2003年02月01日から02月28日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

2003年2月28日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
小隔子(こガウシ)」「隔子」(2001.05.08)の増補のため、「隔子」の語に関わる古辞書資料については省略する。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。また、天理図書館藏の宝徳三年本は、真字本と同様に「小隔子」と記載しているのが特徴である。
 このように、当代の古辞書には訓みを「カウシ」として、「隔子」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)-物單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「隔子」とし、その語注記は、未記載にする。
古版庭訓徃来註』では、

楊裏(ヤナギウラ)薄紅梅(ウスコウバイ)色々(スジ)ノ小袖隔子(カウシ)織物(ヲリモノ)單衣(ヒトヘギヌ) 楊裏(やなぎうら)トハ。表(ヲモテ)ハ黄色(キイロ)ニテ裏(ウラ)ノ青(アヲ)ク(キ)ナルヲ云ナリ。〔下十四ウ一・二〕

とあって、この標記語「隔子」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

隔子(かうし)の織物(おりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)隔子織物單衣濃紅 皆女房達の装束(しやうそく)也。単衣ハ下(した)ぎなり。其上に五衣(いつゝきぬ)其上に表着(うハき)其上に唐衣(からきぬ)を着る也。但し五つ衣又七つ衣あり。春(はる)(ふゆ)ハ八つも九つも十も重(かさね)ると也。濃紅の袴ハ千入(ちしほ)の袴乃事なり。表ハへにゝして裏ハ白なり。〔52ウ六〜八

とあって、標記語を「隔子」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲隔子織物ハ碁(ぐ)の目に織(をり)なしたる絹(きぬ)をいふ。〔39オ四〜39ウ二〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲隔子織物ハ碁(ぐ)の目に織(をり)なしたる絹(きぬ)をいふ。〔69ウ五〜70オ五〕

とあって、標記語「隔子」の語注記は、「隔子織物は、碁の目に織りなしたる絹をいふ」と記載する。
 明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「小隔子」の語は見えずただの、

カウシ〔名〕【格子隔子】〔字の音、かくしの音便〕(一){一種の建具の名。細そく角なる材を、隙間疎(あら)く縱横に組み作りて、K塗にしたるもの。古への寢殿造りの、柱と柱との間に掛けて、内外の隔てとす、一間毎に、横に上下二枚、上なるは外方へ釣りあげ、下なるは常に掛けおきて、出入を許さず。(出入は、妻戸よりす)倭名抄、十14居宅具「隔子格子、蔀(シトミ)源氏物語、四夕顔11「中將の御許(おもと)(み)かうし一間あげて」(二)細そき竹木を、縱横に透間あるやうに組みて、窓などに取りつけたるもの。櫺子(れんじ)安永の川柳「竹格子、坊主のやうな、者も來る」(妾の住宅)(三)格子戸の略。(四)染物、織物の模樣に、碁盤の目の如く、縱横の筋を成せるもの。盛衰記、三十五、巴關東下向事「巴は、云云、紫隔子(かうし)を織りつけたる直垂に、菊閉(きくとぢ)滋くして云云」「障子格子」童子格子」格子縞」(五)遊女屋の稱。(遊女屋の表が、格子造りなるより)三世相(貞享、近松作)三「格子、格子を見渡せば」(六)遊女の稱、格子女郎(かうしぢよらう)の略。〔0342-5〕

とあって、標記語を「隔子」と「格子」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こう-し【隔子】[一]〔名〕@細い角材を縦横に組み合わて作った建具。寝殿造りの建具である蔀(しとみ)のこと。A細い木や竹などを、縦横に間をすかして組んで、窓や戸口の外などに打ち付けたもの。B「こうしど(格子戸)」の略。C染織品の文様の一種。碁盤の目のように縦横に筋を出したもの。D遊女屋にあるA。また、その張見世(はりみせ)、遊女屋をもいう。E江戸時代の遊女、また、その位をいう。イ遊女の階級の一つ。京都島原では、遊女の第二級天神をいい、大坂新町では、第一級の太夫、また、江戸吉原では、第二級の遊女をいった。大格子の内に部屋をもっていることからいう。F紋所の名。蔀(しとみ)の格子をかたどったもの。G物理学で、結晶格子、回折格子をいう。H数学で、基本になるベクトルを単位として原点から規則正しく排列された点、およびそれらの点を結ぶ線とそれらの線で囲まれた面の総体。1つのベクトルで規定される平面格子(二次元格子)、三つのベクトルで規定される空間格子(三次元格子)がある。I電子管の電極の一つ。、グリッドをいう。制御格子、遮蔽格子、抑制格子などがある」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。また、標記語「こ-ごうし【小格子】〔名〕@小さい格子。Aこまかな弁慶縞(べんけいじま)。大格子。B江戸、新吉原などで、下級な遊女屋。また、そこに勤める遊女。小格子見世。大格子」とあって、Aの意味用例として、『庭訓往来註』(室町・大永五(1525)年頃成)を引用記載している。
[ことばの実際]「小格子柄」「白地茶萌黄小格子厚板
未剋、竹御所寢殿南格子内、犬一疋、忽然出來伏疊上〈云云〉訓み下し未ノ剋ニ、竹ノ御所ノ寝殿ノ南ノ格子(カフシ)ノ内ニ、犬一疋、忽然トシテ出来シ畳ノ上ニ伏スト〈云云〉。《『吾妻鏡安貞二年九月二十日の条》 
 
2003年2月27日(木)晴れ。東京(麹町)→世田谷(駒沢)
(すぢ)の小袖(こそで)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」に、

(スヂ)。〔元亀本362四〕

(スジ)。〔静嘉堂本441六〕

とあって、標記語「」の読みを「すぢ」と「すじ」とし語注記は未記載にする。また、「古」部には、「小結(ガイ)烏帽子(エホシ)。小袴(バカマ)。小姓(シヤウ)。小尻(ジリ)刀。小(サカシヽ)。小汁(ジル)。小春(コハル)十月。小歩(アリキ)。小人(ビト)。小手(テ)」「小者(モノ)。小僧(ゾウ)。小児(チゴ)。小督(カウ)能之名」の語を収載し、標記語「小袖」の語は未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「小袖」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「小袖」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

(スヂキン)[平]。〔支躰門1124二〕

小袖(コソデ/せウシウ)[上・去]。〔絹布門661一〕

とあって、標記語「」と「小袖」の二語を収載し、その読みを「すぢ」「こそで」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(スチ)。・支躰268八〕

(スヂ)。・支躰230六〕〔・支躰216六〕

小袖(コソデ)。・衣服188二〕〔・衣服154九〕

小袖(コソデ) ―袴。〔・衣服144八〕

とあって、標記語「」と「小袖」の二語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(スヂ/キン)。〔支躰239一〕

小袖(コソデ) ―御衣(ヲンゾ)。―袴(バカマ)。―衣(コロモ)。〔食服155七〕

とあって、標記語「」と「小袖」の二語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書のうち節用集類には訓みを「すぢ{じ}」「こそで」として、「「」と「小袖」の二語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々小袖-隔子(カウ―)ノ-物單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「筋小袖」とし、その語注記は未記載にする。
古版庭訓徃来註』では、

楊裏(ヤナギウラ)薄紅梅(ウスコウバイ)色々(スジ)ノ小袖隔子(カウシ)ノ織物(ヲリモノ)單衣(ヒトヘギヌ) 楊裏(やなぎうら)トハ。表(ヲモテ)ハ黄色(キイロ)ニテ裏(ウラ)ノ青(アヲ)ク(キ)ナルヲ云ナリ。〔下十四ウ一・二〕

とあって、この標記語「小袖」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の小袖(すじこそで)薄紅梅色々小袖 (しま)の小袖なり。〔52ウ六

とあって、標記語を「小袖」とし、語注記は、「島の小袖なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲筋小袖ハ縞地(しまち)の衣服(いふく)也。〔39オ四〜39ウ一〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲筋小袖ハ縞地(しまち)の衣服(いふく)也。〔69ウ五〜70オ四〕

とあって、標記語「筋小袖」の語注記は、「筋小袖は、縞地の衣服なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sugi.スヂ(筋) 筋,または,神経.→Subiqi,u;Tcuri,ru.〔邦訳584r〕

Cosode.コソデ(小袖) 絹または紬(Tcumugui)で作った着物.→Boqeno;Faguitori,u;Fitotcumaje;Qecaqe.〔邦訳151r〕

とあって、標記語「」の意味を「筋,または,神経」とし、標記語「小袖」の語の意味を「絹または紬(Tcumugui)で作った着物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「すぢ-こそで〔名〕【筋小袖】」の語は未収載であり、

-そで〔名〕【小袖】〔衣(きぬ)、袙(あこめ)、などの、大袖に對する語〕(一)古へ、男女の下着の服。袖口、狭く、袖下を、丸く縫ひ作る、無地の帛を用ゐる、中世は、白小袖は、貴人の用とす。金葉集、九、雜上「行蓮上人が許へ、小袖遣はすとて詠(よ)める「あはれまむと、思ふ心は、廣けれど、はぐくむ袖の、狭(せば)くもあるかな」豹文記(天文)「白き小袖の事、平人は不着用候、公家は御用候」記故實拾葉(元文)十四「小袖、御下著也、袖口、大袖より小さし」(二)後世は、染色、縞織に關せず、すべて、絹布の綿入れ稱、上衣(うはぎ)と云ふものなければ、表に着る。(もめん綿入れを、ぬのこと云ふに對す)。〔0689-2〕

とあって、標記語を「小袖」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、「すぢ-こそで〔名〕【筋小袖】」の語は未収載であり、標記語「こ-そで【小袖】[一]〔名〕@袖口を狭くした垂領(たりくび)の長着(ながぎ)。肌着として用い、貴族も宿直衣(とのいぎぬ)のいちばん下に着けた。A礼服の大袖の下に着る衣。筒袖(つつそで)による名称であるが、盤領(まるえり)とするのが特色であり、一般の小袖と相違する。B絹の綿入れ。丸物(まるもの)。C近世の具足の当世袖の一種。大袖に対していう。[二]足利重代の鎧(よろい)の名称。[語誌](1)平安末から朝服の肌着に採用され、重ね小袖として公武上下男女に広く用いられた。肌着として白絹製を本義としたが、しだいに文綾、染文様と華麗になり、従来の袙(あこめ)や袿(うちき)を省略して重ね小袖の上に直ちに上衣である袍(ほう)や狩衣、直垂(ひたたれ)の類をつけるのが普通になった。室町以来、女子は着流しで重ね小袖の最上衣をはおって打掛(うちかけ)の小袖とし、帯の発達をみた。(2)安土・桃山時代になると、小袖、帯の着用が上下男女を問わず一般化し、現代の着物の形態につながる。(3)江戸時代の前期には、肩から裾にかけた大胆な模様(寛文模様)のものが見られ、元禄頃になると、総鹿の子紋をはじめとし、尾形光琳などの画家による画がき絵や友禅染めのものも用いられるなど、自由で多彩な模様となっている。しかし、後期になると、華美な文様や色の小袖のように衣装を飾り立てるのは「いき」でないとされ、藍色などのさっぱりした色調、縞模様などのほか、ねずみ色や茶色の渋い色調や小紋の小袖が好まれるようになった」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
只今殊刷行粧、著小袖十餘領、其袖妻重色々武衛覽之、召俊兼之刀即進之自取彼刀、令切俊兼之小袖妻給後、被仰曰、汝冨才翰也訓み下し只今殊ニ行粧ヲ刷ヒ、小袖(コソデ)十余領ヲ著、其ノ袖妻色色ヲ重ヌ(重色之)。武衛之ヲ覧タマヒ、俊兼ガ刀ヲ召ス。即チ之ヲ進ズ。自ラ彼ノ刀ヲ取リ、俊兼ガ小袖ノ妻ヲ切ラシメ給フテ後、仰セラレテ曰ク、汝富才翰ナリ(才翰ニ富メルナリ)。《『吾妻鏡元暦元年十一月二十一日の条》 
 
2003年2月26日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
色色(いろいろ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、標記語「色々」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「色々」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「色々」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

色々(イロ/\ショク)[入・○]。〔態藝門40八〕

とあって、標記語「色々」の語を収載し、その読みを「イロ/\」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「色々」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

色々(イロ/\) 。〔言辞8三〕

とあって、標記語「色々」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には、広本節用集』と易林本節用集』に訓みを「いろいろ」として、「色々」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「色々」とし、その語注記は、未記載にする。
古版庭訓徃来註』では、

楊裏(ヤナギウラ)薄紅梅(ウスコウバイ)色々(スジ)ノ小袖隔子(カウシ)ノ織物(ヲリモノ)單衣(ヒトヘギヌ) 楊裏(やなぎうら)トハ。表(ヲモテ)ハ黄色(キイロ)ニテ裏(ウラ)ノ青(アヲ)ク(キ)ナルヲ云ナリ。〔下十四ウ一・二〕

とあって、この標記語「色々」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)小袖(こそで)薄紅梅色々筋小袖 (しま)の小袖なり。〔52ウ六

とあって、標記語を「色々」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色色(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。〔39オ四〜39ウ一〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。〔69ウ五〜70オ四〕

とあって、標記語「色々」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iroiro.イロ/\(色々) 多くの色.§また,さまざまに.例,Iroironi cauaru.(色々に変る)さまざまに変化する.→Cauaruyuqi,u;Fiacumi;Fiacuxo;Mongiacu;Niuoi,o>.〔邦訳341r〕

とあって、標記語「色々」の語を収載し、意味を「多くの色」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いろいろ〔名〕【色々】(一)種種の色。諸色。古今集、四、秋、上「緑なる、一つ草とぞ、春は見し、秋はいろいろの、花にぞありける」夫木抄、七「早苗取る、御田の植女(うえめ)も、色色の、袖をつらねて、祝ふ今日かな」「花の色色、蟲の聲聲」(二)さまざま。くさぐさ。しなじな。種種。他方。竹取物語、蓬莱の玉の枝「旅の空に、云云、いろいろの病をして」源氏物語、三十九、御法4「いつの程に、いとかくいろいろ思し設けけむ」〔0220-3〕

とあって、標記語を「色々」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いろいろ【色々】[一]〔名〕@(形動)さまざまの色。各種の色。A中古、女房の襲(かさね)の色目。各種の色(薄色、萠葱、紅梅、蘇芳、山吹)を重ねること。B(形動)さまざま。種々。C会合して飲み食いすることをいう、盗人仲間の隠語。〔隠語輯覧(1915)〕[二]〔副〕さまざまに。種々に。[語誌]名詞「色」の畳語形。そのため、その原義は、[一]@のような文字通りの意味であった。平安時代には、「色々」の指し示す対象は、「花」「木の葉」「錦・織物」「糸」「紙」「玉」などに集中していて、それぞれの色とりどりのさまを、多く表わし、鎌倉時代でも、やはり、主流の意味は「さまざまの色」であった。それが室町時代後半になると、現代語のような「さまざま」へと意味の主流が変化して、ついに江戸時代には、「いろんな」という連体詞までが派生してくる」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
因之、色々神役闕乏各々神人抱愁吟訓み下し之ニ因テ、色色(イロ)ノ神役闕乏ス。各各神人愁吟ヲ抱ク。《『吾妻鏡寿永元年五月二十九日の条》 
 
2003年2月25日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
薄紅梅(うすコウバイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、標記語「薄紅梅」の語を未収載する。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「薄紅梅」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語を「薄紅梅」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

薄紅梅(ウスコウバイ) 。〔食服117六〕

とあって、標記語「薄紅梅」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書中易林本節用集』に、訓みを「うすコウバイ」として、「薄紅梅」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)---色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「薄紅梅」とし、その語注記は、未記載にする。
古版庭訓徃来註』では、

楊裏(ヤナギウラ)薄紅梅(ウスコウバイ)色々(スジ)ノ小袖隔子(カウシ)ノ織物(ヲリモノ)單衣(ヒトヘギヌ) 楊裏(やなぎうら)トハ。表(ヲモテ)ハ黄色(キイロ)ニテ裏(ウラ)ノ青(アヲ)ク(キ)ナルヲ云ナリ。〔下十四ウ一・二〕

とあって、この標記語「薄紅梅」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の小袖(こそで)薄紅梅色々筋小袖 (しま)の小袖なり。〔52ウ六

とあって、標記語を「薄紅梅」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色色(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲薄紅梅ハ浅(あさ)き紅(くれなひ)の色をいふ。〔39オ四〜39ウ一〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲薄紅梅ハ浅(あさ)き紅(くれなゐ)の色をいふ。〔70オ五〕

とあって、標記語「薄紅梅」の語注記は、「薄紅梅は、浅き紅の色をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vsuco>bai.ウスコウバイ(薄紅梅) 淡紅色.〔邦訳734l〕

とあって、標記語「薄紅梅」の語を収載し、意味を「淡紅色」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うすこうばい〔名〕【薄紅梅】(一){紅梅の、花の色、淡(うす)きもの。枕草子、九、九十一段「さし出させ給へる御手の、僅に見ゆるが、いみじう匂ひたる、うす紅梅なるは、限りなくめでたし」(二)川魚の名。きすに似て、青Kくして、脇腹に赤き條(すぢ)あり。(下野)。〔0232-3〕

とあって、標記語を「薄紅梅」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「うすこうばい【薄紅梅】〔名〕@紅梅の一種。花の色の薄いもの。A@の花のような色。とき色。B織り色、襲(かさね)の色目。織り色は紅梅の薄いもの。襲の色目は裏表ともに、紅梅の薄いもの。C江戸時代の高級タバコの名。D香木の名。分類は伽羅(きゃら)。E魚「うぐい()」の異名」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
梅は、白き・薄紅梅(ウスコウバイ)。一重なるが疾(ト)く咲きたるも、重(カサ)なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。《『徒然草』(1331年)139段》 
 
2003年2月24日(月)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
楊裏(やなぎうら)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、「楊弓」と「柳筥。柳色。柳樽」の四語を収載し、標記語「楊裏」は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。このうち、建部傳内本だけが「」と表記している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「楊裏」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語を「楊裏」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

楊裏(ヤナギウラ) 。〔言辞101一〕

とあって、標記語「楊裏」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「かけくは・ふ」として、「楊裏」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重(ヤナキ)---梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「楊裏」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

楊裏(ヤナギウラ)薄紅梅(ウスコウバイ)色々(スジ)ノ小袖隔子(カウシ)ノ織物(ヲリモノ)單衣(ヒトヘギヌ) 楊裏(やなぎうら)トハ。表(ヲモテ)ハ黄色(キイロ)ニテ裏(ウラ)ノ青(アヲ)ク(キ)ナルヲ云ナリ。〔下十四ウ一・二〕

とあって、この標記語「楊裏」の語注記は、「楊裏とは、表は、黄色にて裏の青く黄なるを云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなぎうら)-葉重楊裏 もみしかさねとハ上は白く下ハ赤し。やなきうらとハ表(おもて)ハ黄色(きいろ)にて裏乃青(あを)く黄なるをいふなり。〔52ウ四・五

とあって、標記語を「楊裏」とし、語注記は、「楊裏とは、表は黄色にて裏の青く黄なるをいふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色色(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲楊裏ハ表(おもて)ハ黄色(きいろ)にて裏(うら)の青(あを)く黄(き)なるをいふ。〔39オ四〜39ウ一〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲楊裏ハ表(おもて)ハ黄色(きいろ)にて裏(うら)の青(あを)く黄なるをいふ。〔69ウ五〜70オ四〕

とあって、標記語「楊裏」の語注記は、「楊裏は、表は黄色にて裏の青く黄なるをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「楊裏」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

やなぎうら〔名〕【柳裏】(一)楊色の裏地。又、それを附けたる着物。太平記、廿三、大森彦七事「年の程十七八計なる女房の、赤き袴に柳裏の五衣着て、鬢深く鍛(そぎ)たるが云云」〔2044-4〕

とあって、標記語を「柳裏」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「やなぎうら【柳裏】〔名〕柳色の裏地、また、それを着けた着物」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]三七日に当たりける夜、赤き袴に柳裏の衣着たる女房の、瑞厳美麗なるが、忽然として時政が前に来たつて、告げて曰く、「汝が前生は箱根法師なり。《『太平記』卷第時政榎島に参篭の事》 
 
2003年2月23日(日)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
紅葉重(もみぢかさね)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部と「賀」部に、

紅葉(モミヂ)。〔元亀本349六〕 (カサナル)。〔元亀本105五〕

紅葉(――)。〔静嘉堂本420七〕 (カサネル)。〔静嘉堂本132二〕

とあって、標記語「紅葉」と「」の二語に分けて収載し、その読みを「もみぢ」と「かさなる、かさねる」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「紅葉重」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「紅葉重」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

(モミヂ/フウ)[平] 末美提(モミチ)合紀。或作紅葉。異名、緑□林。霜紅。霜葉。錦枝。丹葉。〔草木門1065二〕

(カサナル・ヲモシ/チヨウ・シゲシ)[去]。(同/チヨウ・タヽム)[入]。(同/ルイ・ワヅライ)[去]。(同/タフ)[入]。〔態藝門311七〕

とあって、標記語「紅葉重」の語は未収載にし、「楓」と「重・疊・累・沓」の語で収載し、前者の「もみぢ」の語注記は、1に、『國花合紀集』の「末美提」を採録し、2に「或作○○」形式による別表記「紅葉」を載せ、3に「異名」語彙「緑□林。霜紅。霜葉。錦枝。丹葉」の五語を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(モミチ)紅葉(同)。〔・草木258三〕〔・言語220五〕〔・言語206六〕

(カサヌル)。〔・言語85三〕〔・言語93三〕

(カサナル)。〔・言語77二〕

とあって、標記語「紅葉重」の語を未収載にし、「紅葉」と「」の二語をもって収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(モミヂ/フウ)紅葉(同/コウヨフ)。〔草木229七〕

(カサナル)(同)。〔言辞81二〕

とあって、標記語「紅葉重」の語は未収載にし、「楓・紅葉」と「累・重」の二語にして収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には「紅葉重」の語は未収載に等しい。古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語なのである。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「紅葉重」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

紅葉重(モミチガサネ) トハ。上(ウヘ)ハ赤(アカ)ク下(シ)タハ白シ。〔下十三ウ八〜十四オ一〕

とあって、この標記語「紅葉重」の語注記は、「上は赤く、下は白し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなぎうら)-葉重楊裏 もみしかさねとハ上は白く下ハ赤し。やなきうらとハ表(おもて)ハ黄色(きいろ)にて裏乃青(あを)く黄なるをいふなり。〔52ウ四・五

とあって、標記語を「紅葉重」とし、語注記は、「紅葉重とは、上は白く下ハ赤し」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色色(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲紅葉重とハ上ハ赤く下ハ白し。〔39オ四〜39ウ一〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲紅葉重とハ上ハ赤く下ハ白し。〔69ウ五〜70オ四〕

とあって、標記語「紅葉重」の語注記は、「紅葉重とは、上は赤く下は、白し」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「紅葉重」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

もみぢがさね〔名〕【紅葉襲】(一)襲(かさね)の色目の名。もみぢ(紅葉)の條の(四)に同じ。俊成卿女集「くれなゐに、ちしほやそめし、山姫の、もみぢがさねの、衣手のもり」。〔2016-2〕

とあって、標記語を「紅葉襲」を収載するのみである。これを現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「もみじがさね【紅葉重】」と「もみじがさね【紅葉襲】」を収載し、前者である「もみじがさね【紅葉重】」〔名〕紅と青の薄手の雁皮紙を重ねた料紙。表は紅、裏は青。一説に表は赤、裏は濃い赤。女房の五衣の襲(かさね)に準じて表は黄、裏は蘇芳との説もある」とあって、用例は未収載であり、すなわち『庭訓往来』の語用例は未記載となっている。
[ことばの実際]
紅葉重のおしいだし〔出衣〕見ゆ。御所の西に、平板敷に紫縁(むらさきべり)しきて、尚侍(さうじ)二人ていしたり。《『中務内侍日記』》
その後、又此にこえむしとて、あけくれ春秋のこえの中にすむ蟲、心に思ふやう、「なさけは人によらずあるものなり。其の上わが名も世の中の人をこえむしなれば」とて、「いかでか玉蟲姫もなびかざるべき」とて、墨すりながし、筆にそめ、頃は秋の中ばの事なるに、薄樣に紅葉重、ひきかさね、はつのに薄ほのめきて、風を便りながら一筆まゐらせ候。《御伽草子『玉蟲の草紙』》
 
2003年2月22日(土)曇り。東京(八王子)
風流(フウリュウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「不」部に、

風流(フウリウ) 遺―餘―之義也。〔元亀本222四〕

風流(フリウ) 遺―餘―之義。〔静嘉堂本254二〕

風流(フウリウ) 遺風餘流義也。〔天正十七年本中56ウ一〕

とあって、標記語「風流」の語を収載し、その読みを「フウリウ」と「フリウ」とし、その語注記には「遺の義なり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

抑來廿日之比勝負経営候為風流可申入之物非一〔至徳三年本〕

抑來廿日比勝負經營候爲風流可申入之物非一〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

抑来廿_日比--候為-キ∨入之物〔山田俊雄藏本〕

抑来廿日比(コロ)ニ勝負経営(ケイエイ)候爲風流キ∨物非〔経覺筆本〕_

抑来廿日比勝負-候爲-入之物〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「風流」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

風流(フウリウ/フリウ) 風情(フせイ)ノ義也。日本俗呼拍子物(ハヤシモノ)ヲ風流。〔言辞101一〕

とあって、標記語を「風流」の語注記は、「風情の義なり。日本の俗拍子物を呼びて風流と曰ふ」と記載する。次に広本節用集』には、

風流(フリウ/カぜ,ナガルヽ)[平・平] 日本俗語呼拍子物(ハヤシモノ)ヲ――也。風流(―リウ)[○・平] 又作流風。美人皃也。〔態藝門625五〕

とあって、標記語「風流」の語を二種類収載し、その読みを「フリウ」とし、その語注記は、「日本の俗語、拍子物を呼びて風流と曰ふなり」と「又、流風に作る。美人の皃なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

風流(フウリウ) 美人皃也。風流(フリウ) 日本俗呼拍子物(ハヤシ―)ヲ――。 〔・言語進退181六〕

風雅(フリガ) ―聞(ブン)。―情(ぜイ)。―度(ト)―流(フウリウ) 風情之義也。呼拍子物(ハヤシモノ)ヲ――云。〔・言語149六〕

風雅(フリガ) ―聞。―情。―度。―流 拍子物。―情義。〔・言語139四〕

とあって、標記語「風流」の語を収載し、弘治二年本は、広本節用集』の二種の語を逆排列にするが共通し、永祿二年本尭空本の方は、『下學集』に従った語注記を記載している。また、易林本節用集』には、

風俗(フウゾク) ―躰(テイ)。―便(ビン)。―波(ハ)。―聞(ブン)―流(リウ) ―味(ミ)。―葉(ヨフ)。―晨(シン)月夕(ゲツセキ)。〔言辞152三〕

とあって、標記語「風俗」の語をもって収載し、冠頭字「風」の熟語群として、「風流」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「フリウ」もしくは「フウリウ」として、「風流」の語が収載され、
語注記の記載についても、A『下學集』から広本節用集』→印度本系統『節用集』類、B『運歩色葉集』といった二系統になっている点が確認できるのである。とりわけ、『運歩色葉集』が下記に示す真字本にも見えている語でありながら、注記未記載にも関わらず、「遺風餘流之義也」という記載を有することに注目しておきたい。その典拠を明確にできることがさらなる注記採録の方針を知る手がかりとなると見ているからにほかならない。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「風流」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

-キ∨風流ハ。時ノ興(ケウ)ヲ催シ遊ビ戯(タハム)ルヽ事ナリ。又衣裳(イシヤウ)(テイ)ノ事也。〔下十三ウ六・七〕

とあって、この標記語「風流」の語注記は、「風流は、時の興を催し遊び戯むるる事なり。又、衣裳の体の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

風流(ふうりう)の為(ため)(いる)(へき)の物(もの)(いつ)に非(あら)-キ∨ 風流ハ弓馬(きうば)なとより鞠(まり)なとの類をいふ。正月五日の書状にいえる楊弓雀に弓等の事也。経営の注ハ前に在。〔52ウ一・二

とあって、標記語を「風流」とし、語注記は、「風流は、弓馬などより鞠などの類をいふ。正月五日の書状にいえる楊弓雀に弓等の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ∨‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物。〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)∨(およぶ)(よつて)∨(しむる)に∨‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に|(ず)∨(え)寸暇(すんか)を|(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を|(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を|内々(ない/\)(べ)き∨(る)(もら)し(まう)さ|(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の|(べ)き∨(いる)(の)(もの)(あらず)∨(いつ)に。〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「風流」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fu<riu<.フウリュウ(風流) 優美な衣服なんどのように,見た目に趣があって優雅なこと.§Fu<riu<na coto.(風流な事)同上.§Fu<riu<no yoi fito.(風流の良い人)或るもの,たとえば服装などが見た目に平凡でなく,趣のある人.→Furiu<(風流).〔邦訳283l〕

Fu>riu<.フウリュウ(風流) 或る人または或る国の風習.→Fuguai.〔邦訳283l〕

Furiu<.フリュウ.または,フウリュウ(風流) さまざまな扮装をして道化を演ずる踊り,あるいは,踊り一般をいうが,それは踊りの中にはいつも趣があることなどが含まれているからである.〔邦訳283l〕

とあって、標記語「風流」の語を収載し、意味を「優美な衣服なんどのように,見た目に趣があって優雅なこと」「或る人または或る国の風習」「さまざまな扮装をして道化を演ずる踊り,あるいは,踊り一般をいうが,それは踊りの中にはいつも趣があることなどが含まれているからである」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、                          

フウリュウ〔名〕【風流】〔風聲品流の略、剪燈新話(山陽瞿佑宗吉、永樂作)牡丹燈記「風聲品流能檀一世、謂之風流也」〕(一)みやびたること。すき。風雅。晉書、樂廣傳「天下言風流者、以王樂稱首花蘂夫人、宮詞「年初十五最風流」寉暾(宋、宋無)「沈樞謫|、二鬟去、數年歸嫁、皆處子、潘方壽以詩寄る曰、鐵石心腸延壽藥、不風流處却風流」古今集、漢序「雖風流如野宰相、輕情如在納言、而皆以他才聞」芭蕉遺語集「我門の風流を學ぶやからは、云云、猿蓑、ひさご、曠野、炭俵等、熟覧すべし」柳樽(天明)七編「風流の、道は寢ぼけて、名が高し」(二)先人の遺風。餘澤。流風餘韻。後漢書、王暢傳「士女沾教化、黔首仰風流、自中興以來、功臣將相、繼世而隆」北史、李彪傳「金石可滅、而風流不泯者、惟載籍乎」(三)美しく飾ること。はで。華美。華奢。古事談、一、王道后宮「永長元年大田樂事、云云、装束或兼被仰定、紅帷、有風流、以冠筥蓋笠、差貫有風流三代制符、建久二年三月廿八日宣旨「灌佛布施僧過差、非錦繍裁、非金銀餝、自今已後、永停風流、莫華麗守貞漫稿、九、女扮、上「夫男女の風姿たる、風流美麗は古今人の欲する所なり、而も古人は、善美にして流行に合ひ、意匠の精しくして野卑に非ざる、乃ち之を風流と云ふ」(四)噺しもの。歌舞。ふりう。下學集、下、態藝門「風流、日本俗、呼拍子物(ハヤシモノ)風流看聞御記、應永廿六年七月十四日「念物拍物如例、田向青侍共、山臥の負を作、異形風流作之」同、應永廿七年正月十一日「入夜松拍參(地下殿原)、種種風流(九郎判官奥州下向之體)、有其興滿濟准后日記、永享二年正月廿五日「畠山風流驚目了、持花枝、童形廿人、水干、立烏帽子、最前赤仕丁六人、皃、云云、盡善盡美也」(五)延年舞(エンネンまひ)に於ける演藝種目の一。天竺、支那、及、我が國上古の故事を仕組みたるもの。これに、大風流、小風流の二種あり。周防國仁平寺本堂供養日記、觀應三年三月、延年次第「十四番、風流、人數(少人十人、若徒十三人)已上廿三人」(六)能樂に於ける狂言方の演技の一種。主として和泉流に傳はる。千歳掛り、三番叟掛りとて、十數番あり。(七)祭事に行ふ一種の舞樂。(囃子物の風流の遺と云ふ)今、筑後、肥前などの地に殘る。兎園會集説、風流祭(關思亮)「築紫の道の國に、風流といへる~わざありけり、そは八月より九月にかけて、新しねを苅得て、初穂の懸税(ちから)を手向け、新醸(にひしぼり)の白酒(しろき)を醸(か)みて、處處の産~の御社にぞものすなる、云云、醒齋語らはく、今は大城の御能に、云云、蓬莱風流とか、鶴龜風流などやうに稱へて、鷺、大藏などいふ家の子のものすなる、是ぞ古の~祭にせし風流の、纔に殘れるなりけり、解云、この風流祭は、古の田舞の名殘なるべし」。〔1723-3〕

とあって、標記語を「風流」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ふうりゅう【風流】〔名〕@先人の遺風。伝統。余沢。流風。A(形動)上品で優美な趣のあること。優雅なおもむき。みやびやかなこと。また、そのさま。詩歌を作り、その趣を理解し、あるいは趣味の道に遊んで世俗から離れることもいう。風雅。文雅。B美しく飾ること。数奇(すき)をこらすこと。意匠をこらすこと。華奢(きゃしゃ)。また、そのもの。C「ふりゅう(風流)B」に同じ。D「ふうりゅういんじ(風流韻事)」の略。E「ふうりゅうだな(風流棚)」の略。F鷹(たか)の翼の一部分の名。→鷹。G「たこ(凧)」を西国でいった語」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
若君御方結搆風流、摸大臣饗儀《訓み下し》若君ノ御方ニ風流(フリウ)ヲ結構シテ、大臣ノ饗(大饗ノ)儀ヲ摸セラル。《『吾妻鏡』文治五年正月十九日の条》 
 
2003年2月21日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
勝負(ショウブ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「勢」部に、

勝負(せウフ)。〔元亀本354六〕〔静嘉堂本430五〕

とあって、標記語「勝負」の語を収載し、その読みを「セウフ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

抑來廿日之比勝負経営候為風流可申入之物非一〔至徳三年本〕

抑來廿日比勝負經營候爲風流可申入之物非一〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

抑来廿_日比--候為-キ∨入之物〔山田俊雄藏本〕

抑来廿日比(コロ)ニ勝負経営(ケイエイ)候爲風流キ∨物非〔経覺筆本〕

抑来廿日比勝負-候爲-入之物〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

勝負(シヨウフ) 。〔黒川本・疉字下82オ七〕

勝劣 〃利。〃絶。〃地。〃負。〃載。〃形。〃他。〃計。〔卷第九・疉字190六〕

とあって、三巻本に、標記語「勝負」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「勝負」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

勝負(シヨウブ・カツ/マサル・タヘタリ,・マクル・ヲウ)[平・上]。〔態藝門954一〕

とあって、標記語「勝負」の語を収載し、その読みを「シヨウブ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

勝負(シヤウブ)。〔・言語進退246一〕

勝負(せウブ)。〔・言語進退265五〕

勝負(せウブ) ―事。〔・言語進退226五〕

勝負(せウブ) ―事。―劣。〔・言語進退213三〕

とあって、標記語「勝負」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

勝事(シヤウシ) 笑止(同)。―軍(グン)。―劣(レツ)〃負(―) 。〔言辞215三〕

とあって、標記語「勝事」の語をもって収載し、冠頭字「勝」の熟語群として「勝負」の語を記載する。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「シヤウブ」か「セウブ」として、「勝負」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

395抑来廿日比--候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「勝負」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

(モラシ)候也(ソモ/\)廿日比(コロ)勝負(せウブ)経営(ケイヱイ)ニ候爲(モラシ)申ストハ申(トヽ)ケ聞(キカ)スルコトナリ。〔下十三ウ六・七〕

とあって、この標記語「勝負」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しゃうぶ)の経営(けいゑい)抑来廿日比-- 勝負ハ弓馬(きうば)なとより鞠(まり)なとの類をいふ。正月五日の書状にいえる楊弓雀に弓等の事也。経営の注ハ前に在。〔52ウ一・二

とあって、標記語を「勝負」とし、語注記は、「勝負は、弓馬などより鞠などの類をいふ。正月五日の書状にいえる楊弓雀に弓等の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比-之経-営候フ。-入物〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に|(ず)∨(え)寸暇(すんか)を|(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を|(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「勝負」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xo>bu.ショウブ(勝負) Cachi maqe.(勝負) 勝つことと負けることと.→Qexxi,ssuru(決し,する).〔邦訳788l〕

とあって、標記語「勝負」の語を収載し、意味を「勝つことと負けることと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょう〔名〕【勝負】(一)勝(か)つと、負(ま)くると。かち、まけ。勝敗。韓非子、喩老篇「未勝負唐書、裴度傳「一勝一負、兵家常勢」袋草紙(藤原清輔)三「次第講歌、彼是相互難陳、範兼殊爲張本て、定勝負間」古今著聞集、十、馬藝、秦頼次、下野敦近、競馬「勝負、普通ならずと、沙汰有て」〔1009-5〕

とあって、標記語を「勝負」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しょうぶ【勝負】[一]〔名〕@勝つことと負けること。かちまけ。勝敗。A(―する)勝ち負けを決めること。勝敗を決すること。また、その戦い。B(―する)特に、ばくちで勝ち負けを争うこと。かけごとをすること。Cよい結果が出るかどうかを決めること。また、その決め手となるもの」とあって、Bの意味として『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
志水、好雙六之勝負、朝暮翫之訓み下し志水、双六ノ勝負(シヤウブ)ヲ好ンデ、朝暮之ヲ翫ブ。《『吾妻鏡元暦元年四月二十一日の条》 
 
2003年2月20日(木)曇り一時雨後薄日。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(も・る、もら・す)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部に、

(モル)(同)。〔元亀本351四〕

(モルヽ)(同)。〔静嘉堂本422八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「も・る(終止形)」と「も・るる(連体形)」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

自由之至得御意内々可被洩申也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-之至得-ヲ|-々可(モラシ)_〔山田俊雄藏本〕

自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)〔経覺筆本〕()

自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

モル。盧候也/―尅也/水下也。 利列反/亦作洩。 餘制反/又云薩。《以下略》。〔黒川本・辞字下99オ三〕

モル。 治井而除去也。 ―乾也/水下也。H 已上同/―物也。〔卷第十・疉字413三〜414一〕

とあって、三卷本十巻本に、標記語「」の読みを「も・る」として収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(ロウセツ/モラス・モルヽ) 二字之義同。洩与泄同字也。〔言辭157一〕

とあって、標記語を「漏・」とし、語注記に「二字の義同じ。洩と泄と同字なり」と記載する。次に広本節用集』には、

(モルヽ/ロウ)[平]。(同/ヱイ)。(同/せイ)。〔態藝門1078七〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「も・るる」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(モラス)。/(モラス)。〔・言語進退260五・六〕

(モラス/モリ・モル)。/(モラス)・言語222六〕〔・言語208九〕

とあって、標記語「」の語は、未収載にし、「漏」「泄」のみ収載する。また、易林本節用集』には、

(モルヽ)(同)〔言辞231六〕

とあって、標記語「漏」と「泄」の二語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「も・る」「も・るる」「も・らす」として、「」の語が収載され、印度本及び易林本がこの標記語を欠いているが、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

394自由之至得御意内々キ∨ルヽ‖(モラシ)也 披露可申。〔謙堂文庫藏三九左A〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

(モラシ)候也(ソモ/\)廿日比(コロ)勝負(せウブ)経営(ケイヱイ)ニ候爲(モラシ)申ストハ申(トヽ)ケ聞(キカ)スルコトナリ。〔下十三ウ六・七〕

とあって、この標記語「」の語注記は、「洩し申すとは、申し届け聞かすることなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御意(ぎよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)(もふ)(さる)(へき)テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ ある人云こゝに云こゝろハ直に書状を送る事も餘儀(よき)なき事故此段承知(しやうち)ありて失礼の怒(いかり)をもらし玉へとなり。此趣にてハ内々の字解(け)すへからす。且又怒といふ事文面(もんめん)にて見る能からす。按(あん)するに是ハ下文にしたる旨(むね)を承知ありて内々申玉るへしといふ事なるへし。下の衣服(いふく)なとの類宮内(くない)の少輔(せうほう)か所持の品にもあらさるゆへかくいえるなり。されとも猶穏(おだやか)ならねハ姑(しハ)らく是を置(お)く。〔52オ五〜ウ一

とあって、標記語を「」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に|(ず)∨(え)寸暇(すんか)を|(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を|(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mori,u.モリ,ル,(漏り,る,つた) 滴り落ちる.§また,何か容器が漏る.→Cuma(隈);Suqe,uru.〔邦訳423l〕

とあって、標記語「漏」の語を収載し、意味を「滴り落ちる」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

もら(他動・四)【】(一){漏るるやうになす。あましいだす。こぼす。源氏物語、二帚木26「涙をもらしおとしても、いとはづかしく、つつましげにまぎらはしかくして」(二){竊に他に知らす。(秘事など)漏洩。源氏物語、総角65「したにそしり申すなりと、衛門督のもらし申し給ひければ」(三){落す。遺す。脱(の)がす。脱。源氏物語、四、夕顔15「この程の事、くだくだしければ、例のもらしつ」「書きもらす」言ひもらす(四)逃がす。失ふ。失。エ。「敵をもらす」打ちもらす。〔2021-3〕

とあって、標記語を「」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「もら・す【】[一]〔他サ五(四)〕@もれるようにする。水や音声などを、すきまから出す。涙などを思わずこぼす。A秘密やはかりごとを、うっかり、または、ひそかに他へ知らせる。B心の奥深くに思っていることを、うっかり表情などに現わす。また、感情などを、思わず外に現わす。C必要な事柄を、入れ損なう。落とす。抜かす。また、省く。Dとり逃がす。エする。逃がしてしまう」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
以此旨、可令申右大臣殿給之状、謹言上如件訓み下し此ノ旨ヲ以テ、右大臣殿ニ洩ラシ申サシメ給フベキノ状、謹テ言上件ノ如シ。《『吾妻鏡文治元年十二月六日の条》 
 
2003年2月19日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
内々(ナイナイ)」ことばの溜池(2002.01.29)参照
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「那」部に、

内々(ナイ/\)。〔元亀本165六〕

内々(ナイ/\)。〔静嘉堂本103七〕

とあって、標記語「内々」の語を収載し、その読みを「ナイ/\」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

自由之至得御意内々可被洩申也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-之至得-ヲ|-々可(モラシ)_〔山田俊雄藏本〕

自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)〔経覺筆本〕()

自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

内々(ナイ/\) 。〔卷第・言語112五〕内々。〔卷第五・重點64六〕

とあって、十巻本に、標記語「内々」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「内々」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

内々(ナイ/\/イソガワシ,ニワカ)[平・入]。〔態藝門406二〕

とあって、標記語「内々」の語を収載し、その読みを「ナイ/\」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

内々(――)。〔・言語進退141二〕

とあって、標記語「内々」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

内々(ナイ/\) 。〔言辞101一〕

とあって、標記語「内々」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「かけくは・ふ」として、「内々」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

394自由之至得御意内々キ∨ルヽ‖(モラシ)也 披露可申。〔謙堂文庫藏三九左A〕

とあって、標記語を「内々」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

愚状(グ―)自由之至(イタリ)御意内々可ク∨ル‖愚状トハ。ヲロカナル状ナリ。〔下十三ウ五・六〕

とあって、この標記語「内々」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御意(ぎよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(もふ)(さる)(へき)テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ ある人云こゝに云こゝろハ直に書状を送る事も餘儀(よき)なき事故此段承知(しやうち)ありて失礼の怒(いかり)をもらし玉へとなり。此趣にてハ内々の字解(け)すへからす。且又怒といふ事文面(もんめん)にて見る能からす。按(あん)するに是ハ下文にしたる旨(むね)を承知ありて内々申玉るへしといふ事なるへし。下の衣服(いふく)なとの類宮内(くない)の少輔(せうほう)か所持の品にもあらさるゆへかくいえるなり。されとも猶穏(おだやか)ならねハ姑(しハ)らく是を置(お)く。〔52オ五〜ウ一

とあって、標記語を「内々」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に|(ず)∨(え)寸暇(すんか)を|(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を|(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「内々」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nainai.ナイナイ(内々) 内心で,または,こっそりと.§Nainai mo<xi ireo>to zonjita.(内々申入れうと存じた)私の方でこそあなたを招待しようと思ったのです,あるいは,望んだのです.§Nainaiuo vcago<.(内々を伺ふ)内心,あるいは,内部的ないきさつを尋ねる,あるいは,問いただす.すなわち,人前で公然と話したり議したりするに先立って,人の内心や意向を知る.§また,内心で時々,あるいは,内密でしばしば.〔邦訳443r〕

とあって、標記語「内々」の語を収載し、意味を「内心で,または,こっそりと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ない-ない(副)【内々】物事を、ひそかになすに云ふ語。うちうちにて。こっそり。中務内侍日記「をのこども、殿上につきて、大盤おこなふ、年中行事の障子の許に出御なりて、内内御覧ぜらる、やがて今夜、解陣なり」。〔0522-3〕

とあって、標記語を「内々」としてのみ収載するにとどまり、「内々」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ない-ない【内々】[一]〔名〕@外から見えない内部。内側。A(形動)表向きではないこと。人に秘していること。また、そのさま。うちわ。内密。[二]〔副〕@物事をこっそりとするさまを表わす。おもてだたず。ひそかに。うちうち。A表面には出さないで、心中ひそかに思うさまを表わす。内心では。心の中では。B(「内々は」の形で)実のところ。実際は」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
義成語申云、石橋合戰後、平家頻廻計議、於源氏一類者、悉以可誅亡之由、内々有用意之間、向關東可襲武衛之趣、義成偽申處、平家喜之、令免許之間參向訓み下し義成語リ申シテ云ク、石橋合戦ノ後、平家頻ニ計議ヲ廻ラシ、源氏ノ一類ニ於テハ、悉ク以テ誅亡スベキノ由、内内(ナイ/\)用意有ルノ間、関東ニ向テ武衛ヲ襲フベキノ趣、義成偽リ申ス処ニ、平家之ヲ喜ビ、免許セシムルノ間参向ス。《『吾妻鏡治承四年十二月二十二日の条》 
 
2003年2月18日(火)曇り一時雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
御意(ギョイ)」「御意(ギョイ)」(2000.10.08)参照
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

御意(―イ)。〔元亀本281五〕〔静嘉堂本321五〕

とあって、標記語「御意」の語を収載し、その読みを「(ギヨ)イ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

自由之至得御意内々可被洩申也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-之至得-ヲ|-々可(モラシ)_〔山田俊雄藏本〕

自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)〔経覺筆本〕()

自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「御意」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「御意」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

御意(ギヨイヲサム、コヽロ・ヲモフ) 。〔態藝門830G〕

とあって、標記語「御意」の語を収載し、その読みを「ギヨイ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「御意」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

御感(ギヨカン) ―遊(イウ)。―句(ク)。―札(サツ)―意(イ)。〔言辞190C〕

とあって、標記語「御感」とし、冠頭字「御」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「ギョイ」として、「御意」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

394自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)也 披露可申。〔謙堂文庫藏三九左A〕

とあって、標記語を「御意」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

愚状(グ―)自由之至(イタリ)御意内々可ク∨ル‖愚状トハ。ヲロカナル状ナリ。〔下十三ウ五・六〕

とあって、この標記語「御意」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

御意(ぎよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(もふ)(さる)(へき)テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ ある人云こゝに云こゝろハ直に書状を送る事も餘儀(よき)なき事故此段承知(しやうち)ありて失礼の怒(いかり)をもらし玉へとなり。此趣にてハ内々の字解(け)すへからす。且又怒といふ事文面(もんめん)にて見るへからす。按(あん)するに是ハ下文にしたる旨(むね)を承知ありて内々申玉るへしといふ事なるへし。下の衣服(いふく)なとの類宮内(くない)の少輔(せうほう)か所持の品にもあらさるゆへかくいえるなり。されとも猶穏(おだやか)ならねハ姑(しハ)らく是を置(お)く。〔52オ五〜ウ一

とあって、標記語を「御意」とし、その語の注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物御意ハ先方の主人などを指(さ)していふ。此文ハ宮内少輔の主君(しゆくん)か所持せらるゝ品を宮内少輔を頼(たの)ミて借(かり)て貰(もら)ふ義とみるべし。〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に|(ず)∨(え)寸暇(すんか)を|(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を|(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に御意ハ先方(さき)の主人などを指(さ)していふ。此文ハ宮内少輔の主君か所持せらるゝ品を宮内少輔を頼(たの)ミて借(かり)て貰(もら)ふ義とみるべし。〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「御意」の語注記は、「御意は、先方の主人などを指していふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Guioi.ギヨイ(御意) Micocoro.(御意) 貴人の命令.§Guioini macasuru.(御意に任する)主君や尊敬すべき人の意向と命令に従う.§Guioi xidai.(御意次第)主君などの命令や要求のとおりに.§Guioiuo vru.(御意を得る)主君とか尊敬すべき人から忠告を受ける,そういう人と交際する,または,そういう人に物事を尋ねる.§Guioini iru.(御意に入る)ある貴人の愛顧を受ける,あるいは,気に入られる.§Guioini,l,guioiuo somuqu.(御意に,または,御意を背く)主君などの命にそむく,または,主君などに不満の念を抱かせる.⇒Chigai,o<;Monari,u.〔邦訳301l〕

とあって、標記語「御意」の語を収載し、意味を「貴人の命令」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぎょ-(名)【御意】 他の意(こころ)を云ふ敬語。おぼしめし。御意中。貴意。庭訓徃來、正月「改年吉慶、被御意候之條、先以目出度覺候」太平記、五、大塔宮熊野落事「此二つの間、何れも叶ふまじきとの御意にて候はば、力なく、一矢仕んずるにて候」「御意のまにまに」内内得御意度候」。〔0498-5〕

とあって、標記語を「御意」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぎょ-い【御意】〔名〕@相手を敬ってその考えや気持をいう語。お考え。おぼしめし。みこころ。A主君や貴人などの仰せ。おさしず。ご命令。おことば。B(「御意のとおり」の意から)目上の人の意見や質問などにたいして、同意を示したり、肯定したりするのに用いる。転じて、感動詞的にも用いる。ごもっとも。そのとおり。[補注]会話で多く用いられているが、「得御意」などのかたちで往来物にも多く見え、@やAの意味での書簡用語でもあった」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
實平奉問其御意仰云、傳首於景親等之日、見此本尊非源氏大将軍所爲由、人定可貽誹〈云云〉訓み下し実平其ノ御意ヲ問ヒ奉ルニ(御素意)。仰セニ云ク、首ヲ景親等ニ伝フルノ日、此ノ本尊ヲ見バ、源氏ノ大将軍ノ所為ニ非ルノ由、人定メテ誹ヲ貽スベシト〈云云〉。《『吾妻鏡治承四年八月二十四日の条》 
 
2003年2月17日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
自由(ジユウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

自由(―ユウ)。〔元亀本308三〕〔静嘉堂本359五〕

とあって、標記語「自由」の語を収載し、その読みを「ジユウ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

自由之至得御意内々可被洩申也〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

-之至得-ヲ|-々可(モラシ)_〔山田俊雄藏本〕

自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)〔経覺筆本〕()

自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「自由」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「自由」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

自由(―ユウ/ヨリ・ミヅカラ・ヲノツカラ,ヨシ)[○・平]。〔態藝門934一〕

とあって、標記語「自由」の語を収載し、その読みを「(ジ)ユウ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

自由(―ユウ) ――/依怙(エコ)。〔弘・言語進退245三〕

自賛(シサン) ―慢。―害。―餘。―身。―賣。―業。―誓。―愛。―由。―他。―然。―滅。―得。―性。―言。―今以後。―檀或作専。―歎。〔永・言語209七〕

自賛(ジサン) ―慢。―害。―餘。―身。―賣。―業。―誓。―今以後。―得。―在。―筆。―愛。―由。―他。―然。―滅。―性。―言。―祢。―檀或作専。―歎。―火。―力。〔尭・言語193八〕

とあって、標記語「自由」の語を収載し、その読みを「(ジ)ユウ」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

自然(ジネン) ―讃(サン)。―訴(ソ)。―判(ハン)。―行(ギヤウ)。―他(タ)。―作(サク)。―滅(メツ)―由(イウ)。―專(せン)。―筆(ヒツ)。―己(コ)。―力(リキ)。―害(ガイ)。―問自答(モンジタフ)。―餘(ヨ)。―物(モツ)。―慢(マン)。―称(せウ)。―水(スイ)水田也。―愛(アイ)。―用(ヨウ)。―見(ケン)。―身。―今以後(コンイゴ)。〔言辞213七〕

とあって、標記語「自然」の語とし、冠頭字「自」の熟語群として「自由」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「ジユ{イ}ウ」として、「自由」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

394自由之至得御意内々可キ∨ルヽ‖(モラシ)也 披露可申。〔謙堂文庫藏三九左A〕

とあって、標記語を「自由」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

愚状(グ―)自由之至(イタリ)御意内々可ク∨ル‖愚状トハ。ヲロカナル状ナリ。〔下十三ウ五・六〕

とあって、この標記語「自由」の読みを「グ(ジヤウ)」とし、その語注記は、「自由とは、をろかなる状なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

自由(じゆう)の至(いたり)に候/自由之至 自由とハ我儘(わかまゝ)なるこゝろなり。これまてハ直に書状を送(おく)るの失礼(しつれい)なるを述(のべ)し也。こゝにいふこゝろハ此(この)(ころ)(ちう)朋友(はうゆう)の給せしあそひに招(まね)かれ力の及んたけハこなたかなたへはせ参るによりて少しの隙(ひま)もなく忙敷(いそかしき)まゝ失礼(しつれい)の程(ほと)は憚(はゝか)りつれと直に書状を以て申入るゝ事自由のふるまひその罪(つみ)をゆるし玉ハれとなり。〔52オ一・二

とあって、標記語を「自由」とし、語注記には、「自由とは、我儘なるこゝろなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に|(ず)∨(え)寸暇(すんか)を|(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を|(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「自由」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iiyu<.ジユウ.(自由) 自由.例,Iiyu< jizaini furumo<.(自由自在に振舞ふ)自由に意のままに行動する.〔邦訳367l〕

とあって、標記語「自由」の語を収載し、意味を「自由」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-いう(名)【自由】(一)己が心のままにて、他に關(かかは)らぬこと。爲ることの、思ひのままにて、障(さは)りなきこと。柳宗元詩「欲蘋花自由」「自由自在」(二)他の束縛を受けざること。「個人の自由。〔0873-1〕

とあって、標記語を「自由」としてのみ収載するにとどまり、「自由」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「じ-ゆう【自由】〔名〕@(形動)自分の心のままに行動できる状態。イ思いどおりにふるまえて、束縛や障害がないこと。また、そのさま。思うまま。ロ(特に、中古・中世の古文書などで)先例、しかるべき文書、道理などを無視した身勝手な自己主張。多くその行為に非難の意をこめて使われる。わがまま勝手。Aある物を必要とする欲求。需要。B便所。はばかり。手水場(ちょうずば)。C(英liberty,freedomの訳語)政治的自由と精神的自由。一般にlibertyは政治的自由をさし、freedomは主に精神的自由をさすが、後者が政治的自由をさすこともある。政治的自由とは、王や政府の権力、社会の圧力からの支配、強制、拘束をうけずに、自己の権利を執行すること。たとえば、思想の自由、集会の自由、信仰の自由、居住・移動の自由、職業選択の自由などの市民的自由をいう。精神の自由とは、他からの拘束をうけずに、自分の意志で行動を選択できること。カント哲学では、自然必然性の支配をうけない理論性の活動を、「…からの自由」または「消極的自由」といい、自分が立法した道徳法則に従って意思を決定する実践理性の活動を、「…への自由」「積極的自由」「道徳的自由」という。D人が行為をすることのできる範囲。法律の範囲内での随意の行為。これによって完全な権利、義務を有することになる」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
近年以降、武士輩、不憚皇憲恣耀私威、成自由下知、廻諸國七道、或押黷神社之神税、或奪取佛寺之佛聖訓み下し近年以降、武士ノ輩(等)、皇憲ヲ憚ラズ恣ニ私威ヲ耀シ、自由ノ下知ヲ成シ、諸国七道ヲ廻リ、或ハ神社ノ神税ヲ押シ黷シ、或ハ仏寺ノ仏聖ヲ奪ヒ取ル。《『吾妻鏡寿永三年三月九日の条》 
 
2003年2月16日(日)曇りから雨一時霙。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(ささ・ぐ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

(サヽグル)(同)。〔元亀本279十〕〔静嘉堂本319八〕

とあって、標記語「」と「フ」の二語を収載し、その読みを「ささ・ぐる」(ガ行下二段活用・連体形)とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

乍恐加申入候不慮之外被驅加傍輩之所営候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直愚状候〔至徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之微力所及依令奔走東西不得寸暇直愚状候〔宝徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直愚状候〔建部傳内本〕

_入候-之外‖--之所-候間微-(ヒリヨク)之所(ヲヨフ)テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|寸暇(カ)ヲ|-ヲ|-〔山田俊雄藏本〕

申入候不慮(レヨ)ノ之外被(カリ)傍輩之所營候之間微力(ヒリヨク)之所及依テ∨ルニ∨走東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ササ)ケ愚状ヲ| 〔経覺筆本〕

申入候不慮之外被駈(カリ)‖-傍輩之所營(エイ)候間微-(ヒ−)之所テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|不得寸暇(カ/イトマ)ヲ|(サヽ)ケ-ヲ| 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

サヽク/敷奉反。 渠京反/挙也。 已上同。〔黒川本・辞字下40オ七〕

サヽク 挙也。フ作。 サヽク已上/サヽク。〔卷第八・辞字430二〜三〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

(サヽグホウ)[上]。〔態藝門807八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「サヽグ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(サヽク) (同)。〔弘・言語進退213三〕

(サヽグ) 。〔永・言語179五〕〔尭・言語168七〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「ささ・く{ぐ}」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(サヽグ)(同)。/(サヽグ)。〔言辞183五・六〕

とあって、標記語「」「俸」「フ」の三語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書のうち『節用集』類は訓みを「ささ・く{ぐ}」とし、『運歩色葉集』だけが「ささ・ぐる」として、「」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

393乍恐申入候不慮之外被ルヽ(カリ) ‖-加傍輩之所営イニ候之間微(ヒ)-力之所及依テ∨ルニ∨‖-走東西寸暇愚状候 寸接間、不傳奏書。直以棒也。以右筆書。雖然急間也。〔謙堂文庫藏三九右I〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

微力(ビリヨク)之所ロ∨テ∨ルニ∨‖-(ホンソウ)東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ヂキ)ニ(サヽケ) 微力(ク)トハ。力(ラ)ニ及ト云心也。〔下十三オ五〕

とあって、この標記語「」の読みを「ささ・ぐ」とし、その語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ぢき)(ぐさつ)(さゝ)候/ 愚札ハ我(わ)か手紙の事也。愚の字を添(そへ)たるハ卑下の詞(ことは)也。一本にハ愚状(ぐじやう)と書たり。〔52オ一・二

とあって、標記語を「」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)(さゝ)(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に|(ず)∨(え)寸暇(すんか)を|(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を|(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に▲〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sasague,uru.サヽゲ,グル,ゲタ.(げ,ぐる,げた) 差し上げる,または,献ずる〔邦訳559r〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「差し上げる,または,献ずる」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ささ(他動、下二)【】〔指擧(さしあ)ぐの約(掻擧(かきあ)ぐ、かかぐ。持擧(もちあ)ぐ、もたぐ)〕(一)兩手にて、高く擧ぐ。古事記、上42「其后(きさき)大御酒坏(さかづき)ヲ、立依(たちより)指擧(ささげ)而歌曰、云云」萬葉集、二34長歌「指擧(ささげ)(たる)、旗のなびきは」同、十九24「吾が夫子(せこ)が、(ささげ)(て)持たる、ほほがしは、恰も似るか、青き蓋(きぬかさ)(二)兩手を伸べて、頭上に擧ぐ。さす。フ。古事記、上55「建御名方~、千引石(ササゲ)手末而來言」、廿二、玉鬘11「唯、何某(なにがし)(ら)が、私の君と思ひまうして、頂(いただき)になむささげたてまつるべき」(三)奉る。獻上す。獻。、一、桐壺22「いみじき贈物どもを、ささげたてまつる」。〔0795-4〕

とあって、標記語「」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ささ・げる【】〔他ガ下一〕[文]ささ・ぐ〔他ガ下二〕(「さしあげる」の変化した語)@両手にもち、目の高さ近くまで上げる。A上へ高くあげる。高くさしあげる。かかげる。B(Aから)得意になって見せびらかす。誇示する。C神仏、あるいは死者に供物をたてまつったり、祈ったりする。供える。D目下の者から目上の者へ物をたてまつる。献上する。献納する。E高い大きな声をだす。声をはりあげる。F自分の真心や愛情、大切なものなどを相手に示し、さしだす。相手に尽くす。また、自分の持っている力を対象にすべてそそぐ」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
今日伊豆山専當、衆徒状、馳參訓み下し今日伊豆ノ山ノ専当、衆徒ノ状ヲ(サヽ)テ、馳セ参ズ。《『吾妻鏡治承四年十月十八日の条》 
 
2003年2月15日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
愚状(グジヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、「愚癡(―チ)。愚鈍(―ドン)。愚蒙(―モウ)。愚者(―シヤ)。愚案(―アン)。愚慮(―リヨ)。愚僧(―ソウ)。愚意(―イ)。愚息(―ソク)。愚拙(―せツ)愚札(―サツ)。愚書(―シヨ)。愚詠(―エイ)。愚報(―ホウ)。愚人(―ニン)。愚心(―シン)。愚讀(クンノヨミ)」の十七語を収載し、類語「愚札。愚書」の語は見えるが、標記語「愚状」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

乍恐加申入候不慮之外被驅加傍輩之所営候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状〔至徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状〔宝徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状〔建部傳内本〕

_入候-之外‖--之所-候間微-(ヒリヨク)之所(ヲヨフ)テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|寸暇(カ)ヲ|-ヲ|-〔山田俊雄藏本〕

申入候不慮(レヨ)ノ之外被(カリ)傍輩之所營候之間微力(ヒリヨク)之所及依テ∨ルニ∨走東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ササ)ケ愚状ヲ| 〔経覺筆本〕

申入候不慮之外被駈(カリ)‖-傍輩之所營(エイ)候間微-(ヒ−)之所テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|不得寸暇(カ/イトマ)ヲ|(サヽ)ケ-ヲ| 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「愚状」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「愚状」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

愚状(グジヤウ/ヲロカ,カタチ)[平・入]。〔態藝門548六〕

とあって、標記語「愚状」の語を収載し、その読みを「グジヤウ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「愚状」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

愚札(グサツ) ―状(ジヤウ)。―報(ホウ)。―拙(せツ)。―鈍(ドン)。―暗(アン)。―昧(マイ)。―魯(ロ)。―詠(エイ)。―心(シム)。―意(イ)。―慮(リヨ)。―蒙(モウ)。―者(シヤ)。―案(アン)。―老(ラウ)。―身(シン)。―人(ニン)。―癡(チ)。〔言辞133一・二〕

とあって、標記語「愚札」の語をもって収載し、冠頭字「愚」の熟語群に「愚状」の語を収載する。
 このように、上記当代の古辞書では、広本節用集』と易林本節用集』に訓みを「グジヤウ」として、「愚状」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

393乍恐申入候不慮之外被ルヽ(カリ) ‖-加傍輩之所営イニ候之間微(ヒ)-力之所及依テ∨ルニ∨‖-走東西寸暇愚状候 寸接間、不傳奏書。直以棒也。以右筆書。雖然急間也。〔謙堂文庫藏三九右I〕

とあって、標記語を「愚状」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

愚状(グ―)自由之至(イタリ)御意内々可ク∨ル‖愚状トハ。ヲロカナル状ナリ。〔下十三ウ五・六〕

とあって、この標記語「愚状」の読みを「グ(ジヤウ)」とし、その語注記は、「愚状とは、をろかなる状なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ぢき)(ぐさつ)を捧(さゝ)け候/ 愚札ハ我(わ)か手紙の事也。愚の字を添(そへ)たるハ卑下の詞(ことは)也。一本にハ愚状(ぐじやう)と書たり。〔52オ一・二

とあって、標記語を「」とし、語注記には、「愚札は、我が手紙の事なり。愚の字を添へたるは、卑下の詞なり。一本には、愚状と書きたり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に(ず)(え)寸暇(すんか)を(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「愚状」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gujo<.グジヤウ.(愚状) すなわち,Vaga fumi.(我が文)私の意で,謙遜して言う語〔邦訳311r〕

とあって、標記語「愚状」の語を収載し、意味を「我が文、私の意で,謙遜して言う語」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-じゃう(名)【】具申(グシン)の文書(かきもの)。〔0522-3〕

とあって、標記語を「具状」として収載するにとどまり、「愚状」の語は未収載にある。これを現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「ぐ-じょう【愚状】〔名〕自分の手紙をへりくだっていう語。愚書」とあって、『庭訓往来』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
又漁人垂釣壯士射的、毎事前感乗興、愚状白娯遊及黄昏、還御〈云云〉訓み下し又漁人釣リヲ垂レ壮士的ヲ射、事毎ニ感ヲ前メ興ニ乗ジ、愚状(クジヤウ)白娯ノ遊ビ黄昏ニ及デ(毎事荷感、興ニ乗リテ秋日ノ娯遊ヲ尽ス)、還御ト〈云云〉。《『吾妻鏡建久四年七月十日の条》 
 
2003年2月14日(金)晴れ。北海道(札幌)→東京(世田谷駒沢)
寸暇(スンカ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

寸暇(―イトマ)。〔元亀本360四〕

寸暇(――)。〔静嘉堂本438七〕

とあって、標記語「寸暇」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

乍恐加申入候不慮之外被驅加傍輩之所営候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔至徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔宝徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔建部傳内本〕

_入候-之外‖--之所-候間微-(ヒリヨク)之所(ヲヨフ)テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|寸暇(カ)ヲ|-ヲ|-〔山田俊雄藏本〕

申入候不慮(レヨ)ノ之外被(カリ)傍輩之所營候之間微力(ヒリヨク)之所及依テ∨ルニ∨走東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ササ)ケ愚状ヲ| 〔経覺筆本〕

申入候不慮之外被駈(カリ)‖-傍輩之所營(エイ)候間微-(ヒ−)之所テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|不得寸暇(カ/イトマ)ヲ|(サヽ)ケ-ヲ| 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「寸暇」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「寸暇」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

寸暇(スンカソン・ハカリ,イトマ)[○・上]。〔態藝門1128一〕

とあって、標記語「寸暇」の語を収載し、その読みを「スンカ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「寸暇」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

寸法(スンハフ) ―善尺魔(ぜンシヤクマ)。―尺(シヤク)。―隙(ゲキ)―暇(カ)。―分(ブン)。〔言辞241三〕

とあって、標記語「寸法」とし、冠頭字「寸」の熟語群に「寸暇」語を収載する。
 このように、上記当代の古辞書では、広本節用集』、易林本節用集』に訓みを「スンカ」とし、『運歩色葉集』も「寸暇」の語を収載しており、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

393乍恐申入候不慮之外被ルヽ(カリ) ‖-加傍輩之所営イニ候之間微(ヒ)-力之所及依テ∨ルニ∨‖-走東西寸暇愚状候 寸接間、不傳奏書。直以棒也。以右筆書。雖然急間也。〔謙堂文庫藏三九右I〕

とあって、標記語を「寸暇」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

微力(ビリヨク)之所ロ∨テ∨ルニ∨‖-(ホンソウ)東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ヂキ)ニ(サヽケ) 微力(ク)トハ。力(ラ)ニ及ト云心也。〔下十三オ五〕

とあって、この標記語「寸暇」の読みを「スンカ」とし、その語注記は、「寸は、物さしの寸なり。少しのひまもなしといふにたとふ。分陰などいえるの類ひなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

寸暇(すんか)を得(ゑ)す/寸暇ヲ| 寸ハ物(もの)さしの寸なり。少しのひまもなしといふにたとふ。分陰(ふんいん)なといえるの類ひなり。〔51ウ八〜52オ一

とあって、標記語を「寸暇」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物。〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に(ず)(え)寸暇(すんか)(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「寸暇」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sunca.スンカ.(寸暇) Sunno itoma.(寸の暇)ひま,または,少しの時間.§Suncauo yezu.(寸暇を得ず)ひまもなく,ほんの少しの時間的余裕もないので.〔邦訳589l〕

とあって、標記語「寸暇」の語を収載し、意味を「寸の暇。ひま,または,少しの時間」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すん-(名)【寸暇】少しの暇(いとま)。寸隙。寸暇無し」〔1064-3〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「すん-か【寸暇】〔名〕少しのひま。わずかないとま。寸隙」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
万事之稽古、更以無寸暇《『新撰類聚徃来』(1492-1521頃)中》 
 
2003年2月13日(水)晴れ一時曇り雪。北海道(札幌)
東西(トウザイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、「東堂(タウ)。東夷(トウイ)。東宮(―クウ)。○(同)。東司(―ス)。○(カワヤ)。東坡(ハ)。東寺(ジ)」とあって、標記語「東西」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

乍恐加申入候不慮之外被驅加傍輩之所営候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔至徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔宝徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔建部傳内本〕

_入候-之外‖--之所-候間微-(ヒリヨク)之所(ヲヨフ)テ∨ルニ∨‖--西ニ|寸暇(カ)ヲ|-ヲ|-〔山田俊雄藏本〕

申入候不慮(レヨ)ノ之外被(カリ)傍輩之所營候之間微力(ヒリヨク)之所及依テ∨ルニ∨東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ササ)ケ愚状ヲ| 〔経覺筆本〕

申入候不慮之外被駈(カリ)‖-傍輩之所營(エイ)候間微-(ヒ−)之所テ∨ルニ∨‖--西ニ|不得寸暇(カ/イトマ)ヲ|(サヽ)ケ-ヲ| 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

東西 同(トウイ)/トウザイ。〔黒川本・疉字上50ウ一〕

東西 〃遊。〃都。〃京。〃絹。〔卷第二・疉字423三〕

とあって、標記語「東西」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「東西」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

東西(トウサイ/アツマ・ヒカシ,ニシ)[平・平]。〔態藝門125四〕

とあって、標記語「東西」の語を収載し、その読みを「トウサイ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

東作(トウサク) ―傾。―園(エン)―西(サイ)。―海(カイ)。〔永・言語45一〕

東作(トウサク) ―傾。―園。―西。―海。―黛/前後夕煙。〔尭・言語41七〕

とあって、標記語「東作」の語を収載し、冠頭字「東」の熟語群「東西」を収載する。また、易林本節用集』には、標記語「東西」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書では、広本節用集』、印度本系統の永祿二年本尭空本節用集』訓みを「トウザイ」として、「東西」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

393乍恐申入候不慮之外被ルヽ(カリ) ‖-加傍輩之所営イニ候之間微(ヒ)-力之所及依テ∨ルニ∨‖-東西寸暇愚状候 寸接間、不傳奏書。直以棒也。以右筆書。雖然急間也。〔謙堂文庫藏三九右I〕

とあって、標記語「東西」の読みを「トウザイ」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

微力(ビリヨク)之所ロ∨テ∨ルニ∨‖-(ホンソウ)東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ヂキ)ニ(サヽケ) 微力(ク)トハ。力(ラ)ニ及ト云心也。〔下十三オ五〕

とあって、この標記語を「東西」とし、その語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

東西(とうさい)に奔走(ほんそう)せ令(しむ)るに依(よつ)て寸暇(すんか)を得(ゑ)す/テ∨ルニ∨‖-(ホンソウ)東西ニ| 奔走ハ唯(たゞ)はせまわる事也。前にいえる奔走とハ意味少し異(こと)(なり)。東西はかなたかなたといふか如し。〔51ウ四

とあって、標記語を「東西」とし、語注記は、「東西はかなたかなたといふか如し」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に(ず)(え)寸暇(すんか)を(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「東西」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

To>zai.トウザイ.(東西) Figaxi,nixi.(東,西)東と西と.§To>zai nanbocu.(東西南北)東,西,北,および,南.§To>zaini chiso> suru.(東西に馳走する)すなわち,あちこちへ動き回りながら大いに歓待する.→Xiyui(四維).〔邦訳673r〕

とあって、標記語「東西」の語を収載し、意味を「東と西と」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

とう-ざい(名)【東西】(一)ひがしと、にしと。王建詩、「蜻上下魚東西名義抄、「東西、ヤマトカウチ」(二)支那の俗語に、物、又は、錢の稱。、「世稱錢物東西(三)むき。方向。「」(四)體を動かすこと。みうごき。枕草子、四、四十三段「おひ返して、ただ袖をとらへて。とうざいをさせず」〔1384-5〕

とう-ざい(名)【東西】(一)言ひ觸るる人を、制するに云ふ語。(二)觀場(みせもの)などにて、東西四方の見物人の鳴りを鎭むるに發する語。(相撲に、東より西まで、鎭まり給へよと、云ふより始まるとぞ)鷹筑波集(寛永)五「東西と、春のしづむる、朝かな」齊明紀、五年七月、註「閉戸禁防不東西(かにかくに)スルコトヲ(三)街頭に、廣告を呼ぶ東西屋の稱。(四)物品。品物。(支那にて)紀拍案驚奇「托出一盤東西范成大、丙午新正詩「祝我剰周華甲子、謝人深玉東西〔1384-5〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「とう-ざい【東西】[一]〔名〕@東と西。また、東から西まで。A(「東や西」の意から)あちらやこちら。あらゆる方向。B(転じて)世間、また、世間の事柄をさしていう→東西を弁えず。Cその位置が東と西えあるもの、また「東」と「西」の字のつくものをまとめていう。イ舞台の上手(かみて)と下手(しもて)。ロ土俵の東と西。ハ関東と関西。ニ東洋と西洋。D中国の俗語に由来して、物品・金銭をいう。[二]〔感動〕@「とうざいとうざい(東西東西)@」に同じ。A「とうざいとうざい(東西東西)A」に同じ。B相手のことばを軽く制するときにいう。[語誌](1)『節用集』類で「東西」に「あなたこなた」と当てられているように、[一]Aの意味でも使われた。また、サ変動詞のようにも用いられた。→とうざい(東西)する。(2)「左右(そう)」と似ているが、「左右」よりも動作性が強いといわれる。(3)[一]Dについては「南総里見八犬伝―九・九六回」に「船にて飽まで東西(モノ)賜りぬ」と読ませた例が見られる」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
東西逆徒蜂起事、爲靜謐也訓み下し是レ東西ノ逆徒蜂起ノ事、静謐ノ為ナリ。《『吾妻鏡治承五年閏二月二十一日の条》 
 
2003年2月12日(火)晴れ。北海道(札幌新冠・門別)
微力(ビリョク・ビリキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、「微若(ビシヤク)。微弱(同)」の二語を収載するだけで、標記語「微力」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

乍恐加申入候不慮之外被驅加傍輩之所営候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔至徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔宝徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔建部傳内本〕

_入候-之外‖--之所-候間-(ヒリヨク)之所(ヲヨフ)テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|寸暇(カ)ヲ|-ヲ|-〔山田俊雄藏本〕

申入候不慮(レヨ)ノ之外被(カリ)傍輩之所營候之間微力(ヒリヨク)之所及依テ∨ルニ∨走東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ササ)ケ愚状ヲ| 〔経覺筆本〕

申入候不慮之外被駈(カリ)‖-傍輩之所營(エイ)候間-(ヒ−)之所テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|不得寸暇(カ/イトマ)ヲ|(サヽ)ケ-ヲ| 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。この「微力」の訓みを「ビリョク」と「ヒリキ」としている。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「微力」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』に、標記語を「微力」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

微志(ビシ) ―力(リヨク)。―若(ジヤク)。〔永・言語218七〕

微志(ビシ) ―力。―若。〔尭・言語203八〕

とあって、標記語「微志」の語の冠頭字「微」の熟語群として収載する。その読みを「(ビ)リョク」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

微運(ビウン) ―弱(ジヤク)―力(リヨク)。〔言辞226五〕

とあって、標記語「微運」の語をもって収載し、「微」の冠頭字の熟語群として「微力」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書のうち、印度本系統の永祿二年本尭空本節用集』と易林本節用集』に「微力」の語が収載され、広本節用集』や『運歩色葉集』がなぜ、この語を採録しなかったのか疑問である。それは、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているのである。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

393乍恐申入候不慮之外被ルヽ(カリ) ‖-加傍輩之所営イニ候之間(ヒ)-之所及依テ∨ルニ∨‖-走東西寸暇愚状候 寸接間、不傳奏書。直以棒也。以右筆書。雖然急間也。〔謙堂文庫藏三九右I〕

とあって、標記語「微力」の読みを「ビ(リョク)」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

微力(ビリヨク)之所ロ∨テ∨ルニ∨‖-(ホンソウ)東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ヂキ)ニ(サヽケ) 微力(ク)トハ。力(ラ)ニ及ト云心也。〔下十三オ五〕

とあって、この標記語「微力」の読みを「ビリョク」とし、その語注記は、「微力とは、力に及ばずと云ふ心なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

微力(びりよく)之及所(ところ)微力之所 微力ハすこしきちからと訓す。卑下(ひげ)のこと葉なり。〔51ウ六・七

とあって、標記語を「微力」とし、語注記は、「微力は、すこしきちからと訓ず。卑下のこと葉なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物微力ハ足(た)らぬちから也。卑下の詞(ことは)。〔39オ三〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に(ず)(え)寸暇(すんか)を(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に微力ハ足(た)らぬちから也。卑下(ひげ)の詞(ことば)。〔69ウ二・三〕

とあって、標記語「微力」の語注記は、「微力は、足らぬちからなり。卑下の詞」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Biriocu.ビリヨク.(微力) Chicara sucunaxi.(力微し) 力の少ないこと,または,力の弱いこと〔邦訳57r〕

とあって、標記語「微力」の語を収載し、意味を「力の少ないこと,または,力の弱いこと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「」

-りょく(名)【微力】勢力の乏しきこと。分際の劣れること。びりき。又、己れの勞力の謙稱にも云ふ。崔融、從軍行「愚臣何以料、倚馬申微力」〔1711-5〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ビリヨク【微力】〔名〕勢力の乏しいこと。力の弱いこと。また、自分の力量をへりくだってもいう。びりき」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
殊恐申、今度造營之時、可勵微力〈云云〉訓み下し殊ニ恐レ申シ、今度造営ノ時ハ、微力ヲ励マスベシト〈云云〉。《『吾妻鏡文治三年五月十三日の条》 
 
2003年2月11日(月)小雨のち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→北海道(札幌)
所營(シヨエイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「所領(リヤウ)。所帯(ダイ)。所行(ギヤウ)。所用(ユウ)。所務(ム)。所労(ラウ)。所望(マウ)。所存(ゾン)。所詮(せン)。所當(タウ)。所々(シヨ/\)。所爲(イ)」の十二語を収載するが、標記語「所營」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

乍恐加申入候不慮之外被驅加傍輩之所営候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔至徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔宝徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔建部傳内本〕

_入候-之外‖---候間微-(ヒリヨク)之所(ヲヨフ)テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|寸暇(カ)ヲ|-ヲ|-〔山田俊雄藏本〕

申入候不慮(レヨ)ノ之外被(カリ)傍輩所營候之間微力(ヒリヨク)之所及依テ∨ルニ∨走東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ササ)ケ愚状ヲ| 〔経覺筆本〕

申入候不慮之外被駈(カリ)‖-傍輩所營(エイ)候間微-(ヒ−)之所テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|不得寸暇(カ/イトマ)ヲ|(サヽ)ケ-ヲ| 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「所營」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語を「所營」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には、「所營」の語を未収載としている。これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には、まさしく収載されているものであり、何故、未採録としたのかを今後みていくことにしたい。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

393乍恐申入候不慮之外被ルヽ(カリ) ‖-加傍輩之所営候之間微(ヒ)-力之所及依テ∨ルニ∨‖-走東西寸暇愚状候 寸接間、不傳奏書。直以棒也。以右筆書。雖然急間也。〔謙堂文庫藏三九右I〕

とあって、標記語を「所營」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

所営(ヱイ)候間 トハ。イトナムトコロトヨム也。〔下十三オ四〕

とあって、この標記語「所營」の読みを「(シヨ)ヱイ」とし、その語注記は、「いとなむころとよむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

傍輩(ハうばい)申の所営(しょゑい)に馳(はせ)(くわ)へ被(られ)候之間(あいた)‖-傍輩之所営候之間 所とハ催(もよほ)しいとなむ事也。下文に勝負の経営といえる類也。〔51ウ四

とあって、標記語「所營」の読みを「ショエイ」とし、語注記は「所とハ催しいとなむ事なり。下文に勝負の経営といえる類なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物所營ハ経営(いとなミ)ごと也。〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)∨(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)∨(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に(ず)(え)寸暇(すんか)を(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に所營ハ経営(いとなミ)こと也。〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「所營」の語注記は、「所營は、経営(いとなみ)ごとなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xoyei.ショエイ.(所營) Itonamu tocoro.(営む所)家事を取りさばいたり,食事を作ったりなどすること.〔邦訳797r〕

とあって、標記語「所營」の語を収載し、意味を「家事を取りさばいたり,食事を作ったりなどすること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「ショエイ(名)【所營】」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ショエイ【所營】〔名〕」の語を未収載にする。拠って、『庭訓往来』の語用例も未記載となっている。
[ことばの実際]
称、元命自罷任講師之後、日夜所営、只公家泰平、入道大相国増長。《『石清水文書(田中)』治安四年四月十五日、405・2/92》
 
2003年2月10日(月)晴れ後曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
驅加(かけ-くわ・え)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「加」部に、

(カル) 鹿。〔元亀本105四〕      (クワフル)。〔元亀本198八〕

(カル) ―鹿。〔静嘉堂本132一〕    (クワヽル)。〔静嘉堂本225七〕

(カル) 鹿。〔天正十七年本上64ウ七〕 (クワウル)。〔天正十七年本中42オ六〕

とあって、標記語「」と「」の二語にして収載し、その読みを「か・る」で語注記を「鹿」とし、「くはふ・る」は、語注記を未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

乍恐加申入候不慮之外被驅加傍輩之所営候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔至徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔宝徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔建部傳内本〕

_入候-之外‖--之所-候間微-(ヒリヨク)之所(ヲヨフ)テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|寸暇(カ)ヲ|-ヲ|-〔山田俊雄藏本〕

申入候不慮(レヨ)ノ之外被(カリ)傍輩之所營候之間微力(ヒリヨク)之所及依テ∨ルニ∨走東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ササ)ケ愚状ヲ| 〔経覺筆本〕

申入候不慮之外(カリ)‖-傍輩之所營(エイ)候間微-(ヒ−)之所テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|不得寸暇(カ/イトマ)ヲ|(サヽ)ケ-ヲ| 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「驅加」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「驅加」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

(クワエル/)[平]。(同/シヤウ,ヒサシ・チウ)[去]。〔態藝門551一〕

とあって、標記語「」の語は未収載にし、「」の語を収載し、その読みを「くわえ・る」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(クワウ) 〔弘・言語進退160五〕〔永・言語132九〕

(クワヽル) 。〔尭・言語122一〕

(クワフ) 。〔両・言語148四〕

とあって、標記語「」の語については未収載にし、「」の語のみを収載する。その読みを「くわ・う{ふ}、わる」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(クハフ) 。〔言辞135一〕

とあって、標記語「」の語については未収載にし、「」の語のみを収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には、訓みを「かけ{り}くは・ふ」とした「驅加」の語は未収載にあり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にはこの語が見えているのである。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

393乍恐申入候不慮之外被ルヽ(カリ) ‖-傍輩之所営イニ候之間微(ヒ)-力之所及依テ∨ルニ∨‖-走東西寸暇愚状候 寸接間、不傳奏書。直以棒也。以右筆書。雖然急間也。〔謙堂文庫藏三九右I〕

とあって、標記語「驅加」の読みを「かり(くはへ)」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

(カリ)‖-傍輩(ハウバイ)ノ 駈加(カリクハ)ヘト云ハヒキ催(モヨヲ)ス義也。〔下十三オ四〕

とあって、この標記語「驅加」の読みを「かりくは・へ」とし、その語注記は、「駈加へと云ふは、ひき催す義なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

傍輩(ハうばい)申の所営(しょゑい)(はせ)(くわ)(られ)候之間(あいた)‖-傍輩之所営候之間 所とハ催(もよほ)しいとなむ事也。下文に勝負の経営といえる類也。〔51ウ四

とあって、標記語「驅加」の読みを「はせくはへ」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)驅加(かりくハ)ら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ∨‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に(ず)(え)寸暇(すんか)を(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「驅加」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Faxecuuauari,u,atta.ハセクワワリ,ル,ッタ.(はり,る,つた) 走って行って他の人々の中に入りこむ〔邦訳214l〕

とあって、標記語「馳加」の語を収載し、意味を「走って行って他の人々の中に入りこむ」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「かりくは・ふ(動)【驅加】」や「かけくは・ふ【驅加】〔動〕」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かりくは・える【驅加】〔動〕」、「かけくは・える【驅加】〔動〕」の両語とも未収載にし、庭訓徃來捷注』の訓みの「はせ-くわわ・る【馳加】〔自ラ四〕かけつけて加わる。馬を走らせて来て参加する。はせ参じる」の語をもって収載するものである。そして、『庭訓往来』の語用例は未記載にしている。
[ことばの実際]
これをこそ珍事なりと騒ぐところに、また同じき十三日の晩景に、備後国より早馬到来して、「桜山四郎入道、同じく一族等、御所方に参つて旗を上げ、当国の一宮を城郭として立て篭る間、近国の逆徒等、少々馳せ加はつて、その勢すでに七百余騎、国中をうち靡け、あまつさへ他国へうち越えんと企て候ふ。《『太平記』卷第三・笠置軍の事付けたり陶山・小見山夜討の事》
 
2003年2月9日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
乍恐(おそれながら)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、

(ヲソルヽ)(同)(同)(同)(同)。〔元亀本84五〕

(ヲソル)(同)(同)(同)。〔静嘉堂本103七〕

(ヲソル)(同)(同)(同)(同)。〔天正十七年本〕〔西来寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「ヲソル,ルル」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

乍恐申入候不慮之外被驅加傍輩之所営候之間微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔至徳三年本〕

乍恐申入候不慮之外被駈加傍輩之所營候之際微力所及依令奔走東西不得寸暇直捧愚状候〔宝徳三年本〕

〔建部傳内本〕

_入候-之外‖--之所-候間微-(ヒリヨク)之所(ヲヨフ)テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|寸暇(カ)ヲ|-ヲ|-〔山田俊雄藏本〕

申入候不慮(レヨ)ノ之外被(カリ)傍輩之所營候之間微力(ヒリヨク)之所及依テ∨ルニ∨走東西ニ|寸暇(カ)ヲ|(ササ)ケ愚状ヲ| 〔経覺筆本〕

申入候不慮之外被駈(カリ)‖-傍輩之所營(エイ)候間微-(ヒ−)之所テ∨ルニ∨‖-走東-西ニ|不得寸暇(カ/イトマ)ヲ|(サヽ)ケ-ヲ| 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

オソロシ詩沁 已上同。〔黒川本・辞字中68ウ二〕

オソル・オツ懼畏怖悚惶怕懾 亦作慴。 戰―。 已上同/―〃式慎也。 オソロシ 已上同。〔卷第六・辞字324四〜325一〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

(ヲソレナガラ/キヨフサク)[上・入]。〔態藝門224一〕

とあって、標記語「乍恐」の語を収載し、その読みを「をそれながら」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(オソル) (同)(同)。〔弘・言語進退65三・四〕 (ヲツ・ヲソル/ヲノヽク)。〔弘・言語進退66三〕

(ヲツ/ヲソル) 怖畏〔永・言語67一〕 (ヲソル)。恐頂嗔/想。〔永・言語67三〕

(ヲヅル) 〔尭・言語61三〕 (ヲソル) 恐嗔/慎想。〔尭・言語61四〕

(ヲツ) 怖畏〔両・言語72一〕 (ヲソル) 恐慎/嗔想。〔両・言語72二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「をそ・る」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

恐怖(オソル) 。〔言辞127三〕

とあって、標記語「恐怖」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「おそ・る」として、「」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。そして、「乍恐」で収載したものとしては、広本節用集』があり、その共通性を見て取ることができる。
 さて、真字本『庭訓往来註七月日の状には、

393乍恐申入候不慮之外被ルヽ(カリ) ‖-加傍輩之所営イニ候之間微(ヒ)-力之所及依テ∨ルニ∨‖-走東西寸暇愚状候 寸接間、不傳奏書。直以棒也。以右筆書。雖然急間也。〔謙堂文庫藏三九右I〕

とあって、標記語「乍恐」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

(ヲソレ)申入候 トハ。敬(ウヤマ)ヒナカラト云心ナリ。〔下十三オ二〜八〕

とあって、この標記語「乍恐」の読みを「をそれ(ながら)」とし、その語注記は、「敬ひながらと云ふ心なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(おそれ)(ながら)申入_入候 同上なる人へ直(しき)に申入るゝゆへおそれなからと云し也。〔51ウ四

とあって、標記語「乍恐」の読みを「おそれながら」とし、語注記は、「同上なる人へ直に申入るゝゆへおそれながらと云ひしなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(おそ)れ乍(ながら)(まう)し入れ候(さふら)ふ。不慮(ふりよ)(の)(ほか)傍輩(ほうばい)の所營(しよゑい)に驅加(かりくハ)えら被(れ)を候(さふら)ふ之(の)(あいだ)微力(びりよく)(の)(およ)ぶ所(ところ)東西(とうざい)に奔走(ほんそう)せ令(し)むるに依(よ)て寸暇(すんか)を得不(ず)(ぢき)に愚状(ぐじやう)を捧(さゝ)げ候(さふらし)ふ。自由(じゆう)(の)(いたり)に候(さふら)ふ御意(きよい)を得(え)て内内(ない/\)(もら)し申(まう)さ被(る)(べ)き也(なり)。抑(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ころ)勝負(しようふ)経營(けいゑい)に候(さふら)ふ。風流(ふうりう)乃爲(ため)(い)る可(べ)き之(の)(もの)(いつ)に非(あら)ず。/不慮之外被‖-エラ傍輩所営之間微力之所及依テ∨ルニ∨‖-セシ東西寸暇ゲ‖愚状自由之至テ‖御意内々可キ∨ルヽ‖ラシ抑来廿日比勝-負之経-営候フ。-入物〔38ウ六〜39オ二〕

(ながら)(おそれ)(まうし)(いれ)(さふらふ)不慮(ふりよ)(の)(ほか)(れ)(かり)‖-(くハへら)傍輩(はうばい)の所営(しよゑい)(さふらふ)(の)(あいだ)微力(びりき)(の)(ところ)(およぶ)(よつて)(しむる)に‖-(ほんさう)せ東西(とうさい)に(ず)(え)寸暇(すんか)を(ぢき)に(さゝ)げ愚状(ぐじやう)を(さふらふ)自由(じいう)(の)(いたり)に(さふらふ)(え)て御意(きよい)を内々(ない/\)(べ)き(る)(もら)し(まう)さ(なり)(そも/\)(きた)る廿日(はつか)(ごろ)勝負(しようぶ)経営(けいゑい)に(さふらふ)(ため)風流(ふうりう)の(べ)き(いる)(の)(もの)(あらず)(いつ)に〔68オ二〜69ウ二〕

とあって、標記語「乍恐」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vosore,ruru,eta.ヲソレ,ルル,エタ.(恐れ,るる,れた) 恐れこわがる.→Co>xei(後生);Moroqe,uru.〔邦訳720r〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「恐れこわがる」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

をそ(自動、四)【】次條の語に同じ。字鏡53「畏懼、於曾留(ヲソル)、於豆(オヅ)天治字鏡十2「慴、懼也、乎乃乃久、於曾留」景行紀、十二年十月「今多動兵衆以討土蜘蛛、若其畏(オソリ)ナバ‖我兵、將山野、必爲後愁仁賢紀、二年九月「難波小野皇后、(オソリ)宿(モト)ノ不敬自死」續紀、九、~龜元年二月、詔「大命(オホミコト)ヲ、云云、受けたまはり、懼理坐(おそりま)す」〔0296-5〕

をそ(自動、下二)【】勝つべからずと見て、心挫(くじ)けなやむ。おづ。かしこむ。おむ。ひるむ。おびゆ。こはがる。大和物語、下、「いかに聞し召したるにかあらむと、歎きおそれて」古今著聞集、十七、變化「鬼~にこそと、おそれ思ひて」〔0296-5〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おそ・る【】(平安以前では、上二段、四段、下二段と活用し、のち下二段が残る。→おそれる)[一]〔自ラ上二〕「おそれる(恐)」に同じ。[二]〔自ラ四〕「おそれる(恐)」に同じ。[三]〔自ラ下二〕→おそれる(恐)」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
彼書云 左衛門少尉源義經、乍恐申上訓み下し彼ノ書ニ云 左衛門ノ少尉源ノ義経、恐レナガラ申シ上ゲ候フ。《『吾妻鏡文治四年五月十七日の条》 
 
兵部丞」は、ことばの溜池兵部」(2002.08.23)を参照。
2003年2月8日(土)晴れ後曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(ゴ・す)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

(ゴスル)。〔元亀本242四〕

(ゴス)。〔静嘉堂本279五〕

(コスル)。〔天正十七年本中68ウ四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「ゴス」と「ゴスル」とにし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

心之所及可尋進尋常具足之處境節所々劇此式候也御歸宅之時〔至徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處{}境節所々劇大略此式候也諸事御歸宅之時候〔宝徳三年本〕

心之所及可尋進尋常之具足之處折節所々劇大略此式候也諸事御歸宅之時〔建部傳内本〕

之所_‖---之處_節所--(ソウケキ)-略此_式也諸亊--之時〔山田俊雄藏本〕

心之所及可キ∨進尋常之具足ヲ|之所-(ヲリフシ)所々-(ソウゲキ)-略如此候也諸亊御皈宅(キタク)之時ヲ|恐々謹言経覺筆本

心之所及可キ∨(タツネ)‖-尋常具足ヲ|ノ-所々-(ソウケキ)-略此-候也諸亊御歸宅之時恐々謹言 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

() コス〔黒川本・辞字下7オ七〕

。限也。要也。〔卷第七・辞字156五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

(コト/・カンバタ・ウスモノ)[上]已違(/タガウ)[去](ゴス・ノリ)[平]。〔態藝門672四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「ゴす」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

(ゴスル) 。〔言辞160五〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「ゴす」または「ゴする」として、「」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

390心之所及可キ∨‖-尋常具足之所-節所々之-(ケキ)-略此-式候也諸事御皈宅之時恐々謹言 〔謙堂文庫藏三九右C〕

とあって、標記語「」の読みを「(ソウ)ゲキ」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

亀鏡(キケイ)ニ|及可キ∨(タヅネ)尋常(ジンジヤウ)ノ具足之處境節(ヲリフシ)所々(ソウゲキ)大畧(リヤク)(シキ)ニ候也諸亊(ゴ)歸宅(キタク)ノ之時 龜鏡(キケイ)トハサシアラハシテ。カクレモナシト一心也。去ハ龜鏡(キケイ)ト書テカメノカヽミトヨメリ。其(ソノ)(ユヘ)何ン昔(ムカシ)者漢土ニ照旦鏡(シヤツタンキヤウ)ト云カヽミアリ。此鏡ハ裏(ウラ)ヨリ表(ヲモテ)ヘ見ヘ通(トヲ)ル也。其外人ノ吉凶(キツキヤウ)罪科(ザイクハ)ノ輕重(キヤウチウ)ヲ見スル鏡(カヽミ)也。タテヨコノ一尺有シ也。マスカヽミト云也。去バマス鏡(カヽミ)トハ十寸鏡也。彼(カノ)(カヽミ)ヲ。カメガ負(ヲフ)テ上ル也。去ルホドニカヾミノ裏毎(ウラゴト)ニカメヲ鑄(イ)事ナレ。爰ヲ以テ龜鏡(キケイ)ト云也。無(カクル)ト云事ヲ云也。鏡ノ起(ヲコ)リ是也。猶(ナヲ)々カヾミニ付テ多ノ子細アリ。鏡ハ百王ノ御面ヲソナハシ官人萬民ノ正路ナリ。龜ハ萬歳ノ生(イキ)物也。千秋ノ鶴(ツル)ノ音(コヘ)五岳ノ嶺(ミネ)ニ響(ヒヾ)ケバ。萬歳ノ龜海中ヨリ。涌出(ユシユツ)シテ蓬莱(ホウライ)爰ニ現ス。目出度カリケル事共ナリ。〔下十三オ二〜八〕

とあって、この標記語「」の読みを「ゴス」とし、その語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

諸事(しよじ)(ご)帰宅(きたく)の時(とき)(ご)候/諸亊御帰宅之時ヲ| みな/\悪徒(あくと)をたひらけめてたく帰陣(きぢん)し玉らん。打萬事申入れんとなり。〔51オ六〜七

とあって、標記語「」の読みを「ゴし」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(なを)(こゝろ)(の)(およ)ぶ所(ところ)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を尋(たづ)ね進(しん)ず可(べ)き之(の)(ところ)境節(をりふし)所所(しよ/\)怱劇(そうけき)大略(たいりやく)(この)(しき)に候(さふら)ふ也(なり)諸事(しよし)御歸宅(ごきたく)(の)(とき)(ご)(さふら)ふ恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)猶心之所及可尋常具足之處境節所々劇大畧此式候也諸亊御歸宅之時恐々謹言。〔38オ二〜五〕

(なほ)(こゝろ)(の)(ところ)(およぶ)(べき)(たづね)(しんず)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を(の)(ところ)境節(をりふし)所々(しよ/\)(そうげき)大畧(たいりやく)(この)(しき)(さふらふ)(なり)諸亊(しよし)(ご)し御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん) 。〔67ウ四〜68オ二〕

とあって、標記語「」の語注記は、未記載にする
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Goxi,suru,ita ゴシ,スル,シタ.(し,する,した) 待ちもうける.例,Sanquaino tcuideuo gosu.(参会の次を期す)私はあなたと会うよい折りを待ちもうけている.時としては,約束する,または,協定する,または,協定するの意.文書語.〔邦訳310l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「待ちもうける」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

(他動詞、サ變)【】〔ごは、期(キ)の呉音、碁(キ)、ご〕預め、其時と定む。待ち設く。期(キ)す。徒然草、九十二段「道を學する人、夕には、朝あらん事を思ひ、朝には、夕あらん事を思ひて、重ねて懇に修せん事を期せり」「何時(いつ)をか期(ゴ)すべき」日を(ゴ)て」かねて期(ゴ)したる事なれば」〔0685-2〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ご・する【】〔他サ変〕@前もってそうしようと心にきめる。決意する。予定をたてる。きする。Aかねて待ち設ける。期待する。きする。B覚悟する。[補注]「期」は呉音「ご」、漢音「き」で、古くは両様の慣用があった。→きする(期)」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
然間、非可明日、各早向山木、可決雌雄訓み下し然ル間、明日ヲ()スベキニ非ズ、各早ク山木ニ向ツテ、雌雄ヲ決スベシ。《『吾妻鏡治承四年八月十七日の条》 
 
2003年2月7日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
歸宅(キタク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

(―ク)。〔元亀本282八〕

(キタク)。〔静嘉堂本323四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「キタク」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

心之所及可尋進尋常具足之處境節所々劇此式候也期御歸宅之時〔至徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處{}境節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔宝徳三年本〕

心之所及可尋進尋常之具足之處折節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時〔建部傳内本〕

之所_‖---之處_節所--(ソウケキ)-略此_式也諸亊期--之時〔山田俊雄藏本〕

心之所及可キ∨進尋常之具足ヲ|之所-(ヲリフシ)所々-(ソウゲキ)-略如此候也諸亊期皈宅(キタク)之時ヲ|恐々謹言経覺筆本

心之所及可キ∨(タツネ)‖-尋常具足ヲ|ノ-所々-(ソウケキ)-略此-候也諸亊期歸宅之時恐々謹言 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「歸宅」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「歸宅」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

(キタク/カヘル,イヱ)[平・入]。〔態藝門822二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「ソウゲキ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(キタク) 〔弘・言語進退222五〕

(キテウ) ―依(エ)。―洛。―宅。―路。〔永・言語185二〕

(キテウ) ―依。―洛。―宅。―路。〔尭・言語174五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「キタク」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(キキヤウ) ―服(フク)。―依(エ)。―路(ロ)。―朝(テウ)。―寺(ジ)/―洛(ラク)。―宅(タク)。―家(カ)。―參(サン)。―鴈(ガン)。〔言辞189四〕

とあって、標記語「」の冠頭字「帰」の熟語群に収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には、訓みを「キタク」として、「」の表記語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本(「宅」の表記)にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

390心之所及可キ∨‖-尋常具足之所-節所々之-(ケキ)-略此-式候也諸事期皈宅之時恐々謹言 〔謙堂文庫藏三九右C〕

とあって、標記語「」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

亀鏡(キケイ)ニ|及可キ∨(タヅネ)尋常(ジンジヤウ)ノ具足之處境節(ヲリフシ)所々(ソウゲキ)大畧(リヤク)(シキ)ニ候也諸亊期(ゴ)歸宅(キタク)之時 龜鏡(キケイ)トハサシアラハシテ。カクレモナシト一心也。去ハ龜鏡(キケイ)ト書テカメノカヽミトヨメリ。其(ソノ)(ユヘ)何ン昔(ムカシ)者漢土ニ照旦鏡(シヤツタンキヤウ)ト云カヽミアリ。此鏡ハ裏(ウラ)ヨリ表(ヲモテ)ヘ見ヘ通(トヲ)ル也。其外人ノ吉凶(キツキヤウ)罪科(ザイクハ)ノ輕重(キヤウチウ)ヲ見スル鏡(カヽミ)也。タテヨコノ一尺有シ也。マスカヽミト云也。去バマス鏡(カヽミ)トハ十寸鏡也。彼(カノ)(カヽミ)ヲ。カメガ負(ヲフ)テ上ル也。去ルホドニカヾミノ裏毎(ウラゴト)ニカメヲ鑄(イ)事ナレ。爰ヲ以テ龜鏡(キケイ)ト云也。無(カクル)ト云事ヲ云也。鏡ノ起(ヲコ)リ是也。猶(ナヲ)々カヾミニ付テ多ノ子細アリ。鏡ハ百王ノ御面ヲソナハシ官人萬民ノ正路ナリ。龜ハ萬歳ノ生(イキ)物也。千秋ノ鶴(ツル)ノ音(コヘ)五岳ノ嶺(ミネ)ニ響(ヒヾ)ケバ。萬歳ノ龜海中ヨリ。涌出(ユシユツ)シテ蓬莱(ホウライ)爰ニ現ス。目出度カリケル事共ナリ。〔下十三オ二〜八〕

とあって、この標記語「歸宅」の読みを「キタク」とし、その語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

諸事(しよじ)(ご)帰宅(きたく)の時(とき)を期(ご)し候諸亊期御帰宅之時 みな/\悪徒(あくと)をたひらけめてたく帰陣(きぢん)し玉らん。打萬事申入れんとなり。〔51オ六〜七

とあって、標記語「帰宅」の読みを「ゴキタク」とし、語注記は、「みな/\悪徒(あくと)をたひらけめてたく帰陣(きぢん)し玉らん。打萬事申入れんとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(なを)(こゝろ)(の)(およ)ぶ所(ところ)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を尋(たづ)ね進(しん)ず可(べ)き之(の)(ところ)境節(をりふし)所所(しよ/\)怱劇(そうけき)大略(たいりやく)(この)(しき)に候(さふら)ふ也(なり)諸事(しよし)御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を期(ご)し候(さふら)ふ恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)猶心之所及可尋常具足之處境節所々劇大畧此式候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言。〔38オ二〜五〕

(なほ)(こゝろ)(の)(ところ)(およぶ)(べき)(たづね)(しんず)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を(の)(ところ)境節(をりふし)所々(しよ/\)(そうげき)大畧(たいりやく)(この)(しき)(さふらふ)(なり)諸亊(しよし)(ご)し御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん) 。〔67ウ四〜68オ二〕

とあって、標記語「歸宅」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

So>gueqi.キタク.(歸宅) Iyeni cayeru.(宅に帰る) 家に帰ること.例,Qitacu suru.(帰宅する)〔邦訳509r〕

とあって、標記語「歸宅」の語を収載し、意味を「家に帰ること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

キタク(名)【歸宅】己が家へ歸ること。歸家。濟夫論「子罕歸利、晏子庭訓徃來、六月、「諸事期歸宅之時候」〔0469-1〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「キタク【歸宅】〔名〕家に帰ること。帰家(きか)」とあって、この用例に『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
則走出南門、不及歸宅逐電訓み下し則チ南門ニ走リ出デ、帰宅(キタク)ニ及バズ逐電ス私宅ニ帰ルニ)《『吾妻鏡建久三年十一月二十五日の条》
而諏方伺知伊具歸宅之期、白地起當座、馳出路次、射殺之後、又如元及酒宴〈云云〉訓み下し而ルニ諏方、伊具ガ帰宅(キタク)ノ期ヲ伺ヒ知テ、白地ニ当座ヲ起チ、路次ニ馳セ出デ、之ヲ射殺ノ後、又元ノ如ク酒宴ニ及ブト〈云云〉。《『吾妻鏡正嘉二年八月十七日の条》
 
2003年2月6日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
諸事(シヨジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

諸事(―ジ)。〔元亀本316三〕〔静嘉堂本371四〕

とあって、標記語「諸事」の語を収載し、その読みを「(ショ)ジ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

心之所及可尋進尋常具足之處境節所々劇此式候也期御歸宅之時〔至徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處{}境節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔宝徳三年本〕

心之所及可尋進尋常之具足之處折節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時〔建部傳内本〕

之所_‖---之處_節所--(ソウケキ)-略此_式也諸亊--之時〔山田俊雄藏本〕

心之所及可キ∨進尋常之具足ヲ|之所-(ヲリフシ)所々-(ソウゲキ)-略如此候也諸亊御皈宅(キタク)之時ヲ|恐々謹言経覺筆本

心之所及可キ∨(タツネ)‖-尋常具足ヲ|ノ-所々-(ソウケキ)-略此-候也諸亊御歸宅之時恐々謹言 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。至徳三年本はこの語を脱する。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「諸事」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「諸事」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

諸亊(シヨシ/モロ/\,コト・ワザ)[平・去]。〔態藝門932一〕

とあって、標記語「諸事」の語を収載し、その読みを「シヨシ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

諸事(シヨジ) ―色(シキ)。―願(グワン)。―篇(ヘン)。―病(ビヤウ)。〔弘・言語進退248一〕

諸事(シヨジ) ―願。―色。―篇。〔永・言語210五〕〔尭・言語194六〕

とあって、標記語「諸事」の語を収載し、その読みを「シヨジ」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

諸事(シヨジ) ―宗(シウ)。―家(ケ)。―人(ニン)。―國(コク)。―辨(ヘン)。〔言辞214五〕

とあって、標記語「諸事」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「シヨシ」乃至「シヨジ」として、「諸事」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

390心之所及可キ∨‖-尋常具足之所-節所々之-(ケキ)-略此-式候也諸亊御皈宅之時恐々謹言 〔謙堂文庫藏三九右C〕

とあって、標記語「諸事」の語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

亀鏡(キケイ)ニ|及可キ∨(タヅネ)尋常(ジンジヤウ)ノ具足之處境節(ヲリフシ)所々(ソウゲキ)大畧(リヤク)(シキ)ニ候也諸亊(ゴ)歸宅(キタク)ノ之時 龜鏡(キケイ)トハサシアラハシテ。カクレモナシト一心也。去ハ龜鏡(キケイ)ト書テカメノカヽミトヨメリ。其(ソノ)(ユヘ)何ン昔(ムカシ)者漢土ニ照旦鏡(シヤツタンキヤウ)ト云カヽミアリ。此鏡ハ裏(ウラ)ヨリ表(ヲモテ)ヘ見ヘ通(トヲ)ル也。其外人ノ吉凶(キツキヤウ)罪科(ザイクハ)ノ輕重(キヤウチウ)ヲ見スル鏡(カヽミ)也。タテヨコノ一尺有シ也。マスカヽミト云也。去バマス鏡(カヽミ)トハ十寸鏡也。彼(カノ)(カヽミ)ヲ。カメガ負(ヲフ)テ上ル也。去ルホドニカヾミノ裏毎(ウラゴト)ニカメヲ鑄(イ)事ナレ。爰ヲ以テ龜鏡(キケイ)ト云也。無(カクル)ト云事ヲ云也。鏡ノ起(ヲコ)リ是也。猶(ナヲ)々カヾミニ付テ多ノ子細アリ。鏡ハ百王ノ御面ヲソナハシ官人萬民ノ正路ナリ。龜ハ萬歳ノ生(イキ)物也。千秋ノ鶴(ツル)ノ音(コヘ)五岳ノ嶺(ミネ)ニ響(ヒヾ)ケバ。萬歳ノ龜海中ヨリ。涌出(ユシユツ)シテ蓬莱(ホウライ)爰ニ現ス。目出度カリケル事共ナリ。〔下十三オ二〜八〕

とあって、この標記語「諸事」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

諸事(しよじ)(ご)帰宅(きたく)の時(とき)を期(ご)し候/諸亊御帰宅之時ヲ| みな/\悪徒(あくと)をたひらけめてたく帰陣(きぢん)し玉らん。打萬事申入れんとなり。〔51オ六〜七〕

とあって、標記語「諸事」の語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(なを)(こゝろ)(の)(およ)ぶ所(ところ)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を尋(たづ)ね進(しん)ず可(べ)き之(の)(ところ)境節(をりふし)所所(しよ/\)怱劇(そうけき)大略(たいりやく)(この)(しき)に候(さふら)ふ也(なり)諸事(しよし)御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を期(ご)し候(さふら)ふ恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)猶心之所及可尋常具足之處境節所々劇大畧此式候也諸亊御歸宅之時恐々謹言。〔38オ二〜五〕

(なほ)(こゝろ)(の)(ところ)(およぶ)(べき)(たづね)(しんず)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を(の)(ところ)境節(をりふし)所々(しよ/\)(そうげき)大畧(たいりやく)(この)(しき)(さふらふ)(なり)諸亊(しよし)(ご)し御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔67ウ四〜68オ二〕

とあって、標記語「諸事」の訓みを「シヨシ」とし、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xoji.シヨジ.(諸事) Moromorono coto.(諸の事)全部,あるいは,すべての事〔邦訳792r〕

とあって、標記語「諸事」の語を収載し、意味を「全部,あるいは,すべての事」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-じ(名)【諸事】もろもろの事。多くの事柄。萬事。史記、李斯傳、「未必盡通諸事」同、賈誼傳「短賈生陽之年少初學、專欲權、紛亂諸事、於是天子後亦疏之」來假名手本忠臣藏(寛延、竹田出雲)、二「年配ト云ひ、諸事、物馴れたる侍」〔1014-2〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しょ-じ【諸事庶事】[一]〔名〕多くのいろいろな事柄。[二]〔副〕何事によらず。何につけても。万事」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
居住西國之間、諸事、兼信可爲上司之旨、賜御一行、當于眉目〈云云〉訓み下し西国ニ居住スルノ間、諸事(シヨジ)、兼信上司タルベキノ旨、御一行ヲ賜ハリ、眉目ニ当テント欲スト)〈云云〉。《『吾妻鏡寿永三年三月十七日の条》 
 
2003年2月5日(水)晴れ一時曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
此式(このシキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部と「志」部に、標記語「此式」「」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

心之所及可尋進尋常具足之處境節所々此式候也期御歸宅之時〔至徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處{}境節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔宝徳三年本〕

心之所及可尋進尋常之具足之處折節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時〔建部傳内本〕

之所_‖---之處_節所--(ソウケキ)-_也諸亊期--之時〔山田俊雄藏本〕

心之所及可キ∨進尋常之具足ヲ|之所-(ヲリフシ)所々-(ソウゲキ)-略如候也諸亊期御皈宅(キタク)之時ヲ|恐々謹言経覺筆本

心之所及可キ∨(タツネ)‖-尋常具足ヲ|ノ-所々-(ソウケキ)--候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。経覺筆本は、「此式」の箇所を「如此」としている。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

此式(コノシキ/―,シヨク・ノリ)。〔態藝門673一〕

(シキシヨク・ノリ)[入]。〔態藝門417一〕

とあって、標記語「此式」と「」の二語を収載し、その読みを「このしき」と「しき」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「此式」と「」の二語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書において、広本節用集』にのみ収載が見られ、「此式」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。この共通性を今後考察することになる。
 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

390心之所及可キ∨‖-尋常具足之所-節所々之-(ケキ)--候也諸亊期御皈宅之時恐々謹言 〔謙堂文庫藏三九右C〕

とあって、標記語「」の読みを「(ソウ)ゲキ」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

亀鏡(キケイ)ニ|及可キ∨(タヅネ)尋常(ジンジヤウ)ノ具足之處境節(ヲリフシ)所々(ソウゲキ)大畧(リヤク)(シキ)候也諸亊期(ゴ)歸宅(キタク)ノ之時 龜鏡(キケイ)トハサシアラハシテ。カクレモナシト一心也。去ハ龜鏡(キケイ)ト書テカメノカヽミトヨメリ。其(ソノ)(ユヘ)何ン昔(ムカシ)者漢土ニ照旦鏡(シヤツタンキヤウ)ト云カヽミアリ。此鏡ハ裏(ウラ)ヨリ表(ヲモテ)ヘ見ヘ通(トヲ)ル也。其外人ノ吉凶(キツキヤウ)罪科(ザイクハ)ノ輕重(キヤウチウ)ヲ見スル鏡(カヽミ)也。タテヨコノ一尺有シ也。マスカヽミト云也。去バマス鏡(カヽミ)トハ十寸鏡也。彼(カノ)(カヽミ)ヲ。カメガ負(ヲフ)テ上ル也。去ルホドニカヾミノ裏毎(ウラゴト)ニカメヲ鑄(イ)事ナレ。爰ヲ以テ龜鏡(キケイ)ト云也。無(カクル)ト云事ヲ云也。鏡ノ起(ヲコ)リ是也。猶(ナヲ)々カヾミニ付テ多ノ子細アリ。鏡ハ百王ノ御面ヲソナハシ官人萬民ノ正路ナリ。龜ハ萬歳ノ生(イキ)物也。千秋ノ鶴(ツル)ノ音(コヘ)五岳ノ嶺(ミネ)ニ響(ヒヾ)ケバ。萬歳ノ龜海中ヨリ。涌出(ユシユツ)シテ蓬莱(ホウライ)爰ニ現ス。目出度カリケル事共ナリ。〔下十三オ二〜八〕

とあって、この標記語「此式」の読みを「(こ)のシキ」とし、その語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大畧(たいりやく)(この)(しき)に候也/大畧此式候也 大畧ハあらまし也。此式とハ前文の通りとなり。〔51オ七〜八〕

とあって、標記語「此式」の読みを「このシキ」とし、語注記は、「此式とハ前文の通りとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(なを)(こゝろ)(の)(およ)ぶ所(ところ)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を尋(たづ)ね進(しん)ず可(べ)き之(の)(ところ)境節(をりふし)所所(しよ/\)怱劇(そうけき)大略(たいりやく)(この)(しき)に候(さふら)ふ也(なり)諸事(しよし)御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を期(ご)し候(さふら)ふ恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)猶心之所及可尋常具足之處境節所々劇大畧此式候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言。〔38オ二〜五〕

(なほ)(こゝろ)(の)(ところ)(およぶ)(べき)(たづね)(しんず)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を(の)(ところ)境節(をりふし)所々(しよ/\)(そうげき)大畧(たいりやく)(この)(しき)(さふらふ)(なり)諸亊(しよし)(ご)し御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)。〔67ウ四〜68オ二〕

とあって、標記語「此式」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xiqi.シキ.() 代名詞のあるもの,たとえば,“私”を意味するVarera(我等)やXexxa(拙者)などに連接する助辞.それは,自分自身を卑下して,ちょうど,“私のような者”などと言うような意味である.例,Varera xiqi.(我等式) §Corera xiqi.(これら式)これらの物,または,この種の物.〔邦訳775l〕

†Xiqi.シキ.() 例,Vareraxiqi.(我等式)私と同類の人,私のような者,など.〔邦訳775l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「代名詞のあるもの,たとえば,“私”を意味するVarera(我等)やXexxa(拙者)などに連接する助辞.それは,自分自身を卑下して,ちょうど,“私のような者”などと言うような意味である」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「此式」では未収載とし、単に「式」で、

しき(接尾)【】〔式は、底(しき)の借字(あてじ)〕の、如きもの。ほど。ばかり。ぐらゐ。「是れしきの事」我れ我れしきの知る所にあらず」 しきの、きを轉呼して、しことも用ゐる。(だけの意)「是れしこ」どかしこ」あれしこ」〔0881-4〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「此式」では未収載とし、単に「式」で、「しき【】[一]〔名〕@ある物事をするについての定まった形式や方法、型、体裁。定まった法則。一定の標準。規則。式目。方式。のり。A律令の施行細則。諸官司の事務執行について細かく規定したもの。政務執行の便のため、後にこれらの編纂整理が行なわれ、弘仁、貞観、延喜の三代の式のほか、交替式、蔵人式などが編纂された。→格式。弘仁式。B一定の作法をともなう行事。儀式。式典。C(「しきの…」形で)型通りのこと。通常のこと。普通のこと。D事情。有様。次第。様子。E「しきがみ(式~)」の略。F(―する)「しきれい(式礼)」の略。G数学・物理学・化学などで、記号をつらねて対象、関係、法則などをあらわすもの。方程式・不等式・分子式など。H論理学で、三段論法を構成している三命題の質および量の相違によって生じるいろいろの形式。三段論法の種々の形式。推理式。論式。I昔、乗用の車の前に設けた横木。車中での敬礼はこの横木によりかかってからだを前に伏せることによってあらわされた。軾(しょく)。[二]〔語素〕名詞に付いて、型・様式・方法などの意を表わす。「日本式」「洋式」「手動式」「電動式」など。[語誌](1)[一]Dの有様や様子、ことの次第を表わす意味は、本来の漢語「式」にはない日本独自のもので、十三世紀後半から現われる。特に、日記・文書など記録体の資料では、「散々」「不便」「言語道断」などの様態を表わす語句をうけて「…(之)式」の形で用いられ慣用化して、接尾語化した。(2)《已下略す》」とあって、[一]Dの意味にあたるが、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
是尤爲故實就中如山上坂本邊、歩立合戰之時、可守此式、而重綱之甲冑太重、弓箭大兮、不相應主之間、更不可免死〈云云〉訓み下し中ニ就テ山上坂本辺ノ如キ、歩立ノ合戦ノ時ハ、(コ)ノ式(シキ)ヲ守ルベシ、而ルニ重綱ガ甲冑太ダ重ク、弓箭大ニシテ、主ニ相応セザルノ間、更ニ死ヲ免ルベカラズト〈云云〉。《『吾妻鏡建仁三年十月二十六日の条》 
 
2003年2月4日(火)曇り一時雪舞ひのち晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
大略(タイリヤク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

大畧(―リヤク)。〔元亀本136八〕

大略(―リヤク)。〔静嘉堂本144三〕〔天正十七年本中4オ五〕

とあって、標記語「大略」の語を収載し、その読みを「タイリャク」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

心之所及可尋進尋常具足之處境節所々劇此式候也期御歸宅之時〔至徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處{}境節所々大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔宝徳三年本〕

心之所及可尋進尋常之具足之處折節所々大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔建部傳内本〕

之所_‖---之處_節所--(ソウケキ)-_式也諸亊期--之時〔山田俊雄藏本〕

心之所及可キ∨進尋常之具足ヲ|之所-(ヲリフシ)所々-(ソウゲキ)-此候也諸亊期御皈宅(キタク)之時ヲ|恐々謹言経覺筆本

心之所及可キ∨(タツネ)‖-尋常具足ヲ|ノ-所々-(ソウケキ)--候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。至徳三年本は、この大略」の語を脱している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

大略 タイラク /云大宗也。〔黒川本・疉字中10ウ二〕

大底 ―テイ ヲホムネ。〃業。〃聖。〃小。〃陽日名也。〃陰。〃智。〃夫。〃概 カイ。〃虚。〃清。〃呂 十二月。〃人。〃官。〃器。〃飲。〃食。〃切。〃匠。〃將。〃輅 ロ/車名也。〃都 ヲホムネ。〃理。〃道。〃位。〃臣。〃史。〃師。〃傳。〃子。〃學。〃階 帝位也。〃任。〃法。〃~。〃廟。〃較。〃望。〃 正月。〃保。〃貳。〃守。〃漸 病事也。〃節。〃廈 カ/宅名。〃。〔卷第四・疉字443六〜444五〕

とあって、標記語「大略」の語を収載し、語注記に「云く大宗なり」と記載する。十巻本には、標記語「大底」とし、冠頭字「大」の熟語群のなかにこの語は未収載としている。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

大略(タイリヤク) 。〔言辞149三〕

とあって、標記語を「大略」の語を収載する。次に広本節用集』には、

大略(タイリヤク/ヲヽイ也,ホヾ・ハカリコト)[去・入]。〔態藝門343四〕

とあって、標記語「大略」の語を収載し、その読みを「タイリヤク」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

大畧(―リヤク) 〔弘・言語進退109二〕

大略(タイリヤク) ―儀(キ)。―切(せツ)。―犯(ボン)謀叛殺害刃傷。―綱(カウ)。―幸(カウ)。―亊(ジ)。―概(ガイ)。―功(コウ)。―都(ト)大略ノ義。―慶(ケイ)。―旨(シ)。―底(テイ)。―望(バウ)。―赦(シヤ)。―饗(キヤウ)。―營(エイ)。―膽(タン)。〔永・言語94八〕

大略(タイリヤク)  ―儀。―切。―犯謀反殺害刃傷。―綱。―幸。―亊。―概。―功。―都大―ノ義也。―慶。―旨。―底。―望。―赦。―饗。―膽。〔尭・言語86六〕

大略(タイリヤク)  ―儀。―切。―犯謀叛殺害忍傷。―綱。―幸。―亊。―概。―功。―都大略義。―慶。―旨。―営。―底。―望。―赦。―饗。―膽。〔両・言語105一・二〕

とあって、標記語「大略」の語を収載し、その読みを「タイリヤク」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

大般若(タイハンニヤ) ―乗(せウ)。―經(キヤウ)。―學(カク)。―事(シ)。―力(リキ)。―物(モツ)。―概(カイ)。―綱(カウ)。―訴(ソ)。―數(スウ)。―躰(タイ)。―都(ト)。―望(ハウ)。―旨(シ)。―儀(ギ)。―乱(ラン)。―切(せツ)。―魁(クワイ)。―酒(シユ)。―破(ハ)。―飯(ハン)。―意(イ)―略(リヤク)。―要(ヨウ)。―慶(ケイ)。―篇(ヘン)。―食(シヨク)。〔言辞94二〕

とあって、標記語「大般若」の語をもって収載し、語注記に「大略」の語を記載する。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「タイリヤク」として、「大略」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

390心之所及可キ∨‖-尋常具足之所-節所々之-(ケキ)--式候也諸亊期御皈宅之時恐々謹言 〔謙堂文庫藏三九右C〕

とあって、標記語「大略」の語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

亀鏡(キケイ)ニ|及可キ∨(タヅネ)尋常(ジンジヤウ)ノ具足之處境節(ヲリフシ)所々(ソウゲキ)大畧(リヤク)(シキ)ニ候也諸亊期(ゴ)歸宅(キタク)ノ之時 龜鏡(キケイ)トハサシアラハシテ。カクレモナシト一心也。去ハ龜鏡(キケイ)ト書テカメノカヽミトヨメリ。其(ソノ)(ユヘ)何ン昔(ムカシ)者漢土ニ照旦鏡(シヤツタンキヤウ)ト云カヽミアリ。此鏡ハ裏(ウラ)ヨリ表(ヲモテ)ヘ見ヘ通(トヲ)ル也。其外人ノ吉凶(キツキヤウ)罪科(ザイクハ)ノ輕重(キヤウチウ)ヲ見スル鏡(カヽミ)也。タテヨコノ一尺有シ也。マスカヽミト云也。去バマス鏡(カヽミ)トハ十寸鏡也。彼(カノ)(カヽミ)ヲ。カメガ負(ヲフ)テ上ル也。去ルホドニカヾミノ裏毎(ウラゴト)ニカメヲ鑄(イ)事ナレ。爰ヲ以テ龜鏡(キケイ)ト云也。無(カクル)ト云事ヲ云也。鏡ノ起(ヲコ)リ是也。猶(ナヲ)々カヾミニ付テ多ノ子細アリ。鏡ハ百王ノ御面ヲソナハシ官人萬民ノ正路ナリ。龜ハ萬歳ノ生(イキ)物也。千秋ノ鶴(ツル)ノ音(コヘ)五岳ノ嶺(ミネ)ニ響(ヒヾ)ケバ。萬歳ノ龜海中ヨリ。涌出(ユシユツ)シテ蓬莱(ホウライ)爰ニ現ス。目出度カリケル事共ナリ。〔下十三オ二〜八〕

とあって、この標記語「大畧」の読みを「タイリヤク」とし、その語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大畧(たいりやく)(この)(しき)に候也/大畧此式候也 大畧ハあらまし也。此式とハ前文の通りとなり。〔51オ七〜八

とあって、標記語「大略」の読みを「タイリヤク」とし、語注記は、「大畧は、あらましなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(なを)(こゝろ)(の)(およ)ぶ所(ところ)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を尋(たづ)ね進(しん)ず可(べ)き之(の)(ところ)境節(をりふし)所所(しよ/\)怱劇(そうけき)大略(たいりやく)(この)(しき)に候(さふら)ふ也(なり)諸事(しよし)御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を期(ご)し候(さふら)ふ恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)猶心之所及可尋常具足之處境節所々大畧此式候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言 〔38オ二〜五〕

(なほ)(こゝろ)(の)(ところ)(およぶ)(べき)(たづね)(しんず)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を(の)(ところ)境節(をりふし)所々(しよ/\)(そうげき)大畧(たいりやく)(この)(しき)(さふらふ)(なり)諸亊(しよし)(ご)し御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん) 〔67ウ四〜68オ二〕

とあって、標記語「大略」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tairiacu.タイリャク.(大略) 大部分,または,おおよそ〔邦訳605l〕

とあって、標記語「大略」の語を収載し、意味を「大部分,または,おおよそ」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たい-りゃく(名)【大略】勝れたる智略。大なるはたらき。漢書、武帝紀、贊「如武帝之雄材大略、不文景之恭儉〔1190-1〕

たい-りゃく(副)【大略】おほよそ。おほあらめ。あらまし。大概。孟子、滕文公、上篇「此其大略也」太平記、廿六、執事兄弟奢侈事「此の邊の塔の九輪は、大略赤銅にてあると覺ゆる」〔1190-1〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「たい-りゃく【大略】〔名〕(副詞的に用いる)@細部にまでわたって網羅はしていないが、一通りは含んでいる状態。完全にではないが、内容の十中八九までおおうさま。だいたい。概略。ほとんど。A数や程度ははっきりしないが、大体のところ。おおよそ。B数えあげる中の大多数。とりあげた物事の全量の大部分。あらかた。[二](形動)すぐれた知略。また、遠大なはかりごとを有するさま。大器量」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
金堂以下堂舎塔廟并大小乗經巻、顯密聖教、大略以化灰燼〈云云〉訓み下し金堂以下堂舎塔廟并ニ大小乗経巻、顕密ノ聖教、大略(タイリヤク)以テ灰燼ニ化スト〈云云〉《『吾妻鏡治承四年十二月十二日の条》 
 
2003年2月3日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(ソウゲキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

(―ゲキ)。〔元亀本152三〕〔静嘉堂本166三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「ソウゲキ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

心之所及可尋進尋常具足之處境節所々大略此式候也期御歸宅之時〔至徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處{}境節所々大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔宝徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處折節所々大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔建部傳内本〕

之所_‖---之處_節所--(ソウケキ)-略此_式也諸亊期--之時〔山田俊雄藏本〕

心之所及可キ∨進尋常之具足ヲ|之所-(ヲリフシ)所々-(ソウゲキ)-略如此候也諸亊期御皈宅(キタク)之時ヲ|恐々謹言経覺筆本

心之所及可キ∨(タツネ)‖-尋常具足ヲ|ノ-所々-(ソウケキ)-略此-候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

仕官部/詞/ソウケキ。〔黒川本・疉字中19オ一〕

〃忙イソカハシ。〔卷第四・疉字551四〕

とあって、標記語「怱劇」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(ソウゲキ) 。〔言辞151三〕

とあって、標記語を「怱劇」の語を収載し、語注記は未記載にする。次に広本節用集』には、

怱劇(ソウゲキ/イソガワシ,ニワカ)[平・入]。〔態藝門406二〕

とあって、標記語「怱劇」の語を収載し、その読みを「ソウゲキ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(―ゲキ) 〔弘・言語進退122三〕

(ソウゲキ) ―忙(バウ)。――(ソウ/\)。〔永・言語101九〕

(ソウゲキ) ―忙。――。〔尭・言語92四〕

(ソウゲキ) 。〔両・言語112五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「ソウゲキ」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(ソウゲキ) 。〔言辞101一〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「ソウゲキ」として、「怱劇」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えているものである。
 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

390心之所及可キ∨‖-尋常具足之所-節所々之-(ケキ)-略此-式候也諸亊期御皈宅之時恐々謹言 〔謙堂文庫藏三九右C〕

とあって、標記語「」の読みを「(ソウ)ゲキ」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

亀鏡(キケイ)ニ|及可キ∨(タヅネ)尋常(ジンジヤウ)ノ具足之處境節(ヲリフシ)所々(ソウゲキ)大畧(リヤク)(シキ)ニ候也諸亊期(ゴ)歸宅(キタク)ノ之時 龜鏡(キケイ)トハサシアラハシテ。カクレモナシト一心也。去ハ龜鏡(キケイ)ト書テカメノカヽミトヨメリ。其(ソノ)(ユヘ)何ン昔(ムカシ)者漢土ニ照旦鏡(シヤツタンキヤウ)ト云カヽミアリ。此鏡ハ裏(ウラ)ヨリ表(ヲモテ)ヘ見ヘ通(トヲ)ル也。其外人ノ吉凶(キツキヤウ)罪科(ザイクハ)ノ輕重(キヤウチウ)ヲ見スル鏡(カヽミ)也。タテヨコノ一尺有シ也。マスカヽミト云也。去バマス鏡(カヽミ)トハ十寸鏡也。彼(カノ)(カヽミ)ヲ。カメガ負(ヲフ)テ上ル也。去ルホドニカヾミノ裏毎(ウラゴト)ニカメヲ鑄(イ)事ナレ。爰ヲ以テ龜鏡(キケイ)ト云也。無(カクル)ト云事ヲ云也。鏡ノ起(ヲコ)リ是也。猶(ナヲ)々カヾミニ付テ多ノ子細アリ。鏡ハ百王ノ御面ヲソナハシ官人萬民ノ正路ナリ。龜ハ萬歳ノ生(イキ)物也。千秋ノ鶴(ツル)ノ音(コヘ)五岳ノ嶺(ミネ)ニ響(ヒヾ)ケバ。萬歳ノ龜海中ヨリ。涌出(ユシユツ)シテ蓬莱(ホウライ)爰ニ現ス。目出度カリケル事共ナリ。〔下十三オ二〜八〕

とあって、この標記語「」の読みを「ソウゲキ」とし、その語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

所々(しよ/\)(そうげき)所々(さう)/\敷(しく)を事いそかわしきを云〔51オ六〜七

とあって、標記語「」の読みを「ソウゲキ」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(なを)(こゝろ)(の)(およ)ぶ所(ところ)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を尋(たづ)ね進(しん)ず可(べ)き之(の)(ところ)境節(をりふし)所所(しよ/\)怱劇(そうけき)大略(たいりやく)(この)(しき)に候(さふら)ふ也(なり)諸事(しよし)御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を期(ご)し候(さふら)ふ恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)猶心之所及可尋常具足之處境節所々大畧此式候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言ハ騒々(そう/”\)しき也。〔38オ二〜五〕

(なほ)(こゝろ)(の)(ところ)(およぶ)(べき)(たづね)(しんず)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を(の)(ところ)境節(をりふし)所々(しよ/\)(そうげき)大畧(たいりやく)(この)(しき)(さふらふ)(なり)諸亊(しよし)(ご)し御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)ハ騒々(そう/”\)しき也。〔67ウ四〜68オ二〕

とあって、標記語「」の語注記は、「は、騒々しきなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

So>gueqi.ソウゲキ.() Sauagui,midaru.(さわぎ,乱る)混乱.例,Cuniga so>gueqi suru.(国が〔公+心〕劇する)国が混乱する.〔邦訳570r〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「混乱」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「」

そう-げき(名)【怱劇】いそがはしきこと。多忙。平治物語、三、頼朝擧義兵事「我れも、尋ねたく思ひつれど、公私の怱劇に思ひ忘れ」庭訓徃來、九月、「依公私懈怠之條」〔1139-3〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「そう-げき【両劇怱劇】〔名〕(「そうけき」とも)せわしくいそがしいこと。いそがしく落ち着かないこと。また、混乱すること。いざこざなどによる世の騒ぎ」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
今日被定云、御怱劇之時、御教書不可被載御判《訓み下し》今日定メラレテ云ク、御怱劇(ソウゲキ)ノ時ハ、御教書ニ御判ヲ載セラルベカラズ。《『吾妻鏡文治四年五月十七日の条》 
状如件。?劇之間、不能一二候。恐々謹言《『鎌倉徃來正月十八日・兵庫允紀則貞
 
2003年2月2日(日)晴れ一時曇り。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
所々(シヨショ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

所々(シヨ/\)。〔元亀本309七〕

所々(――)。〔静嘉堂本361七〕

とあって、標記語「所々」の語を収載し、その読みを「シヨシヨ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

心之所及可尋進尋常具足之處境節所々劇大略此式候也期御歸宅之時〔至徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處{}境節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔宝徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處折節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔建部傳内本〕

之所_‖---之處_--(ソウケキ)-略此_式也諸亊期--之時〔山田俊雄藏本〕

心之所及可キ∨進尋常之具足ヲ|之所-(ヲリフシ)所々-(ソウゲキ)-略如此候也諸亊期御皈宅(キタク)之時ヲ|恐々謹言経覺筆本

心之所及可キ∨(タツネ)‖-尋常具足ヲ|ノ-所々-(ソウケキ)-略此-候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「所々」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語を「所々」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「シヨシヨ」として、「所々」の語は未収載なのが多いなか、唯一、『運歩色葉集』に収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

390心之所及可キ∨‖-尋常具足之所-所々-(ケキ)-略此-式候也諸亊期御皈宅之時恐々謹言 〔謙堂文庫藏三九右C〕

とあって、標記語「所々」の読みを「シヨシヨ」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

亀鏡(キケイ)ニ|及可キ∨(タヅネ)尋常(ジンジヤウ)ノ具足之處境節(ヲリフシ)所々(ソウゲキ)大畧(リヤク)(シキ)ニ候也諸亊期(ゴ)歸宅(キタク)ノ之時 龜鏡(キケイ)トハサシアラハシテ。カクレモナシト一心也。去ハ龜鏡(キケイ)ト書テカメノカヽミトヨメリ。其(ソノ)(ユヘ)何ン昔(ムカシ)者漢土ニ照旦鏡(シヤツタンキヤウ)ト云カヽミアリ。此鏡ハ裏(ウラ)ヨリ表(ヲモテ)ヘ見ヘ通(トヲ)ル也。其外人ノ吉凶(キツキヤウ)罪科(ザイクハ)ノ輕重(キヤウチウ)ヲ見スル鏡(カヽミ)也。タテヨコノ一尺有シ也。マスカヽミト云也。去バマス鏡(カヽミ)トハ十寸鏡也。彼(カノ)(カヽミ)ヲ。カメガ負(ヲフ)テ上ル也。去ルホドニカヾミノ裏毎(ウラゴト)ニカメヲ鑄(イ)事ナレ。爰ヲ以テ龜鏡(キケイ)ト云也。無(カクル)ト云事ヲ云也。鏡ノ起(ヲコ)リ是也。猶(ナヲ)々カヾミニ付テ多ノ子細アリ。鏡ハ百王ノ御面ヲソナハシ官人萬民ノ正路ナリ。龜ハ萬歳ノ生(イキ)物也。千秋ノ鶴(ツル)ノ音(コヘ)五岳ノ嶺(ミネ)ニ響(ヒヾ)ケバ。萬歳ノ龜海中ヨリ。涌出(ユシユツ)シテ蓬莱(ホウライ)爰ニ現ス。目出度カリケル事共ナリ。〔下十三オ二〜八〕

とあって、この標記語「所々」の読みを「シヨシヨ」とし、その語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

所々(しよ/\)(そうげき)所々(さう)/\敷(しく)を事いそかわしきを云〔51オ六〜七

とあって、標記語「所々」の読みを「シヨシヨ」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(なを)(こゝろ)(の)(およ)ぶ所(ところ)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を尋(たづ)ね進(しん)ず可(べ)き之(の)(ところ)境節(をりふし)所所(しよ/\)怱劇(そうけき)大略(たいりやく)(この)(しき)に候(さふら)ふ也(なり)諸事(しよし)御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を期(ご)し候(さふら)ふ恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)猶心之所及可尋常具足之處境節所々劇大畧此式候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言尋常之具足とハ目だゝずしてよき品といふこと。具足ハ鎧(よろひ)をもいへど爰(こゝ)ハ五月の返状中(へんじやちう)にある具足(ぐそく)と同じく品々(しなじな)の義に見るべし。〔38オ二〜五〕

(なほ)(こゝろ)(の)(ところ)(およぶ)(べき)(たづね)(しんず)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を(の)(ところ)境節(をりふし)所々(しよ/\)(そうげき)大畧(たいりやく)(この)(しき)(さふらふ)(なり)諸亊(しよし)(ご)し御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)尋常之具足とハ目だゝずしてよき品といふこと。具足ハ鎧(よろひ)をもいへど爰(こゝ)ハ五月の返状中(へんじやちう)にある具足(ぐそく)と同じく品々(しなじな)の義に見るべし。〔67ウ四〜68オ二〕

とあって、標記語「所々」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xoxo.シヨシヨ.(所々諸所) Tocorodocoro.(所々)いくつもの場所,または,すべての場所.〔邦訳797r〕

とあって、標記語「所々」の語を収載し、意味を「いくつもの場所,または,すべての場所」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-しょ(名)【處處所所】ところ、どころ。ここ、かしこ。そこら、ここら。雍陶、城西訪友人別墅詩「村園門巷多相似、處處春風枳殻花」太平記、一、關所停止事「商賣徃來の聲、年貢運送の煩ありとて、大津、葛葉の外は、悉く、所所の新關を止めらる」〔1014-5〕

とあって、この語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しょ-しょ【処処所所】〔名〕ところどころ。あちこち。ここかしこ。方々」とあって、この『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
武衛、招北條殿於閑所、置彼繪圖於中、軍士之可竸赴之道路、可有進退用意之所々皆以令指南給《訓み下し》武衛、北条殿ヲ閑所ニ招イテ、彼ノ絵図ヲ中ニ置キ、軍士ノ競ヒ赴クベキノ道路、進退用意有ルベキノ所所(トコロ/\)皆以テ指南セシメ給フ。《『吾妻鏡治承四年八月四日の条
觀彼求法入宋之處々就其銘字誤等、被直進之〈云云〉《訓み下し》彼求法入宋ノ処処(トコロ/\)ヲ観ル。其ニ就テ銘字ノ誤リ等、之ヲ直シ進ゼラルト〈云云〉。《『吾妻鏡建暦三年三月三十日の条》 
 
2003年2月1日(土)晴れ一時雨。長崎(大村)→東京(世田谷→八王子)
尋進(たづねシンず)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「尋進」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』六月十一日の状に、

心之所及可尋進尋常具足之處境節所々劇大略此式候也期御歸宅之時〔至徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處{}境節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔宝徳三年本〕

心之所及可尋進尋常具足之處折節所々劇大略此式候也諸事期御歸宅之時候〔建部傳内本〕

之所_‖---之處_節所--(ソウケキ)-略此_式也諸亊期--之時〔山田俊雄藏本〕

心之所及可キ∨尋常之具足ヲ|之所-(ヲリフシ)所々-(ソウゲキ)-略如此候也諸亊期御皈宅(キタク)之時ヲ|恐々謹言経覺筆本

心之所及可キ∨(タツネ)‖-尋常具足ヲ|ノ-所々-(ソウケキ)-略此-候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言 〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「尋進」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語を「尋進」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓を「タヅネシンズ」として、「尋進」の語が未収載されている。これを古写本『庭訓徃來』及び下記真字本や下記用例として示した『吾妻鏡』にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』六月十一日の状には、

390心之所及可キ∨‖-尋常具足之所-節所々之-(ケキ)-略此-式候也諸亊期御皈宅之時恐々謹言 〔謙堂文庫藏三九右C〕

とあって、標記語「尋進」の読みを「タヅネシンズ」とし、その語注記は、未記載にする。
 古版庭訓徃来註』では、

亀鏡(キケイ)ニ|及可キ∨(タヅネ)尋常(ジンジヤウ)ノ具足之處境節(ヲリフシ)所々(ソウゲキ)大畧(リヤク)(シキ)ニ候也諸亊期(ゴ)歸宅(キタク)ノ之時 龜鏡(キケイ)トハサシアラハシテ。カクレモナシト一心也。去ハ龜鏡(キケイ)ト書テカメノカヽミトヨメリ。其(ソノ)(ユヘ)何ン昔(ムカシ)者漢土ニ照旦鏡(シヤツタンキヤウ)ト云カヽミアリ。此鏡ハ裏(ウラ)ヨリ表(ヲモテ)ヘ見ヘ通(トヲ)ル也。其外人ノ吉凶(キツキヤウ)罪科(ザイクハ)ノ輕重(キヤウチウ)ヲ見スル鏡(カヽミ)也。タテヨコノ一尺有シ也。マスカヽミト云也。去バマス鏡(カヽミ)トハ十寸鏡也。彼(カノ)(カヽミ)ヲ。カメガ負(ヲフ)テ上ル也。去ルホドニカヾミノ裏毎(ウラゴト)ニカメヲ鑄(イ)事ナレ。爰ヲ以テ龜鏡(キケイ)ト云也。無(カクル)ト云事ヲ云也。鏡ノ起(ヲコ)リ是也。猶(ナヲ)々カヾミニ付テ多ノ子細アリ。鏡ハ百王ノ御面ヲソナハシ官人萬民ノ正路ナリ。龜ハ萬歳ノ生(イキ)物也。千秋ノ鶴(ツル)ノ音(コヘ)五岳ノ嶺(ミネ)ニ響(ヒヾ)ケバ。萬歳ノ龜海中ヨリ。涌出(ユシユツ)シテ蓬莱(ホウライ)爰ニ現ス。目出度カリケル事共ナリ。〔下十三オ二〜八〕

とあって、この標記語「尋進」の読みを「たづねシンず」とし、その語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(なを)(こゝろ)の及(およ)ふ所(ところ)尋常(じんじやう)の具足(ぐそく)を尋(たつ)ね進(しん)す可(へき)の処(ところ)猶心之所及可尋常具足之處 鎧を具足といふ事金物十三所上座(しやうさ)上巻(あけまき)矢返(やかへし)志加(し―)の鐶(くわん)水呑(ミづのミ)の鐶再幣附(さいはいつけ)等こと/\く備(そなハ)りたる故具足と称す。具足はそなハりたると訓す。又元佛經(ふつけう)の語(ご)によるともいえり。ある説に具足ハ五月の大夫将監か返状に所借用之具足といえると一根にしてこの具足有。武具ハ勿論(もちろん)其外の道具を廣(ひろ)くさしたるにて別の事のミにあらすといへり。此説義廣けれハ従ふへし。〔51オ二〜六

とあって、標記語「尋進」の読みを「たづねシンず」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(なを)(こゝろ)(の)(およ)ぶ所(ところ)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を尋(たづ)ね進(しん)ず可(べ)き之(の)(ところ)境節(をりふし)所所(しよ/\)怱劇(そうけき)大略(たいりやく)(この)(しき)に候(さふら)ふ也(なり)諸事(しよし)御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を期(ご)し候(さふら)ふ恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)猶心之所及可尋常具足之處境節所々劇大畧此式候也諸亊期御歸宅之時恐々謹言尋常之具足とハ目だゝずしてよき品といふこと。具足ハ鎧(よろひ)をもいへど爰(こゝ)ハ五月の返状中(へんじやちう)にある具足(ぐそく)と同じく品々(しなじな)の義に見るべし。〔38オ二〜五〕

(なほ)(こゝろ)(の)(ところ)(およぶ)(べき)(たづね)(しんず)尋常(じんじやう)(の)具足(ぐそく)を(の)(ところ)境節(をりふし)所々(しよ/\)(そうげき)大畧(たいりやく)(この)(しき)(さふらふ)(なり)諸亊(しよし)(ご)し御歸宅(ごきたく)(の)(とき)を(さふらふ)恐々(きよう/\)謹言(きんげん)尋常之具足とハ目だゝずしてよき品といふこと。具足ハ鎧(よろひ)をもいへど爰(こゝ)ハ五月の返状中(へんじやちう)にある具足(ぐそく)と同じく品々(しなじな)の義に見るべし。〔67ウ四〜68オ二〕

とあって、標記語「尋進」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「尋進」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「たづね-しん・ず(名)【尋進】」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「たづね-しん・ず【尋進】〔名〕」を未収載にしている。拠って『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
今日可尋進件兩人之旨、被下 院宣於諸國〈云云〉《訓み下し》今日件ノ両人ヲ尋ネ進(シン)ベキノ旨、院宣ヲ諸国ニ下サルト〈云云〉。 《『吾妻鏡』文治元年十一月六日の条》
但雖リト、不ルニ、所召遺物等、少々。爭イカデカラン候哉。《『鎌倉徃來』廼剋・散位源俊平》
 
 
 

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