2004年05月01日から05月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 

2004年05月31日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
摺写(シツシヤ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「摺写」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對摺写摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本の古写本は、「摺写」と記載し、、経覺筆本は此の語を欠脱する。訓みは、文明四年本に「シツシヤ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「摺写」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「摺写」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

摺写(シツシヤ) 。〔言辞門218三〕

とあって、標記語「摺写」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一易林本節用集』に標記語「摺写」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

532書写摺写御經転讀般若 慈覚大師清和天王御宇祈祷之時始也。〔謙堂文庫藏五一右A〕

とあって、標記語「摺写」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

摺写(シユシヤ)御經ハスリホンナリ。〔下27ウ八〕

とあって、この標記語「摺写」とし、語注記は「すり()ほん()なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

書写(しよしや)摺寫(しうしや)の御經(おんきやう)書写摺写御經書写の経ハかき本也。摺写の経ハすり本也。金色等身の如来といふよりこゝ迄ハ開眼供養也。〔75ウ八〜76オ一〕

とあって、この標記語「摺写」の語をもって収載し、語注記は、「摺写の経は、すり本なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像一輻薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲書写の経(きやう)ハかき本。摺写の経ハ板本(はんほん)也。〔55オ一〜55ウ七〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲書写の経(きやう)ハかき本。摺写の經ハ板本(はんほん)也。〔100オ三〕

とあって、標記語「摺写」の語をもって収載し、その語注記は、「摺写の經は、板本(はんほん)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「摺写」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「しッ-しゃ〔名〕【摺写】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しッ-しゃ摺写】〔名〕すり写すこと。文字などを紙にすりつけ写しとること。しょうしゃ。*?嚢鈔(1445-46)一〇「作善の庭に、多以法華経養之。書写摺写(シッシャ)の中には、以何を為能そや」*易林本節用集(1597)「摺写 シッシャ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
佛、繪像釋迦三尊一鋪、阿字一鋪、〈以御臺所御除髪、被奉縫之〉經、金字法華經六部、摺寫五部大乗經、導師、葉上房律師榮西請僧十二口《訓み下し》仏ハ、絵像ノ釈迦ノ三尊一舗、阿字一舗、〈御台所御除髪ヲ以テ、之ヲ縫ヒ奉ラル〉経ハ、金字ノ法華経六部、摺写五部ノ大乗経、導師ハ、葉上房律師栄西。請僧十二口《『吾妻鏡』正治二年正月十三日の条》
 
 
2004年05月30日(日)晴れ、夕方雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
書冩(シヨシヤ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「書記(シヨキ)禅家官。書院(イン)。書籍(ジヤク)。書札(サツ)。書?(ジヤウ)。書信(シン)」の六語を収載し、標記語「書冩」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「書冩」と記載し、訓みは、文明四年本に「シヨシヤ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

書冩 ヒヤクタン俗/栴檀白者/――。〔黒川本・植物門下87ウ五〕

書冩 ヒヤクタン。〔巻第十・植物門322四〕

とあって、標記語「書冩」の語を収載する。そして、三卷本には語注記として「俗に栴檀の白きものを書冩」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「書冩」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

書冩(シヨシヤカク、ウツス)[平・上] 。〔態藝門957八〕

とあって、標記語「書冩」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語「書冩」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

?(シヨジヤウ) ―札(サツ)。―籍(ジヤク)。―判(ハン)―寫(シヤ)。〔言辞門214五〕

とあって、標記語「書?」の巻頭字「書」の熟語群に「書冩」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』、易林本節用集』に標記語「書冩」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

532書写摺写御經転讀般若 慈覚大師清和天王御宇祈祷之時始也。〔謙堂文庫藏五一右A〕

とあって、標記語「書写」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

書冩(シヨシヤ)ト云ハ書事ナリ〔下27ウ八〕

とあって、この標記語「書冩」とし、語注記は「書く事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

書写(しよしや)摺寫(しうしや)の御經(おんきやう)書写摺写御經書写の経ハかき本也。摺写の経ハすり本也。金色等身の如来といふよりこゝ迄ハ開眼供養也。〔75ウ八〜76オ一〕

とあって、この標記語「書写」の語をもって収載し、語注記は、「書写の経は、かき本なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲書写の経(きやう)ハかき本。摺写の経ハ板本(はんほん)也。〔55オ一〜55ウ七〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲書写の経(きやう)ハかき本。摺写の經ハ板本(はんほん)也。〔100オ三〕

とあって、標記語「書冩」の語をもって収載し、その語注記は、「書写の経(きやう)は、かき本」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xoxa.ショシャ(書冩) Caqi vtçusu(書き写す)筆写すること.〔邦訳796r〕

とあって、標記語「書冩」の語の意味は「Caqi vtçusu(書き写す)筆写すること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しょ-しゃ〔名〕【書冩】(一)書き、寫すこと。筆寫。順宗實録、「求入集賢、爲書冩古今著聞集、二、釋教、大中臣親守「年來、大般若、一筆書冩の志ありけれども、空しくて、止みにけり」〔1014-4〕

とあって、標記語「しょ-しゃ〔名〕【書冩】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょ-しゃ書冩〔名〕@(古くは「しょじゃ」とも)書き写すこと。多く、文献を一字一字書き写して同じものを作ることをいう。A小学校・中学校の国語科の科目の一つ。字を正確に速く美しく書くことを学習する。従来の「書き方」「習字」にあたるもので、昭和三三年(一九五八)の学習指導要領で改訂。四つの言語活動のうち「書くこと」が作文と書写に分けられる。「しょしゃざん(書写山)」の略」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
毎月屈十口僧侶、一字三禮、令書寫如法經、納銅筒、奉籠寳殿事《訓み下し》毎月十口ノ僧侶ヲ屈シ、一字三礼シテ、如法経ヲ書写セシメ、銅筒ニ納レ、殿ニ篭メ奉ル事。《『吾妻鏡』文治二年六月十五日の条》
 
 
2004年05月29日(土)晴れ午後の風冷たし。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
曼陀羅(マンダラ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「滿」部に、

曼荼羅(マンタラ) 。〔元亀二年本208八〕

曼荼羅(マンダラ) 。〔静嘉堂本238一〕〔天正十七年本中48オ七〕

とあって、標記語「曼陀羅」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、古写本には、この箇所に「曼陀羅の語は未記載になっている。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「曼陀羅」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』は、標記語「曼荼羅曼陀羅」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』そして天正十八年本節用集』に「曼陀羅」の語を収載しているだけであり、これが古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

531薄濃墨畫一對九曜曼多羅 一行阿闍梨ハ玄宗御持楊貴妃。掛落国流仲ニハ道有。綸地道カエノ御幸道遊地道トテ雜人道闇穴道トテ重科行。一行立犯人故闇穴ス。七日七夜程不日月之光行也。冥々トシテ深々トシテ山深行千度迷ンヲ只函谷一声計ニテ凋衣千敢也。一行實罪天道九曜給照一行也。一行則右食_切九曜。和漢真言之本尊也。九曜之曼多羅是也云々。〔謙堂文庫藏五〇左F〕

とあって、古写本類には見えない標記語「曼陀羅」の語を茲に収載し、語注記は末文に「九曜の曼多羅、是なり云々」と記載する。真字本の諸本全てにこの語が収載されており、真名本独自の増補と云うことになる。

 古版庭訓徃来註』、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)、頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、標記語「曼陀羅」の語は、古写本類同様未収載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mandara.マンダラ(曼荼羅) 仏法語(Bub.)肖像,あるいは,何か物を描いた絵.〔邦訳383l〕

とあって、標記語「曼荼羅」の語を収載し、意味は「仏法語(Bub.)肖像,あるいは,何か物を描いた絵」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

マンダラ〔名〕【曼陀羅曼荼羅】〔又、まだら。梵語、Mandala.舊譯は、壇、又は、道塲、新譯は輪圓具足、又は、聚集となす〕(一)方圓の土壇を築きて、諸尊を安置して祭ること。獅子莊嚴王菩薩諸間經「道塲之處、當方壇、名曼荼羅、廣狭隨時」探玄記、廿「曼荼羅、云道塲也、圓壇也」(二)佛所を始め、十方世界の状を畫き集めたるもの。又、淨土の實相を具圖せるものの稱。即ち、觀經(觀無量壽經)一部を具さに寫しあらはしたるもの。由來、我が國には、極樂世界の曼陀羅、即ち淨土曼陀羅に二樣あり、一は、當麻寺の中將姫の織れると云ふ當麻曼陀羅と、他は、俊乘房重源の善導の所圖を將來せしと云ふ觀經曼陀羅となり。又、密教の金剛界の現圖曼陀羅を、九會(くゑ)曼陀羅とも云ひ、東方を正面とし、第一會は、大日如來が五相を以て現に等正覺を成じ、金剛三摩地より三十七尊、乃至、外部の諸衆を現出し、衆生を攝化せる?を説きたるもの、故に之を成身會と名づく。第二會は、成身會の諸尊、其本誓を示したるもの、之を羯磨(こんま)會と名づく。第三會は、諸尊、各五智等の微細のコを標したるもの、故に之を微細會(又は三昧耶會)と名づく。第四會は、諸尊、各寳冠、華鬘等を以て、大日尊を供養する作業を述べたもの、之を大供養會と名づく。第五會は、以上の四會を一會に合集したるものなれば、四印會と名づく。第六會は、大日如來の獨一法界を示したるものなれば、一印會と名づく。第七會は、金剛薩?を中臺として、欲觸愛慢の四煩悩を轉じて、欲觸愛慢の四菩薩となす如き深密の理趣を示したるものなれば、之を理趣會(一に普賢會)と名づく。第八會は、大日如來が強剛難化の衆生を折伏せんが爲に、金剛薩?より更に降三世明王の忿怒身に現じたるものなれば、之を降三世明王羯磨會と名づく。第九會は、降三世明王の三昧耶形を列ねたるものなれば、之を降三世三昧耶會と名づく。又、以上の金剛界曼陀羅に對して、胎藏曼陀羅あり。胎藏界の諸尊を、其位の如く壇塲、即ち、四重圓壇、十三大院に四百十四尊を安置し、即ち、中臺八葉院を第一重とし、遍知院、持明院、觀音院、金剛手院の四院を第二重とし、釋迦院、地藏院、虚空院、除蓋障院、蘇悉地院、文殊院の六院を第三重とし、外金剛部院を第四重とす。以上の二曼陀羅を合はせて、金胎兩部曼陀羅と云ふ。大日經疏、四「曼陀羅者、名爲聚集、今以如來眞實功コ、集在一處、云云、十方世界微塵數差別、智印輪圓輻輳、翼輔大日心王、使一切衆生普門進趣、是故説爲曼陀羅也」榮花物語、十八、玉鬘「ある所を見れば、曼陀羅を懸け奉りて、阿彌陀の護摩、尊勝の護摩を行ふ」平家物語、三、大塔建立事「娑婆世界の思出にとて、高野の金堂に、曼陀羅を書かれけるが」〔1902-3〕

とあって、標記語「マンダラ〔名〕【曼陀羅】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「まん-だら曼荼羅曼陀羅】〔名〕(梵Mandalaの音訳。本質を有するものの意。壇・道場・輪円具足・聚集などと訳す)仏語。@悟りのための修行の道場。また、壇をいう。A密教で、宇宙の真理を表わすために、仏・菩薩を一定の枠(わく)の中に配置して図示したもの。金剛界曼荼羅・胎藏界曼荼羅や四種曼荼羅などがあるが、転じて浄土の姿その他を図画したものにもいう。手書きの図、ぬいとりしたもの、文字によるものなど種々の様式がある。墨の濃淡だけで描いた絵。水墨画(すいぼくが)。A墨で輪郭(りんかく)だけを描いた絵。白描画」とあって、真字本『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
信濃ノ国、善光寺ノ供養、曼荼羅供。大阿闍梨中納言、阿闍梨忠豪。請僧ハ、当寺ノ住侶ナリ。治承三年回禄ノ後、適新造有リト〈云云〉。《訓み下し》信濃國、善光寺供養、曼荼羅(マンダラク)大阿闍梨中納言、阿闍梨忠豪請僧、當寺住侶也治承三年回禄之後、適有新造〈云云〉《『吾妻鏡』建久二年十月二十二日の条》
今日永福寺供養也有曼陀羅供、導師、法務大僧正公顯〈云云〉《訓み下し》今日永福寺ノ供養ナリ。曼陀羅供有リ、導師ハ、法務大僧正公顕ト〈云云〉。《『吾妻鏡』建久三年十一月二十五日の条》
 
 
2004年05月28日(金)薄晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
墨畫(すみゑ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、「墨俣(スミマタ)」の一語を収載し、標記語「墨畫」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「墨畫」と記載し、宝徳三年本が「墨繪」と記載する。訓みは、経覺筆本は「すみゑ」、文明四年本は「すみえ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「墨畫」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「墨畫」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

黙庵(モクアンモダス、イヲリ)[入・平] 宋人畫観音山水人物鳥牧溪弟子墨繪(スミヱ)能似。〔草木門1030五〕

とあって、標記語「黙庵」の注記語の文中に「墨繪」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』は、標記語「墨畫」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』の語注記箇所に「墨繪」の語を収載しているだけであり、これが古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

531薄濃墨畫一對九曜曼多羅 一行阿闍梨ハ玄宗御持楊貴妃。掛落国流仲ニハ道有。綸地道カエノ御幸道遊地道トテ雜人道闇穴道トテ重科行。一行立犯人故闇穴ス。七日七夜程不日月之光行也。冥々トシテ深々トシテ山深行千度迷ンヲ只函谷一声計ニテ凋衣千敢也。一行實罪天道九曜給照一行也。一行則右食_切九曜。和漢真言之本尊也。九曜之曼多羅是也云々。〔謙堂文庫藏五〇左F〕

とあって、標記語「墨畫」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

細金(ホソガネ)彩色(サイシキ)繪像(エザウ)一輻(フク)薄濃(ウスダミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)常の事也。〔下27ウ七〜八〕

とあって、この標記語「墨畫」とし、語注記は「常の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

薄濃(うすごふ)墨画(すミゑ)一對(いつつい)薄濃墨畫一對薄濃の絵像と濃き墨絵乃像と一對にしたる懸物也。〔76オ一〜二〕

とあって、この標記語「墨畫」の語をもって収載し、語注記は、「(金泥)の画像と彩色の画像と二つゆへ各と云ひ、懸物壱つを一輻と云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像一輻薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲薄濃墨画一對トハ只墨画の二輻(ふく)對(つい)をいふ。〔55オ一〜55ウ六・七〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲薄濃墨画一對トハ只(たゞ)墨画の二輻(ふく)對(つひ)をいふ。〔100オ三〕

とあって、標記語「墨畫」の語をもって収載し、その語注記は、「薄濃墨画一對トハ只(たゞ)墨画の二輻(ふく)對(つひ)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Sumiye.スミヱ(墨畫) 黒インク〔墨〕で描いた水彩画.〔邦訳588l〕

とあって、標記語「墨畫」の語の意味は「黒インク〔墨〕で描いた水彩画」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すみ-〔名〕【墨畫】(一)彩色なく、墨のみにて畫(ゑが)きたる畫。(彩色繪(いろゑ)に對す)水墨畫扶木抄、二、霞「朝霞、鄙の長道に、立ちにけり、すみゑに見ゆる、遠(をち)の旅人」紙に、墨の模様を染むる法、古きは、淡墨にて、一條の烟の、風に靡くが如き文をなせり、今は、墨汁の淡きに、桐の白灰一匁、明礬三分、松脂五分を雜ぜあはせ、五彩にせむとならば、紅、藍など、加へ、先づ、油氣なき器に、水を盛りおきて、筆を墨に漬して、筆先を水の上に入るれば、墨、圓く浮ぶ、竹串の先に油を少し着けて、其圓に差入るれば、墨開き散りめぐる、其時、器を靜かに動かせば、色色に渦巻く、其上に白紙を浸して、移し取るなり。金泥は、紙を板に張り、乾かして、墨の間を色取る。(二)彩色せざる繪。白繪(しらゑ)白描榮花物語、八、初花「白束どもの、種種(さまざま)なるは、ただ、すみゑの心地して、いとなまめかし」〔1064-1〕

とあって、標記語「すみ-〔名〕【墨畫】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「すみ-墨絵墨画】〔名〕@墨の濃淡だけで描いた絵。水墨画(すいぼくが)。A墨で輪郭(りんかく)だけを描いた絵。白描画」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
日本最古の墨絵は、法隆寺三尊像台座部材に落書きされた「鳥」と「魚」の絵が知られています。
ですが、「墨畫」「墨繪」漢字表記された文献資料は意外と新しいことに気づきます。日国(第二版)は、初出用例として、『明月記』貞永二年(1233)三月二〇日「更級墨絵、隆経朝臣娘右京大夫尼書之」を記載しています。
 
 
一對(イツツイ)」ことばの溜池(2003.05.05)を参照。
 
2004年05月27日(水)薄晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
薄濃(うすだみ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、「薄白(ウスシロ)。薄様(ヤウ)。薄縁(ベリ)畳ノ。薄端(ハタ)花立。薄畳(タヽミ)。薄氷(コヲリ)。薄雲(グモ)源氏巻」の七語を収載し、標記語「薄濃」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「薄濃」と記載し、訓みは、山田俊雄藏本、経覺筆本は「(ウス)ダミ」、文明四年本は「ウスタミ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「薄濃」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「薄濃」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

(ウス) ―紅(クレナヒ)―濃(ダミ)。―墨(ズミ)。―竪(タテ)。―紫(ムラサキ)。―衣(キヌ)。〔食服門117七〕

とあって、標記語「薄」の熟語群として「薄濃」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一易林本節用集』(他に天正十八年本)に標記語「薄濃」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

531薄濃墨畫一對九曜曼多羅 一行阿闍梨ハ玄宗御持楊貴妃。掛落国流仲ニハ道有。綸地道カエノ御幸道遊地道トテ雜人道闇穴道トテ重科行。一行立犯人故闇穴ス。七日七夜程不日月之光行也。冥々トシテ深々トシテ山深行千度迷ンヲ只函谷一声計ニテ凋衣千敢也。一行罪天道九曜給照一行|也。一行則右食_切九曜。和漢真言之本尊也。九曜之曼多羅是也云々。〔謙堂文庫藏五〇左F〕

とあって、標記語「薄濃」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

細金(ホソガネ)彩色(サイシキ)繪像(エザウ)各一(フク)薄濃(ウスダミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)常の事也。〔下27ウ七〜八〕

とあって、この標記語「薄濃」とし、語注記は「常の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

薄濃(うすごふ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)薄濃墨畫一對薄濃の絵像と濃き墨絵乃像と一對にしたる懸物也。〔76オ一〜二〕

とあって、この標記語「薄濃」の語をもって収載し、語注記は、「薄濃の絵像と濃き墨絵の像と一對にしたる懸物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像一輻薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲薄濃墨画一對トハ只墨画の二輻(ふく)對(つい)をいふ。〔55オ一〜55ウ六・七〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲薄濃墨画一對トハ只(たゞ)墨画の二輻(ふく)對(つひ)をいふ。〔100オ三・四〕

とあって、標記語「薄濃」の語をもって収載し、その語注記は、「薄濃墨画一對トハ只(たゞ)墨画の二輻(ふく)對(つひ)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vsudami.ウスダミ(薄濃) 例,Vsudamino ye.(薄濃の絵)水彩画すなわち墨絵の上にところどころ薄い色やあまり目立たない色で彩色を施した絵.§Gocudami.(極濃)完全に彩色を施した絵.§また,Vsudami.(薄濃)墨絵,すなわち,水彩画の上に軽く金箔や金粉を塗ったもの.〔邦訳734l〕

とあって、標記語「薄濃」の語の意味は「例,Vsudamino ye.(薄濃の絵)水彩画すなわち墨絵の上にところどころ薄い色やあまり目立たない色で彩色を施した絵」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うす-だみ〔名〕【薄彩】〔「だむ(彩)の條を見よ」〕淡(うす)く彩()みたること。薄彩色。淡彩。〔0232-4〕

とあって、標記語「うす-だみ〔名〕【薄彩】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「うす-だみ薄彩】〔名〕薄くいろどること。また、そうして描かれた絵。極彩(ごくだみ)*河海抄(1362年頃)一三「うすたんはうすたみなり」*易林本節用集(1597)「薄濃 ウスダミ」*日葡辞書(1603-04)「Vsudamino(ウスダミノ)エ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
一、古今承り及ばざる珍奇の御肴出て候て、又御酒あり。去年、北国にて討ちとらせられ候 一、朝倉左京太夫義景首 一、浅井下野首 一、浅井備前首 已上、三ッ薄濃にして公卿に居ゑ置き、御肴に出され候て御酒宴。各々御謡御遊興、千々万々目出度御存分に任せられ御悦びなり。《『信長公記』巻七》
 
 
2004年05月26日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
一輻(イップク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

一幅(ブク) 繪。〔元亀二年本18五〕

一幅(フク) 繪。〔静嘉堂本13四〕

一幅(フク) 繪。〔天正十七年本上8オ三〕

とあって、標記語「一幅」の語を収載する。語注記は、「繪」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一輻薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一輻薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一鋪(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一輻薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、建部傳内本、経覺筆本の古写本は、「一輻」と記載し、宝徳三年本、山田俊雄藏本、文明四年本は、「一鋪」と記載する。訓みは、山田俊雄藏本と文明四年本に「(イツ)フク」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一輻」の語は、未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「一輻」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

一幅(イチフクハク・シロシ、マユミ)[入・平] 繪。〔數量門12三〕

とあって、標記語「一幅」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語「一輻」・「一幅」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

一幅(フク) 繪。〔言語門4七〕

とあって、標記語「一幅」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「一幅」の語表記で収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語とは異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

530刻細金(ホソ−)像各一輻 佛師云註内典録曰、後漢明帝使秦景ス中天竺月支国ニ上。彫像|。ツイテシム洛陽|。シテ聖相。即漢土画像始也。〔謙堂文庫藏五〇左D〕

とあって、標記語「一輻」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

細金(ホソガネ)彩色(サイシキ)繪像(エザウ)一輻(フク)薄濃(ウスダミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)常の事也。〔下27ウ七〜八〕

とあって、この標記語「一輻」とし、語注記は「常の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

細金(さいきん)彩色(さいしき)の画像(ゑぞう)(おの/\)一幅(いつふく)細金彩色画像各一幅細金ハ金泥(きんでい)の事□□□の画像と彩色の画像と二つゆへ各と云懸物壱つを一輻と云。〔75ウ八〜76オ一〕

とあって、この標記語「一幅」の語をもって収載し、語注記は、「(金泥)の画像と彩色の画像と二つゆへ各と云ひ、懸物壱つを一輻と云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像一輻薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲細金彩色繪像各一輻ハ金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すへて二軸(にちく)也。〔55オ一〜55ウ五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲細金彩色繪像各一輻ハ金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すべて二軸(にぢく)也。〔100オ三〕

とあって、標記語「一輻」の語をもって収載し、その語注記は、「細金彩色の繪像各一輻は、金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すべて二軸(にぢく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Ippucu.イップク(一服・一輻) 茶(Cha)や薬を飲む回数の言い方,また,表補絵(Fio>foye)に表装された絵像や書,その他の絵画を数える言い方.〔邦訳338l〕

とあって、標記語「一輻」の語の意味は「茶(Cha)や薬を飲む回数の言い方,また,表補絵(Fio>foye)に表装された絵像や書,その他の絵画を数える言い方」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いっ-ぷく〔名〕【一幅】〔薄く、幅(はば)の廣きものなれば、幅(ふく)と云ふか〕書、畫の掛物、ひとつ。庭訓往來(元弘)九月「細金彩色繪像、各、一輻」同じ畫工が、一筆にて、左右に、二輻、花鳥など書けるを、二幅對と云ひ、其中に、佛像など加ふるを、三幅對と云ふ。(後には、佛像ならぬをも、然(しか)云ふ)槐記(近衛家)享保十年正月廿一日「御床に、尚信が(狩野)三幅對の(註「中、文殊、右、枯木に尾長鳥、左、枯木に鳩」)左右の表具は斎しく、云云、中に限りては、兩脇とは、別にするが作法なり」〔0192-1〕

とあって、標記語「いっ-ぷく〔名〕【一幅】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いっ-ぷく一幅】〔名〕書画などの掛け軸一つ。また、一つの画題、場面」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
大悲胎蔵三昧耶略曼荼羅一鋪〈一輻、苗、〉金剛界九界曼荼羅一鋪、〉釈迦牟尼仏菩提樹像一鋪〈一輻、綵色、〉仏頂尊勝壇像一鋪〈二輻、苗、〉水自在天像一鋪〈一輻、苗、〉大悲胎蔵手契一巻金剛寺□(義イ)真和尚真影一鋪〈一輻、綵色、〉壇龕涅槃浄土〈一合〉壇龕西方浄土〈一合〉壇龕僧伽誌公邁廻三廻三聖像〈一合〉鍮鉐印仏一面〈一百仏〉白銅印泥塔〈一合〉金銅五鈷金剛鈴〈一口〉金銅五鈷金剛杵〈一口〉 《『入唐新求聖教目録』承和14年の条4455》
 
 
2004年05月25日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
繪像・畫像(ヱザウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「衛」部に、

畫像(エザウ) 。〔元亀二年本336八〕 ×〔静嘉堂本〕

とあって、元亀二年本のみで標記語「畫像」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)金彩(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「繪像」と記載し、訓みは、経覺筆本と文明四年本に「(ビヤク)タン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「繪像」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「繪像」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一、元亀二年本『運歩色葉集』に標記語「畫像」の語を収載していて、この表記語としては古写本『庭訓徃來』建部傳内本に見えている語である。他古写本類及び、下記真字本にはは、「繪像」と表記されている語である。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

530刻細金(ホソ−)各一輻 佛師云註内典録曰、後漢明帝使秦景ス中天竺月支国ニ上。彫像|。ツイテシム洛陽|。シテ聖相。即漢土画像始也。〔謙堂文庫藏五〇左D〕

とあって、標記語「繪像」の語を収載し、語注記は「上に「佛師」と云ふ註に委し。『内典録』に曰く、後漢の明帝、秦に使ひして、天竺の月支国に景往す。優王の彫像を得て尋ねついて、洛陽に至らしむ勅して聖相を圖る。即ち漢土の画像の始めなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

細金(ホソガネ)彩色(サイシキ)繪像(エザウ)各一(フク)薄濃(ウスダミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)常の事也。〔下27ウ七〜八〕

とあって、この標記語「繪像」とし、語注記は「常の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

細金(さいきん)彩色(さいしき)(ゑぞう)(おの/\)一幅(いつふく)細金彩色各一幅細金ハ金泥(きんでい)の事□□□の画像と彩色の画像と二つゆへ各と云懸物壱つを一輻と云。〔75ウ八〜76オ一〕

とあって、この標記語「画像」の語をもって収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)を尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像一輻薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲細金彩色繪像各一輻ハ金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すへて二軸(にちく)也。〔55オ一〜55ウ五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲細金彩色繪像各一輻ハ金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すべて二軸(にぢく)也。〔100オ三〕

とあって、標記語「繪像」の語をもって収載し、その語注記は、「細金彩色の繪像各一輻は、金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すべて二軸(にぢく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yezo<.ヱザゥ(繪像) Caita catachi.(かいた像)絵に描いた姿形で,絵画の意に解せられる.〔邦訳822l〕

とあって、標記語「繪像」の語の意味は「Caita catachi.(かいた像)絵に描いた姿形で,絵画の意に解せられる」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ざう〔名〕【繪像畫像】人物の姿を繪に寫したるもの。にせゑ。にがほ。にがほゑ。ゑすがた。ぐゎざう。肖像。平家物語、灌頂巻、小原御幸事「左に普賢の繪像、右に善導和尚、竝に先帝の御影をかけ、云云」〔2189-2〕

とあって、標記語「-ざう〔名〕【繪像】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぞう絵像】〔名〕絵にかいた肖像。画像」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
於南御堂、爲一條殿追善、被修佛事導師、信救得業、被供養繪像阿弥陀三尊《訓み下し》南ノ御堂ニ於テ、一条殿ノ追善トシテ、仏事ヲ修セラル。導師ハ、信救得業、絵像(ヱザウ)ノ阿弥陀ノ三尊ヲ供養セラル。《『吾妻鏡』建久元年五月三日の条》
※江戸時代の恩田仲任撰『常語藪』(寛政六年刊)「江」部に、
 畫像(エサウ) 唐韋皐傳畫像〔13オ二〕
 繪像(エサウ) 唐郭英又傳輙壞繪像 〔13オ四〕
と記載する。
 
 
2004年05月24日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
彩色(サイシキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、

彩色(サイシキ) 。〔元亀二年本271六〕〔静嘉堂本310一〕

とあって、標記語「彩色」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「彩色」と記載し、訓みは、経覺筆本と文明四年本に「(ビヤク)タン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

綵色(イロトル) サイシキ。〔黒川本・畳字門下41ウ六〕

彩色 一乍采綵。〃艶。〃雲。〃繪。〃。〃飾。〔巻第八・畳字門443一〕

とあって、三卷本は標記語「綵色」の語を収載し、十巻本は標記語「彩色」の語をもって収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「彩色」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

彩色(サイシキ) 。〔言辞門182三〕

とあって、標記語「彩色」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』、十巻本伊呂波字類抄』、『節用集』類では、天正十八年本、易林本節用集』に、標記語「彩色」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

530刻細金(ホソ−)像各一輻 佛師云註内典録曰、後漢明帝使秦景ス中天竺月支国ニ上。彫像|。ツイテシム洛陽|。シテ聖相。即漢土画像始也。〔謙堂文庫藏五〇左D〕

とあって、標記語「彩色」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

細金(ホソガネ)彩色(サイシキ)繪像(エザウ)一輻(フク)薄濃(ウスダミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)常の事也。〔下27ウ七〜八〕

とあって、この標記語「彩色」とし、語注記は「常の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

細金(さいきん)彩色(さいしき)の画像(ゑぞう)(おの/\)一幅(いつふく)細金彩色画像各一幅細金ハ金泥(きんでい)の事□□□の画像と彩色の画像と二つゆへ各と云懸物壱つを一輻と云。〔75ウ八〜76オ一〕

とあって、この標記語「彩色」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像一輻薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲細金彩色繪像各一輻ハ金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すへて二軸(にちく)也。〔55オ一〜55ウ五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲細金彩色繪像各一輻ハ金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すべて二軸(にぢく)也。〔100オ三〕

とあって、標記語「彩色」の語をもって収載し、その語注記は、「細金彩色の繪像各一輻は、金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すべて二軸(にぢく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Saixiqi.サイシキ(彩色) Irodoru.(彩る)種々の色で描くこと,あるいは,彩ること.例,Saixiqiuo suru.(彩色をする).〔邦訳551r〕

とあって、標記語「彩色」の語の意味は「Irodoru.(彩る)種々の色で描くこと,あるいは,彩ること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さい-しき〔名〕【采色彩色】繪に、繪具(ゑのぐ)を用ゐて、色取ること。ゑどり。着色。設色。淡(うす)く色取りたるを、薄(うす)彩色と云ふ。淡彩。濃厚、精密なるを、極(ゴク)彩色と云ふ。濃彩傾城反魂香(寳永、近松作)上「親の繪筆の彩色に、生れつきたる美男なり」〔0757-4〕

とあって、標記語「さい-しき〔名〕【彩色】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さい-しき彩色】〔名〕@(―する)いろどること。物に色を塗って飾ること。また、そのいろどり。着色。さいしょく。A彩色に用いる顔料、絵の具。しみのもの。B「さいしきしゅぶん(彩色衆分)」の略。C(「いろえ」に「彩色」の漢字を当てて音で読んだ語)能で、大鼓、小鼓、笛または太鼓の囃子(はやし)でシテが静かに舞台を一巡する舞。また、その囃子。謡曲の主要部分のクセの前に舞われることが多い。「楊貴妃」「桜川」など。D能楽の特殊演出(小書き=こがき)の一つ。一曲の舞の部分を「イロエ」に替えたり(「西行桜」「羽衣」など)、たんに「イロエ」を一曲のうちに入れて舞ったりする演出(「江口」「恋重荷(こいのおもに)」)など」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御堂佛後壁畫圖、終彩色之功、所奉圖浄土瑞相、并二十五菩薩像也《訓み下し》御堂ノ仏ノ後壁ノ画図、彩色(サイシキ)ノ功ヲ終ヘテ、浄土ノ瑞相、并ニ二十五ノ菩薩ノ像ヲ図シ奉ル所ナリ。《『吾妻鏡』文治元年十月十一日の条》
 
 
2004年05月23日(日)雷雨。イタリア(ローマ・自宅AP)
細金(サイキン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、「細工(サイク)。細説(せツ)。細談(タン)。細々(サイ/\)。細美()。○。細石(サヾレイシ)。○。細栗(サヾレクリ)。細浪(サヾナミ)」の八語と「保」部に、「細引(ホソビキ)。細口(グチ)。細路(ホソミチ)。○。細(ホソウツボ)」の四語を収載するが、標記語「細金」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔至徳三年本〕

細金彩色繪像各一鋪([輻])薄濃墨繪()一對書寫摺寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦眞言〔宝徳三年本〕

細金彩色畫像各一薄濃墨畫一對書冩摺冩御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念真言〔建部傳内本〕

細金彩色繪像各一(フク)薄濃(ダミ)墨畫一對書冩摺写妙典轉讀般若讀誦經王(ワウ)勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔山田俊雄藏本〕

(ホソ)(サイ)絵像各一薄濃(ダミ)墨畫(スミヱ)一對書寫御經轉讀般若讀誦經王勤行秘法唱滿陀羅尼念誦真言〔経覺筆本〕

細金(ホソカネ)彩色(サイシキ)繪像(エサウ)一鋪(フク)薄濃(ウスタミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)書寫(シヨシヤ)摺写(シツシヤ)御經轉讀(テントク)般若(ハンニヤ)讀誦(ドクシユ)經王(コン)()唱滿(シヤウマン)陀羅尼(タラニ)念誦(シユ)(シン)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「細金」と記載し、訓みは、経覺筆本「ホソ(カネ)」、文明四年本に「ホソカネ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「細金」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「細金」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「細金」の語は未収載にして、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

530刻細金(ホソ−)像各一輻 佛師云註内典録曰、後漢明帝使秦景ス中天竺月支国ニ上。彫像|。ツイテシム洛陽|。シテ聖相。即漢土画像始也。〔謙堂文庫藏五〇左D〕

とあって、標記語「細金」の語を収載し、訓みは「ホソ(カネ)」とし、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

細金(ホソガネ)彩色(サイシキ)繪像(エザウ)各一(フク)薄濃(ウスダミ)墨畫(スミエ)一對(ツイ)常の事也。〔下27ウ七〜八〕

とあって、この標記語「細金」とし、訓みは「ホソガネ」とし、語注記は「常の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

細金(さいきん)彩色(さいしき)の画像(ゑぞう)(おの/\)一幅(いつふく)細金彩色画像各一幅細金ハ金泥(きんでい)の事□□□の画像と彩色の画像と二つゆへ各と云懸物壱つを一輻と云。〔75ウ八〜76オ一〕

とあって、この標記語「細金」の語をもって収載し、訓みは「サイキン」と音読し、語注記は、「細金ハ金泥(きんでい)の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲細金彩色繪像各一輻ハ金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すへて二軸(にちく)也。〔55オ一〜55ウ五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)一輻(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲細金彩色繪像各一輻ハ金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すべて二軸(にぢく)也。〔100オ三〕

とあって、標記語「細金」の語をもって収載し、その語注記は、「細金彩色の繪像各一輻は、金泥(きんてい)がきと彩色(いろどり)がきとの掛物(かけもの)すべて二軸(にぢく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「細金」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほそ-がね〔名〕【細金】金銀の箔を、ほそく切りて、彫刻せる物などに埋めて、模様をなすこと。又、そのもの。(佛畫、木佛などに)人倫訓蒙圖彙、五、細工人部「細金師(ほそがねし)、諸の彩色に有事なれども、專ら佛像の繪に、これを用ゆ、金銀の薄を細に刻みて、衣紋をなし、花の筋を分つ、細金師は繪師に從ふ也」〔1839-1〕

とあって、標記語「ほそ-がね〔名〕【細金】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほそ-がね細金】〔名〕金銀の箔(はく)を細く切ったもの。木彫物・仏画・衣服の模様などに用いる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
(頭書)「建永前左馬助定清源氏、其外今三人皆藤氏、召執事、先令開印櫃、取出印并細金、〈是鷹董也、〉覧之、見之返給、如本返納、次開赤辛櫃、取出庄券一通、覧之、披見了以頭弁雅言朝臣(源)(十四日暦注ノ左ニ記 《『深心院関白記』文永5年3月30日の条、1/160・561-0》
 
 
2004年05月22日(土)曇り時々晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
剋彫・刻彫(コクテウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、「刻限。刻付」の二語を収載するが、標記語「刻彫」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍二天刻彫〔至徳三年本〕

金色等身如來白檀座像菩薩各脇侍二天剋彫〔宝徳三年本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇士二天刻彫〔建部傳内本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍(コウシ)二天(テウ)〔山田俊雄藏本〕

金色等身如来白檀(  タン)座像各菩薩脇侍(ケフジ)二天(コク)(テウ)〔経覺筆本〕

金色等身(トウ  )如来白檀(  タン)座像(ザサウ)菩薩(ヲノ/\)脇侍(ケウシ)二天剋彫(コクテウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「刻彫」と記載し、文明四年本だけが「剋彫」と記載する。訓みは、山田俊雄藏本が「(コク)テウ」、経覺筆本と文明四年本に「コクテウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「刻彫」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「刻彫」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「刻彫」の語は未収載なっていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

530細金(ホソ−)像各一輻 佛師云註内典録曰、後漢明帝使秦景ス中天竺月支国ニ上。彫像ツイテシム洛陽シテ聖相。即漢土画像始也。〔謙堂文庫藏五〇左D〕

とあって、標記語「刻彫」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

脇士(ケウシ)二天(コク)(テウ)脇侍トハツキ立ナリ。不動毘沙門等ナリ。〔下27ウ六〜七〕

とあって、この標記語「剋彫」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(これ)尅彫(こくてう)(コク)(テウ)剋彫ハ木にてきさみほる事也。如来菩薩二天ともに木像ゆへ剋彫すといふ。〔75ウ六〜七〕

とあって、この標記語「刻彫」の語をもって収載し、語注記は、「剋彫は、木にてきざみほる事なり。如来菩薩二天ともに木像ゆへ剋彫すといふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲剋彫ハ木にて刻(きさ)ミ作(つく)るをいふ。〔55オ一〜55ウ六〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲剋彫ハ木()にて刻(きざ)ミ作(つく)るをいふ。〔98ウ四〜100オ一〕

とあって、標記語「刻彫」の語をもって収載し、その語注記は、「剋彫ハ木()にて刻(きざ)ミ作(つく)るをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cocugio>.コクヂョゥ(刻彫) すなわち,Yeri qizamu.(彫り刻む)金属や木などに彫刻すること,あるいは,〔文字などを〕彫りつけること.→Cocucho>.〔邦訳137r〕

とあって、標記語「刻彫」の語の意味は「すなわち,Yeri qizamu.(彫り刻む)金属や木などに彫刻すること,あるいは,〔文字などを〕彫りつけること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「こく-てふ〔名〕【刻彫】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こく-ちょう刻彫】〔名〕(「こくぢょう」とも)ほりきざむこと。彫刻。*妙一本仮名書き法華経(鎌倉中)一・方便品第二「もしひとほとけのためにゆへに、もろもろの形像(きやうさう)を建立(こんりう)し刻彫(コクテウ<注>カタチヲツクリタテキザミヱリ)して」*庭訓往来(1394-1428頃)「各脇士二天刻彫之。細金彩色絵像各一鋪」*三国伝記(1407-46頃か)一・六「又法印尊弁を以て鼻那夜迦天を刻彫せしめ」*地蔵菩薩霊験記(16C後)一〇・一〇「忽(たちま)ち利生にあづかる草木の心なき刻彫(コクデウ)を加ふれば賞罰を顕はし」*日葡辞書(1603-04)「Cocucho>(コクチョウ)、または、Cocugio>(コクヂョウ)。キザミ エル<訳>金属や木などに彫刻する」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
若人為仏故 建立諸形像 刻彫成衆相 皆是成仏道《『法華経』方便品》
 
 
2004年05月21日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
脇侍(ケウシ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

脇士() 。〔元亀二年本217三〕

脇士(ケフシ)〔静嘉堂本247五〕

とあって、標記語「脇士」の語を収載し、訓みは「(ケフ)ジ」「ケフシ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍二天刻彫之〔至徳三年本〕

金色等身如來白檀座像菩薩各脇侍二天剋彫之〔宝徳三年本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各二天刻彫之〔建部傳内本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍(コウシ)二天(テウ)〔山田俊雄藏本〕

金色等身如来白檀(  タン)座像各菩薩脇侍(ケフジ)二天(コク)(テウ)〔経覺筆本〕

金色等身(トウ  )如来白檀(  タン)座像(ザサウ)菩薩(ヲノ/\)脇侍(ケウシ)二天剋彫(コクテウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「脇侍」と記載し、訓みは、山田俊雄藏本「コウシ」、経覺筆本「ケフジ」と文明四年本「ケウシ」とそれぞれ異なる表記で記載する。漢字表記では、建部傳内本だけが「」の表記を示す。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「脇侍」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「脇侍」または、「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』だけが標記語「」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』の建部傳内本の表記と合致している。但し、真字本には、「脇侍」として扱われている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

529各脇侍二天 韋駄天毘沙門天也。〔謙堂文庫藏五〇左D〕

とあって、標記語「脇侍」の語を収載し、語注記は「韋駄天・毘沙門天なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(ケウシ)二天(コク)(テウ)脇士トハツキ立ナリ。不動毘沙門等ナリ。〔下27ウ六〜七〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は「脇士とは、つき立なり。不動毘沙門等なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

脇侍(けうじ)の二天(にてん)脇侍二天脇侍ハ仏のわきに立なり韋駄天毘沙門天なとを二つ左右に立るゆへ二天といふ。〔75ウ六〜七〕

とあって、この標記語「脇侍」の語をもって収載し、語注記は、「脇侍は、仏のわきに立なり。韋駄天・毘沙門天などを二つ左右に立るゆへ二天といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲脇士ハ左右の脇(わき)だち也。二天ハ韋駄天(いたてん)毘沙門天(ひしやもんてん)をいふ。〔55オ一〜55ウ六〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲脇士ハ左右(さいう)の脇(わき)だち也。二天ハ韋駄天(いだてん)毘沙門天(びしやもんてん)をいふ。〔98ウ四〜100オ二〕

とあって、標記語「脇侍」の語をもって収載し、その語注記は、「脇士は、左右(さいう)の脇(わき)だちなり。二天は、韋駄天(いだてん)毘沙門天(びしやもんてん)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「脇侍」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けふ-〔名〕【?侍】〔挾(さしはさ)み侍(はべ)る意、脇侍脇士、とも書く、挾、?、相、通ず、陳書、韋載傳「素有名望、毎大事、恒令?侍左右」唐書、禮樂志「侍臣夾侍」(狹侍とあるは、誤字なり)脇侍ハ、音通にて記すなるべし、わきだちハ、其訓讀ならむ、脇士とあるは、脇侍大士の意か、菩薩を、大士と云ふ、脇仕とも記したるあるは、俗なり〕脇立(わきだて)。ワイダチ。如來の左右に侍り立つ二菩薩の稱。阿彌陀如來に、觀世音菩薩、勢至菩薩、釋迦如來に、文殊菩薩、普賢菩薩、の類なり。又、不動明王の制?迦童子、矜羯羅(コンガラ)童子などをも云ふ。續日本紀、十二、天平九年三月「釋迦佛像一驅、挾侍菩薩二驅」孝徳紀、白雉元年十月「丈六繍像挾侍」用明紀、二年四月「南淵坂田寺木丈六佛像挾侍菩薩」大安寺資財帳「脇侍」源氏物語、三十七、鈴蟲1「阿彌陀佛、けうじの菩薩(ぼさち)、各、白檀して造り奉りたる」靈異記、中、題三十六縁「聖武太上天皇世、奈良京、下毛野寺金堂脇士觀音之項、无故斷落也」同、下、第十七縁「彌勒脇士之菩薩」運歩色葉集、「脇立、ワキダチ、佛~」〔0621-2〕

とあって、標記語「けふ-〔名〕【?侍】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きょう-【夾侍・脇士】〔名〕@(―する)左右両脇に侍すること。わきじ。A仏像で、中尊をはさんで左右に侍する菩薩または比丘などのこと。阿彌陀如来の観音、勢至(せいし)、釈迦仏の迦葉、阿難、不動明王の制?迦(せいたか)、矜羯羅(こんがら)の二童子など。わきじ。わきだち」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
次兩界堂兩部諸尊、皆爲木像皆金色也次二階大堂、〈高五丈、本尊、三丈金色弥陀像、脇立九躰、同丈六也〉《訓み下し》次ニ両界堂両部ノ諸尊ハ、皆木像タリ。皆金色ナリ。次ニ二階大堂、〈高サ五丈、本尊ハ、三丈金色ノ弥陀ノ像、脇立(脇士)九体、同キ丈六ナリ。〉《『吾妻鏡』文治五年九月十七日の条》
 
 
2004年05月20日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
菩薩(ボサツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

菩薩(サツ)上―化下也。〔元亀二年本44四〕

菩薩 ―救上―化下。〔静嘉堂本49三〕

菩薩 ―救上―化下也。〔天正十七年本上25ウ三〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「菩薩」の語を収載する。語注記は、「菩は、上を救ひ、薩は、下に化すなり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍二天刻彫之〔至徳三年本〕

金色等身如來白檀座像菩薩各脇侍二天剋彫之〔宝徳三年本〕

金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天刻彫之〔建部傳内本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍(コウシ)二天(テウ)〔山田俊雄藏本〕

金色等身如来白檀(  タン)座像各菩薩脇侍(ケフジ)二天(コク)(テウ)〔経覺筆本〕

金色等身(トウ  )如来白檀(  タン)座像(ザサウ)菩薩(ヲノ/\)脇侍(ケウシ)二天剋彫(コクテウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「菩薩」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

菩薩 ホサツ。〔黒川本・人倫門上34オ七〕

菩薩 。〔巻第二・人倫門303六〕

とあって、標記語「菩薩」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「菩薩」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

菩薩(ボサツ/□ノリ)[去・入] 菩提薩?唐言覚有情覚者所求果也。有情者所度境也。薩?勇猛精進之義也。〔態藝門104五〕

とあって、標記語「菩薩」の語を収載し、語注記に、「菩提薩?、唐に覚有情と言ひ覚者所求の果なり。有情は、所度の境なり。薩?は、勇猛精進の義なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

菩薩(ホサツ) 。〔・人倫門32八〕〔・人倫門33三〕

菩薩(   ) 。〔・人倫門29九〕

とあって、標記語「菩薩」の語を収載する。また、易林本節用集』に、標記語「菩薩」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「菩薩」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。但し、真字本に見える語注記の内容を最も継承しているのは、『運歩色葉集』となっていることに留意しておきたい。広本節用集』は、詳細のなる語注記を記載しているが別資料からの引用となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

528菩薩 自覚曰、上求下化。又云上求菩提下化衆生云々。〔謙堂文庫藏五〇左C〕

とあって、標記語「菩薩」の語を収載し、語注記は「自覚の釈に曰く、菩は、即ち上に求むる。薩は、即ち下に化す。また云く、上求菩提下化衆生云々」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

白檀(ヒヤク ン)座像(ササウ)菩薩(ホサツ)(ヲノ/\)白檀ハサイシキナシ刀目(  ナメ)ヲ顕(アラハ)ス也。喩(タト)ヘバ菩薩(ホ  )ト云條普賢(フケン)文殊(モンシユ)觀音(クハンヲン)地蔵(チサウ)ノ事也。〔下27ウ五〕

とあって、この標記語「白檀」とし、語注記は「喩(タト)へば、菩薩(ホ  )と云ふ條普賢(フケン)文殊(モンシユ)觀音(クハンヲン)地蔵(チサウ)の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

白檀(びやくだん)坐像(ざぞう)菩薩(ぼさつ)白檀座像菩薩白檀ハ木の名此木にてほりたるほさつ也。座(すわ)りて居る形(かたち)を座像(さそう)と云。立て居るを立像(りうそう)といふ。〔75ウ五〜六〕

とあって、この標記語「菩薩」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲白檀坐像菩薩ハ白檀にて刻(きさ)ミたる坐(すハ)らせ給ふ木像(もくそう)也。菩薩ハ菩提薩?(ほたいさつた)を略(りやく)せる也。〔55オ一〜55ウ五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲白檀坐像菩薩ハ白檀(びやくたん)にて刻(きざ)ミたる坐(すわ)らせ給ふ木像(もくざう)也。菩薩(ぼさつ)ハ菩提薩?(ぼだいさつた)を略(りやく)せる也。〔98ウ四〜100オ一〕

とあって、標記語「菩薩」の語をもって収載し、その語注記は、「菩薩(ぼさつ)は、菩提薩?(ぼだいさつた)を略(りやく)せるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Biacudan.ボサツ(菩薩) Tasuqe,uru.(菩け,くる)仏(Fotoqe)よりも下の位.※菩たすく(落葉集).〔邦訳62l〕

とあって、標記語「菩薩」の語の意味は「Tasuqe,uru.(菩け,くる)仏(Fotoqe)よりも下の位」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-さつ〔名〕【菩薩】〔金剛經、注「菩、普也、薩、濟也、善普濟衆生」梵語、Bodh-isattva.即ち、菩提(ボデ)(佛道)、薩?(サツタ)(大心衆生、又、覺衆生)の略、開士、大士などと義釋す〕(一)又、ぼさち。大慈悲心を以て、菩提の道を求め、衆生を化し、自行、化他の行ひをする人の義にて、佛の次に位する號。或は、薩?とのみも云ふ。佛地論二「縁菩薩薩?境、故名菩薩、具足自利利他大願、求大菩提、利有情故」同「薩?者、是勇猛義、精進勇猛、求大菩提、故名菩薩淨名疏、一「菩提爲無上道、薩?名大心、謂無上道大心、此人發大心、爲衆生、求無上道、故菩薩」、宇津保物語、俊蔭15「この琴を、佛よりはじめ奉りて、菩薩に一つづつ奉る」源氏物語、三十七、鈴蟲2「あみだ佛、脇士の菩薩、おのおのびゃくだんして造り奉りたり」「観世音菩薩」勢至菩薩」文殊菩薩」普賢菩薩」虚空藏」(二)米の異名。(人の命をつなぐより云ふ)。物類稱呼、三、生殖「米、遠江國天龍の川上にてぼさつと稱す」東雅、十三、穀「民間の語に、穀を呼びて菩薩ぼさつといふ事あり、此語は、もと韓地方言に出しなり、?林類事に、かの方言、白米を漢菩薩(ぼさる)といひ、粟を田菩薩といふとしるせり」(菩薩の字の韓音、ポサル、今、米をさると云ふ)文化の川柳「いづれ菩薩は、道明寺、滿願寺」(道明寺は、糒、滿願寺は銘酒の名)〔1835-5〕

とあって、標記語「-さつ〔名〕【菩薩】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-さつ菩薩〔名〕(梵 bodhisattva「菩提薩?(ぼだいさつた)」の略。覚有情・開士・大士・大心衆生などと訳す)@仏語。もと、釈迦牟尼の前生における呼称。大乗仏教が興って、修行を経た未来に仏になる者の意で用いる。悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者。また、仏の後継者としての、観世音、彌勒、地蔵など。A昔、朝廷から碩徳の高僧に賜った号。B本地垂迹説の勃興以後、神につけられた号。C菩薩に扮する雅楽の舞人。D米の異称。E転じて、飯炊き下女。F遊女の異称。雅楽の曲名。唐楽、壱越調の曲。林邑僧仏哲が伝えたものといわれている。今日宮内庁の選定楽譜には同曲の破(は)だけが残り、舞は残されていない。菩薩楽」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御堂佛後壁畫圖、終彩色之功、所奉圖浄土瑞相、并二十五菩薩像也《訓み下し》御堂ノ仏ノ後壁ノ画図、彩色ノ功ヲ終ヘテ、浄土ノ瑞相、并ニ二十五ノ菩薩ノ像ヲ図シ奉ル所ナリ。《『吾妻鏡』文治元年十月十一日の条》
 
 
2004年05月19日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
坐像(ザゾウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、「坐禅(ぜン)。坐具(ザグ)」の二語を収載し、この標記語「坐像」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍二天刻彫之〔至徳三年本〕

金色等身如來白檀座像菩薩各脇侍二天剋彫之〔宝徳三年本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇士二天刻彫之〔建部傳内本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍(コウシ)二天(テウ)〔山田俊雄藏本〕

金色等身如来白檀(  タン)座像各菩薩脇侍(ケフジ)二天(コク)(テウ)〔経覺筆本〕

金色等身(トウ  )如来白檀(  タン)座像(ザサウ)菩薩(ヲノ/\)脇侍(ケウシ)二天剋彫(コクテウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「座像」と記載し、訓みは、文明四年本に「ザサウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「坐像」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「坐像」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

坐像(ザウアル、シヤウ)[去・上] 。〔態藝門792三〕

とあって、標記語「坐像」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』は、標記語「坐像」の語は未収載にする。また、易林本節用集』に、

坐禪(ザぜン) ―像(ザウ)。〔言語門181六〕

とあって、標記語「坐禪」の巻頭字「坐」の熟語群のなかに「坐像」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「坐像」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

526坐像 白磨云也。〔謙堂文庫藏五〇左B〕

とあって、標記語「坐像」の語を収載し、語注記は「白磨を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

白檀(ヒヤク ン)座像(ササウ)菩薩(ホサツ)(ヲノ/\)白檀ハサイシキナシ刀目(  ナメ)ヲ顕(アラハ)ス也。喩(タト)ヘバ菩薩(ホ  )ト云條普賢(フケン)文殊(モンシユ)觀音(クハンヲン)地蔵(チサウ)ノ事也。〔下27ウ五〕

とあって、この標記語「座像」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

白檀(びやくだん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)白檀座像菩薩白檀ハ木の名此木にてほりたるほさつ也。座(すわ)りて居る形(かたち)を座像(さそう)と云。立て居るを立像(りうそう)といふ。〔75ウ五〜六〕

とあって、この標記語「坐像」の語をもって収載し、語注記は、「(すわ)りて居る形(かたち)を座像(さそう)と云。立て居るを立像(りうそう)といふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲白檀坐像菩薩ハ白檀にて刻(きさ)ミたる坐(すハ)らせ給ふ木像(もくそう)也。菩薩ハ菩提薩?(ほたいさつた)を略(りやく)せる也。〔55オ一〜55ウ五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲白檀坐像菩薩ハ白檀(びやくたん)にて刻(きざ)ミたる坐(すわ)らせ給ふ木像(もくざう)也。菩薩(ぼさつ)ハ菩提薩?(ぼだいさつた)を略(りやく)せる也。〔98ウ四〜100オ一〕

とあって、標記語「坐像」の語をもって収載し、その語注記は、「白檀坐像の菩薩は、白檀(びやくたん)にて刻(きざ)みたる坐(すわ)らせ給ふ木像(もくざう)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「坐像」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ざう〔名〕【坐像】坐りて居る像。(立像に對す)冥報記「爲畫坐像於寺西壁」〔0795-1〕

とあって、標記語「-ざう〔名〕【坐像】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぞう坐像座像】〔名〕すわっている姿の像」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
過去四佛。已坐其下。今猶現有四佛坐像。賢劫之中。九百九十六佛。皆當坐焉。《『大唐西域記』》
 
 
2004年05月18日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
白檀(ビヤクダン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、

白檀(ダン) 。〔元亀二年本342三〕〔静嘉堂本410四〕

とあって、標記語「白檀」の語を収載する。語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍二天刻彫之〔至徳三年本〕

金色等身如來白檀座像菩薩各脇侍二天剋彫之〔宝徳三年本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇士二天刻彫之〔建部傳内本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍(コウシ)二天(テウ)〔山田俊雄藏本〕

金色等身如来白檀(  タン)座像各菩薩脇侍(ケフジ)二天(コク)(テウ)〔経覺筆本〕

金色等身(トウ  )如来白檀(  タン)座像(ザサウ)菩薩(ヲノ/\)脇侍(ケウシ)二天剋彫(コクテウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「白檀」と記載し、訓みは、経覺筆本と文明四年本に「(ビヤク)タン」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

白檀 ヒヤクタン俗/栴檀白者/――。〔黒川本・植物門下87ウ五〕

白檀 ヒヤクタン。〔巻第十・植物門322四〕

とあって、標記語「白檀」の語を収載する。そして、三卷本には語注記として「俗に栴檀の白きものを白檀」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「白檀」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)に、

白檀(ビヤクダンハク・シロシ、マユミ)[入・平] 。〔草木門1030五〕

とあって、標記語「白檀」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』も、

白檀(ヒヤクダン) 。〔・草木門215一〕

白檀(ヒヤクタン) 。〔・草木門200四〕

とあって、標記語「白檀」の語を収載する。また、易林本節用集』に、

白檀(ビヤクダン) 。〔草木門223七〕

とあって、標記語「白檀」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「白檀」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。但し、真字本に見える「白磨云也」の語注記は継承されていない語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

526白檀 白磨云也。〔謙堂文庫藏五〇左B〕

とあって、標記語「白檀」の語を収載し、語注記は「白磨を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

白檀(ヒヤク ン)座像(ササウ)菩薩(ホサツ)(ヲノ/\)白檀ハサイシキナシ刀目(  ナメ)ヲ顕(アラハ)ス也。喩(タト)ヘバ菩薩(ホ  )ト云條普賢(フケン)文殊(モンシユ)觀音(クハンヲン)地蔵(チサウ)ノ事也。〔下27ウ五〕

とあって、この標記語「白檀」とし、語注記は「白檀は、さいしきなし。刀目(  ナメ)を顕(アラハ)すなり。喩(タト)へば、菩薩(ホ  )と云ふ條普賢(フケン)文殊(モンシユ)觀音(クハンヲン)地蔵(チサウ)の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

白檀(びやくだん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)白檀座像菩薩白檀ハ木の名此木にてほりたるほさつ也。座(すわ)りて居る形(かたち)を座像(さそう)と云。立て居るを立像(りうそう)といふ。〔75ウ五〜六〕

とあって、この標記語「白檀」の語をもって収載し、語注記は、「白檀は、木の名」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲白檀坐像菩薩ハ白檀にて刻(きさ)ミたる坐(すハ)らせ給ふ木像(もくそう)也。菩薩ハ菩提薩?(ほたいさつた)を略(りやく)せる也。〔55オ一〜55ウ五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲白檀坐像菩薩ハ白檀(びやくたん)にて刻(きざ)ミたる坐(すわ)らせ給ふ木像(もくざう)也。菩薩(ぼさつ)ハ菩提薩?(ぼだいさつた)を略(りやく)せる也。〔98ウ四〜100オ一〕

とあって、標記語「白檀」の語をもって収載し、その語注記は、「白檀坐像の菩薩は、白檀(びやくたん)にて刻(きざ)みたる坐(すわ)らせ給ふ木像(もくざう)なり。菩薩(ぼさつ)は、菩提薩?(ぼだいさつた)を略(りやく)せるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Biacudan.ビャクダン(白檀) 白檀の木.※原文はsandalo.sandalo brancoことで白檀.なお,この条下にあるべき一項が次条に混入している.→Xitan.〔邦訳54r〕

とあって、標記語「白檀」の語の意味は「白檀の木」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

びゃく-ダン〔名〕【白檀】〔栴檀の條を見よ。紫檀。K檀などに對す〕(一){熱地に産ずる樹。栴檀の類、其材を舶來す。色、白くして黄を帶ぶ、香料、藥料、などとし、又、器具を作る。一種、油色なるを黄檀と云ふ、亦、藥料とす。新唐書、南蠻傳「單單在攝州東南多羅磨之西、亦有州縣、木多白檀倭名抄、廿25木類「白檀、栴檀白者謂之白檀古事談、二、釋教「紫檀、白檀等皆唐土之物也、云云、白檀は栴檀之白也」(二)わびゃくだん(和白檀)に同じ。次次條の語を見よ。〔1703-4〕

とあって、標記語「びゃく-ダン〔名〕【白檀】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「びゃく-だん白檀】〔名〕@ビャクダン科の半寄生の常緑高木。インド原産で、熱帯各地で栽培されている。高さ七bに達する。葉は柄をもち対生し、葉身は黄緑色を帯び卵状披針形で、長さ五〜八センチb。雌雄異株。花は枝先か葉腋に円錐状につき、はじめ緑白色で、すぐに赤変。果実は径約一センチbの球形で黒く熟す。心材は黄白色で、芳香があり、古くから香料として珍重される。また、仏像や美術品の彫刻材とされる。材を蒸留し白檀油を製する。栴檀(せんだん)。白檀の木。学名はSantalum album A「びゃくだんこう(白檀香)の略。」B植物「いぶき(伊吹)の異名」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
故二位家御本尊、白壇釋迦像、更有供養儀導師、法印道禪也是相州御願〈云云〉《訓み下し》故二位家ノ御本尊、白檀(ビヤクダン)ノ釈迦ノ像、更ニ供養ノ儀有リ。導師ハ、法印道禅ナリ。是レ相州ノ御願ト〈云云〉。《『吾妻鏡』建長二年七月十五日の条》
 
 
2004年05月17日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学(DON BOSCO図書館)
等身(トウシン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、「等閑(トウカン)。等分(フン)。等輩(ハイ)。等同(トウ/\)」の四語を収載し、この標記語「等身」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍二天刻彫之〔至徳三年本〕

金色等身如來白檀座像菩薩各脇侍二天剋彫之〔宝徳三年本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇士二天刻彫之〔建部傳内本〕

金色等身如来白檀座像菩薩各脇侍(コウシ)二天(テウ)〔山田俊雄藏本〕

金色等身如来白檀(  タン)座像各菩薩脇侍(ケフジ)二天(コク)(テウ)〔経覺筆本〕

金色等身(トウ  )如来白檀(  タン)座像(ザサウ)菩薩(ヲノ/\)脇侍(ケウシ)二天剋彫(コクテウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「等身」と記載し、訓みは、文明四年本に「トウ(シン)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「等身」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「等身」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「等身」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

524僧-坊- 立像也。言立旦那也。又後二条関白山王時北政所願御身等身薬師像各七体作被供養也。〔謙堂文庫藏五〇左A〕

とあって、標記語「等身」の語を収載し、語注記は「立像なり。言は、建立は旦那の長と等しきなり。また、後二条の関白、山王の咎に病ひの時、北政所願に御身等身の薬師の像、各七体を作り供養せらるるなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

僧坊金色等身如來僧坊ハ寺中ノ房也。金色ノ如來ノ事夫五智圓滿ノ如來ハ紫摩金也。身ノ御形ナリ。作リ立ル処ヲ泥佛ニ作ルナリ。〔下27ウ四〜五〕

とあって、この標記語「等身」とし、語注記は「金色の如來の事、夫れ五智圓滿の如來は、紫摩金なり。身の御形ちなり。作り立つる処を泥佛に作るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

金色(こんじき)等身(とうしん)乃如来(によらい)金色等身如来衣もはたへも皆金色にしたる仏像なり。又建立する人の身の丈と等しくしたる如来なりともいふ。〔75ウ三〕

とあって、この標記語「等身」の語をもって収載し、語注記は、「また、建立する人の身の丈と等しくしたる如来なりともいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲金色等身如来ハ衣(ころも)も肌(はたへ)も等(ひとし)く金色(きんいろ)にしたる仏像(ふつそう)をいふ〔55オ一〜55ウ五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲金色等身如来ハ衣(ころも)も肌(はたへ)も等(ひとし)く金色(きんいろ)にしたる仏像(ぶつざう)をいふ。〔98ウ四〜100オ一〕

とあって、標記語「等身」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「等身」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

とう-しん〔名〕【等身】己が身の高さと、等しきこと。升菴集(明、楊愼)「宋賈黄中、幼日聽悟過人、父師取書、與其身相等、令之、謂等身、張子野詞、等身金誰能意、買此好光景役行者靈験記、上「等身ノ藏王の形像を作り」更級日記とうしんに藥師佛を造りて」〔1385-5〕

とあって、標記語「とう-しん〔名〕【等身】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とう-しん等身】〔名〕(古くは「とうじん」)人の身の丈(たけ)と等しい高さ。等身大」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
先今日中、造立等身千手菩薩之像、有供養之儀《訓み下し》先ヅ今日中ニ、等身ノ千手菩薩ノ像ヲ造立シ、供養ノ儀有リ。《『吾妻鏡』弘長三年十一月八日の条》
 
 
如来(ニヨライ)」は、ことばの溜池(2000.12.24)を参照。
 
2004年05月16日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
僧坊(ソウバウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

僧房(バウ)僧坊(バウ) 。〔元亀二年本153三〕

とあって、この標記語「僧坊」の語を収載する。但し、 静嘉堂本と天正十七年本にはこの語は未収載とすることは注意されたい。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋風呂-〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-(ハウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「僧坊」と記載し、訓みは、文明四年本に「ソウハウ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

僧坊 同/ソウハウ。〔畳字門中18ウ六〕

僧侶 〃徒。〃衆。〃正。〃祇。〃房。〃器。〃事。〃綱。〃供。〔畳字門56二〕

とあって、標記語「僧坊」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

僧坊(ソウバウ) 。〔家屋門57六〕

とあって、標記語「僧坊」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

僧坊(シヤウダウヒキイル、ミチビク)[平・去] 。〔態藝門1018一〕

とあって、同音異表記の標記語「僧坊」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

僧房(バウ) 。〔・天地門117八〕

とあって、弘治二年本にだけ、標記語「僧房」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

僧坊( ウハウ) ―堂(タウ)。〔乾坤門99三〕

とあって、標記語「僧坊」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「僧坊」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

524--身 立像也。言立旦那也。又後二条関白山王時北政所願御身等身薬師像各七体作被供養也。〔謙堂文庫藏五〇左A〕

とあって、標記語「僧坊」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

僧坊金色等身如來僧坊ハ寺中ノ房也。金色ノ如來ノ事夫五智圓滿ノ如來ハ紫摩金也。身ノ御形ナリ。作リ立ル処ヲ泥佛ニ作ルナリ。〔下27ウ四〜五〕

とあって、この標記語「僧坊」とし、語注記は「僧坊は、寺中の房なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

僧坊(そうばう)僧坊寺中の坊なり。精舎といふよりこゝまてハ皆普請(ふしん)成就(じやうじゆ)の供養なり。〔75ウ三〕

とあって、この標記語「僧坊」の語をもって収載し、語注記は、「寺中の坊なり。精舎といふよりこゝまでは皆普請(ふしん)成就(じやうじゆ)の供養なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲僧坊ハ寺中(しちう)の坊舎(はうしや)也。〔55オ一〜55ウ四・五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲僧坊ハ寺中(じちう)の坊舎(ばうしや)也。〔98ウ四〜99ウ六〕

とあって、標記語「僧坊」の語をもって収載し、その語注記は、「僧坊は、寺中(じちう)の坊舎(ばうしや)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「僧坊」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そう-ばう〔名〕【僧坊】僧の居る別室。僧侶の房室。佛國記晉、釋法顯)「作四方僧坊、供給客僧晉書、鳩摩羅什傳「不僧坊倭名類聚抄、十三1伽藍具「僧坊、法華經云、起塔寺、及造僧坊、(注、他經等或云僧坊)供養衆僧、其徳最勝、無量無邊」源氏物語、五、若紫3「高き所にて、此處彼處、僧坊ども、あらはに見下さるる」平家物語、一、清水炎上事「山門の大衆、六波羅へは寄せずして、漫なる清水寺に押し寄せて、佛閣、僧坊、一宇も殘さず、焼き拂ふ」〔1142-4〕

とあって、標記語「そう-ばう〔名〕【僧坊】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「そう-ぼう僧坊】〔名〕@僧たちが止住し起居する寺院内の家屋。僧尼の宿所。坊舎。A戒律を専門とする道場。河内の野中寺(やちゅうじ)、和泉の神鳳寺、山城の最明寺を三僧坊という。Bキリスト教会で、僧尼が住む独居室」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武藏國威光寺者、依爲源家數代御祈祷所、院主僧々圓相承之、僧坊寺領如元被奉免之〈云云〉《訓み下し》武蔵ノ国威光寺ハ、源家数代ノ御祈祷所タルニ依テ、院主ノ僧増円之ヲ相承ス。僧坊(ソウバウ)寺領元ノ如ク之ヲ免ジ奉ラルト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年十一月十五日の条》
 
 
金色(コンジキ)」は、ことばの溜池(2000.12.25)を参照。《補遺》
江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

金色(こんじき)等身(とうしん)乃如来(によらい)金色等身如来衣もはたへも皆金色にしたる仏像なり。又建立する人の身の丈と等しくしたる如来なりともいふ。〔75ウ三〕

とあって、この標記語「金色」の語をもって収載し、語注記は、「衣もはだへも皆金色にしたる仏像なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲金色等身如来ハ衣(ころも)も肌(はたへ)も等(ひとし)く金色(きんいろ)にしたる仏像(ふつそう)をいふ。〔55オ一〜55ウ五〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲金色等身如来ハ衣(ころも)も肌(はたへ)も等(ひとし)く金色(きんいろ)にしたる仏像(ぶつざう)をいふ。〔98ウ四〜100オ一〕

とあって、標記語「金色」の語をもって収載し、その語注記は、「金色等身の如来は、衣(ころも)も肌(はたへ)も等(ひとし)く金色(きんいろ)にしたる仏像(ぶつざう)をいふ」と記載する。
 
2004年05月15日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
二階(ニカイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「爾」部に、

二階(カイ) 。〔元亀二年本40五〕〔静嘉堂本44三〕〔天正十七年本上22ウ四〕

とあって、この標記語「二階」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「二階」と記載し、訓みは、文明四年本に「(ニ)カイ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「二階」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「二階」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

二階(ニカイ・フタツ、キダハシ)[去・平] 。〔態藝門85七〕

とあって、標記語「二階」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、

二階(カイ) 家上。〔・天地門27八〕

二階(ニカイ) 家。〔・天地門28二〕

二階(カイ) 。〔・天地門25二〕

二階(ニカイ) 。〔・天地門29二〕

とあって、標記語「二階」の語を収載し、語注記は弘治二年本が「家上」、永祿二年本が「家」と記載する。また、易林本節用集』には、

二階(ニカイ) 。〔乾坤門25三〕

とあって、標記語「二階」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「二階」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

522二階 上門善也。〔謙堂文庫藏五〇左@〕

とあって、標記語「二階」の語を収載し、語注記は、「門を付け善きなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

惣門(ソウモン)二階(カイ)湯屋(ユヤ)〔下27ウ四〕

とあって、この標記語「二階」とし、語注記は「常の如し」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

惣門(そうもん)二階(にかい)惣門二階二階にしたる門也。〔75ウ六〕

とあって、この標記語「二階」の語をもって収載し、語注記は、「二階にしたる門なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲惣門二階ハ二階作(にかいつく)り乃大門也。〔55オ一〜55ウ三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲惣門二階ハ二階作(にかいづく)りの大門也。〔98ウ四〜99ウ六〕

とあって、標記語「二階」の語をもって収載し、その語注記は、「惣門二階は、二階作(にかいづく)りの大門なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nicai.ニカイ(二階) 二階.§Nicaizzucurino iye.(二階造りの家)二階建ての家.〔邦訳462l〕

とあって、標記語「二階」の語の意味は「二階」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-かい〔名〕【二階】(一){二階子の略。二層に造りたる子。又、その廚子の棚。類聚雜要抄、二、調度「大治五年、云云、北庇二階」源氏物語、三十八、夕霧71「沈の二階」同、四十九、東屋18「廚子二かいなど、あやしきまでしくはへ」今昔物語集、廿七、第四語「二階に、蒔繪の硯箱をも置き、火取に空薫の匂、馨ばしくきこゆ」蜻蛉日記、上21「云云、と書きつけて二かいに置きたり」(二)平家の上に、なほ一層重ねて造りたる所。又、その家。たかどの。重家思儘日記「水の上に二かいを作りかけ」二階から目薬をさすとハ、二階より階下の人に目藥をさす如く、思ふやうに届きかぬる意。又、迂遠なる喩に云ふ語。御前義經記「二階から目藥さす仕掛け、さりとは急な戀ぞかし」〔1484-2〕

とあって、標記語「-かい〔名〕【二階】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-かい二階】〔名〕@上・下の二層になっているもの。A室内用の調度のひとつで、二層の棚を設け、日用品などを置くもの。棚の二段ある厨子。また、とびらのあるのを「厨子」、とびらのないものを「二階」と区別して呼ぶこともある。B平屋の上にさらに一層重ねて作った家屋、または、その上層の部屋。C(―する)二つの段階。転じて、位をひとつ跳び越えて昇進すること。D近世、特殊な建物でBの構造になっているもの。湯女(ゆな)風呂の場合。二階が浴客の遊び場になっている。楽屋の場合。実際は三階で、座頭はじめ立役その他のいる所。遊女屋の場合。そこに部屋を持っている遊女をもいう。E高層建築で下から二層目」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
先之、備州、迯到後山、入或民家二階之上《訓み下し》之ヨリ先、備州ハ、逃ゲテ後ノ山ニ到リ、或民家ノ二階ノ上ニ入ル。《『吾妻鏡』文治二年五月二十五日の条》
 
 
湯屋(ユヤ)」は、ことばの溜池(2000.12.23)を参照。
 
2004年05月14日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
惣門(ソウモン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

?門(モン) 。〔元亀二年本152二〕〔天正十七年本中14ウ四〕

?門 。〔静嘉堂本166二〕

とあって、この標記語「?門」の語をもって収載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、古写本については、至徳三年本、建部傳内本、山田俊雄藏本は、「惣門」と記載し、経覺筆本の「門」と記載し、文明四年本は、「?(ソウ)門」と記載する。訓みは、文明四年本に「ソウ(モン)」とある。宝徳三年本は、此の語を欠落にする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「惣門」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

総門(ソウモン) 。〔家屋門56一〕

とあって、標記語「惣門」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

總門(ソウモンスベテ・フサ、カド)[上・平] 。〔態藝門383八〕

とあって、標記語「總門」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

?門(ソウモン) 。〔・天地門117八・言語進退門122三〕〔・天地門100三〕〔・天地門90八〕〔・天地門110四〕

とあって、標記語「?門」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

?門(ソウモン) 。〔乾坤門99三〕

とあって、標記語「?門」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「総門」「總門」「?門」の語をもって収載していて、このうち古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語は表記上からは、『下學集』と共通している。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

521食堂休所総門 大門云也。〔謙堂文庫藏五〇右H〕{食堂僧堂也。座禅スル処一日一夜ハン也}

とあって、標記語「総門」の語を収載し、語注記は、「大門を云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

惣門(ソウモン)二階(カイ)湯屋(ユヤ)〔下27ウ四〕

とあって、この標記語「惣門」とし、語注記は「常の如し」とだけ記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

惣門(そうもん)二階(にかい)惣門二階二階にしたる門也。〔75ウ六〕

とあって、この標記語「惣門」の語をもって収載し、語注記は、「二階にしたる門なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲惣門二階ハ二階作(にかいつく)り乃大門也。〔55オ一〜55ウ四〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲惣門二階ハ二階作(にかいづく)りの大門也。〔98ウ四〜99ウ六〕

とあって、標記語「惣門」の語をもって収載し、その語注記は、「惣門二階は、二階作(にかいづく)りの大門なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

So>mon.ソウモン(惣門) 皆が,すなわち,すべての種類の人々が,そこを通って出入りする主な門.〔邦訳572r〕

とあって、標記語「惣門」の語の意味は「皆が,すなわち,すべての種類の人々が,そこを通って出入りする主な門」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

そう-もん〔名〕【總門】外構への第一の正門。大門(ダイモン)。おおみかど。平家物語、四、信連合戰事「三條表の總門をも、高倉表の小門をも、共に開きて、待ちかけたり」徒然草、四十四段、「山の際に、總門のある内に入りぬ」〔1143-3〕

とあって、標記語「そう-もん〔名〕【惣門】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「そう-もん総門惣門】〔名〕@外構えの大門。総構えの第一の正門。大門。A禅寺の表門。B特に、江戸の遊里、根津遊郭の入口の門をさしていう」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
勝長壽院惣門、依風破損今日加修理、仍二品監臨給《訓み下し》勝長寿院ノ惣門、風ニ依テ破損ス。今日修理ヲ加フ、仍テ二品監臨シ給フ。《『吾妻鏡』文治二年八月九日の条》
 
 
2004年05月13日(木)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
休所(やすみところ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「屋」部に、標記語「休所」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所門二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「休所」と記載し、訓みは、経覺筆本に「ヤスミ(トコロ)」、文明四年本に「ヤスミトコロ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「休所」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

休所(ヤスミトコロ) 。〔家屋門57一〕

とあって、標記語「休所」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「休所」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、何と『下學集』にのみ標記語「休所」の語が収載されていて、他の古辞書は未収載にする。この語が古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

521食堂休所総門 大門云也。〔謙堂文庫藏五〇右H〕{食堂僧堂也。座禅スル処一日一夜ハン也}

とあって、標記語「休所」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

食堂(ジキタウ)休所(キウシヨ)ハ一寺ノ衆徒(シユト)同會( イ)ノ時食事ノ処ナリ。〔下27ウ三〜四〕

とあって、この標記語「休所」とし、訓みを音読みして「キウシヨ」とし、語注記は「一寺の衆徒(シユト)同會( イ)の時食事の処なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、     

休所(やすミところ)休所勤行の間に休息する所なり。〔75ウ一〜二〕

とあって、この標記語「休所」の語をもって収載し、語注記は、「勤行の間に休息する所なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲休所ハ勤行(こんきやう)休息(きうそ)の所。〔55オ一〜55ウ四〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲休所ハ勤行(ごんぎやう)休息(きうそく)の所。〔98ウ四〜99ウ六〕

とあって、標記語「休所」の語をもって収載し、その語注記は、「休所は、勤行(ごんぎやう)休息(きうそく)の所」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yasumidocoro.ヤスミドコロ(休所) 休止したり,休息したりする所.〔邦訳812r〕

とあって、標記語「休所」の語の意味は「休止したり,休息したりする所」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

やすみ-どころ〔名〕【休所】休憩する塲所。休憩所。大嘗祭式「祝部憩屋(ヤスミドコロ)一宇」〔2037-5〕

とあって、標記語「やすみ-どころ〔名〕【休所】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「やすみ-どころ休所】〔名〕休息する所。休憩所。やすみじょ。やすみどこ。やすみば。やすみばしょ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
此秀清者、去治承四年石橋合戰之時、兄義秀令與景親謀叛之後、牢籠之處、母〈二品官女、號京極局〉相計而暫隱其號、置休所之傍《訓み下し》此ノ秀清ハ、去ヌル治承四年石橋合戦ノ時、兄義秀景親ガ謀叛ニ与セシムルノ後、牢篭スルノ処ニ、母〈二品ノ官女、京極ノ局ト号ス。〉相ヒ計ツテ暫ク其ノ号ヲ隠シ、(キウ)ノ傍ニ置ク。《『吾妻鏡』文治五年八月十二日の条》
 
 
2004年05月12日(水)曇り後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
食堂(ジキダウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

食堂(ダウ) 。〔元亀二年本313一〕

食堂(ジキダウ) 。〔静嘉堂本366六〕

とあって、この標記語「食堂」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「食堂」と記載し、訓みは、文明四年本に「シキ(ダウ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

食堂 シキタウ。〔黒川本・地儀門下68オ三〕

食堂(シキタウ) 。〔巻第九・地儀門127二〕

とあって、標記語「食堂」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「食堂」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

食堂(ジキダウクラウ、イヱ)[入・○] 。〔家屋門908一〕

とあって、同音異表記の標記語「食堂」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「食堂」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

食堂(ジキダウ) 。〔乾坤門203三〕

とあって、標記語「食堂」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「食堂」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

521食堂休所総門 大門云也。〔謙堂文庫藏五〇右H〕{食堂僧堂也。座禅スル処一日一夜ハン也}

とあって、標記語「食堂」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

食堂(ジキタウ)休所(キウシヨ)ハ一寺ノ衆徒(シユト)同會( イ)ノ時食事ノ処ナリ。〔下27ウ三〜四〕

とあって、この標記語「食堂」とし、語注記は「一寺の衆徒(シユト)同會( イ)の時食事の処なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

食堂(じきだう)食堂僧徒の食事する所なり。〔75ウ一〕

とあって、この標記語「食堂」の語をもって収載し、語注記は、「僧徒の食事する所なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲食堂ハ僧衆(そうしゆ)の食事(しよくし)する所。〔55オ一〜55ウ四〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲食堂ハ僧衆(そうしゆ)の食事(しよくじ)する所。〔98ウ四〜99ウ五・六〕

とあって、標記語「食堂」の語をもって収載し、その語注記は、「食堂は、僧衆(そうしゆ)の食事(しよくじ)する所」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iiqido<.ジキダウ(食堂) 食堂.〔邦訳364r〕

とあって、標記語「食堂」の語の意味は「食堂」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じき-だう(ドウ)〔名〕【食堂】ショクダウ(食堂)に同じ。寺に云ふ。法隆寺伽藍縁起并流記資材帳「堂二口(一口、金堂、一口、食堂)字鏡抄「食堂、在諸寺、安置文殊聖像増補下學集、上、二、家屋門「食堂(ジキドウ)」〔0883-1〕

とあって、標記語「じき-だう〔名〕【食堂】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じき-どう食堂】〔名〕(「じき」は「食」の呉音)@仏語。寺院で僧たちが食事をする堂舎。金堂、講堂とともに寺院建築の重要な建物で、多くは本堂の東廊に続き、廊下には魚板をかけて、食事の合図にたたく。堂内に賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)または文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を安置する。齋堂。A「しょくどう(食堂)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
前唐院聖教、寳物等奉取出法華常行堂、供養法於食堂修之、放火事、堂衆所行歟之由、有其疑〈云云〉《訓み下し》前唐院ノ聖教、宝物等ヲ法華常行堂ニ取リ出シ奉リ、供養法ヲ食堂ニ於テ之ヲ修ス、放火ノ事、堂衆ノ所行カノ由、其ノ疑ヒ有リト〈云云〉。《『吾妻鏡』元久二年十月十三日の条》
 
 
2004年05月11日(火)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
寳塔(ホウタウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、「寳殿(ホウデン)。寳蔵(ザウ)。寳剣(ケン)。寳印(イン)。寳祖(アマツミツキソ)天子之御位也。日本記。寳号(ガウ)。寳幢(ドウ)武具。寳鐸(チヤク)。寳倉(ホウサウ)」の九語を収載し、この標記語「寳塔」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「寳塔」と記載し、このうち、山田俊雄藏本には「多」を添える形態で示されている。訓みは、いずれも未記記載にする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「寳塔」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「寳塔」の語は未収載にする。また、饅頭屋本節用集』には、

寳塔(ホウタフ) 。〔乾坤門〕

とあって、標記語「寳塔」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、饅頭屋本節用集』だけに標記語「寳塔」の語を収載していて、これが古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

518金堂多宝 多宝也。釈迦也。〔謙堂文庫藏五〇右G〕

とあって、標記語「多宝塔」の語を収載し、語注記は、「多宝なり。釈迦なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

三重塔婆(タウバ)金堂(コンタウ)多寳塔(タホウタウ)三重ノ塔婆(トウバ)ハ莊嚴(シヤウコン)ノ塔ナリ。此塔ハ儀軌(キキ)ノ塔ナリ。〔下27ウ二〜三〕

とあって、この標記語「多寳塔」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

寳塔(ほうたう)寳塔佛舎利なとを入置塔なり。〔75オ五〜六〕

とあって、この標記語「寳塔」の語をもって収載し、語注記は、「佛舎利などを入れ置く塔なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲宝塔ハ佛舎利(ふつしやり)などを納(おさ)む。一に多宝塔に作(つく)る。〔55オ一〜55ウ三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲宝塔ハ佛舎利(ぶつしやり)などを納(をさ)む。一に多宝塔(たはうたふ)に作る。〔98ウ四〜99ウ五〕

とあって、標記語「寳塔」の語をもって収載し、その語注記は、「宝塔は、佛舎利(ぶつしやり)などを納(をさ)む。一に多宝塔(たはうたふ)に作る」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Fo>to<.ホウタウ(寳塔) 二層から成る一種の小さな塔.〔邦訳265r〕

とあって、標記語「寳塔」の語の意味は「二層から成る一種の小さな塔」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほう-たふ〔名〕【寳塔】珍寳もて飾したる塔。法華經、寳塔品「佛前有寳塔、云云、種種寳物而莊校之、云云、三十三天、雨曼陀羅華、供養寳塔扶桑略記、三、推古天皇元年「起立寺塔、云云、寳塔壹基、五重瓦葺、金堂一宇、二重瓦葺、金銅救世觀音像一?、云云、金塗六重寳塔一基」〔1826-3〕

とあって、標記語「ほう-たふ〔名〕【寳塔】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほう-たう寳塔】〔名〕@珍宝で飾った塔。A塔をほめていう語。塔の美称。B「たほうとう(多宝塔)」に同じ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
無量光院〈號新御堂〉事、秀衡建立之其堂内四壁扉、圖繪觀經大意加之秀衡自圖繪狩猟之躰佛者阿彌陀丈六也三重寳塔、院内莊嚴悉以所摸宇治平等院也《訓み下し》無量光院ノ〈新御堂ト号ス〉事、秀衡之ヲ建立ス。其ノ堂ノ内ノ四壁ノ扉、観経ノ大意ヲ図絵ス。加之秀衡自ラ狩猟ノ体ヲ図絵ス。仏(本仏)ハ阿弥陀ノ丈六ナリ。三重ノ宝塔(ホウタフ)、院内ノ荘厳悉ク以テ宇治ノ平等院ヲ摸スル所ナリ。《『吾妻鏡』文治五年九月十七日の条》
 
 
經藏(キヤウザウ)」は、ことばの溜池(2000.12.22)を参照。
鐘樓(シユロウ)」は、ことばの溜池(2000.12.21)を参照。
 
2004年05月10日(月)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
金堂(コンダウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、「金泥(デイ)。金剛(コンガウ)。金色(ジキ)」の三語を収載するだけで、この標記語「金堂」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「金堂」と記載し、宝徳三年本だけが脱語している。訓みは、いずれも未記載にする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

金堂(コンタウ) 。〔黒川本・地儀門下1ウ八〕

金堂 。〔巻第七・地儀門107三〕

とあって、標記語「金堂」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「金堂」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

金堂(コンダウ) 。〔乾坤門153七〕

とあって、標記語「金堂」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』、易林本節用集』に標記語「金堂」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

518金堂多宝 多宝也。釈迦也。〔謙堂文庫藏五〇右G〕

とあって、標記語「金堂」の語を収載し、語注記は、「多宝なり。釈迦なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

三重塔婆(タウバ)金堂(コンタウ)多寳塔(タホウタウ)三重ノ塔婆(トウバ)ハ莊嚴(シヤウコン)ノ塔ナリ。此塔ハ儀軌(キキ)ノ塔ナリ。〔下27ウ二〜三〕

とあって、この標記語「金堂」とし、語注記は未記載にする。

時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

金堂(こんだう)金堂とハひらはしらなとへ金箔(きんはく)を重たる堂の事也。〔75オ七〜八〕

とあって、この標記語「金堂」の語をもって収載し、語注記は、「ひらはしらなどへ金箔(きんはく)を重たる堂の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲金堂金箔(きんはく)にて濃(たミ)たるゆへ名(なつ)く。〔55オ一〜55ウ三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲金堂ハ金箔(きんばく)にて濃(だミ)たるゆゑ名(なつ)く。〔98ウ四〜99ウ四〕

とあって、標記語「金堂」の語をもって収載し、その語注記は、「金堂は、金箔(きんばく)にて濃(だミ)たるゆゑ名(なつ)く」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Condo<.コンダウ(金堂) この名で呼ばれる礼拝堂.または,寺院.〔邦訳146l〕

とあって、標記語「金堂」の語の意味は「この名で呼ばれる礼拝堂.または,寺院」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

こん(コン)-だう(ドウ)〔名〕【金堂】〔東寳記「金堂、亦名佛殿、佛稱金人、名異、體同、是故配佛室」〕 法相宗、眞言宗の寺院にて、本堂の稱。(ほんだうの條を見よ)推古記、十四年四月「銅繍丈六佛像、云云、坐(スウ)()元興寺金堂箋注倭名抄、五4伽藍具、金堂「梁元帝入佛日殿禮拝詩云「玳瑁金堂柱、云云」註「楊氏云、佛殿金堂也」東寳記、一「舊記云、延暦十五年、造東寺云云、金堂、藥師等形像、云云」野山名靈集、一、「金堂、云云、本尊は、藥師如来」(高野山)源平盛衰記、十五、高倉宮出寺事「高倉宮は、云云、南都を憑みて落ちさせ給ひけるが、先づ、金堂に御入堂あり」〔0773-3〕

とあって、標記語「こん-だう〔名〕【金堂】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「こん-どう金堂】〔名〕@(堂内に金色の仏像を安置し、また、その装飾も金色に光り輝いていたために名づけられたもの。一説に、仏を金人というため、本尊仏を安置した堂をこのように名づけたともいう)伽藍の中心で、一寺の本尊を安置した堂。平安中期頃までは、本尊を安置する堂を一般に「金堂」と称していたが、以後は「本堂」と呼ばれるようになっていった。なお、禅宗では「仏殿」と呼ばれた。A金箔(きんぱく)を押したり、または、金銀をちりばめた殿堂。金色の堂」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
今日園城寺爲平家焼失金堂以下堂舎塔廟并大小乗經巻、顯密聖教、大略以化灰燼〈云云〉《訓み下し》今日園城寺平家ノ為ニ焼失ス。金堂(コンダウ)以下堂舎塔廟并ニ大小乗経巻、顕密ノ聖教、大略以テ灰燼ニ化スト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年十二月十二日の条》
 
 
2004年05月09日(日)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→VILLA ADA
塔婆(タウバ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

塔婆() 。〔元亀二年本137十〕

塔婆(タウバ) 。〔静嘉堂本146三〕〔天正十七年本中5オ三〕

とあって、標記語「塔婆」の語を収載し、語注記は未記載にする。ここで、下記に示す広本『節用集』印度本系統『節用集』類等に語注記があるのに対して、語は採録したものの注記を省いた『運歩色葉集』の編纂者の有する語の認定意識を此処に垣間見ることとなる。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「塔婆」と記載し、訓みは、文明四年本に「タウハ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「塔婆」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「塔婆」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

塔婆(タフバイヱ・タカラ、ウバ)[入・平] ――梵語也。此ニハ靈廟(レイベウ)。塔與?同。又浮圖。浮屠。抖(トスウ)神諸墳支提高顯樹。〔天地門330二〕

とあって、標記語「塔婆」の語を収載し、訓みは「タフバ」とし、語注記は、「塔婆は、梵語なり。此には、靈廟(レイベウ)と翻ず。塔與?は同じ。又、浮圖。浮屠。抖(トスウ)神諸墳支提高顯樹」と記載されていて、下記に示す『庭訓往來註』の語注記に近似する注記が見られるのである。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

塔婆(タウバ) ――梵語也。此ニハ飜方墳ト又云??。塔トハ与?同字也。・天地門97五〕

塔婆(タウバ) ――梵語也。此翻(ホン)方墳又云??。〔・天地門90三〕

塔婆(タウバ) ―梵語也。此方墳又云?。〔・天地門82三〕

塔婆(タウバ) ――梵語也。此翻方墳又云?。〔・天地門98五〕

とあって、標記語「塔婆」の語を収載し、語注記は弘治二年本が広本『節用集』に近く、広本『節用集』以上に印度本『節用集』類の方が『庭訓往來註』の注記に等しい形態にあることが知られ、これらには幾分の改編はあるものの共通する継承資料であることを裏付けている。また、易林本節用集』には、

塔婆(タフバ) 梵語。此翻方墳。〔乾坤門88四〕

とあって、標記語「塔婆」の語を収載し、語注記に「梵語。此には方墳と翻ず」と記載され、『節用集』類の継承の流れを此処に汲み取ることができる。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「塔婆」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。その語注記の一部が近似ていることに注目されたい。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

517三重塔婆 一重宝級院云也。阿?佛也。二重多宝云釈迦佛也。三重彌勒五重五地如来也。九重大日如来也。小一重支佛也。十三重阿弥陀也。塔婆梵語也。此ニハ方墳。又霊廟又云高建。佛滅度之時造之也。即塔也。科註曰明大乗金銀珍宝廣厳飾シテ甎瓦泥土等。若於廣野中積土佛廟。増一阿含曰、佛言四人。輪王羅漢支佛等也。支佛悟佛法因縁而入深法性。能為世間也。輪王十善化塔。但三界諸有。故級也。如来塔十三層{百尺也}也。支佛十一層也。羅漢四層也。輪王无級云々。級重也。位也。有童子二人。集塔。戯払沙佛底沙佛成也。乃至童子戯トテルモ成佛也。統紀曰、佛入‐滅帝尺於喜見城四重也。又南史曰、阿育王滅度後、无佛舎利鬼神七宝。未一日一夜八方四千云々也。〔謙堂文庫藏四九左H〕

とあって、標記語「塔婆」の語を収載し、語注記は、「塔婆は、梵語なり。此には、方墳と云ふ。又霊廟と云ふ。又高建と云ふ。佛、滅度の時之を造るなり。即ち塔なり。科註曰く、明大乗を金銀珍宝を以って廣厳飾して云ふに或は、甎瓦泥土等。若しくは廣き野中に積土の佛廟を成せり。増一阿含に曰く、佛の言四人に塔を起せと應ず。輪王羅漢支佛等なり。支佛は、悟佛法因縁にして深く法性に入る。能く世間と為すなり。輪王は、十善を為し物を化し、まさに塔を起つべし。但し、未だ三界の諸有を晩れず。故に級なり。如来塔は、十三層{百尺なり}なり。支佛は、十一層なり。羅漢は、四層なり。輪王塔に級无し云々。級は、重なり。位なり。童子二人有り。沙を集め塔を造る。戯れに沙を払ふ。佛底沙佛は、成なり。乃至、童子の戯れとて仮に立つるも成佛はなり。統紀に曰く、佛入滅に帝尺喜見城に於いて四重を立つるなり。又、南史に曰く、阿育王滅度の後、佛舎利无く鬼神役し、七宝を碎く。未だ一日一夜八方四千の塔を造らず云々なり」と詳細な記載がなされている。

 古版庭訓徃来註』では、

三重塔婆(タウバ)金堂(コンタウ)多寳塔(タホウタウ)三重ノ塔婆(トウバ)ハ莊嚴(シヤウコン)ノ塔ナリ。此塔ハ儀軌(キキ)ノ塔ナリ。〔下27ウ二〜三〕

とあって、この標記語「塔婆」とし、語注記は、「三重の塔婆(トウバ)は、莊嚴(シヤウコン)の塔なり。此塔は、儀軌(キキ)の塔なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

三重(さんぢう)塔婆(とうば)三重塔婆三重ハ三階なり。五重にしたるものもあり。塔婆ハ塔の事也。〔75オ六〜七〕

とあって、この標記語「塔婆」の語をもって収載し、語注記は、「塔婆は、塔の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲三重塔婆ハ三階(かい)の塔(たふ)をいふ。〔55オ一〜55ウ三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲三重塔婆ハ三階(がい)の塔(たふ)をいふ。〔98ウ四〜99ウ四〕

とあって、標記語「塔婆」の語をもって収載し、その語注記は、「三重の塔婆は、三階(がい)の塔(たふ)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

To<ba.タフバ(塔婆) すなわち,To<.(塔) ある種の高い木造の塔.〔邦訳651l〕

とあって、標記語「塔婆」の語の意味は「すなわち,To<.(塔) ある種の高い木造の塔」と収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

タフ(トウ)-()〔名〕【塔婆】(一)そとば(卒塔婆)の條を見よ。釋氏要「浮屠、梵語塔婆、此云高顯、今稱塔」源平盛衰記、十九、聞生檢八員事「藥王菩薩は八萬の塔婆を立て」因果物語、上、二「幽霊夢中に僧に告げて、塔婆を書直す事」(二)五輪塔の稱。(三)墓の稱。〔1235-4〕

とあって、標記語「タフ-〔名〕【塔婆】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版においても同様で、標記語「とうば(タフバ)塔婆】〔名〕@仏舎利を安置する建造物。また、供養・報恩などのために建立する塔。卒都婆。塔廟。塔。A供養のために墓に立てる上部の塔形をした細長い平板。梵字・戒名などを書く。卒都婆。板塔婆。また、広く墓。墓標。」の小見出し「さんじゅうの塔(とう) 初層、第二層、第三層と三層からなる仏塔」とあって、『庭訓徃來』のこの「三重の塔婆」なる語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
鶴岳八幡宮之傍、此間被建塔婆(タフバ)今日上空輪二品監臨給主計允行政、故奉行之還御之後、被整去十一日院宣御請文〈云云〉《訓み下し》鶴岡八幡宮ノ傍ニ、此ノ間塔婆(タフバ)ヲ建テラレ、今日空輪ヲ(九輪ヲ)上グ。二品監臨シ給フ。主計ノ允行政、故ニ之ヲ奉行ス。還御シタマフノ後、去ヌル十一日ノ院宣ノ御請ケ文ヲ整ヘラルト〈云云〉。《『吾妻鏡文治五年三月十三日の条》
 
 
2004年05月08日(土)曇り一時晴れ間。イタリア(ローマ・自宅AP)→VIRA・ADA
三重(サンヂュウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、標記語「三重」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「三重」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「三重」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「三重」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「三重」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

517三重塔婆 一重宝級院云也。阿?佛也。二重多宝云釈迦佛也。三重彌勒五重五地如来也。九重大日如来也。小一重支佛也。十三重阿弥陀也。塔婆梵語也。此ニハ方墳。又云霊廟。又云高建。佛滅度之時造之也。即塔也。科註曰明大乗金銀珍宝廣厳飾シテ甎瓦泥土等。若於廣野中積土佛廟。増一阿含曰、佛言四人。輪王羅漢支佛等也。支佛悟佛法因縁而入深法性。能為世間也。輪王十善化塔。但三界諸有。故級也。如来塔十三層{百尺也}也。支佛十一層也。羅漢四層也。輪王无級云々。級重也。位也。有童子二人。集塔。戯払沙佛底沙佛成也。乃至童子戯トテルモ成佛也。統紀曰、佛入‐滅帝尺於喜見城四重也。又南史曰、阿育王滅度後、无佛舎利鬼神七宝。未一日一夜八方四千云々也。〔謙堂文庫藏四九左H〕

とあって、標記語「三重」の語を収載し、語注記は、「一重は宝級院と云ふなり。阿?佛なり。二重を多宝と云ふ釈迦佛なり。三重は、彌勒。五重は五地如来なり。九重は、大日如来なり。小一重は、支佛なり。十三重は、阿弥陀なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

三重塔婆(タウバ)金堂(コンタウ)多寳塔(タホウタウ)三重ノ塔婆(トウバ)ハ莊嚴(シヤウコン)ノ塔ナリ。此塔ハ儀軌(キキ)ノ塔ナリ。〔下27ウ二〜三〕

とあって、この標記語「三重」とし、語注記は、「三重の塔婆(トウバ)は、莊嚴(シヤウコン)の塔なり。此塔は、儀軌(キキ)の塔なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

三重(さんぢう)の塔婆(とうば)三重塔婆三重ハ三階なり。五重にしたるものもあり。塔婆ハ塔の事也。〔75オ六〜七〕

とあって、この標記語「三重」の語をもって収載し、語注記は、「三重は、三階なり。五重にしたるものもあり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲三重塔婆ハ三階(かい)の塔(たふ)をいふ。〔55オ一〜55ウ三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲三重塔婆ハ三階(がい)の塔(たふ)をいふ。〔98ウ四〜99ウ四〕

とあって、標記語「三重」の語をもって収載し、その語注記は、「三重の塔婆は、三階(がい)の塔(たふ)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「三重」の語のは未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さん-ぢゅう〔名〕【三重】(一)平家琵琶を語るに云ふ語。語る聲に、初重、中音(ちゆうおん)、三重の、三音階あり、中音より、二律低きを、初重と云ひ、二律高きを、三重と云ふ。平家を習ふ小盲が、苦しきことを、河原三重、蜆汁、と云ふ。三重の聲をあぐる苦しさを、石河原を歩くと、蜆汁を食ふと、に比して、此語ありと云ふ。《用例は省略》(二)三重と云ふ語、浄瑠璃の語物(かたりもの)の江戸節などにも移りて、聲高く揺()りて發するを云ふ。長唄の謡物(うたひもの)にも云ふは、義太夫節より取り入れたるなり。《用例は省略》(三)義太夫節にも、種種の三重あり、文の段落に用ゐるに、何某の地に「着きにけり」など、五音を長く引くを、送り三重と云ふ。《用例は省略》〔0847-1〕※意味が異なる。

さんぢゅう--タフ〔名〕【三重】塔の、三重なるもの。五重の塔の條を見よ。〔0847-1〕

とあって、標記語「さん-ぢゅう〔名〕【三重】」より「さんぢゅう--タフ〔名〕【三重】」の語がこの用例と同じ意であることが知られる。これを現代の『日本国語大辞典』第二版においても同様で、標記語「さん-じゅう三重】〔名〕」の小見出し「さんじゅうの塔(とう) 初層、第二層、第三層と三層からなる仏塔」とあって、『庭訓徃來』のこの「三重の塔婆」なる語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
三重寳塔、院内莊嚴悉以所摸宇治平等院也《訓み下し》三重ノ宝塔、院内ノ荘厳悉ク以テ宇治ノ平等院ヲ摸スル所ナリ。《『吾妻鏡』文治五年九月十七日の条》
 
 
一宇(イチウ)」の語は、ことばの溜池(2000.10.30を参照。
 
2004年05月07日(金)曇り後小雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
精舎(シヤウジヤ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

精舎(シヤウシヤ) 。〔元亀二年本312九〕

精舎(シヤウジヤ) 。〔静嘉堂本366四〕

とあって、この標記語「精舎」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「精舎」と記載し、訓みは、経覺筆本と文明四年本に「シヤウシヤ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「精舎」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「精舎」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

精舎(シヤウジヤ・クワシ、イヱアキラカ、ステル)[平・去] 息心栖曰――。同。〔家屋門907八〕

とあって、標記語「精舎」の語を収載し、訓みは「シヤウジヤ」とし、語注記は、「息心にして栖む所を精舎と曰ふ。同(釋氏要覽)」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

精舎(シヤウジヤ) 寺。〔・天地門235二〕

精舎(シヤウジヤ) 寺也。〔・天地門195六〕

精舎(シヤウシヤ) 寺也。〔・天地門185五〕

とあって、標記語「精舎」の語を収載し、語注記は「寺」と「寺なり」と記載する。また、易林本節用集』には、

精舎(シヤウジヤ) 寺也。〔乾坤門202四〕

とあって、標記語「精舎」の語を収載し、語注記は「寺なり」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「精舎」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語であり、とりわけ、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』と易林本節用集』の語注記と真名註の語注記とが合致し、広本節用集』については、全く別の資料である『釋氏要覽』から抜粋していることが知られる。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

515精舎 々々寺也。〔謙堂文庫蔵四九左H〕

とあって、標記語「精舎」の語を収載し、語注記は、「精舎は寺なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

精舎(シヤウジヤ)一宇ト云ハ寺一ツノコトナリ。〔下27オウ一〜二〕

とあって、この標記語「精舎」とし、語注記は、「寺一つのことなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)御供養条々者精舎一宇精舎ハ寺の事也。一宇ハ一軒也。〔75オ五〜六〕

とあって、この標記語「精舎」の語をもって収載し、語注記は、「精舎は、寺の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲精舎一宇ハ寺(てら)一軒(けん)也。〔55オ一〜55ウ三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲精舎一宇ハ寺(てら)一軒(けん)也。〔98ウ四〜99ウ四〕

とあって、標記語「精舎」の語をもって収載し、その語注記は、「精舎一宇は、寺(てら)一軒(けん)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xo<ja.シャウジャ(精舎) すなわち,寺(Tera),寺院.〔邦訳792l〕

とあって、標記語「精舎」の語の意味は「すなわち,寺(Tera),寺院」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゃう-じゃ〔名〕【精舎】〔梵語、Vihara.の譯語、精妙の舎の意〕(一)寺(てら)の異名。釋氏要「釋伽譜曰、息心所棲、曰精舎敏達紀、十四年三月「馬子、云云、新營精舎大安寺縁起「其自小及大、蓋起上宮太子(厩戸)熊凝精舎平家物語、一、祇園精舎事「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響きあり」(二)儒者の諸生を教ふる所。書斎。漢書、劉淑傳「淑少好學、明五經、遂隱居立精舎、講授諸生、常數百人」同、包感傳「感住東海、立精舎講」〔0965-4〕

とあって、標記語「しゃう-じゃ〔名〕【精舎】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょう-じゃ精舎】〔名〕〔梵語、Vihara.の訳語、智徳を精練する者の屋舎の意〕仏語。僧侶が仏道を修行する所。てら。寺院」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
加之、聖禪於破壞精舎、雖企修造之勵、誰留安堵之踵哉《訓み下し》加之、聖禅精舎(ジヤ)ヲ破壊スルニ於テ、修造ノ励ヲ企ツト雖モ、誰カ安堵ノ踵ヲ留メンヤ。《『吾妻鏡』養和二年五月二十五日の条》
 
 
2004年05月06日(木)曇り一時大雨のち晴れ間。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
条々條條(デウデウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

条々(デウ/\) 。〔元亀二年本245三〕

条々 。〔静嘉堂本283二〕

条々(テウ/\) 。〔天正十七年本中70ウ一〕

とあって、この標記語「条々」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ御供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有御供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「條條」と記載し、文明四年本だけが別語「条目(ジヨウモク)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

條々 テウ/\。〔黒川本・重點門下18オ五〕

條々 。〔巻第七・重點門239五〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「條條」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

條々(デウ/\)[平・○] 。〔態藝門739六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

條々(デウ/\) 。〔・言語進退門199八〕〔・言語門165二〕

條々(テウ/\) 。〔・言語門154五〕

とあって、標記語「條々」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

條々(デウ/\) 。〔言語門165七〕

とあって、標記語「條々」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「條々」(『節用集』類)、「条々」(『運歩色葉集』)の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

514頭首(テウシユ)リヲ光臨候者可力者加輿丁候可御供養条々 科註曰賎ト∨供養云也。自高施利益トハ云也。〔謙堂文庫蔵四九左F〕

とあって、標記語「条々」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

加輿(カヨ)候可有御( ン)供養(クヤウ)條條駕輿丁ハ御コシカキナリ。駕輿丁ト書テコシノ足代(アシシロ)カマヘトヨムナリ。〔下27オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「條條」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

御供養(こくやう)()る可()條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)御供養条々者精舎一宇精舎ハ寺の事也。一宇ハ一軒也。〔75オ五〜六〕

とあって、この標記語「条々」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

御供養(こくやう)()る可()條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)御供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也〔55オ一〜55ウ三〕

(べき)(ある)御供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。〔98ウ四〜99ウ四〕

とあって、標記語「條條」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gio>gio>.デウデウ(條條) 箇条箇条,あるいは,項目項目.〔邦訳318r〕

とあって、標記語「條條」の語の意味は「箇条箇条,あるいは,項目項目」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

でうでう(ジヨウジヨウ)-がき(ガキ)〔名〕【條條】事の箇條を書きたるもの。かでうがき。〔1350-2〕

として、標記語「でうでう-がき〔名〕【條條】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じょう-じょう條條】〔名〕@一つ一つの箇条。くだり。個々。*後二条師通記-別記・寛治五年(1091)六月九日「条々書事如常」*吾妻鏡-文治二年(1186)二月八日「被京都条々其沙汰」*文机談(1283頃)五「はじめよりこのでうでう御問答申けり」*源平盛衰記(14C前)四一・被行大甞会「兵衛佐より条上(デウデウ)奏聞あり」*天草本伊曾保物語(1593)イソポの生涯の事「フシンノgio>gio>uo(ヂョウヂョウヲ)カキヲクラレタ」A(形動タリ)草や木の枝などが幾本も細長く生え茂っていること。草や木の枝が乱れ茂っているさま。*浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)上「さながら青々条々(デウデウ)として、松の生き木の生き生きと、若やぎ、立てる其風情」*虞美人草(1907)<夏目漱石>三「柳(た)れて条々(デウデウ)の烟を欄に吹き込む程の雨の日である」*孟郊-暮秋感思詩「西風吹垂楊条々脆如」B筋道の通っていること。また、知恵が深いこと。*爾雅-釈訓「条条、秩秩、智也<注>皆智思深長」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
弘庇問之、口状条々、注進之〈云云〉《訓み下し》弘庇ニ於テ之ヲ問ヒテ、口状ノ条条、之ヲ注進スト〈云云〉。《『吾妻鏡』寿永三年二月十四日の条》
 
 
2004年05月05日(水)雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
供養(クヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

供養(ヤウ) 。〔元亀二年本190六〕〔静嘉堂本214七〕〔天正十七年本中36ウ七〕

とあって、この標記語「供養」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

可有御供養条々精舎一宇三重塔婆金堂寳塔經蔵鐘楼食堂休所惣門二階湯屋僧坊〔至徳三年本〕〔建部傳内本〕

可有御供養條々精舎一宇三重塔婆寳塔經藏鐘樓食堂○  ○〔宝徳三年本〕

供養条々精舎一宇三重塔婆金堂  ○寳塔經蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋風呂僧-坊〔山田俊雄藏本〕

キノ供養条々精舎(シヤウシヤ)一宇()三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘楼食堂休所(ヤスミ   )ハ門二階湯屋(ユヤ)僧坊〔経覺筆本〕

可有供養(ク ヤウ)条目(ジヨウモク)精舎(シヤウシヤ)一宇(イチウ)三重塔婆(タウハ)金堂寳塔経蔵(キヤウサウ)鐘樓(シユロウ)(シキ)休所(ヤスミトコロ)?(ソウ)二階(カイ)湯屋(ソウ)-坊(ハウ)房〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「供養」と記載し、訓みは、文明四年本に「メシ(グス)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「供養」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「供養」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

供養(グヤウトモ・ヤシナフ・タテマツル、ヤシナフ)[平去・上] 指要録云。佛爲(タメ)須達説法。供()(ヤウ)スルヨリハ百千白衣。不如供()(ヤウ)スルニハ一浄行。供養(ヤウ)スルヨリ百千諸佛。不養一無心道人大藏一覧。〔態藝門544五〕

とあって、標記語「供養」の語を収載し、訓みを「グヤウ」とし語注記は「『指要録』に云ふ。佛須達の爲(タメ)に説法す。百千の白衣を供()(ヤウ)するよりは、一浄行を供()(ヤウ)するにはしかず。百千の諸佛を供養(ヤウ)するより、一無心の道人を供養するにしかず。大藏一覧」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、

供養(ヤウ) 。〔・言語進退門162二〕

供養(クヤウ) ―給(キウ)。―奉()。〔・言語門131八〕〔・言語門146八〕

供養(クヤウ) ―給。―奉。〔・言語門120九〕

とあって、標記語「供養」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

供養(クヤウ) ―物(モツ)。―給(キフ)。―奉()。〔言語門132六〕

とあって、標記語「供養」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「供養」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。ただ、語注記の内容では、広本節用集』と真名註とでは異なった参考文献を引用していることが注目されよう。すなわち、『指要録』と『科註』とである。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

514頭首(テウシユ)リヲ光臨候者可力者加輿丁候可供養条々 科註曰賎ト∨供養云也。自高施利益トハ云也。〔謙堂文庫蔵四九左F〕

とあって、標記語「供養」の語を収載し、語注記は、「『科註』に曰く、賎が高きに施すを供養と云ふなり。高きより賎に施すを利益とは云ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

加輿(カヨ)候可有御( ン)供養(クヤウ)條條駕輿丁ハ御コシカキナリ。駕輿丁ト書テコシノ足代(アシシロ)カマヘトヨムナリ。〔下27オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「供養」とし、語注記は、「駕輿丁は、御こしかきなり。駕輿丁と書てこしの足代(アシシロ)かまへとよむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)供養条々者精舎一宇精舎ハ寺の事也。一宇ハ一軒也。〔75オ五〜六〕

とあって、この標記語「供養」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

供養(こくやう)()る可()き條條(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんちう)乃塔婆(たふは)金堂(こんたう)寳塔(ほうたふ)經藏(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミところ)總門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんしき)等身(とうしん)の如來(によらい)白檀(ひやくたん)坐像(ざぞう)の菩薩(ぼさつ)脇士(わきし)乃二天(にてん)(これ)尅彫(こくてう)す細金(さいきん)彩色(さいしき)の繪像(ゑそう)一幅(いつふく)薄濃(うすたミ)の墨画(すミゑ)一對(いつつい)書寫(しよしや)摺寫(しふしや)の御經(おんきやう)般若(はんにや)を轉讀(てんどく)し經王(きやうわう)を讀誦(どくしゆ)し秘(ひほふ)を勤行(こんぎやう)し陀羅尼(だらに)を唱滿(しやうまん)し眞言(しんごん)を念誦(ねんしゆ)す稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ちさい)禪律(せんりつ)抖藪(とさう)乃行人(きやうにん)(とう)攝待(せつたい)千僧供養(せんぞうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)供養條々者精舎一宇三重塔婆金堂宝塔経蔵鐘樓食堂休所惣門二階湯屋僧坊金色等身如来白檀座像菩薩脇士二天細金彩色絵像各一薄濃墨畫一對書寫摺写御經般若經王秘法滿陀羅尼真言稱名念佛九旬供花一夏持齋禪律斗藪行人等接待千僧供養非人施行等也。▲供養ハ賤(いやしき)が貴(とふとき)へ施(ほとこ)すをいふ。貴か賤へ施すを利益(りやく)といふ。〔55オ一〜55ウ三〕

(べき)(ある)供養(ごくやう)條々(でう/\)()精舎(しやうしや)一宇(いちう)三重(さんぢう)塔婆(たふば)金堂(こんたう)宝塔(はうたふ)経蔵(きやうざう)鐘樓(しゆろう)食堂(じきだう)休所(やすミどころ)惣門(そうもん)二階(にかい)湯屋(ゆや)僧坊(そうばう)金色(こんじき)等身(とうしん)如来(によらい)白檀(びやくだん)坐像(ざざう)菩薩(ぼさつ)脇士(たうし)二天(にてん)(こく)(てう)(これ)細金(さいきん)彩色(さいしき)絵像(ゑざう)(おの/\)(いつふく)薄濃(うすだミ)墨畫(すミゑ)一對(いつつゐ)書寫(しよしや)摺写(しふしや)御經(おんきやう)(てん)(どく)般若(はんにや)(どく)(じゆ)經王(きやうわう)(ごん)(ぎやう)秘法(ひほふ)(しやう)滿(まん)陀羅尼(だらに)(ねん)(じゆ)真言(しんごん)稱名(しやうミやう)念佛(ねんぶつ)九旬(くしゆん)供花(くげ)一夏(いちけ)持齋(ぢさい)禪律(ぜんりつ)抖藪(とさう)行人(ぎやうにん)(とう)接待(せつたい)千僧供養(せんそうくやう)非人(ひにん)施行(せぎやう)(とう)(なり)。▲供養ハ賤(いやしき)が貴(たふとき)へ施(ほとこ)すをいふ。貴か賤へ施すを利益(りやく)といふ。〔98ウ四〜99ウ四〕

とあって、標記語「供養」の語をもって収載し、その語注記は、「供養は、賤(いやしき)が貴(たふとき)へ施(ほとこ)すをいふ。貴が賤へ施すを利益(りやく)といふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cuyo<.クヤウ(供養) 坊主(Bonzos)を食事に招待して,法事を執り行なうための費用とか,ある寺院を奉献したり,イドロ(idoro偶像)〔仏像〕を安置したりするための費用とかを寄付すること.→Manzo>〜.〔邦訳176r〕

Cuyo<.クヤウ(供養) 寺院や仏(Fotoqe)などの奉納をする法事.§Do<no cuyo<uo suru.(堂の供養をする)ある寺院の奉献式を執り行なう.〔邦訳176r〕

とあって、標記語「供養」の語の意味は「」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-やう〔名〕【供養】(一){又、きょうやう。三寳(佛、法、僧)に向ひて、財と、行とを進むるを、供()とも云ひ、攝養する所あるを、養と云ふ。其堂舎を莊嚴するなどを、敬供養(キヤウクヤウ)とし、讀經、禮佛するなどを、行供養(ギヤウクヤウ)とし、飲食、衣服を供するなどを利供養(リクヤウ)とす。(佛教辭林)一般の亡者の靈に向ひてするを、追善の供養と云ふ、其條を見よ。法華經、序品「香花伎樂、常以供養」同、授記品「供養恭敬、尊重讃歎」天武紀、下、朱鳥元年正月「請三綱律師、云云、九僧、以供養(タダヒトノクラヒモノ)養之(クシキ)、仍施?綿布源氏物語、三十四、上、若菜、上63「院の御賀に、嵯峨野の御堂にて、藥師佛、供養し奉りtまふ」同、下75「日ごとに、法華經一部づつ、くやうせさせたまふ」同、四十七、早蕨01「蕨、筆頭菜(つくづくし)、をかしき籠()に入れて、これは、童部(わらハべ)くやうじて侍る初穂なりとて、奉れり」(二){轉じて、修行者の食物。宇津保物語、忠杜23山伏「徃()ぬる七月より、修行にまかりありくに、くやう絶えて、今日三日、わらはべに、物もえ給()ばで、疲れ臥しはべれば、とどまり申す」同、吹上、上10「果(このミ)、松の葉をくやうとし、木の皮、苔を衣として、年比(としごろ)になり侍りぬ」(三)食物の料。太平記、十一、金剛山寄手等被誅事「口養(クヤウ)の資(たす)けなくして、子に後れたる老母は、僅に、一日の餐(サン)を求めかねて、自ら、溝壑に倒れ伏す」(鎌倉武士の母なり)廿、小兒讀諷誦事「修行者を招請して、召具を勤めけるに」〔0553-1〕

とあって、標記語「-やう〔名〕【供養】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-やう供養】〔名〕(梵Pujanaの訳語。進供資養の義で、仏・法・僧の三宝や父母、師長、亡者などに供給し、資養することをいう)(サ変として用いられ場合、近世以前にはザ行にも活用した)仏語。@本来は香華(こうげ)、灯明、幡(はた)、あるいは飲食、衣服、資材などの施物を行なうことを主とするが、また、精神的なものをも含める。その備える物の種類、供える方法、および対象によって種々に分類され、敬供養、行供養、利供養などがある。→語誌。A法会(ほうえ)を営むこと、死者の冥福を祈って回向する追善、施餓鬼(せがき)などのこと。また、開眼(かいげん)供養、鐘供養、経供養などの仏教行事をいう。B(僧の側から)喜捨を受けること。また、施される飲食物、衣服などの布施をいう。[語誌](1)讃えるべき対象に何らかの供えを行なうことをいうが、供物は多岐にわたり、@に挙げた敬供養は讃嘆・恭敬を、行供養は仏法の受持修行を供えるもので精神的な要素が大きく、利供養は財物を供えるもので物質的な供養である。利供養で代表的なものに、水・塗香・華・焼香・灯明・飲食の六つを供える六種供養がある。(2)供養の対象もいろいろであって、Aに挙げられる死者・餓鬼・仏像(開眼供養)・鐘などの他、虫や針なども供養が行われる(虫供養・針供養)」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
况彼覺助、頼助、凡僧之間、奉御佛造營事、御供養之時、昇綱位畢、《訓み下し》況彼ノ覚助、頼助ハ、凡僧ノ間、御仏造営ノ事ヲ奉リ、御供養(ゴクヤウ)ノ時、綱位ニ昇リ畢ンヌ。《『吾妻鏡』文治二年三月二日の条》
 
 
2004年05月04日(火)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
駕輿丁(カヨテウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

駕輿丁(カ ヨ チヤウ) 。〔元亀二年本100六〕〔天正十七年本上62オ三〕〔西來寺本〕

駕與丁(カ ヨ チヤウ) {輿}。〔静嘉堂本126四〕

とあって、この標記語「駕輿丁」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

被召具侍者聽叫請客頭許計光臨候者可進力者駕輿丁〔至徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客許光臨候者可進力者駕輿丁〔宝徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客頭計光臨候者可進力者加輿丁〔建部傳内本〕

-具侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)首計リヲ光臨候者力者駕輿(カヨ)〔山田俊雄藏本〕

可被-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)頭首(テウシユ)(ハカリ)光臨候者力者駕輿(カヨ)〔経覺筆本〕

-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)(ハカリ)光臨候者可(シン)力者(リキシヤ)加輿丁(カヨチヤウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「駕輿丁」と記載し、訓みは、文明四年本に「メシ(グス)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

駕輿丁 カヨチヤウ/在近衛。〔黒川本・官職門上91ウ二〕

駕輿丁 カヨチヤウ。〔巻第三・人倫門188三〕

とあって、標記語「駕輿丁」の語を収載し、三卷本の語注記に「近衛に在り」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「駕輿丁」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

駕輿丁(カヨチヤウノリモノ、コシ)[○・平・平] 。〔人倫門260七〕

とあって、標記語「駕輿丁」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

駕輿丁(カ ヨ チヤウ) 。〔・人倫門77六〕

とあって、弘治二年本だけに標記語「駕輿丁」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

駕輿丁(カ ヨ チヤウ) 。〔人倫門71三〕

とあって、標記語「駕輿丁」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「駕輿丁」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

514頭首(テウシユ)リヲ光臨候者可力者加輿丁候可御供養条々 科註曰賎ト∨供養云也。自高施利益トハ云也。〔謙堂文庫蔵四九左F〕

とあって、標記語「加輿丁」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

加輿(カヨ)候可有御( ン)供養(クヤウ)條條駕輿丁ハ御コシカキナリ。駕輿丁ト書テコシノ足代(アシシロ)カマヘトヨムナリ。〔下27オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「加輿丁」とし、語注記は、「駕輿丁は、御こしかきなり。駕輿丁と書てこしの足代(アシシロ)かまへとよむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可(へく)ス∨力者駕輿丁力者ハ徒若黨の類なり。駕輿丁ハなかえのこしをかく者也。こゝに云こゝろハ長老もし諸役僧を召連られ此方に來りて尋師となる事を承知し玉ハゝ追ひの人と乗物なとを出(いたさ)んと也。〔75オ三〜五〕

とあって、この標記語「駕輿丁」の語をもって収載し、語注記は、「駕輿丁は、ながえのこしをかく者なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲駕輿丁ハ腰舁(こしかき)也。〔54オ七〜55オ一〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲駕輿丁ハ腰舁(こしかき)也。。〔97ウ一〜98ウ三〕

とあって、標記語「駕輿丁」の語をもって収載し、その語注記は、「駕輿丁は、腰舁(こしかき)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「駕輿丁」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かよ(カヨ)-ちゃう(チョウ)〔名〕【駕輿丁】輿を舁く仕丁(シチヤウ)。こしかき。續紀、三十六、寳龜十一年三月「諸司仕丁、駕輿丁類聚國史、百六十五、祥瑞「駕輿丁已上、賜綿者差」狭衣物語、四、下29「川渡らせたまふ程は、かよちゃうの聲聲も、聞くにくきに」〔0436-3〕

とあって、標記語「かよ-てう〔名〕【駕輿丁】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かよ-ちょう駕輿丁】〔名〕貴人の駕籠(かご)や輿(こし)をかつぐことを職としている者。こしかき」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
院宣 放生會駕輿丁神人等、訴申事法印成清申状、遣之《訓み下し》院宣 放生会ノ駕輿丁(カヨチヤウ)ノ神人等、訴ヘ申ス事。法印成清ノ申状、之ヲ遣ハサル。《『吾妻鏡』の文治四年七月十七日条》
 
 
2004年05月03日(月)晴れ後曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
力者(リキシヤ)」→ことばの溜池(2002.01.15)を参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「利」部に、

力者(シヤ) 。〔元亀二年本72三〕

力者(リキシヤ) 。〔静嘉堂本86七〕〔天正十七年本上43ウ一〕

とあって、この標記語「力者」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

被召具侍者聽叫請客頭許計光臨候者可進力者駕輿丁候〔至徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客許光臨候者可進力者駕輿丁候〔宝徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客頭計光臨候者可進力者加輿丁候〔建部傳内本〕

-具侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)首計リヲ光臨候者力者駕輿(カヨ)〔山田俊雄藏本〕

可被-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)頭首(テウシユ)(ハカリ)光臨候者力者駕輿(カヨ)〔経覺筆本〕

-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)(ハカリ)光臨候者可(シン)力者(リキシヤ)加輿丁(カヨチヤウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「力者」と記載し、訓みは、文明四年本に「リキシヤ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「力者」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「力者」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

力者(リキシヤ)[入・上] 。〔人倫門189八〕

とあって、同音異表記の標記語「力者」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、

力者(リキシヤ) 。〔・人倫門56四〕〔・人倫門56八〕〔・人倫門51八〕〔・人倫門60二〕

とあって、標記語「力者」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

力者(リキシヤ) 。〔人倫門56二〕

とあって、標記語「力者」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「力者」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

514頭首(テウシユ)リヲ光臨候者可力者加輿丁候可御供養条々 科註曰賎ト∨供養云也。自高施利益トハ云也。〔謙堂文庫蔵四九左F〕

とあって、標記語「力者」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(リキ)ハ狂(キヤウ)文ノ(さん)ニテ白ハカマニ結(ムスヒ)ヲ入テハタラク者ナリ。〔下27オ八〕

とあって、この標記語「力者」とし、語注記は、「狂(キヤウ)文の(さん)にて白はかまに結(ムスヒ)を入てはたらく者なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可(へく)ス∨力者駕輿丁力者ハ徒若黨の類なり。駕輿丁ハなかえのこしをかく者也。こゝに云こゝろハ長老もし諸役僧を召連られ此方に來りて尋師となる事を承知し玉ハゝ追ひの人と乗物なとを出(いたさ)んと也。〔75オ三〜五〕

とあって、この標記語「力者」の語をもって収載し、語注記は、「力者は、徒若黨の類なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁〔54オ七〜55オ一〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)〔97ウ一〜98ウ三〕

とあって、標記語「力者」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Riqixa.リキシャ(力者) 力のある者.〔邦訳536r〕

Riqixa.リキシャ(力者) 槍持ちの小姓のような人.上のRiqi(力)の条を見よ.〔邦訳536r〕

とあって、「力者」の意味は「力のある者」とあり、もう一つの意味は「槍持ちの小姓のような人」とある。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

りき-しゃ〔名〕【力者】(一)古へ、剃髪したる一種の中間やうのもの。腰舁(こしかき)、駕丁(かごかき)の類。剃髪したれども、眞の法師に非ず。故に禪家にては、其長を兄部(このかうべ)と云ふ。力者法師。後に訛して、陸尺(ロクシヤク)平家物語、三、法皇御遷幸事「御車に召されけり、公卿、殿上人、一人も供奉せられず、北面の下臈と、さては金行(コンギヤウ)と云ふ御力者ばかりぞ參りける」海人藻芥、中、僮僕事「力者十二人、牛飼一人、白丁一人」(二)相撲取の稱。ちからびと。力士。蕪村句集、秋、「飛び入りの、力者怪しき、角力かな」〔2120-4〕

とあって、標記語「りき-しゃ〔名〕【力者】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「りき-しゃ力者】〔名〕@力の強い者。力持ち。とくに、平安末期以後、髪をそった姿をし、院・門跡・公家・武家などに仕えて力仕事にたずさわった従者。輿(こし)をかつぎ、馬の口取りをし、長刀(なぎなた)を持つなどして主人の外出の供をした。力者法師。青法師。力士。A近世、頭を剃らないままで力役を勤めた従者。B相撲取り。力士」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
院宣、者、不可用トテ、放種々惡口、企陵礫、御使申云、我兄弟者、於伊豫國、斬院力者二人頚、《訓み下し》院宣ニ於テハ、用ユベカラズトテ、種種ノ悪口ヲ放チ、陵礫ヲ企テ、御使ニ申シテ云ク(御使ニ陵礫ヲ企テテ申シテ云ク)、我ガ兄弟ハ、伊予ノ国ニ於テ、院ノ力者(リキシヤ)二人ガ頸ヲ斬ル、況召使ニ於テハ、沙汰ニ及バザルノ由之ヲ申ス。《『吾妻鏡』文治二年九月二十五日の条》
 
 
光臨(クワウリン)」ことばの溜池(2002.03.29)を参照。
江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

光臨(くハうりん)を許(ゆる)(され)候ハ光臨(クハウリン)候者許ハ承知する事也。光臨とハ此方へ人の來る事をあつめていふ詞なり。〔75オ一〕

とあって、この標記語「光臨」の語をもって収載し、語注記は、「光臨とは、此方へ人の來る事をあつめていふ詞なり」と記載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くわう-りん〔名〕【光臨】くゎうらい(光來)に同じ。曹植、七啓「幸見光臨晉書、劉之傳「使君既枉駕光臨」庭訓往來、五月「客人光臨、結構奔走、奉察候」〔0574-1〕

とあって、標記語「くわう-りん〔名〕【光臨】」の語を収載する。
 
2004年05月02日(日)晴れ後曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)
頭首(テウシユ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

頭首(テウシユ) 。〔元亀二年本246一〕〔静嘉堂本284三〕

×〔天正十七年〕

とあって、この標記語「頭首」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

被召具侍者聽叫請客許計光臨候者可進力者駕輿丁候〔至徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客許光臨候者可進力者駕輿丁候〔宝徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客計光臨候者可進力者加輿丁候〔建部傳内本〕

-具侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)頭首リヲ光臨候者力者駕輿(カヨ)〔山田俊雄藏本〕

可被-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)頭首(テウシユ)(ハカリ)光臨候者力者駕輿(カヨ)〔経覺筆本〕

-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(ハカリ)光臨候者可(シン)力者(リキシヤ)加輿丁(カヨチヤウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本の古写本は、「頭」と記載し、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「頭首」の語で収載し、訓みは、経覺筆本に「テウシユ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「頭首」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「頭首」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・易林本節用集』には、標記語「頭首」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本節用集』に、

頭首(テウシユ) 僧。〔弘・人倫門197三〕

とあって、標記語「頭首」の語を収載し、語注記にただ、「僧」とだけ記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』、弘治二年本節用集』(他に『伊京集』・明応本・天正十八年本に収載)に、標記語「頭首」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

514頭首(テウシユ)リヲ光臨候者可力者加輿丁候可御供養条々 科註曰賎ト∨供養云也。自高施利益トハ云也。〔謙堂文庫蔵四九左F〕

とあって、標記語「頭首」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

請客(シンカ)頭首(テウス)光臨(クハウリン)候者可ク∨請客頭ハ客人ヲアヒシラフ僧ナリ。〔下27オ七〜八〕

とあって、この標記語「頭首」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

頭首(てうしゆ)頭首仏法乃宗儀を知り万事のさバきをする役僧なり。〔75オ一・二〕

とあって、この標記語「頭首」の語をもって収載し、語注記は、「仏法の宗儀を知り、万事のさばきをする役僧なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲頭首ハすへて頭(かしら)たちたる役僧(やくそう)をいふ。〔54オ七〜55オ一〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲頭首ハすへて頭(かしら)たちたる役僧(  そう)をいふ。〔97ウ一〜98ウ三〕

とあって、標記語「頭首」の語をもって収載し、その語注記は、「頭首は、すべて頭(かしら)だちたる役僧(  そう)をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「頭首」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「てう-しゅ〔名〕【頭首】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とう-しゅ頭首】〔名〕@あたま。くび。首級。A集団や団体の首領、領袖。かしら。頭目。B→ちょうしゅ(頭首)。」すなわちBの「とう-しゅ頭首】〔名〕(「ちょう」は「頭」の唐宋音)仏語。禅院における首座、書紀、知浴、知殿等の六役。知事に対して修道の方面を掌る。→頭首方(ちょうしゅがた)。*正法眼藏(1231-53)安居「知事・頭首・小師・法眷、まづ方丈内にまうでて人事す」*永平道元禅師清規(13C中)知事清規「知事。諸頭首。及雲水。応当流通共住相視。当世尊之仏語」*空華日用工夫略集-応安四年(1371)二月一二日「凡僧為頭首者、必以師位期」*伊京集(室町)「頭首 テウシユ」*禅林象器箋(1741)職位「頭首 西序此謂頭首、明極曰、以参請多、叢林熟者、帰西序頭首辞書伊京・明応・天正」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
かの榜、かく式あり。知事頭首によらず、戒臘のまゝにかくなり。諸方にして頭首知事をへたらんは、おのおの「首座」「監寺」とかくなり。《『正法眼藏』安居の条、十五10ウB》
 
 
2004年05月01日(土)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)
請客頭(シンカテウ)」&「請客(シンカ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「請規(シンギ)〔静嘉堂本は、「清規(シヤウギ)」と表記する〕」の一語を収載するのみで、この標記語「請客」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

被召具侍者聽叫請客頭許計光臨候者可進力者駕輿丁候〔至徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客頭許光臨候者可進力者駕輿丁候〔宝徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客頭計光臨候者可進力者加輿丁候〔建部傳内本〕

-具侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)首計リヲ光臨候者力者駕輿(カヨ)〔山田俊雄藏本〕

可被-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)頭首(テウシユ)(ハカリ)光臨候者力者駕輿(カヨ)〔経覺筆本〕

-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)(ハカリ)光臨候者可(シン)力者(リキシヤ)加輿丁(カヨチヤウ)〔文明四年本〕

と見え、古写本は、「請客頭」と記載する至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本と、ただ「請客」と記載する山田俊雄藏本、経覺筆本の二種に区分される。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「請客」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「請客」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

請客頭(シンカテウ・コウせイ・ウケル、アヅマ、カウベ)[去・入・平] 行堂(アンタウ)官名奏者役也。〔態藝門920一〕

とあって、標記語「請客頭」の語を収載し、語注記は、「行堂(アンタウ)。官名奏者役なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

請客頭(シンカテウ) 行者官。〔・人倫門238二〕〔・人倫門190八〕

請客頭(シンカテウ) 行者(アンシヤ)官。〔・官名門200九〕

とあって、標記語「請客頭」の語を収載し、語注記に「行者官」と記載する。また、易林本節用集』は、此の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』を筆頭に印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』にこの標記語「請客」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。ここで、『運歩色葉集』の編者が此の語を収載しないことから、禪語名については、これを収録する意欲に欠け、ひいては此のことばを必要としない言語環境が茲には漂っていることに気づくのである。また、語注記にあっては、広本節用集』を中心とする印度本系統の語注記と、真名本の語注記とそれ以降の注釈書の注記内容にそれぞれの用途及び編纂者の意図に異なりを見ることができるのである。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

513行者(アン−)請客(シンカ) 請客五侍者之一也。〔謙堂文庫蔵四九左F〕

とあって、標記語「請客」の語を収載し、語注記は、「請客は、五侍者の一つなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

請客(シンカ)頭首(テウス)光臨(クハウリン)候者可ク∨請客頭ハ客人ヲアヒシラフ僧ナリ。〔下27オ七〜八〕

とあって、この標記語「請客頭首」とし、語注記には、「請客頭は、客人をあひしらふ僧なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

請客(しんか)請客客人をあしらふ僧なり。〔75オ一〕

とあって、この標記語「請客」の語をもって収載し、語注記は、「客人をあしらふ僧なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲請客ハ客人(きやくしん)をあしらふ役(やく)也。五侍者の内より兼帯(けんたい)す。〔54オ七〜ウ八〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲請客ハ客人(きやくしん)をあしらふ役也。五侍者の内より兼帯(けんたい)す。〔97ウ一〜98ウ三・四〕

とあって、標記語「請客」の語をもって収載し、その語注記は、「請客は、客人(きやくしん)をあしらふ役(やく)なり。五侍者の内より兼帯(けんたい)」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Xinca.シンカ(請客) 禅宗(Lenxus)の宗派の坊主(Bonzos)の間における或る位.〔邦訳769l〕

とあって、標記語「請客」の語の意味は「禅宗(Lenxus)の宗派の坊主(Bonzos)の間における或る位」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版にあっては、標記語「しんか-てう〔名〕【請客頭】」、「しん-〔名〕【請客】」の両語とも未収載にする。これより、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載となる。ただし、『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しんか-じしゃ〔名〕【請客侍者】禅宗寺院で住持の私的な客を接待する役の侍者」と役名全体でもって収載する語があるのみで、「請客頭」や「請客」の語では取り扱いが成されていないことを茲に指摘せねばなるまい。
[ことばの実際]
《『』の》
 
 
行者(アンジヤ)」
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

被召具侍者聽叫請客頭許計光臨候者可進力者駕輿丁候〔至徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客許光臨候者可進力者駕輿丁候〔宝徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客頭計光臨候者可進力者加輿丁候〔建部傳内本〕

-具侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)首計リヲ光臨候者力者駕輿(カヨ)〔山田俊雄藏本〕

可被-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)頭首(テウシユ)(ハカリ)光臨候者力者駕輿(カヨ)〔経覺筆本〕

-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)(ハカリ)光臨候者可(シン)力者(リキシヤ)加輿丁(カヨチヤウ)〔文明四年本〕

とあって、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本のいずれの古写本も、「行者」の語は此処には未収載にする。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

513行者(アン−)請客(シンカ) 請客五侍者之一也。〔謙堂文庫蔵四九左F〕

とあって、標記語「行者」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、この標記語「行者」は、未収載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)、さらに、頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』にも、標記語「行者」の語未収載にある。いわば、真名註にのみに記載される語となっている。この語は十月三日状に見える語であり注記もそちらにある故、後述記載に譲りここではことばの詳細を示さないでおくことにする。
 
 
聽叫(チンケウ)」は、ことばの溜池「聽叫」(2000.09.09)参照。
《補足》真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

512聽叫(チン−/チンキヤウ) 香合持而従也。〔謙堂文庫蔵四九左F〕

とあって、標記語「聽叫」の語を収載し、語注記は、「香合を持て従ふなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

聽叫ト云ハ白袴(ハカマ)キテハタラク者也。奏者ヲキク者也。コシメカイシヤウ等打者ナリ。〔下27オ六〜七〕

とあって、この標記語「聽叫」とし、語注記は、「白袴(ハカマ)()てはたら()く者なり。奏者をきく()者なり。こしめかいしやう等打つ者なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

聽叫(ちんけう)聽叫住持のかたハらおゐて事を達する童子(どうじ)なり。〔75オ一〕

とあって、この標記語「聽叫」の語をもって収載し、語注記は、「住持のかたはらおゐて事を達する童子(どうじ)なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲聽叫ハ和尚の小用を勤(つとむ)る小童(こわらハ)也。〔54オ七〜ウ八〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲聽叫ハ和尚の小用を勤(つとむ)る小童(こわらハ)也。〔97ウ一〜98ウ一〕

とあって、標記語「聽叫」の語をもって収載し、その語注記は、「聽叫は、和尚の小用を勤(つとむ)る小童(こわらハ)なり」と記載する。
 
 
 

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