令和6年度 入学式 総長祝辞

Date:2024.04.26

学校法人駒澤大学の総長の永井です。

新入生の皆さまに入学のお祝いの言葉を述べさせていただく前に、まず今年元日、能登半島を中心に発災した地震に象徴されるような、さまざまな災害に遭遇して甚大な被害を被られ、復興の途上にある皆さまに衷心からのお見舞いを申し上げます。

同時に「平和」を願いつつも、一向に止むことのない戦争の被害者となられている国々の方々にも、一刻も早く平穏な生活が戻ってくることを祈っております。

20240408nagai永井 政之 総長

さて桜花爛漫の言葉がピッタリする本日、令和6年度駒澤大学入学式にあたり、志望されたそれぞれの大学院、学部に入学を許された新入生の皆さん、また御父母をはじめとする関係者の皆さまに、学校法人駒澤大学の教職員を代表して心からお祝い申し上げます。

御承知のように本日4月8日は「花祭り」、仏教を開かれたブッダの誕生日とされる日です。皆さんの新たなる出発の日として、これ以上にふさわしい日はないと、私は考えています。

さて皆さんは、受験にあたって本学を選ばれるにあたり、さまざまなツールを通して、本駒澤大学が仏教、就中、曹洞宗によって設立された大学であることを理解されているものと推察します。

この点をめぐっては、あらかじめ皆さんに配られているパンフレット「学校法人駒澤大学 建学の理念」において記されておりますし、何より1年生の必修科目として位置づけられている「仏教と人間」において、「宗教とは」「仏教とは」「禅とは」など、多分、今までの受験勉強では思いもよらなかった世界が、担当の先生によって丁寧に講義されるものと承知しています。

したがいまして、この場では概略を述べるに止めさせていただきましょう。

いったい駒澤大学は、文禄元年(1592)に江戸神田台(のちの駿河台)にあった吉祥寺というお寺に開かれた「旃檀林学寮」を淵源とします。「栴檀は双葉より芳し」と言われる「栴檀」です。また中国のあるお坊さんは「栴檀林には雑木はない。そこに住めるのは百獣の王とされる獅子だけだ」という言葉をのこしました。

このようなエピソードを承けて、この学寮では、有意な若者を立派なお坊さんに育て上げるための教育が24時間体制でなされました。この学寮制度は明治になってもしばらくの間続きましたが、大正14年(1925)文化系の単科大学になり、昭和24年(1949)には仏教学部、文学部、商経学部を擁する新制総合大学となり、のち法学部、経済学部、経営学部などが新設され、今日ではさらに医療健康科学部、グローバル・メディア・スタディーズ学部・法科大学院などが設置されるにいたりました。

仏教や禅だけでなく、さまざまな分野の学問研究と研究がなされるに至ったのは、ブッダ、大本山永平寺を開かれた道元禅師、大本山総持寺を開かれた瑩山禅師。瑩山禅師は1325年に亡くなられたために、今年大本山総持寺では700年が経過したということで御供養のための法要が現在営まれています―――この3人を私たちは「一仏両祖」と尊称いたしますが―――説かれた教えが、ひとりお坊さんという限られた世界のものではなく、万人の生き方に通じる「普遍性」を持つと信じるからです。

それはブッダが説かれた「縁起」という教え。現代でも縁起が良いとか悪いとかふつうに使われる言葉ですが、ブッダが説かれた「縁起」とは、簡単に言うなら、あらゆる存在はすべて結びつきによって成り立っている。単独で存在するものはない―――という教えを理解し、誰もが「他者に対する慈しみの心」を忘れずに生きていくことが大事、という考え方に他なりません。

もっと分かりやすく言うなら、今日ここに皆さんが入学の喜びに浸っていることが出来るのは、皆さんの、これまでの努力の結果としてあることはもちろんですが、それを支えてくれたご家族、教えを受けた先生方、友人たち、挙げればきりがない「縁」による結果と言えます。また今日、自宅を出て交通機関を利用して無事に本校に遅刻をせずに到着できたのも、それぞれの方々の地道で丁寧なお仕事の結果であると言うことも出来ます。

逆に見れば皆さんの生き方、毎日毎日が周りの人々の人生に深く関わっていることに気づいてほしいと願っています。自分の人生を大切にしよう。当たり前のことですが、それは他人の人生でもあることを忘れないで下さい。

このような考え方、生き方を、駒澤大学では「行学一如」という四字熟語で表現し、具体的実践の徳目としては「信誠敬愛」と表現します。行学一如とは学びと生き方の一致を目指すことを意味し、信は教えを信じ、個々の尊厳を信じること、誠は誠実に生きること、敬は教えを敬い他を敬うこと、愛は慈しみの心と言えます。

現代社会における、さまざまな分野における日進月歩の発展のめざましさは、筆舌に尽くしがたいことを、誰もが実感していると思います。私たちはそのような発展の成果を享受しつつ毎日を生きています。同時にそこに問題があるのではないかとも私たちは感じています。今に始まったことではないにせよ「自己中心」「自国中心」「人間中心」の風潮は、明らかにバランスを欠いたものと目に映ってなりません。利便性や経済性を追求した結果、人間性が劣化してしまったと言ったら言い過ぎでしょうか。

結論はすぐには出そうもありませんが、私はここでやはりブッダが説かれた「あらゆる存在」それぞれの尊厳を認めあい、それを現実に生かす営みを弛まなく続けることが求められている。それがとりもなおさず「仏教的」な生き方につながると言えるのではないかと考えています。

皆さんは、今日を起点として4年間の大学生活に入られ、自ら選んだそれぞれの分野を通して、より理想的な人生を送るべく歩みを進められます。この4年間は、過ごしようによっては最も有意義な時間となること、今更、言うまでもありません。その有意義さを構築する大きな柱の一つとして「今までにない出会い」を挙げる事ができるでしょう。講義の場で、クラブ活動の場で、チャンスはいくらでもあります。

大本山永平寺を開かれた道元禅師は、鎌倉時代、中国に渡って生涯の師匠となる如浄という方と出会い、坐禅の教えをわがものとされましたが、その際の出会いを「われ人に会うなり」と述懐されました。

知識を得るだけなら、大学でなくてもいい。図書館で本を読めば良い。現代ならインターネットを通してあらましの知識ならうることができる。しかし人に会うのは、やはり「直接の出会い」に優るものはない。むしろネット社会だからこそ、「直接、人に会い」、ともに語り、喜怒哀楽をともにし、時には一緒に食事する。「肝胆相照らす」ことの重要さを再確認していただきたく思っています。

4年という歳月は長そうですが、「光陰矢の如し」の言葉のようにアッという間に過ぎ去ります。人生の最も充実した4年間を無事に過ごせますよう祈りますし、また教職員も一丸となってそのお手伝いをさせていただく覚悟です。 月並みな言い方ですが「頑張ってください」と申し上げて、皆さんの入学への祝辞といたします。

令和6年4月8日
駒澤大学 総長 永井 政之