2001年12月1日から12月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

2001年12月31日(月)晴れ。東京(八王子)⇔

「筑紫穀(ツクシのコメ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「津」部に、

筑紫(ツクシ)。〔元亀本157四〕〔静嘉堂本172五〕

筑紫(―シ)。〔天正十七年本中ウ17六〕

とあって、標記語「筑紫」とし、読みを「ツクシ」とし、語注記は未記載にある。また、「諸國郡之名・西海道」に、

筑前十五郡。昭士,志摩,早良,非河,遠賀,穂沼,夜須,下座,上座,喜摩,糟屋,鞍干,御座,宗像,序田。田数一万九千七百六十五町。筑後御原,生桑,竹聖,山本,御井,三猪,上妻,下妻,山門,毛三。田数二万二千八百卅八町。〔静嘉堂本470二〕

筑前十五郡。昭士,志摩,早良,非河,遠賀,穂沼,夜須,下座,上座,喜摩,糟屋,鞍干,御座,宗像,序田。田数一万九千七百六十五町。筑後御原,生桑,竹聖,山本,御井,三猪,上妻,下妻,山門,毛三。田数二万二千八百卅八町。〔天正十七年本上72オ五〕

筑前十五郡。昭士,志摩,早良,非河,遠賀,穂沼,夜須,下座,上座,喜摩,糟屋,鞍干,御座,宗像,序田。田数一万九千七百六十五町。筑後御原,生桑,竹聖,山本,御井,三猪,上妻,下妻,山門,毛三。田数二万二千八百卅八町。〔西來寺本199三〕

とある。次に標記語「」については「古」部に、「こめ【】」は未収載にある。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

筑紫穀」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

筑紫_(コメ)」〔山田俊雄藏本〕

筑紫(ツクシ)(コメ)」〔経覺筆本〕

筑紫(ツクシ)(コメ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そコメて建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

(コヽメ)。〔絹布門95七〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

筑紫(ツクシ/チク−.フヱ,ムラサキ)[入・上] 鎮西九州。〔天地門409三〕

とあって、標記語を「筑紫」とし、語注記に「鎮西九州」とある。次に「」の語は、

(コク/モミ・アワ)[入]五−。〔草木門654五〕

とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

筑紫(ツクシ)鎮西九州。〔・天地124八〕〔・天地114二〕

筑紫(ツクシ) 鎮西(チンゼイ)九州。〔・天地103四〕

鎮西(チンセイ)筑紫。〔・天地45二〕

とある。標記語「筑紫」で、広本節用集』と同様に語注記は「鎮西九州」とある。尭空本だけが異なる。また、

筑前(チクセン)(チク)州十五郡。怡土(イト),志摩(シマ),相良(サウラ),那珂(ナカ),遠賀(ヲカ),夜須(ヤス),下座(シモツアサクラ),上座(カミツアサクラ),嘉摩(カマ),糟屋(カスヤ),鞍手(クラテ),御笠(ミカサ),宗像(ムナカタ),席田(ムシロタ),穂浪(ホナミ)。田数一万一千七百六十町。 筑後(チクコ)(チク)州十郡。御原(ミハラ),生葉(イクハ),竹野,山本,御井(ミイ),三潴(ミヌマ),上妻(カミツマ),下妻(シモツマ),山門(ヤマモト),三毛(ミケ)。田数二万二千八百廿八町。〔・日本國六十余州名数・西海道295七〕

筑前(チクセン)(チク)州十五。 筑後(チクコ)(チク)州十。〔・日本國六十余州名數・西海道264七〕

筑紫上筑州/十五郡。怡土(イト),早良(サウラ),那珂(ナカ),席田(ムシロタ),志摩, 穂波(ホナミ),糟屋(カスヤ),宗像(ムナカタ),遠賀(ヲ−),鞍子(クラネ),嘉摩(カマ),夜須(ヤス), 上座(カミツクテ),下座(シモツクテ),御笠(ミカサ)。 筑後上筑(チク)州十郡。御原(ミ−),生葉(イク),竹野(タカノ),三渚(ミヌマ),上妻(カンツマ),下妻,山門(ヤマト),三毛(ミケ)山本,御井(ミイ)。〔・日本國六十余州名数・西海道236一〕

とあって、語注記のなかに「筑州十五郡。怡土,志摩,相良,那珂,遠賀,夜須,下座,上座,嘉摩,糟屋,鞍手,御笠,宗像,席田,穂浪。田数一万一千七百六十町。 筑後 筑州十郡。御原,生葉,竹野,山本,御井,三潴,上妻,下妻,山門,三毛。田数二万二千八百廿八町」という。そして、標記語「」は、

(コク)五−/モミ。〔・草木152一〕

(ゴク)五−。〔・草木141九〕

とあって、標記語を「」の語注記は永祿二年本尭空本に、広本節用集』と同じく「五(穀)」とある。そして、易林本節用集』には、標記語「筑紫」は、

筑紫(ツクシ)。〔乾坤102五〕

筑前(チク)州上管十五郡,南北四日。米粟珍寶器械備ハル也。中上國也。志摩(シマ),嘉麻(カマ),夜須(ヤス)上下,志賀島(シカノシマ),御笠(ミカサ),宗像(ムナカタ),遠賀(ヲンカ),席田(ムシロダ),穂波(ホナミ),早良(サラ),那珂(ナカ),釈迦牟島(シヤカムシマ),糟屋(カスヤ),怡土(イド),席内(ムシロウチ),鞍手(クラデ),殘島,下座(シモツカサクラ),上座(カミツサクラ),國府並太宰。 筑後筑州上管十郡, 南北五日。穀與魚鼈不。珍寶器械多也。大中圀也。御原(ミハラ),御井(ミ井)府,生桑(イクハ)又葉,三猪(ミ井),三毛(ミケ),上妻(カムツマ),下妻(シモツマ),山門(ヤマカド),山下(−シタ),竹野(タケノ/タカ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・西海道275二〕

とする。標記語「」は、未收載にある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「筑紫穀」のうち標記語「筑紫」は、

筑紫チクシ鎭守府(/チンジユブ)チンスフ。〔黒川本・國郡上57オ五〕

筑紫ツクシ/已上連。〔黒川本・姓氏中29ウ二〕

筑前チクセン上西海。怡土イト,志麻シマ,早良サワラ,那珂ナカ.東西,席田ムシロ−,糟屋カスヤ,席内/田万九千七百六十五丁,去府一日/嘉麻カ−,穂浪,夜須ヤ−。遠賀ヲー,下坐シモツミサクラ。上坐カハツミサクラ,御笠ミ−.国府并大府。 筑後チクコ上西海。御原ミ−,生葉イクハ,竹野,山本,御井ミ−,三猪,上妻,下妻,山門,三毛。〔黒川本・國郡上57オ三〕

筑前國寳龜二年十二月停国款太宰府延暦十六年九月廢筑前又款太宰府太同三―五月又置之外従五位下大宅朝臣君子天平十―四月始住也/管十五.天平十―四月始住也。怡土イト,志麻シマ,早良サウラ,那珂ナカ,席田,糟屋カスヤ,宗像ムナカタ, 遠賀ヲカ,鞍手クラテ, 嘉麻カマ,穂浪ホナミ,夜須ヤス,下坐シモツアサクラ。上坐カミツアサクラ,御笠ミカサ. 大府并國府/本田一万九千七百五十丁,去府一日。 筑後國管十四。御原ミハラ,生葉イクハ,竹野タカノ,山本,御井ミ井.府,三潴ミヌマ,上妻カンツマ,下妻シモツマ,山門ヤマト,三毛ミケ。本田二万二千八百二十八町。鎭西筑紫。〔卷二・国郡オ一〕

とする。次に「」は、

(ヘイ) コメ/莫礼反。。〔黒川本・飲食下5ウ二〕

コメ/穀實也。   コク。命―子年黍/亦乍穀/五―。九―/丑亥粟、寅戌稲、卯酉麥、辰申麻、巳未大豆、午小豆。〔卷七・飲食オ五〕

とあって、三卷本では、注記はこれとないが十巻本は注記を増補し「命―子年黍/亦乍穀/五―。九―/丑亥粟、寅戌稲、卯酉麥、辰申麻、巳未大豆、午小豆」という。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

276奥漆筑紫穀或異国唐物高麗珎物 高麗朝鮮国。又云也。〔謙堂文庫藏三〇右C〕

とあって、標記語「筑紫穀」の語注記は、未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

筑紫(ツクシ)ノ(コメ)《下略》各名物ドモナリ。〔下四オ八〕

とあって、この標記語「筑紫穀」の語注記は、「各名物どもなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

筑紫(ツクシ)(コメ)筑紫。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「筑紫穀」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

筑紫穀(つくしのこめ)筑紫_。〔二五オ三〕

筑紫穀(つくしのこめ)。〔四十四ウ二〕

とあって、標記語「筑紫穀」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Cocu.コク(穀) Come(穀) 米.※穀こめ(『落葉集』小玉篇).〔邦訳138l〕

とあって、意味は「米」という。地名「筑紫」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「筑紫穀」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「つくし(の)-こめ【筑紫穀】」で、複合名詞としての語は未収載にある。

[ことばの実際]

筑紫國者、遐邇之所朝届、去來之所關門。是以、海表之國、侯海水以來賓、望天雲而奉貢。自胎中之帝、于朕身、牧藏稼、蓄積儲粮。《『日本書紀』卷第十八》

2001年12月30日(日)晴れ。東京(八王子)⇔

「奥漆(ヲクうるし)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「於」部に、

(ヲク)。〔元亀本85二〕〔天正十七年本上51ウ五〕

同(ヲキ)。〔静嘉堂本104五〕

とあって、標記語「」とし、読みを「をく」とし、語注記は未記載にある。また、「諸國郡之名・東山道」に、

陸奥五十四郡。宇多,曰里,宮城,里河,色摩,加美,盤井,玉造,江刺,長迎,小田,登来,石川,白河,高野,氣仙,地鹿,遠田, 桃生,磐瀬(イワセ),會津,信夫(シノフ),那摩,磐渉,安積,大沼,稲我,稗繼,斯父,苅田,紫田,行方,名取,安達,菊多,磐城,志多,杜鹿,栗原,津輕,金原,標葉,噛羽,外濱(ハマ),伊達,伊具。田数四万五千七十七町。〔元亀本113七〕

陸奥五十四郡。宇多,曰里,宮城,黒里川,宮摩,賀美,磐井,玉造,江刺,長迎,小田,登米,石川,桃生,白河,高野,氣仙,地鹿,遠田,磐瀬,會津,信夫,稲我,那摩,磐渉,安積,大沼,苅田,?稗繼,新父,菊多,紫田,行方,名取,安達,杜鹿,栗原,磐城,志多,噛羽,外濱,津輕,金原,標葉,伊具,伊達。田数四万五千七十七町。〔静嘉堂本472三上〕

陸奥五十四郡。宇田,日里,宮城,里川,色摩,加美,盤井,玉造,江刺,長迎,小田,登米,石川,白川,高野,気仙,地鹿,遠田,桃生,盤瀬,會津,信夫,那摩,盤渉,安積,大沼,稲我,稗繼,斯父,苅田,紫田,行方,名取,安達, 菊多,盤城,志多,杜鹿,栗原,津輕,金原,標葉,噛羽,外濱,伊達,伊具。田數四万五千七十七町。出羽〔天正十七年本上72オ五〕

陸奥五十四郡。宇田,日里,宮城,粟原,加美,盤井,玉造,江刺,里川,長迎,小田,津軽,高野,氣仙,地鹿,遠田,登禾,石川,桃生,伊具,盤渉,安積,大沼,稲我,盤瀬,會津,信夫,色广,名取,安達,菊多,盤城,稗継,斯父,苅田,白川,金原,標葉,噛羽,外濱,紫田,志多,杜鹿,那广,伊達,行方,金原田数四万五千七十七町。出羽〔西來寺本199三〕

とある。次に標記語「」については「宇」部に、

(ウルシ)。〔元亀本184六〕〔静嘉堂本207六〕〔天正十七年本中33オ二〕

とあって、標記語「」で語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_」〔山田俊雄藏本〕

(ヲク)(ウルシ)」〔経覺筆本〕

(ヲク)-(ウルシ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そウルシて建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

(ウルシ/シツ)。〔器財門121三〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

陸奥(ムツノクニ/リクアウ)[入・去](アウ)州五十四郡。水田四万五千七十七町。白河,磐瀬(イワセ),會津(アイツ),取麻(スマ)又作取那,安積(アスワ), 安達(アタチ),信夫(シノフ),苅田(カリタ),柴田(シバタ),名取(ナトリ),菊田(キクタ),磐城(イワキ)府, 標葉(ハシネハラ/ハラ),行方(ナメカタ),宇多(ウタ),伊具(イヽク), 曰理(ワタリ),宮城(ミヤキ)府, 黒河(クロカワ),色麻(カネカ),玉造(タマツクリ)五作造,志太,治我,栗原,磐井,江刺(エサス),瞻澤(キモサワ),長岡(ナカヲカ),新田(ニツタ),小田(ヲダ),遠田(トヲタ),登米(トマ),瞻澤(ミサワ),桃原(モヽバラ),稗縫(ヒエヌイ),桃生(モヽウ), 気仙(ケセン),牡鹿(ヲシカ),和賀(ヲガ),平降(ヒラカウ),志葉,黒川,蘓縫,簸波,磐手, 高野,横見(ヨコミ),大里(ヲヽサト),幡羅(ハラ),那珂(ナカ),賀美(カミ),秩父(チヽブ),新座(ニフクラ)。〔天地門458二〕

とあって、標記語を「陸奥」とし、語注記に「奥州五十四郡。水田四万五千七十七町。白河,磐瀬,會津,取麻又作取那,安積,安達,信夫,苅田,柴田,名取,菊田,磐城,標葉,行方,宇多,伊具,曰理,宮城,黒河,色麻,玉造五作造,志太,治我,栗原,磐井,江刺,瞻澤,長岡,新田,小田,遠田,登米,瞻澤,桃原,稗縫,桃生,気仙,牡鹿,和賀,平降,志葉,黒川,蘓縫,簸波,磐手,高野,横見,大里,幡羅,那珂,賀美,秩父,新座」とある。次に「」の語は、

(ウルシ/シツ)[入]。〔草木門476四〕

とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ヲク)。・言語進退65七〕

(ヲク)烏到反/暗。〔・言語67五〕

(ヲク)烏到切/澳。〔・言語61六〕

()烏到反/澳。〔・言語72五〕

とある。標記語「」で、語注記は未記載にある。また、

陸奥(ムツノク)(ワウ)州五十四郡。宇田(ウダ),田里(タリ),宮城(ミヤギ),黒川(クロカハ),色摩(カマ),賀美(カミ),磐井(イワイ),玉造(タマツクリ),江刺(エサシ),長岡(ナカヲカ),小田(ヲタ),登米(トヨマ),石川(イシカハ),白河(シラカハ),高野(タカノ),気仙(キセン),地鹿(チシカ),遠田(トヲタ),桃生(モニノウ),磐瀬(イワセ),會津(アイツ),信夫(シノブ),那摩(ナ―),盤渉,安積(アサカ),大沼(ヲヽヌマ),稲我(イナガ),稗継(ヒツギ),標葉(シナバ),斯父(シー),苅田(カツタ),紫田(シハタ),行方(ナメカタ),名取(ナトリ),安達(アタチ),菊多(キクタ),志多(シタ),磐城(イワキ),杜鹿(ヲシカ),栗原(クリハラ),津輕(ツカル),金原(キンハラ),噛羽(シバ),外濱,伊達(ダテ),伊具(イク),大賀,階上(ハシカミ),臍澤,川沼,般前。郡載(クンキ),新田(ニイタ),膽澤(イサハ)。田数四万五千七十七町。〔・日本國六十余州名数・東山道290八〕

陸奥(ムツノクニ)奥(アフ)州、五十四。〔・日本國六十余州名數・東山道263二〕

陸奥大奥州、卅七郡。白河,磐瀬(イワセ),會津(アイツ),取麻(ナマ),色麻(シカマ),安積(ア―),安達(アタチ),柴田,苅田(カリタ),名取(ナトリ),信夫(シノブ),菊多(キク―),標葉(シハヽ),行方(ナメカタ),宇多,伊具(イク),曰理(ワタリ),黒川,宮城(―キ),賀美,玉造,志太,栗原,磐井,磐城(―キ),瞻澤(ヘイサワ), 遠田,長岡,新田(ニイ―),小田,登米(トヨネ),江刺(―サシ),桃生(モヽフ),気仙(ケセン),牡鹿,部載(ヘヌキ),由利(ユリ)。・日本國六十余州名数・東山道233四〕

とあって、語注記のなかに「奥(ワウ)州五十四郡。宇田,田里,宮城,黒川,色摩,賀美,盤井,玉造,江刺,長岡,小田,登米,石川,白河,高野,気仙,地鹿,遠田,桃生,盤瀬,會津,信夫,那摩,盤渉,安積,大沼,稲我,稗継,標葉,斯父,苅田,紫田,行方,名取,安達,菊多,磐城,志多,杜鹿,栗原,津輕,金原,噛羽,外濱,伊達,伊具,大賀,階上,臍澤,川沼,般前,郡載,新田,膽澤。田数四万五千七十七町」という。そして、標記語「」は、

(ウルシ) 。〔・草木148四〕

(ウルシ)。〔・草木120一〕〔・草木109八〕〔・草木133五〕

とあって、標記語を「」の語注記は永祿二年本に『運歩色葉集』と同じく「一尺」とある。そして、易林本節用集』には、標記語「奥」は、

陸奥(ムツノク)(アウ)州大管五十四郡,東西六十日。昔與(ト)出羽一國。市城宮室不(アゲ)テ。仙窟已共鳥怪獸充繞。以ユル。大〃上〃圀也。白川(シラカハ),黒河(クロカハ),磐瀬(イハセ),宮城(ミヤギ)府,會津(アヒツ),那麻(ナマ),小田(ヲタ),安積(アサカ),安達(アダチ),柴田(シバタ),刈田(カリタ),遠田(トホダ),名取(ナトリ),信夫(シノブ),菊多(キクタ)又田,標葉(シバネ),阿曾沼(アソヌマ),行方(ナメガタ),磐手(イハデ/井)又井,和賀(ワカ),河内(カハチ),稗継(ヒエツギ),高野(タカノ),曰理(ワタリ)又利,玉造(タマツクリ),犬名門(オホナド),賀美(カミ),志多(シダ)又太,栗原(クリハラ),江判(エハン)又刺,江差(エサ),瞻澤(ミザハ),長岡(ナガヲカ),登米(トヨネ),桃生(モヽノウ),牡鹿(オシカ),郡載(グンギ),鹿角(カトノ),階上(ハシカミ),津輕(ツガル),宇多(ウダ),伊具(イグ),本吉(モトヨシ),石川(イシカハ),大治(タイヂ),色摩(シカマ),稲我(イナガ),斯波(シハ),磐前(イハサキ),金原(キンバラ),葛田(カツタ)葛又作?,伊達(ダツテ),杜鹿(ツカ),閉伊(ヘイ),気仙(ケセン/キー)。〔南瞻部州大日本國正統圖・東山道267一〕

とする。標記語「」は、

(ウルシ)。〔器財118七〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「奥漆」のうち標記語「」は、

陸奥國(ムツノク)大東山道。白川,般瀬,會津,曰郡,耶麻,安積(アサカ),土達,信夫(シノフ),刈田(カツー),柴田,名取/田四万五千七十七丁、行程上五十日/菊多,磐城,標葉,行方,宇,伊具,田理,宮城(ミヤギ)府,黒河,賀美,色麻(シカマ),玉造(タマツクリ) 志太(シダ),栗原六ケ郡内,磐井,膽澤,江判,長岡,新田,小田,遠田,登束(トヨヒ),氣仙(ケセ),牡鹿ヲカ。〔黒川本・國郡中46オ七〕

陸奥國管卅五。白河シラカハ,盤瀬イハセ,會津アヒツ,耶麻ヤマ,安積ミサカ/アサカ,安達アタチ,信夫シノフ,刈田カツタ,柴田シハタ,名取ナトリ,菊多キクタ, 磐城イハキ,標葉シナハ/イナハ,行方ナメカタ,宇多ウタ,伊具イク,曰理ヒタリ/ワタリ,宮城ミヤキ,黒川クロカハ,賀美,包麻シカマ,玉造タマツクリ,志太,栗原クリハラ,磐井イハ井,河刺サシ/エサシ,瞻澤イサハ,長岡ナカヲカ,新田ニヒタ,小田ヲタ,遠田トヲタ,登米トヨマイ,桃生モヽノフ,気仙ケセム,牡鹿ヲシカ。本田四万五千七十七町、上五十日下廿五日〔卷九・国郡オ四〕

とする。次に「」は、

(シチ) ウルシ。/俗用者水名也。〔黒川本・植物中47ウ四〕

(シチ) ウルシ。/俗用。木汁可以誉器物也。俗用漆非也。漆者水名亦乍蔘。俗乍餘倣比。本朝亊始云、倭武皇子於粒宇陀阿貴山之時以牽折木枝其木汗黒美染干皇子之手爰皇子召舎人床石足尼曰此木汁塗干而可獻之床石塗于而獻之皇子大悦取其木汁而今塗翫好之物以っ床石之尼任於漆部官。〔卷五・植物二〕

とあって、三卷本では、「俗用者水名なり」とし、十巻本はさらに注記を増補し「俗用。木汁可以誉器物也。俗用漆非也。漆者水名亦乍蔘。俗乍餘倣比。本朝亊始云、倭武皇子於粒宇陀阿貴山之時以牽折木枝其木汗黒美染干皇子之手爰皇子召舎人床石足尼曰此木汁塗干而可獻之床石塗于而獻之皇子大悦取其木汁而今塗翫好之物以っ床石之尼任於漆部官」という。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

276奥漆筑紫穀或異国唐物高麗珎物 高麗朝鮮国。又云也。〔謙堂文庫藏三〇右C〕

とあって、標記語「奥漆」の語注記は、未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

(ヲク)ノ(ウルシ)《下略》各名物ドモナリ。〔下四オ八〕

とあって、この標記語「奥漆」の語注記は、「各名物どもなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ヲク)(ウルシ)。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「奥漆」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

奥漆(をくのウルシ)_。〔二五オ三〕

奥漆(をくのウルシ)。〔四十四ウ二〕

とあって、標記語「奥漆」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Vruxi.ウルシ(漆) 日本のニス.§Vruxiuo caqu.(漆を掻く)このニスを木から取る.すなわち,樹皮からこそげ取る.§Vruxini maquuru.(漆に負くる)漆(Vruxi)のために顔がかぶれて真っ赤になる.§Vruxide nuru.(漆で塗る)このニスで塗る.〔邦訳733r〕

とあって、意味は「日本のニス」という。地名「」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「奥漆」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「おく-(の)-うるし【奥漆】」で、複合名詞としての語は未収載にある。

[ことばの実際]

2001年12月29日(土)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(玉川→駒沢)

「夷鮭(ゑぞのさけ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「衞」部に、

(ヱビス)東。(同)西。(同)南。(同)。〔元亀本338五〕

(ヱビス)東。(同)西。(同)南。(同)北。〔静嘉堂本405二〕

とあって、標記語「」の四語を示し、読みは「ゑびす」とし、語注記に「東・西・南・北」という。次に標記語「」については補遺「魚之名」部に、

(サケ)一尺。〔元亀本367八〕

(サケ) 一尺。〔静嘉堂本447二〕

とあって、標記語を元亀本は三種、静嘉堂本は四種を掲載する。その語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

夷鮭」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

(ヱス)_(サケ)」〔山田俊雄藏本〕

(ヱゾ)(サケ)」〔経覺筆本〕

(ヱゾ)(サケ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そサケて建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

(サケ)。〔氣形門64一〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

夷千島(ヱゾガシマ/イセントウ,ヱビス、―)[平・平・上] 或作毛人(ヱゾカ)。又蝦夷島庭訓云松浦鰯・夷鮭(ヱソサケ)千字平家十一卷大臣(ヲヽイトノ)殿曰。縦(タトイ)夷千(ヱゾガ)島ナリトモ命ダニアラバト云無千字。〔天地門698四〕

とあって、標記語を「夷千島」の語の語注記に「或は毛人島と作す。また蝦夷島、『庭訓(徃来)』に云く、松浦鰯・夷鮭千字無し。『平家(物語)』十一卷、大臣殿曰く。縦ひ夷千島なりとも命だにあらばと云ふ千字無し」とある。次に「」の語は、

(サケ)。〔氣形門778六〕

とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「夷鮭」は、弘治二年本広本節用集』と同じく、

夷千島(ヱゾガチシマ) 或作毛人島(ヱソカシマ)ト度{庭}訓云松浦鰯(マツライワシ)夷鮭(ヱゾザケ)千字平家十一卷大臣(ヲヽイトノ)殿曰。夷千嶋ナリトモカイナキ命タニアラハト云々有千字。〔天地門192六〕

とあって、語注記のなかに「或は毛人島と作す。『庭訓(徃来)』に云く、松浦鰯・夷鮭千字無し。『平家(物語)』十一卷、大臣殿曰く。夷千島なりともかいなき命だにあらばと云々千の字」という。他写本は、

夷千嶋(ヱゾカシマ) 毛人島。庭訓云松浦鰯(―イワシ)夷鮭千字平家十一卷大臣(ヲヽイ)殿曰。夷千嶋(ヱソカシマ)ナリトモカイナキイノチダニモアラハト云ニ有字。〔・天地159二〕

夷千嶋(ヱソ――) 毛人嶋。庭訓云松浦鰯・夷鮭无千字。平家十一卷大臣殿ニハ。縦夷千嶋トモ无甲斐命タアラハト云ニ有千字。〔・天地148二〕

とある。そして、標記語「」は、

(サケ)。〔・畜類211六〕

(サケ)一尺。〔・畜類176五〕

とあって、標記語を「」の語注記は永祿二年本に『運歩色葉集』と同じく「一尺」とある。そして、易林本節用集』には、標記語「夷」は、

蝦夷島(エゾカシマ)夷(同)島。〔乾坤161五〕

とする。標記語「」は、

(サケ)。〔氣形177五〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「夷鮭」のうち標記語「」は、未収載にある。次に「」は、

(ケイ)同(毫サヲケ)/俗用也。訛也。       C(せイ)サケ〓〔魚+弖〕弥魚。〔黒川本・動物下36オ八〕

サケ。俗用也。訛也/崔禹食經云―其子似毒赤光。Cサケ。セイ/俗用也。食甬同。〔卷八・動物398六〕

とあって、三卷本では語注記はなく、十巻本に「俗用るなり。訛なり/『崔禹食經』に云く、鮭其子毒赤光似たり」という。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

275夷鮭 唐鮭別也。〔謙堂文庫藏三〇右C〕

とあって、標記語「夷鮭」の語注記は、「唐鮭は別なり」という。古版『庭訓徃来註』では、

夷鮭(ヱゾサケ)《下略》各名物ドモナリ。〔下四オ八〕

とあって、この標記語「夷鮭」の語注記は、「各名物どもなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ヱゾ)(サケ)夷ハ也。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「夷鮭」に対する語注記は、「夷はなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

夷鮭(ゑぞのさけ)_。〔二五オ三〕

夷鮭(ゑぞのさけ)。〔四十四ウ二〕

とあって、標記語「夷鮭」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Saqe.l,Saqeno iuo.サケ,サケノイヲ(鮭,または,鮭の魚) Sarmao〔鮭〕のような魚.※古くはsalmaoと通用した語。→Ixxacu(一尺);Xiuobiqi.〔邦訳557l〕

とあって、意味は「Sarmao〔鮭〕のような魚」という。地名「」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「夷鮭」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「えぞ-さけ【夷鮭】北海道で漁獲されたサケ。塩漬けにしたものを蝦夷塩引といった。」とあり、複合名詞でこの語を収載する。

[ことばの実際]

2001年12月28日(金)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「松浦鰯(まつらいわし)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「満」部に、「松茸(マツタケ)。松脂(―ヤニ)。松皮(―カハ)。松囃(―ハヤシ)」、「松任(マツタウ)。松平(―ダイラ)」の語を収載するが、標記語「松浦」の語は未收載にある。次に標記語「」については補遺「魚之名」部に、

(イワシ)。(同)。(同)。〔元亀本365二〕

(イワシ)。(同)。(同)。(同)。〔静嘉堂本444二〕

とあって、標記語を元亀本は三種、静嘉堂本は四種を掲載する。その語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

松浦鰯」〔至徳三年本〕「松浦鰯」〔建部傳内本〕

_浦鰯(イワシ)」〔山田俊雄藏本〕

松浦(マツラ)(イワシ)」〔経覺筆本〕

_(マツラ)(イワシ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そイワシて建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

(イワシ)。〔氣形門64四〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

松浦山(マツラヤマ/セウホサン)[平・上・○] 肥前。〔天地門566三〕

とあって、標記語を「松浦山」の語で、語注記に「肥前」とある。次に「」の語は、未收載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「松浦」は、未收載にある。そして、標記語「」は、

(イワシ)。(同)。(同)。〔・畜類5七〕

(イワシ)(同)。(同)。 (同)。・畜類3三〕

(イワシ) 。〔・畜類4四〕〔・畜類5二〕

とあって、標記語を「」已下四種示し、その語注記は未記載にある。ただし、弘治二年本は「」の表記字を欠く。そして、易林本節用集』には、標記語「松浦」は、未収載にする。標記語「」は、

(イワシ)。〔氣形3四〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「松浦鰯」のうち標記語「松浦」は、未収載にある。次に「」は、

イハシ/云未詳。〔黒川本・動物上四オ二〕

イハシ。〔卷一・動物一〕

とあって、三卷本では「鰯と云ふは詳らかならず」という。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

274松浦 肥前国也。〔謙堂文庫藏三〇右C〕

とあって、その語注記は、「肥前国にあるなり」という。古版『庭訓徃来註』では、

松浦鰯(マツライワシ)《下略》各名物ドモナリ。〔下四オ八〕

とあって、この標記語「松浦鰯」の語注記は、「各名物どもなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

松浦(マツラ)(イワシ)松浦松浦ハ肥前乃地なり。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「松浦鰯」に対する語注記は、「松浦は肥前の地なり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

松浦鰯(まつらのいわし)松浦_▲松浦ハ肥前(ひせん)の地。〔二五オ三〕

松浦鰯(まつらのいわし)▲松浦ハ肥前(ひぜん)乃地。〔四十四ウ二〕

とあって、標記語「松浦鰯」の語注記は、「松浦は、肥前の地」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Iuaxi.イワシ(鰯) 鰯.→Murasaqi.〔邦訳348l〕

とあって、意味は「鰯」という。地名「松浦」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「松浦鰯」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「まつら-いわし【松浦鰯】肥前国松浦地方でとれる鰯。塩漬として知られた。」とあり、複合名詞でこの語を収載する。

[ことばの補遺]「いわし【鰯】」の語源だが、「魚」と「弱」の漢字による合成で、「弱き魚」であり、これに対する魚の語が「勝つ魚」すなわち、「かつうを」→「かつを【鰹】」であり、黒潮にのって餌となる鰯の群れを追うようにあがってくる。この鰹を捕るのに近年、トロール網漁法は終わりを迎え、この生きた鰯を生簀で運び、これを使った鰹の一本釣りの漁法が再び復活してきている。静岡県御前崎・焼津漁港がその一端を担っている。すなわち、「鰯」そのものも平城宮址木簡に記述が見られ、古来より食してきているが、これを餌とする「鰹」を釣り上げるに必要な魚でもあることから、「かつうを」と切り離せない「よわきうを」すなわち、「イワシ」が登場してきたと見ては如何なものだろうか。「賤しき魚」説、「祝し魚」説などあるが敢えてとりあげたしだいである。この産地が、黒潮が日本列島にいちばん接近する流れのとき、肥前松浦(現代の長崎県)が水揚げを誇っていたことも、この『庭訓徃來』(至徳三(1386)年最古冩本)からも確認できるのである。

[ことばの実際]

《御伽草子『猿の草子』》

2001年12月27日(木)晴れ。静岡(修善寺)⇒東京(有楽町→八王子)高石ともや年忘れコンサート

「宇賀昆布(ウガのコンブ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「宇」部に、「宇治。宇立。宇宙。宇野」の四語を収載し、標記語「宇賀」の語を未収載にする。次に標記語「昆布」については「古」部に、

昆布(―ブ)。〔元亀本232三〕

昆布(コブ)。〔静嘉堂本266七〕

昆布(コブ)。〔天正十七年本中62オ六〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

宇賀昆布」〔至徳三年本〕「宇賀昆布」〔建部傳内本〕

宇賀昆布」〔山田俊雄藏本〕

宇賀(ウガ)ノ昆布(コンブ)」〔経覺筆本〕

_(ウカ)-(コフ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「昆布」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

宇賀(ウガ/ツチ、タスク)[上・去]

とあって、標記語を「宇賀」の語は未収載にある。次に「昆布」の語は、

昆布(コンブ/エノカミ,シク・ヌノ)[平・去]海藻〔草木門775四〕

とあって、標記語を「昆布」の語注記は、「海藻」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「宇賀」は、未收載にある。そして、標記語「昆布」は、

昆布(コブ)海藻。〔・草木185六〕

昆布(コンブ)海藻。〔・草木152一〕

昆布(コブ)海藻。海帶艸。〔・草木141九〕

とあって、標記語「昆布」の語注記は、「海藻」とあり、尭空本はこれに「海帶艸」という。そして、易林本節用集』には、標記語「宇賀」は、未収載にする。標記語「昆布」は、

昆布(コブ)。〔草木155・五〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「宇賀昆布」のうち標記語「宇賀」は、未収載にある。次に「昆布」は、

昆布コンフ。〔黒川本・植物下2ウ七〕

昆布 一名云衣比酒女/コフ〔卷第七・植物110五〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

273宇賀昆布 夷嶋弁才天御座所也。〔謙堂文庫藏三〇右B〕

とあって、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

宇賀(ウガ)ノ昆布(コンブ) 越前ノ敦賀(ツルガ)ニツクト云ヘリ。〔下四オ七〕

とあって、この標記語「宇賀昆布」の語注記は、「越前の敦賀につくと云へり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

宇賀(ウガ)昆布(コンブ)宇賀昆布宇賀ハ蝦夷が島也。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「宇賀昆布」に対する語注記は、「宇賀は蝦夷が島なり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

宇賀昆布(うがのこんぶい)宇賀_昆布▲宇賀ハ蝦夷が嶋也。〔二五オ三〕

宇賀昆布(うがのこんぶい)▲宇賀ハ蝦夷が嶋也。〔四十四ウ二〕

とあって、標記語「宇賀昆布」の語注記は、「宇賀は、蝦夷が嶋なり」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Cobu.コブ(昆布) 食用になる葉の広い海藻.⇒Lri〜;Ni〜(煮昆布).〔邦訳134l〕

とあって、意味は「食用になる葉の広い海藻」という。地名「宇賀」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「宇賀昆布」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「うが【宇賀】」の小見出しにして、「うがの昆布(こんぶ)(「宇賀」は「函館」の古称)北海道産、折昆布(おりこんぶ)の異称。」とあり、複合名詞でこの語を収載する。

[ことばの補遺]

 地名の「宇賀」は、アイヌ語の「ウカウシラリ(重岩)」から生まれたことばで、「ウカウ」は重なるの意。「シラリ」は岩を意味し、函館と並んで交易地域の拠点とも考えられる「志苔村」の方は、「シラリ」を語源とする地名であり、「宇賀」については、真昆布が採れる海岸線一帯の漁場を示す広域地名であったと考えられる。《昆布から始まった函館港〜 北海道 函館港 〜函館市史編纂室 紺野哲也より

2001年12月26日(水)晴れ。静岡(修善寺)

「西府栗(サイフのくり)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「左」部に、標記語「西府」は未収載にある。そして、「太」部に、

大宰府(ダサイフ)鎮西。〔元亀本143八〕

太宰府(―――)鎮西。〔静嘉堂本154五〕〔天正十七年本中8オ八〕

とあって、標記語元亀本「大宰府」、静嘉堂本と天正十七年本「太宰府」とあって、その語注記は、「鎮西」という。次に標記語「」については補遺「花木名」部に、

(クリ)。〔元亀本376五〕

(クリ)。〔静嘉堂本457三〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

府栗」〔至徳三年本〕「西府栗」〔建部傳内本〕

-(サイフ)」〔山田俊雄藏本〕

宰府」〔経覺筆本〕             

「(西)-(サイ府(フ))(クリ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、標記語を「西府」の語を未收載にする。次に「」の語は、

(クリ/リツ) 異名卜郡。殷七。周杜。秦花。都尉。掩中。〔草木門775四〕

とあって、標記語を「」の語注記は、「異名」の語を記載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「西府」は、

未收載にある。そして、標記語「」は、

(クリ)。〔・草木156八〕〔・草木128二〕〔・草木117一〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にある。そして、易林本節用集』には、

宰府(サイフ)鎮西。〔乾坤176一〕

とあって、標記語を「宰府」にし、その語注記は「鎮西にあり」という。標記語「」は、

(クリ)。〔草木130四〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「西府栗」のうち標記語「西府」は、未収載にある。次に「」は、

(リツ)クリ/―子果木也。撰子同。〔黒川本・植物中72ウ二〕

クリノネ撰子同。〔卷六・植物389四〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

272土佐材木安藝榑能登釜河内鍋備後酒和泉酢若狭椎西府 大宰府也。〔謙堂文庫藏三〇右A〕

・西府之哥云、筑紫人空亊シケリサヽ栗ノサヽニハナラテ柴ニコソナレ。〔静嘉堂文庫藏『庭訓徃來抄』古冩冠頭書込み〕※太宰府―筑前ニ在。〔同上書込み〕
・小ヽ栗(サヽグリ)/西府栗之哥云、筑紫人空亊シケリサヽクリノサヽニハナラテ柴(シハ)ニコソナレ。〔東洋文庫藏『庭訓之抄』徳本の人冠頭書込み〕

とあって、その語注記は、「大宰府なり」という。古版『庭訓徃来註』では、

宰府(サイフ)ノ(クリ)ハ。筑紫(ツクシ)ノ事ナリ。二般(フタタビ)ナルクリ也。柴(シバ)グリ也。篠(サヽ)グリトモ云リ。去出ト云ヘリ。〔下四オ四〕

とあって、この標記語「宰府栗」の語注記は、「いづれも名物なり。かな氣出でずと云へり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

西府(サイフ)(クリ)西府一年の内に二度実のなる栗あり。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「西府栗」に対する語注記は、「一年の内に二度実のなる栗あり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

西府栗(さいふのくり)西府_▲西府栗ハつく紫の篠栗(さゝくり)といふ一年に二度(と)(ミ)のる也。〔二四ウ六〕

西府栗(さいふのくり)▲西府栗ハ筑紫(つくし)の篠栗(さゝぐり)といふ一年に二度(ど)(ミ)のる也。〔四十四ウ二〕

とあって、標記語「西府栗」の語注記は、「西府栗は、筑紫の篠栗といふ一年に二度実のるなり」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Curi.くり(栗) 栗.⇒Faxiri,u;lqe,uru.〔邦訳170l〕

とあって、意味は「栗」という。地名「西府」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「西府栗」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「さいふ−くり【宰府栗】筑紫(九州)から産する柴栗。一年に二度実るという。」とあり、複合名詞でこの語を収載する。

[ことばの実際]

2001年12月25日(火)晴れ。静岡(修善寺)

「若狭椎(わかさのしい)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「賀」部に、

若狭(ワカサ)二―。〔元亀本87八〕

若狭(―サ)。〔静嘉堂本108一〕

若狭(ワカサ)三―。〔天正十七年本53ウ一〕

とあって、標記語「若狭」の語注記は、元亀本が「二(郡)」、天正十七年本が「三(郡)」という。また、「諸國郡之名・北陸道」に、

若狭三郡。遠敷,三方,大飯。田数三千三百三十町。〔元亀本110七下〕

若狭三郡。遠敷,三方,大飯。田數三千三百三十町。〔静嘉堂本473八上〕

若狭三郡。遠敷,三方,大飯。田数三千三百三十町。〔天正十七年本上73オ七〕

若狹三郡。遠敷,三方,大飯。田数三千三百三十町。〔西來寺本201二〕

とある。次に標記語「」については補遺部「花木名」部に、

(シイ)。(同)。〔元亀本376六〕

(シイ)。〔静嘉堂本457五〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

若狭椎」〔至徳三年本〕「若狭椎」〔建部傳内本〕

若狭椎」〔山田俊雄藏本〕

若狭(ワカサ)ノ(シイ)」〔経覺筆本〕

若狭(ワカサ)ノ(シ井)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

若狭(ワカサ/ニヤ,ケフ、ワカシ,―)[平入・入]若州三郡。水田三千百三十九町。遠敷(ヲンフ),大飯(ヲホイヒ),三方(ミカタ)。〔天地門234二〕

とあって、標記語を「若狭」とし、その語注記は「若州三郡。水田三千百三十九町。遠敷,大飯,三方」という。次に「」の語は、

(シイ/ウツ)[平](キレ)也。然日本俗呼テ‖菓子。〔草木門914四〕

とあって、標記語を「」の語注記は、「椎は木の断なり。然るを日本の俗、菓子を呼びて、椎と曰ふ拠を知らず」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「若狭」は、

若狭(ワカサ)(ジヤク)州三郡。遠敷(ヲニフ), 三方(ミカタ),大飯(ヲウイタ)。田数三千三百三十町。〔・日本國六十余州名数・北陸道291五〕

若狭(ワカサ)(ジヤク)州三。〔・日本國六十余州名数・北陸道263四〕

若狭(ワカサ)中若州/三郡。遠敷(ヲニフ), 大飯(ヲヽイ),三方(ミカタ)。〔・日本國六十余州名数・北陸道233八〕

とあって、標記語「若狭」の語注記は、弘治二年本が「若州三郡。遠敷,三方,大飯。田数三千三百三十町」とし、郡名の排列は異なるが、広本節用集』に近い内容にあり、次いで堯空本永祿二年本が最も簡略化した注記内容にある。そして、標記語「」は、

(シイ)。〔・草木〕

(シイ)―ハ木(キレ)然日本俗呼菓子、曰―不拠。〔・草木197七〕

(シイ)―ハ木断也然日本俗呼菓子、曰―不知拠。又柊。〔・草木187九〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にある。そして、易林本節用集』には、

若狭(ジヤク)州,中管三郡,南北一日半。海近シテ而有(シツ)。魚鼈(ベツ)利銕多。以。小上圀也。遠敷(ヲニフ),大飯(オホイ),三方(ミカタ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・北陸道268二〕

とあって、標記語を「若狭」の語注記は「若州,中管三郡,南北一日半。海近くして濕氣あり。魚鼈利く銕多し。漆をもって貢に致す。小上圀なり。遠敷,大飯,三方」という。標記語「」は、未収載にする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「若狭椎」のうち標記語「若狭」は、

若狭ワカサ 中 无權守介以六位為守/田三千百卅九丁 上三日,下二日/北陸道 遠敷国府,大飯,三方。〔黒川本・國郡上73オ三〕

若狭国管三。遠敷ヲニフ/府,大飯ヲホイ,三方ミカタ/本田三千百四十九丁 上三日、下二日。〔卷三・國郡136四〕

とあって、標記語を三卷本は「若狭」とし、その語注記に「中南海 安藝,香美,長岡国府,若狭/田六千百七十三丁 上四十五日,下八日、海廿五日/吾川,高岡,幡多」とする。これに対し、十巻本は、「若狭国」で「管三。遠敷ヲニフ/府,大飯ヲホイ,三方ミカタ/本田三千百四十九丁 上三日、下二日」という。次に「」は、

(ツキ)シヒ/直追反―子。〔黒川本・雜物下69オ二〕

シヒノミ椎子シ井/見本艸。櫪子同出崔禹/相似而大椎。〔卷九・雜物133五・六〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

272土佐材木安藝榑能登釜河内鍋備後酒和泉酢若狭椎西府 大宰府也。〔謙堂文庫藏三〇右A〕

とあって、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

若狭(ワカサ)ノ(シイ)ト云ハ。若狭(ワカサ)ニ後瀬(せ)山江グロ谷(タニ)ト云フニアリ。彼(カ)ノ山ノ椎(シイ)ナリ。國ノ名物ナリ。〔下四オ四〕

とあって、この標記語「若狭椎」の語注記は、「若狭に後瀬山江ぐろ谷と云ふにあり。彼の山の椎なり。國の名物なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

若狭(ワカサ)(シイ)若狭後瀬山口黒谷といふ所より出る也。〔二十九ウ五〕

とし、標記語「若狭椎」に対する語注記は、「後瀬山口黒谷といふ所より出るなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

若狭椎(わかさのしい)若狭_▲若狭椎ハ後瀬山口黒谷(のちせやまくちくろたに)といふ所より出る。〔二五オ三〕

若狭椎(わかさのしい)▲若狭椎ハ後瀬山口黒谷(のちせやまくちくろだに)といふ所より出る。〔四十四ウ一〕

とあって、標記語「若狭椎」の語注記は、「若狭椎は、後瀬山口黒谷といふ所より出る」という。そして、この「後瀬山口黒谷」なる地名は、「昆布」の注記と同じ所を示している。

 当代の『日葡辞書』には、

Xij.シイ(椎) 日本にある小さい団栗の一種.※原文はbolotasで,団栗類の総称.ここでは,椎の実をさす.⇒Tcumi,u(摘み,む).〔邦訳764r〕

とあって、意味は「日本にある小さい団栗の一種」という。地名「若狭」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「若狭椎」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあっては、見出し語を「わかさ-しい【若狭椎】」複合名詞で、この語は未収載にする。

[ことばの補遺]

木崎(てきそう)拾椎雑話』の題名に潜(ひそ)む後瀬山のの実は、古来若狭の名産とされたが、いまは拾椎(しゆうすい)の人もない。《わかさ小浜の文化財―図録―324ページ参照》

2001年12月24日(月)晴れ。静岡(修善寺)

「和泉酢(いづみのす)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「賀」部に、

和泉(イヅミ)三―。〔元亀本14二〕

和泉(イツミ)三―。〔静嘉堂本6八〕

和泉(イヅミ)。〔天正十七年本上5ウ六〕

とあって、標記語「和泉」の語注記は、「三(郡)」という。また、「諸國郡之名・五畿内」に、

和泉三郡。大島,和泉,日根。田数四千百廿六町。〔元亀本114四下〕

和泉三郡。大島,和泉,日根。田數四千百廿六町。〔静嘉堂本473二下〕

和泉三郡。大島,和泉,日根。田数四千百廿六町。〔天正十七年本上72ウ六〕

和泉三郡。大島,和泉,日根。田數四千百廿六町。〔西來寺本200二〕

とある。次に標記語「」については「須」部に、

()素。(同)字。〔元亀本362三〕

(同(スシ))。素。(ス)字。(ス)。〔静嘉堂本441五〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

和泉酢」〔至徳三年本〕「和泉酢」〔建部傳内本〕

和泉酢」〔山田俊雄藏本〕

和泉(イヅミ)ノ(ス)」〔経覺筆本〕

_(イツミ)(ス)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

和泉(イヅミ/クワセン、ヤワラク,―)[入・平]泉州三郡。水田一萬七千六百十四町。大鳥(ヲヽトリ)又作百部(ヲトヘ),和泉(イヅミ)府,日根(ヒネ)。〔天地門1八〕

とあって、標記語を「和泉」とし、その語注記は「泉州三郡。水田一萬七千六百十四町。大鳥又作百部,和泉,日根」という。次に「」の語は、

(ス)。(同)(同)[去]。〔飲食門1124五〕

とあって、標記語を「」の他に二種示し、その語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「和泉」は、

和泉(イヅミ) 泉州三郡。大鳥(ヲウトリ),和泉,日根(ヒネ)。田数四千百廿六町。〔・日本國六十余州名数・五畿内287六〕

和泉(イヅミ) 泉州三。〔・日本國六十余州名数・五畿内262三〕

和泉(イヅミ)下泉州/三郡。大鳥(ホウトリ),和泉,日根(ヒネ)。〔・日本國六十余州名数・五畿内231四〕

とあって、標記語「和泉」の語注記は、弘治二年本が「泉州三郡。大鳥,和泉,日根。田数四千百廿六町」とし、郡名の排列は異なるが、広本節用集』に近い内容にあり、次いで堯空本永祿二年本が最も簡略化した注記内容にある。そして、標記語「」は、

()(同)二字義同。〔・食物270四〕〔・食物231一〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にある。そして、易林本節用集』には、

和泉(せン)州,下管三郡, 南北百餘里。負ヒ∨ 抱ク∨。故五穀帶冷澁(シフ)之氣。國廣シテ醤醯魚鼈(ベツ)。大下国也。大鳥(オホトリ),和泉(イヅミ)府,日根(ヒネ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・五畿内260七〕

とあって、標記語を「和泉」の語注記は「泉州,下管三郡,南北百餘里。山を負ひ抱海を抱く。故に五穀冷澁の氣を帶びて味を欠く。國廣くして醤醯魚鼈多し。大下国なり。大鳥,和泉,日根」という。標記語「」は、

(ス/ソ)(ス)也。〔食服239七〕

とあって、語注記は「酸なり」という。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「和泉酢」のうち標記語「和泉」は、

和泉イヅミ 下畿内 无才守介/大島,和泉,日根。〔黒川本・國郡上12ウ二〕

和泉国管三。イ本天平十一―并河内国了/後復為和泉国 女帝/大島,和泉,日根/本田四千五百六十九町六段 上二日,下一日。〔卷一・國郡111五〕

とあって、標記語を三卷本は「和泉」とし、その語注記に「中南海 安藝,香美,長岡国府,和泉/田六千百七十三丁 上四十五日,下八日、海廿五日/吾川,高岡,幡多」とする。これに対し、十巻本は、「和泉国」で「管三。イ本天平十一―并河内国了/後復為和泉国 女帝/大島,和泉,日根/本田四千五百六十九町六段 上二日,下一日」という。次に「」は、

(ソ)。倉故反/又作醋。(シユン)同/素官反。〔黒川本・雜物下109オ七〕

ス/亦乍シユン吉酒已上同/亦カラサケ。〔卷十・雜物498二〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

272土佐材木安藝榑能登釜河内鍋備後酒和泉酢若狭椎西府 大宰府也。〔謙堂文庫藏三〇右A〕

とあって、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

和泉(イヅミ)ノ(ス)是アリ。〔下四オ四〕

とあって、この標記語「和泉酢」の語注記は、「これあり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

和泉(イヅミ)(ス)和泉菖蒲酢(しやうぶず)と云名物出るなり。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「和泉酢」に対する語注記は、「菖蒲酢と云名物出るなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

和泉酢(いづみのす)和泉_。〔二四ウ六〕

和泉酢(いづみのす)。〔四十四オ二〕

とあって、標記語「和泉酢」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Su.ス(酢)  酢.§Su aye.(酢和へ)酢をまぜて作った食物.§Suuo co<.(酢を支ふ)喧嘩したりするように人をけしかける,あるいは,煽動する.⇒次条.〔邦訳580r〕

とあって、意味は「酢」という。地名「和泉」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「和泉酢」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「いづみ−ず【和泉酢】和泉国(大阪府南部)から産する上等の酢(す)。」とあって、複合名詞でのこの語を収載する。

[ことばの実際]

《狂言『酸薑』》

涼しきハ實泉酢(いづみす)の膾(なます)哉[作者不知]《俳諧『毛吹草』追加・上、岩波文庫417五》

2001年12月23日(日)晴れ。東京(八王子)⇔静岡(修善寺)

「備後酒(びんごさけ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「賀」部に、

備後(―ゴ)八―。〔元亀本340六〕

備後(――)。〔静嘉堂本407八〕

とあって、標記語「備後」の語注記は、「八(郡)」という。また、「諸國郡之名・山陽道」に、

備後十四郡。神石,奴可,沼隈,品沼,葱田,甲好,御調,惠穂,三茨,世楽,安郡,三上,深津,三陸。田数九千六百五十八町。〔元亀本111四上〕

備後十四郡。神石,奴可,沼隈,品沼,葱田,甲奴,御調,惠穂,三茨,世樂,安郡,三上,深津,三穹。田数九千六百五十八町。〔静嘉堂本469三上〕

備後十四郡。神名,奴可,沼隈,品沼,葱田,甲奴,御調,惠穂,三茨,世樂,安郡,三上,深津,三穹。田数九千六百五十八町。〔天正十七年本上69オ五〕

とある。次に標記語「」については、卯月五日の状「202酒沽(ウリサケ)」で記載しているので省略する。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

備後酒」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

-後酒」〔山田俊雄藏本〕

備後(ビンゴ)」〔経覺筆本〕

-(ヒンコ)(サケ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「備後酒」は未収載にする。次に、広本節用集』は、

備後(ビツゴ/ソナウ、ヲクルヽ・ノチ)[去・上濁]備州十四郡。水田九千六百九十八町。安那(ヤスナ),深津(フカツ),神石(カミイシ),奴可(ヤカ),沼隈(ヌマクマ),品治(シナチ),葦田(アシタ)府,甲奴(カフノ),三上(ミカミ),惠蘇(ヱソ),御調(ミツキ),世羅(セラ),三谿(ミタニ),三次(ミヨシ)。〔天地門1026四〕

とあって、標記語を「備後」とし、その語注記は「備州十四郡。水田九千六百九十八町。安那,深津,神石,奴可,沼隈,品治,葦田,甲奴,三上,惠蘇,御調,世羅,三谿,三次」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「備後」は、

備後(ビゴ)備州十四郡, 神石(カミシ),奴可(ヌカ),沼隈(ヌノクマ),品治(ホウチ),葦田(アシタ),甲奴(カウノ),御調(ミツキ),惠蘇(ヱソ),三次(ミツキ),世羅(セラ),安那(ヤスナ),深津(フカツ),三上(ミカミ),三谿(ミタニ)。田数九千六百五十八町。〔・日本國六十余州名数・山陽道294三〕

備後(ヒンゴ) 備州十四〔・日本國六十余州名数・山陽道264二〕

備後(ビンゴ)上備州/七郡。安那(アナ),深津(フカ―),神石(カンタシ),奴可(ヌカ),沼隈(ヌマクマ),品治(ホンノ),葦田,甲奴,三上,惠蘇,御調(ミツキ),世羅(セラ),三谿(―タニ),三次(―ツキ)。〔・日本國六十余州名数・山陽道234九〕

とあって、標記語「備後」の語注記は、弘治二年本が「備州十四郡, 神石,奴可,沼隈,品治,葦田,甲奴,御調,惠蘇,三次,世羅,安那,深津,三上,三谿。田数九千六百五十八町」とし、郡名の排列は異なるが、広本節用集』に近い内容にあり、次いで堯空本永祿二年本が最も簡略化した注記内容にある。そして、易林本節用集』には、

備後(ビ)州,上管十四郡, 東西二日餘。田畔長阡陌繁。五穀早熟シテ而酒醯久。中上國也。安部(アベ),深津(フカツ),神石(カミイシ),奴可(ヌカ),沼隅(ヌマズミ/―クマ)又隈,品治(ホンヂ),葦田(アシダ)府,甲奴(カフヌ),三上(ミカミ),上谿(ミタニ)上又作三,御調(ミツキ),惠蘇(ヱソ),世羅(セラ),三原(ミハラ)又茨,右為中國|。〔南瞻部州大日本國正統圖・山陽道272六〕

とあって、標記語を「備後」の語注記は「備州,上管十四郡, 東西二日餘。田畔長阡陌繁し。五穀早熟して酒醯久し。中上國なり。安部,深津,神石,奴可,沼隅又隈,品治,葦田,甲奴,三上,上谿上又作三,御調,惠蘇,世羅,三原又茨,右中國土州となす」という。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「備後酒」のうち標記語「備後」は、

備後ビンゴ 上山陽 安那(アヌ),深津,神石,奴可(ヌ―),沼隈(ヌマクマ),品治(―ンー),三次(―キ),甲奴,三上,惠蘇,御調(ミツキ),世羅,三谿(―タニ),葦田。〔黒川本・國郡下95オ六〕

備後国管十四。安那ヤスナ,深津フカツ,神石カミヲシ/カメシ,奴可ヌカ,沼隈ヌノクマ,品治ホンチ,葦田府/アシタ,甲奴カフノ,三上ミカミ,惠蘇ヱソ,御調ミツキ,世羅セラ,三谿ミタニ,三次ミツキ/本田九千六百五十八丁 上九日,下五日。〔卷四・國郡441一〕

とあって、標記語を三卷本は「備後」とし、その語注記に「上山陽 安那,深津,神石,奴可,沼隈,品治,三次,甲奴,三上,惠蘇,御調,世羅,三谿,葦田」とする。これに対し、十巻本は、「備後国」で「管十四。安那,深津,神石,奴可,沼隈,品治,葦田,甲奴,三上,惠蘇,御調,世羅,三谿,三次/本田九千六百五十八丁 上九日,下五日」という。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

272土佐材木安藝榑能登釜河内酒備後酒和泉酢若狭椎西府 大宰府也。〔謙堂文庫藏三〇右A〕

とあって、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

備後酒(ビンコザケ)ト云事ハ。又尾(ヲ)ノ道(ミチ)ト云宿ニ。ハヤルナリ。〔下四オ五〕

とあって、この標記語「備後酒」の語注記は、「また、尾道と云ふ宿にはやるなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

備後(びんご)(さけ)備後備後の尾道(をのミち)と云宿に名酒あり。〔二十九ウ四〕

とし、標記語「備後酒」に対する語注記は、「備後の尾道と云宿に名酒あり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

備後酒(びんごのさけ)備後_▲備後酒ハ尾道(をのミち)乃宿にてつくる。〔二五オ二〕

備後酒(びんごさけ)▲備後酒ハ尾道(をのミち)乃宿(しゆく)にてつくる。〔四十四オ二〕

とあって、標記語「備後酒」の語注記は、「備後酒は、尾道の宿にてつくる」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Saqe.サケ(酒) 酒.§Saqeuo nomasuru.(酒を飲まする)酒を飲ませる. §Saqeuo susumuru.(酒を勧むる)酒を飲むようにすすめる. §Saqeni yo>.(酒に酔ふ)酒にほろ酔いする,または,深酔いする. §Saqeni cho<zuru,lfitaru.(酒に長ずる,または,浸る)酒に浸りつかっている.〔邦訳557l〕

とあって、意味は「酒」という。地名「備後」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「備後酒」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「びんご-ざけ【備後酒】広島県尾道市を中心に旧備後地方から産する酒」として、複合名詞でこの語を収載する。

[ことばの実際]

2001年12月22日(土)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「河内鍋(かはちのなべ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「賀」部に、

河内(カウチ)十五―。〔元亀本96八〕

河内(―チ)。河内(――)十五―。〔静嘉堂本120七〕

河内(カハチ)十五―/河州〔天正十七年本上59ウ一〕

とあって、標記語「河内」の語注記は、「十五(郡)」という。また、「諸國郡之名・東山道」に、

河内十五郡。錦部,石河,古市,若江,安宿,大縣,高安,河内,茨田,讃良,交野,渉河,志紀,丹南,丹北。田数一万九百七町。〔元亀本110七下〕

河内十五郡。錦部,石河,古市,若江,安稲,大縣,高安,河内,茨田,讃良,交野,渋河,志紀,丹南,丹北。田一万九百七町。〔静嘉堂本473四下〕

河内十五郡。錦部,石河,古市,若江,安稲,大縣,高安,河内,茨田,讃良,夾野,渉河,志紀,丹南,丹北。田数一萬千三百十四町。〔天正十七年本上73オ一〕

とある。次に標記語「」については「那」部に、

(ナベ)。(同)。〔元亀本168九〕〔静嘉堂本188四〕

(ナヘ)。〔天正十七年本中24オ二〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

河内鍋」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_内鍋(ナヘ)」〔山田俊雄藏本〕

河内(カワチ)(ナベ)」〔経覺筆本〕

河内(カウチ)(ナヘ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

河内(カワチ/ダイ)[平・去]河州十五郡。水田万九百七十七町。錦部(ニシコリ),石川(イシカワ),古市(フルイチ),安宿(アユカ),大縣(ヲガタ),高安(タカヤス),河内(カワチ),讃良(サヽラ), 茨田(セタ),交野(カタノ),若江(ワカヱ),澁川(シブカワ),志紀(シキ)府,丹比(タンヒ),丹南。〔天地門251三〕

とあって、標記語を「河内」とし、その語注記は「河州十五郡。水田万九百七十七町。錦部,石川,古市,安宿,大縣,高安,河内,讃良,茨田,交野,若江,澁川,志紀,丹比,丹南」という。次に「」の語は、

(ナベ―/クワ)[平]。又云鍋児(クワジ)ト。〔器財門437四〕

とあって、標記語を「」の語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「河内」は、

河内(カハチ)河州十五郡,錦郡(ニシキコヲリ),石河(イシカワ),石河,古市(フルイチ),若江(ワカヱ),安宿(ヤスカベ),大縣(ヲヽアガタ),高安(タカヤス),河内(カフチ),茨田(マツタ),讃良(サワラ),交野(カタノ),渋川(シブカワ),志記(シキ),丹南(タンナン),丹北(―ホク)。田数一万九百七町。〔・日本國六十余州名数・五畿内287五〕

河内(カハチ)(カ)州十五。内(ナイ)州。〔・日本國六十余州名数・五畿内262三〕

河内(――)大河州/十五郡。錦郡(ニシキコリ),石川,古市,安宿(ヤスカヘ),大縣(ヲヽ―),高安(タカヤス),河内,讃良(サヽラ),茨田(マタ),交野(カタ―),若江(ワカヱ),渋河,志記(シキ), 丹北(タンホク),丹南(タンナン)。〔・日本國六十余州名数・五畿内231四〕

とあって、標記語「河内」の語注記は、弘治二年本が「河州十五郡,錦郡,石河,石河,古市,若江,安宿,大縣,高安,河内,茨田,讃良,交野,渋川,志記,丹南,丹北。田数一万九百七町」とし、郡名の排列は異なるが、広本節用集』に近い内容にあり、次いで堯空本永祿二年本が最も簡略化した注記内容にある。そして、標記語「」は、

(ナヘ)(同)。・器財139一〕

(ナベ)。〔・財宝111三〕〔・財宝102一〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にある。そして、易林本節用集』には、

河内(カ)州,大管十五郡,四方二日餘。堤沼池井多シテ而種生五倍。市多(イチクラ)許多(ソコバク)也。大中國也。靈龜二年割テ‖河内大鳥郡ヲ|神護慶雲四年停‖河内島圀ヲ|。錦郡(ニシコホリ),石川(イシカハ),古市(フルイチ),安福(ヤスカベ)宿,大懸(オホガタ),高安(タカヤス),河内(カハチ),讃良(サラヽ/サカラ),茨田(ウバラタ),交埜(カタノ),若江(ワカエ),澀河(シブカハ),志紀(シキ),丹北(タンボク),丹南(―ナン)。〔南瞻部州大日本國正統圖・五畿内260三〕

とあって、標記語を「河内」の語注記は「河州,大管十五郡,四方二日餘。堤沼池井多クシテ種五倍を生ず。市多許多なり。大中國なり。靈龜二年河内・大鳥郡を割りて神護慶雲四年河内島圀を停む。錦郡,石川,古市,安福宿,大懸,高安,河内,讃良,茨田,交埜,若江,澀河,志紀,丹北,丹南」という。標記語「」は、

(ナヘ)。〔器財110六〕

とする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「河内鍋」のうち標記語「河内」は、

河内カウチ 大五畿,錦郡(ニシコリ),石川,古市,安宿(アスカヘ),大懸(ヲヽアカタ),高安(―ヤス),/田万九百七十七丁、行程一日/河内,讃良(サヌキ),茨田(マツタ),交野(カタ―),若江(―カ―),澀川(シフ―),志紀,丹北(タホク)。〔黒川本・國郡上90ウ八〕

河内国 管十四。神護景雲三―十一月改國為職寳龜元―八月依舊為國/錦郡ニシコリ,石川東西条,古市フルイチ,安宿アスカヘ・飛鳥部歟,大懸ヲホカタ,高安タカヤス,河内,讃良サラヽ,茨田マタ,交野カタノ,若江ワカヘ,澀川シフカハ,志紀シキ,丹北タンホク/丹比タチヒ・見延喜式,丹南。八上ヤカミ/本田一万九百七十七丁 上一日。〔卷四・國郡330二〕

とあって、標記語を三卷本は「河内」とし、その語注記に「大五畿,錦郡,石川,古市,安宿,大懸,高安/田万九百七十七丁、行程一日/河内,讃良,茨田,交野,若江,澀川,志紀,丹北」とする。これに対し、十巻本は、「河内国」で「管十四。神護景雲三―十一月改國為職寳龜元―八月依舊為國/錦郡,石川東西条,古市,安宿飛鳥部歟,大懸,高安,河内,讃良,茨田,交野,若江,澀川,志紀,丹北/丹比見延喜式,丹南,八上/本田一万九百七十七丁 上一日」という。次に「」は、

ナベ。〔黒川本・雜物下39オ八〕

ナヘ,/瓦謂之―。訓内/金謂之―。亦乍―本/云當宋注。〓(金+典)。〓(幵+日)。。〓(金+分)。〔卷五・雜物46三〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

272土佐材木安藝榑能登釜河内鍋備後酒和泉酢若狭椎西府 大宰府也。〔謙堂文庫藏三〇右A〕

とあって、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

河内(カハチ)ノ(ナベ)河内鍋(カハチナベ)何モ名物ナリ。カナ氣(ケ)出ト云ヘリ。〔下四オ四〕

とあって、この標記語「河内鍋」の語注記は、「いづれも名物なり。かな氣出でずと云へり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

河内(かはち)(なべ)河内。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「河内鍋」に対する語注記は未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

河内鍋(かはちのなべ)河内_。〔二四ウ六〕

河内鍋(かはちのなべ)。〔四十四オ二〕

とあって、標記語「河内鍋」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Nabe.ナベ(鍋) 深鍋,または,淺鍋.〔邦訳438l〕

とあって、意味は「深鍋,または,淺鍋」という。地名「河内」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「河内鍋」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「かはち-なべ【河内鍋】大阪、河内地方でつくられた鍋」とあって、複合名詞でのこの語を収載する。

[ことばの実際]

けぶりが崎(さき)に鑄(い)るなる能登(のと)がなへにても、まつちがはらに作(つく)るなる讚岐釜(さぬきがま)にもあれ、石上(いそのかみ)にあなる大和鍋(やまとなべ)にてもあれ、筑摩(つくま)の祭(まつり)にかさぬる近江鍋(あふみなべ)にてもあれ、楠葉(くすは)の御牧(みまき)につくるなる河内鍋(かうちなべ)にまれ、いちかとにうつなるさがりにまれ、とむ片岡(かたをか)に鑄(い)るなる鐵鍋(かななべ)にもあれ、飴鍋(あめなべ)にもあれ、貸(か)し給へ。《『堤中納言物語』よしなしごと》

2001年12月21日(金)曇りのち雪。東京(八王子)⇔

「能登釜(ノトのかま)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「乃」部に、

能登(ノト)九―。〔元亀本186三〕

能越(―エツ)―登/―中。〔静嘉堂本210一〕

とあって、標記語「能登」の語注記は、「九(郡)」という。また、「諸國郡之名・東山道」に、

能登四郡。羽咋,鳳至,珠洲,能登。田数一万二千五百卅町。〔元亀本115八上〕

能登四郡。羽咋,鳳至,珠洲,能登。田数一万二千五百卅町。〔静嘉堂本474三上〕

能登四郡。羽咋,鳳至,珠洲,能登。田数一萬二千五百卅町。〔天正十七年本上73オ二〕

能登四郡。羽咋,鳳至,珠洲,能登。田數一万二千五百卅町。〔西來寺本201五〕

とある。次に標記語「」については「佐」部に、

(カマ)。(カマ) 茶―/塩―。〔元亀本104一〕〔静嘉堂本130六〕〔天正十七年本上64オ四〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

能登釜」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

能登釜」〔山田俊雄藏本〕

能登(ノト)ノ(カマ)」〔経覺筆本〕

能登(ノト)ノ(カマ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

能登(ノト/ノウトウ、アタウ・ヨシ,ノボル)[平・平]能州四郡。水田八千四百七十九町。羽咋(ハクヒ),能登(ノト)府,風至(フケシ),珠洲(スス)。〔天地門490二〕

とあって、標記語を「能登」とし、その語注記は「能州四郡。水田八千四百七十九町。羽咋,能登,風至,珠洲」という。次に「」の語は、

(カマ/)[上]。大鍋(ナベ)類也。〔器財門270三〕

とあって、標記語を「」の語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「能登」は、

能登(ノト)(ノウ)州四郡, 羽咋(ハクイ),鳳至(フデン),珠洲(ズス),能登(ノト)。田数一万二千五百卅町。〔・日本國六十余州名数・北陸道291八〕

能登(ノト)(ノウ)州四。〔・日本國六十余州名数・北陸道263四〕

能登(ノト)中能州/四郡。羽咋(―クサ),能登,鳳至(フケシ),珠洲(スス)。〔・日本國六十余州名数・北陸道233九〕

とあって、標記語「能登」の語注記は、弘治二年本が「能(ノウ)州四郡, 羽咋,鳳至,珠洲,能登。田数一万二千五百卅町」とし、郡名の排列は異なるが、広本節用集』に近い内容にあり、次いで堯空本永祿二年本が最も簡略化した注記内容にある。そして、標記語「」は、

(カマ)鍋類。〔・財宝83五〕

(カマ)。・財宝81三〕〔・財宝73八〕〔・財宝88三〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にある。そして、易林本節用集』には、

能登(ノウ)州,中管四郡, 東西二日半。土冷ニシテ五穀遲。利銕(テツ)。鎔(イル)大器桑多衣厚。上小圀也。羽咋(ハグヒ),能登(ノト)府,鳳至(フクシ),珠洲(スズ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・北陸道268九〕

とあって、標記語を「能登」の語注記は「能州,中管四郡, 東西二日半。土冷やかにして五穀遲し。利銕多し。大器を鎔る、桑多く衣厚し。上小圀なり。羽咋,能登,鳳至,珠洲」という。標記語「」は、

(カマ)。〔器財76五〕

とあって、語注記は未記載にする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「能登釜」のうち標記語「能登」は、

能登ノト 下北陸 羽咋,能登国府,風至(フケシ),珠洲(スス)。〔黒川本・國郡中61ウ八〕

能登国管四 或書云養老二―五月 割越前四郡云々同三―七月參期十一月/多治比真人廣成始為守、又越前能登越中越後等守兼也。/羽咋ウフサ・ハクヒ,能登府,鳳至フケシ,珠洲スヾ/本田八千四百七十九町、上十八日下九日。〔卷五・國郡274三〕

とあって、標記語を三卷本は「能登」とし、その語注記に「下北陸 羽咋,能登国府,風至,珠洲」とする。これに対し、十巻本は、「能登国」で「管四 或書云養老二―五月 割越前四郡云々同三―七月參期十一月/多治比真人廣成始為守、又越前能登越中越後等守兼也。/羽咋ウフサ・ハクヒ,能登府,鳳至フケシ,珠洲スヾ/本田八千四百七十九町、上十八日下九日」という。次に「」は、

(フ) カナヘ/カマ(クワ)同。〔黒川本・雜物上80ウ三〕

(フ) カマ/カナヘ/黄帝作之。カナヘ。〔卷三・雜物212六〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

272土佐材木安藝榑能登釜河内鍋備後酒和泉酢若狭椎西府 大宰府也。〔謙堂文庫藏三〇右A〕

とあって、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

能登(ノト)ノ(カマ)河内鍋(カハチナベ)何モ名物ナリ。カナ氣(ケ)出ト云ヘリ。〔下四オ四〕

とあって、この標記語「能登釜」の語注記は、「いづれも名物なり。かな氣出でずと云へり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

能登(のと)(かま)能登。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「能登釜」に対する語注記は、「畑と云ふ山中より出づる」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

能登釜(のとのかま)能登_。〔二四ウ三〕

能登釜(のとのかま)。〔四十四オ二〕

とあって、標記語「能登釜」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Cama.カマ(釜) 鉄製の大釜,または,鉄鍋.〔邦訳84l〕

とあって、意味は「鉄製の大釜,または,鉄鍋」という。地名「能登」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「能登釜」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「のと-の‐かま【能登釜】」で、複合名詞でのこの語は未収載にする。

[ことばの実際]

2001年12月20日(木)晴れのち曇り。東京(八王子)⇒板橋(国立国語研究所)

「安藝榑(あきのくれ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「安」部に、

安藝(―ゲイ)六―。〔元亀本257四〕

安藝(アキ)六―。〔静嘉堂本290五〕

とあって、標記語「安藝」の語注記は、「九(郡)」という。また、「諸國郡之名・山陽道」に、

安藝八郡。沼田,賀茂,安藝,佐伯,山縣,高宮,高田,沙田。田カス七千四百八十町。〔元亀本111六下〕

安藝八郡。沼田,賀茂,安藝,佐伯,山縣,高宮,高田,沙田。田数七千四百八十町。〔静嘉堂本469五下〕

安藝八郡。沼田,賀茂,安藝,佐伯,山縣,高宮,高田,沙田。田數七千四百八十町。〔天正十七年本上70オ三〕

安藝八郡。沼田,賀茂,安藝,佐伯,山縣, 高田,高宮,沙田。田数七千四百八十町。〔西來寺本195四〕

とある。次に標記語「」については「久」部に、

(クレ)。〔元亀本198六〕〔天正十七年本中42オ三〕

(――)。〔静嘉堂本225四〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

安藝榑」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

-藝榑」〔山田俊雄藏本〕

安藝(アキ)ノ(サイモク)」〔経覺筆本〕

安藝(アキ)ノ(サイモク)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「」を収載する(三月十二日の状「組押榑」を参照)。次に、広本節用集』は、

安藝(アキ/ヤスシ、シワザ)[平・去]藝州八郡。水田七千四百八十町。沼田(ヌタ),賀茂,安藝,佐伯(サキ),山縣(―カタ),高宮,高田,沙田又云豊田。〔天地門740五〕

とあって、標記語を「安藝」とし、その語注記は「藝州八郡。水田七千四百八十町。沼田,賀茂,安藝,佐伯,山縣,高宮,高田,沙田又云豊田」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「安藝」は、

安藝(アキ)(ケイ)州八郡,沼田(ヌタ),賀茂(カモ),安藝(アキ),佐伯(サエキ),山縣(ヤマカタ),高宮(タカミヤ),高田(タカタ),沙田(スナタ)。〔・日本國六十余州名数、山陽道294四〕

安藝(アキ)(ゲイ)州八。〔・日本國六十余州名数、山陽道264二〕

安藝(アキ)上藝州/八郡。沼田(ヌタ),安藝,賀茂,佐伯(サイキ), 高宮, 沙田(サタ),山縣(―カタ),高田。〔・日本國六十余州名数、山陽道235八〕

とあって、標記語「安藝」の語注記は、弘治二年本が「藝州八郡,沼田,賀茂,安藝,佐伯,山縣,高宮,高田,沙田」とし、郡名の排列は異なるが、広本節用集』に近い内容にあり、次いで堯空本永祿二年本が最も簡略化した注記内容にある。そして、易林本節用集』には、

安藝(アキ)(ゲイ) 上管八郡, 南北二日半。山深シテ而材木多。海近シテ而塩苔饒(ヲヽシ)也。五穀(コク)(ヒデ)。大下國也。沼田(ヌマタ), 高田(タカタ),豐田(トヨダ),沙田(サダ),賀茂(カモ),佐伯(サエキ),安藝(アキ),高宮(タカミヤ),嚴島(イツクシマ)郡外歟。〔南瞻部州大日本國正統圖・南海道274十〕

とあって、標記語を「安藝」の語注記は「藝州 上管八郡, 南北二日半。山深くして材木多し。海近くして塩苔饒しなり。五穀秀ず。大下國なり。沼田, 高田,豐田,沙田,賀茂,佐伯,安藝,高宮,嚴島郡外歟」という。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「安藝榑」のうち標記語「安藝」は、

安藝アキ 上山陽 沼田,賀茂,安藝, 佐伯(サイキ),山縣, 高宮,高田, 沙田(トヨ―)今者豊田字用。〔黒川本・國郡下33ウ四〕

安藝国管七。上山陽 沼田,賀茂,安藝, 佐伯(サイキ),山縣, 高宮,高田, 沙田(トヨ―)今者豊田字用。〔卷四・國郡441一〕

とあって、標記語を三卷本は「安藝」とし、その語注記に「上山陽 沼田,賀茂,安藝, 佐伯(サイキ),山縣, 高宮,高田, 沙田(トヨ―)今者豊田字用」とする。これに対し、十巻本は、「安藝国」で「」という。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

272土佐材木安藝榑能登釜河内鍋備後酒和泉酢若狭椎西府 大宰府也。〔謙堂文庫藏三〇右A〕

とあって、標記語「安藝榑」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

安藝(アキ)ノ(クレ)名物ナリ。〔下四オ四〕

とあって、この標記語「安藝榑」の語注記は、「名物なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

安藝(あき)(くれ)安藝。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「安藝榑」に対する語注記は、「」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

安藝榑(あきのくれ)安藝_▲。〔二四ウ六〕

安藝榑(あきのくれ)▲。〔四十四オ二〕

とあって、標記語「安藝榑」の語注記は、「」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Cure.クレ(榑) ある種の幅の狭い板.⇒Vague.〔邦訳170l〕

とあって、意味は「ある種の幅の狭い板」という。地名「安藝」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「安藝榑」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「あき-の-くれ【安藝榑】」で、複合名詞でのこの語は未収載にする。

[ことばの実際]

2001年12月19日(水)晴れのち曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「土佐材木(トサのザイモク)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「登」部に、

(トサ)九―。〔元亀本54九〕

(―サ)九―。〔静嘉堂本61二〕

土佐(トサ)。〔天正十七年本上31ウ一〕

とあって、標記語「土佐」の語注記は、「九(郡)」という。また、「諸國郡之名・東山道」に、

七郡。安藝,毛美,長岡,幡多,高岡,佐,吾川。田数六千三百二十八町。〔元亀本110七下〕

七郡。安藝,毛美,長岡,幡多,高岡,佐,吾川。田数六千三百廿八町。〔静嘉堂本469七上〕

七郡。安藝,毛美,長岡,幡多,高岡,土佐,吾川。田数六千三百廿八町。〔天正十七年本上69オ七〕

七郡。安藝,毛美,長岡,幡多,高岡, 佐,吾川。田数六千三百廿八町。〔西來寺本194三〕

とある。次に標記語「材木」については「佐」部に、

材木(ザイモク)。〔元亀本272二〕

材木(サイモク)。〔静嘉堂本310七〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

佐材木」〔至徳三年本〕「左材木」〔建部傳内本〕

-佐材-」〔山田俊雄藏本〕

土佐(トサ)ノ材木(サイモク)」〔経覺筆本〕

土佐(トサ)ノ材木(サイモク)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「材木」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

土佐(トサ/ツチ、タスク)[上・去]土州七郡。水田六千百七十三町。香美(カヾミ),長岡(ナカヲカ)府,土佐(トサ),吾川(アガワ),高岡(タカヲカ),幡多(ハタ)。〔天地門124二〕

とあって、標記語を「土佐」とし、その語注記は「土州七郡。水田六千百七十三町。香美,長岡,土佐,吾川,高岡,幡多」という。次に「材木」の語は、

材木(ザイ―/ワクリキ,キ)[平・入]。〔草木門775四〕

とあって、標記語を「材木」の語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「土佐」は、

土佐(トサ)(ト)州七郡, 安藝(アキ),香美(カヽミ),長岡(ナカヲカ),幡多(ハタ),高岡(タカヲカ),土佐,吾川(アカワ)。〔・日本國六十余州名数、南海道295五〕

土佐(トサ)(ト)州七。〔・日本國六十余州名数、南海道264五〕

土佐(トサ)中土州/七郡。安藝,香美(カヽミ),土佐,吾川(ワカワ),高岡,幡多(ハタ),長岡。〔・日本國六十余州名数、南海道235八〕

とあって、標記語「土佐」の語注記は、弘治二年本が「土州七郡, 安藝,香美,長岡,幡多,高岡,土佐,吾川」とし、郡名の排列は異なるが、広本節用集』に近い内容にあり、次いで堯空本永祿二年本が最も簡略化した注記内容にある。そして、標記語「材木」は、

材木(ザイモク)。〔・草木210二〕〔・畜類174九〕〔・畜類163六〕

とあって、標記語「材木」の語注記は、未記載にある。そして、易林本節用集』には、

土佐(ト)州,中管七郡,東西二日。土肥五穀(コク)(モハラ)(ジユク)シ良材多。中上國也。土佐(トサ),吾川(アカハ)吾又作五(イツ),高岡(タカヲカ),旛多(ハタ),長岡(ナカヲカ),畑島(ハタシマ),香美(カミ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・南海道274十〕

とあって、標記語を「土佐」の語注記は「土州,管七郡, 東西二日。土肥五穀。純ら熟し良材多し。中上國なり。土佐,吾川吾又作五,高岡,旛多,長岡,畑島,香美,安藝」という。標記語「材木」は、未収載にする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「土佐材木」のうち標記語「土佐」は、

トサ 中南海 安藝,香美カヽミ,長岡国府,土佐/田六千百七十三丁 上四十五日,下八日、海廿五日/吾川(ア―),高岡,幡多。〔黒川本・國郡上51オ四〕

佐国管七。安藝アキ,香美カヽミ,長岡,左,五川ワカハ・吾川アカハ,延喜式云々,高岡タカヲカ・延喜式云々,播多幡―/本田六千百七十三丁 上三十日,下十八日。〔卷四・國郡441一〕

とあって、標記語を三卷本は「」とし、その語注記に「中南海 安藝,香美,長岡国府,土佐/田六千百七十三丁 上四十五日,下八日、海廿五日/吾川,高岡,幡多」とする。これに対し、十巻本は、「佐国」で「管七。安藝,香美,長岡,歛左,五川吾川延喜式云々,高岡・延喜式云々,播多幡―/本田六千百七十三丁 上三十日,下十八日」という。これにより、南北朝時代をはさんで「」から「」へと表記が変貌していることが知られる。但し、三卷本の注記郡名の表記が「土佐」とあることが写本状況なのか、原本からなのか注意せねばなるまい。前田家本での表記を確認することになる。次に「材木」は、

材木サイモク。〔黒川本・雜物下39オ八〕〔卷八・雜物417五〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

272土佐材木安藝榑能登釜河内鍋備後酒和泉酢若狭椎西府 大宰府也。〔謙堂文庫藏三〇右A〕

とあって、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

土佐(トサ)ノ材木(ザイモク)是又用木ナリ。畑(ハタ)ト云山中ヨリ出ル也。室(ムロ)兵庫(ヒヤウコ)ナンドヘ著(ツク)木ナリ。〔下四オ三〕

とあって、この標記語「土佐材木」の語注記は、「是れまた、用木なり。畑と云ふ山中より出るなり。室・兵庫なんどへ著く木なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

土佐(とさ)材木(こひ)土佐材木畑と云山中より出る也。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「土佐材木」に対する語注記は、「畑と云ふ山中より出づる」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

土佐材木(とさざいもく)土佐_材木▲土佐材木ハ畑(はた)といへる山中(さんちう)より伐出(きりいだ)す。〔二四ウ六〕

土佐材木(よどごひ)▲土佐材木ハ畑(はた)といへる山中(さんちう)より伐出(きりいだ)す。〔四十四オ二〕

とあって、標記語「土佐材木」の語注記は、「土佐材木は、畑といへる山中より伐り出だす」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Zaimocu.ザイモク(材木) 木材.〔邦訳840l〕

とあって、意味は「木材」という。地名「土佐」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「土佐材木」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「とさ-ざいもく【土佐材木】」で、複合名詞でのこの語は未収載にする。

[ことばの実際]

2001年12月18日(火)晴れのち曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「淀鯉(よどのこい)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「與」部に、

(ヨド)。〔元亀本134一〕

(ヨト)。〔静嘉堂本140六〕〔天正十七年本中2ウ四〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。次に標記語「」については補遺「魚名」部に、

(コイ)。〔元亀本367五〕〔静嘉堂本446七〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

淀鯉」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

淀鯉」〔山田俊雄藏本〕

(ヨド)ノ(コイ)」〔経覺筆本〕

(ヨド)ノ(コイ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

(コイ) 使。〔氣形門64一〕

とあって、標記語「」の語の語注記は、「書の使ひ」という。次に、広本節用集』は、

淀河(ヨドガワ/チンカ)[去・平]山城。〔天地門314二〕

とあって、標記語を「淀河」とし、その語注記は「山城」という。次に「」の語は、

(コイ/リ)[上]書使。異名赤々。三十六鱗/筆談鯉旁脇一行――。〔氣形門659七〕

とあって、標記語を「」の語注記は、「書使」とし、これに「異名」語彙及び説明注記「赤々。三十六鱗/筆談鯉旁脇一行――」を増補する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「」は、

(ヨト)音殿/山城。〔・天地90四〕

(ヨド)。〔・天地87二〕〔・天地79二〕〔・天地94七〕

とあって、標記語「」の語注記は、弘治二年本に「音殿/山城」とする。そして、標記語「」は、

(コイ)書使義。〔・畜類187六〕

(コイ)書使。〔・畜類154一〕〔・畜類138三〕

とあって、標記語「」の語注記は、「書の使い」で『下學集』を継承する。そして、易林本節用集』には、

淀河(ヨドカハ)〔乾坤85三〕

とあって、標記語を「淀河」とし、語注記は未記載にする。標記語「」は、

(コイ)。〔氣形155一〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「淀鯉」のうち標記語「」は、

与渡ヨト俗用淀字。〔黒川本・國郡上97オ一〕

与淀津ヨトノツ。〔卷四・國郡374三〕

ヨトミ海―為銀是。同(ヨトミ)/澱或通用。〔卷四・地儀342五〕

とあって、標記語を三卷本は「与渡」とし、その語注記に「俗用淀字」とする。これに対し、十巻本は、「与淀津」で「よどのつ」と読み、「」を次に示している。また、地名ではなくして、河水の流れ状態を表現する語としてもこの「」の字を収載することが知られる。次に「」は、

()コヒ同/胡遘反。(リヨウ)同。同。同。(ツ井ン)同。。〔黒川本・動物下3オ六〕

コヒ已上同鯉魚 楊玄操音/崔禹音。為魚之主。〔卷七・動物116二〕

とあって、三卷本は、「」の七語の表記を示している。また、十巻本はこれに「鯉魚」を増補し、この他にも鯉の品種を示す数語を示している。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

271隠岐周防近江ミノ淀鯉 昔中天竺賎云述馬伽。即魚賣也。彼其時行王宮内裡參魚賣。此時商人奉。沈命終トス時、彼母參内-裡、魚、及度々彼国トシテント。先後契也。此故后恠給、彼母子細。母有語。后仰ケルハ__亊也。車百夜可通宣ケリ述馬加此由喜無限。然_間夜_通志_深百夜満時、后門出給ヘリ。雖商_人深沈眠、不知出御。后御慇ヘトモ覚。然彼験十二一ヲハ彼胸。其後驚此験見。餘リニ。燒時彼側護摩貴僧。以洒水之。此、燒内裡。然処述馬加曰、我必成火燃苦患悲亊无。然_間止燃火。誓火守護~。故契亊七月晦日夜也。次日軈火畢。雖然調‖-伏一切悪亊火誓願。[梵字バン]字種字也。水云者鯉(ヒレ)也。此鱗能水鱗也。去竜門時、百日干ヲ。鱗也。後シテ申也。[梵字バン]字水則鯉習也。始但魚云也。〔謙堂文庫藏二九左B〕

とあって、標記語「淀鯉」の語注記は、「昔、中天竺に賎しき有り、述馬伽と云ふ。即ち魚を賣るなり。彼、其の時王宮に行き内裡へ參りて魚を賣る。此の時、商人、后を見奉りて。恋に沈み命終とす時、彼の母、内-裡に參りて、魚を后に奉り、度々に及び彼の国の法として、人に契んと欲す。先に見コを見て後契るなり。此の故に后恠み給ひて、彼の母に子細を問ひ給へり。母有りの侭に語り奉る。后仰せけるは絲_安き亊なり。車を百夜通すべきと宣ひけり。述馬加此の由を聞いて喜び限り無し。然る間、夜を通し、志深く百夜満る時、后門に出でへり。然といへども、商_人深く眠り沈み、出御を知らず后御慇ろに目を覚し給へとも覚へず。然るに彼の験に翠し十二、一をば彼の胸に置き給へり。其の後に驚き、此の験を見奉る。餘りに戀に沈み、燃と成す。燒く時、彼の側に護摩を修し、貴僧あり。洒水をもってこれを消す。此の戀の煙りも燒へ上り、内裡を燒く。然る処に述馬加誓ひて曰く、我、必ず火を成し、燃やし苦患悲き亊喩へん方なし。然る間、燃火を止む火の守護~と成るをことを誓ふ。故に、契る亊七月晦日の夜なり。次の日軈て火と成りて畢ぬ。然りといへども、一切の悪亊火を調-伏し、誓願し給へり。[梵字バン]字は水の種の字なり。水と云ふは、鯉の鱗(ひれ)なり。此の鱗、能く水を持つ鱗なり。去れば鯉の竜門に上る時、百日これを干す鱗を干さずなり。後に準じて鯉と申すなり。[梵字バン]字、水則ち鯉の鱗と習ふなり。始めて但魚と云ふなり」と天竺の説話を引き説明する。古版『庭訓徃来註』では、

(ヨド)ノ(コイ)是又誰(タレ)モ知ナリ。簀(ス)ヲ連(ツラ)ネテ河(カハ)ニ立テ鯉(コイ)ヲ放(ハナ)ツ也。淀(ヨド)ノツナキ鯉(コイ)是也。タメスニセヨト云詞(コトハ)是也。人ノ科(トガ)ヲ免(マヌク)ニハアラネドモ時刻(シコク)ヲ遷(ウツ)スヲ云ナリ。〔下四オ二〕

とあって、この標記語「淀鯉」の語注記は、「是また誰も知るなり。簀を連ねて河に立て、鯉を放つなり。淀のつなぎ鯉是れなり。ためすにせよと云ふ詞是れなり。人の科を免くにはあらねども時刻を遷すを云ふなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(よど)(こひ)。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「淀鯉」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

淀鯉(よどごひ)_▲淀鯉ハ城州(やましろ)(よど)のわたりにて捕(と)る。〔二四ウ六〕

淀鯉(よどごひ)▲淀鯉ハ城州(やましろ)(よど)のわたりにて捕(と)る。〔四十四オ一〕

とあって、標記語「淀鯉」の語注記は、「淀鯉は、城州淀のわたりにて捕る」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Coi.コイ(鯉) 一種の川魚で,barbo〔コイ科に属する淡水魚〕に似たもの.⇒Qeguirino.〔邦訳142l〕

とあって、意味は「一種の川魚で,barbo〔コイ科に属する淡水魚〕に似たもの」という。地名「」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「淀鯉」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「よど-ごい【淀鯉】淀川で産する鯉。最も美味とされた」とあって、複合名詞でこの語を収載する。

[ことばの実際]

クセ「いまは梓弓。よし力なし重衡も。引かんとするにいづかたも。網を置きたる如くにて。遁れかねたる淀鯉の。生捕られつゝ有りて憂き。身をうろくづの其ままに。沈みは果てずして。名をこそ流せ川越の。重房が手に渡り心の外(ほか)の都入。《謡曲『千手』》

2001年12月17日(月)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「近江鮒(あふみのふな)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「阿」部に、

近江(アフミ)廿四―。〔元亀本260九〕

近江(アウミ) 廿四。〔静嘉堂本295五〕

とあって、標記語「近江」の語注記は静嘉堂本に「廿四(郡)」とする。また、「諸國郡之名・東山道」に、

近江十四郡。栗夲,甲賀,蒲生,神崎,犬上,愛智,坂田,井,伊毛,高島,志賀,野洲,善積。田数三万五千廿五町。〔元亀本113一上〕

近江十四郡。栗夲,甲賀,蒲生,神崎,愛智,坂田,浅井,犬上,伊毛,高嶋,志賀,野洲,善積。田数三万五千廿五町。〔静嘉堂本469七上〕

近江十四郡。栗本,甲賀,蒲生,神崎,愛智,犬上,坂田,浅井,伊毛,高嶋,志賀,野洲,善積。田数三萬五千廿五町。〔天正十七年本上71ウ二〕

近江十四郡。栗夲,甲賀,蒲生,神崎,愛智,犬上,坂田,浅井,伊毛,高嶋,志賀,野洲,善積。田数三万五千廿五町。〔西來寺本198一〕

とある。次に標記語「」については補遺「魚名」部に、

(フナ)。〔元亀本367四〕〔静嘉堂本446五〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

近江鮒」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

近江鮒」〔山田俊雄藏本〕

近江(アフミ)ノ(フナ)」〔経覺筆本〕

近江(アフミ)ノ(フナ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

(フナ)。〔氣形門64一〕

とあって、標記語「」の語の語注記は未記載にある。次に、広本節用集』は、

近江(アフミ/キンカウ)[上去・平]江州十二郡。水田三万三千四百五十町。滋賀(シカ),栗本(クリモト)府,甲賀(カウカ),野須(ヤス),蒲生(カマフ),神崎(カンザキ),愛智(アイチ),犬上(イヌカミ),坂田,浅井,伊香,高島又勢多,善積。〔天地門741二〕

標記語「近江」の語注記は、「江州十二郡。水田三万三千四百五十町。滋賀,栗本,甲賀,野須,蒲生,神崎,愛智,犬上,坂田,浅井,伊香,高島又勢多,善積」という。次に「」の語は、

(フナ)()。〔氣形門621三〕

とあって、標記語を「」と「」の二語で示し、その語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「近江」は、

近江(アフミ)江州十四郡。栗本(クリモト),甲賀(カウカ),蒲生(カマウ),神崎(カウサキ),犬上(イヌカミ),愛智(エチ),坂田(サカタ),浅井(アサイ),伊香(イカコ),高嶋(タカシマ),善積(ヨシヅミ),野洲(ヤス),志賀(シカ)。田数三万五千二十五町。〔・日本國六十余州名数・東山道290二〕

近江(アフミ)(ガウ)州十四。〔・日本國六十余州名数・東山道264二〕

近江 大江州/十三郡。滋賀(シカ),栗本(クリモト),野洲(ヤス),蒲生(カマフ),神崎(カンサキ),愛智(エチ),犬上(イヌカミ),坂田(サカ―),浅井(アサイ),伊香(イカコ),高島(タカシマ),甲賀(カウ―),善積(ヨシ―)。〔・日本國六十余州名数・東山道232九〕

とあって、標記語「近江」の語注記は、「江州十四郡。栗本(クリモト),甲賀(カウカ),蒲生(カマウ),神崎(カウサキ),犬上(イヌカミ),愛智(エチ),坂田(サカタ),浅井(アサイ),伊香(イカコ),高嶋(タカシマ),善積(ヨシヅミ),野洲(ヤス),志賀(シカ)。田数三万五千二十五町」とする弘治二年本が排列を除けば広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。そして、標記語「」は、

(フナ)。〔・畜類181一〕〔・畜類148一〕〔・畜類138三〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。そして、易林本節用集』には、

近江(――)(カウ)州/近(キン),大管十三郡, 四方三日半。山河田畠保彊(キヤウ)潤澤(ジユンタク)種得(ウ)千倍。鄰京春氣早。日本四番圀也。大上〃國也。滋賀(シガ)滋又作志,栗本(クリモト),野洲(ヤス),蒲生(カマフ),神崎(カンザキ),犬上(イヌカミ),坂田(サカダ),愛智(ヱチ)上下,淺井(アザ井),伊香(イカウ/イカコ)香又作甲,高島(タカシマ),甲賀(カフカ),善積(ヨシヅミ)上下。〔南瞻部州大日本國正統圖・東山道265三〕

とあって、標記語「近江」語注記は、「江州/近州,大管十三郡, 四方三日半。山河田畠保彊潤澤種得千倍を得。鄰京春氣早し。日本四番の圀なり。大上〃國なり。滋賀滋又作志,栗本,野洲,蒲生,神崎,犬上,坂田,愛智上下,淺井,伊香香又作甲,高島,甲賀,善積上下」という。標記語「」は、

(フナ)()。〔氣形149二〕

とあって、標記語「」と「」と二語を示し、その語注記は未記載にする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「近江鮒」のうち標記語「近江」は、

近江アフミ大東山。滋賀(シ―),栗本国府,甲賀,野洲(ヤス),蒲生,神崎,愛智(エ―),犬上(イヌカミ),坂田(サカ―),淺井,伊香(イカコ),高嶋,吉積(―ツミ)。〔黒川本・國郡下33ウ三〕

近江國管/大 東山、十二郡。郷九十四.滋賀シカ,栗本,甲賀カウカ,野洲ヤス,蒲生カマウ,神崎カンサキ,愛智エチ,犬上イヌカミ,坂田,淺井アサヒ,伊香イカフ,高嶋タカシマ。本田三万五千五百廿五丁。上一日、下半ヽ。〔卷八・國郡378六〕

とあって、標記語を三卷本近江」の語注記は、「大東山。滋賀,栗本国府,甲賀,野洲,蒲生,神崎,愛智,犬上,坂田,淺井,伊香,高嶋,吉積」とする。これに対し、十巻本は、「管/大 東山、十二郡。郷九十四.滋賀シカ,栗本,甲賀カウカ,野洲ヤス,蒲生カマウ,神崎カンサキ,愛智エチ,犬上イヌカミ,坂田,淺井アサヒ,伊香イカフ,高嶋タカシマ。本田三万五千五百廿五丁。上一日、下半ヽ」とあって語注記に若干の増補による異同(十巻本は「吉積」を欠く)が見られるが地名は同じである。次に「」は、

(フ) フナ同。同。同/云即。〔黒川本・動物中102オ三〕

フナ〓(魚+費)イ。鮒魚見本草。已上同。〔卷七・動物47二〕

とあって、三卷本は、「」の四語の表記を示している。また、十巻本はこれに「鮒魚」を増補し五語を示している。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

271隠岐周防近江ミノ淀鯉 《語注記略》。〔謙堂文庫藏二九左B〕

とあって、標記語「近江」の語注記は、未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

近江(アフミ)ノ(フナ)(ヲヽ)キガ故ニ名物ノ中ニ入タリ。〔下四オ二〕

とあって、この標記語「近江鮒」の語注記は、「多きが故に名物の中に入れたり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

近江(あふミ)(ふな)近江源五郎鮒とて名物也。〔二十九ウ二〕

とし、標記語「近江鮒」に対する語注記は、「源五郎鮒とて名物なり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

近江(あふミ)(ふな)__▲近江鮒ハ湖水(ミづうミ)にて捕(と)る今の源五郎鮒などの類(たくひ)にや。〔二四ウ六〕

近江(あふミ)(ふな)▲近江鮒ハ湖水(ミづうミ)にて捕(と)る今の源五郎鮒などの類(たぐひ)にや。〔四十四オ一〕

とあって、標記語「近江鮒」の語注記は、「近江鮒は、湖水にて捕る今の源五郎鮒などの類にや」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Funa.フナ(鮒) ある淡水魚.⇒Yamabuqi.〔邦訳276l〕

とあって、意味は「ある淡水魚」という。地名「近江」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「近江鮒」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「おうみ-ぶな【近江鮒】魚「げんごろうぶな(源五郎鮒)」の異名」とあって、複合名詞でこの語を収載する。

[ことばの実際]

めにちかく我をばおきてあふみふなかひへやりつといふはまことか《『仲文集』》

2001年12月16日(日)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)⇔ボロ市

「周防鯖(スワウのさば)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「須」部に、

周防(スハウ)。〔元亀本361一〕

周防(スワウ)六―。〔静嘉堂本439八〕

とあって、標記語「周防」の語注記は静嘉堂本に「四(郡)」とする。また、「諸國郡之名・山陽道」に、

周防六郡。大島,玖珂,能毛,都濃,吉敷,佐波。田数七千六百五十四町。〔元亀本111八上〕

周防六郡。大嶋,玖河,能毛,都濃,吉敷,佐波。田数七千六百五十四町。〔静嘉堂本469七上〕

周防六郡。大嶋,玖珂,能毛,都濃,吉敷,佐波。田数七千六百五十四町。〔天正十七年本上70オ五〕

周防六郡。大嶋(ヲヽシマ),玖珂(クカ),能毛,都濃,吉敷(ヨシフ),佐波(サワ)田数七千六百五十四町。〔西來寺本196一〕

とある。次に標記語「」については補遺「魚名」部に、

(サハ)。〔元亀本367八〕

(サバ)。〔静嘉堂本447二〕

とあって、語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

周防鯖」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

周防鯖」〔山田俊雄藏本〕

周防(スワウ)ノ(サバ)」〔経覺筆本〕

周防(スワウ)ノ(サバ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

(サバ)。〔氣形門64四〕

とあって、標記語「」の語の語注記は未記載にある。次に、広本節用集』は、

周防(スハウ/シユウ・アマネシ,フセク)[平・平]防州六郡。水田七千六百五十四町。大島, 玖珂(クカ),熊毛(クマケ),都濃(サノ),佐波,吉敷。〔天地門1121二〕

標記語「周防」の語注記は、「防州六郡。水田七千六百五十四町。大島, 玖珂,熊毛,都濃,佐波,吉敷」という。次に「」の語は、

(サバセイ)[平]。〔氣形門778六〕

とあって、その語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「周防」は、

周防(スワウ)(ボウ)州六郡。大島(ヲウシマ),玖珂(クカ),熊毛(クマケ),都濃(ノ),吉敷(ヨシキ),佐波(サハ)。田数七千六百五十四町。〔・日本國六十余州名数・山陽道294五〕

周防(スハウ)(バウ)州六。〔・日本國六十余州名数・山陽道264二〕

周防 上防州/六郡。大島, 玖賀(クカ),熊毛(クマケ),都濃(ツノ),佐波(―ハ),吉敷(ヨシキ)。〔・日本國六十余州名数・山陽道235二〕

とあって、標記語「周防」の語注記は、「防州六郡。大島,玖珂,熊毛,都濃,吉敷,佐波。田数七千六百五十四町隠州四郡」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。そして、標記語「」は、

(サバ)。〔・畜類211六〕〔・畜類176五〕

(サハ)。〔・畜類165四〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。そして、易林本節用集』には、

周防(――)周(シウ)州,上管六郡,東西三日。草(ミツ)鱗甲(リンカフ)ノ之類多。土産十倍他國。以(サバ)ヲ也。中上國也。大島(オホシマ),玖賀(クカ),熊手(クマデ/ケ)又毛,都濃(ツノ),佐波(サハ),吉敷(ヨシキ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・山陽道273二〕

とあって、標記語「周防」語注記は、「周州,上管六郡,東西三日。草鱗甲の類多し。土産他國に十倍す。鯖を以って名を施すなり。中上國なり。大島,玖賀,熊手又毛,都濃,佐波,吉敷」という。標記語「」は、

(サバ)。〔食服177五〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「周防鯖」のうち標記語「周防」は、

周防スハウ上山陽。大嶋,玖珂クカ,熊毛クマケ,都濃ツノ,佐波,吉敷ヨシキ。〔黒川本・國郡下114オ四〕

周防國管六 大嶋ヲホシマ,玖珂クカ,熊毛クマケ,都濃トノ,佐波サハ/府,吉敷ヨシキ。本田七千六百五十八丁。上十九日、下十日。〔卷十・國郡540二〕

とあって、標記語を三卷本周防」の語注記は、「上山陽。大嶋,玖珂,熊毛,都濃,佐波,吉敷」とする。これに対し、十巻本は、「管六 大嶋,玖珂,熊毛,都濃,佐波,吉敷。本田七千六百五十八丁。上十九日、下十日」とあって語注記に若干の増補による異同が見られるが地名は同じである。次に「」は、

(せイ) サハ〓(魚+番)同/又ヤせサハ。〔黒川本・動物下36ウ一〕

とあって、三卷本は、「鯖・〓(魚+番)・」の三語の表記を示している。また、十巻本はこの語を未収載にする

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

271隠岐周防近江ミノ淀鯉 《語注記省略》。〔謙堂文庫藏二九左B〕

とあって、標記語「周防」の語注記は、未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

周防(スワウ)ノ(サバ)是名物也。〔下四オ一〕

とあって、この標記語「周防鯖」の語注記は、「是れ名物なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

周防(すハう)(さば)周防。〔二十九ウ一〕

とし、標記語「周防鯖」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

周防(すハう)(さば)周防_。〔二四ウ二〕

周防(すハう)(さば)。〔四十三ウ二〕

とあって、標記語「周防鯖」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Saba.サバ(鯖) 鰊(にしん)のような或る魚.※原文はsauelha.〔邦訳544r〕

とあって、意味は「鰊(にしん)のような或る魚」という。地名「周防」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「周防」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「すおう-(の)-さば【周防鯖】」と複合名詞では、未収載にある。

[ことばの実際]

其ノ時ニ、天皇、「然レバコソ。此レハ、夢ノ告有レバ、只者ニハ非ザリケリ」ト信ジ給ヒテ、此ノ籬ヲ見給ヘバ、正シクノ入タリト見エツレドモ、花嚴経八十巻ニテ御マス。《『今昔物語集』卷第十二・於東大寺行花嚴會語第七》

2001年12月15日(土)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「隠岐鮑(ヲキのあわび)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「遠」部に、

隠岐(―キ)。隠州―岐。〔元亀本77四〕

隠岐(ヲキ)四。〔静嘉堂本94四〕

とあって、標記語「隠岐」の語注記は未記載にする。また、「諸國郡之名・山陰道」に、

隠岐四郡。周吉,穏地,知天,海部。田数六百三十四町。〔元亀本116十上〕

隠岐二郡。周吉,穏地,知天,海部。田数六百三十四町。〔静嘉堂本475七下〕

隠岐四郡。周吉,穏地,知天,海部。田数六百三十四町。〔天正十七年本上69ウ三〕

隠岐四郡。周吉,穏地,智天,海部。田数六百三十四町。〔西來寺本203五〕

次に標記語「」については補遺「魚名」部に、

(アワビ)。百夬明(同)。〔元亀本367六〕

(アワヒ)。石夬明(同)。〔静嘉堂本446八〕

とあって、標記語を「蚫」と「石[百]夬明」とに表記し、語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

隠岐鮑」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

隠岐鮑」〔山田俊雄藏本〕

隠岐(ヲキ)ノ(アワビ)」〔経覺筆本〕

隠岐(ヲキ)(アワヒ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

(アワビ)海貝(アワヒ)ト。或石決明。〔氣形門64五〕

とあって、標記語「」の語の語注記は、「或は海貝と成す。或は石決明と成す」というように別表記語について示すものである。次に、広本節用集』は、

隠岐(ヲキ/イン・カクル,チマタ)隠州四郡。水田六百二十四。智夫(チフリ),海部(アマベ),周吉(スキ),隠地(ヲチ)。〔天地門208四〕

標記語「隠岐」の語注記は、「隠州四郡。水田六百二十四。智夫,海部,周吉,隠地」という。次に「」の語は、

(アワビハウ)[平]。〔氣形門747六〕

とあって、その語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「隠岐」は、

隠岐(ヲキ)(イン)州四郡。周吉(スキ),穏地(ヲチ),知夫(チフ),海部(アマヘ)。田数六百三十四町。〔・日本國六十余州名数・山陰道293四〕

隠岐(ヲキ) 隠州四。〔・日本國六十余州名数・山陰道263八〕

隠岐(ヒツチウ) 下隠州/四郡。知夫(チフリ),海部(アマ), 周吉(スキ),穏地(ヲチ)。〔・日本國六十余州名数・山陰道234六〕

とあって、標記語「隠岐」の語注記は、「隠州四郡。周吉,穏地,知夫,海部。田数六百三十四町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。そして、標記語「」は、

イ(アハビ)石决明(同)。〔・畜類203八〕

(アハビ)石决明(アハビ)。〔・畜類169二〕

(アハビ)石决明()。〔・畜類158七〕

とあって、標記語「」の語注記は『下學集』、広本節用集』と同じく「鮑」として、これに別表記「石决明」を付帯する。そして、易林本節用集』には、

隠岐(――)(ヲン),下管四郡, 四方二日。五穀乏藻(サウミツ)多。以也。小下國也。知夫(チフリ),海部(アマベ),周吉(スキ),穏地(ヲチ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・北陸道269三〕

とあって、標記語「隠岐」語注記は、「(ヲン),下管四郡, 四方二日。五穀乏藻多。以鮑をもって名を称すなり。小下國なり。知夫,海部,周吉,穏地」という。標記語「」は、

石决明(アワビ)和名(同)。〔食服169四〕

とあって、標記語「石决明」を先に排列し、その語注記に「和名」という典拠を示す。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「隠岐鮑」のうち標記語「隠岐」は、

隠岐(无才守介以六従カ守)オキ下山陰。知夫(チフリ),海部(アマ),周吉(スキ),穏地(ヲ―)。〔黒川本・國郡中70オ八〕

隠岐管四。知夫,周吉,祖地,本田六百二十四丁上卅五日、下十八日。智父―チフリ,海部―,周吉―,穏地―(ウチ)。見延喜式。已相違云々。〔卷六國郡366二〕

とあって、標記語を三卷本隠岐」の語注記は、「下山陰。知夫,海部,周吉,穏地」とする。これに対し、十巻本は、「管四。知夫,周吉,祖地,本田六百二十四丁上卅五日、下十八日。智父―,海部―,周吉―,穏地―。延喜式に見ゆ。已に相違す云々」とあって語注記の排列に異同は見えるが地名は同じである。次に「」は、

(ハウ) アハヒ(フク/ハク)同/蒲角反石决明(アワビ)和同食之心自恥心/了亦附石生故/似名之。〔黒川本・動物下23オ五〕

アハヒ俗同。崔禹食經云石决明食之/心日聡了亦附石生故以名之。石决明食之心日聽可亦附石生故以名之〔卷第七・動物283一〕

とあって、その排列と語注記は、十巻本が増補するという形式で異なりを示す。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

271隠岐周防近江ミノ淀鯉 《語注記省略》〔謙堂文庫藏二九左B〕

とあって、標記語「隠岐」の語注記は、未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

隠岐(ヲキ)ノ(アワヒ)此国ノ名物ナリ。〔下四オ一〕

とあって、この標記語「隠岐鮑」の語注記は、「此の国の名物なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

隠岐(をき)(あわひ)隠岐。〔二十九ウ一〕

とし、標記語「隠岐鮑」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

隠岐(をき)(あはび)隠岐。〔二四ウ二〕

隠岐(おき)(あハ)。〔四十三ウ二〕

とあって、標記語「隠岐鮑」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Auabi.l,vo<bi.アワビ,または,ワゥビ(鮑・石决明) 鮑,§Cuxi auabi.(串鮑)串刺にした干し鮑.§Xiuo auabi.(塩鮑)塩漬にした鮑. ※原文はLapas. 〔邦訳38r〕

†Auobi.アヲビ(鮑) 鮑,貝類.下(X,)の語.※原文はLapas.⇒Auabi.〔邦訳39r〕

‡Vo<bi.ワゥビ(鮑) ⇒Auabi.〔邦訳696l〕

とあって、意味は「干した魚」という。地名「隠岐」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「隠岐」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「おき-あわび【隠岐鰒】隠岐島で採れるアワビ。古来から上品とされ貢ぎ物に用いられた」として複合名詞で収載する。

[ことばの実際]

五位。米二升。酒一升。東鰒。隠岐鰒。烏賊各二両。《『延喜式』五・神祇》

2001年12月14日(金)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)⇔原宿

「越後塩引(エチゴのしほびき)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「衞」部に、

越後(エチゴ)七―。〔元亀本337二〕

越後(――)七―。〔静嘉堂本403二〕

とあって、標記語「越後」の語注記は未記載にする。また、「諸國郡之名・北陸道」に、

越後七郡。古志,三島,盤松,蒲原,沼垂,鎮城,魚沼。田数二万三千七百卅八町。〔元亀本115八下〕

越後七郡。古志,三嶋,盤松,蒲原,沼垂,鎮城,魚沼。田數二万三千七百卅八町。〔静嘉堂本474五下〕

越後七郡。古志,三嶋,盤松,蒲原,沼垂,鎮城,魚沼。田数二萬三千七百卅八町。〔天正十七年本上69ウ三〕

越後七郡。志古,三嶋,盤松,蒲原,沼垂,鎮城,魚沼。田数二万三千七百卅八町。〔西來寺本202一〕

次に標記語「塩引」については、

塩引(―ビキ)。〔元亀本315五〕〔静嘉堂本370三〕

とあって、語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

塩引」〔至徳三年本〕 「越後塩引」〔建部傳内本〕

-後塩_」〔山田俊雄藏本〕

越後塩引」〔経覺筆本〕

(エツチウ)ノ塩引(シヲヒキ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「越後塩引」の語を未收載にする。次に、広本節用集』は、

越後(エチゴ)越州七郡。水田二万三千七三十八町。頸城(クビキ)府,古志(コシ),三島(ミシマ),魚沼(イヲヌ),蒲原(カムハラ),沼垂(ヌタリ),石舩(イワ―)。〔天地門698三〕

標記語「越後」の語注記は、「越州七郡。水田二万三千七三十八町。頸城,古志,三島,魚沼,蒲原,沼垂,石舩」という。次に「塩引」の語は、

塩引(シホビキヱンイン)[平・去]干鮭(ホシサケ)。〔氣形門922六〕

とあって、その語注記は、「干鮭」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「越後」は、

越後(エチゴ)(ヱツ)州七郡。古志(コシ),三島(ミシマ),磐舩(イワフネ),蒲原(カンバラ),沼垂(ヌタリ),頸城(クビキ),魚沼(イヲヌマ)。田数二万三千七百卅八町。〔・日本國六十余州名数・北陸道292二〕

越後(エチゴ)(エツ)州八。〔・日本國六十余州名数・北陸道263五〕

越後(ヒツチウ) 上越州/七郡。頸城(クビキ),古志,三島,魚沼(イヌマ),蒲原(カン―),沼垂(ノタリ)。石舩(イハ―)。〔・日本國六十余州名数・北陸道233九〕

とあって、標記語「越後」の語注記は、「越州七郡。古志,三島,磐舩,蒲原,沼垂,頸城,魚沼。田数二万三千七百卅八町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。そして、標記語「塩引」は、

塩引(シホヒキ)干鮭。〔・畜類241三〕

塩引(シホビキ) 干鮭/一尺。〔・財宝201九〕

塩引(シヲビキ) 干鮭。〔・畜類191四〕

とあって、標記語「塩引」の語注記は広本節用集』と同じく「干鮭」という。そして、易林本節用集』には、

越後(――)(エツ),管七郡, 四方六日。山當北海。五穀不熟桑麻多。大〃上圀なり。頸城(クビキ)又曰伊保野,古志(コシ),三島(ミシマ),魚治(イヲヂ)又沼,蒲原(カンバラ),沼垂(ヌタリ),磐船(イハフネ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・北陸道269三〕

とあって、標記語「越後」語注記は、「(エツ),管七郡, 四方六日。山當北海。五穀不熟桑麻多。大〃上圀なり。頸城又曰伊保野,古志,三島,魚治(又沼),蒲原,沼垂,磐船」という。標記語「塩引」は、

塩引(シホビキ)。〔食服208七〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「越後塩引」のうち標記語「越後」は、

越後ヱツコ上北陸。頸城(クヒキ),古志,三嶋,蒲原(カハラ),沼垂(ヌタリ),石舩(イハ―),魚沼(イホノ)。〔黒川本・國郡下86オ六〕

越後管七。頸城クヒキ/府,古志コシ,三嶋ミシマ,魚沼(イヲヌ),蒲原(カムハラ),沼垂(ヌタリ),石舩(イシフネ)。本田二万三千七百三十八丁上廿四日、下十七日。〔卷十312三〕

とあって、標記語を三卷本越後」の語注記は、「上北陸。頸城,古志,三嶋,蒲原,沼垂,石舩,魚沼」とする。これに対し、十巻本は、「管七。頸城,古志,三嶋,魚沼,蒲原,沼垂,石舩。本田二万三千七百三十八丁上廿四日、下十七日」とあって語注記の排列に異同は見えるが地名は同じである。次に「塩引」は、未収載にする。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

270越後塩引 鮭引也。〔謙堂文庫藏二九左B〕

とあって、標記語「越後塩引」の語注記は、「鮭の魚に塩を引くなり」という。古版『庭訓徃来註』では、

越後(エチゴ)ノ塩引(シホビキ)ニアマタアリ。先鮭(サケ)ノ鹽引(シホヒキ)(カ)。北国ニハサケ多(ヲヽ)シ。取分(トリワケ)越後(エチゴ)ハ。サケノ本(ホ)ン所ナリ。〔下三ウ八〕

とあって、この標記語「越後塩引」の語注記は、「あまたあり。先づ鮭の鹽引か。北国には、さけ多し。取分け、越後は。さけの本ん所なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

越後(ゑちご)塩引(しほひき)越後塩引塩鮭なり。〔二十九ウ一〕

とし、標記語「越後塩引」に対する語注記は、「塩鮭なり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

越後(ゑちご)塩引(しほびき)越後塩引▲越後塩引ハ塩鮭をいふ。〔二四ウ五〕

越後(ゑちご)ノ塩引(しほびき)▲越後塩引ハ塩鮭(しほさけ)をいふ。〔四十三ウ六〕

とあって、標記語「越後塩引」の語注記は、「越後塩引は、塩鮭をいふ」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Xiuobiqi.シホビキ(塩引) 干した魚.§また,上(Cami)ではSaque(鮭)と呼ばれる魚を干したのを言う.〔邦訳784r〕

とあって、意味は「干した魚」という。地名「越後」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「越後塩引」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「えちご-(の)-しおびき【越後塩引】」とする複合名詞は未収載にしている。

[ことばの実際]

塩引ノ鮭ノ塩辛氣ナル、亦切テ盛タリ。《『今昔物語集』卷第廿八・越前守為盛六衛府官人語第五》

2001年12月13日(木)曇りのち雨。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「備中鐵(ビッチュウのくろがね)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「飛」部に、

備中(―ヂウ)九―。〔元亀本340六〕

備中(――)。〔静嘉堂本407八〕

とあって、標記語「備中」の語注記は未記載にする。また、「諸國郡之名・山陽道」に、

備中九郡。窪谷,下道,小田,浅口,賀夜,後月,折口田,英田,都宇。田数一万八千三町。〔元亀本111二下〕

備中九郡。窪屋,下道,小田,浅口,賀夜,後月,哲田,莫田,都宇。田数一万八千三町。〔静嘉堂本469一下〕

備中九郡。,下道,小田,浅口,賀夜,後月,哲田,英田,都宇。田数一万八千三町。〔天正十七年本上69ウ三〕

備中九郡。,下道,小田,浅口,賀夜,後月,哲田,英田,都宇。田数一万三千三町。〔西來寺本194六〕

次に標記語「」については、未収載にある。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

備中」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

-」〔山田俊雄藏本〕

備中(クロガネ)」〔経覺筆本〕

備中(ビツチウ)ノ(クロカネ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

(クロガネ)鐵鉄皆同字也。〔器財門104一〕

とあって、標記語「備中謫」のうち、「」の語を收載し、その語注記には、「鐵・鉄皆な同じ字なり」という。次に、広本節用集』は、

備中(ビツチウ・アタル/ソナウ,ナカ)備州九郡。水田万八百八十三町。都宇(ツウ),窪屋(クボヤ),賀陽(カヤ)府又―夜,下道(シモツミチ),淺口(アサクチ),小田(―タ),後月(シツキ),哲多(テ―),英賀(アカ)。〔天地門1026三〕

標記語「備中」の語注記は、「備州九郡。水田万八百八十三町。都宇,窪屋,賀陽府又―夜,下道,淺口,小田,後月,哲多,英賀」という。次に「」の語は、

(クロガネテツ)[入]銕・・鉄・同。〔器財門505二〕

とあって、その語注記は、「銕・・鉄・皆同じ」という用字表記について説明している。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「備中」は、

備中(ビチウ)備州九郡。窪屋(クホヤ),下道(シモツミチ),小田(ヲダ),淺口(アサクチ), 賀陽(カヤ),後月(シヅキ),哲多,英賀,都宇(ツウ)。田数一万八千三町。〔・日本國六十余州名数・山陽道294二〕

備中(ヒツチウ)備州九〔・日本國六十余州名数・山陽道264一〕

備中(ヒツチウ) 上備州/九郡。都宇(ツウ),窪屋(クボヤ),賀夜,下道(シモツミチ),淺口,英賀(アカ)。小田,後月(シツキ),哲多(チクタ/テツタ)。〔・日本國六十余州名数・山陽道234九〕

とあって、標記語「備中」の語注記は、「備州九郡。窪屋,下道,小田,淺口,賀陽,後月,哲多,英賀,都宇。田数一万八千三町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。そして、標記語「」は、

(クロガネ)鐵銕鉄同。〔・財宝159二〕

(クロガネ) 鉄。〔・財宝130六〕

(クロカネ)鉄。〔・財宝119七〕

(クロカネ)・財宝145四〕

とあって、「くろがね」の標記語が諸本にそれぞれ異同が見えている。そして、易林本節用集』には、

備中(――)(ビ),管九郡, 東西三日半。利刀耘犁多。五穀(コク)藻布充滿(ジウマン)シテ而日(アク)美食(ビ―)ニ。大〃上國也。都宇(ツウ),窪屋(クボヤ),賀屋(カヤ)府,下道(シモミチ),淺口(アザクチ),小田(ヲタ)東西,後月(シヅキ),哲多(テタ),英賀(ハカ)上下,三郎島(サブラウジマ),寄島(ヨセジマ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・東山道267一〕

とあって、標記語「備中」語注記は、「(ビ),管九郡, 東西三日半。利刀耘犁多し。五穀・藻布充滿して日に美食に飽く。大〃上國なり。都宇,窪屋,賀屋,下道,淺口,小田東西,後月,哲多,英賀上下,三郎島,寄島」という。標記語「」は、

(クロカネ)銕同。〔器財132五〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「備中鐵」のうち標記語「備中」は、

備中上山陽。都宇(トウ),窪屋(クホヤ),賀夜(―ヤ),下道,淺口,小田,後月(シ―),哲多(テイ),英賀(アカ)。〔黒川本・國郡下95オ五〕

備中管八。都宇トウ,窪屋クホヤ,賀夜カヤ,下道シモツミチ,淺口アサクチ,小田ヲタ,後月シツキ,哲多テタ/テイタ,英賀アタ。本田七千四百八十一丁上九日下五日。〔卷十388六〕

とあって、標記語を三卷本備中」の語注記は、「上山陽。都宇,窪屋,賀夜,下道,淺口,小田,後月,哲多,英賀」とする。これに対し、十巻本は、「管八。都宇,窪屋,賀夜,下道,淺口,小田,後月,哲多,英賀。本田七千四百八十一丁上九日下五日」とあって語注記の排列に異同は見えるが地名は同じである。次に「」は、

クロカネ。黒金也/他結反/ヌシネリ同/云粛。同。〔黒川本・雑物中75ウ五〕

クロカネ。已上同。〔卷六・雜物413六〕

とあって、十巻本の方で、この語の注記内容を削減している。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

269備中 鉄在所石見国也。備中ニハ鍛治也。科註曰、鉄木トテ二字トモニ栗也。即栗精也。故石見国栗木分知也。〔謙堂文庫藏二九左A〕

とあって、標記語「備中鐵」の語注記は、「鉄の在所は石見の国なり。備中には鍛治あるなり。『科註』に曰く、鉄木とて二字ともに栗なり。即ち栗は鉄の精なり。故に石見の国に鉄を堀るに栗木をもって鉄の道を分け知るなり」という古版『庭訓徃来註』では、

備中(ビツ―)ノ(クロガネ)トハ備中ノ国細谷川(ホソタニカハ)ト云処ニ。涌(ワキ)始ツル也。有木ノ別所。吉備(キヒ)ノ中山トテ。備前(ヒ―)備中ノサカイ也。其後(ノチ)出雲國ニモアリ。幡磨(ハリマ)ノ国最栗(サイリツ)ノ郡(コホリ)ト云ニモアリ。然レ共備中ノ國ハ鐵(シホヒキ)ノ本処ナリ。去程(サルホト)ニ古歌ニモ。真金(マカネ)(フク)吉備(キビ)ノ中山カスムラン。留(トヽムル)(クモヽ)モ春(ハル)トシモナシトナリ。是ハ鐵(クロガ)子ノ事ナリ。〔下三ウ六〕

とあって、この標記語「備中鐵」の語注記は、「備中の国細谷川と云ふ処に。涌き始めつるなり。有木の別所。吉備の中山とて、備前・備中のさかいなり。其後、出雲國にもあり。幡磨の国、最栗の郡と云ふにもあり。然れ共備中の國は、鐵の本処なり。去程に古歌にも、√真金吹く吉備の中山かすむらん。留むる雲も春としもなし となり。是れは鐵ねの事なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

備中(ひつちう)(くろかね)備中ほそ谷川といふ所より出る也。〔二十九オ八〕

とし、標記語「備中鐵」に対する語注記は、「ほそ谷川といふ所より出るなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

備中(びつちう)(くろがね)備中▲備中鉄ハ細谷川(ほそたにがハ)といふ所より始(はじめ)て出せしとぞ。〔二四ウ五〕

備中(びつちう)ノ(くろかね)▲備中鉄ハ細谷川(ほそたにがハ)といふ所より始(はじめ)て出せしとぞ。〔四十三ウ六〕

とあって、標記語「備中鐵」の語注記は、「備中鉄は、細谷川といふ所より始めて出せしとぞ」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Curogane.クロガネ(鉄) 鉄.〔邦訳171l〕

とあって、意味は「鉄」という。地名「備中」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「備中」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「びっちゅう-(の)-くろがね【備中鉄】」とする複合名詞は未収載にしている。

[ことばの実際]

楚王是(コレ)ヲ怪シトシ玉ハズ、「如何樣(イカサマ)(コレ)金鐵ノ精靈(セイレイ)ナルベシ。」トテ、干將(カンシヤウ)ト云(イヒ)ケル鍛冶(カジ)ヲ被召、此(コノ)(クロガネ)ニテ寶劒(ハウケン)ヲ作(ツクツ)テ進(マヰラ)スベキ由ヲ被仰。《『太平記』卷第十三・兵部卿宮薨御事干將莫耶事》

2001年12月12日(水)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「奥州金(アフシウのこがね)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「和」部に、

奥州(ワウセウ)。〔元亀本88四〕

奥州(ワウ―)。〔静嘉堂本109一〕

奥州(――)。〔天正十七年本上54オ一〕

とあって、標記語「奥州」の読みを「ワウセウ」とし、語注記は未記載にする。次に標記語「」については、「古」部に、

(コカネ)。〔元亀本241六〕〔天正十七年本中68オ五〕

(コガネ)。〔静嘉堂本278六〕

とあって、標記語「」として、読みを「こがね」とする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

奥州金」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

-州金」〔山田俊雄藏本〕

奥州金(コガネ)」〔経覺筆本〕

奥州(アウシウ)ノ(コカネ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「奥州金」のうち、「金」の語も未收載とする。次に、広本節用集』は、標記語「奥州」は未収載にあり、注記語としては、標記語「千賀塩竈(チカノシホガマ)」の語注記に「奥(アウ)州」とあるにすぎない。次に「」の語は、

(コガネ/キン)財貨源云、流金銀銅鉄鉛(ヱン)(シヤク)之総名也。惟(タヽ)ナル者獨(タリ)(カ)(ウツマレ)テ不為之生(コケ)ヲ、百錬スレトモ軽。於フニ(アラタムル/カク)ニ。西方之行。獨以之。彼銀白金。次之銅。金又次之。鉄黒金。鉛青金。錫亦白金鑞(ラフ)也。又次之。釋名曰、金紫也。為進退之禁也。金名天-成地ヨリ生、商聲易義混天曰、金山海中及益州西域。又出於華山也。〔器財門662三〕

とあって、その語注記は、「『財貨源』に云く、流る金は、金・銀・銅・鉄・鉛錫の総名なり。ただ黄なるは獨りこれが長と為したり。久く蛛れてこれが為に衣を生ぜず、百錬すれども軽からず。革むるに従ふにおいて違はず。西方の行。獨り金をもってこれを名づく。彼の銀は白金。これに次ぐは銅。金またこれに次ぐ。鉄は黒金。鉛は青金。錫もまた白金鑞なり。また、これに次ぐ。『釋名』に曰く、金は紫なり。進退の禁と為すなり。金の名は天-成地より生ず、『商聲易義混天』に曰く、金は山海の中及び益州西域に出づ。また、華山において出づるなり」と本邦古辞書のなかでもっとも詳しい注記となっている。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「奥州」は未収載にあり、「日本國六十余州名数・東山道」の「陸奥」の語注記に「奥州(ワウ)五十四郡」として見えるのである。そして、標記語「」は、

(コガネ)。〔・財宝188二〕

とあって、弘治二年本にその収載が確認できる。そして、易林本節用集』には、

陸奥(――)(アウ),大管五十四郡, 東西六十日。昔與(ト)出羽一國。市城宮室不(アゲ)テ。仙窟已共鳥怪獸充繞。以ユル。大〃上〃圀也。白川(シラカハ),黒河(クロカハ),磐瀬(イハセ),宮城(ミヤギ)府,會津(アヒツ),那麻(ナマ),小田(ヲダ),安積(アサカ),安達(アダチ),柴田(シバタ),刈田(カリタ),遠田(トホダ),名取(ナトリ),信夫(シノブ),菊多(キクタ)又田,標葉(シバネ),阿曾沼(アソヌマ),行方(ナメガタ),磐手(イハデ/井)又井,和賀(ワカ),河内(カハチ),稗継(ヒエツギ),高野(タカノ),曰理(ワタリ)又利,玉造(タマツクリ),犬名門(イヌナト),賀美(カミ),志多(シダ)又太,栗原(クリハラ),江判(エハン)又刺,江差(エサ),瞻澤(ミザハ),長岡(ナガヲカ),登米(トヨネ),桃生(モヽハウ/モハラ),牡鹿(オシカ),郡載(グンギ),鹿角(カトノ),階上(ハシカミ),津輕(ツガル),宇多(ウダ),伊具(イグ),本吉(モトヨシ),石川(イシカハ),大治(タイヂ),色摩(シカマ),稲我(イナガ),斯波(シハ),磐前(イハサキ),金原(キンバラ),葛田(カツタ)葛又作〓,伊達(ダツテ),杜鹿(ツカ),閉伊(ヘイ),気仙(ケセン/キ―)。 [易]54郡と記すが、55郡を記載する。〔南瞻部州大日本國正統圖・東山道267一〕

とあって、標記語「奥州」の語は未収載にあり、標記語「陸奥」の語注記のなかにあって、「(アウ),大管五十四郡,東西六十日。昔出羽と一國。市城宮に室、勝げて計ふべからず。仙窟已共鳥怪獸充繞。漆をもって貢に備ゆる。大〃上〃圀なり。白川,黒河,磐瀬,宮城,會津,那麻,小田,安積,安達,柴田,刈田,遠田,名取,信夫,菊多又田,標葉,阿曾沼,行方,磐手又井,和賀,河内,稗継,高野,曰理又利,玉造,犬名門,賀美,志多又太,栗原,江判又刺,江差,瞻澤,長岡,登米,桃生,牡鹿,郡載,鹿角,階上,津輕,宇多,伊具,本吉,石川,大治,色摩,稲我,斯波,磐前,金原,葛田葛又作〓,伊達,杜鹿,閉伊,気仙」という。標記語「」は、

(コガネ/キン)。〔器財158四〕金銀(キンギン)。〔器財188七〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「奥州金」のうち標記語「」は、

(コン)失聲俗/コカネ/居吟反擲也。〔黒川本動物・下6オ二〕

コカネ扶桑畧曰、聖武天皇廿一年巳丑正月四日/黄金曰盪、陸奥國守従五位上百済王敬福進小田郡所出/黄金九百兩本朝始出黄金時也。仍敬福授従三位之。〔卷七・雜物136五〕

とある。[補遺]「百済王敬福」「金氏」「黄金山産金遺跡

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

268奥州 仁王四十六代孝謙天皇時、天平宝勝七年乙未自奥州始金上洛也。天竺無熱長在二千由旬、名閻浮樹|。菓熟入海中|。其汁凝、觸石ニ則其石皆爲也。〔謙堂文庫藏二九右H〕

奥州金―只今佐度金山金ヲヽシ。〔静嘉堂文庫藏『庭訓往来抄』古写書き込み〕

とあって、標記語「奥州金」の語注記は、「仁王四十六代、孝謙天皇の時、天平宝勝七年乙未、奥州より始めて「」上洛するなり。天竺の「」は無熱の邊に長じ、二千由旬の樹に在り、閻浮樹と名づく菓熟して海中に入る其の汁凝りて「」と為る、石に觸れて則ち其の石、皆「」と為るなり」とあって、本朝の「金」と次に天竺の「金」の説明を注記する。古版『庭訓徃来註』では、

奥州金(ワウシユウノコガネ)(ムツ)ノ國(クニ)ニ岩狭郡(イハサコウリ)信夫(シノフ)ノ庄ニ掘(ホル)ナリ。〔下三ウ三〕

とあって、この標記語「奥州金」の語注記は、「陸奥の國に岩狭郡信夫の庄に掘るなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

奥州(おうしう)(こかね)奥州いわきの郡しのふ乃庄より出。〔二十九オ七〕

とし、標記語「奥州金」に対する語注記は、「いわきの郡、しのぶ乃庄より出づ」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

奥州金(かひこま)奥州金▲奥州金ハ岩狭郡(いはさごほり)信夫(しのぶ)(しやう)より出づ。昔(むかし)孝徳天皇(かうとくてんわう)の御宇(ぎよう)(はじめ)てこれを奉る。〔二四ウ五〕

奥州金(かひこま)▲奥州金ハ岩狭郡(いはさごほり)信夫(しのぶ)(しやう)より出づ。昔(むかし)孝徳天皇(かうとくてんわう)の御宇(ぎよう)(はじめ)てこれを奉る。〔四十三ウ五〕

とあって、標記語「奥州金」の語注記は、「奥州金は、岩狭郡信夫庄より出づ。昔、孝徳天皇の御宇、始てこれを奉る」という。

 当代の『日葡辞書』には、「Qin.キン(金)」〔邦訳497l〕とあることは、卯月五日の状で触れているのでここでは省略する。地名「奥州」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「奥州」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版にあって、見出し語を「おうしゅう-こがね【奥州金】」とする複合名詞は未収載にしている。

[ことばの実際]

2001年12月11日(火)晴れ。東京(八王子)⇒上野(国立博物館)

「甲斐駒(カイこま)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「賀」部に、

甲斐(カイ)。甲州(カウセウ)。〔元亀本98三〕

甲斐(カイ)。甲州(カウ―)。〔静嘉堂本123一〕

甲斐(――)甲州〔天正十七年本上60ウ二〕

とあって、標記語「甲斐」の語注記は、未記載にする。また、「諸國郡之名・東海道」に、

甲斐四郡。山梨(ナシ),奴白(ヤツシロ),巨摩(コマ),都留。田数一万四千三町。〔元亀本109六下〕

甲斐四郡。山梨,奴白,巨摩,都留。田数一万四千三町。〔静嘉堂本467四上〕

甲斐四郡。山梨,奴白,巨摩,都留。田数一萬四千三町。〔天正十七年本上68オ三〕

甲斐四郡。山梨,奴白,巨摩,都留(ツル)田数一万四千三町。〔西來寺本192五〕

とある。標記語「」については、補遺部「獸名」に、

胡馬(コマ)。(コマ)。〔元亀本・獸名371八〕

胡馬(コマ)。()。〔静嘉堂本・獸名451五〕

とあって、標記語「胡馬」と「」とにして、読みを「コマ」とする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

甲斐駒」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(カイ)ノ(コマ)」〔山田俊雄藏本〕

甲斐駒(カイコマ)」〔経覺筆本〕

-(カイ)(コマ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「甲斐駒」のうち、「駒」の語も未收載にある。次に、広本節用集』は、

甲斐(カイカウヒ)[去・上] 甲州四郡,水田万四十三町。山梨(ヤマナシ),八代(ヤツシロ)府,巨麻(コマ),都留(ツル),又留作田。〔天地門251三〕

とあって、標記語「甲斐」としその語注記において、「甲州四郡,水田万四十三町。山梨,八代,巨麻,都留。又留田に作る」という。次に「」の語は、

(コマ/)。〔氣形門659七〕

とあって、その語注記は、未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

甲斐(カイ)甲(カウ)州四郡,山梨(ヤマナシ),八代(ヤツシロ),巨摩(コマ),都留(ツル)。田数一万四千三町。〔・日本國六十余州名数・東海道289一〕

甲斐(カイ) 甲(カウ)州四。〔・日本國六十余州名數・東海道262七〕

甲斐(――)上甲州。山梨(ヤマナシ),八代(ヤツシロ)/四郡/巨摩(コマ),都留(ツル)。〔・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・東海道232二〕

とあって、標記語「甲斐」の語注記は「甲州四郡,山梨,八代,巨摩,都留。田数一万四千三町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「」は、

(コマ)。〔・畜類187五〕

(コマ)又/―鳥。〔・畜類154一〕

(コマ)鳥。〔・畜類144一〕

とあって、その収載が確認できる。そして、易林本節用集』には、

甲斐(――)(カウ)/州,上管四郡,南北二日餘。田淺畠深四方寒シテ陽氣。草木滋(シケク)シテ牛馬夥(オホシ)。中〃国也。山梨(ヤマナシ),山代(―シロ)府,八代(ヤツシロ)城,巨麻(コマ),都留(ツル)。〔南瞻部州大日本國正統圖・東海道263一〕

とあって、標記語「甲斐」の語注記は、「甲州,上管四郡,南北二日餘。田淺く畠深く四方寒くして陽氣なし。草木滋くして牛馬夥し。中〃国なり。山梨,山代,八代,巨麻,都留」という。標記語「」は、

(コマ)。〔氣形155一〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「甲斐駒」の語は、

甲斐カヒ 中 東海 山梨(ナシ)/田万四十三丁、上廿三日下十三日/八代(ヤツ―)府,巨麻,都田。〔黒川本・國郡上91オ一〕

甲斐國管四 。山梨ヤマナシ,八代ヤツシロ/府,巨麻コマ,都留ツル。本田一万四十三丁上廿五日/下十三日。〔卷四・國郡331一〕

とあって、標記語を三卷本は、「中 東海 山梨(ナシ)/田万四十三丁、上廿三日下十三日/八代(ヤツ―)府,巨麻,都田」とする。これに対し、十巻本は、「管十 意宇,能美,嶋根,秋鹿,楯縫,甲斐,~門,石,仁多,大原。本田九千四百三十五丁八反八十五歩上十五日/下九日」とある。標記語「」は、

コマ/挙朱反。〔黒川本動物・下3オ三〕

コマ。〔卷七・動物115六〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

266伊与簾讃岐圓座同壇紙(――ジ)播摩椙原備前刀出雲鍬甲斐駒 一條K献ス。故尓。駒トハ四歳マテヲ云也。〔謙堂文庫藏二九右E〕

・アフサカノせキノイワカトフミナラシヤマタケイツルキリ原ノ駒
・アウサカノセキノシミツニカゲミヘテイマヤヒクランモチツキノ駒マ〔静嘉堂文庫蔵『庭訓徃來抄』古写冠頭書込み〕

とあって、標記語「甲斐駒」の語注記は、「一條の院にKの駒を献ず。故に尓云ふ。駒とは四歳までを云ふなり」という。古版『庭訓徃来註』では、

甲斐駒(カヒノコマ)聖徳太子ノ召(メス)(コマ)カ井ノ國ヨリ出タリ。則甲斐ノ黒駒(クロコマ)トテ四ノ爪(ツメ)白シ。神通(ジンツウタ)ト名ヅケ給テ守屋(モリヤ)退治(タイチ)ノ御時モ。召(メシ)ツル由(ヨシ)申傳ヘ侍(ハンヘリ)キ。此コマ出タルニ依テ。今モ吉(ヨキ)(コマ)ハカ井ノ国ニアリ。〔下三ウ三〕

とあって、この標記語「甲斐駒」の語注記は、「聖徳太子の召す駒、かゐの國より出たり。則ち甲斐の黒駒とて、四の爪白し。神通と名づけ給ひて守屋退治の御時も。召しつる由申し傳へ侍りき。此のこま出たるに依りて。今も吉き駒はかゐの国にあり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

甲斐駒(カヒコマ)甲斐。〔二十九オ七〕

とし、標記語「甲斐駒」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

甲斐(かひ)(こま)甲斐▲甲斐駒ハ此國(くに)よき駒(こま)を産(さん)す。聖徳太子(しやうとくたいし)の召(めさ)れたる神通(じんづうだ)も此地(ち)より出たる也。〔二四ウ四〕

甲斐駒(かひのこま)▲甲斐駒ハ此國(くに)よき駒(こま)を産(さん)す。聖徳太子(しやうとくたいし)の召(めさ)れたる神通(じんづうだ)も此地(ち)より出たる也。〔四十三ウ四〕

とあって、標記語「甲斐駒」の語注記は、「甲斐の駒は、此の國よき駒を産す。聖徳太子の召れたる神通も此の地より出たるなり」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Coma.コマ(駒) 馬.§Comauo fayamuru.(駒を早むる)馬に乗っていて,両脚をぐっと締めつける.§Comauo faxirasuru.(駒を走らする)馬を走らせる.§Comauo fissobamuru.(駒を引つ側むる)馬を一方へ遠ざける.§また, Coma(駒)すなわち,xo<guino vma.(將棊の馬)將棊の駒,馬.⇒Fimano〜;Suye,yuru.〔邦訳144l〕

とあって、標記語「駒」の語を収載し、意味はただ「駒」という。地名「甲斐」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「甲斐駒」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「かい-こま【甲斐駒】甲斐国(山梨県)から産した駿馬」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの実際]

扶桑略記』『水鏡』『聖徳太子伝暦』など

2001年12月10日(月)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「出雲鍬(いづもぐは)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「伊」部に、

出雲(イヅモ)。〔元亀本14一〕

出雲(――) 四―。〔静嘉堂本6八〕

出雲(――) 。〔天正十七年本上5ウ六〕

とあって、標記語「出雲」の語注記は、未記載にする。また、「諸國郡之名・山陰道」に、

出雲十郡。仁多,大原,出雲,名,能美,柏縫,島根,秋鹿,意宇,~門。田数九千九百六十八町。〔元亀本116八上〕

出雲十郡。仁多,大原,出雲,名,~門,能美,柏縫,島根,秋鹿,意宇。田数九千九百六十八町。〔静嘉堂本475五上〕

出雲。仁多,大原,出雲,名,~門,能美,栢縫,島根,秋鹿,意宇。田数九千九百六十八町。〔天正十七年本上74ウ一〕

出雲十郡。仁多,大原,出雲,名,能美,柏縫,島根,~門,秋鹿,意宇。田数九千九百六十八町。〔西來寺本203四〕

とある。標記語「」については、「久」部に、

(クハ)定。〔元亀本198一〕

(クワ)定。〔静嘉堂本224七〕

(クワ)。〔天正十七年本中41ウ六〕

とあって、標記語「」として、読みを「クハ」と「クワ」とにする。語注記に「定(家)」とある。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

出雲鍬」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(クハ)」〔山田俊雄藏本〕

出雲鍬」〔経覺筆本〕

_(井ツモ)ノ(クツワ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「出雲鍬」のうち、「鍬」の語は、

(スキ)二字同義。農具(ノウ[グ])也。〔器財門113七〕

とあって、語注記に「農具なり」という。次に、広本節用集』は、

出雲(イヅモ/シユツウン.イヅル,クモ)[入・平] 雲州九郡,水田九千四百三十町。意宇(ヲウ)府,能(ノウギ),島根(シマネ),秋鹿(アキカ),楯縫(タテヌイ),出雲(イツモ),~門(カンドノ),飯名(イヽナ),仁多(ニタ),大原(ヲヽハラ)。〔天地門2八〕

とあって、標記語「出雲」としその語注記において、「雲州九郡,水田九千四百三十町。意宇,能,島根,秋鹿,楯縫,出雲,~門,飯名,仁多,大原」という。次に「」の語は、

(クワ)。〔器財門505二〕

とあって、その語注記は、未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

出雲(イヅモ)雲(ウン)州十郡,仁多(ニイタ),大原(ヲホハラ),出雲(イヅモ),飯(イヽシ),~門(カンド),能(ノキ),楯縫(タテヌイ),嶋根(シマネ),秋鹿(アキカ),意宇(イウ)。田数九千九百六十八町。〔・日本國六十余州名数・山陰道293二〕

出雲(イヅモ) 雲(ウン)州十。〔・日本國六十余州名數・山陰道263八〕

出雲(イヅモ)下雲州。楯縫(タテヌイ),~門(カント),飯名(イヽナ),仁多(ニタ),能(ノキ),大原, 秋鹿(―カ),出雲,意宇(イウ),島根。〔・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・山陰道234八〕

とあって、標記語「出雲」の語注記は「雲州十郡,仁多,大原,出雲,飯,~門,能,楯縫,嶋根,秋鹿,意宇。田数九千九百六十八町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「」は、

(クワ)農具。〔・財宝159七〕

とあって、その収載が確認できる。そして、易林本節用集』には、

出雲(――)(ウン)/州,管十郡,東西二日半。樹(シユ)木瓜矣(クワラ)相交ハル。野菜土産多。銕農器(テツノウキ)絹布(ケンフ)。大上國也。意宇(イウ)府,能美(ノミ),島根(シマネ),秋鹿(アキカ),楯縫(タテヌヒ),出雲(イヅモ),神門(カムド),飯石(イヒシ),仁多(ニンタ),大原(オホハラ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・山陰道270七〕

とあって、標記語「出雲」の語注記は、「(ウン)/州,管十郡,東西二日半。樹木瓜矣相ひ交はる。野菜土産多し。銕農器・絹布多し。大上國なり。意宇,能美,島根,秋鹿,楯縫,出雲,神門,飯石,仁多,大原」という。標記語「」は、

(クハ)。〔器財132五〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「出雲鍬」の語は、

出雲國管十 意宇,能美,嶋根,秋鹿,楯縫,出雲,~門,石,仁多,大原。本田九千四百三十五丁八反八十五歩上十五日/下九日。〔卷一・國郡114二〕

とあって、標記語を三卷本出雲」の語を未収載にする。これに対し、十巻本は、「管十 意宇,能美,嶋根,秋鹿,楯縫,出雲,~門,石,仁多,大原。本田九千四百三十五丁八反八十五歩上十五日/下九日」とある。標記語「」は、

(せン) クハ/七遙反。〔黒川本雜物・中75ウ八〕

(せン) クハ/亦作〓(廉+斗)胼。クハ/亦作觧筱並。已上同。〔卷六雜物414六〜415二〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

266伊与簾讃岐圓座同壇紙(――ジ)播摩椙原備前刀出雲鍬甲斐駒 一條K献ス。故尓。駒トハ四歳マテヲ云也。〔謙堂文庫藏二九右E〕

とあって、標記語「出雲鍬」の語注記は未記載にする。古版『庭訓徃来註』では、

出雲鍬(イツモグワ)出雲(イツモ)ハ鍬(クハ)ノ始(ハシマ)リナリ。〔下三ウ三〕

とあって、この標記語「出雲鍬」の語注記は、「出雲は、鍬の始まりなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

出雲鍬(いつもくわ)出雲鍬。〔二十九オ七〕

とし、標記語「出雲鍬」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

出雲鍬(いづもくハ)出雲鍬▲出雲鍬ハもと此国(くに)にて作(つく)り始(はし)めし名残(なごり)とぞ。〔二四ウ三〕

出雲鍬(いづもぐハ)▲出雲鍬ハもと此国(くに)にて作(つく)り始(はじめ)し名残(なごり)とぞ。〔四十二オ五〕

とあって、標記語「出雲鍬」の語注記は、「出雲鍬は、もと此国にて作り始めし名残とぞ」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Cuua.クワ(鍬) 鍬.〔邦訳175l〕

とあって、標記語「鍬」の語を収載し、意味はただ「鍬」という。地名「出雲」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「出雲鍬」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「いずも-ぐわ【出雲鍬】出雲国(島根県)で製作される鍬」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの実際]

2001年12月9日(日)晴れ。東京(八王子)⇒鶴川(和光大学:日本文法学会)

「備前刀(ビゼンかたな)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「比」部に、

備前(―ゼン)。備州(―セウ)。〔元亀本340六〕

備前(――) 。備州(――)。〔静嘉堂本407八〕

とあって、標記語「備前」の語注記は、未記載にする。また、「諸國郡之名・山陽道」に、

備前八郡。味氣,邑人,般利,赤坂,津高,上道,御野,児島。田数一万三千三百六十町。〔元亀本111二上〕

備前八郡。味,邑人,般利,赤坂,津高,上道,御野,児嶋。田数一万三千三百六十町。〔静嘉堂本469一上〕

備前八郡。味氣,邑人,般利,赤坂,津高,上道,御野,児嶋。田數一萬三千三百六十町。〔天正十七年本上69オ四〕

備前八郡。味氣,邑人,般利,赤坂,津高,上道,御野,児嶋。田数一万三千三百六十町。〔西來寺本194五〕

とある。標記語「」については、「賀」部に、

(カタナ)。〔元亀本104七〕〔静嘉堂本131四〕〔天正十七年本上64ウ二〕

とあって、標記語「」として、読みを「カタナ」とする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

備前刀」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

-前刀」〔山田俊雄藏本〕

備前(ビゼン)太刀(タチ)・同刀」〔経覺筆本〕

備前(ビせン)(カタナ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「備前刀」のうち、「刀」の語も未收載にある。次に、広本節用集』は、

備前(ヒゼン/ソナウ,マヱ)[入・平] 備州八郡,水田万三千二百六町。和氣(ワケ),磐梨(イワナシ),邑久(ヲサク),赤坂(アカサカ),上道(カンヅミチ),御野(ミノ)府,津高(ツタカ),兒島(コシマ)。〔天地門1026二〕

とあって、標記語「幡磨」としその語注記において、「備州八郡,水田万三千二百六町。和氣,磐梨,邑久,赤坂,上道,御野,津高,兒島」という。次に「」の語は、

(カタナタウ)[平]釋名曰、刀者到也其所也。説文云、兵也。異名、呂虎。子労。千牛。梁五。嬖女。〔器財門270二〕

とあって、その語注記は、「釋名に曰く、刀は到なり斬を以って其所に至るなり。説文に云く、兵なり」とし、後半部に異名語群を添えている。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

備前(ビゼン) 備(ビ)州八郡,和氣(ワケ),邑久(ヲフク),磐梨(イワナシ),赤坂(アカサカ),津高(ツタカ),上道(カムツミチ),御野(ミノ),児島(コシマ)。田数一万三千三百六十町。〔・日本國六十余州名数・山陽道294一〕

備前(ビゼン) 備(ヒ)州八。〔・日本國六十余州名數・山陽道264一〕

備前(ビンゼン)上備州/八郡, 和氣(ワケ),磐梨(イハナシ),邑久(―ク),赤坂,上道(カフツヽミチ),御野(ミノ),津高(ツ―),児嶋(コ―)。〔・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・山陽道234八〕

とあって、標記語「備前」の語注記は「備州八郡,和氣,邑久,磐梨,赤坂,津高,上道,御野,児島。田数一万三千三百六十町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「」は、

(カタナ)。〔・財宝84一〕

とあって、その収載が確認できる。そして、易林本節用集』には、

備前(――)備州。上管十一郡,四方三日餘。帶南海暖氣草木五穀先(サキタチ)スコト。利刀鋭(トシ)戟帛多。中上圀也。小島(コジマ),和氣(ワケ),磐梨(イハナシ),邑久(ヲフク),赤坂(アカサカ),上道(カンタチ),御野(ミノ),兒島(チゴジマ),小足(ヲアシ),津高(ツダカ),釜島(カマガシマ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・山陽道271十〕

とあって、標記語「備前」の語注記は、「備州。上管十一郡,四方三日餘り。南海を帶し、暖氣草木五穀、秋に先だち貢を致すこと早し。利刀鋭し、戟帛多し。中上圀なり。小島,和氣,磐梨,邑久,赤坂,上道,御野,兒島,小足,津高,釜島」という。標記語「」は、

(カタナ)。〔器財77二〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「備前刀」の語は、

備前ビゼン。上山陽。和氣,磐梨イハナシ,邑久ヲホク,上チ国府,御野府/イ本,津高,兒嶋,赤坂。〔黒川本・國郡下95オ五〕

備前國管八 和氣,磐梨イハナシ,邑久ヲホク,赤坂アカサカ,上道カウツチ,御野ミノ/府,津高ツタカ,兒嶋コシマ。本田一万三千二百六十丁上十四日/下七日。〔卷十・國郡388四〕

とあって、標記語を三卷本備前」の語注記は、「上山陽。和氣,磐梨,邑久,上道国府,御野府/イ本,津高,兒嶋,赤坂」とする。これに対し、十巻本は、「管八 和氣,磐梨,邑久,赤坂,上道,御野,津高,兒嶋。本田一万三千二百六十丁上十四日/下七日」とあって語注記の排列内容は同じである。標記語「」は、

(タウ) カタナ/―子。〔黒川本雜物・上80ウ五〕

カタナ/―子。〔卷三雜物212四〕

とある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

266伊与簾讃岐圓座同壇紙(――ジ)播摩椙原備前刀出雲鍬甲斐駒 一條K献ス。故尓。駒トハ四歳マテヲ云也。〔謙堂文庫藏二九右E〕

とあって、標記語「備前刀」の語注記は未記載にする。古版『庭訓徃来註』では、

備前刀(ビゼンガタナ)ニ長舩(ヲサフネ)ト云処ニ打也。〔下三ウ三〕

とあって、この標記語「備前刀」の語注記は、「長舩と云ふ処に打つなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

備前刀(ひせんかたな)備前刀備前も名鍛冶のありし国なり。〔二十九オ六〕

とし、標記語「備前刀」に対する語注記は、「備前も名鍛冶のありし国なり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

備前刀(ひせんかたな)備前刀▲備前刀ハ長舩(おさふね)の打物(もの)也。〔二四ウ三〕

備前刀(ひせんかたな)▲備前刀ハ長舩(をさふね)の打物(うちもの)也。〔四十三ウ四〕

とあって、標記語「備前刀」の語注記は、「備前刀は、長舩の打物なり」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Catana.カタナ(刀) 日本の剣.§Catanauo vtcu,l,tcucuru.(刀を打つ,または,作る)刀(Catanas)をつくる.§Catanauo sayani vosamuru.(刀を鞘に納むる)刀を鞘にさし込む.§Catanauo sasu.(刀を差す)刀を腰に帯びる.§Catanauo migaqu.(刀を磨く)刀の手入れをし,研磨する.§Catanauo suri aguru.(刀を磨り上ぐる)刀(Catana)の末端の部分を切断して,前よりも短くする.§Catanauo tamesu.(刀を試す)刀を試す.§Catanauo nuqu.(刀を抜く)刀を抜き放つ.§Catanaga noru,l,notta.(刀がのる,または,のつた)刀がゆがみ曲がる,または,刀(Catana)がゆがみ曲がっている.※原文にcabosとあるのは,“末端”の意であるが,これは刀の“中子(なかご)の部分”,すなわち,刀身の柄(つか)に入った部分をさすのであろう.⇒Nacago;Tcuca(柄).〔邦訳107r〕

とあって、標記語「刀」の語を収載し、意味はただ「日本の剣」という。地名「備前」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「備前刀」の語を収載てしていることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「びぜん-がたな【備前刀】「びぜんもの(備前物)@」に同じ」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの実際]

2001年12月8日(土)晴れ。東京(八王子)⇒鶴川(和光大学:日本文法学会)

「播磨椙原(はりますぎはら)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「波」部に、

播磨(ハリマ)。播州(―セウ)。〔元亀本29九〕

幡磨(ハリマ) 。播州(―セウ)。〔静嘉堂本29六〕

播磨(ハリマ)十―。播州。〔天正十七年本上15ウ七〕

とあって、標記語「播磨」の語注記は、未記載にする。ただ、静嘉堂本は「播」の字を「幡」に作る。天正十七年本は語注記に「十―。播州」とする。また、「諸國郡之名・山陽道」に、

播磨十六郡。赤穂,佐用,穴栗,神崎(サキ),多珂,賀美,美嚢,揖保(イホウ),飾磨。明石。印南。田数二万一千四百十四町。〔元亀本111四下〕

幡磨十六郡。赤穂,佐用,穴栗,神崎,多河,賀美,美嚢,揖保,飾磨。明石。賀古。印南。田数二万一千四百十四町。〔静嘉堂本469三下〕

幡广九郡。赤穂,佐用,穴栗,神崎,多珂,賀美,美,揖保,飾磨。明石。賀古。印南。田数二万一千四百十四町。〔天正十七年本上69オ四〕

幡广九郡。赤穂(アカフ),佐用,穴栗,神崎(カミサキ),多珂(タカ),賀美(カミ),美濃,揖保,飾磨(カサマ)。明石。賀古。印南。田数二万一千四百十四町。〔西來寺本195三〕

とある。標記語「椙原」については、「須」部に、

杉原(スイバラ)。〔元亀本359七〕〔静嘉堂本437六〕

とあって、標記語「杉原」として、読みを「スイバラ」とする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

播磨椙原」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ハリマ)_」〔山田俊雄藏本〕

播磨(ハリマ)椙原(スギハラ)」〔経覺筆本〕

播磨(ハリマ)椙原(スキハラ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、

杉原(スイバラ)日本俗杉或作ニ。タ/スナラ也。〔器財門119七〕

とあって、標記語「播磨椙原」のうち、「椙原」の語を「杉原」とし、その語注記に「日本の俗、「杉」を或は「椙」に作す。未だ詳らかならずなり」という。次に、広本節用集』は、

播磨(ハリマ,−ウス/ハン・ハタ,ミガク)[平・平] 幡州或幡作播。十二郡,水田二万千二百三十六町。明石(アカシ),賀古(カコ),印南(イナミ―),飾磨(シカマ) 府(コウ),(ユヒホ)東西,赤穂(アカホ),佐用(サユ),宗粟(シサウ),神崎(カンザキ),多可(タカ)。賀茂(カモ)東西。美嚢(ミキ)。〔天地門50二〕

とあって、標記語「幡磨」としその語注記において、「幡州、或は幡を播に作す」と示し、そのうえで「十二郡,水田二万千二百三十六町。明石,賀古,印南,飾磨,指保東西,赤穂,佐用,宗粟,神崎,多可,賀茂東西,美嚢」という。次に「椙原」の語は、

杉原(スギハラサンゲン)[平・平]。紙名。本朝幡州自杉原村(―ハラムラ)始出之。故云尓。〔器財門1125四〕

とあって、その語注記は、「紙名。本朝幡州杉原村より始めてこれを出す。故に尓に云ふ」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

播磨(ハリマ) 播(バン)州十六郡,神東(シントウ),三木(ミキ),賀東・賀西,神西(ジンセイ),餝東・餝西,揖東(トウ), 揖西(イサイ), 赤穂(アカホ),佐用(サユ),宍栗(シサハ),神崎(カンザキ),多珂(タカ)。賀茂(カモ)東西。美嚢(ミノウ)。揖保(イシホ), 飾磨(シカマ),明石(アカシ),賀古(カコ),印南(イナミ)。〔・日本國六十余州名数・山陽道293六〕

播磨(――) 播(バン)州十六。〔・日本國六十余州名數・山陽道264一〕

播磨(――)大播州/十六郡, 明石,飾磨(シカ−), 揖保(イボ),赤穂(−ホ),式東(シキトウ),式西(シキー),印南(イナミ―),神通,自在,穴栗(アナクリ), 神崎,賀茂,多可,美嚢(ミナウ),佐用(サヨ),〔・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・山陽道234八〕

とあって、標記語「播磨」の語注記は「播(バン)州十六郡,神東(シントウ),三木(ミキ),賀東・賀西,神西(ジンセイ),餝東・餝西,揖東(トウ), 揖西(イサイ), 赤穂(アカホ),佐用(サユ),宍栗(シサハ),神崎(カンザキ),多珂(タカ)。賀茂(カモ)東西。美嚢(ミノウ)。揖保(イシホ), 飾磨(シカマ),明石(アカシ),賀古(カコ),印南(イナミ)。」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「椙原」は、

杉原(スキハラ)。紙名。播州杉原村始テ出之。〔・財宝269五〕

杉原(スキハラ)。紙名。播州自杉原村始出之。〔・財宝231三〕

杉原(スキハラ)。紙名。播州自――村始出之。〔・財宝217二〕

とあって、その収載が確認できる。そして、易林本節用集』には、

播磨(――)播州。大管十四郡四方三日半土暖ニシテ不見雹霰(サン)ヲ絹布紙帛多シテ衣食足大上圀也。明石(アカシ),賀古(カコ)東西,賀茂(カモ), 印南(イナミ),飾磨(シカ−), 揖保(イホ)東西,赤穂(アカホ), 佐用(サヨ),宍粟(シアハ),神崎(カンザキ)東西,多河(タカ),美(ミツボ),揖西(イツサイ),揖東(イツトウ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・山陽道271三〕

とあって、標記語「播磨」の語注記は、「播州。大管十四郡四方三日半、土暖かにして雹霰を見ず。絹布紙帛多くして衣食足る。大上圀なり。明石,賀古東西,賀茂, 印南,飾磨, 揖保東西,赤穂, 佐用,宍粟,神崎東西,多河,美,揖西,揖東」という。標記語「椙原」は、

杉原(スイバラ)。〔器財門240四〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「播磨椙原」の語は、

播磨ハリマ。大山陽、明石。賀古/田二万千二百四十六丁、行程上五日下三日/印南(イナミ)。揖保(イヒホ/イ−)。餝磨(シカマ)府/東西。〔黒川本・國郡上28オ二〕

播磨國管十〔卷八・國郡469五〕

とあって、標記語を三卷本播磨」の語注記は、「ハリマ。大山陽、明石。賀古/田二万千二百四十六丁、行程上五日下三日/印南。揖保。餝磨府/東西」とする。これに対し、十巻本は、「播磨國」とあって語注記の排列内容は同じである。標記語「椙原」は、未収載にする。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

266伊与簾讃岐圓座同壇紙(――ジ)播摩椙原備前刀出雲鍬甲斐駒 一條K献ス。故尓。駒トハ四歳マテヲ云也。〔謙堂文庫藏二九右E〕

とあって、標記語「播磨椙原」の語注記は未記載にする。古版『庭訓徃来註』では、

播磨椙原(ハリマスギハラ)……播摩椙原ニ至(イタル)マデ國國ノ名物(メイフツ)ナリ。一ツ宛(ツヽ)ノ規模ナリ。《後略》〔下三オ九〕

とあって、この標記語「播磨椙原」の語注記は、「…に至るまで國國の名物なり。一つ宛の規模なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

播磨椙原(ハリマスギハラ)播磨椙原。〔二十九オ四〕

とし、標記語「播磨椙原」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

播磨椙原(ハリマスギハラ)播磨椙原。〔二三ウ七〕

播磨椙原(ハリマスギハラ) 。〔四十二オ五〕

とあって、標記語「播磨椙原」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Suibara.スイバラ(杉原) Suguifara(杉原)と言う方がまさる.この名で呼ばれる紙で,日本の書状を書くもの.〔邦訳584r〕

とあって、標記語「椙原」の語を収載し、意味はただ「Suguifara(杉原)と言う方がまさる.この名で呼ばれる紙で,日本の書状を書くもの」という。地名「播磨」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「播磨椙原」の語を収載していることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「はりま-すぎはら【播磨杉原】播磨国産の杉原紙。書簡用として使う」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの実際]

紙は日本一の播磨杉原に鳥飼様を以ていかにも墨をかふ/\と此程は久不懸御目候。《咄本『醒睡笑』三・文の品々100十九》

2001年12月7日(金)晴れ。東京(八王子)⇒目黒(戸越・国文学資料館)

「讃岐檀紙(さぬきダンジ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「多」部に、標記語「檀紙」については、未收載にある。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

同檀紙」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

-」〔山田俊雄藏本〕

檀紙」〔経覺筆本〕

(ヲナシ)ク檀紙(タンシ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「讃岐壇紙」語は未収載にする。次に、広本節用集』は、

檀紙(ダンシ/マユミ,カミ)。〔器財門341八〕

とあって、その語注記は、未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、標記語「檀紙」は、

檀紙(エンザ)。〔・財宝194六〕〔・財宝160七〕

壇紙(ヱンザ)。・財宝149九〕

とあって、その収載が確認される。そして、易林本節用集』には、

檀紙(タンシ)。〔器財92三〕

とあって、標記語を「檀紙」とし、語注記は未記載にする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「讃岐壇紙」と「檀紙」の語は、未収載にする。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

266伊与簾讃岐圓座同壇紙(――ジ)播摩椙原備前刀出雲鍬甲斐駒 一條K献ス。故尓。駒トハ四歳マテヲ云也。〔謙堂文庫藏二九右E〕

とあって、標記語「讃岐壇紙」の語注記は未記載にする。古版『庭訓徃来註』では、

檀紙(タンシ)……播摩椙原ニ至(イタル)マデ國國ノ名物(メイフツ)ナリ。一ツ宛(ツヽ)ノ規模ナリ。《後略》〔下三オ九〕

とあって、この標記語「讃岐檀紙」の語注記は、「…に至るまで國國の名物なり。一つ宛の規模なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

讃岐檀紙(サヌキダンジ)讃岐檀紙。〔二十九オ四〕

とし、標記語「讃岐檀紙」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

讃岐檀紙(さぬきだんじ)讃岐檀紙。〔二三ウ七〕

讃岐檀紙(さぬきだんじ) 。〔四十二オ五〕

とあって、標記語「讃岐檀紙」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Danji.ダンジ(檀紙) 日本紙の一種.⇒Tacadanji.〔邦訳181l〕

Danxi.ダンシ(檀紙) 紙の一種.〔邦訳181r〕

とあって、標記語「檀紙」の語を収載し、意味はただ「日本紙の一種」また「紙の一種」という。地名「讃岐」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「讃岐檀紙」の語を収載していることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「さぬき-だんじ【讃岐紙】」の語は複合名詞としては未収載にある。

[ことばの実際]

生仏涅槃達磨忌供具御布施事、檀紙一帖宛、料足同上、一仏成道供《『大徳寺文書』応安元年六月日、123・1/80》

2001年12月6日(木)雨のち曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「讃岐圓座(さぬきヱンザ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「左」部に、

讃岐(サヌキ)十一―。〔元亀本270八〕

讃岐(サヌキ) 十一。〔静嘉堂本308七〕

とあって、標記語「讃岐」の語注記は、未記載にする。また、「諸國郡之名・南海道」に、

讃岐十一郡。那賀,多度,風更,大田,阿野,寒河,山田,香川,刈田。田数一万七千九百四十三町。〔元亀本110九上〕

讃岐十一郡。那賀,多度,風更,三野,太田,阿野,寒河,山田,香川,苅田。田數一万七千九百四十三町。〔静嘉堂本468六上〕

讃岐十一郡。那賀,多度,風更,三野,太田,阿野,寒河,山田,香川,苅田。田數一万七千九百四十三町。〔天正十七年本上69オ四〕

讃岐十一郡。那賀,多度,風更,三野,田,阿野,寒河(サン−),山田,香川(カヽ−),苅田(カリ−)田数一万七千九百四十三町。〔西來寺本193五〕

とある。標記語「圓座」については、「衞」部に、

圓座(―ザ)。〔元亀本336三〕〔静嘉堂本401七〕

とあって、標記語「圓座」とする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

讃岐圓座」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

-岐圓-」〔山田俊雄藏本〕

讃岐(サヌキ)圓座」〔経覺筆本〕

讃岐(サヽヌキ)-(エンサ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「讃岐圓座」語は未収載にする。次に、広本節用集』は、

讃岐(サヌキ/ホムル,チマタ) 讃(サン)州,十三郡,水田万七千九百四十三町。大内(ヲウチ),寒川(サムカワ),三山田(―ヤマ―),香川(カガワ),阿野(アノ)府又阿益,鵜弖(ウタリ)又作宇足,那珂(ナカ),多度(タド),三津(ミツ),苅田(カリタ)又作豊田。〔天地門771三〕

とあって、標記語「讃岐」の語注記は、「讃州,十三郡,水田万七千九百四十三町。大内,寒川,三山田,香川,阿野府又阿益,鵜弖又作宇足,那珂,多度,三津,苅田又作豊田」という。次に「圓座」の語は、

圓座(ヱンザ/マトカナリ,ネヤ)。〔器財門702一〕

とあって、その語注記は、未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

讃岐(サヌキ) 讃(サン)州, 十二郡, 那賀(ナカ),多度(タト),大内(ヲヲチ), 阿野(アノ),寒河(サンガワ),山田(ヤマタ),香川(カガハ),鵜足(ウタリ), 苅田(カリタ),三木(ミキ),宇足津(ウタヅ)。田数一万七千九百四十五町。〔・日本國六十余州名数・南海道295三〕

讃岐(――) 讃(サン)州十一。〔・日本國六十余州名數・南海道264四〕

讃岐(――) 大内(ヲウチ),三木(フキ),寒川(カンカワ),山田,香川(カカワ),阿野(アヤ),鵜足(ウタリ), 苅田(カマタ),那珂,多度(タト),三野(ミノ), 風羊・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・南海道235六〕

とあって、標記語「讃岐」の語注記は「讃州, 十二郡, 那賀,多度,大内,阿野,寒河,山田,香川,鵜足,苅田,三木,宇足津。田数一万七千九百四十五町。」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「圓座」は、

圓座(エンザ)。〔・財宝194六〕〔・財宝160七〕

圓座(ヱンザ)。・財宝149九〕

とあって、その収載が確認される。そして、易林本節用集』には、

讃岐(――)讃(サン)州,上管十一郡,東西三日。山川田畠均(キン)-等。五穀豊魚貝之類多。名人多是也。大中圀也。大内(オホチ),寒川(サムカハ),三木(ミキ),三野(ミノ),山田(ヤマダ),神田(カンダ)神又作刈,阿野(アノ)府,鵜足(ウタリ),那賀(ナカ),多度(タド),香河(カガフ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・南海道274四〕

とあって、標記語「讃岐」の語注記は、「讃(サン)州,上管十一郡,東西三日。山川田畠均-等。五穀豊魚貝之類多し。名人多く是れより出づなり。大中圀なり。大内,寒川,三木,三野,山田,神田神又作刈,阿野,鵜足,那賀,多度,香河」という。標記語「圓座」は、未収載にする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「讃岐圓座」の語は、

讃岐サヌキ。上南海、大内(ヲフチ)。寒川。三木(ミキ)。山田。香川。河野(ヤ)府。/鵜足(ウタリ)。那珂(ナカ)。多度。三野(ミ―)。刈田(カリ―)国人云。豊田。〔黒川本・國郡下44オ三〕

讃岐國管十一 大内(ヲフチ)。寒川(サムカハ)。三木(ミキ)。山田。香河(カヽハ)。阿野(アヤ)府。鵜足(ウタリ)。那珂(ナカ)。多度(タト)。三野(ミノ)。刈田(カタタ)國令。豊田(トヨタ)。本田万七千九百三十三町、上十六日下十四日。〔卷八・國郡469五〕

とあって、標記語を三卷本讃岐」の語注記は、「上南海、大内。寒川。三木。山田。香川。河野。/鵜足。那珂。多度。三野。刈田国人云。豊田」とする。これに対し、十巻本は、「管十一 大内。寒川。三木。山田。香河。阿野。鵜足。那珂。多度。三野。刈田國令。豊田。本田万七千九百三十三町、上十六日下十四日」とあって語注記の排列内容は同じである。標記語「圓座」は、未収載にする。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

266伊与簾讃岐圓座同壇紙(――ジ)播摩椙原備前刀出雲鍬甲斐駒 一條K献ス。故尓。駒トハ四歳マテヲ云也。〔謙堂文庫藏二九右E〕

とあって、標記語「讃岐圓座」の語注記は未記載にする。古版『庭訓徃来註』では、

讃岐圓座(サヌキヱンザ)……播摩椙原ニ至(イタル)マデ國國ノ名物(メイフツ)ナリ。一ツ宛(ツヽ)ノ規模ナリ。《後略》〔下三オ九〕

とあって、この標記語「讃岐圓座」の語注記は、「…に至るまで國國の名物なり。一つ宛の規模なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

讃岐圓座(サヌキヱンザ)讃岐圓座。〔二十九オ四〕

とし、標記語「讃岐圓座」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

讃岐圓座(さぬきゑんざ)讃岐圓座。〔二三ウ七〕

讃岐圓座(さぬきゑんざ) 。〔四十二オ五〕

とあって、標記語「讃岐圓座」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Yenza.ヱンザ(円座) 藺草やそれに類するもので靴ぬぐいのように作った,尻に敷く丸い敷物.※原文のbunhosはjunco(藺草)の一種.〔邦訳820r〕

とあって、標記語「圓座」の語を収載し、意味はただ「藺草やそれに類するもので靴ぬぐいのように作った,尻に敷く丸い敷物」という。地名「讃岐」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「讃岐圓座」の語を収載していることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「さぬき-えんざ【讃岐圓座】「さぬきわらざ(讃岐稾座)」に同じ」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの実際]

熊野參のたうしゃなれは。ちかふめせとの御諚にて。ちうもん迄めされ。さぬき円座をなけ出す。《幸若舞『ほり川』》

2001年12月5日(水)曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)⇒新宿

「伊予簾(いよすだれ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「伊」部に、

伊豫(―ヨ)。〔元亀本14一〕

伊豫(―ヨ) 四―。〔静嘉堂本6七〕

伊豫(――)。〔天正十七年本上5ウ六〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「伊豫」の語注記は、未記載にする。また、「諸國郡之名・南海道」に、

伊予十四郡。宇麻(マ),新居,周敷,伊予,桑村,野間,吉田,温泉,浮穴,風早,越智,和氣,久米,宇和。田数一万四千八百廿二町。〔元亀本110九下〕

伊與{豫歟}十四郡。宇麻,新居,周敷,伊予,桑村,野間,吉田,温泉,浮穴,風早,越智,氣,久米,宇和。田数四千八百廿二町。〔静嘉堂本468六上〕

伊与十四郡。宇麻,新居,周敷,伊予,桑村,野間,吉田,温泉,浮穴,風早,越智,和氣,久米,宇和。田数四千八百廿二町。〔天正十七年本上69オ四〕

伊与十四郡。宇麻,新居,周敷,伊予,桑村,野間,吉田,温泉,浮穴,風早,越智,和氣,久米,宇和。田數四千八百廿二町。〔西來寺本194一〕

とある。標記語「」については、「須」部に、

(スダレ)。 (同)。〔元亀本362四〕〔静嘉堂本441六〕

とあって、標記語「」と「」の字を併記する。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

伊予簾」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

-予簾(スタレ)」〔山田俊雄藏本〕

伊予簾(スダレ)」〔経覺筆本〕

伊預(イヨ)(スタレ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「伊予簾」の語のうち、

(スダレ)(スダレ) 二字ノ義同シ。〔器財門118五〕

標記語を「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』は、

伊豫(イヨ/コレ,アラカシメ)[平・○] 豫(ヨ)州十四郡。水田一萬五千五百七町四段。宇麻(ウマ),新居(ニイ),周敷(スフ),桑村(クワムラ), 越智(ヲチ)府,野間(ノマ),風早(カザハヤ),和氣(ワケ),温泉(ホキ),久米(クメ),浮穴(ウキアナ),伊豫(イヨ),喜多(キタ),宇和(ウワ)。〔天地門1三〕

とあって、標記語「伊予」の語注記は、「豫州十四郡。水田一萬五千五百七町四段。宇麻,新居,周敷,桑村,越智,野間,風早,和氣,温泉,久米,浮穴,伊豫,喜多,宇和」という。次に「」の語は、

(スダレ/レン)[平]。(同ハク)[入]釋名曰。簾廉也。自障蔽シテ廉恥楊雄曰、方言宋魏陳楚江淮之間ニハ。謂之曲(キヨク)也。南楚謂之蓬箔也。自關以西ニシデ而謂之箔也。異名蝦鬚。十二行。蒼龍骨。朱戸。月鈎。緯蕭。水波。水級。波文。珠留。織留。織珠。妓衣。〔器財門1125五〕

とあって、その語注記は、「釋名に曰く。簾は廉なり。自障蔽して廉恥を為す。楊雄に曰く、方言に宋魏陳楚江淮の間には、之の曲を謂ふなり。南楚謂之蓬箔なり。關より以西にして謂之箔なり。異名蝦鬚。十二行。蒼龍骨。朱戸。月鈎。緯蕭。水波。水級。波文。珠留。織留。織珠。妓衣」とあって、後半部に異名語群を置く。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

伊豫(イヨ) 豫(ヨ)州十四郡。宇麻(ウマ),新居(ニシイ),周敷(シウフ),伊与(イヨ),桑原(クワハラ), 野間(ノマ),喜多(キタ),和氣(ワケ),温泉(ウン―),浮穴(ウキウ/ウキアナ),風早(カサハヤ),越智(ヲチ),久米(クメ),宇和(ウワ)田数一万四千八百廿ニ町。〔・日本國六十余州名数・南海道295四〕

伊予(――) 豫(ヨ)州十四。〔・日本國六十余州名數・南海道264五〕

伊予(――) 上与州。宇麻(ウマ),新居(ニイ),周敷(スフ),桑村,越智(ヲチ),野間,喜多, 風早(カサハヤ),和氣,温泉(ユセン),久米(クメ),浮穴(ウキナ),伊与,宇和。〔・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・南海道235七〕

とあって、標記語「伊予」の語注記は「豫(ヨ)州十四郡。宇麻(ウマ),新居(ニシイ),周敷(シウフ),伊与(イヨ),桑原(クワハラ), 野間(ノマ),喜多(キタ),和氣(ワケ),温泉(ウン―),浮穴(ウキウ/ウキアナ),風早(カサハヤ),越智(ヲチ),久米(クメ),宇和(ウワ)田数一万四千八百廿ニ町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「」は、

(スダレ)(同ハク)。・財宝269七〕

(スタレ)・財宝231四〕

(スダレ)・財宝217三〕

とあって、その収載が確認される。そして、易林本節用集』には、

伊予(――)豫(ヨ)州,大管十四郡, 四方二日。原野田畑多シ。桑麻塩草豐也。大中國也。新居,周敷,桑村,越智,風早,野間,智器,温泉,久米,浮穴,伊豫,喜多,宇和,宇麻〔南瞻部州大日本國正統圖・東海道261五〕

とあって、標記語「伊予」の語注記は、「豫(ヨ)州,大管十四郡, 四方二日。原野田畑多シ。桑麻塩草豐也。大中國也。新居,周敷,桑村,越智,風早,野間,智器,温泉,久米,浮穴,伊豫,喜多,宇和,宇麻」という。標記語「」は、

(スダレ)(同ハク)。〔器財240五〕

とあって、印度本系『節用集』と同じにいう。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「伊予簾」の語は、

伊豫イヨ。〔黒川本・姓氏上十三オ七〕

伊預國管十四 新―ニヒテ見延喜式/宇麻ウマ。雜居。周敷。桑村クハムラ。越智ヲチ府。野間ノマ。風早カセハヤ。和気。温泉。久米。浮穴。伊予。喜多。宇治。本田一万五千五百一町四反六歩上十六日下八日。膽吹山美乃国不破郡/七高山之一也。石間。石藏(イハクラ)。妹背山(イモセヤマ)。一條。今出河。五辻。石影七瀬其一也。〔卷一・國郡115三〕

とあって、標記語を三卷本伊豫」は、「姓氏」に収載しその語注記を未記載とする。これに対し、十巻本は、標記語を「伊預國」にして「管十四 新―ニヒテ見延喜式/宇麻ウマ。雜居。周敷。桑村クハムラ。越智ヲチ府。野間ノマ。風早カセハヤ。和気。温泉。久米。浮穴。伊予。喜多。宇治。本田一万五千五百一町四反六歩上十六日下八日。膽吹山美乃国不破郡/七高山之一也。石間。石藏(イハクラ)。妹背山(イモセヤマ)。一條。今出河。五辻。石影七瀬其一也」とあって語注記の排列内容は同じである。標記語「」は、

(レン)スダレ/。〔雜物下26ウ五〕

スダレ。〔卷三・雜物〕

とあって、その注記内容は、若干異なっている。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

266伊与簾讃岐圓座同壇紙(――ジ)播摩椙原備前刀出雲鍬甲斐駒 一條K献ス。故尓。駒トハ四歳マテヲ云也。〔謙堂文庫藏二九右E〕

とあって、標記語「伊与簾」の語注記は未記載にする。古版『庭訓徃来註』では、

伊予簾(イヨスダレ)……播摩椙原ニ至(イタル)マデ國國ノ名物(メイフツ)ナリ。一ツ宛(ツヽ)ノ規模ナリ。《後略》〔下三オ八〕

とあって、この標記語「伊予簾」の語注記は、「…に至るまで國國の名物なり。一つ宛の規模なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

伊予簾(いよすだれ)伊予簾。〔二十九オ二〕

とし、標記語「伊予簾」に対する語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

伊予簾(いよすだれ)伊予簾。〔二三ウ五〕

伊予簾(いよすだれ) 。〔四十二オ三〕

とあって、標記語「伊予簾」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Sudare.スダレ(簾) 戸のところや縁側などに垂らす,目のあらい簾.§Sudare goxini cotobauo cauasu.(簾越しに言葉を交はす)上のような簾を中にして,何事かを話す.※原文はVarandas.⇒Ami,u;Fuqiague,uru;Maqiague,uru;Tare,ruru.〔邦訳582r〕

とあって、標記語「簾」の語を収載し、意味はただ「戸のところや縁側などに垂らす、目のあらい簾」という。地名「伊予」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「伊予簾」の語を収載していることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「いよ-すだれ【伊予簾】伊予国(愛媛県)上浮穴(かみうけな)郡露峰に産するゴキダケで編んだ簾。ゴキダケは二bぐらいに達するものが多く、枝はなく、細いものを上質とした。一年目の枝のない稈(かん)をさらして竹簾に編む。いよ。いよす」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの実際]

寛蓮、放出ニ上テ見レバ、伊与簾白クテ懸タリ。《『今昔物語集』卷二十四・第六》

2001年12月4日(火)雨のち曇り。東京(八王子)⇒

「伊勢切付(いせきっつけ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「伊」部に、

伊勢(イせ)四―。〔元亀本14一〕

伊勢(――) 。〔静嘉堂本6七〕〔天正十七年本上5ウ五〕

とあって、標記語「伊勢」の語注記は、「四(郡)」という。また、「諸國郡之名・東海道」に、

伊勢十三郡。桑名,員,朝明,三重,河曲,鈴鹿(カ),菴藝,安濃,壹志,飯高,飯野,多藝,渡會。田数万九千廿四町。〔元亀本109二上〕

伊勢十三郡。桑名,員,朝明,三重,河曲,鹿(カ),菴藝,安濃,壹志,飯高,飯野,多藝,渡會。田数一万九千廿四町。〔静嘉堂本466二上〕

伊勢十三郡田数万九千廿四町/桑名,員,朝明,三重,鹿,菴藝,安濃,河曲,志,飯高,飯野,多藝,渡會。〔天正十七年本上72オ一〕

伊勢十三郡。桑名,員,朝明,三重,鹿,菴藝,安濃,河曲,志,飯高,飯野,多藝,渡會。田数一万九千廿四町。〔西來寺本190五〕

とある。標記語「切付」については、「氣」部に、

切付(キツヽケ)。曰一括(ヒトクヽリ)ト|。〔静嘉堂本327八〕

とあって、静嘉堂本の語注記は「一括りといふ」とある。また、元亀本はこの語を未收載にする。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

伊勢切付」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

-勢切(キツ)_」〔山田俊雄藏本〕

伊勢切付(キツツケ)」〔経覺筆本〕

伊勢(イせ)ノ切付(キツツケ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「伊勢切付」の語のうち、標記語を「切付」の語は未収載にする。次に、広本節用集』は、

伊勢(イせ/コレ,イキヲイ)[平・去] 勢州(セイシウ)十三郡。水田一萬九千二十四町。桑名(クワナ), 員辧(ヤマヘ/サナ―),朝明(アサラ), 三重(ミヱ), 河曲(カフロ),鈴鹿(スヽカ)府(コウ),菴藝(アフキ)又作奄治, 安農(アノ)又作安濃,壹志(イチシ), 飯高(イヒダカ), 飯野(イヽノ), 多氣(タゲ/キ),渡會(ワタラヒ)。〔天地門1三〕

とあって、標記語「伊勢」の語注記は、「勢州(セイシウ)十三郡。水田一萬九千二十四町。桑名, 員辧,朝明,三重, 河曲,鈴鹿,菴藝又作奄治, 安農又作安濃,壹志, 飯高, 飯野, 多氣,渡會」という。次に「切付」の語は、

切付(キツツケ/フ−)鞍具。云一括(ヒトククリ)ト。〔器財門817二〕

とあって、その語注記は、「鞍具。一括りと云ふ」とあって、後半部が『庭訓徃來註』の注記にに類似する。

未収載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

伊勢(イセ) 勢(セイ)州十三郡。桑名(クワナ), 員名(イナヘ),朝明(アサテ), 三重(ミエ),河内(カワウチ),鈴鹿(スヽカ),庵藝(アンキ), 安農(アノ),壹志(イチシ),飯高(イヽタカ),飯野(イヽノ),多氣(タケ),度會(ワタラヒ)。田数一万九千廿四町。〔・日本國六十余州名数・東海道288二〕

伊勢(――) 勢州十三。〔・日本國六十余州名數・東海道262五〕

伊勢(――) 大勢州。桑名(クワナ), 員弁(イナベ),朝明(アサケ),三重(ミエ),河曲/十三郡。鈴鹿(スヽカ),庵藝(アンギ),安農(アノ),壹志(イチシ),飯高(イヽタカ), 度會(ワタラヘ),飯野(イヽノ),多氣(タゲ)。・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・東海道232五〕

とあって、標記語「伊勢」の語注記は「勢州十三郡。桑名, 員名,朝明,三重,河,鈴鹿,庵藝,安農,壹志,飯高,飯野,多氣,度會。田数一万九千廿四町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「切付」は、

切付(キツツケ)鞍具。〔・財宝219七〕〔・財宝183七〕〔・財宝173四〕

とあって、収載が確認される。そして、易林本節用集』には、

伊勢(――)勢(せイ)州,大管十五郡,南北三日餘山海平均(キン)レリ餘州仍為國親。土厚シテ而貢多。蒔(マケ)ハ(ウ)也。大上〃國也。桑名(クハナ),朝明(アザケ),鈴鹿(スヾカ),河曲(カハクミ),壹志(イチシ),菴藝(アンキ),多度(タド),錦島(ニシキジマ),御座島(ゴザシマ),員辧(井ナヘ),三重(ミエ),安濃(アノ),飯高(イヒタカ),飯野(―ノ),渡會(ワタラヒ),多氣(タゲ)。已上六郡ハ者神郡也。〔南瞻部州大日本國正統圖・東海道261五〕

とあって、標記語「伊勢」の語注記は、「勢州,大管十五郡,南北三日餘山海平均餘州に勝れり。仍ち國親と為す。土厚くして貢多し。一つ蒔けば百を得なり。大上〃國なり。桑名,朝明,鈴鹿,河曲,壹志,菴藝,多度,錦島,御座島,員辧,三重,安濃,飯高,飯野,渡會,多氣。已上六郡は神郡なり」という。標記語「切付」は、

切付(キリツケ)鞍具。―立。〔器財188五〕

とあって、読みを「きりつけ」とし、その語注記に「鞍具」という。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「伊勢切付」の語は、

伊勢イせ。大東海 桑奈{名}(クハナ),員辧(井ナヘ),朝明(アサゲ),三重(ミヘ),河曲(カハ―),鈴鹿同府,菴藝(アンキ),安濃(ア―),壹志(イチシ),飯高(イヽタカ),多氣,飯野,渡會大神宮在此郡。〔黒川本・國郡上12ウ二〕

伊勢國管十三/桑名,員辧,朝明,三重,河曲,鈴鹿,奄藝,安濃,壹志,飯高,飯野,多氣,度會太神宮坐此郡。〔卷一・國郡112三〕

とあって、標記語を三卷本伊勢」の語注記は、「桑奈{名}, 員辧,朝明, 三重, 河曲,鈴鹿同府,菴藝,安濃,壹志,飯高,多氣,飯野,渡會大神宮在此郡」とする。これに対し、十巻本は、「管十三/桑名,員辧,朝明,三重,河曲,鈴鹿,奄藝,安濃,壹志,飯高,飯野,多氣,度會太神宮坐此郡」とあって語注記の排列内容は同じである。標記語「切付」は、未記載にある。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

265佐渡沓伊勢切付 切付クヽリト申。〔謙堂文庫藏二九右E〕

とあって、標記語「伊勢切付」の語注記は、「切付は一と括クヽリと申すべし」という。古版『庭訓徃来註』では、

伊勢切付(イセキツツケ)……播摩椙原ニ至(イタル)マデ國國ノ名物(メイフツ)ナリ。一ツ宛(ツヽ)ノ規模ナリ。《後略》〔下三オ八〕

とあって、この標記語「伊勢切付」の語注記は、「…に至るまで國國の名物なり。一つ宛の規模なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

伊勢切付(いせきつつけ)伊勢切付▲是も馬具なり。鞍と馬の背との間にあるものなり。いつれも圖説の馬具の部に委し。〔二十九オ三〕

とし、標記語「伊勢切付」に対する語注記は、「是も馬具なり。鞍と馬の背との間にあるものなり。いづれも圖説の馬具の部に委し」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

伊勢切付(いせきつつけ)伊勢切付。〔二四オ七〕

伊勢切付(いせきつつけ)。〔四十二オ三〕

とあって、標記語「伊勢切付」の語注記は、未記載にする。

 当代の『日葡辞書』には、

Qittcuqe.キッツケ(切付) 鞍の下に付いているある種の裏地であって,獸皮とか,柳の枝を葛籠(Tcuzzura)のように編んだ物とかで出来ているもの.⇒次条.〔邦訳510l〕

†Qittcuqe. キッツケ(切付) 日本の鞍についている一番外側の裏地で,じかに馬の背に当るもの. 〔邦訳510l〕

とあって、標記語「切付」の語を収載し、意味はただ「鞍の下に付いているある種の裏地であって,獸皮とか,柳の枝を葛籠(Tcuzzura)のように編んだ物とかで出来ているもの」または「日本の鞍についている一番外側の裏地で,じかに馬の背に当るもの」という。地名「伊勢」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「伊勢切付」の語を収載していることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「いせ-きっつけ【伊勢切付】馬具の「下鞍(したぐら)」の一種。伊勢国で生産した、切付(きっつけ)とよぶ下鞍」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの補遺]

松本家所蔵の馬具一式の中に「勢州桑名住吉安弥兵衛重次」の銘のある皮製品が見つかり、江戸時代に成立した『絵本名物桑名時雨蛤』等にある「新町の吉安弥兵衛、京町の理左衛門が切付を作り藩主に賞された」という記事に合致。《桑名市の指定文化財

2001年12月3日(月)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「佐渡沓(さどぐつ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「左」部に、

佐渡(サド)三―。〔元亀本271九〕

佐渡(サド)。〔静嘉堂本310四〕

とあって、標記語「佐渡」の語注記は、「三郡」という。また、「諸國郡之名・北陸道」に、

佐渡三郡。羽茂,雜太,賀茂/田数三千八百七町。〔元亀本115十上〕

佐渡三郡。羽茂,雜太,茂/田数三千八百七十町。〔静嘉堂本474五上〕

佐渡三郡。羽茂,雜太,賀茂/田数三千八百七十町。〔天正十七年本上73ウ四〕

佐渡三郡。羽茂,雜太,賀茂/田数三千八百七十町。〔西來寺本202二〕

とある。標記語「」については、「久」部に、

(クツ)左ヨリハキ右ヨリヌク。(同)。(同)僧。(同)。〔元亀本198二〜三〕

(クツ)左ヨリハキ右ヨリヌク。(同)。(同)僧ノハク。(同)。〔静嘉堂本225一〕

(クツ)左ヨリハキ右ヨリヌク。(同)。(同)。(同)。〔天正十七年本中41ウ八〕

とあって、標記語「履」の語注記に増減若干の異なりが見られるに留まる。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

佐渡沓」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_渡沓(クツ)」〔山田俊雄藏本〕

佐渡沓(サドクツ)」〔経覺筆本〕

佐渡沓(サ/トクツ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「佐渡沓」の語のうち、「沓」の語で、

(クツ)履也。〔器財門113二〕

として、標記語を「」の語は未収載にする。次に、広本節用集』は、

佐渡(サド/タスク,ワタル)[去・○] 渡州三郡。水田千八百七十町。羽茂,雜太,賀茂。〔天地門771五〕

とあって、標記語「佐渡」の語注記は、「渡州三郡。水田千八百七十町。羽茂,雜太,賀茂」という。次に「」の語は、

(クツ/クワ)[平]。(同/クワ)[平]。(同/タフ)[入]。(同/せキ)[入]。(同/アイ)[上]。(同/)[上]。又作履子合紀呼土(クツ)。〔器財門505八〜506一〕

とあって、標記語六語にして収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

佐渡(サド) 佐(サ)州三郡。羽茂(ハモ),雜太(サウタ),賀茂(カモ)田数三千八百七十町。〔・日本國六十余州名数・東海道292三〕

佐渡(ムサシ) 佐(サ)州三。〔・日本國六十余州名數・東海道263五〕

佐渡(――) 中佐州/三郡。羽茂(ハカチ),雜太(ザウタ),賀茂。〔・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・東海道234一〕

とあって、標記語「佐渡」の語注記は「佐州三郡。羽茂,雜太,賀茂。田数三千八百七十町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「」は、

(クツ)。(同/クワ)。(同/クツ) 。(同/せキ)。・衣服160一〕

(クツ) 履也。・財宝131四〕

(クツ) 履。・財宝120五〕

(クツ) 履。・財宝146三〕(クツ)。(クツ)。・財宝146三〕

とあって、永祿二年本尭空本は『下學集』を継承する。また、両足院本は、相互を加味するものである。そして、易林本節用集』には、

佐渡(――)佐(サ)州,中管三郡, 四方三日半。草木勝地牛馬不知貴魚鼈五穀(コク)。中上国也。羽茂(ウモ/ハゲ),雜太(サフダ)府,賀茂(カモ),見付島(ミツケノ―),上〃島,右為遠国〔南瞻部州大日本國正統圖・北陸道269五〕

とあって、標記語「佐渡」の語注記は、「佐州,中管三郡, 四方三日半。草木勝地牛馬不知貴魚鼈五穀多し。中上国なり。羽茂,雜太,賀茂,見付島,上〃島,右遠国と為す」という。標記語「」は、未收載にある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「佐渡沓」の語は、

佐渡无才守介以六位為守中/北陸,羽茂(ハシケ),雜太(サウタ)府,賀茂。〔黒川本・國郡下44オ二〕

佐渡國管三、天平十五年二月并越後國、天平勝寳四―十一月復置始守從五位下生江臣知麿/羽茂(ウモ)ハモチ/府/延喜式, 賀茂/延〃カモチ,雜太モフタサハタケ,サンタ,延――。本田三千九百六町四段。陸卅一日、海四十九日。〔卷八・國郡469二〕

とあって、標記語を三卷本佐渡」の語注記は、「无才守介以六位為守中/北陸,羽茂(ハシケ),雜太(サウタ)府,賀茂」とする。これに対し、十巻本は、「管三、天平十五年二月并越後國、天平勝寳四―十一月復置始守從五位下生江臣知麿/羽茂(ウモ)ハモチ/府/延喜式, 賀茂/延〃カモチ,雜太モフタサハタケ,サンタ,延――。本田三千九百六町四段。陸卅一日、海四十九日」とあって語注記の排列内容は同じである。標記語「」は、

(リ) クツ。珠―依田/草曰―磨履草曰同。思積反。云沓俗用沓字/同。(ケイ)同。クワノクツ/又クツ/又乍慰。〔雜物中75ウ二〕

クツ。荀今君世説曰〃〃至人家坐處三月香。クツ/俗用之已上同。クワンノクツ/亦乍慰。〔卷六・雜物412五〕

とあって、その注記内容は、若干異なっている。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

265佐渡沓伊勢切付 切付クヽリト申。〔謙堂文庫藏二九右E〕

とあって、標記語「佐渡沓」の語注記は、未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

佐渡沓(サドグツ)……播摩椙原ニ至(イタル)マデ國國ノ名物(メイフツ)ナリ。一ツ宛(ツヽ)ノ規模ナリ。《後略》〔下三オ八〕

とあって、この標記語「佐渡沓」の語注記は、「…に至るまで國國の名物なり。一つ宛の規模なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

佐渡沓(さどぐつ)佐渡沓▲是も馬具なり。鞍と馬の背との間にあるものなり。いつれも圖説の馬具の部に委し。〔二十九オ三〕

とし、標記語「佐渡沓」に対する語注記は、「是も馬具なり。鞍と馬の背との間にあるものなり。いづれも圖説の馬具の部に委し」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

佐渡沓(さどぐつ)佐渡沓〔二三ウ六〕

佐渡沓(さどぐつ)〔四十二オ三〕

とあって、標記語「佐渡沓」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Cutcu.クツ(沓) §Cutcuuo caqu.(沓を掻く)馬用のわらじをつくる.§Cutcuuo vtcu.(沓を打つ)馬にわらじをはかせる.⇒Fumi,u;Tcumari,u;Vchi,tcu.(打ち,つ)〔邦訳174r〕

とあって、標記語「沓」の語を収載する。地名「佐渡」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「佐渡沓」の語を収載していることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「さど-ぐつ【佐渡沓】牛革製の浅香りの一種。佐渡の産という」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの実際]

沓は腰皮のいかにも薄を可用なり。昔は佐渡沓を用なり。当時の木束沓は鼻皮の厚て悪也。《『了俊大草紙』1395頃》

2001年12月2日(日)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(玉川→駒沢)

「武藏鐙(むさしあぶみ)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「無」部に、

武藏国(ムサシノ―)廿四郡。〔元亀本177四〕〔静嘉堂本121二〕

武藏(――)十一―。〔天正十七年本上59ウ四〕

とあって、標記語「武藏国」の語注記は、「廿四郡」という。また、「諸國郡之名・東海道」に、

武藏廿七郡。帙父。那阿。男衰。幡羅。多麻。比企。椿津。高麗。横見。埼玉。橘樹。雀原。豊島。足立。太里。新羅。久良。岐都。筑入間。田数三万六千百九十一町。〔元亀本109八上〕

武藏十一郡。天羽。長栖。垣生。坐陀。畔養。夷讃、市原。海上。山辺。武射。周雄。田数二万三千六百六十町。〔静嘉堂本467五下〕

武藏十一郡。天羽。長栖。垣生。坐陀。畔養。夷讃、市原。海上。山邊。武射。周唯。田数二万三千六百六十町。〔天正十七年本上72オ一〕

武藏十一郡。天羽。長栖。垣生。坐陀。畔養。夷讃、市原。海上。山辺。武射。周雄。田数二万三千六百六十町。〔西來寺本〕

とある。標記語「」については、「阿」部に、

(アブミ)。(同)。〔元亀本264一〕

鐙名所(―)頸トハ有紋所、カコトハ,上ノ丸所。サストカハ革ノ入所ノ金。柳葉トハマクリノ金。踏篭トハ沓先ノ猿尾當所。古先トハ踵ノ當所。鳩胸トハ向ノソリテ高低所。綱付トハ穴ノアル所也。猿尾トハホロツケノ穴ノ先ノ角也。必赤塗也。以小笠原備前入道宗信判形之物写之也。〔静嘉堂本303一〕

とあって、語注記に異なりが見られる。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

武藏鐙」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_蔵鐙」〔山田俊雄藏本〕

武藏鐙(ムサシアブミ)」〔経覺筆本〕

武藏鐙(ムサシアフミ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「武藏鐙」の語のうち、「鐙」の語で、

(アブミ)。〔器財門117一〕

として、標記語を「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

武藏(ムサシ,サウ、タケシ,ヲサム)[上・平] 武州二十四郡。水田五万千五百四十町。久良(クラ)。氣都筑(ケツヽキ)。多麻(タマ)。橘樹(タチハナ)。荏原(ヱバラ)。豊嶋(テシア)。足立(アダチ)。新座。入間(イルマ)。高麗(コマ)。比企(ヒキ)。横見(ヨコミ)。埼玉(サキタマ)。大里。男衾(ヲブスマ)。幡羅(ハラ)。伴澤(ハンサワ)。那珂(ナカ)。兒玉(コタマ)。東海。大縣。那珂。賀美(カミ)。秩父(チヽブ)。〔天地門458四〕

とあって、標記語「武藏」の語注記は、「武州二十四郡。水田五万千五百四十町。久良(クラ)。氣都筑(ケツヽキ)。多麻(タマ)。橘樹(タチハナ)。荏原(ヱバラ)。豊嶋(テシア)。足立(アダチ)。新座。入間(イルマ)。高麗(コマ)。比企(ヒキ)。横見(ヨコミ)。埼玉(サキタマ)。大里。男衾(ヲブスマ)。幡羅(ハラ)。伴澤(ハンサワ)。那珂(ナカ)。兒玉(コタマ)。東海。大縣。那珂。賀美(カミ)。秩父(チヽブ)」という。次に「」の語は、未収載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

武藏(ムサシ) 武(フ)州廿四郡。帙父(チヽブ)。那阿(ナカ)。男衾(ヲブスマ)。幡羅(ハラ)。多麻(タマ)。比企(ヒキ)。横見(ヨコミ)。埼玉(サキタマ)。橘樹(タチハナ)。荏原(エハラ)。豊島(トシマ)。足立(アダチ)。太里(ヲウサト)。新羅(ニイクラ)。久良(クラキ)。都筑(ツヽキ)。入間(イルマ)。児玉(コタマ)。房州(ハウシウ)。賀美(カミ)田数三万六千百九十一町。〔・日本國六十余州名数・東海道289三〕

武藏(ムサシ) 武(フ)州廿四郡。〔・日本國六十余州名數・東海道262八〕

武藏(――) 大武州/廿四郡。帙父(チヽブ)。那阿()。男衰。幡羅。多麻。比企。椿津。高麗。横見。埼玉。橘樹。雀原。豊島。足立。太里。新羅。久良。岐都。筑入間。田数三万六千百九十一町。〔・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・東海道232五〕

とあって、標記語「武藏」の語注記は「武(フ)州廿四郡。帙父(チヽブ)。那阿(ナカ)。男衾(ヲブスマ)。幡羅(ハラ)。多麻(タマ)。比企(ヒキ)。横見(ヨコミ)。埼玉(サキタマ)。橘樹(タチハナ)。荏原(エハラ)。豊島(トシマ)。足立(アダチ)。太里(ヲウサト)。新羅(ニイクラ)。久良(クラキ)。都筑(ツヽキ)。入間(イルマ)。児玉(コタマ)。房州(ハウシウ)。賀美(カミ)田数三万六千百九十一町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「」は、

(アブミ)。・財宝204三〕〔・財宝169九〕〔・財宝159四〕

とあって、『下學集』を継承する。そして、易林本節用集』には、

武藏(――)武(ブ)州,大管廿一郡, 四方五日半。野宏(ヒロキ)ニシテ而无山仍欠良材。田畠豐(ユタカ)ニシテ而野菜ノ類多。大上〃國也。久良岐(クラギ),都築(ツヅキ),多麻(タマ)府,橘樹(タチバナ),新倉(ニイクラ),入間(イルマ),高麗(コマ),比金(ヒキ),横見(ヨコミ),崎玉(サイダマ),兒玉(コダマ),男衾(ヲブスマ),旛蘿(ハタラ/ハラ),榛澤(ハシザワ),那賀(ナカ),賀美(カミ),足立(アダチ),秩父(チヽブ),荏原(ヱハラ),豊島(トヨシマ),大里(オホサト)。〔南瞻部州大日本國正統圖・東海道26三九〕

とあって、標記語「武藏」の語注記は、「武州,大管廿一郡, 四方五日半。野宏きにして山无し。仍ち良材を欠く。田畠豐かにして野菜の類多し。大上〃國なり。久良岐,都築,多麻{府},橘樹,新倉,入間,高麗,比金,横見,崎玉,兒玉,男衾,旛蘿,榛澤,那賀,賀美,足立,秩父,荏原,豊島,大里」という。標記語「」は、

(アブミ)。〔器財171七〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「武藏鐙」の語は、

武藏ムサシ。大東海 久良(クラキ),都築(ツメキ),多磨,橘樹(―キ),荏原(エ―),豊嶋(ト―),足立(アタチ),新座(ニヒクラ),入間(―ル―)/田三万六千百九十一丁。行程上廿九日下十五日/高麗(コマ),比企(ヒキ),横見,崎玉(サリ),大里(ヲト),男衾(ヲフスマ),幡羅(ハラ),榛澤(ハヒ―),那河(―カ),賀美, 兒玉(コ―),秩父。〔黒川本・國郡中46オ六〕

武藏國〔卷三・國郡332一〕

とあって、標記語を三卷本武藏」の語注記は、「大東海 久良,都築,多磨,橘樹,荏原,豊嶋,足立,新座,入間/田三万六千百九十一丁。行程上廿九日下十五日/高麗,比企,横見,崎玉,大里,男衾,幡羅,榛澤,那河,賀美, 兒玉,秩父」とする。これに対し、十巻本は、「武蔵國」とあって語注記の排列内容は同じである。標記語「」は、

(トウ)アフミ/都劉反。〔雜物下26ウ五〕

アフミ。〔卷三・雜物〕

とあって、その注記内容は、若干異なっている。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

264信濃布常陸細(美)上野綿上総鞦武藏鐙 ト_申也。〔謙堂文庫藏二九右D〕

とあって、標記語「武藏鐙」の語注記は、「は一と懸ると申すべきなり」という。古版『庭訓徃来註』では、

武藏鐙(ムサシアブミ)……播摩椙原ニ至(イタル)マデ國國ノ名物(メイフツ)ナリ。一ツ宛(ツヽ)ノ規模ナリ。《後略》〔下三オ八〕

とあって、この標記語「武藏鐙」の語注記は、「…に至るまで國國の名物なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

武藏鐙(むさしあぶミ)武藏鐙▲是も馬具なり。鞍の居木(いき)より馬の両給へたれ足を置物なり。〔二十九オ二〕

とし、標記語「武藏鐙」に対する語注記は、「是も馬具なり。鞍の居木より馬の両給へたれ足を置物なり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

武藏鐙(むさしあぶミ)武藏鐙▲鞦鐙切符▲等ハ六月返状(へんじやう)の所に注(しる)す。〔二四オ七〕。〔二三ウ五〕

武藏鐙(むさしあぶミ) ▲鞦鐙切符等ハ六月返状(へんじやう)の所に注(ちゆう)す。〔二四オ七〕。〔四十二オ三〕

とあって、標記語「武藏鐙」の語注記は、「六月の返状の所に注す」という

 当代の『日葡辞書』には、

Abumi.アブミ(鐙) 鐙.§Abumiuo caquru.(鐙を掛くる)鐙を取り付ける.§Abumiuo fazzusu.(鐙を外す)鐙を取り外す.§Abumiuo ficayuru.(鐙を控ゆる)馬に乗ろうとして鐙に手をかける.§Abumiuo funbaru.(鐙を踏ん張る)鐙の上に立ち上がって踏ん張る.§Abumino fatomune.(鐙の鳩胸)日本の鐙の前の方の部分.§Abumino cutcugomi.(鐙の沓込)鐙の,足をのせる所.§Abumino caco.(鐙の縷具)鐙の首の部分で,革帯をさし込む締め金具が取り付けられ,結びつけられる所.§Abumino chicaragane.(鐙の力金)鐙の革帯をさし込む締め金具.§Abumino yanaiba.(鐙の柳葉)鐙の底部を円く取り囲んでいる鉄製の縁.§Abumino xitasaqi.(鐙の舌先)日本の鐙の先端.※原文にporonde se toma ate afiuelaとあるが,ここは日西辞書にporonde se toma,y ata la heuillaとなっているのに従って,一応por onde se toma & ata afiuelaのように訳す.⇒Fumi,u;Fumifiraqi,u;Fumisucaxi,su;Qefanachi,tcu.〔邦訳7r〕

とあって、標記語「鐙」の語を収載し、意味はただ「鐙」という。地名「武蔵」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「武藏鐙」の語を収載していることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「むさし-あぶみ【武藏鐙】武蔵国からつくり出された鐙。また、その様式にならった鐙。壺鐙(つぼあぶみ)や半舌鐙(はんじたあぶみ)などが鞍の居木(いぎ)にかけるのに倍を用いないで、透しを入れた鉄板にして先端に刺金(さすが)をつけ、直接に縷具としたもの。鐙の端に刺金を作りつけにするところから、和歌では「さすが」に、また、鐙は踏むところから「踏む」「文(ふみ)」にかけて用いられる」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの実際]

武蔵あぶみは、庭訓(ていきん)徃来(わうらい)にのせて、古しへより國の名物ときこえたり。伊勢物語に 武蔵あぶみさすがにかけて思ふにはとはぬもつらしとふもうるさし という哥の面影(おもかげ)あるにや」《仮名草子『東海道名所記』一・日本古典全集22十一》

2001年12月1日(土)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(桜上水・日大文理学部)

「上総鞦(かづさしりがい)」

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「賀」部に、

上総(カツサ)十一―。総州。〔元亀本97一〕〔静嘉堂本121二〕

上総(――)十一―。〔天正十七年本上59ウ四〕

とあって、標記語「上総」の語注記は、「十一(郡)。総州」という。また、「諸國郡之名・東海道」に、

上総十一郡。天羽。長栖。垣生。坐陀。畔養。夷讃、市原。海上。山辺。武射。周唯。田数二万三千六百六十町。〔元亀本110一下〕

上総十一郡。天羽。長栖。垣生。坐陀。畔養。夷讃、市原。海上。山辺。武射。周雄。田数二万三千六百六十町。〔静嘉堂本467五下〕

上総十一郡。天羽。長栖。垣生。坐陀。畔養。夷讃、市原。海上。山邊。武射。周唯。田数二万三千六百六十町。〔天正十七年本上72オ一〕

上総十一郡。天羽。長栖。垣生。坐陀。畔養。夷讃、市原。海上。山辺。武射。周雄。田数二万三千六百六十町。〔西來寺本〕

とある。標記語「」については、「和」部に、

(シリカイ) 連索―/一懸ト云也。冨士野徃来〔元亀本333六〕

(―)連索/一懸ト云也。冨士野徃来〔静嘉堂本397六〕

とあって、語注記に「連索一懸と云なり。冨士野徃来」という。古写本『庭訓徃來』卯月十一日の状に、

上総鞦」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_野鞦」〔山田俊雄藏本〕

上総鞦(カヅサシリガイ)」〔経覺筆本〕

上総鞦(カツサシリカイ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本そして建部傳内本は、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。『下學集』は、標記語「上総鞦」の語のうち、「鞦」の語で、

(シリガイ)。〔器財門117一〕

として、標記語を「」の語注記は未記載にする。次に、広本節用集』は、

上総(カヅサシヤウ,ソウ、―,フサ)[上去・上] 総州十一郡。水田二万二千六百六十六町。市原(イチハラ)府。海上(アマカミ)。畔蒜(アヒル)。望陀(マウタ)。周准(スヨ)。天羽(アマハ)。夷抃(イシ)。垣生(ハニフ)。長柄(ナカラ)。山邊(ヤマベ)。武射(ムヤ)。〔天地門251四〕

とあって、標記語「上総」の語注記は、「総州十一郡。水田二万二千六百六十六町。市原。海上。畔蒜。望陀。周准。天羽。夷抃。垣生。長柄。山邊。武射」という。次に「」の語は、

(シリカイシウ)。〔絹布門927三〕

とあって、『下學集』からの継承ということになり、語注記は未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

上総(カヅサ) 総(ソウ)州十一郡。天羽(アマハ)。長柄(ナガラ)。埴生(ハニウ)。望陀(マウタ)。畔蒜(アビル)。夷抃(イシミ)。市原(イチハラ)。海上(ウナカミ)。畔蒜(アヒル)。望陀(マウタ)。山辺(ヤマノヘ)。山田(ヤマダ)。武射(ブサ)。冂唯。田数二万千六百六十六町。〔・日本國六十余州名数・東海道289六〕

上総(カツサ) 総(ソウ)州十一。〔・日本國六十余州名數・東海道262八〕

上総(――) 大総州/十一郡。周唯(スヱ)。天羽(アマハ)。市原(イチハラ)府。海上(アマカミ)。畔蒜(アヒル)。望陀(マウタ)。埴生(ハフ)。長柄(ナカヘ)。山辺(―ノベ)。夷抃(イシミ)。武射(ムサ)。〔・日本國六十余州受領之高下并片名同郡数事・東海道232五〕

とあって、標記語「上総」の語注記は「総(ソウ)州十一郡。天羽(アマハ)。長柄(ナガラ)。埴生(ハニウ)。望陀(マウタ)。畔蒜(アビル)。夷抃(イシミ)。市原(イチハラ)。海上(ウナカミ)。畔蒜(アヒル)。望陀(マウタ)。山辺(ヤマノヘ)。山田(ヤマダ)。武射(ブサ)。冂唯。田数二万千六百六十六町」とする弘治二年本広本節用集』に最も近い注記内容であり、続いて尭空本、いちばん簡略化した注記が永祿二年本ということになる。標記語「」は、

(シリガイ)。・財宝242三〕〔・財宝208四〕

(シリカイ)。・財宝192五〕

とあって、『下學集』、広本節用集』を継承する。そして、易林本節用集』には、

上総(――)総(ソウ)州,大管十一郡, 南北三日。海岸弘(ヒロク)碧藻(ヘキサウ)絹布鎧鍬等發(ハツ)ス。大中国也。周集(スス)。天羽(アマバ)。市原(イチハラ)。海上(ウナカミ)府。畔蒜(ホヒル)。望陀(マウダ)。夷抃(イシミ/井スミ)。埴生(ハニフ)。長柄(ナガラ)。山邊(ヤマノベ)。武射(ムサ)。〔南瞻部州大日本國正統圖・東海道264五〕

とあって、標記語「上総」の語注記は、「総(ソウ)州,大管十一郡, 南北三日。海岸弘く碧藻多し。絹布鎧鍬等名を發す。大中国なり。周集。天羽。市原。海上。畔蒜。望陀。夷抃。埴生。長柄。山邊。武射」という。標記語「」は、

(シリガヒ)。〔器財209七〕

とある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「上総鞦」の語は、

上総カムツサ。大東海、无守、才守、以介、為国司。田数二万二千六百六十六丁、行程上廿日、下十五日。市原(イチハラ)府。海上(ウナカミ)。畔蒜(アヒル)。望陀。周唯。天羽(アマ)。夷抃(イシミ)。長柄(ナカラ)。山邊(―ノヘ)。武射(ムサ)。垣生(ハフ)。〔黒川本・國郡上91オ一〕

上総國管十二イ十一。市原。海上(ウミカミ)。畔蒜(アヒル)。望陀(マウタ)。周唯(スヱ)。天羽(アマウ)。夷抃(イシミ)。垣生(ハニフ)。長柄(ナカラ)。山。武射(ムサ)。本田数二万二千六百六十六丁、上総十二郡タリ。今一郡不足云々、不定也。〔卷三・國郡331三〕

とあって、標記語を三卷本上総」の語注記は、「大東海、无守、才守、以介、為国司。田数二万二千六百六十六丁、行程上廿日、下十五日。市原。海上。畔蒜。望陀。周唯。天羽。夷抃。長柄。山邊。武射。垣生」とする。これに対し、十巻本は、「管十二イ十一。市原。海上。畔蒜。望陀。周唯。天羽。夷抃。垣生。長柄。山。武射。本田数二万二千六百六十六丁、上総十二郡と注したり。今一郡不足す云々、不定なり」とあって語注記の排列内容は同じである。標記語「」は、

シリカイ又作得邉〔雜物下73オ一〕

シリカキ。車―也。亦乍得。〔卷九・雜物159五〕

とあって、その注記内容は、若干異なっている。

 これを『庭訓往来註』卯月十一日の状に、

264信濃布常陸細(美)上野綿上総鞦武藏 ト_申也。〔謙堂文庫藏二九右D〕

とあって、標記語「上総鞦」の語注記は、未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

上総鞦(カヅサシリガイ)……播摩椙原ニ至(イタル)マデ國國ノ名物(メイフツ)ナリ。《後略》〔下三オ八〕

とあって、この標記語「上総鞦」の語注記は、「…に至るまで國國の名物なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

上野綿(かうつけわた)上総鞦(かつさしりかい)上野綿上総鞦▲馬具なり。馬の尾筒(をつゝ)へかげ鞍をかたむる物也。〔二十九オ一〕

とし、標記語「上総鞦」に対する語注記は、「馬具なり。馬の尾筒へかげ鞍をかたむる物なり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

上総鞦(かづさしりがい)上総鞦▲鞦鐙切符▲等ハ六月返状(へんじやう)の所に注(しる)す。〔二四オ七〕

上総鞦(かづさしりがい) ▲鞦鐙切符等ハ六月返状(へんじやう)乃所に注(ちゆう)す。〔四十二オ三〕

とあって、標記語「上総鞦」の語注記は、「六月返状」に注記しているという。

 当代の『日葡辞書』には、

Xirigai.シリガイ(鞦) 馬の鞦.〔邦訳778l〕

とあって、標記語「鞦」の語を収載し、意味は「馬の鞦」という。地名「上総」の語は未収載にする。いわば、『庭訓徃来』そして、その注釈本の系統が、この「上総鞦」の語を収載していることになる。そして、現代の国語辞書である小学館日本国語大辞典』第二版には、見出し語を「かずさ-しりがい【上総鞦】馬具の名。色々に美しく染めた鞦。上総国(千葉県中部)で産したという」として、この複合名詞を収載している。

[ことばの実際]

一の御馬(蒔鞍を置く、総鞦を懸く) 越後の太郎光時主 尾藤太景氏《『吾妻鏡』1230年 (寛喜二(一二三〇)年庚寅一月四日》

富士河に鎧はすてつ、墨染の衣たゞきよ後の世のため。たゞきよはにげの馬にぞのりにける、上總鞦かけてかひなし。《『平家物語』卷五・五節之沙汰》

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