1月1日〜1月31日]

ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

ことばの由来。ことばの表現。ことばの妙味。ことばの流れ。とにかくみんなさんご一緒に考えてみましょう。

1998年1月31日(土)曇り後雪。

朝一の 駆け支度して 心意気

「目線」と「視線」

 「目線」と「視線」どう違うのか?このこと、29日の毎日新聞朝刊、校閲インサイド“読めば読むほど”<近ごろの辞書は苦手>のなかで、岸田真人さんが書いている。

 そのなかで、「この「目線」。元々は映画などの業界で限定的に使われていた言葉だが、今では「子どもの目線を感じた」というように「視線」と同じ意味での使い方が市民権を得ている。「この場合は視線の方が正しい」と思う時でも「目線イコール視線と辞書にある」と言われると客観情勢は不利。この二つが、ひとつの文章の中で共存した例などを前にすると、「使い分けにどういう意図があるのか」と考え込んでしまう。私は「目線」を俗語だと思っていたから、無条件に「書き言葉としては視線が正しい」と信じ込んでいるが、さてその根拠は何なのかといわれれば、答えに窮した揚げ句、「辞書よ、なぜこの違いをはっきりさせてくれない」と恨みたくなる。最近、「人物が特定できないように写真の目の部分を消す線」、いわゆる「目消し線」のことを「目線」といっているのを雑誌で見て、「まさか、どこかの辞書に載ってる?」と心配になった。「目消し線」イコール「目線」まで認めるようになったら、その時はもう「辞書は苦手」とばかりも言っていられなくなりそうだ。」と結んでいる。

 この指摘をもって、現行の新明解『国語辞典』を繙くと、「めせん【目線】〔舞台・映画撮影などで〕演技者やモデルなどの目の向いている方向・位置・角度など。〔俗に「視線」の意でも用いられるが、「目線」は目の動きに応じて顔も動かす点が異なる。〕」と特記している。

ここで、「目の動きに応じて顔も動かす点が異なる。」と差異を提示する。この指摘をはたして岸田さんは、どう見ていらっしゃるのか知りたくなる。と同時に、「「視線」の意でも用いる」というところを、ことばと現実とのつきあわせではないが、きしっと確認すべきだと思うのだが、さて如何なものか?

「カメラ目線」。

1998年1月30日(金)晴れ。

 学期末の定期試験もすすみ、FD提出の学生にとってこの寒気は大敵である。零下になる部屋に放置しておくだけで、ファイルが消失してしまう怖い季節なのだ。昨晩も水道管が凍るような、凍てつく寒さとなった。

朝しばれ FD中身なく 氣をもむや

「負ける嫌い」

「負けず嫌い」ということばを繙くと、国語辞典(小学館『国語大辞典』)に、

まけずぎらい(‥ぎらひ)
(「負け嫌い」「負けじ魂」などの混態か)⇒まけぎらい(負嫌)

まけぎらい(‥ぎらひ)
(形動)負けることをことさらいやがる性質。また、そのような人。まけずぎらい。

とある。「負け嫌い」と「負けず」が混態(混合)して慣用語表現として使われだしたのは、近代のいつごろだったのかと知りたくなる。幸田露伴『日ぐらし物語』(岩波文庫)には、

とあって、「負ける嫌い」と「負け嫌い」の基礎語形がみえるのである。また、学研『国語大辞典』には、「負け嫌い」の用例として、二葉亭四迷『平凡』の「私は我儘者の常として、見栄坊の、負け嫌いだったから、」が収載されているが、「負けず嫌い」の方には用例を未収載としている。知りたいところ(ツボ)を抑えた国語辞典は編纂されないのかと今日もつくづくと感じる。「負けず嫌い」のことばの初出用例収集がここからはじまるのだ。

1998年1月29日(木)晴れ、夕方から大雪。

晴れ渡り 西北見ると 雪雲ぞ

「とっとき」

「とっとき米〔マイ〕」が目に付いた。「とっとき」という語表現を文字化したものである。「とっておき」すなわち、「取って置き」という動詞の連用形が名詞化した転成名詞がもとである。「totteoki>tottoki」と二重母音脱落の法則による変成語のひとつである。いざという時のために、手をつけないで置いた大切な品物。そこから転じてその方法・手段に用いる。

この「とっとき米」は、いざという災害時に備えるために備蓄しておく米のようである。当然、保存食品にふさわしい管理がなされているものであろう……。と記述する私は、まだ現物を見ていないのだ。ひょっとしたら、別の意味を有する内容の品物かと一抹の不安は残る物である。これは、5`づめの袋入りにして販売している。暇をいとわず米屋さんをのぞいて調べてみようと思っている。

さて、この「とっておき」と「とっとき」と使う用い方について、目を向けてみることにする。学研『国語大辞典』を繙いていみると、「とっておき」の用例には、泉鏡花『歌行燈』の「とっておきの着物を出して、能〔よう〕勤〔つと〕めて帰れや言うて」が収載され、そして、「とっとき」の用例には、有島武郎『或る女』の「田川夫人は…群集にとっときの笑顔を見せながら、」が収載されている。意味は双方大差はなく、話し手・書き手の用い様に委ねられている。

次に国語辞典の収載状況についてだが、

T、三省堂の新明解『国語辞典』・新潮『現代国語辞典』は、二語を見出し語としてそれぞれ収載し、意味乃至用法を記述している。ここで新明解は、「とっとき」の語を口頭語的表現(:話し言葉の中で、遠慮の無い人同士が好悪・愛憎などの感情を隠さずに、ぶっつけ合う表現。〔時に崩れた物の言い方や、俗っぽい表現の交じって来るのを禁じ得ない〕と意味記述している。また、位相などの指示で、ごく普通の話し言葉。やや崩れた形を含む)と位置づけしている。[この「口頭語的表現」については、別項記述をせねばなるまい。暫し留め置く]。新現国の「とっとき」の項には、「ヘボン」すなわち、『和英語林集成』第三版に収載とある。

U、小学館『新撰国語辞典』は、二語を見出し語としてそれぞれ収載し、意味乃至用法を記述しない。ただ、矢印をもって「とっておき」と記す。

V、岩波『国語辞典』は、「とっておき」の注文のなかに「「とっとき」とも言う」として独立見出し語として扱っていない。明治書院『精選国語辞典』もほぼこれに同じである。

どうも、小型『国語辞典』では、身近に表現されていることばをしっかり見据えて反映できている辞書は、まだまだ少ないようである。

1998年1月28日(水)大雪。

雪のぞき へらぬ天から 降り続く

「遯」の字

 建部遯吾先生という社会学の草分けを知る人は、今どのくらいいるのだろうか。「コント、カント、トンゴ」といって世界に名を馳せた人物であり、弟子に戸田貞三がいると恩師渡辺三男先生から電話で教えていただいた。遯吾先生は、駒澤大学で教鞭をとられた最長老の英語学者高橋五郎先生、そして安井小太郎先生とならぶ気風あふれる教員であったようだ。現在、私はこのお三人の先生方の講義ノートをなぜか探している。この時代、雑誌に『變態學』があって、ハーンの影響を受けてか心霊研究が取沙汰されている。

この「建部遯吾」の「遯」の字だが、意味は「のがれる」ことであり、「遯世〔トンセイ〕」、「隠遯〔イントン〕」というふうに用いる。今この「トン」の漢字は、「遁」の字で書くことも手伝ってか、あまり見かけないのも事実である。古字書、観智院本『類聚名義抄』佛上には、「遁」の字、そして「遯」の字ともに「ノガル」の訓が収載されている。

1998年1月27日(火)大雪。苫小牧は晴れ

雪雲や 青空近き 半時間

「たばこ」と「煙草」

 芥川龍之介の小説に『煙草と悪魔』(大正五年十月)という短編がある。芥川自身、大の愛煙家であったかどうかは私には定かではない。そして作家芥川は「たばこ」をどう思っていたのか?このことは別に考えるとして、小説のなかにおける仮名書きで「たばこ」と表記する語と漢字で「煙草」と表記する表記法に何らかの相違する書き手の意識が働いていないか?このことについてこの一作品をもとに考えてみることにしたい。

 この短編のなかで、仮名表記の「たばこ」は一例にすぎない。これに対し漢字表記の「煙草」は、十一例にもおよぶ。さて、仮名表記の「たばこ」は、「文録年間に『きかぬものはたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの醫者』と落首〔らくしゆ〕ができ、」といった落首(らくがき)がそれである。そして、この落首のあとに「一般に喫煙が流行するやうになった。」とあって、喫煙の嗜好品となっているものを仮名書きで表現し、多くの漢字表記の「煙草」についての文章表現には、

  1. 煙草〔タバコ〕は、本来、日本になかった植物である。
  2. 種々雑多な植物の種を、耳の穴の中へ入れて持ってゐる。
  3. 数日の中に、畑打ちを完わって、耳の中の種を、その畦に播いた。
  4. 悪魔の播いた種は、芽を出し、莖をのばして、その年の夏の末には、幅の廣い緑の葉が、もう残りなく、畑の土を隠してしまった、が、その植物の名を知ってゐる者は、一人もない。
  5. その中に、この植物は、莖の先に、簇々として、花をつけた。
  6. ――その代り、私が勝つたら、その花のさく草を頂きますよ。
  7. それには、どうしても、あの植物の名を、知るより外に、仕方がない。
  8. あの紫の花が、心ぼそくうす暗い中に、ほのめいてゐる。
  9. ――この畜生、何だつて、己〔おれ〕の煙草〔タバコ〕畑を荒すのだ。
  10. その畑にはえてゐる煙草を悉く自分のものにした。

といった具合に、種から芽を出し、葉をつけ、花を咲かす「植物」についてこれを描写していることに気がつく。この植物の「煙草」の葉が加工され、嗜好品の「たばこ」となると、これを仮名書きにしたと思われる。このように芥川は仮名と漢字の表記法によって植物と嗜好品とに区分していると考えてみたのである。

1998年1月26日(月)晴れ一時雪。

天に無し 地に積もり来て 誰の雪

「とらがり」

 髪を切りに行く。店の名称も「床屋」>「散髪屋」>「理髪店」>「理容院」と変貌する。なかには、カタカナ・横文字で「バーバー(BARBAR-shop)」と標示する。そして、この名に応じてか「とらがり」に髪を刈るような下手くそな理容師は、この世に存在しなくなっているという具合なのだろうか。

 いざ店に入ると、モダンな店の名とは裏腹に、いっきに「理容院」から「理髪店」>「散髪屋」>「床屋」にことばの意識が逆戻りしてしまう店構えに驚く。「理容師」さんも白髪で眼鏡をかけた年輩の御仁。さすれば、寒くても短かめに散髪をお願いするしかなさそうな感じを抱く。でなければ「とらがり」を覚悟して帰らねばなるまいなんて、勝手に想像をたくましくしてしまう。一時間二十分ほどの散髪時間が過ぎ去り、ほっとして短くなった頭髪を手で触ってここを後にした。「とらがり」は、耳にしなくなったことばだが、私自身、「バリカン」をもって散髪したあの懐かしい「とらがり」という昔のことばの記憶が消え去っていない嬉しさを味わえた時間の流れであった。

新明解『国語辞典』第五版に、

とらがり【虎刈(り)】段になって(トラのまだらのように)見える、へたな、髪の毛の刈り方。

とあった。髪毛に段模様の筋目がのこり、これが虎の毛模様に似ているところから、「とらがり」といったことば表現が生まれた。そしてこの拙い髪切りをする床屋をも、「とらがり」って呼称したのだ。これも国語辞典には、用例未収載にある。

1998年1月25日(日)雪。

ひねもす 名簿づくりに 時移る

「ねぼすけ」

 「ねぼすけ」を漢字で表記するとき、「寝坊助」と書く。このことばと宛字が妙に気になる。最初の文字「ね【寝】」はともかく、次の「ぼう【坊】」そして最後の「すけ【助】」が面白い組み合わせだからだ。「ねぼう【寝坊】」というと、朝遅くまで寝ていることの意味で、「あさねぼう【朝寝坊】」ともいう。この「坊」の語は、「利かん坊」や「赤ん坊」などというときは、子どものこという。「暴れん坊」となると、子どもとは限らず、未熟な若者までも含まれてくる。テレビ時代劇に“暴れん坊将軍”という八代将軍徳川吉宗の若き時代を表現する常套句にこの語が使われたりしている。また、「泥坊」は、子どもどころか立派な大人をさすといってよい。そして当面の「寝坊」は、どの範疇であるのかといえば、子どもだけとは限定しずらいものがる。さらに、この語にだけなぜか卑小な存在を表現するところの「すけ」を重ね添える。「呑み助」とか「ちび助」とかいうときの「やつ【奴】」といったと同じ意味合いをこめて使うのだ。

 「ねぼすけ」は、男・女関係なく、自称・他称ともに表現する。自分に使う場合は、多少謙って表現する。たとえば、「私は、もともと早起きが苦手で寝ぼすけだった。」というぐあいにである。ところが、これが他人となると「この寝ぼすけが早く起きろ!」と叱り口調でふとんをまくしあげられてしまう状況のなかで勢いよく口から飛び出す。また、ときには、「この寝ぼすけさん、早く起きましょうネ」と枕元で甘く諭されるようにも使われることばなのだから……。

 「ねぼすけ」の用例がどの国語辞典も未収載であることが、さらに惹き立てている。

1998年1月24日(土)晴れ。

 ビリヤンコとしばれた。朝の日課は、家の前の道路を除雪して重い雪の塊を除雪車がドサッと置いていく。この雪の塊をスコップでかき除く作業がこの冬もまだまだ続く。

ぴりからと 冴え澄みたる 朝しばれ

「一文字違い」の遊び

「一文字違い。さがしてみませんか?」と題する“namco”の広告が目を引いた。

一文字違い。遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊

さがしてみませんか?遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊

 遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊

 遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊

 遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊

 遊遊遊游遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊

 遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊

 遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊 namco

と一、二行まで12文字、三行から六行が18文字、七と八行が11文字の「遊」の文字がならぶ。このなかに一字だけ字形相似の異なる文字「游」をもりこんだ遊び心をくすぶる広告文なのである。会社名“namco”だけで、如何なる事業をする会社なのかはここでは知れない。「遊」文字広告の“namco”を印象づけるだけのものである。118文字中一字だけ異なる文字を排列した新聞広告がこれである。

ところで、あなたも遊び心で何か文字を書き込んでみませんか?

1998年1月23日(金)晴れ。

三度の雪 投げ終わりて 背筋痛む

「食味」と「味見」

 米の銘柄を食して識別する人がいる。このとき「味見する」と表現するか「食味する」と表現するか、この模様を伝えるアナウンサーは「味見する」といったあと、即座に「食味する」と言い直していた。この「味見」と「食味」の語についてどう使われるのかをここで検討する。

 「食味」は字のとおりに読めば、食べたときの味。「味見」は、少し食べたり、飲んだりして、味の具合をたしかめることをいう。この二語は、味をしらべる意味で類似することばだといえよう。そこで、国語辞典でどう記載されているかを調べてみよう。

  1. 新明解『国語辞典』は、「味見」を「少し食べたり、飲んだりして、味の加減を確かめること」とし、「食味」を「食べ物の味(のつけ方)」としている。  
  2. 岩波『国語辞典』は「味見」を「味加減を知るために少し食べたり、飲んだりすること」とし、「食味」を「食物のあじ」としている。
  3. さらに、「食味」の語についてだけ、国語辞典を繙いてみると、

  4. 新潮『国語辞典』は、「食べた時の味〔日ポ〕」。
  5. 新潮『現代国語辞典』は、「たべたときの味」。
  6. 小学館『新撰国語辞典』は、「たべものの味」。
  7. 明治書院『精選国語辞典』は、この語未収載。

 このように「食味」の方は、名詞形の意味でとりあげられ、「食味を落とす」とか「京の食味」といった使い方をする。ここに表出した「米の銘柄を食味してあてる」というような言い方で、「食味する」と漢語サ変動詞で表現する例は、国語辞書にはどうも未収載なのである。この「食味」と「味見」とが類義語として認定されているかを小学館『類語例解辞典』を繙いてみると、

  「106-12【試食〔ししょく〕】/味見〔あじみ〕[関連語]毒見〔どくみ〕/試飲〔しいん〕[共通する意味]料理の味を調べるために、ちょっと食べてみること。[英]to sample;to taste [使い方の例]〔試食〕スル/新製品のカレーを試食する/試食会/〔味見〕スル/シチューを味見する/[それぞれの意味と使い分け]「試食」は、新しく作られた食品や自分にとって初めての食品を、試しに食べてみる場合に使われることが多く、「味見」は、料理の途中などで味加減をみる場合に使われることが多い。」

とあり、「食味」の語は含まれていない。ここで「味見」が料理の途中で味加減をみる意味であることからして、「食味する」というのは、すでに仕立てられた料理をもとに味わって確かめる意味に使うのであるまいか。このことばの使い方の違いをここに知るのである。今後、漢語サ変動詞「食味する」の語用例を採取していきたい。

1998年1月22日(木)雪午後晴れ間。

天の雪 地上にここぞと 降りしきる

「風説」

「風説の流布」ということばが21日の衆院予算委員会岩國哲人議員(民友連)の口から飛び出した。「「蔵相がそこまで固い決意を持っている政策ならしばらくは続く」と国民は思う。結果的に根拠のない見解を多くの人に広めたことは、市場における「風説の流布」に相当するのではないか。」(本日朝日新聞・政治13版)という。この「風説」ということば、谷崎潤一郎『細雪』に、「こう云う場合の風説が如何に針小棒大に伝播するものであるか」と表現されている。「風説」は「うそ」なのだろうか?どこともなく衆人に広まりはするが、根拠を求めてみるとなにもない。これを「うわさ」という。「風説」は「うそ」ではなく、この「うわさ」の類なのである。

「風聞〔フウブン〕」や「風便〔フウビン〕」も、「うわさ」類で、これに「風声〔フウセイ〕」と「風評〔フウヒョウ〕」が類義語表現としてある。この類義語をつなぎとめる表現に「〜を耳にする」を下接してみるといい。ところで、「うわさ」と「うそ」とのことばの境界をどう説明するのか、「うそ」の仲間に「ほら」、「はったり」、「虚構」や「架空」が連関している。そして「罪にならないうそ」というものが設定され、「楽しいうそ」すなわち「ほらふき話」を求める趣向から、はっきり「うそ」だ「そらごと」だとわかっていても受容してたりする。「伝説」は、「うそ」か「うわさ」かと境界をさぐってみると、どうも話者の根底には「うそ」だと意識が働くようだ。これに対して、聞き手には「ほんとうにあったんだなア」と思い込んでしまう「うわさ流」の意識へと働いていくようだ。「託説」を説いて聞かす立場にある人種(政治権力者)にとって、この伝説にも連関する「神託」にも似た「わたしはうそは申しません」ということばの裏には、政治権力者の「うそ」と「うわさ」のかけひきが見え隠れしているようにも見える。弱さ故の顕示欲が自己防衛の手段として「うそ」を「うそ」で固め尽くす。諺に「ほらとラッパは大きく吹け」という。吹きつづければいつかは実現するといった思いがこれを支えている。この「大ぼら」を知ってか知らずにか耳にする衆人は、「風説〔うわさ〕」として伝播しつづけているようだ。

ところで、「法螺吹き」は山伏のアイテム「法螺貝」のことで、これを持った山伏が里に降りてきて、ほらを吹いては、里人を参集させては予言めいたことを言う。これがたぶらかし、惑乱させる要素を有していたことから、「うそつき」の代名詞となって、「ほらふき」というようだ。奈良時代の予言者である役行者すら、「よからぬ風説」を流すものとして伊豆に流されている。苦悩する衆人の救済になる「うわさ」は、いったんは満足させるが、「だまされた」と知れるとワイワイと騒ぎ出すのはいまもむかしも変わらぬようだ。逆に「うそからでたまこと」なんていうのもあるから一概に、「うわさ」を「インチキ」だと決定づけるのは容易でないのだ。そこで、古くは「起請文」を書かせて誓約させたりしていたのだから人は面白い。「ばかしばかされ」て人は生き続けている。この「化かす」はいつか「人」から「狐狸」といった動物に受け継がれてしまったのどかな時代は今の世に通用するのであろうか。

1998年1月21日(水)朝晴れ午後吹雪く。

白き山 まるまるこもり 吹き流し

「一つ目小町」

 本日朝日新聞朝刊・道内版“スクエア”に、「一つ目小町」という表現が紹介されている。書き手は道演劇財団事務局長、平田修二さん。内容はこうだ。「渋谷のようなターミナルのまちは、大手の店や会社がひしめき合っている。それに対して、ファッションの代官山や演劇の下北沢のように、各駅停車や急行で一つ目のまちは、個性を持って発展しやすい。それを称して、一つ目小町というとのこと。」といった意味に使っている表現なのである。「小町」といえば、誰もが想起するのは平安時代の人物「小野小町」はたや「玉造小町」。そこから派生した米の銘柄「秋田小町」ぐらいであった。ここの「一つ目小町」は、個性ある町並みをいうのだ。さしずめ北海道でいえば、札幌から特急で一駅のところである夏の緑と冬の白といった自然につつまれた岩見沢のまちも「一つ目小町」の可能性を秘めているのかもしれないなんて考えてしまうことばである。みなさんのまちはいかがですか?

1998年1月20日(火)晴れ。苫小牧

アイスバーン 転ばぬすり足 跳ぶ如く

混ぜ書き(「破綻」

 この「破綻」の表記についてだが、本日の読売新聞(朝刊)の《経済危機、克服への提言5》には、「破綻処理判断透明に」と漢字表記する。文面中においては、「さもなければ、圧力に負けて破綻〔はたん〕銀行を救うことになり、より悲惨な危機を招くことになるだろう。」「日本の国民は、破綻を招いた経営に携わったすべての関係者が排除され、今日の問題に対応できる新しい経営陣に刷新されるよう監視しべきである。」「目下、日本の破綻処理のルールはあいまいで、個々の銀行の取り扱いは密室の交渉に任されているように思える。」と用いられている。同じく本日の朝日新聞(朝刊)1面《長銀に「野村とペアを」》の「また第二十四回債では、有力な主幹事候補だった長銀が、乱脈経営で破たんした旧東京協和信用組合の元理事長との関係を取りざたされるなどの問題を抱えていた。」や政治13版《国会ハイライト》には、「「経営破たんした銀行は救済しない」と口ではいうが、これで本当に大なたがふるえるのか―。これまた素朴な疑問だ。」と混ぜ書きをしている。混ぜ書きとしては、同じく「遜色」を「そん色」と表記する。これらの常用漢字以外の文字の漢字表記にするか混ぜ書き表記法にするかについては、各新聞社に委ねられているのが現状のようだ。

[余見聞]

 「不況化」の誤字

 本日の午後十時のニュース・ステーションの文字表示板に「不況化」と掲示されたのを、CMのあとですかさず「不況下」の誤りであることをニュースキャスターの久米宏さんが訂正していた。「橋本不況」なる言葉が19日の予算委員会での質疑応答のなかで使われていた。

1998年1月19日(月)曇り後晴れ。

十文字 雪重ねてや 狭き道

「なのり」

「なのり」を「名乗」、「名告」と漢字表記することについて今回調べてみた。現代人の「なのり」の表現例として、弘兼憲史さんの漫画『ハロー張りネズミ』13に、

 あんた松橋さんかい?

 人に名前を聞くなら、自分から名乗るのが大人の礼儀ってもんだぜ

 大人の礼儀をわきまえているんなら、そのライトをなんとかしろよ。

 昔の警察の取り調べじゃあるまいし・・・・まぶしくてやりきれないぜ

 パッ

 さあ名乗れよ。お前は何者だ

 七瀬五郎。東京の私立探偵だ。こっちの女性は俺の友だち

 探偵?探偵が何故ここの写真を撮ってるんだ?

 おっと約束が違うぜ。俺が名乗ったんだから、あんたも名乗ってくれなきゃ、話が前に進まない

 俺は、神足〔こうたり〕健一、定職はなし

 そんな名乗り方は、ないだろう。どんな不定の職業だ?

 一応、薬品業界では、トンビと呼ばれている職業でね・・・・。他人に正体をばらすとやばいんだよ

といった具合に表現されている。ここでの「なのり」は、氏名と身分である職業(場所も含む)が主である。いわば、簡潔な自己紹介なのである。そして、この「名乗」の漢字表記であるが、古くは、室町時代の古辞書『下学集』態藝(元和本八五F)に、「実名〔シツー〕。名字〔ージ〕。名乘〔ナノリ〕二字同」。『運歩色葉集』(天正十七年本中23ウB)に、「名乗〔ナノリ〕」。書言字考『節用集』四40Cにも、「名乗〔ナノリ〕」と見えるものである。文学資料では、『源平盛衰記』にこの字が見える。それ以前は、すべて仮名表記で「なのり」とあるにすぎないようだ。そして、この時代の「なのり」というのは、林笠翁著『仙台間語』続編第一に、「名ノリ名ノルトハ、人ニ逢テ我名ヲ告〔ツゲ〕ルコト也。告字、ノルト訓ス。某ト名告ル。某ト名告〔ノリ〕テト云是也。名ノリト云ヲ詞ノ体ニシテ名ノ外ニ名ノリト称シ、名乗ト乗字ヲ使フモ近年ナラズ聞ユ。<中略>名乗ト乗字ヲ用ルハ何ノ義カ。何時ヨリ如此書モ不知。」と記述するように、公家や武家の男子が元服して自分の通称のほかにつけた実の名を告げることにとどまるようだ。またこの「名乗」の表記について、「告」字だけでなく、「乗」字を用いることの意義について一切、現代の国語辞典は何も記述していない。ところで、緊迫した状況化にあっての「なのり」は、氏素姓を即座に明確に告げねばなるまい。時代劇風に「ぬし、名を名告れ」と問われたならば、「播州赤穂の住人、大石蔵之助良雄なるぞ」と応える。この最後の部分の実名「良雄」が「名乗」で、会話全体の表現を「名告」と区分していくことになる。近代の国語辞典である大槻文彦編『大言海』は「なのり」の見出し語を「名乗」と「名告」とに区分して扱っているのがまさにそれである。ところが実際は、「乗」字と「告」字との使い分けがなされずじまいなのがいまの現状であるまいか。そして、なぜ「乗」字を用いるのか?もっとみんなで考えてみようではないか。

1998年1月18日(日)大雪。

雪まぶれ 西も東も 白粉顔

「珈琲」

「珈琲」は、日本では栽培できないと思う人も多いだろう。現在、南国沖縄県で「ニューワールド」と名のつく「コーヒー」が唯一栽培されている。とはいっても「コーヒー栽培」もそう古くはなく、日本人が飲む絶対量からして輸入種が主であることは変わらない。昔、「コーヒー」が豆であることを知らずにか、粉にしたものをみて「お茶しまんせんか」の「お茶」とは「緑茶」や「紅茶」というより、喫茶店で飲む「コーヒー」であった。いま、このお店、喫茶店とコーヒー専門店とに二分されているのだが、喫茶店でも「コーヒー」は飲めるから、「お茶に誘う」ということばのなかには「コーヒーを飲もう」といった意味が依然として含まれていることになろう。

「コーヒー」の起源は、アフリカ大陸エチオピアではじまり、アラブ人イスラム教徒の飲料として愛用されていたのが十七世紀初頭に西欧諸国にもたらされ、日本にも同じ十七世紀初頭である慶長十四(一六〇九)年にオランダ通商によって伝来した。宇田川榕庵の『蘭和対訳字書』に収載され、江戸時代にも「コーヒー」を味わっていたようだがその数は多くなく、その普及については、明治時代の西洋文明の流入が契機であった。最初の「コーヒー」の店は、明治十一年神戸の「放香堂」、明治十九年の「洗愁亭」、明治二十一(一八八八)年の上野西黒門町で、中国人鄭永慶さん経営「可否茶館」などという。この三番目の店の名前でも知れるように、店名に「茶」の文字が使われている。また、表記漢字も「可否」であった。いまは、専門店でカタカナ表記「コーヒー」以上に、漢字表記「珈琲」の字が広く使われているようだ。他に「豆茶」と表記する。

1998年1月17日(土)晴れ。

屋根雪や ずしりずしりの 寒さかな

「親父」

 「親父」この語が逆に熟語する「父親」と同等の意味であることは言うまでもない。その読み方は、古くは「シンブ」と音読みするか、「おやちち」と訓よみするどちらかであり、『古今著聞集』哀傷第二十一に「親父身まかりて次の年、服ぬぎて侍てのち、伊勢に下て侍しに、いく程なくて母又身まかりにしかば、いそぎのぼりて侍しに、」(角川文庫一〇三O)とある。この読み方を裏付けるに、室町時代の古辞書『運歩色葉集』(静嘉堂本三五六A)志部に「親父〔―ブ〕」、『日葡辞書』も「Xinbu.シンブ(親父)Chichi voya(父親)父」が収載されていることかから「シンブ」を採用するところとなる。しかし、も一つの和訓読み「おやちち」はどうかといえば、同じく室町時代(永祿<1558から1570>年間)の『詩学大成抄』七に「文王武王ノタツトンデ、ヲヤ父ノ如ニセラレタゾ。管仲ヲモ仲父ト云タゾ。父ハヲヤチゝノ如ニ尚ブ心ゾ」という仮名書き語表現が見えているが、漢字書き「親父」は、「シンブ」と音で読むのが妥当ということになる。

さて、「おやじ」の語源だが、この「おやちち」がつまって「おやぢ」となる説と大蔵虎明本『狂言集』のかうじだわらに、「一つたべてみたひが、定て数がさだまつてあらふところで、おやじや人のあづかられたにしかられう」(大蔵虎明本狂言集の研究、本文編下五六C・表現社刊)といった、「おやじゃ人」を省略語形化した「おやじ」というくだけた物言いが「親父」の漢字表記と結びついたという説の二説が考えられている。「地震、雷、火事、おやじ」(畏怖の念)とか「狸おやじ」(年配の念)と言うような現代一般に通用している「おやじ」と表現するには、少しく時代が降った江戸時代ということになる。

また、この語だが、「父」の字を「仁」に作る「親仁」は、江戸前期に集中した表記法で、延宝九(一六八一)年刊の俳諧『鷺の足の巻』(日本古典文学全集「連歌俳諧集」三六六頁)に、

 33 白親仁紅葉村に送ル聟  青(「桃青」で芭蕉。)

と見える。さらには、老いの「爺」に作り「親爺」とも漢字表記する。北海道では、「熊」のことを「山親爺〔やまおやじ〕」と親しみをこめて呼ぶ。いまの若者が使う「おやじ」という表現には、「ダメおやじ」とか「スケベおやじ」などと実の親意以外の年配男をさして、揶揄調に言っていることも否めない事実である。

1998年1月16日(金)曇り。

日も闌けて 半ばとなるや 進みごと

「雑炊〔ゾウスイ〕」

 「ぞうすい」、室町時代の古辞書『下学集』飲食一〇二@に「増水〔ゾウスイ〕〓〔米+参〔コナカキ〕也」、『運歩色葉集』一九四Cに「増水〔―スイ〕」と表記されている。『書言字考節用集』七21@にも「増水〔ゾウスイ〕『下学集』〓〔米+参〕也」とある。『日葡辞書』には、「Zosui(増水)野菜その他の物を入れて煮た飯>Misozzu(味噌水)米、野菜、およびその他の物をまぜて作った粥」とある。「味噌水」は、『天正十八年本節用集』に「〓〔米+参〕ミソウヅ〕増水也」、とあって類語表現なのである。(作品資料として『古今著聞集』十八飲食第28「昨日みし法し子のいね夜の程にみそうづまでに成にける哉」や『沙石集』巻五などに見えていている。)

いま「増水」と書けば、川や湖などの水量がふえることに使うのみであるが、当時、野菜や魚介類などをきざみこんで味噌・醤油そして塩で味付けした粥の「ぞうすい」と同表記であっても意味を取り違えることがなかった語であったことが知られよう。そして「雑炊」の漢字表記は、「さまざまな具を雑ぜて炊ぐ」ことに由来する。俗に「おじや」という言い方も「女房詞」で、「じやじや」と煮る擬音語からきている。実際、武家家族の常食であった「ぞうすい」は、慶長五年(一六〇〇)の関が原合戦のおり、美濃大垣城に居住していた一女人の回想記録『おあむ物語』に「朝夕はたいていぞうすいを食べておじゃった」と記されている。このほか、元禄四(一六九一)年、松尾芭蕉の『炭俵』には、

 32 魚に喰〔くひ〕あくはまの雑水〔ざふすい〕  芭蕉

と、「雑水」の表記が見え、岩波『国語辞典』はこの表記語を収載している。

1998年1月15日(木)晴れ。成人式、紅調粥

二十歳にて 世を祝ふにや 道険し

「同音異人」

「カタカナ登録」では、「同音異人」が多くなる。一人の人間を正しく識別する方法として@氏名A生年月日B住所といった三つが使われる。だが、実際は住所の異なりについては「転居の可能性」を考慮してか、さほど重視していないとのことだ。さすれば、残りのなまえと生年月日が検索割出しの対象として取扱われることはいうまでもない。この二点だけで、個人識別が果たせるだろうと過信していると、どっこい名前のカタカナ登録では「同名異人」が多くなることは避けられないのである。たとえば、「オジマ」という姓でいえば、漢字表記でいうところの「小島」「尾島」「小嶋」の三種の姓がひとつになっていて、これに名が「ケンイチ」であると、「憲一」「賢一」「建一」「研一」「兼一」「健一」「謙一」の七種の名がひとつに扱われてしまって「同音異人」を増長させているのである。そして、ここに驚くべき落し穴が待っているというのである。昨日の朝日新聞夕刊“乱信社会”において「機器過信、同姓同名で被害」、「データベースの個人識別法に甘さ」とあって、

実例1、車・家のローン組めず。

実例2、パスポート申請拒否。

とことの顛末が報告されていた。これは、偶然といえば偶然だが、「同音異人」に「ブラックリスト登録」された人物が存在するからに他ならないのだ。これを避ける意味からということもあって識別機能を高める意味から漢字登録が不可欠となっている。この漢字登録も「ワープロ漢字」で標示するよりは、直筆サイン登録がなされねばまだまだこの被害は防げないに違いない。この意味からいえば、古き時代に用いられていた「花押」は、個人を象徴する認識方法であったが、この電子時代に「電子の花押」はなくてはならぬ不可欠な標示方法となってくるかもしれない。

 

1998年1月14日(水)晴れ後吹雪く。

鳥参り 雪の白さに 冬越えて

「来たんけど」

 「一年前に東京に来〔き〕たんけど」と言う。正しく言えば「きたのだけれども」となるもの言いである。「の」が「ん」と撥音便化する。「だけれども」の「れ」がとれ、「も」もとれ、「きたんだけど」と言ったもの言いは古くもあった。いま「だけど」の「だ」の語をも省略して「きたんけど」と喋っているのだ。ことばの簡略化が進んでいる。「きたけど」より「ん」を挟むことで話し手の意志力を増しているからして。これ以上の簡略化はないと思うのだが……。いかがなものか?類似表現として「聞いたのだけれども」が「聞いたんけど」と口にのぼりそうである。それは「読んだのだ」が「読んだけど」と喋るようにである。

1998年1月13日(火)晴れ。

雪のぞき トラックに積みし 月夜かな

「清算」と「精算」

「セイサン」の語は、果たして正しく活用されているのであろうか?運賃の「セイサン」は、「精算」の字を用いる。国鉄がJRになった年、「セイサン事業団」が生まれたが、これは「清算」の字を用いた。そして恋や不倫の「セイサン」、疑惑の「セイサン」は、「清算」の字を用いる。「清算」はもとは経済用語で、今までの貸し借りをなくして始末をきっちとつけること。同音で意味が類似する「精算」は最終的な精密な計算をすることにある。「精算払い」などと用いる。小内一編『究極版、逆引き頭引き日本語辞典』(講談社+α文庫)で、この両語を繙いてみると、「精算」の語は未収載であり、そして「清算する」には、「異常な生活。過去。貸し金。関係。借金。性格。生活。セクト。世俗性。罪。仲。卑屈な自己意識。恋愛。浪人」が助詞「を」につながる語として列挙されている。「精算」のつながり語が「運賃」の語ぐらいなのからか、収録されていない理由については定かではない。運賃金額の過不足を支払う「精算所」も「清算所」と表記している事実は、古くから都営地下鉄で使われているという事例が報告されている。また、病院の治療費や食事処、ホテルの宿泊費などといった支払いは「ご会計」と「ご精算」とに二分する。じっくりと探して現状を確認してみたいと思うことばなのである。

1998年1月12日(月)晴れ。

雪匂ひ 已己巳己文字に 聞くまでよ

「ほろ」のつく語

「ほろ」は新明解『国語辞典』に、「幾分かそのような感じがすることを表わす。」とある。そして「ほろ苦い」と「ほろ酔い」(「ほろ酔い気分」「ほろ酔い機嫌」)の二語が収載されている。この「ほろ」に漢字を宛てるのは、「ほろ酔い」に「微酔い」と表記するのみで、「ほろ苦い」にはなぜか漢字を宛てていない。

そこで「ほろ」の用例を求めれば、

があった。すべて仮名表記の用例である。また、見坊豪紀さんの『<60年代>ことばのくずかご』(ちくまぶっくす48)には、類推表現として「ほろ甘い」「ほろずっぱい」なる語を紹介している。昨今、この「ほろ」の語はどうあるのかを知りたいものである。

1998年1月11日(日)晴れ。鏡開き、大相撲初場所

暖冬の ニュース流れて これ何だ

「番」

「番」の字について、漢和辞典を繙いてみるに、漢音「ハン」呉音「ホン」。意味は@さっと、開きとじる動作の順序や回数。また、順序示す番号。Aチベット人。B外国人。または、外国産の。C台湾の高砂族。D八方に開いた鳥の足跡。E八方にさっと撒く。発散する。F力が発散するさま。G白くひらひらするさま。H中国の地名。に使われるとある。そして、この意味を本邦古字書でどう翻読されているのか調べてみた。観智院本『類聚名義抄』法下34Gに、

 〓〔米+田〕 音煩(ハン)。正番。或〓〔足+煩〕。又音幡(ホン)。

        カヘス。シケシ。ツカヒ。ミチ。タケシ。*()内は筆者が記す。

とあって、見出し字は「米」(さっと八方に種を撒く動作を標示)と「田」の合字。音注は、漢音を先にして呉音を「又」と添えている。現代の日本語では「バン」といった慣用音で読んで、T「番人」や「番をする」、「留守番」などといった「みはり」の意味はまだここには見えていない(室町時代、慶長十五年版『倭玉篇』采439に字音「バン」で字訓「カズ。カヘツテ」を収載)。訓注として、U第一訓「カヘス」は、代わるがわるする意に通じる。ここから「番数」や「番付」「番組」「番線」の順序・組立て、「番号」の回数へとつながっていくようだ。V「番茶」や「番傘」の意で「日常の。粗末な」を表わし、『名義抄』の「シゲシ」の第二訓に通ずるか?W鳥獣の雌雄の一組。また、「蝶番」のように二つで一つの物の意の『名義抄』第三訓の「つがい」となる。そして「みち」と「たけし」の訓は今はなさそうだ。この外として、X動物の交尾する。Y弓道でいう「矢を弦につがえる」といった多岐の意味がこの単漢字にはある。

ここで注目したいのが、Vの「日常の。粗末な」意表現についてではあるまいか。古くは『日葡辞書』(慶長八(一六〇三)年、長崎刊)に「Bangusocu.(番具足)番人どもが一般に使用する。あまり上等でもなく立派でもない普通の武具.」(48右・『邦訳日葡辞書』参照)や「Bancha.(番茶)上等のでない普通の茶(Cha).」(48左)の語で、『日葡辞書』には由来についてはなにも触れていないが、「一番茶、二番茶を摘んだあとの茎のついた堅い葉で製造した品質の落ちる煎茶」で、いわば「終番の茶」をさすのが事の起こりのようだ。さらに江戸時代の生活実用品としては、「番傘」の語が見えてくる。「番傘」の由来も「商家や旅館などで紛失防止に和傘にイの何番と番号を付けた」ことによる。私の小学校三年生の頃に教室の後ろにこの「番傘」が設置されていたことを覚えている。この辺りがこの語の源で日常始終の用途もあってか、Vの意味合いが生まれてきたようである。「頻繁」という意味合いに関わる語と推定した『名義抄』の「シゲシ」の用例と流れはまだ検証できていない。

[補遺]:松江重頼編『毛吹草』(寛永十五(一六三八)年)親の追善に「たてゝしたふ年も晩茶の昔哉 重頼」三三六頁

1998年1月10日(土)雪、午後晴れ間が広がる。

しんしんと 舞ふ六つ花 道すがら 

「滅茶苦茶」

茶の風味に「甘味・渋味・苦味」は欠かせない。この三煎を立てるには、甘露な「甘茶」は、釈迦仏の御誕生会にちなみ、四月七日に振る舞うだけでない。それは芽茶をぬるま湯にて煎じることで茶の甘みをひきだす。「渋茶」はやや熱い湯で、「苦茶」はたぎる熱湯で煎じる。甘みは誰もが好むが、「苦み」は、「良薬口に苦し」ではないが、すぐには馴染めない味なのであろう。渋味、苦味があってこその甘味なのにである。人の生き方にこの三味をなぞらえ、「甘やさしい人柄」は衆人に好まれ喜ばれはするが後も先もないということとなる。「渋味のある人柄」となると一目おかれることにつながり、苦味は人の世の底を知り尽くし得た達人となる。ここに「苦味ばしった顔」がつくられる。この苦さは、渋味と甘味を引き立てる味となっているのではありますまいか。だからといって、芽茶に熱湯では、ただただ苦々しい味に過ぎないではないか。「甘味・渋味」を引き出さずじまいの「めちゃめちゃ【滅茶滅茶】」、「むちゃくちゃ【無茶無茶】」そして「めちゃくちゃ【滅茶苦茶】」な味となってしまうということであろう。このことから、「滅茶苦茶」という語は使われてきている。作法を作法とも知らぬ無秩序のやり方では何もかも風味がないものとなってしまうことを「茶の道」は教えてくれている。茶をたてる者「火相、湯相」を知り、功者の亭主となっている。風爐の湯相は、熱立つ湯に水を一口容れ、汲み立ててたるみをつくり、茶碗に注ぐ。この湯相のやわらかさこそが衆人の好む甘味となって表出する。「茶の湯」という名は、まさに「火相、湯相」を大切にするのものなのである。ものを司るにもこの「火相、湯相」がないと、すべて「滅茶苦茶」に帰することになりかねない。

[補遺]:「はちゃめちゃ【葉茶滅茶】」の語は辞書未収載。

1998年1月9日(金)雪(粉雪)一時晴れ間がのぞく。

電線に 白き道でき 輝けり 

「一か八か」

 昨日は、「いっぱち【一八】」の日でした。さしずめ本日は「いっく【一九】」ということにもなろうが、「一九」は江戸時代の戯作家十返舎一九を想起するぐらいである。さてこの「一八」も人の名に使われたりするが、「一たす八は九」となることから「一か八か」は、「一六勝負」の足して七となる「一六〔いちろく〕」とならぶ賭け事を代表する数目語である。現在、予想もつかない危険を伴うことを運を天にまかせ行う意味に使う。「のるかそるか」で、漢語熟語では「乾坤一擲〔けんこんいってき〕」とも言う。人生一度は大勝負にでなければならない日があろう。この時の決心をうながすに「一か八か」はまさにピッタリな物言いである。そして「乾坤一擲」につながれば心はまさに「天に命運」を賭けることになる。このように大きな決心ばかりでないちよっとした決め事は「右か左か」どっちにする?ぐらいの程度ですませ、「一か八か」とか「乾坤一擲」とは使わないのだろうか?これも話し手自身の決意の軽重度合いによって、このことばが見え隠れするのであるまいか。年頭の「決意」はショショッとするのではなくキリッといきたいものだ。

[補遺]「乾坤一擲」中国の韓愈「過鴻溝詩」に「唯君王に勧め馬首をめぐらし、真成一擲乾坤を賭す」による。

1998年1月8日(木)雪。

雪やまず 朝昼晩と 跳ね上げる

「たらふく」

「たらふく」は、@「鱈腹」の字を宛てると「腹一杯」の意味で「鱈腹食べる」と用いる。また、A「多羅福」の字で「金儲け転じて金持ち」の意味で「多羅福稼いだ多羅福屋」(仮定表現句)などと用いる。@の宛字は、岩波『古語辞典』によれば、@十分なさま。たっぷり。『三体詩絶句抄』四、「これは何となう景を云うたやうな句なれども、懐王の故事を―用ふる也」A腹いっぱい飲食したさま。満腹なさま。『吉川家古文書』一、藤春房高隆書状「後見―に候て口惜しく候」の用例をあげている。また、ヘボン『和英語林集成』〔第三版〕そして現代の『国語辞典』にも見える。Aの宛字は、式亭三馬『浮世床』初編巻下に「おらが隣の多羅福屋〔たらふくや〕を見ねへ」[三一一D、日本古典文学全集]がそれである。辞書未収載の語用例であり、例外なのかもしれない。通常「お金がたくさん入る」ことを言うには「しこたま」(越谷吾山『物類称呼』(岩波文庫)巻五・言語に「東国にて、しこたまといふ」。[一三九E])や「たんまり」ですませているようだ。@には魚の名、Aには木の名が使われていて面白い。

1998年1月7日(水)雪。人日

雪もよひ 寒さ厳しき 七草粥

「福引き」

 年末から年始へと商店街での買い物をすると、おつりにつけて「福引き券」をいただく。この「福引き」、二種類あって、一つは鎌倉時代の古辞書『塵袋』巻九、「年始ニハ人コト餅ヲ賞翫スルハ何ニノ心カアル。餅ハ福ノモノナレハ祝ニ用フル歟」に、

 「(前略)餅ハ福ノ躰ナレハ年始ニモテナスヘシ。二人ムカヒテ餅ヲヒキワルヲハ福引〔―ヒキ〕ト云ナラハセルモ、ユヘナキニ非ル歟。又内裏ニハ餅ノ名ヲ福生菓ト云ルト云ヘリ」[六一四D]

これを受けて室町時代の『塵添土蓋嚢抄』巻三に、

 「餅ハ(中略)、福ノ體ナレバ、年始メニモテナスベシ、二人向ヒテ餅ヲ引キワルヲバ、福引ト云ヒ習ハセルモ、故ナキニ非歟、又内裏ニハ餅ノ名ヲ福生菓ト云ルト云ヘリ」

とあり、餅を使って「餅」すなわち「福」を口で引っぱり、その大小により年中の禍福を占う作法と、もう一つが同じく室町時代の古辞書『運歩色葉集』に、

「福引〔フクビキ〕正月小児〔ヲホコ〕索〔ナワ〕ニ貫〔ツラヌク〕銭ヲ。有無〔アルモーキモ〕之索〔ナワ〕ノ不〔ス〕見而取ル」[静嘉堂本二五二E]

とあって、正月に小児が今の五円玉のような穴明き銭に索を通したものを、索に銭が通してある物ない物を見ないで取るのである。当然、銭のついた索が「福」であるにちがいない。銭の変わりに品物を引くことから「寳引き」とも言うようにもなる。

 いま、「福引き」ということばだけが残り、その作法は様変わりしている。現代の「福引き」はガラガラポンと玉の入った八角形の箱を手で回し、お目当ての色つき玉を「引き当てる」ものが主流である。索から「引き当てる」というより、「回し当てる」といったほうが正しいようだ。「籤引き」の方は、神社詣での時、その年の吉凶を占う「御神籤」に用いている。また、この「福引き」は、正月に小児〔おぼこ〕がする行い事ではなくして、買い物帰りの老若男女を問わず衆人広く行われてもいる。そうそう本日、七日は東方朔のいう「人日」にあたる。

1998年1月6日(火)晴。

雪雲の 遠く流れて 夕張岳

「少年ぽい」

 朝日新聞、本日朝刊社会面に作家星新一さんを悼む声が収載されている。このなかに「[少年ぽくて紳士で]<星新一氏を悼む声「SF啓もう、夢くれた」>一見、非常識なSFは常識の枠を知っていなければいけないとおっしゃり、少年ぽいところの半面、紳士でした」とある。接尾語「〜ぽい」は、通常促音「つ」をつけた「〜っぽい」と表示するところである。ただ「〜ぽい」は珍しい。

[参照]:文学作品における派生形容詞「〜っぽい」

[補遺]:「私ってトラっぽいです」。笑顔が弾けた。[朝日新聞七日朝刊・道内「グリンランド千`カヤックで単独挑戦、高橋浩子さん(23)]

1998年1月5日(月)雪。

こと初め 女無しとて 惹きつける

「流石」

 「漱石枕流〔いしにくちすすぎながれにまくらす〕」の故事である晋の孫楚が「石に枕し、流れに漱ぐ」というべきところを「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤ったのを王武士が指摘したところ、孫楚は「漱石とは歯を磨くことで、枕流とは耳を洗うことだ」とこじつけて最後まで誤りとは認めなかった。そこから、言い逃れの旨いことを「流石」の字を宛てて「さすが」という。またもう一方の「漱石」の字は、夏目金之助がペンネームとして使った。

さて、この「さすが」だが、古くは「やはり、そうもいかない」、「そうはいうものの、やはり」、「ほかのものとは違ってやはり」の意味で、平安朝文学『源氏物語』や『枕草子』などに用いられてきた。この「さすが」の語に「流石」の漢字を宛てたのはいつからであろうか?古辞書『運歩色葉集』に、

「流草〔サスガニ〕。大小〔同〕。流石〔同〕平家。有繋〔同〕」[三一〇G・静嘉堂文庫本]

とあって、四語の宛字が見える。そして、「流石」の宛字は、『平家物語』を典拠としている。索引にて確認するところでは大系本『平家物語』に四十五例があり、いずれもかな書きにある。さらに、真名字本系(四部合戦状本)には、

○「世乱ると云ふも、都にては螫〔さすが〕に是くは無かりし物を」と、何駕〔いつしか〕恋しくぞ思食〔おぼしめ〕さる。[巻九、宇治川]

○能登守、心は武けれども、指賀〔さすが〕に是程には〓〔彳及ふるま〕ひ得たまはざりければ力及ばず。[巻十一、能登殿最期]

と、「螫〔さすが〕」「指賀〔さすが〕」の字を宛ていて、「流石」の字は見えず、『運歩色葉集』の指摘する系統本を私自身、まだ見出せないでいる。

[補遺]現代小説の「流石」用例

○平美は、テレビのスポーツニュースの方を向いたままで答えた。「流石〔さすが〕は良妻賢母だな……」木下は大袈裟〔おおげさ〕に褒め讃〔たた〕えた。[堺屋太一『平成三十年』230希望と期待・ベンチャービジネス(5)]

1998年1月4日(日)曇り。

いつまでも 晴れ間の見えぬ 雪ながら  

「世の中の」の「の」

「世の中出来事」は、「世中」で準体助詞「の」が使われて、さらに「〜出来事」となる。上接語には「世の中」を漢語でいうところの「人間社会」や「世間」などといったことばがくる。逆に「体言+の〜」の下接語はどうかといえば、「新雪舞う」「人住む」というように、和語動詞終止形がくる場合がある。この終止形に下接する「」は、話し言葉では「目の合う」「話の合う」「響きのいい」とは普通は使わない。必ず後に「こと」や「とき」などの形式名詞がついて連体形となる。終止形での言いきり表現は、歌や句に限る用法かもしれない。そして、「が」に置換することが可能なことは云うまでもないが、「が」で言わずに「の」を用いるのは何故だろうか。「君が代」は「君の代」でもあるが、こちらは「が」と言う。当然、「〜動き」や「〜楽しみ」といった転成名詞も下接する。

 さて、大町桂月の大正十一年元旦年賀の句に「日本富士にまづさす初日かな」がある。この「の」は、「初日かな」を修飾し、口訳すれば「日本の」と「日本の富士に」で「初日だなア」と受けるのである。格助詞「の」が活用語形を下接語とする現代語表現を少しく考えてみたいものだ。

本題の「〜の〜の〜」つなぎのことばは、「もってほかなりわい」「京都切戸文殊」「日旗」「口梅干し味」などと会話のなかでもこの「の」ばさみ方式表現は結構、幅をきかせているようだ。夏目漱石『坊つちやん』(岩波文庫)に、「温泉〔ゆ〕枡屋〔ますや〕表二階へ潜〔ひそ〕んで」一三四Nにはじまって、「ハイカラ野郎、ペテン師、イカサマ師、猫被〔ねこかぶ〕り、香具師〔やし〕、モモンガー、岡っ引き、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでもいうがいい」一〇九Qがある。これは「で」に置換することができ、「の」つなぎ方式により「でもあり」の意となる。

時代は溯って、吉田兼好『徒然草』第二段に、

いにしへのひじりの御代(ミヨ)の政(マツリゴト)をも忘れ、民の愁(ウレヘ)、 国のそこなはるゝをも知らず、万(ヨロヅ)にきよらを尽していみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。

とあって、「いにしへひじり御代政」と「民愁、国そこなはるゝを」が使われている。前者は、「の」つなぎ、後者は下接語についてである。この二つの下接語@の「民愁」は転成名詞で「が」に置換できる。下接語Aの「国そこなはるゝ(コト)を」で動詞連体形の表現ということになる。Aについては、「国をそこなふ(害する)」と言うのが通常の表現であろう。これを@と対になすところから「の」を使用し、「国がそこなわれる(コト)も」で「国力が疲弊することも」といった意にしたものか?はたまた、漢文調の表現なのか?と考えさせられる。

1998年1月3日(土)雪。明けて正月三日、「箱根駅伝」復路。

降りしきる 前も後ろも 雪視界  

「日本」読み方、その2

「日本」の読み方は、「にほん」と「にっぽん」の両用であることについては、以前(「日本」の読み方)にも触れた。第75回箱根駅伝チームにも「日本〔にほん〕大学」そして「日本〔にっぽん〕体育大学」と読み方が分かれる。これを実況中継のどのアナウンサーもきっちりと読み分けている。今回、「にほん」と表示する側について言及してみよう。渡辺三男博士『家の名・人の名・家の紋』をみると、NHKクイズ番組“私の秘密”での「日本一〔はじめ〕」さんのことを取り上げていて、苗字にも「日本〔にっぽん〕(鹿児島県)さんがあり、宇多源氏佐々木氏の末と結構古い苗字のようだ。明治の文豪森鴎外・夏目漱石は、いずれも「にほん」と読み表示している。

日本〔にほん〕なんぞでは、家族〔かぞく〕とか国家〔こくか〕とか云ふ思想〔しさう〕は発展〔はつてん〕してゐないから、さういふ思想〔しさう〕の爲〔た〕めに犠牲〔ぎせい〕になるのではない。[森鴎外『青年』二四三A名著復刻全集]

せんだって中〔じゆう〕から日本〔にほん〕は露西亜〔ロシア〕と大戦争〔だいせんそう〕をしているそうだ。吾輩〔わがはい〕は日本〔にほん〕の猫〔ねこ〕だからむろん日本贔屓〔にほんびいき〕である。[夏目漱石『吾輩は猫である』]

現代作家の井上ひさしさんは『ニホン語日記』文藝春秋刊の「JAPANとNIPPON」のなかで「日本国憲法」のよみにも合うやわらかな「NIHON」を選びたいと、やはり「にほん」読みを指示している。

[補遺1]:NHKの女性アナウンサー「ニッポンの景気は……」、「ニホン経済を……」と単独語としては「ニッポン」と発音し、複合語では「ニホン」と発音していて一人両用読みをする。

[補遺2]:見坊豪紀『<60年代>ことばのくずかご』2ことばの雑学[八一頁]に、「ニホン」から「ニッポン」へ[63.5-74]“日本は、明治の中頃までは「にほん」で、「にっぽん」とはいわなかった。私自身のいた新聞の『日本』も、「にほん」で「にっぽん」ではない。日本を「にっぽん」というようになったのは、明治の半ば頃に、軍人が「にほん」では発音がやさしすぎて、勇ましく聞えないというので「にっぽん」と呼んで、それを官憲や教育者に強制して、爾後「にっぽん」と呼ぶことになった。(長谷川如是閑『日本さまざま』はしがき2 大法輪閣62年12月20日刊〔「日本経済新聞」1月19日朝16「私の履歴書」Pにも〕)と収載。

[補遺3]:菅江真澄『鄙廼一曲』魯斉亜風俗距戯唄に、328「嫁をとろなら日本〔にほん〕のやうにめぐろかみぐろとるがよいサアハラサアハラサアハラ」とある。

[参照]:岡島昭宏さん「ことばの会議室」の「日本」

1998年1月2日(金)雪。明けて正月二日、「箱根駅伝」往路。

雪山に 隠れて強き アララギは 

「たすき」

「たすき」を漢字で「襷」と書く。これは和製漢字で、「衣偏」に「挙」となる字に作る。〇「ころもをあげる」意を表した。この字を「ちはや【衣+畢】」とも読む。

「たすき」の語源を@「たす」には「足す」、「助・介・援」の「たすける」の意味があり、「き」は「氣」で、「足す氣」・「助氣」、A「た」は「手」(「たづな【手綱】」)か「足」(「たび【足袋】」)か、これに「助く」で「たたすく【手助】」か?このまま動詞「たすく」の語形名詞化で「たすき」かと思ったりする。正月の料理に欠かせない「赤い蛸〔たこ)〕の八本―」を「手」と見るか、「足」と見るかととりとめもなしに考えていると、「た」は「手〔た〕」と「足〔た〕」であり、どうも「手」も「足」も元は一つの語のようだ。また「すき」は「透く」の語などとこの「たすき」の語源を勝手に解釈してみるがこれとて裏付けはない。そこで検証してみる。服部宜『和訓六帖』には、「手透〔てすかし〕なり」とする。「手」は「た」と読む。手で透かし通すしぐさを表す動詞「透く」の連用形をもって「たすき」というのがこの語の通説である。ことば古く奈良時代前の神事の供物に袖が触れないように肩にかけた布紐を称したのであった。『古事記』天の岩戸に「天宇受売命、手次繋天香山之天之日影而」と「日影蔓〔ひかげかづら〕をたすきに懸けて」踊るとあり、『日本書紀』神代巻に「手繦〔此云多須枳〕」、『万葉集』に「玉襷〔タマタスキ〕」が見える。『新撰字鏡』に「繦〔負兒帶也。須支〕」とあり、「稚児を背負う帯」を「すき」といったことが知れることから、「手助き」の意でもよいのではなかろうか。

正月の関東学生箱根駅伝は、色彩の「たすき」の布紐を肩から斜に懸け、走って繋ぐ。「ちはや(逸速)」ではないが、急速の動作のなかで、この布紐をもって衣袖を瞬時敏捷にする。私の曲解ながら「手助氣」たるこの布紐は、形骸ではないのだ。まさに「たすきを一にして走る」のである。そして、今年の往路は、15チームすべてが繰り上げスタートされることなく、各大学この「一本のたすき」でつながれたのである。

[補遺]:『毛吹草』二四二頁に「蛸の手やきりが八ざき櫻いり」作者不知。

1998年1月1日(木)薄晴日中雪模様。

 明けましておめでとうございます。本年もよろしうお付き合いねがいます。

正月に 走りはじめは ゆったりと

「逆さことば」

虎の年 逆さ言の葉 何処逆さ 言葉の何処さ 翳しと野良と[回文歌]

いろはにほへと   とへほにはろい【戸へ火に端炉井】

ちりぬるをわか   かわをるぬりち【革緒る塗り血】

よたれそつねならぬ ぬらなねつそれたよ【塗らな熱逸れた夜】

うゐのおくやま   まやくおのゐう【摩耶苦己居得】

けふこえて     てえこふけ【手衣小拭け】

あさきゆめみし   しみめゆきさあ【凍み女雪さあ】

ゑひもせす     すせもひゑ【爲是も日枝】

「いろはうた」を逆さ読みにすることは、すでに室町時代に流行っていたようである。たとえば「奥山 今日子」さんを「鼓舞毛馬 妬夫」くんになどと現代風に作り上げるようにである。「革緒に塗り血」という話は『為愚痴物語』巻三、藤六元旦出仕事に、

彼藤六、元日に、のぶたゞへ出仕しけるに、草履取、しききれをさし出し見れば、何とかしたりけん、其緒〔を〕に、鼠の血やらつきたりける。ざうりとり、年のはじめなれば、是を忌〔いみ〕て、わきに立より、是をぬぐはんとす。其時までは、せきたと云物なく、しきれとて、おもては、ぬきほを以ており、緒をば、かはにて、ぬひくゝみたる物なれば、藤六是をみて、いやいや、すこしもくるしからず。かはをにぬりち、と云こと有とて、其まゝはきてそ、出にける。かゝるやう成、利口〔くちきゝ〕の達者なれば、彼くすしの赤面も、理〔ことは〕り成かな。

とある。類話は『醒睡笑』巻二、賢だてに見える。この「いろはうた」を逆さにすべて読むと何やらおまじないの呪文を唱えているようだ。

 

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