超LSI 技術研究組合・共同研究所の歴史

資料: 垂井康夫『ICの話』日本放送出版協会、1982年。谷光 太郎『半導体産業の軌跡』日刊工業新聞社、1994年。



4年間の研究
研究者: ・ライバル関係にある日本の汎用コンピューター・メーカー5社から。 世界初
         富士通、日立製作所、三菱電機、日本電気、東芝
      ・電子技術総合研究所から

通産省からの補助金300億円。総計は700億円

1975年10月 共同研究所のテーマを検討する小委員会を開始。

参加企業は、ノウハウの流出を警戒。超LSI の生産のための基礎的・共通的テーマを選ぶ。
  4年間で成果が出ること。
主要な分野=微細加工技術に関する製造装置の開発: 製造装置機器の試作には50社のメーカーが協力
  第2のテーマ=シリコン結晶の品質向上。ウェーハの反りの克服。
1976年5月 共同研究所の仮事務所を発足。霞ヶ関。電子技術総研から垂井、小宮、飯塚が出向 /151

同年7月  5社から20数名の研究者が出向。 最後には100名に
  電子ビーム描画装置を2回試作
  微細加工装置開発のために3つの研究室。独特な装置を設計、開発

共同研究所の設置: 日本電気中央研究所の建物内に。川崎市。 所長=垂井

共同研究所の目標: 超LSI が中心になる1980年代に必要な技術を予測
  1980年代半ばには1M ビットの超LSIメモリー が試作される。線幅は1μm
  1980年代末には数M ビットの超LSI が試作される。

日本の半導体工業は、米国の半導体製造装置に依存してきた。
新しい分野を切り開くには、国内で新しい製造装置が開発されることが望ましい。日米摩擦も減るだろう。/170
複数の装置が同じ共同研究所内で計画され、建設された。
 無駄がなく、長所を互いに利用し、競争原理もはたらいた。 =>有効な開発へ

ICの量産性は転写装置による

  1. 紫外線で拡大マスク(リチクル)のパタンをウェーハに縮小投影=ステッパー。 by 日本光学
  2. 遠紫外線で原寸マスクのパタンをウェーハの全面に転写。 by キヤノン
成果(公表分) by 谷光(太郎)
  1. 3種の電子ビーム描画装置
  2. 電子ビーム描画のソフトウェア
  3. 高解像度・高速度のマスク(転写用ネガ)検査装置
  4. 四種の転写装置
  5. シリコンウェハに含まれる酸素と炭素の影響の解明
成功要因
  1. タイミング:1980年代のコンピューター産業に関して危機意識があったので、5社の社長が推進。 *IBMのFS
  2. 事前の準備:通産省を中心に運営方法、研究計画、人選など。
  3. 目標と期間が明確:研究計画に無駄がない
  4. 決定と運営が柔軟
  5. フレキシブルな決定と運営
独創性のある研究が少ないという意見に対して
 ・期間も目的もそれを考えていない。全研究員がそろったのは2年間だけ。 期間が短い。
 ・基本的アイデアは5年から10年後に実証される。共同研究所から出たアイデアによる特許は400件以上