2001年1月1日から日々更新
ことばの溜め池
ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。
2001年1月31日(水)曇り。八王子→浅草橋⇒市川⇒品川
「拷問(ガウモン)・拷訊(ガウジン)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「安」部に、
拷門(ガウモン)。拷訊(ガウジン)。〔元亀本93G〕
拷問(ガウモン)。拷訊(ガウジン)。〔静嘉堂本116B〕
拷問(カウモン)。拷訊(―モン)。〔天正十七年本上57オD〕
拷門(ガウモン)。拷訊(ガウモン)。〔西来寺本〕
とある。標記語「拷門」と「拷訊」とには、語注記は未記載にある。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、未収載にある。これを『庭訓徃來註』八月七日の状に、
拷問(カウ―)拷訊(―シン)等 何モ打問也。又訊ハ放シ召人也。晝ハ使イ、夜ハ禁獄ス。是三年之間也。又打出∨血問。〔謙堂文庫藏四六左@〕
とあって、その語注記に「何れも打問なり。又訊は放し召人なり。晝は使い、夜は禁獄す。是れ三年の間なり。又、打ちて血を出す問」という。広本『節用集』は、
拷問(ガウモン/―ブン・トウ)。拷訊(―ジン・トウ)。〔態藝門287F〕
とあって、両語を並列し、語注記は未記載にある。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
拷問(ガウモン)。〔弘・言語進退85D〕 拷訊(ガウジン)。〔弘・言語進退88@〕
拷問(カウモン)―訊。〔永・言語83@〕
拷問(ガウモン)―訊。〔尭・言語75E〕
拷問(カウモン)―訊。〔両・言語91@〕
とあって、弘治二年本だけが続けて排列しない。他三本は、「拷訊」を注記表記にしている。
当代の『日葡辞書』に、
Go<mon.ガゥモン(拷問) Araqenaqu xeme to>.(荒けなく責め問ふ)虐待・責苦.例,Go<mon caxacu suru.(拷問呵責する)白状させるために責苦を加える,または,虐待する.〔邦訳307l〕
とある。そして、「拷訊」の語は見えない。
2001年1月30日(火)曇り。八王子→世田谷(駒沢)
「謀叛(ムホン)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「無」部に、
謀叛(ムホン)。〔元亀本175F〕
謀叛(ムホン)。〔静嘉堂本〕
謀叛(ムホン)。〔天正十七年本〕
とある。標記語「謀叛」の語注記は未記載にある。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、
謀叛(ムホン)。〔態藝75F〕
とあって、語注記は未記載にある。これを『庭訓徃來註』八月七日の状に、
无-音之時-者下(クー)シ‖使者ニ召_文ヲ|調ヘ‖訴陳ノ状ヲ|相‖-對シ當所執亊(シツシ)ニ|官-領奉-行-人-等ニ可下致‖問答|披露中沙汰上就‖探題(タンタイ)之異見|所∨加‖下知|也。侍所者謀叛 法意ニハ八扈ノ内第三ヲ爲‖謀叛|。亦第一ヲ曰‖謀叛|、謂∨謀ルヲ∨危ント‖国家ヲ|。必乱‖其国|、又背∨国云∨謀。背∨邑云∨叛。々音ハ薄半反、離也。去也。又府遠反、覆也。不順也。漢音也。而ヲ爲‖呉音|、僻亊也。呉音叛ト可∨讀。今不∨及∨力也。〔謙堂文庫蔵四五左G〕
とあって、語注記に「法意には八扈の内、第三を謀叛と爲す。亦た第一を謀叛と曰ふは、国家を危んと謀るを謂ふ。必ず其の国を乱し、又国に背くを謀と云ふ。邑に背くを叛と云ふ。叛、音は薄半の反、離るなり。去るなり。又、府遠の反、覆すなり。順はずなり。漢音なり。而るを呉音と爲すは、僻亊なり。呉音は、叛と讀むべし。今は力及ばずなり」と詳細に注記する。広本『節用集』は、
謀叛(ムホン/ホウハン・ハカリコト、ソムク)。〔態藝門463B〕
とあって、『下學集』と同様に、語注記を未記載にする。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
謀叛(ムホン)反―。〔弘・言語進退147A〕
謀叛(ムホン)。〔永・言語118B〕
謀叛(ムホン)。〔尭・言語108@〕
謀叛(ムホン)。〔両・言語131C〕
と同様にする。弘治二年本だけが「反―」という注記を置く。いわば、古辞書にあっては、注記を必要としていない語であることが知られ、これに対し、『庭訓徃來註』は詳細に注釈する。当代の『日葡辞書』には、
Mufon.ムホン(謀叛) 反逆.§Mufonuo cuuatatcuru,ltacumu.(謀叛を企つる,または,巧む)反逆をたくらむ,あるいは,仕組む.⇒Tougue,ru.〔431l〕
とある。
2001年1月29日(月)曇り。八王子→世田谷(駒沢)
「年紀(ネンキ)と年記(ネンキ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「祢」部に、
年紀(―キ)今ハ曰‖廿一年ヲ|也。〔元亀本163H〕
年紀(―キ)今ハ曰‖廿一季ト|也。〔静嘉堂本181A〕
とある。標記語「年紀」の語注記は、「今は廿一年を曰ふなり」という。『下學集』は未収載にある。『庭訓徃來註』七月日の状「尺八」の語注記に用いられている語でもある。また、「年記」の語は、
安堵年記 何ケ年ト云。篭∨記地、又人ヲ賣ニ當‖其記|之時、返‖本錢|。賣買之物ヲ取_返者也云々。〔謙堂文庫蔵四五左@〕
とあって、語注記は「何ケ年と云ふ。記しを篭る地、又、人を賣るに當に其の記しの時、本錢を返すべし。賣買の物を取り返すものなり云々」という。同音異義語の「年記」については、『運歩色葉集』は未収載にある。広本『節用集』は、
年記(ネンキ/トシ、シルス)契約限也。〔態藝門429@〕
とあって、語注記を「契約の限りなり」と異にする。また、『運歩色葉集』の「年紀」の語は未収載にある。次に印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
年記(ネンキ)契約限。〔弘・時節133@〕
年記(ネンキ)契約(ケイヤク)之限リ。〔永・時節107B〕
年記(ネンキ)契約之限。〔尭・時節97H〕
年記(ネンキ)契約之限。〔両・時節119F〕
とあって、広本『節用集』の注記を継承する。ここで、『運歩色葉集』の「年紀」は他古辞書には見えずして孤例である。次に『庭訓徃來註』と『節用集』類に見える「年記」は、語注記を個々に記載するものであり、この依拠する資料をそれぞれ検証する必要があろう。
2001年1月28日(日)雪。八王子→世田谷(玉川⇒駒沢)
「聲聞(シヤウモン)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「志」部に、
聲聞(シヤウモン)。〔元亀本314I〕
聲聞(――)。〔静嘉堂本369D〕
とある。標記語「聲聞」の語注記は未記載にある。『下學集』は未収載にある。『庭訓徃來註』九月十五日の状「并唄」の語注記中に用いられている。広本『節用集』は、
聲聞(シヤウモン/セイフン・コヱ、キク)諸佛聖教ノ聲。從テ‖師友ニ|聞(キヽ)。修證出ツ‖世間ヲ|。故名‖――ト|。在釋氏要覧。〔態藝門972D〕
とあって、語注記は『釋氏要覧』に依拠するもので、「諸佛聖教の聲。師友に從ひて聞き。修證世間を出づ。故に聲聞と名づく」という。次に印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、この語を未収載にする。いわば、古辞書では、広本『節用集』と『運歩色葉集』とに見えている語となり、語注記は、広本『節用集』のみとなっている。
[ことばの実際]
2001年1月27日(土)雪。八王子→鶴見(総持寺)
「安阿弥陀佛(アンアミダブツ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「安」部に、「安阿弥陀佛」の語は未收載にある。これを『下學集』に、
安阿彌陀佛(アン(アミダブツ)) 佛工也。運慶ノ之弟子也。〔人名49A〕
とあり、語注記は「佛工なり。運慶の弟子なり」という。『庭訓徃來註』卯月五日の状に、
佛師 《前略》日本ノ作者ノ始ハ定朝一条院ノ時ノ人。位ハ至‖法橋上人ニ|。綱位ハ自∨是始ル。其後運-慶後鳥羽院ノ時ノ人也。其弟子湛慶同安阿弥陀佛ト云者有リ。今佛師其末流ソ。〔謙堂文庫藏二四右D〕
とあって、上記内容に語注記は従うものと見える。これを広本『節用集』は、
安阿彌陀佛(アンアミダブツ/ヤスシ、ヲモネリ、イヨ/\、カタクヅシ、ホトケ)佛工也。運慶ノ弟子也。〔人名門747@〕
とあって、『下學集』の語注記を継続引用する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、
安阿彌陀佛(アンアミタフツ)佛工。運慶之弟子。〔弘・人名203@〕
安阿彌陀佛(アンアミダフツ)佛工也。運慶弟子也。〔永・人名168E〕
安阿彌陀佛(―――――)佛工也。運慶弟子。〔尭・人名157B〕
とあって、いずれも『下學集』からの引用となっている。
2001年1月26日(金)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「鍛冶(カヂ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「賀」部に、
鍛冶(カチ/キタイトラカス)。〔元亀本93E〕
鍛冶(カヂ)。〔静嘉堂本116@〕
鍛冶(カチ)。〔天正十七年本上57オB〕
鍛冶(カチ)。〔西来寺本165E〕
とある。標記語「鍛冶」の語注記は未記載にある。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、
鍛冶(カチ/タンヤ) 打テ∨鉄(テツ)ヲ造(ツクル)器(ウツハモノ)ヲ者ノナリ也。日本ノ之俗以テ‖此ノ二字ヲ|呼テ作(ナス)‖假冶(カチ)ノ音(コヘ)ヲ|。大ナル誤(アヤマリ)也。蓋(ケタシ)以テ‖字形相似ルヲ|歟。字已ニ別音(コヘ)モ亦タ別ナリ也。可シ∨辨(ベン)ス∨之ヲ。〔人倫39B〕
とあって、語注記は「鉄を打つて器を造る者のなり。日本の俗、此の二字を以って呼びて假冶の音を作す。大なる誤まりなり。蓋し、字形相似たるを以ってか。字已に別の音も亦た別なり。可シ∨之れを辨すべし」という。『庭訓徃來註』三月十二日の状に、
釿并ニ造作ノ釘、金物者、用‖意シ炭鐵|、召‖_居(ス)ヘ鍛冶ヲ|令∨造候也 日本ノ俗爲‖鍛治|大誤也。雖∨然干∨今不∨可∨改也。仁王廿七代雄略天王伊勢国山田原ニ大~宮作リ自リ‖震旦|始渡也。〔謙堂文庫藏一八右H〕
とあって、『下學集』の一部注記を引用する。そして、「然りと雖ども今に干、改たむべからざるなり。仁王廿七代雄略天王、伊勢の国山田原に大~宮を作り、震旦より始めて渡すなり」と増補注記する。これを広本『節用集』は、
鍛冶(カチ/タンヤ) 打∨鐵造∨器者也。日本俗以‖此二字ヲ|作‖假冶(カヂ)ノ音|。大誤也。蓋以‖字_形相_似|歟。字_已別ニシテ而音モ亦別也。可∨辨∨之。雖∨然就錯(アヤマリ)今不∨可∨改者也。〔人倫39B〕
とある。ここで末尾部分の「雖∨然就錯(アヤマリ)今不∨可∨改者也」の箇所は、『庭訓徃來註』に近似ている箇所でもある。さらに、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
鍛冶(カヂ) 日本世俗讀‖此二字|作‖假冶|音大ニ誤也。雖∨然就∨錯不∨可∨改也。〔人倫77D〕
鍛冶(カヂ) 日本世俗此二字ヲ呼テ作‖鍛冶ノ声ヲ|大_誤也。雖∨然就∨錯ニ不∨可∨改也。〔人倫77@〕
鍛冶(カヂ) 日本俗此二字呼作‖假冶ノ声ヲ|大誤也。雖∨然就∨錯不∨可∨改也。〔人倫69G〕
鍛冶(カヂ) 日本世俗此二字ヲ呼テ作‖假冶声ヲ|大誤也。雖∨然就∨錯不∨可∨改也。〔人倫83A〕
とあって、広本『節用集』と同じく末尾を有し、『庭訓徃來註』に近似た注記をなしている。ここでも『運歩色葉集』だけがこの注記を引用していないことが明らかとなった。
2001年1月25日(木)曇り。八王子→池袋
「高麗(カウライ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「賀」部に、
高麗(―ライ) 。〔元亀本91C〕
高麗(―ライ) 。〔静嘉堂本112E〕
高麗(―ライ) 。〔天正十七年本上55オG〕
高麗(―ライ) 。〔西来寺本161B〕
とある。標記語「高麗」の語注記は未記載にある。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、
高麗(カウライ) 又云‖朝鮮國ト|。又云‖三韓ト|。〔天地20C〕
とあって、語注記は「又、朝鮮國と云ふ。又、三韓と云ふ」という。『庭訓徃來註』四月十一日の状に、
奥漆・筑紫穀・或異国ノ唐物高麗ノ珎物 高麗ハ云‖朝鮮国|。又云‖三朝国|也。〔謙堂文庫藏三〇右C〕
とあって、上記『下學集』を引用している。次に、広本『節用集』は、
高麗(カウライ/―レイ。タカシ、ウルワシ) 或云‖朝鮮國(テウセンゴク)ト|。又云‖三韓(カン)ト|。〔天地門253E〕
とあって、最初の「又」を「或」に置換変更するにとどまり、引用継承する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
高麗(カウライ) 又云‖三韓(カン)|。又云‖朝鮮国(テウセン)|。〔弘・天地74C〕
高麗(カウライ) 又云‖三韓(カン) ト|。又云‖朝鮮国(テウセン) ト|。〔永・天地74A〕
高麗(カウライ) 又云‖三韓|。又云‖朝鮮国|。〔尭・天地67A〕
高麗(カウライ) 又云‖三韓ト|。又云‖朝鮮國ト|。〔両・天地79G〕
とあって、印度本は「加」部、天地門の冒頭にこの語を排列し、語注記の内容を前後顛倒して注記する。このように、『下學集』を頂点としたこの「高麗」の語は、『運歩色葉集』になると語注記を未記載としていることが知られるのである。
2001年1月24日(水)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「運慶(ウンケイ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「宇」部に、
運慶(―ケイ) 佛工也。后鳥羽院時ノ人也。〔元亀本179A〕
運慶(ウンケイ) 仏工。后鳥羽院時人也。〔静嘉堂本200A〕
運慶(―ケイ) 佛工也。后鳥羽院〓〔日+之〕之人也。〔天正十七年本中29オG〕
とある。標記語「運慶」の語注記は、「佛工なり。後鳥羽院時の人なり」という。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、
運慶(ウンケイ) 佛工ナリ也。後鳥羽(ゴトバ)ノ院ノ時ノ人ナリ也。〔人名49A〕
とあって、この語注記を『運歩色葉集』は継承する。これを『庭訓徃來註』卯月五日の状に、
佛師《前略》其後運-慶後鳥羽院ノ時ノ人也。其弟子湛慶同安阿弥陀佛ト云者有リ。今佛師其末流ソ。〔謙堂文庫藏二四右D〕
とあって、冠頭部の「佛工也」の語を省いて「後鳥羽院が時の人なり」の語注記は共通し、これも『下學集』からの引用継承となる。次に、広本『節用集』は、
運慶(ウンケイ/ハコブ、ヨロコブ) 本朝後鳥羽(ゴトバ)ノ院ノ時(トキ)ノ佛師也。〔人名門471D〕
とあって、冠頭部に「本朝」を増補し、逆に「佛工也」を削除して、末尾部の「人也」を「佛師也」と置換変更する。改編注記を見せている。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
運慶(ウンケイ) 湛慶(タンケイ) 本師ノ佛師也。後鳥羽院ノ時人也。湛慶ハ運慶子。〔弘・人名149B〕
運慶(ウンケイ) 本朝ノ佛師也。後鳥羽院〓〔日+之〕人也。〔永・人名120F〕
運慶(ウンケイ) 本朝佛師也。後鳥羽院人。〔尭・人名110B〕
運慶(ウンケイ) 本朝佛師也。後鳥羽院時人。〔両・人名134A〕
とあって、広本『節用集』と同じく、「佛工也」を「本朝ノ佛師也」にし、「後鳥羽院時人」と注記する。そして、弘治二年本だけが「湛慶」を連続して記載している。
2001年1月23日(火)霽のち一時曇り。八王子→世田谷(駒沢)
「定朝(ヂヤウテウ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』には、「定朝」の語は未収載にある。『下學集』は、
定朝(チヤウテウ) 佛工也。後一条(ゴ[イチデウ])ノ院ノ時ノ人。位至ル‖法橋上人ニ|。工人ノ綱位朝ヲ爲∨始メト也〔人名49@〕
とある。その語注記は、「佛工也。後一条の院の時の人。位、法橋上人に至る。工人の綱位、朝を爲始めと為すなり」という。これを『庭訓徃來註』卯月五日の状に、
佛師 《前略》日本ノ作者ノ始ハ定朝一条院ノ時ノ人。位ハ至‖法橋上人ニ|。綱位ハ自∨是始ル。《後略》。〔謙堂文庫藏二四右D〕
とあって、『下學集』の「後一条の院」を「一条院」とし、「工人の綱位」を「綱位」としているが、この箇所からの引用と見てよい。次に、広本『節用集』は、
定朝(ヂヤウテウ/テイ・サダム、ミカド・アシタ) 佛工也。後一条之院時人也。位至‖法橋上人|。上人之綱位。朝爲∨始。壬生(ミフ)ノ地蔵一刻三礼造∨之云々。〔人名159G〕
とあって、『下學集』の注記に従っているが、「工人の綱位」を「上人之綱位」と変更し、且つ末尾箇所に「壬生(ミフ)ノ地蔵、一刻三礼造∨之云々」を増補する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
定朝(チヤウテウ) 佛工也。后一条院時人。位至‖法橋上人。工人綱位。朝爲始。〔・人名49F〕
定朝(ヂヤウデウ) 仏工也。後一条院時人。位至‖法橋上人。上人綱位。朝爲∨始。〔・人名51A〕
定朝(チヤウテウ) 佛工也。後一条院時人。位至法橋上人。々々ノ綱位。朝爲始。〔・人名46B〕
定朝(――) 佛工也。後一条院時人。位至‖法橋上人ニ|。上人綱位。朝爲∨始。〔・人名54E〕
とあって、ここでも、弘治二年本を除く他三本は、広本『節用集』と同じく「上人綱位」と変更が見られるのである。但し、末尾の増補はない。そして、この「定朝」の語を『運歩色葉集』の編纂者は載録してないことが浮びあがってきた。何故この人物名を未載録としたのかが今後問われてくる。
2001年1月22日(月)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「金岡(かなをか)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「賀」部に、
金岡(カナヲカ) 一条院時ノ人。巨勢氏。〔元亀本99A〕
金岡(カナヲカ) 一条院時人。巨勢氏。〔静嘉堂本124B〕
金岡(カナヲカ) 一条院時人。巨勢氏。〔天正十七年本上61オC〕
金岡(カナヲカ) 一条院〓〔日+之〕人。巨勢氏。〔西來寺本177@〕
とある。標記語「金岡」の語注記は、「一条院の時の人。巨勢氏」という。『下學集』は、
金岡(カナヲカ) 畫工也。一条院ノ之時ノ人ナリ。姓ハ巨勢氏官至ル‖大納言ニ|。〔人名48F〕
とある。この語注記から『運歩色葉集』は抜粋省略引用する。これを『庭訓徃來註』卯月五日の状に、
陰陽師繪師 陰陽ノ亊。在∨上。繪ハ日本ニハ金岡畫工也。一条院ノ時ノ人也。至‖大納言ニ|也。〔謙堂文庫藏二四右D〕
とあって、やはり『下學集』から引用するが、「姓ハ巨勢氏」の箇所を省略していて、その語注記の引用が『運歩色葉集』とは異なっている。次に広本『節用集』は、
金岡(カナヲカ/キン、カウ) 本朝ノ畫工。一條院時人。姓ハ巨勢(コセイ)氏。官ハ至ル‖大納言ニ|也。〔人名門262B〕
とあって、『下學集』の語注記の冠頭部に「本朝ノ」を増補し引用する。さらに、印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
金岡(カナヲカ) 日本畫工也。一条院時人也。姓巨勢氏。官至‖大納言|。〔弘・人名78D〕
金岡(カナヲカ) 日本ノ畫工也。一条院ノ〓〔日+之〕ノ人也。姓ハ巨勢氏。官ハ至‖大納言ニ|。〔永・人名77G〕
金岡(カナヲカ) 日本畫工也。一条院ノ〓〔日+之〕人也。姓巨勢。官至‖大納言|。〔尭・人名70@〕
金岡(カナヲカ) 日本畫工也。又姓ハ巨勢氏。一条院時人也。官至大納言。〔両・人名84B〕
とあって、その増補引用は、広本『節用集』同様、冠頭部に「日本ノ」を増補し引用する。このうち、両足院本は、「又」をもって注記排列に変更が見られる。已上、それぞれの語注記の引用態度は冠頭部増補引用、一部抜粋引用と区々であり、その利用姿勢に大きな差異があることが明らかになった。
2001年1月21日(日)霽。八王子→世田谷(玉川→駒沢)
「屈請(クツシヤウ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「久」部に、
屈請(クツ―) 。〔元亀本189H〕
屈請(―シヤウ) 。〔静嘉堂本213F〕
屈請(―シヤウ) 。〔天正十七年本中36オF〕
とある。標記語「屈請」の語注記は未記載にある。『庭訓徃來』に見え、『下學集』には、
屈請(クツシヤウ) 強(シイ)テ招(マネク)∨人ヲ也。日本ノ俗屈ノ字作(ナス)‖窟崛(クツクツ)ニ|皆ナ大ニ誤ナリ也。〔態藝91B〕
とある。その語注記は、「強いて人を招くなり。日本の俗、屈の字「窟」「崛」に作す。皆な大いに誤まるなり」とその意義及び作字について注記したものである。この作字は、日本の世俗が「窟請」や「崛請」と表記しているがこれは大いに誤まりであると指摘するものである。『庭訓徃來註』十月三日の状に、
聖道衆徒屈請(クツ−)ノ亊候 屈請ハ請一寺ノ衆徒不交他寺ノ衆徒ヲ也。屈請ハ強招人ヲ也。窟之字誤。〔謙堂文庫蔵五四右B〕
とあって、「屈請は一寺の衆徒を請じ、他寺の衆徒と交へざるなり。屈請は強いて人を招くなり。「窟」の字は誤まり」とその語注記が二文からなり、前半部は、別資料の注記によるものであり、後半部が『下學集』からの引用継承となっているのである。広本『節用集』は、
屈請(クツシヤウ・−コウ/クヾム、ウケル) 強(シイ)テ招∨人。日本俗呼∨屈作‖窟崛ト|皆誤也。〔態藝門543E〕
とあって、そのまま『下學集』から引用継承する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
屈請(クツシヤウ) 強(シイ)テ招∨人ヲ。日本俗―作窟崛皆誤。〔弘・言語進退162E〕
屈請(クツシヤウ) 強(シイ)テ招∨人ヲ。日本俗―ヲ作∨窟・崛皆誤。〔永・言語132B〕
屈請(クツシヤウ) 強招∨人也。日本俗―ヲ作‖窟崛|非。〔尭・言語121D〕
屈請(クツシヤウ) 強招人也。日本俗―(クツ)ヲ作‖窟崛|非也。〔両・言語147E〕
とあって、いずれも『下學集』からの引用継承となっている。ただし、尭空本・両足院本『節用集』の末尾表現が「誤」から「非」へと置換変更が見られるのである。そして、『運歩色葉集』が、この語注記を完全に未記載にしていることにも注意せねばなるまい。なぜなら、簡略化姿勢にある易林本『節用集』にあっても、
屈請(クツシヤウ) 引伏。〔言語134B〕
とあって、短いながらも「引き伏す」と注記がなされているからである。この『運歩色葉集』編纂者が未記載とした編纂意識については、今後さらに明らかにされねばなるまい。 当代の『日葡辞書』に、
Cuxxo<.クッシャゥ(屈請) Cagamari xo<zuru.(屈まり請ずる)誰か人の前に頭を下げて畏まって相手を敬うこと.§Cuxxo< suru.(屈請する)このようにお辞儀をして畏まる.〔邦訳176l〕
†Cuxxo<xi,suru. クッシャゥシ,スル,シタ(屈請し,する,した) 誰か人を自分の家の中などへ呼び入れる,または,招待する. 〔邦訳176l〕
とある。
2001年1月20日(土)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「誓願(セイグワン)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「勢」部に、
※〔元亀本は未收載〕
誓願(―グワン) 。〔静嘉堂本426D〕
とある。標記語「誓願」の語注記は未記載にある。『庭訓徃來』に見え、『下學集』には、
四弘誓願(シグセイグワン) 衆生無辺(ムヘン)誓願度(セイクワント)。煩惱(ホンノフ)無盡(ムジン)誓願断([セイクワン]タン)。法門(ホウモン)無量(ムリヤウ)誓願学([セイクワン]カク)。菩提(ボダイ)无上(ム[ジヤウ])誓願成([セイクワン]ジヤウ)。此レナリ也。〔(元和版)数量140A〕
四弘誓願(―グウセイグワン) 衆生無邊誓願度。煩惱無邊誓願断。法門無量誓願斈。佛道無上誓願成。〔(亀田本)數量F〕
とあって、その語注記は「衆生無辺誓願度。煩惱無盡誓願断。法門無量誓願学。菩提无上誓願成。此れなり」という。ここで、「煩悩無辺」を「煩惱無盡」、「佛道無上」を「菩提无上」にして置換するといった古写本と元和版における変更置換を指摘しておく。これを『庭訓徃來註』九月十五日の状に、
芳札之旨令‖披見|候畢。誠ニ可∨有‖御給仕|之旨被‖誓願せ|候歟。 四也。衆生無辺誓願度、法門無尽誓願学、煩悩無辺誓願断、佛道無上誓願成也云々。〔謙堂文庫蔵五二右B〕
とあって、『下學集』の「四弘誓願」の語注記内容を《排列置換》して、「四なり。衆生無辺誓願度、法門無尽誓願学、煩悩無辺誓願断、佛道無上誓願成也云々」として記載する。さらに、「法門無量」を「法門無尽」と記載する。広本『節用集』は、
四弘誓願(シグセイグワン) 衆生無邊誓願度。煩惱無邊誓願断。法門無量誓願学。佛道無上誓願成。〔數量門929G〕
とあって、語排列そして注記語についても古写本『下學集』に従い、引用継承するものである。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、
四弘誓願(―クセイクハン) 衆生無辺誓願度。煩惱無辺――断。法門無量――斈。仏道無上――成。〔永・数量213F〕
四弘誓願(―クセイクワン) 衆生无辺――度。煩惱无辺――断。法門无量――斈。佛道无上――成。〔尭・数量197F〕
誓願(―グワン) 。〔弘・言語進退265E〕
誓文(セイモン) ―状(シヤウ)。―願(グハン)。〔永・言語226D〕
誓文(セイモン) ―状。―願。〔尭・言語213B〕
とあって、「四弘誓願」を収載するのは、永祿二年本・尭空本の二本であり、弘治二年本は、語注記未記載の「誓願」のみとなっている。ここでも『下學集』を頂点にして、『庭訓徃來註』が排列置換した引用継承にあり、広本『節用集』そして、永祿二年本・尭空本『節用集』の全面引用継承といった状況が見て取れると同時に、印度本系統の弘治二年本『節用集』や『運歩色葉集』に大幅な変更が生じていることが「四弘誓願」の語注記から確認できるのである。
2001年1月19日(金)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「狼藉(ロウゼキ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「羅」部に、
狼藉(ラウゼキ) 如シ‖―ノ所∨―(シク)草ノ乱|。〔元亀本171G〕
狼藉(ラウジヤク) 如―ノ所―草乱。〔静嘉堂本191A〕
狼藉(ラウセキ) 如‖―所∨―草ノ乱|。〔天正十七年本中25ウF〕
とある。標記語「狼藉」の語注記は、「狼の籍く所の草の乱るるが如し」という。そして読みは、「ラウゼキ」と「ラウジヤク」の両用の読み方が見えている。『庭訓徃來』八月七日の状に見え、『下學集』は、
狼藉(ラウゼキ) 人ノ之狂乱(ケウラン)ナルハ如シ‖狼(ヲヽカメ)ノ所ロ∨籍(シク)草ノ散乱タルカ|也。〔態藝81E〕
とあって、『運歩色葉集』は『下學集』の語注記の一部からの引用継承であり、その語注記は、「人の狂乱なるは、狼の所ろ草の籍くの散乱たるが如しなり」とあるものである。これを『庭訓徃來註』八月七日の状にも、
蹂躙勾引路次狼藉 悪人ハ如‖狼ノ所籍ル草花ヲ|散乱也。〔謙堂文庫藏四六右D〕
とあって、『下學集』の語注記を「人の狂乱」を「悪人」に、「草」を「草花」にと少しく変更改編していることが見える。次に広本『節用集』は、
狼藉(ラウゼキ/ミダリ・ヲヽカメ、シク) 又作〓〔艸+狼〕籍。栄字印。人ノ之狂乱スルコト如‖狼ノ所ノ∨籍(シク)草ノ散乱スルカ|也。〔態藝門456F〕
とあって、語注記の冠頭部に「又作〓〔艸+狼〕籍。栄字印」を増補し、後は『下學集』の語注記に従う。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
狼藉(―ゼキ) 人之狂乱スル如狼所籍艸ノ散乱。〔弘・言語進退144A〕
狼藉(ラウセキ) 人之狂乱。如‖狼(―)ノ所ノ∨籍(シク)。草散乱スルカ|。〔永・言語114H〕
狼藉(ラウセキ) 人之狂乱。如‖狼所∨籍。草散乱スルカ|。〔尭・言語105B〕
狼藉(ラウセキ) 人之狂乱。如‖狼ノ所ノ∨籍(シク)。草散乱スルカ|。〔両・言語128B〕
とあって、その読みはすべて「ラウセキ」とし、『下學集』の語注記をそのまま引用継承するものである。ここで、いずれも『下學集』の語注記を引用継承する点では一つであるが、広本『節用集』は増補改編が見え、『庭訓徃來註』は、語の置換変更、そして『運歩色葉集』が簡略化、印度本系統『節用集』が維持継承とそれぞれ異なる語注記の記載についての歩みを遂げていることになる。
2001年1月18日(木)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「羯鼓(カツコ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「賀」部に、
羯鼓(カツコ)。〔元亀本94D〕
羯鼓(カツク)。〔静嘉堂本117B〕
羯鼓(カツコ)。〔天正十七年本上57ウD〕
羯鼓(カツコ)。〔西來寺本167D〕
とある。標記語「羯鼓」の語注記は未記載にある。読みは「カツコ」と「カツク」の両用が見えている。『庭訓徃來』七月日の状に見え、『下學集』は、
羯鼓(カツク/カツコ) 玄宗善ク撃(ウツ)∨之ヲ。有ル時キ春寒シテ花遲(ヲソシ)玄宗登(ノホツ)テ∨樓(ロウ)ニ撃ツテ‖羯鼓ヲ|而催ス∨花ヲ。百花一時ニ盛(サカン)ニ開ク。謂フ‖之ヲ羯鼓樓ト|也。〔器財112@〕
とあって、語注記は、「玄宗善くこれを撃つ。有る時き、春寒して花遲し。玄宗樓に登って、羯鼓を撃って花を催す。百花一時に盛んに開く。謂フ‖之これを羯鼓樓と謂ふなり」という。これを『庭訓徃來註』七月日の状に、
鞨鼓 玄宗善撃∨之。有時春寒花遲。玄宗登∨樓打∨之而催∨花。百花一時開謂‖羯鼓樓|也。〔謙堂文庫蔵四二左D〕
とあって、まさに上記『下學集』の語注記を継承引用している。次に広本『節用集』は、
羯鼓(カツク/ウシ、ツヾミ) 玄宗善撃∨之。或時、春寒花稍遲。玄宗登∨楼撃‖羯鼓|。而催∨花。百花一時ニ盛開。謂‖之ヲ羯鼓楼|也。〔器財門268E〕
とあって、これもまた、『下學集』の語注記を継承引用している。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
羯鼓(カツコ) 玄宗撃之。催花。百花一時ニ開。故ニ――云々。〔弘・財宝84A〕
羯鼓(カツコ) 玄宗善撃∨之。有〓〔日+之〕春寒花_遲。玄宗登∨樓撃∨――ヲ。而催∨花。百花一〓〔日+之〕ニ盛ニ開ク。謂∨之ヲ‖――樓ト|。〔永・財宝80H〕
羯鼓(カツコ) 玄宗善撃之。有〓〔日+之〕春寒花遲。玄宗登楼撃――。而催∨花。百花一時盛開。謂――樓。〔尭・財宝73E〕
羯鼓(カツコ) 玄宗善撃∨之。或時春寒花遲。玄宗登楼撃――。而催花。百花一時ニ盛開。謂‖之ヲ――(カツク)樓|。〔両・財宝88B〕
とあって、弘治二年夲以外は、すべて『下學集』を引用継続する。
2001年1月17日(水)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「焦尾(セウビ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』は、標記語「焦尾」を未收載にする。『下學集』は、
焦尾(シヨウビ) 琴(コト)ノ異-名也。亦曰フ‖焦-桐(トウ)ト|。後-漢(ゴカン)ノ蔡邑(サイイフ)取テ‖竃-下(サウカ)ノ爆(ハク)-桐ヲ|以テ造(ツク)ル∨琴(コト)ヲ。■殊(コト)ニ音(コヘ)絶(ゼツ)ス∨比(タグヒ)ヲ矣。其ノ桐-尾尚(ナヲ)_焦(コカ)ル故ニ呼テ∨琴ヲ云フ‖焦-尾ト|。亦云フ‖焦-桐ト|也。亦タ桐-君トモ云フ也。〔器財111C〕
とあって、語注記は、「琴の異名なり。また焦桐と曰ふ。後漢の蔡邑、竃下の爆桐を取りて、以って琴を造る。殊に音(こゑ)、比(たぐ)ひを絶す。其の桐尾、なほ焦(こが)る。故に琴を呼びて、焦尾と云ふ。また焦桐と云ふなり。また桐君とも云ふなり」という。これを『庭訓徃來註』七月日の状に、
筝 《前略》或琴ヲ号焦尾ト|。是ハ異名也。註曰集桐ト云。後漢蔡邑取‖竈下ノ爆桐|以造∨琴。殊音絶∨之。其桐尾尚集ル故呼琴云‖焦桐|。又云‖桐君|。舜ニハ五絃。周ハ七絃也。公任ノ哥曰、桐リ於志茂筝ニ成ル可キ橋ニトヤ五十川ニ引キ渡ス哉。被レリ∨遊。〔謙堂文庫蔵四一左B〕
とあって、語注記の前半部は、まさに上記『下學集』を引用継承する。広本『節用集』は、
焦尾(セウビ/コガルヽ、ヲ) 琴之異名也。又曰‖焦桐|。後漢ノ蔡邑取‖竃下ノ爆桐以造∨琴。殊音絶∨比(タグイ)ヲ矣。其桐尾尚焦。故呼∨琴云‖――ト|。又曰‖桐君ト|。〔器財門1086G〕
とあって、「また」の表記字が置換変更されていたりするが、これも同じく『下學集』を引用継承する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、
焦尾(セウビ) 琴異名也。亦曰‖―桐|。後漢蔡邑(サイユウ)取‖竃下ノ爆桐|以造∨琴ヲ。殊音絶∨此ヲ矣。其桐尾尚焦(コカ)ル。故ニ呼テ∨琴云‖――|。亦云∨桐君。〔永・財宝225H〕
焦尾(セウビ) 琴異名也。亦曰‖―桐|。後漢蔡邑取‖竃下爆桐|以造∨琴。殊音絶∨此矣。其桐尾尚焦。故呼∨琴云‖――|。亦云焦桐又云桐君。〔尭・財宝225H〕
とあって、弘治二年本『節用集』は、古辞書『運歩色葉集』と一にしてこの語を未收載としている。その要因として考えられることは、部立て「志」から「勢」への語移動における際の脱語状況がある。このうえでも、この両書の関係は親密性を帯びているのである。残る二本については、『下學集』を継承するもであり、「比」の字を「此」に誤記する特徴が見て取れよう。
[ことばの実際]
[補遺]萩原義雄「又云」「又曰」攷―室町時代古辞書『下学集』を中心に―」(平成十二年三月、駒澤短期大学紀要第二十八号)の「七 元和本と春良本の「又謂」と「亦曰」の通番61」を参照されたい。
2001年1月16日(火)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「篳篥(ヒチリキ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「飛」部に、
篳篥(ヒチリキ) 。篳〓〔咸+角〕(同)。〔元亀本341F〕
篳篥(ヒチリキ) 。篳〓〔咸+角〕(同)。〔静嘉堂本409C〕
とある。標記語「篳篥」と「篳〓〔咸+角〕」とを続けて配置し、語注記は未記載にある。『庭訓徃來』七月日の状に見え、『下學集』は、
〓〔咸+角〕篥(ヒチリキ) 〓〔咸+角〕或ハ作∨篳ニ。一名‖悲篥ト|。胡-人吹ク‖葭管(カ[クハン])ヲ|也。〔器財111E〕
とあって、語注記は「〓〔咸+角〕、或は篳に作る。一は悲篥と名づく。胡人、葭管を吹くなり」という。この「〓〔咸+角〕、或は篳に作る」の語注記については、『庭訓徃來』の表記に基づくところに依拠した注記内容である。そして、『下學集』の編者が何故「篳篥」でなくして、この「〓〔咸+角〕篥」の標記語を採録したかだが、その理由として中国類書の標記語を第一義としたことが考えられよう。これに対し、『庭訓徃來』の「篳篥」の表記は、『古今韻會擧要』の「〓〔咸+角〕」の注記に「俗作〓〔咸+角〕栗、亦作篳篥詳見」とあって、第二義性の表記としていて、これに従ったものである。『庭訓徃來註』七月日の状には、
篳篥(ヒチリキ) 胡人吹‖葭管|也。〔謙堂文庫藏四一左A〕
とあって、『下學集』の後半部分「胡人、葭管を吹くなり」を引用している。広本『節用集』は、
篳篥(ヒチリキ) 或篳作‖〓〔咸+角〕栗ト|。胡人吹ク‖葭管(カクワン)ヲ|。又作∨簫。異名、丘仲。列和。桓伊。寧王。完吹。胡笳。胡管。歌管。〔器財門1035B〕
とあって、語注記の前半部分は『下學集』を継承引用しつつも後半部分「又作∨簫」以降は、「異名」語群を加え、増補改編がなされている。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、
篳篥(ヒチリキ)。簫(同)。〔弘・財宝衣服253F〕
〓〔咸+角〕篥(ヒチリキ) 一名悲篥。見于汚。〓〔咸+角〕或作∨篳ト。集曰‖〓〔咸+角〕篥|。胡樂。〔永・財宝217B〕
〓〔咸+角〕篥(ヒチリキ) 一名悲栗。見于汚。―或作∨篳。〔尭・財宝217B〕
とあって、弘治二年本は、語注記は未記載にして簡略・削除化の方向にあり、他二本は、逆増補方向にあって大元は共通し、共に『下學集』の語注記内容排列を逆にして、そこに典拠名である『(古今)汚擧要』を収載したり、さらに「〓〔咸+角〕」を「篳」に作るという語注記にも典拠名の『集』を明示している。永祿二年本だけが末尾に「胡樂」を注記収録する。ここで、『庭訓徃來註』の編者が何故文字表記の異なりを示す注記箇所を削除省略したのか問わねばなるまい。また、『運歩色葉集』が第二番目に表記する語「篳〓〔咸+角〕」と弘治二年本『節用集』の第二番目の標記語「簫」の語はいずれも単独の異なりとなっている。
[ことばの実際]
篥 〓〔咸+角〕篥胡人吹葭管也。[樂書]一名悲篥。一名笳管。?胡龜茲樂以竹爲管以蘆爲首状類胡笳而九竅所法者角音而已。其聲悲栗胡人吹之以驚中國馬焉。今鼓吹樂坊以爲頭管胡部有雙〓〔咸+角〕篥唐樂圖所傳也。《『古今韻會擧要』四二八上@・五3292D》
2001年1月15日(月)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「笙(シヤウ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「志」部に、
笙(シヤウ) 女過始造。〔元亀本333F〕
笙(シヤウノフヱ) 女〓〔女+咼〕作造。〔静嘉堂本〕
とある。標記語「笙」の語注記は、元亀本が「女過始めて造る」とし、静嘉堂本が「女〓〔女+咼〕作造す」と異なりを見せている。『庭訓徃來』七月日の状に見え、『下學集』は、
笙(シヤウ) 女〓〔女+咼〕(チヨクワ)造ル∨之ヲ。〔器財111E〕
とあって、その語注記は、この楽器の製作者名「女〓〔女+咼〕」を明らかにするものである。これを『庭訓徃來註』七月日の状に、
笙 女過作∨之。又玄宗皇帝始作∨之給也。〔謙堂文庫藏四一左A〕
とあって、『下學集』の語注記を継承し、その次に「又、玄宗皇帝、始めてこれを作り給ふなり」という語を添える。広本『節用集』は、
笙(シヤウ) 釋名曰、笙生也。象‖物ノ貫∨地ヲ而生ニ|。以∨匏ヲ為(ツクル)∨之。其中空ニシテ以受∨簧也。説文曰、笙ハ正月之音ナリ。物生ス故為‖之ヲ笙ト|有‖十三簧|。象ル‖鳳之聲ニ|。尓雅ニ曰、大笙之ヲ謂∨〓〔竹+于〕ト。小笙之ヲ謂∨和ト。白虎通曰、笙有‖七政之節焉六合之和|焉。天下樂∨之。故謂‖之笙。古之善吹クモノ王子晋薫雙成漢帝魏ノ杜〓〔艸+白此友〕ナリ。世本云、女〓〔女+咼〕作‖笙簧曹桓賛シテ‖女〓〔女+咼〕|云。造リ∨簧作∨笙。隋ノ音樂志ニ云、笙〓〔竹+于〕并ニ女〓〔女+咼〕之所ナリ∨作。礼音ニ云、三十六簧ナリ。笙大者十九。簧ノ小ル者ハ十三簧歟。管ニ有∨匏有リ‖巣(ス)ノ象|。或曰‖巣笙ト|也。 異名、鳳翼。竿幽。黄奴。王喬吹之也。妙曲。三鳥音。〔器財門925G〕
とあって、その語注記は、典拠順に『釈名』『説文』『尓雅』『白虎通』が「曰」の字でそれぞれの語注記が示され、次に『世本』として「云」の字をもって、『下學集』の語注記内容を大幅に増補して示し、さらに「云」の字で隋の『音樂志』、『礼音』の語注記が示されている。そして、末尾に「異名」語群が置かれている。ここで、『下學集』の語注記に共通する『世本』という典拠表示が具体的に何を意味するかを明らかにせねばなるまい。その内容は、「女〓〔女+咼〕笙簧作り、曹桓女〓〔女+咼〕に賛して云ふ。簧を造り笙を作る」という。また、『音樂志』にも、「笙〓〔竹+于〕并に女〓〔女+咼〕の作る所なり」が共通する内容である。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、
笙(シヤウ) 女〓〔女+咼〕(ヂヨクワ)造∨之。〔弘・財宝241E〕
笙(シヤウ) 女〓〔女+咼〕造∨之。〔永・財宝207F〕
笙(シヤウ) 女〓〔女+咼〕造之。〔尭・財宝191H〕
とあって、『下學集』をそのまま継承するものであり、ここでの異なりとして「造∨之」から元亀本が「始造」へ、静嘉堂本が「作造」と『運歩色葉集』だけが置換変更していることが指摘できるのである。これと同じ箇所で『庭訓徃來註』も「作∨之」と示している。このように、『下學集』の語注記内容を大幅に異なりを見せながら改編増補したものに広本『節用集』があり、『庭訓徃來註』は若干、そして『運歩色葉集』もやや変更するといったものであった。
2001年1月14日(日)霽。八王子→世田谷(玉川)→赤坂
「鼻高(ビカウ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「飛」部に、
鼻高(−カウ) 。〔元亀本342D〕
鼻高(ビカウ) 。〔静嘉堂本410E〕
とある。標記語「鼻高」の語注記は未記載にある。『庭訓徃來』七月日の状に見え、『下學集』は、
鼻高(ビカウ) 履(クツ)也。高ノ字或ハ作∨荒ニ。〔器財113@〕
とあって、語注記に「履(クツ)なり。高の字、或は荒に作る」とその意味と標記語の別表記を示している。『庭訓徃來註』七月日の状に、
鼻高(ビ−) 高シテ作∨荒ニ。履也。〔謙堂文庫藏四一右F〕
とあって、語注記の順序を逆にするが、『下學集』を継承するものである。広本『節用集』は、
鼻高(ビカウ/ハナ、タカシ) 或作鼻廣。鼻荒。〔器財門1036@〕
とあって、その語注記は、標記語の別表記である「鼻廣」と「鼻荒」の両表記を示すにとどまり、意味については触れないものとなっている。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、
鼻高(ビカウ/ハナタカ) 履也。或作‖鼻廣|。〔弘・財宝衣服254A〕
鼻高(ビカウ) 又―廣|。―荒。履也。〔永・財宝217C〕
鼻高(ビカウ) 又―廣|。―荒。〔尭・財宝203@〕
とあって、弘治二年本は『下學集』の語注記「高ノ字」の箇所を削除して記載するもであるが、永禄二年本は、広本『節用集』に見える別表記「鼻廣」をも収めて、意味「履なり」を記載する。そして、尭空本は、別表記二語を示すに留まるといった印度本系統のなかで語注記の差異を見せている。ここで『運歩色葉集』がこれら上記とは決定的に異なるのは、このいずれの語注記も示さない点にある。簡略化姿勢にある易林本『節用集』ですら、
鼻高(ビカウ) 履也。〔器財二二五C〕
とあって、意味の「履なり」を示しているのに、この語の語注記を未記載にしたことは、独自の編纂意図を感じないではない。
[連関補遺]萩原義雄「作語攷―室町時代古辞書『下学集』を中心に―」(平成十一年三月、駒澤大學北海道教養部研究紀要第三十四号)の「通番42」を参照されたい。
2001年1月13日(土)曇り。八王子→野猿峠(大学セミナーハウス)
「?〓〔木+厥〕(ケツ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「計」部に、
〓〔木+?欠〕(ケツ) ?〔木+厥〕(同) 護摩壇(タン)上四隅(ク)之小柱(ハシラ)也。〔元亀本220F〕
?〔木+厥〕(ケツ) 護摩壇上ノ四ノ隅之小柱也。〔静嘉堂本251D〕
?〔木+厥〕(ケツ) 護广壇上四隅(スミ)之小柱也。〔天正十七年本中55オC〕
とある。標記語「〓〔木+厥〕」の語注記は、「護摩壇上の四の隅の小柱なり」という。『庭訓徃來』七月日の状に見え、『下學集』は、
〓〔木+厥〕(ケツ) 眞言ノ壇上(タン[ジヤウ])ノ四隅(スミ)ノ之小柱ナリ。〔器財121D〕
とあって、「眞言の壇上の四隅の小柱なり」と注記する。『庭訓徃來註』七月日の状に、
佛具如意 佛具ハ獨鈷三鈷五鈷火舎〓〔木+厥〕(ケツ)閼伽(アカ)桶乳木標此八ハ真言道具也。〓〔木+厥〕ハ壇上ノ四隅ノ柱也。乳木ハ用‖護摩ニ|白膠(ヌルテ)ノ木也。火舎ハ香炉也。如意ハ自‖牛〓〔口+司〕比丘|始。即橋梵婆提之亊也。常居‖帝釈天|帝釈ハ貴∨心。又貴∨体牛〓〔口+司〕ハ。爪ハ似∨牛ニ。口ハ似‖牛ノ〓〔口+司〕(ミシカム)ニ|。形律ニ達得法善巧也。雖∨然ト似‖牛ノ〓〔口+司〕ムニ|。人笑∨之故為∨隠∨之。作如意顔ヲ隠也。〔謙堂文庫藏四一右A〕
とあって、語注記は「壇上の四隅の柱也」として、冠頭部の「真言」の語を削除して『下學集』から継承記載する。広本『節用集』は、
〓〔木+厥〕(ケツ/クイ) 眞言ノ壇上ノ四隅(ヨツノスミ)ノ小柱(コハシラ)ナリ。〔器財593D〕
とあって、『下學集』の語注記を継承する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、
〓〔木+厥〕(ケツ) 眞言壇上四_隅(スミ)ノ小柱。〔弘・財宝174D〕
〓〔木+厥〕(ケツ) 眞言壇上四隅小柱。〔永・財宝143F〕
〓〔木+厥〕(ケツ) 眞言壇上之四隅小柱。〔尭・財宝133C〕
とあって、広本『節用集』を介してかは判断しずらいが、やはり『下學集』を継承する語注記となっている。このことから、『運歩色葉集』の異なりは冠頭部の「真言」の語を「護摩」に置換変更している点にあり、この箇所からみた『庭訓徃來註』との接点は図りきれないものがある。あくまで独自の注記語と考えてよかろう。
2001年1月12日(金)霽。八王子→十日市場
「乳木(ニウモク)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「丹」部に、
乳木(ニウモク) 護摩時用ル∨之ヲ。〔元亀本38G〕
乳木(ニウモク) 護摩時用之。〔静嘉堂本42@〕
乳木(ニウモク) 護广。〔天正十七年本上21ウD〕
乳木(ニウモク) 護广。〔西來寺本70C〕
とある。標記語「乳木」の語注記は、「護摩の時之を用る」という。『下學集』に、
乳木(ニウモク) 護摩(コマ)ニ用ユ∨之ヲ。此ノ木ハ用ユル‖白キ膠(ヌルデ)ノ木(キ)ヲ|也。〔器財121D〕
とあって、語注記は「護摩の時之を用ゆ。此の木は白き膠の木を用ゆるなり」
『庭訓徃來註』七月日の状に、
佛具如意 佛具ハ獨鈷三鈷五鈷火舎〓〔木+厥〕(ケツ)閼伽(アカ)桶乳木標此八ハ真言道具也。〓〔木+厥〕ハ壇上ノ四隅ノ柱也。乳木ハ用‖護摩ニ|白膠(ヌルテ)ノ木也。火舎ハ香炉也。如意ハ自‖牛〓〔口+司〕比丘|始。即橋梵婆提之亊也。常居‖帝釈天|帝釈ハ貴∨心。又貴∨体牛〓〔口+司〕ハ。爪ハ似∨牛ニ。口ハ似‖牛ノ〓〔口+司〕(ミシカム)ニ|。形律ニ達得法善巧也。雖∨然ト似‖牛ノ〓〔口+司〕ムニ|。人笑∨之故為∨隠∨之。作如意顔ヲ隠也。〔謙堂文庫藏四一右A〕
とあって、『下學集』から抽出し引用する。広本『節用集』の語注記は、
乳木(ニウボク/ヤシナウ、キ) 護摩ニ用∨之。此木ニハ必用‖白膠木ヲ|也。〔器財88C〕
とあって、「この木には必ず白膠木を用ゆるなり」と副詞「必ず」を補足して継承している。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
乳木(ニウモク) 護广用之。〔弘・財宝28C〕
乳木(ニウモク) 護摩用之。必用‖白膠木(ヌルデノキ)ヲ|。〔永・財宝28F〕
乳木(ニウモク) 護摩ニ用∨之。必用‖白膠木ヲ|。〔尭・財宝26C〕
乳木(――) 護摩用之。必用‖白膠木(ヌルデノキ)ヲ|。〔両・財寳31@〕
とあって、弘治二年本だけが、『運歩色葉集』と同様に語注記の簡略化が進み、他三本は広本『節用集』との連関性を保った語注記となっていることが補足した副詞「必ず」の語を継承していることからも確認できるのである。いずれも『下學集』の語注記内容をもとに編纂取り込みがなされていて、その書き込み具合があるところで簡略化が生じてきたものと考えられるのである。
2001年1月11日(木)霽。八王子→世田谷(駒沢)
「虎(とら)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の本編「遍」部と補遺「獣名」部に、
虎(トラ) 有‖百歩威|。一目放(ハナツ)∨光ヲ、夜ル見ル∨物ヲ。〔元亀本371D〕
虎(トラ) 有リ‖百歩威|。一目放∨光、夜見物。〔静嘉堂本451C〕
とある。標記語「虎」の語注記は「百歩の威あり。一目光を放つ、夜物を見る」と『下學集』の語注記の一部抜粋という簡略化注記の形態にある。『庭訓徃來』六月十一日の状に見え、当の『下學集』は、
虎(トラ) 眼ニ有‖百歩ノ之威(イ)|。又呼テ曰フ‖於菟(ヲト)ト|。夜視ルニ一目ハ放チ∨光ヲ、一目ハ看(ミル)∨物ヲ。獵人(レウ[ジン])射レハ∨之ヲ光リ墜(ヲチ)テ‖於地ニ|成‖白石ト|也。〔氣形61B〕
とあって、「眼に百歩の威あり。また呼びて於菟と曰ふ。夜視るに一目は光を放ち、一目は物を看る。獵人これを射れば光り地に墜ちて白石と成るなり」と注記するものである。これを『庭訓徃來註』六月十一日の状に、
〓〔鹿+章〕鞍覆虎皮 眼ニ有‖百歩威|。又呼曰‖?〓〔艸+於〕菟|。夜モ一目ニ放∨光、一目ニ看∨物ヲ、狩人射∨之光落∨地、成‖白石ト|也云々。〔謙堂文庫藏三八左B〕
とあって、ほぼ『下學集』の語注記を継承引用する。広本『節用集』は、
虎(トラ/コ) 柁刺(トラ)合紀。眼ニ有‖百歩ノ威|。獵人射∨之時ハ光(ヒカリ)墜∨地成‖白石ト|云也。聲如∨雷。百獣震恐。風従而生。又呼テ曰‖於菟(−ト)|。楚人謂‖虎ヲ於兎ト|。又云、夜視ルトキニ一目ハ放(ハナ)チ∨光ヲ、一目ハ看ル∨物ヲ也。異名、大虫。白額侯。獣君季耳(ジヨウ)。李父山君。山獣之君牛哀。〔氣形129A〕
とあって、冠頭箇所に『国花合紀集』から「柁刺」の表記字を増補し、中間部に「聲如∨雷。百獣震恐。風従而生」や「楚人謂‖虎ヲ於兎ト|。又云」そして、末尾に「異名」語群と大幅に増補している。注記文章の排列も前後置換して『下學集』と異なりを見せている。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
虎(トラ)。〔弘・畜類42F〕
虎(トラ) 眼ニ有‖百歩ノ之威|。又呼テ曰‖於菟(ヲト)|。夜視ルニ一目ハ放テ∨光ヲ、一目ハ看∨物。獵人射トキ∨之、光堕テ∨地ニ成∨白石ト。〔永・畜類43E〕
虎(トラ) 眼ニ有‖百歩之威|。又呼曰於菟。夜視ニ一目ハ放∨光、一目看∨物。獵人射∨之、光隋∨地成‖白石|。〔尭・畜類40C〕
虎(トラ) 眼ニ有‖百歩之威|。又呼曰於菟。夜視ニ一目放∨光、一目看∨物。獵人射之、光随地成‖白石|。〔両・畜類47G〕
とあって、弘治二年本は易林本『節用集』と同じく、語注記を完全に削除簡略化しているのに対し、他写本は、『下學集』を継承する。
[ことばの実際]
虎 呼古切[説文]山獸之君夜視一目放光一目着物獵人射之光墜於地成白石兩脇間及尾端有骨如乙字長一二寸即其威也。破肉取得能令人有威無官者爲人所憎(詩)有力如虎(簡兮)〓〔九+虎〕ー江漢(語)暴ー(孟)搏虎(易)風從ー履ー尾○狐假ー威 詳狐。羊質ー皮 詳皮。荊公猛ー行。《『韻府群玉』三177右@》
[補遺]萩原義雄「又云」「又曰」攷―室町時代古辞書『下学集』を中心に―」(駒澤短期大学紀要第二十八号)の「七 元和本と春良本の「又謂」と「亦曰」の通番68」を参照されたい。
2001年1月10日(水)曇り。八王子→世田谷(駒沢)
「豹(ヘウ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の本編「遍」部と補遺「獣名」部に、
豹皮(ヘウノカハ)。〔元亀本48G〕 豹(ヘウ) 隠∨霧ヲ成∨紋ヲ也。〔元亀本371G〕
豹皮(ヘウノカハ)。〔静嘉堂本56D〕 豹(ヘウ) 隠霧成紋也。〔静嘉堂本451D〕
豹皮(ヘウノカハ)。〔天正十七年本上29オD〕
豹皮(ヘウノカハ)。〔西來寺本91B〕
とある。標記語「豹」の語注記は「霧を隠す紋を成すなり」という。また本編「遍」部に、「豹皮」と標記語だけが収載されている。『庭訓徃來』六月十一日の状に見え、『下學集』は、
豹(ヘウ) 隠テ∨霧ニ而成‖皮紋ヲ|者也。〔氣形門61A〕
とあって、「霧に隠れて皮紋を成すものなり」という。これを『庭訓徃來註』六月十一日の状に、
豹皮 隠∨霧ニ成‖皮ノ紋|也。〔謙堂文庫藏三八左B〕
として、『下學集』でいうところの「豹」の項目における語注記をここに引用している。広本『節用集』は、
豹(ヘウ/ハウ) 隠∨霧而成‖皮紋ヲ|者也。歯骨極堅以‖刀斧鎚鍛鉄皆碎。落モ∨火不∨能∨焼。人得∨之、為‖佛牙佛骨|以。誰‖俚俗|。唯以‖羚羊角|撃∨之即碎矣。格物論ニ云、豹ノ毛赤黄、其紋ハ黒シ。如∨銭而中空。比々トシテ相次。又有‖玄豹猛健シテ不∨減‖於虎豹ニ|。似∨熊ニ小頭痩脚黒白駮紋能ク舐(ナメ)‖-食銅鉄ヲ|、骨節強直ナリ也。中實(ミチ)テ少∨髄。或云、豹之白者ナリ也。異名、冬蟄羽。首山澤霧。玄豹。山禹。〔氣形門113F〕
とあって、「豹」の主なる特長とその種類を記載する。典拠資料として『格物論』を明記している。そして、末尾に「異名」語群を置く。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』にも、
豹(ヘウ) 隠霧而成‖皮-紋ヲ|者也。〔弘・畜類37F〕
豹(ヘウ) 隠テ∨霧ニ而成∨皮ノ-紋ヲ者也。〔永・畜類37D〕
豹(ヘウ) 隠霧而成皮紋者也。〔尭・畜類35@〕
豹(ヘウ) 隠∨霧而成皮紋者也。〔両・畜類42B〕
とあって、この「豹」の語注記は、『下學集』の語注記をそのまま継承する形態にある。また、易林本『節用集』はこの語の語注記を未記載にしている。
[ことばの実際]
豹 呼《『韻府群玉』四》
2001年1月9日(火)晴れのち曇り夜雨。八王子→世田谷(駒沢)
「鶉(うづら)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の補遺「鳥」部に、
鶉(ウヅラ)七月日。田鼠化∨―ト。〔元亀本370G〕
鶉(ウヅラ)七月。田鼠化成―。〔静嘉堂本450C〕
とある。標記語「鶉」の語注記は、「七月日、田鼠化して鶉となる」という。この冠頭部分にあたる「七月日」が何に基づくものかについては未審である。『庭訓徃來』五月日の状に見え、『下學集』は、
鶉(ウヅラ)田鼠([デン]ソ)化(−)シテ爲∨鶉ト。日本ノ俗作∨粮大ニ誤也。〔氣形59F〕
とあって、後半部「日本の俗、粮と作り大いに誤まるなり」とある箇所は、上記『庭訓徃來』の表記を問題にしていると考えられるのだが、古本『庭訓徃來』にはこの語の箇所を脱落しているものもあって、その確認が定かではない。そして、『運歩色葉集』の語注記は『下學集』の語注記の前半部に等しい。ここを『庭訓徃來註』五月日の状に、
鶉 田鼠化爲∨鶉。日本俗作∨粮大誤也。〔謙堂文庫藏三三右C〕
とあって、『下學集』の語注記を継承する。広本『節用集』は、
鶉(ウヅラ/シユン) 田鼠化シテ爲(ナル)∨―ト。田鼠蛙(カイル)也。日本ノ作∨粮。大誤也。〔氣形門475@〕
とあって、『下學集』の語注記の中間部に、「田鼠蛙なり」といった「田鼠は蛙である」という説を注記増補している。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』にも、
鶉(ウツラ) 田鼠化シテ爲―。田鼠蛙(カイル)也。俗為粮大誤。〔弘・畜類149D〕
鶉(ウヅラ) 鼠化シテ爲∨―。倭俗作粮大誤。田鼠ハ蛙也。〔永・畜類121C〕
鶉(ウヅラ) 田鼠化爲∨―。倭俗作∨粮大誤。田鼠ハ蛙也。〔尭・畜類121C〕
鶉(ウツラ) 田鼠化爲∨―。倭俗作∨粮大誤。田鼠ハ蛙也。〔両・畜類135B〕
とあって、印度本系統『節用集』類には、広本『節用集』と同じく「田鼠は蛙なり」の語注記を増補した形態を存続していることがわかる。これは現存する『節用集』古写本すべてに見られるものである。ただし、易林本『節用集』はこの語の語注記を未記載にしている。これと同じ傾向は、増補改編の著しい春良本『下學集』(慶長写本)にも見られるのである。また、広本『節用集』には、「日本ノ作∨鶉」と『下學集』を継承するなかで「俗」の字を欠くのに対し、印度本は、「日本」を「倭」と置換変更し「倭俗」と表現している。以上「鶉」の語注記を対校してみたところ、最も注記内容が簡略化された形態で記載されているのが『運歩色葉集』であった。逆に『節用集』類は、増補した形態をすべて受け継いでいる。そして、『庭訓徃來註』は『下學集』の語注記をそのまま継承する立場をここでは取っていることがわかるのである。
[ことばの実際]
鶉 ―性不越横草無常居而有常匹(荘子)―居而〓〔士冖鳥+殳〕食。又曰田鼠化爲―(淮南子)天文朱雀取象於―南方七宿有媚有翼無尾象―也。《『韻府群玉』一438右H》
2001年1月8日(月)玉塵の朝、曇り。八王子
「屏風(ビヤウブ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「偏」部と「飛」部に、
屏風(ヒヤウフ)。〔元亀本51B〕 屏風(ビヤウブ)。〔元亀本341F〕
屏風(――)。 〔静嘉堂本57A〕 屏風(ビヤウブ)。〔静嘉堂本409C〕
屏風(ヒヤウフ)。〔天正十七年本上29ウA〕
屏風(ヘイフ)。 〔西來寺本92C〕
とある。標記語「屏風」の語注記は、未記載にある。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、
屏風(ビヤウブ) 屏ハ退也。即チ退(シリソクル)ノ∨風ヲ之義也。〔器財105D〕
とあって、その語注記は「屏は退なり。即ち風を退(シリソ)くるの義なり」という。これを『庭訓徃來註』五月五日の状に、
屏風 屏ハ退也。風ヲ退之義也。〔謙堂文庫藏三一右E〕
とあって、『下學集』の語注記をそっくり引用する。広本『節用集』は、
屏風(ビヤウブ/ヘイフウ・シリジク、カゼ) 王相始作。屏ハ退也。即チ退∨風義也。〔器財門1035C〕
とあって、語注記の巻頭部分に「王相始めて作る」を増補し、後は『下學集』の語注記をそっくり引用する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
屏風(ビヤウブ)。〔財宝衣服253F〕
屏風(ビヤウブ) 屏ハ退也。退∨風義也。〔器財216H〕
屏風(ヒヤウブ) 屏ハ退。退風也。〔器財202E〕
とあって、『下學集』を継承するものであるが、簡略注記が始まっていて、弘治二年本は、『運歩色葉集』同様に「屏風」の語注記は未記載にある。この語について考えられることは、『庭訓徃來註』が『下學集』を引用している証例であることと、広本『節用集』は、増補傾向を示しているのに対し、印度本系統のとりわけ弘治二年本と『運歩色葉集』とが簡略削除化という逆方向に進んでいることについてである。この両極的な傾向をどうみるかが今後の課題でもある。
[ことばの実際]屏風 唐列刺史姓名於−−(循史)陳咸頭觸−− 詳屏。《『韻府群玉』東韻・一026右H》
2001年1月7日(日)曇りのち雪。八王子
「伯楽(ハクラク)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「波」部に、
伯樂(ハクラク)典(ツカサトル)‖天馬ヲ|星之名。〔元亀本26B〕
とある。標記語「伯樂」の語注記は、「天馬を典さどる星の名」という。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、
伯樂(ハクラク)戰國ノ之時ニ相(−)スル∨馬ヲ人也。由テ∨是ニ日本ニモ亦呼テ‖相スル∨馬ヲ人ヲ|云‖伯樂ト|也。伯樂ハ乃チ星ノ名ナリ也。此ノ星典(ツカサトル)‖天馬ヲ|。故ニ以テ爲(ス)‖相(−)スル∨馬ヲ人ノ之名ト|也。伯樂實名ハ孫陽ナリ也。〔人名51C〕
とあって、その語注記は、「戰國の時に馬を相(−)する人なり。是に由りて日本にも亦馬を相する人を呼びて伯樂と云ふなり。伯樂は乃ち星の名なり。 此の星天馬を典さどる。故に以て馬を相(−)する人の名と爲(す)なり。伯樂、實名は孫陽なり」という。これを『庭訓徃來註』卯月五日の状に、
伯樂 戰国ノ時相∨馬人也。因∨是ニ日本ニモ呼‖相∨馬人ヲ|云‖伯樂|。乃星ノ名也。此ノ星ハ主‖天馬|。故相∨馬人ヲ云也。實名ハ孫陽也。〔謙堂文庫藏二一右G〕
△伯樂ト云ハ、馬ハ五姓アリト知ル也。木・火・土・金・水是也。木姓ト云ワ稱毛。网毛。栗毛。糟毛。金ハ芦毛。水ハ黒・青。木姓ハ藥師。火姓、馬頭観音、十一面観音。金ハ阿弥陀。水ハ釈迦也。〔静嘉堂文庫藏『庭訓徃來抄』古寫頭注書込み〕
△伯樂ト云ハ、馬ハ五姓アリト知ル也。木・火・土・金・水是也。木姓ト云ハ稱毛。ヒハリ毛。。火栗毛。糟毛。金ハ□毛。水ハ黒・青。木姓ハ藥師。火、馬頭観音、土ハ十一面。金ハ阿弥陀。水ハ釋迦也。〔東洋文庫藏『庭訓之抄』頭注書込み〕
とあって、『庭訓徃來註』は、上記『下學集』の語注記を全面引用する。次に広本『節用集』は、
伯樂(ハクラク/ヲサ、タノシム) 戰國之時相スル∨馬人也。由(ヨツ)テ∨是日本ニハ醫(クスヽ)‖馬ノ病|人ヲ曰‖――ト|。伯樂ハ乃星(ホシ)ノ名也。此星典(ツカサトル)‖天馬ヲ|。故爲‖相スル∨馬ヲ人ノ名ト|也。――實名ハ孫陽也。〔人名54G〕
とあって、これも上記『下學集』の語注記を全面引用するが中間部「日本には馬の病、醫(クス)す人を伯樂と曰ふ」に、若干の置換変更が見て取れる。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
伯樂(ハクラク) 實名孫陽也。戰國時相(サウ)スル∨馬ヲ人也。由∨是ニ日本醫(−)スル‖馬ノ病ヲ|人ヲ云伯樂。〔弘・人名19@〕
伯樂(ハクラク) 戦国ノ〓〔日+之〕相∨馬人也。由∨是日本亦相∨馬人。醫∨馬病人。云‖――ト|。――ハ乃星名也。此星典トル∨天馬ヲ。故以爲‖相∨馬人之名ト|也。實名ハ孫陽也。〔永・人名17D〕
伯樂(ハクラク) 戰國時相馬人也。由是日本亦相馬人。醫馬病人云――ト。又――ハ乃星名也。此星典天馬。故以爲相馬人之名也。實名孫陽也。〔尭・人名15D〕 伯樂(ハクラク) 馬之醫師。〔尭・人倫15A〕
伯樂(ハクラク) 戦國時相馬人也。由是日本亦相馬人。醫馬病人。云‖――ト|。又――ハ乃星名也。此星典‖天馬|。故以爲相馬人之名也。實名孫陽也。〔両・人名18D〕 伯樂(ハクラク) 馬之医師。〔両・人倫17F〕
とあって、語注記の大筋は、上記異同語注記「醫∨馬病人」を示す広本『節用集』を継承し、同じ印度本系統の『節用集』でも、その異同が明確である。なかでも永禄二年本が異同語注記の前に示す「日本亦相∨馬人」は尭空本・両足院本へと引き継がれている。そして、尭空本・両足院本の両書は、人倫門に重複する標記語「伯樂」を有し、これには「馬の医師」という語注記を付加しているのである。また、弘治二年本は、さらに変容著しい語注記を呈している。末尾語注記「實名孫陽也」を冠頭箇所に差し替え、「――ハ乃星名也。此星典トル∨天馬ヲ。故以爲‖相∨馬人之名ト|也」の箇所を削除簡略化する。こうした体裁を示す古辞書群と『庭訓徃來註』とは結びつかない。すなわち『下學集』の語注記をすべてが最優先する規範意識がこれらの古辞書にはある。こうしたなかで、『運歩色葉集』の語注記を考えるとき、弘治二年本が削除簡略化した箇所をあえて語注記として取り上げているという奇妙な語注記の引用採択方法であることに気づくのである。このことは、『運歩色葉集』編纂者にとって、かなり意識的に施行されたのではなかろうか。この意味からも『運歩色葉集』と弘治二年本『節用集』との前後近似にあって互いを意識した関係が見て取れるのである。
[ことばの実際]
2001年1月6日(土)霽。八王子
「宇立(ウダチ・ウダツ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「宇」部に、
宇立(ーダツ)虹梁之上ニ立柱也。〔元亀本179I〕
宇立(ータヂ)虹梁之上ニ立柱也。〔静嘉堂本201B〕
宇立(ータチ)虹梁之上ニ立柱也。〔天正十七年本中30オB〕
とある。その読み方は三本三様で、「ウダツ」「ウタヂ」「ウタチ」とある。標記語「宇立」の語注記は、「虹梁の上に立つる柱なり」という。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、
宇立(ーダツ)〔家屋56B〕
とあって、語注記は未記載にある。『庭訓徃來註』三月十二日の状に、
高欄・宇立 虹梁ノ上ニ立柱也。〔謙堂文庫藏一八右C〕
とあって、その語注記を同じくする。次に広本『節用集』は、
宇立(ウダテ/―リフ)〔家屋468D〕
とあって、その読み方「うだて」とあり、これまた異なった読みである。語注記は『下學集』同様未記載にある。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、弘治二年本は未收載にあり、あとは、
宇立(ウダテ)〔永・天地119B〕〔尭・天地108H〕
宇立(ウダチ)〔両・天地132B〕
とあって、語注記はいずれも未記載にあり、読みは広本『節用集』と同じ「ウダテ」そして「ウダチ」の読みが見えている。読みの点でいえば、静嘉堂本の「ウタヂ」は「ウダチ」の読み誤りかもしれない。とすれば、「ウダツ」と「ウダチ」の両用の読みが当代に辞書記載表記にあったことを確認できるのである。語注記についていえば、ここでも『庭訓徃來註』と『運歩色葉集』だけの連関標記語の語注記表現となっている。
2001年1月5日(金)霽。八王子
「雲肱木(くもひぢき)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「久」部に、
雲肱木(クモヒヂキ)雲形ニ作ル也。〔元亀本197I〕
雲肱木(クモヒヂキ)雲形ニ作也。〔静嘉堂本223B〕
雲肱木(クモヒチキ)雲形造。〔天正十七年本中41オA〕
とある。標記語「雲肱木」の語注記は、「雲形に作るなり」という。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、未收載にある。『庭訓往来註』三月十二日の状に、
鼠走・方立・雲肱木 雲形含∨水故ニ雲字即水符ソ。〔謙堂文庫蔵一七左F〕
とあって、その語注記を同じくする。次に広本『節用集』は、
雲肱木(クモヒヂキ/ウン、コウ、ボク)。〔家屋門498A〕
とあって、語注記は未記載にある。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、この語を未收載としている。語注記について見たとき、ここでも『庭訓徃來註』と『運歩色葉集』だけの連関標記語の語注記表現となっている。
2001年1月4日(木)霽。八王子
「院宣(インゼン)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「伊」部に、
院宣(インゼン) 自リ‖仙洞下ル也。〔元亀本11D〕
院宣(インセン) 自仙洞下也。〔静嘉堂本3@〕
院宣(−セン) 自仙洞下也。〔天正十七年本上3ウG〕
院宣(インセン) 自仙洞下也。〔西來寺本16A〕
とある。標記語「院宣」の語注記は、「仙洞より下るなり」という。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、未收載にある。『庭訓徃來註』六月十一日の状に、
院宣者大底之規式 院宣ハ自‖仙院|下ル也。天子ノ御位ヲ須部良世給テ、有‖太上皇帝ノ尊号|。院ノ御所ニ渡セ給ヲ太上皇ト申。仙院仙洞ト申侍也。又和歌ノ諺ニ鹿姑射山・酷エト申也。故公武僧俗共ニ詣侍ヲ院參号。御出ヲ御幸申侍也。就‖政務|勅定ヲ院宣ト申侍也。高倉ノ御宇ニ法王竊ニ北条蛭小嶋ニ流ルヽ被∨下‖頼朝|。是院宣ノ始也。折居之自∨君出ヲ云也。〔謙堂文庫藏三六右@〕
とあって、その語注記は、「院宣は仙院より下るなり。天子の御位を須部良の世を給りて、太上皇帝の尊号有り。院の御所に渡らせ給ふを太上皇と申す。仙院・仙洞と申し侍るなり。又和歌の諺に鹿姑射山・酷エと申すなり。故に公・武・僧・俗共に詣で侍るを院參と号す。御出を御幸と申し侍るなり。政務に就き、勅定を院宣と申し侍るなり。高倉の御宇に法王竊かに北条の蛭が小嶋に頼朝を流さるゝこと下せらる。是れ院宣の始めなり。折居の君より出るを云ふなり」と詳しい。次に広本『節用集』は、
院宣(インゼン/マガキ、ノブ) 勅言。〔態藝門31F〕
とあって、『庭訓徃來註』後半部語注記の「勅定ヲ院宣ト申侍也」のところに近い語注記である。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』は、
院宣(−セン) 宣下。〔弘・言語進退13A〕
院宣(インゼン) 。〔永・言語8C〕
院宣(インセン) −中。−内。−家。〔尭・言語6D〕
院宣(インゼン) −中(チウ)。−内。−家(ゲン)。−宮。−司。−外。−号(カウ)。〔両・言語8@〕
とあって、これまた異なっている。いまここで伺えるのは、『庭訓徃來註』と『運歩色葉集』における連関標記語の語注記表現ということである。
[補遺]和歌の諺という「鹿姑射山・酷エ」の語については、現代の国語辞書には未收載にある。
2001年1月3日(水)霽。箱根→東京(大手町→八王子) 関東大学選抜箱根駅伝(復路)第2位
「内戚」と「外戚」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「奈」部と「久」部に、
内戚(ーシヤク) 父方。〔元亀本165D〕 外戚(ーシヤク) 。〔元亀本191@〕
内戚(ーシヤク) 。 〔静嘉堂本1183E〕 外戚(ーセー) 。 〔静嘉堂215E〕
内戚(ーシヤク) 父方。外戚母方。〔天正十七年本中22ウ@〕 外戚(ーシヨク) 母方。〔天正十七年本中52オF〕
とある。標記語「内戚」の語注記は「父方」といい、「外戚」の語注記は「母方」というものである。ところが、天正十七年本は「内戚」の語注記にすべてを記載して、さらに「外戚」には「母方」とだけ記載する。元亀本は「外戚」に語注記を欠く。そして、静嘉堂本は両語ともに語注記を欠いている。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、未收載にある。『庭訓徃來註』六月二十九日の状に、
内戚外戚之一族 内戚ハ父方ノ親類、外戚ハ母方ノ親類。〔謙堂文庫藏三五右F〕
とあって、『運歩色葉集』の語注記はこれに依拠したものである。次に広本『節用集』は、
内戚(ナイセキ/ダイ・ウチ、―) 。〔態藝門438D〕
外戚(グワイセキ/ホカ、ムツマシ) 母兄弟謂‖之ヲ――ト|也。〔態藝門540A〕
とあって、「内戚」には語注記は未記載にあって、「外戚」の語注記にだけ「母の兄弟を外戚と謂う」とある。語注記の内容も異なりを示している。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、
内戚(ーシヤク) 父方也。〔言語進退141@〕
内通(ナイツウ)−状(ジヤウ)。―儀(ギ)。―談(ダン)。―外(ケ)。―評(ヒヤウ)。―奏(ソウ)。―訴(ソ)。―戚(ジヤク)。〔言語111F〕
内通(ナイツウ)−状。―談。―外。―儀。―評。―奏。―訴。―戚。〔言語102C〕
とあって、いずれも対象語である「外戚」を未收載にする。この両語について考察するに、やはり、『庭訓徃來註』と『運歩色葉集』における連関標記語の語注記表現ということになる。
2001年1月2日(火)霽風強し。八王子→東京→箱根 関東大学選抜箱根駅伝(往路)駒澤大学4位
「折句(をりク)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「遠」部に、
折句(ーク) 業平ノ哥ニ曰、唐衣、着ツヽ孤ニシ妻シアレハ遥(ハル/\)來ヌル旅ヲシソ思フ。此体之事也。〔元亀本77E〕
折句(ヲリク) 業平哥云、唐衣着ツヽ馴ニシ妻シアレハ遥々来ヌル旅ヲシソ思。此ノ躰ノ亊也。〔静嘉堂本94F〕
折句(――) 業平哥云、唐衣着ツヽ馴ニシ妻シアレバ遥々来ヌル旅ヲシソ思ウ。斯躰之事也。〔天正十七年本上47オC〕
折句(ヲリク) 業平哥云、唐衣着ツヽナレニシ妻シアレハ遥々来ヌル旅ヲシソ思フ。此体ノ事也。〔西來寺本139A〕
とある。標記語「折句」の語注記は「業平の哥に云く、唐衣着つゝ馴れにし妻しあれば遥々来ぬる旅をしそ思ふ。此の体の事なり」という。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、未收載にある。『庭訓徃來註』二月廿四日の状に、
折句 業平ノ哥ニ云、唐ラ衣モ氣津々馴ニシ妻シ有レハ遥々氣奴留旅惜ソ思フ。杜若ヲ句ノ上ニ置讀給也。〔謙堂文庫藏一〇左H〕
とあって、語注記の文字表記に若干異なりはあるが、まさに共通する。広本『節用集』及び印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、いずれもこの語を未收載にする。いまここで伺えるのは、『庭訓徃來註』と『運歩色葉集』における連関標記語の語注記表現ということである。
2001年1月1日(月)霽。八王子 元旦
「鎧(よろひ)」
室町時代の古辞書『運歩色葉集』の「與」部に、
鎧(ヨロイ)正平年中始ル也。〓〔金+甲〕(同)。甲(同)唐ニ書之。〔元亀本133I〕
鎧(ヨロイ)。〓〔金+甲〕(同)。甲(同)唐書之。〔静嘉堂本140D〕
鎧(ヨロイ)正平年中始也。〓〔金+甲〕(同)。甲(同)唐書之。〔天正十七年本中2ウA〕
とある。標記語「鎧」の語注記は「正平年中始るなり」という。『庭訓徃來』に見え、『下學集』は、
鎧・甲(ヨロイ) 二字ノ義同シ。然ルニ日本ノ俗呼テ∨甲(ヨロヒ)ヲ爲ス∨冑(カフト)ノ_讀(ヨミ)ト大ニ誤(アヤマリ)歟カ。或ハ呼テ‖天下ノ勝事ヲ|曰フ‖天下甲(カフ)ト|者義取ル‖甲乙(カウヲツ)ノ甲ニ|。非ス‖甲冑(カツチウ)ノ之甲ニ|也。甲乙帳ニ漢ノ武帝以テ‖天下宝ヲ|爲ス‖甲帳ト|。其ノ次キヲ爲(スル)‖乙帳ト|也。〔器財114D〕
とあって、「二字の義同じ。然るに日本の俗、甲(ヨロヒ)を呼びて冑(カフト)の讀みと爲(ス)。大いに誤(アヤマリ)歟(カ)。或は天下の勝りたる事を呼びて天下の甲(カフ)と曰ふは、義甲乙(カウヲツ) の甲に取る。甲冑(カツチウ) の甲に非ずなり。甲乙帳に漢の武帝、天下の宝を以って甲帳とト爲(ス)。其の次ぎを乙帳と爲(スル) なり」と詳細な語注記になっている。『庭訓徃來註』卯月十一日の状に、
信濃布・常陸細(美)・上野綿・上総鞦・武藏鐙 鐙ハ一ト_懸ト可∨申也。〔謙堂文庫藏二九右D〕
とあって、この語注記には『下學集』からの継承は見えない。次の『庭訓徃来註』六月二十九日の状の、
着棄(キ−)ノ鎧 日本ニハ正平年中ニ始也。鎧ハ唐ヲ学也。〔謙堂文庫藏三四左@〕
とあって、この語注記が『運歩色葉集』の語注記引用採録に関わっている。広本『節用集』は、
鎧(ヨロイ/カイ)・〓〔金+函〕(同/カン)・甲(同/カフ) 蚩尤(シユウ)始作。三字同。然ルヲ日本ノ俗、呼∨甲爲(ナ)ス∨冑ノ讀(ヨミ)ト|。大誤歟。或呼ンテ‖天下勝(スクレ)タル亊(コト)ヲ|、曰‖天下甲(カフ)タリト|者義取‖甲乙甲ニ|。非‖甲冑ノ之甲|也。異名、金花。金鱗。金甲。金介。戌衣。〔器財門316F〕
とあって、語注記の冠頭部分である「蚩尤(シユウ)始作」は、『庭訓徃来註』六月二十九日の状の
追下伐所‖楯籠|之賊徒上、可∨警‖-固ス要害ヲ|云々。因∨之近日欲∨令‖進發|候処ニ、此ノ間ノ戰場ニ、武具乘馬以下尽(ツクシ) ∨員(カス)ヲ失候畢。 唐ニハ武具ハ、皇帝自∨打‖蚩尤|始也。日本ニハ自‖神武天王御宇|始也。〔謙堂文庫藏三四右G〕
とある「武具」の語注記を参照しているのではと推せられる。そして、その後は、『下學集』の語注記を継承し、最後に巻末尾に「異名」の語群を増補する形態にある。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本『節用集』は、
〓〔金+函〕(ヨロイ)・甲(同)・鎧(同) 正平年中ニ始也。三字義同。日本俗、呼甲爲冑讀。大誤乎。或呼‖天下ノ勝タル亊ヲ|、曰‖天甲|者義取‖甲乙之甲|。非‖冑之甲ニ|。〓〔金+甲〕(同)。介(同)〔弘・財宝92A〕
鎧(ヨロイ) 。 〓〔金+函〕(ヨロイ)・甲(同)・鎧(同)三字義同。日本俗、呼∨甲爲∨冑讀。大誤歟。或呼‖天下ノ勝タル亊ヲ|、曰‖天下甲ト|者義取‖甲乙ノ之甲ニ|。非‖甲冑之甲ニハ|。〔永・財宝88A・B〕
鎧(ヨロイ) 。 〓〔金+函〕(ヨロイ)・甲(同)・鎧(同)三字之義同。日本俗、呼∨甲爲∨冑讀。大誤歟。或呼‖天下勝タル亊ヲ|、曰‖天下甲者|義取‖甲乙之甲ニ|。非‖甲冑之甲ニ|。〔尭・財宝80@・A〕
とあって、実に複雑な語注記内容を見せてくれている。そのなかで、語注記の全体構成は広本『節用集』を引き継ぐものである。部分的にみるに、まず弘治二年本は、広本『節用集』の「蚩尤(シユウ)始作」の冠頭語注記を『庭訓徃来註』の語注記「正平年中ニ始也」に置換変更している。他諸本は、この箇所を削除する。そして、以下広本『節用集』の語注記に従う。そして、『運歩色葉集』は、弘治二年本の採用した『庭訓徃来註』の語注記「正平年中ニ始也」だけをもって採録している。ここには、いままで『運歩色葉集』の編者がもっていた「『下學集』に語注記がある場合はこの語注記を最優先する」といった規範意識に違反する姿勢がみてとれるのである。
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