2002年5月1日から5月31日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

2002年5月31日(金)曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「令進(シンぜしめ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に、標記語「令進」は未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

氷魚等或買之或乞索令進之候」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ヒヲ)等或_(ヲキノリ)|、(コ)イ_(モト)メ|、」〔山田俊雄藏本〕

氷魚(ヒウヲ)等或(カイ)(ヲギノリ)(コヒ)(モトメ)(シメ)(シン)せ」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「令進」の語を未収載にしている。単漢字「」と「」とについて見たとき、

シム/口貞反。使遣教垂造命已上同。〔黒川本・辞字下74オ五〕

シム使遣垂造命教已上同。〔卷第九・辞字186六〜187二〕

とあって、標記語「」の収載を確認する。「」は「スヽム」で収載している。これを同じく観智院本類聚名義抄』を見るに、標記語「」の字は未収載にする。「」は、

音晉。スヽム[上上○]。マイル。タテマツル/ノホル。タヽ。ノトル。〔遶部・佛上58六〕

とある。

 室町時代の『下學集』には、標記語「令進」の語を未収載にしている。次に広本節用集』は、

(シメ,シンぜ/レイ)[去○]。〔態藝門934八〕

とあって、標記語「令進」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「令進」の語を未収載にしている。

また、易林本節用集』には、標記語「令進」のそれぞれの語を示し、語注記は未記載にする。已上、古辞書を検索した結果として、この漢語サ変動詞「進ず」と使役の助動詞「しむ」の複合語を収載するのは広本節用集』だけということが浮き彫りになった。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

314或買貮{}之|、或乞‖-索之_以不足亊候者可使者恐々謹言〔謙堂文庫藏三三左@〕

とあって、標記語を「令進」について語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

氷魚(ヒウヲ)等或(カイ)(ヲギノリ)(コヒ)(モトメ)(シメ)(シン)せ(ナヲ)_不足事候者可ハル使者。氷魚(ヒウヲ)ハ冬(フユ)(カハ)ニアル魚(ウヲ)ヲモ謂(イフ)宇治河(ウジカハ)ノ名魚也。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「令進」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(これ)(しん)(しめ)(なを)(もつ)不足(ふそく)(こと)ハゝ使者(しゝや)(たまハ)(へき)猶以不足之事候者可使者また此上足らぬものあらは使を以て申越(こ)されよとなり。〔37オ二〕

とあって、標記語「令進」でその語注記は総体注記で「また、此上足らぬものあらば使ひを以って申し越されよとなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

氷魚(ひうを)(とう)(あるひ)ハ(かひ)(おぎの)(あるひ)ハ(こひ)(もと)め之(これ)(しん)ぜ(し)め(さふら)ふ/氷魚等或買ヒ_或乞ヒ_。〔二十九ウ三〕

氷魚(ひうを)(とう)(あるひ)ハ(かひ)(おぎのり)(あるひ)(こひ)(もと)め(し)め(しん)ぜ(これ)を(さふら)ふ。〔53オ二〕[文意]猶以(まだ)に不足(たらぬ)事あらバ使者(つかひ)にていひ越(こ)されよとなり。

とあって、標記語「令進」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』に、標記語を「令進」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、複合動詞「しん・ぜ-しめる【令進】」は、見出し語としては立ててない。現代の『日本国語大辞典』第二版においても、標記語「しん-ぜ・しむ【令進】」では収載をみない。すべて「しん-ずる【進】[他サ変]@目上の人へ物をさしあげる。進上する。しんぜる。A以下省略」としている。

[ことばの実際]

黄菊一本候。《『新十二月徃来』(1026年頃)》

然則、致調度具書等者、雖可令持参之、為物詣依令在京、不及進覧之、於当知行之段者、佐々木加地孫二郎有盛有御尋之処、載起請文詞、請文令進覧之上者、不可相貽御不審者也、早下賜安堵国宣、為備向後亀鏡、仍恐々言上如件 元弘三年十二月 日《「中条家文書」新田義貞の署判文書》

当国にて御免除庄々多候也、□何当御領□□□□御免除後河御庄々官百姓等令進候折紙之事、子細者此面ニ具候、《年月日欠 丹波国後河庄庄官百姓等申状

至十三年四月,劒南西川節度使奏,南詔請貢獻助軍牛羊奴婢等,上發詔褒之,不令進獻。《『唐会要』巻九十九(抄)商務印書館国学基本叢書本の中華書局影印本》

答所以答異義也、言冉求謙退、故引之令進、所以不云先白父兄也。《梁・皇侃撰『論語集解義疏』先進編》

2002年5月30日(木)晴れ後曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「乞索(こひもとめ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「古」部、「毛」部に、

(コウ)(同)。〔元亀本242一〕 (モトムル)(同)(同)。〔元亀本351三〕

(コフ)(同)。〔静嘉堂本279二〕 (モトム)(同)(同)。〔静嘉堂本422七〕

(コウ)(同)。〔天正十七年本中68ウ二〕

とあり、標記語「乞索」はなく、単漢字「」と「」という一字にして収載する。読みは「こう[ふ]」と「もとむ{る}」とする。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

氷魚等或買之或乞索令進之候」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ヒヲ)等或_(ヲキノリ)|、(コ)イ_(モト)メ|、進候」〔山田俊雄藏本〕

氷魚(ヒウヲ)等或(カイ)(ヲギノリ)(コヒ)(モトメ)(シメ)(シン)せ」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「乞索」の語を未収載にしている。単漢字「」と「」とについて見たとき、

コフ/乞也/七静疾盈二反。去訖反。幾商庶美青願散祈聊謁已上同。〔黒川本・辞字下7オ四〕

コフ。亦作鹿。〔卷第七・辞字152六〜153三〕

モトム/巨鳩反。莫作反。認索山責反/求也。古寒反/―祿。夫道。〓〔者+求〕視流激責方略殉索索要〓〔艸巣+斤〕祈已上求也。〔黒川本・辞字下99ウ二〕

モトム―祿。―天道。〓〔者+求〕〓〔艸巣+斤〕已上同/求也。〔卷第十・辞字414四〜415三〕

とあって、いずれも先頭表記ではない。これを同じく観智院本類聚名義抄』を見るに、

去訖反。コフ。又音氣。メクム[平上平]/アタフ 和コツ[平平]。〔雜部・僧下111七〕

音錯シヤク。ナハ[平平]。モトム[平平上]。コフ。トル[平上]。アナクル[平平○○]/ツキヌ[上平上]。ツクス[上上○]。アツカル。法・散・數・ ナフ。〔糸部・法中114六〕

とあって、それぞれ「こふ」と「もとむ」の読みを確認する。

 室町時代の『下學集』には、標記語「乞索」の語を未収載にしている。次に広本節用集』は、

乞索(コイモトメ/―サク)[○平]。〔態藝門691七〕

とあって、標記語「乞索」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(コウ)・言語進退189三〕 (コウ)。〔・言語進退189四〕

(コウ)―物(コウ)。〔・言語156九157一〕

(コフ)物。(コフ)。〔・言語146四〕

(モトム)(同)(同)(同)・言語進退260四〕

(モトムル)・言語222六〕

(モトムル)易在之。・言語208八〕

とあって、標記語「」と「」の語として確認することになる。また、易林本節用集』には、

(コフ)(同)。〔言語161二〕

(モトム)(同/ミヤク)(同/サク)(同)〔言語231六〕

とあって、標記語「」「」のそれぞれの語を示し、語注記は未記載にする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

314或買貮{}之|、‖-進候_以不足亊候者可使者恐々謹言〔謙堂文庫藏三三左@〕

とあって、標記語を「乞索」について語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

氷魚(ヒウヲ)等或(カイ)(ヲギノリ)(コヒ)(モトメ)(シメ)(シン)せ(ナヲ)_不足事候者可ハル使者。氷魚(ヒウヲ)ハ冬(フユ)(カハ)ニアル魚(ウヲ)ヲモ謂(イフ)宇治河(ウジカハ)ノ名魚也。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「乞索」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ある)(こ)(もと)_メ、人よりこひ求(もと)めてその數に足したるをいふ。〔37オ一〕

とあって、標記語「乞索」でその語注記は「人よりこひ求(もと)めてその數に足したるをいふ」とその意味を示している。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

氷魚(ひうを)(とう)(あるひ)ハ(かひ)(おぎの)(あるひ)ハ(こひ)(もと)(これ)(しん)ぜ(し)め(さふら)ふ/氷魚等或買ヒ_ヒ_。〔二十九ウ三〕

氷魚(ひうを)(とう)(あるひ)ハ(かひ)(おぎのり)(あるひ)(こひ)(もと)め(し)め(しん)ぜ(これ)を(さふら)ふ。〔53オ二〕[文意]或ハ他(た)に(こひ)(もと)めて或進じ申也。

とあって、標記語「乞索」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』に、

Coimotome,uru,eta.コイモトメ,ル,メタ(乞・請ひ求め,むる,めた) 乞うて手に入れる,または,乞い求めて捜す.〔邦訳142l〕

とあって、標記語を「乞索」の語の意味は「乞うて手に入れる,または,乞い求めて捜す」ことをいう。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、複合動詞「こひ-もとめる【乞索】」は、見だし語として立ててない。いわば「こふ【乞】」と「もとむ【求・索】」の単独語での収載にある。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「こい-もと・める【請求乞求】[他マ下一][文]こひもと・む[他マ下二]欲しい物を人に頼んで手に入れようとする。請願する。

[ことばの実際]

一第三充衣也。上品人者。路側淨衣。中品人者。東土商布。下品人者。乞索随得衣。{読み下し}第三に充衣なり。上品の人は路側の淨衣、中品の人は東土の商布、下品の人は乞索随得衣なり。《『根本大師臨終遺言』(『傳教大師全集』世界聖典刊行協会)》

王之旧婦担彼人。展転乞索到王子国。国人皆称有一好婦担一婿恭承孝順。《『大蔵経』第五三冊七七六頁中〜下『法苑珠林』第六四巻 慈悲篇国王部》

2002年5月29日(水)晴れ一時曇り。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

(かひをきのる)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「賀」部、「遠」部に、標記語「」も、単漢字にして「」の語も未収載にある。読みの「をきのる」をもって見るに、

(ヲキノル)(同)(同)。  (コ)。〔元亀本84十〜85一〕

(ヲギノル)(同)(同)(同)。〔静嘉堂本104三・四〕

(ヲキノル)(同)(同)。〔天正十七年本上51ウ三〕

とあって、下記に示す十卷本伊呂波字類抄』と同じく「」の字を未記載にしている。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

氷魚等或之或乞索令進之候」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ヒヲ)等或_(ヲキノリ)|、(コ)イ_(モト)メ|、進候」〔山田俊雄藏本〕

氷魚(ヒウヲ)等或(カイ)(ヲギノリ)(コヒ)(モトメ)(シメ)(シン)せ」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語を未収載にしている。単漢字「」について見たとき、

ヲキノル/―酒。桑也。已上同。〔黒川本・辞字上67オ八〕

ヲキノル/―酒。已上同。〔卷第三・辞字87四・五〕

とある。これを同じく観智院本類聚名義抄』を見るに、

他代反。カル。カス。〓〔代+日〕二俗上 カチ。ツイノフ。〔人部・佛上13二〕

吐載反。カル。ヲキノル。施・/カ爪[上平]。クル。イタス。〔貝部・佛下本21三〕

とあって、人部及び貝部に「」をもって見えるが、「をきのる」の訓は貝部の方にしか記載が見えない。また字体も「」と「」とを記載しているのは人部の方だけといった編纂の流れのなかで不統一な異なりが見えている。『字鏡集』には、

 室町時代の『下學集』には、標記語「」の語を未収載にしている。これを「をきのる」読みで見るに、

(ヲキノル)二字義同。〔態藝門93六〕

とある。次に広本節用集』は、

(ヲキノル/シヤ)[平](同/)(同)。〔態藝門232三〕

とあって、標記語の先頭表記を「」とし、「」の二語を収載するにすぎない。ところが、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』になると、

(ヲキノル)+。典・言語進退65八〕

(ヲキノル)+。〔・言語68六〕〔・言語73六〕

(ヲキノル)+。〔・言語62四〕

とあって、標記語の先頭を「」として、「+。{。<典>}」の二語から五語を注記語で排列する。ここではいずれも第三表記に語として「」の字を収載している。この点は着目すべきところである。この増補が直接『庭訓徃来』に依拠するかは、確たる検証を試みないとならないのだが、『下學集広本節用集』、そして『運歩色葉集』にも未収載の語をここに保有する特異な由縁が露れている。これと一つ前の表記字「+」も未検証の文字である。また、易林本節用集』には、

(ヲキノル)(同)〔言語64一〕

とあって、標記語「」と「」の二語を示し、語注記は未記載にする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

314或{}之|、或乞‖-索之進候_以不足亊候者可使者恐々謹言〔謙堂文庫藏三三左@〕

とあって、標記語を「」について語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

氷魚(ヒウヲ)等或(カイ)(ヲギノリ)(コヒ)(モトメ)(シメ)(シン)せ(ナヲ)_不足事候者可ハル使者。氷魚(ヒウヲ)ハ冬(フユ)(カハ)ニアル魚(ウヲ)ヲモ謂(イフ)宇治河(ウジカハ)ノ名魚也。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ある)ひハ(か)(そ)ハそへるとも増(ま)すとも讀。足らぬものをは價(あたひ)を出し買調(かひとゝのへ)きて足(た)したるをいふ。〔36ウ八〕

とあって、標記語「」でその語注記は「そへるとも(ま)とも讀。足らぬものをは價(あたひ)を出し買調(かひとゝのへ)きて足(た)したるをいふ」とその読みと意味を示している。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

氷魚(ひうを)(とう)(あるひ)ハ(かひ)(おぎの)(あるひ)ハ(こひ)(もと)め之(これ)(しん)ぜ(し)め(さふら)ふ/氷魚等_或乞ヒ_。〔二十九ウ三〕

氷魚(ひうを)(とう)(あるひ)ハ(かひ)(おぎのり)(あるひ)(こひ)(もと)め(し)め(しん)ぜ(これ)を(さふら)ふ。〔53オ二〕[文意]或ハ(かひ)(とゝの)或ハ(こひ)(もと)めて之(これ)(しん)申也。

とあって、標記語「」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』に、

Voqinori,u,otta.ヲキノリ,ル,ッタ(り,る,つた) 掛買いをする.§Saqeuo voqinoru.(酒をる)掛けで酒を飲む,または,掛けで酒を手に入れる.〔邦訳716r〕

とあって、標記語を「り」の語の意味は「掛買いをする」ことをいう。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おぎ-のる(他動、四)【】〔假名遣ハ前條を見よ、壓賭(おきの)る義にもあるか、凌ぎ借る意、おく(壓)の條を見よ、字彙「不錢而買曰」價の錢を借りて買ふ。(あきさすの反)かけうりにて買ふ。かけがひにす。筑前、博多にては、今も此語を用ゐる。名義抄、オギノル」高野山文書、七「左衛門太郎殿、五郎大夫の馬をおぎのられて、價の銭を、酷(きつ)く責め申して候ひけるとて、焼かれて候」尺素徃来「貰(オギノリ)于村酒、補枯腸」〔0288-1〕

とある。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「おきのる【】[他ラ四](後世「おぎのる」とも)@代価を借りて、物を買う。掛けで買う。A物を質入して、または担保にして金を借りる」ととある。

[ことばの実際]

能説坊キワメタル愛酒(アヒシユ)ニテ、布施物(フセモツ)ヲ以テ、一向(カウ)ニ酒ヲカイテノミケリ。或(アル)(トキ)ヲキノリテ布施出(イテ)クレハヤリケリ。《米沢本『沙石集』(1283年)六11・能説坊ノ事210六》

2002年5月28日(火)晴れ。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「氷魚(ひを)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

(ヒヲ)定氷魚(ヒヲ)。〔元亀本368二〕

(ヒヲ)氷魚(同)。〔静嘉堂本447六〕

とあって、標記語を「」と「氷魚」との二語とし、元亀本の語注記に「定」とし、『定家仮名遣』を引用する旨の略名が記載されている。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

氷魚等或買或乞索令進候」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ヒヲ)等或_(ヲキノリ)|、(コ)イ_(モト)メ|、進候」〔山田俊雄藏本〕

氷魚(ヒウヲ)等或(カイ)(ヲギノリ)(コヒ)(モトメ)(シメ)(シン)せ」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「氷魚」の語を未収載にしている。

 室町時代の『下學集』には、

(ヒヲ)又作氷魚(ヒヲ)ト|〔氣形門64六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「又作○○ト|」形式で「氷魚」の語を記載する。次に広本節用集』は、

(ヒホ)又作氷魚(ヒホ)ト|〔氣形門1033六〕

とあって、『下學集』を継承し、標記語「」の語を収載し、語注記に「又作○○ト|」形式で「氷魚」の語を記載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ヒヲ)定氷魚(同)(同)鯤子(同)・畜類253五・六〕

(ヒホ/シロイヲ)又作氷魚・畜類216六〕

(ヒホ)氷魚・畜類202四〕

とあって、標記語を「」として、弘治二年本は語注記でなく、「氷魚鯤子」の三語を見出し語で排列する。永祿二年本と尭空本の語注記には、広本節用集』の注記を継承して「又作○○」形式を用い、尭空本は「又氷魚」とさらに簡略化した記載を見せている。また、易林本節用集』には、

氷魚(ヒヲ)(同)。〔氣形223五〕

とあって、標記語「氷魚」と「」の二語を示し、語注記は未記載にする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

313氷魚 小魚。〔謙堂文庫藏三三右H〕

とあって、標記語を「氷魚」について語注記は「小魚ぞ」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

氷魚(ヒウヲ)等或(カイ)(ヲギノリ)(コヒ)(モトメ)(シメ)(シン)せ(ナヲ)_不足事候者可ハル使者。氷魚(ヒウヲ)ハ冬(フユ)(カハ)ニアル魚(ウヲ)ヲモ謂(イフ)宇治河(ウジカハ)ノ名魚也。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「氷魚」とし、語注記は「氷魚は、冬河にある魚をも謂ふ。宇治河の名魚なり」としている。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

氷魚(ひうを)(とう)氷魚白く小(ちいさ)き魚なり。出雲より出。又うぢ川の名物なり。こゝに説(とき)ならへたる品/\ハ客人を饗應(けうおう)すへき美味(ひミ)なり。〔36ウ七〕

とあって、標記語「氷魚」でその語注記は「白く小さき魚なり。出雲より出づ。また、うぢ川の名物なり」とし、その後に前の語をも含めて「こゝに説きならべたる品々は、客人を饗應すべき美味なり」という総体記載の注記としている。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

氷魚(ひうを)(とう)(あるひ)ハ(かひ)(おぎの)(あるひ)ハ(こひ)(もと)め之(これ)(しん)ぜ(し)め(さふら)ふ/氷魚或買ヒ_或乞ヒ_▲氷魚ハ形(かたち)白魚に類(るい)し大サ一寸ばかりにて色白し。城州(やましろ)宇治(うぢ)川にて多く取る。〔二十九ウ八〕

氷魚(ひうを)(とう)(あるひ)ハ(かひ)(おぎのり)、(あるひ)ハ(こひ)(もと)め(し)め∨(しん)ぜ(これ)を(さふら)ふ▲氷魚ハ形(かたち)白魚に類(るゐ)し大サ一寸ばかりにて色白(いろしろ)し。城州(やましろ)宇治川(うぢかハ)にて多く取る。〔53オ二〕

とあって、標記語「氷魚」の語注記は「氷魚は、形白魚に類し、大さ一寸ばかりにて色白し。城州宇治川にて多く取る」とある。

 当代の『日葡辞書』に、

†Fiuo.ヒヲ(氷魚) 小さな魚の一種.〔邦訳251r〕

とあって、標記語を「氷魚」の語の意味は「小さな魚の一種」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひ-を(名)【氷魚】〔ひうをの約〕近江の湖中、山城の宇治川に産ず。形、しらうを(白魚)に似て小さく、色、潔白にして氷の如し。秋の末より冬に亙りて捕る。倭名抄、十九4龍魚類「卵 今案、俗云‖氷魚|是也」天治字鏡、九3「 比乎、又、伊佐佐古」下學集、上、氣形門「」ヒヲ、又作‖氷魚|」内膳司式「氷魚」萬葉集、十六20「吾がせこの、たふさぎにする、つぶれ石の、吉野の山に、氷魚ぞさがれる」新拾遺集、廿、物名、從三位頼政「水ひたり、まきの淵淵、おちたぎり、氷魚今朝(桐火桶を詠みこめり)いかに、よりまさ(頼政)るらん」増鏡、第五、内野の雪「網代に氷魚のよるも、さながらののしり明かし(宇治川)」續詞花集、十九、物名、おものたな「月のおもの、たなかみ川に、宿るこそ、ひをのよる見る、形見なりけれ」〔1715-2〕

とある。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「ひお【氷魚】[名]「ひうお(氷魚)」に同じ。《季・冬》」とあり、標記語「ひうお【氷魚】[名]鮎(あゆ)の、体に色素細胞がまだほとんど現れていないときの稚魚。長さ二〜三センチb。ほとんど無色半透明で死ぬと白濁する。秋から冬にかけて琵琶湖でとれるものが有名。ひお。ひのいお。《季・冬》」とある。

[ことばの実際]

卵 考声切云―音小今案俗云氷魚是也。初學記冬雖對有氷魚霜鶴之文而尋其義非也。白小魚名也。似魚長一二寸者也。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊27オ九》

漕ぎつらね氷魚はコぶとて網代には△おほくの冬をみなれぬる哉《『宇津保物語』》

2002年5月27日(月)霽一時雷雨。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「雑魚・雜喉(ざこ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

雜喉(ザツコ)。〔元亀本367八〕〔静嘉堂本447二〕

とあって、標記語を「雜喉」とし、語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

烏賊辛螺栄螺蛤雜喉」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ウルカ)(ウロクツ)_(イカ)_(ニシ)_(サヽイ)(ハマクリ)_(エヒマシリ)ノ-(サコ)」〔山田俊雄藏本〕

(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サザエ)蛤蛯(エビ)リノ雑喉(ザコ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「雜喉」の語を未収載にしている。

 室町時代の『下學集』には古写本である前田家本と元和本に、

雜喉(ザツコ)〔前田本・氣形門33三〕〔元和本・氣形門64四〕

とあって標記語「雜喉」とし、読みは「ザツコ」で収載するのみであり、他古本写本は未収載にする。次に広本節用集』は、

雜喉(ザコ/―コウ,マジヱ・ノド)少魚也〔氣形門778七〕

とあって、標記語「雜喉」の語を収載し、語注記には「少魚なり」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

雜喉(ザコ)小魚・畜類211五〕

雜喉(ザコ) 小魚雜魚(サウコ)。〔・畜類176五〕

とあって、標記語の先頭語を「雜喉」として、弘治二年本の語注記には「小魚」、永祿二年本の語注記には「小魚」と「雜魚」を記載する。また、易林本節用集』には、

雜喉(ザコ)。〔氣形177五〕

とあって、標記語「雜喉」の語を示し、語注記は未記載にする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

312(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)雜喉雑魚 海老、玉篇云、長鬚之虫也。〔謙堂文庫藏三三右G〕

とあって、標記語を「雜喉」について語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

鳥醤(トリヒシホ)蟹味噌(カニミソ)海鼠腸(コノワタ)(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)雑魚(ザツコ)トテアリ。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「雜喉」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ゑひまじり)雜喉(さつこ)雜喉(あま)が崎よりいつるなり。〔36ウ七〕

とあって、標記語「雜喉」でその語注記は「尼が崎よりいづるなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ゑひまじり)雜喉(ざこ)雜喉。〔二十九ウ三〕

(ゑひまじり)の雜喉(ざこ)。〔52ウ一〕

とあって、標記語「雜喉」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』に、

Zaco.ザコ(雑喉・雑魚) 一緒にまとめて売られるたくさんの小魚.〔邦訳839r〕

とあって、標記語を「雜喉」の語の意味は「一緒にまとめて売られるたくさんの小魚」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さ-こ(名)【雜喉】〔雜喉(ザツコウ)、ざっこ、ざこ(鬱金(ウツコン)、うこん。音頭(オントウ)、おんど)魚を數ふるを、喉(コ)と云ふ、其條を見よ、或は、こは、魚(ギヨ)の呉音(居(キヨ)、居士(コジ))〕種種、雜多なる小魚。ザッコ。梁塵秘抄(後白河院)二、雜「いざたまへ、隣殿、大津の西の浦へ、ざこすきに、此江に鰕(えび)なし、彼江へ徃(い)ませ、鰕まじり、ざこや」看聞日記、永享六年十月十二日「生鯉三、雜喉五十、室町殿進之、御池ニ被放」下學集(文安)上、氣形門「雜喉(ザツコ)」〔0793-5〕

とある。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「ざ-こ【雑魚雜喉】[名](「ざっこう(雜喉)」の変化した語か)@いろいろの種類がいりまじった小魚。小さい魚。こざかな。じゃこ。ざっこ」とある。

[ことばの実際]

ちひさき魚どもをざこといへる如何。雑魚ざこといへる也。《『名語記』(1275年)六》

晴、藤中納言禅門雜喉一折送之。《『実隆公記』長享三年(1489)正月二十二日》

2002年5月26日(日)霽一時雷雨。東京(八王子)⇒世田谷(玉川→駒沢)

「蛤(はまぐり)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

(同)(同)(同)。〔元亀本365十〕

(ハマクリ)(同)(同)。〔静嘉堂本444七〕

とあって、標記語の先頭の語を異にするが「」を最初に排列する静嘉堂本の記載のが正確なものといえよう。語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

烏賊辛螺栄螺交雑魚」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ウルカ)(ウロクツ)_(イカ)_(ニシ)_(サヽイ)(ハマクリ)_(エヒマシリ)ノ-(サコ)」〔山田俊雄藏本〕

(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サザエ)(エビ)リノ雑喉(ザコ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(カフ)ハマクリ/蚌―世大曰蜃小曰―(ハン){}或作含漿(ヒン)同/珠母也同/大蛤也。〔黒川本・動物上18ウ一〕

ハマクリ含漿珠母也―已上/ハマクリ。〔卷第一159五〕

とあって、標記語の最初の語を「」とし、「含漿珠母也」の語を収載している。

 室町時代の『下學集』には、

(ハマクリ)。〔氣形門64六〕

とあって、標記語「」を記載し、語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

(ハマクリ)。(同)或作蛤蜊含漿。老蚌胎中珠是賊。海蚌食月光珠。蚌蛤珠胎與月虧全文選。〔氣形門57四〕

とあって、標記語「」と「」の二語を収載し、語注記には「或作○○」の形式で五語の別表記を示し、次に『』と『文選』の句用例を引用している。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ハマクリ)又云蛤蜊(同)。又云(同)又云(同)又云(同)又云(同)・畜類20二〕

(ハマクリ)含漿唇K珠母也。〔・畜類18六〕

(ハマクリ)含漿辰K珠母也・畜類17一〕

(ハマクリ)含漿辰K珠母也・畜類20八〕

白及(ハマグリ)蛤。〔・萬異名255一〕

とあって、標記語の先頭語を「」として、弘治二年本だけが語注記に、「又云」形式で、「蛤蜊」の五語を収載するのに対し、他本は、「含漿辰K珠母也」の別表記語を収載する。また、易林本節用集』には、

蚌蛤(ハマグリ)。〔氣形17四〕

とあって、標記語「蚌蛤」の語を示し、読みを「はまぐり」と第三拍を濁音表記している。語注記は未記載にする。これは、上記尭空本節用集』における「萬異名」の読みに共通している。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

312(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)交雑魚 海老、玉篇云、長鬚之虫也。〔謙堂文庫藏三三右G〕

とあって、標記語を「」について語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

鳥醤(トリヒシホ)蟹味噌(カニミソ)海鼠腸(コノワタ)(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)交雑魚(ザツコ)トテアリ。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(はまくり)又臓をうるほし酒乃酔(ゑい)を醒(さま)す。〔36ウ六〕

とあって、標記語「」の語注記は「また、臓をうるほし、酒の酔を醒す」とその効能を記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(はまくり)。〔二十九ウ二〕

(はまぐり)。〔52ウ一〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』に、

Famaguri.ハマグリ(蛤) 蛤.※原文のAmeijoasは二枚貝の総称であるが,ここでは“蛤”にあてている.これと同様の例がCarasugai;Ippo<(鷸蚌)などの条に見える.〔Cai(貝)の注〕〔邦訳200r〕

とあって、標記語を「」の語の意味は「貝のある種属」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

はま-ぐり(名)【】〔濱栗の義〕古名、うむき。介の名。形、略、栗の子(み)に似て、殻、堅く厚く、兩片、形同じくして相合ふ。大なるは徑三四寸、小さきは五六分、色は、灰色に紫Kの文あるを常とすれど變色も極めて多し。我が國、各地の沿海に産ず。肉は食用となる。文蛤 倭名抄、十九6龜類「蚌蛤波萬久理」(蚌はどぶかひなり)書字考節用集、五、氣形門「(呂氏春秋、月望則蚌蛤實、月晦則蚌蛤虚)、(形圓者通曰、長者曰)、ハマグリ三省録(安政、志賀忍)二「婚禮にの吸物は、享保中、明君の定め置き給ふよし、寔には、數百千を集めても、外の貝等に合はざるものゆゑ、婚儀を祝するに、是れ程めで度き物はなし」嬉遊笑覧、十、下、火燭「に薫物を入ること、續古事談に、頭中將公能朝臣、殿上の一種物にを籠に入て、うすやうを立て、紅葉を結びてかざしたり、の中には薫物を入れたり、中將とりて、人人にくばられけり」〔1617-1〕

とある。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「はま-くり【】[一][名]@マルスダレガイ科の二枚貝。北海道南部以南に分布し、潮間帯から水深一〇bの砂泥底にすみ、地方により養殖もされている。殻はほぼ三角形で、殻長約八センチb。表面はなめらかで、色彩は変化に富むが灰色の地に褐色または紫色の放射彩や斑紋(はんもん)のあるものが多い。内面は白色。肉は美味で、吸物・焼き蛤などとし、殻は胡粉(ごふん)や上等の人形の材料にされる。和名は「浜栗(はまぐり)」の意という。近縁種に、殻が碁の白石の最上の材料となるチョウセンハマグリがある。学名はMeretrix Iusoria 《季・春》ABCDEF[二]は省略する」とある。

[ことばの実際]

蚌蛤ハマクリ兼名苑云―故{放}甲二音蚌或作波末久利[平平平上]一名含漿。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊30オ一》

2002年5月25日(土)霽。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢→桜上水)

日本大学文理学部百周年記念貴重書展「書物が伝える日本の美」講演拝聴

「榮螺(さざい)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

榮螺(サヽイ)。〔元亀本367八〕〔静嘉堂本447二〕

とあって、標記語の先頭の語を「榮螺」とし、語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

烏賊辛螺栄螺交雑魚」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ウルカ)(ウロクツ)_(イカ)_(ニシ)_(サヽイ)(ハマクリ)_(エヒマシリ)ノ-(サコ)」〔山田俊雄藏本〕

(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サザエ)蛤蛯(エビ)リノ雑喉(ザコ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

榮螺子(ヱイラ)ササヱ/似蛤而円也。細螺(同)〔黒川本・動物上36ウ二〕

とあって、標記語を「榮螺子」と「細螺」(三卷本)として「さざえ」の語を収載している。十卷本は未収載にある。

 室町時代の『下學集』には、

榮螺(サヽイ)。〔氣形門65四〕

とあって、標記語「榮螺」を記載し、語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

榮螺(サヾイヱイラ.サカユル,ニシ)[平平]貝也。〔氣形門778七〕

とあって、標記語を「榮螺」として、語注記にはただ「貝なり」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

榮螺(サヾイ)。〔・畜類211五〕〔・畜類176五〕

榮螺(サヾイ)・畜類165四〕

とあって、標記語を「榮螺」として、語注記を有しない。尭空本のみが「」の語を添えている。また、易林本節用集』には、

榮螺(サヾイ)。〔氣形177五〕

とあって、標記語「榮螺」の語を示し、語注記は未記載にする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

312(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)蛯交雑魚 海老、玉篇云、長鬚之虫也。〔謙堂文庫藏三三右G〕

とあって、標記語を「榮螺」について語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

鳥醤(トリヒシホ)蟹味噌(カニミソ)海鼠腸(コノワタ)(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)蛤蛯交雑魚(ザツコ)トテアリ。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「榮螺」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

辛螺(にし)榮螺(さゝゐ)辛螺榮螺。又海螺(さゝゐ)とも書なり。瘰癧(るいれき)結核(けつかく)によし。〔36ウ六〕

とあって、標記語「榮螺」の語注記は「また、海螺とも書くなり。瘰癧結核によし」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

榮螺(さゞい)榮螺。〔二十九ウ二〕

榮螺(さゞい)。〔52オ六〕

とあって、標記語「榮螺」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』に、

Sazai.サザイ(榮螺) 貝のある種属.〔邦訳566r〕

とあって、標記語を「榮螺」の語の意味は「貝のある種属」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さざい(名)【榮螺】ささえの條を見よ。〔0794-5〕

さざえ(名)【榮螺】〔日本釋名(元禄)中介「榮螺(ささゑ)、ささは、小也、えは、家(いへ)なり」東雅(享保)十九、鱗介「榮螺子(ササエ)、ささは、小而小也、えは、家(いへ)なり、蝸牛の殻を、かたつぶりのいへとも云ひ、蜘蛛の巣を、くものいと云ふが如く、其殻の少しきなるを云ふ」(次條の竹筒(ささえ)の語原を併せ見よ)倭訓栞、後編、さざえ「少しき柄(え)の如きもの、多くつける貝也」さだえ、さざいは、音轉なり、(塞(ふさ)ぐ、ふたぐ。腐(くさ)る、くたる。吉(え)し、美(い)し)榮螺(ヱイラ)の字、漢語に見えず、本朝食鑑(元禄)十、介「榮螺、佐佐伊、殻背尖角、如枝芽之向|∨榮、故名之乎」螺(にし)の類にて、海産なり、殻、大きくして厚く、拳(こぶし)の如くにて、暗蒼色なり、外面の螺級に、太く尖起したる刺(つの)、許多、周(めぐ)りて附けり、殻口も、大きくして圓く内面は、平滑にて、眞珠色なり、蔕(へた)あり、圓くして、裏面に渦巻あり、肉は、多くは、壷焼(つぼやき)にして食ふ。又、さだえ。今、専ら、さざいと云ふ。静岡にては、今も、さだいと云ふ。拳螺。倭名抄、十九6龜貝類「榮螺子、佐佐江」(天文本、佐太江)催馬楽、我家(ワイヘン)「御(み)肴(さかな)に、何善(よ)けむ、鰒(あはび)左多乎か、甲羸(かせ)善けむ」(佐太乎(サダヲ)とある本は、誤寫なりと云ふ)津守國基集「賀茂の禰宜成が許へ、貝津物遣とて「細螺(しただみ)も、鰒さだえも、蛤も、掻きあつめたり、皆ながら見よ」山家集、下、牛窓の瀬戸、海人(あま)の出で入りて、さだえと申すものを取りて、舟に入れ入れしけるを見て「さだえ棲む、瀬戸の岩つぼ、求め出でて、急ぎし海人の、氣色なるかな」(牛窓は、備前の地名なり)」下學集(文安)上。氣形門「榮螺(サザイ)林逸節用集(文明)生類「榮螺(サザイ)」〔0795-1〕

とある。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「さざえ【榮螺】[一][名]@リュウテンサザエ科の巻き貝。房総半島以南の暖流の影響を受ける海域に限って分布する。殻高約一〇センチbで殻はよくふくらむ。表面にとげが二列に並ぶが、内湾産のものは小さく、またまったく無いものもある。外面はふつう暗青色で内面は真珠色。殻の口は円形で、ふたは石灰質で厚く、渦巻き状。潮下帯の岩礁にすみ、海藻を食べる。古くから食用にされ、つぼ焼きは有名。春から初夏にかけてが旬(しゅん)である。缶詰にもされる。殻は貝ボタンや細工物に利用。さざい。さだえ。さたべ。さざいがい。学名はTurbo cornutus 《季・春》ABCD[二]は省略する」とある。

[ことばの実際]

榮螺サヽヒ崔禹食經云――佐左江[平平平]似蛤而圓者也。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊29オ二》

2002年5月24日(金)晴れ一時雷雨。東京(八王子)⇒世田谷(駒沢)

「辛螺(にし)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

辛螺(ニシ)。(同)。〔元亀本365十〕

辛螺(ニシ)。(ニシン)。〔静嘉堂本445一〕

とあって、標記語の先頭の語を「辛螺」とし、次の語を元龜本は「同」として「」の字で示し、静嘉堂本は「にしん」として「」の字をもって記載している。語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

烏賊辛螺栄螺蛤交雑魚」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ウルカ)(ウロクツ)_(イカ)_(ニシ)_(サヽイ)(ハマクリ)_(エヒマシリ)ノ-(サコ)」〔山田俊雄藏本〕

(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サザエ)蛤蛯(エビ)リノ雑喉(ザコ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

小辛螺ニシ。蓼螺同。〔黒川本・動物上29ウ六〕

小辛螺ニシ。同。〔卷第二・動物258四〕

とあって、標記語を「小辛螺」と「蓼螺」(三卷本)「」(十卷本)として「にし」の語を収載している。

 室町時代の『下學集』には、

辛螺(ニシ)。〔氣形門64五〕

とあって、標記語「辛螺」を記載し、語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

辛螺(ニシ/シンラ.カラシ,ニシ)[平平]或作螺子(ニシ)。又云海螺(ラ)ト。〔氣形門87四〕

とあって、標記語を「辛螺」として、語注記には「或作○○又云○○」形式により「螺子」と「海螺」の別表記の語を記す。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

辛螺(ニシ)螺子(同)海螺。〔・畜類30七〕

辛螺(ニシ)。・畜類29二〕〔・畜類26三〕〔・畜類30八〕

とあって、標記語を「辛螺」として、弘治二年本広本節用集』に近い簡略注記とし、後は語注記を有しない。『運歩色葉集』は他三本に拠る記述を成している。また、易林本節用集』には、

辛螺(ニシ)海螺(同)。〔氣形26三〕

とあって、標記語「辛螺」と「海螺」の語を示し、語注記は未記載にする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

312(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)交雑魚 海老、玉篇云、長鬚之虫也。〔謙堂文庫藏三三右G〕

とあって、標記語を「辛螺」について語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

鳥醤(トリヒシホ)蟹味噌(カニミソ)海鼠腸(コノワタ)(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)蛤蛯交雑魚(ザツコ)トテアリ。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「辛螺」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

辛螺(にし)榮螺(さゝゐ)辛螺榮螺。〔36ウ六〕

とあって、標記語「辛螺」の語注記は未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

辛螺(にし)辛螺。〔二十九ウ二〕

辛螺(にし)。〔52オ六〕

とあって、標記語「辛螺」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』に、

Nixi.ニシ(辛螺) 貝の一種で,法螺貝に似た卷貝.〔邦訳4681〕

とあって、標記語を「辛螺」の語の意味は「貝の一種で,法螺貝に似た卷貝辛螺」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

にし(名)【】〔丹肉(にしし)の約と云ふ〕殻に、左へ旋(めぐ)れる縱道(すぢ)ある介(かひ)の總名。多くは(ふた)あり。長螺、赤螺、苦螺、田螺等、各條に註す。倭名抄、十九6龜貝類「小辛螺、蓼螺子、仁之」字鏡69「、爾志」散木集、九、雜「よしと思ふ、心のねがふ、にしなれば、からみ成とも、まゐらざらめや」〔1490-2〕

とある。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「にし【辛螺】[名]巻貝の総称。赤いのがアカニシ、長いのがナガニシ、田にいるのがタニシというように用いられている。一般にはアカニシをさすことが多い。にな」とある。

[ことばの実際]

小辛螺ニシ七卷云――迩之漢語抄云蓼螺子。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊29ウ六》

2002年5月23日(木)晴れ。東京(八王子)

「烏賊(いか)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

烏賊(イカ)一輩。(同)(同)(同)。〔元亀本365二〕〔静嘉堂本444二〕

とあって、標記語の先頭の語を「烏賊」とし、他に三語を添えている。語注記には「一輩」とその数を数える単位を記載する。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

烏賊辛螺栄螺蛤交雑魚」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(ウルカ)(ウロクツ)_(イカ)_(ニシ)_(サヽイ)(ハマクリ)_(エヒマシリ)ノ-(サコ)」〔山田俊雄藏本〕

(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サザエ)蛤蛯(エビ)リノ雑喉(ザコ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

烏賊(ウソク)イカ。匚囁同/又作烏賊黒(イカノクロミ)。〔黒川本・動物上4オ六〕

烏賊イカ。匚囁同/亦作烏賊黒陶景注云鴨烏所化也。崔禹云垂而浮烏鳴翔欲啄之因驚卷捕而之故以名之。〔卷第一・動物20一・二〕

とあって、標記語を「烏賊」として収載し、他に「匚囁」の語を記載する。

 室町時代の『下學集』には、

烏賊(イカ)。〔氣形門64五〕

とあって、標記語「烏賊」を記載し、語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

烏賊(イカ/ウソク.カラス,―)[平入]或作匚刄。〔氣形門8二〕

とあって、標記語を「烏賊」として、語注記には「或作○○」形式により「匚刄」と「」の別表記の語を記す。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

烏賊(イカ/ウゾク)以上同。〔・畜類5八〕

烏賊(イカ)一輩。・畜類3四〕

烏賊(イカ)一輩ト云也。(同)(同)(同)(同)。〔・畜類144一〕〔・畜類5三〕

とあって、標記語を「烏賊」として、その語注記は『運歩色葉集』と同じく数量の単位「一輩」を記載する。ただし、弘治二年本には未記載である。また、易林本節用集』には、

烏賊(イカ)。〔氣形3三〕

とあって、標記語「烏賊」の語注記は未記載にする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

312(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)交雑魚 海老、玉篇云、長鬚之虫也。〔謙堂文庫藏三三右G〕

とあって、標記語を「烏賊」について語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

鳥醤(トリヒシホ)蟹味噌(カニミソ)海鼠腸(コノワタ)(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)蛤蛯交雑魚(ザツコ)トテアリ。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「烏賊」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

烏賊(いか)烏賊。〔36ウ五〕

とあって、標記語「烏賊」の語注記は未記載にある。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

烏賊(いか)烏賊。〔二十九ウ二〕

烏賊(いか)。〔52オ六〕

とあって、標記語「烏賊」の語注記は未記載にある。

 当代の『日葡辞書』に、

ICa.イカ(烏賊) 烏賊.〔邦訳321r〕

とあって、標記語を「烏賊」の語の意味はただ「烏賊」とある。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

「イカ(名)【烏賊】〔語原、知るべからず、倭訓栞「形もいかめしく、骨も異様(ことやう)なれば、、名づくるなるべし」肯はれず、然れども~功攝政前紀に、中臣烏賊津使主(いかつのおみ)と云ふ人を、姓氏録、上、左京、~別、上、中臣志斐連の條に、天兒屋根命十一世孫雷(いかづ)大臣とあり、尚、熟考すべし、倭名抄に、南越志を引きて「烏賊、常自浮水上、鳥見以爲死啄之、故以名之」とあるは、字に就きての附會なり、説文「烏賊魚」正字通「墨魚、一名K魚」とあり、烏とは、Kき義腹中の墨を云ふなり、此物、烏賊魚と云ふが成語なるべし、出典を見よ〕(一){海産の軟體動物の名。體は圓筒状の小嚢の如く、十脚ありて集り着く、八脚は短く、其前端に吸盤あり、物に吸着する用をなす、二脚は頗る長く、尺餘あり、亦、先端に吸盤ありて、物を捕ふる用とす、口は體と脚との間にあり、眼は口の上にあり、總體、灰色にして、褐斑あり、肉は白し、生食、煮食すべし、味、佳なり。一名、眞烏賊(まいか)と云ふ、するめいか、あふりいか、尺八いか、やりいかの類名と別ちて云ふなり、各條を見よ。又、烏賊の體中に、墨液を含み居り、又、一枚の骨あり、いかのくろみ、いかのこふと云ふ、各條を見よ。説文「烏魚」字鏡72「匚、伊加」天治字鏡、九5「、伊加」本草和名、下19「烏賊魚、以加」倭名抄、十九7「烏賊、伊加」賦役令「烏賊三十斤」主計寮式「烏賊十斤」語彙「古來、令、式等に載せたるものは、するめいかの乾かしたるものにして、中古來、するめと稱するものなり」(二)いかのぼりを見よ。(三)いかのくろみを見よ。〔0132-2〕

とある。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「イカ【烏賊】[名]頭足類の十腕類に属する種類の総称。体は胴部と頭部に分かれ、頭部にある口の周囲から五対の腕がでる。胴は円筒状または円錐状で、その先端にひれがある。腕のうち一対は触腕で、他の腕より長く、先端の吸盤で獲物を捕らえる。はやく泳ぐときは頭部にある尖った漏斗(ろうと)から水を吐き出し、その反動で進む。外敵にあうと墨を出して逃げる。日本各地の沿岸から深海にかけて広く分布する。スルメイカ。ヤリイカ。コウイカ。ケンサキイカなど種類は多く、食用となり、乾燥させたものは「するめ」と呼ぶ。《季・夏》[語誌]は略す」とある。

[ことばの実際]

烏賊イカ南越志云――今案――並従魚作囁囁上音烏下疾得反。亦作玉篇伊賀[上上]。常自浮水上烏見以爲死啄之乃巻取之故以名也。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊31オ一》

匚刄(ウソク) イカ。烏賊(ウソク)也。墨(ボク)魚、纜(ラン)魚、並同今按アヲリイカ。瑣管(サクワン)。或云尺八イカ。明(ソウ)。スルメ烏賊。骨イカノカウ。《駒澤大学図書館藏・佚名字書『科目分類字書』写本》

2002年5月22日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「海鼠腸(このわた)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

海鼠腸(コノシロ)。〔元亀本367五〕

海鼠腸(コノワタ)。〔静嘉堂本446七〕

とあって、標記語を「海鼠腸」とし、読みを静嘉堂本は正しく「このわた」とするが元亀本は「このしろ」と誤読して記す。その語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

海鼠腸」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

海鼠腸(コノワタ)」〔山田俊雄藏本〕

海鼠腸(コノワダ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

海鼠/似蛭大者也。〔黒川本・動物下3オ八〕

海鼠/似虫弖{蛭}大物也。〔卷第七・動物117四〕

とあって、標記語を「海鼠」として収載し、語注記には、「蛭に似て大者{物}なり」とし、標記語「海鼠腸」の語は未収載にする。

 室町時代の『下學集』には、

海鼠腸(コノワタ)。〔氣形門65六〕

とあって、標記語「海鼠腸」を記載し、語注記は未記載にする。次に広本節用集』は、

海鼠腸(コノワタ/カイソチヤウ.ウミ,ネズミ,ハラワタ)[上上平](ナマ)――。煎(イリ)――。〔氣形門659七〕

とあって、標記語を「海鼠腸」として、語注記には「生海鼠腸」と「煎海鼠腸」とを記す。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

海鼠腸(コノワタ)。海鼠()(ナマ)―。煎(イリ)―。〔・畜類187五〕

海鼠腸(コノワタ)。・畜類154一〕

海鼠腸(コノハタコヘビ)。〔・畜類144一〕

とあって、標記語を「海鼠腸」として、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

海鼠腸(コノワタ)――堪味(タムミ)。〔食服74一〕

とあって氣形門から食服門への移行が見られ、標記語「海鼠腸」の語注記には「海鼠腸堪味」ということばが記載されている。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

311蟹味噌海鼠腸 海鼠之也。〔謙堂文庫藏三三右G〕

とあって、標記語を「海鼠腸」について語注記は、「海鼠に似てこれを作る」とあって、ここでの取扱い方はまさに食味としてこの生物を捉えているのである。

 古版『庭訓徃来註』では、

鳥醤(トリヒシホ)蟹味噌(カニミソ)海鼠腸(コノワタ)(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)交雑魚(ザツコ)トテアリ。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「海鼠腸」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

海鼠腸(このわた)海鼠腸 なまこのわたなり。〔36ウ五〕

とあって、標記語「海鼠腸」の語注記は、「なまこのわたなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

海鼠腸(このわた)海鼠腸海鼠ハ海鼠(なまこ)の腸(わた)(あゆ)の腸(わた)。共に塩漬(しほつけ)にす。〔二十九ウ七〕

海鼠腸(このわた)海鼠ハ海鼠(なまこ)の腸(わた)(あゆ)の腸(わた)。共に塩漬(しほづけ)にす。〔53オ一〕

とあって、標記語「海鼠腸」の語注記は、「海鼠は、海鼠の腸。は、の腸。共に塩漬けにす」という。

 当代の『日葡辞書』に、

‡Cono vata.コノワタ(海鼠腸) ⇒Co(海鼠).〔邦訳147r〕

†Co.コ(海鼠) Tauarago(俵子)に同じ.大きななめくじのような軟体動物の一種(なまこ).§Cono vata.(海鼠腸)この軟体動物のはらわた.これもまた食用になる.〔邦訳132r〕

とあって、標記語を「海鼠腸」の語は、「海鼠」の記載を見よとなっている。これを見るになまこのはらわたと考察し、これを食用として見ているのである。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「このわた(名)【海鼠腸】〔こ(海鼠)の條を見よ〕なまこの腸を、取りて、しほからとしたるもの、腸は、三條ありて、色、黄なり、今、參河の佐久の島の産、名あり。主計寮式、諸國輪調「海鼠腸、十五斤十兩」内膳司式、供御月料「海鼠腸(コノワタ)四升五合」水左記、承保四年八月七日「海鼠腸、熱氣間所食也。仍、熱散後雖食、不禁忌四條流庖丁書(長享1489年)このわたの事「鹽から、少し損じたるをば、云云、大きなる物に、酒か、水にても入れ、箸にて挟みあげて、振りすすぐべし」」とある。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「このわた【海鼠腸】[名]海鼠(なまこ)のはらわたの塩辛。きんこ」とある。

[ことばの実際]

海鼠崔―經云―和名古本朝式等加熬字云伊利古[平平平]。似蛭而大者。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊31オ九》

補遺》『古事記』に依ると、「なまこ」のことを「海鼠(こ)」と称し、生だから「生海鼠(なまこ)」、腸を「海鼠の腸(このわた)」と称する。その他に子をバチ型に干したものを「海鼠の子(このこ)」(「クチコ」とも云う)、煮乾したものを「煮海鼠(いりこ)」または、「きんこ」と一般に呼んでいる。

●そら何や?■こら、海鼠腸(このわた)や。わしゃ海鼠腸が好きでなぁ……ジュ、ジュル……ん〜ん、プハァ〜。磯の香りっちゅうのかなぁ、ス〜ッと残ってるところへ灘の酒を……ん〜ん、プハァ〜。うまいで!《上方落語『近眼の煮売屋』より》

2002年5月21日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「蟹(かに)」と「蟹味噌(かにミソ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

(カニ)一輩。〔元亀本366六〕〔静嘉堂本445六〕

とあって、標記語を「」とし、語注記には「一輩」とその数え方を記している。標記語「蟹味噌」は未収載にする。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

蟹味曽」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(カニ)_-」〔山田俊雄藏本〕

蟹味噌(カニミソ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「蟹味噌」の語は未収載にする。

 室町時代の『下學集』には、

(カニ)異名招潮。〔氣形門65五〕

とあって、氣形門に標記語「」を記載し、語注記に異名語「しおまねき【招潮】」の語を示す。飲食部となる「蟹味噌」の語についてはさすがに未収載にする。次に広本節用集』は、

(カニ/カイ)[上](同/カウ)[平] 合紀喝尼(カニ)異名招潮。傑歩。郭素。横行。介士。博帶。長卿。彭越。望湖。士内。蘆(ロ)虎。〔氣形門265二〕

とあって、標記語を「蟹」と「螯」の二語にして、『國花合紀集』からの引用「喝尼(カニ)」を先頭にし、次に『下學集』が示した異名語「招潮」を据え、さらに十語の異名語を増補している。そして、飲食部となる「蟹味噌」の語についてはやはり、未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(カニ/カイ)一輩。・畜類80七〕

(カニ)異名招潮(/セウテウ)一輩。・畜類79五〕

(カニ)異名招潮・畜類86三〕

(カニ)喝尼。〔・國花合紀集抜書279九〕

(カニ)異名招潮。―(カニ)一輩(ハイ)ト云也。〓〔魚+戒〕(カニ)(カニ)カニ。〔・畜類72四〕

とあって、標記語を「蟹」として、その語注記は、『下學集』を継承する古写本両足院本と数名詞を添えた『運歩色葉集』と共通する弘治二年本の注記とがあり、その両者の注記を有するのが永祿二年本尭空本となっている。また、この尭空本には注記の末尾に二表記の単漢字「かに」の語が新たに増補されているのが特徴となっている。そしていずれも標記語「蟹味噌」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

(カニ)。〔氣形74一〕

とあって、標記語を「蟹」の語注記は未記載にする。そして、標記語を「蟹味噌」語は未収載にある。

 ここで、『庭訓徃来』に収載されている「蟹味噌」という語は、まず室町時代の『下學集』で「」として収載がなされたこと、これを継承する『節用集』類もすべて「」の語だけとして記載するにとどまり、『運歩色葉集』ですらこれを取らずして、本来の「蟹味噌」の語は、辞書史のなかからは大いに遠ざかってしまったのである。それは、下記に示す真字注本がこの語について全く注記をしていないことにも影響しているのであろう。鎌倉時代に食されていたと見られる「蟹味噌」については、これ以前は、「かにのしおから」である「(かにひしこ)」と云われたものだったのだろうか?残念ながらその食味である「蟹味噌」の語を遡って検証することはできないようだ。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

311蟹味噌海鼠腸 海鼠之也。〔謙堂文庫藏三三右G〕

とあって、標記語を「蟹味噌」について語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

鳥醤(トリヒシホ)蟹味噌(カニミソ)海鼠腸(コノワタ)(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)交雑魚(ザツコ)トテアリ。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「蟹味噌」とし、語注記は未記載にする。ここで、天理図書館藏『庭訓私記』(室町末写)に、

蟹味噌ハ鮎ノハラワタ。或河ニテ或女房錦ヲノハス。西行見テ綿賣カト問ヘハ女房カ狂歌ニ此河ヲ鮎取河ト知ナカラワタヲウルカ問ハヲロカヤト讀ナリ。

として、前に記載した「うるか【江豚】」の書き込み注記とほぼ同じ内容のことがらがここに引用されているのである。この注記を信ずるとすれば、現代の「蟹味噌」とはやや異なったものとなる。

 時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

蟹味噌(かにミそ)蟹味噌 甲の内にあるミそのことき物なり。〔36ウ四〕

とあって、標記語「蟹味噌」の語注記は、「甲の内にあるミそのことき物なり」と初めて注記記載が見られるのである。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蟹味噌(かにミそ)蟹味噌蟹味噌ハ蟹(かに)の躬(ミ)を取て醤(なしもの)にしたるなるべし。〔二十九ウ七〕

蟹味噌(かにミそ)蟹味噌ハ蟹(かに)乃躬を取て醤(なしもの)にしたるなるべし。〔五十二ウ六〕※「醤」の字を「なしもの」と読むことについては、未詳。

とあって、標記語「蟹味噌」の語注記は、「蟹味噌は、躬を取て醤にしたるなるべし」という。

 当代の『日葡辞書』に、標記語を「蟹味噌」の語は未収載にする。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「かにみそ(名)【蟹味噌】」の見出し語は未収載にする。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「かに-みそ【蟹味噌】[名]@蟹の肉を入れて作った、なめみそ。A蟹の甲らの内側の臓物を俗にいう。蟹の味噌」とある。

[ことばの実際] 蟹味噌(『独唱曲 3』山田耕筰作品全集 7)蟹味噌(『北原白秋の詩による 山田耕筰名歌曲集』)

2002年5月20日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「鳥醤(とりひしほ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「登」部に、

鳥醤(―ヒシヲ)。〔元亀本56五〕

鳥醤(トリビシヲ)。〔静嘉堂本63六〕

鳥醤(トリヒシヲ)。〔天正十七年本上32ウ五〕

とあって、標記語を「鳥醤」で、その語注記は未記載にある。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鳥醤」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

鳥醤(トリヒシホ)」〔山田俊雄藏本〕

鳥醤(トリヒシホ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「鳥醤」の語は未収載にする。

室町時代の『下學集広本節用集』そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』にも、標記語「鳥醤」の語は未収載にする。ここで、易林本節用集』に、

鳥醢(トリビシヲ)。〔食服43二〕

とあって、標記語を「鳥醢」とし、その語注記は未記載にする。このことで、当代の古辞書のなかでは『運歩色葉集』の「鳥醤」とこの易林本節用集』の「鳥醢」の二表記にて確認がとれるものとなっているのである。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

310鳥醤 小鳥是也。〔謙堂文庫藏三三右F〕

とあって、標記語を「鳥醤」について語注記に「小鳥に似せて是れを作るなり」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

鳥醤(トリヒシホ)蟹味噌(カニミソ)海鼠腸(コノワタ)(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)交雑魚(ザツコ)トテアリ。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「鳥醤」とし、語注記は未記載にする。ここで、天理図書館藏『庭訓私記』(室町末写)に、

鳥醤ハ鳥タヽキテナラス也。

として、鳥肉を棒板状のものを用いて叩き引き伸ばすとある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

鳥醤(とりひしほ)鳥醤 しほからの類なり。〔36七ウ四〕

とあって、標記語「鳥醤」の語注記は、前の「しほからの類なり」と一緒にして記載している。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

鳥醤(とりびしほ)鳥醤鳥醤ハ鳥(とり)の肉(にく)を味噌漬(ミそづけ)にしたる類(たぐひ)なるべし。〔二十九ウ七〕

鳥醤(とりびしほ)鳥醤ハ鳥(とり)の肉(にく)を味噌漬(ミそつけ)にしたる類(たぐひ)なるべし。〔五十二ウ六〕

とあって、標記語「鳥醤」の語注記は、「鳥醤は、鳥の肉を味噌漬けにしたる類ひなるべし」という。

 当代の『日葡辞書』に、

Maxi.トリビシヲ(鳥醢) 後で食べるために,鳥をこまぎれにし,汁の中に漬け込んで,一種の塩漬にしたもの.〔邦訳665l〕

とあって、標記語を「鳥醤」の語にして「後で食べるために,鳥をこまぎれにし,汁の中に漬け込んで,一種の塩漬にしたもの」とその取扱い方を詳細に記している。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「とりびしを(名)【鳥醤】」の見出し語は未収載にする。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「とり-びしお【鳥醤】[名]鳥肉を漬けて作ったひしお。鳥肉のしおから」とある。

[ことばの実際]

2002年5月19日(日)晴れのち曇り。東京(八王子)→世田谷(玉川⇒桜上水)上代文学会

「猿木取(さるのことり)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「多」部及び補遺部「獣名」に、

(サル) ―曰山父馬曰山子故畫掛厩。別又有故事。(同)。(同)(同)。(同)。(同)。(同)。〔元亀本371八〕〔静嘉堂本451五〕

木取(―トリ) 猿。〔元亀本230六〕

木取(コトリ) 猿―。〔静嘉堂本264四〕

とあって、標記語「猿木取」は未収載にあり、標記語「」と「木取」で、その語注記に「―曰山父馬曰山子故畫掛厩。別又有故事」、「猿」とある。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

猿木取」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(サル)ノ_(コトリ)」〔山田俊雄藏本〕

木取(コトリ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、及び『下學集』には、標記語「」の語は、

猿猴(サル)長臂也。(トル)‖水中ヲ|者也。〔氣形門63三〕

とあって、標記語「猿猴」その語注記は、「長臂なり」という。また、標記語「」の語注記は「水中の月を探るものなり」という。次に広本節用集』には、

(サル/エン)[平]合紀蘭攬(サル)。猿山父|。山子故畫掛。又云異名山公。野賓。K友。K郎。K衣郎。山翁。王孫。明孫。巴西侯。山々。巴山。巳賓。巴侯。焚客。楚魂。袁秀才。袁長公。袁公。東嶺袖。烏將軍。喜怒公。率然。坐禅猿。報時猿。〔氣形門778二〕

とあって、標記語「」で語注記は「合紀蘭攬(サル)。猿山父|。山子故畫掛。又云」とし、上記の『下學集』の語注記とは異なっている。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(サル)山父馬曰山子之猿守胡馬故畫掛厩。輦裹(同)(同)。(同)。(同)。(同)。(同)。・畜類211四〕

(サル) ―曰山父。馬曰山子。依之―守。護ヲ。輦裹(同)(同)。(同)。(同)。(同)。(同)。・畜類176三279七〕(サル) 蘭攬。〔・萬異名國花合紀集抜書279七〕

(サル) ―曰山父。馬曰山子。依之―守護馬故畫掛厩。輦裹・畜類165三256八〕山公。〔・萬異名256八〕

とあって、やはり標記語「」の語にして畜類門に収載がなされ、『下學集広本節用集』の語注記を継承する。また、易林本節用集』には、

(サル) 皆同(同)。〔氣形177四〕

とあって、標記語「」の語を「」の字にて収載する。標記語「木取」は未収載にある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(ヱン) サル。也峡/襾先反/又作エン同云又。(ミコウ)同。同。七余七預二反。同。努力反。胡孫同。〔黒川本・動物下36オ五・六〕

サル。亦作俗作―。亦作五百歳化為亦作サル也。胡孫已上同。サル。〔卷第八・動物398三〕

とあって、ここでも標記語「」の語で動物門に収載がなされ、下記に示す『和名類聚抄』の注記を継承している。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

308猿木取 手足亊也。〔謙堂文庫藏三三右F〕

とあって、標記語を「猿木取」について、「手足のことなり」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

(サル)ノ木取(コトリ)ハ猿(サル)ノ腕(ウテ)ヒハラ也。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「猿木取」とし、語注記は、「猿の腕ひはらなり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さる)の木取(ことり)猿木取 舊注に云手足の事也。ある人云、昔一両友(いちりやうゆう)と玉川(たまかわ)に遊ひ川狩せんと三人の獵師(れうし)をやとひたり。網にて取たる鮎ハ魚肥(こへ)て美味なり。(やな)にて取たる鮎ハ魚つかれて味おとれり。又曾(かつ)て聞しには凡(およそ)の獣物(けもの)(いから)して取たるハ貫目多く、つからしめて取たるは貫目少しわけて、熊なとハ膽(きも)を貴(たつと)ふゆへ怒しめて打となり。されは獣物にても魚類にても其取方により味の優劣(ゆうれつ)あり。これらによりてひそかに案するに沢渡木取といふも其取方をいえるなるへし。沢辺に居たる狸、木に居たる猿ハ格別(かくべつ)にその肉味乃まさりける事にや。されと憶説(おくせつ)なれは是(ぜ)とすへからす。姑(しハら)く置(おい)て知る者を待。〔三十六オ七〜ウ四〕

とあって、標記語「猿木取」の語注記は、前の「狸沢渡」と一緒にして記載している。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(くま)の木取(さわたり)木取▲狸沢渡、猿木取ハ舊注にいづれも手足(てあし)の事といへり。〔五十二ウ六〕

(クマ)ノ木取(さわたり) ▲狸沢渡、猿木取ハ舊注(きうちゆう)にいづれも手足(てあし)の事といへり。〔五十二ウ六〕

とあって、標記語「狸沢渡」の語注記は、「狸の沢渡、猿の木取は、舊注にいづれも手足の事といへり」という。

 当代の『日葡辞書』に、

Saru. サル(猿) 猿.§また(申),日本人が,天の十二宮を用いるのと同じようにして,年や時を数えるのに用いる動物の中の一つ。例,Saruno toqi.(申の時)午後の四時前後.※正刻を中心にした説明.補説7参照。→Toqi(時).〔邦訳559l〕

Maxi.マシ(猿) .〔邦訳389r〕

Maxira.マシラ(猿) .〔邦訳390l〕

とあって、標記語を「」の語にして「猿.§また(申),日本人が,天の十二宮を用いるのと同じようにして,年や時を数えるのに用いる動物の中の一つ」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さるのことり(名)【猿木取】〔木取は、木の枝に取附く意なるべし、鳥の、木の枝に止まるを、くさとると云ふ、其條を見よ〕猿の四手の掌。〔0867-2〕

とあって、標記語「」で収載する。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「さる【】[名]」の小見出しに「さるの木取(ことり) (「木取り」は木の枝に取りつく意か)猿の手足。猿の四肢。木取り」とあって収載する。

[ことばの実際]

太奴木。《『新撰字鏡』(809-901年頃)》

サル風土記云―音圓字亦作猿佐流[平上]。善負子乗危而投至倒而還者也。兼名苑云一名弥侯二音。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊13ウ六》

酉剋着大坂之草庵。今夜漢月影清巴猿聲幽誠不耐羈情者也。深更三栖住人正繼等随身十字千月之珠來問柴戸。《『爲房卿記』永保元年十月七日庚申》

2002年5月18日(土)曇り。東京(八王子)→南大沢(都立大学)国語学会

「狸沢渡(たぬきのさわたり)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「多」部及び補遺部「獣名」に、

(タヌキ)変則成。〔元亀本372二〕

(タヌキ)変則成豹。〔静嘉堂本452二〕

とあって、標記語「狸沢渡」は未収載にあり、標記語「」でその語注記に「変じて則ち豹と成る」とある。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

狸澤渡」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(タヌキ)ノ_(サワ―リ)」〔山田俊雄藏本〕

沢渡(サワタリ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、及び『下學集』には、標記語「」の語は、

(タヌキ)(ヘン)スレハ(ヘウ)ト。〔氣形門63一〕

とあって、その語注記は、「変ずれば則ち豹と成る」という。次に広本節用集』には、

(タヌキ/)(ヘン)スル(トキ)ハ(ナル)。〔氣形門339四〕

とあって、標記語「」で語注記は「変ずるときは豹と成る」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(タヌキ) 変則成狗。〔・畜類103五〕

(タヌキ) 変則成豹。〔・畜類92九〕〔・畜類102五〕

(タヌキ) 変則成豹。〔・畜類84九〕

とあって、やはり標記語「」の語にして畜類門に収載がなされ、『下學集広本節用集』の語注記を継承する。また、易林本節用集』には、

(タヌキ)。〔氣形90六〕

とあって、標記語「たぬき」の語を「」の字にて収載する。標記語「沢渡」は未収載にある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(リ) タヌキ。ヘシタヽケ/搏鳥爲粮也。〔黒川本・動物中2ウ一〕

タヌキ。タヽケ/搏鳥粮也。〔卷第四・動物389二〕

とあって、ここでも標記語「」の語で動物門に収載がなされ、下記に示す『和名類聚抄』の注記を継承している。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

308狸澤渡 手足亊也。〔謙堂文庫藏三三右F〕

とあって、標記語を「狸澤渡」について、「手足のことなり」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

(タヌキ)ノ沢渡(サワタリ)メシヽ也。ヒツタリノ事也。〔下七ウ四〕

とあって、この標記語を「狸沢渡」とし、語注記は、「メシヽなり。ヒツタリの事なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たぬき)の沢渡(さわたり)沢渡 旧注に云手足の事なり。又ハそしゝなり。ひつたりなり。〔三十六オ六〕

とあって、標記語「狸沢渡」の語注記は、「旧注に云く、手足の事なり。又はそしゝなり。ひつたりなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(くま)の沢渡(さわたり)沢渡▲狸沢渡、木取ハ注にいづれも手足(てあし)の事といへり。〔二十九ウ六〕

(クマ)ノ沢渡(さわたり)▲狸沢渡、猿木取ハ舊注(きうちゆう)にいづれも手足(てあし)の事といへり。〔五十二ウ六〕

とあって、標記語「狸沢渡」の語注記は、「狸の沢渡、猿の木取は、舊注にいづれも手足の事といへり」という。

 当代の『日葡辞書』に、

Tanuqi.タヌキ(狸) 豺(やまいぬ)に似たある獣.※原文はadibi.この語は,やまいぬの類を意味するが,本書ではこの語を“狸”にあてて用いるのが普通で,Baqe;Cocacuその他の条に例がある。→Furudanuqi;Fusubedaxi,su.〔邦訳612l〕

とあって、標記語を「」の語にして「豺(やまいぬ)に似たある獣」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たぬき(名)【】〔皮(たぬき)に佳なるより名とするかと云ふ〕(一){獸の名。狐に似て、毛色暗灰にして、K褐なる長毛を雜ふ。鼻の邊Kく、目の邊白し、尾太くして、脚は犬の脚に似る。夜出でて食を求むること、狐のごとし。毛を筆とし、皮を鞴(ふいご)の用とす。人家に近く穴居するものは、頭痩せて狐の如く、肉食ふべし。頭の圓くして猫の如きは、臭氣あえい、食ふべからず。たたけ。(二)俗に偽(いつわ)ること。佯又、其もの。(三)たぬきねいり(狸寝入)。(四)次條の語の略。〔1229-4〕

とあって、標記語「」で収載する。現代の『日本国語大辞典』第二版になると、標記語「たぬき【】[名]」の小見出しに「たぬきの沢渡(さわたり) 狸の四肢」と収録なされるようになるのである。

[ことばの実際]

太奴木。《『新撰字鏡』(809-901年頃)》

 兼名苑云―音釐多奴岐[平平上]。搏鳥爲粮者也私云廣演]。野猫也。木艸同。之―訓多々解也。猫也。有家猫有野猫云。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊14オ四》

2002年5月17日(金)雨。東京(八王子)→南大沢(都立大学)訓点語学会

「熊掌(くまのたなごころ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「久」部及び補遺部「獣名」に、

熊野(クマノ)熊谷(クマノ)熊皮(クマカヤ)熊皮(―カワ)熊手(―デ)熊胃(―ノイ)。〔元亀本190二・三〕〔静嘉堂本214三・四〕

(クマ)。〔元亀本372一〕〔静嘉堂本452一〕

とあって、標記語「熊掌」は未収載となっている。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鮭塩引鯵鮨鯖塩漬干鳥干菟干鹿干江豚豕燒皮熊掌」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

鮭塩引鯵鮨鯖塩漬干鳥干菟干鹿干江豚燒皮熊掌」〔建部傳内本〕

(サケ)ノ_(アチ)ノ_(スシ)(サハ)ノ_(ツケ)_鳥干_兎干_鹿干__(ユルカ)(イノコ)ノ_(クマ)ノ_(タナコヽロ)」〔山田俊雄藏本〕

塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)(イノコ)ノ燒皮(ヤキカワ)(タナゴヽロ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、及び『下學集』には、標記語「熊掌」の語は未収載にある。次に広本節用集』には、

(クマ/ユウ)格物論云、熊大ニシテ豕ニ。而性軽健(スクヤカ)ナリ。山攀縁シテ高樹。見則顛倒。投而下行数千里。悉有?(フム)伏之所。冬多而蔵蟄。始春ニシテ而出。掌為(ナス)称味。罷黄白アリ。長頭高脚赤猛ニシテ而多力也。〔氣形門502七〕

(タナゴヽロ/シヤウ,ツカサドル)[上]。〔支體門339八〕

とあって、標記語「熊」と「掌」の語にして氣形門と支躰門とに収載がなされいる。ここで、『下學集』には収載が見られないこの二語を収録していることに注目したい。「『格物論』に云く、熊大きにして豕に似たり。而るに性、軽く健やかなり。山に居し能く攀縁して高樹に上る。見人を見る則んば顛倒す。地に投げて下り行ふこと数千里。悉く?(フム)伏の所あり。冬多くは穴に入りて蔵に蟄す。始春にして出づ。掌称味を為す。罷は熊に似て黄白の紋あり。長頭に高脚赤く猛にして力多きなり」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(クマ)。〔・畜類158七〕〔・畜類130三〕〔・畜類144六〕

()。〔・畜類119二〕

(タナコヽロ)。〔・支躰103二〕〔・支躰92八〕〔・支躰84三〕

(タナコヽロ)。〔・人倫100七〕

とあって、やはり標記語「熊」と「掌」の語にして畜類門と支躰門(人倫門)とに収載がなされいる。また、易林本節用集』には、

熊胃(クマノ井)。〔氣形130一〕

(タナゴヽロ)。〔支躰90三〕

とあって、氣形門と支躰門とそれぞれに収載するのだが、「熊」は標記語を「熊胃」としてとりわけて収載するという特徴をここ見せていることが知られる。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(イウ) クマ(同)(同)又メクマ。〔黒川本・動物中73オ二〕  熊脂(イウクマノアフコ) 。〔黒川本・動物中73オ五〕

クマ已上同。亦クフマ。〔卷第六・動物397三〕

(シヤウ) タナコヽロタナソコ。〔黒川本・人躰中3オ四〕

(シヤウ) タナコヽロタナタヲコ。〔卷第四・人躰393三〕

とあって、ここでも標記語「」と「」の語にして動物門と人躰門とに収載がなされいる。そして、久部にはいくつかの語を挟んで「熊脂」なる語が見えている。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

307塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ 手足亊也。本草ニシテ。自鼻爲声出‖-海上ニ|。舟人候ツテ之知大風雨也云々。〔謙堂文庫藏三三右D〕

(サケ)ノ塩引(シヲ―キ)(アジ)ノ(スシ)(サバ)ノ塩漬(―ヲツケ)干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)(イノコ)ノ(クマ)ノ(タナ―ロ) 手足亊也。本艸江豚{イ}トハ(カタ)ニシテ、(イノコ)。自鼻為(ナス)ヲ。‖-(シン)海上ニ|。舟人候(ウカヽウ)之知大風雨ヲ|也。〔静嘉堂本『庭訓徃來註』〕

とあって、標記語を「」について、「手足のことなり」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

(イノコ)ノ燒皮(ヤキガワ)(クマ)ノ(タナコヽロ)尤重(テウ)宝也。〔下七ウ三〕

とあって、この標記語を「熊掌」とし、語注記は全体の語に対するもので「尤も重宝なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(くま)の(たなごころ) 熊の手のひら也。味(あし)わい(いたり)て美(び)なり。〔三十六オ六〕

とあって、標記語「熊掌」の語注記は、「熊の手のひらなり。味わい至りて美なり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(くま)の(たなごころ)熊掌ハ即(すなハち)(てのひら)也。味(あぢ)(もつとも)美也とぞ。熊冬月(ふゆ)(ちつ)して食(しよく)に飢(うゆ)るときハ自(ミつから)其掌(たなごゝろ)を舐(ねぶ)るといへり。〔二十九ウ六〕

(クマ)ノ(タナコヽロ)熊掌ハ即(すなハち)(てのひら)也。味(あぢ)(もつとも)美也とぞ。熊冬月(ふゆ)(ちつ)して食(しよく)に飢(うゝ)るときハ自(ミづから)其掌(たなごゝろ)を舐(ねぶ)るといへり。〔五十二ウ五〕

とあって、標記語「熊掌」の語注記は、「熊掌は、即ちなり。味最も美なりとぞ。熊冬月蟄して食に飢うるときは、自から其の掌を舐るといへり」という。

 当代の『日葡辞書』に、

Cuma.クマ(熊) 熊.※原文はVco.日西辞書にVsoとあるのは,Osoの誤りか.別条のMegumaはOso animal(牝熊)としている.→Meguma.〔邦訳165r〕

Tanagocoro.タナゴコロ(掌) 手のひら.例,Tanagocorouo auasuru.(掌を合はする)両手を合わせる.または,両手を差し上げる.Tanagocoroni niguiru.(掌に握る)物を所有している,または,すでに手中に収めている.→Niguiri,u;Tenca;Xo<acu.〔邦訳609r〕

とあって、標記語を「」と「」の語にして収載がなされいる。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くま (名)【】〔隈獸(くましし)を成語として、穴居すれば云ふ名か(氈獸(かましし)などもあり)朝鮮語にては、こむと云ふ〕(一)猛獣の名、長(たけ)四尺許、全身、爪に至るまでKく、唯喉の下に白き處ありて、形、半輪の月の如し、月の輪と云ふ、眼、小さくして、稜(かど)をなし、前脚、短く、後脚、長く、四脚共に太くして、皆、踵(くびす)にて歩む、力、殊に強く、能く樹に上る、深山中に棲みて、果を食とす、冬は穴居す、飼へば馴るべし。皮を敷物とすべく、肉も美なり、膽を、くまのい、大いに貴ぶ。又、赤熊、白熊、志熊等あり、各條に注す。字鏡七「熊、久萬」(倭名抄、同じ)萬葉集、十一32「荒熊の、棲むと云ふ山の」新六帖、二「奥山に、住む荒熊の、月のわに、夜目こそいとど、曇らざるらめ」(二)強く大いなるものを呼ぶ語。「熊蜂」熊鷹」熊蝉」熊蛭」〔0544-3〕

たなごころ(名)【】〔手之心の義〕手の裏面(うら)。たなそこ。たなうち。たなうら。てのひら。倭名抄、三6手足類「、太奈古古呂、太奈曾古、手心也」名義抄「、タナコヽロ、タナウラ、タナソコ」徒然草、百九十四段「あきらかならん人人の、まどへる我らを見んこと、たなごころの上の物を見んが如し」をかへすとは、甚だ容易き意を云ふ語。を指すとは、慥かにして、分明なる意を云ふ語。禮記、仲尼燕居篇「治、國、其如而已乎」〔1228-2〕

とあって、標記語「」と「」との二つに見出し語をして収載する。現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「くま【】[名]」の小見出しに「くまの(たなごころ) 熊の手のひらの肉。非常に美味なものという」とある。

[ことばの実際]

久萬。。《『新撰字鏡』(809-901年頃)》

クマ 陸詞切韻云―音雄。久万[平平]。獸之似羆而小也。{ 爾雅集注云羆音碑。和名之久萬。似熊而黄白又猛烈多力能拔樹木者也}。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷七・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊12ウ五》

 四声字苑云―音賞和名太那古々路[平平平平平]。日本紀私記云手掌太奈曾古[平上上平]手心也。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷二・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第一冊41ウ四》

2002年5月16日(木)小雨のち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「焼皮(やきがは)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「彌」部に、標記語「焼皮」の語を未収載にしている。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鮭塩引鯵鮨鯖塩漬干鳥干菟干鹿干江豚豕燒皮熊掌」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(サケ)ノ_(アチ)ノ_(スシ)(サハ)ノ_(ツケ)_鳥干_兎干_鹿干__(ユルカ)(イノコ)ノ_(クマ)ノ_(タナコヽロ)」〔山田俊雄藏本〕

塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)(イノコ)ノ燒皮(ヤキカワ)(タナゴヽロ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、及び『下學集広本節用集』そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「焼皮」の語は未収載にしている。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』にも標記語「焼皮」の語は未収載にしている。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

307塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ 手足亊也。本草ニシテ。自鼻爲声出‖-海上ニ|。舟人候ツテ之知大風雨也云々。〔謙堂文庫藏三三右D〕

(サケ)ノ塩引(シヲ―キ)(アジ)ノ(スシ)(サバ)ノ塩漬(―ヲツケ)干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)(イノコ)ノ(クマ)ノ(タナ―ロ) 手足亊也。本艸江豚{イ}トハ(カタ)ニシテ、(イノコ)。自鼻為(ナス)ヲ。‖-(シン)海上ニ|。舟人候(ウカヽウ)之知大風雨ヲ|也。〔静嘉堂本『庭訓徃來註』〕

とあって、標記語を「焼皮」の語注記は見えない。

 古版『庭訓徃来註』では、

(イノコ)ノ燒皮(ヤキガワ)(クマ)ノ(タナコヽロ)尤重(テウ)宝也。〔下七ウ三〕

とあって、この標記語を「焼皮」とし、語注記は全体の語に対するもので「尤も重宝なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮豕ハ猪(い)に似て小し。皮ともに丸焼にしたるなり。〔三十六オ三〕

とあって、標記語「焼皮」の語注記は「皮ともに丸焼にしたるなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮▲豕焼皮ハ未考。〔二十九ウ五〕

(さけ)の塩引(しほびき)(あぢ)の(すし)(さば)の塩漬(しほづけ)干鳥(ほしとり)干兎(ほしうさぎ)干鹿(ほししか)干江豚(ほしいるか)(いのこ)の燒皮(やきがハ)。▲豕焼皮ハ未考。〔五十二ウ四〕

とあって、標記語「焼皮」の語注記は「豕の焼皮は未考」という。

 当代の『日葡辞書』に、標記語を「焼皮」の語は未収載とする。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』、現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「焼皮」の語は未収載にするということで、国語辞書には全く未収載の語となっているのである。

[ことばの実際]

2002年5月14日(火)・15日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「豚・豕・猪(いのこ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「獣名」に、

(イノシヽ)(同)(同)(同)。〔元亀本372二〕

(イノシヽ)一丸ト云也(同)(イノコ)(同)。〔静嘉堂本452一〕

とあって、標記語「」を筆頭にして四語単漢字の標記語が並び、そのなかで、静嘉堂本は、「」と「」の二字だけを「いのしし」とし、次に「」と「」の二字を「いのこ」と読みわけている。また、「」の語注記に「一丸と云ふなり」という。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鮭塩引鯵鮨鯖塩漬干鳥干菟干鹿干江豚燒皮熊掌」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕「鮭塩引鯵鮨鯖塩漬干鳥干菟干鹿干江豚燒皮熊掌」〔建部傳内本〕

(サケ)ノ_(アチ)ノ_(スシ)(サハ)ノ_(ツケ)_鳥干_兎干_鹿干__(ユルカ)(イノコ)_皮熊(クマ)ノ_(タナコヽロ)」〔山田俊雄藏本〕

塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)(イノコ)燒皮(ヤキカワ)(タナゴヽロ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、及び『下學集』には、

豕子(イノコ)雜五行書(サツ―――)十月豕(イ)ノ日食(クラヘ)ハ(モチ)ヲシテ/シム‖∨|∨。又一説多子。故女人羨(ウラヤム)。至十月豕(イ)ノシテ(イワウ)也。愚(ク)(ヲモヘラク)十月(イ)ノナル(モチユ)。此月此日也。豕毎年産(ウム)十二。象(カタトル)一年十二月。閏年(ジユン[ネン])ニハ則十三(ウム)也。豕猪亥相通シテ而用也。〔飲食門102五〕

とあって、標記語「豕子」の語は飲食門にあって、「『雜五行書』に云く、十月豕日餠を食へば人をして病ひ無からしむ。又一説に云く、「豕」は能く多子を生ず。故に女人これを羨やむ。十月豕の日に至りて餅を献じてこれを祝うなり。愚謂へらく、十月は亦た豕の月なる故にこれを用ゆ。此の月此日なり。豕は毎年十二の子を産む。一年十二月に象どる。閏年には則ち十三の子を産むなり。豕と猪と亥を相ひ通じてこれを用ひるものなり」とあって、漢籍『雜五行書』を典拠にした注記となっている。次に広本節用集』には、

(イノコ/チヨ)[平](同/トン)。(同/トン)。(同/トン)異名、黒面郎。彭(ハウ)生。烏參/將軍。長啄參/將軍。〔氣形門8七〕

豕子(イノコ)雜五行書云、十月亥(イ)ノ日食餠。令‖∨人无|∨病云々。又一説云、豕能生多子。故女人羨之。至十月豕|。餅祝之也。愚謂十月亦豕月也。故用此月此日也。豕毎年産十二子。象一年十二月也。有(アレ)ハ閏月則産十三子也。豕与猪亥通同也。又見于太平御覧(モチ)ノ(フ)ニ|也矣。〔飲食門9六〕

とあって、「伊」部の氣形門と飲食門の両方に収載がなされいる。ここで、『下學集』と共通している飲食門の語注記を比較して見るに、末尾注記に異なりがあって、「閏年」が「閏月」と置換され、「豕と猪亥」、「相通」から「通同」とし、「また、『太平御覧』餅部に見ゆるなり」と増補して収載が見られるのである。この引用箇所については下記に示す。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

豕子(イノコ) 雜五行書云十月亥日食餠。令人無病。又見于太平御覧餅部 又説豕能生多子豕子猪亥通用也。故女人豕之豕日献餅祝之。〔・時節4三〕 豕子(イノコ)見于前。〔・食物7四〕

(イノコ) 雜五行書云、十月豕日食餠令‖∨|∨病。又見太平御覧|。・食物2三〕 (イノシヽ)(イノコ)(同)。〔・畜類3三〕

(イノコ) 雜五行書云十月豕日食餠令人无病。又見于太平御覧餅部・時節2二〕 (イノコ)(同)(イノシヽ)。〔・畜類4七〕

(イノコ) 雜五行書云十月豕日食餠令人無病。又見于太平御覧餅部・時節2四〕 (イノコ)(同)(イノシヽ)。〔・畜類5六〕

とあって、「いのこ」の標記語における意義分類の取扱い方に「時節門」と「食物門」、「食物門」と「畜類門」、「時節門」と「畜類門」の三種系統の写本異同が見られるのである。そして、語注記内容は上記広本節用集』を簡略化した形態(『下學集』には見えない典拠収載である『太平御覧』餅部を示す)を見せている。また、易林本節用集』には、

(井ノコ)(同)猪同(同)(同)。〔氣形121六〕

豕子(井ノコ)雜五行書曰十月豕日食人无病曰玄猪(ケンチヨ)。〔時候121七〕

とあって、氣形門と時候門それぞれに「ゐのこ」の語を収載する

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(チヨ)井ノシヽ/徴居反同/施是反玉滅同/直例反同又乍假/一歳曰―/(フン)同(ケン)同/三歳曰―同/豕牝也井ノコ。豕子也。又乍。徒渾反。〔黒川本・動物中55ウ三・四〕

井ノコ。豕子也。亦乍猪肉牡豕也豕生一二月黒身/白頭白蹄者白身K頭黄身白頭/雜斑青駮者豕而四蹄皆白者/出崔禹猪也已上七名/井ノコ/出験方、見本草。〔卷第一・動物19二〕

とあって、『庭訓往来』の標記語「」を含み、十一語を収載している。三卷本の注記内容と十巻本の語注記は、大いに異なりを見せていて、三卷本は下記に示す『新撰字鏡』や『韻府群玉』が示す「續」の注記内容に近いものとなっていることが知られる。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

307塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ 手足亊也。本草ニシテ。自鼻爲声出‖-海上ニ|。舟人候ツテ之知大風雨也云々。〔謙堂文庫藏三三右D〕

(サケ)ノ塩引(シヲ―キ)(アジ)ノ(スシ)(サバ)ノ塩漬(―ヲツケ)干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)(イノコ)ノ(クマ)ノ(タナ―ロ) 手足亊也。本艸江豚{イ}トハ(カタ)ニシテ、(イノコ)。自鼻為(ナス)ヲ。‖-(シン)海上ニ|。舟人候(ウカヽウ)之知大風雨ヲ|也。〔静嘉堂本『庭訓徃來註』〕

とあって、標記語を「」と「」と写本により異なり、その語注記は未記載にする。

 古版『庭訓徃来註』では、

(イノコ)ノ燒皮(ヤキガワ)(クマ)ノ(タナコヽロ)尤重(テウ)宝也。〔下七ウ三〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は全体の語に対するもので「尤も重宝なり」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮豕ハ猪(い)に似て小し。皮ともに丸焼にしたるなり。〔三十六オ五〕

とあって、標記語「」の語注記は、「豕は、猪に似て小さし。皮ともに丸焼きにしたるなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚燒皮▲豕焼皮ハ未考。〔二十九ウ六〕

(さけ)の塩引(しほびき)(あぢ)の(すし)(さば)の塩漬(しほづけ)干鳥(ほしとり)干兎(ほしうさぎ)干鹿(ほししか)干江豚(ほしいるか)(いのこ)燒皮(やきがハ)▲豕焼皮ハ未考。〔五十二ウ四〕

とあって、標記語「」の語注記は、「豕の焼皮は、未考(未だ考へず)」という。

 当代の『日葡辞書』に、

Inoco.イノコ(猪の子) Inoxixinoco(猪の子)に同じ.猪の子で,一年仔.⇒I(猪).〔邦訳336l〕

とあって、標記語を「猪子」の語は、その意味を「猪の子で,一年仔」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ゐのこ(名)【亥子】又、玄猪(ゲンヂヨ)。十月の節日の稱。十月は亥に建(をざ)す、其亥の日、亥の刻に、上、下、餅を食ふ、之を亥子餅と云ひ、萬病を除くと云ふ。或は云ふ、猪は多子なれば、子孫繁昌を祝すと。古へ、禁中にては、内藏寮より奉り、嚴重(ゲンヂユウ)の餅と云ふ。(玄猪(ゲンヂヨ)の音の訛りか)二中歴、五、節日由緒「十月亥子、羣忌隆集云、十月亥日作∨餠食∨之、其人無病也」看聞御記、應永廿四年十月十七日「今夜亥子也」〔2814-2〕

ゐのこ(名)【猪子】〔子は添へたる語、意なし、鹿子(かのこ)に同じ、(龜をかめの子と云ふ)〕ゐ(猪)と云ふに同じ。ゐのしし。又、ふるもち。武列即位前紀「鮪の稚子を、あさり出(づ)な、偉能古」〔2814-2〕

とあって、標記語「亥子」と「猪子」との二つに見出し語をして収載する。現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いのこ【猪子】[名]@「いのしし(猪)」に同じ。A「ぶた(豚)」に同じ。Bイノシシの子。うりぼう」と標記語「いのこ【亥子猪子】[名]@陰暦一〇月の亥の日。この日の亥の刻に新穀でついた餠を食べて祝う。宮廷行事として平安初期から行なわれ、内蔵寮より餠を奉る。《季・冬》A「いのこもち(亥子餠)」の略」の語注記は未収載にする。

[ことばの実際]

除属反/猪豕也。徴居反/〓〔肉+者〕字。反/豚為乃子訟状同子公反。豕一才博家伯加二反。牝豕也。二歳豚盾女同。公妍反。三歳豕。同子扶云反。〓〔羊+夷〕豕。《『新撰字鏡』(809-901年頃)495四・八》

―子/附 尓雅集注云―徴居反一名音茅井兼名苑云一名音子方言注云豚徒昆反字又。豕子也十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊15オ七》

與猪韻看(記)―曰剛鬣 烏將軍○(古今註)名長喙將軍○(易)見―負塗羸―孚躅○(説卦)坎爲―(詩)有―白丞渉波矣解見波(孟)與鹿―游[]之惣名生三月曰六月曰二歳曰牝豕曰牡豕曰小毋猪曰老母猪曰。〔『韻府群玉』[三]卷之十九紙韻34左一〕

雜五行書曰十月亥日食餠令人無病食經有髓餅法以髓脂合和麺。〔『太平御覧』[四]卷第八百六十飲食部十八・餅部3819下左十一〕

鹿猪狢狸兎熊猪子鹿子等車五両。《『異制庭訓徃来』》

2002年5月13日(月)曇り後雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「江豚(いるか)」と「(うるか)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚名」に、

海鹿(イルカ)(同)(同)(同)(同)(同)史記呉門註門也。――随詩入故名門禎野王魚一名江豚江豚三体詩――吹濤夜却風(同)。〔元亀本365三・四〕

宇留可(ウルカ)(同)。〔元亀本366十〕

海鹿(イルカ)(同)(同)(同)(同)(同)史記呉東門住也。――随衛入江豚三体詩――吹濤(ナミ)夜却風(同)。〔静嘉堂本444三〕

宇留可(ウルカ)(同)。〔静嘉堂本446二〕

とあって、標記語「海豚」を筆頭にして五語単漢字の標記語が並び、その次に「江豚」の語を収載している。そして語注記には「『三体詩』に江豚吹濤夜却風」とその典拠と文例を記載する。さらに「」を重複して収載している。この前の「」には語注記「『史記』に呉の東門の註は門なり。{門に随ひ詩[濤]に入る故に門に名づく。禎野王の曰く、魚、一名江豚}」とする。この重複は、複数の資料をもとに収載がなされていることを示唆するものであり、その一つが下記に示す広本節用集』ということになる。また、「ウ」部に「ウルカ」として、「宇留可」の三語を収載していて、最後の「」の語注記に「庭」の字が見え、『庭訓徃來』に依拠するものと指示する。だが、実際の『庭訓徃來』には「江豚」でしか見えず、この『運歩色葉集』が指示するところの「庭」の字は、二語目の「」の語を指示するものと見るのが穏当といえよう。

 古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鮭塩引鯵鮨鯖塩漬干鳥干菟干鹿干江豚豕燒皮熊掌」「烏賊辛螺榮螺蛤交雑喉氷魚等」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(サケ)ノ_(アチ)ノ_(スシ)(サハ)ノ_(ツケ)_鳥干_兎干_鹿干__(ユルカ)(イノコ)ノ_皮熊(クマ)ノ_(タナコヽロ)」「(ウルカ)_(イカ)_(ニシ)_(サヽイ)(ハマクリ)(エヒ)_(マシリ)ノ-(サコ)氷魚(ヒヲ)」〔山田俊雄藏本〕

塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)(イノコ)ノ燒皮(ヤキカワ)(タナゴヽロ)」「(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サザエ)(エビ)雑喉(ザコ)氷魚(ヒヲ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、及び『下學集』には、

(イルカ/シン)玉篇七尋。〔氣形門63七〕

D鱗(ウルカ) 。〔氣形門65五〕

とあって、標記語「江豚」の語は未収載にし、標記語を「」とし、語注記に「『玉篇』に七尋の切なり」としている。また、「うるか」は、「D鱗」とし、語注記は未記載にする。次に広本節用集』には、

江豚(イルカ/カウトン・ヱ,イノコ)[平・平](同)玉篇七尋切同字又云海鹿(イルカ)史記胥傳ノ呉ノ東門ノ注門也云々。有門随濤入。故名顧野王云、魚。一名云江豚也。〔氣形門8一・二〕

とあって、『庭訓徃来』収載の「江豚」の語を筆頭に「」「」「」の標記語が並び、「」の語注記中に「海豚」の標記があり、さらに「」の語注記が尤も長く、「『史記』胥傳の、呉の東門の注は門なり云々。門有りて濤に随ひて入る。故に門に名づく。顧野王の云く、魚。一名江豚と云ふなり」という。『下學集』に見える「うるか【D鱗】」の語は何故か未収載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

江豚(イルカ)(同)(同)玉篇尋友(同)(同)見于史記(同)海鹿(同)(同)。〔・畜類5六・七〕

江豚(イルカ) 三体詩――吹濤夜却風(同)。〔・畜類3三〕

海鹿(イルカ)。(同)(イルカ)史記呉東門注門也。――随濤入。故名門禎野王云、魚一名江豚江豚(イルカ)嗽呵玉篇尋反。〔・畜類4四・五〕

海鹿(イルカ)。(同)(イルカ)史記呉東門注門也。――随濤入。故名門禎野玉云、魚一名江豚江豚(イルカ)玉篇尋反。〔・畜類5二・三〕

(同)玉篇尋反海鹿(イルカ)。同字(同)(同)。見于史記(イルカ)(イルカ)史記呉東門註門也。――随濤入。故名門禎野王云、魚。一名江豚・畜類3四〕

江豚(イルカ)。〔・萬異名255一〕

(イルカ)。〔・畜類5六〕

(ウルカ)宇留可(同)(同)。〔・畜類149七〕

(ウルカ)宇留可(ウルカ)。〔・畜類121六〕

(ウルカ)宇留可。〔・畜類111三〕

とあって、「いるか」の標記語の取扱い方にそれぞれの写本に多少の異同が見られるのである。このうち、『運歩色葉集』と見比べて尤も共通しているのが永祿二年本となっている。「うるか」については、食物門ではなく畜類門に収載が見られ、『運歩色葉集』と同様に弘治二年本永禄二年本には「庭」、すなわち『庭訓徃来註』からの引用を示唆した注記が語末にある。また、易林本節用集』には、

江豚(イルカ)。〔氣形3二〕

とあって、『庭訓往来』の標記語と共通するものである。「うるか」の語は未収載にある。

 鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(フホ)イルカ(ホフ)同江豚鶏詣。〔黒川本・動物上4オ二・三〕

江豚イルカ臨海異物志云伊流可大魚也黒一浮一没也鶏詣已上同。〔卷第一・動物19二〕

とあって、『庭訓往来』の標記語「江豚」を含み、「」「」「」「鶏詣」の四語を収載している。このうち、十巻本の語注記は、下記に示す『和名類聚抄』の前半部註記内容に依拠する。「うるか」の語は未収載にする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

307塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ 手足亊也。本草ニシテ。自鼻爲声出‖-海上ニ|。舟人候ツテ之知大風雨也云々。〔謙堂文庫藏三三右D〕

(ウルカ)ニツイテ物語在。或時西行法師藍染川ヲ渡玉フ時、女房アルガ綿懸テ渡ル。西行見テ其綿賣カト問給、女云哥ニテ返亊スル也。此川鮎イ取ル川ト知乍ラ綿ヲウルヽト云ハヲロカヤ。此時西行返哥ニツマル。〔静嘉堂文庫藏『庭訓徃來註』古冩書込み〕

問ニ御講モ不審也。之證拠西行シテ国ニ行キ賜時キニ在処之河女。持錦也。其ヲ西行問給、此錦ハ賣ト問也。其返亊詠ム。此河アイトル河シリナガラ錦ウルカ問ヲロカヤ。此時西行返哥ニツマル。〔東洋文庫藏『庭訓之抄』徳本の人書込み〕

312(ウルカ)烏賊(イカ)辛螺(ニシ)栄螺(サタイ/サヽイ)?交雑魚 海老、玉篇云、長鬚之虫也。〔謙堂文庫藏三三右G〕

とあって、標記語を「干江豚」及び「」とし、その語注記は「『本草』に、江は魚の状にしてのごとし。鼻より声を為し海上に出浸す。舟人これをうかがって大風雨を知るなり云々」という。

 古版『庭訓徃来註』では、

(サケ)ノ塩引(シホ―)(アチ)ノ(スシ)(サバ)ノ塩漬(シホツケ)干鳥(ホシトリ)干兎(ウサキ)干鹿(シヽ)(ホシ)江豚(イルカ)祝言(シユウゲン)トテ是ノ類(ルイ)ヲ用ルベシ。〔下七ウ二〕

とあって、この標記語を「干江豚」とし、語注記は全体の語に対するもので「祝言とてこの類を用ひるべし」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔三十六オ三〕

とあって、標記語「干江豚」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚燒皮。▲江豚ハ和名いるかといふ魚(うを)也。海中(うみ)に生ずるを海豚(かいとん)といひ江中(え)に生ずるを江豚(こうとん)といふ。〔二十九ウ五〕

(さけ)の塩引(しほびき)(あぢ)の(すし)(さば)の塩漬(しほづけ)干鳥(ほしとり)干兎(ほしうさぎ)干鹿(ほししか)干江豚(ほしいるか)(いのこ)の燒皮(やきがハ)。▲江豚ハ和名(わミやう)いるかといふ魚(うを)なり。海中(うミ)に生ずるを海豚(かいとん)といひ江中(え)に生するを江豚(かうとん)といふ。〔五十二ウ四〕

とあって、標記語「干江豚」の語注記は未記載で、ただ「江豚」にして、語注記に「江豚は、和名「いるか」といふ魚なり。海中に生ずるを海豚といひ、江中に生ずるを江豚といふ」という。また、同じく頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』の「海鼠腸」の注記に、

海鼠腸(このわた)海鼠腸海鼠ハ海鼠(なまこ)の腸(わた)(あゆ)の腸(わた)。共に塩漬(しほつけ)にす。〔二十九ウ七〕

海鼠腸(このわた)海鼠ハ海鼠(なまこ)の腸(わた)(あゆ)の腸(わた)。共に塩漬(しほづけ)にす。〔53オ一〕

とあって、「海鼠は、海鼠の腸。は、の腸。共に塩漬けにす」という記述をもってすると、「アユ【鮎・年魚】の腸(わた)」のことを「」と表記しいうことが分かり、上記の『庭訓徃來註』書込みの「西行法師の藍染め川における女人歌」の解釈が少しく理会できるのである。ここで、「いるか」と「うるか」の語の意味する対象物が異なることを述べておく。

 当代の『日葡辞書』に、

Iruca.イルカ(江豚) いるか.〔邦訳342l〕

とあって、標記語を「江豚」の語は、その意味を単に「いるか」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いるか(名)【海豚】海獣の名。全身圓く肥えて、長さ六七尺、Kくして、毛無し、形甚だ鯨に似た、喙(くち)長くして、上下相均しく、頭の後に、二つの孔ありて、潮を噴(ふ)く。皮厚くして、脂多く、燈油とすべく、肉も食ふべし。古事記、中(仲哀)66「入鹿魚」倭名抄、十九1「江豚、伊流可」〔0219-1〕。

うるか(名)【】〔潤臭(うるか)の義にもあるか、或は、細魚(うるりこ)と縁ある語かと云ふ〕鮎の腸の鹽辛。鹽漬にして三四十日掻きまぜて成る。腸(わた)うるか、澁うるか、苦(にが)うるかなどとも云ひて、其澁味を賞す。拾遺集、七物名に、うるかあり。下學集、上、氣形門「D鱗、ウルカ」濱眞砂と云へる草子に、後水尾院御製「淀川の、瀬に棲む鮎の、腹にこそ、うるかと云へる、わたはありけれ」(松屋筆記、六十六)又、鮎の頭と鰭とを除き、腸のまま、肉と共に庖丁にて叩き、少し麹と味醂とを加へ、鹽漬にしたるを、切込(きりこみ)うるかと云ふ。又、鮎の(こ)のみを鹽漬けにしたるを、子(こ)うるかと云ふ。〔0264-4〕

とあって、「いるか」は、『庭訓徃来』が示す標記語「江豚」の語でなく「海豚」の語をもって見出し語として収載する。標記語「うるか」は、「」とし、その記載が見える。ちなみに、現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「いるか【海豚】@哺乳類クジラ目に属し、体長約五b以下のハクジラの総称。シロイルカ、イッカクのほかは、あごに多数の歯がある。鼻孔は一個しかなく半月形で、多くは背びれをもつ。マイルカのほか、カマイルカ、バンドウイルカ、スジイルカなど種類は多く、ふつう海に群生するが、アマゾン川など淡水にすむカワイルカもいる。知能が高く、芸を仕込むことができる。かつては脂肪は機械油に、肉は食用にしていた。《季・冬》Aイルカ科のマイルカの総称。全長約二bに達する。背は黒か暗褐色で、腹面は白い。生時は体の両側に灰色、黄色などの波状模様がある。太平洋、大西洋、インド洋などの暖海にすむ」と「うるか【海豚】(名)「いるか(海豚)」の異名。※和英語林集成(初版)(1867)「Urukaウルカ江豚」」と両用の読みの記載があり、その後に「うるか(名)【】(名)@鮎のはらわた。A塩漬にした鮎のはらわた。また、鮎の子を塩漬にした物を、子うるかという。《季・秋》」とある。

[ことばの実際]

 伊留加。《『新撰字鏡』(809-901年頃)》

イルカ 臨海異物志云―浮布二音伊流賀[上上平]大魚也。黒一浮一没也。兼名苑云―一名甫畢二音。一名鶏詣敷常二音。野王案一名江豚十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊22ウ七》

この家はうるかいりても見てし哉主ながらも買はんとぞ思ふ《『拾遺和歌集』卷第七・物名412番「うるかいり」重之、新大系117頁》

2002年5月12日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)

「干菟(ほしうさぎ)」と「干鹿(ほしじし)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「保」部に、標記語「干兎」「干鹿」の語を収載している。語注記は未記載にある。

古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鮭塩引鯵鮨塩漬干鳥干菟干鹿干江豚豕燒皮熊掌」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(サケ)ノ_(アチ)ノ_(スシ)(サハ)ノ_(ツケ)__兎干_鹿__(ユルカ)(イノコ)ノ_皮熊(クマ)ノ_(タナコヽロ)」〔山田俊雄藏本〕

塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)(イノコ)ノ燒皮(ヤキカワ)(タナゴヽロ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』及び『下學集広本節用集』そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集易林本節用集』には、標記語「干兎」「干鹿」の語はどの辞書も未収載にしている。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

307塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ 手足亊也。本草ニシテ。自鼻爲声出‖-海上ニ|。舟人候ツテ之知大風雨也云々。〔謙堂文庫藏三三右D〕

とあって、標記語を「干兎」「干鹿」とし、その語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

(サケ)ノ塩引(シホ―)(アチ)ノ(スシ)(サバ)ノ塩漬(シホツケ)干鳥(ホシトリ)干兎(ウサキ)干鹿(シヽ)(ホシ)江豚(イルカ)祝言(シユウゲン)トテ是ノ類(ルイ)ヲ用ルベシ。〔下七ウ二〕

とあって、この標記語を「干兎」「干鹿」とし、語注記は全体の語に対するもので「祝言とてこの類を用ひるべし」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔三十六オ三〕

とあって、標記語「干兎」「干鹿」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔二十九オ七〕

(さけ)の塩引(しほびき)(あぢ)の(すし)(さば)の塩漬(しほづけ)干鳥(ほしとり)干兎(ほしうさぎ)干鹿(ほししか)干江豚(ほしいるか)(いのこ)の燒皮(やきがハ)。〔五十二オ三〕

とあって、標記語「干兎」「干鹿」の語注記は未記載にする。

 ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、『庭訓徃来』が示す標記語「干兎」「干鹿」の語注記は未収載にする。現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「干兎」「干鹿」の語注記は未収載にする。まさに、『庭訓徃来』系統の特有な所載語となっている。

[ことばの実際] 「兎」については、(2002.04.27)を参照。「鹿」については、

2002年5月11日(土)曇り。東京(八王子)→千葉佐倉(国立歴史博物館)

「干鳥(ほしどり)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、標記語「干鳥」の語を収載している。語注記は未記載にある。

古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鮭塩引鯵鮨塩漬干鳥干菟干鹿干江豚豕燒皮熊掌」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(サケ)ノ_(アチ)ノ_(スシ)(サハ)ノ_(ツケ)_鳥干_兎干_鹿干__(ユルカ)(イノコ)ノ_皮熊(クマ)ノ_(タナコヽロ)」〔山田俊雄藏本〕

塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)(イノコ)ノ燒皮(ヤキカワ)(タナゴヽロ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集広本節用集』そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集易林本節用集』には、標記語「干鳥」の語は未収載にしている。

 また、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

雉脯(チフ)ホシトリ。干鳥同/俗用之。〔黒川本・飲食上35オ七〕

雉脯干鳥。〔卷第一・飲食309三〕

とあって、標記語「干鳥」とする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

307塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ 手足亊也。本草ニシテ。自鼻爲声出‖-海上ニ|。舟人候ツテ之知大風雨也云々。〔謙堂文庫藏三三右D〕

とあって、標記語を「干鳥」とし、その語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

(サケ)ノ塩引(シホ―)(アチ)ノ(スシ)(サバ)ノ塩漬(シホツケ)干鳥(ホシトリ)干兎(ウサキ)干鹿(シヽ)(ホシ)江豚(イルカ)祝言(シユウゲン)トテ是ノ類(ルイ)ヲ用ルベシ。〔下七ウ二〕

とあって、この標記語を「干鳥」とし、語注記は全体の語に対するもので「祝言とてこの類を用ひるべし」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔三十六オ三〕

とあって、標記語「干鳥」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔二十九オ七〕

(さけ)の塩引(しほびき)(あぢ)の(すし)(さば)の塩漬(しほづけ)干鳥(ほしとり)干兎(ほしうさぎ)干鹿(ほししか)干江豚(ほしいるか)(いのこ)の燒皮(やきがハ)。〔五十二オ三〕

とあって、標記語「干鳥」の語注記は未記載にする。

 ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほしどり<名>【干鳥】鳥肉の(きたひ)。鳥肉を鹽にせずして乾し、削りて食ふもの。。鳥。きたひ()の條を見よ。〔1837-2〕

とあり、現代の『日本国語大辞典』第二版には、「ほし-どり【干鳥】<名>鳥肉をまるごと干したもの」とある。『庭訓徃来』が示す「干鳥の塩漬」は、未収載にする。

[ことばの実際]この用例は、『大言海』に依拠する。

雉脯 遊仙窟云西山鳳脯<音甫 師説保之土利 俗用干鳥二字>十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊》

「かカればこそは、人なくて年頃へつれ。いかなる費有ルラン。マしてあたらしき供人は十五人。漬豆を一莢宛に出すとも、十まり五なり。種なラしてハ幾許なり。零餘子を一宛に出すとも、十まり〈五〉なり。生ラしてとらば、多くの零餘子いも、出デきぬべし。雲雀の乾鳥、これらを生けて、媒鳥にて捕らば、多くの鳥、出デきぬべし」と、思ひほれてゐ給へり。《『宇津保物語』藤原君28》

干鳥 雉を塩つけずして、ほして削て供之。《『廚事類記』(1295年頃)調備部》

2002年5月10日(金)曇りから雨模様。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「鯖(さば)

」については、「周防鯖」(2001.12.16)」のコーナを参照。

古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鮭塩引鯵鮨塩漬干鳥干菟干鹿干江豚豕燒皮熊掌」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(サケ)ノ_(アチ)ノ_(スシ)(サハ)ノ_(ツケ)_鳥干_兎干_鹿干__(ユルカ)(イノコ)ノ_皮熊(クマ)ノ_(タナコヽロ)」〔山田俊雄藏本〕

塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

307塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ 手足亊也。本草ニシテ。自鼻爲声出‖-海上ニ|。舟人候ツテ之知大風雨也云々。〔謙堂文庫藏三三右D〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

(サケ)ノ塩引(シホ―)(アチ)ノ(スシ)(サバ)ノ塩漬(シホツケ)干鳥(ホシトリ)干兎(ウサキ)干鹿(シヽ)(ホシ)江豚(イルカ)祝言(シユウゲン)トテ是ノ類(ルイ)ヲ用ルベシ。〔下七ウ二〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は全体の語に対するもので「祝言とてこの類を用ひるべし」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔三十六オ三〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔二十九オ七〕

(さけ)の塩引(しほびき)(あぢ)の(すし)(さば)の塩漬(しほづけ)干鳥(ほしとり)干兎(ほしうさぎ)干鹿(ほししか)干江豚(ほしいるか)(いのこ)の燒皮(やきがハ)。〔五十二オ三〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。

 ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さば<名>【鯖】〔小齒(サバ)の義、さばの魚と云ふが、成語なり、其齒、細小なり(鮫(さめ)も、小眼(さめ)、鰆(さはら)も、小腹(さはら))日本釋名(元禄)中、鯖「さばハ、小齒(さば)也、さハ、ささやかの意、小也、此魚、他魚(ことうを)に變りて、齒、小也」あをさばと云ふは、色、青ければなり、鯖は、青魚の合字〕さばのうを。あをさば。海魚の名、夏を盛りとす。形、紡錘(つむ)の状にして、長し、鱗、甚だ細かく、色、青し、背、眞青にして、中に、蒼K(あをぐろ)き虎斑あり、齒は、細小にして、密生す、身長、五七寸より、一尺四五寸に至る、尾は、扠首(サス)の形をなす、尾の邊に、相、對して、刺(とげ)の如き鰭あり。青花魚出雲風土記、秋鹿郡、北海所在雜物「鯊(サメ)、佐波(サバ)、烏賊(イカ)」康頼本草、下38「青魚、佐波乃宇乎」本草和名、下25「鯖、佐波」倭名抄、十九2「鯖、阿乎佐波」さばをよむと云ふこと、さばよみの條を見よ。〔0819-3〕

とあり、現代の『日本国語大辞典』第二版には、「さば【】<名>@サバ科の海魚。全長約五〇センチbに達する。体形は美しい紡錘形。背部は青緑色で不規則な黒い波状紋があり、腹面は銀白色。群れをなして回遊し小魚や小形のエビ、カニを食べる。日本各地の沿岸に分布。重要な食用魚で、すし種、塩焼きなどにするほか、干物や缶詰めにもする。秋が旬(しゅん)で、秋サバと呼ばれる。近似種で、体形、外観ともにサバ(ホンサバ)に似ているが体高がやや低く腹面に多くの小黒点のあるゴマサバを含めてもいう。和名ほんさば。まさば。ひらさば。《季・夏》ABは略す」とある。『庭訓徃来』が示す「鯖の塩漬」は、未収載にする。

[ことばの実際]

アホサハ 云―音番。漢語抄加勢佐波[平上平平]。魚有横骨有鼻前如斤斧者也。御覧鱗介部云部婦魚弁色立成和名同上。十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊24ウ八》

諸盈反。又於形反/煮魚頭有骨加世佐波。○。佐波。《『新撰字鏡』(898―901年頃)521四・524一》

2002年5月9日(木)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「鰺(あぢ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

(アヂ)。〔元亀本367六〕

(アチ)。〔静嘉堂本446八〕

とあって、標記語「」の語を収載している。語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鮭塩引鮨鯖塩漬干鳥干菟干鹿干江豚豕燒皮熊掌」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(サケ)ノ_(アチ)ノ_(スシ)(サハ)ノ_(ツケ)_鳥干_兎干_鹿干__(ユルカ)(イノコ)ノ_皮熊(クマ)ノ_(タナコヽロ)」〔山田俊雄藏本〕

塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、

(アヂ)。〔氣形門65一〕

とあって、標記語「」の語を収載している。次に広本節用集』は、

(アチ)。〔氣形門747六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(アヂ)。〔・畜類203八〕〔・畜類169二〕〔・畜類158七〕

とあって、標記語「」との語を収載する。また、易林本節用集』には、

(アヂ)。〔氣形169五〕

とあって、標記語「」の語を収載している。

 また、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

サウ、アチ。〔黒川本・動物下23オ三〕

アチ細鼻也頭中有石首魚出崔禹/已上アチ〔卷第八・動物282四〕

とあって、標記語「」とする。十巻本は、これに「石首魚」の三語が収載されている。この三語の標記語は下記に示す『倭名類聚抄』に依拠し、このうち「」と「石首魚」だが、「(イシモチ)」語注記「字指云―音聰伊之毛知[上上上上]頭中有石故亦名石首魚也」〔第四冊24オ三〕をここに記載するものである。第二に見える「」の語注記「細鼻也」については、その依拠するところは未詳である。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

307塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ 手足亊也。本草ニシテ。自鼻爲声出‖-海上ニ|。舟人候ツテ之知大風雨也云々。〔謙堂文庫藏三三右D〕

とあって、標記語を「塩引」とし、その語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

(サケ)ノ塩引(シホ―)(アチ)ノ(スシ)(サバ)ノ塩漬(シホツケ)干鳥(ホシトリ)干兎(ウサキ)干鹿(シヽ)(ホシ)江豚(イルカ)祝言(シユウゲン)トテ是ノ類(ルイ)ヲ用ルベシ。〔下七ウ二〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は全体の語に対するもので「祝言とてこの類を用ひるべし」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引鮨鯖塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔三十六オ三〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引鮨鯖塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔二十九オ七〕

(さけ)の塩引(しほびき)(あぢ)の(すし)(さば)の塩漬(しほづけ)干鳥(ほしとり)干兎(ほしうさぎ)干鹿(ほししか)干江豚(ほしいるか)(いのこ)の燒皮(やきがハ)。〔五十二オ三〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。

 当代の『日葡辞書』に、

Agi.アヂ(鰺) 鰺.※原文はPeixe carapao.〔邦訳15r〕

とあって、標記語を「」の語は、その意味を単に「鰺」という。ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

あぢアジ<名>【鰺】〔倭訓栞、あぢ「新撰字鏡に、鰺を訓ぜり、萬葉集に、味と書けり、味の佳なるを稱するなるべし」いかがあるべき〕海産の魚。状、鯖(さば)に似て小さく、長さ、二三寸より尺に至る、鱗なくして、兩面の腮(えら)の下より尾まで、線(すぢ)をなして、鱗の如きもの折れて並ぶ、これをぜいご、又、ぜんご(竹莢)といふ、背、青くして赤みあり、腹は微白なり、夏、秋、多く、肉、美なり。竹莢魚。字鏡72「鰺、阿地」本草和名、下25「鰺、阿知」(倭名抄、同じ)〔0048-1〕

とあり、現代の『日本国語大辞典』第二版には、「あじ【】<名>Aアジ科のマアジの呼称。体長は約三〇センチbになる。背は淡灰色に青みをおび、腹部は銀白色。水産上重要な魚で、日本各地の沿岸で多量にとれる。和名マアジ。学名はTrachurus japonnicus《季・夏》」とある。『庭訓徃来』が示す「鰺の鮨」は、未収載にする。

[ことばの実際]

アチ 崔禹食經云―蘓遭反。与騒同阿知[上・平]。味耳温無毒皃似而尾白刺相次者也十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊24ウ六》

 桑勞反/C阿知{地}。《『新撰字鏡』(898―901年頃)518五》

2002年5月8日(水)晴れのち小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「鮭(さけ)の塩引(しほびき)

」については、「夷の鮭」(2001.12.29)」、「塩引」については、「塩引」(2001.12.14)のコーナをそれぞれ参照。

古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

鮭塩引鯵鮨鯖塩漬干鳥干菟干鹿干江豚豕燒皮熊掌」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(サケ)ノ_(アチ)ノ_(スシ)(サハ)ノ_(ツケ)_鳥干_兎干_鹿干__(ユルカ)(イノコ)ノ_皮熊(クマ)ノ_(タナコヽロ)」〔山田俊雄藏本〕

塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿干江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。

そして、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』の標記語及び語注記は下記に示す『倭名類聚抄』に依拠している。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

307塩引(アチ)ノ(スシ)塩漬干鳥干兎干鹿江豚(イルカ)燒皮(ガハ)(ク−)ノ 手足亊也。本草ニシテ。自鼻爲声出‖-海上ニ|。舟人候ツテ之知大風雨也云々。〔謙堂文庫藏三三右D〕

とあって、標記語を「塩引」とし、その語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

(サケ)ノ塩引(シホ―)(アチ)ノ(スシ)(サバ)ノ塩漬(シホツケ)干鳥(ホシトリ)干兎(ウサキ)干鹿(シヽ)(ホシ)江豚(イルカ)祝言(シユウゲン)トテ是ノ類(ルイ)ヲ用ルベシ。〔下七ウ二〕

とあって、この標記語を「塩引」とし、語注記は全体の語に対するもので「祝言とてこの類を用ひるべし」という。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引鮨鯖塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔三十六オ三〕

とあって、標記語「塩引」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(さけ)塩引(しほひき)。(あぢ)(すし)。(さば)塩漬(しほづけ)。干鳥(ほしどり)。干兎(うさぎ)。干鹿(じゝ)。干江豚(いるか)。(いのこ)焼皮(やきがわ)塩引鮨鯖塩漬干鳥干兎干鹿干江豚豕燒皮。〔二十九オ七〕

(さけ)の塩引(しほびき)(あぢ)の(すし)(さば)の塩漬(しほづけ)干鳥(ほしとり)干兎(ほしうさぎ)干鹿(ほししか)干江豚(ほしいるか)(いのこ)の燒皮(やきがハ)。〔五十二オ三〕

とあって、標記語「塩引」の語注記は未記載にする。

 ちなみに、明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

「さけ【鮭】<名>〔かたこと(慶安、安原貞室)「此魚、子を生まんとて、腹のさけはべる、とやらむと云ヘリ」倭訓栞、さけ「Cの字を讀むは、云云、裂の義、其肉、片片、裂けやすし、と云ヘリ」共に、いかが、古語に、此魚の大なるを、すけと云ヘリ(其條を見よ)參考すべし。鮭(ケイ)は、河豚(ふぐ)なり、C(セイ)は、魚臭なり、共に、當らず〕魚の名、東北の海に産ず、河海の間にありて、秋、河に遡りて、子を生む、鱒(ます)に似て、圓くして肥え、大なるは二三尺、鱗、細かく、色、赤青くして、腹、薄白し、肉、紅にして、細刺(こぼね)あり、脂、多くして、厚美なり。多く、鹽引、又は、乾鮭(からざけ)として、遠きに送る。子を、すぢこと云ふ。しゃけ。秋鰺(あきあぢ)。[松魚]。字鏡71「鮭、佐介」本草和名、下廿五「C、一名、臭魚、出崔禹食經、和名、佐介」(倭名抄、同じ)、箋注「説文云、C、魚臭也、云云、蓋、佐介、有一種C氣、與諸魚同、故亦名臭魚云云、東醫寳鑑、松魚、亦可以充|∨之」加茂保憲女集「さけと云ふ魚(いを)の、冬、出で來れば、云云」〔0792-2〕

とあり、現代の『日本国語大辞典』第二版には、「さけ【】<名>サケ科の魚。全長約一bに達する。体はやや細長い紡垂形。脂鰭(あぶらびれ)がある。体色は背部が青灰色、腹部が銀白色であるが、繁殖期には、体の背側部と体側部が暗緑色に変じ、体側に赤い雲状斑が現われる。秋から冬に、生まれた河川をさかのぼって上流の砂利底に産卵・受精し、やがて死ぬ。産卵期の雄は吻(ふん)部が突き出して曲がるので俗に「鼻曲がり」と呼ばれる。孵化した稚魚は砂利層の中で卵黄を栄養にしながら冬を越す。翌春、砂利層から外へ出てしばらく川にとどまり、五〜七センチbになって海に下る。本州以北に分布し、東北、北海道、サハリン、カムチャッカ方面が主漁場。肉は淡紅色を呈して美味で、秋から冬にかけてが旬(しゅん)であり、秋に産卵のために川をのぼってくるサケを「秋味(あきあじ)」と呼ぶ。重要な食用魚で、塩焼き、かすづけ、あらまきなどにして食べるほか、燻製、かん詰めなどにもされる。卵巣はすじこ、イクラなどにする。しゃけ。しろざけ。ときしらず。さけの魚。学名はOncorhynchus keta。《季・秋》」とあり、「さけの塩引(しおびき) 鮭を塩漬けにしたもの。塩鮭」とある。

[ことばの実際]

鮭魚サケ (崔禹)食經云―折青反。佐介今案俗用鮭字非也。鮭音圭鰕魚一名也。其子似苺音茂苺子即是覆盆也。見唐赤光一名年魚春生年中死故以名也十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊25ウ七》

 古推乃{携}反平/脯也。佐介。《『新撰字鏡』(898―901年頃)522九》

2002年5月7日(火)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「鱒(ます)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

(マス)(マス)。〔元亀本367三〕

(マス)。〔静嘉堂本446〕

とあって、標記語「」と「丸」の二語を収載している。「丸」は「丸鮑(マルアワヒ)」の誤写であることは静嘉堂本で確認できる。語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

塩肴者鮎白干鮪黒作楚割」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(サカナ)ハ者鮎(アユ)ノ_(シラホシ)(シヒ)ノK_(マス)ノ_(ソハサキ)」〔山田俊雄藏本〕

塩肴者鮎(アユ)ノ白干(シラホシ)(シビ)ノ黒作(ツクリ)(マス)ノ楚割(ス―イリ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、

(マス)。〔氣形門64六〕

とあって、標記語「」の語を収載している。次に広本節用集』は、

(マス)。〔氣形門569三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(マス)。〔・畜類169六〕〔・畜類139三〕〔・畜類128六〕

とあって、標記語「」との語を収載する。また、易林本節用集』には、

(マス)。〔氣形140二〕

とあって、標記語「」の語を収載している。

 また、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

云撰、又イ本反/マス又作同。赤魚同。同/云必。〔黒川本・動物中89ウ七〕

云撰、又イ本反/マス又作同。赤魚同。同/云必。〔卷第八・動物〕

とあって、標記語「」を先頭に「赤魚」の三語が収載されている。この四語の標記語は下記に示す『倭名類聚抄』に依拠している。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

306雲雀水鳥山鳥一番塩肴者鮪K作(アヒ)ノ白干楚割 自背脊云也。〔謙堂文庫藏三三右C〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

塩肴(シホサカナ)ニハ者鮎(アユ)ノ白干(シラホシ)(シビ)ノ黒作(クロツクリ)(マス)ノ楚割(ソワリ)。〔下七ウ二〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ます)楚割(そわり)楚割塩したるますなり。〔三十六オ三〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

鹽肴(しほざかな)ハ者鮎(あゆ)の白干(しらぼし)(しび)黒作(くろづくり)(ます)楚割(そわり)_ニハ者鮎_干鮪__〔二十九オ七〕

_(しほさかな)にハ者鮎(あゆ)の_(しらほし)(しび)の_(くろつくり)(ます)の_(そわり)〔五十二オ二〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。

 当代の『日葡辞書』に、

Masu.マス(鱒) 川魚の一種.〔邦訳387r〕

とあって、標記語を「」の語は、その意味を「川魚の一種」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「マス【】<名>サケ科の魚類のうち「マス」と名のつく種類のものの俗称。多くはサクラマスをいうが、ベニマスとその陸封型のヒメマス、マスノスケ、ビワマス、カワマスなどの略称としても用いられる。また、マス釣り、マス鮨などという場合にはニジマスをさすこともある。《季・春》」とある。次の「楚割」の語については、2000.03.14に記載しているので参照されたい。

[ことばの実際]

マス 七卷食經云鱒音撰字、慈損反/亦作。一名赤魚万須(上・上)。兼名苑云一名音必而赤目者也十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊26ウ一》

鱒魚 一名赤目魚一名赤目鱒一名。和名末須。《『本草和名』》

2002年5月6日(月)晴れのち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「鮪(しび)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

(シビ)(同)。〔元亀本367十〕

(シヒ)(同)。〔静嘉堂本447四〕

とあって、標記語「」と「」の二語を収載している。語注記は未記載にある。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

塩肴者鮎白干黒作鱒楚割」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(サカナ)ハ者鮎(アユ)ノ_(シラホシ)(シヒ)ノK_(マス)ノ_(ソハサキ)」〔山田俊雄藏本〕

塩肴者鮎(アユ)ノ白干(シラホシ)(シビ)ノ黒作(ツクリ)(マス)ノ楚割(ス―イリ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、

(シヒ)。〔氣形門65二〕

とあって、標記語「」の語を収載している。次に広本節用集』は、

(シビ)[上]。〔氣形門922五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(シビ)(同)。〔・畜類241三〕

(シビ)(同)。〔・畜類201八〕

(シビ)。〔・畜類191四〕

とあって、標記語「」と「」の二語を収載する。ただし、尭空本は「」のみの標記語である。また、易林本節用集』には、

(シビ)。○○○○○○。(シビ)。〔氣形207二〕

とあって、標記語「」と六語おいて「」の語を収載している。

 また、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(井)シヒ黄頬{刺イ}同。同。シラウヲ/同上。〔黒川本・動物下69ウ五〕

(井)シヒ黄頬魚同。〔卷第九・動物137三〕

とあって、標記語「」を先頭に「黄頬魚」の三語が収載されている。十巻本は、最初の二語を載せるに留まる。この二語の標記語は下記に示す『倭名類聚抄』に依拠している。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

306雲雀水鳥山鳥一番塩肴K作(アヒ)ノ白干楚割 自背脊云也。〔謙堂文庫藏三三右C〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は未記載にある。読みは「あひ」としている。

 古版『庭訓徃来註』では、

塩肴(シホサカナ)ニハ者鮎(アユ)ノ白干(シラホシ)(シビ)ノ黒作(クロツクリ)(マス)ノ楚割(ソワリ)。〔下七ウ一〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

塩肴(しほざかな)(あゆ)の白干(しらほし)(しび)の黒作(くろつくり)_ニハ者鮎__。〔三十六オ二〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

鹽肴(しほざかな)ハ者鮎(あゆ)の白干(しらぼし)(しび)黒作(くろづくり)(ます)楚割(そわり)_ニハ者鮎__作鱒_〔二十九ウ五〕

_(しほさかな)にハ者鮎(あゆ)の_(しらほし)(しび)の_(くろつくり)(ます)の_(そわり)〔五十二ウ四〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。

 当代の『日葡辞書』に、

Xibi.シビ(鮪) 鮪.※原文はPexe atum(まぐろ).羅葡日Cordila;Pelamisの条に葡語でAtum,日本語でXibiという対訳をあてている.〔邦訳759l〕

とあって、標記語を「」の語は、その意味を「鮪」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「しび【】<名>魚「まぐろ(鮪)」の異名。」とある。

[ことばの実際]

シヒ 食療經云―音委。一名黄頬魚之比(平・上)。尓雅注云大為王―小為舛―十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊23オ五》

 似青黒頭尖口小在頷下三月河度龍門則爲龍(詩)―溌溌匪―。《『韻府群玉』三・紙韻046左F》

意布袁余志 斯毘都久阿麻余 斯賀阿禮婆 宇良胡本斯祁牟 志毘都久志毘 (110)《『古事記』(712年)下・歌謡》

魚の名のしび、如何、よくこえたる魚也。《『名語記』(1275年)六》

2002年5月5日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢) HP関連サイト端午の節句(印地)

「鮎(あゆ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「魚之名」に、

(アユ)(アイ)(キヤウ)。〔元亀本367六〕

()(アイ)(キヤウ)。〔静嘉堂本446八〕

※「鮎」の次に排列する「牾椡」なる語については、印度本系統の『節用集』(永・尭本)にも収載が見られ、この語が「鮎」と類似する魚なのか今後要検討する必要がある。

とあって、標記語「」の語を収載している。その表記字を正確にみるに、元亀本が旁を「召」にし、静嘉堂本が「古」としていて異なりが見えている。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

塩肴者白干鮪黒作鱒楚割」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(サカナ)ハ(アユ)ノ_(シラホシ)(シヒ)ノK_(マス)ノ_(ソハサキ)」〔山田俊雄藏本〕

塩肴者(アユ)ノ白干(シラホシ)(シビ)ノ黒作(ツクリ)(マス)ノ楚割(ス―イリ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、

(アユ)。〔氣形門64三〕

とあって、標記語「」の語を収載している。次に広本節用集』は、

(アユせン)[平]本者同意/然今倭訓如此也(アイ)或云/年魚(アイ) (ギヤウ)。〔氣形門747六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「本はとは同じ意。然れば今倭訓此くのごときなり」という。また読みを「アイ」として「」と「牾椡」の標記語が後に排列されている。「」の語注記には「或云○○」形式で「年魚」の語を示している。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(アユ)(同)(同)。〔・畜類203八〕

年魚(アイ)倭字歟。○。牾椡(アイキヤウ)。〔・畜類204一〕

(アイ)年魚。〔・畜類169二〕

牾椡(アイキヤウ)。○。(アイ)年魚。〔・畜類158八〕

(ナマツ)(同)以上二字義同。日本アイト云。〔・畜類138三〕

(ナマヅ)(同)二字義同/日本俗アイト云。〔・畜類110九〕

とあって、標記語「」と「」「年魚」の三語を収載し、読みを「あゆ」と「あい」にする。また、易林本節用集』には、

(アイ)。〔氣形169五〕

とあって、標記語を「」のみとしている。

 また、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

(テン)アユ/奴兼反同。銀口魚同。細鱗魚同。年魚同春生/夏長秋衰/冬死故曰――。(テイ)同。〔黒川本・動物下23オ一・二〕

アユ亦作銀口魚細鱗魚年魚已上同/春生長秋衰冬死故――。音。音已上二/名出陶景注黄頬。音啼已上二名/出兼名苑音。又有人魚膏名人膏。秦始皇帝家中用之/已上三種出陶景注崔禹云春生夏長秋衰冬死。已上二名出兼名苑/已上アユ〔卷第八・動物286四〜287五〕

とあって、標記語「」を先頭に「銀口魚細鱗魚年魚」の五語が収載されている。十巻本はこれに「黄頬又有人魚膏名人膏{先頭標記語「」とする}。」の八語を増補していて、それぞれに注記が見えている。このなかでとりわけ共通する注記に「春に生じて夏に長き秋に衰へ冬に死す」とし、故に「年魚」というのだと……。この注記は下記に示す『倭名類聚抄』に依拠している。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

306雲雀水鳥山鳥一番塩肴者鮪K作(アヒ)ノ白干楚割 自背脊云也。〔謙堂文庫藏三三右C〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は未記載にある。読みは「あひ」としている。

 古版『庭訓徃来註』では、

塩肴(シホサカナ)ニハ(アユ)ノ白干(シラホシ)(シビ)ノ黒作(クロツクリ)(マス)ノ楚割(ソワリ)。〔下七ウ一〕

とあって、この標記語を「」とし、語注記は未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

塩肴(しほざかな)(あゆ)の白干(しらほし)(しび)の黒作(くろつくり)_ニハ_干鮪_白干黒作ハ其色の白きと黒きとによりて名つけたるなり。〔三十六オ二〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

鹽肴(しほざかな)ハ(あゆ)の白干(しらぼし)(しび)黒作(くろづくり)(ます)楚割(そわり)_ニハ_干鮪_作鱒_白干黒作ハいづれも自然(じねん)の色の白き黒きを以ていふのミ。〔二十九ウ五〕

_(しほさかな)にハ者鮎(あゆ)の_(しらほし)(しび)の_(くろつくり)(ます)の_(そわり)白干黒作ハいつれも自然(しぜん)の色(いろ)の白き黒きを以ていふのミ。〔五十二ウ四〕

とあって、標記語「」の語注記は未記載にする。

 当代の『日葡辞書』に、

Ai.l,ayu.アイ.または,アユ(鮎) truta〔鱒・岩魚の類〕のような魚.〔邦訳15r〕

Ayu.アユ(鮎) truta〔鱒・岩魚の類〕のような魚.→Ai(鮎).〔邦訳44l〕

とあって、標記語を「」の語は、その意味を「鱒・岩魚の類のような魚」という。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「あゆ【年魚香魚】<名>アユ科の淡水魚。北海道南部以南(余市に生息している?)の河川にすみ、美味で、古来より、食用として珍重されている。体は細長く、二〇〜三〇センチbに達する。背面は緑褐色で腹面は白い。背鰭(せびれ)の後方に小さな脂鰭(あぶらびれ)があり、鰓蓋(えらぶた)の後方に黄色斑がある。うろこはきわけて小さい。秋、川を下って中流域の砂利底に卵を産む。稚魚はいったん海へ下り、早春に全長四〜七センチbに成長して再び川をさかのぼる。ふつう寿命は一年で、海中ではプランクトンを、川へ入ってからは主として付着藻類を食べる。鵜飼い、友釣り、どぶ釣りなど、わが国独特の漁法がある。あい。学名はPlecoglossus altivelis《季・夏》」とある。

[ことばの実際]

魚 一名一名鮎魚。<略>和名阿由《『本草和名』(918年頃)》

アユ 本艸上音夷。蘓敬曰一名鮎魚上奴兼反。阿由(平・上)。漢語抄銀口魚。又云細鱗魚崔禹食經云皃似鱒而小有皮無鱗春生夏長秋衰冬死故名年魚也。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷八・国立歴博藏(高松宮旧蔵本)第四冊27オ一》

親しき殿上人あまたさぶらひて、西川よりたてまつれる、近き川のいしぶしやうのもの、御前にて調じて参らす。《『源氏物語』常夏》

2002年5月4日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)

「白干(しらぼし)」と「黒作(くろづくり)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に、「白頭(シロカシラ)。白髪(カミ)。白絲(イト)。白山(ヤマ)。白壁(カベ)。白旗(ハタ)源氏。白鬚(ヒゲ)。白刃(バ)。白砂(ス)。白幌(ボロ)。白地(チ)。白尾(ヲ)。白幣(シラニギテ)。白箆(シラノ)。白柄(エ)長刀。白藻(モ)。白波(ナミ)山賊之異名。白雲(クモ)頭病。白屑(同)移。白子(シロシ)。白人(シラヒト)」の二十一語を収載するにとどまり、標記語「白干」の語は未収載にある。次に「久」部に、「黒漆(クロウルシ)。黒鹽(シヲ)。黒柿(ガキ)」の三語を収載するにとどまり、標記語「黒作」の語も未収載にある。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

塩肴者鮎白干黒作鱒楚割」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(サカナ)ハ者鮎(アユ)ノ_(シラホシ)(シヒ)ノK_(マス)ノ_(ソハサキ)」〔山田俊雄藏本〕

塩肴者鮎(アユ)ノ白干(シラホシ)(シビ)ノ黒作(ツクリ)(マス)ノ楚割(ス―イリ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集広本節用集』そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集易林本節用集』には、標記語「白干」と「黒作」の語を未収載にする。ただし、饅頭屋本節用集』に、

K作(クロヅクリ)。〔畜―90五〕

とあって、標記語「黒作」の語を収載しているのが確認できる。

 また、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「白干」と「黒作」語は未収載にする。以上、古辞書には「白干」と「黒作」の語は未収載にあるようだ。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

306雲雀水鳥山鳥一番塩肴者鮪K作(アヒ)ノ白干楚割 自背脊云也。〔謙堂文庫藏三三右C〕

とあって、標記語を「白干」と「黒作」とし、その語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

塩肴(シホサカナ)ニハ者鮎(アユ)ノ白干(シラホシ)(シビ)ノ黒作(クロツクリ)(マス)ノ楚割(ソワリ)。〔下七ウ一〕

とあって、この標記語「白干」と「黒作」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

塩肴(しほざかな)(あゆ)の白干(しらほし)(しび)の黒作(くろつくり)_ニハ者鮎__白干黒作ハ其色の白きと黒きとによりて名つけたるなり。〔三十六オ二〕

とあって、標記語「白干黒作」の語注記は「白干黒作は、その色の白きと黒きとによりて名づけたるなり」という。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

鹽肴(しほざかな)ハ者鮎(あゆ)の白干(しらぼし)(しび)黒作(くろづくり)(ます)楚割(そわり)_ニハ者鮎___白干黒作ハいづれも自然(じねん)の色の白き黒きを以ていふのミ。〔二十九ウ五〕

_(しほさかな)にハ者鮎(あゆ)の_(しらほし)(しび)の_(くろつくり)(ます)の_(そわり)白干黒作ハいつれも自然(しぜん)の色(いろ)の白き黒きを以ていふのミ。〔五十二ウ四〕

とあって、標記語「白干黒作」の語注記は、「白干黒作は、いづれも自然の色の白き黒きを以っていふのみ」という。

 当代の『日葡辞書』に、

Xiraboxi.シラボシ(白干) 食用として保存するために塩をつけずに干した鮎.※原文はTrutas.鱒,岩魚の類の魚.〔邦訳776r〕

とあって、標記語を「白干」の語は、その意味を「食用として保存するために塩をつけずに干した鮎」とし、標記語を「黒作」の語は、未収載にする。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「しら-ぼし【白干】<名>魚肉・野菜などを、塩につけないでそのまま干すこと。また、そのもの」「くろ-づくり【黒作】<名>@黒色に塗ったつくり。全体を黒くつくること。Aイカの塩辛の一種。腹筒部の肉と黒袋をまぜて作ったもの。富山県の特産」とある。

[ことばの実際]

或上人、(アユ)白干(シラボシ)を紙に裹(つつ)みて、剃刀(かみそり)と名つけて、かくし置きて食しける。《『雜談集』(1305年)二・妄語得失事》

四条(シデウ)大納言隆親卿(タカチカノキヤウ)、乾鮭(カラザケ)と言ふものを供御(グゴ)に参らせられたりけるを、「かくあやしき物、参る様(ヤウ)あらじ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚(ウオ)、参らぬ事にてあらんにこそあれ、(サケ)白乾(シラボ)、何条事(ナデフゴト)かあらん。(アユ)の白乾しは参らぬかは」と申されけり。《『徒然草』(1331年)182段》

湯の山のみやげをみればさびにけり、やうじにさせる(あゆ)のしらほし<増重>《俳諧『鷹筑波』(1638年)四、日本俳書大系・貞門俳諧集上248上六》

雨の日の霞や酒のくろつくり<貞室>。《俳諧『玉海集』(1656年)一・春日本俳書大系・貞門俳諧集上287下九》

2002年5月3日(金)晴れ。東京(八王子→南大沢)

「塩肴(しをざかな)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「志」部に、「塩折(同)。塩引(ビキ)。塩断(タチ)見利經并娑婆論。塩竈(ガマ)。塩干(シヲヒ)又潮。塩氣(シヲケ)」の六語を収載するにとどまり、標記語「塩肴」の語は未収載にある。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

塩肴者鮎白干鮪黒作鱒楚割」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

_(サカナ)ハ者鮎(アユ)ノ_(シラホシ)(シヒ)ノK_(マス)ノ_(ソハサキ)」〔山田俊雄藏本〕

塩肴者鮪(シビ)ノK作(ツクリ)(アユ)ノ白干(シラホシ)(マス)ノ楚割(ス―イリ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集広本節用集』そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集易林本節用集』には、標記語「塩肴」の語を未収載にする。

 また、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「塩肴」語は未収載にする。以上、古辞書には「塩肴」の語は未収載にあるようだ。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

306雲雀水鳥山鳥一番塩肴者鮪K作(アヒ)ノ白干楚割 自云也。〔謙堂文庫藏三三右C〕

とあって、標記語を「塩肴」とし、その語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

塩肴(シホサカナ)ニハ者鮎(アユ)ノ白干(シラホシ)(シビ)ノ黒作(クロツクリ)(マス)ノ楚割(ソワリ)。〔下七ウ一〕

とあって、この標記語「塩肴」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

塩肴(しほさかな)にハ者鮎(あゆ)の白干(しらほし)(しび)の黒作(くろつくり)(ます)の楚割(そわり)塩肴ニハ者鮎白干鮪黒作鱒楚割。〔三十五ウ七〕

とあって、標記語「塩肴」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

塩肴(しほさかな)にハ者鮎(あゆ)の白干(しらほし)(しび)の黒作(くろつくり)(ます)の楚割(そわり)塩肴ニハ者鮎白干鮪黒作鱒楚割。〔二十九オ六〕

塩肴(しほさかな)にハ者鮎(あゆ)の白干(しらほし)(しび)の黒作(くろつくり)(ます)の楚割(そわり)。〔五十一オ四〕

とあって、標記語「塩肴」の語注記は未記載にする。

 当代の『日葡辞書』に、

Xiuoiuo.シヲイヲ(塩魚) 塩漬けの魚.〔邦訳784r〕

とあって、標記語を「塩魚」の語にして、その意味を「塩漬けの魚」としている。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「しお-ざかな【塩魚】<名>塩漬けの魚。また、塩をふりかけた魚。しおもの。しおうお。しおいお」とある。

[ことばの実際]

是にて酒まゐれなどすゝめて我國かたの名物。それ/\の鹽肴取出しかりそめのたのしみ。《井原西鶴好色一代女』(1686年)六・二》

2002年5月2日(木)晴れ。東京(八王子→駒沢)

「一番(ひとつがひ)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の「飛」部に、

一番(―ツカイ)鳥。〔元亀本345五〕〔静嘉堂本415三〕

とあって、標記語「一番」の語注記はただ「鳥」という。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

雉兎雁鴨鵠鶉雲雀水鳥山鳥一番」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(キシ)(ウサキ)鴈鴨 (カモ)(クヾイ)(タウ)鶉雲_(ヒハリ)-鳥山__(ツカイ)」〔山田俊雄藏本〕

(クグイ)雲雀水鳥山鳥一番(ツガイ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、標記語「一番」の語を未収載にする。広本節用集』には、

一番(―ツガイイチハン)[入・平]鳥―。〔數量門1037一〕

とあって、標記語「一番」の語注記は「鳥一番」という。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

一番(―ツカイ)鳥―。〔・数量255一〕

一番(―ツガイ)鳥―。〔・数量218一〕

一番(―ツカイ)鳥。〔・数量205二〕

とあって、標記語「一番」の語注記は広本節用集』と同じく「鳥一番」とする。また、易林本節用集』には、

一飾(ヒトカザリ)―腰(コシ)。―振(フリ)。―對(クタリ)。―羽(ハネ)冑(カブト)。―刎(ハネ)此ヲ忌テ不之ヲ。―番(ツガヒ)鳥(トリ)。―懸(カケ)魚。〔器財225七〕

とあって、標記語「一飾」の語とし、冠頭字「一」の熟語群として「一番」の語を収載する。語注記は「鳥」という。

 また、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「一番」語は未収載にする。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

306雲雀水鳥山鳥一番塩肴者鮪K作(アヒ)ノ白干楚割 自云也。〔謙堂文庫藏三三右C〕

とあって、標記語を「一番」とし、その語注記は未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

(キジ)(ウサキ)(カン)(カモ)(ウヅラ)雲雀(ヒバリ)_鳥山__(ツガヒ)。〔下七オ八〕

とあって、この標記語「一番」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

_(みづとり)_(やまどり)_(ひとつがひ)_鳥山__(ツガヒ)。〔三十五ウ七〕

とあって、標記語「一番」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

生物(なまもの)に(ハ)(たい)(すゞき)(こゐ)(ふな)(なよし)王餘魚(かれい)(きじ)(うさぎ)(がん)(かも)(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)_王餘魚雲雀水鳥山鳥一番〔二十九オ六〕

生物(なまもの)に(ハ)(たひ)(すゞき)(こひ)(ふな)(なよし)王餘魚(かれい)(きじ)(うさぎ)(がん)(かも)(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)。〔五十一オ四〕

とあって、標記語「一番」の語注記は未記載にする。

 当代の『日葡辞書』に、

‡Fitotcugai.ヒトツガイ(一番) →Tcugai,o<.〔邦訳250l〕

とあって、標記語「一番」の語の意味を「→Tcugai,o<」とある。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「ひと-つがい【一番<>@動物の雌雄一対。A番舞(つがいまい)で、左方と右方とが各一曲ずつ奏すること」とある。ここでは@の意味となる。

[ことばの実際]

まいて、わたり、對面しなどは、思ひよらずなりぬるを、ことはりながら、「人の御心の憂きもつらきも、げに我から」と、しのびがたくて、おきあがりて車などよするほど、端にいでて見わたし給へれば、けふをかぎる心地して、なにの草木も目とまるに、年比あの御方ともろともに明暮ながめつゝ、故上の御面影の、われは覺えぬを、言ひ出でなどし給ひつゝ、月をも花をも、もろともにもてあそび、琴の音をもおなじ心にかきあはせつゝ過ぎにし昔の、戀しきに、「のこりなく飽きはてられぬる世なれば、いよ/\、山より山にこそいりまさらめ、またしもかへり見じかし」と思すに、池にたちゐる鳥どもの、おなじさまに一番なるもうらやましき。《『夜の寝覚』卷二》

2002年5月1日(水)曇り時々晴れ。成田⇒佐倉⇒東京(駒沢→八王子)

「水鳥(スイテウ)」と「山鳥(やまどり)

 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』の補遺部「鳥名」に、標記語「水鳥」と「山鳥」との二語を未収載にする。古写本『庭訓徃來』五月{ }日の状に、

雉兎雁鴨鵠鶉雲雀水鳥山鳥一番」〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕

(キシ)(ウサキ)鴈鴨 (カモ)(クヾイ)(タウ)鶉雲_(ヒハリ)-鳥山__(ツカイ)」〔山田俊雄藏本〕

(クグイ)雲雀水鳥山鳥一番(ツガイ)」〔経覺筆本〕

欠落〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本山田俊雄藏本経覺筆本は、読み点を施して記載している。古辞書『下學集』には、

山鶏(ヤマトリ)。〔氣形門61一〕

とあって、標記語「水鳥」の語を未収載にし、標記語「山鶏」の語を収載する。広本節用集』には、

(ヤマドリサンケイ,ニワトリ)[平・平]異名錦吐緩錦舞影。〔氣形門556六〕

とあって、標記語を「水鳥」の語は未収載とし、標記語「」の方は収載し、語注記に異名語群を収載する。そして、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

山鷄(ヤマトリ)。〔・畜類166四〕

(ヤマドリ)(ヤマトリ)一懸。〔・畜類135九〕

(ヤマトリ)。〔・畜類125一〕

とあって、標記語「水鳥」の語は未収載し、「やまどり」を「」の語にして収載し、語注記はそれぞれ異なる。また、易林本節用集』には、

山鳥(―トリ)。〔氣形136七〕

水鳥(ミツトリ)。〔氣形199一〕

とあって、標記語「水鳥」の語と標記語「山鳥」の語を収載する。語注記は未記載にする。また、これまで「水鳥」の語を収載する古辞書は上記の易林本のみであったが、『伊京集』に、

水鳥(スイテウ)五羽。〔畜類128一〕

とあり、標記語「水鳥」の語注記には「五羽」とある。

 また、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』、室町時代の十巻本伊呂波字類抄』には、

山鷄(―ケイ)ヤマトリ縲菎同。上云俊下云儀。〔黒川本・動物中83ウ三〕

山鷄ヤマトリ縲菎同。――神鳥也/似鳳漢初侍/中服――冠也。〔卷第六・動物507二〕

とあって、標記語「山鷄」「縲菎」の二語を示し、それぞれに注記がなされている。そして、十巻本語注記は、下記の『和名類聚抄』の注記に共通する。

 さて、『庭訓往来註』五月{ }日の状に、

306雲雀水鳥山鳥一番塩肴者鮪K作(アヒ)ノ白干楚割 自云也。〔謙堂文庫藏三三右C〕

とあって、標記語を「水鳥」と「山鳥」とし、その語注記は、未記載にある。

 古版『庭訓徃来註』では、

(キジ)(ウサキ)(カン)(カモ)(ウヅラ)雲雀(ヒバリ)_鳥山__(ツガヒ)。〔下七オ八〕

とあって、この標記語「水鳥」の語注記は、未記載にある。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

_(みづとり)_(やまどり)_(ひとつがひ)_鳥山__(ツガヒ)。〔三十五ウ七〕

とあって、標記語「水鳥」の語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

生物(なまもの)に(ハ)(たい)(すゞき)(こゐ)(ふな)(なよし)王餘魚(かれい)(きじ)(うさぎ)(がん)(かも)(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)_王餘魚雲雀水鳥山鳥一番▲水鳥山鳥ハ水禽(みづとり)山禽(やまどり)を廣く指していひたるなるべし。〔二十九オ六〕

生物(なまもの)に(ハ)(たひ)(すゞき)(こひ)(ふな)(なよし)王餘魚(かれい)(きじ)(うさぎ)(がん)(かも)(うづら)雲雀(ひばり)水鳥(みづとり)山鳥(やまとり)一番(ひとつがひ)水鳥山鳥ハ水禽(みづとり)山禽(やまどり)を廣く指していひたるなるべし。〔五十一オ四〕

とあって、標記語「水鳥」と「山鳥」の語注記を一つにして「水鳥山鳥は、水禽山禽を廣く指していひたるなるべし」と記載する。

 当代の『日葡辞書』に、

Suicho>.スイチョウ(水鳥) Mizzutori.(水鳥)鴨とか家鴨とかのような水鳥.〔邦訳585l〕

Mizzutori.ミズトリ(水鳥) 鴨,雁などのような水鳥.〔邦訳415l〕

Yamadori.ヤマドリ(山鳥) 山林にいる,尻尾の非常に長いある鳥,または雉.〔邦訳808r〕

とあって、標記語「水鳥」の語の意味を「鴨,雁などのような水鳥」とある。標記語「山鳥」の語注記を「山林にいる,尻尾の非常に長いある鳥,または雉」としている。ちなみに、『日本国語大辞典』第二版には、「すい-ちょう【水鳥<>@水にすむ鳥。水禽(すいきん)。みずとり」「みず-とり【水鳥<>水上または水のほとりで生活する鳥類の総称。水禽(すいきん)。古くは主に鴨(かも)の類をさした。《季・冬》」とし、「やま-どり【山鳥<>@」とある。

[ことばの実際]

山鷄 七卷食經云山鷄一名縲菎<峻儀二音 夜末土利 今案縲菎種類各異見漢書注>地理志云山鷄形如家鶏<雄斑雌黒>《十卷本和名類聚抄』(934年頃)卷七》

而及半更、武田太郎信義、廻兵略、潜襲件陣後面之處、所集于冨士沼之水鳥等、群立其羽音偏成軍勢之粧依之平氏等、驚騒《読み下し》而ルニ半更ニ及ビテ、武田ノ太郎信義、兵略ヲ廻ラシ、潜カニ件ノ陣ノ後面ヲ襲フノ処ニ、富士沼ニ集ル所ノ水鳥等、群ガリ立ツ。其ノ羽音偏ニ軍勢ノ粧ヲ成ス。之ニ依テ平氏等、驚キ騒グ。《『吾妻鏡』治承四年十月二十日条》

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