ラボ駅伝

駒澤大学で行われている研究を、リレー形式で紹介する連載メディアです。創造的でユニークな研究を通して見える「駒大の魅力」をお伝えします。

学びのタスキをつなぐ 駒澤大学 ラボ駅伝

第18区 姉歯曉教授

消費から「豊かさ」を分析する

最近、残業が増えて忙しくなった。人手不足にグローバル競争、そんな時代にもっと休みが欲しいと思うのはぜいたくですか?

敗戦から高度成長期を経て私たちのまわりにはモノが溢れている。では、いま「あなたの生活は豊かですか」と聞かれたらどうだろう。答えに困る、その感覚こそが正解だと姉歯先生は言う。私たちが求める「本当の豊かさ」とは、どこにあるのだろうか。

収入が増える?買い物ができる?「豊かさ」の定義とは?収入が増える? 買い物ができる?
「豊かさ」の定義とは?

私が研究生活に入ったのは80年代のはじめです。オイルショックから抜け出し、"強い日本経済"が謳われ、所得増加が期待される一方、労働組合の声は弱まり、政治に無関心な人々が増える......。なんとなく現在に通じる空気がありました。そんななか、盛んに唱えられたのが「人々の消費は、高度成長期の"モノ重視"から"形のない文化や人的サービス"に移行した」という話です。所得の上昇が、社会の豊かさと消費の成熟を招いたというのです。

しかし、私の目にはすべてが疑問だらけでした。地価が上がったといわれても、マイホームを売らなければ関係ありません。売ったとしても代わりに買うはずの土地も暴騰しているわけですから同じことです。どんな人が買うんだろうと思うような1億円の値がついた小さな建売住宅の看板が街に溢れ、新聞では連日、地上げ屋によって暴力的に住まいを追われる人々の様子が取り上げられていました。80年代は日本中に爆買いのような雰囲気が蔓延する一方で、「過労死」という言葉も広がりを見せていました。やがてバブルははじけ、バブルの時期に家を買った人たちには途方もない金額の借金が残りました。住宅金融専門会社(住専)の不良債権問題や暴力団との関わり、それに住専に資金を提供していたメガバンクのことが連日ニュースになっていました。そんな現実と「豊かになったので買いたいものが物財からサービスに移った」といわれることのギャップに疑問を持ったのです。これはきちんと分析する必要があるんじゃないかと思いました。そこで、消費や家計のデータから「豊かになった証拠とされているものの実態」の検証を始めました。男性が多い経済学の分野では家計に着目した研究が少なかったので、女性だから家計を研究するというステレオタイプのイメージを拒否しつつ、誰も異議を唱えないのなら私がやるべきだという自負もありました。

姉歯曉教授

そもそも、豊かになるというのは、所得が上がることでしょうか? 買えるモノが増えることでしょうか? たしかに、高度成長期にはいろいろなモノが手に入るようになり、人々は喜びました。しかし、それだけで社会は豊かになったと言えるのでしょうか。
じつは、経済学では「豊かさ」について長らく議論をしてきました。そこで得られた答えのひとつは、豊かさとは「自由時間とその自由時間を使うための知的・文化的素養を育てていくことができる条件が存在すること」だというものです。経済活動の目的は勉強したり、いろいろなことを経験し、人と触れ合って相手のことを思いやったり、想像力を磨いたり、そういう時間を作り出すことなのだというのです。

例えば、1台の車を作るのに、最初は大勢の職人で何ヵ月もかけていたものが、技術革新で30分で作れるようになれば、それだけ働く時間は短くなるはずです。短時間で必要な量を生産できたわけですから、労働者はこうして作り出されるはずの自由時間で勉強もできますし、早く家に帰って家族と過ごせるでしょう。そうなれば、かつては有閑階級と呼ばれる一部の特権階級のものだった文化や教養に触れる機会も増え、社会変革の力にもなる、それが経済活動がもたらす豊かさだというのです。
しかし現実はどうでしょうか。技術は進化し、効率よくモノが作られるようになりました。でも、労働時間は短くなるどころかますます長くなっています。約束されたはずの自由な時間はどこへ行ってしまったのでしょう。過労で肉体的にも精神的にも追い詰められる人たちがいる一方で、富裕層はクルーザーで南の島を巡り自由時間を満喫しています。彼らの自由時間は誰が作り出したものでしょうか。クルーザーを買うお金はどこから生まれているのでしょうか。経済学にはその答えがあるのです。

家計上で増えたサービスへの支出は本当に家計上で増えたサービスへの支出は
本当に"知的で豊か"な生活の証拠なのか?

消費のサービス志向についてはどうでしょう。たしかに家計消費に占める「サービス品目」への支出は、80年代に入って増加しました。「サービス化社会」を賞賛する人たちは、これこそが、消費者が"心を満たす豊かさ"を求めた証拠だというわけです。
しかし、内訳を細かく分析してみると、その中には、家や車などにかける保険や維持・修繕費、携帯という"モノ"を使うために欠かせない「通信費」など"モノの購入なくしては生じないはずのサービス"や、保育園や介護施設の使用料、クリーニング代など"家事や育児、介護を代替するサービス"への支出なども増えていて、必ずしも"モノからサービスに転換した"からであるとか、"文化的で心を満たす豊かさ"への消費が増えたとは言えない実態が見えてきます。

ちなみに、家計におけるサービスへの消費は、その後も増え続けていますが、果たして私たちの生活は文化的で心を満たすものになったでしょうか。サービスへの消費の増加は、実際には、例えば公立の保育園が足りないので民間に預けたために費用負担が増えたことによるものなのかもしれないのです。「サービス化社会」という言葉が流行っていた時代から30年の間、「今は豊かなの?」という問いかけは違った形で幾度も行われてきました。「若者はモノを買わなくなった」という主張も、「シェア消費はモノの所有にこだわらなくなった新しいトレンド」などといった主張もそうです。今、再びあのときの「本当にそうなの?」という問いかけが必要になってきていると感じています。

経済の仕組みに組み込まれている個人の暮らしを自覚することの大切さ経済の仕組みに組み込まれている
個人の暮らしを自覚することの大切さ

かつては経済学の対象は生産でした。しかし、モノで溢れ、モノが余りはじめると、消費のほうも考えなければなりません。作ったモノがなぜ余るのか。なぜ消費されないのか? 賃金をもっと引き上げて買えるようにしてやろうなどと考える雇い主はなかなかいません。賃金はそのままで、いや引き下げても暮らしに必要なものを買えるようにと考えられたのがローンやクレジットカードです。
「買わせるためのツール」は生産側にとって便利なものなのですが、これをあたかも消費者にとっての便利なツールとしてだけ説明しようとすれば「消費者が手に入れたもう一つの"便利な"支払い形態」ということになりますね。でも、これは借金です。借金の元金も利息も次の月の給料から返済することになります。今、借金で自治体に相談してくる人たちの第1の理由は「ギャンブル等」ではなく「低収入・収入の減少等」です。家計が大変だったからお金を借りたのに、同じく火の車状態の家計から、今度は利子の分を余計に捻出しなければならないのです。でも、カード会社のCMではスタイリッシュな言葉と映像が並び、その一方でこのような説明は、最後に、かなり遠慮がちに「借りるときは計画的に」なんて、よくわからない言葉がそえられるだけです。

消費者は決して自分の判断だけで行動しているわけではありません。売り手が考えた新たな消費、彼らから与えられた情報や世論などによって、消費"させられて"いるのです。そもそも私たち消費者はそれほど情報をもっていません。電子レンジのしくみも携帯のしくみも分からないまま毎日使っています。自分の着ている服がどこで誰がどうやって作っているかは知らないけれどそれが流行りであるとか、ブランドネームであるとか、そういうことだけは知らされている。テレビで誰かが言うまで、雑誌で紹介されるまで「流行り」だなどと知らなかったはずなのにいつのまにか自分は「流行りなんだ」と納得させられる・・・それが消費者なのです。
買って良いものかどうかを判断せよというのなら、情報をすべて開示することがベストです。しかし、それは通常無理な話です。極めて限定された情報だけで判断しなくてはならない、それが消費者です。だからこそ、情報量の多寡に関係なく消費者が選ぶ商品の中に消費者も、そして生産者の生活をも脅かすものが含まれていてはならないし、できるだけ多くの情報を分かりやすい形で開示していくよう、公の強制力をもって企業に求めていくことが必要です。

農作業体験から見えてくる地域経済の課題や農作業体験から見えてくる
地域経済の課題や"豊かさ"への疑問

経済学の研究は机に座ってばかりの頭脳労働だと思っている人も多いかもしれません。しかし、実際には私が行う作業の9割は足を使った仕事です。たしかにインターネットでさまざまな情報を検索できる時代になりました。でも、新聞記事などは検索結果と縮刷版の紙面全体を見るのとでは伝わってくる情報量が違います。また、テーマを深掘りしていけばデータ化されていない資料も必要になります。各地の図書館に問い合わせ、門外不出の資料があれば現地に出向きます。人々の証言を集めることも欠かせません。

農家女性の戦後史-日本農業新聞「女の階段」の五十年
2018年8月に上梓した『農家女性の戦後史-日本農業新聞「女の階段」の五十年』は、「日本農業新聞」の投稿欄「女の階段」への投稿者たちへのインタビューを通じて、戦後日本の農政と農家の実態、国の農政に翻弄されてきた農村の変遷を描いたもの

学生たちにも、経験を積んでもらいたくてさまざまな「提案」をしています。例えば、農業と地域経済の関係をテーマにした合宿では、農村に滞在して農作業を経験させてもらいました。ある学生は、泥だらけの大根を1人で150本も冷たい湧水でひたすら洗い、達成感を語っていました。しかし、農家の人に満足げに「いくらで売れますか」と聞いて、「トラック一台分で2000円だね」と言われ、その安さに心底憤慨していました。収穫した稲穂を機械乾燥ではなく「はさ」という丸太を組んだものに人の手で半日かけて干した60キロのコメの付加価値がわずか1500円です。農家のお年寄りと汗まみれになりながら作業を終えた学生たちがその金額を耳にしたときの唖然とした顔は忘れられません。
現場に赴き、そこで経験するからこそ湧き上がる複雑な感情は、みんなにとって大事な学びの起爆剤です。

新潟県のプロジェクトで佐渡市の山の中の集落で活動したときのことです。女性だけが家事に関わる状況では、自分たちが考えたアイデアが女性たちの負担を増すだけだということに気がついて、学生たちは何ヵ月も調査と計画づくりを進めてきたそのアイデアをさっと取り下げました。また、地域の疲弊を解決するためには交通手段の圧倒的な不足が問題なのだと気づいた学生が出たり、そこで80歳を超えても元気な高齢者の皆さんと一緒に過ごす中で「限界集落」などという失礼な言葉を使うことに全員が憤慨したり、都会からは見えない問題に気づくこともできました。さらに、農村で経験した性別役割分業の根源や不満を口にできない「日本の空気」の出所を探ろうと、歴史をさかのぼってみるという新たな研究テーマへの挑戦が始まっています。

大看板
住民の要望に応えて住民とゼミで協力して建てた大看板。
学生たち
佐渡の羽茂大崎集落で、薬草を含む植物の種類を学ぶ学生たち
そばの会
集落で毎年開催される「そばの会」。ゼミで作成した集落内外の人口移動についてのアンケート調査も行われた。プロジェクトが終了してからも毎年学生たちが手伝いに赴く。おひねりも飛ぶ人気ぶりである。

いわゆる目先の経済効率で考えると切り捨てられがちな問題も、実際に現場を見て、数字の裏に一人一人の人間の生活があることを実感すると心が動かされます。経済学を学ぶ上で、そういう感情が動かされることとの出会いが大切だと考えています。

いま起きていることに常に疑問を持っていま起きていることに
常に疑問を持って

先日、金融庁が発表した「老後生活、年金だけでは2000万円足りない」という報告書が物議を醸しましたが、その直後、銀行や証券会社にはNISA(少額投資非課税制度)の問い合わせが殺到したそうです。国の発表が社会を動かしたんですね。学生からもNISAについて聞かれました。彼らは肌感覚で自分の将来に不安を感じています。「どうせ自分たちの給料では生活はできないのだから、投資でお金を増やしたい」と切羽詰まったような表情で繰り返します。そこで、「投資はマイナスになることもあるのよ」と言ったとき、初めて彼らは投資のリスクに気づいてため息をつきます。国は投資をしたらと言いますが、その先の投資が生み出すリスクまでは教えてくれません。

だからこそ、私たちには常に目の前のことに疑問を持ち、「ちょっと待てよ」と立ち止まって腕を組んで考えることが大切なのです。そして、自然科学のようにデータを科学的に分析し、緻密な作業を積み重ねて検証し、石橋を叩くように歩いていく方がいいのです。「自然科学のように」と言いましたが、たしかに、経済学は自然科学のような実験はできません。そのかわり、社会科学は歴史に残された、数え切れない"過去の実験結果"を使います。かつて起こったことを検証し、いま起きていることと同じなのか、どこが違うのかを見ていくのです。
アメリカのリーマン・ショックの際、アメリカで住宅バブルの真っ只中にあって、「日本のバブルを思い出せ」と警告したガルブレイスというアメリカの経済学者がいました。その声は投機に熱狂する中にあってかき消されてしまいましたが。それでも、誰も聞いてくれそうになくても警鐘を鳴らし続けたいと思います。国が言っていることは真実なのか? 社会に蔓延している流行りの言葉は真実を表しているのか? それを、膨大な時間と労力をかけて、集めて積み上げた資料をもとに大きな声に流されずに検証するのが私の仕事です。

研究の師には「群れるな、孤高であれ」と教えられました。そうありたいし、その勇気は今の時代にはますます重要になっていると思っています。これまで、その時代時代を切り取って検証する作業を行ってきましたが、そろそろ、戦後の日本の消費がどうやって作られてきたのか、その通史をまとめてみたいと思っています。

Profile

姉歯曉教授
1989年、國學院大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得。経済学博士(中央大学)。県立新潟女子短期大学生活科学科助教授、イギリス・エセックス大学社会学部visiting fellow、大妻女子大学社会情報学部助教授などを経て、2007年より駒澤大学経済学部教授。経済学の視点から消費問題や地域経済、農業政策と農村、農家女性のジェンダーなどを分析している。おもな著書に『農家女性の戦後史』(こぶし書房)、『豊かさという幻想』(桜井書店)など。

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