A Geographical Study on Farming Systems

in Rice Growing Regions of Asia

(アジアの稲作地域におけるファーミングシステムの地理学的研究)

 

要 旨

 本論文は,アジアの稲作地域における農業環境の変化と,資源利用に表れた適応の過程を,地理学的視点から解釈することを目的としている。そのため,バングラデシュ,タイ,日本で1980年代に見られた技術的変化を事例として,farming system の概念を適用し,土地条件,作付体系,労働投入などに注目した分析を行った。現地における農場調査と並行して,衛星写真の判読による土地利用調査を行い,広範囲にわたる地域的考察の重要性についても確認した。

 農業をシステムとして把握する試みは以前から行われていたが,最近の研究の多くは農業技術と農業経営の接点を求めることを課題としている。なかでも農業開発との関連を意識したものは, farming system 研究と呼ばれている。耕種農業で farming system の構成要素となるのは,植物群落としての作物,作物の生育環境となる土地,そしてそれらの農業資源を管理する農民である。また個別の農民の力を越える外部要因として自然環境と社会経済環境を考える。研究の対象は資源管理の手段としての農業技術である。技術の評価は自然環境によって異なるし,また技術が経営の目的に即して選択されるものである以上,社会経済環境からも強い影響を受けている。

 地理学による farming system 研究には二つの特徴がある。第一は farming system の成立基盤を地域内部の自然・社会経済環境から説明することである。環境の影響は技術変化などの動態的な局面において,より明確にとらえうる。第二の特徴は farming system の地域的分化を広い農業地域の中に位置づけて解釈する点である。これは技術の普及の空間的限界を環境の制約から説明することになる。方法論的には,土地利用あるいは作付体系を分析の中心に据えることが特徴になる。土地利用や作付体系は耕地生態系の遷移を示すと同時に,労働などの資源の投入の集約度を表すからである。

 アジアの伝統的な稲作の場合,水文条件による耕地の分類と品種での対応に技術的特徴が見られる。とくに移植や灌漑など生育初期の技術は,土地や労働などの資源の調達に関わるため,経営上も重要な特徴である。1970年代の稲作技術の改良は,施肥反応性の向上,病虫害抵抗性の付与,生育期間の短縮などの改良を施した品種の導入をてことして,資材や労働力の大量投入に見合った土地生産性の増大を実現するものであった。その結果,多毛作をはじめとして土地利用と労働力利用の集約化が進んだ。

 

 バングラデシュにおいては,低地における伝統的な水稲の作付体系の評価を行い,近代品種導入による稲作技術変化の可能性について検討した。調査地は,同国南西部の後背湿地に位置するバゲルハート県モラハート郡で,従来の研究が比較的少ない地方にあった。そのため衛星写真によって周辺地域でも同様の土地利用方式が卓越していることを確認したが,同時に作付体系の地域的分化が水文条件に対応しているものと判断された。

 この地方の後背湿地は,小さな自然堤防によっていくつかの部分に仕切られており,雨季には湛水するが乾季には中央部まで干上がって耕作されている。そこでの水稲作は,季節的な水位変化に対応して,収穫期の異なる稲を混播や混植したり,ジュートやゴマと混作することを特徴とする。慣行的作付体系のなかでは, 9月収穫と11月収穫の二種類の稲を雨季初めに混播するものが最大面積を占めている。近年導入された改良品種の乾季作は,灌漑さえ十分ならば大部分の土地で生産可能なので,慣行的作付体系と競合することが予想される。ただし生産費からみた場合には,水利費の軽減が課題になる。

 滞水期間が長いために,乾季の初めに稲の移植作業の遅れる最低位部では,伝統的に深水稲の単作が行われている。深水稲単作は土地生産性の点では不利であるが,犂耕の回数が少なくて済むなどの理由から,労働生産性は必ずしも低くはなく,むしろ農業労働者的な性格の強い小規模な経営体で作付率が高い。従って後背湿地中央部では,当面,作付体系の変化はないものと思われる。

 

 タイの事例では,森林開拓事業にともなう果樹栽培導入の可能性を検討した。畑作物と樹木作物を間作するアグロフォレストリー技術は,農地の劣化を防ぐ農法として考案されたもので,農地拡大の著しいタイでも普及が進められた。調査地区は,チェンマイ盆地南部のジョムトン台地にあり,周辺の低地農民が耕作している。衛星写真によれば,付近は小規模な河川からの灌漑に依存する二期作水田地帯であるが,小河川下流部では乾季に水不足が見られ,低地でのそのような農業生産力の格差が森林開墾の程度を規定していると考えられた。

 台地はかつて国有林に覆われていたが,農民による過去30年間の自力開墾で破壊が著しく進んだため,森林再生が不可能と判断された地区が農地改革局の土地分配事業の対象となった。その事業の一環としてマンゴなどの樹木作物の導入が図られている。調査の結果,果樹栽培の障害として,乾季の土壌水分の不足や隣接する原野の管理不良などが指摘された。また耕作者の水田経営規模や年齢によって営農意欲に差があることも認められた。小規模な若い農民ほど,畑作には労働節約的な技術や作物を採用しており,果樹導入に対して消極的であった。また休耕して出稼ぎに出ている者も多く見られた。

 以上から労働集約的なアグロフォレストリーの普及には,非農業部門の賃金水準が大きく影響していると考えられる。また市場対策の上から生産量確保と品種構成および品質管理への対応が,長期的な定着の鍵になると予想される。

 

 日本では,関東地方における稲作農家の経営複合化の過程を事例として取り上げた。関東平野の中央部より南では二毛作が可能で,その場合には冬作のために夏の稲作が晩植栽培になるという特徴を持つ。しかし昭和20年代に秋落ちと風水害回避の対策として早期栽培の技術が完成すると,低湿地に急速に普及して稲の作付体系に顕著な地域的分化が見られるようになった。衛星写真判読によれば,早期栽培は利根川下流部と九十九里平野に見られ,他方,晩植えの二毛作地帯は利根川中流部の台地に広がっている。

 調査地の千葉県干潟町は新田開発で干拓された湿田地帯にあり,農業専業を志向する農家は経営の重点を東京市場向けの野菜の生産に移してきた。良質米生産は他産地との競合が激しく,また借地や稲作作業の受託は個人的な縁故で行われる場合が多いので,稲作の規模拡大は期待できる状態にない。1965年の土地改良後,裏作としてシュンギクを導入した農家があらわれ,米の生産調整が始まった1970年には,農協の主導で転作作物としてシシトウが導入された。シュンギク,シシトウ普及の大きな理由は,作付体系の上で稲作と競合しないということであった。野菜作は選別・出荷作業が労働の主要部分を占めるため,婦人や老人などの周辺的な労働力の投入が可能なことも重要な要因であった。

 野菜市場での競合に対応するため,新しい作物の栽培も試行されているが,これには後継者の部門分担的な意味が含まれている。作付体系の上では,稲作から野菜栽培への移行期に作業上の問題点が生じているが,多くの専業農家は稲作の省力化で対応を図っている。この点に関しては,二世代が就農している農家は機械作業員を2人確保できるので有利である。

 

 以上の事例を比較すると,バングラデシュは農業の集約化によって,また,タイは農地拡大によって,農村の経済開発を進めようとした例として位置づけられる。しかし1970年代における稲作技術革新の成功によって米の商品価値は低下し,1980年代には非農業部門の雇用機会が増大したため,農業集約化への誘因が失われつつあることも,タイの事例が示している。このような社会経済環境の変化への適応の一つの型として,伝統的に稲作を基盤としてきた農民が稲以外の作物を導入している日本の事例を参考にすることができる。アジアの稲作地域の変化が farming system の地域的分化という形で現れるかどうかは明確でなく,むしろ同一地域内で,企業的な稲作を指向する農場と,自給的な農場が分化していく可能性が強いと考えられる。

 そのような経済発展の方向をふまえたうえで重要になるのは,農業経営体の人的構成である。文化的背景の多様なアジアには,家族構成の原則を異にする,さまざまな家族農場が見られる。夫婦中心の経営の傾向が強いタイに対して,父子間の合同経営が一般的な日本,両者に加えて兄弟間の合同経営も混在し,それが経営規模にも対応するバングラデシュなど,各地の農場の社会的性格を統一的に理解することは難しい。しかし労働資源の価値の差異が明瞭になってきている今日,農業開発計画の立案に際しても,農業経営体内部の人的構成を考慮して,農業経営体の社会的性格を把握することが求められている。

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