2001.7.21[キャンパス相談会:模擬授業]

みがちばんかる

駒沢短期大学国文科:情報言語学 萩原 義雄

日本人のしぐさ

「微笑み」と「腕組み」

「微笑み」

ラフカディオ・ハーン日本人の微笑』より

1、「外国人たちはどうして、にこりともしないのでしょう。あなたはお話しなさりながらも、微笑を以って接し、挨拶のお辞儀もなさるというのに、外国人の方が決して笑顔を見せないのは、どういうわけなのでしょう」

不思議な「微笑=smile(英), sourire(仏)」の意味

2、「君は日本人の生活を探求しようと出かけていくわけだから、私にもひとつわかるような説明をしてもらいたいと思うのです。私には、どうもあの日本人の微笑というやつが理解できないのです。」

 

日本人の微笑は、念入りに仕上げられ、長年育まれてきた作法なのである。それはまた、沈黙の言語でもある。しかし、その意味を探ろうとして、西洋文化にある表情や仕草の概念を当てはめようとしても、――それはちょうど中国の表意文字である漢字を読むのに、文字の形がわれわれ西洋人の見慣れたものに似ているとか、あるいは、似ていないとかいって理解しようとするのと同じくらいに――うまくいかないだろう。

          モナリザの微笑

            

 イギリスのかなり格式ばったパーティで、日本の婦人が笑い――それもおそらく微笑をかくすべく口許を手で覆ったところが、それははなはだ非礼として咎められたという話しがあるが、真偽のほどはどうであろうか。しかし、笑いを隠す動作を、もしかりに不作法だと思う人がいたとすれば、かなり人間の表情とその表現について鈍感な人であるまいか。⇒《諺》に「処変われば品変わる」

 会釈としての微笑はおそらくどの国の人々にも共通の表情である。とはいうものの、たとえばさきにいったフランス語の sourire ということばには、人を小馬鹿にしたうすら笑いという意味もあり、われわれの「微笑」にはそのような意味は少しもないことには注意しなければならない。つまり、会釈としての微笑は、わが国では社会に広く行き渡った自制としての微笑となっている。これは「文化」として、わが国にははっきり定着しているということだ。

 だから、私たちは文化に従って人の微笑の意味を正確に読み取るが、それは文化を異にする他国の人には、かならずしも正しく通じていないということでもある。

 柳田国男は、微笑をけっして付和雷同の笑いではないといった。確かに人につられて笑うといったものではないが、しかし、他人との場における同調がほとんど自発的とみえるぐらい、ごく自然ななりたちで行われている社会での、これは目立った表情なのである。

 私たちは長い間微笑しつづけてきた。とりわけ「目上」の人に対して。それはほとんど第二の天性である。

 会釈としての微笑、これは異国の人に理解される。しかし、自制としての微笑、これは時に人を感動させ、ときに人を惑わせる。しかも、私たちは、自制としての微笑から、さらに内に屈折し、複雑化した「微苦笑」の笑いに移ってきた。

 ラフカディオ・ハーンは、微笑に自制心をみたわけだが、「微」というのは「小」に通ずる。「小股の切れあがった」とか「小手をかざす」とかいうときの「小」である。「小手」という手の部分があるのではない。それは手を「ちょっと」かざすという意味なのである。その「ちょっと」とは、抑制の効いた、自制心のあるという意味を匂わせている。そういえば、人を呼ぶとき「ちょっと」と呼びかけるのは、呼びかけというどうしようもない不作法に対する和らげの気持ちからである。最も、今では「ちょっと」ということばもすたれてきたし、「小」は「小生意気」とか「小賢しい」とか、悪い意味のものばかりが残っているような気がする。

 抑制よりも攻撃の方に、力点がうつりつつある。これは文化としては一種の後退現象である。

 「笑い」の表現

「腕組み」

あなたはどちらの腕組みをしていますか?

 英語では「ボデー・エクスプレッション」ということばがある。また、それを研究する学問分野もひらけつつあるようだ。しかし、まだまだ幼稚なもので、たとえばしょちゅう腕組みしている人物は攻撃的性格だといったあんばいだ。

 どういう身振り、しぐさをするか、この「無言の言語」は学問的に未開拓の分野である。しかし、これはことばよりもはるかに深く人間の身体にしみついたなにものかであり、「心」と社会をつなぐ確実な兆候である。

きまぐれ占い》《恋愛統計学》《しぐさでわかる性格判定

 個人の心理の内奥を、おそらくしぐさはのぞかせるものである。無意識であればあるだけ、それはゆるがせにできないしるしなのである。同時に、しぐさは一つの文化である。社会のさまざまの集団につたわる伝承の文化である。個人は、個人としてのしぐさをもち、さらにその底に集団に共通のしぐさをもつ。人間はことばを交換することでコミュニケーションを成立させ、文化をもつように、無意識のうちに他人の身振り、しぐさをまねることで社会人となり、一文化の構成員となる。

 ――と、このように考えてくると、私たち日本の文化は、私たち日本人のどのようなしぐさによって表現されているのか。もっと正確にいうと、たがいにしぐさをまねあうことで、私たちはどのような文化をつくってきているのか。そういう疑問がわく。

距離」「輝き

本日の模擬講義を終了します。どうもありがとう!

参考資料

新編日本の面影』ラフカディオ・ハーン.池田雅之=訳〔角川ソフィア文庫〕

しぐさの日本文化』多田道太郎〔筑摩書房〕