2007.04.09〜2008.01.10更新
日本言語文化研究U 教場4−203 木曜日第4限
 
講義のねらい
 日本言語文化研究Tの日本語歴史で取り扱ってきた作品資料には、多くの注釈書類が編纂されてきている。これらの注釈書類に焦点を当ててみることで、作品の有する特徴並びに享受者側の学習教養の度合いを検証していくこととする。例えば、『古今和歌集』には『古今集註』、『伊勢物語』には『和語知顕集』『~風知顯正義集』『伊勢物語惟清抄』など、『源氏物語』には『源氏物語抄』『河海抄』など、『枕草子』には『春曙抄』、『徒然草』には『徒然草寿命院抄』といった具合に枚挙なき注釈書が存在している。これらの注釈書類を以て、日本言語文化研究において国語資料としての位置づけを探ってみることをめざすものである。
 
連絡事項
2008.01.10 昨年12.20作成PPT資料に「図絵表」の技術利用を諮って、さらに精度をあげたものを来年1月17日(木)迄にご提出願います。これを持ちまして、※冬季課題と致します
作品の提出は「駒澤大学 e-Education:YeStudy」をご利用願います。
 
2007.07.23「駒澤大学 e-Education:YeStudy」に古辞書ことはじめ12 三巻本『色葉字類抄』を掲載しました。書写や翻刻をしてみることで、当時の編纂者の智的意識に近づければと思っております。引き続きご利用願います。※夏季課題とします
 「駒澤大学 e-Education:YeStudy」に「歌語の推定」を載せておきましたので、ご自身で歌語文末の欠落箇所を推定補読してみてください。そして、何故このように読めたのかを説明してみましょう。
 
講義内容
2007.12.20(木)第4限 教場4−203
 26の講義内容 資料公開とその注釈語の分析結果報告
  先週の作成に順って、その内容を発表して見ました。
 
2007.12.13(木)第4限 教場4−203
 25の講義内容 解読資料の整理記述PDF版
 
2007.12.06(木)第4限 教場4−203
 24の講義内容 注釈書類の引用文献その5字書・辞書類資料PDF版
 
2007.11.29(木)第4限 教場4−203
 23の講義内容 注釈書類の引用文献その4記録類資料PDF版
 
2007.11.22(木)第4限 教場4−203
 22の講義内容 注釈書類の引用文献その3和文資料PDF版
 
2007.11.15(木)第4限 教場4−203
 21の講義内容 注釈書類の引用文献その2和歌資料PDF版
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4148 投稿日:2007年11月15日(木)22時29分21秒 
 『今昔物語集』中で、僧・増賀上人が万葉仮名で詠んだ和歌の例です。
  美豆波左須夜曾知阿末利乃於比乃奈美、久良介乃保袮爾阿布曾宇礼志岐
  (みづはさすやそぢあまりのおひのなみ、くらげのほねにあふぞうれしき)
 仮名交じり文で解釈すると次のようになるでしょうか。
  水葉指す 八十余りの老いの波 くらげの骨に遭ふぞ嬉しき
 巻第十二、「多武峰増賀聖人語第卅三」に収められている歌です。
※早速、指摘のあった上記箇所を確認し、PDF版に増補しておきました。この和歌について、平安時代の僧侶が詠んだ和歌を「万葉仮名式」にして書記した例として重要な位置を占めています。増賀聖人自身がこのように書いたのかは不明ですが、この『今昔物語集』の書記者は、このように示したことは事実です。なぜ、このように和歌を真字式和歌の様式をここで用いているのか?今後の継承課題でしょう。
 
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2007.11.08(木)第4限 教場4−203
 20の講義内容 注釈書類の引用文献その1漢詩・漢籍及び仏典類資料
―『弘决外典抄』の語注記―PDF版
 
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4148 投稿日:2007年11月10日(土)14時27分4秒 編集済 
  11月8日講義プリント、4〜5頁の「西京ノ賦ニ云……宅神ノ猪ノ頭ラ人ノ形ナルヲ為《レ》魅ト」の箇所について、昨年の「日本言語文化研究T」でも取り上げられていた『今昔物語集』巻第二「天竺異形天人降語第卅五」が思い出されます。「猪」と「人」との頭と体の入れ違いで共通することに興味を持ちました。『摩訶止観』も『弘決外典鈔』も見たことがないので、一度眺めてみようと思います。
天竺異形天人降語第卅五
 今昔、天竺ニ天ヨリ一人ノ天人降タリ。其ノ身、金色也。但シ、頭ハ猪ノ頭也、諸ノ不浄所生ノ類ヲ求メ食ス。諸ノ人、此ノ天人ヲ見テ奇異ノ思ヲ成シテ、佛ニ白テ言サク、「此ノ天人、前世ニ何ナル業有テカ、身ノ色金色也ト云ヘドモ、頭ハ猪ノ頭也、諸ノ不浄所生ノ類ヲ求メ食スル」ト。佛、説テ宣ハク、「此ノ天人ハ過去ノ九十一劫ノ時、毘婆尸佛ト申ス佛、世ニ出デ給ヘリ。其ノ時ニ此ノ天人、女人ト生レテ人ノ妻ト有リキ。其ノ家ニ沙門来テ乞食シキ。夫、金ヲ施セムト云ヒシニ、妻、慳貪ナルガ故ニ心ヲ誤マリ、面ヲ赤メテ瞋恚ヲ発シテ夫ノ乞食ニ金施スル事ヲ止テキ。其ノ罪ニ依テ、其ノ妻九十一劫ノ間、此ノ果報ヲ得タル也。又身ノ金色ナル事ハ、其ノ沙門ニ値テ一度腰ヲ曲テ礼拜シキ。其ノ功徳ニ依テ金色ノ身ヲ得テ光ヲ放ツ也。然レバ天ニ生タリト云ヘドモ、悪業ノ残レル所、如此也」ト説給ケリトナム語リ傳ヘタルトヤ。
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2007.11.01(木)第4限 教場4−203
 19の講義内容 図画・図表の処理(データ加工)→機器スキャナーに依る取り込み
        ―大慈恩寺三蔵法師伝―PDF版
 
2007.10.25(木)第4限 教場4−203
 18の講義内容 難字・異体字の処理及び修飾文字の利用(「今昔文字鏡」等)PDF版
        ―室町時代写『和歌集心躰抄抽肝要』を例に―
 
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4148 投稿日:2007年10月25日(木)20時14分52秒 
 今日トピックとして挙げていらっしゃった「八珍(さかな)」について、面白い記事を見つけました。以下、その全文です。
 紀元前700年ごろ、中国・周王朝に初めて律令制度ができたといわれています。周礼の大膳職には醤の醸造を司る役職があり、王家の模範料理「八珍の美・8種類の基本料理」を作るときには「醤」120甕を使うとあります。このことから、既に多種多様な醤が作られていたことがわかります。それも、純然たる調味料として使われていたのです。
 周礼は、907年の唐令にいたるまでの長きにわたって営々として受け継がれましたが、「醤は食の主」として、(神前に)醤豆を設けて王様はその前にひざまずいたという記録も残っています。この醤豆の「豆」 は“豆”のことではなく“皿”のことです。「豆」という文字が穀物の“豆”になるのは、漢以後のこととされています。なんとも、「醤」の素性と格式には驚嘆させられます。そして、中国の君主たちがいかに醤を大事にしていたかもこれでわかることでしょう。
 また、「醤」という言葉は孔子の『論語』にもみられます。『論語』はご存知のように、人の生き方、礼節からはじまって、食事にまで言及しています。『論語』下巻、郷党第十篇に「醤」という文字が史実としてはじめて出現します。孔子が食事の礼節をこまごまと述べた中に「割不正不食不得共醤不食」というくだりがあります。これは「料理の法にかなったものでなければ食べない。料理にふさわしい醤がなければ食べない」という意味です。既に当時、羊の肉にも魚にも、それぞれに合った「醤」があって、 なんでも同じ醤で食べていたわけではなかったということがわかります。
 では、いったい「醤」というのは何でしょう。どんな味がするのか、色は? 形態は?  そもそも「醤」とは、獣肉、魚肉等をたたき潰して、雑穀の麹と塩と酒をまぜて壺につけこみ、封印をして百日以上おいて、熟成させて初めてできるものだといわれています。これは現在、秋田地方に伝わる、小ざい魚や貝類を壺や桶に仕込んでつくる塩汁・しょっつる、また東南アジアの魚醤などによく似ています。
 さらに時代を経て大豆や雑穀などを発酵させた醤をつくるようになります。「」は紀元100年ごろになって、大豆に塩を組み合わせた発酵食品として文献に表れます。そして、これらの植物性たんぱく質の発酵食品がみその原型ではないかと考えられます。
 
(以上、「醤」とは―歴史に見る「醤」とは―(http://www.miso.or.jp/dictionary/history/history_02.html))
 「八珍」の語が「醤」という語に関連していること、また「醤」が我が国の一地方で魚を材料としている魚醤に類似している点、大変興味深く思います。もしかしたらこの語の意味の変遷に我が国の食文化が深くかかわっているのではないか??などと空想を膨らませられる記事でありました。  
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2007.10.18(木)第4限 教場4−203
 17の講義内容 『庭訓往來』の注釈書『庭訓往來註』『庭訓往來抄』〔PDF版
 
2007.10.11(木)第4限 教場4−203
 16の講義内容 『太平記』の注釈書『太平記賢愚抄』『太平記音義』〔PDF版
 
2007.10.04(木)第4限 教場4−203
 15の講義内容 『徒然草』の注釈書『徒然草寿命院抄』PDF版
 
2007.09.27(木)第4限 教場4−203
 14の講義内容 『平家物語』の注釈書『平家物語繪抄』PDF版
 
2007.09.20(木)第4限 教場4−203
 13の講義内容 鎌倉時代の類書『塵袋』を中心として 〔PDF版
 
2007.09.13(木)第4限 教場4−203
 12の講義内容 院政時代の古辞書三巻本『色葉字類抄』とその周辺 〔PDF版
 
2007.07.19(木)第4限 教場4−203
 11の講義内容 仏教漢訳経典語における取り扱い方法 〔PDF版
 
2007.07.12(木)第4限 教場4−203
 10の講義内容 『枕草子』には『春曙抄』『枕双紙抄』PDF版
 
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4724 投稿日:2007年 7月12日(木)17時30分54秒
 『枕草子』は、三大随筆の一つであることで有名ですが、「日記風の百科辞書としてみることができるのではないか」と先生がおっしゃっていたことに対して私はそのような見方もあるのだということに気づかされました。
 『源氏物語』や『栄花物語』には和文と共通するものが多く見られるということで知られていますが、『枕草子』でも『倭名類聚抄』の分類に基づいて本文を並べ替えてみていくことで『倭名類聚抄』の和名が出てくるなど、関連性のあることが伺えました。
『枕草子』には「よばひ星」のような特殊な言葉がでてきているので思いつくままに書いたというだけではなく、時代の要求に対して辞書を用いるなど考え抜かれた本文構成をしていったのではないかと思います。 
春曙抄 枕読みにし 宣長さん あなをかしとは 大和心ぞ
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2007.07.05(木)第4限 教場4−203
 09の講義内容 『和漢朗詠集』の注釈書『和漢朗詠集註』『和漢朗詠集聞書』〔PDF版
 
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4724 投稿日:2007年 7月12日(木)18時13分34秒 
『和漢朗詠集』の注釈書についてです。
 『和漢朗詠集』といえば、以前に尊經閣文庫名品展で、1238年(嘉禎4年)、二条為氏書写の前田家本『和漢朗詠集』の巻子本を見たことがあります。「嫩」の右訓には墨色で「モノウキ」、左訓には朱色で「ワカキ」と書かれていました。和漢朗詠集が編纂されたのは、1013年(長和2年)といわれていますが、この写本には「ワカキ」の読みが見えているのでこの時代にはもう2通りの読みがあったということが確認できます。今回の授業では「嬾」の読みの異同を知ることができました。
また、臨川書店から発行されている、栃尾武著の天理図書館蔵『貞和本和漢朗詠集』(附漢字総索引 和歌用語索引)を読んで、この研究方法に関心しました。
 右頁に影印があり、左頁には影印に対しての翻刻が手書きでされているのですが、それが目を奪われるほど達筆なのです。また、本書は朱筆・青筆・黄筆が用いられていて、その色分けをしている文字に対してもわかりやすく記載しているなど翻刻の仕方が参考になりました。現在は活字で翻刻をされている本が多いですが、こうやって手書きで翻刻をすることによって、ヲコト点など、コンピュータでは表記しにくい記号も手書きでは見やすくなるという利点があると思います。そして何より、手書きは温かさが伝わってきて、書き手の息づかいが聞こえてくるようで、活字で見ているときよりも自分が勉強するときに活力が沸いてきます。
 毛筆と硬筆では筆記方法が異なるので、どちらでも字をうまく書けるようになりたいなぁと思う今日この頃です。
 
(ものう)きと 嫩(わか)きの間 四百年(よももとせ) 文字見極め 今に伝えん
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4148 投稿日:2007年 7月 5日(木)16時10分56秒 
  鎌倉時代写『和漢朗詠集』の「紫塵」において、「塵」文字左に消されている字は、「人」のように見えます。「塵」の音はジンであり、「人」の音にも「ジン」があります。何かつながりはないかと気になりました。
また、反切法についてもっと深く勉強したいと思いました。通常の反切法ならば、観智院本『類従名義抄』における「嬾」の反切は「力m反」は声母 r と韻母 anを以ってランと読ませ和音ランと一致するわけですが、「リン」であるならば、一般に理解されているところの反切の概念とは異なるように思いました。資料によっては反切の捉え方が少し異なると聞いたことがあり、これを機に反切について勉強してみたいと思いました。
「ワカキ」と「モノウキ」の混同はそのプロセスを辿り、一方でその不審を指摘・研究する人々の態度に興味を持ちました。  
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2007.06.28(木)第4限 教場4−203
 08の講義内容 古辞書の注釈 狩谷掖齋『箋注倭名類聚抄』PDF版
 
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4724 投稿日:2007年 6月28日(木)18時47分34秒
 魚扁の文字は膨大で、私にとって読めない漢字も多くありますが、江戸時代には初等教科書として『魚字尽』を用いていて当時の高度な教育に感心させられます。
「サメ」の語源説は、『日国』には「サメ(挟目・挟眼)の義」、「サミからか。サは接頭語。ミは魚介の肉の意」〈・・・以下略〉とあって、『箋注倭名類聚抄』の注には、「梵語(サンスクリット)の作迷(サミイエイ・・メイ)の対訳からきている」と掖齋は書いているように「サメ」にも様々な語源があるということが伺えました。
 「鯊」を『漢字源』で調べてみると
  @{名}はぜ。川の流れ込む浅い海辺で砂をわけてすむ小魚。「沙魚」、「抗」とも。
  A{名}さめ。海にすむ魚の一種。ふかざめ。「沙魚」「鮫」「抗」とも。
  《解字》「魚+沙(すな)」で、はぜのこと。また「魚+沙(さらさらしたうす絹)」。
  さめ皮が紗に似ているので、さめをいう。
 とあって、一般的には「鮫(サメ)」、「鯊(ハゼ)」と読むようですが、「鯊」の一文字で全く別の魚「はぜ」と「さめ」の意味を表しているのはとても曖昧であると感じます。
 さて、日本は昔から魚を身近なものとして食してきたせいか、とても細かく魚の名前がつけられています。特に出生魚は、大きくなるにつれて名前が変わることでもよく知られています。
 
 「ブリ」
  35 cm 以下・・・「関東」ワカシ、「関西」ツバス、ヤズ、「北陸」ツバイソ
  35〜60 cm ・・・「関東」イナダ、「関西」ハマチ、「北陸」フクラギ
  60〜80 cm ・・・「関東」ワラサ、「関西」メジロ、「北陸」ガンド(ガンドブリ)
  80 cm 以上・・・ブリ。
  稚魚・・・モジャコ。
  体長 15 cm 程度・・・コズクラ、コゾクラ。
 「ボラ」
  「関東」オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド
  「関西」ハク→オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド
  「高知」イキナゴ→コボラ→イナ→ボラ→オオボラ
  「東北」コツブラ→ツボ→ミョウゲチ→ボラ
 このように、魚の大きさに加えて地域によっても名前の差異がみられています。また魚が多くの名前を有していることの他に、「雨」の種類を日本では「にわか雨」や「霧雨」というように、豊富な言語表現がなされています。このように考えると、言語はその国々の文化や環境と密接に結びついているのだということを感じます。 
尊びて 使いやすきや 倭名抄 順知りて 辞書読まんとす
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2007.06.21(木)第4限 教場4−203
 08の講義内容 『古今和歌集』の注釈書『古今集註』PDF版
 
 
2007.06.14(木)第4限 教場4−203
 07の講義内容 『古事記』と『古事記伝』PDF版
 
 
2007.06.07(木)第4限 教場4−203
 06の講義内容 『日本書紀』と暗号 〔PDF版
 
 
2007.05.31(木)第4限 教場4−203
 05の講義内容 『万葉集』の注釈書『万葉集略解』『万葉代匠記』〔PDF版
        憶良の語法〔吉田金彦、訓点語研究口頭発表資料に基づく〕〔PDF版
 
日本言語文化研究U 投稿者:ck4724 投稿日:2007年 6月 1日(金)08時12分25秒 編集済 
 「くれくれと」ということばは私は普段聞き慣れないことばで、この語句には、「心暗い」の意、京ことばでは「くりかえし」の意、近世では「めまいがすることを表す語、くらくら」の意であるということを学びました。
 平成17年の上代文学会秋季大会でも居駒永幸氏が「万葉歌の「くれくれと」―境界に関わる表現として―」を発表されています。論文をまだ拝見していないのですが、要旨には
 「近年の新編全集『万葉集』(小学館)も@「暗い心で」A「とぼとぼと」の現代語訳を示し、「暗い心理状態を表す語」とする。「くれ」を「暗」「闇」の意とし、「暗鬱な心の状態」(『時代別国語大辞典・上代編』)を表す語という見解はほぼ通説と言ってよい。」
とあって、吉田金彦氏と同じ視点で別な解意を示しているように見えます。
 さて、『万葉集』卷五(八八八)の歌の「くれくれ」の解釈は、歌全体の解釈を見てみると本居宣長の解釈に従って「心も暗く一人で私は来る。妻に逢いたくて」というのが一般の解釈であるとおっしゃっていましたが吉田先生が書かれているように私も「心も暗く」では後の詞と結びつかないと感じます。しかし、『日国』を見てみると、心が沈むという意味である「くれくれ」の初出用例は、『万葉集』であって、「繰り返し行う」という意の初出用例は、江戸の作品になっています。
 ということを考えると、『万葉集』が書かれた時代には、「心が暗い」という意味でしか見えないのでこの意味で用いるとどのように解釈していたのか、また当時に「繰り返し」という意味が存在していたのならこの歌の解釈は「妻に逢うために繰り返し来る」という喜びの表現として用いていたのかどうか、ということが疑問に思います。注釈書や辞書を理解することで新たなことばの解釈が見えてきたり、ことばの世界が広がっていくのでそれぞれのことばを細かく調べていくことは大切なことであると感じます。
 今日、『日国』オンラインを実際に使っているところを拝見して、初出用例が取り出せたり、調べたい語句を全体の中から取り出すことができるなど、とても便利だと思いました。
 私は、以前漢文の本文に出てきた語句を一語一語調べて入力したときに、典拠に書かれている一・二点を付すことや入力作業は地道でなかなか進まず多大な労力と時間を費やしたことを思い出しました。この苦労があったからこそ、『日国』オンラインのありがたさをつくづく感じます。
 また、語句の解釈を試みたときに仏教語や漢語など載っていない語彙があり、このような語彙の対処に苦労しました。しかし『日国』にはどの語彙を収録するかという基準があると思うので仕方のないことだと思います。漢和辞典や国語辞典など身の回りにある辞書に載っていない語彙というのはいろいろな手続きを経なければならず、調べるまでに紆余曲折があるのでもっと滑らかに進める為にも今後『日国』オンラインを越えて、古辞書やあらゆることばが検索できる辞書システムが開発される日が来てくれたらいいのになぁと夢を見たのですが…「のめし」なことを考えてはいけませんね。
のめしせず 蟻のようにぞ くれくれと 働く先に 我が道ありけり
 ※のめし・・・怠惰。怠けること。  
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2007.05.10(木)第4限 教場4−203
 04の講義内容 『源氏物語』の注釈書『源氏奥入』『源氏物語抄』『河海抄』〔PDF版
 
2007.04.26(木)第4限 教場4−203
 03の講義内容 『伊勢物語』の注釈書『和語知顕集』『~風知顯正義集』『伊勢物語惟清抄』〔PDF版
 
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4724 投稿日:2007年 5月17日(木)13時17分49秒 
  『神風知顯正義集』の第六七段の和歌の註釈には、「〈前略〉林乃かれてしろきはなのさきたるやうになりたりしハ実の花あらず、これそら事のはななり〈後略〉」とあって釈迦入滅の時に沙羅双樹が枯れて、が舞うように白くなったという解釈がしてありますが、
 角川文庫『伊勢物語』第六七段和歌の註には、
「「花の林」は、雪を花にたとえたもの。この歌、寓意があろうが、明らかでない」
とあります。また現代語訳には
「昨日も今日も雲があわただしく立ち動いて山がずっと隠れていたのは、雪が降り積もって―花かと見まがう林を情けなく思って〈隠して〉のことだった」
とあって「雪」を「花」に例えたものとして解釈をしています。
 お釈迦様が入滅したのは2月で、冬の雪が降る時期であるので雪が花のように見えたというのも頷けますが日本的な叙情性のある解釈であると思います。
 これに対して前者の注釈の内容を念頭においてこの歌を読んでいくと書き手である人が仏教に帰依し、仏教思想を歌の中に反映しているので、より歌の奥深さが感じられます。涅槃図絵を見てみると、沙羅双樹の木は左半分が白くなっていて、右側の木はまだ青々としているようにお釈迦樣が入滅した直後を描いたと思われ、時間の経過が表現された図絵になっています。また象や牛、寅などの動物、そして沙羅双樹の木が枯れるなどすべての生き物がお釈迦様の入滅を悲しんでいるこの図絵からは、仏教の真髄が伝わってきます。
 また『涅槃経』には、
「その時世尊は右脇を下にして頭を北方にして枕し足は南方を指す。面は西方に向かい・・・」 とあり、涅槃図絵に描かれているお釈迦様は頭を北に向けて右側を下にして涅槃に入られています。現在も亡くなった人を北枕にしているのは、お釈迦様に擬えたといわれ、私たちが普段北枕で寝ることは縁起が悪いこととして憚られてきました。しかし、科学的には北枕は健康的な寝方なのだそうです。地球の磁力線の通りに北向きに寝ると、磁気に逆らわないので自然な向きになるため、血液が順調に流れるようになるようです。このことを見聞し「物は試し」の精神で実際に北枕で寝てみました。北枕で寝ると熟睡できるという人もいるようですが私はいつもと何も変わりのない朝を迎えました。
      みほとけの 眠りにつくは 北枕 雲のはたてに いのち響かん  
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2007.04.19(木)第4限 教場4−203
 02の講義内容  『徒然草』の注釈書『徒然草寿命院抄』PDF版
 
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4148 投稿日:2007年 4月25日(水)10時02分31秒 
  羅列の気持ち良さはよく分かります。最近、目録にはまっていて、卒論を書いているときの気分転換に、目録やそれに似たようなものを読むことがあります。そうしていると何故かイメージが湧いてくるのです(病気か!?)
 注釈書はその時代の人々が、対象となる書をどのように享受していたのかが見えるので、面白いと思います。過去の時代のものとして、時間軸の止まってしまっている作品を、どのようにして「今」に甦らせ、自分たちの身近なところへと書の世界を引寄せていったのか。過去と今では何が変わり、何が変わらないのか。1年間、そうしたことを考えて生きたいと思います。今年もよろしくお願いします。  
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4724 投稿日:2007年 4月20日(金)20時08分11秒 
   今日の一句
つれづれに 読まんとするは 寿命院 宗巴医師に 迫りたしぞや
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2007.04.12(木)第4限 教場4−203 
 01の講義内容 ※最初に情報センターの使用手続について担当責任者説明
古典作品に於ける「古注釈」研究の領域とはPDF版
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日本言語文化研究U 投稿者:ck4724 投稿日:2007年 4月12日(木)16時10分17秒 
 私は、今まであまり古注釈に触れたことがないのでこの授業を通して「古注釈」に書かれた内容を理解していきたいと思います。私の希望としては、視覚的注釈書である「絵巻物」等を見て、色彩や、図柄から当時の慣習を学びとりたいことと、さまざまな資料を扱って図画、図表の処理の仕方を学びたいと思っています。一年間よろしくお願いします。  
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講義の内容・授業計画
 01の講義内容 ※最初に情報センターの使用手続について担当責任者説明
古典作品に於ける「古注釈」研究の領域とは
 02の講義内容 『万葉集』の注釈書『万葉集略解』『万葉代匠記』
 03の講義内容 『古事記』の注釈書『古事記伝』
 04の講義内容 『日本書紀』の注釈書『日本書紀抄』
 05の講義内容 文献資料の蒐集方法とその取り扱い
 06・07の講義内容 字書・辞書、そして参考とすべき専門書の利用とその方法
 08の講義内容 『伊勢物語』の注釈書『和語知顕集』『~風知顯正義集』『伊勢物語惟清抄』
 09の講義内容 『古今和歌集』の注釈書『古今集註』
 10の講義内容 『枕草子』には『春曙抄』
 11の講義内容 『源氏物語』の注釈書『源氏物語抄』『河海抄』
 12の講義内容 文献素材の入手及びデータ入力作業
 13の講義内容 『和漢朗詠集』の注釈書『和漢朗詠集註』『和漢朗詠集聞書』
 14の講義内容 『平家物語』の注釈書『平家物語繪抄』
 15の講義内容 『徒然草』の注釈書『徒然草寿命院抄』
 16の講義内容 『太平記』の注釈書『太平記賢愚抄』『太平記音義』
 17の講義内容 『庭訓往來』の注釈書『庭訓往來註』『庭訓往來抄』
 18の講義内容 難字・異体字の処理及び修飾文字の利用(「今昔文字鏡」等)
 19の講義内容 図画・図表の処理(データ加工)→機器スキャナーに依る取り込み
 20の講義内容 注釈書類の引用文献その1漢詩・漢籍資料
 21の講義内容 注釈書類の引用文献その2和歌資料
 22の講義内容 注釈書類の引用文献その3和文資料
 23の講義内容 注釈書類の引用文献その4記録類資料
 24の講義内容 注釈書類の引用文献その5字書・辞書類資料
 25の講義内容 解読資料の整理記述
 26の講義内容 資料公開とその注釈語の分析結果報告
 
履修上の留意点
 ※出席は、教場IT管理に依拠します。授業開始時に当日の出席書込欄にまずチェックをしましょう!また、IDチェックを忘れたりした場合などは、下記掲示板へ書込みをすることで確認が可能となります。
 ※講義内容及び連絡事項については、HP(情報言語学研究室)上に凡て逐次掲載しますので常時閲覧願います。質疑応答の問い合わせも直接研究室対応の他、IT機器を用いても応対可能とします。
 
成績評価の方法(GPA制度に基づく)
(4)成績評価方法
 月毎に注釈書収載のことば群から説明語彙を選択し、上記項目を常にふまえた上で、報告書を提出し発表してもらいます。個人が年間分析する上記報告書における私からの質問を受けて、各自それぞれ提出してもらいます。解答の数を最低20としてこの一問一答ずつの提出物を高く評価していきます。
 提出の際には、提出の年月日の記入。学籍番号。氏名を必ずファイル名と内容資料に必ず添えてください。
 ご自分が調査した関連語句(書名・人名・用語など)の記入とそれに関わるネットリンク、添付画像処理についても著作権・肖像権問題に充分留意をお願いします。

 また、総合教育研究学部(日本文化部門)掲示板のご利用を期待します。皆様方の声と管理担当者である萩原の考えや日程をここに反映させ、学習支援及び学習意欲の向上をめざすことが本来の目的です。ここに記載された内容は、すべてこちらで管理運営しています。今後、この授業内・外を問わず、この書き込みを通じて授業評価にも大きく反映させて行きますのでご承知願います。

 
教科書{著者名『書名』(出版名)価格、ISBN}
 URL http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi を使用する。
 
参考書(指定図書・文献等)
その他(授業方法−講義形式、ゼミ形式、プリント配布、レジュメ配布等)
 情報機器及び文書編集ソフトを利用します。講義資料はHP(情報言語学研究室)上に凡て掲載します。授業内における講義プリントやレジュメPDF資料配布の紙面出しは必要最低限で保証します。
 情報機器を利用します。講義資料はHP(情報言語学研究室)上に凡て掲載します。授業内における講義プリントやレジュメPDF資料配布の紙面出しは必要最低限で保証します。