活躍する卒業生

DATE:2019.06.04活躍する卒業生

ボクシングの本場・アメリカへ行ったことが、ボーダーを越える決定的な出来事になった。

プロボクサー WBO世界スーパーフェザー級王者 伊藤 雅雪 さん

プロボクサー WBO世界スーパーフェザー級王者
伊藤 雅雪 さん
1991年東京都生まれ。駒澤大学高等学校在学中にプロライセンス取得。駒澤大学在学中の2009年にプロデビュー。第42代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。現WBO世界スーパーフェザー級王者。

プロボクサーでWBO世界スーパーフェザー級王者の 伊藤 雅雪 選手(2013年 経済学部現代応用経済学科卒業)に、お話を伺いました。

2018年、WB0世界王座を獲得「王者」というボーダーを越えた

2018年7月、伊藤雅雪選手は、アメリカ・フロリダ州のリングで、WBO世界スーパーフェザー級王座をかけて同級1位のディアス選手(プエルトリコ)と戦った。そして、大差をつけ初の世界王座を獲得した。

王座についた気持ちについて、「いろいろな縁があってできたこと。自分一人の力ではない」と、伊藤選手。

この王座決定戦は「かなり厳しい試合になる」と、伊藤選手も覚悟していたという。なぜなら、そのときの王者・ディアス選手はプロの目から見ても、本当にうまいボクシングをする選手で、伊藤選手のチーム内でも「ディアスは絶対スターになる」と、一目置かれていたからだ。ディアス選手との試合が決まったとき、伊藤選手は「正直『これはヤバいぞ』って思いました。みんなもっと世界ランクの低い選手と試合を組んでいるのに、なんで僕だけこんなピカイチな選手と世界戦をやるんだ?」と、少し落ち込んだという。しかし、すぐに「やるしかない」と気持ちを切り替え、「勝ち負けをあまり考えず、後悔のない練習を重ねて、とにかく自分のすべてを出し切るためにリングに上がる」と、目標を定めた。

試合前には、「練習をやり切ったので、『もう勝っても負けてもOK』って感じになっていた」。そして、王座獲得に導く練習をサポートしていたのが、アメリカで活躍する二人のトレーナーだった。

2015年、トレーナーとの出会いが勝利のボーダーを越えるきっかけに

アメリカで世界王者になる3年前の2015年、伊藤選手はプロ初黒星となる判定負けを喫し、両親も反対していたため「ボクシングをやめようか」と考えていた。その負け試合は、「何か負けたような気がしない感じで、気づいたら終わっていた、スカッとしない試合だった」。翌日、この試合のトレーニングを1週間サポートしてくれたアメリカ在住の日本人トレーナーから電話があった。彼は「負けちゃったね。だけど、まだまだ強くなれるし、世界王座を獲れるから頑張った方がいい。アメリカへおいでよ」と言ってくれた。伊藤選手はアメリカへ行き、二人のトレーナーのもとでトレーニングすることを決意した。

二人のトレーナーは、メキシコ人のルディコーチと、その弟子で日本人の大介コーチだ。伊藤選手は、「この二人は本当に選手のことを考えて、どんな小さなトラブルからでも選手を守ってくれる人たち。とても信頼しているんです」と、目を細めた。「それまで、一人でボクシングをやっている感覚だった」という伊藤選手は、ルディコーチと大介コーチに出会い、アメリカへ行き、ボーダーを越えた感じがしたという。「チームで戦うという感覚も得られたし、何よりも自分のボクシングが大きく変わりました」。

ルディコーチのトレーニングは非常に厳しい。「最初、『こんな辛いことできないよ』と思いながらやっていましたが、繰り返していくうちに自分のボクシングが変わっていったんです」。そうして信頼関係が築かれていったから、ルディコーチのトレーニングを「やってやる」という気持ちになれる。

勝つために足りなかった「打つこと」練習を繰り返し、体にしみ込ませた

「勝つために足りなかったことは、打っていくことだった」と言う伊藤選手は、「それまでパンチをよけるのが得意だったので、パンチをもらわずに当てて勝つ、というスタイルだった」。的確なアドバイスをしてくれるトレーナーもいないまま、自分のボクシングスタイルで負けずに連勝していたため、「このスタイルでいいんだ」と、思っていたという。

そんな伊藤選手が世界王者になるために、ルディコーチが課したトレーニングは「接近戦」だった。「最初は全然できなかったですね。接近戦に慣れていなかったため、練習では殴られてばかりで。『やっぱり今までのスタイルでいいんじゃないか』とか『今までのスタイルを崩してまで接近戦を練習する価値があるんだろうか』と思ったこともありました」と振り返るが、このトレーニングが世界王座決定戦の勝ちを引き寄せた。「試合をしながら、ルディコーチが考えた対策どおりにパンチが全部当たって『すごいな!』って、思いました」。

「何しろ、ワンツーしか打てないボクサーでしたからね」と、伊藤選手は笑う。「ルディコーチは『ワンツー打って、3、4、5、6とずっと打て!』と、言いました。その切り替えはけっこう難しかったので、アメリカへ行くたびにその練習をして、何試合もこなしながら自分の体にしみ込ませていく......という感じでした。今ではもう、その方がやりやすいですけどね」。

ルディコーチは「できないことをできるように、ちょっとずつやり続けることが大事だ」と、いつも言っている。「僕はルディコーチを信頼しているので、言われたことをやれば『もっと強くなれる』とわかっている。だから、『きつくてもやろう』と思えるんです」。ルディコーチとのトレーニングは、伊藤選手が第一線で活躍し続けるカギの一つなのだろう。

アメリカで活躍し、周りから目標とされるプロボクサーとなった伊藤選手だが、2015年に初めてアメリカでトレーニングをしたときのことを思い出しながら、「当時と今の気持ちは、もう全然違います。その頃、自分がボクシングにかけていたものは、わずかだったと思う。今は自分にたくさんの人が関わってくれて、ボクシングが自分だけの問題ではなくなり、大きな責任を感じるようになりました」と、自信に満ちた表情を見せた。

日本人ボクサーはもっと海外へ出てボーダーを越える活躍をしてほしい

「王座につけたきっかけは、2015年にアメリカへ行ったこと」と断言する伊藤選手に憧れ、今、アメリカへトレーニングに出向く日本のボクサーもいるという。「いつもメキシコ人やアメリカ人とスパーリングをしているので、たまに日本人とやると『日本人と一緒に頑張ってる!』みたいな感じがして楽しいですよ」。伊藤選手は「実際に日本人ボクサーがアメリカで認められることはすごく難しいんですが、それでも、日本人ボクサーはどんどん海外に出て行くべきだと思います」と、力を込めた。「もちろん、日本で活躍した方がいいタイプもいるんですが、日本だけでボクシングをやっていると、日本だけでしか認められないボクサーになってしまう。これから活躍する日本人ボクサーには、場所を選ばずにトライしてほしいと思います。今、僕はアメリカでも日本でも、活動する場所はどこでもいいと思っていますね」と語り、「でも、昨年末の試合を日本でできたことは嬉しかったですよ」と続けた。

憧れていた年末のメイン試合で人々に王者のファイトを見せる

2018年12月30日、年末のメイン試合として、伊藤選手の初防衛戦が組まれた。「年末のメイン試合は、やはり自分の中でも『憧れの舞台』だったので、そこに選ばれたということが素直に嬉しかったです。同時に責任も感じました」と、思い返すように話してくれた。「日本でのメイン試合は、勝つだけじゃダメだなって。入場から世界王者としてのパフォーマンスを見せて、試合では攻める。そうしなきゃ日本の人たちに僕のファイトが伝わらないのかな、と思って」。そして、「アメリカで試合をするときは、とにかく必死にやればいいと感じる。でも、日本での大舞台を任せてもらえたんだから、チャンピオンを演じ切り、その中で勝たなきゃいけない、と。そこまで考えて戦った試合でしたね」。憧れの舞台で初防衛に成功した伊藤選手は、また一つ世界王者としてのボーダーを越えた。

駒澤大学で出会った仲間がいるから自分はボクシングを頑張れる

WBOのチャンピオンベルトをもつ伊藤選手だが、学生時代の仲間と遊ぶときは「学生気分に戻れる」という。「彼らは僕の試合も見にきてくれますし、月1回ペースで会っていますね」。そして、「仲間と遊ぶ時間があるからオンオフを切り替えられるし、彼らがいなかったらボクシングを頑張れないかも」と、笑う。「現代応用経済学科で出会った仲間は本当に僕の財産ですし、駒澤大学という有名な大学を卒業したことはボクサーとして活躍する上でも、大きなメリットになっています」。

世界王者は最後に、「僕は駒澤大学から、たくさんのものをいただいたと思っているんですよ」と、おしえてくれた。

※ 本インタビューは『Link Vol.9』(2019年5月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものです。

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