令和4年度 学位記授与式(卒業式)総長祝辞

Date:2023.04.06

令和4年度の学位記授与式に当たり、学校法人駒澤大学の教職員を代表して、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

20230404president永井 政之 総長

今席にお集まりの卒業生、さらに修了生の皆さん、またライブ配信にてご列席の御父母をはじめとする関係者の皆さん、ご卒業、おめでとう御座います。

ようやくマスクの着用が任意とされる時を迎えることとなりました。

振り返ってみれば、皆さんが入学された2019年の秋にはじまった、新型コロナウイルスの蔓延は、100年ほど前のスペイン風邪の流行以来となる、未経験の世界に私たちを引きずり込みました。

「新常態・ニューノーマル」社会の到来に対処するため、大学では、入学式、卒業式も形を変え、授業はオンライン利用、クラブ活動の縮小など、皆さんも私たち教職員も、できる限りの工夫を求められました。しかし誠に残念ながら、大学生として必要な「学びと研究」、さらに「人間関係構築の場」を皆さんに、十分に提供できませんでした。この点、大学を代表して衷心よりお詫び申し上げます。

いったい、明暗交々の出来事が、世界中を覆った3年余の歳月を、どう総括し評価するかは、歴史に任せざるを得ませんが、当面、目を学内に転じるなら、陸上競技部による令和3年の箱根駅伝優勝に続き、今年度の駅伝3冠達成に代表されるような、各クラブの顕著な活躍があったことは見逃すことはできません。
また法科大学院では5名の司法試験合格者が出、さらに昨年秋には大学の140周年記念事業ともなった、新図書館「智の蔵」の開館があるなど、明るい話題も少なくありませんでした。

誰もがマスコミの注目を浴びたわけではありません。しかし今、新たな旅立ちのスタートラインに立たれている卒業生の皆さんは、さまざまな重圧に耐えつつも、常に「学び」を忘れることなく大学生活を送る中で、「無事に過ごす」という「当たり前」の素晴らしさを、実感し再認識されているのではないでしょうか。

それにしてもコロナウイルスの蔓延による影響力が、どのような形で今後残り続け、私たちの価値観や生活を変えていくのでしょうか。「新常態・ニューノーマル」がどのように進み、その結果がどのようなものになるのか、未だ「想定の外」にあるような気がしています。ここで私は、中国以来の格言である「人間万事塞翁が馬」、あるいは「災い転じて福となす」、「艱難、汝を玉にす」という言葉を思い出します。よくよく考えてみれば、オンライン授業の導入はそれまでは漠然として想像の域を出なかったIT利用の教育を大きく前進させました。教育に限らず、情報交換においてIT技術が、今後、有効な手立てとなることは自明です。逆にさまざまな場面において人間関係を構築するためには「対面」が必須であることも痛感されたはずです。

今や私たちは、科学技術の進歩と「人間」とのバランスをどうとるかという難問を突きつけられています。パソコンやスマホが、今まで以上に大きな役割を果たすようになったこと、すでに私たちは経験ずみです。最近話題のChatGPTに象徴される「生成AI」の利用が、社会全体の中でさらに加速するであろうことは想像に難くありません。 ただしここで確認しなくてはならないことは、デジタル化が進んだ未来が、どのような社会になるにしても、それを構築し利用する主体は、あくまでも私たち「人間である」ということ。毎日、毎日の私たちの営みが、未来の社会を作り上げるということではないでしょうか。

私たちは、科学技術の進歩と、それを生み出し利用し享受する「人間」とのバランスをどうとるかという難問を、突きつけられていることに気づく必要があります。
1年次の必修科目「仏教と人間」をはじめ、さまざまな機会を通して、皆さんは駒澤大学が「仏教の教義と曹洞宗立宗の精神」を建学の理念とし、具体的には「行学一如」「信誠敬愛」を掲げていることを理解されました。

「建学の理念」は、本学に学ばれた皆さんが、卒業後、どのような人生を歩むにしても、ブッダの説かれた縁起の教えを忘れることなく、あらゆる存在に対して常に慈しみの心を持って生きる。そのような生き方を人生の基本に置くべきことを求めています。

よくよく考えてみれば、近年、国連が主唱するSDGsで掲げられる17の目標の多くは、いまから2500年以前、インドにおいてブッダが創唱された「仏教」において、既に主張されていることでもあります。

目先の問題に終始しがちな現代という時代だからこそ、ともすれば忘れてしまいがちな、「自分自身(自己)と他人自身(他己)を同じ価値・平等であると見る姿勢を失わない」生き方、「あらゆる存在にその尊厳を認める」という生き方を、今まで以上に忘れないということが、まず生きる上での基本に置かれるべきだと、私は強く思っています。
このことを、もう少し敷衍して言うなら、「外からの誘惑――仏教で言う煩悩――に振り回されるな」、「自分勝手に生きるな」ということになりましょう。それは、「常に人間として自覚的に生きる」という意味でもあります。

ある禅僧に、「光陰、虚しく度る事なかれ」――刻一刻をむだにするな――という言葉があります。それは単に、「時間を大切に過ごしなさい」という意味以上に、1回きりの、やり直しのきかない、編集も出来ず、台本もない「人生」を、大事に生きなさいという意味であることに気づきます。

皆さんのこれからの長い人生、新型コロナウイルスの蔓延以上に、予想できないこと、思い通りにならず、悩み苦しむ事態が頻出することは、疑いありません。そのような場合、どう工夫し対処するか。そんなとき「振り回されない」という教えを、また「毎日が修行である」と禅が教える意味を、是非、思い起こして頂きたく思います。

そのことを切に念じて、皆さんの卒業、修了に当たっての、私のはなむけの言葉とさせていただきます。

令和5年3月吉日

学校法人駒澤大学
 総長 永井 政之