[5月1日〜日々更新]

ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

ことばの由来。ことばの表現。ことばの妙味。ことばの流れ。とにかくみんなさんご一緒に考えてみましょう。

1998年5月31日(日)晴れ。大阪

晴れやかに 共生共走 八時間

「甘味」

 「甘党」の好きな食べ物に、ケーキ・ぜんざい・饅頭といったものがある。「あまトウ」と読む。「甘味」は「あまミ」と湯桶読みにし、甘い味の菓子をいう。この「甘」に下接する「トウ」や「ミ」は、漢語系の派生辞である。今は見られない聞かれなくなった円錐形のパンも「あまショク【甘食】」と湯桶読みする。

 「甘口」は、「あまくち」と和語名詞で、甘味の勝った生酒などに用いる。梅雨入り間近のこの季節に冷酒が似合う。この冷酒だが、甘口が主流のようである。或る方がこの手の酒の味を「タンレイ【端麗】」と評していた。

1998年5月30日(土)曇り。京都から大阪

五月雨や 木の下闇に 徒歩の道

「でかんしょ」

「でかんしょ」は「でかんしょぶし」の略、哲学者のデカルト・カント・ショーペンハウエルの冠字をつなぎ合わせて「デカンショ」となったというが、実は明治末期から大正初期に流行した囃し歌で、兵庫県篠山付近の盆踊り歌の変化したものだという。東京高等師範学校教授亘理章三郎により旧第一高等学校生徒に伝えられ、後になって全国の学生の間や一般花柳界に流行したとされている。

 この「でかんしょ」の語源は、@灘五郷に酒造りに回った兵庫県篠山地方の丹波杜氏たちが「あとの半年寝て暮らす」と歌った。酒屋出稼の「出稼ぎしよう」の意という。また、A「テッコンショウ(徹今宵)」の訛ったもので武士も四民も今夜徹夜で騒ぎましょうの意とする。ただB「どっこいしょ」が訛ったのだという種種の説が挙げられている。この表現にC上記の哲学者三人の名前が語呂よく結びついて歌われたというのである。本歌は、篠山町から約一五kmほどいった今田町四斗谷に伝わる「みつ節」だと云われている。<民謡研究者前川澄夫(大野=大阪フィルハーモニー所属)の長年に亘る探索によって、昭和49年(1974年)多紀郡今田町四斗谷で、また昭和五十二年(1977年)後川新田でも、デカンショ節の本歌であるといわれる「みつ節」の歌詞や踊りの資料が得られている>。

[旅にみかけた看板文字]京都哲学の道の陶器を商う会社の名前に「陶〓〔艸+合+廾〕〔トウアン〕」がある。

1998年5月29日(金)雨。奈良から京都

こうこうと 鹿呼びき 藤の棚

掛け声「ワッショイ!」と「ソイヤ!」

 祭りの御輿を担ぐときの掛け声に、「ワッショイ!」というのと「ソイヤ!」という二つの掛け声があるようだ。「ワッショイ!」は、「和、一緒」が語源だともいわれ、「ソイヤ!」は、「それ、や」からなるようだ。

 担ぎ手の意気込みが御輿を担ぐ人々の掛け声すべてに左右される。昔、建物の普請事業をするとき、大きな材木を引っ張り運ぶ。声を一にしてこの重い材木を数人の労働者が動かす光景が鎌倉時代の「石山寺縁起絵巻」(奈良国立博物館の特別展「天平」において)のなかに描かれている。材木の上に跨乗って扇をかざし、掛け声をかける姿である。この男どんな掛け声を発していたのかは定かでないが、実に小気味の良いものであったのだろうと推察しないではない。

 掛け声がその場の人々の心を一にして、ひとつの目的をもってある方向へと突き進むのである。誰ともなく、掛け声にあわせ行動するのであるからにして、どこかで掛け声は決定づけられているに違いない。祭りの掛け声「ワッショイ!」と「ソイヤ!」も二者択一を感じないではない。

1998年5月28日(木)晴天。

時は時 ちと忙しき 今日は今日

「満更」

 国語辞典によれば、「まんざら」という副詞は、いつの頃からか漢字で「満更」と表記してきている。この表記法(音+訓)からすれば、いわゆる重箱読みになっている。ことばの成り立ちは、「まっさら【眞っさら】」が転じて「まんざら」となったということのようだ。これに「満更」と宛て字したのだという。

だが、どうも私には合点がいかない。むしろ、接頭辞「ま」と無差別。すべての意をあらわす「ざら」の派生語「まざら」の撥音便化の強調表現と見たほうがよいのではなかろうか。

補注:「ざら」の用例○「寒念仏ざらの手からも心ざし」<明和二年・『柳多留』初>

この「まんざら【満更】」、古語としては、俳諧『かたこと』巻五・湯桶言葉に、「一、満更〔まんざら〕といふこと葉も湯桶読み成べし、あしかるべき歟」[日本古典全集・九五F]と見える。

 その前後に収載する他の湯桶読みのことばを挙げてみるに、「×夜咄〔やばなし〕、夜盗〔よとう〕、手者〔てしや〕、楽寝〔らくね〕、×古京〔ふるきやう〕、×前月〔さきげつ〕、生霊〔いきりやう〕、関所〔せきしよ〕、丸盆〔まるぼん〕」が見えている。このうち、「満更」と同じく重箱読みにある「夜咄〔やばなし〕、楽寝〔らくね〕」が含まれていることからも、著者安原貞室は「訓+音」の湯桶読みと「音+訓」の重箱読みとを併せて湯桶言葉と定めているようだ。しかし、この副詞をこのように混種語表現であるとして、最初にとらえた眼識の資料であることには違いない。このことは注目に値することである。

 この副詞も、下に打消しの語を伴って、まったく駄目ではない、少しは取り柄があるといった意味をあらわす。また、「まんざらな」の形容動詞として、困ったものだの意味にも用いる。<まんざらの傘を越前屋と『柳多留』二〇27>

[ことばの実際]

○「まんざら、悪くない」

1998年5月27日(水)晴天。

風光る 衣服明るく 乙に着る

「青梅」と「梅雨」

 この梅の実は、「青梅」として五月下旬の季節限定の果実である。国内随一の収穫量を誇る和歌山県の“古城梅”や“南高梅”が有名である。この「青梅」を使って各家庭では「梅酒」づくりが行われる。

 「梅〔うめ〕食ふとも核〔さね〕食ふな」という諺があり、梅の核すなわち種は用いない。梅の果肉には酸っぱさの元とも言える“クエン酸(効能:血流をよくする、疲労回復、殺菌作用)”が多く含まれている。保存食としては、「梅干し」にして、お弁当やおむすびの食材として今も定番といえる。また、ウルトラマラソンなどで年輩の方が梅肉を、こめかみや足の三里に塗ることで身体の痛みを緩和するといって、摺り込んでいる光景を見かけたりもする。

本州では、「青梅」のなる季節、しとしと、じとじとと雨が降り続く。この雨を「つゆ」といい、今は「梅雨」の字を宛てる。「梅の実のなる頃に降る雨」ということで「梅雨〔バイウ〕」なのか?そして和語で「つゆ」という。

 この「梅雨」を歌の世界に「長雨〔ながめ〕」「五月雨〔さみだれ〕」と古くから表現されているが、この「つゆ」の語源を「ついり」とする。室町時代の古辞書『文明本節用集』時節門に、「〓〔雨+咢ツユ〕 又作墜栗〔ツユ〕」[四一一D]の用字が収載されている。さらに、『易林本節用集』乾坤門には、「墜栗花〔ツイリ〕霖雨」とある。これは、「青梅」より長雨にけぶる「栗」の花が墜ちる頃という詩的情景語の意味から「ツイくり」の語が「thuikuri」>「thuyiri」=「thuyu」と表現され、やがて「梅」の実による生活指向が進むに連れ、文字表記も詩的情景語「栗の花」から実的生活語「梅(の実)」に変じたかというところか。連歌『至宝抄』(天正十三年頃成立)に「中乃なつ 一、五月雨〔サミダレ〕梅乃雨〔ムメノアメ〕と申す五月雨の事也」[近世前期俳諧歳時記・影印編頁23@]や『無言抄』(慶長二年成立)に、「梅雨 近来このまさることはなり」[同上影印編五二頁F]、同書「一、梅雨 不審と新式にあるハ梅の雨ハ実の色つく時分ふる雨也。五月雨の事也。<下略>」[連歌資料集1一二七@]、同書の十七嫌詞之事、夏之分に、「一、梅の雨 昔ハおほし。夢菴の句なとに有。今あなかちに不好とあれハ無用歟。たゝし發句にはすへし」[連歌資料集1三七九F]『はなひ草』に、「五月 五月雨〔さみたれ〕。墜栗花〔ついりか〕。梅の雨」[同上影印編八五頁10E]などと「梅雨」の表記が見えている。

 この時期、衣・食・住という生活全般にわたって黴の発生が人を悩ませる。俳諧『毛吹草』二に「五月 黴〔ツイリ〕」[近世前期俳諧歳時記・影印編一二七頁] 俳諧『増山の井』上に、「さつき雨 さみだれ{梅の雨。黴雨〔ツイリ〕。墜栗花穴〔ツイリアナ〕津の国ニ有。五月の節より第二の壬の日より黴雨といふ。本草綱目にあり。また黄梅雨ともいへり}」[近世前期俳諧歳時記・影印編三五二頁]とあり、「黴雨」とも書く。身近にあった梅の実の汁は、古くは黴の防腐剤効果としても珍重されていたのである。

1998年5月26日(火)晴天。苫小牧

本日15:50放送、STV札幌テレビ“どさんこワイド212”「抱腹絶倒の今昔流行語わからない?若者言葉あぜん……まるで外国語」

吾が心 耕し人に 陽の恵み

「沈魚落雁閉月羞花」

 このむつかしい言葉は何かと問えば、美人の形容句で「絶世の美女を前にすると、魚は水の深いところに沈んで隠れ、雁は群れのかりがねを乱して地に落ち、名月は雲間に掻き消され、花は恥じらいて萎んでしまうといった誇張気味の表現なのである。目にした男はそのくらい、くらくらとして、頭の中が真っ白になってしまうことの形容句なのである。

 実際、“絶世の美女”という存在自体、数ある中に中国の楊貴妃、日本の小野小町といった名が知られている。「沈魚落雁閉月羞花」は「魚」と「雁」とが対語、「月」と「花」とが対語となっていて、あまりの美しさに万物すべてがぐぅっと引いてしまう存在なのである。

この形容句だが、岩波『国語辞典』第五版に、

ちんぎょらくがん【沈魚落雁】美人の形容。▽「荘子」の句に基づく。本来、人間の目には美人に見える者も、魚や鳥はこれを見て恐れて逃げる意。転じて、魚も雁(がん)も恥じらって姿を隠すほどの美人の意に使った。

と収載する。末句の「閉月羞花」は見えない。

1998年5月25日(月)雨後晴れ、午後風強く青空広がる。

降りしきる 雨音はじけ 衣の傘

「河童の涙」

 長野県上高地にかかる橋の名に「河童橋」というのがある。この橋の名は、橋の架かっていなかった頃、向こう岸に渡るのに衣服を頭のうえにのせて渡ったその仕種が河童に似ていたことから、この吊り橋の名に「河童橋」とつけられたという。この地に観光客が持ち込んだ空き瓶のガラスを加工したのが、「河童の涙」なのだ。これをお土産として買っていただき、持ち帰っていただくことで自然環境保全に役立てるという。この名前が「河童の涙」だそうな。

 「ヒーリング〔healing〕病気、特に心の病気を治療すること」(新明解『国語辞典』第五版より)のためにも、この地は癒しにふさわしい。いつまでも美しく遺していきたい。古い18ミリの映像が、そして、いまのビデオが次世代に変わらぬ光景を伝えていくように……。

[補遺ネット] Matusho Gakuen Junior College Home Pageより

河童橋:平成9年に新しく架けられた橋です。以前のものは、昭和50年に架けかえたものだったけれども、老朽化が進んでいたため、河童橋周辺の山岳景観への配慮や、洪水の際でも橋下0.8メートルの空間を持たせる河川法や、梓川が押し流す砂礫で川底が年々上昇する為、強度が必要なことでこの橋。

1998年5月24日(日)曇り。

リラ冷えに 人の行き交い 家の中

若者文字「〜ちゃん」

 昨日、STV報道部「どさんこワイド212」“若者ことば<札幌編>”のコメント取材を行った(放送時間は、今週26日火曜日の3時50分からの番組のなかで紹介とのこと。詳細内容はこちら)。このとき、若者ことばと一緒に若者の書いた文字を見たのだが、○印のなかに「C」とかいて「〜ちゃん」と読ませる文字に出会った。だれがどのように使い出したかは今の私にはわからないが、16歳から20歳といった若者たち(女子高生が主流か)がこうした表記を使いはじめている。

 かつての「赤丸君(女性から見て出世しそうな若い男性)」(「赤丸○k」と書く)などを「赤丸ちゃん」といい、「ちゃん」を「○C」符号で表わすというものである。

 文字の世界にも実は“若者文字”が芽生えている。ポケベルやピッチ(PHS)などの電子文字ではフォントがないと、かつての少女文字というような丸文字は表現できない。こんなとき、◯印のなかに「C」は、外字表記してみることで可能になる文字使い状況にある。「§^。^§」「(._.)」といった“顔文字”と同様に、いくつかの“若者文字”づくりがはじまり、使われることも今後予想される。「むかつき」を表わす額の皺の符号文字や「好き」を表わすハートマークの符号文字など手書きのものから、電子による“若者文字”表記への流れを見守っていきたい。

1998年5月23日(土)薄晴れ。

風なびく 街並み離れ 自転車〔バイク〕こぐ

太宰治『人間失格』とことば

 没後50年、太宰治の小説『人間失格』の草稿(二百字詰め原稿用紙157枚)と妻美知子さん宛の遺書が長女のお宅から発見されたというニュースが流れていた。原稿には小説の筋道を決定づけるキーワード“人間通”などのことばが書きとめられている。

 『人間失格』の「第三の手記」第二節に、“対義語遊び”の場面があったりする。

  自分達はその時、喜劇名詞と悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、すでにそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。

このあたりの手書き草稿を見てみたいと思う。と同時に、たとえば改めて「安・近・短」の対義は、「危・遠・長」とことば三つを束ねて連想できる語を挙げて行く“ことばの遊び”を考えてみると、“旅”などといったキーワードが浮かび上がるといった具合に遊んでみたくもある。

[太宰関連補遺]インターネットによる各紙電子新聞を閲覧して氣づいたこと

  昨年二月に亡くなった妻津島美知子さんの遺品の中から<朝日新聞社>

  昨年二月に亡くなった美知子夫人の遺品の中から<読売新聞社>

  昨年二月に死去した美智子夫人が保管<毎日新聞社>

とあって、毎日新聞は、名前「みちこ」の「智」に異なり字、「亡くなる」を「死去」と表現している。

1998年5月22日(金)晴れ。

キニキニと 蝦夷春ゼミ 木々高し

「肉薄」と「肉迫」

 サッカーなどのスポーツ競技に「ニクハク」した試合が続くと使う。この「ニクハク」の表記だが、どうも「肉迫」派が増加してきているようだ。そこで、新明解『国語辞典』第五版を繙いてみた。

にくはく【肉薄】―する〔「薄」は迫る意〕〔砲撃戦や包囲戦ではなく〕敵陣に近づき、本営目がけて接近戦を仕掛けること。〔広義では、競技などで、もう少しで追い越す所まで迫ることや、論戦でもう少しで参ったと言わせる所まで鋭く詰め寄る(核心を衝く所まで迫る)ことを指す。例、「一点差(核心)に―する」〕[表記]「肉迫」とも書く。

 見出し漢字は、「肉薄」としていて、「薄」の字に迫る意があることを注にし、「肉迫」の表記は末尾に注書きとしている。意味も本来の敵に激しく追い迫る状況をいうことを示していて、意味の広がりとして競技などの追い迫りや論戦などの詰め寄りをあげている。

 ここで、単漢字「薄」の意味を再検しておきたい。「うすい」の意が浸透していて、「すすき」などという本来の草冠としての意が忘れ去られているようだ。ここのところを鎌倉時代古辞書の観智院本『類聚名義抄』には、

 ウスシ。イタル。ヤハラカナリ」水部・法上四二

 蒲各反、ウスシ。コヽニ。ヤセタリ。セメ[マ]ラル。イタル。ハク。ハナスヽキ。アナツル。スヽシ。スクナシ。タヒラカナリ。サム。イヤシム。トヾム。マレナリ。ツク。アツム。クダル。キハム。ツラシ。オホフ。ヤウヤク。フムタ。ハシメ。爪ヽキ。エラヒ。 和ハク」艸部・僧上二八F

というふうに、水部と艸部とに収載されている。水部には「セマル」の訓は未記載だが、艸部には二十六種の和訓があるなかで、第四訓として「セメ[マ]ラル」とあるのが、この意にあたる。このように古くから「せまる」の意は第一義に排列されずに、「うすい」に圧されているのである。「薄」の熟語で「せまる」意のことばを他に捜すと「薄暮〔ハクボ〕」ぐらいか。これも夕暮れが迫る意より、「うすぐらくなる」意にとられてしまいがちにあるのではなかろうか。

 さて、「ニクハク」なのだが、近ごろ「迫力」あるパワーに近似てか「肉迫」と表記する傾向を感じないではない。

1998年5月21日(木)晴れ。

雀鳴く 朝の目覚めは 際立ちつ

「色分け」

 種類の異なるものを色で識別する。古くは、聖徳太子の“冠位十二階”、「徳・仁・礼・信・義・智」の六つに区分し、次に六区分それぞれに大と小の二種類に官位をわけたものである。この六段階を色を持って明らかにした。「徳」の色は、「紫〔むらさき〕」。「仁」の色は、「青〔あお〕」。「礼」の色は、「赤〔あか〕」。「信」の色は、「黄〔きい〕」。「義」の色は、「白」。「智」の色は、「黒」を用いた。さらに、大小の区分は、色の濃淡をつけていたということである。冠の色で「冠位」が分る。被服の色もこれに合わせ、着用することで身分の上下関係に誤解を生じないのである。

 ひとつの組織を整然とするのに色が使われ、バラバラになりがちな機構を一にする役割を果たしてきた。小学校などでも、低学年から高学年に向かって、赤・橙・黄・緑・青・紺の六色が使われていた。これに「紫」を加味すると七色の虹の配列となるから実にわかりやすく、不自然でなかったようだ。これは、低学年の方にもっとも目立つ色が用いられ、高学年になるに連れて目立たない色になっていく。色は、組織立ってことを推進するときには大いに役立つ。だが、何もかも「色分け」すると、現代社会では嫌われてしまうのかもしれない。習い事などのクラスによる分類は、時と場合を考えてこの「色分け」するのがいい。目立つ色は、注意を引く危なかっしい初級者を意味し、地味な色に変わることで上級者としての自覚が保たれるようだ。僧侶の着用する袈裟衣の色は、なぜか逆用する。頂点の色を目立つ立場にあるか?。

1998年5月20日(水)薄曇り後晴れ。

練り直し 何処を訊ねて 西東

「宝の山」

 諺に「宝の山に入りながら手を空くして帰る」という表現がある。「たから【宝】貴んで大切に秘蔵するもの」、万葉の歌人山上憶良は、「銀も金も玉も何せむにまされるたから子にしかめやも」<万葉集八〇三>と親にとって子どもが「たから」だと歌っている。仏教で「三宝」すなわち、「佛・法・僧」をいう。「宝の山」は、貴重な大切なものが複数集まっているところやそのものをいう。この「宝の山」に足を踏み入れても、その「宝」をどう掴むかが問われている。せっかくの機会を得てもこれをうまく運用しきれないのでは、「宝の持ち腐れ」となる。

古くは、『正法念経』の「汝得テ‖人身ヲ|ルハ、如リテ‖寶山ニ|シクシテルガ上」《なんじ、ニンジンをえて、みちをシュウせざるは、ホウザンにいりて、てをむなしくしてかえるがごとし》というのが原典である。『摩訶止観』にも、「徒生徒死無一可獲。如寶山手而歸。」[天台電子辞典CD1、P:45b]と同様の表現が見える。『智嚢全集』の「是寳山空回」も同じ表現である。

また、鎌倉時代の『平家物語』巻第十一、大臣殿被斬にも、「いかなれば弥陀如来〔みだによらい〕は、五劫が間思惟〔しゆい〕して、發〔おこし〕がたき願〔ぐわん〕を發〔おこし〕しましますに、いかなる我等なれば、億々万劫が間生死〔しやうじ〕に輪廻〔りんね〕して、寶の山に入り手を空うせん事、恨〔うらみ〕、愚〔をろか〕なるなかの口惜い事に候はずや。ゆめゆめ餘念をおぼしめすべからず」<大系下三七〇G>と引用されてもいる。

1998年5月19日(火)薄曇り夜半雨。苫小牧

脈々と 人のつながり 宝なり

「禅宗僧衣」の名

 禅僧の着る袈裟を「掛絡〔クハラ〕」と呼称する。「掛絡」は、絡子〔ラス〕をかけるところからこういう。俗に◎印のものを「クハラ」というようだが、実際、◎印のものを「鉤紐〔コウニウ〕」という。室町時代の古辞書『下学集』に、表出することばとして、以下の七種が収録され、この「掛絡」が含まれている。

 衫〔サン〕[絹布96-7]

 隔衣〔カクイ〕[絹布96-7]

 掛落〔クワラ〕落ハ或ハ作絡ニ也[絹布97-1]

 裙〔クン〕[絹布97-1]

 帽子〔モウス〕[絹布97-1]

 打眠衣〔タメンコロモ〕褻衣也[絹布97-1]

 平江絛〔ヒンガウタウ〕絛ハ或ハ作帯。平江府ヨリ出ス之ヲ故ニ云フ平江絛ト。以上ノ七種ハ禪家之ノ所ロノ用ル物也[絹布97-1]

 また、襟を立てた衣のことを「僧綱」というが、これは『下学集』にあっても別分類項目の態藝門に、「僧綱〔ソウコウ〕」[態藝84-7]と見え、意味は別異となっている。近代の国語辞書である大槻文彦『大言海』にも、「ソウか[ゴ]う【僧綱】僧官ノ、僧正、僧都、律師等ノ総称」と収載している語で『下学集』に同じということになる。この絹布門に属する七語と「僧綱〔ソウゴウ〕」の禅宗用語の名は、現代の国語辞書には未収載にある。ただ、「帽子」の語は、古語辞典には、「マウス【帽子】禅宗の僧がかぶる頭巾〔ズキン〕」(角川新版古語辞典)と収載しているものの、国語辞典では、ただ「ボウシ」と読むだけで「マウス」読みの注記はなく、収載する語となっているにすぎない。岩波『古語辞典』には、「くぁら【掛絡】@両肩から胸にかける、小さな略式の袈裟(けさ)。「緑衫(ろうさう)の御衣に―といふ袈裟かけさせ給へり」<増鏡一一>。<文明本節用集> A根付(ねつけ)。また、根付をつけた印籠、巾着など。「粒の緒締めに、ばいの―、琉球島の大巾着」<仮・是楽物語>」、「もうす【帽子】僧の用いる帽子(ぼうし)<下学集>」、「ためんころも【打眠衣】常に着る着物。「打眠衣、タメンコロモ、褻衣(けごろも)也」<下学集>」の三語が収載されている。

1998年5月18日(月)曇り一時雨。

誰遣らむ 亊茲に来て 助け合ひ

「鵜の目鷹の目」

 この諺を辞書で確認するに、見出し語「う【鵜】」の項目として収載する[新明解・新潮・角川必携]のと独立の見出し語として収載する[岩波・小学館の新選・明治書院の精選]といった二種類の編纂方法がとられている。使用する立場からすれば、ちょっと厄介な編纂記述であるといっていいものがある。意味は、(鵜が魚を、鷹が鳥を漁るときのように、)何かを捜そうとして、鋭い目であたりを見回すたとえ(新明解『国語辞典』第五版)をいうとある。太田全斎著『諺苑』には、「ウノ目鷹の中 ウノメ鷹ノ目ト計モ云」とある。

この「うのめたかのめ」一説に、元々は上品種の“硫黄”をいい、いずれも劣らないことを意味していた。“硫黄”に、「うのめ」「たかのめ」「ひぐち」の三種があり、最後の「ひぐち」とは、附け木などに用いる“硫黄”を呼ぶ。

 この一説という語源説を記載する資料としては、小学館『慣用ことわざ辞典』がある。この説を古くは、六誹園立路の随筆『ねざめの硯抄』が知られている。通常の国語辞典にはこの内容をまったく記述しないことを知っておきたい。

1998年5月17日(日)曇りのち雨夕方晴れ間がのぞく。

五月雨や 田圃にはねて 美しき

「鯖を読む」

 この「読み」は、算えること。「鯖」は鮮度が命という魚で、「青もの」である。のんびり算えていたのでは、市場から店先に並ぶまでに腐っていわゆる「鯖の生き腐れ」ということにもなってしまう。そこで「鯖を読む」ときには、正確さより素早さが追求され、「さばさば」でさっさと算えたのであろうか。本当のところその数を、どのように算えていたのだろうかと思いつつも、新明解『国語辞典』第五版を繙くと、

さばよみ【鯖読み】〔大量のサバを算える時、二尾を単位として、さっさと算えて行くうちに、自然 何尾か ごまかすようになった事から始まったという〕数をごまかして自分の利得とすること。

 数をごまかすのは、不当な利得が絡むのだからだという。数を算える仕事は結構あるものだ。数字を水増しして報告することで、得につながるかは別物のような氣がしないでもない。

 たとえば、郵便物を発送するときは実数より多い方を報告するのがよいのか?しかし、宛先不明ということで戻ってきた不配物の数量は、「鯖読み」して算えることはどうであろうか。

 年齢などを告げるのにも「鯖を読み」にて偽る。二十歳でないのに二十歳ですと年嵩にいったり、女性は逆に歳減らしていったりする。あまり「大さば」にいうとおかしみを覚えるものである。「鯖読み」はやはり、「鯖」に限るということか。テンポよく「さばさば」した所為は、見ていても小気味のいいものがある。時の数をはしょられ、ごまかされたという氣がしないマジックみたいなものを感じるのかもしれない。

 ところで、この「鯖読み」だが、鎌倉時代の古辞書『名語記』巻第八「サヨ」[八六オ]に、

問 布サヨミ如何 答帶 貲布ナトカケリ サハヨミ歟

 フタツツヽヨムヲハ鯖讀云事アリ ヒトヨミトハオサノ齒四十也 糸フタスチツヽ イルレ八十筋也 調シツレ同様ニテヨマレス サヨミナル時ヨマルレ サハヨミニヤト推セル也 又サハトハ明ナル義也 サハサハトモイヘリ シタイトメリ反歟

とあって、慣用句として古くから使われていることも触れておきたい。

1998年5月16日(土)晴れ。

隅隅を 探し求むは 古手紙

「歌語」清濁の読み方

 歌の口伝書ともいう連歌辞書を読んでいると、ふと読みの取決めがなされているかということに気がつく。伝統というのは、口伝にて伝授されるのが望ましい。このような歌語の特殊な読み方の口伝書を認めおくことは、口伝することの危ぶみがあったからにほかならない。だが、口伝書とはいえ、読みとその理由についてはすべて明記していない。ここが口伝たるところか。理由はあるのだが、ここは敢えて記載しないというのであろう。この理由をさぐるのはどのようなものであろう。江戸時代文政八年に刊行の岡西惟中『消閑雑記』にみる古今和歌集の仮名序の読みかたなどを示していて、語の清濁について少し抜粋して現代の国語辞典(新潮『国語辞典』)に比してみると以下のごとくにある。

1、「姫」の字「したてるひめ【下照姫】」は清音で読み、「そとほり【衣通姫】」は濁音で読む。「うぢのはし【宇治の橋姫】」とこれも濁音で読む。

 新潮『国語辞典』には「したてる姫」「そとほり姫」は未収載。「宇治の橋姫」は、「うじのはしひめ【宇治の橋姫】うぢ―@山城の国の宇治橋をまもる神。宇治に住む恋人をたとえていう。〔古今・恋四〕」と清音読みにして異なる。実際、689題知らずで「さ筵に衣片敷きこよひもや我を待つらむ宇治の橋姫」のところ、京都大学蔵『古今集抄』に、「橋姫なれそめて……」[京都大学国語国文資料叢書十九・二七七頁]の「橋姫」の右傍らに「ニコル」とあるのがそれである。

2、「皇」の語「すらぎ」と清音で読み、歌語にては「すらぎ」と濁音では読まない。

 新潮『国語辞典』には「すめらき【天皇】(「スメラギ」とも)天下を治める君。天皇(テンノウ)。すべらき。すめろき。〔六条修理大夫集〕として、「すべらき」をともに認めていて異なる。「すべらき」の項には「すべらき【皇】(「スベラギ」とも)「すめらき」に同じ。「今―の天の下しろしめすこと」〔古今・序〕」としていることからも、清濁両様の読みを肯定ということで異なる。これについては、「今すへらき」と書いてあっても「すめらぎ」と清音で読むことが反映されていないということなのか。

3、「鳥」の語「夕告鳥」は「ゆうつげどり」と濁音で読む。

 新潮『国語辞典』の「ゆうつけどり」の項に「【木綿付鳥】(古代、世が乱れた時に鶏に木綿(ユウ)を付けて都の四つの関所で祭ったということから)」と記し、次項「ゆうつげどり」で「ゆふつけどり(木綿付鳥)の「ゆふ」が「夕」、「付け」が「告げ」に転じ、夕べを告げる鳥と解されてできた語。」と注記してことば研究の一端が示唆されていることを高く評価したい。

4、「戸」の語「むらと【―戸】」は清音。

 新潮『国語辞典』には未収載。

5、「続」の語「続後撰集」「続拾遺集」は、「しょく―」と清音で読む。「ぞく」と濁音では読まない。

 新潮『国語辞典』には「ショク【続】」も固有名詞の書名も未収載。

6、「相撲」は、「ことりつかひ」と表記されていても、「ことりつがひ」と濁音で読む。

 新潮『国語辞典』には「ことりづかい【部領使】づかひA上代・中古、相撲節会(スマイノセチエ)に先立って、力士を召し出すために朝廷から諸国につかわした使者。「相撲部領使(―)〔万五・八六四・吉田宜謹状〕」〔年中行事歌合〕」とあり、濁音の拍に異なりがある。

7、「白髪」は、普通「しらが」と読むのだが、歌語では「しらかみ」と清音で読む。

 新潮『国語辞典』には「しらかみ【白髪】白い髪の毛。しらが。しろかみ。「我が黒髪のま―(白髪)になりなむ極み〔万三・四八一〕(別訓)」とあって合致している。

 ここでは一国語辞典による比較にすぎない。精緻な調査ではないまでも、現代の国語辞書乃至古語辞典に歌語ことばがどのように反映されてきているかといった検証は今後必要ではないかと思うのである。

1998年5月15日(金)晴れ。苫小牧海霧

五月晴れ 心地よげに 足運ぶ

「唐音」

「唐音〔トウイン〕」を知る歌二首。

  一は五に四は二に通ひ五は三に二三の時は本坐がへしぞ

  引くははねはぬるははぬる入声のあしをきりすて三字中略

とツボを歌にしたものである。

第一首の

「一は五」とは、「アイウエオ」の「ア」と「オ」で、「アン」は「オン」。

「四は二」とは、「カキクケコ」の「キ」と「ケ」で、「キン」は「ケン」。

「五は三」とは、「サシスセソ」の「ソ」と「ス」で、「ソン」は「スン」。

「二三の本坐」とは、「タチツテト」の「チン」は「チン」、「ツン」は「ツン」。

ということを示唆している。第二首の

「東〔トウ/ツン〕引ははぬる」

「珍〔チン/チン〕はぬるははぬる」

「格〔カク/コ〕入声の足きる」「達〔タツ/ト〕入声の足きる」

「玉〔ギヨク/ギク〕三字中略」「略〔リヤク/リク〕三字中略」

を示唆している。「唐音」の基本型とでもいうものか。

1998年5月14日(木)晴れ。

川面見て 風に泳ぐや 鯉のぼり

「しゃっちょこばる」

 芸能界でいま話題にあるタレント吉川ひなのさん(18)が、奥田瑛二さん(48)演出のファッションショーにモデルとして特別出演し、そのなかでのコメントに「しゃっちょこばる」ということば表現が口を衝いてでていたのを耳にした。

「しゃちほこばる」ということばが原語である。これを口頭語的表現にすると「しゃちこばる」という。これがもっとも原語に近づいた形で用いられる場合には、「しゃっちょこばる」ということになる。このことを新明解『国語辞典』第五版は次のように記している。

しゃちほこばる【鯱張・る】(自五)〔鯱のように いかめしく構える意〕ほかの人を寄せつけまい、自分の権威を侵されまい、絶対失敗しまいなどと緊張して堅くなる。しゃちばる。〔口頭語では、「しゃっちょこばる」〕

と記載する。この前掲出語に「しゃちこばる」を記すのである。

しゃちこば・る(自五)「しゃちほこばる」の意の口頭語表現。

 この口頭語「しゃっちょこばる」だが、人前で喋るなかでもくだけた言い方ということであるのだが、見て聞いている側にしてみれば少しも「しゃちほこばっ」ているような状態を見せないのだから、奇妙で不思議な言回しのことば表現なのである。むしろ、あの巨人軍開幕戦の始球式の方が「しゃちこばっ」てボールを投げていたような氣がして成らない。

1998年5月13日(水)曇り一時雨。

さくら花 雨にもやいで 薄化粧

「桜桃」

 「桜桃」を「さくらもも」とは読まない。「ゆすら」と義訓する。新明解『国語辞典』第五版には、

ゆすら〔←ゆすらうめ〕春、梅に似た、白い小さな花をつける中国原産の落葉低木。丸く赤い実は食べられる。〔バラ科〕[表記]普通、「{梅桃}・{山桜桃}」と書く。「{英桃}」(漢語表記)とも書く。

と収載する(角川『必携国語辞典』には未収載)。唐話(近世中国語)語彙に義訓を添えた名物字書である谷口松軒著『魁本大字類苑』(明治21年)に、「○英桃〔ユスラモヽ〕、櫻珠○雀梅〔ユスラウメ〕、櫻桃、朱英」[巻之四54G]とあり、「ゆすらもも」と「ゆすらうめ」の二種に分類し、それぞれの漢語表記語を記している。『文選詩』の「山櫻發浴燃」とあるのも「やまざくら」のことではなく、「桜桃」のことを云うのであろうか。字面だけに中国にも「やまざくら」が咲いているのかなと思ってはならないのである。「桜棠」と書くのも「ゆすら」と読む。この「ゆすら」という命名は、いつ頃から認識されているのかといえば、江戸時代初期かと推定し、中国から本邦に輸入された樹花種かと考えられている。

 本邦古辞書の古くは、若耶三胤子『合類節用集』(1680年刊)に、「櫻桃〔ユスラ/ユイタウ〕」[巻四78D]とある。さらに、槙島昭武『書言字考節用集』(1717年刊)に、「繋梅〔ユスラ〕詳。櫻桃〔同〕俗用ルハ‖此字ヲ|矣。出仁」[六・生植上55F]と記載され、この「櫻桃」の表記については別に「櫻桃〔ニハザクラ/ハヽカ〕時珍云木不初開白花ヲ|繁英スルコト雪。含桃〔同〕鶯桃。荊桃。並仝見[本草][活法]。玉帶花〔同〕」[六・生植上8C]と記載されており、李時珍の『本草綱目』を踏まえ、「にはざくら」のこととしている。

この「櫻桃」が「にはざくら」ということは、十巻本『倭名抄』十「朱桜、本草云桜桃一名朱桜<波々加一云邇波佐久良>」とあって用例は古い。これを『大和本草』には、「山桜桃〔ニハザクラ〕花も実もゆすらに似て小なり。尖あり」と「ゆすら」とは別語であることを示唆している。『爾雅』釋木第十四に「〓〔木+契〕荊桃<今櫻桃>」とあり、明の凌稚隆『五車韻瑞』の「櫻 ―桃。果ノ名。又名ク含桃ト|。名ク朱桃ト|。名ク崖蜜ト|。名ク麥英ト|。」は、「にはざくら」と見る語となる。寺島良安の『和漢三才図会』山果類には、「ゆすらむめ【櫻桃】」と「にはさくら【山嬰桃】」を別種として記載するものである。

 またことばの実際としては、柳沢淇園『近世随想集・ひとりね下』(1724年)に、「ゆすら<桜桃のたぐひ>をば、あまりに小兒などに、食はする事をいむ。中華にても血を吐し人有」[一二八大系192N]と記載されている。

 「ゆすら」の語源を大言海は、「花が挙ってゆれるところから、ユスラはユスルヽ(動)の義か」としている。他に朝鮮語の方言説<東雅>、ほかの木に比して枝葉が多く繁り、微風にも動揺しやすいところから<古今要覧稿>、ユリスル(動摺)の約ユスリで、花が多くつく意<名言通>などが『日本国語大辞典』に記載され、知られている。

 キネマの題名に「桜桃の味」というのがあるが、これは音読みで「オウトウ」と読むのだろう。いまや、「サクランボ」といった方が通りがいいのかもしれない。「支那実桜〔しなみざくら〕」ともいうようだ。

1998年5月12日(火)晴れ。苫小牧

函列車 ゴトンどうぞと 挨拶す

意味まわし「セルロイド」

 角川『必携国語辞典』で「マンドリン」を引く。意味説明は、「洋梨ようなし形の胴どうに、二本ずつの弦げんを四組み、計八本張った弦楽器。セルロイドなどのつめではじいて演奏する。Mandolin」(実際、多くは鼈甲を使用。新明解には「鼈甲〔べつこう〕」の爪を記す)とある。そこで、次に「セルロイド」を引く。すると、「ニトロセルロースとシャウノウでつくる、燃えやすいプラスチック。筆箱やおもちゃなどの材料だったが、最近は使われない。▽もと、商標名。Celluloid」とある(新明解は、「硝酸繊維素に樟脳(ショウノウ)を交ぜ、圧縮して作った物質。燃えやすい。フィルム・おもちゃ・眼鏡枠用。と記す」)。続いて「ニトロセルロース」を引く。「セルロースと濃硫酸のうりゅうさんなどからつくる物質。火薬をフィルムなどの原料となる。Nitorocellulose」(新明解は「濃い硫酸・硝酸を交ぜた液でセルローズを処理したもの。無煙火薬やダイナマイトにも使う」)とある。「セルロイド」の次ぎに排列されている「セルロース」を引くことになる。「繊維せんい。植物の繊維の主成分。紙や糸などの材料にする。セルローズ。Cellulose」(新明解は、「繊維素。セルローズ」)と表示される。「繊維素」を引く。「植物繊維のおもな成分。白色無定形の炭水化物。セルロース」とある意味まわしが展開する。

 これを見て、意味をしっかりチェックしながら、ことばの使用を考えてみるのもよかろう。「セルロイド」は、今や使用が少ないせいか、「セルロイド」の響きは昔の玩具や文具を思い出さないではない。

1998年5月11日(月)皐月晴れ。

チューリップ 色鮮やかに 笑い声

「器用」

 「器用」の反対「不器用」という。NHK朝の連続テレビ小説「天うらら」に大工職に夢馳せている女の子川島うららが、大工職人の見習いとして日々努力する姿が描かれている。このうららさん、実はかなりの不器用なのである。不器用さ故に真剣に悩む。向き不向きを深く考えてしまう。しかし、周囲の目は実にやさしいのだ。「イヤなら止めちまえ!」という。「好きだからこの道に入ったのじゃないか」「不器用な奴は全くダメか大器晩成のどっちかだ」と親方はいう。いまの教育課程には考えられないゆったりとした時を待つ人材育成の世界が広がっている。

新明解『国語辞典』第五版を繙くと、

きよう【器用】―な―に@(手先がよく働いて)細かい仕事が上手なこと(様子)。「手先の―な人」A抜けめなく立ちまわること(様子)。「―に世渡りする」

と二通りの意味を持っている。@の意味には、「器用貧乏」ということばが付きまとう。一つのことに集中できない、また、他から重宝がられ、雑多な用にばかり使われることで大成ができないからだ。「器用さが災いする」というのは、こういうことを云う。本職にあるのと素人が器用にこなすのとでは、求める域が自ずと異なり、時の流れのなかでしかその境地を見極められないのも事実である。Aの意味は、「要領がいい」に通じる。本来、「要領」は、無駄が少なく、手際よいことだが、一見このように見えるが、実際の作業では、手を抜くことの上手な人を云うようにである。

 ところが、この「器用」は、近年まで本来悪い意味ではなかった。岩波『古語辞典』では、

きよう【器用】@器が用いられて役に立つこと。転じて、学問・才知にすぐれていること。賢いこと。「学問世に越えて器用なり」<『義経記』三>。「あの業人(ごふにん)の畜生の人でなしの腹から、このやうな器用な子を何として産み出した」<近松・『鑓権三』下>A手先のわざに巧みなこと。「筆の器用に見ゆる文面」<俳・『花月千句』下>Bいさぎよいこと。「もつとも器用な白状」<近松・『淀鯉』下>C容貌。器量。「器用・骨柄、尋常なる人かなと感じけり<伽・『猿源氏草紙』>」

と用いられてきたのである。これがなぜかここにきて急速に意味のイメージ低下が進んでいることを感じる。そして、ことばの現実性を明確にしておく必要を覚えることばの一つとなっているのである。

1998年5月10日(日)晴れ。

青空に 楊の緑木 風走る

「足を運ぶ」

 慣用連句表現「足を運ぶ」に対する応答は、「御足労をかけます」という。いずれも「足〔あし〕」で表現する。「足」は、身体部位名称の一つではあるが、人がある地点から別の地点に移動する際の重要な意味を担っていることが知れよう。今の社会は、車や鉄道列車、飛行機などといった乗り物交通の発達により、実際の「足」だけで目的地に移動することが皆無に等しい世の中にある。なのに言葉そのものは原始の姿勢を保ちつづけていることを知る。便利な乗り物という「足」を手にした人の「足」そのものが進化しているのではない。むしろ、身体の一部である本物の「足」(足底筋など)はますます退化しつつあるようだ。

 現在、どこどこまで「足を運ぶ」というに、文明の利器による「足」を想定し、「車ですか」と聞き返すのが常識にもなっている。「自らの足で行きます」というと、人はびっくりもする。そのぐらい、「足」での遠距離移動の体験が失われていて徒歩での所用時間感覚を持っていないのだ。せいぜい4,5kmの移動すらないのである。小学校の「遠足」ですら、目的地への往復は乗り物が主流の「バス遠足」に変貌しつつある昨今である。

 「(自らの)足で運ぶ」行動とても、より安全度と品質ある靴によって保護されている。「裸足〔はだし〕」の文化は、しだいに遠のきを覚えないではない。

 「足運び」というと、伝統芸能などにおける所動作を意味する。そして「裸足」の文化でいえば、大相撲夏場所が初日を迎えた。取組みの解説中、「足」言葉に注意して観戦していると、「足が流れる」「足を痛める」「足の配り方」などの本物の「足」のことば表現が使われていた。

1998年5月9日(土)晴れ後曇り。

春の川 三人三様 待ったなし

「チョウセンアサガオ」

 本日の朝日新聞朝刊社会面に、このような記事があった。「横浜市の園芸店が、食用ハーブとして誤って有毒のチョウセンアサガオのケースを売り、これを食べた市内の夫婦二人が、ろれつが回らなくなるなどの中毒症状を起こしていたことが八日、店から市への届け出で分かった。チョウセンアサガオはたくさん食べると死亡することがある。店はこの夫婦のほかに、十三ケースを売ったという。市衛生局などによると、チョウセンアサガオの苗を売ったのは都築区牛久保一丁目、園芸店ワールドフラワー。一日から三日にかけて、二十四個の黒いビニールポットに植えた苗を、ケースに入れて売った。三日間で十四ケースが売れたという。この店では、商品にラベルなどの表示をしていないため、植物の種類は店員が口頭で説明している。店の話だと、チョウセンアサガオのケースのそばに食用ハーブの苗が置いてあったことから、店員が間違って「食用ハーブ」と説明した。ハーブの具体的な名前などは言わなかったらしい。中毒症状を起こした夫婦は、四日午前八時半ごろ、葉をごまあえにして食べた。二、三十分後に、のどの渇きやろれつが回らない、脱力感などの症状が出たため、病院で治療を受けた。七日午後には回復したという。連絡を受けた店が五日に苗を回収し、チョウセンアサガオであることを確認した。チョウセンアサガオは東南アジア原産のナス科の植物葉、根、種子など全体が有毒で、食べるとおう吐やけいれん、呼吸まひなどを起こす。大量に食べると、脱力、けいれん、こん睡などを起こして死ぬこともある。江戸時代に華岡青洲が日本で初めて乳がんの手術をした時に、麻酔に使ったことが知られる。一九八三年から九二年まで、全国で二十二人の食中毒患者が出たが、死亡者はいない。」というのが記事の全文である。

 「有毒」ということば表現は、実に厄介である。かたや、「薬用」ともいう。「毒は薬にもなる」わけだ。正しい薬学の知識がないと、使用はむつかしい。この記事内容は、平凡社の『世界大百科大事典』の「チョウセンアサガオ」の項説明に拠ったもののようだ。朱文字の部分は、別の資料に基づくもののようである。『エンカルタ98』では、「熱帯アジアの原産で、江戸時代に輸入され、薬用に栽培された」。利用のところには、「チョウセンアサガオの仲間は葉と種子にアルカロイドをふくみ、麻酔薬、鎮痛薬、鎮咳薬などにつかわれる。また、葉、花、根、種子などをまちがえて食べたり、汁が皮膚や目につくと、はげしい中毒症状や炎症をおこす有毒植物でもある。」と記されている。華岡青洲の麻酔薬「通仙散」は、一八〇四年のことである。別名「マンダラゲ(曼陀羅華)」という。近年、鑑賞用として「キダチチョウセンアサガオ」「アメリカチョウセンアサガオ」が日本で栽培されているとのことだ。この苗は原種の「チョウセンアサガオ」だったのかなと思ったりもする。

 「曼陀羅華」といえば、『今昔物語集』一・十三の「天ヨリ曼陀羅華・摩訶曼陀羅華等ノ四種ノ花雨リ」とあるが、果して同一種なものなのかは知れない。江戸時代の古辞書『書言字考節用集』にも「曼陀羅花〔マンダラケ〕風茄兒。山茄子。並仝、○俗朝鮮朝顔」[六40G]と収載されている。

1998年5月8日(金)雨。

降る雨に 冷たき指や ストーヴ焚く

「ざんげ」

10日発売の月刊雑誌「文藝春秋」に、梶山静六前官房長官が「日本興国論」と題した手記を寄稿している。「金融は住専を処理すればもう心配ない、という大蔵省の説明を鵜呑みにした私たち政治家が、責任を逃れる術はない」と経済危機に対する政府・自民党の対応の鈍さを、自らの「懺悔〔ざんげ〕」を含めて振り返っているのだそうだ。(本日分「朝日新聞」朝刊に掲載)

新明解『国語辞典』第五版に、

ざんげ【懺悔】―する過去の罪過(神仏の前で)悔い改めること。〔キリスト教では、神父・牧師に対して告白する意に用いられる〕さんげ。

とあることばである。「神仏の前で」とはいかないまでも過去の罪過を悔い改める行為をこの寄稿文にして、国民に訴えているのであろうか。

人は神ではないのだから、一度や二度の過ちを犯す。悔い改める心のある人は、「懺悔する」ことで、明日への希望を手にすることができるのであろう。私たちは、「ざんげ」という響きのこのことばを最初に耳にした時、何をどう償うのかを知った。人の上に立ってリーダシップをとるものにとっては、熟考のある決断力とものを見極める判断力とを持ち合わせねばなるまい。人情あふれる社会にあって物事を鵜呑みにする気持ちは誰にもあるところだが、グッと踏み留めてこそ人を導く者としての評価がなされるものなのだから。

「観音懺法〔センボウ〕」といって、世阿弥時代に観音を本尊として罪を懺悔する法会が行われている。実際、この時代の謡曲『通小町』に、「扨は小野小町四位の少将にてましますかや、懺悔に罪を滅ぼし給へ」[新体系一五八B]や謡曲『鵜飼』に、「言語道断の事にて候、さらば罪障懺悔に、業力の鵜を使ふて御見せ候へ、跡をば懇にとぶらひ申候べし」[新体系二四七B]と語用例が見える。

1998年5月7日(木)晴れ。

合掌し 拝み祈るや 野の佛

「せったい」

 新明解『国語辞典』第五版に、

せったい【接待】―する客に(会って話の相手をし)茶菓を供すること。「―係ガカリ

とある。「接待」行為について歴史的にみると、民間信仰性の異郷人歓待と仏教信仰性の二通りの形態がある。仏教で云う「接待」は、基本修行における「布施の思想」に基づくものであり、最初は「布施屋」という僧侶が今で云う慈善事業として、旅人のために小屋を設け湯水を供したものである。平安朝以後、旅人の宿泊施設「布施屋」は、慈善事業から有料の営利事業へと変貌する。だが、原形の宗教的「接待」は続いている。その「接待」は、「茶接待」「湯接待」「山伏接待」と云われ、僧侶が行うのとは逆に般衆が僧侶や参詣人・巡礼・山伏などといった仏と関わりのある人々に対し行い、これによって功徳に預かるものとなる。「接待」という札が軒先に出ていることで、仏に帰依する旅人はそこに立ち寄り布施を受けるならわしが生まれている。そのように「接待する」ことによって救済活動となっていったのである。これが民間信仰の接待への歩みだったのかもしれない。

 室町時代の御伽草子『せったい』(別名『千手女』)には、“物語接待宿”という物語をすることで宿泊無料となる宿が登場する。主人公千手、伏見の中将は仏に帰依する旅人ではないが、この「接待宿」に泊まり、再び二人は巡り会う。ここでの接待は仏の功徳というより“巡り会い”という現実性が先行するようになっている。また、謡曲『摂待』には、シテの母尼公自らが行っている「山伏接待」を「この摂待と申すに、現世の祈りのためにあらず、後生善所とも思はず」、我が子を戦さで失った悲しみを慰めるためだと供述する。「接待」の対象を山伏においているが、仏の功徳に預かり風の便りに聞いている亡き子どもへの供養が見え隠れしている。

 この「接待」の行為が「湯茶接待」から「酒宴接待」に変わっていくと、これがより現世的・実利的なものになってしまったということはもう云うまでもなかろう。新明解の云う「茶菓を供する」といった清い「接待」は、今も失われていないはずである。

1998年5月6日(水)晴れ。

せせらぎに ポッカリ和らな 水芭蕉

「代用字」

 新明解『国語辞典』第五版に、「代用字」という項がある。この「代用字」というのは、「常用漢字表に無い音・訓を含む言葉を、同音の常用漢字で書きかえることにした文字の通称。「輿論ヨロン」を「世論」とするなど。代用漢字。」のことをいう。

 NHKニュースのテロップでも「失敗した銀行は落後する」と表示する。これも「落伍」の代用字が「落後」ということになる。

他に「浅洲〔あさス〕」を「浅州」。「暗中摸索〔アンチュウモサク〕」を「暗中模索」。「慰藉〔イシャ〕」を「慰謝」。「敬虔〔ケイケン〕」を「敬謙」。「激昂〔ゲッコウ〕」を「激高」。「訣別〔ケツベツ〕」を「決別」。「軒昂〔ケンコウ〕」を「軒高」。「古稀〔コキ〕」を「古希」。「雇傭〔コヨウ〕」を「雇用」。「混淆〔コンコウ〕」を「混交」。「鑿岩〔サクガン〕」を「削岩」。「砂洲〔サス〕」を「砂州」。「雑沓〔サットウ〕」を「雑踏」。「三叉〔サンサ〕」を「三差」。「惨憺〔サンタン〕」を「惨胆」。「遵守〔ジュンシュ〕」を「順守」。「遵法〔ジュンポウ〕」を「順法」。「銷夏〔ショウカ〕」を「消夏」。「常傭〔ジョウヨウ〕」を「常用」。「蒸溜〔ジョウリュウ〕」を「蒸留」。「新撰〔シンセン〕」を「新選」。「滲炭〔シンタン〕」を「浸炭」。「滲透〔シントウ〕」を「浸透」。「心搏〔シンパク〕」を「心拍」。「洲〔ス〕」を「州」。「絶讃〔ゼッサン〕」を「絶賛」。「尖鋭〔センエイ〕」を「先鋭」。「銓衡〔センコウ〕」を「選考」。「戦々兢々〔センセンキョウキョウ〕」を「戦々恐々」。「尖端〔センタン〕」を「先端」。「尖兵〔センペイ〕」を「先兵」。「前聯〔ゼンレン〕」を「前連」。「鼠蹊部〔ソケイブ〕」を「鼠径部」。「沮喪〔ソソウ〕」を「阻喪」。「頽勢〔タイセイ〕」を「退勢」。「頽廃〔タイハイ〕」を「退廃」。「沈澱〔チンデン〕」を「沈殿」。「鄭重〔テイチョウ〕」を「丁重」。「碇泊〔テイハク〕」を「停泊」。「摘芯〔テキシン〕」を「摘心」。「当籤〔トウセン〕」を「当選」(選挙の意とまぎらわしいので使わない方がいい)。「廃墟〔ハイキョ〕」を「廃虚」。「癈兵〔ハイヘイ〕」を「廃兵」。「白堊〔ハクア〕」を「白亜」。「搏数〔ハクスウ〕」を「拍数」。「搏動〔ハクドウ〕」を「拍動」。「醗酵〔ハッコウ〕」を「発酵」。「斑点〔ハンテン〕」を「班点」。「反撥〔ハンパツ〕」を「反発」。「裨益〔ヒエキ〕」を「被益」(誤解を与えやすい)。「披針形〔ヒシンケイ〕」を「皮針形」。「飄遊〔ヒョウユウ〕」を「漂遊」。「敷衍〔フエン〕」を「敷延」。「腐爛〔フラン〕」を「腐乱」。「分溜〔ブンリュウ〕」を「分留」。「冪〔ベキ〕」を「巾」。「防禦〔ボウギョ〕」を「防御」。「捧持〔ホウジ〕」を「奉持」。「繃帯〔ホウタイ〕」を「包帯」。「厖大〔ボウダイ〕」を「膨大」。「庖丁〔ホウチョウ〕」を「包丁」。「輔弼〔ホヒツ〕」を「補弼」。「痲酔〔マスイ〕」を「麻酔」。「脈搏〔ミャクハク〕」を「脈拍」。「明媚〔メイビ〕」を「明美」。「妄想〔モウソウ〕」を「盲想」(誤れるー)。「摸〔モ〕する」を「模する」。「熔解〔ヨウカイ〕」を「溶解」。「熔岩〔ヨウガン〕」を「溶岩」。「熔鉱炉〔ヨウコウロ〕」を「溶鉱炉」。「熔接〔ヨウセツ〕」を「溶接」。「熔銑〔ヨウセン〕」を「溶銑」。「熔融〔ヨウユウ〕」を「溶融」。「熔炉〔ヨウロ〕」を「溶炉」。「諒〔リョウ〕」を「了」。「両棲〔リョウセイ〕」を「両生」。「煉炭〔レンタン〕」を「練炭」。「彎入〔ワンニュウ〕」を「湾入」などが拾える。

1998年5月5日(火)晴れ。<子供の日>

息を吐き ぶらり立ち寄り 山の杜

「鳥居」

 「鳥居〔とりゐ〕」は、神社の入口に設置されている。大きさや材質が木であったり、石であったりして異なるが、この形と色はどれも同じであると私は思っていた。

 ところが、新明解『国語辞典』(第五版)で「とりい」の項を読むと、

「神社の入口に立てる門。[神社マーク]の形をしている。」とここまでは、何ら変わりない。次に「貫(ヌキ)〔=下の方の横木〕が柱を貫くものと貫かないものとが有る。」[かぞえ方]一基とあって、下方の横木に異なりがあることが指摘されている。この点にいままで氣がつかないでいた。この相違についてどういう意味があるのかまだ私自身定かではない。

 「とりゐ」は本邦にあって最も古い構築物のひとつである。古辞書では、十巻本『倭名類聚抄』−三に、「〓〔奚+隹〕栖 考声切韻云椙<毛報反>今之門鶏栖也。弁色立成云鶏栖<鳥居也。楊氏説同>」とあり、さらに室町時代の古辞書『下学集』に、「鳥居【トリイ】唐ニハ云フ花表ト」[神祇36-5]とある。『倭名抄』の鶏の棲む意は、『詩経』の「鶏棲于桀」に因む表現であり、『下学集』を頂点とする室町時代の古辞書『節用集』類は、「華表〔カヒョウ〕」を意識し、中国の「華表」を類型とみなす語源解釈のようだ。

 実際、原型的な「黒木鳥居」であり、「鹿島鳥居」は横木が貫く鳥居であり、「八幡鳥居」には額が付随する。「明神鳥居」は、台石をつけ、反増〔そりまし〕が特徴でもある中世日本の建築物である。これが一番多いようだ。「厳島鳥居」は神仏融合建築物の色彩を求めたもののようである。

 新明解は、この後に、「【―を越す】〔狐キツネが鍵カギをくわえて何度も鳥居をくぐると、そのうちに稲荷イナリ大明神になれるという俗信から〕経験を積み、年功を重ねる意にも、老獪(ロウカイ)になる意にも用いられる。鳥居の数が重なる。」と俗信をも収載している。神社の鳥居をふと眺めてみると同じようでいて僅かながらその違いに気づく。次に辞書を繙くのだ。辞書編纂の第一義は、やはり現実との突合わせが何より大事であることを新明解は物語っている。

1998年5月4日(月)晴れ。

囀りは ホーウホケキョと 鶯ぞ

「広辞苑」収載内容の波紋

 月刊雑誌『正論』(産経新聞社刊)5月号に、新井佐和子さんの“『広辞苑』が載せた「朝鮮人強制連行」のウソ”という記事が目に留まった。新井さんの指摘内容は、第四版におけることばの記載内容の追加変更である。見出し語「強制連行」のところにではなく、そのものズバリ、「朝鮮人強制連行」なのである。史実にそぐわない内容の事柄をあたかも位置づけてしまう怖さがそこには潜んでいる。引用するまでもなかろう。日本人として国の歴史を正しく理解する立場にあるのであれば、この記載は何を意味するのであろうか。『広辞苑』は、日本国民のことばの手引書を超越して、世界の『広辞苑』をめざしているのか?それとも、編集主幹の意志薄弱さとでもいうか教養思想の欠落なのか?事実はこれを記載して日本国民に晒しつづけている。

 新井さんはさらに、追求する。新旧『広辞苑』の変更状況の把握として、隣国「朝鮮」に関連したことばについてである。掲載語の総数は、三十六語で同じだが、旧版『広辞苑』に収載されていた「朝鮮貴族」「朝鮮事変」「朝鮮人」「朝鮮征伐」「朝鮮焼」の語が削除され、代わって新版『広辞苑』には、「朝鮮使節」「朝鮮人虐殺事件」「朝鮮人強制連行」「朝鮮出兵」「朝鮮通信史」の語が記載されている。ここで、気がつくのは近代の歴史的記述内容のことばが意識的に変更されていることについてである。「南京事件」は、「南京大虐殺事件」(内容は省略。事実についてはご自分で確認してみてください。)。「三光」「三光政策」(「作戦」なら局地的な戦闘行動だが、「政策」となれば、国がそのような苛烈、非道な方針を選択したことになり、より強烈な印象を与える)。いずれも日常的でない近代の歴史内容のことがらが恰もこれが日本人の歴史だといわんばかりにどでんと収まってしまっている。日本人の歴史文化は破壊活動そのものであると言わんばかりではないか。まるで日本という国を嫌いになりなさいといった反日活動の伝導書たらんとしているようにも映る。辞書に歴史内容は不必要とは言わない。でも国民的辞書の代名詞をもつこの『広辞苑』がなぜこうまで国民のことばの素養修得に偏りを示さねばならないのか?新井さんだけではない。国語辞書を活用しているものにとって、日本人の日本人による日本人のための辞書たらんと願うのであれば、是非『広辞苑』の早期再考を望むものである。

1998年5月3日(日)曇り後晴れ。<憲法記念日>

雨上がり ゆっくり青空 息づかひ

「宛字」による意識変換

 「豆腐」は、豆が腐ると書く。「腐〔くさ〕る」より「富む」と宛てることで豆は栄養豊富であるのイメージをと売り買いする市場では、「豆富」の字を実際使っている。この民衆における実用宛文字の活動が今後どういう波及効果をもたらすのかは誰も予想できない。これと同様、「公務員」を職業とする方々の意識には、組織ぐるみで何か活動しようにも母体が重すぎるのか、方向転換一つするにしてもままならない気持ちが見え隠れしてか、身軽になってスリムな活動をというイメージから「好夢員」と自称する。

 いずれも、本来ある文字使いを換えることで、問題意識の転換をはかろうとする人のことば文字に対する思い入れが看取できるのである。身の回りのことば文字の使い方に注目していくことで、私たちの歩む未来社会への道筋がみえてくるのではなかろうか。まだまだ、この種の宛字表現はあると思う。お氣づきであれば、どうぞ「ことばの掲示板“壁新聞(「ことばの情報」他)」にお書きください。

1998年5月2日(土)雨

春雨に 潤ふ心 みづみづし

「夫婦」

 「夫婦」と書いて漢字音でいうと「フウフ」だが、和語読みすれば「めおと」という。「夫婦茶碗」をいう場合、「フウフチャワン」とは言わずに、「めおとヂャワン」というし、関西には「夫婦善哉〔めおとゼンザイ〕」ということばが親しまれてきた。演歌の題目には「夫婦道〔めおとみち〕」というのもあり、「めおと」と「フウフ」は、結婚した男女を総称することばである。

 さらに、聞きなれない言回しに「おひとめ」ということばもある。古くは「妹背〔いもせ〕」とも表現された。漢語も「配偶〔ハイグウ〕」「伉配〔コウハイ〕」「伉麗〔コウレイ〕」「匹偶〔ヒツグウ〕」と表現されるが所得申請など書類文書に使われる「配偶」以外はほとんどお目にかからない。また、俗に「連れ合い」と表現する。

 この和語「めおと」には、雅やかな風情がかもし出され、逆に「フウフ」という音には「鴛鴦夫婦」、「仮面夫婦」、「熟年夫婦」などとやや社会性を帯びてか、冷ややかな眼差しが感じられないでもない。

 たとえば、映画“ファースト・ワイフ・クラブ”の解説に「幼なじみ3人が友人のお葬式で再会。話に花が咲くうち、お互い何不自由なく年を重ねてきたように見える3人が、偶然、夫婦の危機を迎えていたことが発覚。浮気をした夫たちに強烈なしっぺ返しをたくらむ。」とマイナス面に働く表現の「夫婦」は、「フウフ」と読み、決して「めおと」とは読まないのである。

 また、「フウフ」にも「夫婦で楽しむ○○」といったプラス指向のことばもないではない。

 室町時代の古辞書『下学集』(元和版)に、「夫婦」の語は「庚申」と「偕老洞穴」の二例(異なり語数、延べ語数では三例)の注文に見える。

  庚申【コウシン】此夜、盗賊〔トウゾク〕行〔ヲコナフ〕ニ事ヲ有リ利。故ニ諸人不シテ眠〔ネフラ〕而守ル夜ヲ也。或ル説ニ云ク、此ノ夜夫婦行フ婬〔イン〕ヲ則其ノ所姙〔ハラム〕ノ之子、必ス作ス盗ミヲ。故ニ夫婦愼〔ツツシム〕夜也。思之[時節33-3]

  偕老同穴【カイラウドウケツ】毛詩ニ夫婦堅約〔ケンヤク〕ノ義也[態藝83-1]

いずれも、「フウフ」と漢字音で読むと判断してよいかは、疑問である。そこで、文明本『節用集』を見るに、

  婦夫フウフ/ミトノマクバヱ・メヲツト】[人倫門六二〇B]

  夫婦フウフ〕ハ人倫〔ジンリン〕ノ之始〔ハジメ〕王教〔ワウカウ〕ノ之端〔ハシ〕ナリ。後漢書[態藝門六四三A]

とあり、通常は漢字音の「フウフ」が用いられ、和語の読みがこれに追随する。

 ただ、現在における「めおと」と読むことばは少ない。「夫婦雛〔めおとびな〕」「夫婦星〔めおとぼし〕」などといずれもホンワカとした温もりムードが漂ってくることばであるのだが……。

1998年5月1日(金)晴れ時々曇り

花咲きは 聲ひびかせ 子らの道

「公平」と「平等」

「公平」と「平等」とどう違うのか?この類語表現を国語辞典で繙く。

新明解『国語辞典』(第五版)に、

こうへい【公平】〔問題になっているものを〕自分の好みや情実などで特別扱いする事が無く、すべて同じように扱うこと(様子)。「社会的―を期する/―な見方/―(さ)を欠く」―さ

びょうどう【平等】〔「平」も「等」と同じく、ひとしい意〕その社会を構成する、すべての人を差別無く待遇すること。「―を欠く/―に扱う/悪―」―さ

とある。ここでは、「公平を期する」「平等に扱う」とおのおの意図するところは「同じ同じ」ということを理解できよう。この二つのことばの使い方はどこがどう違うのか?さして辞書は、類語使用の本来の目的については何も説明をしていないのが現状のようである。それぞれのところには、類語すら記載していない。

仮に「平等を期する」とか「公平に扱う」とか逆に用いたらどうなるのだろう。「平等」はちょっぴりおかしい表現かなでも「公平」はこれでもいいかななどと思えてくる。また、両語とも漢語表現で「平等」は“宇治平等院”なんて固有名詞に見えるから古くから用いられたことばで「公平」の方は新しいことばかなと思ったりもするのではないか。実際、室町時代の『日葡辞書』(邦訳本)を繙くと、

Biodo.ビャウドウ(平等) Tairacani fitoxi.(平らかに等し)平らかな物がでこぼこがなく揃っていること。また、比喩。平等、公平

Biodona. ビャウドウナ(平等な) 均等な(もの)。または、平らかな(もの)。また、公平・同等な(もの)。

Biodoni. ビャウドウニ(平等に) 例、Biodoni mono-uo vosamuru.(平等に物を治むる)均等、公平に治める。Biodoni monouo cubaru.(平等に物を配る)物を均等に分配する。

と「平等」のことばが見えている。が「公平」の語はここには見えていない。さらに、時代が降って明治時代のj.c.ヘボン編『和英語林集成』を繙くに、

Byo-do.ビヤウトウ 平等(tairaka-ni hitoshi)Even and equal;just and equal:― ni suru, to make equal; ― no kenri,equal rights.[50r]

Kohei.コウヘイ 公平 n. justice;equity,Impartiality: ― na,just,equitable.[319l]

と「平等」そして「公平」の両語が収載されている。法制史の面からも時代劇で言うところの奉行所の御白州で「公平なお裁きを」という表現をふと思い出し、江戸時代に「公平」はことばの地位を確立したのかと思っている。

 ともあれ、私自身、新明解の「公平」の意味内容にいう「すべて同じように扱うこと(様子)」というところは疑問である。というのは、「ご飯を数杯おかわりできる若者にはそれに見合う分をまた、老いて一杯で満足できる人にはその分をと、人にあって人にあった待遇・処遇をすること」、これが「公平」であり、逆に「老若男女どんな人にでも(ご飯一杯は一杯)とまったく同じ待遇・処遇をすること」が「平等」ということばではあるまいかと考えるからである。ここで留意すべきは「公平」は決してする側の酌量で計ってはならない、受ける側の酌量を知るところから始まる。これに対し、「平等」は受ける人数に対し、する側が標準量を算定し、これを配分するといった合理的な方法なのであると私はこの二つのことばをこう考えてみた。この私のことばのもつ意図(考え方)をもってすれば、まず最初は「平等」にことを運び、次に「公平」に人のもつ個々の性質をじっくり咀嚼してことを促す。このことから両語による対人交流のしくみの流れがみえてくるのではないか。旅館などで男女兼用の履き物や浴衣が用意され、大柄な人にも小柄な人にも「平等」におかれている。しかし、そぐわないものを身に纏うのでは「公平」とは言えまい。近ごろでは、「公平さ」を訴えるより、カバンにふだん着ている物を持参する人が増えているのも、「平等」条件は保たれているが、「公平さ」を欠く状況がままあるからであろう。

 

UP(「ことばの溜め池」最上部へ)

BACK(「ことばの溜め池」表紙へ)

BACK(「言葉の泉」へ)

MAIN MENU(情報言語学研究室へ)

 メールは、<Hagi@kk.iij4u.or.jp>で、お願いします。また、「ことばの溜め池」表紙の壁新聞(「ことばの情報」他)にてでも結構でございます。