなれば、思ふさまにもj侍らぬに、かくておはするをなむ、誰も誰も喜び申しはべるめる」と申したまふ。  明けぬれば、つとめてより車疾く始めたまふ。上達部いと多かり。まして四位、五位、数知らず多かり。「年ごろ、しひまどひたまへる中納言は、いかでかく時の人を婿にて持たりけむ。幸人にてこそありけれ」と、言ひあさむ。婿の大納言、まして、ニ十余にて、いと清げにて、ものものしくて、出で入り、事おこなひありけたまへば、中納言、いと面立たしくうれしくて、老い心ちに涙をうち落して喜びゐたり。御弟の宰相の中将、三の君の夫の中納言、いと清げにさうぞきつつ参りたまへり。三の君、中納言を見るに、絶えたりし昔おもひ出でられて、いと悲しうて、目をつけて見れば、装束よりはじめて、いと清げにしたるを見るに、いと憂くつらし。わが身のさいなひあらましかば、かくうち続きてありきたまはましも、こよなきほどならで、いかによからましと思ふに、わが身のいと心憂くて、人知れずうち泣きて、     おもひいづやと見れば人はつれなくて心よわきはわが身なりけり と人知れず言はる。  事始まりぬ。阿闍梨、律師など、いとやむごとなき人多くて、あはれに尊き経どもをときて、経一部を一日に当てて九部なむ始めたりける。無量義経、阿弥陀経など添ひたる、一日当てたるなりけり。一日に仏一体を供養せむと始めたまへりければ、あはせて仏九体、経九部なむ書かせたまひける。清げなること限りなし。四部には、色々の色紙に金、銀まぜて書かせたまへば、輪には黒うかうばしき沈をして、置口の経箱に一部づつ入れたり。今五部は、紺の紙に金の泥して書きて、軸に水晶して、蒔絵の箱、蒔絵には経文のさるべき所々の心ばへをして、一部づつ入れたり。ただ、この経、仏見るおぼろけの者はいちじと見えたり。朝座、夕座の講師、鈍色の袷の衣ども被けたまふ。すべて心もとなきことなく、し尽さむと思ひたまへり。  日の経るままに尊さまされば、末ざまには人々も、上達部も参りこむなかに、五の巻の捧物の日は、よろしき人よりはじめ、消息を聞えたまへりければ、所、いとせばげなり。捧物のことも当てたまひければ、袈裟や数珠やうの物は多く持て集まりたるに、取りて奉らむとするほどに、右の大殿の御文、大納言殿にあり。見たまへば、「今日だにとぶらひに物せむと思ひつれども、脚の気配りて、装束することの苦しければなむ。これは、しるしばかり。捧げさせたまへとてなむ」とあり。青き瑠璃の壺に金の橘入れて、青き袋に入れて、五葉の枝につけたり。北の方、女君の御もとに御文あり。「いそぎたまふことありとは承りしかど、宣ふこともなかりしかば。もろ心なるさまも、人見たまはずやありけむ。これは、女はかくまめなる物を引き出でけると、塵を結ぶと聞きえてはべる」とあり。唐の羅の朽葉村濃なる一襲に、いとけうらなる緋の糸五両ばかりづつ、女郎花につけたまへり。数珠の緒と思したるなるべし。御返り聞えたまふほどに、「中納言殿より」とて、中の君の御文あり。見たまへば、「いと尊きこと思し立ちけるを、かくなむとも宣はざりけるは、喜ぶ功徳に入れさせたまはじとにやと、心憂くなむ」とて、金して、開けたる蓮の花を一枚作りて、少し青く色どりなして、銀を大きやかなる露になしたり。  また、「中宮より」とて、宮の亮、御使にて御文持て参りたり。これは、けいめいして、御使、顕證ならぬ方に据ゑて、越前の守、大夫などいひし、この殿の御給はりにて左衛門の佐になりたるなど、盃さし饗したまふ。御文には、「今日は騒がしきやうに聞けば、何事もおしとどめつ。これは結縁のために」とあり。金の数珠箱に菩提樹のをなむ入れさせたまひたりける。はらからも、人も、見るに、男がたのやむごとなき人も、かく用ひて、われもわれもとしたまふに、こよなきさいはひと見ゆ。中宮の御返り、まづ聞えたまふ。「いともいとも、かしこまりて承りぬ。今日の事は、ただこの仰せをなむ、みづから捧げて。かしこまりて聞えさせはべる。よろづは、この果てて、みづからなむ参りはべりて、またまたかしこまりごと啓すべき」と聞えたまふ。御使には、綾の単襲、袴、朽葉の唐衣、羅の襲の裳、被けたまひつ。  皆事始まりて、上達部、君達、捧げてめぐりたまふ。銀、金の蓮の開けたるをなむ、人々多くしたりける。中納言のみなむ、銀を筆の形に作りて、へいぢくに色どりなして、薄物に透かしたまへりける。袈裟などやうの物は、数も知らで取りて積みてなむ置きたる。薪には蘇枋を割りて、少し色黒めて、組して結ひたりける。日ごろのなかに、今日なむ、いと猛に物入りたらむと見えける。やむごとなき上達部の持ちてめぐりたまふを、見る人々「いみじう老いのさいはひ、面目ありける人かな」と、誉む。「なほ人は、よからむむすめをこそ、神仏に申して持たらめ」と言ひあへり。  かくて、九日、いといといかめしうし出でたまふ。  三の君、中納言今日や今日や、と思ひ出でたまふに、さもあらでやみぬ。いみじう心憂しと思ひ出づる魂や、ゆきてそそのかしけむ、事果てて出でたまふに、しばし立ちどまりて、左衛門の佐のあるを呼びたまひて、「などか疎くは見る」と宣へば、佐「などてかむつまじからむ」と、いらふれば、「昔は忘れにたるか。いかにぞ。おはすや」と宣へば、「誰」と聞ゆれば、「誰とか、われは聞えむ。三の君と聞えしよ」と宣へば、「知らず。侍りやすらむ」といらふれば、「かく聞えよ。 いにしへにたがはぬ君が宿見れば恋しきこともかはらざりけり とぞ。世の中は」と言ひて、出でたまへば、佐の、返りごとをだに聞かむと思せかしと、なごりなくもある御心かなと見る。入りて、「かうかう宣ひて、出でたまひぬ」と語れば、三の君、しばし立ちどめりたまへかし、なかなか何しに音づれたまひつらむ、いと心憂し、と思ひて、返し言ふべきにもあらねば、さてやみぬ。  大納言殿、御としみのことなど、いといかめしうしたまひて帰りたまひぬ。されば、「今一ニ日ばかりだにおはしませ」と申したまへど、「せばくて、幼き者ども、人々、むつかしうはべれば、今、これらとどめて参り来む」とて、しひて大納言殿渡したてまつりたまへば、おとど「いと尊くあはれにはべりつることをば、さるものにて、中宮、右大臣殿よりはじめたてまつりて、かしこき御心ばへ見たてまつりつるに、命のびて、老の面目とは、おろかなり。翁のためには、経、仏一巻を供養したまへむなむ、いみじきことにはべるべき。かく猛なることをせさせたまへること」と、泣く泣く喜びたまへば、大納言も、女君は、さらにもいはず、かひありてうれしと思す。「これ、翁のいとかしこき物と思ひたまへて、誰に伝へ置かむと、年ごろ隠し置きて、中納言殿のいまし通ひし時、求めたまひしかど、取り出ださずなりにしかば、あが君の御料にて物し置きけるにこそありけれ。若君に奉らむ」。いとをかしげなりし、錦の袋に入れて奉りたまへば、若君、知り顔うち笑みて、取りたまひつ。笛いと美しと思す。音もかしこし。さて殿へ夜更けて渡りたまふ。大納言「中納言のいみじくうれしと思ひたまへりしかな。何事をまたして見せたてまつらむ」と宣ふ。  かかるほどに、右の大臣のたまふ、「老いもてゆくままに、衛府司堪へず。若う花やかなる若男の職にてなむ堪へたる」とて、かけたまひつる大将、大納言に譲りたまふ。御心にかなへりける世なりければ、誰かは妨げむ。いと花やぎまさりたまふこと限りなし。中納言、いよいようれしく、喜びたまふ。いと大事にはあらねど、起き臥し悩みたまふを、大将殿の北の方、聞きたまひて、あはれに宣ひしを、今少しつかまつらむと思ふに、今しばしだにおはせなむと念じたまふ。  今年なむ七十になりたまひけると聞きたまひて、大納言の思しける、「行先遠く、またもしてむとおぼゆる人ならばこそ、のどかになども思はめ。人は、しきりたるやうに思ふとも、七十の賀せむ。わがせむと思ひし本意とげむ。懲ずべき限りは、あまたたびしてき。うれしとおぼゆることは、ただ一たびにてやむなむは、いとかひなし。死にての後には、よろづのことすれども、誰か見はやし、うれしと思はむとする。こたみばかりのこと、力の堪へむ限りせむ」と、思ほし立ちて、いそぎたまふ。国々の守どもも、ただ御けしきのままに仕うまつり、いかでいかでと思ひければ、一つづつ物宣へど、いとやすう人々の御前の饗のことをなむ当てたまへりける。衛門の尉は、叙爵得て、三河の守になりにければ、衛門は、ただ七日がほど暇申して、率てくだりけるに、女君、旅の具、銀のかなまり一具、装束よりはじめて、くはしくなむして、くだしたまひける。そがもとにも、「かうかうのいそぎをなむする。絹少し」と召しに、走らせ遣はしたりければ、すなはち守は男君の御もとに百疋奉り、妻は北の方の御もとに茜に染めたる絹二十疋奉れり。舞すべき人の子どものことなど、召仰せなどしたまふ。御調度尽したまふ。金のみなむ多く入りたる。父おとど「など、かくしきりて猛はることはする」とも。物賜はすことあれば、「のちの齢いくばくもあらじ。生ける時、うれしとおぼえよ。ここなる子のことは、力なくとも、われせむ」と宣ひて、もろ心にいそぎたまふ。大将をいみじく愛しくしたまふ御心に入りたまふことなればなりけり。  十一月十一日になむ、したまひける。こたみは、わが御殿に皆にきいれて、迎へたてまつりたまひてなむ。くはしくは、うるさければ書かず。例の、人のただいといかめしう猛なりけるなりけり。  屏風の絵、ことども、いと多かれど書かず。しるしばかり、ただ端の枚一枚、     朝ぼらけ霞みて見ゆる吉野山春や夜のまに越えて来つらむ 二月、桜の散るを仰ぎて立てり。     桜花散るてふことは今年より忘れてにほへ千代のためしに 三月三日、桃の花咲きたるを、人折れり。     三千年になるてふ桃の花盛り折りてかさざむ君がたぐひに 四月。     ほととぎす待ちつる宵の忍びねはまどろまねどもおどろかれけり 五月、菖蒲葺く家に、ほととぎす鳴けり。     声立てて今日しも鳴くはほととぎすあやめ知るべきつまやなるらむ 六月、祓したり。     みそぎする川瀬の底の清ければ千とせのかげを映してぞ見る 七月七日、七夕祭れる家あり。     雲もなく空澄みわたる天の川今やひこぼし舟わらすらむ 八月、嵯峨野に所の衆ども前栽堀りに、     うちむれて掘るに嵯峨野のをみなへし露も心をおかでひかれよ 九月、白菊多く咲きたる家を見る。     時ならぬ雪とや人の思ふらむまがきに咲ける白菊の花 十月、もみぢいとおもしろきなかをゆくに、散りかかれば、仰ぎて立てり。     旅人のここに手向くるぬさなれや秋すぎて散る山のもみぢば 十一月、                  よろづよを経て君につかへむ 十二月、山に雪いと高く降れる家に、女ながめて居たり。     雪ふかく積もりてのちは山里にふりはへてくる人のなきかな 御杖の、     八十坂を越えよと伐れる枝なればつきてをのぼれ位山にも などなむありけり。  広くおもしろき池の、鏡のやうなるに、龍頭、楽人ども船に乗りて遊びゐたるは、いみじうおもしろし。上達部、殿上人は、居あまるまで多かり。右の大殿おはしたり。被け物なむ、数知らず入りたり。中宮よりも、大袿十襲、中納言殿より被け物十襲、さまざまに奉りたまへば、宮の御達、蔵人も、皆物見むとて、まかでぬ。中納言、たちまちに御心ちもやみて、までたし。日一日、遊び暮して、事果てて、夜更けて、まかでたまふに、物被けたまはぬなし。やむごとはきには御贈物添へて、したまへり。右の大殿、中納言殿に、いとかしこき馬二つ、世に名高き箏のこと、奉りたまふ。御前の人々に従ひて物被けたまふ。腰差えさせたまふ。越前の守、「このことばかりは、わが思ふやうにせよ」とて、当てたまひてければ、いとめやすくしたり。ニ三日ばかり、とどめたてまつりたまひて、渡したてまつりたまひける。女君、かくしたまふことを、いとうれしと思ひきこえたまふ。大将、いとかひありて思す。                  巻四  かくて、やうやう中納言重く悩みたまへば、大将殿、いとほしく思し嘆きて、修法などあまたせさせたまへば、中納言「何かは。今は思ふことも侍らねば、命惜しくもはべらず。わづらはしく何かは折りせさせたまふ」と申したまふ。弱るやうひなりたまへば、「なほ死ぬべきなめり。今しばし生きてあらばやと思ふは、わが年ごろ沈みて、昨日今日の若人どもに多く越えられて、なり劣りつるになむ、恥に思ひける。わが君のかばかり顧みたまふ御世に、命だにあらば、なりぬと思ひぬるに、また、かく死ぬれば、わが身の大納言になるまじき報にてこそありけれど、これのみぞ、あかずおぼゆること。さては、老い果ての面立たしさは、おのれにまさる人、世にあらじ」と宣ふを、大将聞きたまひて、あはれにおぼゆること限りなし。女君「やがて大納言をかな。一人なしたてまつりて、あかむことなしと思はせたてまつらむ」と宣ふを聞きたまひて、げに、させばや、と思せど、員よりほかの大納言になさむことは難し。人の、はた取るべきにあらず、わがを許さむの御心つきて、父おとどの御もとにまうでたまひて、「かくなむ思ひたまへるを、幼き者ども多く侍れど、それが徳を見すべく、行く末あるべきことにもあらぬ代りには、このことをなむ、そはべらむと思ひはべる。御けしき、よろしう定めさせたまへ」と申させたまふ。「何かは。さ思はむを、早うさるべきやうに奏を奉らせよ。大納言はなくても、あしくもあらじ」と、わが心なる世なればと思して宣へば、限りなく喜びたまひて、申したまひて、奏したてまつらせたまひて、中納言、大納言になりたまふ宣旨下したまひつ。これを聞きて、大納言、わづらふ心ちに、泣く泣く喜びたまふさま、親にかく喜ばれたまふに、功徳ならむと見ゆ。  喜びに起き立ちて願立てさす。「定業の命ものべたまへ」と、心にも願立てさするけにや、少しおこたりて、思ひ強りて起き居て、内裏へ参るべき日見せ、とかくせさすべきこと当て行ふとても、「わが子ども七人あれど、かく現世、後生うれしき目見せつるやありつる。かかりける仏を、少しにてもおろかなりけむは、わが身の不幸なる目を見むとてこそありけれ。子ニ三人、婿取りたれど、今にわれにかかりてこそはありつめれ。あまさへ憂き恥の限りこそ見せつれ。この殿は、塵ばかり仕うまつることのなけれど、御顧みをかくこよなく見る、かへりては、恥づかしき心ちして。われ死なば、代りには、をのこ子にもまれ、をんなにもまれ、君に仕うまつれ」と、いとさかしう言ひいます。かかれば、北の方、憎し、とく死ねかしと思ふ。  その日になりて、いと清げにさうぞきて、男君、女君一つ所におはするほどにて、拝みたてまつりたまへば、「いとかしこし」と聞えたまへば、「おのれは、おほやけもかしこくもおはしまさず。ただあが君のみこそ、うれすくかたじけなくおぼえたまへ。この世に仕うまつらで死ぬとも、大方守りともなりはべりて、など念じはべる」と申したまふ。それよりまかでたまひて、右の大殿に参りたまひて、また内裏に参りたまふ。人々に禄賜ふことも同じやうにて、猛なることどもなれば、書かず。  大納言は、その日より臥して、また重く苦しうしたまふ。「今は塵ばかり思ふことなければ、死なむ命も惜しからず」と言ひ臥したまへり。いと弱くなりたまふと聞きたまひて、大将殿の北の方、渡りたまへり。おとど、かたじけなくうれしと思ひたまへり。御むすめ五人つどひて仕うまつり嘆きたまふ。おとど、異御子どもの仕うまつりたまふは物とも思さず、大将殿の北の方、添ひおはするを、うれしと、いみじうめでたきことに思して、ものも参りたまふ。湯漬をなむ参りたまひける。  頼もしげなくなり果てたまひて、生ける時、処分してむ、子どもの心見るに、はらから思ひせず、女たちのなかにも疎々しくあめれば、論なう怨みごとども出で来なむとて、越前の守を御前に呼び据ゑて、所々の荘の券、帯など取り出でて、選らせたまふに、少しよろしきは、ただ大将殿の北の方にのみ奉りたまひて、「異子ども、これをうらやましとだに思ふべからず。同じやうに力入り、親に孝したるだに、少し人々しきになむ、よろしき物取らする。いはむや、ここらの年ごろ顧みるを、恩にやと思へ」と、いとさかしう宣ふを、君達は、ことわりと思したり。「この家も古りてこそあめれど、広うよろしき所なり」とて、大将殿の北の方に奉りたまへば、北の方、聞きて泣きぬ。「宣ふことどもは、さも宣ひぬべけれど、またいかがうらやみ聞えざらむ。年ごろ、若うより、あひ添ひたてまつりて、六七十になるまで見たてまつり頼みたてまつりつること、またなかりつる。子ども七人持たり。など、この家を、おのれに賜はらざらむ。子どもをこそ、『われに孝することなけりき』とて思し捨てめ、世の人の親は、もはら、さいはひなきをなむ、なからむ時いかにせむとは思ひなる。大将殿におきたてまつりては、この家は得たまはずとも、いとよくありなむ。男君もいと頼もしう、みつばよつばも設けたまひてむ。三条も、さばかり玉のやうに造りて奉りたり。いとよし、をのこにおきては。夫ある子どもは、はかばかしき家持たるも、なかめる。よし、それは、いひもていけば、とてもかくてもありなむ。おのが身、この二人の子どもは、『ここ立ちね』と懲ぜられむをりは、いづこにかあらむとするぞ。大路に立てとや。いと道理なく物な宣ひそ」と言ひ続けて泣けば、おとど「子どもも、思ひ捨つるにはあらねど、うるはしくこそは、せめてなくとも、よに大路にも立ちたまはじ。年ごろの位には子どもを見たまへたりとも、仕うまつりてむ。越前の守、わが代り取り添へて仕うまつれ。三条の家かは。本性、かの御領なり。大将殿もみたまふに、少しはかばかしき物、い奉らで死なば、いふかひなき者と思すべし。天下に宣ふとの領らぬ。ここは、い奉らじ。今日、明日とも知らぬ身を、な恨みたまひそ。物な言はせたまひそ。いと苦し」と宣へば、北の方、またうち出づれど、子ども集まりて、制して、また言いはせず。  大将殿の北の方、聞きたまひて、いとあはれに思して、「北の方の聞えたまふこと、いとことわりなり。ここには、ただ何もかも、な賜びそ。君達にあまねく奉らせたまへ。まして、ここに誰も誰も住みつきたまへるに、思はぬ方に侍らむ、いと見苦し。なほ、はや奉らせたまへ」と責め申したまへば、おとど「おのれは、え取らすまじ。おのれ死にはべらむ時、ともかくも心としたまへ」とて、さらに聞きたまはず。よき帯など、たまさかにありけるなども皆大将殿に奉りたまふ。越前の守など、げに少し物しと思へれど、親の御けしき得たまふ人の御ありさま、言ふべきにあらぬば、うちも出でず。あるべきことども、いとよくしたためて、大将殿の北の方、よろづにうれしく、御徳により面目ある目を見はべりつるを、返す返す申したまひて、「はかばかしからぬ女子どもの、いとあまた侍りつる、よくよく顧みたまへ」と申したまふ。「承りぬ。身の堪へむ限りは、いかで仕うまつらざらむ」と宣へば、「いとうれしきこと」と宣ふ。「むすめども、この御言に従へ。君を思ひたてまつれ」など、さかしく宣ふままに、いと弱くなりたまへば、誰も誰もいみじく思し嘆く。  つひに、七日に消え入りたまひぬ。十一月のことなりけり。いと惜しむ時にあらず、ことわりとは思しながら、御子ども、女、男、集まりて惜しみ泣きたまふさま、いとあはれなり。  大将殿は若君に添ひたまひて、わが御殿におはす。日々に、立ちながらおはしつつ泣きあはれがり、かつは後の御事、あるべきやうの御沙汰も、みづから入り居なむとしたまひけれど、父おとど「新しき帝の居たまひてほどなく、長々とあらむ暇は、いと悪しかるべし」と、せちに宣ふ。女君も「幼き人々、ここに迎へむは、物忌などするに、ゆゆしかし。籠め置きたらむに、殿さへおはせずは、いとうしろめたなし。な居たまひそ」と聞えたまひければ、わが御殿に、習はぬひとり住みにて、君達うちながめ、あそばして、さうざうしく思さる。かくとく亡せたまひぬるを見たまふにつけても、よくぞ思ふことを、いそぎてける、と思す。  かの殿には、御忌はき日とて、三日といふに、をさめてまつりたまふ。大将殿の御送りに、四位、五位、いと多くあゆみ続きたりける。「げに、宣ひしやうに、死にのさいはひ限りなし」と言ふ。  御忌のほどは、誰も誰も、君達、例ならぬ屋の短きに、移りたまひて、寝殿には、大徳達、いと多く籠れり。大将殿おはせぬ日なし。立ちながら対面したまひつつ、すべきやうなど聞えたまふ。女君の御服のいと濃きに、精進のけに少し青みたまへるが、あはれに見えたまへば、男君、うち泣きて、     涙川わがなみたさへ落ち添ひて君がたもとぞふちと見えける と宣はば、女、     袖朽たす涙の川の深ければふちの衣といふにぞありける など聞えたまひつつ、行き還りありきたまふほどに、三十日の御忌、果てぬれば、「今はかしこに渡りたまひね。子ども恋ひ聞ゆ」と宣へば、「今いくばくにもあらず。御四十九日果てて渡らむ」と宣へば、ここになむ夜はおはしける。  はかなくて御四十九日になりぬ。この殿にてなむ、しける。「こたみこそ果てのことなれば」とて、大将殿いといかめしうおきてたまひけり。子ども、われもわれもと、ほどほどに従ひて、したまひければ、いと猛にきらきらしき法事になむありける。  事果てて、大将殿「今は、いざたまへ。部屋にもぞ籠むる」と宣へば、「けしからず、今は、かけても、かかることな宣ひそ。忘れざりけると聞きたまはば、思ひつつむこと出で来なむかし。なき人の御代りには、よろしう思させにしがなとこそ思はめ」と宣へば、「さらなること。女君達にも、君こそは問ひたまはめ」と宣ふ。  越前の守、帰りたまふと聞きて、かの、おとどの「奉れ」とて処分し集めたまひし物ども、所々の荘の券、取り出でて持て参りて、「あやしうはべれども、昔人の言ひ置きたまひしかばなむ」とて奉りたまへば、大将殿、見たまひければ、帯三つ、一つはわが取らせしなり、今一つは、さすがにわろし、荘の券、ここの図となむありける。  大将殿「けしうはあらぬ所々をこそは領じたまひけれ。この家は、などか君達、北の方の御中には奉りたまはざりし。異所のあるか」と宣へば、女君「さもなし。ここは、かう久しう年ごろ住みたまはれば、得じ。北の方、に奉りてむとなむ思ふ」と宣へば、男君「いとよきこと。これは、君得たまはずとも、おのれあれば、おはしなむ。皆、怨みの心ふぉもあらむ」と、うち語らひたまひて、越前の守近う呼び寄せて、「そこに、そのことどもは知らむ。など、いとここがちには見ゆるぞ。豪家とわづらはしがりてあるか」と、うち笑ひたまへば、守「さらに、さも侍らず。もと、物したまひし時、皆、しおき、預けたてまるなり」と申せば、「さかしうも、そたまひけるかな。『ここに誰も誰も住みつきたまふめるを、何しにかは』と、ここに宣ふめればなむ。北の方、領りたまふべし。この帯二つは、衛門の佐と、そこにと、一つづつ。美濃なる所の券と帯一つ、とどめつる。むげに、さ、し置きたまひけむ御心ばへの、かひなきやうなれば」となむ宣へば、越前の守「いと不便なること。みづからし置きはべらぬことなりとも、殿になむ。しろしめすべし。いはむや、さらに『わが、かく、し置く』など言ひ置きはべるにし違ひては。誰も誰も皆少しづつ分かたれはべるめるものを」とて取らせねば、大将「あやしくも言ふかな。みづからの心、ひがざまひし置かばこそあらめ。かく見たまへば、ここに得たまふ、同じこと。この君は、おのれあらむ限りは、さてものしたまひてむ。うち続き、幼き人々あれば、頼もし。かうて、はやう四の君なむ、思ふ人少なきやうに物したまふなるを、おのれ一向に領りきこえむと思ふ。その君達の得たまはむに添へられよ。今ニ所には、御夫たちになむつけて仕うまつるべき」と宣へば、越前の守、かしこまり喜ぶ。「まづ、かくなむと物しはべらむ」とて立てば、「もし返しなどしたまへむ、取りて物したまふな。むつかし、同じことをのみ言へば」と宣ふ。「帯は、なほ、かくて、人に賜はせ、つかはせたまはむ」と申したまへば、「今用ならむをりは物せむ。うとき人達にしあらねば」とて、しひて取らせたまふ。  守、北の方、君達に、「かうかうなむ宣へる」と言へば、北の方、この家は、いと惜しかりつるに、いとうれしく宣へば、なほ、われはと領じ代へらるると見ると思ふに、いとねたければ、「落窪の君の、かくしたまふか。いで、あはうれしのことや」と言ふに、越前の守、ただ腹立ちに腹立ちて、爪弾きをして、「うつし心にはおなせぬか。さきざきは、いとほしく恥をか見、懲ぜられたまひし。ひきかへて、かくねむごろに顧みたまふ御徳をだに、かつ見で、かく宣ふ。まして昔、いかなるさまに。人聞きも、わが身も、物ぐるほしや、落窪、何くぼと宣ふ」と言へば、北の方「何ばかりの徳か、われは見はべる。おとどは父なれば、せしにこそあめれ。取りはづして落窪と言ひたらむ、何かひがみたらむ」と言へば、越前の守「あはれの御心や。物思ひ知りたまはぬじぞかし。徳は見ずと。御心にこそ、さしあたりて、見ずと思すらめ、大夫、左衛門の佐になりたるは、誰がしたまふにか。影純はこの殿の家司になりて加階せしは、誰がせしぞ。今にても見たまへ。また、をのこも人々しくならむことは、ただこの御徳。まづは家も賜はぬに、この家領じたまはましかば、いづこに引き続きておはせまし。まづただ思し合はせよ。目の前なることどもを見れば、うれしくあはれにおぼえたまはずやある。影純らも、国を治めて、徳なきにしあらねど、妻をまづ思ふとて、え奉らず。今にてもえ奉るまじきは、子、志の薄きぞかし。おのが生みたらむ子どもだに、かくおろかにて、仕うまつらぬ。御身は、かくあはれなる御心ばへを、泣く泣くこそ喜びきこえたまはめ」と、とにかくに言ひ知らすれば、げにと思ひて、いらへせず。  「御返り、いかが聞えむ」と言へば、「いさ、物言へば、ひごみたりと、かしがましう言へば、聞きひくし。よきこと知り、物の心知りたらむ人、推しはかりて申せかし」と言へば、守「人のために申すにもあらず、御身のためのことなり。三、四の君、御前をも、『いかに仕うまつらむ』と大将殿の宣へば、北の方の御心に従ひたまふにこそ。一つはらからの御心だに、かくやはある」とあめれば、「かくこの御方の宣ふこと。まろは、いかに。心憂し。わが得たらむ丹波の荘は、年に米一斗だに出で来べきはらず。今一つは越中にて、たはやすく物もはかるべきにあらず。弁の殿の得たまへるは、三百石の物出で来なり。かく遠くあしきは、影純が選り、くれたるなり」と、いみじくさいなみけれど、誰も誰も、おとどのし置きたまひしを皆見たまひて、「かくやは宣ふべき。ただこれにて思せ。隔てなく、かたみに顧みるべき人だに、かかる心を持たまへる」と言へば、北の方「あはかしがまし。いたくな言ひ沈めそ。誰も誰も皆貧しければ、言ふにこそあらめ」と言ふほどに、左衛門の佐の来あひて、心にもあらずおぼえ、「身貧しけれど、よき人は、方異に、操に、をかしうぞある。まづ、北の方の、ここにおはせしほどは、聞いたてまつりたまへしが、いささか、宣へること聞えざりきかし。かく心苦しき御物言ひも、あはれに従ひて、『心やはらまなり』とこそは、みそかに宣ふめりしか」と宣へば、北の方「いかで、われ死なむ。憎き、あしき者に宣へば、罪もあらむ」と宣ふに、「あなかしこ。よしよし、聞えさせじ」とて、二人ながら、かい続きて立てば、さすがに、「やや、この御返事申せ」と招きたまへば、聞き入れぬやうにて、往ぬ。  左衛門の佐「などかく悪しき親を持ちたてまつりけむ。いかで御心善うなるべからむと折りごとは、もろともに言ひ合はせて、大将殿へ聞いたまふ。「かしこまりて承りぬ。ここにも、今は一人をなむ頼もしきものには思ふきこえせすべき。賜はせたる所々の券は、若き人々、昔人の御本意たがはむは、いかでかと、つつみはべるを、御志のかひなきやうにやはとて、ここになむ賜はりとどめつる。この殿の御事は、いと心ばへ深う奉らるめりし所を、あだに物せさせたまはば物しくや、亡き御影にも、と、いとほしくはべるを、券なほ置かせたまひね」とて返したてまつる。  この券を、この越前の守、取りて立ちければ、北の方、返したちまつるにやあらむと、いとあやしくて、「それは、など持ていく。さ宣へらむものを。持て来、持て来」と呼び返しければ、あなものぐるほし、大事の物を、おろかにも言ふかなと聞きけり。  大将殿の聞きたまひて、「よそ人のもとへいかばこそ、物しとも思ひたまはめ、北の方の御世の限りはおはして、ほちには、三、四の君に奉りたまはば、同じこと。はや置きたまへれ」とて、皆渡りたまひぬ。女君は、「今またも参り来む。かしこにも渡りたまへ。故殿の御代りには、君達、北の方をこそは見たてまつり仕うまつらめ。何事もおぼつけなからず宣へ。隔てなく思したらむをのみなむ、うれしかるべき」など、あはれに語らひ置きたまひてなむ、おはしにける。  おとどのおはせし時よりも、をかしき物は日ごとに怠らず君達に、まめなる物は北の方にと、夜中、暁にも運びたてまつりたまへば、北の方、げに、わが子ども、男女あれど、男子は、すずろなるに、わがため、たらからのため、する、いとありがたしと、やうやう思ひなるほどに、年返りぬ。  司召に、左大臣殿、太政大臣に、大将、左大臣になりたまひぬ。次々の御弟も、なりあがりたまへど、一所の御上を書き出だす、あいなければ、書かず。左大臣殿の北の方の御さいはひを、人々も、はらからたちも、めでたううらやむ。  中の君の御夫の左少弁、身いと貧しとて、受領望まむ、北の方につきて申しければ、美濃に、いたはりなしたまひつ。越前の守、今年なむ代りければ、国のこと、いとよくなしたりければ、引き立てよく、やがて播磨になしつ。衛門の佐は少将になりぬ。誰も誰もこの御徳にと、集まりて、北の方に喜び聞かせ、「これやは御徳見たまはぬ。今よりは、なほ口にまかせて物な宣ひそ」と言へば、「げに、ことわり」と言ひてけり。「このたびの司召は、この御族の喜びなりけり」と、人、世に言ふ。  かく心にまかせてしたまへば、父おとどの、せむと思すことも、まづ、この殿に宣ひ合はするを、「あしかりなむ、なしたまひそ」とあることは、せまほしと思しながら、えしたまはず。わが御心に否と思すことも、この殿、ニたび三たびと、しきりて申したまふことは、え聞きたまはであらねば、司召したまふにも、数ならぬも、この殿の御徳にてぞ事なりける。帝の御伯父にて、限りなく思したる、御身は、左大臣ばかりにて、御才は限りなくかしこく、おしはりて宣はむことを、言ひかはすべき上達部も、おはせず。父おとど、はた、同じ御子といへば、せめて愛しきあまりひ、かたじけなく、恐ろしきものに思したり。なかなか御子なむ、親の心ばへには見えける。世の人も、かく知りて、「大殿よりは左大臣殿にこそ仕うまつらめ。それをぞ大殿も、よしと思したる」とて、少し物にそみたるは、参り仕うまつらぬ、なければ、皆花やかに出で入りたまふ。  左の大殿の北の方、馬のはなむけ、さまざま、いかめしうしたまふ。殿人なるうちに、この用意限りなし。馬、鞍、調じ具して賜ひ、「かく、くはしくすることは、ここに宣ふことあればなり。かく、くだりて、あかぬことなく、よく仕うまつれ。おろかなりと聞かば、さらかへりて、見じ」と宣ふ。かしこまり、うれしくて、めでたき女かたなりと思ひて、かうかうなむ宣ふなりと、まかでて語る。「『よく仕うまつれ』と申したまへば、御徳にかかりたる身にこそあれ」と言へば、中の君も、いとうれしと思したり。  「今は、いかで三、四の君によき人あはせむと、人知れず見るに、さるべき人のなきこそ、くちをしけれ」と宣ひわたる。北の方、三、四の君に、夏冬の御衣、御物など、ゆたかに、故殿の生きて奉りたまひしにもまさりて、いとゆたかに、位のまさるままに、よろづを領りたまふ。心もとなきことなし。  御子生み、御袴着たまふことどもも、暇なくて書かず。はじめの男君、十にて、いと大きにおはすれば、春宮の殿上せさせたまふ。書を読み、聡く、らうらうじく、心がらもいと賢ければ、若うおはしける帝におはしませば、遊びがたきに召し使ひ、をかしきものに思して、「われも内裏に、いかで参らむ」と申すたまへば、おとど、うつくしがりて、「などか今まで言はざりつる」とて、にはかに殿上せさせたまへば、父おとど「いと幼くはべるものを」と申したまへど、「何か。その太郎にはまさりて賢くなむある。弟まさりなり」と宣へば、父おとど笑ひたまひぬ。内裏に参りて奏したまふ、「これなむ、翁の限りなく愛しとおぼえはべる。思し召して顧みせさせたまへ。兄の童に思し増せ。司を得さすとも、兄にまさらむ」と、「すべて、この子を太郎にはせさせたまへ」と常に宣ひて、御名も弟太郎となむ、つけたまへりける。この御妹の女君は八つにて、いみじうをかしげになむ、おはしければ、今より二つなくかしづきたまふ。その御妹も六つ、男子四つにてなむ、おはしける。また、このころ、生みたまふべし。かかるままに、おろかならず思ひきこえたまへる、ことわりなり。  太政大臣殿、今年なむ六十になりたまひければ、左の大殿、賀のこと仕うまつりたまふ。事の作法、いとめでたし。ただ思ひやるべし。舞は、このニ所、せさせたてまつりたまふ。劣らずをかしく、ニ所ながら舞ひたまひければ、祖父おとど涙を落してなむ見たてまつりたまひける。かく、奉るべきことは、すごさず、いかめしうしたまへど、御徳は、いやまさりなり。  はかなくて月日過ぎて、女君、服ぬぎたまふ。いづれもいづれも、子ども、あひ栄ゆるほどにて、御果てのことなど、し尽したまひけり。継母、かく子どもの喜びをしけるを、御徳と喜びければ、いとうれしとなむ思しける。  左のおとど、いかでこの君達によき婿取りせむと思して、見るに、さるべきがなきと思しわたるほどに、おほやけの選びにて、中納言の、筑紫の帥にてくだるが、にはかに妻うせたりけるを、聞きたまひて、人がらもいとよき人なりと思しきざして、内裏に参りたりたるにも、心とどめて語らひたまひて、さるべきをりに、このことのすぢを、ほのめかしたまひければ、「よきことに侍るなり」と申し契りてけり。左の大殿、北の方に申したまふ、「しかじかの人をなむ、言ひ契りたる。上達部にもあり、人がらもいとよしとなむ思ふ。三の君にやあはすべき、四の君ひやあはすべき。いづれにか」と宣へば、北の方、「いざ、御心に定めたまへ。まろは四の君にとなむ思ふ。いとほしきことありしかば、思ひも直したまふばかり」と宣へば、「このつごもりにくだりぬべかなり。疾くしてむ。北の方に、さ宣へ。よろしう思ひたらば、ここにてあはせむ」と宣へば、「文にては、いかが長々とも書かむ。みづから渡らむとすれば、所せし」、「少将、播磨の守などにくはしく宣へ」など聞えたまふ。  つとめて、少将を北の方呼びたまひて、みそかに宣ふ、「みづから渡りて聞えむと思へども、見さしたることありてなむ。かうかうのことを宣ふ、いかなるべきことにかあらむ。『心にくくはあれど、ひとりある女には、思ひのほかなることもあり。この人、いとよき人なめり。誰も誰もよろしと思ひたまへることならば、ここに迎はたてまつりて、ともかくもせむ』となむ宣ふめる」と宣へば、少将「いともかしこき仰せにこそ侍るなれ。悪しきことにても、殿のしか宣はせむは、否び聞えさすべきにもあらず。まして、いとめでたきことにこそ侍るなれ。かくなむと物しはべらむ」とて、親の御もとに行きて、「しかじかなむ宣ふ。いみじうよきことなり。いかなる人なりとも、ただ今の時の大臣ばかりの、御むすめのやうにて宣ひあはせむを、おろかには思はじ。面白の駒に、いふかひなく笑はれ、そしられたまひしも、これにて恥隠したまへと、しか思しけるなめり。年は四十余ひなむある。故おとどおはして、はじめてしたまふとも、かばかりのも、えしたまはじ。親にまさりて、あはれに、とざまかうざまに、いたくよろしうなさむと思したる、限りなくうれしきこと。はやう四の君、かの殿に参らせたまへ」と宣へば、北の方「われなからむあとに、かくてのみあるを、うしろめたなし、ただの受領のよからむをがなとこそ思ひつるに、まして上達部にもあなり。いといとうれしきことななり。かくこまかに後見る、あはれなること。女君よりは殿こそ御心ばへあはれなれ」と言へば、「殿も北の方をいみじう思ひこきえたまふあまりの、まろまでは来るぞと聞きえはべる時もあり。『まろを思さば、この腹の君達を、男も女も、思ほせ』とこそ申したまへ。いみじきさいはひおはしける。数はらぬ影政らだに、女は見まほしくなむあるを、この殿は、すべて北の方よりほかに女はなしと思したり。内裏に参りたまひても、后の宮の女房たち、清げなるに、ただぶれに目見入れたまはず。夜中にも暁にも、かきただりてぞまかでたまふ。女の、夫に思はれたまふためしには、この北の方を、したてまつるべし」など言ひて、「いかが宣ふと正身に聞かせたてまつりたまへ」と宣へば、「四の君、渡りたまへ」と呼べば、おはしたり。  北の方「かうかうのことなむ、かの大納言の宣ふなるを、をこに人の思ほしたりし御身を、いともよきこととなむ、うれしく思ふを、いかが思す」と宣へば、四の君、面赤めて、「いとよきことに侍るなれど、かかる身を知らぬさまにや。なでふさることか侍るべき。人の思せむも、かつは、かの殿の御恥ならむ。いと見苦しからむ。心憂き身なれば、尼になりなむと思へど、おはせむ限りは、例のかなみに見えたてまつるをだに、仕うまつるに思うたまへてなむ、今までだに侍る」とて泣きたまひぬれば、思ひ知りたまへりけりと、あはれに、うち涙ぐみてゐたり。北の方「あなまがまがし。なでふ尼にかなりたまふべき。しばしにても、なほ花やかなる目見たまはむぞ、人も、『かくありけり』と思ふべき。おのが言に従ひたまふと思ひて、このことしたまへ」と宣ふ。少将「御返りは、いかが申さむ」と言へば、「この君は、かくなむ宣へど、ここになむ、いとうれしきことと。ただ、ともかくも御心して思さむ方にしなしたまへ」と宣へば、「を」とて立ちぬ。  殿に参りて、しかじかなむ、ありつることを申したまへば、北の方、四の君、宣ひけることを、あはれがりて、「さも思すべきことなれど、世にある人は、かかるたぐひ多かなり、と思しなすべく」と宣ふ。殿、聞きたまひて、「北の方だに、さ宣はば、正身、ものしと思すとも、ただしてむ。いとよき人なり。この月、つごもりにくだるべし。『同じくは疾く』と宣ひき。はや四の君、ここに渡したまへ」と少将に宣へば、暦取りにやりて見たまふに、この七日いとよかりけり。何事にかさはらむ、人々の装束は、ここにし置かれたらむ設けの物して、西の対にてせむ、と思ほして、西の対しつらはれたまふ。「四の君、はや渡りたまへ」と聞えたまへば、「はやはや」と急がしたまへど、本意なきことなれば、いとうたて物憂くおぼえて、「今、今」と言ひて、さらに思ひも立たねば、「このことならずとも、『渡りたまへ』と、あはれもあらむは、あほすまじくやあらむ。あなひがひがし」と言ひて、渡したてまつりつ。  おとな二人、童一人、御供にはありける。御むすめは十一にて、いとをかしげなり。いかめほしと思ひたるを、見苦しからむとて、とどむるを、いと悲しく、うち泣くかれぬ。  左の大殿、待ち受けたまひて、対面したまひて、あるべきことども申したまへど、なかなか、はじめよりも、はしたなく恥づかしうおぼえて、御いらへも、をさをさ聞えたまはず。この北の方の三つが妹にて、二十五になむおはしける。面白の駒は、十四にて婿取りて、十五にて子生みたまへりける。この北の方は二十八になむおはしける。  三四日になりて、西の対に、われもろともに渡りたまひぬ。御供の人人、萎えたる、御装束一具づつ賜ふ。人ずくななりとて、わが御人、童一人、大人三人、下仕二人と、渡したまふ。装束ども、しつらひたる儀式、いとめやすし。母北の方、異はらからたち、ただここになむ来ける。暮れゆくままに、出で入り、いそぎたまふ。せうとの少将、かたじけなくうれしと思ふ。  夜うち更けて、帥いましける。少将、しるべして導き入れつ。四の君、人も、いふかひなくもあらず、この殿も、かく居立ちて、したまへば、かなふまじかりけると思ひなしてなむ、出でたまひける。手あたり、けはひなどのかしげなれば、うれしと思ひけり。聞いたまひけむことは、聞かねば、書かず。明けぬれば、出でたまひぬ。  北の方、いかに思ふらむと、泣きたまへば、「文たびたびやらねど、心長きたぐひなむある。よもおろかに思はじ。かたげに心あはぬけしきしたるぞ、賢くもあらぬことぞ。まづ君を例の懸想のやうにやはわび焦られきこえし。思ひ出でて時々聞えしかど、見そめたてまつりし後なむ、まほざりにてやみなましかばと悔しかりし。さおぼゆるぞをかしき」など語らひたまひて、ニ所ながら、起きて、こなたにこなたにおはしぬ。  四の君、まだ帳の内に寝たまへり。北の方「起きたまへ」と起したまふほどに、その文、持て来たり。男君、取りたまひて、「まづ見はべらまほしけれど、隠さむと思すことも書きたらむ、とてなむ。後には必ず、見せたまへ」とて、几帳の内にさし入れたまへば、北の方、取りて奉れたまへど、手ふとしも取りたまはず。「さは、読みきこえむ」とて引きあけたまふ。四の君、かのはじめの面白が書き出だしたりし文を思ふに、また、さもやあらむ、と胸つぶれて思ふに、読みたまふを聞けば、     「あふことのありその浜のまさごをばけふ君思ふ数にこそ取れ いつのまに恋の」となむありける。「御返り、はや聞えたまへ」とあれど、いらへもしたまはず。おとど「その文しばし」と、せめて宣へば、「何のゆかしう思すらむ」とて、またさし入れたまふ。「はやはや」と、硯、紙、具して、せめたまふ。四の君、返りごとも、この殿見たまひつべかなりと、いと恥づかしくして、えとみに書きたまはず。「あな見苦し。はやはや」と宣へば、物もおぼえで書く。     われならぬこひの藻おほみありそうみの浜のまさごは取りつきにけむ とて、引き結びて、出だしたまへれば、おとど「あなゆかしのわざや、今日の返りごとは。見でやみぬるこそ、くちをしけれ」と、言ひ居たまへるさま、いとをかし。使に物被げさせたまふ。  帥は、このニ十八日になむ、船に乗るべき日、取りたりければ、出で立ち、さらにいと近し。  かくて左の大殿には、三日の夜のこと、今始めたるやうに設けたまへり。「人は、ただかしづきいたはるになむ、夫の志も、かかるものをと、いとほしきこと添はりて思ひなる。こまかにと口入れたまへ。ここにて事始めしたることなれば、おろかならむ、いとほし」と宣へば、女君、昔われを見はじめたまひしこと、思ひ出でられて、「いかに思ほしけむ。あこきは、心憂き目は見聞かじと思ほえて。いかに、まろ見はじめたまひしをり、はじめて、やむごろなくのみ思ほしまさりけむ」と宣へば、殿、いとよくほほゑみ、「さて、そらごとぞ」と宣ひて、近う寄りて、「かの『落窪』と、言ひ立てられて、さいなまれたまひし夜こそ、いみじき志は、まさりしか。その夜、思ひ臥したりし本意の、皆かなひたるかな。これが当に、いみじう懲じ伏せて、のちには喜びまどふばかり顧みばや、となむ思ひしかば、四の君のことも、かくするぞ。北の方は、うれしと思ひたりや。影純などは思ひ知りためり」など宣へば、女君「かしこにも、うれしと宣ふ時、多かめり」と宣ふ。  暮れぬれば、帥いましぬ。御供の人々に物被けさせたまふ。饗などせさせたまふ。  四日よりは、日たけつつなむ出でける。ものものしく清げにめやすし。面白の駒と一つ口に言ふべきにあらず。帥の言ふ、「まかりくだるべきほどいと近し。したたむべきことどもの、いと多かるを、人もなし、渡りたまひね。また、すだらむと言はむ人召し集めて、はや思ひし立て。日なただ十余日になむある」と宣へば、女君、「遠かなる所に、頼もしき人々を置きたてまつりては、いかで」と宣へば、帥「さは、ひとりんまかりくだれとや。ただかく一ニ日見たまひてやみたまひなむとや思しし」と、うち笑ひたまふさま、いとやすらかなり。女君を、帥、」かたちはをかしげなめり、心いかがあらむと、あかず思ひけれど、かかるやむごとなき人の、わざとしたまへるに、今日明日くだるべきに捨つべきにあらず、と思ひて、「もろ心に何事もしたまへ」とて、にはかに迎ふれば、「けしうはあらぬ婿取り。いととう迎ふるは」と笑ひたまひて、御送り、さるべき人人、むつましき、御前には指したまへり。車三つして渡りたまひぬ。殿よりありける御達「今は何しにか参らむ」など言ひければ、北の方「なほ参れ」と、強ひてやりたまひつ。われ添ひて歩きたまへば、もとの御達「いつしかとも代り居たまふかな」「御心いかならむ。君達の御ため悪しう、いみじうものあるべきかな」「ただ今の時の人の御族とて、おしたちてあらむかし」など、おのがどち、言ひあへり。はじめの腹とて、太郎は権のかみ、二郎は蔵人より叙爵賜はりてある、このごろ死にたる腹の女子十、ニつになる男子なむありける。これニ人をなむ、父かなしくすとはおろかなり。  権のかみも式部の大夫も、送りせむとて、暇、おはやけに申して、皆くだる。帥、被け物どもしたまへば、人々の装束にとて、絹二百疋、染草ども、皆あづけたまひたれば、四の君、そうそうと並びて、取り触れむ方なし。  しやらむやうもおぼえで、母北の方に言ひやる。「かうかうの物どもせよとて、絹どもあめれど、いかがはしはべらむ。殿より侍る人々も若うのみありて、言ひあはすべき人もなし。いと恋しくおぼえさせたまふ、幼き人も見まほしくおぼえはべるを、忍びて渡りたまへ」と言ひやりければ、北の方、少将を呼びて「かくなむ言ひたる。夜さり忍びて渡らむ。車しばし」と宣へば、「忍びてと思すとも、人はまさに知らじや。また、旅だたるに、きらきらしき児持たまへる、子引きさげてゐたらむ、いと見苦しからむ。うせにける妻の子たちとて、十ばかりなるを、帥は呼び出でて使ひたまふめれば、いとあはれなめり。わが左の大殿の上に申したまひて、よかなりと宣はば、渡りたまへ」と言へば、北の方、いとあらはず思ひて、「あの殿の許しなくは、親子のおもても見で、くだしてむとするか」。ただにそみにひそみたまひて、「なにごとも、この殿おはせむ限りは、えやすくすまじかめり。われこそ人をば従へしか、人に従ふ身となりにたる、悲しきこと。また、わが言ふこと、同じ心にいらへたる子こそなけれ」と宣へば、少将、例の、御腹立ちたまひぬと見て、「何しにかは。言ひあはせたまふ、便はければ、しか申しはべるに、かくさいなむなむ、いと苦しき」とて立ちぬ。うれしとよ昼喜べど、腹だに立ちぬれば、なほ、癖にて、かくなむありける。  少将、左の大殿に参りて、北の方に、「かうかうなむ侍りつる」。そのことは言はで、「恋しく見まほしくしたまふ」と語れば、北の方「ことわりにこそはあめれ。はや渡したてまつりたまへかし」、少将「帥も、渡れとも思ひたまはざらむに、ふと物したまひなむ、便なかるべき」と言へば、北の方「それもさるべきこと。さらば御みづからおはして、帥の聞かむ折に、御消息とて『いと恋しくなむおぼえたまふを、あからさまにもまれ、渡りたまへ。遠くおはすべきほども、いと残り少なうなりにたれば、いとあはれに心ぼそうなむ。これよりまれ、出で立ちたまへ、京におはせむ限りは見たてまつらむ』と宣ふと聞えたまはむにつけて、そこに、おのづからけしき見えなむ。それに従ひて、渡りも迎へもしたまへ。そのちひさき君は、その子とは、な知らせさせたまひそ。御供にて率てくだりたまふとも、『ひとりおはせむが心ばそきに』とて、北の方の添へたてまつらせたまふにてありなむ」と宣へば、少将、いと思ふやうに、思ひやりあり、めでたくぞ宣ふ、うれしうあらまほしき御心かな、わが親の、非道に、ただ腹立ちたまふこそ、物言ふかひなけれ、と思ひて、「いとよく宣はせたり。さらば、しか物しはべらむ」とて、殿へいくも苦しけれど、恋しと思ひたまふにこそあらめ、と思ひて。  女君も同じ所におはす。「いかで物聞えさせむ」と言へば、帥、「ここにて聞えたまはむに」と、「あへぬべきことならば、とく入りて聞えたまへ」と言へば、少将入りて、「しかじかなむ」と言へば、女君「げに、いかで対面せむ。ここにも、いと恋しくなむおぼえたまへば、いかで参り来むとなむ、昨日聞えたりし」と宣ふ。帥「かしこへ渡りたまはむ、ニ所通ひせむほどに、物しく、おのがためになむ悪しかるべきを、かたじけなくとも、ここに渡らせたまへかし。人待らばこそつつましくも思さめ、幼き人ばかりなむ。それを、便なかるべくは、離れたる方に置きはべりなむ。京に物したまふべきほどは、げに今日、明日ばかりなり。対面はくては、いかでかは」と宣へば、定めしもしるく、「そのことをなむ、かしこにも、いといみじく嘆かるめる」と言へば、帥「はやよろしう定めて、こなたに渡したてまつりたまへ。そち参りたまはむことは、なほ悪しくなむある」と言へば、少将「さらば、かくなむ物しはべらむ」とて立てば、四の君「かならずかならず、よくそそのかしたまへ」と宣へば、「承りぬ」とて出でぬ。  母北の方の御もとに来て、腹立たせたまへる恐ろしさに、ありつるやうに、かうかう、左の大殿の上宣へること、しかじか、と言ひて、「はかなきことなれど、人に劣るまじく、故あり、かしこくこそ宣ひしか。心さいはひあるものなりける」と言ふ。北の方、行くべきことを限りなく喜びて、「げにげに。よくも思ほし寄りけるかな。三の君も、いざ給へ。夜さりにてもと思ふ」と宣へば、「いとにはかならむ。明日などやよろしうはべらむ」と言ふ。  明けぬれば、渡らむのいそぎしたまふ。すくよかなる衣のなきぞ、いといとほしき。「隠しの方にやあらむ」と宣ふ。左の大殿、渡りたまふと聞きて、御衣などは、あざやかにもあらじ、と思し寄りて、いと清げにし置きたる御衣一具、また、姫君の御料なる一領、「ちひさき人に着せたてまつりたまへ。旅には、あらななることもあるものぞ」とて奉りたまふ。北の方喜ぶこと、さすが限りなし。「人は、生みたる子よりも、継子の徳をこそ見けれ。わが子七人あれど、かくこまかに心しらひ顧みるやはある。物のはじめにし、この子のなりの萎えたりつるを思ひつるに、限りなくもうれしくもあるかな」と、例よりも心ゆき喜ぶも、帥殿へ行けと計らひたるが、限りなくうれしきなりけり。  暮れぬれば、車二つして渡りたまひぬ。四の君、いとうれしと思ひて、日ごろのありさま語り、むすめは、このごろのほどに、いと大きに、をかしうさうぞきて居れば、まづかき撫でて、いと愛しとおぼゆ。「これを、いかにして率てくだらましと思ひなむ乱れはべる。まろが子と知られむ、恥づかしきこと」と言へば、北の方「左の大殿の上は、しかじか宣ひける。いとよきことなり。まろが着たる物、かの殿より賜はる」と言へば、「かくいみじく宣ひ思しける人を、などて、昔おろかに思ひ聞えけむ。まろが上をなむ、なかなか親たちにまさりて。殿の御ごきをなむ一具賜へる。人々の装束、几帳、屏風よりはじめて、ただ思しやれ。これ、かくしたまはざらましかば、ここの御達も、いかが見ましとなむ、うれしき」と言へば、北の方「いやいや継子の徳をなむ見る。さ知りたまへれ。このあんなる子ども、ゆめゆめ憎みたまふな。おのが子どもよりも、愛しうしたまへ。おのれは、昔憎mざらましかば、しばしにても恥を見、痛き目は見ざらまし」と宣へば、四の君「まことに、ことわり」と言ふ。  母北の方見るに、帥は、いとものものしく、」ありさまもうよければ、「さ言へども、やむごとなき人のしたまへることは、こよあかりけり」と喜ぶ。  かくて、いといそがし。今参りども、日にニ三人参りぬ。いと花やかなり。少将、これを見るにも、左の大殿をいみじう思ふ。播磨の守は、国にて、え知らざりければ、人をなむやりける。「左の大殿の北の方、この君ひ、かうかうのことしいでたまへり。この月のニ十八日になむ船に乗りたまふ。その国に着きたまはむ、あるじ設けたまへ」と言ひたれば、守喜び思ふこと限りなし。一つ腹のわれだに婿取りせむとは思ひ寄らざりつるを、この君は、なほわれらを助けたまはむとて仏神のしたまふ、と思ふ。国の守りののしりて、人々着くべき設けしたまふ。この守、母にも似で、よくなつきける。  左の大殿より渡りし御達「今は帰りなむ」と申したれば、「京におはせむ限りは、仕うまつり果てよ。また、くだらむと思はむ人は、参りみせよ」と言はせたまへれば、「これもいといと苦しきことはあるまじかめれど、しばしのほども見るに、わが君に似たてまつるべくあらざめり、はじめより見たてまつりそめてくだりなむは、いかがせむ、同じほどの殿にだに御心よからむ方にこそ仕うまつらめ、いはむや、さらにこよなや、よろづのこと、浄土の心ちあするわが殿をうち捨ててまからむこそ、物ぐるほしけれ」と下仕まで思ひて、ひとりも、くだらず。大人三十人、童四人、下仕四人なむ、率てくだる数に定めたりつる。  日の近うなるままひ、はらからたち皆渡り集まりたまひて、今は別れ惜しみ、あはれなることを宣ふ。人々参り集まりて、「さうぞき花めきたるを見れば、大殿にうち次ぎたてまつりては、この君ぞ、さいはひおはしましける」と言へば、「これも誰がしたてまつる。その御さいはひのゆかりぞかし」と口々に言ひあへり。  あさてくだりたまふとて「左の大殿に対面したてまつりでは、いかでか」とて、参りたまふ。車の多からむ、所せしとて、三つばかりしてなむ、帥、渡しける。北の方、対面して、聞えたまへることどもは、書かず、思ひやるべし。誰も誰も、御供にくだる人々に、北の方、いとよくしたる扇二十、貝すりたる櫛、蒔絵の箱に白粉入れて、ここの人の語らにけるして、「形見に見たまへ」とて取らす。御達も、いと思ふやうに心ばせありて人に思はるると、うれしくもおぼゆる、人もめでたういみじと思ひて、おのおの語らひ契りて、帰りて、「この殿をよしと思へれど、かの殿を見つれば、儀式よりはじめて、けはひ異に見はべるに、心こそ移りぬれ。あはせ仕うまつらばや」と、忍びつつ言ひあへり。  つとめて、御文あり。「昨夜は、ほど経む年の積りを取り添へて聞えむと思ひたまへしを、夜短き心ちして。はかなき身を知らぬこそ、あはれに思ひたまふれ はるばると峰の白雲たちのきてまた帰りあはむほどのはるけさ まことに、道のほど見たまへ」とて、蒔絵の御衣櫃一よろひに、片つ方には被け物一襲に袴具しつつ、今片つ方には、正身の御装束三領、色々の織物うち重なりたり。上には、唐櫃の大きさに満ちたる幣袋、中に扇百入れて、うち覆ひたまへり。また、小さき衣箱一よろひあり。この御むすめにおこせたまへるなるべし。片つ方には、御装束一具、片つ方には、黄金の箱に白粉入れて据ゑ、小さき御櫛の箱入れたり。くはしく書くべけれど、むつかし。姫君の御文には、「今日のみと聞きはべれば、『何心ちせむ』となむ。 惜しめどもしひてゆくだにあるものをわが心さへなどかおくれぬ」 とあり。  帥見て、「いと多くの物どもなりや。いとかくしも賜はでありなむものぞ」と言ふ。御使どもに物被く。四の君「さらに聞えさせむ方はくて。 白雲の立つ空もなくかなしきはわかれゆくべき方もおぼえず 賜はせたる物どもを、人々見るもうれしく、いみじうもの騒がしうて」となむある。むすめの君の御返り、「これよりも、近きほどにだに聞えさせむと思ひたまふるほどになむ。おくれぬものは、ここにも。 身をわけて君にし添ふるものならばゆくもとまるも思はざらまし」 となむありける。  北の方の、こよひの返りをなむ見て、母北の方、泣くとなおろかなり。かなしうするめになむありける。「七十にわれはなりなむとす。いかでか六、七年生けらむとする。会ひ見で死なむこと」と泣けば、四の君、いみじく悲しうて、「さればこそ、いかがとは聞えはばりしか。しひて御心と遣はすにこそ侍るめれ。今はとまりはべるべきにもあらず。心尽しにな思しそ。さりとも、会ひ見はべらでは、やみはべらじ」と言へば、母北の方「われやはこのことはせし。左の大殿のしたまひしかば、悲しき目を見せたまはむとて、腹きたなきわざをしたまへるなりけり。何かうれしと思ひけむ」と宣へば、四の君「今はいふかひなし。しばしのほどにても御手離るべき宿世こそは侍りけめ」と言ひなぐさむ。少将「世に、かくばかりやは親子の別れはすれど、かかること言ひ続けて泣かずかし。聞きにくしや」と制しゐたり。  帥は、左の大殿に、まかり申しに参りたまへり。おとど、対面したまひて、物語したまふ。「よそにても志侍りしを、今はましてなむ。その小さき人のくだりはべらむを、らうたくせさせたまへ。故父殿の、いみじう愛しうしたまひしかば、ここにてもおほし立てむと物しはべれど、かの母北の方、ひとりものしたまふを、せめて心苦しがりて添へらるるなめれば、えとどめでなむ」と宣へば、帥「堪へむ心の限りは仕うまつらむ」と言ふ。暮れ方にまかり出づれば、御装束一領、被けたまふ。かしこき御馬ニつ奉りたまふ。いとこまかにしたまへり。  帰りて、帥、四の君に、「かうかう宣へる、小さくおはする君は、いくつぞ」と問へば、四の君「十一ばかり」といらへたまへば、「老いたると見そおとどの、いかに幼き子を持はまへりける」と言ふも、をかし。帥「殿の御達の帰るらむに、何か賜へたる」と問へば、四の君「何か取らせむ。さるべき物もなければ」といらへたまへば、帥「いといふかひなきこと宣ふ。この日ごろ、ありありて、ただに帰したてまつらむと思しけるよ」と、恥すかしげに言うて、これはおろかなる心ぞかしと帥は思ひて、残る物ありけるを取り出でて、大人三人には絹ニ疋、蘇枋一斤、童には絹三疋、蘇枋、下仕には絹ニ疋、蘇枋添へて、取らすれば、帥は情ありけりと思ふ。  さて、帰りなむことを思ひわびて、四の君をとらへて泣きゐたるほどに、黄金して透箱を衣箱の大きさにむすべるに、朽葉の薄物の包みに包みて、入れたり。「いづこよりぞ」と問へば、「ただ『おのづから北の方御覧ずべきなり』と申して、使まかり帰りぬ」と申せば、あやしくて見れば、薄物、海の色に染めて、敷には敷たり。黄金の洲浜、中にあり。沈の舟ども浮けて、島に木ども多く植ゑて、洲崎、いとをかし。物や書きたると見れば、白き色紙に、いと小さくて、舟の浮たる所に、押しつけたり。放ちて見れば、かく書けり。     「今はとて島漕ぎはなれゆく舟の領巾振る袖を見るぞ悲しき 聞ゆるからに、人わろし。よしよし、聞えじ」と書きたり。面白の駒の手なれば、覚えなく、あさまし。「誰かしいづらむ」と、北の方も見て驚きぬ。あやしがる。四の君、あはれに言ひ契りなども、例の人のやうにも、せざりしかば、思ひ出づることはなけれど、これを見るにぞ、さすがに思ひ出でらるる。少将は、「これを左の大殿の姫君に奉りたまへ」と言へば、母北の方「をかしき物にこそあめれ。なほ、持らまへれ」と言ふめれど、四の君も、なほよろづにしたまふめるものを、と思ひて、「よかなり」と言ふ。少将も、「なほなほ」と言ひて、「われ奉らむ」とて取りて奉る。面白の駒は思ひも寄らざりけれど、妹どもの心ありければ、子などあればと思ひて、ただにやはとて、そたるなりけり。  夜更けてなむ、母北の方、帰りける。寅の時に皆くだりぬ。車十余なむありける。おほやけの、「とくまかれ」と重ねて宣旨くだりければ、山崎にゐたらで、やがて急ぎくだりにけり。送りの人も皆、帥、物被けてなむ返しける。  殿の御達、皆帰り参りて、日ごろの物語、「われやはせし」と宣ふことを語れば、笑ひになむ笑ひたまひける。北の方、しばしは見苦しきまで恋ひ泣きけれど、日ごろ過ぎにければ、うち忘れにけり。帥は、播磨の守待ち受けて、いみじういたはりけることは、書かず。  左の大殿の「一所は、めやすくなしつ。今一所だににしたてなば」となむ、宣ひける。  かくて年月経るに、めでたきことどもなむ、まさりける。大弐は、たひらかにくだり着きて、左の大殿に物いと多く奉りたまへり。左の大殿の太郎、十四にて御冠、姫君、十三にて御裳着せたてまつりたまふ。「二郎君をも落させじ」と、せさせたてまつりたまふに、父おとど「かくいどませたまふ」と笑ひたまふ。  年返りては、姫君、内裏に参りたまはむとて、限りなくかしづきたまふほどに、はかなくて年返りぬ。二月に参らせたまふ。書かずとも、儀式ありさま思ひやれ。限りなくをかしげにおはすれば、いと時めきたまふに、いとど后の宮思ひきこえたまひつれば、なじめさぶらひたまふ人々よりも、こよなく花やぎたまふ。  播磨の守は便ひなりたまひにけり。かの衛門が夫の三河の守は左少弁にてなむありける。弁の北の方にて、あまたの子生み出でて、いとおもおもしくて参りまかでしける。  かかるほどに、大殿、御心ち悩みたまひて、太政大臣返したてまつりたまへど、帝、さらに用ひたまはねば、「いといたう老いたはべれど、おほやけを見たてまつりはべらざらむが悲しさに、今まで参りはべりつるなり。今年なむ、つつしむべき年にはべれば、このりはべらむと思ひたまふるに。この族にては、おほやけのやむごとなからむまつりごとに参らせでは、びんなかるべし。辞したてまつる代りには、左大臣をなさせたまへ。才、けしうははべらざめり。されば、翁よりも御後見はいとよあくしはびりなむ」と、后の宮して、せめて申させたまひければ、帝「何かは。生きてものしたまはむこそ、うれしからめ」とて、左のおとどを太政大臣には、なしたてまつりたまふ。世人「まだ四十になりたまはで、位を定めたてまつることよ」と驚きあへり。  御むすめの女御、后にゐたまひぬ。宮の亮に少将を中将になしてなむ、せさせたまひける。兵衛の佐たち、皆喜びしたまふ。太郎の兵衛の佐、左近衛の少将になりたまひぬ。おほぢおとど「わが兵衛の佐、遅くなしたまふ」と宣へば、「いとわりなきこと。おのれは、子の限りを、事の始めには、いかがしはべらむ」と申したまへば、「これは御子かは。翁の五郎に侍れば、何かは人のそしりにならむ。先には、御太郎、左近、のつかさにはなりにしかば、こたみは右近衛の少将をなせ。叔父にて、甥になり劣るやうやはある」と宣ひて、「よしよし、しぶしぶに思ひたまふめり」と、内裏にせちに奏せさせたまひて、右近衛の少将になしたまひて、「かうてこそ見め。この子とく生れたらましかば、かれにぞ、わが官爵も譲らまし」とぞ宣ひける。愛しうしたまふとは、世の常なりや。大殿の北の方、御さいはひを、「めでたしとは古めかしや。落窪に単の御袴のほどは、かく太政大臣の御北の方、后の母と見えたまはざりき」とぞ、なほ昔の人々は、言ひけるに、まそかごとも言ひける。  三の君を、中宮の御匣殿になむなしたてまつりたまへりける。  帥は任果てて、いとたひらかに四の君の来たるを、北の方、うれしと思したり。ことわりぞかし。かく栄えたまふを、よく見よとや神仏も思しけむ、とみにも死なで七十余までなむ、いましける。大殿の北の方「いといらく老いたまふめり。功徳を思はせ」と宣ひて、尼に、いとめでたくてなしたまへりけるを、喜び宣ひ、いますかりける。「世にあらむ人、継子憎むな。うれしきものはありける」と宣ひて、また、うち腹立ちたまふ時は、「魚のほしきに、われを尼になしたまへる、生まぬ子は、かく腹きたなかりけり」となむ宣ひける。夜にたまひて後も、ただ大殿のいかめしうしたまひける。  右衛門は宮の掌侍になりにけり。後々のことは、次々、出で来べし。  この少将の君達、一よろひになむ、なりあがりたまひける。おほぢおとど、うせたまひにけれども、「われ思はば、ななし落しそ」と、返す返す宣ひたまひける。左大将、右大将にてぞ、続きてなりあがりたまひける。母北の方、御さいはひ、言はずともげにと見えたり。  帥は、この殿の御徳に、大納言になりたまへり。  面白は、病重くて法師になりにければ、音にも聞えぬなるべし。  かの典薬の助は、蹴られたりし病にて、死にけり。「これ、かくておはするも、見ずなりぬるぞ、くちをしき。などて、あまり蹴させけむ。しばし生けておいたらんものを」とぞ、男君宣ひける。  女御の君の御家司に和泉の守なりて、御徳いみじう見ければ、昔のあこき、今は典侍になるべし。典侍は二百まで生けるとや。 此おちくぼの物語四巻は、伝写のことわりをもからず、巻の数もいと心もとなけれど、ふるくは顕昭の色葉和歌集に其名見えて、近くは人のものにひきせうすれば、友のもとに、有、さいはひと書写し侍ける後、さる人の、もてるにて見合せたらん、よかなりと、又その人のしれるがもとにもぞ、ひとつにかりおこせたれば、かれこれあはせみれば、そなたまこなたもよろしく、詞つづき心とほりて、嬉しく、ありとあること、ひとつもらさで、後のたよりとかきにかきつけ侍るなりけり。時は長月なつか余りの比、難波のあまのとまやにて。                            海 北 若 冲  右おちくぼ物語四巻、難波人海北若冲に借りてうるし侍る。 延享三のとしとらの春きさらぎ                            柏 享 真 直 落窪物語 終 2001.4.3 更新 [入力] 成田 香織 [監修] 萩原 義雄 本文は、延享三年(一七四六)丙寅書写奥書 柏亭真直。四冊本(広島大学文学部国語学国文学研究室蔵)を底本とし、以下の翻刻本を参照して入力した。 落窪物語 / 稲賀敬二校注<オチクボ モノガタリ>. -- (BN00291521) 東京 : 新潮社, 1977.9 349p ; 20cm. -- (新潮日本古典集成 ; 第14回) ISBN: 4106203146 著者標目: 稲賀, 敬二(1928-)<イナガ, ケイジ> 統一タイトル: 落窪物語 分類: NDC8 : 913.35 ; NDC6 : 913.35 ; NDLC : KG56