2003.01.16更新
国語演習U導入部<参考資料>
鎌倉時代に成る軍記物語『平家物語』を読む。
『平家物語』
―知的体系を模索する―
いよいよ、残りわずかななかでの取り組みがなされるときが近づいてきています。
『平家物語絵巻』奈良絵本(2002.10.18)の演習)
奈良絵本『平家物語』について解説
『平家納経』無量義経(開経)の漢字文字について(2002.10.11)の演習)
「大比丘衆万二千人倶菩薩摩訶薩八萬人」「國王王子國臣國民圀士圀女桴」
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.10.04の演習)
「演習」発表用要旨の点検及び卒業論文の進行状況の確認。
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.09.27の演習)
「演習」発表用要旨の点検及び卒業論文の進行状況の確認。
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.09.20の演習)
催物企画展 サントリー美術館 源平の美学―平家物語の時代―
Warrior Aestbetics:The Tale of the Heike and its Period
9月10日(火)〜10月20日(日)
第39回 美術講演会 9月28日(土)午後2時より
「平曲(平家琵琶)を聴くー耳で読む平家物語ー」
講師 鈴木まどか(前田流平家詞曲相伝者)
『平家納経』展示期間
分別功徳品: 9月10日から9月23日
薬王菩薩本事品:9月25日から10月06日
提婆達多品: 10月8日から10月20日
http://www.suntory.co.jp/sma/japanese/f_current.html
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.07.12の演習)
今季夏休み直前演習
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.07.05の演習)
朝日新聞に掲載された『平家物語絵巻』の記事を検索確認。さらに、本學図書館所蔵の『平家物語』資料の検索確認をしました。これに基づいて、夏季休暇中に図書館から借り出しをなさる資料について整理しましたので、直接図書館で実物を確認し、長期借り出しの手続きをなさってください。
妹尾兼康(せのおかねやす) 那須与一 橋合戰 富士川 実盛最期
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.06.27の演習)
六下「嗄声の事」における城太郎助長の落馬圖を考察。
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.06.21の演習)
五上「清盛と物の怪の事」における対峙距離と姿勢を考察。
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.06.14の演習)
発表用の要旨集を各自が三週めになりました。
冨士山絵図からみる、http://www.g-news.jp/fujisan/
@構図位置から方角を割り出す。
A山頂の形をどう描いているのか? 一型、二型、三型
鹿の谷絵図からみる、人物構図は?
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.06.07の演習)
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.05.31演習準備)
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.05.24演習準備)
「伊勢へいじはすがめなり」は、「瓶子(へいじ)」に「平氏」、そして「酢甕(すがめ)」に「眇=やぶにらみ」と懸けて嘲弄する公卿たち。これは、平忠盛が鳥羽院に仕えて、但馬國を拝領した三十六歳にしてはじめて内裏への昇殿を許された時の譚です。
このからかいにのうちには“言語性の遊戯”が使われていて、「伊勢」出身の平氏である忠盛は、眇(やぶにらみ)といった身体特徴を「伊勢瓶子は酢甕なり」と掛詞にして囃したてたのです。これを切り皈してやり込めるだけの“言語性の遊戯”能力を忠盛は残念ながら持ち合わせていませんでした。
本来、御前にて見苦しい振舞いでもすれば、お家の醜態をさらけ出すことにもなりかねないのです。忠盛はこの日、武家の棟梁としての誇りからでしょうか、太刀を携えて参内しました。この太刀は後に銀箔を塗り押した木刀であったことで機知の具となっています。また、家の郎等左兵衛尉平家貞(いえさだ)が庭上に控えるといった事前の防禦姿勢をも忘れていませんでした。公卿公達と忠盛、そして家臣家貞の行為や表情から何かを読み取ってみましよう。
[本日のまとめ]忠盛と公卿公達との顔の色が全く異なっています。公達は白い顔、この白い顔は「白粉」を塗って化粧していることを示唆しています。この「白粉」の産地がなんと忠盛たち平家一族の出身地の「伊勢」であります。このあたりから逆に切り返す物言いが考えられないでしょうか?ぜひ、忠盛の気持ちになって、公卿をあッと云わせるような物言いをあなたが考えてみてください。
「公達の面白きは、わが伊勢のものや」《熟慮して更新します》
といったらどうでしょうか?
《余学》HP「白粉」が見える作品紹介
御油宿 『都風俗化粧傳』 泉鏡花『南地心中』第十九章 小説『裸婦』 レート白粉 食道楽―「白粉問題」 おしろいと紅 〜顔に色を塗る歴史〜 手塚治虫『アラバスター』
海棠や白粉に紅をあやまてる《与謝蕪村遺稿本文》
代助はそのふっくらした頬を、両手で両三度撫(な)でながら、鏡の前にわが顔を映していた。まるで女が御白粉(おしろい)を付ける時の手付と一般であった。実際彼は必要があれば、御白粉さえ付けかねぬ程に、肉体に誇を置く人である。《夏目漱石『それから』》
こッてり塗り附けたお白粉の下に、「男」と云う秘密が悉く隠されて、眼つきも口つきも女のように動き、女のように笑おうとする。甘いへんのうの匂いと、囁くような衣摺れの音を立てて、私の前後を擦れ違う幾人の女の群も、皆私を同類と認めて訝しまない。そうしてその女達の中には、私の優雅な顔の作りと、古風な衣裳の好みとを、羨ましそうに見ている者もある。《谷崎潤一郎『秘密』》
蓼科の顔はいつにもまして、京風の厚化粧の極みを示していた。唇の内側から京紅の茜(あかね)が射し出て、皺(しわ)を埋めた白粉の上を均(な)らそうとして更に塗り込めた白粉が、きのう嚥んだばかりの毒に荒らされた肌に馴染(なじ)まず、化粧がいわば顔いちめんに生(お)い出でた黴(かび)のように漂っていた。《三島由紀夫『春の雪』》
『平家物語絵巻』と覚一本『平家物語』(2002.04.12講義内容)
格調の高い文章をその原文と翻刻文とを対比しながら、さらに訳文をもって楽しみます。平家一門の一大叙事詩ともいえるこの物語を流暢な響きと色彩に載せ、あなたのこゝろに何かを遺し伝えます。《付録「声に出して読む『平家物語』HP」》
祗園精舎乃鐘のこゑ、諸行無常乃ひゝきあり。しやらさうしゆの花の色、しやうしやひつすいをことハりをあらハす。おこれるものもひさしからす。たゝ春の夜の夢のことし。
という文章は、この『平家物語』の書き出しの部分です。ですが、なぜか絵巻物にはこの風景描写画が添えられていません。一体どうしてなのでしょうか?まずは考えて見てください。
その「祗園精舎」は、現代のインド国、昔の「天竺」と呼ばれた地にありました。この精舎は、スダッタ(須達長者)というコーサラ国・シュラーヴァスティ(舎衛城)に住む長者で、貧しい者に施しを与える慈善家として名を成し、「アナータピンダダ(給孤独長者)」とも呼ばれていました。スダッタは、ブッダ(お釈迦さま)を迎えるために王舎城にある「竹林精舎」よりも立派な精舎を建設しようと最適な土地を求め、ジェーダ(祗陀)太子の所有する土地が最も適した場所と考えたのです。しかしながら、ジェーダはスダッタに対し、「あの場所を手に入れたいのであれば、わたしの所有する庭園を敷き詰めるだけの黄金を用意せよ」という無理難題をスダッタに吹き掛けたのです。一時は困惑したスダッタでありましたが、彼の意志は強く、自身の所有する全ての財産を投げうち、さらに莫大なる借金を抱えながらも黄金をその庭に敷き詰めはじめたのです。これにはジェーダも驚き、「お前がそれほどの情熱を注ぐ“ブッダの教え”とはいったいどんな教えなのか?わたしも、ぜひ拝聴したい。もはや黄金はいらない。庭園は寄進する。スダッタよ、早く精舎を建ててくれ」と進言したのでした。これにより精舎は建築されたのです。これを「祗樹給孤独園精舎」すなわち、「祗陀太子の樹園に給孤独長者が建立した精舎」で「祗園精舎」というのです。
その修行寺院の「鐘」が「諸行無常」と響きわたったというのです。この「諸行無常」ということばは佛教の経典に「諸行無常是生滅法生滅滅已寂滅為樂」とあって、その読み方は室町時代の古辞書である広本『節用集』に「シヨギヤウムジヤウ、せシヤウメツホフ、シヤウメツメツイ、ジヤクメツイラク」〔志部・態藝門932一〕と記載が見えます。意味は、「この世には、“永遠”なるものは一つとして存在しない」ということでしょうか……。
次ぎに「沙羅双樹の花」〔青線部分クイック〕を観てみましょう。いかがでしょう。やはり、自分の眼で確かめてみたいでしょう。どうぞ、「沙羅双樹の花」を観に出かけてみては……。「沙羅双樹」の樹木は、お釈迦様が涅槃に入る時にその床の四隅に植えてあり、その「花の色」が涅槃に入ると同時に、真っ白になったというのです。慕うものを失った悲しみは、草木の“氣”をも動かして見せているというのです。つまり、森羅万象、生きとし生けるすべてのものが“氣”を廻らしています。そのひとつの証明が現象として表出したということでしょう。それはどんな尊い生命でもいつか必ず終焉の時があり、待ちうけていることをここに示唆しています。
そこで、「盛者必衰の理」ときました。世間には盛りを迎えた人もいれば、衰えを向える人もいます。それは常に流動しつづけていて“水”のようなものかもしれません。『方丈記』の作者鴨長明がその冒頭文で、
行く川の水は絶えずして、しかももとの水にあらず
と表現しています。“個”からみればまさに表裏一体の世界をなしています。事の善悪がこの世に存在するように、善いこともあれば、悪いこともあるのがこの世の中のしくみなのです。それと同じように時は流動し、常時とどまり待つことはありません。ですが、“水”が高いところから低いところへ流れるように、“負”のものから“正”のものには向い難いものです。榮えて衰えるといういわば未成熟なものが成長し、やがて衰退するという仕組みになっています。それは、他人事のよう申せば、まるで「春の夜の夢の如し」なのでしょう。人は「夢」を季節に関係なくいつでも見ることができます。なのに、とりわけ「春の夜」のように時の短さがその「ゆめの世界=栄華の世界」と同じように極単に短く、一際はかなく見えるというのです。
そして、一年間この『平家物語』の世界を私と一緒に旅してみましょう。
2001年度迄