アジア地誌研究のヒント

 

 アジア地域研究というと、最近では中国や韓国など東アジア諸国の研究をさすことが多いようだが、私が研究しているのは東南アジアから南アジアにかけての地理である。「熱帯モンスーンアジア」という言葉ででも象徴されそうな、その地域の地理的な特徴について、稲作を媒介として明らかにすることが、これまで私の研究テーマとなってきた。

 地理学では研究対象の置かれている地域をフィールドと呼ぶが、地理学者にとってフィールドは研究意欲に関わる大切なものである。また地誌と呼ばれる特定地域の地理学的研究は、そのフィールドにおける研究の集大成として、時にはライフワークになるほどの重みを持つことさえある。それほど重要なフィールドであるが、実をいうと私の場合、当初からアジアの地理を研究しようと思っていたわけではない。学生時代の私は、今日の開発経済学にあたるものにも漠然とした興味は持っていたものの、もっぱら日本の農村地域、それも都市の影響を受けて経済活動の機会が多様化した農村に強い関心を持っていた。それがアジア地域での調査を重ねるうちに、次第に経済発展の背後にある地域固有の地理的条件を明らかにすることに熱中するようになり、今日に至ったわけである。

 私にとってアジア地域の研究の出発点となったのは、沖縄本島のサトウキビ作農村だった。緊張したアジア情勢の中で特殊な地位に置かれていた沖縄は、本土復帰後、急速に変化していた。そのような沖縄農村の姿を理解するために、地理学からもアプローチ可能なテーマとして行き着いたのが、土地利用の研究であった。どんな作物、品種を作付けするかという意思決定の過程や、どのようにして栽培するかという耕作技術には、地域の自然環境はもちろん、歴史的背景や経済条件が反映されている。それらを通じて地域を理解することが、私にとってアジアの地理を研究する方法となった。

 例えば水田風景ひとつを取り上げてみても、そこにはその地方にだけ見られる特徴があるかもしれないが、同時にその国でひろく見られる特色や、さらにはアジア全域に共通した要素も含まれる。稲作の一年のリズムは各地方の水条件、とくに雨季と乾季のタイミングに適応しているし、また農作業にかける人手は稲作以外の収入の機会、とくに都市での就業のチャンスに依存しており、これはその国の経済発展の状況に規定されている。さらに高収量品種への収斂は開発援助によってアジアのいたるところで進められている。それら稲作の諸側面を地域のスケールに応じて仕分けし、複数のスケールで特定地域の地理的条件を理解しようとするセンスは、地理学に独特のものであるように思う。

 ところで全体としてのアジアの性格を考える際、私たちをひきつけると同時に、困惑させるのが、アジア各地の社会の多様性である。しかしその多様性をもたらしている文化的要素は、歴史的次元に整理することでずいぶんとらえやすくなる。すなわち、古くから引き継がれてきた民族文化、中国やインドに形成されたアジア古典文明の影響、欧米列強との接触によって持ち込まれた社会体制、現代におけるナショナリズムの高まりとゆらぎ、といった要素への還元である。そのようなアジアの歴史的背景は、もちろん日本にも共通したものであり、それらが社会の様々な局面で見え隠れしているということも、私たちは知っている。アジアの大都市の内部構造を論じる上で、近代以前や植民地時代の遺構の重要性を語りたければ、江戸の都市計画や横浜居留地の構造を思い起こしてもらえばよい。

 その点では、日本に近いアジア地域に研究対象を求めている私は、恵まれているといえるのかもしれない。フィールドを国外に設定した研究では、研究者はしばしば日本との違いを強調したがる。しかし適切な比較の手がかりが示されなければ、詳細な地域研究の成果も、遠い異国の珍奇な話としてしか受け取られない恐れがある。大半の人々にとっては、日本からのアナロジーという方法でしか外国地域の理解の仕様がないからである。

 そういう訳で、私は、アジアの地理を研究するにしても、最初は日本の地域をフィールドとして研究することをお奨めする。その場合、なるべく具体的な形のあるもの、地図上に表現しやすいものを手がかりにして勉強するのがよいと思う。日本での経験があれば、例えば、日本の都市ではここはこうなっているはずだが、そこの都市ではどうなのか、それはなぜか、と次々に疑問が湧いてきて、都市を切り口にして社会全体を理解する方向に発展していくのではないだろうか。また研究対象を地図化するということは、自動的に考察のスケールを明確化し、議論の混乱を防いでくれることになる。

 今、私の手元にシンガポール大学の東南アジア研究所から出版された「東南アジア研究入門」という本がある。その中の地理学の章を開いてみると、そこでは「東南アジア地理」の研究が次の3つのスタイルに分類されている。第1は経済発展論や世界システム論などの理論の適用を指向したもの、第2は系統地理学の手法によって地域の特徴をとらえようとするもの、そして第3は伝統的な地誌の方法に従った総合的な記述である。最近は環境主義や人間重視の開発援助論の隆盛もあって、第1のスタイルをとる研究が勢いづいているように感じられる。しかし理論へのあまりに安易な依存、つまり、ある理論の特殊形態として現実の解釈を進める方法には問題があるように思う。結論が最初に出ているなら、わざわざ現地で調査をする意味はどこにあるのだろうか。自分の目でとらえた現象を、特定の研究枠組みに拘束されることなく、自分の目に映った地域の地理的条件との関わりで理解するところにこそ、現地での調査の面白さがあると思うのだが。

 

参考書

 地理学の専門的な視点から地域研究について書かれた本が、藤原健藏編の「地域研究法」(朝倉書店)である。地理学のスタンダードな教科書である総観地理学講座の第2巻であり、14名の執筆者が、地理学者による地域研究やフィールドワークの方法論、日本における研究史、世界各地域における調査法などについて概説している。もちろん研究者の来歴やフィールドの違いによって、地理学的地域研究に対する考え方に若干の違いはあるが、いわゆる「地域研究」との接点に伝統的な地誌学を超えた新しい地域地理学(地誌研究)の視点を求めようとする姿勢は共通している。さらに海外における日本地域研究についての紹介は、地域研究に対する私たちの視点を相対化させてくれるだろう。

 

(アエラムック「地理学がわかる」より転載)

 

>戻る