2002年2月1日から2月28日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

2002年2月28日(木)小雨。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

油蝋燭(あぶら・ラウソク)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「阿」部と「羅」部に、

(アブラ)。〔元亀本264一〕〔静嘉堂本299七〕

とあって、標記語「」にして語注記は未記載にする (標記語「蝋燭」については1999.09.25に収載のため省略)。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

懸盤引入合子皿盞」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

__合子-」〔山田俊雄藏本〕

懸盤引入合子(ヒキイレガウシ)」〔経覺筆本〕

_(カケハン)_(ヒキイレ)-(カウシ)-(ラツソク)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「」を未収載にする。標記語「蝋燭」の語は収載する。次に広本節用集』は、

(アブラ)。〔器財門749三〕

蝋燭(ラフソク/―,トモシビ)[入・入]異名、銀燭。芳燭。花燭。明修。五枝。九枝。〔器財門452八〕

とあって、標記語を「」と「蝋燭」ともに収載し、「蝋燭」の語注記には異名語群六語を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には

(アブラ)。〔・財宝204三〕

蝋燭(ラツソク)燭同。〔・財宝143七〕

蝋燭(ラツソク)。〔・財宝114二〕

(ラツチヤ)(ソク)。〔・財宝104六〕〔・財宝127四〕

とあって、標記語「」は弘治二年本だけが収載し、その語注記は未記載にする。標記語「蝋燭」は、弘治二年本が語注記に「燭」の別表記の字を記載する。また、易林本節用集』には、

(ラツソク)―紙(ラフカミ)。―色(イロ)〔器財113一〕

とあって、標記語「」は未収載とし、標記語「」は収載する。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(ユ俗) アフラ/イウ同。〔黒川本・雑物下27オ二〕

アフラ/〃イウ同/〓。アフラ歟/側伯反〔卷第八309二〕

臘{―}燭ラフソク。〔黒川本・雑物下38ウ一・二〕

臘燭ラウソク。〔卷第六89五〕

とあって、標記語「」「{蒻}」の語を収載する。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

290懸盤引入合子蒻莓 蜂子。其形如燭。故云尓。尭始作也。〔謙堂文庫蔵三一左@〕

とあって、標記語を「蒻莓」とし、「蒻莓」の語注記は「蜂が漆を以って巣を作り、を以って子と爲す。其の形燭のごとし。故に尓云く。尭始めて作るなり」という。古版『庭訓徃来註』では、

(タカツキ)-入合子(ガウシ)(サラ)(サカツキ)(アブラ)(ラウソク)鐵輪(カナワ)-下進注文〔下六オ二〕

とあって、この標記語「」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さら)(さかつき)(あふら)(らうそく)鐵輪(かなわ)以下(いけ)-_輪以-。〔三十三オ一〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さら)(さかづき)(あぶら)(らうそく)鐵輪(かなわ)以下(いげ)-_輪以下。〔二十七オ三〕

(さら)(さかづき)(あぶら)-(らうそく)_(かなわ)以下(いげ)。〔四十八オ三〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。

 当代の『日葡辞書』には、

Abura.アブラ(油) 植物性の油.§Aburauo xiboru.(油を絞る)油を製する.§Abura de aguru.(油で揚ぐる)油を使って揚げる.§Aburaga ximu.(油が染む)油が付いてすみをつくる,または,油がしみ通る.§下(Ximo)では,Aburauo sumuru(油をすむる)と言う.油を製する意.※原文はAzeite,ou,oleo.〔邦訳8l〕

Rassocu.ラウソク(燭) で作った灯火.⇒Acaxi,su.〔邦訳526r〕

とあって、標記語「」の意味は「植物性の油」とあり、標記語「蝋燭」の意味は「で作った灯火」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「あぶら【<>動物の脂肪、植物の実や種子、鉱物などからとれる、水に溶けない可燃性の物質。灯火用、食用、薬用、燃料用などに広く用いられる。普通液体のものをいうが、脂肪のように、常温では固体で液体のものを「油」、固体のものを「脂」、また肉のあぶらを「膏」と書き分けることができる。《後略》」「らう-そく【蝋燭<>@糸または紙をより合わせたものを芯(しん)として、その周囲を蝋またはパラフィン蝋で塗り固め、円柱状に成型して灯火の用に供するもの。用途によって大きさ、形など種々ある。ろうしょく。らっそく。らんそく。《後略》」とある。

[ことばの実際]

近國浦々、大魚〈其名不分明〉多死浮波上、寄于三浦崎六浦前濱之間、充滿鎌倉中人擧買其、定家家煎之、取彼異香滿閭巷《読み下し》波ノ上ニ浮カビ、三浦ノ崎六浦ノ前浜ニ寄ルノ間、鎌倉中ニ充満ス。人挙テ其ヲ買フ、定メテ家家之ヲ煎ジテ、彼ノヲ取ルカ。異香閭巷ニ満ツ。《『吾妻鏡』貞応三年五月十三日条》

(コレ)ヨリ後(ノチ)ハ中々(ナカナカ)(シノビ)タル體(テイ)モ無(ナク)シテ、「面々(メンメン)ノ御陣(ゴヂン)ニ、御用心(ゴヨウジン)候ヘ。」ト高ラカニ呼(ヨバ)(ツ)テ、閑々(シヅシヅ)ト本堂ヘ上(アガリ)テ見レバ、是(ココ)ゾ皇居ト覺(オボエ)テ、蝋燭(ラフソク)數多所(アマタトコロ)ニ被燃テ、振鈴(シンレイ)ノ聲幽(カスカ)也。《『太平記』卷第三・笠置軍事陶山小見山夜討事》

2002年2月27日(水)薄晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

皿盞(さら・さかづき)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「左」部に、

(サラ)。〔元亀本279三〕〔静嘉堂本319一〕

(サカツキ)(同)(同)(同)。〔元亀本279一〕

(サカツキ)盃觴卮。〔静嘉堂本318八〕

とあって、標記語「」と「盞盃觴卮」にして語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

懸盤引入合子皿盞」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

__合子-」〔山田俊雄藏本〕

懸盤引入合子(ヒキイレガウシ)」〔経覺筆本〕

_(カケハン)_(ヒキイレ)-(カウシ)-(ラツソク)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、「さかづき」の表記は、古写本では「盞」の字を用いる。経覺筆本だけが「盃」としている。古辞書『下學集』は、

(サラ)。〔器財門106三〕

とあって、標記語「」を収載し、語注記は未記載にする。標記語「盞・盃」の語は未収載にある。次に広本節用集』は、

(サラ/ヘイ)[上]。〔器財門781七〕

盞子(サンス/サカヅキ,シ・コ)[上・上](サカヅキ/ハイ)[平]。杯盞觚。異名、虎頭。竹葉。魚枕。玉舟。流霞。大白。壽巵。紫霞杯。鸚鵡盃。鑿落。蓬莱。水晶杯。梨花杯。玉杯。青荷葉。荷葉。垂蓮。金羅。玉東西。桐葉。(シ)。荷盃。玉盞。〔器財門781六〕

とあって、標記語を「」と「」とにして収載し、「」の語注記には「杯盞觚」といった五つの文字種を示し、異名語群を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には

(サラ)。〔・財宝衣服211八〕〔・財宝176七〕〔・財宝165六〕

(サカツキ)杯同。(同)。〔・財宝衣服211八〕

(サカツキ)杯。盞。〔・財宝176七〕〔・財宝165六〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は未記載にする。標記語「」は、その語注記に「杯・盞」の二字を記載する。また、易林本節用集』には、

(サラ)。〔器財180四〕

羽觴(サカヅキ)盃同。(同)シ(同)(同)サン。〔器財179七〜180一〕

とあって、標記語「」と標記語「さかづき」は六種の表記字を収載する。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(ハイ) サカツキ/布四反/亦作杯(サン) 同/阻限反(同)シ(シヤウ) 同/俗作同/即略反爵与/同(同)玉緑酒承也同/舉―(シヨウ)同鸚鵡盃白爵滿盃王舜(カ)同/我阿反(クハウ)同。〔黒川本・雑物下38ウ一・二〕

サカツキ/亦作サカツキ坏名也俗作サカツキ盃宥小者也舉―酒器受七升罸失礼者罸酒盃也玉緑酒承滿盃王舜クハウ鸚鵡盃已上同。〔卷第八413六〜414六〕

とあって、標記語「」の語を筆頭に数種の表記字を収載する。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

290懸盤引入合子蒻莓 蜂子。其形如燭。故云尓。尭始作也。〔謙堂文庫蔵三一左@〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

(タカツキ)-入合子(ガウシ)(サラ)(サカツキ)(アブラ)(ラウソク)鐵輪(カナワ)-下進注文〔下六オ二〕

とあって、この標記語「」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さら)(さかつき)(あふら)(らうそく)鐵輪(かなわ)以下(いけ)-_輪以-。〔三十三オ一〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さら)(さかづき)(あぶら)(らうそく)鐵輪(かなわ)以下(いげ)-_輪以下。〔二十七オ三〕

(さら)(さかづき)(あぶら)-(らうそく)_(かなわ)以下(いげ)。〔四十八オ三〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。

 当代の『日葡辞書』には、

Sara.サラ(皿) 大皿,または,食卓用ソース皿〔小皿〕.⇒次条.〔邦訳558l〕

Sacazzuqi.サカヅキ(盞) 盃,または,コップ.§Sacazzuqiuo catamuquru.(盃を傾くる)すなわち,Nomu.(飲む)盃(Sacazzuqui)で酒を飲む.文章語.〔邦訳546r〕

とあって、標記語「」の意味は「大皿,または,食卓用ソース皿〔小皿〕」とあり、標記語「」の意味は「盃,または,コップ」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「さら【】<名>@平たい浅い器。食物を盛るのに用い、陶器、漆器、金属およびガラス製などがある。A@に盛って饗膳(きょうぜん)などに出す肴(さかな)。B仏具の一つ。銅に錫(すず)・鉛を加えた合金で作る。盆のような形で、読経の時に打ち鳴らす。C秤皿(はかりざら)。D物を盛るもの。E人間の骨で、平たくて@に似た形のものを俗にいう。F処女の女陰。G漢字の脚(あし)の一つ。「盃」「盆」「盛」などの「皿」の部分をいう。この脚をもつ字の大部分は、字典で皿部に属する」「さかずき【】<名>(さか(酒)つき(杯)の意)@酒を入れて飲むのに用いる小さなうつわ。陶磁器、漆器、金属器、ガラス器などいろいろの種類がある。A酒席で、さかずきを差したり、受けたりすること。B別離や約束を固めるときなどに、儀礼的に酒を飲みかわすこと。特に、夫婦、親子、兄弟、主従等の縁を固めるためにする酒宴。さかずきごと。かためのさかずき。⇒さかずきをする。C女陰をいう俗語。土器(かわらけ)」とある。

[ことばの実際]

具參近江國住人五家次《読み下し》近江ノ国ノ住人五家次ヲ具シ参ズ。《『吾妻鏡』建永二年九月二十四日条》

凡奥州御下向之間、自御出鎌倉之日、至于御還向之今、毎日御羞膳、御湯殿、各三度、更雖無御懈怠之儀遂以所不令成民庶之費也《読み下し》凡ソ奥州御下向ノ間、鎌倉ヲ御出デノ日ヨリ、御還向ノ今ニ至ルマデ、毎日御羞膳酒、御湯殿、各三度、更ニ御懈怠ノ儀無シト雖モ、遂ニ以テ民庶ノ費エヲ成サシメザル所ナリ。《『吾妻鏡』文治五年十月一日条》

2002年2月26日(火)曇り薄晴れ。東京(八王子)⇒横浜(都筑・横浜市立歴史博物館)⇔世田谷(駒沢)

引入合子(ひきいれガウシ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「比」部と「賀」部に、

引入(―イルヽ)。〔元亀本340九〕 合子(―シ)。〔元亀本92五〕

引入(――)。 〔静嘉堂本408四〕 合子(―シ)。〔静嘉堂本114四〕

合子(―シ)。〔天正十七年本上56オ七〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「引入」と「合子」の二語にして語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

懸盤引入合子皿盞油」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

__合子-」〔山田俊雄藏本〕

懸盤引入合子(ヒキイレガウシ)」〔経覺筆本〕

_(カケハン)_(ヒキイレ)-(カウシ)-(ラツソク)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、

引入(ヒキイレ)。〔器財門106四〕  合子(ガウシ)。〔器財門106四〕

とあって、標記語を「引入」と「合子」とに二分して収載し、語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

引入(ヒキイレ/インシフ)[去・入]。〔器財門1035五〕

合子(ガフシ/アワスル,コ)[入・上]御器(ゴキ)。〔器財門269七〕

とあって、標記語を「引入」と「合子」とにして収載し、「合子」の語注記には「御器」とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には

引入合子(ヒキイレガツシ)。〔・財宝衣服254四〕

引入合子(ヒキイレカウシ)。〔・財宝217七〕〔・財宝203三〕

とあって、標記語を「引入合子」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

引目(同〔ヒキメ〕)―兩(リヤウ)-(カウシ)―入合子(―イレガフシ)。―合(アハせ)。―敷(シキ)。―付(ツケ)。〔器財225三〕

とあって、標記語「引目」の冠頭字「引」の熟語群として「引入合子」の語を収載する。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

合子カウシ。〔黒川本・雑物上80ウ八〕〔卷第三217六〕

とあって、標記語「合子」の語を収載する。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

290懸盤引入合子蒻莓 蜂子。其形如燭。故云尓。尭始作也。〔謙堂文庫蔵三一左@〕

とあって、標記語を「引入合子」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

(タカツキ)-入合子(ガウシ)(サラ)(サカツキ)(アブラ)(ラウソク)鐵輪(カナワ)-下進注文引入合子(ガウシ)ト申ハ公方(クバウ)ノ供御(クゴ)ヲ盛(モ)ル物也。ヒキ物ノ太シキ也。三升盛(モ)リ。五升盛リナンドモルナリ。大名ハ國ヲ持分限(―ンゲン)ホド飯ノ大小アル也。合子(カウシ)ハ七ツ入九ツ入ナド重々ヲ入引タル御器(ゴキ)也。子多キガ故ニ合子ト云フナリ。〔下六オ四〕

とあって、この標記語「引入合子」の語注記は「引入合子と申すは、公方の供御を盛る物なり。ひき物の太しきなり。三升盛り。五升盛りなんどもるなり。大名は國を持ち分限ほど飯の大小あるなり。盞は、七つ入れ九つ入れなど重々を入れ引きたる御器なり。子多きが故に盞と云ふなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

引入合子(ひきいれくわうし)引入合子入子の躰なり。一説に七ツ入九ツ入なと重々乃御器(ごき)なり。公方の供御(ぐご)をもるうつわなり。〔三十二ウ八〕

とあって、標記語「引入合子」の語注記は「入子の躰なり。一説に七ツ入れ九ツ入れなど重々の御器なり。公方の供御をもるうつわなり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

引入合子(ひき―かふし)引入合子引入合子ハ或(あるひ)ハ七ツ。或ハ九ツ入子(いれご)の器(うつハ)也。〔二十七オ六〕

引入合子(ひき―かふし)引入合子ハ或(あるひ)ハ七ツ。或ハ九ツ入子(いれこ)の器(うつハ)也。〔四十八ウ一〕

とあって、標記語「引入合子」の語注記は、「引入合子は、或ひは七つ。或ひは九つ入子の器なり」とある。

 当代の『日葡辞書』には、

Fiqiire.ヒキイレ(引入) .〔邦訳238l〕

Go<xi.ガゥシ(合子) 木製の椀,すなわち,御器(goquis).§また,御器(Goqui)に似た銅製の器で,茶の湯(Chanoyu)で水をこぼし入れるもの.〔邦訳310l〕

とあって、「引入」は人を導き入れる意味のことばで異にしている。また、標記語「合子」の意味は「木製の椀,すなわち,御器」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ひきいれ-ごうし【引入合子挽入合子】<名>ろくろ細工で作った入子(いれこ)の椀。ひきれごうし」とある。

[ことばの実際]

天正十二年三月、同三月二日朝  秀吉様 金森 蜂屋床ニかふらなし、水も不入、しきニ、台天目風炉 吉野釜、五とくニ篭 いもかしら 金ノ合子、御手水之間ニ床ニ船子かけてかふらなし、中へ引出し置、薄板ニすへ、水も入て、花、秀吉御いれなされ候。薄茶 ひつミたるかうらい 昼過迄、御放なされ候、せイノタカキウハ口取寄テ、御目ニカケ申候。(千宗室編「茶道古典全集第八巻『天王寺屋会記』)

2002年2月25日(月)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

懸盤(かけバン)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「賀」部に、

懸盤(カケバン)。〔元亀本96七〕〔静嘉堂本120五〕

懸盤(―ハン)。〔天正十七年本上59オ七〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「懸盤」の語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

懸盤引入合子皿盞油」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

__合子-」〔山田俊雄藏本〕

懸盤引入合子(ヒキイレガウシ)(サカヅキ)」〔経覺筆本〕

_(カケハン)_(ヒキイレ)-(カウシ)(サラ)(サカツキ)(アフラ)-(ラツソク)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「懸盤」の語は未収載にする。次に広本節用集』は、

懸盤(カケバンケン・ハルカナリ,メグル)[平・平]折敷(ヲシキ)ノ類也。〔器財門269五〕

とあって、標記語「懸盤」で収載し、その語注記は「折敷の類なり」とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には

懸盤(カケバン)折敷。〔・財宝83三〕

懸盤(カケバン)。〔・財宝80三〕〔・財寳87四〕

懸盤(カケハム)。―金/―子。〔・財宝73一〕

とあって、標記語「懸盤」の語注記は弘治二年本だけが「折敷」として、広本節用集』の簡略注記となっている。後は、未記載にある。また、易林本節用集』には、

懸盤(カケハン)。〔器財門75七〕

とあって、標記語「懸盤」の語注記は未記載にある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「懸盤」の語は未収載にある。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

290懸盤引入合子蒻莓 蜂子。其形如燭。故云尓。尭始作也。〔謙堂文庫蔵三一左@〕

とあって、標記語を「懸盤」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

(タカツキ)懸盤(カケバン)ナド皆々公家(クゲ)ノ御膳(コせン)ナリ。〔下六オ一・二〕

とあって、この標記語「懸盤」の語注記は「皆々公家の御膳なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

懸盤(かけはん)懸盤。足高き膳也。〔三十二ウ七〕

とあって、標記語「懸盤」の語注記は「足高き膳なり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

懸盤(かけばん)懸盤懸盤ハ公家(くげ)の食机(をしき)也。其(その)(かたち)四方ふくらかに張出(はりいだ)しそれを猪目(ゐのめ)乃ごとく透(すか)して足(あし)を作りたるもの也。〔二十七オ五〕

懸盤(かけばん)懸盤ハ公家の食机(をしき)也。其形四方ふくらかに張出(はりいだ)しそれを猪目(ゐのめ)のごとく透(すか)して足(あし)を作(つく)りたるもの也。〔四十八オ六〕

とあって、標記語「懸盤」の語注記は、「懸盤は、公家の食机なり。其の形、四方ふくらかに張り出しそれを猪目のごとく透して足を作りたるものなり」とある。

 当代の『日葡辞書』には、

Caqeban.カケバン(懸盤) 日本の丈の高い食卓〔膳〕.〔邦訳93r〕

とあって、「懸盤」の意味は「日本の丈の高い食卓〔膳〕」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「かけ-ばん【懸盤】<名>台盤の一種。大きく格狭間(こうざま)を透かした台に折敷(おしき)をのせたもの。江戸時代には、格狭間が小さくなり、折敷を取りつけて形式化している」とある。

[ことばの実際]

左衞門督(公任)は御前(おまへ)のもの、沈の懸盤(かけばん)・銀(しろがね)の御皿(さら)どもなど、詳(くは)しくは見(み)ず。《『榮花物語』卷第八はつはな・大系上264五》

2002年2月24日(日)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(玉川⇒駒沢)

茶椀{碗}(チャワン)の(グ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「地」部に、

茶碗(―ワン)。〔元亀本67九〕

茶碗(――)。〔静嘉堂本80二〕

茶碗(チヤワン)。〔天正十七年本上40オ六〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「茶碗」の表記字で語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

金色提青漆鉢具高」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ヒサケ)--_(タカツキ)」〔山田俊雄藏本〕

_提子(ヒサゲ)青漆茶椀(タカツキ)」〔経覺筆本〕

_(ヒサケ)-(せイシツ)ノ(ハチ)-(ワン)ノ_(タカツキ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古写本は「チャワン」の「ワン」の字を下記に示す『色葉字類抄』と同じ「」の表記字に作り、経覺筆本だけが「椀」の表記字を以って示している。古辞書『下學集』は、

茶椀(チヤワン)。〔器財門107五〕

とあって、標記語「茶椀」の表記字で語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

茶椀(チヤワン)[平・○]同。椀字玉篇曰小也。亦(シ)ノ器又作碗。〔器財門162三〕

とあって、標記語「茶椀」で収載し、その語注記は「同じ。椀の字『玉篇』に曰く小なり。亦の器。又碗に作る」とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には

茶椀(―ワン)同。〔・財宝50三〕

茶碗+皿(―ワン)・財宝51九〕

茶磨(チヤウス)―壺。―篩。―巾/―筅。―碗。―桶。・財宝47三〕〔・財宝56一〕

とあって、標記語「茶椀」で表記するのが弘治二年本で、後は、「ワン」の字を「石扁」に「宛」と「皿」との旁字の表記をもって収載する。易林本節用集』には、

茶椀(―ワン)。〔器財門50六〕

とあって、標記語「茶椀」の表記字で語注記は未記載にある。

 この「チャワン」標記語は、当代古辞書において「茶椀」と「茶碗」、それに印度本系統の写本が示す「茶碗+皿」とが用いられていて、古写本『庭訓徃来』には、「」の表記も確認できる。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

チヤワン。〔黒川本・雑物上54オ五〕

茶椀イ/チヤワン。〔卷第一・雑物461五〕

とあって、三卷本は古写本『庭訓徃来』と同じ標記語「」で収載し、十巻本は、『下學集』と同じ「茶椀」で収載する。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

289_提子(ヒサケ)青漆茶椀折敷 盃之臺也。〔謙堂文庫蔵三一右H〕

とあって、標記語を「茶碗」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

(ウ)チ銚子(テウシ)金色(カナイロ)(ヒサグ)青漆(せイシツ)ノ(ハチ)茶碗(チヤワン)ノ(グ)何レモ不記ニ。〔下六オ一〕

とあって、この標記語「茶碗(く)」の語注記は「いずれも記におよばず」ということで未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

青漆(せいしつ)(はち)茶碗(ちやわん)(く)(たかつき)青漆茶碗くわしなとを盛(も)るうつわなり。〔三十二ウ六〕

とあって、標記語「茶碗の具」の語注記は「くわしなどを盛るうつわなり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

青漆(せいしつ)(はち)茶碗(ちやわん)(く)(たかつき)青漆茶碗。〔二十七オ二〕

青漆(せいしつ)の(はち)茶碗(ちやわん)の(ぐ)(たかつき)。〔四十八オ二〕

とあって、標記語「茶碗の具」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Chauan.チャワン(茶碗) 陶磁器の碗,すなわち,陶土製の碗.※原文はPorsolana,ou,escudela de barro.porsolanaはporcelanaの古形で,陶磁器の碗.escudelaは木製の椀であるが,escudela de barroで陶土製の茶碗にあてたもの.⇒Fuqeri,ru;Sometcuqe;Vare,uru.〔邦訳118l〕

とあって、「茶碗」の意味は「陶磁器の碗,すなわち,陶土製の碗」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ちゃ-わん【茶碗茶椀】<名>@茶を入れ、また、飯を盛る器。飲食に用いる陶磁器。A釉(うわぐすり)をかけて焼いた陶器の総称。B天目茶碗をいう女房詞。C「ちゃわんもり(茶碗盛)」の略。D女性が年頃になっても、陰部に毛がはえないことをいう俗語」とある。

 とりわけ、真字注は、「茶椀具」のあとに「折敷」の語を挿入増補していて、古写本『庭訓徃来』や江戸時代の注釈書とは異なりを見せている。

[ことばの実際]

又唐錦十端唐綾絹羅等百十端、南廷三十唐墨十廷、茶椀具二十、唐筵五十枚、米千石、牛十頭等、同進院之由、申之《読み下し》又唐錦十端唐綾絹羅等百十端、南廷三十唐墨十廷、茶椀ノ具二十、唐筵五十枚、米千石、牛十頭等、同ク院ニ進ルノ由、之ヲ申ス。《『吾妻鏡』文治元年十月二十日条》

2002年2月23日(土)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「青漆(セイシツ)の(ハチ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「勢」部に、「青春(せイシユン),青陽(ヤウ),青囲(イ)東宮ノ唐名」の三語を収載するが、標記語「青漆」の語は未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

金色青漆鉢具高」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ヒサケ)--_(タカツキ)」〔山田俊雄藏本〕

_提子(ヒサゲ)青漆茶椀(タカツキ)」〔経覺筆本〕

_(ヒサケ)-(せイシツ)ノ(ハチ)-(ワン)ノ_(タカツキ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「青漆」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

青漆(せイシツ/アホシ,ウルシ)[平・入]。〔光彩門1087三〕

とあって、標記語「青漆」を収載し、その語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』、易林本節用集』には、標記語「青漆」の語は未収載にある。

 この標記語「青漆」は、古辞書において確認できるのが広本節用集』に限られ、それも光彩門に収載がなされている。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』の光彩門には、「青黛せイタイ」(黒川本下103ウ一)の語を収載するだけで、この標記語「青漆」の語は未収載にある。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

289_提子(ヒサケ)青漆茶椀折敷 盃之臺也。〔謙堂文庫蔵三一右H〕

とあって、標記語を「青漆」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

(ウ)チ銚子(テウシ)金色(カナイロ)(ヒサグ)青漆(せイシツ)ノ(ハチ)茶碗(チヤワン)ノ(グ)何レモ不記ニ。〔下六オ一〕

とあって、この標記語「青漆(せいしつ)(はち)茶碗(ちやわん)(く)(たかつき)青漆茶椀折敷」の語注記は「いずれも記におよばず」ということで未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

青漆(せいしつ)(はち)茶碗(ちやわん)(く)(たかつき)青漆茶碗くわしなとを盛(も)るうつわなり。〔三十二ウ六〕

とあって、標記語「青漆」の語注記は「くわしなどを盛るうつわなり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

青漆(せいしつ)(はち)茶碗(ちやわん)(く)(たかつき)青漆茶碗。〔二十七オ二〕

青漆(せいしつ)の(はち)茶碗(ちやわん)の(ぐ)(たかつき)。〔四十八オ二〕

とあって、標記語「青漆」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』も標記語「青漆」の語は、未収載にする。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「せい-しつ【青漆】<名>青緑色のうるし。また、その色。あおうるし」とある。

[ことばの実際]「うるしぬり―色―⇒青漆

地謡√恥ずかしながら餓鬼道の、塗師(ぬし)となって、青漆(せいしッ)のごとくなる、淵にのぞんで、漆ごしに、水を入れて、飲まんとすれば、程なく火焔と燃え上がって身は焼け漆となりたるぞや、身は漆となりたるぞや。《虎明本狂言『塗師』大系下79十》

2002年2月22日(金)晴れのち曇り。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「提子(ひさげ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「飛」部に、

提子(ヒサゲ)。〔元亀本341一〕〔静嘉堂本408六〕

とあって、標記語「提子」の語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

此外打銚子金色」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_外打-(テウ―)_(ヒサケ)」〔山田俊雄藏本〕

外打銚子(テウシ)金色提子(ヒサゲ)」〔経覺筆本〕

_外打__(テウシ)_(ヒサケ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、

提子(ヒサゲ)。〔器財門107三〕

とあって、標記語「提子」の語を収載し、その語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

提子(ヒサゲ/テイ・ヒサグ,コ)[○・上]。〔器財門1035七〕

とあって、標記語「提子」を収載し、その語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

提子(ヒサゲ/テイス)。〔・財宝衣服253七〕〔・財宝216九〕

提子(ヒサゲ)。〔・財宝202六〕

とあって、標記語を「提子」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』に、

提子(ヒサゲ/テイス)。〔器財門225三〕

とあって、標記語「提子」を収載しその語注記を未記載にする。

 この標記語「提子」は、古辞書での読みを「ひさげ」とし、これに印度本系統の『節用集』や易林本『節用集』は、左訓に字音読みの「テイス」を示している。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

ヒサ。〔黒川本・雑物下90ウ七〕〔卷第十・雑物345三〕

とあって、標記語「」の表記字で収載されている。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

289_提子(ヒサケ)青漆茶椀折敷 盃之臺也。〔謙堂文庫蔵三一右H〕

とあって、標記語を「提子」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

(ウ)チ銚子(テウシ)金色(カナイロ)(ヒサグ)青漆(せイシツ)ノ(ハチ)茶椀(チヤワン)ノ(グ)何レモ不記ニ。〔下六オ一〕

とあって、この標記語「提子」の語注記は「いずれも記におよばず」ということで未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

金色(かないろ)(ひさげ)金色つるある銚子なり。〔三十二ウ六〕

とあって、標記語「金色」の語注記は「つるある銚子なり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(この)(ほか)打銚子(うちてうし)金色(かないろ)(ひさげ)_外打_銚子__ハ弦鐺(つるなべ)也。錫(すゝ)及白銅(さはり)にて作(つく)る故(ゆへ)に又金色(かないろ)といふ也。〔二十七オ四〕

(この)_(ほか)_銚子(うちてうし)_(かないろ)_(ひさげ)ハ弦鐺(つるなべ)也。錫(すゞ)及白銅(さはり)にて作(つく)る故に又金色といふ也。〔四十八オ五〕

とあって、標記語「」の語注記は、「は、弦鐺なり。錫及び白銅にて作る故にまた金色といふなり」とある。

 当代の『日葡辞書』には、

Fisague.ヒサゲ(提子) 水をつぐのに使う木製の容器で,水差し,水瓶.⇒Cana〜.〔邦訳244l〕

とあって、「提子」の意味は「水をつぐのに使う木製の容器で,水差し,水瓶」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ひさ-げ【提子】<名>(動詞「ひさぐ(提)」の連用形の名詞化。鉉(つる)があってさげるようになっているところから)鉉と注ぎ口のついた、鍋に似てやや小形の金属製の器。湯や酒を入れて、さげたり、暖めたりするのに用いる。後には、そうした形で、酒を入れて杯などに注ぐ器具にもいう」とある。

[ことばの実際]

集りて興じて皆取り据ヱて參る程に、大イなる銀の提子に若菜の羹一鍋、蓋には、黒方を大いなる土器のやうに作りクぼめて覆ひたり。《『宇津保物語』藏開中》

2002年2月21日(木)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「人夫(ニンブ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「丹」部に、

人夫(―ブ)。〔元亀本38七〕

人夫(――)。〔静嘉堂本41八〕

人夫(―フ)。〔天正十七年本上21ウ四〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「人夫」の語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

屏風几帳翆簾被恩借者以人夫可送給之」〔至徳三年本〕

屏風几帳翆簾被恩借者以人夫可送給之」〔建部傳内本〕

--(キ―)_(ミス)-者以-‖_(タ―フ)」〔山田俊雄藏本〕

屏風几帳翆簾(ミス)恩借者以人夫(ヲクリ)賜之」〔経覺筆本〕

--(キ―)_(ミス)(スタレ)-者以人夫_」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「人夫」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

人夫(ニンジン・ヒト,ソレ・ヲツト)[平・平]。〔人倫門86七〕

坊士(バウシ/イヱ,サブライ)[平・上]人夫(ニンブ)也。或作(ハウジ)。卯時(バウジ)。〔人倫門86七〕

とあって、標記語「人夫」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、「坊士」の語注記にも同義語として見えている。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語を「人夫」の語は未収載にする。また、易林本節用集』の「仁」部人倫に、「人工(ニンク)力者,人師(ニンシ),人形(ギヤウ),人神(ジン),人身(ジン),人民(ミン),人足(ソク)」の七語を収載するが、標記語「人夫」は、未収載にある。

 この標記語は、古辞書にあっては、広本節用集』と『運歩色葉集』これに饅頭屋本節用集』に限って収載が見られることになる。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、「人民(ミン), 人形(ギヤウ)」の二語だけで、標記語「人夫」は未収載にある。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

288几帳翆簾恩借者以人夫賜之候此外打銚子(テウシ) 兩口、仁王七十六代近衛院時、丹波大江山酒点童子云鬼。彼児シテ人処頼光保昌公時彼四人行-治此時酒点酒。一方童子。一方口進四人。遂酒点也。其用兩口。今討者ニハ進也。故ニハ裹凶也。〔謙堂文庫蔵三一右F〕

とあって、標記語を「人夫」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

屏風(ビヤウブ)几帳(キチヤウ)翆簾(ミス)レハ恩借(ヲンシヤク)者以人夫送賜(ヲクリタマフ)候此_几帳(キチヤウ)ト云事ハ。簾(スダレ)ニ副(ソヘ)テ錦(ニシキ)ヲ縵ノ如クニ作リ給フナリ。誠ニ手(テ)ニ取リ。目ニ見タル様ニ注スル事誤(アヤマリ)也。平人ハ禁中(キンチウ)ノ御事ヲ知リ難(カタ)シ。源氏ノ草紙共ニテ勘篇(カンヘン)スル也。〔下五ウ七〜下六オ一〕

とあって、この標記語「人夫」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

人夫(にんぶ)を以(もつ)て之(これ)を送(おく)り賜(たまハ)る可(へし)人夫送賜之縵幕以下の品々ハわけて大切なる物ゆへ其元より人にもたせ遣されよと也。〔三十二ウ四〕

とあって、標記語「人夫送賜之」の語注記は「縵幕以下の品々は、わけて大切なる物ゆへ其元より人にもたせ遣されよとなり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

人夫(にんぶ)を以(もつ)て(これ)を送(をく)り賜(たま)ふ可(べ)し/人夫。〔二十六ウ五〕

(もつ)て人夫(にんふ)を(べ)し(おく)り‖_(たま)ふ(これ)を。〔四十七ウ二〕

とあって、標記語「人夫」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Ninsocu.l,ninbu.ニンソク.または,ニンブ(人足.または,人夫) mariola〔荷運び人夫〕などのように,荷物をかついで運ぶ者.〔邦訳466r〕

とあって、「人夫」の意味は「荷運び人夫などのように,荷物をかついで運ぶ者」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「にん-ぷ【人夫】<名>(古くは「にんぶ」)@公役に徴用された人民。夫役(ぶやく)を課された人民。A建築、土木工事などの肉体労働に従事する労働者。人足」とある。

[ことばの実際]

就中請命、向橋本、欲搆要害之間、召人夫之處、淺羽庄司宗信、相良三郎等於事成蔑如、不致合力、剰義定、居地下之時、件兩人、乍乗馬、打通其前訖《読み下し》中ニ就キテ、命ヲ請ケテ、橋本ニ向ヒ、要害ヲ構ヘント欲スルノ間、人夫()ヲ召スノ処ニ、浅羽ノ庄司宗信、相良ノ三郎等、事ニ於テ蔑如ニ成シ、合力ヲ致サズ、剰ヘ義定、地下ニ居ルノ時、件ノ両人、馬ニ乗リナガラ、其ノ前ヲ打チ通リ訖ンヌ。《『吾妻鏡』治承五年三月十三日条》

2002年2月20日(水)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「恩借(ヲンシヤク)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「遠」部に、「恩賞(ヲンシヤウ),恩愛(アイ),恩澤(タク),恩給(キウ),恩問(モン),恩情(せイ),恩顧(コ),恩化(クワ)」の八語を収載するが、標記語「恩借」は、未収載にある。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

屏風几帳翆簾恩借者以人夫可送給之」〔至徳三年本〕

屏風几帳翆簾被恩借者以人夫可送給之」〔建部傳内本〕

--(キ―)_(ミス)-者以-‖_(タ―フ)」〔山田俊雄藏本〕

屏風几帳翆簾(ミス)恩借者以人夫(ヲクリ)賜之」〔経覺筆本〕

--(キ―)_(ミス)(スタレ)-者以人夫_」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「恩借」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

恩借(ヲンシヤク/イツクシ・ネンゴロ,―)[平・去入]。〔態藝門215八〕

とあって、標記語「恩借」の語を収載する。その語注記を未記載にある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、

恩借(ヲンシヤク)。〔・言語進退69三〕

恩波(ヲンハ)―慈(ジ)。―顧(コ)。―言(ゴン)。―賞(シヤウ)。―顔(ガン)。―惠(ケイ)。―許(キヨ)。―愛(アイ)。―免(メン)。―給(キウ)。―簡(カン)/―札(サツ)。―コ(ドク)。―情(シヤウ)。―問(モン)。―賜(シ)。―容(ヨウ)。―恕(ジヨ)。―告(カウ)―借(シヤク)。―領(リヤウ)。〔・言語66二〕

恩波(ヲンハ)―慈。―顧。―言。―賞。―顔。―惠。―許。―愛。―給。―簡。―札/―コ。―情。―問。―賜。―容。―怒。―告。―借。―領。―扶持。〔・言語60五〕

恩波(ヲンハ)―慈。―顧。―言。―賞。―顔。―惠/―許。―愛。―コ。―借。―領。―間。〔・言語71二〕

とあって、標記語を「恩借」の語は弘治二年本だけが収載し、他写本は標記語を「恩波」で冠頭字「恩」の熟語群として「恩借」の語を収載する。その語注記はいずれも未記載にする。また、易林本節用集』の「遠」部に、「恩コ(ヲントク),恩澤(タク),恩給(キウ),恩憐(レン),恩賞(シヤウ),恩愛(アイ),恩問(モン)」の七語を収載するが、標記語「恩借」は、未収載にある。この標記語は、古辞書にあっては広本節用集』と印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、あと饅頭屋本節用集』に限って収載が見られることになる。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「恩借」は未収載にある。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

288几帳翆簾恩借者以人夫賜之候此外打銚子(テウシ) 兩口、仁王七十六代近衛院時、丹波大江山酒点童子云鬼。彼児シテ人処頼光保昌公時彼四人行-治此時酒点酒。一方童子。一方口進四人。遂酒点也。其用兩口。今討者ニハ進也。故ニハ裹凶也。〔謙堂文庫蔵三一右F〕

とあって、標記語を「恩借」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

屏風(ビヤウブ)几帳(キチヤウ)翆簾(ミス)レハ恩借(ヲンシヤク)者以人夫送賜(ヲクリタマフ)候此_几帳(キチヤウ)ト云事ハ。簾(スダレ)ニ副(ソヘ)テ錦(ニシキ)ヲ縵ノ如クニ作リ給フナリ。誠ニ手(テ)ニ取リ。目ニ見タル様ニ注スル事誤(アヤマリ)也。平人ハ禁中(キンチウ)ノ御事ヲ知リ難(カタ)シ。源氏ノ草紙共ニテ勘篇(カンヘン)スル也。〔下五ウ七〜下六オ一〕

とあって、この標記語「恩借」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

翆簾(ミす)恩借(おんしやく)せ被(られ)(ハ)翆簾被レハ恩借凡そ人に物を借ハ其人をあはれミいつくしむ心ゆへ恩借といふ。〔三十二ウ三〕

とあって、標記語「恩借」の語注記は「凡そ人に物を借は、其人をあはれミいつくしむ心ゆへ恩借といふ」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

翆簾(ミす)恩借(おんしやく)せら被(れ)(バ)翆簾被恩借セラ。〔二十六ウ五〕

翆簾(ミす)(れ)恩借(おんしやく)せら(バ)。〔四十七ウ一〕

とあって、標記語「恩借」の語注記は、未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

†Vonxacu.ヲンシャク(恩借) Von,caru.(恩,借る)貸してもらうこと.貸してくれる人を尊敬した言い方.〔邦訳715r〕

とあって、「恩借」の意味は「貸してもらうこと.貸してくれる人を尊敬した言い方」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「おん-しゃく【恩借】<名>(「おんじゃく」とも)厚意を得て金品を借りること。また、その金。拝借」とある。

[ことばの実際]

又謝去年美里王子立津親雲上所坐船隻損壊流失貨物宸慮江戸使之需難備格外埀恩借賜銀兩《読み下し》《『向姓家譜(真壁家)』嘉慶元年丙辰二月朔日条》

私は先生に手紙を書いて恩借(おんしゃく)の礼を述べた。《夏目漱石『』二十二》

2002年2月19日(火)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「几帳翆簾(キテフ・みす)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「幾」部と「見」部に、

×              翆簾(ミススダレ)。〔元亀本300十〕

几帳(キチヤウ)。〔静嘉堂本326六〕 翆簾(ミス)。〔静嘉堂本350四〕

とあって、標記語「几帳」の語は静嘉堂本に収載され、標記語「翆簾」の語の読みについては、元亀本が「みすすだれ」とし、静嘉堂本が「みす」とする。いずれも語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

屏風几帳翆簾被恩借者以人夫可送給之」〔至徳三年本〕

屏風几帳翆簾被恩借者以人夫可送給之」〔建部傳内本〕

--(キ―)_(ミス)-者以-‖_(タ―フ)」〔山田俊雄藏本〕

屏風几帳翆簾(ミス)恩借者以人夫(ヲクリ)賜之」〔経覺筆本〕

--(キ―)_(ミス)(スタレ)-者以人夫_」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、

翆簾(ミス)日本俗或スト御簾(ミス)ニ云々。〔器財門118五〕

とあって、標記語を「翆簾」とし、その語注記は「日本の俗、或は御簾に作すと云々」という。次に広本節用集』は、

几帳(キチヤウ/ヲシマツキ,タレヌノ)[上・去]。〔器財門817三〕

翆簾(ミス/スイレン・ミドリ,スダレ)[去・平]或作御簾(ミス)。〔器財門891四〕

とあって、標記語「几帳」と「翆簾」の語を収載する。「翆簾」の語は、『下学集』の語注記を簡略化して示したものとなっている。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

几帳(キチヤウ)。〔・財宝219八〕

御簾(ミス)翆簾(同)。〔・財宝232八〕

御簾(ミス)或作/翆簾。〔・財宝193九〕

御簾(ミス)又作翆―。〔・財宝183六〕

とあって、標記語を「几帳」の語は弘治二年本だけが収載し、「みす」の語については、『下學集』が注記するように日本世俗の表記である「御簾」にし、その後に「翆簾」の語を収載する。その語注記はいずれも未記載にする。また、易林本節用集』には、

几帳(キチヤウ)。〔器財188六〕

御簾(ミス)翆簾(同)。〔器財199七〕

とあって、弘治二年本と同じ形態をもって標記語「几帳」と「翆簾」の語を収載する。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

几帳キチヤウ。〔黒川本雑物下47ウ七〕

几帳キチヤウ本朝式――一基。〔卷第八雑物502二〕

御簾ミス。〔黒川本雑物下64オ一〕〔卷第九雑物79三〕

とあって、標記語「几帳」の語は収載されているが、「みす」の語は標記語「翆簾」はなく、日本世俗の表記である「御簾」を収載する。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

288几帳翆簾恩借者以人夫賜之候此外打銚子(テウシ) 兩口、仁王七十六代近衛院時、丹波大江山酒点童子云鬼。彼児シテ人処頼光保昌公時彼四人行-治此時酒点酒。一方童子。一方口進四人。遂酒点也。其用兩口。今討者ニハ進也。故ニハ裹凶也。〔謙堂文庫蔵三一右F〕

几帳(キ―)翆簾(ミス)レハ恩借者以人夫シ∨賜之此外打銚子 兩口、仁王七十六代近衛院(コ――)時、丹波大江山リテ酒点童子云鬼。彼シテ頼光(―ミツ)保昌(ツナ)公時(キン―)四人行退-治ヲ|時酒点。一方童子。一方口進四人。遂酒点也。其用兩口。今可討(タフス)ニハ。故ニハ(ツヽム)ハ凶也。〔天理図書館藏『庭訓徃来註』〕

とあって、謙堂文庫蔵は標記語を「几帳翆簾」としているのに対し、天理図書館藏や国会左貫注本は、至徳三年本に随って「几帳翆簾々」とし、「みす・すだれ」と読んでいる。その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

屏風(ビヤウブ)几帳(キチヤウ)翆簾(ミス)レハ恩借(ヲンシヤク)者以人夫送賜(ヲクリタマフ)候此_几帳(キチヤウ)ト云事ハ。簾(スダレ)ニ副(ソヘ)テ錦(ニシキ)ヲ縵ノ如クニ作リ給フナリ。誠ニ手(テ)ニ取リ。目ニ見タル様ニ注スル事誤(アヤマリ)也。平人ハ禁中(キンチウ)ノ御事ヲ知リ難(カタ)シ。源氏ノ草紙共ニテ勘篇(カンヘン)スル也。〔下五ウ七〜下六オ一〕

とあって、この標記語「几帳翆簾」の語注記は、「几帳と云ふ事は、簾に副へて錦を縵の如くに作り給ふなり。誠に手に取り、目に見えたる様に注する事誤まりなり。平人は、禁中の御事を知り難し。源氏の草紙どもにて勘篇するなり」とある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

屏風(ひやうふ)几帳(きてふ)屏風几帳衣桁(いかう)のことき物へ縵のこときものを掛女の影(かけ)を陰すもの也。〔三十二ウ三〕

とし、標記語「几帳」として、その語注記は「衣桁のことき物へ縵のこときものを掛女の影を陰すものなり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

屏風(ひやうふ)几帳(きてふ)屏風几帳。▲几帳ハ衣桁(いかう)のごとくして錦(にしき)などをもつて帳(たれぎぬ)とす。一文字驚花(ふりたる)(つゆ)総角(あげまき)等あり。〔二十七オ一〕

屏風(びやうぶ)几帳(きちやう)几帳ハ衣桁(いかう)のごとくして錦(にしき)などをもつて帳(たれぎぬ)とす。一文字驚(ふう)(こい)(つゆ)総角(あけまき)等あり。〔四十七ウ六〕

とあって、標記語「几帳」の語注記は、「几帳は、衣桁のごとくして錦などをもつて帳とす。一文字驚戀露総角等あり」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Qicho<.キチャウ(几帳) 昔,木の枠組みの上に取りつけた豪華な幕,あるいは布で,今の屏風(Bio<bus)のように,その木の枠組みを動かしたり移したりすることができたもの.〔邦訳494l〕

Misu.ミス(御簾) 窓や縁側などに掛ける簾.〔邦訳410r〕

Guioren.ギョレン(御簾) Von sudare.(御簾)すなわち,Misu.(御簾) 貴人の所の戸口や窓の内に垂らす簾(すだれ).〔邦訳301r〕

とあって、「几帳」の意味は「昔,木の枠組みの上に取りつけた豪華な幕,あるいは布で,今の屏風のように,その木の枠組みを動かしたり移したりすることができたもの」と云い、「御簾」の意味は和語読みの「みす」で「窓や縁側などに掛ける簾」、漢語読みの「ギョレン」で「貴人の所の戸口や窓の内に垂らす簾」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「き-ちょう【几帳】<名>(「几(おしまずき)に懸けた帳(とばり)の意」)寝殿造りの調度とする移動用障屏具の一種。台の上に二本の柱を立てその柱の上に一本の横木を渡し、その横木に布帛を縦矧(たてはぎ)にした帳をかけたもの。高さ四尺(約一・二b)の柱には五幅(いつの)の几帳、三尺(約〇,九b)の柱には四幅(よの)几帳を例とし、幅の中央には、それぞれ幅筋(のすじ)という紐を垂らす。小形のものに枕几帳、差几帳の類がある」とある。「み-す【御簾】<名>(「み」は接頭語)@「す(簾)」を敬い、また、丁寧にいう語。すだれ。A特に、宮殿、神殿などに用いるすだれ。B「ぬきす(貫簾)」を敬い、また、丁寧にいう語。C「みすがみ(御簾紙)」の略。D歌舞伎の大道具、御簾屋台(みすやたい)のすだれ。この上げおろしによって劇の進行に区切りをつける」とある。

[ことばの実際]

而御息所、未御坐之間、不及被出几帳惟《読み下し》然レドモ御息所、未ダ御坐ザルノ間、几帳帷ヲ出サルニ及バズ。《『吾妻鏡』正嘉元年十月一日条》

若公、<萬壽公七歳、>始令著御甲之給、於南面、有其儀時尅、二品出御江間殿參進、上御簾給次若公出御《読み下し》若公、<万寿公。七歳、>始メテ御甲ヲ著セ(着セ)シメ給フ。南面ニ於テ、其ノ儀有リ。時剋ニ、二品出御シタマフ。江間殿参進シ、御簾(ミス)ヲ上ゲ給フ。次ニ若公出御シタマフ。《『吾妻鏡』文治四年七月十日条》

壽永二年の秋のころ、幼主の翆簾を八嶋の磯に留しも、平家の一族のみこそほろびしか。《二条兼良『筆のすさび』1469年》

2002年2月18日(月)晴れのち小雨。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「深縁差莚(ふかべりのさしむしろ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「福」部に、「深縁」の語は未収載、「佐」部に、「差図(サシヅ).差縄(サシナワ).差〓〔矢+耳〕(サシハズ)矢」の三語を収載するが、標記語「差莚」の語は未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

同幕串高麗深縁之差莚」〔至徳三年本〕

幕串高麗深縁之差莚」〔建部傳内本〕

_高麗_(ヘリ)ノ_(ヘリ)(サシ)_」〔山田俊雄藏本〕

同幕串高麗縁(カウライヘリ)ノ深縁(フカヘリ)ノ差莚(サシムシロ)」〔経覺筆本〕

同幕串高麗(カウライヘリ)ノ(タヽミ)深縁(フカヘリ)_(ムシロ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、

深縁差莚(カウライベリ)。〔器財門118六〕

とあって、標記語を「深縁差莚」とし、その語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、逆に標記語「深縁差莚」の語を未収載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

深縁差莚(カウライヘリ)。〔・麻部財宝84七〕〔・言語89二〕

深縁差莚(カウライベリ)。〔・末財宝81七〕〔・言語74二〕

とあって、いずれも標記語を「深縁差莚」の語とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、標記語を「深縁差莚」の語を未収載にする。当代の古辞書にはこれらの語を収載するものはなく、下記に示す『日葡辞書』において「深縁」の語を確認することができる。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、雑物に「高麗カウライ」(黒川本上80ウ一・卷第三211三)とあって、標記語「深縁差莚」の語は未収載にする。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

286幕串高麗縁(ヘリ)ノ_ 四方差莚也。〔謙堂文庫藏三一右D〕

幕串高麗縁リノ深縁差莚 四方差莚也。〔天理図書館藏『庭訓徃来註』〕六織以四方取也。〔同書込み〕

とあって、標記語を「深縁差莚」とし、その語注記は、「四方の縁を飾るを差莚と云ふなり」とある。古版『庭訓徃来註』では、

深縁(フカベリ)ノ差莚(サシムシロ)ノ事二重(フタヘ)ノヘリナリ。〔下五ウ六〕

とあって、この標記語「深縁差莚」の語注記は、「二重のへりなり」とある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

深縁(ふかへり)差莚(さしむしろ)深縁差莚 深縁ハ二重へりなり。〔三十二ウ二〕

とし、標記語「深縁差莚」として、その語注記は「深縁ハ二重へりなり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

深縁(ふかへり)差莚(さしむしろ)深縁差莚深縁差莚ハ二重縁(ちうべり)とりたる也とぞ。〔二十六ウ八〕

深縁(ふかへり)ノ差莚(さしむしろ)深縁差莚ハ二重縁(ぢうべり)とりたるなりとぞ。〔四十七ウ六〕

とあって、標記語「深縁差莚」の語注記は、「深縁差莚は、二重縁とりたるなりとぞ」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Fucaberi.フカベリ(深縁) 例,Fucaberino tatami,l,muxiro.(深縁の畳,または,筵)周囲に広い縁(へり),あるいは,縁の伏縫いのある畳(Tatamis),または,筵の一種.〔邦訳269l〕

†Fucamidori.フカミドリ(深緑) 密生し繁茂した多くの草や木の新緑の色が,非常に強烈であること.〔邦訳269l〕

とあって、意味は「周囲に広い縁,あるいは,縁の伏縫いのある畳,または,筵の一種」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ふか-べり【深縁】<名>畳や、むしろなどのへりを広くすること。また、そのもの」「さし-むしろ【差莚】<名>藺(い)の筵二枚を合わせて端をつけた敷物。円座、茵(しとね)などの下敷(したじき)に用いる」とある。

[ことばの実際]

東対南庇四間敷長莚、<有指莚、>副北并東障子立四尺屏風《『殿暦』永久三年八月十日条・4/177》

南北二行各敷高麗端畳三帖、有指莚、以北為上、東西坐中央副北障《『醍醐寺』文治三年,1782・8/107》

2002年2月17日(日)薄晴れのち小雨。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「高麗縁(カウライべり)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「賀」部に、「高麗(―ライ)」の語はあるが、標記語「高麗縁」の語は未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

幕串高麗疊深縁之差莚」〔至徳三年本〕

幕串高麗疊深縁之差莚」〔建部傳内本〕

_高麗_(ヘリ)ノ_(ヘリ)(サシ)_」〔山田俊雄藏本〕

幕串高麗縁(カウライヘリ)ノ深縁(フカヘリ)ノ差莚(サシムシロ)」〔経覺筆本〕

幕串高麗(カウライヘリ)ノ(タヽミ)深縁(フカヘリ)_(ムシロ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、「高麗」と表記する至徳三年本建部傳内本文明四年本があるのに対し、「高麗縁」と表記する山田俊雄藏本経覺筆本に系統が二分される。古辞書『下學集』は、

高麗縁(カウライベリ)。〔器財門118六〕

とあって、標記語を「高麗縁」とし、その語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、逆に標記語「高麗縁」の語を未収載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

高麗縁(カウライヘリ)。〔・麻部財宝84七〕〔・言語89二〕

高麗縁(カウライベリ)。〔・末財宝81七〕〔・言語74二〕

とあって、いずれも標記語を「高麗縁」の語とし、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、標記語を「高麗縁」の語を未収載にする。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、雑物に「高麗カウライ」(黒川本上80ウ一・卷第三211三)とあって、標記語「高麗縁」の語は未収載にする。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

286幕串高麗縁(ヘリ)ノ深鵠V_ 四方差莚也。〔謙堂文庫藏三一右D〕

とあって、標記語を「高麗縁」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

高麗縁(カウライヘリ)ノ(タヽミ)ノ事ハ。二枚ガサネ也。公卿(クゲウ)殿上人敷(シ)キ給(タマ)フナリ。〔下五ウ五〕

とあって、この標記語「高麗縁」の語注記は、「二枚がさねなり。公卿・殿上人敷き給ふなり」とある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

高麗縁(かうらいへり)(たゝミ)高麗縁紋からあるへりたゝみ。〔三十二ウ一〕

とし、標記語「高麗縁」として、その語注記は「紋からあるへりたゝみ」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

高麗端(かうらいべり)(たゝミ)高麗端。▲高麗端疊ハ織紋(をりもん)の絹(きぬ)にて端(へり)とりたる二枚重(まいがさ)ねの疊(たゝミ)なり。俗に二疊臺(てうだい)といふ。〔二十六ウ八〕

高麗端(かうらいべり)(たゝミ)▲高麗端疊ハ織紋(おりもん)の絹(きぬ)にて端(へり)とりたる二枚重(まいかさ)ねの疊(たゝミ)なり。俗(そく)に二疊臺(でうだい)といふ。〔四十七オ五〕

とあって、標記語「高麗端」の語注記は、「高麗端の疊は、織紋の絹にて端とりたる二枚重ねの疊なり。俗に二疊臺といふ」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Co<raiberi.カゥライベリ(高麗縁) 朝鮮渡来の模様入りの或る種の布(nono)で作った畳(Tatami)の縁.〔邦訳149r〕

とあって、意味は「朝鮮渡来の模様入りの或る種の布で作った畳の縁」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「こうらい-べり【高麗縁高麗端】<名>畳の縁(へり)の一種。貴族が用いた高麗錦の縁。平安以来、白地に黒の花文や襷(たすき)に花文の綾を用い、近世は綾になった麻の染文とし、花文の大小によって大文(だいもん)高麗、小文(こもん)高麗と区別し、公卿、殿上人によって用いる物が違った。こうらいはし。こうらい」とある。

[ことばの実際]

見レバ、四尺ノ屏風ノ清氣ナル立タリ、高麗端ノ疊二三帖許敷タリ。即チ、清氣ル女、袙袴着タル、高坏ニ食物ヲ居ヘテ持テ来タリ。《『今昔物語集』卷第十七・比叡山僧、依虚空蔵助得智語第卅三》

入南門候弓場左右小筵而出御廊〈兼敷大文高麗端座〉義景持參射手記、被置御前、退候、蒙御旨、下庭上、觸射手《読み下し》南門ヨリ入リテ弓場ノ左右ノ小筵ニ候ズ。而シテ廊ニ出御ス。〈兼テ大文ノ高麗端ヲ敷ク座。〉義景射手ノ記ヲ持参シ、御前ニ置カレ、退キ候ジテ、御旨ヲ蒙リ、庭上ヲ下リ、射手ニ触ルル。《『吾妻鏡』建長四年四月十四日条》

2002年2月16日(土)霽。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「幕串(マクぐし)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「滿」部に、「幕(マク)」の語はあるが、標記語「幕串」の語は未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

幕串高麗疊深縁之差莚」〔至徳三年本〕

幕串高麗疊深縁之差莚」〔建部傳内本〕

_高麗_(ヘリ)ノ_(ヘリ)(サシ)_」〔山田俊雄藏本〕

幕串高麗縁(カウライヘリ)ノ深縁(フカヘリ)ノ差莚(サシムシロ)」〔経覺筆本〕

幕串高麗(カウライヘリ)ノ(タヽミ)深縁(フカヘリ)_(ムシロ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「幕串」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

幕串(マクグシ/―クワン,ウガツ,ツラヌク)[○・去]。〔器財門570二〕

とあって、標記語「幕串」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

(マク)幕串(―クシ)。〔・麻部財宝169七〕

(クシ)(マク)。田樂―。〔・久部財宝159七〕

(マク)―串(マクグシ)。〔・末財宝139五〕

(マク)―串。〔・言語128九〕

とあって、標記語「幕串」の語だが、弘治二年本は標記語とし、永祿二年本尭空本は、「幕」を標記語にして、冠頭字「幕」の熟語群として「幕串」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

幕串(マクグシ)。―(同)/柱。〔器財141一〕

とあって、標記語を「幕串」とし、冠頭字「幕」の熟語群として「幕柱」の語を一語だけ収載する。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、「(ハク)マク/慕各反マン.莫半反/マタラマク」とあって、標記語「幕串」の語は未収載する

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

286幕串高麗縁(ヘリ)ノ深鵠V_ 四方差莚也。〔謙堂文庫藏三一右D〕

とあって、標記語を「幕串」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

無心所望(マウ)ト|縵幕(マンマク)幕串(マクグシ)縵幕ト云事。内裏仙洞(トウ)ニハ。御座ノ間(マ)ニ懸(カケ)ラルヽナリ。練(ネリ)ヲ以拵(コシラ)ヘ。モツカウヲ著(キ)ル九ノ幡(ヒロ)ナリ。立ノヒロ也。内裏ノ御節會ニ打ツ縵(マン)ハ。十三ヒロナリ。〔下五ウ四〕

とあって、この標記語「幕串」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(おなし)(くし)同串まんまくを打杭(くい)なり。〔三十二ウ一〕

とし、標記語「同串」として、その語注記は「まんまくを打杭なり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

幔幕(まんまく)(おなじ)幕串(まくぐし)幔幕幕串。▲幕串ハ長(なが)サ八尺方角(はうがく)一寸にして八角に作る。上の方ハ蜻蛉頭(とんばうがしら)兜巾頭(ときんかしら)等の制(せい)あり。〔二十六ウ七〕

幔幕(まんまく)(おなし)幕串(まくぐし)。▲幕串ハ長(なが)サ八尺方角(はうがく)一寸にして八角に作る。上の方ハ蜻蛉頭(とんぼうかしら)兜巾頭(ときんかしら)等の制(せい)なり。〔四十七オ五〕

とあって、標記語「幕串」の語注記は、「幕串ハ、長さ八尺方角一寸にして八角に作る。上の方ハ、蜻蛉頭・兜巾頭等の制なり」という。

 当代の『日葡辞書』には、

Macuguxi.l,macuzucuxi.(ママ)マクグシ(幕串) 陣中で幕をつり下げるための杭,あるいは,棒.※macuzzucuxi(幕づくし)の誤り.幕串マクツクシ(妙本寺本いろは字).〔邦訳377l〕

とあって、意味は「陣中で幕をつり下げるための杭,あるいは,棒」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「まく-ぐし【幕串】<名>幕を張るために立てる細い柱。幕柱。幕杭。串」とある。

[ことばの実際]

列国諸侯の参覲交代の行列を見るに、先供え、後供え、長柄、槍、武具、馬具、籏竿、幕串などを連ねた夥しい人数の行列であります。《白隠禅師の仮名法語『辺鄙以知吾』現代語訳》

幕串の斎杉(秋田県中仙町)《「菅江真澄」読本》

2002年2月15日(金)霽。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「所望(シヨマウ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に

所望(―マウ)。〔元亀本309七〕

所望(シヨマウ)。〔静嘉堂本361六〕

とあって、標記語「所望」語を収載し、その語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

雖為無心所望」〔至徳三年本〕「雖為無心之所望」〔建部傳内本〕

リト‖無心之所望」〔山田俊雄藏本〕

无心所望ト|」〔経覺筆本〕

トモ‖無心(ムシン)(ノ)所望(シヨ―)トト|」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「所望」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

所望(シヨマウ・―ノゾミ/トコロ,ノゾム)[○・平]。〔態藝門932六〕

とあって、標記語「所望」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

所望(シヨマウ)―行(ギヤウ)。―職(シヨク)。―為(イ)。―課(クワ)。―堪(カン)。―務(ム)年貢/―帯(タイ)。―領(リヤウ)。―役(ヤク)。―當(タウ)。―労(ラウ)。―作(サク)。―詮(セン)。〔・言語進退245二〕

所職(シヨシヨク)―行。―為。―課。―望。―堪。―務(ム)/―領(リヤウ)。―役。―當。―労。―詮。―帯。―作。〔・言語210四〕 無心所望。〔・弘法大師十五無益277四〕

所職(シヨシヨク)―行。―為。―課。―務。―役。―労。―望。―堪。/―領。―當。―詮。―帯。―作。―持。―存。―用。〔・言語194五〕

とあって、標記語「所望」の語だが、弘治二年本は標記語とし、永祿二年本尭空本は、「所職」を標記語にして、冠頭字「所」の熟語群として「所望」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

所得(シヨトク)―謂(イ)。―詮(せン)。―犯(ホン)。―知(チ)。―役(ヤク)。―作(サ)。―願(グワン)。―辨(ベン)。―用(ヨウ)/―縁(エン)。―期(ゴ)。―領(リヤウ)―職(シヨク)―望(マウ)。―爲(井)。―帶(タイ)。―學(ガク)/―存(ゾン)。〔言辞214四〕

とあって、標記語を「所得」とし、冠頭字「所」の熟語群として「所望」を収載する。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

所望。〔黒川本・疉字下78オ四〕

所課 〃縁。〃得。〃負。〃澁。〃為。〃司。〃知。〃聞。〃求。〃行。〃説。〃能。〃據。〔卷第九219六〜220一〕

とあって、標記語「所望」の語を収載するのは、三卷本のみとなる。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

285卒尓經營周障(―シヤウノ)タル之至忙-然也无心所望ト|縵幕 内幕之亊也。竪五尺也。上横布通。竪[野カ]数十二也。乳十二也。横五ケ所。手縄已前亊。十二廣十二光佛ヲ|。串十二本也。九廣九山九字シテ九本也。七廣七星七佛七本也。八廣八海八葉八本也。長三丈六尺。地三十六義。乳数上五十六。中三十六義。下廿八宿物見七ハ表七星芝打也。〔謙堂文庫藏三一右A〕

とあって、標記語を「所望」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

無心所望(マウ)ト|縵幕(マンマク)幕串(マクグシ)縵幕ト云事。内裏仙洞(トウ)ニハ。御座ノ間(マ)ニ懸(カケ)ラルヽナリ。練(ネリ)ヲ以拵(コシラ)ヘ。モツカウヲ著(キ)ル九ノ幡(ヒロ)ナリ。立ノヒロ也。内裏ノ御節會ニ打ツ縵(マン)ハ。十三ヒロナリ。〔下五ウ四〕

とあって、この標記語「所望」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

無心(むしん)所望(しよもう)至雖(いへと)も/無心所望(マウ)ト|此事所望する事あまり思ひやる心なき事とハおもへともとなり。〔三十二オ七〕

とし、標記語「所望」だけでなく句全体の意として、その語注記は「此事所望する事あまり思ひやる心なき事とハおもへともとなり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

無心(むしん)(の)所望(しよまう)(ざふら)ふと(いへども)無心所望フト|。〔二十六ウ三〕

(いへども)‖無心(むしん)(の)所望(しよまう)に(さふらふ)と|。〔四十七オ五〕

とあって、標記語「所望」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Xomo<.ショマゥ(所望) Nozomu tocoro.(望む所)願望.§また,この語にMo<xi,su(申し,す),または,Tcucamatcuri,ru(仕り,る)が連接して,乞う,頼むという意.§Xomo< mo<su,l,Tcucamatcuritai cotoga aru.(所望申す,または,仕りたい事がある)私はあなたにお頼みしたい事がある.〔邦訳793r〕

とあって、意味は「願望」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「しょ-もう【所望】<名>ある物を手に入れたい、ある事をしてほしいなどとのぞむこと。のぞみ。ねがい。注文」とある。 [ことばの実際]

賀茂祭以後可小除目之由云々。所望之事成敗難計。《『明衡徃来』》

募此賞、所望一事、直可令達者行平申云、雖非指所望、毎年貢馬事、土民極愁申事也〈云云〉《読み下し》此ノ賞ニ募ツテ、所望ノ一事、直ニ達セシムベシテイレバ、行平申シテ云、指シテ所望非ズト雖モ、毎年ノ貢馬ノ事、土民極メテ愁ヘ申ス事ナリト〈云云〉。《『吾妻鏡』養和元年七月二十日条》

2002年2月14日(木)晴れ風冷たし。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「无心(ムシン)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「牟」部に

无心(―シン)。〔元亀本175五〕

無心(―シン)。〔静嘉堂本195五〕〔天正十七年本中27ウ二〕

とあって、標記語「无心」と「無心」の語をそれぞれ収載し、その語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

雖為無心所望」〔至徳三年本〕「雖為無心之所望」〔建部傳内本〕

リト‖無心之所望」〔山田俊雄藏本〕

无心所望ト|」〔経覺筆本〕

トモ‖無心(ムシン)(ノ)所望(シヨ―)トト|」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「无心」または「無心」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

無心(ムシン/ナシ,コヽロ)[○・平]。〔態藝門462六〕

とあって、標記語「無心」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、

無心所望。〔・弘法大師十五無益277四〕

無益(ムヤク)―体。―理。―貮。―法。―量。―實。―下。―愧。―辺。―慙或慚/―心。―極。―數。―足。―常。―窮。―名。―用。―上。〔・言語107八〕

無体(ムタイ)―理。―貮。―法。―量。―實。―下。―愧。―辺。―慙/―心。―極(ムゴク)。―数。―足。―常。―窮。―名。―用。―上。〔・言語131二〕

とあって、標記語「無心」の語だが、弘治二年本はこの語を欠く。また、永祿二年本も、本文ではなく「弘法大師十五無益」の文中語として収載する。そして、尭空本両足院本が標記語「無益」「無体」の冠頭字「無」の熟語群として「無心」を収載する。また、易林本節用集』には、

無邊(ムヘン)―量(リヤウ)。―理(リ)。―悩(ナウ)。―題(ダイ)。―躰(タイ)。―縁(ヱン)。―慙(サン)。―愧(キ)。―上(シヤウ)。―病(ヒヤウ)。―心(シム)。―才(サイ)/―道(タウ)。―法(ハフ)。―記(キ)。―能(ノウ)。―明(ミヤウ)。―口(クチ)。―念(ネン)。―智(チ)。―益(ヤク)。―用(ヨウ)。―刀(タウ)。―方(ハウ)/―常(シヤウ)。―窮(グウ)。―盡(ジン)/―實(シツ)。―下(ゲ)。―主地(シユノチ)。〔言辞115一・二〕

とあって、標記語を「無邊」とし、冠頭字「無」の熟語群として「無心」を収載する。読みも「ムシム」と異なり表記を見せている。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

無心同(人情部)/ムシン。〔黒川本・疉字中45ウ五〕

無常 〃想。〃骨。〃怙。〃邊。〃始。〃期。〃心。〃窮キウ。〃極。〃為。〃礼。〃智。〃言。〃量。〃數。〃道。〃上。〃能。〃懺。〃間。〃才。〃依。〃道。〃益。〃氣。〃下。〃雙。〃乃ムシロ/寧也。〃實。〃記性。〃着心。〃去来。〃依怙。〔卷第五129六〜130四〕

とあって、標記語「無心」の語を収載する。

 これを『庭訓往来註』五月五{九}日の状に、

285卒尓經營周障(―シヤウノ)タル之至忙-然也无心所望ト|縵幕 内幕之亊也。竪五尺也。上横布通。竪[野カ]数十二也。乳十二也。横五ケ所。手縄已前亊。十二廣十二光佛ヲ|。串十二本也。九廣九山九字シテ九本也。七廣七星七佛七本也。八廣八海八葉八本也。長三丈六尺。地三十六義。乳数上五十六。中三十六義。下廿八宿物見七ハ表七星芝打也。〔謙堂文庫藏三一右A〕

とあって、標記語を「无心」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

無心所望(マウ)ト|縵幕(マンマク)幕串(マクグシ)縵幕ト云事。内裏仙洞(トウ)ニハ。御座ノ間(マ)ニ懸(カケ)ラルヽナリ。練(ネリ)ヲ以拵(コシラ)ヘ。モツカウヲ著(キ)ル九ノ幡(ヒロ)ナリ。立ノヒロ也。内裏ノ御節會ニ打ツ縵(マン)ハ。十三ヒロナリ。〔下五ウ四〕

とあって、この標記語「無心」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

無心(むしん)所望(しよもう)至雖(いへと)も/無心所望(マウ)ト|此事所望する事あまり思ひやる心なき事とハおもへともとなり。〔三十二オ七〕

とし、標記語「無心」だけでなく句全体の意として、その語注記は「此事所望する事あまり思ひやる心なき事とハおもへともとなり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

無心(むしん)(の)所望(しよまう)(ざふら)ふと(いへども)無心所望候フト|。〔二十六ウ三〕

(いへども)‖無心(むしん)(の)所望(しよまう)に(さふらふ)と|。〔四十七オ五〕

とあって、標記語「無心」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Muxin.ムシン(無心) Cocoro naxi.(心無し)樹木や石などのように,無生非情で感受能力がないこと.§また,ある人が相手に対して,何か物を所望したり,何事かをしてほしいと頼む際に,当然感ずべき羞恥心,抵抗感.例,Muxinno xomo<.(無心の所望)他人を煩わすおそれのある願い,あるいは,頼み.§Fitoni muxin,l,muxinna cotouo yu<.(人に無心,または,無心な事を言ふ)人の心をそこねたり傷つけたりしないという点からすれば,言いたくないと思うこととか,気恥ずかしさを禁じ得ないようなこととかを,相手に対して言う.〔邦訳436r〕

とあって、意味は「樹木や石などのように,無生非情で感受能力がないこと.§また,ある人が相手に対して,何か物を所望したり,何事かをしてほしいと頼む際に,当然感ずべき羞恥心,抵抗感」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「む-しん【無心】<名>[一]ある方面についての心の働きが欠けていること。心のいたらないこと。深く思う心のないこと。⇔有心。@(形動)思慮分別のないこと。気のきかないこと。心のあさはかなこと。また、そのさま。転じて、無神経なさま。A(形動)情趣を解する心のないこと。また、そのさま。無風流なさま。無趣味なさま。B(形動)(「むじん」とも)人情のないさま。他に対する思いやりのないさま。無情なさま。C(―する)他人の迷惑をもかえりみないで頼むこと。遠慮なく金品などをねだること。また、そのような依頼。請求。[二]心中に何もとらわれた心がないこと。@仏語。固定的なとらわれがなくなった状態。凡夫の一切の妄念がとりはらわれた心。虚心。無念夢想。⇔有心。A仏語。一切は空であると観ずる心。B(形動)心に何のわだかまりもなく素直であること。自然のままに虚心であるさま。[三]無生物や植物、人間以外の動物などが、心をもたないこと。また、そのさま。非情。[四]文芸、特に韻文において、詩想、表現ともに滑稽、卑俗をねらいとするもの⇔有心。@優雅を旨とする普通の和歌に対して狂歌をいう。栗の本。A和歌の伝統の上に立つ連歌を有心連歌と称するのに対して、通俗的なおかしさの強い連歌をいう。無心連歌。また、無心連歌の人々」とある。このなかで、『庭訓徃来』のこの文言の意味は、[一]Cの意味となっている。

[ことばの実際]

大名甲 さて、わごりょに初めて會うて無心を(ノ)言うはいかがなれども、ちと頼みたいことがあるが聞いてくりょうか。《虎明本狂言『二人大名』》

2002年2月13日(水)晴れのち曇り空。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「忙然(バウゼン)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「葉」部に

惘然(バウゼン)茫然(バウゼン)。〔元亀本28六〕

惘然(バウセン)茫然(ハウ―)。〔静嘉堂本27七〕

惘然(ハウせン)茫然(同)。〔天正十七年本上14ウ八〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「惘然」と「茫然」の語を収載し、その語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

率尓經營周章之至忙然」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

--營周-之至-」〔山田俊雄藏本〕

卒爾(ソツジ)ノ経営(ケイエイ)周章之至忙然タル」〔経覺筆本〕

{率}-(ソツジ)ノ-(ケイヱイ)-(シユシウ)之至-(ハウせン)タリ」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「忙然」または「惘然・茫然」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

忙然(バウぜン/イソカワシ,シカリ)[平・平]茫然(バウぜン)[平・平]惘然(ハウせン/イタム,シカリ)[上・平]。〔態藝門82一〕

とあって、標記語「忙然」を先頭に「茫然・惘然」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

惘然(バウセン)又云忘然(同)。〔・言語進退26三〕

惘然(バウせン/ホルヽ)。〔・言語22八〕 惘然(ホル―)。〔・言語35九〕

惘然(ハウせン)。〔・言語20三〕

とあって、標記語「惘然」の語を収載し、語注記は弘治二年本に「又云○○」形式により「忘然」の表記語を示すものがある。また、易林本節用集』には、

惘然(バウせン)。〔言辞22五〕

とあって、標記語「惘然」とし、読みも「バウセン」と他辞書と同じである。この「忙然」の表記語を収載しているのは、当代の古辞書にあって広本節用集』だけである。そして、この表記語三種の使い分けについては、何も注記の記載を見ないのである。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「忙然」または「惘然・茫然」の語を未収載にする。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

285卒尓經營周障(―シヤウノ)タル之至-无心所望ト|、縵幕 内幕之亊也。竪五尺也。上横布通。竪[野カ]数十二也。乳十二也。横五ケ所。手縄已前亊。十二廣十二光佛ヲ|。串十二本也。九廣九山九字シテ九本也。七廣七星七佛七本也。八廣八海八葉八本也。長三丈六尺。地三十六義。乳数上五十六。中三十六義。下廿八宿物見七ハ表七星芝打也。〔謙堂文庫藏三一右A〕

とあって、標記語を「忙然」とし、その語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

忙然(ハウぜン)トハ。イソカハシクシカ也ト。ヨメリ。イソガシキ計ニテアキレイタル心ナリ。〔下五ウ三〕

とあって、この標記語「忙然」の語注記は、「いそがはしくしかなりとよめり。いそがしきばかりにてあきれいたる心なり」とその和語訓と意味を示している。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

卒尓(そつじ)經営(けいえい)周章(しうしやう)(いた)忙然(バうぜん)(なり)周章之至忙然周章ハ。あわてふためく事也。忙然ハあきれ果(はて)たる躰なり。〔三十二オ六〕

とし、標記語「忙然」の語注記は「忙然は、あきれ果てたる躰なり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

卒爾(そつじ)經營(けいゑい)周章(しうしやう)(の)(いた)忙然(ばうぜん)(なり)忙然忙然ハほつとして心おちつかぬ也。〔二十六ウ七〕

忙然(ばうぜん)(なり)忙然ハほつとして心おちつかぬ也。〔四十七オ四〕

とあって、標記語「忙然」の語注記は「ほつとして心おちつかぬなり」とある。

 当代の『日葡辞書』には、

Bo<jen.バゥゼン(惘然) 気抜けしてぼんやりしていること,あるいは,呆然自失していること.§Bo<jento aqirefatete iru.(惘然と惘れ果てて居る)同上.〔邦訳60l〕

とあって、意味は「気抜けしてぼんやりしていること,あるいは,呆然自失していること」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ぼう-ぜん【忙然】<形動タリ>「ぼうぜん【呆然】」に同じ(気抜けしてぼんやりしたさま。また、あきれるさま。あっけにとられるさま。茫然忙然惘然。)」とある。現代語では「呆然」の語が増加しているが、当代にあっては、広本節用集』が示すように、「茫然忙然惘然」の三種の表記語が認知されていたのである。

[ことばの実際]

而暁天、<二日、>義盛襲來刻、憖著甲冑、雖令騎馬、依淵醉之餘氣、爲忙然之間、向後可斷酒之由、誓願訖《読み下し》而ルニ暁天ニ<二日>、義盛襲ヒ来タルノ刻、憖ニ(以テ)甲冑ヲ著シ、馬ニ騎ラシムト雖モ、淵酔ノ余気ニ依テ、忙然(惘然)(ハウセン)タルノ間、向後ハ酒ヲ断ツベキノ由、誓願シ訖ンヌ。【忙然:惘然】注記【北條本は「忙」、国史大系は吉川本による。】《『吾妻鏡』建暦三年五月三日条》

2002年2月12日(火)霽。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「經營(ケイエイ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「計」部に

經営(ケイエイ)。〔元亀本214二〕〔天正十七年本中51オ五〕

經営(ケイヱイ)。〔静嘉堂本243六〕

とあって、標記語「經營」の語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

率尓經營周章之至忙然也」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

---之至忙-然也」〔山田俊雄藏本〕

卒爾(ソツジ)ノ経営(ケイエイ)周章之至忙然タル」〔経覺筆本〕

{率}-(ソツジ)ノ-(ケイヱイ)-(シユシウ)之至-(ハウせン)タリ」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、

經營(ケイエイ)(イトナム)一切也。〔態藝門85三〕

とあって、標記語「經營」の語を収載し、その語注記は「一切のことを営むなり」とする。次に広本節用集』は、

經營(ケイエイ/タテ・フル,イトナム)[平・平]一切之亊――。〔態藝門601五〕

とあって、標記語「經營」の語を収載し、語注記は『下學集』を継承し、「一切のことを営むを云ふなり」とする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

經營(イエイ)営一亊也。〔・言語進退175五〕

經廻(ケイクハイ)。―歴(レキ)。―徊(クハイ)―營(エイ)。〔・言語144二〕

經廻(ケイクハイ)。―歴。―徊。―営。―緯。〔・言語133八〕

とあって、標記語「經營」の語を収載し、語注記は弘治二年本に「一切を営むことなり」とあって、『下學集』を継承する。また、易林本節用集』には、

經營(ソツジ)―回(クワイ)。―歴(レキ)。〔言辞146七〕

とあって、標記語「經營」とし、「經」冠頭字の熟語群を二語収載する。この「經營」の語における語注記は、当代の古辞書にあっては、『下學集』からはじまって広本節用集弘治二年本と継承している。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

經營(イトナム) 同(雜部)/ケイエイ。〔黒川本・疉字中100オ一〕

經廻 〃過。〃緯。〃歴。〃笥〃營。〃傳。〃史。〃法。〃緯。〔卷第七18六〜19一〕

とあって、標記語「經營」の語を収載する。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

285卒尓經營周障(―シヤウノ)タル之至忙-然也无心所望ト|、縵幕 内幕之亊也。竪五尺也。上横布通。竪[野カ]数十二也。乳十二也。横五ケ所。手縄已前亊。十二廣十二光佛ヲ|。串十二本也。九廣九山九字シテ九本也。七廣七星七佛七本也。八廣八海八葉八本也。長三丈六尺。地三十六義。乳数上五十六。中三十六義。下廿八宿物見七ハ表七星芝打也。〔謙堂文庫藏三一右A〕

とあって、標記語「經營」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

經營(ケイエイ)ハ。イトナミヲフルトヨムナリ。〔下五ウ二〕

とあって、この標記語「經營」の語注記は、「いとなみをふると読むなり」とその和語訓を示している。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

卒尓(そつじ)經営(けいえい)周章(しうしやう)(いた)忙然(バうぜん)(なり)卒尓經營卒尓ハ。にわかなる事也。経営ハはかりいとなむと讀り。〔三十二オ五〕

とし、標記語「經營」の語注記は「経営は、はかりいとなむと讀めり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

卒爾(そつじ)經營(けいゑい)周章(しうしやう)(の)(いた)忙然(バうぜん)(なり)卒尓經營。〔二十六ウ二〕

卒尓(そつじ)經営(けいえい)。〔四十七オ四〕

とあって、標記語「經營」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Qeiyei.ケイエイ(経営) Fe itonamu.(経営む)招宴の準備をし整えること.例,Qeiyei suru.(経営する)§また,商売をすること,または,生活費その他の物を稼ぐこと.〔邦訳483r〕

とあって、意味は「招宴の準備をし整えること」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「けい-えい【経営<>@なわを張り、土台をすえて建物をつくること。縄張りして普請すること。また、造園などの工事をすること。A物事のおおもとを定めて事業を行うこと。イ政治、公的な儀式、また、非営利的な組織体について、その運営を計画し実行すること。ロ会社、商店、機関など、主として営利的・経済的目的のために設置された組織体を管理運営すること。B物事の準備やその実現のために大いにつとめはげむこと。特に接待のために奔走すること。けいめい。C意外な事などに出会って急ぎあわてること。D工夫して詩文などの作品を作ること。E徃来すること。めぐりあるくこと」とある。

[ことばの実際]

読み下し》伝聞。駿河の国より上洛の下人(大膳大夫信兼の郎従、即ち件の人の知行の庄を沙汰する者)の説に云く、頼朝朝臣の儲けと称して仮屋数宇を造作す。凡そ路次の国、粮米経営の外他事無しと。《『玉葉』養和元年八月二日条》

新造公文所、被立門安藝介、大夫屬入道、足立右馬允、筑前三郎等、參集大庭平太景能、經營勸酒於此衆《読み下し》新造の公文所に門を立てらる。安藝の介、大夫屬入道、足立右馬の允、筑前の三郎等参じ集まる。大庭の平太景能経営して、酒をこの衆に勧む。《『吾妻鏡』壽永三年八月二十八日条》

2002年2月11日(月)霽・白雪の冨士山眺望。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「卒尓(ソツジ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「楚」部に

卒尓(ソツジ)。〔元亀本152八〕〔静嘉堂本167一〕

卒尓(ソツシ)。〔天正十七年本中15オ三〕

とあって、標記語「卒尓」の語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

率尓經營周章之至忙然也」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

--營周-之至忙-然也」〔山田俊雄藏本〕

卒爾(ソツジ)ノ経営(ケイエイ)周章之至忙然タル」〔経覺筆本〕

{率}-(ソツジ)ノ-(ケイヱイ)-(シユシウ)之至-(ハウせン)タリ」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、

卒尓(ソツジ)。〔言辞門150五〕

とあって、標記語「卒尓」の語を収載し、その語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

率尓(ソツジ/ニワカ・ツイニ,シカリ)[○・上]。超(コヱ)テ三人答云――子路率尓ニシテ而對曰先進篇。〔態藝門399二〕

とあって、標記語「率尓」の語を収載し、語注記に「三人を超ゑて答へて率尓と云ふ。子路率尓にして對曰ふ。先進篇」とある。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、

卒尓(ソツジ)。〔・言語進退122一〕〔・言語101九〕〔・言語92四〕〔・言語112五〕

標記語「卒尓」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

卒尓(ソツジ)―法(ハフ)。―度(ト)。〔人倫101四〕

とあって、標記語「卒尓」とし、「卒」冠頭字の熟語群を二語収載する。この「卒尓」の語における語注記は、当代の古辞書にあっては、広本節用集』のみあって、後半部は『論語』先進篇「子路率爾而對曰、千乘之國攝乎大國之間、加之以師旅*因之以饑饉、由也爲之比及三年、可使有勇且知方也」からの引用となっている。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

卒尓(ニハカニ) ソツシ。〔黒川本・疉字中19オ五〕

卒尓 〃去。〃暴。〔卷第四553四〕

とあって、標記語「卒尓」の語を収載する。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

285卒尓經營周障(―シヤウノ)タル之至忙-然也无心所望ト|、縵幕 内幕之亊也。竪五尺也。上横布通。竪[野カ]数十二也。乳十二也。横五ケ所。手縄已前亊。十二廣十二光佛ヲ|。串十二本也。九廣九山九字シテ九本也。七廣七星七佛七本也。八廣八海八葉八本也。長三丈六尺。地三十六義。乳数上五十六。中三十六義。下廿八宿物見七ハ表七星芝打也。〔謙堂文庫藏三一右A〕

とあって、標記語「卒尓」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

纏頭(テントウ)外無(タ)卒尓(ソツジ)ノ纏頭トハ。カシラニマトフトヨメリ。〔下五ウ二〕

とあって、この標記語「卒尓」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

卒尓(そつじ)經営(けいえい)周章(しうしやう)(いた)忙然(バうぜん)(なり)卒尓經營卒尓ハ。にわかなる事也。経営ハはかりいとなむと讀り。〔三十二オ五〕

とし、標記語「卒尓」の語注記は「にわかなる事なり」とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

卒爾(そつじ)經營(けいゑい)周章(しうしやう)(の)(いた)忙然(バうぜん)(なり)卒尓經營。〔二十六ウ二〕

卒尓(そつじ)經営(けいえい)。〔四十七オ四〕

とあって、標記語「卒尓」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、「率尓」の語は未収載にある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「そつ-じ【卒爾率爾<>(形動)@物事の起こるのが、突然であること。また、そのさま。だしぬけ。急。A(―する)判断が十分でなく軽々しい行動をすること。また、そのさま。軽率。B(―する)相手に失礼な行為をすること。また、そのさま」とある。

[ことばの実際]

以覚智僧正為導師、以留候僧三口、為請僧、事起率爾、不及兼日之沙汰、又有飲食、衣服、臥具、医薬之四種之供養、事了、分賜僧等、講演了式[○了式原作之或]、如普通舎利講、先総礼、伝供之後、説法式等也《『玉葉』養和二(1182)年二月十八日条》

読み下し》伝聞。君臣引率して海西に赴くべきの由すでに一定せられをはんぬ。然れども、殊更他聞に及ばず。率爾にその儀有るべし。天下ただこの時に在るか。《『玉葉』養和元(1181)年九月十九日条》

2002年2月10日(日)曇り一時六華。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「客人(キヤクジン)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「幾」部に「客殿(キヤクデン),客来(キヤクライ),客位(―イ),客寮(―リヤウ),客道(―ダウ),客櫓(―ロ),客星(キヤクセイ)」とし、「賀」部に「客星(――),客征(カせイ)風也/異名」の語を収載するが、標記語「客人」の語は未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

臨時客人」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

--」〔山田俊雄藏本〕

臨時(リンジ)客人」〔経覺筆本〕

-(キヤク)-」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「客人」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

客人(キヤクジン/マレヒト・アツマ,ヒト)[去・平]。〔人倫門813二〕

とあって、標記語「客人」の語を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語「客人」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

客僧(キヤクソウ)―人(ジン)。〔人倫186一〕

とあって、標記語「客僧」とし、「客」冠頭字の熟語群に「客人」の語を収載する。この「客人」の語は、当代の古辞書にあっては、広本節用集』と易林本節用集』に収載が見られる。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「客人」の語を未収載する。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

284亦散々候也ンハ御扶持今度之恥辱助成者生前大幸也臨時客人纏頭外无 纏頭見_上也。言客人見上ヨリ。又傾城賜物也。傾城一夜召、暁傾城スニタル々裳賜也。其傾城取皈_間云尓。是言大名等慰申道-具也。故用之也。〔謙堂文庫藏三〇左E〕

とあって、標記語「客人」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

客人(キヤクジン)ハ。タマサカナル。ヒトナリ。〔下五ウ一〕

とあって、この標記語「客人」の語注記は、「身にあまると云ふことを客人と云ふなり」ある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

臨時(りんじ)客人(きやくじん)臨時客人臨時ハ不時なとゝいふかことし。いふこゝろハ思ひもよらさる客来なり。〔三十二オ一〕

とし、標記語「客人」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

臨時(りんじ)(の)客人(きやくしん)臨時之客人▲臨時之客人ハ期(ご)せずして入來る賓客(まらうと)也。〔二十六ウ六〕

臨時(りんじ)(の)客人(きやくしん)▲臨時之客人ハ期(ご)せずして入來る賓客(まらうど)也。〔四十七ウ二〕

とあって、標記語「臨時之客人」の語注記は「期せずして、入來る賓客なり」とある。

 当代の『日葡辞書』には、

Qiacujin.キャクジン(客人) Marebito.(客人)客人.〔邦訳492l〕

とあって、その意味は「まれびと=客人」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「きゃく-じん【客人<>@客として来ている人。まろうど。A香合わせで、判定できない香に入れる札」とある。

[ことばの実際]

假令相侍客人、不可似儲駄餉於所領之議《読み下し》仮令客人に相ひ侍り、駄飼を所領に儲けるの議に似るべからず。《『吾妻鏡』文治6(1190)年正月二十九日条》

2002年2月9日(土)晴れ一時雨。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「大幸(タイカウ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「多」部に、「大海(タイガイ),大事(―ジ),大學(―カク),大工(―ク),大犯(―ホン),大黒(―コク),大塔(―タウ),大音(―ヲン),大毫(―ガウ),大欲(―ヨク),大膽(―タン),大熱(―ネツ),大寒(―カン),大厄(―ヤク),大冊(―サツ)本,大帖(―テ)同,大門(―モン),大慈(―ジ),大悲(―ヒ),大防(―バウ),大乗(―ゼウ),大姉(―シ),大施(―セ),大貮(―ニ),大進(―シン)唐名/大属,大弼(―ヒツ)弾正之唐名,大膳(―ゼン)唐名光禄膳部,大度(―ト),大儀(―ギ),大半(―ハン),大慶(―ケイ),大木(―ボク),大切(―せツ),大破(―ハ),大數(―スウ),大名(―ミヤウ),大概(―ガイ),大功(―コウ),大國(―コク),大敵(―テキ),大験(―ケン),大才(―サイ),大将(―シヤウ),大畧(―リヤク),大酒(―シユ),大食(―シヨク),大人(―ニン),大石(―せキ),大舩(―せン),大府(―フ)大蔵之唐名,大倉(―サウ)大炊之唐名,大理(―リ)大判目之唐名,大醫(―イ)典藥之唐名,大樂(―カク)雅楽之唐名,大傅(―フ)春宮之唐名,大凡(―バン),大利(ダイリ),大望(―バウ),大呂(―リヨ)十二月名,大便(―ベン),大綱(―カウ),大宅(―タク),大夜(―ヤ)宥忌事」の六十三語を収載するが、標記語「大幸」の語は未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

被助成者生前大幸」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

助成者生--」〔山田俊雄藏本〕

助成生前大幸(カウ)」〔経覺筆本〕

助成(シヨシヤ)者生前(シヨぜン)-(カウ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「大幸」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

大幸(タイカウ/ヲヽイナリ,サイワイ)[去・上]。〔態藝門343四〕

とあって、標記語「大幸」の語を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、

大略(タイリヤク)―儀(―ギ)。―切(―せツ)。―犯(―ボン)謀叛殺害刃傷。―綱(タイカウ)―幸(―カウ)。―亊(―ジ)。―概(―ガイ)。―功(―コウ)。―都(―ト)大略ノ義。―慶(―ケイ)。―旨(―シ)。―底(―テイ)。―望(―バウ)。―赦(―シヤ)。―饗(―キヤウ)。―營(―エイ)。―膽(―タン)。〔・言語94八〕大略(タイリヤク)―儀。―切。―犯謀叛殺害刃傷。―綱。―幸。―亊。―概/―功。―都大―義也。―慶。―旨。―営。―底。―望。―赦。―饗。―膽。〔・言語86六〕

大略(タイリヤク)―儀。―切。―犯謀叛殺害刃傷。―綱。―幸。―亊/―概。―功。―都大略義。―慶。―旨/―営。―底。―望。―赦。―饗。―膽。〔・言語105一〕

とあって、弘治二年本は未収載とするが他三本である永祿二年本尭空本両足院本は、標記語「大略」の冠頭字「大」の熟語群として収載する。また、易林本節用集』には、

大般若(タイハンニヤ)―乗(せウ)/―經(キヤウ)。―學(カク)。―事(シ)。―力(リキ)。―物(モツ)。―概(カイ)。―綱(カウ)。―訴(ソ)。―數(スウ)。―躰(ダタイ)。―都(ト)。―望(ハウ)。―旨(シ)。/―儀(ギ)。―乱(ラン)。―切(せツ)。―魁(クワイ)。―酒(シユ)。―破(ハ)。―(ハン)。―意(イ)。―略(リヤク)。―要(ヨウ)。―慶(ケイ)。―篇(ヘン)。―食(シヨク)。〔言辞94一・二〕

とあって、標記語「大般若」とし、「大」冠頭字の熟語群に「大幸」の語は未収載にある。この「大幸」の語は、当代の古辞書にあっては、広本節用集』と印度本系統の『節用集』数種のなかに収載が見られるといった特有な情況にあることが知られよう。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「大幸」の語を未収載する。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

284亦散々候也ンハ御扶持今度之恥辱助成者生前大幸臨時客人纏頭外无 纏頭見_上也。言客人見上ヨリ。又傾城賜物也。傾城一夜召、暁傾城スニタル々裳賜也。其傾城取皈_間云尓。是言大名等慰申道-具也。故用之也。〔謙堂文庫藏三〇左E〕

とあって、標記語「大幸」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

生前(せウ―)ノ大幸ト云ハ。身ニアマルト云フ事ヲ大幸ト云ナリ。〔下五オ八〕

とあって、この標記語「大幸」の語注記は、「身にあまると云ふことを大幸と云ふなり」ある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

生前(しやうぜん)大幸(たいこう)(なり)生前大幸トこゝにいふこゝろハ家作なとも打棄敗損(はそん)し道具なとも見くるしきゆへ合力して玉らねはこのたひの恥ハおほひかたし。若(もし)合力して玉らんにハ身にあまる仕合なりと也。〔三十一ウ八〕

とし、標記語「大幸」の読みを「タイコウ」とし、その語注記は、「こゝにいふこゝろは、家作なども打棄敗損し、道具なども見ぐるしきゆへ、合力して玉はらねばこのたびの恥は、おほひがたし。若し、合力して玉はらんにに、身にあまる仕合せなりとなり」とある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

生前(しやうぜん)(の)大幸(たいかう)(なり)生前之大幸。〔二十六オ八〕

生前(しやうぜん)(の)大幸(たいかう)(なり)。〔四十七オ一〕

とあって、標記語「大幸」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Taico<.タイカゥ(大幸) 非常に喜ばしく幸運なこと.文書語.〔邦訳603l〕

とあって、その意味は「非常に喜ばしく幸運なこと」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「たい-かう【大幸<>大きなしあわせ。非常な幸福」とある。

[ことばの実際]

件嫁娶日已月殺、不可忌避歟、大幸開従彼家、今年十一月廿六日庚《『小右記』長元二(1029)年九月廿日,8/164,321-0》

2002年2月8日(金)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「生前(シヤウゼン)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に、「生涯(シヤウガイ),生長(―ジヤウ),{生類},生年(―ネン),生國(―コク),生死(―ジ),生得(―トク),生滅(―メツ),生姜(―ガ),生薑(同)」の九語(元亀本、静嘉堂本は十語)を収載するが、標記語「生前」の語は未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

被助成者生前大幸也」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

助成--幸也」〔山田俊雄藏本〕

助成生前大幸(カウ)」〔経覺筆本〕

助成(シヨシヤ)者生前(シヨぜン)-(カウ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。また、山田本は「生前」を「生涯」に作る。古辞書『下學集』は、標記語「生前」の語を未収載にする。次に広本節用集』は、

生前(シヤウぜンせイ・ムマルヽ,マヱ)[去・平]。〔態藝門944七〕

とあって、標記語「生前」の語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

生前(シヤウぜン)。〔・言語進退244八〕

生死(―シ)―得。―前。〔・言語209六〕〔・言語193七〕

とあって、標記語を「生前」の語注記は未記載にする。永祿二年本尭空本は、標記語「生死」の冠頭字「生」の熟語群として収載する。また、易林本節用集』には、

生涯(シヤウガイ)―得(トク)。―類(ルイ)。―滅(メツ)―前(せン)。―處(ジヨ)。―身(ジン)。―土(ド)。―氣(キ)/―長(ヂヤウ)。―盲(マウ)。―天(テン)。―者必滅(ジヤヒツメツ)。生々世(せ)々。―害(ガイ)。〔言辞215五〕

とあって、標記語「生涯」とし、「生」冠頭字の熟語群に「生前」の語を収載する。

 ここでも、当代の古辞書からは、いずれもこの語の語注記を見ない。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「生前」の語を未収載する。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

284亦散々候也ンハ御扶持今度之恥辱助成生前大幸也臨時客人纏頭外无 纏頭見_上也。言客人見上ヨリ。又傾城賜物也。傾城一夜召、暁傾城スニタル々裳賜也。其傾城取皈_間云尓。是言大名等慰申道-具也。故用之也。〔謙堂文庫藏三〇左E〕

とあって、標記語「生前」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

生前(せウ―)ノ大幸也ト云ハ。身ニアマルト云フ事ヲ大幸ト云ナリ。〔下五オ八〕

とあって、この標記語「生前」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

生前(しやうぜん)大幸(たいこう)(なり)生前大幸也トこゝにいふこゝろハ家作なとも打棄敗損(はそん)し道具なとも見くるしきゆへ合力して玉らねはこのたひの恥ハおほひかたし。若(もし)合力して玉らんにハ身にあまる仕合なりと也。〔三十一ウ八〕

とし、標記語「生前」の読みを「シャウゼン」とし、その語注記は、「こゝにいふこゝろは、家作なども打棄敗損し、道具なども見ぐるしきゆへ、合力して玉はらねばこのたびの恥は、おほひがたし。若し、合力して玉はらんにに、身にあまる仕合せなりとなり」とある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

生前(しやうぜん)(の)大幸(たいかう)(なり)生前之大幸也。〔二十六オ八〕

生前(しやうぜん)(の)大幸(たいかう)(なり)。〔四十七オ一〕

とあって、標記語「生前」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Xo<jen.ショウゼン(生前) Vmarenu maye.(生まれぬ前)仏法(Bupo>)の考え方によれば,ある人がまだ生まれないうちから,受けるようにきまっていたことの意.例,Core xo<jenno menbocu nari.(これ生前の面目なり)これは,あの人がまだ生まれないうちから,得ることがきまっていた名誉である.〔邦訳792l〕

とあって、その意味は「仏法の考え方によれば,ある人がまだ生まれないうちから,受けるようにきまっていたことの意」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「しょう-ぜん【生前<>(「しょう」は「生」の呉音)(今は死んでいる人の)生きている間。存命中。せいぜん。そうぜん」とある。

[ことばの実際]

(ツラツラ)(イニシヘ)ヲ引(ヒイ)テ今ヲ視(ミル)ニ、行跡(カウセキ)(ハナハダ)(カロク)シテ人ノ嘲(アザケリ)ヲ不顧、政道不正シテ民ノ弊(ツヒエ)ヲ不思、唯(タダ)日夜ニ逸遊(イツイウ)ヲ事トシテ、前烈(ゼンレツ)ヲ地下(チカ)ニ羞(ハヅカ)シメ、朝暮(テウボ)ニ奇物(キモツ)ヲ翫(モテアソビ)テ、傾廢(ケイハイ)生前(シヤウゼン)ニ致サントス。《『太平記』卷第一○後醍醐天皇御治世事武家繁昌事》

2002年2月7日(木)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「助成(ジョジャウ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に、

助成(ヂヨシヤウ)。〔元亀本313七〕

助成(―シヤウ)。〔静嘉堂本367六〕

とあって、標記語「助成」の読みを元亀本「ヂョシャウ」と示し、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

助成者生前大幸也」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

助成者生--幸也」〔山田俊雄藏本〕

助成生前大幸(カウ)」〔経覺筆本〕

助成(シヨシヤ)者生前(シヨぜン)-(カウ)」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、

助成(ジヨジヤウ)。〔言辞門154七〕

とあって、標記語「助成」の語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、態藝門に「助筆,―音,―言,―嬌,―益,―役」(953三・四)の六語を載せ、標記語「助成」は未収載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』は、

助成(ジヨジヤウ)。〔・言語進退245七〕〔・言語211一〕

助成(ジヨシヤウ)―言。―筆。〔・言語194九〕

とあって、標記語を「助成」の表記を「ジヨジヤウ」と「ジヨシヤウ」として収載する。また、易林本節用集』には、

助成(ジヨジヤウ)―筆(ヒツ)。―言(ゴン)。―業(ゴフ)。―音(イン)。〔言辞214六〕

とあって、標記語「助成」とし、「助」冠頭字の熟語群四語を示し、その語注記は未記載にする。

 ここでも、当代の古辞書からは、いずれもこの語の語注記を見ない。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「助成」の語を未収載する。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

284亦散々候也ンハ御扶持今度之恥辱助成者生前大幸也臨時客人纏頭外无 纏頭見_上也。言客人見上ヨリ。又傾城賜物也。傾城一夜召、暁傾城スニタル々裳賜也。其傾城取皈_間云尓。是言大名等慰申道-具也。故用之也。〔謙堂文庫藏三〇左E〕

とあって、標記語「助成」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

資具(シク)又散々(サンザン)ノ(シギ)ニ候也(アツカラ)御扶持(フチ)ニ(ハ)(カク)シ今度(ド)ノ恥辱(チジヨク)ヲ(ラレ)助成(ジヨシヤウ)せ(バ)。資具(シク)ハ遣(ツカ)□道具。〔下五オ八〕

とあって、この標記語「助成」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

助成(しよせい)(ら)れハ/レハ助成助成と云も助力する事也。〔三十一ウ六〕

助成(ゴジヨセイ)はゝ(しか)(へき)-候者可然也 助成の注前に見へたり。用立事也。〔39ウ八〕

とし、標記語「助成」の読みを「ジョセイ」とし、その語注記は、「助成と云も助力する事なり」「用立事なり」とある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

助成(じよせい)せら(れ)(バ)助成セラ助成ハ助力(しよりき)合力(かふ―)などいふと同じ。〔二十六オ八〕

(れ)助成(しよせい)せら(バ)助成ハ助力(しよりき)合力(かふ―)などいふと同じ。〔四十六ウ六〕

とあって、標記語「助成」の読みを「ジョセイ」とし、語注記は「助成は、助力・合力などいふと同じ」とある。

 当代の『日葡辞書』には、

Iojo<.ジョジョウ(助成) Tasuqe nasu(助け成す)危難から救い出し,遁れさせること,または,困窮しているのを扶助してやること,など.例,Gojojo<uo tanomi zonzuru.(御助成を頼み存ずる)私を援助し,恩恵を施して下さるようにお願いします.〔邦訳368r〕

とあって、その意味は「危難から救い出し,遁れさせること,または,困窮しているのを扶助してやること,など」という。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じょ-せい()【助成】又、じょじゃう。たすけ、なすこと。助力。 書經、孔傳「助成道化〔1015-2〕

とあって、標記語「助成」の語を収載する。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「じょ-じょう【助成<>(「じょう」は「成」の呉音)完成を助けること。力を添えて成功させること。物質的援助を意味することも多い。じょせい」「じょ-せい【助成[]他人の事業・研究を援助すること。じょじょう」とある。

[ことばの実際]

今更何及罪科哉者景能重申云、日來者爲囚人之間、以景能助成活命憖以蒙免許之後、已擬餓死《読み下し》今更何ぞ罪科に及ばんや。ていれば、景能重ねて申して云く、日来は囚人たるの間、景能助成(ジヨセイ)を以って命を活かし、なまじいに以って免許を蒙るの後、すでに餓死せんと擬す。《『吾妻鏡』建久元年(1190)九月三日条》※寛永版はこの読みを「ジョセイ」とあるが、「ジョジャウ」が妥当。

2002年2月6日(水)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「恥辱(チジョク)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「知」部に、

恥辱(チジヨク/―ソク)。〔元亀本67六〕

恥辱(―ジヨク)。〔静嘉堂本79六〕

恥辱(チシヨク)。〔天正十七年本上39オ四〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「恥辱」の読みを元亀本「チジョク」と「チソク」の両読みを示し、静嘉堂本他は「チジヨク」のみを示し、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

不預御扶持者今度難隠恥辱」〔至徳三年本〕

不預御扶持者難隠今度之恥辱」〔建部傳内本〕

ンバ御扶---」〔山田俊雄藏本〕

レバ御扶持恥辱」〔経覺筆本〕

不預(アスカラ)御扶持(ゴフチ)ニ(カク)シ今度恥辱(チシヨク)ヲ」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本(順異同あり)と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、

恥辱(チジヨク)。〔疉字門159二〕

とあって、標記語「恥辱」の語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

恥辱(チジヨク/ハヂ,カタシケナシ・ハヂ)[○・入]。〔態藝門175一〕

とあって、標記語を「恥辱」とし、その語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、

恥辱(チジヨク)。〔・言語進退53五〕〔・言語53九〕

恥辱(チヂヨク)―歎。〔・言語49一〕

恥辱(チヂヨク)。〔・言語57七〕

とあって、標記語を「恥辱」の表記を「チジヨク」と「チヂヨク」として収載する。また、易林本節用集』には、

恥辱(チジヨク)。〔言辞53二〕

とあって、標記語「恥辱」とし、その語注記は未記載にする。

 ここで、当代の古辞書では、いずれもこの語の語注記を見ない。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

恥辱闘乱部/チシヨク/――分。〔黒川本・疉字上56オ五〕

恥辱チシヨク 〃歎。〔卷第二・疉字470二〕

とあって、標記語「恥辱」の語を収載する。

 これを『庭訓往来註』二月廿四日の状と五月九日の状に、

076然トモ而被‖_加人数一-後日恥辱| ハ危也。近也。粗之義也。〔謙堂文庫藏一一左E〕

284亦散々候也ンハ御扶持今度之恥辱助成者生前大幸也臨時客人纏頭外无 纏頭見_上也。言客人見上ヨリ。又傾城賜物也。傾城一夜召、暁傾城スニタル々裳賜也。其傾城取皈_間云尓。是言大名等慰申道-具也。故用之也。〔謙堂文庫藏三〇左E〕

とあって、標記語「恥辱」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

蛍火ルニ而被ラレ(メシ)‖_(クワ)ヘ-數一-者殆(ホトン)ト(マネ)ク後日恥辱(チジヨク)ヲ執筆發句賦物(フフツ)以下才覺。〔上八ウ五〕

資具(シク)又散々(サンザン)ノ(シギ)ニ候也(アツカラ)御扶持(フチ)ニ(ハ)(カク)シ今度(ド)ノ恥辱(チジヨク)ヲ(ラレ)助成(ジヨシヤウ)せ(バ)。資具(シク)ハ遣(ツカ)□道具。〔下五オ八〕

とあって、この標記語「恥辱」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(しかる)-(にんじゆ)一分(いちふん)(めし)(くわ)(られ)(ハ)(ほとん)後日(こにち)恥辱(ちちよく)(まね)(へ)し/ルニ而被‖_加人--者殆ント後日之恥辱恥辱ハミなはぢと訓す。〔十オ七〕

今度(こんど)恥辱(ちちよく)(かく)(かた)し/今度恥辱恥も辱も皆はぢと讀り。〔三十一ウ六〕

とし、標記語「恥辱」の語注記は、「恥辱は、みな“はぢ”と訓ず」「恥も辱も皆“はぢ”と讀めり」とある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

然而(しかうし)-(にんじゆ)一分(いちぶん)(め)し(くハ)えら(れ)(バ)(ほとん)後日(ごにち)(の)恥辱(ちちよく)(まね)(べ)し/然而被‖_ヘラ--殆可後日之恥辱。〔八ウ五〕

今度(こんど)恥辱(ちじよく)(かく)(がた)し/今度恥辱。〔二十六オ八〕

然而(しかして)(れ)(めし)‖_(くハ)へら-(にんじゆ)-(いちふん)に(バ)(ほとんど)(べ)し(まね)く後日(ごにち)(の)恥辱(ちしよく)を。〔十四ウ四〕

(がた)し(かく)し今度(こんと)の恥辱(ちしよく)を。〔四十六ウ六〕

とあって、標記語「恥辱」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Chijocu.チジヨク(恥辱) 侮辱,または,不名誉.§Chijocuuo caquru,l,xicaquru.(恥辱を掛くる,または,し掛くる)人を侮辱する,または,人に面目を失わせる.§Chijocuuo susugu.(恥辱を雪ぐ)雪辱する,または,報復する.⇒Ataye,uru;Caqi,u(掻き,く)〔邦訳121r〕

とあって、その意味は「侮辱,または,不名誉」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ち-じょく【恥辱<>体面や名誉などを傷つける不面目なこと。また、そのようなめにあわせること。はじ。はずかしめ」とある。

[ことばの実際]

仍今日、仰牧三郎宗親、破却廣綱之宅、頗及耻辱読み下し》よって今日、牧の三郎宗親に仰せ、廣綱が宅を破却し、頗る恥辱(チジヨク)に及ぶ。《『吾妻鏡』寿永元年十一月十日条》

2002年2月5日(火)薄晴れのち雨。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「今度(コンド)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「古」部に、

今度(コントタビ)。〔元亀本230一〕

今度(コンド)。〔静嘉堂本263六〕

とあって、標記語「今度」の読みを元亀本「こんとたび」静嘉堂本「こんど」と示し、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

不預御扶持者今度難隠恥辱」〔至徳三年本〕

不預御扶持者難隠今度之恥辱」〔建部傳内本〕

ンバ御扶--之恥-」〔山田俊雄藏本〕

レバ御扶持恥辱」〔経覺筆本〕

不預(アスカラ)御扶持(ゴフチ)ニ(カク)シ今度恥辱(チシヨク)ヲ」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本(順異同あり)と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「今度」の語は未収載にある。次に広本節用集』は、

今度(コンキン・イマ,ハカル・タビ)[平・去入]。〔態藝門668八〕

とあって、標記語を「今度」とし、その語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語を「今度」未収載にする。また、易林本節用集』には、

今度(コンド)―時(ジ)。―古(コ)。―世(ぜ)。―生(シヤウ)。―案(アン)。〔言辞159二〕

とあって、標記語「今度」とし、「今」冠頭字の熟語群五語を注記に添える。

 ここで、当代の古辞書のなかで『下學集』印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』がこの語を標記語とせず、広本節用集』と易林本節用集』、『運歩色葉集』とがこの「今度」を収載するのである。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「今度」の語を未収載にする。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

284亦散々候也ンハ御扶持今度之恥辱助成者生前大幸也臨時客人纏頭外无 纏頭見_上也。言客人見上ヨリ。又傾城賜物也。傾城一夜召、暁傾城スニタル々裳賜也。其傾城取皈_間云尓。是言大名等慰申道-具也。故用之也。〔謙堂文庫藏三〇左E〕

とあって、標記語「今度」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

資具(シク)又散々(サンザン)ノ(シギ)ニ候也(アツカラ)御扶持(フチ)ニ(ハ)(カク)シ今度()ノ恥辱(チジヨク)ヲ(ラレ)助成(ジヨシヤウ)せ(バ)。資具(シク)ハ遣(ツカ)□道具。〔下五オ八〕

とあって、この標記語「今度」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

今度(こんど)恥辱(ちちよく)(かく)(かた)し/今度恥辱。恥も辱も皆はぢと讀り。〔三十一ウ六〕

とし、標記語「今度」の語注記は、未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

今度(こんど)恥辱(ちじよく)(かく)(がた)し/今度恥辱。〔二十六オ八〕

(がた)し(かく)し今度(こんと)の恥辱(ちしよく)を。〔四十六ウ六〕

とあって、標記語「今度」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Condo.コンド(今度) Imano tabi.(今の度)今回.§また,後で,または,これからさき.〔邦訳146l〕

とあって、その意味は「今回.後で.これからさき」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「こん-ど【今度<>@たびたび生じる一連の出来事を時間の流れの中でとらえた際に、最も現在に近く位置するものについていう。イすでに生じたものにいう。今回。今般。このたび。ロ近い将来生じるもについていう。この次。次回。A過去に生じた個別的出来事が、現在に近いことを表わす。今回。最近。このたび」とある。

[ことばの実際]

我朝者神國也往古神領、無相違其外、今度始又各被新加歟。《読み下し》我が朝は神国なり。住吉の神領相違無し。その外、今度始めて又各々新加せらるか。《『吾妻鏡』寿永三年二月二十五日条》

2002年2月4日(月)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「扶持(フチ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「福」部に、

扶持(フチ)。〔元亀本222十〕〔静嘉堂本255一〕

とあって、標記語「扶持」を示し、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

不預御扶持今度難隠恥辱」〔至徳三年本〕

不預御扶持者難隠今度之恥辱」〔建部傳内本〕

ンバ--之恥-」〔山田俊雄藏本〕

レバ御扶持恥辱」〔経覺筆本〕

不預(アスカラ)御扶持(ゴフチ)ニ(カク)シ今度恥辱(チシヨク)ヲ」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本(順異同あり)と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「扶持」の語は未収載にある。次に広本節用集』は、

扶持(フヂ/タスケ,モツ)[○・平]。〔態藝門637八〕

とあって、標記語を「扶持」とし、その語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、

扶持(フチ)。〔・言語進退182七〕

扶持(フチ)―助(ジヨ)。―佐(サ)。〔・言語149五〕

扶持(フチ) ―助。―佐。〔・言語139五〕

とあって、標記語を「扶持」とし、その語注記を未記載にする。このうち、永祿二年本尭空本については、標記語「扶持」冠頭字「扶」の熟語群として二語を収載している。また、易林本節用集』には、

扶持(フチ)―助(ジヨ)。〔不・言辞151二〕

とあって、標記語を「扶持」とし、冠頭字「扶」の熟語「扶助」の一語を語注記に収載している。

 ここで、当代の古辞書のなかで『下學集』がこの語を標記語とせず、広本節用集』と印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集易林本節用集』『運歩色葉集』は「扶持」として収載する。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、

扶持(タスケタモツ)(公卿部)フチ/又教導分。〔黒川本中106オ四〕

扶持〃桑。〃疎。〔卷第七・疉字85五〕

とあって、標記語「扶持」の語を収載している。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

284亦散々候也ンハ扶持今度之恥辱助成者生前大幸也臨時客人纏頭外无 纏頭見_上也。言客人見上ヨリ。又傾城賜物也。傾城一夜召、暁傾城スニタル々裳賜也。其傾城取皈_間云尓。是言大名等慰申道-具也。故用之也。〔謙堂文庫藏三〇左E〕

とあって、標記語「扶持」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

資具(シク)又散々(サンザン)ノ(シギ)ニ候也(アツカラ)扶持(フチ)ニ(ハ)(カク)シ今度(ド)ノ恥辱(チジヨク)ヲ(ラレ)助成(ジヨシヤウ)せ(バ)。資具(シク)ハ遣(ツカ)□道具。〔下五オ八〕

とあって、この標記語「扶持」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

扶持(ごふち)(あつか)(ず)んハンハ扶持。扶持ハたすけたもつと讀。助力(しよりよく)合力(かうりよく)なとゝいふこと也。〔三十一オ六〕

とし、標記語「扶持」にし、その語注記は、「扶持ハたすけたもつと讀。助力(しよりよく)合力(かうりよく)なとゝいふことなり」とある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

扶持(ごふち)(あづか)(ず)ん扶持。〔二十六オ七〕

(す)ん(あつから)扶持(ごふち)に(バ)。〔四十六ウ五〕

とあって、標記語「扶持」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Fuchi.フチ(扶持) 給料,あるいは,俸禄。§Fuchiuo suru.(扶持をする)自己の負担で抱えている人,あるいは扶養している人に給料を支払う.⇒Cafuchi.〔邦訳269r〕

とあって、その意味は「給料,あるいは,俸禄」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ふ-ち【扶持<>@(―する)援助すること。力を貸すこと。A(―する)俸禄を与えて家臣とすること。扶持米を与えて臣下として抱え置くこと。Bふちまい(扶持米)の略。C転じて、食費」とある。

[ことばの実際]

木曽妹公事所被加御扶持也《読み下し》木曽の妹公の事、御扶持を加えらる所なり。《『吾妻鏡』元暦二年五月三日条》

2002年2月3日(日)雨。東京(八王子)⇔世田谷(玉川⇒駒沢)

「散々(サンザン)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「左」部に、「散乱(サンラン),散藥(―ヤク),散田(―テン),散在(―サイ),散用(―ユウ),散失(―シツ),散具(―ク),散米(―マイ)」の語が見えるだけで、標記語「散々」の語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

折節草亭見苦敷資具又散々式也」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_節草-亭見__-具又散々式也」〔山田俊雄藏本〕

折節(ヲリフシ)_(サウテイ)見苦敷(グルシク)資具(シ―)散々(サンザン)ノ式也」〔経覺筆本〕

-(おりふし)_(ソヲテイ)-_(ミクルシク)資具(シグ)散々(サン〃)ノ」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集広本節用集』印度本系統の弘治二年本・両足院本節用集易林本節用集』は、標記語「散々」の語は未収載にある。そして、印度本系統の永祿二年本尭空本節用集』には、

散用(――)―状――/―向。〔・言語178八〕

散用(サンヨウ)―状―向。/――。〔・言語167九〕

 ここで、室町時代の主たる古辞書がこの「散々」の語を未収載にするなかで上記の二本と天正十八年本節用集』に、

散々(サン/\)〔下22オ七〕

とあって、語注記は未記載だが、この語が収載されていることに注目したい。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、

散々サン/\。〔黒川本・重點下41オ八〕

散々サン〃。〔卷第八・重點437五〕

とあって、標記語「散々」の語を収載する。この鎌倉時代と室町時代とにおける古辞書収載の継承性がこの「散」を冠頭字とする熟語群に関してはやや希薄である。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

284亦散々候也ンハ御扶持今度之恥辱助成者生前大幸也臨時客人纏頭外无 纏頭見_上也。言客人見上ヨリ。又傾城賜物也。傾城一夜召、暁傾城スニタル々裳賜也。其傾城取皈_間云尓。是言大名等慰申道-具也。故用之也。〔謙堂文庫藏三〇左E〕

とあって、標記語「散々」の語注記は未記載にする。古版『庭訓徃来註』では、

資具(シク)散々(サンザン)ノ(シギ)ニ候也(アツカラ)御扶持(フチ)ニ(ハ)(カク)シ今度(ド)ノ恥辱(チジヨク)ヲ(ラレ)助成(ジヨシヤウ)せ(バ)資具(シク)ハ遣(ツカ)□道具。〔下五オ八〕

とあって、この標記語「散々」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

資具(しく)(また)散々(さん/\)(しき)候也。/資具又散々候也資具は饗應(きやうおう)に用る道具を云也。〔三十一オ五〕

とし、標記語「散々」の語注記は未記載とする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

資具(しぐ)(また)散々(さん/〃\)(の)(しき)(さふら)(なり)。/資具又散々。《後略》▲資具ハ家財(か―)道具をいふ。〔二十六オ六〕

資具(しぐ)(また)散々(さん/\)の(しき)に(さふら)ふ(なり)資具ハ家財(かさい)道具(だうぐ)をいふ。〔四十七オ二〕

とあって、標記語「散々」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』にも、

Sanzan.サンザン(散々) 不格好なこと,醜悪なこと,または,不幸な結果になるようなこと,など.〔邦訳557l〕

標記語「散々」は「不格好なこと,醜悪なこと,または,不幸な結果になるようなこと,など」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「さん-ざん【散々】[一]<形動ナリ・タリ>@ちりぢりになるさま。細かくばらばらになるさま。A物事の程度のはなはだしいさま。乱れてはげしいさま。B様子のひどく悪いさま。見苦しいさま。[二]<副>物事の程度が著しいさまを表わす語。いろいろとひどく。はなはだしく。さんざ。さんざっぱら」とあって、『庭訓徃来』はBの意味となる。

[ことばの実際]

寺付之間、今度僧名有散々事等、或下官召弁問之、或家通以史尋之、綱所之申旨、随問之、失度大略無存趣、偏是惘然也。《『玉葉』嘉応二年(1170)廿一日条》

馬ノシリニウチグシテアリケレド、京ノ小路ニ入ニケル上ハ、散々ニウチワカレニケリ。《『愚管抄』(1220年)卷第五》@の意味

力者以下みなうちすてゝ、散々に逃さりにければ、たゞひとり輿にのりて、茫然として居たり。《『古今著聞集』(1254年)四三一・澄憲法印奈良坂の山賊を教化の事》

2002年2月2日(土)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)

「資具(シグ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に、「資縁(シエン)」の語が見えるだけで、標記語「資具」の語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

折節草亭見苦敷資具又散々式也」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_節草-亭見__-又散々式也」〔山田俊雄藏本〕

折節(ヲリフシ)_(サウテイ)見苦敷(グルシク)資具(シ―)散々(サンザン)ノ式也」〔経覺筆本〕

-(おりふし)_(ソヲテイ)-_(ミクルシク)資具(シグ)又散々(サン〃)ノ」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集広本節用集』印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集易林本節用集』は、標記語「資具」の語は未収載にある。

 ここで、室町時代の主たる古辞書すべてがこの「資具」の語を未収載にするのは一体何故なのかという点を考えておきたい(未審)。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、

資財(シサイ)資具(同)。〔黒川本・疉字下81オ一〕

資財〃貯。〃具。〃儲。〔卷第九・疉字209四〕

とあって、標記語「資財」の同語としてこの語を収載する。この鎌倉時代と室町時代とにおける古辞書収載の継承性がこの「資」を冠頭字とする熟語群に関して見られないのである。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

283以路次之便打寄(ヨル)之由内々其ノ_候。折節草_亭見苦敷資具(シグ) 使具足也。〔謙堂文庫藏三〇左D〕

資具ハつか井道具也。〔天理図書館藏『庭訓私記』〕

とあって、標記語「資具」の語注記は、「使ひ具足なり」という。古版『庭訓徃来註』では、

資具(シク)又散々(サンザン)ノ(シギ)ニ候也(アツカラ)御扶持(フチ)ニ(ハ)(カク)シ今度(ド)ノ恥辱(チジヨク)ヲ(ラレ)助成(ジヨシヤウ)せ(バ)資具(シク)ハ遣(ツカ)□道具。〔下五オ八〕

とあって、この標記語「資具」の語注記は「資具は、遣□道具」とある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

資具(しく)(また)散々(さん/\)(しき)候也。/資具又散々候也資具は饗應(きやうおう)に用る道具を云也。〔三十一オ五〕

とし、標記語「資具」の語注記は「資具は饗應に用いる道具を云ふなり」とある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

資具(しぐ)(また)散々(さん/〃\)(の)(しき)(さふら)(なり)。/資具又散々。《後略》▲資具ハ家財(か―)道具をいふ。〔二十六オ六〕

資具(しぐ)(また)散々(さん/\)の(しき)に(さふら)ふ(なり)資具ハ家財(かさい)道具(だうぐ)をいふ。〔四十七オ二〕

とあって、標記語「資具」の語注記は「資具は、家財道具をいふ」とある。

 当代の『日葡辞書』にも、標記語「資具」は未収載にある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「し-ぐ【資具<>日ごろ使用する道具。什器(じゅうき)。資財。家具」とある。

[ことばの実際]

大集経に云く_若復有諸刹利国王作諸非法悩乱世尊声聞弟子 若以毀罵刀杖打斫及奪衣鉢種種資具 若他給施作留難者我等令彼自然卒起他方怨敵 及自界国土亦令兵起病疫飢饉非時風雨闘諍言訟。《『立正安国論』(広本)1260年》

何(いか)に况んや未だ一大蔵経の中にも、三国伝来の仏祖有って一人も飢え死に寒え死にしたるを聞かず。世間衣粮の資具は生得の命分(みょうぶん)なり。《『正法眼蔵随聞記』1235〜1237年》

2002年2月1日(金)晴れ。東京(八王子)⇔世田谷(駒沢)⇒日本橋丸善

「見苦敷(みぐるしく)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「見」部に、

見苦敷(ミグルシヽ)。〔元亀本302二〕〔静嘉堂本351八〕

とあって、標記語「見苦敷」の読みを「みぐるしし」とシシ語尾で示し、その語注記は未記載にする。古写本『庭訓徃來』五月五{九}日の状に、

折節草亭見苦敷資具又散々式也」〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

_節草-__-具又散々式也」〔山田俊雄藏本〕

折節(ヲリフシ)_(サウテイ)見苦敷(グルシク)資具(シ―)亦散々(サンザン)ノ式也」〔経覺筆本〕

-(おりふし)_(ソヲテイ)-_(ミクルシク)資具(シグ)又散々(サン〃)ノ」〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』は、標記語「見苦敷」の語は未収載にある。次に広本節用集』は、

見苦(ミクルシ/ケンク.―,ネンコロ)[去・去]。〔態藝門892四〕

とあって、標記語を「見苦」とし、その語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、

見苦(ミクルシク)。〔・言語進退233六〕

見澄(ミスマス)―知(シル)―苦(クルシ)。〔・言語194五〕

見澄(ミスマス)―知。―上/―苦。〔・言語184二〕

とあって、弘治二年本は、広本節用集』と同じく標記語を「見苦」とし、その語注記を未記載にし、永祿二年本尭空本については、標記語「見澄」冠頭字「見」の熟語群として「見苦」を収載している。また、易林本節用集』には、

見繕(ミツクロフ)―知(シル)。―継(ツグ)。―事(ゴト)。―仄(ソル)/―懲(ゴリ)―苦(グルシ)。―直(ナホス)。―付(ツク)。〔美・言辞200七〕

とあって、標記語を「見繕」とし、「見苦」の語は冠頭字「見」の熟語群八語のひとつとして収載している。

 ここで、当代の古辞書のなかで『下學集』がこの語を標記語とせず、広本節用集』と印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集易林本節用集』類は「見苦」として収載する。それに対し、『節用集』類でも明応本天正十八年本黒本本と『運歩色葉集』は「見苦敷」の語をもって収載するという異なりを見せている。この「」の語尾表記を付けるか否かの観点から再度『節用集』類をみることが肝要かもしれない。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「見苦敷」の語は未収載にする。

 これを『庭訓往来註』五月九日の状に、

283以路次之便打寄(ヨル)之由内々其ノ_候。折節草_見苦敷資具(シグ) 使具足也。〔謙堂文庫藏三〇左D〕

とあって、標記語「見苦敷」の語注記は未記載にある。古版『庭訓徃来註』では、

草亭(サウチン)見苦敷(ミグルシク)トハ。藁(ワラ)ニテ葺(フキ)タル家ヘナリ。〔下五オ七〕

とあって、この標記語「見苦敷」の語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

折節(おりふし)草亭(さうてい)見苦敷(みぐるしく)折節草亭見苦敷。〔三十一オ四〕

とし、標記語「見苦敷」にし、その語注記は未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

折節(をりふし)草亭(さうてい)見苦敷(ミくるしく)折節草亭見苦敷。〔二十六オ六〕

折節(をりふし)草亭(さうてい)見苦敷(ミくるしく)。〔四十六ウ四〕

とあって、標記語「見苦敷」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』には、

Miguruxij.ミグルシイ(見苦敷) 醜い(もの),または,汚い(もの).§Miguruxij sugata.(見苦しい姿)見るに堪えない汚れた姿,あるいは,様子./Miguruxisa.(見苦しさ)/Miguruxu<.(見苦しう)〔邦訳405l〕

とあって、その意味は「醜い(もの),または,汚い(もの)」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「み-ぐるし・い【見苦<形口>@外から見るのがつらい気持ちである。見るにたえない。Aみっともない。みにくい」とある。

[ことばの実際]

河内國々領、〈於〉時定〈加〉陸奥所といふ、假名〈於〉立て、令押領之由、有其聞先陸奥所と云假名、聞耳見苦之上、無禮と不存哉彼奥州にて、出羽國内を押領せん爲には、陸奥所とも、云てん《読み下し》河内ノ国ノ国領ヲ時定ガ陸奥所トイフ、仮名ヲ立テテ、押領セシムルノ由、其ノ聞エ有リ。先ヅ陸奥所ト云フ仮名、聞ク耳見苦シキノ上、無礼ト存ゼザルヤ。《『吾妻鏡』建久元年八月三日条》

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